『前進』第1981号2面  

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闘争団・代議員・傍聴者が渾身の決起 運動方針案採決許さず「休会」に
 国労第67回定期大会(大会ドキュメント)

闘争団先頭に演壇に殺到
 「経過」の責任を徹底追及 本部痛撃した不正義への怒り

 十月二十八、二十九日の二日間、東京・社会文化会館で国労第六七回定期全国大会が行われた。闘争団・代議員・傍聴者の怒りの決起で、「四党合意」承認の運動方針案の採決を阻止する大勝利をかちとった。討論は「経過報告」をめぐる激突となり、反対派代議員が本部を徹底追及した。「経過報告」の「採決」が強行されたものの、議場は激しい怒りに包まれ、討論続行が不可能となった。議場内外での闘争団を先頭とした実力決起が本部執行部を追いつめた。また、大挙結集した支援の労働者が一体となって闘い、国労組合員の決起を支えた。こうして二日目の午後五時半、ついに「休会」に追い込んだ。七・一臨時大会、八・二六続開臨大に続いて三度、「四党合意」の強行を阻止し、闘争団切り捨てを粉砕したのである。だが、闘いの決着はついていない。あらためて「総辞職」を表明した執行部は、「四党合意」を撤回し、直ちに総辞職すべきだ。続開大会で「四党合意」承認の方針を提起することなど断じて許されない。今こそチャレンジ一派や革同上村一派を打倒し、和解・屈服路線を打ち破り、新たな闘う執行部と闘う路線を打ち立てよう。国労の戦闘的階級的再生をかちとろう。今大会は、その道筋と闘う力を明確に示した。

 合意反対の意見が続出

 七・一−八・二六と二回にわたって阻まれた「四党合意」の大会承認を許すのか。国労第六七回定期大会は、ピンと張りつめた空気の中で二十八日午前十時に開会された。
 大会は冒頭から激突の連続であった。議事運営委員長の鈴木中執が議事日程を提案。ただちに高崎の代議員が「総辞職を表明した執行部が運動方針を提案することはできない。経過について責任ある答弁と見解を示すべきだ。(経過と方針の)一括提案はできない」と議事の変更を求めた。
 高橋委員長のあいさつは「『JRに法的責任ないことを認める、としただけの大会は開催できない』としたのも中央執行委員会の確認」「『JRに法的責任がない』ことを国労に求めることは、話し合いの土俵に登る前に、国労に譲歩と屈服を迫り、九八年の五・二八東京地裁反動判決に無条件で従え、というに等しい」と、四党合意への危惧(きぐ)を表明するものだった。それは四党合意承認を前提化しており、無責任なものだ。しかし経過報告や運動方針案とは明らかに矛盾するものでもある。同時に「二回の大会の混乱の責任をとって、中央執行委員会は総辞職する」「人心を一新」と表明した。
 来賓あいさつでは、四党合意に対する批判や疑問の発言が相次いだ。一株株主会の山口孝代表は「高橋委員長の発言を聞いていて、『なぜ四党合意をのんだのか』と思わざるを得なかった」と発言。国労顧問の村上寛治氏は「七月の臨大の後に顧問の辞任を申し入れた。国労が組織として闘争団を切るようなことは絶対にあってはならない」と執行部を強く批判した。
 本部批判の発言が相次ぐ中、宮里邦雄弁護士は「今の議論はJRの法的責任の問題のみに集中しすぎている。目的はJRに法的責任を認めさせることではなく、要求の実現だ」と四党合意を擁護し、いたるところからやじが飛んだ。
 午後に入り、経過報告の討論について「本数制限はしない」と議長に確認させ、議事は進行した。
 経過報告を上村副委員長が行い、続いて、議事日程変更の要求を無視して、運動方針案の提起を宮坂書記長が行った。闘争団を先頭にやじがわき起こり、発言は度々かき消された。
 いよいよ、経過報告に関する討論が始まった。
 北海道の闘争団員は「私たちの納得のいく解決のため、闘争団員・家族一丸となって闘う」と宣言、「臨大前に本部は『具体的解決案なき大会は開催しない』と言っていたではないか。私たちの人間としての尊厳を踏みにじる四党合意には反対だ」と熱烈に訴えた。
 四党合意に反対する発言が次々たたきつけられた。「『組織がジリ貧だから』という意見があるが、今まさに闘う姿勢こそ問われている」(高崎)、「四党合意を承認した次の場面には阿鼻叫喚の地獄絵が待っている」(東京)、「『JRに法的責任なし』を認めることは闘いの武器をどぶに捨てるもの」(千葉)、「まやかしの四党合意はもう通用しない。現執行部の再任は認められない」(東京)。東京の代議員を始め十人の連署で、四党合意の内容と経過をめぐる「質問趣意書」も提出された。
 四党合意推進派の代議員は「これ以上の闘いに現在の組織は耐えられない」(盛岡)、「政治的解決はこの時期をなくせば二度とない」(四国)と「ジリ貧」論、「ラストチャンス」論を振りまいた。盛岡の発言は「臨大における一部闘争団員の演壇占拠は、国労運動史に汚点を残す暴力的な破壊行為だ」と闘争団の人生をかけた決起を罵倒(ばとう)し、ごうごうたるやじがまき起こった。
 この日の十本の発言のうち、四党合意反対の発言が七本を占めた。
 上村副委員長、宮坂書記長が中間答弁に立った。宮坂書記長は、「臨大までに解決交渉が進まなかったのは本部の責任」「本部の判断の甘さがあった」とは言うものの、執行部の再任については「総辞職して新たな執行部を選出する」と言うのみで、再任しないとはけっして言わず、この期に及んでもあくまで執行部に居座る意図をあらわにした。また代議員の一つひとつの質問にはなんら回答せずに開き直り続けた。

 宮坂答弁にやじと怒号

 二日目の冒頭、突如議運が「運動方針案についての修正動議の趣旨説明を行い、その後に経過報告と運動方針を一括して討論する」と提案。ただちに代議員が「経過についての討論を継続せよ」と迫った。
 騒然とした中、代議員が一斉に演壇下に殺到する。傍聴者も闘争団を先頭に会場の後方から突進し、それを阻もうとする代議員との激突が起こる。議運は代議員の発言用のマイクの電源も切って、一切の発言を封じる。やじと怒号が会場をおおい、いたるところで激突が続き、三十分間近く議事が止まった。ついに議長も議事進行が不可能だと判断、休憩に入った。
 十一時前になってようやく再開し、議運が「午前中いっぱい、経過報告の討論を続行する」と表明し、討論が再開された。
 午前中の発言は、八人のうち実に七人が、四党合意に反対した。「『人心一新』とは、現執行部が再立候補しないこと」(水戸)、「経過報告の承認を重要案件と扱うべき」(仙台)、「『JRに法的責任なしを決めるだけの臨大は開催しない』と約束しながら、なぜ臨大を強行したのか」(岡山)、「闘争団が生活できない内容は解決とは言えない」(東京)、「仲間の痛みが分からない執行部は国労にはいらない。会場外にいる闘争団員の傍聴を認めよ」(東京)、「闘争団を暴力集団呼ばわりした七・三本部見解を訂正せよ」(東京)。本部の不正義に怒りがたたきつけられた。
 ただ一人経過に賛成した九州地本代議員は「『闘いの主人公は闘争団だ』という主張は、組合民主主義を否定する危険な動きだ」と闘争団の闘いに憎悪をあらわにし、やじに包まれた。
 再び中間答弁に立った宮坂書記長は「今の力関係から言ってわれわれの要求が百パーセント通るとは言えない」「解決内容については知らない」と開き直りを続け、他方、再出馬については「全員総辞職をして、新執行部を選出する」との回答を繰り返し、発言は怒りの声でかき消された。
 午後の議事は、予定よりも一時間近く遅れ午後一時二十分過ぎに再開された。代議員は、午前中の宮坂書記長の中間答弁をさらに追及しようと臨んでいた。
 そこで突如、議運が「経過報告の承認については代議員の無記名一票投票とする」と発言した。続いて議長が議場閉鎖を宣言した。
 強行採決だ! こんな暴挙は絶対に認められない。代議員が演壇下に殺到する。会場後方では傍聴者が前に向かって殺到、通路を封じる者、それを乗り越えて前に突き進む闘争団員。会場全体がやじと怒号で騒然たる状況だ。
 代議員・傍聴者の怒りに押され、議長が代議員の発言を認めた。代議員が「重要案件として扱うとは、承認は三分の二以上か」と確認すると、議運は「過半数です」と回答、さらに怒りが燃え上がる。
 二十分間あまり会場全体で大激突が続き、議事進行が不可能な状況にたたき込まれ、休憩になった。

 「採決は無効だ」と反撃

 連絡もないままに時間がたつ。午後三時過ぎ、闘争団員が「座して死を待つよりは、立って歌おうじゃないか」と呼びかけた。会場後方に陣取った闘争団を中心に傍聴者が数十人、立ち上がってスクラムを組んだ。国鉄労働組合歌、ガンバロー、インターナショナルと三曲続けて熱唱した。「われわれの闘いはまさにインターナショナルな闘いだ! 勝利まで闘おう」
 闘争団員が前方の代議員席に向かって「十四年間の闘いをかけて、四党合意は認められない」「国労が死んでしまうことになる」と切々と訴え、ともに闘うことを呼びかけた。もう一回組合歌を合唱、最後に何度もシュプレヒコールをたたきつけ、気合いをみなぎらせて議事再開に身構えた。
 午後三時三十五分、一時間四十五分もの休憩をはさみ議事が再開された。
 議運が演壇に立つ。会場全体に緊張が走る。「経過報告の承認について、過半数をもって成立とすると確認した」。一斉にやじが飛ぶ。会場前方では三度、代議員が演壇に殺到、傍聴者も一斉に突進する。
 やじと怒号の中で、議長が「代議員は代議員証を持って挙手してください」と発言。左右の通路でともに激突が続く。「強行採決を許さないぞ」。闘争団の必死の叫び声の中、議長が「代議員数は八十五人」と告げ、投票が強行された。
 投票に向かう代議員、阻もうとする代議員、議長と議運に抗議する代議員が入り乱れて、演壇の前は大混乱状態だ。
 「こんなやり方で決めるな」「賛成した代議員には責任を取らせるぞ」。傍聴席からシュプレヒコールがわき起こる。「強行採決許すな」「四党合意粉砕」「闘争団の切り捨てを許さないぞ」。代議員も唱和して手を挙げている。
 これが労働組合の大会と言えるのか。闘争の当事者と多くの組合員のやじと怒号とシュプレヒコールの中で行われた強行採決。「自民党と合意を結んだら、強行採決まで自民党にならうのか」と絶叫する声。
 議運が「有効投票数百九票、○が七十四票、×が三十一票、保留三票、白票一票」と報告した。「ふざけるな!」の声が飛ぶ。「こんな採決は無効だ」「中間答弁しかしてないじゃないか」「八十五人で、どうして百九票になるんだ」
 議長は「修正動議の趣旨説明をやってもらう」と、議事を進めようとする。しかし修正動議の提案者は演壇に立ったものの、「この状態では発言できない」と立ちつくしている。
 議長が「静かにしてください」と繰り返すが、まったく静まらない。ついに午後四時二十分、議長団が休憩を宣言した。
 午後五時半に議事は再開された。議運が発言に立ち、「中央執行委員会で、これ以上の討論は不可能であり、休会することを確認した」と宣言した。代議員、傍聴者の怒りはまったくおさまらない。「総辞職はどうなったんだ」「強行採決は無効だぞ」「四党合意を撤回しろ」。怒りの声がたたきつけられる中、大会は幕を閉じた。

JR総連打倒・国労再生へ 闘う新執行部の樹立を

 反動を破った闘争団の怒り

 国労定期大会決戦の感動的な勝利は、七・一―八・二六の地平をひっくり返そうとする大反動を打ち破ってかちとられた。
 七・一の偉大な決起は、「四党合意」をもって国労を解体しようと狙った自民党や運輸省、JR資本に大打撃を与えた。そして、全労協や全労連はもとより連合傘下の労組をも揺さぶり、労働運動の大流動情勢をつくり出した。「四党合意」と七・一の闘いをめぐって激しい論争が巻き起こり、そこから新たな階級的労働運動の潮流が台頭する情勢を生み出した。
 それは、二九年型世界大恐慌の危機から激化する一大資本攻勢、改憲・有事立法攻撃などの戦後最大級の反動攻撃をめぐる二〇〇〇年階級決戦の激しさの中で起こっている。さらにはユーゴスラビアや中東、南朝鮮など全世界で労働者階級の自己解放闘争が歴史的に高揚する中で起こっている。二〇〇〇年から二十一世紀に向けて、労働者階級の荒々しい決起の時代を押し開く突破口となったのが七・一なのだ。
 だからこそ、敵の密集した大反動が襲いかかった。
 こうした中で、八・二六で「総辞職表明」に追い込まれた国労本部執行部は、九月末に強行した「全組合員の一票投票」で五五%の賛成票を得たことをもって、「四党合意」承認の方針を提案してきた。
 一票投票と代議員選挙の結果は、「数」の重圧となって襲いかかった。闘争団は「団結署名」を開始したが、九州と北海道のエリア本部が「反組織的」と非難し、闘争団の意志表明すら押しつぶそうとした。闘争団の「四党合意」絶対反対の意志、本部執行部に対する怒りは強く揺るぎないものだが、こうした重圧が覆ったことは否めない。
 だが、“本部に人生を決めさせるわけにはいかない”という闘争団の根底的な怒りは、押しつぶせなかった。闘争団は、「四党合意」という敵権力の大攻撃に対して、七・一で開始した非妥協的闘いを貫いて、大反動を打ち破ったのだ。
 さらに、闘争団を包む国労本隊の代議員、傍聴者の闘いが、七・一―八・二六を上回る規模で起こった。

 不退転の決意を実力で貫く

 「四党合意」をごり押ししてくる本部執行部の不正義は、あまりにも明らかだ。その不正義の核心は、闘争団という被解雇者を労働組合の名をもって切り捨てることである。それは労働組合としての国労の死だ。差別・選別に耐えてきたJRの組合員にとっても絶対に許せない。
 本部に対して総退陣を求める声が圧倒的に高まった。「総退陣」を表明しながら執行部に居座ろうとする宮坂・チャレンジ一派や革同上村一派に対しては、非和解的に対決する以外にないのだ。
 この点で、討論において「経過」を絶対に認めないと対決したことが重要であった。「四党合意」受け入れの経過、その後の「並行交渉」とか「臨大までに具体案が出る」などというウソとペテンで国労に埋めがたい亀裂をつくり出してきた、その全責任をとって総辞職すべき、運動方針案の採決は絶対に許さず、新執行部が新たな方針を提起すべきと迫っていった。
 これに一切まともに答えようとせず、居直りの答弁に終始する宮坂書記長や上村副委員長。彼らにとって、大会の討論や組合民主主義などは関係ない。自民党や運輸省、JR資本、JR連合との約束の方が大事なのだ。
 このような非和解性は、実力的対決による以外に決着がつかないところまで行き着いた。宮坂らの凶暴さを上回る不退転の決意と気迫で一歩も引かず対決することが求められた。そしてそれを行動によって貫徹したのである。
 七・一の意義も、「演壇占拠」にまで上りつめた実力決起にあった。これがなければ、国労消滅の道を突き進んでいたことは間違いない。逆に、この決起に多くの労働者人民が魂を揺さぶられ、その労働者階級自己解放の革命的エネルギーを感じとり、闘争団絶対防衛の闘いが広がったのだ。
 今大会においても、やはり最後には実力的攻防が大会続行を断念させ、「四党合意」を阻止する力となったことをはっきりと確認しなければならない。

 「解決の時期は過ぎた」と野中

 この勝利を受けて、当面の続開大会をめぐる攻防に直ちに突入しよう。
 今大会の結果に、敵は大打撃を受けている。野中自民党幹事長は、「推移を見守るしかないが、すでに決着をつけるべき時期は過ぎている」と、「四党合意」が事実上、破産したことを宣告した(十月三十日付朝日新聞)。野中は、「かつての(国鉄)分割・民営化が正しかったということを国労が認めないと前進しない。その前提条件を認めないなら、推移を見守る以外仕方ない」とも述べている(同日付日経新聞)。これは、分割・民営化が正しかったと認めることが前提条件だと、「四党合意」の国労解体の意図をむき出しにしたコメントだ。
 あらためて、「四党合意」が国家権力の政治的支配介入であり、国労をたたきつぶすための国家的不当労働行為の総仕上げとも言うべき攻撃であることをはっきりさせ、「四党合意」撤回の大運動を職場からまき起こそう。
 十一月八日の本州採用差別事件、十四日の北海道・九州採用差別事件の高裁判決闘争を闘おう。反動判決であれば、それを徹底的に弾劾し、新たな大衆闘争をつくり出そう。ILO最終勧告の情勢を生かし、政府・JRを攻め抜こう。「四党合意」を不当労働行為だとして全国で申し立てた地労委闘争を発展させよう。
 そのために、なんとしても現執行部を一人の居座りも許さず総退陣させ、闘う新たな執行部をつくり出さなければならない。

 カクマル危機いよいよ深刻

 同時に今、カクマル=JR総連を打倒する絶好の情勢が訪れている。
 JR九州労で起きている大量の脱退は、丸ごとのJR総連からの離反である。それがJR総連の最大実体であるJR東労組に波及する事態であることがますます明らかになっている。すでにJR貨物労組からの脱退も相次いでいる。
 カクマルの反革命通信『解放』は毎号、この事態について、恥も外聞もなく叫び立てている。
 カクマルは、JR九州労の脱退の先頭に立った「ダラ幹」らが「九州労組への加入戦術」だと言って組合員を脱退させたとして弾劾している。だが、これはカクマルがカクマルとして生き残ろうとするものではない。まさにカクマル支配のJR総連から分裂し、JR連合傘下のJR九州労組の懐に逃げ込もうとしているということに核心がある。
 このことは、“JR東労組防衛絶対主義”で他のエリアのJR総連を「犠牲」にしてでもJR東の結託体制を維持しようと、大合理化を容認してきたカクマル松崎路線の全面的な破産を示すものである。
 しかも、JR東労組東京地本の「ダラ幹」やJR総連の山下書記長らが『解放』紙上で公然と批判されているように、実は、JR総連中央とJR東労組の最大実体の東京地本で亀裂が始まっていたということなのだ。これがJR九州労のような事態になることに恐怖し、カクマルは、内部テロの恫喝で抑え込もうと躍起になっているのだ。
 『解放』一六四二号(十月三十日付)のカクマル交運労働者委員会の論文によると、「退職したJR総連OBメンバー(南雲)」なるカクマルが、JR総連傘下の各単組内において「『会長(松崎明)は過去の人だ』とか、『山本勝彦(黒田寛一)は変質した』とかいう言辞をふりまいている」のだという。JR総連内のカクマル組織の対立と崩壊は抜き差しならないレベルに達しているのだ。
 こうしたカクマル=JR総連の危機をつくり出してきたのは、闘争団の不屈の決起を先頭とする国鉄労働者の闘いである。
 JR総連とJR資本の結託体制こそが、国鉄分割・民営化―JR体制の支柱だった。これが崩壊を始めたのである。
 千四十七人の解雇撤回を始めとする国鉄闘争の前進にとって最大のチャンスが到来した。チャレンジ一派のふりまく「ジリ貧」論や「ラストチャンス」論などは、国労がJR総連=カクマルとの組織戦に決起し組織拡大を実現するなら、絶対に打ち破ることができる。今、労働者は闘う労働組合を求めているのだ。その時に、どうして国労の自滅に導くような「四党合意」をのもうというのか。
 今こそ、JR総連打倒、国労の階級的再生へ一大反転攻勢に立ち上がろう。現執行部総退陣、闘う執行部の確立をかちとろう。

きょう一日で人生決まる 会場前で決起 議場へシュプレヒコール

 傍聴を要求し警備突き崩す

 国労定期全国大会の会場の社会文化会館前では、会場内の闘いに呼応し、それを支える闘いが戦闘的に闘われた。闘争団とJR本体の国労組合員、そして大結集した支援の労働者らが一体となって闘いぬいた。
 闘争団は約百人が上京した。一日目の朝、千人を超える人びとが取り巻く中、上京闘争団の代表が「四党合意を絶対に決定させない強い意志をもって集まった」と訴え、次々とアピールを行った。
 二日目、国労本部はあくまでも「四党合意」承認を強行するために、前日とは違い正面入り口を閉鎖し、通用口から代議員・傍聴者を入れるという警備態勢をとった。不当にも傍聴制限で入れなかった闘争団員らが全員を傍聴させろと要求し、「きょう一日でおれたちの人生が決まる。必死の思いで金を作って来ているんだ」と激しく迫った。
 午後一時半ごろ、経過の討議が打ち切られたとの報告が入ると、再び闘争団が通用口に向かい、警備を徹底的に追及した。警備に動員された組合員も、多くは「四党合意」反対である。次々と警備は崩れた。
 午後三時半ごろ、上京闘争団の代表が「休憩になっている間、中で闘争団が歌を歌い、シュプレヒコールを上げている。会場の外でも気持ちを一つにしたい」と呼びかけ、闘争団、組合員、支援者の全員がスクラムを組んで「ガンバロー」「組合歌」を斉唱し、会場に向けて「採決を阻止するぞ」とシュプレヒコールを上げた。
 「『経過報告』の採決が強行されようとしており、会場が騒然としている」との報告が入ると、再び闘争団は通用口に向かった。阻止線が突破される寸前まで追いつめた。まさに命をかけた決起だ。
 午後四時半ごろ、傍聴していた闘争団が、「経過報告」の採決が強行されたことを報告し、「私たちの自信と確信は揺らいでいない」と訴えた。
 大会が「休会」となり、出てきた闘争団は、「『四党合意』を採決させなかったことは一応の成果だ」と宣言するとともに、なおも本部への怒りをあらわにした。「闘争団を守りぬくぞ」という支援のシュプレヒコールがとどろく中で、一層の奮闘を誓い合った。
 闘争団は、大会に先立って、二十五日から運輸省前行動を始め、二十七日には運輸省前で座り込みを行い、「四党合意」を強制している張本人である運輸省を徹底弾劾した。

 大会前に本部を徹底追及!

 午後からは、闘争団の代表十五人が国労本部を訪れ、居合わせた上村副委員長に対して、大会で「四党合意」の承認を行わないことを申し入れた。また、JR西日本の南谷社長が二十日の記者会見で「失業対策的な雇用をする考えはあるが、解決金などの支払いには応じられない」と述べた(二十一日付西日本新聞)ことについて追及した。上村副委員長は「これから交渉することだ」などと言うのみで、JRへの抗議の意志すら示そうとはしないのだ。
 闘争団はさらに、本部の近くで開かれていた全国代表者会議の終了後、宮坂書記長に交渉を申し入れたが、宮坂書記長は振り返ることもなく、新橋駅まで逃げた。
 闘争団は、こうした本部を絶対に許さない決意を固め、大会に臨んだ。