ZENSHIN 2001/02/12(No1992 p08)

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週刊『前進』(1992号2面1)

戒厳令下の「四党合意」受諾は無効だ 国労大会

 闘争団切り捨て許さぬ “史上最悪の大会”に怒り
 国労再生へ全力で抗議貫く

 国労第六七回定期全国大会(続開大会)は、一月二十七日、東京・永田町の社会文化会館で、国家権力・機動隊が制圧する「戒厳令」下で強行された。「これが労働組合の大会か!」――会場内外の激しい怒りの中で、「四党合意」受諾の方針が強行可決された。本部執行部、チャレンジ一派と革同上村一派、そして準備地本の東京地本執行部は、国労運動史上に一大汚点を残しただけではなく、日本労働運動史上にも類例のない大暴挙を強行した。この日は、闘争団・家族、国労組合員はもとより日本労働者階級にとって断じて許せぬ「怒りの日」として歴史に刻まれた。だが、闘争団や闘う国労組合員に敗北感はみじんもない。闘争団切り捨てを国家暴力によって強制する「四党合意」の本質が鋭く暴かれ、逆に怒りは一層高まった。「四党合意」攻撃は、その根幹において打ち砕かれた。「四党合意」は死んだのだ! 「闘いはこれからだ!」――この日をもって国労の階級的再生へ、新たな闘いが始まったのである。

 機動隊千三百が包囲

 社会文化会館の周辺には前夜から千三百人もの警視庁機動隊、公安刑事が配備された。会館前の道路はバリケードで完全に封鎖され、その中を機動隊が固めた。地下鉄永田町駅から国会図書館前の道路も機動隊が制圧し、歩道には何重もの検問態勢が敷かれた。
 本部執行部や会場警備係、代議員は前泊のホテルから貸し切りバスで会場に乗り付けた。傍聴者は旧永田町小学校前に集められ、機動隊によって傍聴券をチェックされて入場するという屈辱を強いられた。また、私服の公安刑事が会場内を徘徊(はいかい)した。
 この官憲導入は、完全に警視庁の主導で行われた。国鉄闘争を治安問題ととらえた警察権力は、「国労本部の要請」を盾に国労解体を狙った露骨な介入を強行した。こんな事態を招いたのは、高橋・宮坂・上村・新井ら本部執行部、酒田ら東京地本執行部だ。恥を知るがいい! 自らの力で大会を「成功」させることができないところに追いつめられ、権力にすがったとたんに、労働組合を死に導く前代未聞の警察支配の大会となったのだ。彼らは、暗黒の警察労働運動の先鞭(せんべん)を付けるようなことをやったのだ。
 降りしきる雪の中、闘争団を始めとする多くの組合員が締め出された。また、これまで来賓として参加していた都職労、東京清掃労組などの労組、学者らも排除された。中央共闘や連帯する会はこれに抗議し、ほとんどが入場を拒んだ。
 報道関係者についても厚生労働省などの記者クラブ加盟社に限定した上、一社一人に制限。それ以外は締め出した。テレビなどの撮影は開会前までとし、会場警備係が暴力的に排除した。カメラマンの排除に対して代議員・傍聴者も一体となって実力反撃した。

 “首切り犯罪認めぬ”

 こうして大会は、激しい怒りに包まれて開会した。
 冒頭、議長が「なんとしても方針を可決して統一と団結をつくり上げる大会だ」と発言すると、弾劾のあらしとなった。賛成派は、なんとJR東日本の株主総会での東労組カクマルら「社員株主」と同様の翼賛的拍手で応酬した。
 東京地本副委員長の議長は、初めから本部執行部の側に立った強権的議事運営を行った。議事運営委員長の鈴木中執が議事日程を提案し、本部総辞職は運動方針案の採決の後に行うと述べた。あくまで、「四党合意」の大会決定まで本部執行部は居座るというのだ。
 議長は、議事進行に関する発言を一切受け付けず、宮坂書記長による追加方針(ILO勧告、東京高裁判決、春闘について)の提案に移った。宮坂に対して激しいヤジが浴びせられた。
 討論に先立って、昨年十月の大会で提出された三本の修正動議と、追加方針に対する一本の修正動議の趣旨説明が行われた。
 それは、@「本大会では『四党合意』の受け入れは決定せず、引き続き職場討議とする」、A「解雇撤回・JR復帰を柱とする゛全面解決要求″を基礎に交渉する」、B「多くの仲間との共闘を追求する」、CILO第二次勧告について「事実をねじ曲げた政府側の情報提供について、その責任を徹底的に追及する」というものである。
 提案者はそれぞれ、機動隊導入や強権的議事運営に対し、「国労運動に汚点を残す、最悪の大会だ」と激しく弾劾した。そして「JRに法的責任なしを認めることは自殺行為だ」と「四党合意」反対を訴えた。
 だが、その後の一般討論は、反対派を意図的に指名せず、十三人の発言の大半を賛成派が占める不当なものであった。
 こうした中で、北海道・旭川地区本部の闘争団の代議員は、「四党合意」について「私たち闘争団・家族が悩み苦しみ、十四年間闘ってきた根拠を自ら捨て去るものであり、首切り犯罪は絶対に認めることはできない」と毅然(きぜん)と訴えた。また、この間、「解決金一人八十万円」と言われていることについて、「自民党の亀井静香代議士が野中広務代議士(前幹事長)に国鉄問題の進捗(しんちょく)状況を聞いたところ、野中が『解決金一人あたり八十万円で国労は了承している』と明確に答えた」こと、社民党の土井党首も家族の要請に対して「国労には解決内容を示しているはず」と説明していることを暴露し、本部の明快な答弁を求めた。
 特別代議員の闘争団全国連絡会議議長は、「四党合意は、闘争団だけでなく国労組合員なら誰でも反対と思っているだろう。しかし、闘争団として賛成だ、反対だとは言えない。全国連絡会議としては横に置いてということになっている」と述べ、当事者の三十六闘争団全体が「四党合意」に同意してはおらず、「棚上げにすべき」との意見が強いことを表明した。
 千葉地本の代議員は、JR会社や厚生労働省の幹部が会場内に入っていることを暴露した。「組合員を入れないで、なんで敵を入れるんだ!」と、会場内は騒然とした。厚生労働省の官僚が代議員・傍聴者に摘発され、たたき出された。なんとこの官僚は代議員証を持っていた。国労本部が引き入れたことは明らかだ。
 他方、「四党合意」賛成派の発言は、「JRの法的責任は司法の場で突破できていない現実を直視すべき。相手の条件を受け入れて話し合いに入ることだ。総辞職で今日の混乱の根本的な解決になるのか」(近畿地本)、「四党合意を闘いの到達点ととらえ、さまざまな不安があっても有利な条件を生かし切って解決交渉に入るのか、四党合意を拒否し、政治の場での解決を拒否して、さらなる長期闘争を宣言し、司法闘争一本で進んでいくのか」(北海道・札幌闘争団)など、断じて許せないものだった。
 また、「解決内容が出た時点での一票投票を」(長野地本)などと、一票投票で「ゼロ解決」を闘争団に押し付けようとする反動的な発言も行われた。
 中間答弁で宮坂書記長は、「解決金八十万円」と言われていることについて、「このようなことは一切ございません」としらを切った。

 闘争団の抗議無視して採決

 午後の議事再開に対して、闘争団は立ち上がり、「四党合意反対!」のプラカードを掲げ、「機動隊導入の大会弾劾」「四党合意粉砕」「本部は闘争団を切り捨てるな」「闘争団は最後まで闘うぞ」とシュプレヒコールを上げ続けた。
 その中で三人の代議員が代表討論を行った。なんと全員が本部方針賛成だ。
 北海道・札幌地区本部の代議員は、「四党合意を拒否すれば十三年間積み上げてきたものを失う。JRに法的責任なしを決めることは屈辱的だが、これを決めなければ和解交渉を開始することは困難だ」と敗北主義むき出しの発言をした。
 東京上野支部の代議員は、「私たちの要求はもともとJRに法的責任を認めさせることにあったわけではない」と開き直った。
 本来なら反対討論をするべき東京地本書記長は、「警備の関係で意見があるが、続開大会を成功させることが急務であると判断し取り組んだ」と機動隊導入を居直り、「四党合意が含まれているからと言ってILO勧告の受け入れをちゅうちょするなら、解決する意志があるのか否かが問われる」というへ理屈で、ILO勧告を盾にして「四党合意」の受諾を主張した。
 これを受けて書記長集約が強行された。宮坂は、あらためて「四党合意を受け入れる」と言い放ち、修正動議については、「共闘の追求」以外は「受け入れられない」と突っぱねた。
 三本の修正動議の採決が強行された。闘争団はシュプレヒコールを上げ、「がんばろう」の歌を歌い、代議員への訴えを続けた。修正動議がすべて否決され、「四党合意」受け入れの方針案の採決が強行された。闘争団は再び「JRに法的責任はあるぞ」などとシュプレヒコールを上げた。
 採決結果は、投票総数百二十一票、賛成七十八票、反対四十票、無効二票、白票一票だった。賛成派の拍手の一方、「認めないぞ」というヤジが飛んだ。
 「四党合意」の受け入れ方針は決定された。だが、賛成票も三分の二に達せず、三分の一の反対票が存在するという厳然たる事実を突きつけた。当事者の闘争団は三分の二が反対し、機関役員が中心の代議員も三分の一が反対している。あらゆる切り崩しにも屈しない反対勢力が、確固として踏ん張ったのだ。
 鮮明になったことは、機動隊に守られた警察管理の大会での決定など、労働組合の自主的な決定ではなく、無効であり、断じて認められないということだ。

 候補者も入場させない暴挙

 大会はこの後、中央本部執行部の選挙が行われた。ところが許しがたいことに、あらかじめ立候補の意志表示をしていた東京地本新橋支部の吉野元久氏(委員長候補)らを会場に入れず、会場外で機動隊と私服刑事の監視のもと、バリケード越しに立候補を受け付けようとした。実際には傍聴の組合員によって立候補届が提出され受理されたが、前代未聞の事態だ。さらに、立候補者の所信表明演説もさせずに、「何を基準に選ぶんだ」というヤジの中で投票を強行した。

 極悪新執行部打倒へ

 選挙の結果、新委員長は盛岡地本・高嶋昭一委員長、新書記長は北海道本部・寺内寿夫委員長となった。チャレンジ一派主導の極悪の執行部である。
 高嶋新委員長は、七・一臨大直後、闘争団へのカンパの中止などの兵糧攻めの恫喝をした張本人である。寺内新書記長は自ら闘争団員でありながら、北海道内の大半の闘争団に敵対している。今大会にむけての北海道闘争団へのオルグで「闘争団の要求を実現する自信はない」と言った人物だ。闘争団員は、「北海道で責任を取れなくて中央では責任を取れるのか」と痛烈なヤジを浴びせた。
 なお、副委員長には革同上村一派の近畿地本・田中浅雄書記長が座った。東京地本・酒田委員長が中央執行委員に押し込もうとした東京地本副委員長(今大会の議長)は落選した。人事をエサに地本執行部全体を賛成派に転向させた酒田の薄汚い策動は破産した。
 大会終了後の記者会見で新執行部は、「解決の緒につく決定をみた。遅れた分をばん回するため一丸となって努力したい」(高嶋委員長)、「全員がバンザイできる解決になるとは思っていないが、『そんなはずではなかった』と言われる結果は出したくない。大方の人が我慢できるギリギリのところを落としどころにする」(寺内書記長)などと述べた。
 一方、国土交通省は「内容を吟味して、与党と連絡を取りながら対応していく」、JR東日本は「議論などの内容について承知していないので、何とも言えない。国労の具体的な行動等を見守っていきたい」、JR西日本は「国労が『JRに法的責任がないことを認める』ことを正式に機関決定し、それが実行に移されるとすれば、意義あること」とするコメントを出した。要するに政府・JRは「JRに法的責任なし」を組合員一人ひとりの行動で示せ、と迫っているのだ。
 だが、二十闘争団と六闘争団の有志の代表は、記者会見で「ここ(大会決定)に至るまでの無責任なやり方、労組としての合意形成の方法を無視した手続きは極めて遺憾だ。自分たちの納得できる解決を目指して、今後も四党合意に反対し、執行部には軌道修正を求めていきたい」と訴え、あくまで闘い続ける姿勢を示している。
 闘争団の闘いを誰も押しとどめることはできなかった。闘争団のより根源的な怒りは、国労の新たな闘う力をよみがえらせている。
 闘いは新段階に入った。チャレンジと革同上村一派の新執行部を打倒し、闘う執行部樹立、国労再生へ闘おう。各エリア大会、地方大会が決定的に重要だ。東京地本執行部などの大裏切りを徹底追及しよう。
 そして、ファシスト・カクマルの分裂、松崎を先頭とするJR総連カクマルの離脱という中で、いよいよJR総連を解体し、闘う国労、動労千葉の組織拡大を実現すべき時が来た。春闘とともに、JR東の「ニューフロンティア21」の大合理化、保守部門の全面外注化を阻止する二〜三月の闘いに全力を挙げよう。


 会場前 “こんな大会は認めない”
  吹雪つき機動隊と対峙 闘争団、不退転の決意を表明

 社会文化会館周辺は早朝から千三百人の機動隊によって制圧された。会場に通じる道路はすべてバリケードで封鎖され、その内側には乱闘服の機動隊が盾を並べた。これこそが「四党合意」の正体だ!
 この日、東京はまれに見る寒波に見舞われた。締め出された闘争団員に、横殴りの雪がやむことなく吹きつけた。本来、国家的不当労働行為と闘うべき国労本部は、権力を使って当事者である闘争団を寒空のもとに放り出し、その切り捨てを強行するところにまで転落した。社文前に駆けつけたすべての労働者が、このことに心の底からの怒りを燃え立たせた。
 闘争団は、この日早朝から行動を開始した。午前七時、会場警備係と代議員の宿舎である新宿ワシントンホテル前に、ゼッケンを身につけた闘争団員が登場した。代議員証をチェックされてバスに乗り込む代議員に、「四党合意の棚上げ・廃案を!」と訴える闘争団のビラが次々に渡された。
 午前八時前、会場警備係と代議員を乗せたバスが社文前に到着した。会場警備係は、逃げ去るように会館内に姿を消した。
 社文北側の道路には、国労組合員と支援の労働者が早朝から続々と結集し、その数は延べ千人に達した。会場を目の前にしながら、機動隊に阻止されてそれ以上進めない。寒風の中、「四党合意粉砕!」「闘争団を中に入れろ」のシュプレヒコールが繰り返された。指揮官車から警察が「速やかに退去しなさい」とがなり立てる。参加者の怒りは一層高まった。
 闘争団員が次々にマイクを握って訴えた。
 「国家権力・機動隊に守られて大会を開くなど、絶対にあってはならない。この大会を認めることはできない。統一と団結のために大会を開くと言うが、われわれは闘うために国労に結集している。闘わない統一と団結など必要ない」「闘いの展望はある。JR総連の分裂をつくりだしたのはわれわれの闘いだ」「機動隊に守られて大会を強行している本部への怒りでいっぱいだ。四党合意を採決しないよう求める」「機動隊を導入した大会に心からの怒りを感じる。十四年間、四党合意という解決を求めて闘ってきたのではない。JRの責任で元職場に戻るために闘ってきた」
 午後二時半、方針の採決に入ったことが報告されると、闘争団員が「私たちは四党合意を撤回して地元JRに戻るまで闘い続ける決意でこの場に来ている。会場内では家族も含めて抗議の声を上げている。ここでも四党合意撤回に向けてシュプレヒコールを上げよう」と訴えた。「四党合意は認めないぞ、闘争団切り捨ての決定は認めないぞ」と、声を限りのシュプレヒコールが再開された。

 解雇撤回は絶対に譲れぬ

 採決の結果が明らかになると、闘争団の代表がただちに、「JRに法的責任がないことを先に認めて何の解決があるのか。私たちは結果が出ても四党合意を認めない。解雇撤回・地元JR復帰の解決要求を放棄せず、最後まで闘いを貫くという二十四日の記者会見での闘争団の決意は、ただ出しただけのものではない。闘いの準備はできている。闘争団の解決要求を闘いとる」と決意を表明した。
 執行部総辞職の知らせが入った。選管委員が出てきて、バリケードの内側からハンドマイクで立候補を受け付ける旨を述べた。立候補を表明していた吉野元久氏らが進み出た。選管はバリケード越しに立候補届を受け取ったが、候補者を中に入れようとはしない。その場の全員が、抑えきれない怒りをともにした。「機動隊は選挙も妨害するのか。中に入れろ」という声が飛び、バリケードが激しく揺さぶられた。
 闘争団を先頭に国労組合員と支援は、大会終了まで全力で弾劾行動を続けた。闘争団は、権力とそれに屈した裏切り者たちに対する奥深い怒りをたぎらせながら、不退転の反撃に立ち上がっている。その不屈の闘志を、機動隊で押しつぶすことはできなかったのだ。


 “大会強行やめよ” 決戦態勢を固め前夜集会

 国労続開大会を翌日に控えた一月二十六日、四党合意に反対する全国連絡会はシニアワーク東京で「国鉄闘争勝利・学習交流会」を開催した。闘争団を先頭とする国労組合員、支援の労働者が会場にあふれた。
 主催者として発言した国労新橋支部の代表は、「社会文化会館前を戒厳令ともいうべき状態にして大会が開かれようとしている。そういう大会を強行するのは許せない。四党合意の本質が明らかになった。あらゆる戦術で四党合意を棚上げにする。そのための意思統一を図りたい」と集会の趣旨を提起した。
 北海道の闘争団の労働者が、二十三日以来の上京闘争団の闘いを報告し、翌日の行動方針を提起した。九州の闘争団の労働者は、「多くの仲間が明日の大会を心配している。闘争団は大会の結果がどうなろうとJRの責任を追及する」ときっぱりと決意を述べた。
 闘争団の家族は、「勝利解決が見えてきた時に、なぜ白旗を掲げるのか。具体的中身もないまま四党合意を認めることはできない。信頼していた仲間の言動でこんなにも不安にさせられることが腹立たしい。夫の職を奪ったのは政府・JR。失った十四年を取り戻すために皆さんと一緒に闘う」と切々と訴えた。
 東京清掃労組の代表は、「首切りに対して非妥協の闘いを貫かなければ労働組合の存在意義はない。原点に返って闘争団・家族が納得する闘いを展開していただきたい」と発言した。
 集会のまとめを行った国労組合員は、「先頭になって闘った闘争団を支え、国労を闘う組合として立て直そう」と訴えた。

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