ZENSHIN 1999/08/02(No1919 p06)

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週刊『前進』(1919号5面2)

 狭山棄却決定を批判する

 差別的に居直る高木決定を粉砕し異議審闘争の勝利へ

 第1章 石川さんは無実

 東京高裁第四刑事部(高木俊夫裁判長)は七月八日、不当にも狭山第二次再審請求を棄却した。
 高木棄却決定は、差別的居直りに貫かれた極悪の差別文書である。高木棄却決定を全面的に批判し、完膚なきまでに粉砕し、異議審で事実調べを必ず実現し、再審開始をかちとらなければならない。異議審闘争に勝利し、無実の石川一雄さんの無念をなんとしても晴らさなければならない。

 第2章 筆跡の違い鮮明

 石川さんの筆跡と脅迫状の筆跡の違いは一目瞭然(りょうぜん)である。また部落差別の中で育った石川さんには、六三年当時、脅迫状のような文章を書く国語力は無かったのであり、脅迫状は石川さんが書いたものではない。  高木は、鑑定の対照資料とした、石川さんの自筆の文について、その書字・表記能力は「書字形態が稚拙で、交えた漢字が少なく、配字がおぼつかなく、筆勢と運筆に力みがあり、渋滞がある」(決定書十九㌻)、「低いレベル」(二十二㌻)であると認めている。高木は、脅迫状と鑑定資料との、書字・表記能力(国語能力)の違いを認めたのである。だから結論は、脅迫状は石川さんが書いたものではない、ということでなければならない。
 ところが高木は、鑑定資料の書字・表記能力が低いのは石川さんが警察官の前で緊張して書いたためであると言い、これが石川さんのふだんの書字・表記能力であるとは認められないと主張する。そして、脅迫状は石川さんが自分の家で自由意思で書いたものだから石川さんのふだんの書字・表記能力の文であると言う。差別的居直りである。
 高木のこの主張からすれば、筆跡鑑定や国語能力の鑑定はまったく無意味となる。筆跡が一致するから石川さんが犯人だという主張も成り立たない。密室書面審理だからこんなでたらめがまかり通る。鑑定人を尋問すれば、たちまち決着がつくレベルの話である。  鑑定資料が強度の緊張下で書かれたというのは、高木の憶測であり、独断でしかない。緊張して書いたから、書字・表記能力が低下したという主張には何の科学的根拠もない。
 高木は、脅迫状は「自由意思で書かれた」と強調するが、まやかしである。脅迫状は日記でもなければ家計簿でもない。脅迫という犯罪のために脅迫状を書く行為は、日常生活の中ではあり得ない行為であり、極度に緊張する行為である。まして、警察のストーリーでは、狭い家の中で、家族に隠れてこっそりと、しかも文字を書けない石川さんが、雑誌「リボン」で字を覚えて脅迫状を書いたというのだから、極度の心理的緊張の中で、脅迫状を書いたことになる。
 鑑定資料は警察で緊張して書いたから書字・表記能力が一時的に低下したのであり、脅迫状は自宅で自由意思で書いたから石川さんの通常の書字・表記能力であるという高木の主張は成り立たない。
 鑑定資料こそ、石川さんのふだんの書字・表記能力で書かれた文字であり、文である。脅迫状は真犯人が書いたものであり、石川さんが書いたのではない。

 第3章 犯行現場は架空

 被害者の中田善枝さんの後頭部の傷からは、五十~二百㍉リットルの血が流れ出たと考えられる。だが「自白」で、死体を逆さ吊りにしたとされる芋(いも)穴には、血液反応がなく、殺害現場とされる雑木林にも、出血の痕(あと)が認められない。もともと芋穴への死体の逆さ吊りなど存在せず、また雑木林は殺害現場ではなく、「自白」は虚偽・虚構である。
 高木決定は「髪が密生しているから、血が髪の毛に付着して凝固し、まもなく血が止まったという事態もあり得る」と勝手な推量をし、「多量の出血があって相当量の血が滴り落ちたとは断定しがたい」から雑木林や芋穴で出血の痕跡が確認できなくても、「自白内容が不自然で、虚構とは言えない」と言っている。
 まったくでたらめだ。高木の主張には何の科学的根拠もない。流れた血が髪の毛で止まるような量だったという証明もない。高木は「血は一滴も落ちなかった」とまでは言えず、「相当量」と言ってごまかしている。しかし、かすかであれ血痕があれば血液反応は生ずる。芋穴には血は一滴も落ちていなかったのだ。
 寺尾判決は、血の痕跡が確認できないのは捜査が杜撰(ずさん)だったからだと主張した。ところが芋穴の「ルミノール血液反応検査報告」が証拠開示され、血液反応が無かったことが暴かれた。追い詰められた高木は、「髪の毛」を持ち出して、地面に血が落ちなかったのだと言いはり、居直ったのである。ああ言えばこう言うの類である。十三年かけてこんないい加減なことしか言えないのだ。
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 第4章 悲鳴はなかった

 「殺害現場」とされる雑木林のすぐ隣の畑で、「犯行時刻」とされる時間に畑仕事をしていた小名木さんは、「悲鳴は聞かなかった」「人影も見なかった」と証言している。この証言は「自白」が虚偽・虚構であることを裏づけている。
 高木決定は、小名木さんの証言と、事件から約二カ月後の捜査官への供述調書を意図的に対立させている。しかも供述調書を歪曲し、十八年、二十二年の歳月が経ってからの小名木証言より、供述調書が信用できて、「自白に沿うものと見ることができる」と強弁して、小名木証言を否定している。その手口は極めて悪質である。
 東京高検は、この供述調書の存在を十八年間も隠し続け、八一年にようやく証拠開示した。小名木供述が、「悲鳴も聞かず、人影も見なかった」という内容であり、「自白」の虚偽を証明するものだったからである。
 第一次再審・特別抗告審で最高裁は、この供述調書の中の「誰かが呼ぶような声が聞こえた」という供述を故意にねじ曲げて解釈し、「叫び声に類する声を聞いたことは否定できない」と強弁した。
 この最高裁の主張に対して、小名木さんは「悲鳴でなかったことは断言できる」「私は事件当時から本当にそこで犯行があったのだろうかと疑問に思っていた」と証言しているのである。小名木さんに対する証人尋問もせず、「密室書面審理」で小名木証言を否定し抹殺した高木決定は断じて許されない。

 第5章 無かった万年筆

 「(第一回の捜索の時には)何も発見できなかった。目でもよく見たが何もなかったことは間違いない」「かもいを探したが、万年筆はなかった」というD元警察官の新証言(九一~九二年)は、証拠の万年筆が警察官によって偽造されたことを暴露した。
 ところが高木棄却決定はこの証言は「捜索から約二八年も経って行われたものである」と言い、また元警察官が新証言の四年余り前の八七年に、弁護人の質問に「古いことで忘れてしまった」と言っているから「確かな記憶に基づくものであるか、甚だ心許(もと)ない」と言って新証言を否定した。
 しかし、当のD証人自身が新証言で「大きな事件でさしさわりがあると思ったので今まで言えなかった」と言っていることからも明らかなように、八七年当時は証言する意思が無く、「古いことで忘れてしまった」と言って証言を避けたのである。そんなことは、D証人に対する証人尋問をやれば即座にはっきりすることだ。「いつでも法廷で証言する」と言っているD証人の尋問をせず、「密室書面審理」のみでD元警察官の新証言を否定した高木決定は許されない。

 第6章 事実調べ実現を

 東京高裁第四刑事部は狭山第二次再審請求に対して事実調べを丸十三年間一度も行わなかった。とりわけ高木裁判長は五年四カ月もの長期にわたって狭山再審を担当しながら、石川さんと弁護団の事実調べと証拠開示勧告・命令の要求を無視抹殺して、棄却決定を強行した。現場検証や証人尋問・鑑定人尋問、何よりも石川さんの本人尋問を行えば、棄却が不可能になると分かっていたから、高木は絶対に事実調べを行わなかったのである。こんなでたらめな高木棄却決定は密室書面審理によってのみ可能だったのだ。異議審闘争で事実調べと証拠開示をかちとろう。

 

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