ZENSHIN 1999/07/26(No1918 p06)

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週刊『前進』(1918号3面1)

 狭山再審闘争

 棄却に怒り爆発

 全国連、連日高裁を糾弾

 「こんなの裁判じゃない!」「どこまで部落民を差別し続けるのか!」
 憎むべき東京高裁第四刑事部・高木俊夫裁判長による狭山第二次再審請求の棄却決定に、直ちに怒りの反撃がたたきつけられた。
 棄却決定の知らせが入った九日夕刻から、部落解放同盟全国連合会は各地で「棄却弾劾」の抗議行動に立った。村の一軒一軒を回ってビラを配り、街頭で労働者市民に訴えた。
 そして十日から十三日まで四日間、連続して東京高裁緊急抗議行動に立ち、警察と実力対決しつつ東京高裁を震撼(しんかん)させる弾劾闘争を闘いぬいた。
 まず十日から、東京高裁に近い日比谷公園郷土の森広場で抗議の座り込み闘争に入った。瀬川博委員長、亀井広敏副委員長、石川辰衛副委員長、中田潔書記長を始め全国連の中執が総結集し、陣頭指揮に立った。部落解放共闘会議に結集する労働者・学生・市民もともに闘った。
 広場にテントを設営し、ここを拠点に座り込みと街頭宣伝、高裁糾弾行動を打ちぬいた。午前十一時から緊急抗議集会を開き、高木の抜き打ち的棄却決定を徹底弾劾した。事実調べを一切行わず、「部落民に裁判は必要ない。真実など問題ではない。石川は部落民だから犯人だ」と問答無用に決めつけた高木の極悪の部落差別決定に、抑えきれない怒りの発言が続いた。「ここに高木がいれば、どうしてくれよう」「高木を人民裁判で死刑にせよ」と激しい弾劾が発せられた。
 七十歳を超えた長野の部落の婦人は、「こんなに悔しい思いは初めて。これは三十六年前の差別ではなく、今、私たち部落民が差別されたということ。絶対に許せない」と、悔しさに言葉を詰まらせながら決意を述べた。前日、石川一雄さんが「冤罪が晴れるまで何十年かかろうとも闘いぬく」と記者会見したことにこたえて、石川さんと固く連帯して闘う決意と熱気が集会場に満ちた。
 十一日には、全国から部落大衆、共闘の労働者が続々と結集し、東京高裁正門前に詰め寄り、抗議文を受け取らせる闘いが二百三十人で行われた。
 十二日月曜日は、棄却決定後、初めて裁判所が開く日であり、日帝は機動隊を多数動員して全国連の闘いを抑えにかかった。全国連は警察の不当な弾圧と規制を幾度もはね返し、門を閉め切り要請行動を拒む東京高裁に対して正門前で抗議闘争を打ちぬき、瀬川委員長を先頭とする代表団を高裁に送り込んだ。
 この日夕方、狭山再審弁護団が高裁に棄却決定への異議申し立てを行った。全国連はこれと連帯し異議審闘争で必ず棄却決定を覆し、再審をかちとる決意を新たにして裁判所−弁護士会館−日比谷公園一帯で街頭宣伝を貫徹した。
 十三日には、前日までの全国連の闘いに圧倒された警察が、東京高裁へ要請行動に向かおうとする全国連と解放共闘を、不当にも日比谷公園から出すまいと妨害してきた。実力で規制を突破し、代表団五人が東京高裁に入って高木裁判長の棄却決定に強く抗議した。そして正午から東京高裁を徹底糾弾する怒りの霞が関デモを闘いぬいた。
 怒りと悔しさをバネにして、狭山闘争の新たな大爆発へ力強く闘いが始まった。
 

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