日刊三里塚 HP版 2009/2 |
2009年 2月 |
全学連現地闘争本部 |
2009.2.24 |
3・12再会現闘本部裁判 10時30分 千葉地裁 |
第4657号 |
「耕す者に権利あり」(第1条)を抹殺農地法改悪=解体を許すな下旬、 法案提出を策動
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熊本県八代郡郡築村の小作争議。小作料未納者に地主側は差し押さえの強硬手段に出た。これに対して反撃する小作農民組合のデモ【1930年5月】。こうした農民の闘いのエネルギーが戦後、小作地解放の要求となり、農地法制定につながった |
全学連現地闘争本部 |
2009.2.21 |
イラク反戦6周年 3月20日(金)午後1時半 |
第4656号 |
2・16市東さんの耕作権裁判(第10回口頭弁論)墓穴を掘った空港会社を追撃!労農連帯の力で 3・20渋谷デモ〜29三里塚へ 大結集をかちとろう!
裁判の争点は「南台41-9」の土地。NAAは、ここを市東さんの賃借地と決めつけて提訴したが、実際には市東さんがここを耕作したことは一度もないのだ。耕していたのは反対同盟元副委員長の石橋政次であった。この一点でNAAの提訴はデタラメ、即刻取り下げられなければならない。 反対同盟と顧問弁護団の激しい追及を受けて、NAAは前回の第9回でついに「1984年段階では」という留保条件を付けながら、「南台41-9」が石橋の耕作地であったことをしぶしぶ認めた。 ところが、今回NAAは、市東東市さんが「南台41-9」をもともとの自分の契約地であると認めたとする「証拠」として、旧地主の藤崎政吉の手書きの「メモ」なるものを持ち出してきた。このずさんでいい加減なメモをほぼ唯一の根拠として、この土地は「もともとは市東家の契約地だったが、石橋と土地を交換した」との主張で押し切ろうというのだ。 だが、87年当事に空港公団が収用委員会に提出した裁決申請書にまで、「南台41-9」は石橋の契約地で、市東さんの契約地であることは別であることが明記されていることが明らかになった。 弁護団は求釈明を行ない、原告の代理人弁護士を徹底的に追いつめた。NAAよ、見苦しい取り繕いをやめて提訴を取り下げよ! 意気高く、報告会 閉廷後、弁護士会館で記者会見と報告会が行なわれ、最初に市東さんが「裁判は佳境に入ってきたが、向こうの言っていることは全てデタラメ。弁護士さんとともに、私も頑張ります」ときっぱり。 |
全学連現地闘争本部 |
2009.2.12 |
2・16市東さん耕作権裁判第10回弁論 |
第4655号 |
トヨタによる農地破壊許すな豊田市で農業委員会抱き込み物流基地に不当転用4億も税金使った優良農地 愛知県、農水省も加担し許可
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2月1日付東京新聞 |
全学連現地闘争本部 |
2009.2.7 |
2・3市東さん土地取り上げ阻止・農地死守裁判へ |
第4654号 |
2・3「農地法による農地取り上げと闘う裁判」「市東さんの農地を守りぬくぞ」 150人が地裁デモ第1回口頭弁論で 市東さん、圧倒的な意見陳述
11時の開廷に向かって、傍聴にかけつけた人たちが抽選にならび、その数は、100名を越えた。405号法廷の前の廊下は、入りきれない傍聴希望者であふれていた。市東さんは、用意した陳述書を読み上げた。「この裁判は、千葉県の不当な決定に基づく不当な提訴です。まったく認めることができません。祖父が切り開いた時から親子3代にわたって精魂込めた、この土地こそ私の畑です」ときっぱりと宣言し、原告NAA(空港会社)を圧倒した。反対同盟顧問弁護団は「提訴を直ちに取り下げろ」と鋭く迫った。 NAA側の訴状に対して、弁護団がすかさず、「NAAと市東さんの間には、いつ賃貸借契約が成立したのか」と求釈明を行なった。NAAの代理人弁護士らはうろたえ、絶句。傍聴席から当然にも「ちゃんと答えろ!」の声。何と堀内明裁判長が、反対同盟・萩原富夫さんに退廷命令を発した。怒りが一気に爆発。裁判長は「次回期日は追って指定します」というが早いか閉廷を宣し、そそくさと逃げ出した。 基本的要件を欠いたこんなずさんでデタラメな提訴で、市東さんの農地を強奪しようなどということは、断じて認められない。許せない。裁判闘争をさらに徹底的に闘い、NAAと裁判所をとことん追いつめよう。3・29全国集会に大結集しよう。 |