『前進』第1966号2面
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「四党合意」粉砕! 続開大会は中止せよ
闘争団を「暴徒」とののしる執行部こそ国労の破壊者だ
組合員裏切る本部は総退陣を
七月一日の国労臨時大会で、闘争団を始めとする国労組合員は、「四党合意」とその受諾を強行しようとする国労本部への根源的な怒りを解き放って、渾身(こんしん)の決起を行った。国鉄分割・民営化から十三年、あらゆる辛苦をなめながら解雇撤回・地元JR復帰を求めて不屈の闘いを貫いてきた闘争団が、こともあろうに国労本部から「三度目の首切り」を強いられようとしていたのだ。これに対する闘争団の怒りの決起は、やむにやまれぬ正義の闘いであった。われわれは、この闘いを心の底から支持することを表明する。だが今日、国労本部とそれに連なるチャレンジ一派、革同上村派は、闘争団への敵意と憎悪をむき出しにした「見解」や「声明」なるものを、機関を私物化して乱発している。今や敵への投降者、裏切り者に変質した彼らは、闘争団とその闘いを「暴徒」「大会破壊の暴力行為」などと罵倒(ばとう)し、闘争団の血叫びを押しつぶそうとたくらんでいる。この一大反動を打ち破り、七・一を上回る底の底からの決起で、「四党合意」受け入れ強行のための続開大会を絶対に阻止すべきことを訴える。
第1章 闘争団の切り捨てにやむにやまれぬ決起
臨大の会場で、闘争団の家族は「どうして本部は闘いを放棄するんですか! なぜコブシを下ろそうとするんですか。無責任に私たちの人生を勝手に決めないで下さい!」と怒りを込めて訴えた。それは、十四年にわたる闘いのすべてが、「四党合意」によって踏みにじられ、国労からさえ見捨てられようとしていることへの、悲痛な告発であり、糾弾であった。ここには、全闘争団員の思いが凝縮されていた。大会に駆けつけた圧倒的多数の国労組合員は、目に涙を浮かべてこの訴えに聞き入った。
だが、国労本部とチャレンジ一派、革同上村派の代議員だけが、闘争団家族の心の底からの叫びに耳を閉ざした。本部は、集約ならざる「書記長集約」を強行し、本部方針の「拍手採決」へと突き進もうとしたのである。
仲間を信じるからこそ国労にとどまり、国労方針のもとに闘ってJR採用を拒否され、以来十四年にわたって国労の最先頭で闘いを貫いてきた闘争団が、国労本部によって切り捨てられようとしたその瞬間、闘争団は抑えることのできない怒りに突き動かされて演壇に殺到した。本部は、闘争団の怒りに震え上がり、われ先に演壇から逃亡した。こうして、方針案の採決は阻止され、大会は「休会」に追い込まれたのである。
七月一日に起こった事態は、こういうことだった。闘争団の行動は、やむにやまれぬ正義の決起であった。事態は、起こるべくして起きたのだ。
臨大におけるこの行動は、国労本部の裏切りに次ぐ裏切りにもかかわらず、闘争団を始めとする国労組合員の中には゛闘う国労”の誇るべき伝統が脈々と受け継がれていることを示したのである。国労の階級的再生を求める組合員の戦闘的なエネルギーは、七・一臨大を決戦的に闘い抜く中で、ついにその出口を探り当てた。国労を自ら破壊する本部に抗して、国労の闘う団結はまさにぎりぎりのところで守られたのだ。闘争団の決起は、JR本体の組合員の魂を揺り動かし、国労三万組合員が固く団結して進むべき道を明々と指し示している。
この闘いは一点の曇りもなく正義である。資本・権力の抑圧と闘い、自らの解放を求める労働者階級の一員であるならば、闘争団のこの闘いに希望を見いだしこそすれ、それを非難する者など一人もいない。
この間の国労本部の転向と裏切りに心を痛め、憤り、国労の行く末を固唾(かたず)をのんで見守っていた多くの支援も、七・一臨大において発揮された闘争団と国労組合員の比類のない戦闘性に、あらためて勇気を与えられ、激励されているのである。
第2章 労働者魂を失い敵の陣営に移行した本部
ところが、チャレンジ一派や革同上村派は、闘争団のこの闘いにあらん限りの悪罵を投げつけている。七月三日に、国労中央執行委員会の名で「第六六回臨時全国大会と大会休会についての見解」(抜粋を別掲)なる文書が出されたのを皮切りに、チャレンジ一派と革同上村派は、彼らが牛耳るエリア本部、地方本部の名をかたって次々と「見解」「声明」なるものを乱発している。
それらは皆、十四年にわたる闘争団の苦闘をせせら笑い、足蹴にするものだ。彼らはもはや労働者魂の一片すら失っている。その反動的言動の一端を怒りを込めて暴露する。
「支援を装った妨害勢力と一部闘争団組合員による大会会場の壇上の破壊と占拠という暴力」「この暴挙ともいえる『壇上占拠』に北海道内の幾つかの闘争団が加わったことは極めて遺憾」「大会での『壇上乱入・器物の破損・占拠』の行為を直接民主主義の行為として正当化することは言語道断と言わざるを得ません」(北海道エリア本部)
「今回の一部の闘争団の採った行動はどのように思料しても『不義』であり、『上京闘争団ニュースbV』の訴えに共鳴できる要素は一筋もない」「『大会破壊の暴力行為者』等を『一緒に闘ってくれる多くの仲間』としていることに懐疑と危険な先行き、おぞましさすら感じる」(盛岡地本)
「一部の暴徒と化した者たちが、演壇や議長席の机や椅子を破壊し、暴力によって会場を占拠する暴挙にでた。これらの暴徒の中に、一部ではあるが残念ながら組合員・闘争団員が加わっていた」「闘争団と一体となって闘ってきた十三年間を裏切られた思いを禁じ得ない」(東海エリア本部)
これらの文書はいずれも、どこからともなく現れた国労組合員ではない「暴徒」が大会を破壊したなどとうそいぶいている。このわけの分からない言い方に、「暴徒」だの「暴力行為」だのというのは、百パーセントのデッチあげであることが示されている。
そして、この「暴徒」の一部に闘争団が加わっていたなどというデタラメなへ理屈で、攻撃の矛先の一切を闘争団に向けているのである。
チャレンジと革同上村派は、「四党合意」受け入れの反動的思惑を粉砕されて度を失い、あからさまに闘争団を「暴徒」と絶叫し始めた。闘争団とその家族を踏みにじり、その人生を全面否定する国労本部への怒りがたたきつけられた瞬間に、「闘争団はじゃまだ。一刻も早く切り捨てたい」という反動的本音が完全にむき出しになったのだ。
正義はいったいどちらにあったのか。闘争団を切り捨てるために暴力的に臨大を強行したのは誰か。組合民主主義を否定し、国労の団結を破壊したのは誰か。闘争団の人生をかけた闘いに敵対し、妨害しているのは誰か。答えはあまりにも明白だ。
七月一日の十三時間にわたる激闘を、渾身の力で闘い抜いた闘争団と国労組合員にとって、真実は自らの体と心に深く刻み込まれている。あの闘いに闘争団と国労組合員を駆り立てた、ほとばしるような思い、怒りの中にこそ、正義が宿っていたのである。
臨大会場を圧した闘争団とその家族の血叫びは、チャレンジと革同上村派にとっては「雑音」でしかなかったのだ。なんとおぞましいことか! もはや彼らは、首を切られた仲間の怒りと苦しみを共有し、ともに闘うという労働者の階級的感性を、最後の一片に至るまで失った。
しかも、チャレンジ一派や革同上村派が乱発する「声明」や「見解」は、断じて三万国労組合員の声を反映したものではない。チャレンジと革同上村派は完全に階級移行した。彼らは、国労の団結を崩壊の淵(ふち)にまで追い詰めた自らの責任を闘争団になすりつけ、自己の悪行を免罪して、醜悪きわまる自己保身を図るために、中央本部を始めエリアなどの機関を徹底的に私物化して、「暴力」キャンペーンを張っているのである。
組合員の正当な権利行使だ
そもそも、「演壇占拠」は最も国労らしい、誇るべき闘いであったと断言するべきである。組合員を「暴徒」だの「破壊者」だのと金切り声で罵倒するのは、五十年をこえる歴史を有する国労の幹部としてあまりにも見苦しいことではないのか。戦後労働運動の歴史の中には、執行部の理不尽な方針や組合民主主義を踏みにじる組織運営に対して、組合員が「演壇占拠」に訴えた例はいくらでもある。それは組合員の当然の権利行使であり、組合民主主義の一環をなしている。そんなことは労働運動の常識だ。国労幹部ともあろうものが、それを知らないはずがない。
国労自身の歴史をひもといて見よ。修善寺大会に至る過程では、「大胆な妥協」を唱える山崎執行部に対して、人材活用センターに送られた組合員を中心に中央闘争委員会の会場を占拠して「労使共同宣言」の締結を粉砕した。修善寺大会直後も、鉄産労への分裂策動に対して、各地方大会では「演壇占拠」を含む激しい攻防が貫かれた。これこそが、分割・民営化の嵐のような攻撃に抗して、国労の団結を守り抜いた力だったのではないか。
「演壇占拠」が「暴力と破壊行為」だと言うのなら、今日、国労が国労として存在しているのは、まさに「暴力と破壊行為」のたまものなのだ。
敵の攻撃が激化し、内部から闘いと団結を破壊する策動が台頭してくるたびに、国労は組合員のわき上がるような決起でそれを粉砕して、組織を維持し抜いてきたのである。
七月一日の闘争団と組合員の行動は、国労のこうした伝統をよみがえらせ、国労の名誉と団結を守り、全組合員に限りない勇気を与えたのだ。ここにこそ、国労の本来の姿がある。
チャレンジ一派と革同上村派は、国労の歴史始まって以来の類例のない「暴力行為」が七月一日に突如として発生したかのように言う。ふざけるな! 彼らは、自己の悪行を押し隠すためにのみ、労働運動と国労の誇るべき歴史を偽造しているにすぎないのだ。
国労本部が真に解雇撤回闘争を指導する立場に立つならば、七・一臨大に示された闘争団の比類のない戦闘性に、勝利の展望を見いだしていてあたりまえだ。
組合指導部の資格はない!
現に闘争団とその家族は、「どんなに苦しくたって、政府の、JRの責任で解決するまでがんばります」「私たち闘争団、家族はまだまだ大丈夫です」と臨大の会場で訴えているではないか。敵の攻撃の矢面に立ち、長期にわたる闘いの中で最も深い傷を負いながらも、解雇された当該が「私たちはまだまだ闘える」と叫んでいるのだ。
闘争団は、国労に結集することに生活と闘いのすべて、人生のすべてをかけている。だからこそ、国労の生死を決める臨大で、命がけの決起を敢行したのである。
それは、国労が生きた団結体であることのあかし、国労の生命力のあかしだ。組合員が、自己の人生と組合とをここまで深く結びつけている労働組合がほかにあるか。闘争団は国労のかけがえのない財産なのだ。
この闘争団がいる限り、そして闘争団と心を一つにして闘うJR本体の組合員がいる限り、国労はいかなる闘いをも、不屈に押し貫く力を有している。しかも今日、すさまじい危機にのたうち、追い詰められているのは権力・資本とJR総連=カクマルの側なのだ。
真の労働組合指導部ならば、このことに勝利の確信を持たないはずがない。
だが、国労本部は日本労働運動が生み出した珠玉のような闘争団を、「暴徒」だの「破壊者」だのと口をきわめてののしることしかできない。こんな恥ずべき、こんな愚劣な本部のもとでは、組合員の血のにじむ闘いも、すべて無駄にされ、裏切られてしまうのだ。即刻、本部を総退陣に追い込む以外にない。
第3章 当該を無視した臨大の強行に一切の責任
ここであらためてはっきりさせなければならないのは、「四党合意」の受諾とそのための臨大強行こそが、とてつもない反革命暴力の発動だったということである。
「四党合意」の直後から、闘争団の反対意見書が本部に殺到した。六月十日の三ブロック闘争団会議でも、「JRに法的責任がないと認めたら裁判にも勝てないしJRにも戻れない」「何の担保も保障もなく『JRに責任なし』を認めるだけの大会ならやるべきではない」などの怒りの声が噴出した。さらに、六月二十八日には、全国三十六の闘争団のうち二十一闘争団が、共同で臨大に反対する意見書を提出した。
これだけの反対がある中で臨大を強行すれば、国労の団結が根底から破壊されることは誰にも明らかだった。だが、宮坂・上村・新井らは、政府・権力の指示を受け、本部機関を簒奪(さんだつ)していることにのみ依拠して、臨大強行へと突き進んだのだ。彼らこそ、団結を破壊し、国労に分裂を持ち込んだ張本人だ。
七月一日、闘争団と国労組合員は「十三年の闘いの生死を分かつ瀬戸際だ」と早朝から社会文化会館前に集まった。本部の新井らは、この組合員に機動隊を差し向け、一人の組合員を不当逮捕させたのだ。そして、だまし討ち的に午後六時からの臨大開催を強行した。国家権力・機動隊の暴力で組合員を恫喝することによってしか開けない臨大とは何なのか。
これに対する闘争団と国労組合員の怒りがたたきつけられたのは、あまりにも当然のことだったのだ。
JRの責任は免罪できない
「四党合意」を受諾して「JRに法的責任はない」と認めることは、闘争団とその家族の人生を踏みにじり、権力とJR資本のえじきに差し出す、許しがたい暴挙である。
「JRに責任なし」を認めれば、首を切った張本人は免罪されてのうのうと生き延びる。一方で、首を切られた闘争団は、汚名をそそぐこともできず、国労からも見捨てられ、路頭に迷う以外にない。こんなことが許されるか。
「JRに法的責任なし」を認めるとは、五・二八反動判決を覆す闘いも、そのための論理もすべて投げ捨て、ILO中間勧告さえ自ら放棄して、権力とJR資本にはいつくばるということだ。闘争団にとってそれは、人生をかけた闘いがすべて否定され、人間としての誇りと尊厳が泥靴で踏みにじられる、堪えがたい屈辱だったのだ。
闘争団の十四年にわたる苦闘がこんな形で押しつぶされていいはずがない。
チャレンジ一派と革同上村派は、七・一臨大で平然とこうした階級的犯罪に手を染めようとした。国家権力やJR資本に成り代わって、闘争団の息の根を止める首切り役人の役割を買って出たのである。
闘争団は、国家権力と裏切り者たちによるすさまじい圧殺攻撃に対して、生活と生命をかけて反撃に立った。まさにそこには、闘争団と国労三万組合員の死活がかかっていた。「四党合意」受諾とは、国労自身の手で国労を絞め殺そうという悪らつきわまる敵階級の攻撃だ。これを許したなら、国労はその瞬間に消え去ってしまうのだ。チャレンジ一派と革同上村派は、こんな暴虐に直接、手を下そうとしていたのだ。
七・一臨大で「四党合意」受諾を粉砕した地平は巨大である。これを絶対に権力とチャレンジ一派、革同上村派に譲り渡してはならないのだ。
第4章 中執見解に批判の嵐続開阻止へ総決起を
国労本部は今、闘争団を始めとした組合員には最大限の悪罵を投げつけながら、国家権力に対しては一転して「衷心からおわびします」などと、取りすがらんばかりに平身低頭し、奴隷のようにはいつくばっている。かつて国労の歴史の中で、こんな屈辱があっただろうか。自分の組合員を「暴徒」呼ばわりした組合指導部がいただろうか。
国労本部は、この期に及んで国家権力に頭を下げ、すがりつき、泣き言を垂れている。何という情けないありさまか! 他方においては、組合員を「暴徒」と決めつけ、「態勢の立て直しのために全力を挙げる決意を明らかにする」などと、権力者然とした態度で続開大会の強行を叫んでいる。彼らの眼中にあるのは、いかに国家権力の歓心を買うかということだけなのだ。もはや国労本部は完全に組合員に背を向けた。
闘争団を先頭にした国労組合員は、こうした国労本部を介しての国家権力による国労への支配介入を粉砕し、資本・権力から独立した労働組合の自主性と団結を守り抜いたのだ。
今日、国労本部が闘争団を「暴徒」呼ばわりするのは、労働者階級のやむにやまれぬ決起を、国家権力と同一の立場から抑えつけるためにほかならない。国家権力は、抑圧された者が自らの解放をかけて立ち上がった瞬間に、それを「暴力」と言って弾圧する。だが、権力が独占的に行使する巨大な暴力については、絶対に自己批判したり、「おわび」したりはしないのだ。あのベトナム戦争において、アメリカ帝国主義は何十万のベトナム人民に砲弾を浴びせ大虐殺を繰り返した自らの侵略については、「平和」のためだと居直り続けたではないか。
労働者階級が自己解放をかちとるためには、支配階級による「暴徒」だの「破壊者」だのという非難にひるまず、敵階級による暴力の独占を粉砕して、決然と闘うことが必要なのだ。
国労本部が闘争団に浴びせかけている「暴徒」だの「暴力行為」だのという言辞に、いささかもたじろいではならない。彼らは機関の権力を握っているのをいいことに、国労の名において闘争団を切り捨てるという、とことん不正義の、巨大な暴力行為を働いたのだ。彼らは、機動隊を導入して臨大に反対する組合員を権力に売り渡して平然としているのだ。国家暴力と完全に一体化し、組合員を踏みつけにした張本人が、「暴力は許せない」などとわめき立てることほど、恥知らずなことはない。
七月一日の闘争団の行動は、「暴力」どころか当然の怒りの発露であり、国労三万の闘いと団結を守る崇高な営為だったのである。
チャレンジ一派や革同上村派の浅はかさは、「演壇占拠は暴力だ」「暴力は許せない」などという低劣なキャンペーンで、闘争団と国労組合員を沈黙させることができると思っているところにある。分割・民営化攻撃の嵐に耐え、十四年にわたる闘いを貫いてきた国労組合員が、こんな安っぽいキャンペーンにだまされることなどありえない。彼らは組合員をなめている。
七・一臨大で、闘争団は渾身の決起を貫いた。この闘いを絶対に中途で終わらせてはならない。七・一の決起は、「四党合意」を根底において粉砕した。権力は、「形式的に組合が四党合意を認めても、過半数の闘争団が闘いを続けるようなら本当に解決したといえるのか」(運輸省幹部、『エコノミスト』七月十八日号)と、闘争団の闘いに大打撃を受けつつ、国労本部のさらなる屈服を迫っている。
他方、七・一を闘った闘争団や各地本・分会からは、中執見解と臨大に至る本部の非民主的な組織運営を批判する意見書が続々と上げられている。さらに都労連や東京清掃労組などの支援や学者、国労OBからも、国労本部の姿勢を批判し闘争団を激励する見解などが表明されている。労働者にとって、正義がどちらにあるかは明白なのだ。
にもかかわらず、本部は八月五日にも続開大会を強行しようと画策している。それはもはや、闘争団への凶悪な襲撃と国労の団結の総破壊をしか意味しない。絶対に粉砕あるのみだ。続開大会阻止へ、七・一を上回る総決起を開始しよう。
この闘いには、解雇された仲間を守って闘い抜くのか、切り捨てるのかという、労働運動の根幹にかかわる問題がかかっている。国労を支援してきたすべての労組、労働者は、闘争団を支持し、続開大会反対の声を上げよう。
権力・資本と一体化し、闘争団を売り渡す現執行部を総退陣させ、闘う新たな執行部を打ち立てよう。その中に、日本労働運動の階級的再生の道もあるのだ。
臨大強行を居直る国労中執見解(抜粋)
中央執行委員会は、十四年に及ぶJR不採用問題を始めとした労使紛争が政治の場で解決が図れるという状況の下で、第六六回臨時全国大会を開催しました。
大会は、中央執行委員や代議員・構成員が会場内に入れないという異常な事態の下で、開会が大幅に遅れてしまいました。開会された大会は、議長団を始め代議員・大会構成員の議事進行への協力の下に代議員の発言や修正動議の説明などを受け書記長が質問や意見に答えつつ集約まで進みました。ところが、書記長集約が終わり、修正動議に対する中央執行委員会見解を述べようとした時、演壇や議長席の机やイスをひっくり返し破損する等の暴力行為が発生し、演壇及び会場内が大混乱となり極めて遺憾な事態となりました。
中央執行委員会は、これら一連の大会破壊の暴力行為に対し、非難すると共に憤りをもって抗議するものです。
大会を成功させることが出来なかった責任を痛感しています。そして国労の各級機関と全組合員・家族に対し、組織に責任を持って態勢の立て直しのために全力を挙げる決意を明らかにします。
中央執行委員会は、政党間の合意にむけご尽力いただき、大会成功のためにご協力いただいた社会民主党を始めとした政党関係者・政府関係者の皆さんに対し、衷心よりお詫びいたします。