ZENSHIN 2000/12/11(No1985 p8)

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週刊『前進』(1985号2面)

カクマル、坂入拉致自白 「3日以降、南雲と討論」解放

 カクマルは、十一月二十三日付で「欺瞞的な自己批判をしたJR九州労北執行部を打倒せよ」という「政治組織局」の声明を出し、反革命通信『解放』一六四七号(十二月四日付)に掲載した。
 ここでカクマルは、次のようにJR総連OBの「南雲」=坂入充を拉致・監禁し、九州労の脱退問題について吐かせたことを明々白々に自認した。
 「十一月三日以降の、脱退劇の陰の立案・指揮者である南雲との討論をつうじて明るみに出された悲喜劇的な事態を記した手紙を、十一月十日付でJR総連委員長の小田裕司に送付した……」と。
 われわれが暴露したとおり、黒田の指示で、カクマル西条武夫(=木下宏)や浅野孝らが拉致・監禁を実行したことは明らかである。十一月三日はまさに坂入が拉致された日だ。十一月十日付の「手紙」というのも、十一日に坂入の自宅に坂入直筆の手紙が届いたこと、また、同じ十一日にJR九州労の書記・小西光子(解雇通告を受けている)がJR九州労事務所に来て、「坂入さん本人が『大量脱退劇は、坂入さん、田岡さん、船戸さん、北さんで意思し、決めたことであった』と言っている」ということから、十日までにカクマルが坂入からこのことを聞き出したことも明らかである。〔ここで名前が挙がっているのは坂入のほかに田岡耕司(動労新鶴見機関区出身)、船戸秀世(JR総連前特別執行委員、JR東海労前副委員長)である〕
 『解放』前号ではカクマルが拉致したというのは「推測」だ、告発を取り下げろ、と言っていたが、この声明ではそのことには触れていない。完全に自らがやったと居直って自認しているのだ。それにしても坂入はその後どうしたのだ。
 ところで、JR九州労は十一月二十二日に「全員総会」を開き、七百三十七人の脱退を承認したという。今回のカクマルの声明は、この総会で委員長・北が大量脱退について「自己批判」し、JR総連の支援を受けて組織の立て直しをはかるという方針を提起したことを「欺瞞的な方針」だと弾劾している。確かにそれは「欺瞞的」に違いない。北ら九州労のカクマル組織が、坂入やJR総連の委員長・小田、書記長・山下らと意志一致して九州労の大量脱退を仕組んだ張本人であるのだから。
 だが、いくらカクマルが弾劾してみたところで、もはや九州労を始めとするJR総連のカクマル組織がほぼ丸ごとカクマル中央から離反・分裂していることをますます鮮明にするばかりである。
 今こそ、分裂と非和解的対立を激化させるカクマルとJR総連を打倒せよ。

 

 

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