日刊三里塚 HP版 2009/10 |
2009年 10月 |
全学連現地闘争本部 |
2009.10.29 |
11・1全国労働者集会 |
第4721号 |
11・1日比谷に全力結集しよう日・韓・米・ブラジルの労働者が連帯労農同盟の新たな発展を
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昨年、大成功した民主労総ソウル地域本部との交流会。今年も10月30日に来訪する |
全学連現地闘争本部 |
2009.10.25 |
11・1全国労働者集会 |
第4720号 |
「NAAは不在地主だ」(農地法6条違反)と追及10・20 市東さん行訴・農地法裁判で追いつめる記者会見で北延伸弾劾の声明発表空港公団(後の空港会社=NAA)が市東さんの農地を旧地主から買収したのが1988年。この時公団の本社は東京にあり、成田に移転したのは96年だ。つまり空港公団の買収は「不在地主」規定違反そのものだった。したがって、買収は違法であり無効だ。 午前10時半、市東さんが耕作権解除の許可を出した千葉県を訴えた行政訴訟が開廷。被告の千葉県は、反対同盟と顧問弁護団の「不在地主」問題での追及に対し、「NAAが農地法6条に反しているかどうかは考慮されることではない」などと「反論」した。とんでもないことだ。行政が「違法をやっても問題ない」などと言い張った。 さらに、成田市農業委員会、千葉県農業会議での審議過程の問題については「釈明の必要はない」と居直りを決め込んだ。裁判長はこうした千葉県代理人に、たびたび助け船を出した。傍聴席から怒りの声が次々と浴びせられた。 11時10分から、NAAが市東さんに対し土地の明け渡しを請求した農地法裁判が開廷した。ここでも「不在地主問題」が鋭く追及された。NAAの弁明はなんと「一時的に不在地主と同様の状態が生ずるとしても、成田に移転の見通しだったから問題ない」という、これまた驚くべき暴論だった。 裁判終了後、弁護士会館で記者会見と報告集会が開かれた。(写真) 冒頭に事務局の鈴木謙太郎さんが、10・22前倒し供用への「弾劾声明」を読み上げた。北原鉱治事務局長が怒りの発言に立った。「ここに43年間闘っている農民がいる。この千葉県民を無視して森田が騒いでいる。物取り主義の典型だ。廃港まで闘います」 続いて市東孝雄さんがあいさつした。「裁判で県は肝心要のところで逃げるばかり。さらに追い込んでいく。22日から供用開始されてもこれまでどおり闘うのみだ」と鮮明な決意を表した。 葉山岳夫弁護士を始め弁護団が次々と発言し、県とNAAのデタラメで傲慢不遜な居直りを徹底追及していくことを明言した。最後に萩原進事務局次長がまとめの発言を行った。「記者からは大臣や知事に何か言うことはないかという質問もあったが、こっちから頭を下げて言うことは何もない。彼らの頭には利権のことしかない。われわれの闘いにこそ正義性、勝利性がある。空港は完成しない」と不動の決意を示した。この反対同盟の断固たる記者会見が、仰々しい空港内のセレモニーがまったくの空騒ぎに過ぎないことを容赦なく暴いた。 |
全学連現地闘争本部 |
2009.10.22 |
11・1全国労働者集会 |
第4719号 |
1971年、三里塚・沖縄を闘い獄中35年・星野文昭さんをとりもどそう!10・11三里塚闘争へのアピール
******* 10・11三里塚現地闘争に集まったすべての皆さん。 大恐慌の深まりと自民党政権崩壊は、労働者・農民・人民の力、闘いによって情勢をつくり、開く、という全く新たな動乱期を引き寄せています。三里塚闘争の大飛躍と勝利をかちとる情勢です。 【労働者・農民・人民の怒りが自民党 政権を打倒】 資本・権力が労働者に犠牲を集中し、農民を切り捨て、全人民に矛盾と犠牲を強い、利益をむさぼる資本主義・帝国主義そのものが破綻しました。生きることも困難になっていることへの労働者・農民・人民の怒りが、戦後支配していた自民党政権そのものを打倒したのです。 10月供用開始粉砕、市東さんの農地強奪粉砕、現闘本部強奪粉砕を、空港絶対反対・農地死守、労農連帯の闘いで絶対に勝利しよう。 【三里塚と共に闘い必ず合流する】 私も共に闘った71年代執行阻止の闘いが、今日の反対同盟の皆さん、現闘の同志の闘いとして、より強固に生きていること、市東さんの畑で「星の木」が大切に育てられていること、そして、星野総会へのメッセージで北原さんが「出て、三里塚に来い!」と呼びかけてくれることに、心から励まされています。 三里塚の歴史は、権力との不屈の闘いを通して、また条件派との非妥協の闘いを通して、未来を開く力をかちとってきたし、そのことが、今の時代に、大失業・戦争の攻撃をうち破り、未来を開く、動労千葉・国鉄を軸とした階級的労働運動と一体の労農連帯の闘いとして、日本と全世界の労働者・農民・人民の心をつかみ総決起をかちとる展望を開いています。 その力で、権力自身無実を承知で強いている星野無期ー35年投獄を許さず、再審無罪・即時釈放の労働者人民の大衆的な闘いに勝利し、必ず合流をかちとろう。(09年10月 徳島刑務所にて) 前原国交省「羽田ハブ空港」の狙いは、東アジア共同体構想=侵略政策だ! |
全学連現地闘争本部 |
2009.10.17 |
10・20市東さん行政訴訟農地法裁判闘争 |
第4718号 |
10・20市東さん裁判に立とう行政訴訟、農地法裁判連続闘争へ〃NAAは不在地主だ〃
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この明らかな農地法違反を隠蔽するためにNAAは、2003年12月に所有権および賃貸人の地位を取得したと虚偽の申請をして、成田市農業委員会、千葉県農業会議、千葉県知事の「解約許可決定」をだまし取った。2003年なら空港公団は成田市に移転していたため、農地法6条違反を免れるとたくらみ、ウソをついて申請をしたのだ。とんでもない詐欺行為であり、絶対に許すことはできない。
そもそも旧地主はNAAに売却する際に、耕作者である市東さんにはひとことの相談もせず秘密にしたのだ。このことだけでもNAAの「買収」は違法・無効である。これは、農地法の基本である「耕すものに権利あり」という耕作者主義を真っ向から破壊する行為だ。NAAによる市東さんの耕作地明け渡し請求そのものが根底から崩壊している。
10月20日の裁判では、前回に引き続いて農地法6条違反である不在地主の問題を中心にした原告の主張が準備書面(12)として提出される。NAAの明け渡し請求は、土地収用法の破綻にかわる実質的な公用収用であり、違憲・違法であり無効である。農地法裁判においても同様の主張を、NAAの準備書面(3)の主張に対する反論として展開し、さらに「賃貸人たる地位取得の時期」や15年間にわたって旧地主が地代を詐取していた問題等々を追及する。
10・11集会の大高揚から10・20裁判闘争に決起しよう。
全学連現地闘争本部 |
2009.10.13 |
10・20市東さん行政訴訟農地法裁判闘争 |
第4717号 |
「今闘わずしていつ闘うのか!」10・11闘争 大結集の労農学1780人が決意萩原進事務局次長が基調報告を行った。「民衆の怒りが自民党を倒した。問題はそれをどうやって三里塚派、動労千葉派へと変えていくのかだ。現闘本部裁判で仲戸川裁判長の頭の中ではもう判決ができている。だが反動判決が出されて終わるのではなく、それを現地に持ち帰って実力で血を流して闘いぬくのが三里塚だ。現闘本部とともに市東さんの農地を絶対に守りぬく。今闘わずしていつ闘うのか!ここに三里塚あり、動労千葉ありという闘いを権力にたたきつけよう。われわれは決戦の決意を固めた」。 反対同盟の気迫にこたえて、動労千葉の田中康宏委員長が特別報告に立った。「今の情勢は開港阻止決戦の時と似ている。動労千葉はジェット燃料輸送阻止のストに立ち、動労本部から分離独立した。今日の数倍の人数を組織すれば三里塚で勝てる。国鉄では4者4団体路線が完全に破産した。労働者の怒りの先頭に1047名解雇撤回の旗が立っている。10・16国鉄闘争に立ち、11・1日比谷に労働者の怒りを結集しよう」。 11・1日比谷1万人の力で勝利を 北富士忍草母の会事務局長の天野美恵さんの逝去に際し、婦人行動隊の鈴木加代子さんが追悼と新たな闘いの決意を述べた。次に全国からの農民が登壇し、代表して北総農民と反対同盟の鈴木謙太郎さんが農民アピールを発した。 |
全学連現地闘争本部 |
2009.10.11 |
10・20市東さん行政訴訟農地法裁判へ |
第4716号 |
全人民の抵抗の砦・三里塚=43年の闘いが
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全学連現地闘争本部 |
2009.10.8 |
10・11三里塚全国集会 |
第4715号 |
北富士忍草母の会を率いて49年天野美恵事務局長の逝去を悼む三里塚はじめ反戦・反基地闘争の先頭で、闘魂あふれる生涯を全う
天野美恵さんは北富士演習場撤去・梨ヶ原入会地奪還の闘いを生涯貫いてきたが、この間は病気で入院生活を余儀なくされてきた。天野さんは闘魂あふれる闘いの生涯を全うされた。日帝権力と真っ向から対決し、入会地強奪と全力で闘い抜いた生涯だった。1960年に母の会を結成して以来、母の会の事務局長として、三里塚闘争の初期から、演習場撤去の実力闘争の地平で連帯の闘いを貫いてきた。天野さんを失った悔しさと悲しみは計り知れない。天野さんの遺志をあくまでも引き継ぎ、北富士闘争の勝利までともに闘い抜くとともに10・11三里塚闘争の大爆発、11・1全国労働者総決起集会の大成功のために全力で闘いぬこう。 10月7日、富士吉田市内で告別式が行なわれた。大勢の人たちが参列した。弔辞の最初に、国有地入会を守る会の天野豊徳さんが、「美恵姉えは親しくつきあいながら運動を指導してくれた」と天野さんの闘いを暖かい表現で語った。 反対同盟からは、北原事務局長、萩原事務局次長が参列、北原さんが弔辞を述べた。弔辞の最後に、婦民全国協議会の西村綾子さんが、「沖縄をはじめ全国各地の反戦・反基地闘争に一緒に出かけ、ともに闘った。婦民としては運動の出発点で母の会の教えをもらって闘いを展開してきました。婦民にとってかけがえのない人でした」と語った。 北原事務局長の弔辞(抜粋) 天野美恵さんの訃報(ふほう)に接し、反対同盟は心から追悼の意を表するとともに、早すぎた生涯ではなかったか、という思いを痛感しております。三里塚闘争との連帯、命がけで着弾地に座り込んで軍事演習をくいとめた忍草母の会の闘い、特に富士を荒らすな!として、さらに全国の基地反対闘争に取り組み闘った姿は、偉大な歴史の証人として社会の人々に伝えつつ、去っていきました。
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全学連現地闘争本部 |
2009.10.7 |
10・11三里塚全国集会 |
第4714号 |
集会で獲得すべき課題は何か10・11の成功へ全力あげよう10・22北延伸滑走路の供用攻撃と対決しよう
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全学連現地闘争本部 |
2009.10.5 |
10・11三里塚全国集会 |
第4713号 |
10・11総決起へ闘い進む成田駅頭街宣に決起
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9・30京成成田駅頭ビラまき | 右はビラの表面 |
全学連現地闘争本部 |
2009.10.2 |
10・11三里塚全国集会 |
第4712号 |
38回定期大会に北原事務局長が参加し、あいさつ「動労千葉と三里塚農民の闘いは一体」 10・1スト(幕張強制配転阻止)を敢行
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定期大会であいさつする北原事務局長 |