『前進』第1972号2〜3面
|
八月二十六日、国労第六六回臨時全国大会の続開大会において、七・一に続いて「四党合意」の機関決定を再び粉砕する偉大な勝利がかちとられた。国労中央による闘争団切り捨てを許さず、そしてついに中央本部総退陣の情勢をつくり出したのである。これは、七・一を上回る巨大な勝利の情勢である。闘争団・家族は、七・一の闘いに対する大反動をはね返し、再度の渾身(こんしん)の決起をかちとった。闘争団と固く連帯してJR本体の国労組合員、支援の労働者らが全国から結集し、三千人が東京・社会文化会館を包囲した。闘争団をだまし裏切っての、わずか十数分の破産した「大会」の対極で、三千人の労働者人民が、国鉄闘争を先頭に日本労働運動を再生させる部隊として、二〇〇〇年後半の階級決戦場裏に躍り出たのだ。国労中央は、なおも「四党合意」の「全組合員一票投票」を強行し、「次期定期大会で信を問う」と称して延命を策している。だが、彼らにはもはや何の展望もない。今こそ現執行部を「四党合意」もろとも打倒し、闘う新執行部を樹立するために、十月二十八、二十九日に予定されている定期全国大会の勝利へ、九月十八日からの代議員選(二十九日投票)に直ちに打って出よう。「四党合意」強行のための「一票投票」を断じて許すな。闘争団をなんとしても守りぬき、国鉄闘争支援を軸に闘う労働運動の新しい潮流を、十一月労働者集会に向かって発展させよう。
国労続開臨大は八月二十六日午後一時に開会されたが、わずか十分の高橋委員長の特別発言だけで終了した。議事はなんと、議長の開会宣言、高橋委員長の特別発言(要旨別掲)と、その「拍手承認」、議長団解任あいさつ、上村副委員長の閉会あいさつ、そして高橋委員長による「団結ガンバロー」だけだ。
これが大会と言えるのか! こんな執行部のもとでは団結などできない! 傍聴席に陣取った闘争団・家族は全員が座ったまま「団結ガンバロー」を拒否し、抗議を貫いた。闘争団と家族の怒り、悔しさは察するに余りある。
続々と上京した闘争団(二十闘争団・有志)は、二十二日から連日の本部申し入れ行動を行い、あくまでも「四党合意」の破棄を求め、「解決案なき臨大中止」を訴えて闘いぬいた。二十五日午前の中央執行委員会では、高橋委員長が「混乱は避けられない」として、「臨大中止」方針を提起せざるを得なかった。それが覆され、“大会を開催し、「総辞職」を表明するが、「四党合意」については「全組合員一票投票」を行う”と反動的に巻き返され、高橋委員長も含めて中執決定となった。
これに対して闘争団は、二十五日午後一時から二十六日未明に及ぶ追及を行い、本部執行部を徹底的に追いつめた。
最終的に宮坂書記長が、@執行部の責任は免れない、執行委員の辞任届は委員長に提出してある、A本部方針の採択は行わない、討論もしない、B大会運営は、委員長が冒頭に提起し、全体の確認を得る(動議は受けない)、C一票投票は規約上の定めはないが、選挙規約を適用する−−などの中執の考えを提起。これに対して、闘争団の代表が、「四党合意では闘争団の求める解決は得られないことがはっきりした。解決案なき場合には、(大会の)中止を求めたい。大会前までに闘争団を納得させ得る提案があれば、あらためてこの場をもってほしい」と表明した。
これを受けて高橋委員長は「代表の皆さんに三役が責任を持って話をする」と述べた。
ところが、大会当日、闘争団の代表が、大会前の全国代表者会議の前の九時ごろに三役への申し入れを求めたのを拒否し、全国代の後に、北海道、九州の各一人だけに説明するというだまし討ちに出たのだ。
こうして強行された続開臨大での高橋委員長の特別発言では、「総辞職」が事実上撤回され、「次期全国大会で信を問う」とされた。高橋委員長は大会後の記者会見で、「(現執行部のメンバーから)立候補する人がいる可能性はある」と、ペテン的な「総辞職表明」を居直った。
だが、重要なことは、あらゆる反動的策謀にもかかわらず、「あとは採決するだけ」と「四党合意」の決定を強行しようとしていた国労中央、宮坂・チャレンジ一派、革同上村一派の策動は完全に打ち砕かれたということである。
ここに誰が勝利して、誰が敗北したのかは明白である。明らかに、闘争団を先頭とする闘う国労組合員が勝ったのだ。
それは、五日間にわたる闘争団・家族の闘いや国労組合員を先頭とする数千、数万の労働者の決起の総和としての勝利である。その帰すうに数百万、数千万の労働者の存亡をかけた壮大な歴史的大決戦として打ち抜かれたのである。
この勝利は、七・一の地平を守りぬき、さらにそれを上回る地平を切り開いている。七・一以来の闘いの前進が凝縮され、その激烈な攻防をとおして巨大な勝利をもぎりとったのだ。
国労中央、チャレンジ一派、革同上村一派は、七・一の結果に追いつめられ、「暴力・暴徒キャンペーン」をふりまき、闘争団の糧道を断つという卑劣な圧殺策動にのりだした。そして、八・二六当日には、東京地本の警備動員とは別に、チャレンジ一派と革同上村一派は、盛岡・秋田・長野・新潟の各地本から「自警団」と称して、二百人を送り込もうとしていた。さらに、革同上村一派は、「革同の自主防衛参加/目標五百人(革同、チャレンジ)」などと、これを上回る動員を策していた。
だが、この策動は「四党合意」採決強行があらかじめ打ち破られる中で、断念せざるを得なかった。
二十五日夜に国労本部・交通ビルにつめかけた五百人、徹夜で社会文化会館前に座り込んだ百五十人、そして当日、ついに三千人に達した組合員・支援の決起の前に、暴力的突破の策動は完全に封じられたのだ。
結局、本部執行部は、警察権力を背景に、東京地本の警備部隊の中に紛れ込む形で、当日の午前八時前に社会文化会館の通用口から入った。その姿は、あまりにも惨めである。彼らには、もはや闘争団・組合員の追及から逃れ、なんとか八・二六を「のりきる」(宮坂書記長の言葉)ことしかなかったのだ。
これに対して、闘争団・家族は会場前で、あくまでも「具体的解決案が示されない以上、大会を中止すべき」と訴え続けた。(家族の発言を3面に掲載)
これに呼応し、「四党合意粉砕」「闘争団切り捨てを許さないぞ」「闘争団・家族の声を聞け」と、何度も何度もシュプレヒコールがとどろいた。七・一以上の「解放区」が現出した。
大会を終えて逃げるように立ち去ろうとする「四党合意」推進派のエリアの幹部らに対して、闘争団員から激しい弾劾の声が浴びせられた。
闘争団は、傍聴団を迎えて「団結ガンバロー」で次なる闘いの勝利を誓い合っていた。この闘争団を絶対に防衛する全国的な大運動を巻き起こさなければならない。
八・二六続開臨大決戦を受けて、直ちに全国大会代議員選を始めとする闘いに打って出よう。
何よりも、「四党合意」の賛否を問うという超反動的な「全組合員一票投票」を徹底的に弾劾し、中止させ、「四党合意」を完全に粉砕することである。
「一票投票」とは、あたかも「組合民主主義」を保障するかのようでいて、実は闘争団を切り捨て、闘争団とJR本体の組合員を分断し団結を破壊する、反民主主義そのものであり、断じて許せないものだ。
まず何よりも、当事者である闘争団が絶対反対であるということだ。闘争団は「組織の亀裂を深める」とギリギリまで「一票投票」に反対した。
闘争団の生死にかかわることを、闘争団と一般組合員を同じ一票とすることは、実は圧倒的に不平等なのだ。それはたとえれば、原発建設の是非を問う住民投票を、現地ではなく東京で行うようなものである。
また、「JRに法的責任なし」を機関決定せよと強要する、最も悪質で凶暴な政治的支配介入である「四党合意」の賛否を問うこと自体、その支配介入の不当労働行為を容認するということだ。国労を自らの手で葬り去れと迫る攻撃を、なぜ一票投票にかけなければならないのか。それ自身が労働組合の自主性を放棄する行為である。
そもそも国労の規約には「一票投票」の規定はない。新たに規約を設ける場は全国大会である。それを委員長の特別発言だけをもって強行するとは最悪の組合民主主義の破壊である。
規約にないものである以上、それは何の拘束力もない。国労の最高議決機関は全国大会なのである。したがって、一票投票とは、「アンケート調査」ぐらいの意味しか持たない。
にもかかわらず、それは組合員の「思想調査」としての意味をもっており、組合員同士の深刻な対立を促進せざるを得ない。
そして重大なことは、チャレンジ一派や革同上村一派が、この間、機関を私物化し「四党合意で一千万円の解決金が出る」などのウソとペテンで組合員をだましてきたように、デタラメな情報で「賛成」に駆り立てようとしていることだ。
さらに、彼らは、どんな不正だってやりかねないということだ。マスコミでさえ「不正防止の措置など技術的な問題も少なくない」(八月二十七日付朝日新聞)と指摘しているのだ。
このような「一票投票」など断じて許すわけにはいかない。絶対反対だ。
直ちに、現執行部は自らの責任で「四党合意」受諾を撤回し、総辞職せよ。
国労中央、宮坂・チャレンジ一派、革同上村一派による最後のあがきを打ち砕き、「四党合意」にトドメを刺そう。代議員選に勝利し、十・二八−二九全国大会に攻め上ろう。闘う新執行部を樹立し、国労の再生、国鉄闘争勝利へ、闘争団とともに闘おう。
闘う全労働者は国鉄闘争に全力で決起しよう。
七月一日に開会された臨時全国大会が、混乱にいたった原因について反省を込めて私の見解を明らかにしなければならない。
@当事者である闘争団との意見交換、合意形成が不十分であったことを率直に認めざるを得ない。
A四党合意が直ちに解決に向けて具体的作業に入り、七月一日まで一定のものが提示されるということだった。「JRに法的責任がない」ことを認めるだけの大会は開催できないとしたのも、中央執行委員会の確認だ。結果として、なんら具体的な前進のないまま、大会を迎えざるを得なかった。
B職場討議が十分にできるような時間的な保障と、情報の提供が不十分であり、大衆行動も自粛傾向にあった。
C支援共闘、連帯していただいた方々が、今日の国労の混迷した状況に憂慮し、批判的に見ていることも事実だ。十分な理解が得られないことについても、率直に反省し、関係修復を図らなければならない。
D中央執行委員会は、八月二十五日に第三七回中央執行委員会を開催した。中央執行委員会は、現局面の混乱を回避し、組織の統一と団結を回復することにし、執行部提案の採決は行わないこととする。そして組合民主主義の観点から、全組合員の一票投票を行い、七月一日に提案した本部原案の四党合意について、全組合員に、その賛否を求めることとする。現執行部として、この間の混乱の責任は免れない。次期定期全国大会で、信を問うこととする。
八・二六続開大会で「四党合意」受け入れ決定を再び阻んだのは、何よりも闘争団の人生をかけた決起であり、国労本部への激しい弾劾であった。
八月二十二日から二十五日までの四日間、闘争団は連日、国労本部に乗り込んで、「申し入れ」行動を貫いた。延べ二十時間に及ぶ闘いは、本部を根底から揺るがした。本部は、いったんは総辞職を表明せざるを得ないところに追い込まれた。「本部総退陣」は今や闘争団自身の声である。
二十二日夕方、二十闘争団と有志は、本部に「具体的解決案なき『JRの法的責任なし』のみを認める、続開大会の中止を求める申し入れ」を提出した。
同日夜、国労本部の地下会議室で、東京全労協主催の「国労闘争団激励交流八・二二報告集会」が開かれた。参加した闘争団員は、「本部の決断で大会を中止すべきだ。闘争団はきょう本部と交渉したが、一致を見ていない。明日も交渉を続ける」「闘争団・家族を切り捨てる続開大会は中止すべきだ」と訴えた。
二十三日、闘争団は社民党などへの要請行動を行った。その中で、社会文化会館の館長が「七月一日の機動隊導入は国労本部の要請によるものだった」と明言した。午後一時からの本部との交渉で、闘争団はこのことを厳しく追及した。
二十四日、二十闘争団と有志は「国労本部の不誠実な態度に抗議し、『解決案なき続開大会』の中止を求めるアピール」を発した。この日の本部との交渉は、午後三時から五時間にわたる激しいものとなった。
チャレンジや革同上村一派による、大会への「自警団」動員の策動が発覚していた。組合員同士を意図的に激突させても闘争団を切り捨てるという許しがたい暴挙である。闘争団の怒りに押され、本部は「当該地本にやめるよう指示する」と言わざるを得なかった。
さらに闘争団は、交渉に出た六人の中執一人ひとりに「四党合意で闘争団の納得のいく解決ができる自信があるのか」と問いつめた。本部は誰ひとり答えられず、首をうなだれた。高橋委員長は「中執で再度検討したい」と述べ、翌日、七人の中執全員が出席して再交渉を行うと約束した。
こうして大会前日の二十五日を迎えた。交渉は午後一時から始まった。中執全員が出席すると約束したにもかかわらず、姿を見せたのは高橋委員長と大西執行委員だけだ。卑劣にも他の中執は逃げ、闘争団に高橋委員長を差し向けた。
高橋委員長が午前中に開かれた中央執行委員会の結論を述べた。「大会では採決をしない。四党合意については全組合員の一票投票で信を問う」。闘争団は直ちに、「四党合意が生き続ける限り混乱が続く。撤回すべきだ」と反論した。
闘争団が求めていたのは四党合意の撤回と大会の中止だ。本部はその要求をどちらも拒否し、一票投票という形で四党合意を延命させようとしている。それは最悪の団結破壊である。
「本部は同時進行で解決交渉が進むと言ってきたが、それもなくなった。中執の責任で四党合意を破棄すべきだ」「ラストチャンスだと言って、地方ではありもしない解決水準が持ち上げられている。われわれが危惧(きぐ)を訴えると『妨害勢力だ』とレッテルを張られる」「賛成・反対で賛否を採ればより亀裂が深まる」「きわめて反組合民主主義だ。中執が責任を持てない四党合意をなぜ投票にかけるのか」「賛成派は機関の金でオルグする。われわれは自腹だ」「争議の当事者は俺たちだ」−という追及が続いた。
機動隊導入と「自警団」動員への怒りも爆発した。「流血の事態になる。今すぐ大会中止を決めろ」「何がなんでも大会を開くということか。委員長は採決しないと言ったが、大会を開けばいろいろ言われて何をするか分からない。絶対に開いたらだめだ」
こうした中で、高橋委員長は「責任を痛感している。責任については明日はっきりさせる」と辞意を漏らした。だが、それは闘争団の怒りを一層かき立てた。「四党合意も改革法承認の時も、組織がガタガタしてどんなに政府・自民党が喜んでいるか。悔しくてたまらない。こんなのになぜそんな無駄な時間をかけたのか」「委員長なら国労が団結できる方向を考えろ」という声が上がった。
音威子府闘争団家族の藤保美年子さんが、こらえきれずに立ち上がった。「一票投票とはどういうことですか。賛成している家族から手紙が届いているでしょう。苦しさから逃れたい、これをのめばお父さんはJRに戻れると思っている。でもそういう保証はあるんですか。仲間同士がもめあうのは、本部の責任です。だまされてこういう気持ちになっているんだということを受け止めて、臨大はやめると決めて下さい」
午後三時過ぎになって、ようやく宮坂書記長が姿を見せた。「今まで何をしていたんだ」と怒りの声が飛ぶ。闘争団は、総辞職の確認を迫ったが、宮坂書記長は言葉を濁して答えない。高橋委員長に再度迫ると、「執行部全員が辞任する」とようやく明言した。
だが、総辞職を言いながら四党合意を残すとはどういうことか! 「あなたたちは辞めても、四党合意は残って組織はガタガタになる」「四党合意を撤回してから辞めるのが筋だ」「賛成する人もいるから撤回しないと言うが、そういう人から『JRに戻れるんですね、これだけもらえるんですね、だから四党合意ですね』と言われて答えられるのか」「だまされてついていった人が現実を見たら自殺するぞ。四党合意で何が出て来るんだ」
時間はすでに午後五時半を回っていた。本部が予定していたエリア代表者会議の開始時間が過ぎている。卑劣なことに本部は、闘争団の追及を恐れて会議の場所を都内のホテルとしていた。闘争団は、本部内でエリア代表者会議を開くこと、再開後の交渉には全中執が出席することを約束させ、交渉を一時中断した。
午後八時半、交渉が再開された。冒頭、宮坂書記長が「総辞職はエリア代表者会議では納得が得られなかった」と言い放った。
闘争団の追及は、新井中執に集中した。彼は、七・一の機動隊導入について「国労が機動隊を要請することはない」とシラを切った。「四党合意で納得できる解決ができるのか」と問われても「努力するしかない。頑張るしかないでしょ」と、まったく不誠実な言い方を繰り返すだけだ。
午後十時前、交渉の席上で高橋委員長が重い口を開き、「中執会議を開きたい」と提案した。交渉は再び中断に入った。
九時過ぎには、なかのZEROでの集会を終えた国労組合員・支援の労働者数百人が駆けつけ、国労本部を取り巻いた。誰もが事態を固唾(かたず)を飲んで見守った。皆がここで夜を明かすことを覚悟していた。
午後十一時五十五分、交渉が再開された。冒頭、宮坂書記長が、全中執の辞任届を高橋委員長が預かっていること、大会では本部方針の採決は行わないこと、一票投票を行うこと、などの本部の考えを示した。
これに対して、闘争団の代表が「具体的解決案がなければ、あくまでも大会の中止を求める」と闘争団の考えを述べた。
この闘争団の四党合意への怒りは、どんな反動をもってしても抑え込むことはできなかった。
本部は、一票投票という形で最後のあがきに道を残した。だが、二十時間に及ぶ交渉は、大会での採決強行という本部のもくろみを打ち砕いたのだ。
闘争団・家族と国労組合員、支援の労働者は、翌日早朝の社文前での再結集を確認して、明日に備える闘いに入った。百五十人の支援は、社文前での徹夜の座り込みを貫徹した。
闘争団とその家族は、二十六日朝から社会文化会館前に座り込み、大会の中止を訴えた。その中での闘争団家族二人の発言を紹介します。(編集局)
物心両面のご支援をいただいている仲間の皆さん、JRの中で国労の旗を守って頑張り続けている仲間の皆さん。二度にわたる暑いこの日、一緒に座り込みをして下さっていることにお礼を申し上げます。
七月一日の臨時大会、闘争団の暴力のみが強調され非難されていますが、大会を開いた国労本部の責任であり、けっして闘争団の責任ではありません。
私はあの臨時大会を過ぎても、四党合意に対して話し合いがあると待っていました。しかし話し合いもなく、続開大会が午後から開かれようとしています。きのうの本部の話の中で、採決はしないと言いますが、四党合意が生きている限り、この大会を中止しなければなりません。
分割・民営化にあたり、国労組合員がJR採用者と不採用者に分けられた。仲間同士がもめあう、仲間割れするように仕組んだあの分割・民営化。皆さん、あの時のことをもう一度思い出して下さい。
私の娘は、解雇された時、十歳と七歳で、状況の大変さはほんの少しですが分かっていました。小さな村で、上の娘の同級生は二十人足らず、その中に鉄道員の子どもが何人かおりましたが、解雇されたのは私の夫だけです。その悔しさを娘は、「どうしてお友達のお父さんは仕事をしているの、なぜ、どうして」と目にいっぱい涙をためて私にぶつけてきました。私は何の言葉も返してやることができず、ただわが子を強く抱きしめ、慰めることしかできなかったんです。
今、私たちの敵は国労本部や国労の仲間ではないんです。夫たちを不当に解雇した政府・JRなんです。私たち闘争団家族の中に、賛成している家族もおります。それも確かな気持ちです。なぜだか皆さん、分かりますか。十四年たってつらいんです。言葉巧みに聞かされれば、人間誰しも楽な道を選びたくなる。これをウンて言えばJRに戻れるんだという言葉を信じて、飲み込んで賛成と言っている家族もいるんです。その責任は、本部がきちっととらなければならない。
何の担保もなく、具体的な保証がない。委員長だとか書記長だとか、後戻りできないなんて思わないで、何の交渉もできなかった、当初と状況が変わったからと、なぜ言えないのか。
四党合意撤回と続開大会の中止を精一杯、大会が始まる時間まで頑張りますので、ともに頑張っていただきたいと思います。
主人が亡くなって、今年で七回忌も無事終了させていただきました。
最初は国労運動、組合運動の何たるかを知らず、ただ妻というだけで家族会に参加させていただきました。主人が亡くなってしまってから、私に最後にできることは何かと考え、闘争に参加させていただくことを決意しました。
勝てる見込みのない闘争になぜ参加するのかと、疑問に思われる方もいると聞きました。でも、亡くなった主人にとって、JRに責任があることの証(あかし)だけが唯一、名誉回復できることだと存じます。子どもたちにとっては、それがこれから生きることへの誇りになると思います。
最後まで勝利をめざして、大会が開催されるまで、四党合意反対を唱えていきたいと思います。
国労臨大決戦を前にした八月二十四日、「四党合意」は不当労働行為だとして、国労近畿地本と南近畿地本の組合員が大阪府地方労働委員会に対して救済申し立てを行った。翌二十五日には、東京地本と千葉地本の組合員がそれぞれ東京都労委、千葉地労委に同様の申し立てを行った。
この救済申し立ては、被申立人を運輸省、自民党、JR東日本とするものだ。(大阪は運輸省、自民党、JR西日本、JR東海、鉄建公団)
そして、「四党合意」が@「国労が、JRに法的責任がないことを認める」、A「国労全国大会(臨時)において決定する」、B「国鉄改革関連の訴訟について、Aの機関決定後速やかに取り下げるよう求める」としたことが不当労働行為にあたるとして、その取り消しと謝罪文の掲載を求めるものである。
申し立てを終えた東京と千葉の国労組合員は、佐藤昭夫さん(早大名誉教授・弁護士)、宮島尚史さん(法学博士・弁護士)や代理人の弁護士とともに、二十五日午後一時半から、労働省記者クラブでの記者会見に臨んだ。
申立人の組合員たちがJR発足以来の配属差別への怒りを語り、採用差別と闘う闘争団と一体で救済申し立てを行ったことをそれぞれ語った。
宮島さんは、「不当労働行為の責任を負う当事者というのは狭く考える必要はない」と、鑑定意見メモを配布して説明した。
佐藤さんは、自らが確立した「国家的不当労働行為論」をもとに「四党合意」が国労へのいかに許しがたい支配介入であるかを具体的に暴露、強調した。
記者との質疑応答の中で、この運動を全国に広げていく決意が語られた。
一票投票に反対し、代議員選挙から国労定期大会への決戦過程と一体のものとして、地労委闘争を全国で闘おう。
八月二十五日、続開臨大の前夜、東京・なかのZERO大ホールで「国鉄闘争勝利! 闘争団・家族を激励する八・二五全国集会」が開催された。主催は、七・一臨大の前夜にも同会場で集会を行った「国鉄闘争勝利! 全国実行委員会」。六・三〇を上回る千三百人の大結集となった。
この集会中にも、闘争団が国労本部との交渉を継続していた。これと一体となって闘うという緊迫感と熱気に満ちた集会だった。
実行委員会の代表は、「執行部総辞職と同時に、四党合意は廃案にしなければならない。四党合意のみの一票投票を行わないことを、今晩から本部に対する要請行動を展開して確認させなければならない。本部は、まやかしでわれわれを翻弄(ほんろう)してきた。そうさせないためにも明日の態勢を強化しなければならない」と訴えた。
問題提起を佐藤昭夫早稲田大学名誉教授が行い、「改革法は差別の脅しだったが、四党合意はエサを与えると装っている。しかしつり上げた魚にエサを与える者はいない。四党合意そのものがはなはだしい不当労働行為だ」と断じた。また、大阪、東京、千葉で「四党合意」を不当労働行為として労働委員会に救済申し立てが行われたことを紹介し、「四党合意を一票投票にかけること自体おかしい」と訴えた。そして「今の国労本部のやり方では、これ以上には到達できない。違った闘いをやれば、別の到達点がある。本当の団結をつくってほしい」と激励した。
会場からの報告では、仙台闘争団が「四党合意を拒否する、本部執行部は二度と役員にならない、総辞職するという方針を提起したい」ときっぱりと述べた。また「解雇された日に妻は泣きじゃくったが、次の日、解雇撤回の闘いの門出としたいと赤飯を炊いた」というエピソードを紹介し十三年の思いを語った。
支援共闘の労組の代表は、「国鉄闘争に勝利して日本労働運動を立て直したい」と訴えた。
満場の拍手の中を、闘争団・家族が登壇した。
稚内闘争団は、「四党合意は絶対に認めない立場で明日の大会に臨みたい。同じ組合員同士を争わせる四党合意を絶対に撤回すべきだ。徹夜覚悟で、本部が臨大中止と言うまで頑張る」と決意を表明した。
熊本闘争団は、「四党合意は絶対に認められない。撤回し、本来の闘う路線に沿って闘う方針を提起してほしい。JRに不当労働行為の責任あり、闘って良かったという結果をかちとるために頑張る」と訴えた。
美幌闘争団家族の三浦成代さんは、九四年に闘争団員の夫を亡くしているが、「JRに責任なしでいったい誰に何を要求すればいいのか。遺族として頑張りたい」と述べ、ひときわ大きな拍手を浴びた。
最後に実行委事務局が、「本部執行部の明白な総辞職を求める。四党合意拒否をきっぱりと表明させる。四党合意の信を問うのであれば、新しい執行部に任せる」ことを、直ちに本部に行って訴えようと行動方針を提起した。集会場から数百人の国労組合員、支援が国労本部に駆けつけた。