日刊三里塚 HP版   2008/12  

ホームページへ週刊『前進』月刊『コミューン』季刊『共産主義者』週刊『三里塚』出版物案内販売書店案内連絡先English

2008年 12月

日刊三里塚 HP版
全学連現地闘争本部

2008.12.25

新年デモと旗開き
1 月11日

10時 北側開拓道路
正午  成田市ハナマサ

第4649号

12・17暫定滑走路認可取消訴訟・控訴審闘争

市東さん,松井さん(京都大准教授)が堂々の証言 

「流血辞さず闘う」と宣言
 空港騒音は犯罪行為だと弾劾

弁論後の報告会であいさつする市東さん
   12月17日、東京高裁で暫定滑走路認可取消訴訟の控訴審弁論が闘われ、市東孝雄さんと京都大学准教授の松井利仁さんの証言がかちとられた。
 最初に松井利仁さんが証言を行なった。松井さんは、航空機騒音の健康被害が、これまで、「感覚影響」「生理的影響」から考えられてきた経緯を述べた上で、最近ではWHOでも、「健康影響」こそが重大であるとの認識を深め、その環境基準を検討し始めていることを指摘した。
 そして「心理的影響よりも、具体的に睡眠障害から心臓機能の弱い人などへの具体的な影響が、疫学調査で明らかになってきたことが示されたと証言した。
 最後に、「こういう空港や道路などの大騒音をともなう巨大公共事業を行なうということは、何人かに1人が騒音被害で病気になり、何人かに1人が死んだりすることも想定した中での事業ということになります」「防音家屋等の対策は当然ですが、それだけでは騒音被害は防げない。抜本的な対策が求められます」と成田空港による騒音公害を弾劾してしめくくった。
 続いて市東孝雄さんが証言に立った。市東さんは離発着機による爆音、排気ガス、ジェットブラスト(離陸時の噴射ガス)などによる被害を逐一証言した。
 さらに、堂本千葉県知事が2004年に視察した時に「ここは人間が住む所じゃない」と語ったことや、NAAの黒野社長の謝罪文のでたらめさを指摘した。
 そして、「人が病気になったり死ななければ被害を認めないなどという主張は断じて許せない」と証言した。

 有機農業をやりつづける


 最後に、農地を取り上げに来た場合はどうするかと問われたことに対して「親が残した土地だ。完全無農薬農業は(よそに)移れと言われても、簡単にできるものじゃない。今の場所でできる限りやっていきたい。土地収用法で取れないものを耕作者を守る農地法で取るなど絶対許せない。絶対に守る。最後は、流血を辞さず闘い抜く」と富越和厚裁判長に決意をつきつけた。
 松井准教授の2時間近い証言と市東さんの鮮明な、決意あふれる証言が法廷を圧倒した弁論だった。
 反対同盟も萩原進事務局次長を先頭に大勢に傍聴にかけつけて、首都圏の労農学と共に闘った。

 次回弁論は公判は、3月16日(月)午後3時から、最終弁論の予定。取り組みを強化しよう。

日刊三里塚 HP版
全学連現地闘争本部

2008.12.19

新年デモと旗開き
1 月11日10時
北側開拓道路

第4648号

市東さんの農地を守ろう、暫定滑走路北延伸阻止!

12・13現地闘争と忘年会闘いとる!

生活道路トンネル化に怒りのデモ
 2008年の闘争勝利を宣言

生活道路のトンネル化を弾劾するデモ(13日)
勝利感に満ちた団結忘年会(市東さん方離れ)
  12月13日、今年の三里塚闘争をしめくくる敷地内デモが打ちぬかれた。暫定滑走路の誘導路に突き刺さるように存在する開拓道路(東峰十字路北側)に、労農学80名が結集し、08年三里塚闘争の勝利を宣言、きたる決戦の09年への闘志をたぎらせた。
 現地闘争は、伊藤信晴さんの司会で始められ、冒頭北原事務局長は、「来年は三里塚闘争44年になる。今、真の団結を勝ちとるときだ。今年足りなかったことはないか、全力を尽くしたかどうか反省し、三里塚闘争勝利の道へ突き進もう。日本の未来、世界の未来、人類の未来のために闘っているという大きな誇りのもとに、三里塚闘争は健在です。今、青年や学生に対してどんどん首切りや内定取消が行なわれている。おごれる政治そのものが末期的だ。来年はもっと飛躍しましょう。国際的に労働者と連帯しよう。真の連帯をつくるために反対同盟は闘います」ときっぱりと宣言した。
 共闘のあいさつとして、動労千葉の繁沢敬一副委員長が「萩原さんの本を読んで三里塚闘争と国鉄1047名闘争は同じような経過をたどっていると感じた。解雇撤回を投げ捨てる4者4団体路線を粉砕し、1047名闘争勝利まで、三里塚闘争と固く連帯して闘いぬく」労農連帯アピールをおこなった。さらに、婦人民主クラブ、都政を革新する会の北島邦彦杉並区議、三里塚を闘う「障害者」から、関東「障」解委もアピールした。
 支援党派から発言に立った三里塚現闘からは、開口一番「東峰で生活破壊道路が造られている。今日のデモでしっかり見て欲しい。飛行時間の運用延長も図られている。絶対に許せない」との発言がなされ、「しかし、これも三里塚闘争においつめられた姿であり、09年は文字通りの決戦。農地を死守して闘うと宣言している市東さんと共に闘う。日帝の喉もとに刃を突きつけるのが労農同盟だ。来春、生きさせろ!ゼネストへ三里塚から闘おう」とのアピール。
 デモ行進は「生活道路破壊トンネル」を弾劾して市東さんの畑まで貫徹。行進後、市東さん離れで勝利感に満ちた団結忘年会を行なった。
日刊三里塚 HP版
全学連現地闘争本部

2008.12.10

12月17日
暫定滑走路認可取り消し訴訟控訴審 午後2時
東京高裁

第4647号

「争点の畑(41−9番  地)は市東さんではなく石橋の耕作地」

NAA,弁論で主張の一部を撤回

ウソの体系全面崩壊へ
市東さん先頭にさらに追いつめよう 

12・8 耕作権裁判

多数の労農学が今回も傍聴闘争に参加した(上)
弁論後の記者会見と裁判報告会(下)
 
  12月8日に千葉地裁で闘われた市東さんの耕作権裁判第9回口頭弁論で決定的な勝利がかちとられた。
 弁論においてNAA(空港会社)側が陳述した準備書面8で、市東さんの畑の位置の特定問題で最大の争点だった「41の9番地の畑」が、市東さんの耕作地ではなく、石橋政次(元反対同盟副委員長)の耕作地だったことを認めたのだ。
 前回裁判(9月1日)で市東さんと弁護団が行った、NAA提出の地積測量図(1984年2月作成)に基づく主張が完璧に正しかったため、ついに空港会社は主張の一部を撤回したのだ。
 同地籍測量図には石橋と市東さんの小作地について、旧地主・藤崎政吉が小作契約解消をもくろんで、権利関係を整理するための分割線が多数引いてある。小作地を7対3の面積の割合で、所有権分(7)と小作権分(3)に分けてあるのだ。問題の「41の9番地」を見ると、これに隣接する石橋の他の小作地との間で7対3に分割されていることが一目瞭然だ。これこそ、「41の9番地」を石橋が耕作していたことを示す決定的証拠に他ならない。
 しかもその地籍測量図は、NAAが提出したものだ。この事実をつきつけられたNAAはぐうの音も出なくなり、今回、1984年時点で「41の9」は、市東さんでなく石橋が耕していた畑であることをしぶしぶ認めた。
 さらにNAAが今法廷で陳述した内容の中には、墓穴を掘るものが他にも含まれている。
 耕作権裁判はじめ市東さんの3つの裁判は、NAA、県を圧倒する佳境に入った。次回来年2月16日(午前10時30分 千葉地裁)の第10回弁論闘争をさらに強化しよう。
日刊三里塚 HP版
全学連現地闘争本部

2008.12.2

12・8市東耕作権裁判へ
10時半
千葉地裁

第4646号

星野文昭さんを自由に!

11・29全国集会、第2次再審へ熱気

審無罪・釈放の闘いと全労働者階級の
 解放の闘いは一つのもの

 《星野同志が獄中から熱烈アピール》

檄布を受け取るハイテクコリアの労働者
 
 「星野文昭さんを自由に、第2次再審勝利へ」11・29全国集会が、東京・四谷区民ホールで開かれ、440人が全国から集まった。集会に先立って、反対同盟全員から、「集会賛同署名」をもらい、三里塚現闘10名が参加した。来年4月で63歳を迎える星野同志は、徳島刑務所で34年目の獄集生活を続けている。
 その星野同志から、熱烈なアピールが本集会に寄せられた。「私は、重圧・分断に屈せずはね返し、獄内外が身を置き合い、自他の自己解放の思いと力を信頼し、その思いと力を一つに、獄中・家族をすべての労働者人民の解放をかちとるものとして闘い、その内実と力を蓄積することによって勝利してきました。だから、それは常に、動労千葉、沖縄、三里塚をはじめとした闘いとつながり、一体の闘いでした」「職場で、地域で、街頭で、そして国境をこえて、私たちの団結と戦う力を圧倒的につくりだし、再審・釈放と、獄中・家族と、全ての労働者人民の解放のために、新たなる決意と体制を固め共に闘いましょう」と。
 集会は、7月14日に最高裁が再審請求棄却に対する特別抗告への棄却決定を行なったことに対する怒りにわきたち、これを打ち破って第2次再審を絶対に勝ちとろうという熱気に満ちあふれた。
 杉並・救う会の狩野さんの開会のあいさつで始まった集会では、最近星野さんと友人面会した人々からの報告を受けた。徳島の青年労働者、沖縄の知花盛康さん。沖縄と京都の女性は、11月14日に面会に行って徳島刑務所から不許可とされたことを激しく弾劾した。全学連の織田委員長は、来日して闘争中の韓国・金属労組ハイテックコリア支会の労働者3人がこの会場にきていることを紹介、壇上に招きあげた。チョンウンジュ副支会長が、「私たちの闘いは、三里塚、動労千葉、それに星野さんの闘いを見ると決して長くないことを痛感しています」と前置き、共に固く連帯して闘う決意を表明した。
 再審弁護団からの経過報告、新たな「救う会」結成をめざして、千葉、新潟、福島、大阪の仲間が報告と決意を述べた。星野同志の家族から弟の修三さん、いとこの誉夫さんが挨拶した。
 全国連絡会共同代表の平良修さんが、まとめの発言に立ち、特別抗告棄却直後の星野同志のアピールを朗読し、「大切なのはくさらないこと」という訴えに対する大きな応答がこの場で生まれてきていることを確認した。集会は、全参加者が星野再審勝利へ不退転の決意を固める場となった。
 

 

 

TOPへ  週刊『三里塚』