1995年7月17日付『前進』1728号から7月31日付1730号に連載された
「本格化する改憲攻撃 読売『改憲試案』批判する」(今泉康平)
国家主義の前面化 前文の平和主義を抹殺 戦争国家づくりが狙い
「戦後五十年国会決議」をもって、再びアジア侵略と侵略戦争にのりだすことを宣言した日本帝国主義は、戦争国家体制づくりの攻撃を強めている。その決定的環として改憲攻撃がいよいよ激しさを増そうとしている。昨年十一月三日に出された「読売改憲試案」は、じつに重大な労働者階級人民への挑戦である。この「改憲試案」を弾劾し改憲阻止の闘いを推進していこう。
改憲運動開始宣言した読売
アメリカ帝国主義の朝鮮侵略戦争への策動が強まる中で、日本帝国主義は朝鮮侵略戦争への参戦態勢づくりと、戦争国家体制づくりの動きを急速に強めている。革共同は、この日帝の攻撃との闘いに全力をあげることこそ、日本労働者階級人民の階級的責務であり、全人民の課題であることを声を大にして訴え、六・二五闘争を闘ってきた。
こうした情勢の中で、まずはっきりさせなければならないことは、読売新聞社が昨年十一月に「改憲試案」を発表したことは、読売新聞社が改憲運動を本格的に開始することを宣言し、改憲運動の渦の中に労働者人民をまき込もうとする、とてつもない反革命攻撃だということである。
この改憲の動きがいよいよ激しくなろうとしている今こそ、その意図と狙いをはっきりと暴露、批判し、労働者階級人民の巨大な「日帝の朝鮮・アジアへの侵略戦争反対・改憲阻止!」「戦争国家づくりの攻撃粉砕・改憲阻止!」の闘いを、真に階級的な闘いとして推進していこう。
その闘いを同時に、JR総連カクマル松崎の「9条連」運動のファシスト的策動を粉砕していく闘いとして発展させていこう。
読売「改憲試案」全体に貫かれている基調は、第二次世界大戦における敗戦帝国主義として強制されてきた制約、戦後階級闘争において労働者階級人民の闘う力が日帝支配階級をしばりつけてきた制約をとっ払い、帝国主義戦争、帝国主義的侵略戦争のできる国家へと改編しようとする露骨な意図である。それは、九条の破棄を中心として、現行憲法の全面的反動的な改定案を提示するものである。
天皇制ボナパ体制確立策す
戦後体制―戦後の「平和と民主主義」、総じて戦後民主主義体制と言われてきたものを全面的に否定し、改変して、帝国主義戦争、帝国主義的侵略戦争の遂行を可能とする日帝国家体制を、天皇制国家主義的政治支配体制(天皇制ボナパルティズム体制)としてつくろうとするものである。「闘うアジア人民と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱へ」の総路線を基軸とする闘いで、戦後日本階級闘争を主導してきた革共同こそ、改憲攻撃=改憲運動の強まりに対し、階級的危機感を燃やして改憲阻止闘争の爆発を実現していかなければならない。こうした立場に立って、読売「改憲試案」を批判していこう。
戦後民主主義体制の大改変
読売「改憲試案」の反動性の第一は、現行憲法「前文」の「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意」するという平和主義の宣言は、戦勝国による敗戦国への「お説教」めいていて、前文としては「後ろ向き」だとし、これを全面的に抹殺しようとしていることである。
むろん、ここには米帝が世界支配を貫くための日帝弱体化政策が貫かれていることも事実ではあるが、日本労働者階級人民の「二度と侵略戦争はしない」「戦争は起こさせない」という階級的決意に裏打ちされたものとして、現行憲法の平和主義と言われるものが成立したのである。
さらに許せないことに、「改憲試案」の前文には「日本国民は、民族の長い歴史と伝統を受け継ぎ、美しい国土や文化的遺産を守り、文化及び学術の向上を図る」と書きこんでいる。
また、この前文では、「国家の意思」「日本国」「民族」を強烈に押し出している。
そして他方で、現行憲法の国民主権、非武装、平和主義などの要素は完全にカットされ、基本的人権も空語化されている。逆に「日本国民は基本的人権が尊重され、自由で活力ある社会の発展をめざすことにつとめる」などとされて、「自由で活力ある社会の発展」と人権とが相殺しあうもののようにされている。後者のために前者は制限されると言いたいわけだ。
要するに日本は帝国主義国であることを自覚せよ、帝国主義国として強烈な民族主義と世界政策を持てと強調しているのだ。
つまり、明治憲法のもとでの「日本国」「国家」「民族」の強調が、台湾、朝鮮の植民地支配と数千万人のアジア人民を虐殺した侵略戦争へと行き着いた歴史を再び繰りかえそうというのである。そして再び、帝国主義的民族排外主義、国家主義のもとに労働者階級人民を動員していったあの天皇制ボナパルティズム体制への移行を狙うものとしてあるのだ。
読売「改憲試案」は、日帝を再び帝国主義としてアジア侵略=侵略戦争のできる国家にしていくことを狙った改憲策動なのである。
憲法第9条の廃棄 軍隊保持と交戦権承認 「協力」の名で海外派兵
「戦争放棄」を「戦争否認」ヘ
読売「改憲試案」の反動性の第二は、現行憲法の第九条を全面的に廃棄し、自衛隊の帝国主義軍隊としての確立をうちだしていることである。ここに「改憲試案」の最大の反革命的核心がある。
憲法「前文」とこの第九条が一対となって憲法の平和主義と言われるものが表現されてきた。戦後の階級闘争の中でも、戦争と平和の問題の中心テーマともなってきた要素だといえるのである。
現行憲法第九条では、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」となっているが、「改憲試案」では、「永久にこれを認めない」と改めようと主張している。(別掲資料参照)
「戦争を放棄する」を「戦争を認めない」と置き換えることは、けっして字句のちょっとした変更などというものではない。「戦争を放棄する」という条項は、敗戦帝国主義としての日本帝国主義が、戦勝帝国主義に対して自国が戦争的に挑戦することを放棄する、あるいは、「二度と侵略戦争はしない」という労働者階級人民の決意を受け入れる表現としての意味がこめられているのである。
しかし、「戦争を認めない」というのは、自国ではなく他国の「戦争や武力行使」を認めないというものなのだ。したがって、他国が「戦争や武力の行使」をするなら、これを止めさせるためには、制裁や懲罰を加える権利を持つと主張するものなのである。
さらに、「改憲試案」では、現行憲法第九条第二項の「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」という条項を全面的に削除している。
この条項にこそ、敗戦帝国主義としての戦後的制約が集中的に表現されてきたのである。それを全面的に否定し、「交戦権」を承認し、「改憲試案」第十一条で、「自衛のための組織を持つことができる」とし、陸海空軍戦力の保持をうたっているのだ。
これこそ、何ひとつ制約のない帝国主義軍隊そのものである。「改憲試案」は帝国主義戦争、侵略戦争のできる帝国主義軍隊の保持を主張しているのだ。
自衛戦争権の主張をテコに
そもそもどの帝国主義国の憲法でも、国際条約でも、ブルジョア法規範では表現の違いはあれ、「戦争の放棄」という条項がうたわれている。しかしそこでは、戦争を侵略戦争と自衛戦争に区別し、自衛戦争の権利を主張するものとなっているのである。
一九二八年に締結されたパリ不戦条約では、「国際紛争解決のための戦争」「国家の政策の手段としての戦争」の放棄がうたわれている。国連憲章でも同じ趣旨の条文が採用されている。ここから帝国主義の軍事行動はすべて自衛のためのものとされ、「戦争」という言葉を避けて、自衛のための「武力行使」という名のもとに、侵略戦争が遂行されてきた歴史がある。だからこそ帝国主義軍隊は、みな「国防軍」と称しているのである。
「改憲試案」が「交戦権」を承認することは、この自衛戦争の権利を主張することなのである。奥野誠亮や中曽根康弘が、「不戦決議」反対の中で、日帝の侵略戦争や第二次世界大戦は「自衛戦争であり、正義の戦争だ」と主張したことと軌を一にするものである。
海外派兵への制約取り払う
さらに、この「自衛のための組織」=軍隊がアジア侵略のための帝国主義軍隊であることを隠すために、海外派兵の規定を第四章の「国際協力」という別の条項の中にすべりこませている。
「改憲試案」第十三条では、「日本国は、確立された国際的機構の活動に、積極的に協力する。必要な場合には、公務員を派遺し、平和の維持及び促進並びに人道的支援の活動に、自衛のための組織の一部を提供することができる」という条文を書き加えている。
「平和の維持及び促進」のための海外派兵とは、あきらかに国連平和維持軍(PKF)への参加や、国連の行う軍事活動への全面的参加を意識したものとして提唱されている。
それにとどまらず、これは完全な海外派兵の自由な展開ということを憲法で保障しようというものである。しかも、「確立した国際的機構」という言い方で、国連にとどまらず、多国籍軍への参加、さらには日帝にとって必要とあれば新たな「大東亜共栄圏」のための軍事活動まで「国際的機構」の中に含めようとするものなのである。
まさしく「改憲試案」のめざす憲法は、日帝が侵略戦争、帝国主義戦争をなんの制約もなく遂行できる、完全な帝国主義軍隊の創設をうたうものだ。
狙いは戦争国家化 大統領的首相制を策動 改憲の手続きを容易に
天皇の元首化を打ち出す
読売「改憲試案」の反動性の第三は、現行憲法の前文や第九条の平和主義と並んで、第二次世界大戦での敗北、明治憲法の否定として表現された「国民主権」「基本的人権」を完全にないがしろにしていることである。そして戦後民主主義体制を否定し、天皇の元首化をとおした天皇制的国家主義的政治支配体制(天皇制的ボナパルティズム体制)への移行に道を開こうとしていることである。
まず、「改憲試案」は、現行憲法の第一条の「天皇は、日本国の象徴であり日本国民の統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」としているところから「主権の存する」の文言を削除している。
さらに「改憲試案」第九条で、天皇の国事行為は「国を代表して」行うという規定を入れ、天皇の元首化を積極的に主張するものとなっている。
そもそも現行憲法の第一条は、天皇制の存続を狙う日帝支配階級と労働者階級人民の天皇制廃絶の要求、日帝弱体化を図る米帝の意思の激突の中で、一種の階級的妥協の産物、戦後革命の敗北の産物として生み出されたものだ。
だが「改憲試案」は、「主権の存する」という規定をはずすことによって、国民主権と天皇の地位の関連を憲法上、切断してしまった。国民主権の概念を超越するものとして、天皇の地位が規定されようとしているのだ。これが天皇の元首化を図り、天皇制的国家主義的政治支配体制、すなわち天皇制的ボナパルティズム体制の構築をなしとげようとするものであることは明白である。
つぎに、「改憲試案」はこの国家体制の反動的強権的転換・移行を狙うものとして、いわゆる「三権分立」の建前をかなぐり捨てることを主張している。
ひとつは、行政権力による独裁的支配を制度的に保証するものとして、大統領的首相制を唱えている。
「改憲試案」第七十四条で、「内閣総理大臣は、内閣を代表し、国務大臣を統率する」という規定、第八十一条で「内閣総理大臣は、行政各部を統括する」という規定を新たに設けて、首相による行政権力の一元的強化を図ろうというものだ。これは、現行憲法において国会に対し内閣が「連帯した責任」を負うために「内閣の合議制、一体性」の確保を義務づけているものを、覆そうという意図を持つものである。
この「改憲試案」の狙いの背後には、現行憲法では、国家の緊急事態や非常事態に「対処」する明確な規定がないことを非難し、大統領的首相制のもとであれば、非常事態への戒厳令的対応を可能にできるという思惑がある。
「憲法裁判所」導入の重大性
ふたつには、現行憲法第四十一条の「国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である」という条文を削り落としてしまい、「改憲試案」第四十八条で「立法権は、国会に属する」と改変しようとしている。このことは、「三権分立」のブルジョア的建前の中でも、立法権の優位という形で「国民主権」を表現していたものを解体しようとするものである。
また、「改憲試案」第六十八条、第六十九条で「条約の承認に関する参議院の優越」「人事案件の参議院の優越」という新たな規定、さらには新設される憲法裁判所の長官と裁判官を指名する権限を参議院に与えるという規定を設けて、参議院への実質的権限の付与とか、参議院の空洞化の改革などと言っている。
だが、ここでの本当の意図は、立法権の優越という現行憲法の規定を否定し、国会の持つ権力をバラバラに解体し、行政権力の独裁的強化、大統領的首相への権力の一元化を志向するところにあるのである。ここでも、国家体制を天皇制的国家主義的強権支配体制へ移行することを目指していることが明らかである。
三つには、「改憲試案」第八章司法、第八十五条で「すべての司法権は、憲法裁判所、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する」と最高裁判所の上に立つものとして憲法裁判所を新設することをうたっていることである。そして、第八十六条で「憲法裁判所は、一切の条約、法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する唯一の裁判所である」と規定している。
これは独裁的な行政権力を握り、この憲法裁判所を制圧したものは、憲法の規定をまったく無視して、憲法に反した「条約、法律、命令、規則、処分」などの施策を可能とするものにほかならない。つまり、行政権力の権力行使はやりたい放題となり、これに対する国会の対抗機能は完全に奪われてしまうのだ。
さらに、憲法判断の権限を憲法裁判所が唯一的にもつことから、最高裁判所以下の各級裁判所には一切憲法判断を許さない仕組みにしようというのである。
「改憲試案」が主張する明日の日本の姿とは、立法権をバラバラに解体し、司法権を組み敷いた独裁的な行政権力による支配体制―天皇制的ボナパルティズム体制のもとでの大統領的首相制にほかならない。
軍事大国化へ単年度主義を解体
さらに読売「改憲試案」のもつ反動性のいくつかの点をみておこう。
まず、第九章「財政」(現行憲法第七章)においては、第九十九条に「特別に継続支出の必要があるときは、年限を定め、継続費として国会の議決を得なければならない」という規定を新たに設けた。これは、現行憲法第八十六条の「内閣は、毎会計年度の予算を作成し、国会に提出して、その審犠を受け議決を経なければならない」という、財政の単年度主義を全面的に否定し、軍事予算の複数年度にまたがる編成を可能にするものだ。
また、財政法で規定された「財政赤字歯止め条項」を憲法の規定とすることを意識的に排除していることも重大な問題である。これらは、日帝の軍事大国化への財政的制約となってきた規定なのである。
第二次世界大戦にいたる過程で、日帝による帝国主義戦争、アジア侵略戦争の遂行のための軍事力拡大の長期計画の実行は、赤字国債の大量発行と複数年度にわたる財政編成によっていた。戦勝帝国主義である米帝が、「日本軍国主義」解体の財政的裏付けとして、財政の単年度主義と赤字国債の発行の制限(日銀による赤字国債の引受けの禁止)を日帝に強制した結果、この規定が存在してきた。
つぎに、第十章「地方自治」(現行憲法第八章)においても反動的主張が繰り広げられている。現行憲法で、明治憲法のもとでは地方自治などまったくなかった日本に、ヨーロッパやアメリカで発達してきた住民自治や自治体の組織やその運営を強制したことは、実態にそぐわないと攻撃し、自治権の剥奪(はくだつ)や、縮小を提唱している。
最後に、第十一章「改正」(現行第九章)で改憲をやりやすくするための条項を導入しようとしていることだ。ここに、「読売改憲試案」の最大の反革命的狙いがある。
「改憲試案」第百八条で「各議院の在籍議員の三分の二以上の出席により、出席議員の過半数の賛成で議決し、国会がこれを発議」できるとしている。つまり、各議院の三分の一以上の賛成があれば改憲の発議ができるのだ。
さらに、発議がありなおかつ「各議院の在籍議員の三分の二以上の出席で、出席議員の三分の二以上の賛成で可決する」とし、各議院の九分の四の議員の賛成があれば、国民投票も実施せずに改憲できるというのである。まさしく、どんどん改憲できる憲法にせよというのが「改憲試案」の結論だ。
読売「改憲試案」を粉砕し、「朝鮮侵略戦争阻止・改憲阻止」闘争の大爆発をかちとろう。
《資料》
●読売試案
第四条(天皇の地位)
天皇は、日本国及び日本国民統合の象徴であって、その地位は、国民の総意に基づく。
第十条(戦争の否認、大量殺傷兵器の禁止)
(1)日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを認めない。
(2)日本国民は、非人道的な無差別大量殺傷兵器が世界から廃絶されることを希求し、自らはこのような兵器を製造及び保有せず、また使用しない。
第十一条(自衛のための組織、文民統制、参加強制の否定)
(1)日本国は、自らの平和と独立を守り、その安全を保つため、自衛のための組織を持つことができる。
(2)自衛のための組織の最高指揮権は、内閣総理大臣に属する。
(3)国民は、自衛のための組織に、参加を強制されない。
第七十四条(内閣の組織、国会に対する連帯責任)
(1)内閣は、法律の定めるところにより、内閣総理大臣及びその他の国務大臣でこれを組織する。
(2)内閣総理大臣は、内閣を代表し、国務大臣を統率する。
第八十一条(内閣総理大臣の統括権)
内閣総理大臣は、行政各部を統括する。
第八十五条(司法権、憲法裁判所及び裁判所、特例の裁判所の禁止)
(1)すべて司法権は、憲法裁判所、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。
第八十六条(憲法裁判所の違憲立法審査権)
憲法裁判所は一切の条約、法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する唯一の裁判所である。
第百八条(改正の手続き及びその公布)
(1)この憲法の改正は、改正案につき、各議院の在籍議員の三分の二以上の出席により、出席議員の過半数の賛成で議決し、国会がこれを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。
(2)前項の規定にかかわらず、この憲法の改正は、改正案につき、各議院の在籍議員の三分の二以上の出席で、出席議員の三分の二以上の賛成で可決することにより成立する。
●現行憲法
第九条(戦争放棄、戦力及び交戦権の否認)
(1)日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
(2)前項の目的を達成するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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