日刊三里塚 HP版   2009/1  

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2009年 1月

日刊三里塚 HP版
全学連現地闘争本部

2009.1.29

2・3市東さん土地取り上げ阻止・農地死守裁判へ
9時 中央公園  11時 地裁

第4653号

96年の生涯を闘いに捧げた農民闘士
三浦五郎さんを追悼する

三里塚現地闘争本部

  反対同盟本部役員であり最長老の三浦五郎さんが1月14日、心不全のため亡くなられた。享年96歳だった。三浦さんは1月6日が誕生日。1週間前に、元気に96歳を迎え、前日まで普段の日常生活を過ごしていた。テレビで好きな大相撲を見ながら、配られている反対同盟ニュースや支援団体の機関紙・ビラを隅々まで読んでいた。その直後の異変だった。
 三里塚43年の闘いの文字通りのリーダーであった三浦さんを失った反対同盟、そしてわれわれ支援者の悲しみは、何物をもってしても癒されない。
 しかし、「闘争に全人生を捧げた」三浦さんの遺志を継ぎ、三里塚闘争を勝利させることこそ、唯一、三浦さんの闘魂に応える道と肝に銘じ、悲しみを乗り越えて、空港廃港へまい進することをここに誓うものです。
 三浦さんは1913年、父美貞、母松世さんのもと、山梨県東八代郡に生まれた。山梨県は耕地が少なく、同年10月、五郎さんがまだ1歳にもならない時点で、美貞さんは山梨県から千葉県遠山村(成田)の御料牧場に24戸とともに集団で入植した。
 入植とは言っても小作労働だった。御料牧場の小作人は天皇の農奴同然だった。開墾担当の地区を3度もたらい回しにされ、塗炭の苦労をしたと、折に触れお聞きした。ここから、父親が農民運動に目覚め御料牧場当局との闘いに立ち上がって行った。
 芝山地区は、隣の八街・富里地区の、明治以来の農民運動の影響を強く受けている地域だったため、農民運動先進地域でもあった。三浦さんは「子どもの頃からおやじのビラ配りをよく手伝ったよ」と話してくれた。
 1932年には共産青年同盟の一員として、治安維持法で逮捕されたことが新聞報道にも残っている。
 1945年の敗戦後、横須賀から復員した三浦さんは直ちに農民組合運動に参加していく。そして、50年代になると農地解放闘争および御料牧場解放闘争の先頭に立つようになる。農地改革のための農地委員も務め、64年には芝山町議会議員にも当選した。
 こうして自作農の地位も得、社会的な地位も安定してきたところへ降りかかったのが空港建設計画だった。農民無視のこの暴虐に、三浦さんは最先頭で反対運動に参加していった。
 その後、67年の外郭測量強行、71年9・16戦闘後の激しい青年行動隊弾圧、77年の鉄塔破壊から78年の成田空港開港重圧による一部幹部の動揺、そして82年2月、戸村一作委員長亡き後の実質的な最高指導者・石橋政次元副委員長の脱落、83年3・8分裂、87年9・4分裂……。これらの反対同盟の試練の中に、常に三浦五郎さんの姿があり、反対同盟が「絶対反対同盟」として、自らを磨き上げていく精神的な支柱として「戦前以来の闘士」三浦五郎さんの存在があった。
 2000年以後では、とりわけ市東孝雄さんへの農地法を使った農地強奪攻撃に怒りを燃やし、顔を真っ赤にして千葉県、成田空港会社の暴虐を弾劾していた姿を忘れることができない。
 06年7月2日、市東さんの記者会見の場に三浦五郎さんの姿があった。高齢のため、集会には参加していなかった三浦さんだったが、この時ばかりは「はってでも参加する」というりりしい姿があり、農地法の精神を記者たちに直接解説し、農地法で農地を取り上げようとしている空港会社に対する怒りを爆発させていた。三浦さんが育て、鍛え上げた三里塚反対同盟は43年の激闘を経てついに、日帝・国土交通省、空港会社と四つに渡り合い、一歩も引かぬ堅忍不抜の農民組織へと飛躍を遂げた。
 私たち三里塚現闘は、三浦さんの遺志と闘魂を受け継ぎ、この反対同盟を支えて、三里塚闘争の最後の勝利まで闘いぬく決意をここに誓います。
 三浦五郎さん。最後まで私たちの闘いを見守り、鼓舞激励して下さい。そして安らかに眠って下さい。
日刊三里塚 HP版
全学連現地闘争本部

2009.1.21

市東さん土地取り上げ阻止・農地死守裁判

デモ 2月3日午前9時 中央公園

第4652号

市東さん農地強奪阻止行政訴訟(第6回)

弁護団・傍聴団一体で知事決定弾劾の弁論!

2・3千葉地裁包囲デモ
  市東さん土地取り上げ阻止・農地死守裁判に大結集を

弁論終了後の記者会見・報告会
  1月20日、反対同盟旗開きの闘争宣言を受けて、新年初公判が開始され、市東さん農地強奪阻止行政訴訟の第6回口頭弁論が闘われた。千葉地裁には、80人の傍聴団が結集、法廷では、弁護団が千葉県知事による賃貸借契約の解約許可決定のデタラメを徹底的に暴く弁論を全面展開した。  90年にわたって耕作してきた市東さんの農地を、聞き取り調査も畑の現況調査も行なわないまま、解約許可決定を行なったのだ。土地収用法で取り上げることができなかった農地を、農地法で取り上げようとするこの暴挙を断じては許してはならない。
 裁判後、記者会見と裁判報告会が行なわれた。
 原告の市東孝雄さんは、「今日の裁判と、2月3日から始まる3つ目の裁判とは、裏表の関係にあります。2月3日は大傍聴団を結集させるようなそういう闘いにしていきたい」と決意表明。弁護団から、法廷内の弁論をくわしく報告。
 次に北原事務局長から「今の政治はどうなっているのか。法を無視して土地を取っちゃう。農地を守る権利はわれわれにある。実力で闘う権利がある。かつて地下壕戦や砦攻防を闘った。代執行はやってくるかもしれない。今こそ全国の農民の決起、新しい闘いをかちとっていこう」と熱烈に訴えた。
 傍聴に参加した農地取り上げに反対する会の共同代表の井村弘子さんは「政府は農民を大事にしていない。実にデタラメ、この裁判闘争を勝利させましょう」と訴えた。
 動労千葉の執行委員の関道利さんは「千葉県知事の違法デタラメは、その通り。反対同盟と両輪で勝利する日まで闘う。今、ライフサイクル攻撃がきているが、今のところ粉砕しつつあります。勝利にむかって共に闘っていきたい」と連帯のあいさつ。さらに、市東さんの農地を守る会を結成した群馬の青柳晃玄さん、関西実行委の松原康彦さんの挨拶が続いた。
 最後に萩原進さんから「2月3日の裁判では、この爆発をもって1年を決めたい。三里塚には、騒特法や、成田用水、一坪強奪、成田治安法などとんでもない攻撃をかけてきている。代執行をも決意しながら、砦をつくり、反対する人民の陣形をつくり、代執行を迎え撃つような闘いを構築しよう」とまとめを提起した。
 次回の市東さん行政訴訟は、4月21日(火)第7回、千葉地裁。
日刊三里塚 HP版
全学連現地闘争本部

2009.1.17

1・20市東さんの農地強奪阻止行政訴訟へ

1月20日午前11時 千葉地裁

第4651号

市東さんの農地を守ろう、暫定滑走路北延伸阻止!

1・11新年デモと旗開き闘いとる!

3・29全国大結集に向け
 2009年 闘争宣言を発す

暫定滑走路誘導路を横断する敷地内デモ(11日)
2009年の勝利にむけて「乾杯」。勝利感に満ちた団結旗開き(11日成田市内)
   1月11日午前10時、東峰十字路北側開拓道路に労農学120名が結集して、意気高く09年の新年第1波デモがおこなわれた。冒頭、北原鉱治事務局長が「昨年は大変な試練の1年だったが敗北感はない。裁判闘争が多くなっているが、この闘いが重要。裁くのは権力ではなく我々の方です。この矛盾空港に未来はない。2009年も勝利しよう」と訴えた。動労千葉の繁沢敬一副委員長が「三里塚43年の闘いに連帯し市東さんの畑を守る闘い、裁判闘争に決起する」と訴えた。共闘団体の発言の後、現闘本部先の市東さんの畑まで暫定滑走路を横断する戦闘的なデモを貫徹した。
 午後は、成田市内のレストランに150名が結集し、盛大に団結旗開きがおこなわれた。3・29全国集会への大結集をよびかける反対同盟の「2009年闘争宣言」が伊藤信晴さんによって読み上げられた。
 北原事務局長の力強いあいさつのあと、萩原進事務局次長は「100年に一度の出口のない恐慌、資本主義の終わりが訪れている。09年は韓国、アメリカの労働者・農民とも闘いを共有し、また日本全国の農民を獲得して反対同盟に入ってもらおう。市東さんの農地を守るために裁判の勝利を!」と、壮大な09年の闘いをアピールした。
 鈴木謙太郎さんの音頭で乾杯。市東孝雄さんは、「今年を勝負の年として闘う。スイッチはいつでもオンにできる」と決意を表した。
 動労千葉の田中康宏委員長は、民主労総からの檄布とカンパを反対同盟に手渡し、「09年を成田軍事空港崩壊元年に」とあいさつ。さらに関西実行委の永井満さん、顧問弁護団の葉山岳夫弁護士、動労水戸、婦人民主クラブ全国協議会、都革新、関東障解委、共闘団体など次々と09年の勝利に向かって闘う決意が表明された。
 直ちに1・20、2・3、2・16と連続する市東さんの3つの裁判闘争勝利へ、そして3・29全国集会への総決起へと勝利を誓い合う場となった
日刊三里塚 HP版
全学連現地闘争本部

2009.1.11

1・20市東さんの農地強奪阻止行政訴訟へ

午前11時 千葉地裁

第4650号

2009年、北延伸工事「完成」攻撃と全面対決を

労農同盟の力で市東さんの畑守れ

世界の労農と共に帝国主義打倒・革命へ
飛行回数の30万回化攻撃許すな

昨年11月に造られた生活道路破壊トンネル。トラクターの通るスペースがなく事故は必至
   三里塚現闘は、2009年の劈頭(へきとう)にあたり戦闘宣言を発する。2010年3月の「北延伸開業予定」を控えた09年は、10月「工事完成」を呼号する国土交通省、成田空港会社ら空港建設推進勢力との決戦の年となる。
 彼らは元旦早々「2010年に向け着実に進化する成田空港」(『千葉日報』特集号)なるキャンペーンを開始し、森中小三郎・空港会社社長はそこで、「空港容量の更なる拡大が必要」「平行滑走路の2500m化(暫定滑走路の北延伸のこと)と成田新高速の完成を目指して整備、空港能力の向上に努める」と述べ、「10月北延伸工事完成」に向けた攻撃の強化と闘争破壊策動の姿勢をあらわにした。
 さらに彼らは、「着実に進化し続ける〃而立(じりつ)〃した成田空港の飛躍」などと農民・住民追い出し攻撃を主張し、「将来は(年間飛行回数の)30万回も」と、地元9自治体で構成される「成田国際空港都市づくり推進会議」と一体となった騒音地獄拡大攻撃を主張している。小泉一成成田市長も年頭あいさつの中で、「いっそうの空港容量拡大」を明言した。
 09年の闘いは、1970〜80年代をも想起させるような激しい闘いの年となる。工事が野放図に進められ天神峰・東峰現地の地形が変更させられる。昨年11月17日に強行された生活道路のトンネル化(写真)による営農と生活破壊が強まるのはこれからだ。3月末からは深夜・早朝の飛行時間が延長されようとしている。成田新高速鉄道による「SKYGATEシティ」と称した利益誘導と世論操作もいっそう強まる。住民の懐柔機関「地域共生委員会」なるものが廃止され、いっそうむき出しの住民動員機関として改組されることが決まった。
 そして、市東孝雄さんに対する新たな農地強奪裁判が2月3日から始まる。われわれは「農地死守」の決意も新たに決戦の2009年を、反対同盟と固く団結して勝利する決意だ。
 「100年に1度」という金融大恐慌―経済危機の中で、矛盾が戦争となって爆発している。パレスチナ・ガザ地区でのイスラエルによる「ジェノサイド(大量虐殺)」を許すな。国内においても、大失業・派遣切り攻撃が未曾有の規模で労働者に襲いかかっている。農民に対してもついに農地法改悪の攻撃が具体的に始まった。(改悪案を通常国会提出)
 労働者・農民が生きられない時代こそ、帝国主義を打倒し革命を実現するチャンスの到来だ。新自由主義の破たんと支配の実態が誰の目にも分かる形で暴露されてきている。44年目の三里塚の闘いを6000万労働者、300農民、数百万の第一次産業勤労者と連帯し、帝国主義と真っ向から対決する激闘として勝利しよう。3・29全国集会に万余の労農学、漁民・市民の結集をかちとろう。

 

 

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