ZENSHIN 2007/04/09(No2290 p06)
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週刊『前進』(2290号1面1)(2007/04/09 )
安倍・御手洗路線ぶっ飛ばせ
4月地方選必勝へ
改憲投票法案 4・12〜13強行採決阻止を
自治体・教労を最先頭に 職場から国会闘争に立とう
大阪でアリバイ公聴会を弾劾 3月28日、改憲投票法案の公聴会会場ホテルニューオータニ大阪前で抗議・申し入れする労働者=記事3面
3・18イラク反戦4周年の全世界一斉デモを頂点とする3月大行動は、画期的な高揚を実現した。「労働運動の力で革命をやろう」「団結の究極の拡大が革命だ」「革命やって戦争とめよう」――3・18は青年労働者と学生が牽引(けんいん)した革命的な闘いとなった。日本の労働運動、階級闘争の新しい時代の幕が開けた。革命の勝利以外に失うものの何もない若い世代が、歴史の主人公として圧倒的に登場したのである。この地平をすべての労働者人民が共有して、大胆に発展させなければならない。3・18―3月大行動の歴史的成功を突破口に、4〜5月の統一地方選勝利・石原打倒と改憲投票法案粉砕・安倍打倒へ進もう。3・18決起への権力・資本・既成指導部の大反動と対決し、職場攻防に勝ち抜こう。
3・18の地平を発展させよう
階級的労働運動路線の実践的な大衆的スローガン、それが「労働運動の力で革命をやろう」だ。ここには今の帝国主義と資本の攻撃の中で、青年労働者のなんとしても革命をやりたい、革命なしには生きていけないという欲求と意志が、凝縮して表現されている。自己変革と対象変革という革命の内容が統一的に体現されている。
しかも「労働運動の力で革命をやろう」のスローガンは、マルクス主義の実践そのものである。マルクスがその賃金闘争論であり労働組合論である『賃金・価格および利潤』や「労働組合、その過去・現在・未来」(国際労働者協会の決議)で提起している、労働組合は資本との「ゲリラ戦」に専念するだけでなく、「労働者階級の究極的解放」「賃金制度の究極的廃止」のために闘わなければならないという革命的綱領の実践である。
またマルクスに学んだレーニンの「労働組合は共産主義の学校である」というテーゼと、ソビエトと並んで労働組合を革命後のプロレタリア独裁権力を支える重要な基礎と位置づけるレーニン主義の労働組合論・革命論・組織論を実践する闘いでもある。実際にもすべては労働者のストと街頭デモから始まった1917年ロシア革命の経験の復権だ。
今日、帝国主義の戦後体制は、基軸国・米帝の没落を頂点にして完全に体制として破産、崩壊し、世界戦争か革命かが問われる時代が到来している。革命的情勢が全世界で急速に成熟している。革命を訴えないでは勝負にならない情勢が眼前にある。
イラク侵略戦争の現実は、米帝を始めとした帝国主義を打倒し、世界革命をやる以外に労働者階級も被抑圧民族人民も生きていけないということを突きつけている。また日帝・安倍は「戦後レジームからの脱却」を叫び、反革命クーデターを狙っている。戦争・改憲・民営化(労組破壊)の攻撃に全力をあげている。非正規雇用の労働者(31歳、フリーター)が、マスコミで「希望は、戦争」「戦争はむしろチャンス」と叫ぶまでになっている(『論座』1月号)。革命を訴え、革命にこそ希望があることを提起しないでは、勝負にならない。「ワーキングプア」の現実にあえぐ青年労働者を獲得することはできない。
こうした中で今、「労働運動の力で革命をやろう」という集会とデモが、青年労働者と学生の主導で開始されたのだ。これは改憲攻撃と朝鮮侵略戦争が切迫する情勢に対決し、既成の体制内労働運動を打ち破って労働運動を再生し、4大産別を先頭に階級的労働運動を創造する歴史的闘いの始まりだ。2000万人の「ロストゼネレーション」の反乱を組織する壮大な闘いの開始である。
革共同の3全総−3回大会路線のもとで、67年10・8羽田を突破口に、学生と反戦派労働者が70年決戦に嵐のように決起していった闘いが、新たな内容と形態をもって始まったのだ。
しかもこの開始された闘いの土台にあるのが動労千葉労働運動だ。
動労千葉労働運動が土台に
動労千葉は総評・民同労働運動の歴史的破産をのりこえ、関西生コン支部、港合同、全金本山とともに、階級的労働運動を生きた手本として実践している。解雇撤回と反合・運転保安の旗を掲げ、3月春闘ストを闘い、基地廃止の組織破壊攻撃を職場闘争ではね返して団結を守った。この動労千葉と連帯し、それに学んで3・18は闘われた。ここには無限の未来がある。
だからこそ3・18の青年労働者の決起に恐怖する権力・資本と既成指導部は、許しがたいことに全国で配転、任務解除、雇い止め、統制処分の攻撃を、直ちにかけてきている。だがこれは3・18の青年労働者の決起が、いかに巨大だったかを示すものだ。この弾圧と攻撃を逆に圧倒的なチャンスとして、階級的団結を固め、反撃の職場攻防に決起しよう。3月大行動の画期的な地平を断じて後退させないで継続・発展させよう。
全国のあらゆる職場で、仲間を増やし、団結を拡大し、職場支配権と組合権力に挑戦しよう。組合がなければ組合をつくる。非正規雇用の労働者がどんどん組合結成に立ち上がっている。一人から決起は始まる。3・18の地平から階級的労働運動の壮大な創造へと前進していこう。
安倍・石原・山田との大決戦
3・18の偉大な高揚を受けて、杉並、相模原を先頭に、4月統一地方選挙闘争の勝利へ全力で決起することを訴えたい。4月選挙は階級的労働運動路線のもとで、日帝・安倍=御手洗の戦争・改憲・民営化(労組破壊)攻撃と対決する革命的議会主義の闘いだ。労働者を殺す安倍=御手洗路線をぶっ飛ばす闘いだ。
とりわけ杉並区議選は、安倍=御手洗の最先兵となって民営化と労組破壊の政策を強行する都知事・ファシスト石原と杉並区長・山田宏の打倒へ闘う一大決戦だ。
この間、根っからの戦争・改憲論者で差別主義・排外主義の権化であるファシスト石原がやってきたことは何か。「日の丸・君が代」の強制と不起立者への重処分であり、高齢者医療を始めとする福祉の無慈悲な切り捨てであり、都の諸事業の徹底的な民営化である。そして東京外郭環状道路など三つの環状道路の建設やオリンピック招致をテコとする巨大開発で、総額8兆5千億円もの巨費を、大企業や銀行の食い物にさせることである。その一方で労働者は、リストラ・首切りと非正規雇用、低賃金の攻撃にさらされてきた。
この石原の最先兵となって、「つくる会」教科書の採択強行に続き、杉並区の全869事業を「丸ごと民営化」しようとしているのが、杉並区長・山田だ。これは第一に、そこで働く6千人の区職労働者への大量首切り攻撃であり、第二に、保育園、児童館、図書館、高齢者施設、「障害者」施設、介護支援センター、保健所など、住民の生活になくてはならない公的施設の切り捨てと有料化である。労働者のリストラと住民の福祉・生活の破壊。これが山田の全事業民営化だ。
ところがこの全国の最先端をゆくとんでもない民営化攻撃に反対して闘う議員が、区議会にはまったくいない。民営化賛成のオール与党だ。労働者が団結して職場で民営化と闘うこと、そして民営化絶対反対を訴えて闘う「都政を革新する会」の北島邦彦氏を当選させること、それが民営化粉砕の力だ。
すでに杉並では全事業民営化反対の署名運動が始まっている。民営化の実態を知ればすべての労働者と住民が反対になる。北島氏を押し立てた区議選必勝で、民営化粉砕、石原・山田打倒を切り開け。この杉並と相模原を先頭に統一地方選の必勝をかちとろう。
革命か反革命クーデターか
4〜5月のもう一つの大決戦は、改憲投票法案粉砕の闘いだ。すでに与党は、5月3日までの成立の野望は阻止されたものの、改憲投票法案は「安倍印だから必ず通す」と公言して、最優先で4月12日に衆院特別委員会、13日に衆院本会議で強行採決することをも狙っている。重大な決戦の到来である。
改憲投票法案は改憲へと一直線でレールを敷く攻撃だ。自治体労働者・教育労働者の反対運動や、労働組合などの組織的反対活動を禁止・弾圧し、さらにはメディアを改憲賛成論で圧倒的に制圧して、改憲案を「投票総数の過半数」で通すための法案だ。
日帝・安倍は「戦後レジームからの脱却」を叫び、改憲を最大の政治課題に掲げている。これは日帝の側からの反革命クーデターであり、国家の統治形態を戦後民主主義から戦争国家へと転換する攻撃だ。そして日帝・安倍は米帝・米軍と一体化して朝鮮侵略戦争に突入することを狙っている。
他方では現行憲法は、戦後革命の敗北の副産物としてあり、特に憲法9条には二度と侵略戦争・帝国主義戦争はやらないという、労働者階級の強い意志と願いが凝縮されている。
改憲が問題となっていることは、敵の側からも労働者階級の側からも、革命が問題となっているということだ。4大産別とりわけ自治労・日教組の労働者を先頭に、改憲勢力化した連合など既成指導部の裏切りを打ち破って決起するなら、改憲阻止の巨大な展望が開かれる。一切はそこにかかっている。
国会前ではすでに60年・70年闘争世代の人びとのハンスト・座り込みが連日、闘われている。「憲法と人権の日弁連をめざす会」の4・11行動が呼びかけられている。改憲投票法案絶対阻止へ、自治労・日教組の現場組合員を始めとした労働者階級の職場・生産点からの総決起をつくり出そう。
労農連帯・国際連帯の闘いであり、改憲阻止―朝鮮侵略戦争粉砕の闘いでもある三里塚闘争の発展を、同時にかちとっていこう。
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週刊『前進』(2290号1面2)(2007/04/09 )
“杉並丸ごと民営化に反対”
荻窪駅頭 北島邦彦さんが訴え
杉並・相模原を先頭に全国で統一地方選が闘われている。ここでは都政を革新する会の北島邦彦事務局長の4月3日荻窪駅前での演説(写真)を紹介します。4月22日投票の統一地方選勝利へ総決起しよう。(編集局)
☆
私は、山田区長の区政丸ごと民営化計画に絶対反対です。許すことができません。白紙撤回に追い込みましょう。
民営化は労働者・住民にとって何ひとついいことはありません。区の仕事に就いている6千人の労働者は職場を奪われ、首を切られる。賃金や労働条件は切り下げられ、労働は強化され、団結がずたずたにされます。
山田区長は杉並区の民営化を全面的に行おうとしています。区の仕事869をすべて民営化の対象にし、場合によってはすべて民間企業でやるという計画です。行政は、税金を徴収しても、仕事は民間企業に任せて、自らは責任を持たない、ということです。
民営化によって、利益が上がらない事業は切り捨てられる。給食設備のメンテナンス、プールや体育館の安全設備などの予算がカットされ、事故が起きる可能性が高まる。民営化によって手数料のアップや新設が行われる。生活破壊になる。
民営化で区の仕事を引き受けた民間企業で働く労働者はどうなるのか。
自治体が行っている福祉や清掃は、利益が上がらないが、社会、労働者・住民にとって必要です。住民の税金を投入して自治体の責任としてやってきた。学校教育のように利益を上げることがふさわしくない仕事もやっている。
しかし、民営化でこうした仕事を引き受けた民間企業は利益を上げなければならない。民間企業は労働者の賃金をぎりぎりまで引き下げる。人減らしによって労働を強化する。資本はこうして利益を増大させる。
また、民営化で1年ごとに入札などによって請けおう会社が変わる。資本は労働者を正社員としては雇わず、1年契約などの契約社員やパート・アルバイトを雇って仕事をさせる。民営化で労働者の不安定雇用が広がる。
官民を問わず労働者の権利を守る立場からすると、けっして民営化を認めることができません。民営化と労働者は相いれることができません。
労働者の権利と生活を守ることは、高齢者や「障害者」、住民の生活と権利を守ることに直結します。労働者の権利が奪われて高齢者や「障害者」の権利が守られるはすがありません。
私は、労働者とともに山田区長の「杉並丸ごと民営化計画」を白紙撤回させるまで闘います。
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週刊『前進』(2290号1面3)(2007/04/09 )
東京・卒業式闘争 不起立 昨年超える
停職6ヵ月不当処分弾劾
250人が怒りの反撃
東京都教育委員会は3月30日、卒業式における「君が代」斉唱時の不起立・ピアノ伴奏拒否を理由に、35人の教育労働者に処分を発令した。
内訳は、停職6カ月1人/停職3カ月1人/停職1カ月1人/減給(10分の1)3カ月1人(伴奏拒否3回)/減給1カ月11人(不起立2回)/戒告20人(1回めの不起立・伴奏拒否)。また定年退職直前で不起立した2人の再雇用合格が取り消された。
とりわけ重大なのが、町田市立中学校で働く根津公子さんに対する、「日の丸・君が代」や軍隊慰安婦問題の授業に関わる過去の処分歴を口実にした、停職6カ月という重処分である。都教委は「停職6カ月の次はない」と公言している。「もう1回不起立を行えば免職」ということだ。こんな暴挙は絶対に許してはならない。
しかも1年前にも異動させられた根津さんに今年も異動を命令。市立中学ではなく、都教委が直轄する都立養護学校に異動させた。根津さんを免職にするための職務命令を、校長に必ず出させることが狙いなのだ。
しかしこのような重処分を突き破って、20人の初の不起立者を含めて、昨年の卒業式を上回る不起立者が断固登場した。処分を発令する都教職員研修センターの前には250人の労働者・市民が集まり、被処分者の明るい笑顔がはじけた。
今年の卒業式は、03年「10・23都教委通達」以降4年め、教基法が改悪されて初の卒業式だ。そして予防訴訟が昨年9月21日に「国歌斉唱の義務なし。職務命令は違法」の判決をかちとって初の卒業式。教育労働者は改悪教基法に対し「ノー」の意志を、職場からの抵抗闘争でたたきつけたのだ。
この4年間で処分を受けた教育労働者は、実に累計381人にのぼる。処分の脅しにけっして屈しない教育労働者の登場は、石原も安倍も完全に圧倒している。
入学式でさらに闘いを広げ、改悪教基法を具体化するための教育4法改悪阻止へ突き進もう。
(写真 不起立・伴奏拒否を貫いた教育労働者35人への処分を弾劾してシュプレヒコール【3月30日 水道橋】)
被処分者の怒りの声
◆停職6カ月を受けた根津公子さん(中学)
都教委は思想を弾圧し、思想改造に失敗した人間は免職にしようとしている。最近、中学生が「少国民」になっていることを感じてぞっとする。だから私は起立することができない。
◆停職3カ月を受けた河原井純子さん(都立養護学校) 5回目で停職3カ月。どんな処分が出ようと教員の良心、教育労働者の誇りをもち不起立を続ける。この思いが戦争への道を必ず食い止めます。改悪教基法の実態化を阻むため闘います。
◆停職1カ月を受けた女性(都立養護学校) 教基法が改悪され教育が右へ右へ旋回している。死にたくなかった人もみな命を落とした戦時中のように、本音と建て前が分離させられる社会にさせてはならない。
◆伴奏拒否で減給3カ月の女性(都立高) 9・21判決を守らせたくて、昨年11月の周年行事も今回の卒業式も出席した。
◆2回目の不起立の女性(都立高) 1回めは「立てなかった」の思いだったが、今回は「立たなかった」。40秒間の抵抗だと思い不起立した。
◆2回目の不起立の男性(都立高) 私は減給処分を受けたが、「身体を張って憲法を破る」と言う知事はどんな処分を受けるのか。
◆初めて不起立した男性(中学) 公務員には憲法を尊重する義務がある。私たちと都教委のどちらが憲法を尊重しているかはっきりさせたい。
◆初の不起立の男性(都立高) 国旗・国歌法制定時、官房長官は「強制はしない」と言ったのに、国会を軽視する教育行政は許せない。
◆初の不起立の男性(都立高) 税金で豪遊する知事が都民を「日の丸・君が代」で自分の考えに従わせようとしている。石原の考えを生徒に伝える道具にはならない。
◆初の不起立の男性(都立高) 今まで会場で立っていたが、「9・21判決を支持します」と表明しようと思って座った。
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週刊『前進』(2290号2面1)(2007/04/09 )
必勝へ闘う杉並と相模原
「民営化」と闘う唯一の候補
北島邦彦さんを区議会に
杉並区で働く労働者6千人の職場を奪い、住民の福祉と生活を奪う山田区政の「杉並丸ごと民営化」との対決が杉並区議選の最大の焦点だ。山田区長は戦争国家化と戦争教育、排外主義のファシスト先兵「つくる会」派でもある。戦争・改憲と民営化に絶対反対の立場で山田と対決する候補者は北島邦彦さんしかいない。北島邦彦さんの区議選必勝へ全力を挙げよう。
労働者の職場・生活奪う攻撃
杉並・山田区長が昨年11月に打ち出した杉並区の全869事務事業の民営化、「杉並行政サービス民間事業化制度」は、区の事業を2700億円の市場として資本に差し出し、自治体労働者の職場と権利、住民の生活と福祉を奪う大攻撃だ。
北島さんは、山田区長の「杉並丸ごと民営化計画」に絶対反対だ。「労働者にとっても住民にとっても良いことは何もない。競争で、効率的で安くて質の高いサービスを受けられるなんて、うそだ。白紙撤回をめざして闘う」と決意を述べる。
「民営化で自治体労働者は職場と権利を奪われる。住民も生活と権利を奪われる。民営化された職場で労働者は賃金を下げられ、労働強化、徹底的に搾取される。民営化で安全が崩壊する。それはJR尼崎事故やふじみ野市プール事故が示している」と怒りをあらわにする。
すでに膨大な労働者が不安定雇用のもとに徹底した低賃金に突き落とされている。民営化は、その現実をさらに推し進めるものになる。
杉並の民営化計画は、区役所内の事務すなわち区の予算編成、特別区民税・都民税、国民健康保険料、介護保険料の取り立てや、国民年金窓口、生活保護費の支給、教育委員会・選挙管理委員会の運営まで営利事業化するものだ。こんなことを計画している自治体はほかにない。まさにそれは、「自治体労働者200万人をワーキングプアにする」とうそぶく御手洗・日本経団連の攻撃の最先端にあるものだ。
すでに杉並区は保育園や高齢者施設、「障害者」施設、図書館などを次々と民営化している。民営化された職場で働く労働者や施設を利用する住民の怒りは激しい。
杉並区の68校中28校で学校給食が民営化された。北島さんはその実態を次のように暴露する。
「給食時間までに給食が配られず、学校運営に支障をきたしている。調理室で働くのは、正社員のチーフ1人と時給800円程度のパート労働者。仕事がきつく賃金が低いため、パート労働者は次々と辞める。人手不足、不熟練労働者ばかりで仕事がはかどらず、間に合わなくなる」「給食会社の寡占化も不可避だ。その中で給食会社がコスト削減のためにインスタント食品の使用を要求しても、区は要求をのまざるをえなくなる」
学校では給食だけでなく用務や警備も民間委託化されつつある。「子どもたちを全職員が協働で見守ることはできない。すべてが教員に押しつけられるが、教育労働者は授業だけで精いっぱい、という危機的な状況にある」と北島さんは語る。
保育園の民営化について、杉並区当局は「まったく滞りなく業務が推移している」と議会で答弁しているが、「表面化していないだけ。全国の民営化された保育園では問題が噴出している」と北島さんは実例を挙げる。
「隣の練馬区の光が丘第2保育園は公設民営となり、ピジョン社が入った。ピジョンは総人件費を下げるために20代前半の経験の浅い保育士ばかり採用した。熟練者は園長1人。若い保育士は仕事をやりきれず、事故が起きはしないかと不安になって次々に辞めていった。2年で職員の3分の1が辞めた。次々と先生が変わるため、園児が情緒不安定になり、保護者が区に苦情を申し出た。ピジョンは、区からこの数年で2回も業務改善命令を受けた」
山田翼賛する議会に風穴を
杉並の民営化は新たな利権構造を生みつつあると北島さんは指摘する。「高井戸保育園の理事長に元杉並区議会議長が納まった。日本共産党も指定管理者に自分たちの息のかかった社会福祉法人が指定されれば民営化に賛成だ。杉並公会堂PFI事業は巨大利権だ」
こうした民営化総翼賛体制を強化する役割を果たしているのが、「犯罪被害者支援条例」賛成・民営化賛成を居直って都革新から逃亡した、けしば・新城2議員の許しがたい裏切りだ。山田区政の民営化と闘える候補は北島さんだけだ。
民営化を食い止めるのは労働者自身の闘いだ。北島さんはその闘いの武器として議会に乗り込もうとしている。労働者と労組、住民が団結して闘いに立ち上がり、杉並区の「丸ごと民営化」を阻止しよう。
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週刊『前進』(2290号2面2)(2007/04/09 )
大林組に290億円も
新公会堂の改築・運営で
全面改築されて昨年6月オープンした新・杉並公会堂はPFI(民間資金の活用による公共施設の整備促進)事業だ。
新公会堂の改築・維持管理・運営事業は33年間の一括契約で290億円(消費税込み)。入札は大林組グループだけ。談合の疑いが濃厚だ。
杉並区はサービス購入料として毎年9億円近く、33年にわたり計290億円を大林組などが設立したPFI杉並公会堂株式会社に払う。公会堂は2036年に区に譲渡される。290億円で区が公会堂を買い戻すということだ。民間資金活用と言うが、区(区民)の金による事業だ。
290億円には、建設費113億円(63億円プラス30年ローンの利子50億円)、運営費126億円(年4億2千万円。現在の2倍)などが含まれる。大林組はここから利潤や株主配当に回す金を手にすることになる。
施設の稼働率が80%でなければ黒字経営にならない。旧公会堂にあった中小の集会室は無くなった。区民が気軽に利用できる施設ではない。山田区長は、労働者・区民を犠牲にして大手ゼネコンを潤わせているのだ。
(写真 PFI事業として大林組グループが改築し運営する杉並公会堂)
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週刊『前進』(2290号2面3)(2007/04/09 )
西村あやこさん4選へ
“相模原から戦争を阻む”
統一地方選前半の神奈川県議選渦中の3月31日、地元紙に「キャンプ座間/6月にも新司令部先遣隊/装甲車両300台搬入へ」の見出しが躍った。搬入されるのは「ハンビー」と呼ばれる四輪駆動の軍用車両で、イラク侵略戦争の最前線に数万台規模で配備されているイラク人民虐殺の実戦部隊用の車両そのものだ。当然にもイラク人民のレジスタンスの標的となっている。
「こんなものをキャンプ座間に、相模原に持ち込ませるわけにはいかない」。憤然と西村あやこさんは断言した。
「在日米軍再編特措法が国会に提出され、強化されようとしているわが街の軍事基地。まるで決まったかのように打ち出されている『政令指定都市』化。基地を強化し、労働者を低賃金でこき使って、教育も福祉もお金もうけの道具にしていく。偽装請負でぼろもうけしながら、それがバレると『法律の方がおかしい』などという御手洗日本経団連会長。こんな資本家こそクビにして、労働者・女性・子ども・高齢者・障がい者が生き生きと暮らせる社会をつくりましょう。憲法9条改悪を止めましょう」
相模原選挙区(旧相模原市域)は46議席に現職29人、元職2人、新人26人が争う(予定)。
この激戦区に4期当選をめざして乗り込む西村あやこさんは、「3月18日のデモに参加し、青年労働者・学生の意気を感じました。私もこの選挙戦をとおして”労働者民衆に社会を変える力がある””闘う議員と労働者市民の団結で社会を変えよう!”と訴えていきます」と奮闘している。
婦人民主クラブ全国協相模原支部の丹治孝子支部長は、「安倍政権による再びの戦時体制への回帰突入の中で反戦を第一に掲げる西村あやこを落とすわけにはいかない」と、西村あやこ必勝を訴えている。「1935年ごろ、すさまじい不況の中で銀行倒産は500行をこえ、一家心中、娘の身売り、夜逃げのニュースは子どもの耳にも届きました。政治の腐敗・汚職も今同様。社会主義は危険思想として厳しく弾圧されたが、人びとはもっと大きな危険に気づかなかったのです。『革命』ということをぶつけるぐらいでなければ自分も家族の命も、他国の人民の命も守ることはできなかったのです」
日帝・安倍政権はこの選挙戦に改憲投票法案をぶつけている。どんなに支持率が低下しようが、反動的に突っ走る以外に彼らの選択肢はないのだ。敵の激しさに勝る激しさで時代認識を語り、労働者人民の生きるか死ぬかの選択を問う時だ。 4月15日告示、22日投開票の相模原市議選で、西村あやこさんの勝利をかちとろう。
(写真 小田急相模原駅前で訴える西村あやこさん【3月21日】)
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週刊『前進』(2290号2面4)(2007/04/09 )
弾圧はね返し報告集会
関西合同労組日本管検分会 勝利を喜び団結誓う
3月24日夜、小雨の中、尼崎労働福祉会館中ホールで関西合同労組日本管検工業分会の弾圧粉砕・勝利報告集会が行われ、分会員・家族・弁護士や友好労組・地域の仲間など90人が結集した。
思えばこの2〜3月は、連日連夜の弾圧粉砕の闘いと、その後の事業継続のための死力を尽くした奮闘で勝利をもぎとった日々だった。ともに闘った仲間が晴れやかに集まってくれた。
集会は関西合同労組の蒲牟田宏書記長の開会宣言・司会で始まり、自らも家宅捜索を受け第2次逮捕が狙われた関西合同労組兵庫支部の書記が直ちに経過報告に入った。
この弾圧は、9カ所の一斉家宅捜索に見られるように兵庫県警公安3課・警備課の総力を挙げた労働運動つぶしの攻撃だった。戦後労働運動が営々としてかちとってきた倒産争議における雇用保険の仮給付が有罪とされれば、倒産に際して職場にとどまり職場を保全し、事業再開に向けて闘うことは不可能になる。資本は破産・倒産を強行すれば一気に闘う労働組合を壊滅できることになる。当該・家族・弁護士・関西合同労組・友好労組はこの攻撃を打ち破るために総力で闘った。
差別・排外主義があおられ、朝鮮総連への執拗(しつよう)な弾圧が行われ、関西生コン支部など闘う労働組合への弾圧が繰り返されている。これは侵略戦争前夜の帝国主義権力の常套(じょうとう)手段だ。だからこそ弾圧粉砕の闘いと労働法制改悪阻止、憲法改悪―改憲投票法案阻止を一体のものとして闘い勝利しようと経過報告はまとめられた。
数々の倒産争議に勝利してきた港合同から、辻岡尚執行委員が「自分のことと思い闘った」と連帯のあいさつがなされた。献身的な弁護活動を行った十数人の弁護士のうち、太田・永嶋・七堂の3人の弁護士が駆けつけ、「今後は起訴があるかも知れないが、弁護士仲間でこうした弾圧を許さない研究も進め、引き続きともに闘う」と発言した。
逮捕された5人の組合員と家族、争議後に加わった2人の組合員の11人が壇上に立ち、それぞれの思いを語った。「まったく初めてのことで、とまどい苦しんだが、これまで闘ってきた地平を売り渡してはいけない。仲間を裏切るわけにはいかない」という、争議をくぐり抜けてきた労働者性あふれる発言が続いた。仲間の逮捕中に全力で事業を維持した組合員は、職場を死守する決意を語った。会場全体が心をひとつにし、今後の闘いに進むことを確認した。
会場をテーブル形式に移し、慰労と交歓の集いを60人で行った。地元の阪神間や関西各地から駆けつけた仲間の発言が続いた。
激しい弾圧をはね返し勝利した部落解放同盟全国連寝屋川支部や、今、裁判闘争の渦中にある国労5・27臨大闘争弾圧被告からは、自分が逮捕された時に日本管検の仲間が救援に走り回ってくれたことに触れ、「逮捕された当事者しか分からない苦しみをはね返し、ともに勝利まで闘い抜こう」と心温まる激励の発言があった。この会場からそのまま翌日の三里塚闘争に出発する仲間、救援の実務を不眠不休で行った仲間から、勝利を喜ぶ発言がなされた。
分会当該の奮闘と、関西各地から駆けつけてくれた仲間の闘いによって勝利できたことを確認し、「関西トランスポート分会には勝利命令後、直ちにそれをつぶす攻撃が加えられている。闘いの手綱を緩めることなく今後も団結して頑張ろう」という石田勝啓関西合同労組委員長のまとめで集会を終えた。
温かい激励やカンパをいただいた全国の皆さんにも、紙上を借りてお礼申し上げます。
(投稿/関西合同労組執行委員・松田)
(写真 弾圧を打ち破った日本管検工業分会の組合員と家族が壇上で思いを語った【3月24日 尼崎】)
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週刊『前進』(2290号2面5)(2007/04/09 )
学校現場からの報告 闘う私たちこそ日教組
多忙化で現職死亡続発
職場要求作り校長交渉
広島の闘う教育労働者は、「労働運動で革命やろう」を掲げた3・18闘争の高揚の中で、教育基本法改悪を現場から打ち破る闘いに果敢に挑戦し、卒業式での「日の丸・君が代」不起立の闘いを貫徹しました。校長は着席しそうな教職員を駐車場係にさせたり、座席指定を厳密にしたり、国歌斉唱が終わるまでイスを引っ込めたり、あらゆる方法で不起立闘争の拡大を阻止しようとしました。県教委は来賓や保護者にも起立を強制しようとしました。こうした攻撃のエスカレーションにもかかわらず、広教組、広高教組で昨年を上回る不起立闘争がかちとられたのです。
幼稚園の卒園式でも国歌斉唱が強制されていますが、広教組組合員Aさんが不起立。当局は一指も触れることができなかった。小学校のBさんは、放送係にされたものの斉唱の時だけ放送室から制止を振り切って式場に入り着席。Cさんは、卒業式直前に手作りのビラを配り、職員会議でも強制反対の意見を述べ、いつものように着席した。Dさんは、毎回着席しているが校長に現認させない職場での力関係をつくっています。
私は職場で一人だけの不起立でしたが、リハーサルで同僚が不起立するなど職場から反乱ののろしが上がり始めています。職場の渦巻く不満を背景に、私は校長室への呼び出しを拒否し、教育委員会が職場に来ても堂々と処分書の受け取りを拒否しました。
(写真 改悪教基法反対を掲げ広島の教育労働者らが2・11集会を開いた)
職場の怒り束ね
今年1月29日、広島県東部の市立中学で小中一貫校の開校準備に追われていた39歳の教務主任がくも膜下出血で授業中教室で倒れて亡くなりました。昨年8月には、小学校の教職員がくも膜下出血で教室で亡くなり、11月には小学校教職員が公開研究会前日、準備に追われて心不全で死亡。今年度だけで3人の現職死亡がありました。
98年の文部省是正指導が始まって以来、県教委はいったい何人の教育労働者を病気にさせ、若年退職させ、自死に至らしめたのか。こんな事態に至ったのは、日教組本部に大きな要因があります。現職死亡が出てなぜストライキも打てないのか。どこまで奴隷の道を歩むのか。
私はこんな組合を何とかしたいと決意し、わが職場での闘いを昨春から本格的に始めました。
春、教育基本法改悪反対のビラを全職員に配布しました。校長は「ビラ配布は許可しない」と手を震わせて激怒しました。すぐ校長交渉を持って発言を撤回させました。夏、5カ月ぶりの職員会議で私が超過勤務への怒りを表明したところ、未組からも賛同意見が続きました。
秋、公開授業研究会準備に忙殺され体調不良の組合員が出る中、私は全組合員の意識調査を始めました。校長の目を盗みながらの聞き取り調査の結果、多忙化に反対する闘いを期待する組合員が多くいることをあらためて知りました。分会会議で、全教職員が集まった時に分会員全員が多忙化反対を訴えようと意志一致し、冬、全員が集まる研修会が終わった直後に私は「職場の異常な多忙さを何とかしろ」と意見しました。他の分会員も意見を言う予定でしたが、それはすぐにはうまくいきませんでした。しかし何かが変わり始めました。翌日、校長が毎週水曜日には定時で帰るように呼びかけたのは、私の意見が職場全体の意見であることを察知しての反応でした。
今年の春、意識調査をもとに分会員の不満のすべてをまとめた要望書案を作成しました。みんなに回覧すると何カ所も修正されて返ってきました。それをもとに作り直し、また回覧。時間がかかっても私一人の請負にならないようにし、4人が校長交渉に参加しました。「この要望書は恐喝文書か」と手を震わせて怒る校長に、沈黙していた組合員からついに抗議の声が発せられました。
この要望書は分会員以外の職員にも配布しました。校長は分会員以外に配布したことを問題にして私を校長室に呼びつけようとしました。私は直ちに「不当労働行為です。いいかげんにしてください」と声を荒げて抗議しました。この後校長は完全に沈黙。
行動を起こし始めたとたんに職場の力関係が変わり始め、失われてきた団結が取り戻され始めたと実感しています。この団結の力を職場でさらに固め、広げ、その力で闘う日教組、広教組を必ず再生させる決意です。
(広島 中原聡史)
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週刊『前進』(2290号2面6)(2007/04/09 )
資本攻勢&労働日誌 2007 3・19〜3・30
道州制の導入へ経団連が提言
●経団連が外国人労働者導入で提言 日本経団連は、専門技能を持つ外国人労働者を企業が1〜3年の期限付き社員として採用できるようにすべきだとする提言を発表した。(3月19日)
●キヤノン3500人を直接雇用へ キヤノンは、国内のグループ企業で働く派遣・請負労働者のうち3500人を直接雇用する方針を明らかに。1000人は正社員に採用するが、2500人は期間3年未満の期間社員とする。(25日)
●国民投票法案の修正案を国会提出 与党は改憲投票法案の修正案を衆院憲法調査特別委に提出した。公務員や教員の地位利用に対する罰則規定はなくすが、国家公務員法・地方公務員法の「政治活動禁止」規定で対応する考え。(27日)
●違法派遣でフルキャストに改善命令 東京労働局は、人材派遣大手のフルキャストが派遣法で禁じられている建設・警備業に労働者を派遣していたとして事業改善命令を出した。(27日)
●経団連が道州制導入で提言 日本経団連は、道州制を導入し約1800の市町村を300〜500に再編することを求める提言を公表した。(28日)=要旨別掲
●公務員改革の全体像を骨太方針に 安倍首相は公務員制度改革に関する閣僚懇談会で、公務員制度改革の全体像を6月に閣議決定する骨太方針に盛り込む考えを示した。また天下り規制や能力・実績主義を柱とした国家公務員法改定案を今国会に提出する考えも重ねて表明した。(29日)
●コナカが未払い賃金13億円支払いへ 紳士服大手のコナカは、時間外手当などの未払い賃金13億円を支払うと発表。これにより同社の3月中間決算予測は5500万円の赤字に転落。(29日)
●パート時給わずか15.4円増 連合は今春闘でのパートの時給引き上げ額が15.4円だったと発表。「誰でも時給1000円」の連合スローガン達成にはほど遠い結果。(30日)
●2月の完全失業率4.0% 総務省の労働力調査によると、2月の完全失業率は4.0%で前月と同水準。厚労省が発表した2月の有効求人倍率は前月比0.01ポイント減の1.05倍だった。(30日)
●教育改革関連法案を国会提出 政府は教育改革関連法案を国会に提出した。今国会で成立を図る構え。(30日)
●「君が代」不起立で不当処分 都教委は卒業式での「君が代」不起立などを理由に教職員35人に対し懲戒処分を発令した。(30日)
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経団連「道州制の導入に向けた提言」のポイント
●道州制導入は、わが国が直面する内外の様々な課題の解決に向けた「究極の構造改革」として位置づけられる
●国の役割を外交・防衛・司法・マクロ的な経済政策などに限定し、国家としての競争力を重視した政策を重点的に推進する
●国会議員は、外交・国防など、わが国の国益に直結する政策に注力する
●道州はグローバルな視点から成長戦略を練り、国際的な競争に挑み、それを通じて経済発展を実現する
●全国約1800の市町村を300〜500の「基礎自治体」に再編する
●2013年度までに関連法案を策定し、2015年度の道州制導入をめざす
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週刊『前進』(2290号2面7)(2007/04/09 )
日程 国労5・27臨大闘争弾圧公判日程
第74回 4月18日(水)/第75回 5月9日(水)
第76回 5月30日(水)/第77回 6月13日(水)
※いずれも午後1時15分から、東京地裁
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週刊『前進』(2290号3面1)(2007/04/09 )
大阪 改憲投票法案公聴会にデモ
4月強行採決許すな
百万署名運動などを先頭に 会場の入口で申し入れ
3月28日、新潟と大阪で改憲投票法案の地方公聴会が開催されることが直前に発表された。私たちは、「4月強行採決のための地方公聴会許すな!」を掲げて緊急行動に立ち上がりました。公聴会は午前中に新潟、午後は大阪という強行軍で、ただただ地方の声を聞いたというアリバイをつくるためのものです。
会場のホテルニューオオタニ大阪の前に集合するや、すぐさま警察機動隊・私服警官が、「旗をおろせ!」「隊列を組むな!」と激しい弾圧にのりだしてきました。憲法改悪のための密室での公聴会が労働者・市民の抗議で暴露されることを恐れての弾圧です。
午後3時過ぎから、大阪城公園の大阪社会運動者顕彰碑前で、「とめよう戦争への道!百万人署名運動関西連絡会」の仲間の司会で抗議集会を開催しました。集会には百万人署名運動の岐阜連絡会と愛知連絡会の仲間も駆けつけアピールし、兵庫県連絡会の梶原義行世話人から、4月強行採決のための地方公聴会を弾劾しようと、力強い訴えがなされました。
短い集会を終えて直ちに会場のホテルに向け、百万人署名運動や関西合同労組などの旗や幟(のぼり)をなびかせて、若者の音頭の力強いシュプレヒコールでデモに出発しました。途中、会場の裏では、自治労連の組合員や母親大会のお母さんたちも抗議活動を行っており、エールを交換しデモは進みました。
ビジネス街を一周するデモ終了後、各団体がホテルと警察の妨害をはねのけ、会場ホテルの入り口で抗議申し入れ行動を行いました。関西・兵庫・奈良・岐阜・愛知の百万人署名運動の連絡会と、婦人民主クラブや全学連の学生や八尾市議選を闘う仲間からも力強い抗議・申し入れ行動がなされました。
公聴会現地事務局は、この申し入れを事務局が意見を聞いたという形式的なものにしようとしましたが、怒りの行動は特別委員会の新小田事務局次長を通じて開催中の特別委員会に「申し入れ書」を見せることを強制しました。
平日の緊急行動でしたが、結集した仲間は、4月強行採決を許さないための闘いの輪を広げ、4月の全関西集会・デモと国会行動を全力で闘うことを確認して、次の行動に移りました。
(投稿/関西合同労組・M)
(写真 改憲のための公聴会を弾劾し会場を怒りのデモで包囲)
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週刊『前進』(2290号3面2)(2007/04/09 )
東京 国会前ハンスト
連日決起に共感広がる
国会前では全学連や全共闘のOBが改憲反対を叫び、連日ハンストを闘い抜いている(3月22日)
僕も生まれて初めて断食を4日間やった。ガンジー型の決死のハンストとちがい、中東方式の「ラマダン・ハンスト」だから夜は食事ができる。
元全学連、全共闘の面々が、「9条改憲阻止の会」の幟を、国会議員会館前路上に立ててハンスト・座り込みを3月20日から開始した。かつて国会に突入し、大学にバリケードを築いた荒々しい闘いの担い手が、40年ぶりに顔を合わせ、まるで同窓会のように連日盛り上がっている。話が尽きないのだ。しかし黙々と座って物理の本を読んでいる者もいる。「山本さんじゃないですか」と声をかけたら、山本義隆元東大全共闘議長が顔を上げて、「声明に名前を出すだけでは悪いと思って」と、相変わらずだ。
「国民投票法」を憲法記念日の5月3日までに成立させると宣言して突っ走る安倍内閣にブレーキをかける橋頭堡ができた。その日までこの国会前の砦は9時半から午後6時まで土日以外は入れ替わり立ち替わり、晴れた日も雨の日も座り込む。
(投稿/元全学連副委員長 小野正春)
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週刊『前進』(2290号3面3)(2007/04/09 )
改憲手続法の成立を阻もう!
4・11行動に参加を
「憲法と人権の日弁連をめざす会」(代表/高山俊吉弁護士)の主催による「改憲手続法の成立を阻もう/4・11行動」がいよいよ目前に迫った。
改憲投票法案は@約500万人の公務員・教育者の意見表明や運動を禁止、A市民団体や労働組合対策に、組織的多数人買収・利害誘導罪を新設、Bテレビ・ラジオ・新聞の有料広告は資金力に任せ放題、C無料の意見広告は政党に限り、所属議員数の比率による広報協議会が一切の広報をとり仕切る、D全有権者の20%足らずの賛成で改憲が成立――など、とんでもない悪法だ。
自民党・安倍政権は12日に衆院特別委員会採決、13日に本会議通過を狙っている。絶対に許すな。呼びかけにこたえ、11日の1日行動に大結集しよう。
●4・11行動要項
@4月11日(水)正午から国会前行動。
A午後6時半から東京・霞が関の弁護士会館2階講堂「クレオ」で集会。講師は東大教授の高橋哲哉さん(ちくま新書『靖国問題』著者)。自治体労働者、教育労働者の現場からのアピールも。
B集会後、午後7時半から「1000名デモ」
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週刊『前進』(2290号3面4)(2007/04/09 )
全金本山 「団結の集い」開く
職場復帰から2年闘いの決意新たに
3月24日、仙台市内で、「全金本山労組・団結の集い」が全国の仲間の参加で開催された。完全勝利、職場復帰から2年、34年間にわたって本山闘争を支え続けてきた全国からの仲間も久しぶりに顔を合わせ、新たな闘いへの決意をうち固める場となった。
集いの冒頭、長谷武志委員長から「60歳を超えた組合員への2年間の就労後の雇用延長をついにかちとった」という大勝利の報告があり、大歓声の中で完成したばかりの映画(DVD)『ドキュメント・本山闘争激闘34年の軌跡』が上映された。昨秋刊行された『本山闘争12000日』(七つ森書館刊)に続く、本山闘争の記録刊行委員会の手になるドキュメントの映像版である。
34年間にわたる闘いが61分に凝縮された迫真の映像に参加者は釘(くぎ)付けになり、本山闘争の全体像を追体験する時間となった。怒りあり、笑いあり、涙あり、心から本山闘争勝利の感動が伝わる映像に、すべての参加者が、当該組合員たちの闘いと自らの支援者としての取り組みの意義と勝利性を確信するものとなった。
全国の支援からの発言の冒頭、動労千葉の後藤俊哉特別執行委員は、「映画を見ながら、涙が止まらなかった。本山は労働組合のあり方を示してくれた」と切り出し、体制内労働運動を打ち破る闘いの実践者としての動労千葉、全金本山の兄弟組合としての絆(きずな)をさらに強いものにしていこうと連帯の決意を語った。
さらに全国からの発言として、東京、横浜、千葉、茨城、新潟、福島そして地元宮城などの支援者からのアピールが相次いだ。「三池闘争を超えた!」という、中労委和解を打ち砕く闘いの過程を思いおこし、本山闘争が切り開いてきた勝利の地平をみんなで再確認する熱い発言が会場に響き渡った。
最後に、参加した全金本山労組の全組合員が演壇に並び、一人ひとりが勝利感に満ちてさらなる闘いへの決意を語った。
本山労組は、この間の勝利を総括する武器を、書籍『本山闘争12000日』、DVD『ドキュメント・本山闘争激闘34年の軌跡』として全国の仲間に明らかにし、自らもその地点から新たな闘いを開始している。全国の仲間に、この二つの武器を自ら手にし、血肉化して、体制内労働運動を打ち破る階級的労働運動の前進へ、ともに闘うことを心から訴えたい。
(投稿/田中昌宏)
(写真 本山闘争勝利から2年、新たな闘いを誓いあう【3月24日 仙台】)
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★DVD『ドキュメント・本山闘争激闘34年の軌跡』
制作 全金本山労働組合 定価3000円(本山労組頒布特別価格1500円)
★連絡先 全金本山労組 仙台市青葉区堤通1−19−21第13ジュリアン1B TEL/FAX 022−274−0843
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週刊『前進』(2290号3面5)(2007/04/09 )
『生涯一労働者――あたりまえの労働組合へ(続)』
佐藤芳夫さんの遺稿集から学び階級的労働運動を推進しよう
労働運動の大先達である佐藤芳夫さんが昨年11月25日に亡くなられた。われわれが本格的に階級的労働運動を推進しようとする時に、本当に惜しい人を亡くした。しかし、佐藤さんは、われわれに『生涯一労働者―あたりまえの労働組合へ(続)』という貴重な遺稿集を残してくれた。
本書は、動労千葉が主宰する労働者学習センターが3月18日に刊行したものだ。
戦後労働運動史
本書は3部に分かれている。第一部は佐藤さんの“労働運動私史”である。1993年の執筆である第一部は、本紙に連載されたインタビューが元になっている。それまでの40年余の労働運動生活を振り返ったものだ。
東京大空襲の焼け跡から石川島重工に入社し、なんと30歳代で、全造船石川島分会の委員長、全造船委員長、120万人のナショナルセンターである中立労連の議長を歴任する。しかし、全造船の分裂が石川島分会にも及ぶ中で佐藤さんは現場に戻り、28人の分裂「極」少数組合の委員長になる。「人生、ダッチロールのような男」(7n)だが、佐藤さんのキーワードは「正義感」だったという。
佐藤さんは、「高邁(こうまい)な識見があったわけでもない」と謙遜するが、20代から学んだマルクス主義・レーニン主義に基づいて、初めは社会党員として、後年は「新左翼のファン」として、階級的労働運動を志向していたことは疑いない。分裂「極」少数組合の「綱領」には「我々は資本と賃労働は永久に対立するという認識の上に立って、労働者の利益のみに関心をもつ」「我々は資本に抑圧され、弾圧をうけ、これに反対して闘っている全(すべ)ての労働者の闘いを支持し、これに連帯する」(115n)とうたわれている。それが、民同労働運動の枠に収まらず、三里塚闘争やジェット燃料貨車輸送阻止闘争を契機とした動労千葉との連帯に結実していくのである。動労千葉については「日本で唯一の大衆的で戦闘的な労働組合だというのが、僕の見方だ」(145n)と評価している。
第一部はまた、民間労働運動の戦後労働運動史として貴重な文献と言えるだろう。国鉄については、中野洋動労千葉前委員長の『俺たちは鉄路に生きる2』があり、官公労の文献はそれなりにある。しかし、戦後革命期からの民間労働運動史は数少ないのではないか。
第一部は、総評の結成から崩壊、連合の結成にいたるまでの民間先行の右翼労戦統一の流れが記されており、特に総評解体の総括を軸に、佐藤さんから戦後労働運動史を学ぶことができる。
未組織の組織化
さて、佐藤さんは少数組合の委員長を務めながら、未組織労働者の組織化に全力を挙げる。われわれにとっても未組織労働者の組織化は重要な課題であり、佐藤さんから学ぶべきことは多い。
ここで佐藤さんが述べているとおり「ぼくはいつも言うように決して分裂少数組合主義者ではない」(159n)。「やはり、二〇〇〜三〇〇人の組合なら、全体を自分たちの勢力として丸ごと獲得する闘いを抜きにして、その闘いが面倒だということで、即脱退というのは正しくない」(160n)ということだ。
佐藤さんが中野さんとともに代表を務めた全国労組交流センターは、連合や全労連傘下で権力獲得をめざすフラクション活動と未組織労働者の組織化を二大組織方針としている。この二つを佐藤さんは説いている。
本書の第二部は、93年の細川(=小沢)連立政権の成立の情勢についての中野さんとの対談であり、第三部は、1988年の国鉄分割・民営化直後の国鉄闘争の状況についての中野さんとの対談である。
いずれも既刊のものなので、すでに読まれた読者も多いと思うが、あらためて読んでみると新鮮な感動に出会うはずだ。
本書は、特に青年労働者に熟読してほしい。佐藤さんは言う。「今労働運動をやっている若い人に言いたいことは、人生はいつでも楽しいということだ。悪や不正義と闘うのは、非常に楽しいものだと」(164n)
十数年前の日比谷野音での熱烈なアジテーションが聞こえるようだ。
(大沢 康)
☆発行 労働者学習センター
☆頒価 1500円
☆注文先 千葉市中央区要町2―8 DC会館 TEL043―222―7207/FAX043―224―7197
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週刊『前進』(2290号3面6)(2007/04/09 )
イラク特措法期限延長阻止へ
米軍支援し侵略戦争担う
3月30日、日帝・安倍政権は、7月に期限切れとなるイラク復興特別措置法の期限を2年間延長する改定案を閣議決定し、今国会中の成立をめざしている。日帝・安倍政権は、日米枢軸のもと、米軍を始めとする有志連合軍の物資・人員を輸送する航空自衛隊の作戦を継続することを決定し、戦うイラク人民の武装解放戦争で完全な泥沼に陥ったイラク侵略戦争をあくまで正当化し、米軍とともに最後まで担おうとしているのだ。
米帝によるイラク侵略戦争とは何だったのか。米帝が侵略戦争の口実とした大量破壊兵器もフセイン政権とアルカイダとの関係もすべてウソだった。米帝は中東石油の強奪と中東支配の再編のためにウソの口実をデッチあげて、全世界の人民の反対を押し切って侵略戦争を強行した。その結果として65万人ものイラク人民が命を落とした(米とイラクの大学の共同調査)。これに対してイラク人民の民族解放・革命戦争が激しく戦われているのだ。日帝の自衛隊イラク派兵はその「復興支援」という主張とはまったく反対に、イラクの石油強奪、植民地支配のための人民虐殺戦争にほかならない。
米軍のイラク占領支配が完全な泥沼に陥り、昨年の中間選挙で大敗するという危機の中、ブッシュ政権は今年初め新戦略を発表し、3万人の米軍部隊の増派を決め、すでにバグダッドやアンバル州で鎮圧作戦を強化している。しかし、その作戦も完全に破産し危機を深めている。逆に米議会では上院、下院ともブッシュ政権の戦争予算に撤退期限を付けるという事態さえも起こっている。
米帝は、イラク占領支配のために、スンニ派とシーア派、クルド人勢力の分断と対立をあおり、それによって武装勢力の鎮圧をはかってきた。しかしそれが逆にイラクの全面的な内戦を引き起こす結果になり、米軍戦力だけではまったく対応できない事態にまでいたっているのだ。
自衛隊のイラク派兵を2年も延長することを決定したことは、日帝がどこまでも戦争を継続していくことの宣言にほかならない。すでに日帝・安倍政権は昨年12月15日の防衛庁の「省」昇格法と同時に自衛隊法を改悪し、自衛隊の海外派兵を本来任務とした。これによって海外派兵された自衛隊が実際の戦闘作戦に突入する道が大きく開かれた。日帝は今まさに朝鮮侵略戦争突入を始め、そうした戦争のエスカレートに向かって突き進もうとしているのだ。
3月30日には、ミサイル防衛(MD)の一環であるパトリオットPAC3の航空自衛隊入間基地への搬入が強行された。米軍嘉手納基地への配備に続くPAC3配備であり、2010年度までに日本全土の6個高射群24個高射隊に配備される。朝鮮侵略戦争体制が一層強化されるのである。自衛隊イラク派兵の延長と一体で、日帝の侵略戦争への踏み込みがさらに強まろうとしているのだ。
この攻撃を絶対に許してはならない。イラク特措法改悪を絶対に阻止しよう。改憲投票法案阻止の国会闘争に全力で決起し、9条改憲と朝鮮侵略戦争への道を阻止しよう。
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週刊『前進』(2290号3面7)(2007/04/09 )
沖縄「集団自決」軍の強制抹消
許せぬ日本史教科書検定
3月30日、文部科学省は08年度から使う高校用教科書の検定結果を公表した。それによると日本史教科書では沖縄戦の「集団自決」(集団死)で日本軍による自決命令や強要があったとする5社、7冊に「沖縄戦の実態について誤解する恐れがある」として修正を求める初の検定意見がつき、5社ともこれに従って修正した。
この検定の結果、現在最大のシェアを占める山川出版社の日本史Aでは、「日本軍によって壕を追い出され、あるいは集団自決に追い込まれた住民もあった」が「日本軍に壕から追い出されたり、自決した住民もいた」に変更されるなど、東京書籍、三省堂、実教出版、清水書院のいずれも、「日本軍の強制・関与」を否定する表現となった。前回05年度検定で問題にならなかったものが、なぜ今、削除・書き換えなのか。
日本軍軍隊慰安婦問題の教科書からの削除運動を続けてきた「新しい歴史教科書をつくる会」に連なる右翼ファシスト勢力が、沖縄戦の日本軍による「集団自決」強制に関する記述を削除しようと05年6月に沖縄にのりこんだ。これと連動し、05年8月には座間味島の守備隊長だったという元少佐らが『沖縄ノート』の出版元の岩波書店と著者の大江健三郎氏を相手取って大阪地裁に提訴した。文科省はこの裁判での原告証言を「状況の変化」に挙げ、検定基準を変えたと主張している。
「つくる会」運動を先兵とする日帝・安倍政権が今回の教科書検定に込めた狙いこそ、沖縄戦の地獄を生き抜いた沖縄の労働者人民が堅持する「命こそ宝」「軍隊は住民を守らない」の教訓を解体することだ。これなしに再びの朝鮮・中国侵略戦争に踏み込むことはできない。だからこそ今、憲法9条改悪のための国民投票法案、教育関連4法改悪攻撃とともに、沖縄戦における日本軍の「集団自決」強制を否定し、抹消しようとしているのだ。
しかし、日帝・安倍は沖縄の怒りの火に油を注いだのだ。
座間味村で戦争体験の聞き書きを続ける元中学校長の宮城恒彦さん(73)は沖縄戦当時11歳、姉は手りゅう弾を使った集団死に巻き込まれて死んだ。「沖縄戦と日本軍と集団自決は切り離せない。日本軍がいて、集団自決が起きた」と証言している。元沖縄キリスト教短大学長の金城重明さん(78)は集団死の生き証人だ。配られた手りゅう弾は金城さんにまで回ってこなかった。当時16歳の少年は母と妹、弟を自らの手にかけた。「皇民化教育で生きて虜囚の辱めを受けずの軍人精神が住民に強制された。軍がいなければ追いつめられなかった。現に慶良間の集団自決は日本軍が駐留した所でしか起きていない」と指摘している。
沖縄戦における集団死の犠牲者は千人とも言われる。本土防衛の捨て石と位置づけられ地上戦の戦場となった沖縄で20万人もが犠牲となった。「国体」とされた天皇を守るためだった。米軍再編と一体でかけられた今回の教科書攻撃こそ、新たな沖縄戦への道だ。断じて許すわけにはいかない。
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週刊『前進』(2290号4面1)(2007/04/09 )
経営局アピール 職場闘争で公然と革命語ろう
職場の仲間に『前進』を
機関紙の大胆な拡大軸にフラク組織し細胞建設へ
革命的情勢の急接近の中で、労働者の団結のために何ものをも恐れず闘う息吹きが満ちあふれている。「革命」の2文字が集会、街頭、職場で主張されている。革命を公然と語ろう。3・18全世界一斉デモのメインスローガン「労働運動の力で革命をやろう」こそ、新しい時代を告げ知らせるものである。全党、全読者が青年の心からの叫びに学び、一体化した時に階級的労働運動は一気に花開くであろう。機関紙活動の飛躍のかぎもここにある。心からの欲求として職場の仲間に『前進』をすすめよう。『前進』をともにつくっていこう。
青年部丸ごと学習会で定購
党の革命から1年、これまでの党建設と機関紙活動の現状を確認し、問題点を洗い出し、新たな出発点を築くことができた。
第一に、読者の産別構成、世代構成、配布網などの現状を明確にした。
第二に、多くの職場で職場闘争に決起し、フラク建設−細胞建設に踏み出し、青年への拡大を開始した。まだ始まったばかりであるが、非常に広い裾野をもった闘いが開始された。
第三に、「自分たちの新聞」にするために、投書・投稿・紙面批評などによる紙面改革が着実に進んでいる。
各組織の報告をいくつか紹介したい。
(1)4大産別と青年の獲得
「医療と交通の2人は労組の交流会運動を通じて出会い、マルクス主義や動労千葉労働運動の学習をとおしてマル青労同に加盟、職場で労働運動を担うことと一体で定期購読となりました」(A地区)
「今回の1部拡大はメンバーが初めて拡大した画期的な闘い。06年は、党の革命から22回全国委員会総会戦取の闘いの中で、荒々しい青年労働者、学生の台頭=プロレタリア革命の時代の出発点となった。膨大な数のオルグ対象者がわれわれの前に登場している。今期の+1という結果はまったく不充分なものですが、しかし、今や圧倒的に拡大できる時を迎えている」(B地区)
「昨年の春闘集会をきっかけに、民間産別の労組青年部をほとんど丸ごと学習会に組織して、月1回、政治的テーマや労働組合運動の講演などを積み重ねてきました。中心の活動家が11・5労働者集会に参加し、1月には参加者全員が定購となりました。青年層の危機感と怒り、闘いと連帯の当然の欲求を上部も弾圧しきれなくなっている。教育労働者の場合も、『前進』を1、2度渡しただけの人をマル青労同に獲得し、その後『前進』定購となった。こういう情勢だと思います。同時に『前進』定購=党派選択であり、その決断をこちらがしっかりとらえないと時機を逸するとも言えると思います」(C地方)
「4大産別の労働者への意識的な拡大オルグが始まった。これにより06年前期の自治労の役職者(その後マル青労同に獲得)の定期購読化に続いて、今期は教労の支部役員と戦線の重要な対象への定期購読化をかちとった。また、まだ定購にはなっていないが、ばら売りや宣伝配布も広がった」(D地区)
「職場オルグでの拡大が始まった。自治労で役員選挙−11月労働者集会−組織づくりの対象に『前進』が入った。ようやくではあるが、拠点化のカギに『前進』があるというありかたが始まった」(E地区)
(2)学生戦線
「法政大学での読者の拡大は06年の地平を象徴する典型的ぶち抜きとして決定的だ。法大当局による7・14停学処分決定攻撃に対して心からの怒りを爆発させてわれわれと接点を求めてきた……1年間の法大をめぐる動、反動、動の激しい激突の中で、権力、当局、はたまた家族問題での攻防などの激しいやり合いの中できわめて強力な読者が次々と獲得されている」
(3)国会闘争で
「地域運動の仲間が教育基本法改悪阻止の国会闘争をともに闘い、その場で定購を決めた。その人はシュプレヒコールのスローガンを学ぶためにその場で配られていた『前進』宣伝版を見て定購を決断した。重要なことは、このことがメンバーに与えた影響でした。これまで大きく政治的登場をしておきながら、『前進』を出すことができない状況を突破しつつある」(F地区)
(4)投稿運動で
「自分たちでつくる『前進』として、投稿の組織化をした。『自分の職場でオルグをやろう』『職場で革命を呼びかけよう』という討論をしている。今回の拡大は『自分たちでつくっている新聞なので読まないか?』というオルグが実ったもの」(G地区)
団結拡大の基礎は機関紙だ
機関紙が青年労働者・学生と国鉄・教労・全逓・自治体の4大産別を中心に拡大している。しかし、まだまだ先進的組織、先進的同志の闘いにとどまっていることも明らかだ。これをどのように全党の闘いとして前進させていくかが今後の課題である。
(1)職場の団結
「職場では体制内労働運動、街頭では過激派」では、闘争も党建設も一歩も前進できない。
職場の仲間といかにして団結するのか。この必死の苦闘の中から生み出されたスローガンが「労働運動の力で革命をやろう」である。「私と相手との間の壁を必死になってぶっ壊してつながるのが団結です。……団結の広がりこそが勝利です。そして、団結の究極の拡大が革命です」(3・18のアピール)。革命を彼岸化せず、今、職場の仲間と団結する言葉として復権させた。この闘いを実践しよう。資本と体制内労働運動の攻撃から団結を守りぬく労働組合運動こそ、革命を実現する力だ。
(2)機関紙が環
その闘いの環は、職場の仲間に機関紙を広め、労働者細胞を建設することである。党・労働組合・ソビエトの立体的関係における主体は労働者細胞である。労働者細胞は機関紙活動を軸にした党活動3原則(細胞会議に参加し、機関紙を読み広め、党費を納入する)によって建設される。階級的労働運動の実践の内部に機関紙活動を位置付けよう。この闘いを地区党を結集軸にして闘おう。地区党は、拠点労働者細胞を基軸に、当該地域の労働者階級を、労働組合の団結形態に組織化するために闘うのだ。
主要産別に拠点建設しよう
革命情勢の接近は、戦後革命が実現しえなかった課題をわれわれに提起している。階級的労働運動と革命党という観点から少し言及したい。
(写真 編集から印刷までを労働組合が支配した読売新聞における生産管理闘争【45年10月23日】)
戦後革命期を超える闘いへ
戦後革命期は、敗戦によって明治以来の天皇制国家が崩壊し、それに代わる統治形態が確立されていない政治危機の時代だった。社会主義革命に向かって突き進むのか、それともGHQ(連合軍総司令部)と日本のブルジョアジーのもとに戦後憲法的な秩序のもとに封殺されるのかが問われていた。
労働者は生きるために労働組合を組織し、工場占拠を闘い、戦争責任を追及し、数十万人が内閣打倒闘争、食糧闘争に決起し、首相官邸を占拠し、皇居に突入して天皇の冷蔵庫まで暴いた。幣原内閣が倒れた46年4月から1カ月間、内閣を組閣できないところまで追い詰めた。GHQの弾圧声明に勢いを得てようやく組閣した吉田内閣の攻撃にいったんは後退しつつも反撃に立ち上がり、第2次読売争議を闘い、海員・国鉄の大量解雇をストライキで撤回させ、民間を中心に10月闘争に立ち上がり、のべ数百万人の規模で闘い、賃上げをかちとった。
次には賃金が民間の45%でしかなかった官公労を中心に600万人の労働者を組織し、47年の2・1ゼネストに向けてのぼりつめていった。この闘いは経済要求を出発点にしていたが、吉田内閣と米占領体制を吹き飛ばすエネルギーを秘めていた。
問題は、2・1ゼネストがマッカーサーに屈した日本共産党によって解体され、敗北したことである。労働者が前衛党と思っていた日本共産党は実はスターリン主義反革命であった。日本共産党には戦後革命を闘い抜く立場がなく、献身的・英雄的に決起した労働者階級の闘いを裏切り、敗北に導いたのである。
日本共産党の問題性はいろいろあるが、ここでは以下の3点を指摘したい。
第一に、GHQを解放軍と規定し、GHQとの闘いに向かって労働者階級の武装とその準備を行わず、敗北させた。
第二に、民主主義革命論によって、労働者階級の生産管理の闘いをプロレタリア革命に向けての全産業の労働者管理へと発展させず、産業復興−労資協調に導くことを許してしまった。また農民を労農同盟に獲得することもできなかった。
第三に、労働者自己解放に敵対し、労働組合に対して党の優位を主張し、労働組合の統一した全国闘争を否定した。このことが2・1スト後、共産党中央と産別会議の党フラクとの対立を生み、産別フラクキャップの細谷松太が産別民主化同盟をつくり、産別会議解体−総評結成の要因となった。
2・1ストを牽引(けんいん)したのは産別会議だった。しかし、2・1ストの闘わざる敗北と労働組合の主体性を否定する共産党と産別会議指導部への批判が一斉に噴き出した。まさに戦後日本階級闘争は、日本共産党スターリン主義をのりこえる労働者党の登場を求めていたのである。
だが50年代後半に革命的左翼が登場するまでは、日本共産党を革命の立場から批判することは困難であった。労資協調の観点からの日本共産党批判が勢いを増し、レッドパージに呼応する労働運動=反共民同による朝鮮戦争下での産別解体−総評結成をもたらしたのである。
その後、総評の「左」転換が起きるが、それは体制内労働運動の枠内のことであった。産別会議の解体は、2・1スト敗北後も繰り返し決起する労働者階級の闘いの陣地を失うものであり、戦後革命の敗北を決定したのである。
「日共が階級闘争を否定した立場から『革命』を語り、社民が革命を否定して『階級闘争』を語り、両者が拮抗しているなかで、階級闘争を革命のためにたたかう立場を提示し、組織的にもこれを結集していくことは、日本労働運動の歴史的ジグザグを革命的に止揚する道である」(66年、 岸本健一『日本型社会民主主義』)
われわれは70年決戦をこの立場から、階級的労働運動のために闘った。
プロレタリア自己解放闘争は階級的労働運動・労働組合運動による階級の団結と強化と発展を闘いとることである。これを実践しているのが国鉄分割・民営化攻撃にうちかち団結を守って闘い抜く動労千葉労働運動だ。
動労千葉こそ戦後階級闘争の継承者であり到達地平である。22回全国委員会総会で「党は階級そのものである」と言い切ったのは、全党が党の革命をとおしてこの立場に立つことで一致したからである。
日本階級闘争は革命的伝統と力を持っている。第2、第3の動労千葉をつくり、4大産別を始め主要産別に体制内労働運動を打ち破る闘いの拠点を建設し、戦後革命を牽引した産別会議を乗り越える闘いに挑戦しよう。この闘いに、今年の11月1万人決起を実現し、改憲攻撃を打ち破り、武装蜂起を準備し、日本革命に勝利する道がある。
革命的情勢の急速な接近と機関紙活動
(1)3・18デモで公然と打ち出された「労働運動の力で革命をやろう」という訴えを全党が学び、自らのものとして実践しよう。
(2)そのために、党活動の3原則を貫き、機関紙中心の組織活動を実践する。配布、完読、紙代回収、『前進』街宣を行おう。とりわけ、読者を大切にし、一刻も早く届けよう。配布網は革命党の生命線である。配布を常に点検し、安全・迅速・確実な配布を確立しよう。まさにレーニンのいう蜂起を組織し、準備する機関紙配布網の組織化へ、党活動を抜本的に変革しよう。
(3)機関紙財政の担当者を決め、独立採算を目指して闘おう。『前進』を自分たちの労働者新聞としてつくり、販売するために投稿運動をさらに進めよう。
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週刊『前進』(2290号4面2)(2007/04/09 )
4・1三里塚 “森伐採許すな”とデモ
鉄板フェンスに怒りの拳
4月1日、三里塚芝山連合空港反対同盟が呼びかけた「東峰の森」伐採攻撃に対する緊急現地闘争が闘われ、120人が東峰の萩原進さんの畑に結集した。周囲は、すでに異様なまでに高い鉄板の塀で囲まれ、森には近づけない。農道も閉鎖され、畑仕事のためにも大回りしなければたどり着けない。その変わりように参加者はあらためて怒りを燃え立たせた。
伊藤信晴さんの司会で集会が始まった。
事務局長の北原鉱治さんが「この状況を見てほしい。この地で生きていく農家にとってかけがえのない重要な森が破壊されようとしている。矛盾だらけの空港を断固粉砕するしかない。3・25全国闘争の高揚に続き、万余の人を三里塚に集めよう」と訴えた。
事務局次長の萩原進さんが発言に立った。「予想どおりのひどい状況になった。ここまで着くのに塀の間を歩かされるのは屈辱だが、逆に考えれば空港のど真ん中のこの場所でわれわれは全国集会もできる。墓地、神社、開拓道路が現空港ののど元に食らいついている。何より誘導路をへの字に曲げている市東さんの畑の存在が決定的だ。さらに現闘本部、一坪共有地もあり、われわれは十分闘える。三里塚で行われていることは国家による犯罪だ。全国に訴えて、農業つぶしを許さない闘いを展開しよう。かつてのような現地大結集を実現し、塀を人民の鎖で逆に包囲してやろう」と情熱をこめて訴えた。
ここで伊藤信晴さんが「3月27日に6人の制服自衛官が成田空港からネパールへのPKO活動に出発し、50人の制服自衛官が並んで見送った。自衛隊派兵を許さない。軍事空港化への動向を弾劾する」と報告した。
動労千葉の繁沢敬一副委員長が「労働者と農民に対し、同じように拠点破壊の攻撃がかけられている。館山運転区、木更津支区廃止の攻撃に対し、動労千葉は春闘でストライキを闘いぬいた。半年間の闘いで当局を追いつめた。組合員は3カ所の職場に異動になったが、団結は強まった。北延伸工事粉砕へ、一人でも多くの人を現地に結集させよう」と報告と決意を述べた。
全学連の織田陽介委員長は「労働者階級を根こそぎ獲得する内容が3・25で感動的に提起された。空港で働く労働者も戦争をとめるために目の前で行われている農民殺しをやめさせ、自分の力で自分の職場を廃止するしかない。この地で正々堂々と生き農業を続ける反対同盟の闘いを、感動を持って受けとめない労働者はいない。労農連帯の力で革命へ突き進み、軍事空港を粉砕しよう」と確信に満ちた決意を表明した。
鈴木謙太郎さんの行動提起と団結ガンバローの後、反対同盟を先頭に、飛行直下の東峰部落を通って開拓道路までのデモに出発した。鉄板フェンス、有刺鉄線、監視台、工事車両用に整備された道、居並ぶ重装備の機動隊、ジェット機の爆音……。荒涼とした風景を切り裂いて、農民、労働者、学生のデモが「農地死守」の闘志をみなぎらせ、力強く前進した。
(写真 「東峰の森破壊を許さないぞ!」。農民切り捨ての「北延伸」攻撃に反対同盟は怒りのデモで反撃した【4月1日 成田市東峰】)
同盟歌熱唱し花見も盛大に
午前の闘争に引き続き、午後は反対同盟の春の行事「団結花見の会」が盛大に開かれた。
三里塚第一公園の桜は満開直前の一番の見ごろ。例年を上回る花見客でにぎわう中で、三里塚勢力は場所取りでも先んじて「勝利」し、あいさつもそこそこに酒とごちそうがふるまわれた。
恒例のカラオケ大会では、各自が日ごろから鍛えていた自慢のノドを披露した。特に今年は全学連の学生のエネルギッシュなパフォーマンスが座を大いに盛り上げ、その熱気で周囲の花見客も飛び入り参加するほど。締めくくりには、新アレンジで復刻された「反対同盟の歌」を一同が肩を組んで熱唱した。明日からの闘いへ向け、和やかなひとときの中で団結を固める一日となった。
(写真 団結花見の最後に復刻された「反対同盟の歌」を全員で熱唱した【三里塚第一公園】)
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週刊『前進』(2290号4面3)(2007/04/09 )
3月28日〜4月3日
旧厚生省主導で靖国戦犯合祀
陸自に「対テロ」新組織が発足
●米空母がペルシャ湾で演習 米国防総省によると、米海軍の空母「ステニス」を主力とする空母戦闘群がペルシャ湾に入り、すでに同湾で展開中の空母「アイゼンハワー」と合流、大規模な軍事演習を始めた。2隻の米空母が同湾内で活動するのは03年のイラク戦争の開戦時以来。(27日)
●戦犯合祀、旧厚生省が主導 靖国神社への戦犯合祀で、合祀事務を担当していた厚生省(当時)と神社側が頻繁に打ち合わせを行い、同省側から神社側に合祀を積極的に持ちかけるなど主導権を握る形で話が進められていたことが国立国会図書館の公開資料「新編靖国神社問題資料集」で明らかになった。(28日)
●新潟・大阪で公聴会 衆院憲法調査特別委員会は、新潟、大阪両市で国民投票法案に関する地方公聴会を開いた。(28日)
●海自が年末に迎撃ミサイル実験 防衛省は今年末に、ミサイル防衛(MD)の海上配備型迎撃ミサイル(SM3)の発射実験を行う方針を決めた。MDの実験は米国以外では初めて。年内にSM3が配備される海上自衛隊のイージス艦「こんごう」が参加する。(28日)
●道徳、教科に格上げ案 政府の教育再生会議は学校再生分科会(第1分科会)で、「道徳の時間」を国語や算数などと同じ、「教科」に格上げし、「徳育」(仮称)とするよう提言する方針を決めた。児童・生徒の「道徳心」が通信簿など成績評価の対象になる可能性がある上、教材も副読本ではなく教科書としての扱いとなって文部科学省の検定の対象となりうる。(29日)
●イラク特措法を閣議決定 政府は、7月末に期限が切れるイラク復興支援特別措置法を2年延長する改正案を閣議決定した。航空自衛隊による多国籍軍に対する輸送支援をするもので、政府・与党は今国会の成立を目指している。民主党は廃止法案を今国会に提出する方針。教育関連3法案のうち地方教育行政法と学校教育法の改正案も閣議決定。すでに決定している教員免許法改正案と一括して国会に提出。(30日)
●PAC3を初配備 弾道ミサイル防衛(BMD)のための地対空誘導弾パトリオット3(PAC3)の装備品が航空自衛隊入間基地(埼玉県)に搬入された。10年度末までに全国16の空自高射隊に導入されるPAC3の最初の配備。装備は移動可能で、防護範囲は半径約20`。(30日)
●集団自決「軍強制」を修正 文部科学省が公表した06年度の教科書検定で、地理歴史・公民では、沖縄戦の集団自決をめぐって、「日本軍に強いられた」という内容に対し修正を求める意見が初めてついたことが分かった。強制性を否定する資料や証言を根拠に、従来の判断基準を変えたため。(30日)
●原発、不適切事例97件 全国の12電力会社は、発電所におけるデータ改ざんやトラブル隠しに関する調査報告書を経済産業省原子力安全・保安院に提出し、不適切事例4518件を報告した。うち原発関連は7社で97件あった。東京電力は、福島第一原発3号機(福島県)で78年に起きた制御棒脱落は臨界事故に至っており、それを隠していたと認めた。(30日)
●陸自、対テロ新組織が発足 テロ攻撃への対処や海外派遣の初動対応にあたる陸上自衛隊の「中央即応集団」(CRF)が発足し、司令部が置かれる朝霞駐屯地(東京都)で式典が開かれた。防衛相直轄で、専門機能を持つ各種部隊を傘下に置き、防衛省昇格に伴って本来任務化された海外活動のための教育・訓練部隊も新たに編成された。今後も組織改編や増員を進め、07年度末に総勢約4100人になる。(31日)
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週刊『前進』(2290号5面1)(2007/04/09 )
法大処分無効求める仮処分 地裁の却下決定弾劾する
極悪の権力犯罪を全面的に擁護
東京地裁民事第9部の裁判官・春名茂、山本択、高瀬保守は3月28日、法大生5人への退学・停学処分の無効を求めた仮処分申し立てを、不当にも却下した。
戦後憲法体制と大学自治を否定
この決定は、戦争と改憲・労組破壊に突き進む安倍政権の国家意志であり、学生と国家権力は非和解であることをあらためて示した。労働者や学生に、国家権力を打倒する革命が求められていることがますます明らかとなったということだ。
今回の仮処分裁判は、昨年6月21日の申し立てから9カ月を超えた。仮処分では異例の長さだ。極悪裁判官でさえ、短期間では反動決定を下せなかった。担当裁判官も1人から、3人による合議となった。
許せないことは、退学処分や停学処分の前提となる事実認定で、学生の主張をまったく認めず、法大当局が主張したデタラメなストーリーをオウム返ししていることだ。
しかも東京地裁は、ビラ・立て看板規制は表現の自由を著しく侵害する不合理な規制ではないと言っている。だが、立て看板を出すことを学生部長の許可制とし、設置場所や大きさまで細々と規定したことは、表現の自由の侵害そのものだ。これでも“表現の自由の規制ではない”と言う裁判所は、戦後憲法体制を否定したに等しい。
東京地裁は、不当な規制への学生の抗議行動については「明らかに不相当」と言い、退学処分や停学処分を社会通念上合理性を認めることができるなどと言っている。そんな社会通念=常識などぶち壊せ! 労働者階級と学生は、闘う団結に依拠して表現の自由を闘いとる以外にない。
さらに地裁は、3・14法大弾圧についても、完全に開き直った反動的主張をしている。
まず、法大当局が警察に事前連絡したとしても何ら非難に値するものではないと言っていることだ。大学の自治を裁判所が真っ向から否定している。
さらに、3・14法大弾圧が警察と法大当局による組織的・計画的な権力犯罪であることを否定したことだ。しかし、@200人もの警察官を動員、A法大当局による110番通報の2分後に200人の警察官が法大キャンパス突入、Bフジテレビが逮捕時の映像を放映、C学外デモをやっている間に立て看板を撤去せず、デモ隊がキャンパスに帰ってくるのを待っていた、D「入構禁止」と言いながら正門を大きく広げ、デモ隊をキャンパスの中に引き入れたことなどの事実を見れば、警察と法大当局が事前に計画を立て、学生全員の逮捕と退学処分を狙っていたことは明白だ。
私たちは、前代未聞の権力犯罪である3・14法大弾圧を断罪し、その責任を徹底追及する。退学処分・停学処分を撤回させるまで闘い抜く決意だ。(法政大/N)
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週刊『前進』(2290号5面2)(2007/04/09 )
全学連 法政大学入学式に登場
被処分者が新入生と合流
闘う被処分者と全学連は4月3日、日本武道館で行われた法政大学入学式に登場した。「革命の学校、法政へようこそ!」という大見出し、6・15法大1千人集会の写真で飾られたビラは、多くの新入生に衝撃を与え、吸い込まれるように受け取られていった。待ちに待った07年法大決戦本番が始まった。(写真)
入学式登場にまったく手が付けられなかった法大当局は、夕方になってから巻き返しの弾圧を図った。安東学生部長が学生部職員とガードマン十数人を引き連れて被処分者の排除に出てきた。にぎやかな新歓の雰囲気と対照的な安東の悪意に満ちた態度に学生の怒りが集まる。被処分者の抗議と学生の結集に包囲された安東は、警告することしかできず引き下がった。今も被処分者は元気に新入生と合流している。
法大当局は、学生会館の跡地に造られた新施設が利用開始となるこの4月までに、学生運動を一掃しようとしてきた。しかし被処分者の断固とした登場で、当局の狙いは完全破産した。3・14弾圧から1年以上におよぶ法大生の闘いは、当局を完全に圧倒している。
もはや大学当局は、弾圧に弾圧を重ねるしか術(すべ)がない。法大当局は、「3・14法大弾圧を許さない法大生の会」と社会科学研究会の二つの新歓企画に対して「教室を貸さない」という不当な決定を行った。絶対に新入生と合流させたくないのだ。しかも理由は「被処分者がいるから」というとんでもないものだ。憲法も法もあったものではないない。破防法型の弾圧だ。
こうした弾圧は、新入生の怒りを引き出している。弾圧すればするほど法大生は決起する。法大当局よ、法大生を甘くみるな。07年法大決戦の爆発で平林体制を絶対に打倒しよう!
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週刊『前進』(2290号5面3)(2007/04/09 )
富山大 実力で自治会室を防衛
新入生とともに反転攻勢へ
全国のみなさん! 富山大学学生自治会は3月31日の「自治会室明け渡し期限」を粉砕し、実力で自治会室を守り抜いている(4月4日現在)。
私たちは日々、決定的勝利をかちとっている。4月以降、新たな富大生たちが、自治会室攻防は自分たちの闘い、自治会への弾圧は自らへの抑圧と一体だととらえ、明け渡し実力阻止の闘いに次々と合流している。
再度の全国集会
富山大学学生自治会は、3月13日の全国集会に続いて、明け渡し期限を翌日にひかえた3月30日、再度の全国集会を打ち抜いた。学生決起の拡大を恐れる大学当局は、3月13日に続いて再度の大学ロックアウトを宣言、すべての門を封鎖する暴挙に出た。
当局は、正門だけでも30人以上の職員を動員、学内の守衛室の裏に警察部隊を潜ませた。当日の午後2時半ころには、学生支援課の課長と課長補佐が大学前の交番で警察と打ち合わせしていたことも学生が現認している。当局の出した看板には「集会を中止させるために入構規制を行う」「集会参加者の入構は認めない」と書いている。
よくもこれほど、あからさまに集会破壊と言論弾圧ができるものだ。憲法よりも「学生規則」が優先なのか! まさに富山大学での攻防は、改憲と改憲投票法案をめぐる闘いそのものだ。
大学当局は、集会参加の学生を突き飛ばすなどの暴力的排除に出てきた。そしてついに、職員を自ら転ばせて「転び公妨」を演出し、付近に潜んでいた機動隊を導入した。富大生の闘いの前進は、警察・機動隊というむき出しの暴力に頼らざるを得ないところにまで大学当局を追いつめたのだ。学生は大学当局を徹底弾劾して集会をやりぬき「自治会室明け渡し実力阻止」を宣言した。
「明け渡し期限」を過ぎた4月3日、富大生は攻勢に打って出た。学生支援課に学生が弾劾行動をたたきつけた。すると普段はふてぶてしい田川課長は、15分もしないうちに学生支援課の部屋から逃げ出した。警察がいなければ、学生と向き合うこともできないのか!
またこの間、警察と当局の意を受けた反動分子が、集会破壊を図ったり、立て看板への差別落書き・破壊などの敵対を繰り返している。しかしそのつど、大衆的な怒りが起こり、反動分子を大学からたたき出す勝利をかちとっている。富大学生運動は、警察・当局・右翼の密集した反動に対して一歩も引かずに闘うことで、より鍛えられているのだ。
(写真 大学当局の一方的「明け渡し」攻撃を粉砕し学生が自治会室を実力で守り抜いている)
革命の最先頭に
この間、富大当局は学生の追及に対して、次のような発言をしている。
▽(どうして「学生規則」を制定し、自治会つぶしをやるのか?)「学生が政治のことに関心を持ったり、サークル活動に熱中することで、授業に出なくなって留年したりするからだ」
▽(学生はもう大人なのだから、自分で考えることではないのか?)「学生は幼いから管理しないといけない。大学全入時代になり、大学間の競争に勝っていくために管理は必要だ」
富大当局は、日本経団連会長・御手洗が大学を「国際競争力の拠点」と位置づけ、侵略戦争の拠点にしようとしていることと100%一体なのだ。西頭学長よ、学生がプロレタリア革命運動に「熱中する」ことは当然だということをよく覚えておけ。
今や労働者の3分の1が非正規雇用にたたき込まれ、労働者同士が際限の無い競争に追い立てられている。一生懸命働いても生活保護水準以下の賃金しか得られない労働者家族が激増している。一方で、営業利益2兆円のトヨタ自動車を始め、ほんの一握りの資本家どもに富が集中している。資本家階級は労働者からより一層むしり取るための競争に明け暮れている。こんな腐りきった社会を変えるために、労働者階級は自己解放をかけて革命に立ち上がっている。
学生が革命運動に「熱中する」ことは最も人間的な行為であり、西頭学長独裁のもとでの「授業」など最もくだらないことなのだ。
全国学生は今こそ労働者階級の革命の事業の先頭で決起しよう。富大学生運動はその先頭に立つ。
(富山大/K)
(写真 大学ロックアウト、当局による暴力的排除を粉砕し集会を貫徹した【3月30日 富山大正門前】)
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週刊『前進』(2290号5面4)(2007/04/09 )
耕作権裁判市東孝雄さんの冒頭陳述
“どこが不法耕作なのか”
国・県・空港会社の不正告発
2月19日、三里塚芝山連合空港反対同盟の市東孝雄さんの耕作権裁判第1回口頭弁論が千葉地裁で開かれた(本紙2284号)。この場で市東さんが行った冒頭意見陳述を紹介します。市東さんは、成田空港会社(NAA)のデタラメ極まりない「不法耕作」「土地を明け渡せ」なる提訴に対して激しい怒りを表明し、徹底抗戦の姿勢を明らかにした。15分にわたる堂々たる陳述は、法廷を圧倒した。市東さんの耕作権裁判第2回口頭弁論は4月23日(月)11時から千葉地裁で行われる。全力で結集しよう。
(写真 第1回口頭弁論に臨む市東孝雄さん【2月19日 千葉地裁】)
まず、自分がこうした場に呼び出されていることに強い憤りを感じています。私が耕作している畑は、祖父の代の開墾から90年間耕しており、これまで一度も否認されたことはなく、「不法耕作」だと言われる筋合いのものではありません。「明け渡し」を求めて裁判に訴える空港会社の不当に抗議するために、私はこの場に立ちました。
また、空港会社が行った契約解除許可の申請について、知事がまともに調べもせず許可を決定したことも怒りに堪えません。空港会社は公団時代から数々の違法を重ねてきましたが、今回も旧地主からの買収時期を偽り、決定を騙(だま)し取った事実があります。国と空港会社と千葉県は、耕作者を守るための法律である農地法を違法に使って、私から強引に農地を取り上げようとしています。私はその不正を告発するためにこの場に臨んでいることを、まず明らかにしたいと思います。
●大正期の開墾から3代90年間耕した農地
私の耕作地は、戦後の農地改革のはるか以前から耕してきた小作地です。本来、農地改革の時に自作地になるべきものでした。しかし諸事情で解放されなかった小作地については、農地法で自作地と同様に耕作権が保護されてきました。親子3代90年間休むことなく耕してきた畑が農地法によって奪い取られるということが、私には、どうしても納得できません。
空港会社が地主の藤崎政吉氏から問題の畑を買い上げたことを私が知ったのは、4年前の新聞報道でした。しかも売買はその時から15年もさかのぼる1988年4月に行われていたのです。この事実が発覚するまで実に15年間、空港公団は元の地主の藤崎氏と示し合わせて売買の事実を隠し続け、登記もせず、地代も元の地主に受け取らせてきたのです。このようなことがどうして許されるでしょうか?
小作地の売買についてはまず耕作者本人が買い受けることを、農地法は定めています。第三者が買い取る場合は、耕作している者の同意が必要です。成田空港用地については、特例として県知事の農地転用許可はいらないことになっているそうですが、第三者に小作地を売り渡すにあたって耕作者に同意を得るべきことと、農地転用許可がいらないこととは別の問題です。そうでなければ、耕作者の権利がまったく保障されないことになります。
父も私も知らないうちに、空港用地にするために畑が売られ、ある日突然、空港会社が地主だと名乗り出て、「契約解除だ」「不法耕作だ」「明け渡せ」と言われることなど、絶対に納得できません。このような横暴は戦前の地主制度の悪しき習わしとして、農地法で厳しく禁じられてきたことです。
しかも空港会社は、知事に対して賃貸借契約の解除を申請するにあたって、売買時期を2003年12月24日だと偽り、このことから発生するさまざまな違法問題に蓋(ふた)をして、知事の決定をいわば騙し取っています。あまりの不当に怒りを抑えることができません。
●今耕している農地が賃借地のすべてです
しかも問題にされている畑の位置の特定がまったくデタラメです。空港会社が一方的に定めた境界は、元の地主の藤崎氏が空港会社に畑を売り渡した後で、父の立ち会いもなく、基準点もないままに、勝手に作った図面をもとにしています。それは実際とかけ離れたものであり、今に至るまで一度も耕作していない土地も含まれていて、全くのデタラメとしか言いようがありません。(中略)
●かけがえのない農地を潰す農業政策
ところで本件は、NAAが賃貸借契約の解除申請を行い、それを成田市農業委員会が受理して知事に送達し、知事が請求を許可したことで発生しています。
私が不当な賃貸借契約解除に抗議して、県農業会議の審議を傍聴した時、県の農地課の役人は、「1億8000万円は農業収入の150年分に相当するから解除申請を許可すべき」と報告しました。
私は怒りに身が震えました。農業・農民を守る立場の役人が、金さえ出せば農民の命である農地を取り上げてもいいなどと、どうして言えるのか。(中略)
私は農業に誇りをもっています。生産者と消費者でつくる会の一員として、本格的な有機農業と産地直送を始めて以降、延べ3000軒以上の消費者宅に野菜を届けてきました。(中略)
農地と農業はかけがえのないものであり、私たちの命です。私の農地問題の背景には、このような農業切りすての実態があることもこの場を通して訴えたいと思います。
●収用法失効の果ての農地法による農地取り上げ
空港会社は契約解除申請の理由に、「誘導路の利便性の向上」をあげていますが、この「へ」の字に曲がった誘導路は空港公団が納得ずくで建設したものでした。計画の欠陥が指摘されながらも、空港公団は運用上問題がないと力説して大臣の認可を受けたのです。
ところが「利便性が悪いから真っ直(す)ぐにする」と言い、それを理由に農地を取り上げるとは、まともな話ではありません。
今回の北延伸計画でも、東峰地区にとってかけがえのない森を潰(つぶ)し、迷路のような誘導路を計画するなど、住民無視の限りを尽くしています。成田クリーンパークの違法な埋め立てや空港北部住民の騒音地獄など、計画はじつに無謀で行き当たりばったりです。
このような不合理な計画に耕作権をはく奪されることは不当です。転用許可の基準すら満たしていません。
さらに、私が強く訴えたいのは、土地収用法が失効した土地に対して、再度、これを取り上げることの不当です。政府は「一切の強制的手段の放棄」を声明し、1993年6月に収用手続きの申請をすべて取り下げました。成田空港に係わる土地の強制収用の根拠はこれによってなくなりました。一度はまったく納得できない土地収用の当事者にされた者にとって、この取り下げが、どれほど大きな意味をもつかわかるでしょうか。
こうして平穏を得たはずの農地が、こともあろうに農地と農民を守るために制定された農地法ではく奪されようとしている。これは農地法の死を意味します。これほどの不正義はありません。国と空港会社は無法の限りを尽くしています。私はこれをどうしても認めることができません。私の耕作権を奪うことは絶対に許されない。(中略)
空港会社の不当な訴えを、棄却することを要求します。
(写真 デモ解散地となった市東さんの畑。集会を成功裏に終え、一息つく市東さんと萩原進さん【3月25日 成田市天神峰】)---------------------------------------------------
週刊『前進』(2290号6面1)(2007/04/09 )
星野さんの誕生日にバースデーカードを 吉島 光
4月27日は、星野文昭さんの61歳の誕生日。翌4月28日は、戦後沖縄が日帝により米軍政に売り渡された日です。
偶然のつながりですが、”沖縄を返せ! 星野を返せ!”を行動にしましょう。星野さんを、病床のお母さんが待つ札幌へきっと取り戻しましょう。
星野さんにバースデーカードはどうでしょうか? 星野さんのもとに確実に届きます。仲間の体温を、獄中で星野さんが直接に感じることは、何倍ものエネルギーになります。星野さんはもらった手紙は2回読むそうです。渡された時と、寝る前と。
獄壁を越える闘いを心の中だけでなく、実践的に。絵葉書なら5分でOK。大きな文房具屋さんに行けば、楽しい絵葉書もたくさん売っています。選ぶのも楽しいものです。
灰色の刑務所にカラフルな葉書の花が舞う。刑務所長に全国からの視線を物量としてドシドシ感じてもらいましょう。懲役仲間のうわさにもなります。
職場の人にも勧めてみませんか? 人づてに聞いた人から「はじめまして……」という手紙も来て、星野さんは「うれしかった」そうです。
実は、去年の誕生日はまだ手紙は禁止でした。でも、今年からは違うんです! 長い階級闘争の血と汗の結果、手紙が出せる力関係の転換が実現しました。これを断固行使しましょう。
星野闘争とは、まぎれもなく日本階級闘争が生み出した産物です。「絶望」ではなく、「生還」の闘いです。やわらか頭で、敵の分断と日々闘って、11月労働者集会への1万人結集の力と星野奪還との結合をかちとりましょう。
■バースデーカードのあて先は、〒779−3133 徳島市入田町大久200−1 星野文昭様■
マスコミはまともな報道をするべきだ! 東京 星野昌代
4月8日の都知事選に関して石原優勢と報道していた。また言っている、何ということ、大きなお世話だ。
何に基づいて言っているのか、真意のほどもわからないし、ガセネタかも知れない、と思う人はいいとして、多くの人は「そうなんだ〜」「よくわからない対立候補よりこっちの方にしとこ〜」なんて思ってしまうらしい。そんな民意を操る権利がどこにあるのか。
活字になったり、電波にのると「信じてもいいこと」と思ってしまうのは人情なのだ。そこに数字がついたら何をかいわんや、なのだ。数字で示したら確かなもの、なんて信じない方がいい場合の方が多いのにだ。基準の置き方でなんとでもなるものなのだ。
マスコミは何をどう伝えるべきかを考えてほしいものだ。どうでもいいことを報道して、伝えるべきことを言っていない。3月18日の世界一斉行動の時だって、アメリカのことを報じているのに日本が出てこない。自分の国のことを言わなくてどうする。去年の教育基本法改悪反対の国会前の様子だってどこも報じていない。こんなことがあっていいものだろうか。お粗末きわまりない。
残された何日かで、都民が価値ある判断をし、諸悪の根源をつくった石原を闇(やみ)に葬ることを祈っている。
初めての三里塚現地充満する食べ物の力 女性労働者 海亀
3月24日の三里塚現地調査・交流会と翌日の全国集会に参加しました。
驚いたのは、人が住み、畑を耕している地域に、これでもかというくらいに張り巡らされたフェンス。しかし、いくらフェンスで囲ったからといって、取りあげてるわけではありません。でんと構えたお社が、不屈の農民の耕す畑が、空港の完成を阻んでいる、それが三里塚でした。
交流会では、農家の方たちからたくさんのお話を聞くことができました。いろいろな意見も飛び交いました。私はセンターの食事がおいしかったので思わず、「この安全でおいしい食べ物を守らなければいけないと思う人はたくさんいるんだから、そんなに簡単に農業をつぶすことはできないはず」と言ったけど、考えてみれば今、どれだけの人が、食べ物の値段以外のこと、たとえば安全性に注意を向けられるでしょう。
25日は雨の集会となりました。でも、すごい熱気です。「雨にぬれても」って歌がありましたが、降りたきゃ降れよって感じでしたね。ある青年が「支配者に向かって『よりよい統治を』なんてお願いするようなこと、もうやめよう!」と元気に発言していました。「革命って何?」ときかれたらこう言うつもりです。「何を作り、何を食べるか、自分たちで決めるんだ」って。
三里塚へ来なかったら、この闘いの分厚さを知らないままでしたね。今回、センターに泊まれてほんとうによかった。闘いを支えるエネルギーが充満してましたから。それってやっぱり食べ物の力じゃないかと。
翌朝、家に帰ると、小亀が、私のお弁当も詰めてくれてまして、おやつのケーキまで作ってありました。「どしたの?」(海亀)。「すぐ会社に行くと思ったから」(小亀)。うれしかったですね。
『コミューン』の「青年労働者の状態」読んで 関西 清川正造
お送りいただいた『コミューン』4月号の特集「日本の青年労働者の状態」を一気に読みました。日本の青年労働者の状態の報告については、各紙誌でも連日のように報じられていますが、この現実を招来している根本の社会構造・階級社会を変革・止揚する立場で特集されているところが『コミューン』に共鳴するところです。
労働者階級が革命の主体という意識が更に組織のすみずみまで浸透していけば、紙面の文体なども、もっと読みやすいものとなるでしょうし、企画も労働者にとって興味をひく内容のものが増えてくるでしょう。以前より明らかに良い方向に『前進』の改革は進んでいると思います。
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週刊『前進』(2290号6面2)(2007/04/09 )
水嶋控訴審 控訴棄却を強く要求
検察側証人採用を弾劾する
3月30日、東京高裁第12刑事部(長岡哲次裁判長)で、88年9・21千葉県収用委会長せん滅戦闘デッチあげ裁判の控訴審第2回公判が開かれた。
裁判に先立つ昼休みの霞が関で、水嶋秀樹同志を先頭に宣伝活動を繰り広げた。水嶋同志がマイクを握り「私は無実です。長岡裁判長は一刻も早く検察官の不当な控訴を棄却し、無罪判決を出せ」と声の限りに訴えた。ビラは吸い込まれるように受け取られた。
午後3時、裁判が始まった。50席の傍聴席は満員である。70年代、全逓青年部で水嶋同志とともに闘った仲間や高校時代の友人も駆けつけた。若いフリーライターも取材に来た。法曹関係者もいる。関心は非常に高い。
裁判は、裁判長が交替したため更新手続きから始まった。検察官は控訴を強行しておきながら自らの主張を述べることもできず、その不当性を自認するみじめな姿をさらした。
これに対して弁護側は、水嶋同志は完全に無実であり、直接対面による正井証言こそ何よりも重視されるべきだと指摘した。また写真面割の不当性や、1審公判で「遮蔽(しゃへい)措置」を要求した検察官の公判対応などを指摘・弾劾し、水嶋同志の無実とデッチあげの実態を説得力をもって訴え、控訴棄却を強く要求した。
続いて水嶋同志の「意見書」を弁護人が代読した。「本件は検察官による憎むべきデッチあげです。私はAではなく、別人です。こんな明快で明白なことに、どうして延々と時間をかけなければならないのか」「1審の公判で正井と対面して、最初に視線を合わせた時、正井の目は『あれ! あなたは誰だ』と困惑していました。正井と私が直接対面したことで、すでに決着はついています。1審無罪判決は当然です」「長岡裁判長は検察官の証人申請をすべて却下し、直ちに控訴を棄却し、無罪を確定して下さい」。弁護団と水嶋同志の意見を聞いた傍聴者は誰もが水嶋同志無罪の確信を深めた。
その後、検察官が申請した証拠の採否に移った。検察官は6人の証人と7点の証拠を取り調べ請求している。これはデッチあげを上塗りするものばかりである。長岡裁判長は、弁護人の強い異議申し立てにもかかわらず、水口清(東京歯科大学教授、法歯学者)を証人に決定し、他は留保した。断じて許すことができない。
水口は、水嶋同志が01年に歯を治療した時に撮影されたレントゲン写真から、現在の状態までに歯を喪失したのは正井がAと最後に別れた89年以降であることを「立証」しようというのだ。
正井は26歳の時の水嶋同志の写真を、88年当時40歳くらいのAとして特定した。しかし01年に法廷で直接対面した正井は、水嶋同志をAではないと証言した。
検察官はこの正井証言について、89年以降に歯が抜けて水嶋同志の容貌(ようぼう)が変化したから正井は水嶋同志をAだと認識できなかったと主張しているのだ。冗談ではない。正井は、水嶋同志がAとは別人だからAではないと証言したのだ。
水嶋同志の歯は88年には現在と同じ状態だった。水嶋同志の歯を見てもいない水口が検察官のデッチあげに加担して勝手な証言をすることなど断じて認めることはできない。
その上で歯があろうとなかろうと、既知の者ならば何年たとうと再会すれば絶対に分かる。現に水嶋同志は、30年ぶりに全逓時代の仲間と感動的に再会したが、誰ひとり水嶋同志を認識できない人はいなかった。40年ぶりに高校の友人たちと再会した時も、全員がすぐに水嶋同志と分かり、なつかしく握手し合い、声をかけあったのだ。
検察官がどんなにあがこうと水嶋同志の無実・無罪は鮮明だ。水口証人は次回5月31日の公判に出廷する。徹底的に粉砕し息の根をとめよう。
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週刊『前進』(2290号6面3)(2007/04/09 )
救援センターが総会
“治安攻撃と全力で闘おう”
3月24日、救援連絡センター第3回総会が東京・港区勤労福祉会館で開かれた。
司会には、運営委員の2人が選出され、救援連絡センター前代表の佐藤昭夫弁護士が開会のあいさつを行った。
山中幸男事務局長が昨年1年間の報告と今後の課題及び運動方針を提起した。
山中事務局長は、昨年1年間の特筆すべきこととして、多田謡子反権力人権賞と東京弁護士会人権賞のダブル受賞を喜びをもって報告した。この受賞を救援連絡センターに対する叱咤(しった)激励と受け止め、「任期中の改憲」を公言する安倍内閣の治安攻撃の激化と全力で闘う決意を明らかにした。
さらに山中事務局長は、裁判員制度を柱とする司法改悪との新たな闘いに打って出る決意を述べ、以下を提起した。
昨年1年間で救援連絡センターが扱った被逮捕者は70人に及んだが、完全黙秘の闘いでほぼ全員不起訴で奪還されたこと。法政大の40人逮捕や全日建運輸連帯労組関西生コン支部に対する連続的・集中的な弾圧が学生運動・労働運動破壊攻撃として激化している一方、弾圧の対象も市民運動へと広がり、職務質問の横行、朝鮮総連や部落解放運動への弾圧も強まっていること。また、05年11月から施行された改悪刑訴法(公判前争点整理手続きの導入、拙速・密室裁判の強行)、06年10月からの法テラス(国選弁護の国家管理)などの実施、さらに共謀罪、ゲートキーパー法案新設阻止の闘いなどを押さえ、「救援連絡センターの課題はますます重大であり、全力で闘おう」と締めくくった。
その後、会計監査報告、新運営委員・前田朗(東京造形大学教授)さんの紹介が行われ、全体の拍手で確認された。また、「共謀罪新設を阻止しよう」「刑事司法改悪と闘おう」という2本の決議が採択された。
第2部として、高山俊吉弁護士の「裁判員制度はいらない」と題する記念講演が行われた。
高山さんは、裁判員制度は被告人のための制度ではなく、辞退も認められないこと、裁判員が有罪か無罪か吟味する余地はほとんどなく、大半は量刑を決めるためにのみ強制的に動員される制度であることを暴露した。「裁判員は人を罰することを強制され、秘密の厳守を生涯義務づけられ、裁判員になったことすら職場で漏らすと罰せられるという二重の苦役を強いるだけのものである。一言で言えば、改憲と戦争の時代の国民精神総動員をめざすものである」と喝破。「最高裁のタウンミーティングでのやらせ発言など、露骨な世論誘導にもかかわらずやりたくない人が圧倒的に多い。裁判員制度反対の大運動で廃止に追い込もう」と訴えた。
次に浅野史生弁護士が、裁判員制度のために導入された公判前整理手続きのもとでは、裁判は公判前に非公開で実質的に結審し、公判は儀式に過ぎないと実態を暴露した。
最後に、救援連絡センター代表弁護士の葉山岳夫さんが閉会のあいさつを行った。戦争と改憲に突き進む安倍政権と闘うために、救援連絡センターの一層の強化・発展をかちとろう。
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逮捕される前に読んどく本 『救援ノート』が改訂
「逮捕される前に読んどく本」という副題がついた『救援ノート』第8改訂版が、待望にこたえ3月1日、救援連絡センターから発行された。
69年発行の初版本以来、『救援ノート』の神髄は「逮捕されたら完全黙秘で闘おう」ということだ。「完全黙秘こそ、法律の素人である被逮捕者が、この身一つで、取調の専門家と対等に闘うための、唯一・最強の武器です」「この時代、万人が逮捕や裁判と無縁ではないことを胸に刻んで、この小冊子を活用して」ほしいと強く訴えている。
昨年3・14法大弾圧で逮捕された学生の留置場や取り調べの体験記も掲載されている。
逮捕されたら「ゴクイリイミオーイ」(03−3591−1301)の救援連絡センターが指定する弁護士選任を!
【救援連絡センター/東京都港区新橋2−8−16 石田ビル4階/03−3591−1301】
(写真 A5判122ページ カンパ500円)
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週刊『前進』(2290号6面4)(2007/04/09 )
辺野古からの報告
インタビュー 海人の思い(下)
間近で三つの大事件
Cさん(62)は、海上新基地建設のためのボーリング調査阻止の海上攻防を先頭で闘いぬいたウミンチュ(海人=漁師)の一人。前回に続いてCさんに聞く。
☆
――Cさんが辺野古闘争に参加するようになった直接の契機はなんだったのですか?
04年秋ごろかなあ。阻止行動に参加していた本土の女性と偶然知り合って「一度でいいから辺野古に行ってみてほしい」と頼まれてね。そこまで言うならと辺野古に行ってみたわけよ。
漁港前にテントが張られていて辺野古のおばあが疲れた顔して横になっていたり、海上阻止行動の様子を伝える無線では誰それが作業員に乱暴されたとか騒然としているわけよね。
何より基地建設計画の内容を知ってびっくりですよ。とてつもなくでかい。こんなものがすぐ近くにできるのに何にも私らには知らされなかった。これは黙って見ていてはいけないと腹をくくったわけよ。
仲間を募るために宜野座や石川など中・北部の漁業組合を直接回って応援をお願いした。総勢30人くらいになったかなあ。うれしかったね。
☆
――Cさんが基地に反対する原点はどこにありますか?
俺(おれ)は復帰前の三つの大事件のすぐ間近にいたんです。
一つは「由美子ちゃん事件」(1955年9月)だね。私が小学5年生の時だった。偶然、一つ年下のいとこが由美子ちゃんと一緒に遊んでいた時に由美子ちゃんが米兵に連れ去られた。いとこはびっくりして家に逃げ帰りブルブル震えてものも言えなくなってしまった。後に事件が発覚し、彼が犯人の米兵の顔をしっかり覚えていたおかげで捕まえることができた。
二つ目は「宮森小学校ジェット戦闘機墜落事故」(1959年6月30日)です。F100ジェット戦闘機が石川市(現・うるま市)の宮森小学校に墜落して小学生11名、一般人7名が死亡した。けが人も数百人でたと聞いている。
私が通っていた中学校のすぐ隣が宮森小で、その日の墜落事故を偶然目撃した。試験が終わって、廊下で窓越しに友だちと話していると、戦闘機がものすごい音を立てて突っ込んでくるのが見えた。その時は自分たちの中学校に突っ込んでくるのではと観念しました。小学校に墜落してものすごい火柱が上がったわけです。駆けつけると、黒こげになった子どもたちがなおくすぶっている状態で悲惨でした。
三つ目はコザ暴動(1970年12月20日)かな。当時の俺はタクシーの運転手をしていたんだけど、仲間の無線で知って駆けつけたよ。黒山の人だかりで米兵の車両が来るたびにみんなで検問してひっくり返していたよ。米軍の引き起こす車両事故に対する怒りだったね。
若いころは基地で働いたこともあったし、基地や米軍占領に対して今ほど意識的に反対していたわけじゃない。でもこういう米軍がらみの事件が自分のすぐ身近でもの心ついてからずっと起こっていたわけよね。
やっぱり基地や軍隊があるから私ら(沖縄)はひどい目に遭うんだね……という思いはずっとあった。みんな口には出さんけどそう思っていたはずよ。
☆
話が終わり、別れのあいさつを交わしていると、Cさんはそれまでの笑顔から急に真顔に変わった。
「俺は今は前みたいに毎日のように辺野古には行けないけどね、いつも魚を取りながら辺野古のことを考えているよ。今日は大丈夫かねえ……とか。何か動きがあれば必ず駆けつけるからね。
俺は政治のことは全然わからんが、阻止行動でいろんな人間を見てきた。口では立派な演説をするけどいざ阻止行動になると全然闘わない連中もいれば、いつもは裏方やっていてもいざという時はしっかり頑張ってくれる人たちもいる。そういう信用できる人たちとだったら俺は命かけてもいいと思っているさ」と握手を求められた。
Cさんの手から、日ごろの漁で鍛えた力強さと基地建設阻止にかける熱い思いが伝わってきた。
(聞き手/大津五郎)
(写真 コザ暴動。米軍が引き起した事件・事故に対する沖縄人民の積年の怒りの爆発だった)
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