ZENSHIN 1999/02/15(No1896 p06)

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週刊『前進』(1896号4面1)

 日帝・高木打倒、狭山第二次再審勝利へ総決起しよう

 全国連8回大会の成功かちとれ

 全国部落青年戦闘同志会

 部落解放同盟全国連合会第八回大会に向け、いま問われている課題は何か。それはガイドライン・国鉄決戦を全力で闘い、そのただ中で二−三月の狭山決戦をもって東京高裁・高木体制を打倒し、再審棄却策動を最後的に粉砕し、事実調べ開始をかちとることだ。狭山第二次再審決戦大会として、三月七、八日、大阪で開かれる全国連大会の成功をかちとり、高木を圧倒しよう。

 第1章 再審棄却策動粉砕、事実調べの開始を

 確認すべき第一の点は、狭山再審をめぐる情勢がいまや完全に一変したということである。
 全国連は昨年十二月、連続六日間の日比谷公園での座り込みと東京高裁に対する要請行動に決起した。それは十二月にも再審を棄却しようとしていた高木のたくらみを実力で粉砕した。このたたかいによって全国連は再審闘争をめぐる主導権を完全に高木から奪い返したのだ。いまここで全面的攻勢にうってでれば、任期切れを三月に控えた高木を打倒し、第一次再審以来実に二十二年間にもわたって閉ざされてきた「重い」再審開始の門を必ず押し開くことができるのだ。

 第1節 事実調べの拒否こそ部落差別だ

 確認すべき第二の点は、高木の最大の弱点がこれまで一度たりとも事実調べを行ってこなかったことにあるということだ。そこに高木の不正義性、差別性が凝縮されている。
 警察による「被害者の万年筆」デッチあげを明らかにした七人の元警察官証言、「殺害現場」が警察の作り話であることを明らかにした小名木証言、被害者が「殺された日」に実は生存していたことを明らかにした法医学鑑定をはじめ、石川さんの無実を示す新証拠は数え切れないほど提出されてきた。どのひとつをとってみても「確定判決における事実認定の正当性についての疑いが合理的な理由に基づくものである」(最高裁財田川、差し戻し決定)ことを示す証拠であり、ただちに事実調べを開始しなければならない。にもかかわらず高木は「事実調べをしないと裁判官は正しい判断ができないと思っているのか」などと居直って、あくまで事実調べを拒否してきたのだ。
 再審が開始された松山事件では、下級審が事実調べを行わずに再審請求を棄却したことに対して、仙台高裁が「再審制度の存在理由ないし目的に反する手続き違反」であるとして破棄・差し戻しし、事実調べをやれとまで命じている。
 しかし、七六年に財田川事件の差し戻しが決定し、「白鳥決定」が再審の原則として確定したにもかかわらず、翌七七年に狭山については最高裁が上告を棄却した。七九年には財田川、免田、松山事件の各再審が開始されたにもかかわらず、やはり翌八○年には東京高裁が狭山の第一次再審請求を棄却した。さらに八三年に島田事件の差し戻し決定と免田事件の無罪が確定し、八四年には財田川と松山事件の無罪が相次いで確定したが、翌八五年に最高裁は狭山の特別抗告を棄却した。
 一体なぜ、これほど多くの石川さんの無実を証明する証拠がありながら狭山事件では事実調べが行われないのか。一体なぜ「白鳥決定」の原則が狭山にだけ適用されないのか。どこがほかの事件と違うのか。それは石川さんが部落民であり、狭山事件が権力の部落差別によるデッチあげだからだ。それ以外に理由はない。日帝・高木は一般の事件では適用される再審原則=「白鳥決定」も「部落民には適用しない」と言っているのだ。それは「部落民には人権などない」「一般国民なみに扱う必要はない」と言っているのと同じだ。これが部落差別でなくてなんだというのか!
 これまで事実調べを行わずに再審が開始された例は一件もない。なぜなら再審原則とされる白鳥決定−財田川決定が「(新旧証拠を)総合的に評価し、確定判決の証拠判断の当否に影響を及ぼす」かどうかをもって再審開始の判断の要件としているからだ。したがって、事実調べが再審開始の絶対的条件なのだ。逆に言えば「事実調べの拒否=再審棄却」なのだ。
 その事実調べを日帝・東京高裁は、第一次再審請求から実に二十二年間にわたって一度たりとも行ってこなかった。これは一体どういうことか? 「石川は事実調べをするまでもなく有罪である、再審は認めない」という結論が二十二年前からあるということ以外のなにものでもない! 日帝は石川さんが「無実かどうか関係ない。部落民を犯人にするというのが国家の意志だ」としているのだ。
 しかも、東京高裁・高木はこのように石川さんの本人尋問や事実調べを拒否し続ける一方で検察による新たなデッチあげや証拠の隠滅を平然と認めている。検察は殺害方法が弁護側の鑑定で否定されるや第二次再審段階になってから新たなデッチあげの「鑑定書」を提出し、殺害方法をペテン的に変更した。それは寺尾判決の認定が間違っていたことを検察自身が認めたということにほかならない。それでも高木は事実調べの必要はないと言うのだ。
 それだけではない。当時の鑑識課の技師は、殺害現場とされる雑木林でルミノール検査をしたが「血液反応はなかった」という報告書をあげたと弁護団に証言していた。ところが検察はあろうことかこの技師に圧力をかけて証言を撤回させたのである。この報告書が明るみにでれば「殺害現場」そのものが存在しないということになるからだ。
 さらに、膨大な「証拠リスト」さえも検察は開示せず、高木もまた「開示命令」を出さないのである。
 一体なんということか!部落民には無実を証明することさえも認めない、いやそれどころか差別裁判を護持するために無実の証拠を三十五年たったいまも権力の手で抹殺し続けているのだ! 同志諸君! これが日帝の部落差別だ。差別裁判とは過去のことばかりではない。いままさに高木がやっている「審理」そのものが部落差別なのだ。
 これこそ一九六三年の石川さんのデッチあげ逮捕と
三十六年におよぶ差別裁判全体を貫いている日帝の階級意志そのものにほかならない。部落への集中的見込み捜査、何の根拠もないデッチあげ逮捕、差別的拷問的取り調べ、死刑判決、無期懲役、再審請求棄却のすべてにこの日帝・国家権力ぐるみの部落差別が貫かれている。こんな部落差別にもとづく裁判はそもそも事実を争う以前にただちに取り消されなければならない。裁判すること自体が違法であり、許されない。
 部落民の多くがこの石川さんと同じような体験をさせられている。何かあると部落民は疑われ、犯人扱いされた。石川さん自身も狭山事件の前に電車転覆未遂事件の犯人としてデッチあげ逮捕されている。真犯人が見つからなければ、そのまま犯人にされていたのだ。日帝は三百万の部落民のすべてを封建時代の身分差別と同じように「人間外の人間」として虫ケラ扱いし、階級支配のイケニエにしてきたのだ。高木の事実調べの拒否も同じだ。あくまで部落民を人間として扱わない、部落を「悪の巣」とし、部落民を犯罪者として扱い続けるということだ。もうこんなことはたくさんだ! こんなことは絶対に許さない!
 高木は、全国連にまさにこのことを白日のもとに暴かれ、激しい糾弾の嵐をうけ、自らのこのあまりの不正義性にいまグラグラになっている。主任書記官が「白鳥決定をふまえて判断しなければならない」と回答せざるをえなくなったのはその結果である。「狭山だけなぜ事実調べを行わないのか」「事実調べの拒否は部落差別だ」「差別裁判官・高木はただちに辞任せよ」−この糾弾に高木はもはやこたえることができなくなっているのだ。
 確認すべき第三の点は、大衆的実力闘争、実力糾弾闘争こそ勝利の力だということである。
 要請行動は人民法廷である。裁くのは全国連であり裁かれるのは高裁・高木である。全国連は密室の書面審理による棄却策動をうちやぶり、事実調べを拒否する高木に対して鴨居(かもい)の模型や善枝人形を持ち込むなど要請行動の場を弁護士もやれないような、石川さんの無実と権力の差別犯罪を徹底的に暴露・糾弾する人民法廷に転化してきた。それは日帝に対する糾弾会そのものだ。全国連が日帝・高裁を差別者として「被告席」にひきすえて徹底糾弾してきたのだ。
 全国連はこの高木糾弾のたたかいを要請行動という形式のもとに第四刑事部を数十人の部隊で実力で占拠し、人数も時間制限もぶっとばし、二度の決死のハンストや座り込み闘争、集会、デモという大衆行動と結合して貫徹した。高裁はそのたびごとに百人近い職員を動員して対応におわれ、高裁全体の機能が一時停止したのである。「事実調べを行わないのは部落差別だ」「差別裁判官・高木は辞任せよ」という糾弾が大衆的実力闘争となって高木を万力のようにしめあげているのだ。
 高木の再審棄却攻撃に対して全国連の断固たる報復の決意が実力でたたきつけられたのだ。高木はこの全国連の決死の覚悟に圧倒され、うち震えている。だからこそ日帝・高木は全国連の昨年十二月の座り込み闘争に対して、機動隊を大動員し、七四年十・三一寺尾判決以来の大厳戒体制をとったのだ。
 もはや明白である。事実調べの要求こそ高木を徹底糾弾し、打ち倒し、再審をかちとる最大の水路である。われわれは守勢から攻勢に転じた。二−三月の過程は追いつめられた日帝・高木体制との全面的激突、死闘戦である。しかし、党と全国連があらんかぎりの力をふりしぼってたたかいぬくならば高木を打倒し、事実調べを開始させ、狭山闘争の歴史的勝利の突破口を切り開くことはまったく可能なのだ。

 第2章 狭山闘争を基軸に三大闘争の発展へ

 したがって、解同全国連の三月全国大会の組織戦は同時に狭山決戦そのものであり、大会そのものを「差別裁判官・高木打倒、事実調べ実現、再審貫徹」の新たな戦闘宣言の場としてかちとらなければならない。
 第一に、この狭山第二次再審闘争の帰趨(きすう)に全国連と部落解放闘争の命運がかかっているということである。
 「狭山闘争とは、石川氏の無実を明らかにすることをとおして、部落差別にもとづく国家権力犯罪を暴き出し、徹底的に糾弾する闘いである」「したがってまた日帝の階級支配の根幹を直撃する徹底した反権力闘争である」「日帝の狭山差別裁判の強行こそは、(イ)迫りくる戦争危機、体制危機、警察政治の危機を部落大衆への憎悪・迫害にすりかえ、(ロ)そのことによって部落を『悪の巣』とする部落差別イデオロギーを全社会的に拡大し、(ハ)糾弾の闘いに立ち上がる部落大衆の糾弾闘争を根絶、労働者階級と部落大衆との連帯を破壊し、(ニ)石川氏に対して部落民であるゆえをもって『無期懲役』を強制した、今日の日帝の部落差別攻撃の最も先鋭な、そして集中的な現れである。それゆえ、狭山闘争の攻防の中に部落解放闘争の興廃がかけられているのである」(仁村和義論文、本紙一七四三号九五年十一月十三日付)
 狭山第二次再審棄却とはこの狭山闘争に対する日帝のせん滅戦攻撃であり、石川さんと全国連、部落解放闘争総体に対するせん滅戦攻撃そのものである。国労に対する五・二八判決、沖縄闘争に対する大田落選のための稲嶺反革命、三里塚の二期攻撃などとならぶ日帝の階級戦争である。
 この第二次再審棄却攻撃を打ち砕くことなしに部落の解放も全国連の存在もない。日帝はこの狭山の再審棄却によって一気に差別の洪水の堰(せき)を切り、全社会的に氾濫(はんらん)しはじめた「エタを殺せ」などというファシスト的な差別的襲撃の扇動を日帝自ら国家ぐるみで行おうとしているのだ。
 そもそもデッチあげ逮捕から三十六年、第二次再審からでも十三年も経過しながらその間、一度も事実審理を行わず、すべての無実の証拠を闇(やみ)から闇に葬り去りながら、その結論が棄却などということがどうして許されるか。
 「本審のあとに再審はない」という石川さんの叫びは、絶対そんな理不尽なことがあってはならないという石川さんの怒りと血を吐くような日帝に対する命がけの糾弾である。この石川さんの怒りの糾弾をわがものとしてたたかうのだ。
 第二に、この狭山闘争の勝利のために全国連が必死になってたたかい、勝てる路線とたたかいを明らかにしきったとき、全国の部落大衆は続々と全国連の荊冠旗(けいかんき)のもとに立ち上がってくるということである。
 日帝は一貫して狭山闘争の解体攻撃をとおして部落解放闘争そのものを融和主義的に解体・変質させようとしてきた。その核心は差別糾弾闘争の根絶にあった。日帝は狭山差別裁判を強行することで、部落民の差別糾弾という自己解放のたたかいを力ずくでねじふせ、どんな理不尽な部落差別であっても泣き寝入りするしかないという無力感にたたきこみ、部落解放闘争の根源的エネルギーを解体しようとしてきたのだ。
 しかし、そんなことは絶対にできはしない。石川さんとともに、全国連を先頭に、いま全党全階級全人民が渾身(こんしん)の力をふりしぼって日帝の再審棄却攻撃を粉砕し、再審を貫徹するために命がけでたたかうならば、それは石川さんと全国連、部落解放闘争を守りぬくだけではなく、差別糾弾闘争の思想とたたかいを荒々しく復権し、部落民自己解放の力を全国の部落大衆の中によみがえらせずにはおかないのだ。
 そして、この差別糾弾闘争の実力糾弾闘争としての復権こそ日帝による差別の洪水を打ち砕く最大の力なのである。狭山闘争こそ差別の洪水をせきとめる最大最強の砦(とりで)であり、狭山第二次再審決戦はまさにこの砦をめぐる死闘戦でもあるのだ。
 第三に、この狭山闘争は、差別糾弾闘争であると同時に、日帝に対する反権力闘争そのものだということである。それは日帝のガイドライン攻撃を軸とした戦争国家化攻撃の決定的一環としての差別・排外主義攻撃とのたたかいであり、本質的にも現実的にもガイドライン攻撃とのたたかいと一体の決戦である。
 第四に、狭山再審をかけた命がけのたたかいは、差別糾弾闘争を軸とした要求闘争、階級的共同闘争の力を猛然とまきおこし、三大闘争の大量の組織者を生み出すことは間違いないということである。全国連大会の組織戦を狭山決戦としてたたかうことは同時に三大闘争の全面的な発展をつくりだすのだ。
 狭山闘争を基軸にして、住宅闘争をはじめとする要求闘争で数万の規模の大衆の組織化をなしとげ、労働者階級との階級的共同闘争の発展をかちとらなければならない。
 住宅闘争をもって開始した要求闘争は、現業の民営化や首切りに反対する闘いや仕事保障、教育、保育、医療、生業資金など、あらゆる領域をテーマにしてたたかいぬかなければならない。これらすべてがいまや部落大衆の生存権をかけた大問題となっているのだ。
 こうした要求闘争において、われわれは住宅要求者組合など要求闘争をたたかう独自の団結形態をつくりだし、その独自の論理にそって、大衆の部落民としての自覚や階級意識の成熟の発展を学習会政策と大衆行動をとおして粘り強くかちとっていかなければならない。
 また、ガイドライン闘争をはじめとする政治闘争を、三大闘争の一環としての階級的共同闘争の課題として、部落解放闘争全体の課題の中に正しく位置づけて統一的一体的に強力に闘い抜いていかなければならない。そして、こうしたたたかいのすべてを労働者階級の戦争と大失業に反対する巨大な階級的反撃と結びつけてたたかいぬいていかなければならない。
 第五に、以上のたたかいを部落解放戦線における共産主義の党を媒介として全面的一体的に推進していくということである。
 共産主義の党と細胞こそが部落民自己解放闘争の最も戦闘的で先進的な代表者として登場しなければならない。身分的差別撤廃の民主的要求のもっとも献身的な体現者でなければならないのだ。「プロレタリア解放としての共産主義革命の実現だけが部落の解放を達成できることをとことん確認」(仁村論文)し、そこにしっかりと立脚して、部落解放闘争の固有の領域の指導を党の責任として全面的に引き受けて立ちむかっていかなければならない。

 第3章 今大会を歴史的な狭山総決起の場に

 以上から明らかなように、われわれはこの一月要請行動から開始した一−三月狭山第二次再審決戦を蜂起戦として徹底的にたたかいぬく。二月七日の全国各地の闘争と翌日からの連続要請行動をもって、十二月の闘いが切り開いた地平を堅持しつつ、攻勢をかけ続けるのだ。
 狭山第二次再審決戦大会として、三月七、八日、大阪で開かれる全国連第八回大会の成功をかちとり、高木を圧倒しよう。日帝も本部派も八回大会にわれわれがどれだけ結集するか、そこでいかなる方針を打ち出すのか、耳をそばだてて注目している。八回大会の成否がまちがいなく再審棄却か高木打倒かを決する。
 そして、大会後ただちに十二月を数倍する空前の規模での東京高裁・高木を実力糾弾する闘争を実現しなければならない。それは三月任期切れを前にした高木を最後的に打倒する一撃となることは間違いない。
 すべての同志諸君。ガイドライン・国鉄決戦に総決起するとともに、この狭山第二次再審決戦をもてる力のすべてをふりしぼってたたかおう。この決戦に狭山闘争の歴史的勝利、部落解放闘争と全国連の今後のすべてがかかっている。そのすべての命運がいまや完全にわれわれのたたかいにかかっているのだ。
 一人ひとりが石川さんの化身となり、石川さんの不退転の決意をわがものとしてこの重責を引き受けて立とう。学習会と署名運動を軸に部落大衆の中に猛然と分け入ろう。三月全国連大会へ総結集せよ!
 

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