ZENSHIN 2000/05/08(No1956 p10)

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週刊『前進』(1956号1面1)

 6月総選挙で闘う国会議員を

 長谷川氏、勝利へ決意を語る

 介護保険制度は廃止を

 有事立法と改憲を阻む

 5・28全国から芝公園に結集せよ

 杉並(東京八区)から長谷川英憲氏を押し立てて闘いぬく総選挙決戦は、いよいよ本番に突入した。介護保険制度廃止へ杉並住民とともに力強く闘いは始まっている。森・自公政権の有事立法・改憲攻撃を許すな。その先兵・ファシスト石原打倒、七月沖縄サミット粉砕へ闘おう。先頭に立って奮闘している長谷川氏に総選挙必勝への決意を語ってもらった。(編集局)

 第1章 杉並と全国の力で介護を奪い返そう

 −−総選挙が迫っています。
 長谷川 政治支配の危機の中で小渕政権が倒れ、森政権が登場しました。森政権は、サミット前に総選挙を強行し、選挙で信任を受けた政権としてサミットという帝国主義間争闘戦の場に臨む決断をした。
 この森政権をどう見るか。大方の政党やマスコミは、小渕の後継政権、選挙までのつなぎ、つまり本格政権ではないと非常に軽く見ています。しかし、森首相の所信表明演説を見ても、そう軽視はできない。
 例えば、有事立法に歴代自民党政権として初めて言及した。第二の憲法と言われる教育基本法の改悪を打ち出している。そういう点では、完全に有事立法・改憲内閣と言っていい。
 森首相は「社会保障の構造改革」を所信表明の最初にあげた。大失業攻撃を強め、介護保険を始めとする医療・福祉・年金改悪を強行突破する内閣として登場しているんです。
 そうした森政権の意図を貫く選挙になるのか、それを阻む選挙になるのかが、われわれの闘いにかかっている。
 投票日は六月十八日か二十五日と言われている。この総選挙は戦後かつてない政治決戦です。六月総選挙になんとしても勝つ。東京八区で石原伸晃、日本共産党、民主党を打倒して勝利する決意です。
||四月から強行実施された介護保険との闘いが重要ですね。
 長谷川 四月一日に介護保険がスタートし、大勢の人がこれまでどおりの介護を受けられなくなった。福祉の戦後的あり方の大転換、福祉の切り捨てそのものが始まったと言っていい事態です。
 福祉、年金、医療などの社会保障の切り捨てを許さない闘いを巻き起こすことが絶対に必要です。
 杉並では、この三月から四月にかけて、介護と福祉を要求する運動をつくろうと、高齢者を含む大勢の人たちが努力を積み重ねてきました。三月に杉並区が介護保険実施を前にして説明会を開きましたが、これに対して私たちは、「介護保険は実施させてはならない。実施させたらとんでもないことになる」と、ビラを配ったりして訴えた。
 同時に、なぜ介護保険は悪い制度なのか、どうして福祉切り捨てになるのか、実施されたらどういう状態になるのかを、学習会を開いて訴えてきた。
 三月三十一日には、約四十人で杉並区との交渉をやりました。介護保険で福祉・介護が大幅に切り下げられるという区民からの具体的な訴えを受けて、これまでどおりの介護を行えと要求した。この交渉で要求実現のめどをつけたことが大きな自信になりました。
 翌日の四月一日、杉並第七小学校に高齢者を始めとする三百二十人の区民が集まって「取り戻そう介護、みんなの広場」が開かれ、阿佐ケ谷駅近くの公園までパレードをしました。解散地点でも立ち去りがたいという雰囲気で、みんな「やあ、よかった」と言っている。沿道からも拍手や声援を送ってくれる人がかなりいました。
 こういう闘いの上に、「介護と福祉を要求する杉並住民の会」(準)が結成に向かって動き始めました。高齢者を始め住民は闘う意欲をもっています。この中に、大失業と戦争の政治に対する、大衆的な怒りの反撃の芽があります。この闘いを全国に広げたい。
 要求し、それを権利として自覚し、それに基づいて団結し、組織をつくり、一緒に行動する。奪われた介護を奪い返す。それをまず杉並でつくり出す。そして全国ネットワークにつなげていく。その力で介護保険を廃止していく。その展望が見えてきました。
 この問題は労働運動の大きな課題でもあるんです。
 介護保険の制度をつくる時から、民主党の菅が厚生大臣の時にブレーンとして連合、特に自治労がついていた。そのブレーンの一人であった池田省三が、「介護保険の給付はできるだけ低く抑える方がいい。それを超えるものが必要だったら、個人でお金を出して業者から買え」と言っている。
 そういう連合などのイデオローグと対決し、労働運動の中でそれをぶっ飛ばしていく必要がある。
 全労協などが開いた三月十六日の春闘総決起集会では、介護保険導入や年金・医療の改悪反対が五つの要求のうちの一つに掲げられた。これは労働者階級の闘いとして大事な点を押し出していると思います。介護保険廃止を本当に実現していくためには、労働者の闘いが絶対に必要です。労働者は保険料を無条件に天引きされるわけですし、介護は労働者と労働者の家族の問題です。

 第2章 闘う沖縄と連帯し戦争会議を許さぬ

−−総選挙に勝利することは、沖縄サミットを始め、戦争を阻止する闘いにとって決定的です。
 長谷川 総選挙は完全に沖縄サミット粉砕の闘いと重なった。帝国主義の戦争会議を絶対に許すわけにはいきません。
 森首相は、小渕前首相以上に沖縄の人びとにとって許しがたい人物です。「沖縄出身の歌手が君が代を歌わなかった。沖縄の教育の中で教えていない」「琉球新報も沖縄タイムスもことごとく国に盾突く」などと、徹底した沖縄敵視の発言を繰り返している。沖縄の人たちが、「森が議長になる沖縄サミットをどうして許せるか」と言っているのは当然です。
 そもそも、沖縄でサミットを行う目的は何なのか。森政権は、サミットで沖縄の闘いを圧殺して名護新基地建設に突き進もうとしている。さらに“沖縄米軍基地は、日本が自らの力で沖縄の闘いを抑えつけていることで提供されている”という形で、アメリカやサミット諸国、さらにアジア人民に日帝の力を誇示しようとしている。
 沖縄人民の闘い、それと連帯した本土の人民の力で、サミットの前に真っ向から立ちはだかり、これを粉砕する闘いをつくることが必要です。総選挙は、それと直結した決戦になっている。
−−日本共産党は完全にサミットを翼賛している。
 長谷川 共産党の裏切りは許せない。共産党は、「日本の米軍基地の集中点である沖縄を、世界の首脳部と、世界のマスコミに心おきなく見せる」などと言って、沖縄サミットの必要性を主張している。
 彼らは、サミット推進のために岸本名護市長リコール運動の推進を妨害した。名護市民は、岸本市長が新基地建設を受け入れたことに対して、リコールで基地反対の姿勢を示そうとした。しかも受任者が千人近くも集まっていた。そういう闘いに共産党は徹底的に水を差した。
 サミット参加国は、みんな戦争をやっている国なんです。ユーゴスラビアを爆撃し、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)への敵視政策を行い、沖縄の米軍基地を強化しようとしている。
 サミット参加国首脳は、沖縄がどういう状態にあるかは百も承知で、もっと基地を強化しようというわけです。そのサミットに賛成し、推進する共産党の裏切りは、徹底的に明らかにされなければいけない。

 第3章 9・3治安訓練反対石原都知事辞任へ

−−石原都知事が差別主義・排外主義の暴言を行いました。これとの対決も総選挙の重大なテーマですね。
 長谷川 そうです。まず、石原都政の位置をはっきりさせておきたい。
 今、日帝はものすごい危機にあります。中国・台湾情勢や南北朝鮮の首脳会議合意などで明らかなように、アジアをめぐる争闘戦で日帝はまったく立ち遅れている。そういう国際政治の激動の中で小渕内閣は倒れた。
 こうした状況に対するファシスト的な危機感から、石原知事は今回のすさまじい差別主義・排外主義の発言をした。さらに、九月三日には自衛隊を動かして治安出動訓練としての大軍事演習を東京を舞台に行おうとしている。
 「三国人」という差別語の襲撃性をはっきりさせておきたい。石原発言に抗議する記者会見で、梁石日(ヤンソギル)さんが「言葉を聞いただけで恐ろしくなる。皆殺しにしていいんだと聞こえた」と言っていますよね。石原知事のこの言葉の持つ反動的な激しさを、われわれは鋭くつかまなければいけない。「三国人」という差別語が頻繁に使われた時代には、実際に日本人が襲撃していたわけですから。
 日帝が植民地にし侵略していた朝鮮や中国の人民を、敗戦の時に「戦勝国でも解放民族でもない」として「三国人」と呼んだ。そう呼んだのはまず警察なんです。日帝が侵略し、強制連行し、迫害した人びとが、日帝の敗戦を機に猛然と決起を開始した。それを弾圧するために、警察が最初に「三国人」という差別語を使った。
 石原知事は「三国人」という差別語を記者会見などでも繰り返し使っている。彼は、それを差別語として徹底して意識して使っている。
 それと「大災害の時に暴動を起こす」と言っているでしょ。彼はよくロサンゼルス暴動を持ち出すけれど、あれは無実の黒人青年をロス市警が四人がかりでめった打ちにした事件、その犯人が裁判で無罪となったことへの怒りが暴動となって爆発したんです。原因は警察による人種差別にある。
−−ロサンゼルスでも震災は起こったけれど、暴動なんてなかった。
 長谷川 そうです。その二つの事件をごちゃ混ぜにして、関東大震災に意識的にダブらせている。関東大震災では六千六百人を超す朝鮮人や中国人が虐殺されたのであり、虐殺したのは軍と警察、それにあおられた日本人なわけです。石原知事の論拠はすべて虚構、デマ。まさに「デマを百回繰り返せば」というファシスト的なやり方です。本当に許しがたい。
 彼は朝鮮人・中国人が日本人を襲ったようなことを言うが、そんなことはなかった。新橋事件や渋谷事件などを見てもまったく逆で、彼の言うことは全部デマゴギーです。
−−その石原知事が九月三日に自衛隊三軍を数千人規模で動員して「防災訓練」を行おうとしている。
 長谷川 九月三日の訓練は絶対に許せないものです。石原知事は、「大災害の時に三国人の争乱事件を取り締まるための訓練だ」「国軍、軍隊とはいかなるものかを国民の前に示せ」と自衛隊を前に言った。これは、「今のままでは自衛隊は駄目だ。国内の民衆、特に朝鮮人・中国人、アジア人民に銃を向けて殺してこそ軍隊になれる」ということです。
 また、新宿、銀座という地名をあげて自衛隊を展開すると言っている。都庁には知事室の上に防災司令室があるんですが、訓練の時には、おそらくそこに三軍を指揮する現役の自衛隊司令官が入る。そして市ケ谷に移設した防衛庁の新たな中央指揮所と一体となって行われる。
 さらに石原知事は、「中国を分裂させろ」と公然と言い放ち、台湾の李登輝に会ったり、チベットのダライ・ラマに会おうとしたり、中国を分裂させるための活動を実際にやっている。
 戦前の中国侵略戦争への反省がない。逆に、正しかったと居直っている。彼の「大東亜強円圏」(ママ)という考え方も、東アジアを後ろに従えて、アメリカと中国に対抗するということです。
 しかし、今われわれが石原知事のファシスト反動に立ちはだかって闘えば、それを打ち砕くことはできる。労働者の中には闘う力がある。これは昨年の都労連賃闘のストライキ闘争にも示されている。ああいう闘いを、石原の排外主義扇動に対しても突きつけていく必要があります。すでに都庁職など都労連傘下の労組から続々と抗議声明が出されています。
 実際、九月三日には都の労働者が自衛隊三軍の訓練にいろんな形で動員される。これには、労働者階級が渾身(こんしん)の闘いで立ち上がらなければいけない。その力はあるんです。それをやらなかったら関東大震災から大恐慌、「十五年戦争」という道を再び許すことになる。

 第4章 日共・民主党と対決石原伸晃打倒する

−−石原発言に抗議した文化人たちの記者会見でも、石原伸晃は態度をはっきりさせろという声が出ています。
 長谷川 まったくそうです。彼は父親の権威を利用し、父親の弟の石原裕次郎の人気を利用して選挙をやっている。そして父親と一緒に“東京から日本を変える”と言っている。やはり、人民にとって打倒しかない。
 だいたい、石原知事にはもう知事としての資格はない。在日朝鮮人・中国人だけでなく、住民としての在日外国人の安全を守るのは知事としての責務です。それをまるっきり逆に、そういう人たちを襲撃しろと言っているわけですから、即刻辞めろということです。
−−選挙戦は、石原伸晃はもちろん、民主党や日本共産党とも激しい闘いになりますね。
 長谷川 民主党の菅は、厚生大臣の時に介護保険を全力で推進した。その内容たるや驚くべき福祉切り捨て、介護の切り捨てです。
 日本共産党は、介護保険に対して最初は反対のポーズを取っていたけれど、最近では完全に推進ですね。「国民的大事業をきちんと定着させなければいけない」という立場。三月の杉並区議会で、介護保険法に基づく区の条例案が出され、それに対する修正案を共産党が提出した。修正案の趣旨説明で共産党は、結柴区議に追及されて「介護保険には賛成だ」とはっきり言ったんです。
−−日本共産党は、石原知事に対しても屈服しています。
 長谷川 二月二十九日の都議会でも石原知事が「三国人」という差別語を使い、あとで知事側が議事録を訂正した。でもその都議会では、共産党を始め誰もそれを批判しなかった。認めていた。
 共産党は石原発言について「時代錯誤」と言っている。でも、時代錯誤なんていうものではない。侵略と戦争の時代だからこそ、ああ言っている。
 また、防災訓練についても「正しい防災訓練を」と言って、それに基本的に賛成している。
 石原知事の「大東亜強円圏」という考え方は共産党もまったく同じです。アジアが一つになって円圏、ドルに依存しない経済圏をつくるべきだというのは、まさに共産党の主張そのものでしょ。反米主義でも同一化している。
 共産党は安保廃棄の凍結、棚上げに始まって、「日の丸・君が代」の法制化に賛成し、天皇制についても「廃止を考えていない」と言っている。民主党との連合政権をつくるために垣根を低くしようと、これまでの主張を次から次へと引き下ろしている。

 第1節 労働者とともに闘う国会議員を

−−労働者階級の闘いにとって革命的議員が必要であり、議員の役割は重要だと思いますが。
 長谷川 今の国会に示されている現実は、戦争への危機感、リストラ・首切りへの怒りが労働者階級にはものすごくあるのに、それを代表する政党がないということです。われわれはまだ「たった一人の挑戦」ではあるけれど、それを背後で押し出しているのは、そういう労働者階級の力なんです。
 労働者とともに闘う政党、議員として、本当の意味での労働者党の台頭を実感できるものとして出ていくことです。革命的議会主義とは、選挙に挑戦するだけでなく、当選して何をやるのかが一番重要です。
−−たった一人の国会議員が決定的な意味を持ちますね。
 長谷川 そうです。今、数百人の国会議員の中で、例えば介護保険ひとつとっても反対する議員がいない。みんな翼賛的になっている中で、「反対だ」と公然と旗をあげる議員の存在は非常に大きい。そういう立場、そういう考え方、そういう闘い方があることを労働者人民に指し示す役割があるんです。
 一番決定的なのは、戦争に反対することです。今の国会を見ていたら、朝鮮・中国侵略戦争が起こった時に日本共産党は反対しない。ほかの政党も軒並み賛成でしょう。しかし反対する議員が一人でもいれば、労働者の取るべき方向ははっきりするわけです。それが革命的議会主義の決定的役割、最大の役割です。「一人のリープクネヒトを」というのはそういう意味だと思います。
 そのためにも、総選挙に必ず勝たなければならないと決意しています。

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週刊『前進』(1956号2面1)

 労働者階級の決起でファシスト=石原都知事を打倒しよう

 朝鮮人・中国人への差別と虐殺煽動し居直る石原は辞任せよ

 9・3防災訓練=治安出動粉砕へ

 東京から戦争体制構築狙う

 ファシスト石原慎太郎都知事は、四月九日の「三国人が災害が起こったときに大きな騒擾(そうじょう)を起こす」という発言にアジア人民・在日アジア人民と労働者人民の糾弾の声がわき起こった後も居直り続けている。民団に対する四・二〇見解では「大災害時には何が起きるかわからない」と、四・九暴言を繰り返しているのである。朝鮮人・中国人を排斥とテロルの対象とする排外主義的扇動を繰り返し、あくまで九・三自衛隊治安出動演習を強行しようというのだ。ファシスト石原による朝鮮人・中国人大虐殺の扇動および九・三演習を許すな。ファシスト石原を打倒して「闘うアジア人民と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱へ」の戦略的総路線を貫徹しよう。国際主義的連帯闘争の成否をかけ、ファシスト石原を弾劾し、都知事の座から引きずりおろす闘いを爆発させよう。

 第1章 石原は森自公政権のファシスト的な先兵

 ファシスト石原の極悪の暴言と闘うにあたってはっきりとさせなければならないことは何か。
 第一に、石原の狙いが排外主義を全面的に扇動し、労働者人民を侵略と戦争に向かって組織し、動員することにあるということだ。石原は災害時に外国人−朝鮮人・中国人が暴動を起こすかのようなまったくありえないデマを、意識的に執拗(しつよう)に吹聴し、労働者人民に排外主義をあおり立てているのだ。
 第二に、石原の直接的狙いが、排外主義の扇動によって、九月三日の自衛隊の治安出動演習を強行し、首都のど真ん中を軍隊が制圧する事態を現出しようとしているということである。まさに石原の暴言にあるように「国家の軍隊」として自衛隊を登場させ、国家と社会の中心にすえ、新ガイドラインの発動として日本を軍事国家へと変貌させようとする攻撃である。
 第三に、こうした石原の策動は、森・自公政権の沖縄サミットによる沖縄闘争圧殺と新ガイドライン戦争体制の確立、有事立法・改憲、教育制度の抜本改悪など、侵略と戦争に向けた攻撃と完全に一体だということである。
 石原は強大な権限を持った都知事の立場を利用し、ファシストとしてのより反動的な立場から、森・自公政権の先兵として一気に戦争国家体制を構築しようとしているのである。
 こうした石原の暴言=反動攻撃に対して、国会や都議会ではそれが何ら問題にすらならず、日本共産党を始めすべての政党が翼賛政党化している。まさに森・自公政権とその急先鋒である石原にすべての野党が屈服しているのである。
 衆院選決戦・東京八区(杉並)で長谷川英憲氏の当選をかちとって石原伸晃を打倒し、ファシスト石原を打倒し、石原を都知事の座から引きずりおろそう。
 同時に、この闘いを新ガイドライン=侵略戦争体制粉砕の新たなガイドライン決戦として闘うことを鮮明にさせなければならない。

 第2章 「暴動起こす」デマで大虐殺の再現あおる

 石原暴言を徹底弾劾し、石原を打倒する闘いに立ち上がっているアジア人民と固く連帯し、労働者階級の階級性にかけてファシスト石原都知事を打倒しよう。
 石原の「三国人、外国人が大きな騒擾を起こす」という発言は、まさに一九二三年関東大震災および四六年GHQ下での朝鮮人・中国人大虐殺を知っていて、その再現を狙って意識的に扇動しているものである。
 石原は、雑誌『正論』三月号で、小渕首相に「関東大震災の際、朝鮮の人たちがデマゴーグで殺されたりして気の毒だったけれど、今度逆のことが起こるおそれがある」「それに対処するデモンストレーションとして戦車とか装甲車で街を封鎖する訓練もしてほしい」と発言したことを明らかにしている。
 関東大震災における朝鮮人・中国人大虐殺は、「朝鮮人が放火した」とか「井戸に毒を入れた」「暴動を起こしている」などのデマを流すことによって意図的に引き起こされた。その大虐殺は軍隊や警察が中心となって行い、またデマで扇動された民衆の自警団もこの虐殺に加わった。しかもこの中で社会主義者や無政府主義者も虐殺された。軍部は、大正デモクラシーといわれたロシア革命以後の労働者人民の闘いの高揚を圧殺するために事前に計画を立てており、それを関東大震災を利用して発動したのである。
 石原は、この関東大震災における朝鮮人・中国人大虐殺を謝罪も反省もしないばかりか、再びこれを繰り返して戦争国家体制の構築を成し遂げようとしているのだ。石原は、そのために「ロス地震の時に黒人やヒスパニックが強盗した」などとありもしないことを公言し、そのうそが暴き出されてもなお「今度は不法入国した三国人が大きな騒擾を起こす」と執拗にデマを繰り返している。

 第3章 「三国人」とは差別と襲撃を意図した言葉

 石原は、この暴言が全社会的な問題となる中で「三国人」という言葉を「外国人」という意味で使ったかのようなペテンを使って言い逃れようとしている。しかし、「三国人」と「外国人」とでは指している意味内容は明らかに違う。戦後直後に朝鮮人・中国人への排外主義を扇動する目的を持って意図的に作られた「三国人」という言葉を使っているのである。
 日帝は戦後、強制連行によって膨大に存在していた朝鮮人・中国人を弾圧・襲撃し、追放する狙いをもって「第三国人」という呼称を使った。その中で朝鮮人・中国人への差別と抑圧が強められ、とりわけ四六年には、新橋事件、渋谷事件という警察の承認のもとでの暴力団による襲撃が行われた。まさに「三国人」という言葉は、朝鮮人・中国人への差別襲撃を意図した言葉なのだ。(林歳徳著『私の抗日天命―ある台湾人の記録』参照)
 石原は、戦後「三国人」という言葉がこうした差別・抑圧・襲撃のために使われてきたことを百も承知している。排外主義を扇動するために、差別(語)に対する糾弾の闘いによって死語となっているこの言葉を、あえて繰り返し使っているのだ。
 しかも石原は、朝鮮人・中国人大虐殺の扇動のために、外国人が暴動を起こすかのようなデマを宣伝している。そのために外国人がすべて犯罪者であるかのように言いなしている。「不法入国した」とか歌舞伎町や池袋がやくざも歩けないような恐ろしい街であるかのように吹聴している。だが、外国人の犯罪が増えているとか、外国人の凶悪犯罪が増えているなどという事実はまったくない。完全なデマゴギーなのだ。

 第4章 一切の責任は日帝のアジア侵略にある!

 今日、多くのアジア人民が日本に入国せざるをえないのは、日帝のアジア侵略によってもたらされたものなのだ。日帝は、八〇年代以降アジア侵略を強め、アジアの労働者を強搾取することによって膨大な超過利潤を吸い上げてきた。
 日帝のアジア侵略によってアジア諸国では農業を始めとした伝統的な産業が破壊され、それまでの生活の手段を奪われることによって、膨大な失業者が生み出されてきた。彼らは賃金労働者として働かざるをえず、しかもそれぞれの国では日帝の侵略の結果、十分に仕事がなく、生きるために、生活の手段を求めて日本へ来ざるをえないところに追いやられたのである。
 また日帝は、国内の低賃金労働者の不足を補うために「研修」の名目でアジアからの労働者を導入し、きわめて不安定な在留資格のもとで低賃金と超過酷な労働、不安定就労を強制してきたのだ。日帝の入管法と外登法による在日やアジア人労働者への厳しい入国制限と過酷な在留制限は、朝鮮、中国を始めとしたアジア人労働者に無権利な状態での労働を強制し、資本がこうしたアジア人労働者を強収奪のもとに過酷な労働を強制していく決定的なてことなってきたのである。
 そもそも戦争中から日本に在住している朝鮮人・中国人やその二世、三世は、日帝の入管法・外登法弾圧の中ですさまじい抑圧体制の中におかれてきた。入管法、外登法はまさに世界に類例のない悪法である。
 日本で働かざるをえないアジアの労働者たちが、厳しい在留制限の中でしかたなくオーバーステイとなり、非正規滞在とならざるをえない一切の責任は日帝にこそある。
 石原は、「不法入国」した、あるいは「不法在留」の朝鮮人、中国人、アジア人民が暴動を起こすかのようなデマ宣伝を繰り返している。だが、そのようなことは百パーセントありえない。まったく逆なのだ。
 日本にいるアジア人民は、石原を始めとしたファシスト勢力や一部の日本民衆の排外主義的な抑圧のもとで、身を守るために肩を寄せ合って生きている。そうした現実に対して石原は、「怖くてやくざも歩けない」などと逆に排外主義的偏見をあおっている。
 戦後における新橋事件や渋谷事件なども、戦後という困難な時代の中で、強制連行されてきた日本という身寄りも生活基盤もない社会の中で生きるための必死の手段として青空市場での商売を行っていた中国人に対して日帝は、排外主義的扇動で彼らを追放しようと策動し、また日本の労働者人民の闘いへの決起を反革命にそらそうと狙って襲撃したのだ。
 石原の暴言に対して日本に在留するアジア人民だけでなく、アジア各国の人民が、各国政府が、怒りに燃えて弾劾の声を上げている。在日を始めとした文化人や表現者が記者会見し、抗議をたたきつけている。
 こうした怒りの声に追いつめられて石原は「遺憾の意」を表明するなどして批判をかわそうとしているが、根本的には何も反省しておらず、何も謝罪しておらず、あくまでも自衛隊の治安出動演習を強行しようとしている。これに呼応して右翼勢力は、決起した在日の人びとを始めとする人民に脅迫を加えている。
 今や石原暴言を弾劾する闘いは、日本における本格的なファシストの登場を許すか否かの重大局面に突入しているのである。

 第5章 連帯戦略の真価をかけて石原と闘おう

 怒りの弾劾に決起した在日アジア人民をファシスト勢力の反革命的な襲撃から防衛する闘いは、日本プロレタリアートの階級性をかけた闘いとなっている。それはまた日本人民の未来をかけた闘いでもあるのだ。
 今こそ七・七自己批判とその後の闘いの地平、「闘うアジア人民と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱に転化せよ」の戦略的総路線とその一環である入管闘争の真価をかけた闘いとして石原暴言を徹底弾劾し、石原を辞任に追い込み、九・三自衛隊治安出動演習を粉砕しなければならない。
 さらに、石原の息子というだけでなく政治参謀として、石原の政治路線と一体である石原伸晃は石原暴言についてどう思うのか、全人民の前に明らかにする義務がある。日帝の戦争体制構築の先頭に立ち、介護保険強行の先兵となってきた石原伸晃を衆院選決戦において打倒しよう。

 最近の石原暴言
■「障害者」差別暴言(一九九九年九月十七日、府中療育センターを視察した後の記者会見で)
 ああいう人ってのは人格あるのかね。ああいう問題って安楽死につながるんじゃないかという気がする。
■ガイドライン協力発言(三月十一日付『朝日新聞』朝刊のインタビュー)
 新ガイドラインが始動するときにどう協力するかという質問があったが、私は文句言わずに協力すると言った唯一の知事だ。
■“中国分裂”暴言@
(『諸君』三月号)
 (中国を)分裂させなきゃいけないんだよ。少しでもその作用に日本は手を貸してやるべきだし、分裂前後のイニシアチヴもとらなければならない。
 やはり東アジアの秩序を維持するに必要な軍事力を備えていく必要もある。
 日本の金を使って沿海州などの中国の周辺に自治区みたいな地域をどんどんつくるという戦略をすぐ実行に移すべきなんだよ。(そうすれば)中国の国内分裂の動きを加速させることができる。
■“北朝鮮壊滅”暴言
(三月七日の自民・自由両党参院議員の勉強会の講師として)
 北鮮(ママ)なんて、ばか(ママ)なことを始めたら一撃で壊滅する。
■“中国分裂”暴言A
(『シュピーゲル』四月十日号)
 超大国中国が多くの小国家に分裂した方がよい。
 南京についての非難は、完全なナンセンスです。このいわゆる虐殺は、一九四六年にアメリカが東京戦犯裁判の過程の中で創作したものです。
■“「三国人」の騒擾に治安出動を”と暴言(四月九日の陸上自衛隊第一師団の創隊記念式典で)
 九月三日に陸海空三軍を使ってのこの東京を防衛する、災害を防止する、災害を救急するという大演習をやっていただきます。
 今日の東京をみますと、不法入国した多くの三国人、外国人が非常に凶悪な犯罪をですね、繰り返している。こういう状況を見まして、もはや東京における犯罪の形は過去と違ってきた。もし大きな災害が起こったときには大きな騒擾事件すらですね想定される。
 こういうものに対処するには、なかなか警察の力をもっても限りとする。ならばですね、そういう時に皆さんに出動願って、都民のですね災害の救助だけでなしに、やはり治安の維持も、一つの大きな目的として遂行していただきたい。
■「三国人」発言を居直り(四月十日、「三国人」について記者団に)
 戦後の混乱の中で、せっかく作った青空市場で、いわゆる三国人がその中には韓国系、朝鮮系、中国系、アメリカ軍もいて、不法なことをあえてする。
 東京だって不法入国した顔色がそれぞれ違った身元のはっきりしない人たちがいっぱいいる。その人たちが必ず騒擾事件を起こすと私は思うし、だからその事実を考えましょうと言っただけだ。
■謝罪を拒否(四月十二日の記者会見)
 誰に謝罪するの。何で私が辞任しなくちゃいけないの。ばか(ママ)なことを聞くな。

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週刊『前進』(1956号2面2)

 ゛石原やめろ″の運動拡がる

 都民広場で抗議集会

 4・19質問状への回答求め

 石原暴言への怒りの行動が広がっている。四月十二日、石原都知事に抗議する記者会見をし、六項目の公開質問状を発した人材育成コンサルタントの辛淑玉(シンスゴ)さん、作家の梁石日(ヤンソギル)さん、エッセイストの朴慶南(パクキョンナム)さん、タレントのデーブ・スペクターさん、作家の宮崎学さん、評論家の佐高信さんらの闘いは、創意豊かな「石原やめろネットワーク」運動に発展した。これらの人びとが行った都庁抗議や記者会見などに参加した読者からの投稿を紹介します。(編集局)
 私は、文化人ら十二人が石原知事に出した公開質問状の回答指定日である四月十九日に行われた緊急行動に参加した。
 昼過ぎ、石原暴言に怒りを燃やす労働者・学生・市民七十人が都庁内「都民広場」に集まった。
 午後二時半、代表団二十人が知事室に向かった。対応した宮坂課長は、代表団に対して「知事のマスコミへの説明をもって回答とさせていただきたい」などという返答を繰り返した。私は、怒りで体が震えた。
 石原知事は、暴言に対する鋭い糾弾がたたきつけられるや、無視と居直りを決め込み、一官僚に木で鼻をくくったような対応をさせて、一切をやり過ごそうとしたのだ。何という尊大で、卑劣で、ファシスト然としたやり方か。
 何よりも許しがたいのは、「マスコミへの説明が回答だ」などという言辞である。石原知事はこの間、テレビ番組に繰り返し登場し、四月九日の暴言を謝罪するどころか、「外国人が騒擾(そうじょう)を起こす」「危機管理は当然だ」などとわめき立て、一層悪らつに差別・排外主義扇動を行ってきた。それが知事の回答だと言うのだ。
 辛淑玉さんは、「知事の態度は不誠実です。反対する者のいる場には現れず、反対する者のいないテレビ番組で扇動的な発言を続けている」と弾劾した。
 あくまで居直りを決め込もうとする宮坂課長に対して、質問状への回答を求める代表団の意志を知事に伝え、その結果を報告することを約束させた。
 続いて行われた記者会見で、辛さんは「ノーと言えない日本を非難した石原知事は、自分に対してノーと言うことを許さない。マイノリティーが声を上げた時に出てくる声は『お帰り下さい』だ」と述べ、フランスで「パスクァ法案」という移民排斥法案が提出された時、フランスの労働者が反対の闘いに立ち上がったことを紹介し、日本の人民が石原発言とどう対決するのかを鋭く問うた。
 宮崎学さんは「知事は質問主体に対して何も回答していない」と弾劾した。
 最後に、辛さんがリコール運動も含めて、石原辞任まで闘うことを宣言した。
 都政を革新する会は、長谷川英憲代表を先頭にこの日の行動をともに闘った。
 私は石原打倒の決意を新たにした。  (E・K)

 「ネットワーク」へ
 準備会発足し記者会見
 四月二十一日、辛淑玉さん、宮崎学さん、朴慶南さんらの呼びかけで「石原やめろネットワーク」準備会が発足した。この日、衆院第二議員会館で行われた記者会見には、石原暴言に抗議してきた多くの団体・個人が集まった。
 経過を報告した辛さんは、「知事に提出した質問状の回答は、『回答しない』というものでした。かつて関東大震災の時に『不逞(ふてい)鮮人が騒動を起こす』と扇動して、けっして繰り返してはならない殺人事件を起こしました。石原知事はこれと同じ挑発をし、謝罪もしていません。きょう、『石原やめろネットワーク』準備会を立ち上げました。この運動のロゴマークは『CANDY STRIPE』です。ひとつのあめをいろいろな色で包むという、多文化、多民族の共生を意味します。多言語で情報を発信し、日本人だけでなく、選挙権のない人たちも、ともに声をあげていこうと思います」と述べた。
 宮崎さんは「石原知事をやめさせるため、石原発言反対の全団体をネットワーク化していく」と話した。
 朴慶南さんは「石原知事は『もうお茶を濁したい』と考えているかもしれないが、この発言だけはけっしてあいまいにできません。今後の日本がどうなるのかを問う、重大なカギがここにあります」と訴えた。
 会見に参加した団体・個人からは、石原暴言を機に「外国人は危ないからクビにする」と言われた外国人労働者がいることや、新宿で働く中国人が路上でめった打ちにされて救急センターに担ぎ込まれたこと、インターネット上で「三国人」などの言葉を用いた差別暴言がまき散らされていることが報告された。
 こうした差別襲撃をけっして許さず、石原辞任まで闘いぬこう。 (M・H)

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週刊『前進』(1956号2面3)

 資本攻勢&労働日誌

 4月12日〜26日

 会社分割法容認する民主党

●IMFに1万人が反対行動
●連合がメーデーの日変更
●厚生省年金基金の減少続く
●12日 経団連(経済団体連合会)と日経連(日本経営者団体連盟)の統合問題で、連休明けにも両会長が話し合うことが明らかに。
●13日 松下電器産業は本社部門の技術者を対象に、裁量労働制導入で組合側と合意した。
◇健康保険組合連合会は、全国の健保組合の今年度予算の推計値をまとめた。全体の8割強の健保が経常赤字となる見通し。
◇川崎製鉄の100%子会社の川鉄テクノワイヤは、2002年3月末までに労働者を20%削減する方針。
●14日 ノンバンクの日貿信は、民事再生法の適用を月内に東京地裁に申請する方針を固めた。1部上場企業としては初めて。
◇民間信用調査機関の帝国データバンクのまとめでは、3月の企業倒産件数は前年同月比39.5%増の1770件となった。前年同月比での倒産件数増は5カ月連続。
◇住友金属工業は和歌山製鉄所に7月に事実上の退職勧奨制度を導入し、2002年3月までに現在の従業員の17%、1165人を削減予定。
●15日 「産業再生法」への申請が、春先から急増。法律が施行された昨年10月から半年余りで、認定は計32件に達した。
●16日 米国の首都ワシントンで行われたIMF(国際通貨基金)・世界銀行の閣僚会議に世界から約3万人が集まり、AFL・CIOなどの労組やジュビリー2000などの非政府組織(NGO)など約1万人が街頭を埋め「経済のグローバル化」反対などを訴えた。
●18日 米労働統計局によると、1999年の労組加盟者数は98年比1.6%増の1647万人と2年連続で増加。前年比の増加数は26万6千人と過去20年間で最高を記録。
●19日 連合は5月1日に行ってきたメーデーの集会を、2001年は4月28日に開くことを決めた。
◇民主党は、基礎年金(国民年金)の全額を国庫負担とし、その財源に消費税をあてる経済政策案をまとめた。
●20日 厚生年金基金の数が昨年度に3年連続で減少したことが厚生省の調べで明らかに。(図参照)
◇衆院本会議で、政府提出による会社分割を創設する商法改悪案と会社分割に伴う労働者の権利について規定した労働契約承継法案、民主党提出による会社分割に伴う労働者保護法案の3法案の趣旨説明と質疑を行った。
●21日 安田火災海上保険は仕事の成果で退職金が変動するポイント制退職金制度を導入する。
●22日 東邦大学医学部助手の立道昌幸医師らの研究によって、裁量労働制を採り入れた場合、長い時間働いて、精神面の健康に「障害」を起こす人が増える可能性が高いことが明らかになった。
●25日 自民党の野中広務幹事長は経団連との懇談会で、会社分割法制を整備する商法改悪案の今国会成立を目指す方針を表明した。
●26日 与野党は商法改悪案の修正問題で、労組との事前協議を義務づけることを付則に盛り込む方向で最終調整する見通し。民主党の「修正」要求を自民党が受け入れた。これにより民主党は、同改悪案に賛成し、同党の労働者保護法案の成立にはこだわらないとし、同改悪案は一部「修正」のうえ今国会で成立する公算が大きくなった。

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週刊『前進』(1956号3面1)

 労働者の階級的決起で

 兵士は9・3治安出動拒否を

 反戦自衛官・小多基実夫一士が訴え

 排外主義襲撃の煽動許さぬ

 朝鮮人・中国人への差別・排外主義と虐殺の扇動を居直り続ける石原都知事は、九月三日、自衛隊三軍を動員して首都東京を制圧する大演習を行おうとしている。この攻撃の意味するものは何か、これとどう闘うべきかを、反戦自衛官の小多基実夫一等空士に聞いた。(聞き手・編集局)

 第1章 練馬駐屯地の第一普通科連帯こそ首都治安出動の最前線部隊

 −−四月九日に石原都知事がとんでもない暴言を吐きましたが、そこにどんな意図が込められているのでしょうか。
 まずはっきりさせなければならないことは、四・九暴言は九月三日の治安出動訓練の「出動宣言」だということです。一九二三年の関東大震災の時以上の、朝鮮人民・中国人民・アジア人民大虐殺を行うという「宣戦布告」なのです。
 九月三日に自衛隊を治安出動させる結論が先にあり、そこに向かって行われた計画的な扇動だということです。この点をしっかりつかむことが大切です。
 −−「出動宣言」「宣戦布告」をなぜこの時期に行ったのですか。
 石原が暴言を吐いたのが練馬駐屯地での創隊記念式典だったことに注目してください。
 練馬駐屯地は今から五十年前に結成された警察予備隊の基地として始まります。朝鮮戦争が一九五〇年六月二十五日に始まり、占領軍として日本に駐留していた米軍が投入され、国内治安弾圧のために警察予備隊が編成されたのです。
 この時、治安弾圧の対象は、在日朝鮮人民に絞られました。米軍の朝鮮半島への侵略戦争に激しく怒り、抗議し、朝鮮戦争に反対する日本国内での闘いの先頭に立ったからです。その闘いに対する弾圧部隊として創隊されたのです。最初から在日朝鮮人民に照準を合わせた部隊が練馬駐屯地の部隊なのです。
 −−練馬駐屯地の部隊は国内の治安弾圧を目的につくられたわけですね。
 練馬駐屯地の部隊は、在日朝鮮人とともに、朝鮮侵略戦争反対の闘いに立ち上がる日本労働者人民の闘いを鎮圧する部隊でした。一九五二年五月一日に起きた「血のメーデー事件」(※)の二日後、戦後憲法施行から五年目の日に、秘密裏に治安出動しました。部隊は、ホロトラックに乗り込み、機関銃には実弾を詰めて一日中、神宮外苑の銀杏並木で待機しました。この事実は闇(やみ)から闇へ葬られましたが、自衛隊は政治支配が危機に陥った時には、憲法も法律もかなぐり捨てて出動するのだという事実を示すものです。
 (※)サンフランシスコ講和条約発効直後の一九五二年五月一日、皇居前広場でメーデーのデモ隊に警官隊がピストル、こん棒、催涙ガスで襲いかかり、死者二人、負傷者千五百人、逮捕者千二百三十二人が出た。二百六十一人が騒擾(そうじょう)罪で起訴された事件。
 −−練馬駐屯地での創隊記念日ということに特別の意味があったと。
 現在、練馬駐屯地の第一師団第一普通科連隊は、五十年前に結成された首都治安制圧部隊の任務をそのまま引き継いでいる部隊です。朝鮮戦争下で、在日朝鮮人民と日本の労働者人民を制圧するための部隊の五十年の歴史を祝う式典を舞台にして、石原が暴言を吐いたことが重大なのです。
 −−現在では、第一師団第一普通科連隊が首都治安出動の中核部隊ということですか。
 自衛隊は六〇年安保闘争に備えて、習志野から市ケ谷に第三二普通科連隊を移駐させました。それ以来、首都治安出動部隊の主力として第一普通科連隊と第三二普通科連隊が位置づけられてきました。
 ところが、昨年末から今年春にかけて、市ケ谷の第三二普通科連隊は、四十年ぶりに大宮駐屯地に移駐しました。この四月からは、首都治安出動の最前線部隊が練馬の第一普通科連隊ひとつになりました。これが主力軍になるのです。今後、大増強されていくことになると思います。

 第2章 ガイドライン攻撃の最先端で戦争体制の構築狙っている石原

 −−九月三日の治安出動訓練で第一普通科連隊はどのような行動をとろうとしているのですか。
 九月三日には、第一普通科連隊は開業前の都営地下鉄大江戸線を使って、練馬から江東区まで部隊移動する。都営地下鉄を軍用鉄道として使おうとしているのです。これも石原都知事の計画です。
 九月三日の治安出動の主力部隊だからこそ、石原は練馬駐屯地に行って、そこで第一普通科連隊の五十年の歴史を称揚したのです。在日朝鮮人と日本の人民に銃を向けてきた歴史をたたえ、デマを吹聴して、決起の檄を飛ばしたのです。
 自衛隊はけっして公表しませんが、「年度警備計画」というものをつくっています。そこで、第一普通科連隊の主任務を首都治安出動と定めています。そのために、任務が事細かに規定されているのです。
 それを、九月三日には、四千人もの自衛隊が道路を通行止めにして、銀座など都内十カ所を中心に首都を武力制圧しようとしているのです。
 −−石原暴言は、朝鮮人・中国人を始めすべての外国人労働者に対する許しがたい襲撃・虐殺の宣言です。反戦自衛官として訴えたいことは。
 そうなんです。ある在日朝鮮人の女性が「毎年、九月一日の防災の日を迎えるたび、友達や隣人の日本人が襲撃してくるのではないかと、恐れて生きてきました」と発言されました。関東大震災から七十七年間も、「防災訓練」に身も心も凍る恐怖感を持って、日本人を見てきたということを真剣に考えさせられました。これは七十七年前のことではない。毎年、今年は大丈夫かと思いながら生きている生々しい現実そのものなのです。
 そうした現実を踏まえると、石原という都知事が全権を握って、自衛隊に朝鮮人・中国人への差別・排外主義と大虐殺の再現を扇動している。絶対に許しがたいことをやっているのです。
 知事というのは、自衛隊の治安出動の要請を職権で行える権限を持っているのです。「災害出動」要請も知事の権限です。「災害」を口実にすれば自衛隊を引き出せる。そういう権限をもった石原がやっていることの重大さを声を大にして訴えなければなりません。
 石原自身が「災害出動」といっても、その任務の最大のものは、治安維持任務だと公言しているではないですか。
 −−石原が自衛隊を引き出すことは、政府の戦争政策との関係で、どのような意味を持ちますか。
 石原が行おうとしている治安出動は、新ガイドライン協定に盛り込まれた「ゲリラ・コマンドウ攻撃への対処」そのものだということです。実際にガイドラインが発動された時に、「ゲリラ攻撃」を口実にして武力鎮圧することを目的にしているのです。
 そういうものとして、九月三日には、銀座通りの武力制圧と並んで、荒川区の白髭西再開発地区の武力制圧をたくらんでいます。また、他県から動員した自衛隊部隊が江戸川河川敷にキャンプを設けることもやろうとしています。これらの地域は、在日朝鮮人・中国人が多数、生活している地域です。
 そこでは、自衛隊が武力で制圧したうえで、民衆を「指揮・統制」すると称して、戒厳体制をつくろうとしているのです。
 −−あらためて、石原の四・九暴言は、九・三治安出動訓練のために行われたと。
 四・九石原暴言で、九・三大演習に向かって矢が放たれたということです。これからの一日一日が九・三に向かってのカウントダウンということになります。これは、自衛官を始めとする日本社会が在日朝鮮人・中国人、在日外国人に生命の危機を感じさせる、とうてい耐え難い五カ月がスタートしたことを意味します。
 石原は、東京の民衆を、虐殺する側と虐殺される側に分断しようとしている。だから、どんなことをしても、九・三大演習は中止させなければならない。そのためにも、石原を都知事から引きずり下ろさなければならない。

 第3章 長谷川さんを先頭に石原慎太郎・伸晃を倒せの大運動起こせ

 −−どのように闘っていくべきでしょうか。
 石原慎太郎の政治基盤は杉並区にあります。息子の石原伸晃はここから代議士に出ています。伸晃は、都知事選では石原慎太郎の選挙運動の先頭に立った人物です。そして今、「親父と一緒に東京から日本を変える」と言っている。
 石原慎太郎と石原伸晃は共犯者です。これに責任をとらせる。「杉並を石原の政治基盤にすることは絶対拒否する」「石原の政治基盤を杉並でたたきつぶす」大運動を巻き起こす時ではないでしょうか。
 石原伸晃を衆院選で当選させてはならない。必ず落選させよう。ここで石原を粉砕する、粉砕できることを全民衆に示す時なのです。そのことが、九・三大演習を粉砕することに直結しています。
 −−衆院選は石原暴言、九・三演習を粉砕するうえでも重大な決戦になってきた。
 さいわい、わたくしたちは長谷川英憲さんという最良の衆院選候補を持っています。長谷川さんは、石原都政と真正面から闘っている人です。民衆にとっても、反戦自衛官にとっても最高の候補です。
 杉並という石原慎太郎、石原伸晃の政治基盤を、長谷川さんの一大拠点に転化する闘いこそが勝利を切り開きます。今こそ、衆院選での長谷川さんの当選のために闘う時です。

 第4章 治安出動と海外派兵に反対する反軍闘争の新段階を切り開く

 −−最後に、衆議院選挙勝利とともに、反戦自衛官の闘い、反軍闘争の発展の展望について一言お願いします。
 反軍闘争は七〇年安保・沖縄闘争に対する自衛隊の治安出動を拒否する闘いから開始されました。自衛官が“人民には銃を向けない”を合い言葉にして開始した闘いです。
 以後、三十年の闘いは、海上自衛隊の掃海艇ペルシャ湾派兵との闘いをとおしてさらに発展しました。今日では、自衛隊の治安出動との闘い、自衛隊の海外派兵との闘いを基軸に闘われています。
 今、こうして九月三日の、自衛隊三軍統合大演習という周辺事態法下、ガイドライン体制下での新たな治安出動との闘いが最大の闘いとなりました。
 それは、同時に反軍闘争も新しい段階に入ったということができます。反軍闘争の存在意義が問われています。
 反戦自衛官は、ガイドライン体制下での治安出動を拒否します。まして、石原の命令で治安出動することなど絶対に拒否します。朝鮮人民・中国人民・アジア人民に、銃を向けてはなりません。
 自衛隊兵士に次のように呼びかけます。
 九月三日、自衛隊三軍統合の治安出動訓練を拒否しよう。この訴えを、自衛隊内に深く呼びかけよう。
 自衛隊兵士もけっして出動は望んでいない。都労連の労働者も同様だ。制服を着た労働者である自衛隊兵士と労働者は一体となって、朝鮮人民・中国人民・アジア人民大虐殺を許さぬ闘いを実現しよう。
 ファシスト石原倒せの大運動を巻き起こし、九月三日の大演習を粉砕しましょう。

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週刊『前進』(1956号3面2)

 福祉を切り捨て大増税

 介護保険は廃止せよ (2)

 高額保険料の重圧

 40歳から死ぬまで徴収払えなければ制裁措置

 四月一日からの介護保険実施により、保険料の強制徴収も開始された。日帝は、労働者人民の怒りを抑え込んで介護保険を強行実施するために、六十五歳以上の人からの保険料徴収は半年間「凍結」するとした。だが、四十歳以上六十五歳未満の人は全員がその対象外だ。すでに、四月から保険料が強制的に取り立てられている。実質的な大増税が始まったのだ。

 第1節 全員に強制的

 介護保険は、四十歳以上のすべての人から、死ぬまで高額の保険料を取り立てる制度である。しかも、保険料を払っても介護を受けられる保証はない。むき出しの福祉切り捨てと大衆収奪が、この制度の本質だ。
 保険料の負担は、大失業と賃下げの一大資本攻勢のただ中にある労働者人民の生活に、さらに重くのしかかっている。
 介護保険制度では、被保険者は六十五歳以上の第一号被保険者と、四十歳以上六十五歳未満の第二号被保険者に分けられている。
 @第一号被保険者の保険料の基準額は、全国平均で月額約二千八百円、高い自治体では四千四百九十円にもなる。杉並区の場合は二千九百四十円だ。夫婦二人の世帯ならば、基準額で計算して年に七万円以上もの負担増になるのである。
 しかも、六十五歳以上の保険料は年金から有無を言わさず天引きされる。年金がない人や、月に一万五千円未満の年金しか受け取れない人は、市区町村が直接に取り立てる。それが払えなければ、どんなに介護を必要とする人であっても介護は受けられない。
 一人ひとりの保険料は、五つに分けられた所得段階に応じて、基準額の〇・五倍から一・五倍の額に決められる。保険料の負担は、所得が低い人ほど重い。所得の低い第一段階の世帯では収入に対する保険料の割合が八%を超えるのに対して、所得が最も多い第五段階の世帯ではそれが〇・七%になるという試算さえある。(表参照)
 このように、保険料の決め方自体、きわめて逆進性が強いのである。介護を奪われる貧しい者には重い保険料負担がのしかかり、お金で介護サービスを買うことのできる高所得者には、負担が軽減されるのだ。
 厚生省や介護保険推進派は、「高齢者の所得水準は上がっているから適切な負担を求めるのは当然だ」などとうそぶいて介護保険強行に突き進んだ。だが、その厚生省の統計でさえ、高齢者世帯の三割が年収百五十万円以下の、ぎりぎりの生活を強いられている層であることを示している。高額の保険料は、高齢者の生活を根底から破壊するのである。
 日帝は、介護保険実施を目の前にして、第一号被保険者の保険料徴収を半年間「凍結」し、その後一年は半額とする措置をとった。だが、それは実施をごり押しするためのペテンにすぎない。十月からは、六十五歳以上の高齢者も、情け容赦なく保険料を取り立てられるのだ。一年後にはさらにそれが倍になる。高齢になればなるほど、負担が増えていくのである。
 A第二号被保険者の保険料は、医療保険に上乗せして徴収される。一人ひとりの保険料額は収入によって異なるが、その月額平均は、組合健保で二千円、政管健保で千五百円、国保で千三百円である。
 組合健保、政管健保加入者は、保険料を賃金から否応なしに天引きされる。国保加入者の場合は、国保の保険料と合わせて徴収されるため、介護保険料は払わずに国保だけ払うというわけにいかない。
 しかも、第二号被保険者の場合、基本的には保険給付の対象外である。四十歳から六十五歳までの二十五年間は、給付を受ける権利はなく、保険料を払う義務だけが課されるのである。

 第2節 給付ストップ

 それだけでなく、保険料を払えない人には厳しい制裁措置がある。保険料を一年以上滞納した人は、利用料をいったん全額自己負担しなければ介護サービスを受けられない。(保険で給付される九割分は、後から払い戻される)さらに滞納が一年半に及べば、その時点で給付は削減されるかストップになる。
 また、時効によって市区町村が保険料を取り立てる権限を失った場合でも、保険料を払わなかった人に対しては、通常は一割の利用料の自己負担が三割に増やされるという制裁措置が適用される。
 お金がなくて保険料を滞納した人が、全額自己負担で介護サービスを受けることなどそもそも不可能だ。お金がない人はどうなっても構わないという介護保険の本質が、ここには露骨に貫かれている。
 そもそも介護は、それを必要とする人にとっては生きるために欠くことのできないものである。「保険料を払えなければ打ち切られても構わない」などというものでは断じてない。国家には、すべての人民に生存権を保障する当然の義務がある。介護を受ける権利は、保険料支払いの「見返り」として与えられるものではないのである。

 第3節 医療をも奪う

 さらに、介護保険法の制定に伴い、国民健康保険法も改悪されている。これにより、国保の保険料滞納者から保険証を取り上げること(被保険者資格証明書を発行)が市区町村に義務づけられた。資格証明書では、医療費をいったん全額払わなければ医者にはかかれない。国保加入の第二号被保険者から保険料を無理やり取り立てることがこの改悪の目的だ。
 中小零細や自営業者の多い国保加入者は、大不況と保険料の値上げの中で、これまででさえ保険料を払えない人がたくさんいた。これに介護保険料が上乗せされれば、払えない人が激増するのは避けられない。
 日帝・厚生省は、高齢者から介護を奪うだけでなく、大失業攻撃の中で苦闘する労働者人民から、医療を受ける権利をも奪っているのだ。
 これだけむごい保険料の取り立てを行いながら、どこまでも福祉を切り捨てるのが介護保険制度である。
 四十歳以上の全員から強制的に保険料を徴収するのに、実際に保険の給付を受けられるのはそのうち一割の人だけだ。九割の人の保険料は掛け捨てになる。こんな制度は、「保険」の名にも値しない。介護保険は、労働者人民の怒りと団結の力で絶対に廃止させるほかにない。 (T・N)

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週刊『前進』(1956号3面3)

 労働現場から

 NTTベアゼロ妥結に職場の怒りが噴出

 東京・電通労働者 津野 和子

 NTTの春闘は三月十七日、初めてのベアゼロで決着しました。NTT労組は前日まで「ベアゼロ妥結はありえない」と言っていたにもかかわらず、ベアゼロをのんだのです。それだけではありません。年度末手当廃止も受け入れたのです。夏冬の特別手当の五カ月を満額でかちとったとしても、マイナス〇・四八カ月で、年度末手当〇・四二カ月の廃止と合わせて〇・九カ月(平均三十六万円)の賃金ダウンです。
 ベアゼロどころか大幅賃下げを組合員の了承もなしに、闘いもなしに急転直下決めてしまいました。
 職場には怒りがあふれています。私の職場は、配転されて来て驚いたのですが、全電通がNTT労組に変わってから、例えば朝のミーティングで課長が「きょうは一票投票がある」とか「組合が春闘の時間外拒否に入るので、協力して五時までに仕事を終わらせてください」と言うような労資一体の職場です。民営化され連合になって、合理化をのんで団結も組合意識も破壊されてきた職場です。
 ところが、妥結した日の昼休みの決起集会で状況が一変。私は昼当番で職場に残っていたのですが、集会から戻ってきた組合員が、初めて真正面から組合批判をしたのです。「ベアゼロかよう」「何のためにストライキ投票をやったんだよ」「スト基金はいくらあったんだっけ」と。
 それは一瞬の怒りの爆発ですが、初めて職場が揺れたのです。実際、スト権は九七%で確立し、スト基金は五百億円も積み立てています。NTT労組は「組合員の期待と信頼をつなぎうる苦渋の選択」などという見解を出していますが、とんでもない。本当にふざけるな! と言いたい。
 全国の職場から私の元に怒りの声が届いています。ある人は、「腹が立って、組合のオルグに対して発言した。『なんでストライキをやらないんだ!』と。そしたら同僚から『自分が言いたいことをよく言ってくれた』と握手を求められた」と言います。
 別の人は出張先の集会に出たら、会場の後ろにいた組合員が「聞こえない」と言うと、役員が「前に出て来い」と言うので、「お前、ベアゼロを受け入れて、よく『前に出てこい』なんて言えるな」「賃上げをやらないのなら組合費を返してくれ」とやり返していたということです。
 私は、やはり労働者は一日にして変わるんだ、生活が破壊される攻撃を受けたら必ず決起するんだという確信をつかむことができました。この職場の怒りにこたえなければならないと、ビラをつくって門前で配っています。九〇%ぐらいが受け取ってくれ、確実に手ごたえがあります。
 今回のベアゼロは、NTT資本が狙っている攻撃のほんの手始めに過ぎません。賃下げ攻撃もこれからです。今回はNTTグループ全体をベアゼロでそろえましたが、これからは「格差をつける」とはっきり言っています。携帯や長距離・国際は上げるが、地域会社は下げる。「地域格差をつけた方が強制配転をやりやすい」ということも露骨に言っています。東西地域会社から五〜六万人を配転する。この三年間で地域会社の三人に一人を飛ばすということです。
 NTTは昨年七月に分割され、十月に「中期事業計画」を発表しました。「電話中心」から「情報流通」産業に転換するということで、市内電話はTTNetなどに明け渡して「競争」をあおり、アジアなど海外に出ていく国際戦略と長距離でガイドライン体制下の通信政策をNTTが担うということです。そのために、電話の販売やサービス部門の拠点統合を進め、「人員再配置」という強制配転をやる。「中期事業計画」には出ていませんが、二万一千人削減を発表しています。黙っていたら職場がなくなるのです。
 NTT労組の指導部は、これに積極的に協力し、「今までの電話事業にいたい、配転されたくないという人は、賃金が下がってもしょうがないという選択もある。新しい産業に転換するためには、今までタブーであったことにも取り組まなければならない」と、露骨に言っています。
 地方では、国鉄の人活センターや清算事業団のように、ほとんど仕事も与えないような職場もつくっています。国鉄に先がけて民営化されたNTTですが、いよいよ国鉄型の攻撃が始まったのです。
 今こそ、闘わなければ生きていけないことを訴え、連合・NTT労組指導部をを打ち破り、闘う労働運動の新潮流をつくり出す決意です。

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週刊『前進』(1956号4面1)

 森・自公反動政権と対決せずファシスト石原とも゛共闘″

 日本共産党の屈服と大裏切り

 第1章 危機の日帝を救済する「日本改革論」

 六月衆院選に日本共産党は、「日本改革論」を掲げて臨もうとしている。
 「日本改革論」とは、@「安保廃棄」以前にも実現可能な課題、実現すべき課題として、「平和解決を最優先する」「アジア外交を中心にすえる」「自主独立の外交を築く」の三つの転換をはかる、A経済・財政の問題では「“ルールなき資本主義”をただす」「公共事業と社会保障への支出が逆立ちした財政の転換」を経済民主主義の二つの柱とするというものである。
 これは、世界大恐慌、経済的な崩壊と戦争の前夜にある資本主義=帝国主義の体制的行き詰まりを暴露し、打倒の方向を示すのではなく、まったく逆に「資本主義の枠の中での民主的改革」によって問題は解決する、として帝国主義の救済を提案するものである。
 小渕が倒れた時、委員長の不破は「政治優先でなく治療優先で」と語り、小渕の回復を心から願うという意思表示しかしなかった。ガイドライン法を始め小渕・自自公政権の悪政の数々を弾劾する者には絶対に出てこない言葉である。だから彼らは小渕・自自公政権に代わり、有事立法と改憲を押し立てて登場した超反動の森・自公政権に対し、あらかじめ屈服している。『赤旗』は、四月七日の森の所信表明演説に対して、「形容詞と前書きだけ」「危機感のなさ」「対応能力のない〈中身なし政権〉」などとコメントしている。
 「もっと危機感をもって、しっかり対応せよ」「内容のある政治をやれ」と注文し、激励しているのだ。衆院代表質問でも、不破は、有事立法と改憲問題についてはまったく触れようとせず、森の首相就任直前の沖縄差別発言の弾劾も一言も行っていない。
 このような日本共産党の政治的スタンスは、彼ら自身が押し出しているように、ことごとく「日本改革論」から発している。以下、現在の政治課題における日本共産党の裏切りを一つひとつ暴露していこう。

 第2章 安保と戦争の容認の路線を一層推進

 まず第一に、戦争と安保の領域における国益主義と祖国防衛主義への転落である。
 一つには、九八年に「暫定政権」への参加の条件として「安保廃棄を“凍結する”」という路線を打ち出して以来、日本共産党は、「日の丸・君が代」の法制化提案、自衛隊と天皇制の容認発言など、従来の主張を次々に投げ捨ててきた。

 第1節 サミットに翼賛

 その現在的な現れこそ、帝国主義の戦争会議である沖縄サミットに対して、基本的に日帝の側に立ち、その推進役を買ってで、同時にサミットを吹き飛ばしかねない名護市長リコール運動を始めとする沖縄米軍基地反対闘争の破壊者として登場していることである。
 彼らは、二月十六日に、「沖縄サミットを前に各国政府と世界のマスコミへの日本共産党の報告と訴え」を発表した。(本紙一九五二号6面参照)
 この文書は、タイトルからも、また「サミットが沖縄で開かれることを機に、沖縄のかかえる基地問題を世界の人びとに知っていただく」という前書きからも明らかなように、沖縄サミットの開催を当然のように前提化し、日本共産党はサミットに反対しません、協力しますとあらかじめ「世界の人びと」(世界の帝国主義者)に対して宣言したものである。
 これは同時に、日本帝国主義者に対して、日本共産党が、サミット粉砕闘争を抑え込むことに全力を尽くしますと誓うものである。
 不破は、記者会見において、「沖縄でサミットを開催するということは、日本の米軍基地の集中点である沖縄を、世界の首脳部と、世界のマスコミに心おきなく見せるという(日本)政府の意思表示」だと言って、日本政府の代弁者として自分を押し出している。
 ユーゴスラビア=コソボの侵略者である米独など世界の帝国主義者たちに対し、アジア侵略の拠点・沖縄米軍基地のあり方を「心おきなく」つまり心配しないで見てくれと、日本政府の意を体して言っているのだ。実際、この文書の中には戦前はもとより、戦中から戦後、そして現在にいたる日帝の沖縄差別政策に対する批判、弾劾どころか、言及すらもまったくない。
 不破は、沖縄人民を愚弄(ぐろう)するこの「報告と声明」をたずさえ、四月十五日に沖縄に乗り込み、「『日本改革論』で沖縄にどんな道が開かれるか」と題し「サミットの機会に沖縄の現状を世界に知らせよう」などと演説している。
 「日本に安保条約をなくしたいという政府ができて、そのことを例えば今日アメリカに言ったとしたら、来年の四月十五日までに、沖縄はもちろん、日本中のアメリカの基地を全部片づけてアメリカ軍が帰ってくれる」「このように、一つの基地をなくすのは大変だが、全部の基地をひっくるめてなくすのは、大変手続きが簡単であります」
 なんと不破は、基地反対闘争なんかやめて、共産党に投票して連合政府をつくろう、そうすれば一年で基地は全部なくなります、ととんでもないデマをとばしているのだ。
 ところで、「日本改革論」の前提になっている「安保廃棄の“凍結”」路線によれば、当面の政治情勢では、「安保破棄」を通告する政府ができる見通しはないから、まず、安保堅持派(とりわけ民主党)と連立した「暫定政府」に参加するために、安保廃棄は“凍結”して安保賛成の内閣をつくる、ということになる。つまり日本共産党に投票することは安保の存続=基地の存続ということになるのではないのか。なんというペテンだろう!
 「安保廃棄通告」をやりさえすれば、自動的に安保条約は破棄され、沖縄を始め日本の米軍基地はすべて撤去される、などというのは、基地撤去の闘いを条約上の手続きの問題にすりかえるものだ。日本共産党の狙いは、名護を始めとする沖縄の米軍基地反対の民衆自身の闘争の解体なのだ。

 第2節 改憲攻撃に沈黙

 二つには、昨年の新ガイドライン法成立によって日本が「戦争のできる国」に転換し、朝鮮・中国侵略戦争に向かって戦争国家体制づくりの攻撃が激化していることと何一つ対決しようとしていないことである。戦争協力拒否の闘いはまったくテーマになっていない。日本共産党は、さらに森政権の掲げている有事立法・改憲攻撃に対して、なんら闘おうとしていない。
 不破の演説にも、志位の言動にも、一言も有事立法・改憲反対は出てこない。それどころか、改憲を掲げる民主党との連合を追求しているのだ。日本共産党の「日本改革論」は、現実の戦争に向かっての攻撃とは対決するものではないということである。

 第3節 石原暴言に屈服

 三つには、ファシスト都知事・石原に対する完全な屈服である。
 日本共産党は、排外主義の扇動と東京の軍都化を進める石原を正面から批判、弾劾する立場を、一回もとったことがない。都知事選での石原への敗北を、「知名度の高い、よりましな候補にかなわなかった」と総括し、石原を「よりまし」な人物と認めてしまった。
 石原の知事就任以後は、首都移転反対の石原の「一万人集会」で、不破が石原と同じ壇上に並んだり、外形標準課税では真っ先に石原の提案に賛成したりしてきたのである。
 今回の朝鮮人民、中国人民に対する石原の差別・襲撃発言に際しても、『赤旗』は二面で小さく取り上げただけで、しかも党としての態度表明は、差別発言があった後、三日もたった四月十二日(『赤旗』発表は翌十三日)になってからである。石原に対する批判・弾劾の声が在日朝鮮人民を先頭に巻き起こったことに驚いてやっと対応したのだ。
 しかもその内容は、「都知事の資格がない」などと弱々しく言うだけであり、今年九月三日に石原が強行を策動している自衛隊三軍による「治安出動訓練」の攻撃に対しては、一切口をつぐんでいる。
 差別発言の直後に行われた不破の衆院代表質問でも、筆坂の参院代表質問でも、石原差別発言弾劾の言葉はない。
 そもそも、石原の反米の呼号や国家主権を守れという主張に、日本共産党は、その国益主義・祖国防衛主義という立場から共感・共鳴してしまっているのだ。帝国主義の階級的利益を根底的なところで擁護し、労働者人民の革命的な闘いに真正面から敵対する日本共産党スターリン主義は、ファシストと闘う姿勢をもたないし、闘えないのである。三〇年代におけるドイツ共産党=スターリン主義党のナチス・ヒトラーに対する屈服と敗北が、それを示している。
 石原が、ここまでのさばってきたのは、すべての既成勢力、とりわけ日本共産党が、石原批判を一言も発しなかったことに重大な原因がある。

 第3章 人民の生活と権利を守る闘いに敵対

 第二に、労働者人民の生活と権利を守る闘いにおける裏切りである。

 第1節 介護保険を賛美

 一つは、介護保険制度の容認である。四月一日、労働者人民の不安と怒りを踏みにじって強行実施された介護保険に対して、公然と賛成、推進の側にまわったことである。(本紙一九五五号3面論文を参照)
 もともと日本共産党は、介護保険制度そのものに反対の立場を表明したことは一度もない。それが、介護保険制度が現実に発足すると、「既成事実には反対できない」「いったん法律で決まった制度は認めるしかない」という基本的な立場から、「国民的な事業」「多くの期待と希望をになって、せっかく実施にいたった介護保険の制度」(不破の代表質問)とほめあげ、「老後を支えるしっかりした制度の一つとなるように」と「制度の改善」に問題をそらしている。
 そこには、介護保険制度の強行を突破口として、日帝が戦後的社会保障制度を根本的に解体し、労働者人民から諸権利を奪い、「福祉」をビジネスの食い物にする、というすさまじい攻撃に対し、闘いを呼びかけるという姿勢などまったくない。それどころか、全国で噴出している「介護保険で労働者人民は殺される」という怒りの声と、要求者組合の結成などの住民の自主的な決起に、「改善の真剣な努力を」などと言って、真正面から敵対しているのである。

 第2節 階級的闘い否定

 二つには、危機に立つ日帝の資本攻勢が、今春闘における賃下げ、リストラ、権利の剥奪(はくだつ)、階級的団結形態の破壊などの形で、労働者人民に襲いかかっている時に、職場での資本との闘争、経済闘争における対決や政治闘争の大衆的戦闘的発展に対し、あきらめ・無力感を植えつけ、労働者階級の階級的な闘いを解体しようと、連合やJR総連=カクマルと競いあっていることである。
 不破は、三月三十一日に東京で開かれた「全都・党と後援会決起集会」で、次のように述べている。(『赤旗』四月六日付)
 「春闘をやっても賃金が上がらないでしょう。雇用はどんどん減って最悪の数字を記録しています」
 「“要求では闘いに立ち上がってもらえないが、共産党支持ならやってくれる”というところに、活動のうえで一つの要(かなめ)となる点があります」
 「“経済闘争をやって、その中で自覚が高まり、政治闘争へ発展する”という図式がよくあるのですけれども、世の中はそういう図式どおりには動かないのですね」
 これは、労働者階級の生活と権利を守るギリギリの闘いを、状況が厳しく勝ち目がないからやめろ、日本共産党が勢力を伸ばして政治を変えるまでは、選挙で日本共産党を支持すること以外は職場などで何もやるなというとんでもない闘争解体のおどかしである。
 このように日本共産党は労働者階級人民の味方ではない。日本共産党=野党の幻想を打ち破って真に闘う潮流・勢力を力強く登場させることが絶対に必要だ。日本共産党スターリン主義を打倒し、長谷川英憲氏勝利をかちとろう。

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週刊『前進』(1956号4面2)

 処分攻撃と連合執行部の裏切りはねのけ闘い高揚

 関西「日の丸・君が代」闘争の教訓

 第1章 階級的団結の力で決戦闘う

 関西の「日の丸・君が代」決戦は大勝利をかちとった。関西の教労戦線が確認してきたことは、第一に、三年あまりのガイドライン闘争の地平に立って「教え子を再び戦場に送るな」の闘いとして闘う、第二に、「教育改革」を呼号する小渕政権と対決し、二〇〇〇年決戦の突破口を開く、第三に、階級的労働運動と日教組運動の命運をかけた階級決戦として闘うということだった。
 具体的には、教育労働者の職場での決起を軸に、部落大衆や在日朝鮮人・中国人を始めとする労働者人民の総決起を切り開き、これと結びつき新ガイドライン体制づくりの攻撃に対する階級決戦を闘うことであり、教育労働者の階級的団結の力で闘い、階級的団結の前進で総括することである。
 団結して闘えば、処分の恫喝と「日の丸・君が代」教育の強制をはね返すことができるし、右翼テロを粉砕することもできる。また、階級的な団結は、天皇制イデオロギーと絶対に相入れず、「日の丸・君が代」強制による思想攻撃を打ち砕く武器でもある。
 わが教労戦線は「労働者階級の中へ」分け入って大衆と切り結び、怒りを共有し組織して典型的な職場闘争をつくりだす闘いを開始していった。

 第2章 校長に対する職場闘争から

 「日の丸・君が代」なしの教職員側の原案に対し、法制化を理由に校長が「日の丸・君が代」実施の提案を出し始め、各地で第一段階の闘いが開始された。
 職員会議では多くの教職員が反対発言に立ち、多くの職場で組合の枠をこえた「職場会」が組織され、分会の校長交渉も職場会の交渉に切り替えられ、連合執行部のヘゲモニーを許さずに職場闘争が大衆闘争として発展していった。これは、「全教や教育合同とは共闘するな」という連合執行部方針との対決であり、八九年の組織分裂以来の連合攻撃をはね返す歴史的な闘いの開始でもあった。その中で、職場労働者の総決起がつくりだされていった。
 二月中旬まで、大阪府下全域の約千校で職員会議や校長交渉が膠着(こうちゃく)状態となり、継続討議の連続となった。何万人もの教育労働者が、教育労働者としての存在をかけて立ち上がり、教育委員会のマニュアルどおり繰り返す管理職を、論理的にも心情においても圧倒した。
 ある小学校では部落出身者が、自らの部落民宣言として絶対反対を突きつけた。別の学校では、「故郷で管理職をしている自分の父親が目の前の校長と同じことを言っていると考えると、教員を続けていく自信がなくなった」と涙ながらに訴えた。
 そうした中、「二・一一『日の丸・君が代』押しつけ反対集会」(集会実行委主催)に四百三十人が結集、各地での闘いの報告が感銘を呼び、勝利の展望が確認された。また、とめよう戦争への道! 百万人署名運動関西連絡会は府教委への申し入れ行動を決定し、関西全域で闘う勢力による総決起が開始された。
 卒業式が近づき、闘いが広範に広がってくると、主導権を取り戻そうとする連合執行部から方針が出され、教育委員会との大衆交渉が各地で設定された。われわれは大衆の怒りの先頭で執行部の予想をこえる動員を組織し、交渉の場でも奮闘した。しかし、最後は全面屈服に等しい妥協策が執行部から教委に出され、収拾が図られた。
 教組の無方針をのりこえて下から闘いを組織する段階から、執行部の制動・収拾策を打ち破り、自らの力で切り開いていく試練の過程に入ったのだ。

 第3章 高校卒業式で闘い切り開く

 闘いの第二段階は、高校卒業式の闘いで切り開かれた。
 部落解放同盟全国連合会の荒本支部があり、八〇年代以来「四・二九反天皇同盟登校」を現在まで続けてきた意岐部東小のある東大阪を最大の闘争拠点地域とし、全国でも最初に卒業式を迎える府立高校闘争に向かって、一月から高校ビラ入れを行ってきた。
 教育労働者の闘いに呼応して地域からの申し入れも取り組まれた。また、教育労働者を激励し、全労働者人民の闘いにしていくための地域集会が行われ、多くの新しい教育労働者の仲間を結集した。
 「日の丸・君が代」攻撃粉砕の決定的な力となったのは荒本支部の高校生友の会の高校生だ。初めて「君が代」導入を提案した校長と、二度にわたり二時間の交渉をやり抜き、戦争と差別の攻撃を徹底糾弾して頑張った。式前日に高友のビラ入れを大挙して行い、ついにすべて断念に追い込む大勝利をかちとった。この勝利の背後には、荒本支部の力があり、また教職員三分会の申し入れがあった。それらが地域で結びつき、高校生を激励し、学校当局を追いつめたのだ。
 さらに、本紙既報(一九四九、五〇号)の北摂地区での闘いを始め、府下全域で壮大な闘いへと発展していった。
 ある高校では「日の丸・君が代」実施を完全に粉砕し、相当数の職場で「君が代」が式次第から押し出された。また労組交流センターなどの式当日ビラ入れと呼応して高教組や府高教(全教系)分会や教職員名の抗議ビラが出席者に配られ、ほとんどの教職員が着席や退席して闘った。
 この教育労働者の闘いが生徒や保護者たちの「君が代」斉唱拒否の闘いを引き出し、形の上で実施したといっても、実態はぼろぼろという状況が広がった。新聞報道でも「旗は屋上、歌は式の前」が過半、高校や式場に入って歌った生徒が一人だけの高校が報道された。生徒五百人の署名を集めた高校、生徒の七割が退場した高校など、各地で闘いがまき起こった。
 府教委は、「君が代」実施率八五%、「日の丸」実施率九九%と発表したが、実態は二八%、二五%にすぎないと府議会で報告せざるをえなかった。

 第4章 小中卒業式でも激しい激突

 追いつめられた府教委は「指導」を強め、すでに「君が代」を断念していた学校で再提案がなされ、式直前に初めて提案してくる学校も出る状況となり、「世羅高校校長の気持ちがわかった」という声も聞こえてきた。
 われわれは三月冒頭から再度の申し入れで反撃を開始した。しかし、連合執行部は「高校がむちゃくちゃしたから大変だ」(吹田市教組)などと動揺し、「立つか立たないかは各自の判断」という消極方針から、「立ちますとは言わないが立たざるを得ない」(吹田市教組)と、屈服と裏切りを深めていった。各学校でも教組の執行委員が闘争破壊の先頭に立ち始めた。
 しかし、各校で当日朝までねばり強い闘いが行われ、三十校中十七校で攻撃をはね返した。他の地域でも「立たざるを得ない」などと言って委員長が起立・斉唱した高槻市教組など執行部の裏切りに屈せず、膨大な数の教育労働者が起立を拒否し、抗議を貫いた。この闘いによって児童・生徒も多数が着席し、保護者にも大きな影響を与えた。
 それぞれの職場では、「君が代」を生徒入場前に押し出す、式次第の前に押し出す、「君が代」なしの式次第を別に出す、「一同起立」の声をかけさせない、不起立の自由を事前に確認させる、教組方針をのりこえて全員着席を決める、伴奏やテープのスイッチを入れることを拒否する闘いなど、さまざまな抵抗闘争が闘われた。多くの分会では絶対反対を貫き、討議決裂、校長・教頭だけでの強行に追い込み、教職員全体で抗議文を突きつけるなどして闘いぬいた。
 また、解同全国連の寝屋川支部や野崎支部の部落大衆も全力で闘い、本部派・府連が出した「愛国心を否定するものではない」「日の丸を揚げるなら国連旗も」などという屈服と転向方針を許さず、教育労働者と連帯して糾弾闘争を貫き、地元同推校への「君が代」強制に反対して保護者・生徒全体が拒否する闘いを切り開いた。
 国旗・国歌法制定と「一斉実施」攻撃の狙いは卒業式で完全に破産したのだ。

 第5章 処分に屈せず入学式闘争へ

 入学式闘争は、一層踏み込んだ処分攻撃との対決となった。
 卒業式の取り戻しを狙って、府教委は四月最初の府立学校校長会で「混乱が予想される場合には職務命令を。処分も」と言い、全高校の入学式にチェックリストをもった事務局職員を派遣すると脅した。そして入学式直前の六日には、卒業式で抗議退席したり、式場で校長批判などした高校教職員四人に「信用失墜行為・職務協力義務違反」で訓告、厳重注意処分を下した。見せしめ処分で入学式闘争に恫喝をかけたのだ。
 三月には、豊中市教委が中学卒業式前と小学卒業式前に前年、前々年の闘いを理由に処分を出してきた。これら不当処分を絶対に許してはならない。豊中では中学入学式に右翼宣伝カーが大挙押しかけてきた。
 しかし、この大反動に屈せず、大阪の教育労働者の闘いは続き、入学式でも過半の高校で教職員自身が抗議の門前ビラまきを貫徹するなど、抗議・抵抗闘争がうちぬかれた。
 卒業式に全中学で「君が代」なしと報道された兵庫県宝塚市では、四月三日の兵教組宝塚支部拡大分代会議において、執行部から「君が代」容認方針が突然提案され、市教委が五日の校園長会で全校「君が代」実施を指示した。兵教組が率先して「君が代」導入を提唱するという、とんでもない裏切りが行われた。
 分代会議で徹底的な執行部弾劾の闘いが起こり、各校職会でも激しい激突となった。教育労働者の徹底非協力の闘いが貫かれた。奈良市でも、数校の入学式への「君が代」導入が提案されたが、教職員全体の反撃で断念させた。

 第6章 党指導と現場労働者の飛躍

 これらの闘いは、「教育改革」を焦点に改憲準備をたくらむ森・自公政権と対決して二〇〇〇年決戦を切り開く決定的な勝利となった。同時に、全党の三大決戦−四大産別決戦方針での一致と、そのもとで統一的な指導体制を形成し、一体となって闘った勝利として組織的に総括することができる。同時に、刻々と状況が変わるなかで現場の日々の闘いを担いぬいた、闘う教育労働者の飛躍だ。
 日教組系執行部は裏切りと屈服を全組合員大衆の前にさらけ出し、「パートナー路線」は最後的破産を突きつけられた。全教の日共指導部も、党中央の法制化提唱という歴史的裏切りに打撃を受ける中で一定の反対姿勢を続けてきたが、なんの闘いも組織せず、無力と屈服をさらけ出した。
 カクマルは、この歴史的決戦においてJR総連と同じ役割を果たそうと「来賓に起立を求める以上、主催者が立たないわけにいかない」などと言って怒りの的となった。階級決戦がすべての勢力・潮流の本性を大衆の前に暴き出している。
 すでに教育基本法改悪攻撃、新勤評攻撃、学校管理運営規則の改悪攻撃、教育改革国民会議の攻撃が始まっている。戦後日教組が経験してきた勤評、臨教審攻撃などを束にしたような一大教育反動攻撃との階級決戦になることは必至だ。
 連合執行部打倒を高々と掲げ、闘う教育労働者の新たな潮流運動のさらなる飛躍をめざして、十一月労働者集会へ、「日の丸・君が代」通年闘争へと総決起しよう。
 〔マル青労同教育労働者委員会〕

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週刊『前進』(1956号4面3)

 法大新歓集会に300人

 青木さん、宮崎さんが講演

 法政大学の法学部・文学部・経営学部・第二教養部の四自治会の主催で四月十八日、元漫画家の青木雄二さん、作家の宮崎学さんを招いた新入生歓迎講演会が開かれた。会場の席数を大幅にこえて、廊下にあふれる三百人の学生が参加した。
 青木さんは、「正しいものの見方、考え方を身につけてほしい」「資本家にだまされないために、労働者は力をもたなくてはならない」と語った。
 宮崎さんは、「『多数派』に埋没せず、堂々たる『少数派』として歴史を動かそう」と述べた。また石原暴言を弾劾し、石原リコールを訴えた。
 最後に自治会の執行部が今後の自治会運動の方針を提起し、講演会は大成功で終わった。 (法政大D)

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週刊『前進』(1956号4面4)

 新入生が着席呼びかけ

 広大入学式で「君が代」拒否

 音楽サークルは演奏辞退

 広島大学当局は今年の入学式から従来の「日の丸」に加え「君が代」演奏を決定、強行してきた。しかし大学内外からの強力な反撃で、大学当局が「日の丸」強行にかけた狙いは完全にうち砕かれた。
 大学当局は当初、学生の音楽サークルに「君が代」の演奏をさせようとした。学生を「君が代」強制の先兵にさせようとする卑劣な攻撃に、差別主義・排外主義と闘うサークルなどから説得と討論が続けられた。演奏をすることを決めていた音楽サークルは前日に辞退することを決め、大学当局のもくろみは大破産したまま入学式を迎えた。
 百万人署名運動広島県連絡会などから次々と抗議の申し入れも行われた。
 式当日、広島大学の闘う学生は横断幕などで「日の丸」「君が代」拒否を訴え、保護者のグループもビラをまき、入学式は怒りの声に包囲された。
 中でも画期的だったのは新入生A君の決起だった。A君は事前に独自で大学当局に申し入れを行い、当日は「『日の丸』『君が代』強制を拒否して着席しよう」と呼びかけるビラを式が始まる直前に入学式会場内で、他の新入生にビラを配って決起を訴えた。
 これに驚いた大学当局は、大勢で取り囲み、暴力的にビラ配りを弾圧してきた。その中で、「(『君が代』が)イヤなら出ていけ」「学問の自由は国家が大学に保障するもので、個人のものではない」などと暴言を吐いた。怒りを爆発させたA君は、二十分にわたり当局を弾劾した。
 入学式が始まり「国歌演奏」の号令がかかると、A君は大きな声で「着席します」といって着席、同時に数十人の新入生が着席した。保護者席でも大勢が着席した。昨年、今年の広島を始めとした全国の高校の卒業式での「日の丸」「君が代」攻防の中で育った新入生が決起したのだ。
 大学当局は、“「日の丸」「君が代」反対のビラだから弾圧する”“学生は大学の決めたことに黙って従え”“学生には自由や自治など認めない”などという許し難い暴言を吐いた。暴言を撤回させ、謝罪させなければならない。
 攻防は始まったばかりだ。全国で闘いをつくりだそう。   (広島大M)

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週刊『前進』(1956号5面1)

 名護新基地建設を絶対阻め

 コソボ米軍新基地と並ぶ侵略出撃拠点建設が狙い

 シリーズ第2回 ゛基地の島″の強化を許すな

 シリーズ第一回では、サミット(主要国首脳会議)が発足当初から帝国主義強盗どもによる世界支配のための戦争会議であること、とりわけ今年の沖縄サミットが新安保ガイドラインと一体の朝鮮・中国―アジア侵略戦争のための会合であることを暴露した。第二回では、七月沖縄サミットが沖縄人民の基地撤去闘争を圧殺し、名護に米軍の新基地を建設する攻撃そのものであることを暴く。

 第1章 ゛サミット前解決゛を沖縄に迫った日米帝

 政府や沖縄県の稲嶺知事は、「日本で初めて地方開催する沖縄サミットは、世界の首脳にアジアを認識してもらうのに最もふさわしい」とか「日本の多様性をアピールする絶好の機会だ」などと言って、サミット成功が「国民的課題」であるかのような大宣伝をしている。とりわけ沖縄では「サミット反対の声を上げさせない」「反対の旗一つ振らせない」という重圧を沖縄の人民にかけている。
 こうした政府の宣伝を応援するように、日本共産党は、サミットの開催そのものに反対せず、「沖縄でサミットを開催するということは、日本の米軍基地の集中点である沖縄を、世界の首脳部と、世界のマスコミに心おきなく見せるという(日本)政府の意思表示だ」(不破委員長、二月十六日記者会見)と持ち上げ、「サミットの機会に、沖縄県民と日本国民の平和の意思の発信を」などと宣伝している。
 日共の主張は、帝国主義サミットの本質的な反人民性をあいまいにし、とりわけ小渕が今回の沖縄サミットを新基地建設攻撃のために沖縄にもってきたことを免罪し、戦争準備を進める日帝政府をまるで「平和主義者」であるかのように美化する、とんでもなく犯罪的なデマ宣伝である。
 「SACO合意の実行」「基地の整理・縮小・統合」と称して、老朽化した普天間基地に代わる最新鋭の米海兵隊基地を名護市辺野古沿岸域に、また那覇軍港に代わる新軍港を浦添につくろうとする攻撃が沖縄人民に加えられているが、沖縄サミットはその新基地を沖縄に押しつけるための大攻撃なのである。
 その一体性は、この間の名護新基地建設とサミット開催をめぐる日米政府の対応、稲嶺知事と岸本名護市長の対応などを見れば明らかだ。(日誌参照)
 小渕が二〇〇〇年サミットを沖縄で開くと決めたのは昨年の四月二十九日である。新安保ガイドライン法案が衆院を通過し、ガイドライン反対闘争が闘われている最中だった。福岡や宮崎など八候補地のうちで、最も可能性が薄いと見られていた沖縄での開催を決めたのは、サミット開催の圧力を、行き詰まっている名護基地建設の打開のために使いまくろうという日帝・小渕政権の実に腹黒い魂胆からだった。
 沖縄サミットの決定は、森の沖縄差別暴言や、沖縄県議会の「一坪反戦地主排除」採択と一体の沖縄差別=圧殺の攻撃として襲いかかっている。それは、@米軍基地の差別的集中ゆえに全国一の高失業率に苦しむ沖縄にサミットを持ってくることで、あたかも経済的に潤うかのような幻想を与え、「サミットを持ってくるのだからありがたく思え。基地反対などと言うな」という恫喝を加え、Aサミット成功の大キャンペーンで沖縄の全勢力をサミット翼賛運動に無理やり動員し、Bさらにサミット警備と称する大弾圧体制で沖縄の基地反対闘争を押しつぶそうという、二重にも三重にも超反動的な狙いを持った攻撃なのだ。
 沖縄開催決定の直後に野呂田防衛庁長官(当時)は「沖縄が抱えるいろいろな問題を解決するきっかけになってほしい」と、沖縄サミットが基地建設の突破口となることへの期待感を露骨に述べた。
 沖縄サミットの狙いをもっとあけすけに述べたのは米帝クリントンだ。クリントンは六月二十五日、「サミットまでに普天間基地の移設問題が解決していなければ、沖縄に行きたくない」と圧力をかけた。日帝の責任で沖縄に新基地を確保しなければ、サミットに協力せずに日帝を国際的に追いつめるぞという、露骨な争闘戦的圧力だった。

 第2章 日帝に屈服し県民に敵対する稲嶺・岸本

 こうした帝国主義間争闘戦の圧力の中で、日帝は帝国主義としての危急存亡の危機感をもって、「基地問題でもたもたしてサミットを失敗させるつもりか。政府に恥をかかせるのか」と沖縄に重圧をかけ続けた。
 十一月二十二、日稲嶺知事は普天間基地の移設先として「米軍キャンプ・シュワブ水域名護市辺野古沿岸域」を県として選定したと発表した。これを受けて十二月二十三日、名護市議会が基地受け入れのための「移設・整備促進決議」を反対派の怒号の中で強行採択し、十二月二十七日に岸本名護市長が新基地受け入れを正式表明した。翌二十八日には政府が移設先を閣議決定し、見返りに北部振興策(年間百億円、十年間で一千億円)の財政援助を決定した。
 この経過を見れば、沖縄サミットが名護に新基地建設を受け入れさせるための強力な圧力手段として使われてきたことは明らかだ。
 名護市民は市民投票(九七年十二月二十一日)で、過半数(五三%)で「海上基地建設反対」の意思をたたきつけた。その民意を真正面から踏みにじって、政府は名護に新基地を押しつけようとしている。「日米安保のために沖縄の基地は重要」という宣伝自体が、五十五年前の沖縄戦と同様に「沖縄は日本=本土防衛の捨て石となれ」とする沖縄差別そのものだ。
 だが、性急な「年内決着」のつけは、依然として日帝政府を苦しめている。一月六日に行われた日米防衛首脳会談で、瓦防衛庁長官が「沖縄側の意向」として十五年使用期限を「伝達」したのに対して、コーエン米国防長官は「予見できない国際情勢の中で、あらかじめ期限を設定することはできない」と十五年使用期限を拒否した。二月二十日の日米外相会談でオルブライト米国務長官は「ゼロ回答」を通告した。
 沖縄側が受け入れの条件とした十五年使用期限を「重く受けとめる、日米交渉で取り上げる」とした政府の約束は、沖縄側に基地を受け入れさせるためのその場しのぎの大うそ、ペテンでしかなかった。そのことは、日米会談での政府の対応で明らかになった。瓦防衛庁長官、河野外相ともに「沖縄側の意向」を米政府に「伝達」しただけであり、日帝政府の要求として米側と交渉するつもりなど初めからなかったのだ。
 日帝はサミットを行うことをもって、使用期限問題を稲嶺や岸本の側から引っ込めさせようという魂胆だ。そして稲嶺も岸本も、日帝政府に屈服して、どのように沖縄人民をだまして、基地建設をさらに前に進めるかということだけを考えているのだ。
 だが、岸本名護市長は三月の市議会で「十五年期限があらかじめ約束されなければ受け入れを撤回する」とひとまず答弁せざるをえなかった。日帝と岸本・稲嶺らは追いつめられ、サミットで人民の闘いを圧殺しつくす以外には、基地建設に着手できないのだ。
 その意味で、名護新基地建設問題は、これ以上動かせない現状であり、サミット前決着など問題にならない状況になっている。市長リコール運動は日共の妨害によってひとまず中断に追い込まれたものの、沖縄の人民の闘いは一〜四月闘争の貫徹で、サミット決戦とその後の展開にすべてを持ちこすことに成功している。一切はサミット決戦の大爆発にかかっている。

 第3章 垂直離着陸の新鋭機オスプレイ配備狙う

 米国防総省が想定している新基地は、「運用四十年、耐用年数二百年」という、まことに沖縄人民を愚弄(ぐろう)したものである。二十三世紀まで沖縄を「基地の島」として縛りつけようとしているのだ。断じて許せない。
 このことについて、政府が人民に対して初めからうそをついている。「普天間基地返還に伴う代替ヘリポート建設」と言っているが、これが大うそなのだ。米軍は内部文書で「普天間の移転は、日本側が主張する代替のためでなく、運用上の必要性に基づくものだ」と明言している(米国防総省「海上施設―普天間飛行場移設にかんする機能分析と運用構想」=九七年九月。朝日新聞九八年五月十五日付および『軍事研究』九八年九月号参照)
 辺野古沿岸域に建設しようとしている米海兵隊の新基地は、二十一世紀に向けて米海兵隊を戦場に運ぶ主力輸送機となる垂直離着陸機MV22オスプレイの初の海外展開基地として計画されているものである。
 普天間基地返還のための単なる代替基地ではなく、質的にも量的にも飛躍的に強化される凶悪な海外侵略出撃基地の建設なのだ。それを政府は、公表されている米軍文書からオスプレイの沖縄配備は明々白々なのに「認識していない」(九七年十一月の名護市での説明会)などと、見え透いた大うそをついている。
 名護新基地建設こそは、コソボに米軍が建設したボンドスチール基地と対をなす朝鮮・中国−アジアへの一大侵略基地建設の攻撃なのだ。
 米軍資料では、海上基地に三十六機のオスプレイが配備される。一飛行隊十二機で編成する現役飛行隊十八(計二百十六機)のうち三つが沖縄に展開する。
 在沖米海兵隊は、普天間基地の移設の進展とはかかわりなく、二〇〇七年にもオスプレイの沖縄配備を始めると明言している。オスプレイ配備によって、在沖米海兵隊の海外侵攻能力は、航続距離、スピード、積載量などで飛躍的に増大する(表参照)。米軍文書は「自力展開させた場合、ヘリ空母に搭載するよりは十一日から二十一日も早く危機の現場に兵力を送り込める。オスプレイは強襲揚陸艦の手を借りずに、世界中のどこへでも一、二日で展開できる」としている。朝鮮半島へも台湾へも、往復各一回の空中給油をすれば海上基地から一気に兵員(三十六機なら約九百人)を運び、上陸侵攻作戦を展開できる。
 そのオスプレイが四月八日に米西部アリゾナ州で夜間訓練中に着陸しようとして上空から墜落、海兵隊員十九人が死亡した。V22は開発当初から事故続きで、九一年の初飛行でいきなり墜落、九二年にエンジンが炎上して墜落、七人が死亡した。今回の事故で、これまで生産された十五機のうち三機が墜落した。
 それでも米軍は当初の配備計画を変更せず、国家的プロジェクトとして今後三百六十機のオスプレイ製造を計画、二〇〇一年から海兵隊に最初の飛行隊を配備しようとしている。

 第1節 日共の犯罪的な「平和の発信」論

 こうした事情を見れば、日共のサミット協力運動が、どれほど全世界で侵略戦争、人民大虐殺を繰り返している世界の帝国主義を美化し、擁護するものであるかは明らかだろう。帝国主義打倒の労働者人民の階級的闘いに真っ向から敵対するものである。
 「サミット反対」の声を上げさせない攻撃が全国、とりわけ沖縄で行政、教育機関、警察などを総動員してかけられている時に、はっきりと「サミット粉砕」「サミット反対」という声を、沖縄で全国で上げていかなくてはならない。
 昨年八月に沖縄の広範な人びとが結集して結成された「沖縄から基地をなくし世界の平和を求める市民連絡会」は、その結成アピールで、サミットに対する危機感と怒りを表明し、こう述べている。
 「サミットを構成する首脳は、ほとんど湾岸戦争やユーゴ攻撃を行った当事者とその強力な支持者であり、核兵器を始め軍事力による他国民、他民族への支配・介入をいとわない基地や軍隊の信奉者たちです。沖縄基地の実態にふれたら、むしろこれを称賛、沖縄の『基地との共存』を強化する方向で働くのではないでしょうか」
 サミット翼賛運動への動員攻撃をはねかえして、沖縄でサミット強行に対する怒りの声が巻き起こり、闘いが前進している。本土―沖縄を貫くサミット粉砕闘争の大爆発で、クリントンやブレアらが日本に到底来られない状況をつくりだそう。森首相の五・一四来沖を阻止しよう。五・二八サミット粉砕全国総結集闘争の大爆発から六月衆院選闘争で森・自公政権を打倒し、七月沖縄サミット粉砕へ進撃しよう。
〔中津次郎〕

 名護新基地建設と沖縄サミットの関連日誌
1996年12月2日 沖縄に関する日米特別行動委員会(S ACO)が、普天間飛行場の代替基地を「海上施設」 におくことを「最善の選択」とする最終報告を発表
97年11月5日 政府が海上基地基本案提示
12月21日 名護市民投票で「海上基地建設反対」の意思
 表示(52.86%)
99年4月29日 小渕がサミット沖縄開催を決定
6月18日 ケルンで日米首脳会談。クリントン「沖縄サミ
 ットは、普天間飛行場移転の問題解決の機会」
6月25日 クリントン「サミットまでに普天間基地の移
 設問題が解決していなければ、沖縄に行きたくない」
6月29日 沖縄政策協議会で野中官房長官が稲嶺知事に
 「普天間の早期解決を」と圧力
7月23日 野呂田防衛庁長官「年内に片づけたい」
7月28日 日米防衛首脳会談でコーエン国防長官が「来年
 7月のサミットまでに解決を」と迫る
10月15日 沖縄県議会が「普天間基地の県内移設の促進
 決議」を採択、県議会内外で人民の怒り爆発
11月22日 稲嶺知事が普天間基地の移設先候補地に名護
 市辺野古のキャンプ・シュワブ沿岸域を決定、名護市
 に協力依頼
12月23日 名護市議会が「普天間飛行場の辺野古沿岸域
 への移設整備促進決議」を強行採択
12月27日 岸本名護市長が代替基地受け入れを表明
12月28日 政府が同様の閣議決定を行い、見返りに北部
 振興策(毎年100億円、10年間に1000億円)を決定
2000年1月6日 日米防衛首脳会談でコーエン国防長官が
 「予見できない国際情勢の中であらかじめ期限を設定
 することはできない」と15年使用期限設定を拒否
2月20日 日米外相会談でオルブライト国務長官が15年
 使用期限について、だめ押し的にゼロ回答
2月16日 日共が「報告と訴え」を発表。サミットを「平
 和の意思の発信の場にする」と、戦争会議に協力宣言
2月18日 クリントン「沖縄サミットは日米関係(=日米
 安保)の戦略的重要性をアピールするよい機会だ」
3月20日 森が石川県で講演し、「沖縄では君が代を教え
 ていない」「新聞も教組も、何でも政府に反対、国に
 反対する」と沖縄差別暴言
3月30日 沖縄県議会で「県の機関から一坪反戦地主など
 を排除するよう求める陳情」を採択

 【海上基地構想の概要】
 くい打ち方式ならキャンプ・シュワブ沖1・5qのリーフ(さんご礁)内に、ポンツーン方式なら沖合3qのリーフ内に建設する計画。上部のプラットホームの規模は米国防総省文書では、長さ1500m、幅800〜1000m(もしくはそれ以上)。日本政府基本案では幅600mとしている。そこに長さ1300m、幅46mの滑走路とそれに平行した誘導路、駐機場、格納庫、弾薬庫、各種施設を造る。キャンプ・シュワブとは2本の橋で結ぶ計画。

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週刊『前進』(1956号5面2)

4・20三里塚

 工事中止に追い込む

 雨つき敷地内をデモ

 ゛2年間決戦″へ火ぶた
 四月二十日、三里塚芝山連合空港反対同盟と動労千葉、全学連を先頭とする支援勢力百五十人は、成田市東峰の市東孝雄さんの畑に結集した。四月十七日に続き、政府・運輸省、空港公団の小見川県道迂回道路着工強行に対して、連続的に立ち上がり、敷地内実力デモを打ち抜き、この日の工事を中止に追い込んだ。
 四・一七−四・二〇の連続闘争は、暫定滑走路建設攻撃に対する実力反撃の開始だ。暫定滑走路計画を実力で粉砕し、空港廃港に向かう二年間決戦に突入したのである。
 現地緊急集会が九時四十五分に始まった。反対同盟を代表して北原鉱治事務局長があいさつに立ち、「暫定滑走路建設攻撃は、新ガイドラインをもって、日本が再び戦争への道を歩もうとするものだ」と弾劾し、「二年間決戦は、戦争に動員される若者の未来、日本の将来がかかった決戦」と提起した。そして「反対同盟は、皆さんの先頭に立って、成田二期阻止・暫定滑走路粉砕に向かって闘う。ともに闘おう」と結んだ。
 続いて郡司とめ婦人行動隊長があいさつ。「政府・公団は、十七日にデモを禁止して営農と生活を破壊する工事着工を強行した。三十五年前とまったく同じ。反対同盟はなんとしても暫定滑走路を粉砕する」と力強く宣言した。
 敷地内からは、萩原進事務局次長が発言に立った。「暫定案着工によって本来の平行滑走路は遠のいた」と勝利の地平に立っていることを提起し、「敵は滑走路つくるぞ、出て行けと脅すやり方を続け、地元住民を愚弄している」と怒りをもって弾劾。「成田空港建設は軍事空港建設だ。ガイドラインで明らかだ。暫定案は闘いの成果。破産の姿をさらす以外にない。沖縄とともに三里塚で勝てば二〇〇〇年の勝利は間違いない」と訴えた。
 反対同盟のあいさつを受けて、動労千葉の川崎昌浩執行委員が「工事の現状を見た。営農と生活を破壊する軒先工事だ。話し合いと称する暴力は許せない。実力闘争で反撃しよう」と宣言、「朝鮮・中国への侵略戦争反対の闘いとして、成田空港廃港まで闘う」と固い決意を表明した。
 反対同盟との交流会を行って、全国から決起した全学連を代表して、内山佳久書記長が発言に立った。内山書記長は「全学連は反対同盟との血盟にかけて、暫定滑走路粉砕二年間決戦に決起する」と決意を明らかにした。そして「二年間決戦は、朝鮮・中国侵略戦争阻止の闘いそのものだ。四−五月入管闘争を闘い、朝鮮人民・中国人民との生きた連帯をつくり出し、六月衆議院選決戦に総決起し、七月沖縄サミット粉砕決戦に進撃しよう」と鮮明に闘う方針を提起した。さらに東北大学、富山大学、大阪市大、法政大学の代表が決意を表明した。
 「暫定滑走路を粉砕するぞ!」「迂回道路着工を許さないぞ!」とシュプレヒコールを上げ、激しい雨の中をデモに出発した。この日の闘いが工事を中止に追い込んだことに勝利の確信を固め、敷地内デモを最後まで戦闘的に貫徹した。
 四・一七−四・二〇と運輸省・空港公団の迂回道路=営農・生活破壊のための道路建設着工に実力反撃をたたきつけた反対同盟と支援勢力は、五月沖縄闘争−六月衆議院選決戦−七月沖縄サミット粉砕決戦に決起し、“三里塚二年間決戦”に勝利することを誓った。

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週刊『前進』(1956号5面3)

 2000年日誌 阻もう! 戦争への動き

 4月18日〜24日

 米21安保委が戦略転換提言

 改憲と教育勅語復活叫ぶ森

●普天間ヘリが不時着 在日米海兵隊普天間基地所属のAH1攻撃ヘリコプター一機がエンジントラブルのため、愛媛県三崎町の海水浴場の砂浜に不時着。同ヘリは山口県岩国市の岩国基地から普天間基地に移動中だった。(18日)
●PCB積載船横浜へ 神奈川県相模原市の米陸軍相模総合補給廠(しょう)に保管されていた有毒物質ポリ塩化ビフェニール(PCB)を含む廃棄物を積み、カナダや米国で荷揚げを拒否され、日本へ引き返したパナマ船籍の貨物船ワンヘ号が、横浜港本牧ふ頭に入港、接岸した。(18日)
●参院憲法調査会 参院の憲法調査会は、三回目の委員による自由討論を行った。自民党が有事法制の根拠を憲法に書き込むべきと主張し、民主党の吉田之久議員が改憲の必要性を述べた。(19日)
●米の21安保委が戦略転換を提言 コーエン米国防長官の諮問機関で、二〇二五年までの米国の安全保障戦略のあり方を検討している「二十一世紀国家安全保障委員会」が報告書「国家戦略を求めて」を発表した。報告は米軍の兵力構成や戦力展開の基本になってきた二正面同時対応戦略では機動性を欠き、コソボ型の地域紛争介入など、これから増える様々な事態に対応できない、と指摘。朝鮮半島統一のシナリオに備えた計画を策定すべきだとし、将来、朝鮮半島が統一したときは、核武装を押さえるために一定規模の米軍が統一朝鮮にとどまるべきだと、提言している。(19日)
●自民が独自に憲法の草案
 自民憲法調査会が党本部で会合を開き、党独自の憲法草案を作成することをめざす「議論の進め方についての基本的考え方」を大筋で了承、今後具体的な草案づくりに着手する。「基本的考え方」として、@歴史と伝統の尊重の上に立った国家運営、A多極化時代にふさわしい安全保障政策の確立、国家の非常事態に対応する仕組みづくりなどをあげている。(19日)
●森首相が改憲に言及 森の首相就任後初めての党首討論が行われ、森は「戦後五十年たった今日、憲法や教育基本法などの今までの仕組みを思い切って変えていかなければ二十一世紀に対応できない」などと述べた。(19日)
●「教育勅語復活を」と森
 森首相がインタビューで教育改革について「教育勅語には日本の伝統文化の継承などが含まれていたが、連合国総司令部(GHQ)がだめだと言って消した。本当にそういうことでよかったのか、そういう問題を含めて議論する必要がある」と述べ、教育勅語の理念を一部復活させたいとの考えを示した。(20日)
●9条問題で議論 衆院憲法調査会が五百旗頭真神戸大大学院教授、天川晃横浜国大大学院教授を参考人として呼び、九条解釈などを議論。(20日)
●チェルノブイリで作業員3万人死亡 ロシア保健省当局者が一九八六年に史上最悪の放射能漏れを起こしたウクライナのチェルノブイリ原子力発電所の事故処理に参加した作業員の内、ロシア国内だけでこれまでに三万人以上が死亡したと明らかにした。(20日)
●9・3総合防災訓練の概要発表 東京都が九月三日の都総合防災訓練の概要を発表した。「ビッグレスキュー東京2000」と名付け、陸海空三自衛隊を動員し、銀座など十会場で三軍が大演習を行う。訓練内容の詳細は八月に決まるが、今回は自衛隊だけでも四千人が参加する。抗議の声が高まる中、騒擾(そうじょう)事件を想定して自衛隊が展開する治安維持活動は盛り込んでいないと弁解している。(21日)
●「人間の鎖」実行委員会結成 沖縄サミット期間中に、米軍嘉手納基地を「人間の鎖」で包囲する沖縄サミット・平和アピール県民大会実行委員会が那覇市内で結成総会を開き、代表などを選んだ。総会には沖縄県内の労組など七十団体の代表が参加。(21日)
●自民党が戦争終結宣言試案 自公が今国会中にめざしている「戦争終結宣言」の自民党試案が明らかに。「国家間の対立や紛争を平和的な手段によって解決し、戦争を絶対に引き起こさないよう」などと書いてあるが、日本の侵略戦争についての認識や謝罪はまったくない。(21日)
●米の秘密協定提案を日本が拒否 日米防衛協力の指針(ガイドライン)に基づく在外日本人救出などの非戦闘員避難活動(NEO)をめぐって、米政府が日米間の協力を具体化する秘密協定締結を提案したのに対し、日本が「国会承認が必要な協定を秘密にすることは不可能」との理由から、これを拒否し、交渉が暗礁に乗り上げていることが明らかになった。(23日)
●ヘリ基地反対協が臨時総会 ヘリ基地反対協が臨時総会を開き、役員が、米軍普天間飛行場の名護市移設を容認した岸本建男市長のリコール運動を中断した経緯と、今後の運動方針について説明した。(24日)

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週刊『前進』(1956号6面1)

 3同志奪還集会を開く

 74年1・24横国大戦闘

 指名手配攻撃粉砕し勝利

 七四年一・二四横国大カクマルせん滅戦闘の不当な指名手配攻撃を粉砕し、時効成立をかちとった田口政之同志、大形敏也同志、小林利行同志、水嶋秀樹同志の奪還・勝利・歓迎の集会が、三月三日に東京で、また三月三十一日には出身地区である神奈川県内で開催された。
 現在、水嶋同志はさらにその後「千葉県収用委員会会長せん滅戦闘」のデッチあげ指名手配攻撃を受けており、浦山正博同志、倉持嘉之同志が下獄闘争を闘いぬいている。彼らに思いをはせながら、田口、大形、小林の三同志が、実に二十六年という超長期の指名手配攻撃をうち破り、時効成立をかちとって登場した。集会は対権力、対カクマルへの勝利を再び三たび確認する勝利の集会となった。
 東京の集会では、まず一・二四戦闘の意義が語られた。
 この戦闘が、それに先立つ一月十四日のカクマルによる破防法弁護団襲撃の反革命的凶行への怒り、とりわけ本多書記長に手をかけようとした天人ともに許されざる反革命への怒りの爆発として完全せん滅戦闘として炸裂(さくれつ)したこと、その怒りの爆発は一・二四を引き継いでさらに連続して爆発したこと、そしてこうした闘いがそれまでの日本階級闘争の、死の前にたじろぐ脆弱(ぜいじゃく)性を踏み越える決定的ステップとなったこと、そして翌七五年の三・一四反革命−本多書記長虐殺に対して全党が決起して嵐のような報復戦をカクマルにたたきつけた土台をなしたこと、だからこそ二重対峙・対カクマル戦史上の画期をなす闘いだったこと||などが確認された。
 しかも、この闘いを担った同志がいずれも、神奈川の自治労(浦山同志)、全逓(水嶋同志)、水道(倉持同志)、造船(田口同志)、金属(大形同志)、電機(小林同志)などの基幹産業の労働者だったことの意義が感動をもって語られた。
 そして今も獄中で闘っている浦山同志、倉持同志と指名手配攻撃下にある水嶋同志を思うと、まさに闘いは継続中であり、闘いはこれからであることが確認された。
 さらに参加者から、集会全体で歓迎の気持ちと勝利を確認しながら、それぞれの思いを重ねた熱烈な感想が語られた。
 こうした話に若い同志からは、「自分が生まれた年のことであり、自分が生きてきた期間ずっと非公然闘争を担ってきたのかと思うと、そのすごさに本当に感動した」「革共同というのはすごいんだなあとあらためて思った」などの感想が述べられた。
 二十六年ぶりの三同志の奪還・登場は、革命党の不屈性と勝利性を具体的な形で示すものとなり、権力、カクマルに再度強烈な打撃を与えていることが同時にしっかり確認された。
 三月三十一日の神奈川での集会には、三人をよく知る古参党員を始め、一・二四戦闘精神を受け継いだ県党の同志、ゆかりの労働者たちが多く結集し、三人との感動的な再会が果たされた。
 まず革共同神奈川県委員長が、歴史的戦闘の意義と凱旋(がいせん)を果たした戦士たち、また時効成立をもぎりとりながらもデッチあげ弾圧で不当にも指名手配攻撃を受けて今もなお闘いぬいている水嶋同志、さらには下獄闘争を闘いぬいている浦山同志、倉持同志を県党の誇りとして讃え、この集会を契機に県党の新たな発展期をかちとる決意を述べた。
 この後、多くの参加者から一・二四戦闘とその闘いを担った人たちへのそれぞれの感慨を込めた発言が続いた。
 一・二四戦闘をともに闘いぬき下獄闘争を貫徹した同志からは、戦闘直後に革共同が発した「声明」が自らを支えぬいたことが語られた。
 また水嶋同志の家族からは、二十六年間の時の長さと今なお不屈に闘いぬいている兄への万感の思いを込めた歓迎の言葉が三人に対して送られた。
 岩手爆取弾圧での獄中闘争に勝利し、すでに最前線で闘いぬいている同志からはこうして再合流を勝利的に実現できたことを喜ぶとともに、しかしあせらず、じっくり時間をかけて「復帰」をかちとって欲しいと自らの経験も踏まえたアドバイスがなされた。
 三同志の凱旋を是非とも一緒に祝いたいとわざわざ広島の地から駆けつけてきた旧知の同志は、生死の境をさまようような大手術を行い、前線に復帰したばかりであったが、元気にあいさつを行った。
 歓迎のあいさつの最後に、革共同の中央を代表して天田書記長からの熱烈な発言が行われた。
 これらの歓迎のあいさつを受けて、三同志が発言した。
 田口同志は自分たちが勝利を手にすることができたのはひとえに党と人民の力であり、心から感謝していると一語一語を自ら確かめるような口調で語り、大形同志はこんなに大勢の前に身を置くのは二十六年ぶりなので緊張していると断りながらも、身体全体から新たな闘志をわき立たせるようにして闘いの決意を述べた。
 小林同志は久しぶりに横浜の街を歩き回った感想を述べ、街は大きく変わったことに驚きを抱いた一方、わが革共同が現在も断固として「闘うアジア人民と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱へ」「米軍基地撤去=沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒」の路線を堅持して闘いぬいていることを誇らしく思うと語った。
 参加者はこれらの発言を熱い心で受け止め、そしてまさに闘いはこれからだということが全体で確認され、インターナショナル合唱をもって感動的に集会を締めくくった。
 こうして二つの集会は、二〇〇〇年決戦の真っただ中で、一・二四戦闘を始め自ら切り開いてきた歴史的勝利を確認するとともに、戦後最大の政治決戦としての二〇〇〇年決戦に勝利する力が、労働者階級の底力を発揮することのなかにこそあることを、あらためて強く確認する場としてもかちとられた。

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週刊『前進』(1956号6面2)

 排外主義と闘う

 入管闘争の課題 F

 強まる分断・同化攻撃

 坂中路線 ゛朝鮮系日本人として生きよ″

 九六年夏、当時の官房長官・梶山は、「朝鮮有事」が大量の難民の発生と日本への渡航を生み出し、在日朝鮮人と結合して「日本有事」になると発言した。そして、日帝は新ガイドライン攻撃を激化させるとともに、それと一体のものとして九七年入管法改悪、九九年入管法・外登法同時改悪と、戦時入管体制構築の攻撃を強めてきた。
 梶山発言は、「在日朝鮮人=内乱勢力」と規定し、その抹殺を宣言した。それを受けて、法務省官僚・坂中英徳が再び前面に登場した。九八年一月、大阪府高槻市での民闘連主催による集会で坂中が講演したものがそれだ。
 「これまで在日はどう生きてきたのか−坂中論文から二〇年−」と題する坂中講演は、新ガイドライン情勢下であらためて坂中路線と対決していくことの重大性を告げ知らせるものとなった。以下、講演内容の批判を中心に、坂中路線とは何かを明らかにする。

 第1節  闘う在日の抹殺

 第一に、この講演で坂中が最も強調したのは、「在日朝鮮人は日本国籍を取得して『朝鮮系日本人』として生きよ」ということである。これは、新ガイドライン攻撃と一体で同化・「帰化」=日本国籍取得攻撃を徹底的に推進することだ。
 「在日は日本国籍を取得せよ」とは、在日の在日としての存在を抹殺することである。「朝鮮系日本人として生きよ」とは、在日に「日本国家のために生きよ」、つまり究極的には日帝のアジア勢力圏化、朝鮮・中国−アジア侵略戦争に協力せよ、ということだ。
 「朝鮮系日本人」とは、七七年坂中論文以来の坂中の持論である。しかし、実際に「朝鮮系日本人」という在日朝鮮人が存在するわけではない。たとえ国籍がどうであれ、在日朝鮮人が朝鮮民族の一翼をなすという民族的属性は変わりようがないからだ。在日朝鮮人の抹殺=「日本人」化ということが坂中の目的であり、そのために在日は日本国籍を取得せよと、日帝への屈服を迫っているのだ。
 そして、八二年入管法での特例永住、九一年入管特例法での特別永住を始め、在日を取り込み屈服させるために入管攻撃、差別・抑圧、分断・同化・追放攻撃を加え続けてきた。しかし在日朝鮮人はそれらに屈することなく、不屈に闘いぬいてきたのである。
 だからこそ、日帝が新ガイドライン−侵略戦争への道を突き進もうとする今、あらためて在日を屈服させて侵略翼賛勢力として取り込むために、坂中が前面に登場してきたのである。

 第2節  民族差別は継続

 第二に、七七年坂中論文以来の二十年間を、きわめてご都合主義的に総括していることである。例えば、「在日の法的地位と処遇は大幅に改善された」とか「在日に対する差別は減少し、残された課題は差別意識の問題」と言っている。
 これはまったくデタラメだ。八〇年以降の指紋押捺(おうなつ)拒否闘争に対する、永住権のはく奪を始めとする報復措置の乱発は何なのか。また、坂中が「世界に例のない優遇された法的地位」と称する入管特例法で導入された特別永住にしても、退去強制条項は残されたままである。何よりもこれによって在日朝鮮人・中国人とアジア人労働者を二元化し、アジア人労働者に対しては年間五万人を超える退去強制を繰り返しているではないか。
 また、進学、就職、結婚などでの民族差別の実態はなんら変わりがない。そもそも、入管法・外登法による抑圧と治安弾圧の中で、いまだ圧倒的な在日が本名を隠して生きていかざるを得ない現実があるのだ。さらに国籍差別条項の問題や参政権の問題こそ最大の民族差別として、政治的に焦点化しているではないか。
 坂中の言っていることは、それ自身が許しがたい排外主義イデオロギーである。実は坂中は、この二十年間をこのようにデタラメに総括することで、「在日は今やほぼ完全に日本に同化し、民族差別も少なくなった」、だから「同化反対や差別撤廃などと叫ぶな」と、民族差別反対の闘いの解体を狙っているのだ。
 実際に韓国籍・朝鮮籍が年間一万人ずつ減少している現実がある。坂中はこれをとらえて「このままいけば近い将来、在日は消滅する」、だから「朝鮮系日本人として生きる以外にない」と屈服を迫っている。
 しかしこれも日帝のすさまじい同化攻撃によって引き起こされた結果である。
 一つには、簡易帰化制度だ。八〇年代までは日本国籍取得には財産面や「犯罪歴」など難条件を課した上で、日帝に徹底的な忠誠を強制した。これを条件面で一定「緩和」し、日本国籍取得を簡易化することで、在日朝鮮人から朝鮮籍や韓国籍を奪うやり方に変えたのである。
 二つには、八五年国籍法改悪によって、在日と日本人が結婚して生まれた子どもはすべて日本国籍となるようにしたことだ。
 朝鮮籍や韓国籍を守り続けて生きぬくことによって、在日は在日としての民族的人間的あり方を貫いてきた。それを破壊しようとする攻撃こそ、坂中路線なのだ。
 はっきりさせるべきことは、この二十年間、否、戦後五十余年のすべてが、入管体制による差別・抑圧、分断・同化・追放との闘いであり、日帝・坂中路線との闘いの歴史であったということである。在日は屈服するどころか、これらを不屈に跳ね返し、指紋全廃に象徴されるように、逆に入管体制の破綻(はたん)点をつくり出してきたのである。これが歴史の真実だ。

 第3節  侵略戦争へ動員

 第三に、だからこそ坂中は、屈服することなく韓国籍・朝鮮籍の特別永住者として生きようとする在日に対しては恐るべき恫喝を加えてきているのだ。
 「外国人の権利にはおのずから限界があり、最大限の権利が保障されたとしても、国政への参政権・国の統治権のような政治的権利と永遠の居住権は与えられません」などと、強制送還攻撃すらちらつかせている。
 そして、「外国人の地位にあることに伴う権利の制約を受けることを覚悟の上、日本国民と同等の権利を求めるようなことはしない決意で生きていかなければなりません」と、在日である限り無権利状態に甘んじよ、同等の権利がほしければ日本国籍を取れ、と言っているのだ。
 朝鮮籍、韓国籍を守り続けて生きぬき、闘いぬくことで、在日朝鮮人は日帝の植民地支配、強制連行、侵略戦争の生き証人としてのあり方を貫き、日帝の戦争犯罪を根底的に告発・糾弾してきた。だからこそ日帝は、入管法・外登法−入管体制下での苛烈(かれつ)な治安弾圧のもとで、日帝・坂中路線によってこの在日のすべてを日本国籍化させようとしている。それは、在日から朝鮮籍や韓国籍さえ奪う大攻撃であり、戦後闘い続けてきた在日朝鮮人の民族的あり方を奪う攻撃である。
 したがって、その行き着く先が再び三たびの植民地支配であり、侵略戦争であることは明らかだ。
 日帝が新ガイドライン体制下で朝鮮・中国侵略戦争へと突進しつつある中で、こうした在日朝鮮人・中国人抹殺攻撃と全面的に対決することが求められている。入管法・外登法粉砕の闘いと一体のものとして、闘う在日朝鮮人・中国人と連帯して、坂中路線を粉砕しよう。 (五十嵐茂生)

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週刊『前進』(1956号6面3)

 森田友彦同志を追悼する

 不屈の闘争団魂継ぎ国鉄闘争の勝利を誓う

 革共同九州地方委員会

 去る二月二十二日、マルクス主義青年労働者同盟員・森田友彦同志が大腸がんとの全力の闘いの末、ついに帰らぬ人となった。享年四十一歳。国労佐賀闘争団員の同志森田は、全国の国労闘争団で十八人目の戦死者である。
 同志森田は、長い間彼を苦しめた難病といわれるクローン病により昨年十月、国立嬉野病院に入院、その後長崎大学病院に転院し、病魔との必死の闘いを行った。だが、ついに大腸がんが彼の命を奪い去った。
 同志森田は、一九七七年佐賀県立鹿島実業高校を卒業後、国鉄に入社、同時に国労に加入した。佐世保線早岐駅、肥前七浦駅、肥前山口駅、武雄駅に勤務。八六年、人材活用センターに収容された。同志森田は難病を抱えながら、人材活用センターで不屈の闘いを展開し、国鉄分割・民営化による大量不当解雇の攻撃に対して、分割・民営化絶対反対を命がけで貫く闘いに決起した。
 八七年、分割・民営化により不当解雇。九〇年には、清算事業団から解雇されて、国労佐賀闘争団に所属し、難病と闘いつつコンビニエンスストアでの深夜の勤務や測量事務所での野外のハードな仕事を行い、同時に解雇撤回を掲げ、分割・民営化体制との壮絶な闘いに決起していった。
 同志森田は、三里塚闘争、狭山闘争に積極的に参加し、分割・民営化攻撃との闘いの最先頭に立って闘った。闘いの渦中、プロレタリア革命に向かって決意も新たに、八五年にマルクス主義青年労働者同盟に結集した。
 命をかけた決起の前には、権力の度重なる不当な家宅捜索や、カクマルの脅迫・嫌がらせ・ナーバス電話なども、同志森田の怒りの火に油を注ぐものでしかなかった。
 「たとえこの身が滅ぶとも、分割・民営化を許さない」という決意に満ちた同志森田の日々の闘いは、国労中央本部、宮坂・チャレンジ一派、日共・革同上村一派の「改革法承認」=和解策動に対する断固たる闘いとして貫かれていった。
 同志森田は、佐賀闘争団において改革法承認絶対反対を掲げ、闘争団の不抜の団結を打ち固める最先頭に立った。闘争団の苦闘を一身に背負い、激論を闘わせ、首を切った改革法への怒りと絶対反対の意志を不屈に貫いたのは、同志森田の自らの命をかけた高潔な労働者魂であった。
 難病をものともせず、分割・民営化反対を貫き、不撓(ふとう)不屈に闘いぬいた高い精神が、ついに闘争団の仲間の闘う魂を呼び起こしたのである。
 同志森田は、国鉄闘争をその先頭で、不屈に闘いぬくとともに、さらに闘う労働運動の新潮流形成のために全力で闘いぬいた。十一月労働者集会に難病をおして決起した。
 われわれは、同志森田の死に心の底から哀悼の意を表するとともに、彼の遺志を引き継ぎ、プロレタリア世界革命に向かって断固として決起することをあらためて宣言し、誓う。われわれは、同志森田が闘い半ばで倒れたその無念さをすべて引き受け、その屍(しかばね)をのりこえて進む。
 分割・民営化を承認し、国労闘争団を切り捨て、帝国主義的労働運動の道を突き進もうとする国労中央指導部を打倒し、解雇撤回、原地原職奪還、不当労働行為弾劾を掲げ、国労の階級的再生のために全力で決起する。総選挙決戦、さらに沖縄闘争の勝利のために全力で闘う。
 それだけが自らの命を顧みず壮絶に闘った同志森田の偉大な遺志を引き継ぐ道である。
 同志森田は、その峻厳(しゅんげん)な生きざまをとおして、われわれに進むべき道を示してくれた。自己犠牲をものともしない高潔な労働者としての生きざまをもって、戦争と大失業の時代に労働者がどう生きるのかを、労働者が人間として生きていく道を示してくれた。それは死してなお燦然(さんぜん)と輝き、われわれの行く手を照らしてくれている。われわれは断固この道を進む。
 同志森田よ、安らかに眠れ。
(写真は八八年、清算事業団当時の森田同志)

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週刊『前進』(1956号6面4)

 ゛警察腐敗は構造的″

 東京でシンポ デッチあげ弾圧に怒り

 四月十六日午後一時から、東京の神田パンセで、「警察の腐敗をえぐる、シンポジウム−いま警察の在り方を問う−」集会が開かれました。主催は集会実行委員会。次々に暴露される警察の腐敗に怒る労働者市民百十人が参加しました。
 第一部「警察改革のあり方」では、作家の宮崎学さんがコーディネートし、福島瑞穂参議院議員、緒方靖夫参議院議員、新潟の新聞記者の片桐元さん、ノンフィクション作家の久保博司さんが発言しました。
 宮崎さんは、神奈川県警による風俗店からの組織的集金に絡んで発生した暴力団の警官銃撃事件を取り上げ、「警察と自衛隊という権力中枢で腐敗が進行している。これは日本の全体主義化の進行を示すもの」と弾劾しました。
 福島議員は、政府・与党の警察法改正先送りを弾劾し、白川勝彦議員秘書逮捕のような警察の見せしめ的圧力に抗して「国会でどこまで本格的に(警察改革が)できるかが問われている」と決意を述べ、「百年に一度の改革のチャンスを生かそう」と訴えました。
 久保さんは、今一番肝心なこととして「これらの腐敗事件を逆手にとって、警察がますます中央集権化し、自治体警察が最後的に解体されようとしている」と警鐘を乱打しました。
 片桐さんは、「新潟県警の腐敗体質は温泉マージャン事件後もまったく変わっていない。警察腐敗の根底に警察が公安主導になっていることがある」と指摘しました。
 警察の違法盗聴の被害者である緒方議員は、自らの事件での警察の居直りを弾劾しました。
 会場との質疑の後、ジャーナリストの寺沢有さんのコーディネートで第二部「元警察官、元公安調査庁職員からの告発」に移りました。元警察官の黒木昭雄さん、元公安調査庁職員の野田敬生さんがそれぞれの組織での経験を紹介し、「警察、公安庁の腐敗は体質的、構造的」と指摘し、内部情報を公開させることの重要性を強調しました。
 第三部「リレートーク 人権・救援・諸団体から」では、交通警察ジャーナリストの今井亮一さん、冤罪被害者のピース缶事件元被告の井上清志さん、逮捕令状問題を考える会の御崎直人さん、洋書センター支援共闘会議の労働者らが、それぞれの立場で、警察のデッチあげ弾圧などを弾劾しました。
 最後に、呼びかけ人を代表して人権と報道・連絡会事務局長の山際永三さんがまとめを行い、「長年たまった警察腐敗がこの際、出てきた。警察を今たたき直すことが大切ということで一致して、声を大きくしていこう」と訴えました。
 警察腐敗の根底に弾圧と人民抑圧機関としての警察の構造的問題があることを指摘し、市民による警察監視の必要性を強調した各発言に、参加者は怒りとともに警察そのものを問いただす決意をあらためて固めました。
(投稿 H・Y)

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週刊『前進』(1956号7面1)

 森・自公政権−石原打倒を

 日帝政治危機と革命情勢の接近に労働者階級の歴史的決起かちとれ

 衆院選勝利・沖縄サミット粉砕へ

 坂本 千秋

 はじめに

 全党の同志、支持者、『前進』読者のみなさん!
 日本労働者階級人民の命運をかけた二〇〇〇年の一大階級決戦は、いよいよ最も激烈な闘いの局面に突入した。小渕・自自公政権の崩壊と森・自公政権への移行は、戦後日本帝国主義の抱えるあらゆる諸矛盾がついに全面的な体制的危機として爆発し、とりわけ政治危機に決定的な火がつき始めたことを示している。日帝の政治支配がことごとく破綻(はたん)し、その内部から崩壊し始める時を迎えたのだ。まさに今やレーニンの言う革命的情勢が急速に接近しつつあるのである。
 石原都知事のファシストとしての正体をむきだしにした大突出は、これへの日帝支配階級の激しい危機感と絶望的な凶暴化を体現するものだ。労働者階級の生きるか死ぬかをかけた決戦情勢への完全な突入である。この重大情勢を前にして、日本共産党を始めとした一切の既成政党の無残なまでの破産と総屈服を革命的にのりこえて闘う、まったく新たな政治勢力の登場を、すべての闘う人民が心から待ち望んでいる。
 六月に迫った衆院選と、七月沖縄サミット、九・三自衛隊治安出動演習をめぐる決戦は、今や完全に日帝と人民との死活をかけ、二十一世紀の未来をかけた歴史的大激突の場となった。この激突になんとしても勝ち抜いて、衆院選決戦での長谷川英憲氏の必勝=当選をもって森と石原を真っ向から打倒し、さらに、沖縄を踏み台にした帝国主義の戦争会議=沖縄サミットをずたずたに引き裂く人民の大勝利を実現しよう。そして九・三自衛隊治安出動演習粉砕、十一月労働者集会大結集へ攻めのぼろう。
 再び凶暴な侵略と戦争の道にのめり込もうとしている日本帝国主義のその内側から、東京・杉並と沖縄から、闘うアジア人民と連帯して日帝を打倒する日本プロレタリアートの全世界を揺るがすような闘いが始まったことを、今こそ鮮烈に告げ知らせようではないか。すべての同志、人民が、ともに総決起されることを訴える。
 第一章 森政権登場−6月衆院選が戦後最大の政治決戦に
 四月初め、労働者人民の怒りの包囲の中で小渕が倒れ、すでに破産に直面していた自自公体制が最後的にふっとび、小渕政権は崩壊した。支配階級の動揺と密室での陰謀政治の展開の末に、森喜朗を首相とする新政権が発足した。
 森は、旧内閣の全閣僚をそのまま引き継ぐ暫定政権=選挙管理内閣という危機的な構造を抱えながらも、所信表明演説で有事立法・改憲攻撃を歴代首相で初めて正面から打ち出した。「教育勅語の一部復活」さえも公然と提唱している。小渕・自自公政権がのりこえられなかった壁を超反動的に突破することを、自らの政権の最重要課題と宣言してきたのだ。
 その二日後の四月九日、こんどは石原都知事が陸自練馬駐屯地で千二百人の自衛隊員を前に演説し、朝鮮人・中国人への排外主義襲撃を公々然と扇動するという実に許せない事件が発生した。一九二三年の関東大震災での大虐殺や敗戦直後のGHQ支配下での襲撃・虐殺を再現せよとあおる、怒りで体がふるえるような暴言である。石原はそこで、九月三日に自衛隊三軍を動員した治安出動演習を首都のど真ん中で強行すると宣言し、「国家にとっての軍隊の意義を国民に示せ」と事実上の反革命クーデターを扇動したのである。
 石原の暴言はただの個人的発言でもなければ、偶然に起きたハプニングでもまったくない。内外情勢の激動のまっただ中での小渕・自自公政権の破産−崩壊という、日帝の政治支配の重大な危機の中で、ファシスト石原がついにその正体を公然とあからさまにしたということなのだ。すなわち、この危機を一層反動的、暴力的に突破することなしにはもはややっていけないという、日帝支配階級の絶望的な危機感と焦りの表現として、まさに出るべくして出たものなのだ。
 その背後には、恐るべき階級支配の危機があり、階級的な地殻変動の情勢がある。長期化する経済恐慌、激化する戦争政治と資本攻勢の中で今日ますます深まる階級対立の非和解的な発展があり、労働者人民の怒りの爆発に対する日帝の深刻な恐怖がある。
 日本階級闘争はここに、明らかにいまひとつの決定的な曲がり角を迎えた。今始まったこの巨大な政治危機―革命的情勢の急速な接近を、人民の本物の革命的大決起への真の突撃路に転化することができるか否か、この二〇〇〇年決戦の大勝負、とりわけ間近に迫った衆院選決戦と沖縄サミット決戦の成否にその一切がかかっている。わが革共同に課せられた責任は、きわめて重大である。

 第1節  小渕・自自公の破産

 今日の日帝の政治危機の深さと広さをつかむに当たって、小渕・自自公政権とはなんだったかをまず明らかにしたい。
 小渕政権は、九七年秋以降の日帝の金融危機・経済危機の大爆発、日本経済の事実上の恐慌過程への突入と、九八年参院選での自民党敗北の中で、日帝ブルジョアジーの危機突破のための突撃内閣として登場した政権である。それは同時に、橋本=クリントン会談で合意し締結した朝鮮・中国侵略戦争の日米軍事協定=新安保ガイドラインの発動と沖縄闘争圧殺を強行するための、ガイドライン法の成立と国内総動員体制の形成を最大の階級的使命として成立した。この攻撃を何がなんでも貫徹するために、まず自民・自由両党の連立が、続いてそこに公明党を屈服させて取り込んだ巨大与党体制としての自自公政権が形成された。
 この自自公政権は、本質的に、一九三〇年代の日帝がアジア侵略戦争と第二次大戦遂行のために形成した大政翼賛会政治の再現を狙うものであり、その実質的な始まりを意味するものであった。だがその実態は、危機に立つ日帝ブルジョアジーの反革命的結束が生み出す「挙国一致」の恫喝の前に、既成の全野党と連合やカクマル=JR総連をおじけづかせ、屈服させ、その大転向を引き出すことによってかろうじて支えられていたにすぎない。
 実際にはこの政権は、「階級関係の反動的転覆の上に成立している政権ではなく、むしろ戦後的階級関係の反動的転覆の未完成が生みだす支配の危機、政治危機のゆえに登場した政権であり、労働者階級人民のたたかいが本格的に爆発すれば一挙に決定的危機に陥るしかない政権」(野口正敏著『倒せ、ファシスト石原』序章、前進社刊)というところにその最大の本質があったのである。
 事実、自自公の「数の暴力」と民主党・連合や日本共産党の裏切りと大転向のもとで、九九年五月のガイドライン関連法の成立を突破口に、日帝は戦争国家への公然たる大転換に踏み切った。だが反動諸法案のあいつぐ成立にもかかわらず、ガイドライン攻撃の貫徹=沖縄圧殺と侵略戦争への総動員体制の形成は、人民の激しい抵抗によって、進むどころかこの間、ほとんど絶望的に行き詰まってしまっている。
 何よりも攻撃の最大の要(かなめ)となっている沖縄で、普天間基地の県内移設=名護新基地建設絶対阻止を掲げた沖縄人民の根底からの怒りの爆発を、あらゆる卑劣な手段を用いても依然として押しつぶすことができないのだ。さらに、この三〜四月全国で不屈に闘い抜かれた「日の丸・君が代」粉砕闘争の大高揚は、昨年五・二一のガイドライン反対五万人集会に始まる新たな巨大な反戦決起のうねりが、後退するどころか持続し、ますます断固として前進していることを示している。
 さらに、小渕がこの二年間に強行した露骨な金融資本・大資本救済の政策と労働者人民への極限的な犠牲転嫁の攻撃は、今や日本社会のすみずみにまで、生活破壊の嵐にさらされた人民の激しい怒りを充満させている。日帝が大量首切り・リストラに続いて、二〇〇〇年春闘で賃金の大幅引き下げと戦後社会保障制度の全面解体の攻撃に踏み切ったことは、労働者人民の階級的な怒りに火をつけるものとなりつつある。
 この一〜四月、闘う杉並区民が先頭に立って切り開いてきた介護保険絶対反対・公的介護を求める全人民的な闘いの開始は、この労働者人民の怒りを真に解き放ち、人民の新たな大決起の弁をこじあけるものだ。その根底には、大資本救済に湯水のような財政(人民の血税だ!)をつぎ込む一方で、働く人民のいのちと暮らしには何の責任も持たないばかりか身ぐるみはいで路頭にほうり出すような、こんな国家はもうこれ以上がまんできない、このままでは生きられないという、ぎりぎりの決起と激しい決意の噴出がある。
 重要なことは、連合の帝国主義的労働運動への公然たる移行にもかかわらず、日帝が労働者階級の戦後的な階級性、戦闘性をその根幹においてたたきつぶすことに失敗し続けてきたことこそが、今日の事態を生み出しているのだということである。日帝がこの間、全体重をかけて襲いかかってきた国労解体攻撃の挫折に次ぐ挫折はその象徴である。
 さらにより一層深刻なのは、この連合支配の本質的な弱さを反革命的に打開するものとして、戦闘的労働者人民に対する白色襲撃部隊として、日帝が七〇年代以来育成してきたファシスト・カクマル
=JR総連が、全人民の前にその正体を暴き出されて大破産の危機に突入したことだ。
 今、連合支配の危機と崩壊の進行、カクマル=JR総連の一層の危機爆発をとおして、この階級支配の危機はいよいよ鋭く激しいものとなり、逆に日帝をがけっぷちに追いつめている。
 こうした中で、自由党・小沢の連立政権からの離脱を引き金に、小渕が倒れ、自自公政権がドラスチックな崩壊を遂げたのだ。まさに、自自公が巨大与党として国会内を圧倒的に制圧しながら、大多数の労働者人民からは拒否され続ける中で、もはや体制そのものが維持できなくなって大破産したのである。その意味で小渕は、まさしく人民の怒りの包囲によって打倒されたのだと言っていい。
 問題は、自自公体制の破産と崩壊のその次に来るものは何かということだ。
 自由党の分裂と自由・公明・保守三党の新与党体制発足の上に立つ森政権は、本質的には自自公体制の破綻形態としての自公体制への移行でしかない。したがってこの政権は、出発点から小渕政権以上の脆弱(ぜいじゃく)性を抱えている。すなわち、@労働者人民に対する政治支配の階級的基盤そのものの喪失と、Aこの危機を暴力的に打開していく力の弱さ(小沢との連立がもっていた密集した反革命エネルギーの喪失)という二点において、すでに重大な破綻点をさらけだしているのである。
 だが他方で森政権は、そうであればあるほど、早期解散・総選挙にうって出てそこで勝利することで、小渕が突き抜けられなかった壁の突破へとより絶望的に、一層の凶暴性をむきだしにして突進する以外ない。それは人民のさらなる怒りの火に油を注ぐものだ。現在進行する政治危機、体制的危機が、森政権のもとでどこまでもますます泥沼的に拡大していくことは明白である。結局はその中から新たな階級的激突を、一層全社会的な、巨大な規模と深さにおいて準備していくものとなるのだ。
 小渕のダウンに続いて竹下や梶山が引退を表明し、田中角栄以来長く続いた田中・竹下・小渕派支配が崩壊し始めたことも重大である。ひとことで言えば、戦後の自民党政治支配と、その行きづまりを打破するための九三年以来の連立政権による議会内的翼賛体制形成のもとでの支配、そのすべてが最終的な破産に直面したのだ。今や、日帝があがけばあがくほど、底なしの政治的、社会的、体制的危機の全面爆発の過程に落ち込んでいくことが避けられなくなっているのである。
 この間の政府・国家機構、警察権力などの恐るべき腐敗の露呈も、そうした政治支配の危機が支配体制の内側からの瓦解(がかい)を引き起こし始めていることの現れだ。

 第2節  革命的情勢が到来へ

 このことは他方で、わが革共同と、すべての闘う人民に重大な問題をつきつけている。帝国主義の危機が世界大恐慌と世界戦争として爆発していく時代において必ず生み出されてくる、この危機の内乱―革命への転化という情勢が、ついに決定的に始まったということである。
 ひとつは、支配階級の分裂と危機と階級支配の破綻の極度の進行の中で、日帝の体内から、これら一切を突破する超反動的な政治権力への渇望がすでに噴き出しているということだ。帝国主義的ナショナリズムと排外主義を公然とあおり、労働運動・階級闘争の撲滅を叫ぶ民間ファシスト勢力がさまざまな形で、かつ激しい勢いをもって台頭してくる。それらが支配階級と結合したりまたはその後押しを受けて、権力奪取への本格的な突撃を開始する時代が始まっている。それがほかならぬファシスト石原による首都東京の権力掌握とその暴力的発動なのだ。
 いまひとつは、一切の既存の政治党派や潮流の破産、腐敗、その反人民性や無力性などが徹底的に暴き出されてくる中で、人民の中から、これまでの価値観を打ち破ってまったく新たな党派選択を求める流れが潮のようにわき起こってくることだ。さらに、これまで階級闘争の前面に登場してこなかった人びとを含めて数百万、数千万という真に巨大な規模での人民大衆の階級的めざめが、その政治行動化が、一挙に劇的に生み出される情勢が近づいている。



 8面につづく
 7面からつづく
 さしあたって、既存の枠組みをぶち破る革命的政治勢力の登場がこの情勢にまだ一歩も二歩も立ち遅れている中で、大衆の巨大な流動化とその爆発的エネルギーは出口を見いだせないままに渦巻いているが、われわれの闘いがここで決定的に飛躍し前進するならばこれらと結合する情勢に突入することは間違いない。
 すなわち、一九三〇年代のヨーロッパで典型的に起きたように、帝国主義の危機爆発の中で伝統的支配体制が崩壊し、ファシストによる権力掌握か、労働者階級の総蜂起によるプロレタリア革命権力の樹立かをめぐって、革命と反革命とが真っ向から血みどろに激突していく嵐(あらし)のような過程が本格的に始まるということだ。二〇〇〇年は、その決定的な第一年となった。
 四月の最初の一週間で日本の階級情勢・政治情勢はまさに一変した。六月衆院選決戦が戦後最大の政治決戦となって完全にせり上がってきたのである。
 第二章 戦争と排外主義扇動するファシスト石原打倒せよ
 正真正銘のファシストである石原都知事の存在と位置は、この激動する階級情勢の中で実に重大な意味をもっている。
 最初に、石原慎太郎とはどういう人物なのかをまずはっきりさせよう。
 石原は自民党議員時代に、中川一郎とともに現首相の森喜朗を含む党内の札付きの「タカ派」議員を集めて結成された「青嵐会」の中心を担った。当時からごりごりの反共主義者であると同時に、排外主義・差別主義を公然とふりまき、改憲を叫ぶ極右天皇主義者であった。
 だが石原が、単なる右翼・保守反動にとどまらないファシスト的正体をむきだしにしていくのは、九〇年代に入って、スターリン主義の崩壊とともに帝国主義の危機と日米争闘戦が決定的に激化し始めてからである。
 その思想と主張の核心は、大きくは以下の諸点に集約される。(詳しくは前掲『倒せ、ファシスト石原』を参照)
 第一に、むきだしの戦争挑発のイデオロギーである。朝鮮・中国への侵略戦争を今日の日帝の最大の「国策」として推し進めることを要求し、激しく扇動するものだ。
 第二に、日米争闘戦の激烈化の中で、強烈な反米民族主義を前面に押し出し、これと表裏一体で中国への敵意をむきだしにした帝国主義的ナショナリズムと排外主義をまきちらしている。帝国主義的民族排外主義にもとづくショービニズム(極端な愛国主義・国粋主義)をあおりたて、領土の拡張をも公然と主張し、新たなアジア侵略に突進していくイデオロギーである。
 第三に、憲法に代表される戦後の「平和と民主主義」の価値観を、「アメリカに押しつけられたもの」として根底から否定し、徹底した憎しみと破壊の対象としている。その本質は、ナチス・ヒトラーとまったく同じ、労働者階級人民の存在と闘いに対する心底からの階級的な恐怖と憎悪と敵対である。
 この石原の思想・心情と、それにもとづく数限りない排外主義・差別主義の暴言は、実際には日本帝国主義の階級利害そのものの最も露骨な、かつ絶望的な表現である。「日帝政治委員会が内外の戦後的制約から公的な形では言えないでいることを意識的・自覚的な挑発として爆発させているもの」(前掲書)であり、日帝の本音を「あえて戦後的価値観の枠を破った挑発的などぎつい発想と表現でうちだしている」(同)ものだ。そこにはナチス・ドイツが「ベルサイユ体制打破」を叫んで第二次大戦へと突き進んだような、敗戦帝国主義としての制約を突破しようとする激しい衝動がある。
 しかも石原の特徴は、これが単なる主張にとどまらず、実際の行動に結びついていることである。そこにおいては、必要なら現在の国家・法体制の枠をも平然と踏み破る実力行使をどしどし強行し、その追認を要求していくという点である。九七年五月には西村真悟(昨年、「日本も核武装すべきだ」などの暴言を吐き防衛政務次官を辞任したあの西村だ!)と一緒に中国領土・釣魚台に上陸して「日の丸」の旗を押し立てるために、自動小銃などの武器弾薬を積み込んだ船をくりだし、公然たる武装侵略行動を自ら計画し、実行さえしたのだ。
 さらに「物書き・小説家」という看板をも利用し、うそとデマゴギーをふんだんに使った政治的扇動を最大の武器としている。「自由主義史観」の藤岡信勝などと組んで、「南京大虐殺は作り話だ」などの許すことのできない排外主義デマ宣伝と歴史の偽造を次から次へと連発して、人びとに卑劣な襲撃をしかけ、だまし、屈服させて侵略思想をあおっていくのである。その意味でもファシストの手口を完全に踏襲しているのだ。

 第1節 9・3大演習粉砕を

 このようなファシストが、こともあろうに都知事の座について首都・東京の権力を握った。このことの重大性を、今こそ正面からみすえなくてはならない。
 東京は、日本の全人口の一割、千二百万人もの都民が生活する世界有数の都市である。そして言うまでもなく日帝権力の中枢と直結している。その首長のもつ絶大な権限・権力をファシストが握ったということは、オーストリアでナチスを公然と賛美するハイダーの極右政党との連立政権が発足したのに匹敵する重大事態である。しかも石原は、「東京から日本を変える」と、これがファシスト勢力による権力奪取に向けた事実上の一大ステップであると公言さえしている。
 石原の台頭は、小渕政権の登場とその自自連立―自自公連立政権への移行ときびすを接して行われた。自自公体制の形成を不可避としたのと同じ要因が、石原を押し上げたのである。すなわち日帝の内外にわたる危機、その反革命突破の困難性、そこでの日帝ブルジョアジーの必死のあがきだ。
 今日の日帝がぶつかっている最大の壁は、日帝が憲法第九条を始めとした戦後的制約を突き破って、再びアジアに対米対抗的な日帝勢力圏を独自の軍事力をもって築くことのできる侵略帝国主義として登場することが、即座に(イ)対米矛盾の極限化と、(ロ)アジア人民の怒りの噴出、(ハ)国内階級支配の重大な危機を引き起こしてしまうという点にある。石原の役割は、このすべてをファシスト反革命としての突撃力をもって暴力的に突破しようとするものだ。そのために旧来の自民党政治をも含む戦後政治を右から破壊していこうとしている。
 したがって、日帝・小渕や森と石原との間にある距離は、本質的な対立点を形成するものではまったくない。逆に小渕や森は、石原のもつ激しい現状破壊性を最大限利用することで自らの労働者人民への攻撃を貫徹しようとしてきたし、これからもそうしようとしている。石原もそれを自覚して行動しているのだ。
 石原が就任以来のこの一年間に実際にやってきたこと、これからやろうとしていることをみるならば、そのことはまったく明らかだ。石原が昨年十一月、自らの政策の具体化として打ち出した「危機突破・戦略プラン」は、日帝が今日強行している戦争政治と労働者人民への極限的な犠牲転嫁の攻撃を、その最先端で最も激烈に貫こうとするものである。
 それは、高齢者と「障害者」を最大の標的にした福祉の徹底的な切り捨てであり、都に働く労働者への大リストラ・首切りとすさまじいまでの大幅賃金カットの攻撃であり、「心の東京革命」などと銘打った戦後の平和教育・民主主義教育の全面解体と天皇制教育復活の攻撃である。他方でこれまでさんざん都財政を食い物にしてきたゼネコン・銀行・大企業には新たな利権にありつける道を開き、また東京を「軍都」に変えようとしてきている。そのためにファシスト特有のデマ政治を徹底的に駆使し、排外主義・差別主義をあおり立てているのだ。
 九月三日に自衛隊陸海空三軍を動員して首都制圧の治安出動演習を行うという、石原が四・九に公然と打ち出した計画は、この「危機突破・戦略プラン」の中に当初から最大の核心として位置づけられていたものである。「防災訓練」のカムフラージュのもとで人民に銃を向けさせるために自衛隊兵士を動員し、首都を戒厳状態におき、その威力をもって「軍隊を中心にした国家」をつくりだすことを全人民に強要しようというのだ。そのために関東大震災での朝鮮人・中国人大虐殺の再現すら狙っている。恐るべき反革命クーデター計画であり、ファシスト石原の最大の戦略的環だ。断じて許すことはできない。

 第2節 石原を賛美する日共

 この石原のファシストの正体をむきだしにした攻撃に対して、今や人民の中に深刻な衝撃と、激しい危機感と怒りが続々とわき起こり始めている。だがまだ圧倒的に不足なのだ。これに対してヨーロッパでわき起こっているようなファシスト打倒の巨万のデモや、労働者階級のゼネストが即刻たたきつけられなくてはならないのだ。それがまだ起きていないというところに、今日の日本階級闘争が突破しなくてはならない重要課題がある。
 その大きな原因は、日本共産党を始めとした既成の全政党が、許せないことに石原に完全に屈服し、その攻撃にことごとく翼賛し迎合してしまっているからだ。とりわけ日本共産党にいたっては、石原の掲げる反米民族主義や対中国・北朝鮮の排外主義に思想的にも屈服し、自民党政治に対する石原の右側からの「批判」に拍手さえ送るという恐るべき腐敗した姿をさらけ出している。このことが、労働者人民の間にファシスト石原への決定的な過小評価と武装解除を生む最大の原因となっている。
 石原をここまでのさばらせているのは、まさにこうした状況である。石原自身の「強さ」などでは断じてない。
 そもそも石原を都知事の座に押し上げた要因は、石原自身のもつ独自の基盤(民間ファシスト運動)とその現実の力によるものではない。石原が都知事としてもつ強大な権限に比べ、その組織力はまだきわめて脆弱である。何よりも一九三〇年代的な本来のファシスト運動がそうであるように、労働者階級との本格的な階級決戦的激突をくぐりぬける中で登場してきたわけではないからだ。否、むしろそうした経験はまだまったく経ていないと言えるのであり、労働者人民、とりわけ組織された労働者が本気で石原打倒を真っ向から掲げて立ち上がるならば、たちまちその弱さを全面的にさらけだしてしまうような存在なのである。
 昨秋の都労連のストライキは、その一端をまざまざとかいま見せるものであった。天皇式典という日帝支配階級にとって最大のイベントが皇居前で「日の丸」を掲げて行われていたその日に、都庁には赤旗が林立し、労働者のピケ隊が都庁を制圧して東京都の真の主人公は誰であるかを石原につきつけ、石原の尊大な仮面をひきはがし、組合に頭を下げさせるところまで追い込んだのである。まさにこのような闘いを次々と爆発させ、全都の労働者人民の総決起を闘いとっていくならば、石原は完全に打倒できるし、逆にその打倒が森政権をも直撃する大情勢を切り開いていくことができるのだ。
 ここで、ファシズムについて、前掲書の提起をふまえつつその基本的な諸問題を確認しておきたい。
 ファシズムとは、(1)資本主義=帝国主義の末期的な危機突入の中で、その現実に対して小ブルジョア層を中心に社会にまんえんする不安と危機感を組織し、階級闘争(プロレタリア革命)を圧殺するために現状を右側から破壊して、危機に立つ帝国主義を究極的に防衛しようという運動である。(2)その思想の核心にあるのは、帝国主義的民族排外主義・差別主義と反民主主義のイデオロギーだ。(3)その階級的使命は、労働組合など労働者階級のあらゆる団結形態や組織と運動の破壊、労働運動・反戦運動を始め一切の階級闘争の暴力的解体にある。デマゴギーと白色テロルによってあらゆる人民の闘いを暴力的に根絶・一掃し、帝国主義の行う侵略戦争・世界戦争に動員するのだ。
 (4)ファシズムによる権力の掌握は、そうした全面的な階級圧殺攻撃を遂行したその「廃墟」の上に成り立つ。それは、プロレタリア革命の粉砕のためには伝統的支配に代えてファシストを政権につかせるしかないという、支配階級のぎりぎりの決断と結びついて初めて可能となるものである。(5)すなわちそれは、帝国主義支配階級と全労働者階級人民との、ブルジョアジーとプロレタリアートの総力を挙げた激突、巨大な階級決戦をいくつもくぐり抜けることを前提としている。そこにおいて既成の労働者政党や労働組合指導部、社会民主主義者やスターリン主義者などが闘いを裏切り、敵の攻撃の前に全面降伏し迎合していくこと、それへの人民大衆の不信と絶望こそが、ファシズムの成長を生み出すのだ。
 (6)したがって、労働者人民がファシズムのこの危険な本質を階級的にみぬき、ファシストの掲げる排外主義・差別主義に対してプロレタリア国際主義と被抑圧民族人民との連帯を真っ向から掲げ、帝国主義打倒の決意と戦略をもって敢然と大衆的、戦闘的に決起していくならば必ず打倒することができるのである。逆に過小評価や正面対決の回避に逃げ込むならば大敗北をきっするのだ。一九三〇年代の歴史の教訓は、そのことを完全に物語っている。

 第3節 衆院選が最大の戦場

 すでに在日朝鮮人・中国人を始めとする在日アジア人民は、石原の四・九発言を、日帝とそのファシスト先兵による朝鮮・中国・アジア人民への新たな侵略と虐殺の襲撃開始の宣言として弾劾し、これと真っ向から対決するいのちがけの闘いに立ち上がった。この在日を先頭とした全朝鮮・中国・アジア人民の怒りの決起こそ、日本人民に向かって、ファシスト石原打倒―日帝打倒に向けた日本人民自身の歴史的階級的総決起の開始を断固として呼びかけるものであり、それへの限りない援助である。この呼びかけにこたえ、連帯して立ち上がるなら、必ず勝利を切り開くことができるのだ。
 来る衆院選は、森・自公政権を打倒し、ファシスト石原を打倒する最大の戦場となった。それは同時に、介護保険に始まる社会保障制度の全面解体攻撃と対決して労働者人民のいのちと暮らしを守りぬく決戦である。そして沖縄サミット粉砕へ、さらに九・三自衛隊治安出動演習粉砕、十一月労働者集会の大結集へとのぼりつめていく決定的な闘いの突破口である。東京八区は、本質的にも現実的にもその最大最高の焦点だ。
 ここで石原都知事の息子でありその補佐役である石原伸晃を絶対に打倒し、石原に屈服する日本共産党と民主党を打倒して、真の労働者人民の代表である長谷川英憲氏を国会に送り込むならば、日本の階級闘争をいまひとつ新たな、決定的な段階に推し進めることができる。とことん死力を尽くして決起し、必ずや歴史的勝利をもぎとろう。
 第三章 米帝経済のバブル崩壊と朝鮮・中国情勢の激動化
 日帝の政治危機・体制危機の根底にあるのは、第一に一九二九年型世界大恐慌の本格的全面的な爆発過程への突入であり、第二に、中国・台湾情勢と朝鮮半島情勢の激動に鋭く示されるアジア危機の新たな、一層決定的な大爆発の始まりである。第三に、この情勢に突き動かされた米帝による対日争闘戦の激しいエスカレーションと朝鮮・中国侵略戦争突入情勢の切迫である。
 そして第四に、これらの全情勢を前にして、日帝が戦後五十数年にわたって続けてきた国家と社会の全体制が、もはや日帝を支えるどころかその帝国主義としての大破産をもたらすものに転化していることである。これが小渕や小沢らの、森の、また石原の反革命的突進を呼び起こしている根源だ。

 第1節 世界大恐慌が本格化

 何よりも米帝経済が、史上最大のバブル崩壊に向かって最後的に突進し始めており、それが引き起こす世界大恐慌の全面爆発はもはやあらゆる意味で不可避となっている。
 四月十四日、ニューヨーク株式相場がダウ平均・ナスダックともに史上最大の下落幅を記録したのを契機に、米株価は再び激しい乱高下の渦中に突入した。株保有を担保に借金をしてまで株を買うという天井知らずの投機につぐ投機を繰り広げてきたことが、ついにその最末期の様相を示してきた。
 この間の米経済の超過熱化の中で、昨年六月以来五度にわたる金利の引き上げにもかかわらず、労働需給のひっ迫、原油価格の急上昇、通貨供給量の増加などを背景にインフレ圧力は一層強まっている。また今回の株価急落の直接の引き金となったのが日銀総裁の「ゼロ金利見直し」発言であったことに示されるように、他帝国主義とりわけ日帝を長期にわたって超低金利にはりつけることで米金融市場への資金流入を確保してきた構造が、もはやその限界に達し始めている。
 こうした中で米株価は激しく動揺を開始している。だがハイテク株、インターネット関連企業株を中心に、赤字経営であっても株高によって資金調達が可能になるという極端な投機経済の暴走は止まらず、一層の大破局を準備するものとなっている。株価の再暴落に続くドルの大暴落、米金融恐慌の爆発とその全世界への波及、二九年型世界大恐慌の全面的爆発は避けられない。いま米帝経済は、その最後の坂にさしかかっている。
 米帝経済のバブル化は、帝国主義の過剰資本・過剰生産力状態のもとでの膨大な余剰資金が米金融市場に流れ込むことによって発生したものだ。米帝は他帝、とくに日帝に対して軍事をも含めた争闘戦、弱体化政策を強めることによって米へのこの資金流入を維持してきた。そうした国際的な流動資金=投機資金は実に巨大なものである。今日、国際金融市場での一日の為替取引量は一兆jから二兆j(日本円にして百兆円から二百兆円)。米が世界中から吸い寄せる資金はブラックマンデーの八七年当時と比べてもすでにその三倍に膨らんだ。
 さらに、この空前の株式ブームのもとで米国内の個人資金が株式市場に吸い寄せられ、貯蓄率はゼロを通り越してマイナスに突入してしまった。米国民のすべてが株の値上がり益を唯一の担保に、次々と借金をして消費を拡大している構造である。このことが米の個人消費のバブル的拡大を生み、景気の上昇を持続させている。
 このようなとんでもないバブルが、このまま続くことなど絶対にない。すでに投機の長期化がインフレの顕在化、爆発をそのとば口まで引き寄せている。さらに深刻なのは米の貿易赤字・経常赤字の巨大化である。九九年の貿易赤字は二千億j台をはるかに超えて史上空前の二千六百七十五億jに達し、経常収支の赤字は三千億jを大きく突破した。これはかつてのピークだった八七年の約二倍だ。
 今や米の金融政策の元締めであるFRB(米連邦準備制度理事会)の議長でさえ、「経常赤字がこれ以上膨らむと、米国の信用がゆらぎ、外国からの投資資金が引き揚げられる可能性がある」と警鐘を鳴らしている。それはドルの大暴落を生み出すだけでなく、米バブル経済を回転台として成り立っていた国際資金の流れを一挙に断ち切り、世界経済を大混乱にたたき込む。米から再投資される資金に頼ってきたアジア経済やロシア経済などは最後的打撃を受けて崩壊し、日帝の全面的な大恐慌への突入とEU経済の総破綻は不可避だ。
 この大混乱と破局は、二九年恐慌当時をもはるかに上回る巨大な規模のものとなり、世界経済の分裂化・ブロック化と極限的な収縮、帝国主義による侵略戦争・世界戦争の渦の中に再び全世界を引きずり込んでいくのである。

 第2節  中国大乱情勢の急迫

 この米バブル崩壊の切迫と並んで、日帝の危機感と焦りをつのらせている今ひとつの決定的要因は、中国・朝鮮情勢の大激動とアジア支配をめぐる日米争闘戦の全面激化である。
 中国・台湾情勢と朝鮮半島情勢はともに、相互に連動しつつその根底的な危機と矛盾を大爆発させていく過程に入った。それは、北朝鮮スターリン主義はもとよりアジアにおける残存スターリン主義大国としての中国スターリン主義の歴史的大破産、その全面的な体制崩壊を今や不可避としてきている。
 しかもそれは、第二次大戦後のアジアにおける帝国主義の新植民地主義支配体制の最終的な総崩壊の危機に直結する。このことは直ちに米日帝の死活をかけた政治的・軍事的介入を引き起こし、帝国主義による凶暴な侵略戦争突入と、それをとおした日米帝の非和解的な対立と争闘をますます促進していくのである。
 それは本質的には、最後は文字どおりの軍事による決着を求めて、新たな日米戦争―第三次世界大戦へと突き進む以外にないものである。「中国大乱」情勢への突入とはまさにそうしたプロセスに入るということである。ここに今日進行するアジア危機の最大の核心問題がある。
 三月十八日の台湾総統選と国民党政権の歴史的崩壊は、中国・台湾関係の大激変をもたらすと同時に、中国と台湾の分断と対立を朝鮮半島の南北分断支配と並ぶ帝国主義の戦後アジア支配の柱としてきた全構造が、もはやそのままでは維持できない情勢に突入し始めたことを示した。国民党を政権の座から引きずり下ろした力の根幹に、旧来の支配体制に対する台湾人民の抑えがたい怒りと自己解放をかけた新たな決起のうねりが横たわっているからである。
 米帝はこの間、一方で朝鮮半島の危機をにらみつつ、日帝のアジア勢力圏化を阻止するためにも対中政策を最重視してきた。その政策の本質は、究極的には中国スターリン主義の体制転覆そのものを決意し戦略的中心にすえつつ、さしあたっては米帝のもつ軍事的、政治的、経済的な力を総動員して中国を抑え込み、制圧しようとするものである。もし中国の体制危機が米帝の予測をこえて爆発し、米帝のアジア支配に動揺や破綻が生まれるならば、それは必ず日帝の対米対抗的なアジア再侵略への突進を呼び起こすものとなってしまうからである。
 そうした観点から米帝は、「一つの中国」政策をめぐって中国スターリン主義との間に現実的な取引関係を形成する一方、台湾国民党政権への軍事的なテコ入れを一層強めてきた。中台間の政治的軍事的緊張を絶えずあおり立てつつ、決定的な瞬間には米第七艦隊を台湾海峡に派遣して、米帝の強大な力を中国スターリン主義に見せつけ、帝国主義的軍事恫喝を繰り返してきたのである。だが台湾人民の現状変革を求める新たな闘いは、米帝の思惑をもこえて、全情勢を一気に激動的な展開に引き込んでいる。
 事態はすでに、中国スターリン主義を重大な危機にたたき込み、その根本矛盾の爆発の引き金を引こうとしている。
 それでなくても、中国スターリン主義=毛沢東主義の国内経済建設の破産の上に導入された、「改革・開放」という名の経済における「資本主義化」政策が蓄積した全矛盾は、この数年間に臨界点に達し始めている。江沢民=朱鎔基体制のもとでの「国有企業改革」の呼号が、スターリニスト特権官僚およびこれと結びついた新興ブルジョア層の富裕化の対極に、数千万人の失業者と生活苦にあえぐ何億もの農民を生み出しているからだ。
 これらの労働者と農民によるデモ、スト、工場占拠、都市暴動、農民一揆などがすでに全土にわき起こり始めている。さらにチベットを始め諸民族の反乱が、台湾問題を契機に一層激化しつつある。中国共産党指導部はこれに対して、「法輪功」への弾圧にみられるような、スターリン主義の反人民的な強権的政治支配の徹底的な強化でのりきろうとしているが、それ自体が人民の新たな怒りに火をつけるものとなってしまっている。
 こうした国内支配の危機、台湾問題の矛盾の爆発とそれらをテコに帝国主義が加えてくる一層の重圧に対して、中国スターリン主義がとりうる最後の手段は結局は、むきだしの絶望的な軍事力行使しかない。この間の江沢民を先頭とした台湾政権への露骨な武力による威嚇は、ただの脅しではけっしてない。
 そもそも、プロレタリア世界革命への敵対と社会主義・共産主義の根底的な否定と歪曲の上に成立しているスターリン主義は、本質的にきわめて矛盾した存在であり、必ず歴史的に大破産するしかないものだ。帝国主義の危機の時代への突入は、それを決定的に促進する。中国スターリン主義の大崩壊は今やまったく避けられず、それは旧ソ連の崩壊時にもまして、アジアと世界を激震にたたき込むことは明らかである。

 第3節  深まる朝鮮半島危機

 この中で、朝鮮半島情勢もまた、重大な段階を迎えている。四月十日、金大中が六月にピョンヤンを訪問し金正日と会見、南北首脳会談を行うとの合意が電撃的に発表された。続く四月十三日には韓国で総選挙が行われ、金大中与党・新千年民主党の票が伸び悩む一方、韓国民衆の組織した「落選運動」が弾劾の対象とした候補者八十六人のうちの七割、五十八人が落選する結果がもたらされた。
 このことが示すものは何か。ひとつは北朝鮮スターリン主義の危機が一層深まっていることだ。北朝鮮経済は今日、食糧危機、エネルギー危機の爆発の中で国民所得がこの十年間にほぼ半減し、財政の窮乏、工場稼働率の極端な低下、人民の飢餓状態がますます深刻化している。核武装政策の一時的凍結と引き換えに米帝と結んだKEDO(朝鮮半島エネルギー開発機構)による軽水炉建設はほとんど進展していない。逆にそれ自体が米帝による北朝鮮への新たな侵略と重圧と揺さぶりの手段に転化しており、このままでは打開の方策が立たないところに金正日を追いつめるものとなっている。
 いまひとつは南朝鮮・韓国の国内危機の進展である。
 韓国経済は今日、経済成長率が大幅なプラスに転じたことをもって「回復」を謳歌しているが、その実態は帝国主義資本を呼び込んでの株投資ブーム=バブルの創出によるきわめて一時的なものにすぎない。IMF管理下で米帝を始めとした各国帝国主義が「経済再建」の名のもとに韓国経済に全面的に介入し、その支配を決定的に強め、中小零細企業の切り捨てや労働者階級への大量首切り攻撃を無慈悲に展開した。そして今日、韓国経済を食い物にして新たな投機を展開し、それが米のバブルのいわばミニ版のようなものをつくりだしているにすぎない。
 韓国内での発行株式の時価総額が九七年末〜九九年末のわずか二年間に五倍に拡大したことをみても、そのバブル性は明白である。昨年外国から韓国の証券市場に純流入した投資資金は五十億jを超えた。これが一斉に売りに転じるならば大暴落を引き起こし、韓国経済は再び一層の破局に突入する。
 他方で経済格差は著しく拡大し、上位二〇%と下位二〇%の間の所得格差は九七年の四・五倍から昨年五・五倍へと広がった。とりわけ深刻なのは、絶対貧困層の全人口に占める比率が九七年の九%から一八%へと急増していることだ。貧困のために弁当を持たずに登校したり、給食費を支払えない「欠食児童」がすでに十五万人にも達しているという。
 こうした中で、韓国国内の階級的・社会的諸矛盾と対立はいよいよ激化し、金大中政権の危機はますます深まっている。民主労総を先頭とした韓国労働者階級の闘いは新たな前進をすでに開始しており、一層の階級的大激突は不可避である。
 金大中による北朝鮮への「南北経済共同体」建設の提案とそのための首脳会談開催の呼びかけは、自らのこの政権危機・国内危機を「北朝鮮特需」の呼び込みで突破しようとするところにその最大の本質があるのだ。すなわち、北朝鮮の「土地・地下資源・労働力」を韓国資本の新たな搾取と収奪の対象としていくことである。だが実際にはそれは、米帝や日帝を始めとした帝国主義資本の北朝鮮への導入に水路を開き、南北朝鮮全域を帝国主義者の侵略と再植民地化のえじきにしていくものでしかない。開発資金の供給ひとつとっても、韓国政府に財源などあるわけはなく、結局は外資に頼るしかないのだ。
 米帝や日帝はこのことを見越し、金大中政権を前面に立てつつ侵略への野望をむきだしにし、あるいはこの機をとらえて北朝鮮スターリン主義体制転覆の策動を一層強力に推し進めようとしている。北朝鮮スターリン主義はそのことをひしひしと感じつつ、しかし経済危機のあまりの深さに背に腹は代えられないという形で合意に応じたのである。
 したがってそれは、朝鮮人民の南北分断打破=革命的統一に向けた願いに何ひとつ答えるものではなく、逆にそれを根底的に踏みにじるものだ。米日帝による朝鮮侵略戦争情勢の歴史的切迫という九四年以来の流れを一層決定的に、激しく促進するものだ。本質的には北朝鮮スターリン主義に対する政治的・軍事的制圧体制をますます強め、さらなる諸矛盾を激成し、いつどんなきっかけから実際の戦争情勢に突入するかもわからないという危機をつくりだしていくのである。
 さらに、ここで触れたような韓国経済が直面している問題は、他のアジア諸国でも基本的にはまったく同じなのだ。米経済の崩壊―世界大恐慌の全面爆発は、これら諸国を一挙に、経済の最後的破局と国家的破産の地獄にたたき込むことは必至である。
 九七年のアジア経済危機はインドネシアのスハルト体制を崩壊させたが、これから始まる新たな危機は、それをもほんのエピソードに変えるようなすさまじい勢いとスケールとをもって、帝国主義とスターリン主義に対する全アジア人民の大反乱をつくりだす。生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされた数億、十数億の被抑圧民族人民が、労働者階級を先頭に、民族の解放と階級の解放を求めて歴史的な大闘争に続々と立ち上がってくることは明白である。この闘いは、米日帝による中国・朝鮮侵略戦争と真っ向から激突するものとなるのだ。
 第四章 帝国主義強盗の戦争会議7月沖縄サミット粉砕へ
 このような中で、七月沖縄サミットはまさしく、米帝と日帝を先頭にした国際帝国主義がアジアで、中国・朝鮮侵略の大戦争に突入していくための重要会議となろうとしている。
 そのことは以下の点からも明白だ。

 第1節 新ガイドライン攻撃

 第一に、サミットとはそもそも、世界の帝国主義強盗同士が互いに政治的軍事的力や経済的力を誇示しつつ、各自の国益を真っ向からぶつけ合って帝国主義間争闘戦を激しく展開してきた場だということである。通商戦争・通貨戦争に始まり、市場と勢力圏の露骨なぶんどり合いからむきだしの戦争政治に至る激突である。言い換えるならば、どの帝国主義が世界の人民を最も搾取し収奪し抑圧し虐殺する権利をもつかを決定する会議以外の何ものでもなかった。
 昨年のケルン・サミットは、そのことを最も典型的に示した。それは昨年三月〜六月に強行されたNATO軍によるユーゴスラビア空爆の直後に開催された。そこではこの空爆と、それに続く米英独仏伊の五カ国軍隊を中心としたNATO軍によるコソボ自治州の分割占領が追認され、正当化されたのである。
 第二に、米帝の今日の世界政策は、米帝自身が「二十一世紀においても史上最強の国家であり続ける」(クリントン)と公言しているように、米帝がもつ世界最大の軍事力を総動員して実際に各地で侵略戦争にどしどし突入し、武力による世界市場の再分割と米帝の世界支配の再編を実現しようとしていることにある。二〇〇〇年の米国防報告は、米帝が「世界唯一の超大国」として「世界規模で政治的、軍事的関与を続けていく」とあらためて宣言、東アジアをその最重要地域としてはっきりと打ち出した。
 米帝がユーゴスラビアでやったことは、それが何を意味するかを明白に示している。「人権」や「正義」や「民族紛争の解決」を掲げて米帝が実際にやったことは、大規模な空爆によって都市機能を完全に破壊し、六千五百人もの人びとを虐殺し、百数十万人もの人びとを難民として家から追い出したことである。分割占領後のコソボでは、アルバニア系武装勢力によるセルビア系住民への襲撃があいつぎ、帝国主義による軍事介入・侵略戦争の口実となった「民族浄化」政策が、担い手を変えて継続しているが、今やそのことは何の問題にもされない。
 しかもこの空爆には、大量の劣化ウラン弾(核兵器そのものだ!)が使われたことが今日明らかになっている。自らの帝国主義的利害の貫徹のためならどんな残虐なことも平気でやる、それが帝国主義だ。米帝は今、それを上回る侵略戦争をアジアでやろうとはっきり決断している。それが東アジア米軍十万人体制であり、朝鮮・中国侵略戦争のための日米軍事協定=新ガイドラインの締結だ。
 英独仏などの欧州帝国主義も、「中国大乱」情勢の切迫とそのアジア全域への波及を見据えて、米帝の動きに呼応してアジア再分割戦の一角に加わろうとしている。EUが欧州周辺を越えた世界各地の紛争に対応できる緊急展開部隊の創設に踏み切ったことはその現れだ。
 またロシアは、ロシアの帝国主義的大国としての復活を狙うプーチンのもとで、自らが強行したチェチェン侵略戦争への他帝国主義の承認をとりつけるためにも、この間の中ロ関係の一定の修復(国境協定締結など)をテコに独自の介入を狙っている。
 第三に、日帝はこれに対して、ある意味では米帝以上の凶暴さと激しい焦りをもって新たなアジア侵略戦争にのりだそうとしている。それは日帝にとって、一九三一年の柳条湖事件(中国東北部への侵略戦争突入)に始まる「十五年戦争」の歴史を形を変えて再現するものだ。日帝はさしあたり日米安保(米帝の行う侵略戦争への協力と動員による参戦)の形式をぎりぎりまで使いつつ、本質的には対米対抗的な独自のアジア侵略戦争とそのための戦争国家化に本格的に、きわめて凶暴にのりだしていこうとしている。それが今日の沖縄圧殺=新安保ガイドライン貫徹の攻撃なのである。
 それは究極的にはアジア全域を再び軍事占領して日帝の排他的勢力圏=新たな「大東亜共栄圏」を打ち立てようとするものだ。そのことをめぐって新たな帝国主義間戦争、日米戦争、第三次世界大戦に突進することも辞さないものなのだ。
 日帝が今日、この野望をまだ公然とはむきだしにしていないのは、日帝が第二次大戦の敗戦帝国主義として今なお引きずっている対米関係、対アジア諸国との関係、国内の労働者人民との関係に規定されたものである。すなわち、二度と日帝が強大な軍事大国としてアジアを支配することは許さないという有形無形の圧力の存在である。労働者人民の側から言えば、二度とあのような侵略戦争を繰り返してはならないという決意の存在だ。
 ここを突破しなければ、日帝は帝国主義として新たな世界戦争の時代に生き残れない。有事立法と改憲が、今日の日帝にとって最大課題となっているのは、そこに新ガイドライン体制の確立と全面的発動のためのかぎがあるからである。ファシスト石原による四・九暴言を始めとした対中国、対北朝鮮のすさまじい戦争挑発や反米民族主義の言動は、まさにそこを暴力的に突破しようとする衝動である。この衝動は日帝の体内で今後ますます強まり、やがては爆発的に噴出する。沖縄サミットはその重要なステップだ。森政権は完全にそう位置づけている。
 第四に、何よりもこの会議が中台危機、朝鮮危機の新たな爆発のまっただ中で開かれようとしていることを断じて軽視してはならない。今後の情勢の推移いかんによっては、侵略戦争突入への直接のゴーサインを出す場となる可能性さえありうるのだ。
 日本共産党のように、「サミットは全世界への平和の発信の場」(不破)などと、サミットの戦争会議としての本質を否定し百八十度美化して描き出すことは、侵略戦争への完全な翼賛であり、日帝の新ガイドライン発動―有事立法・改憲攻撃への突撃路をも自ら開くものだ。人民の反戦闘争への大裏切りと武装解除と反革命的敵対以外の何ものでもない。このような裏切りを怒りを込めて粉砕し、サミット絶対粉砕をかちとろう。

 第2節 名護新基地建設阻止

 沖縄サミットの反人民性を示すいまひとつの大問題は、この戦争会議がこともあろうに沖縄で、それも今まさに日帝と沖縄人民とが基地問題をめぐって激突している最焦点の名護市で開かれようとしていることだ。ここに、日帝の沖縄サミットにかけた最も悪質な狙いがある。
 日帝が二〇〇〇年サミットの沖縄開催を決定した最大の理由は、ガイドライン攻撃と一体となって打ち出されたSACO(沖縄に関する日米特別行動委員会)合意の柱である米軍普天間基地の県内移設=名護への新基地建設攻撃を、何がなんでも反革命的に突破するためだ。事実、日帝は昨年四月末のガイドライン法案の衆院通過の直後にこの決定を下し、名護問題の「サミット前決着」を声高に叫んで、全体重をかけた沖縄圧殺攻撃を大々的に繰り広げてきたのである。
 それは、九五年以来の沖縄人民の「基地の島」の現実に対するやむにやまれぬ決起の暴力的な圧殺である。七〇年安保・沖縄闘争以来の、さらには五〇年代米軍政下での血みどろの決起以来の、米軍基地全面撤去と日帝による沖縄差別政策の廃止を求める沖縄人民の切実な叫びの全面的な圧殺攻撃である。断じて許すことができない、沖縄人民と本土人民がともにその死活をかけて粉砕しなければならない大攻撃なのである。
 日帝はこれまで沖縄に何をしてきたのか。明治維新直後の「琉球処分」に始まり、第二次大戦では広島・長崎と並ぶ最大の犠牲を沖縄戦として強要し、戦後は天皇と日帝の延命のために沖縄を米帝・米軍に丸ごと売り渡し、その犠牲の上に日帝の戦後の再建と「繁栄」を築いてきた。さらに米帝との密約のもとに七一年ペテン的な「返還」協定を結んでその後も巨大な米軍基地の支配下に沖縄人民を組み敷いてきたのである。そして今、その沖縄に朝鮮・中国侵略戦争の最前線基地という新たな役割を押しつけ、今後も半永久的に軍事監獄的な支配のもとに置こうというのだ。
 この戦前・戦後を通じて一貫した日帝の沖縄差別・抑圧政策を今こそ怒りをもって粉砕し、米軍基地全面撤去、SACO合意(基地の県内移設)粉砕、名護への巨大新基地=オスプレイ基地建設絶対阻止の闘いを、本土―沖縄を貫く大闘争として爆発させることが問われている。サミットの強行と基地の県内移設は完全に一体である。これをむざむざと許すならば、それこそ第二の沖縄戦への道だ。
 森が首相に就任するわずか二週間前の三月二十日、石川県内で行った講演は、実に重大な許しがたい攻撃である。森はそこで「沖縄では君が代を学校で教わっていない」「沖縄は何でも政府に反対、国に反対する」という、沖縄人民への敵意と差別に満ち満ちた暴言を吐いた。そしてこれへの謝罪も撤回もせず平然と居直ったまま、サミットの主催者として沖縄にのりこもうとしているではないか。
 そこにあるのは、沖縄人民は天皇制・天皇制イデオロギーに「まつろわぬ民」であり、けっして信用できないとする考え方だ。沖縄戦で住民を「スパイ」と言いなして虐殺した、あの皇軍=天皇の軍隊とまったく同じ思想だ。この森が沖縄現地に直接のりこんでサミット厳戒体制のもとに全沖縄人民を暴力的に制圧し、戦争会議を主催しようとしているのだ。これをどうして許せるか。
 だが沖縄人民は、断じて屈服も後退もしていない。稲嶺県知事や岸本名護市長が日帝の先兵となって名護市辺野古への新基地建設を受け入れる大裏切りを行ったにもかかわらず、普天間基地の名護移設問題は何ひとつ決着していない。「サミット前決着」は今や完全に粉砕された。日帝は、日本共産党の裏切りに助けられてリコール運動をひとまず中断に追い込んだものの、サミットで人民の闘いを圧殺し尽くすことなしには、基地建設に実際に着手することなどできないのだ。真の激突はこれからだ。
 闘う沖縄人民は、今や全国の人民に総力決起を呼びかけている。日帝の厳戒体制とすさまじいまでのサミット推進キャンペーンによるその声の暴力的圧殺のたくらみにもかかわらず、名護現地を始めとする沖縄人民の中には、断じて負けてなるか、自らのいのちをかけても最後まで闘いぬくという熱い思いがたぎってきているのだ。これにこたえないでどうするのか!
 衆院選決戦から七月沖縄サミット粉砕の決戦へ、断固として連続的に闘いぬこう。二つの決戦は今やひとつだ。何よりも衆院選決戦の重大テーマとして沖縄サミット反対と米軍基地建設阻止を据えて闘おう。「闘うアジア人民と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱に転化せよ」「米軍基地撤去=沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒」――この〈二つの連帯戦略と一つの打倒戦略〉を高く掲げ、沖縄闘争に敵対するファシスト・カクマルを打倒し、日本共産党の大裏切りを粉砕しのりこえて、決定的な大闘争を爆発させよう。
 すべての闘う人民は全国から沖縄現地に総結集し、日帝の厳戒体制を実力で打ち破る戦闘的で大衆的な一大デモンストレーションをもって、世界にとどろく歴史的闘いをやりぬこう。
 このサミット決戦の革命的大勝利をもって、三里塚闘争、北富士闘争を始めとする反戦反基地闘争、ガイドライン攻撃との闘いの一切に勝利していく大突破口を切り開こう。
 第五章 資本攻勢との対決を貫き介護保険廃止へ大運動を
 世界危機・アジア危機の激化のもとで、日帝の政治危機・体制的危機はいよいよその本格的大爆発の局面を迎えている。そこで最も重大な焦点となっているのは、ガイドライン・沖縄―有事立法・改憲の攻撃に代表される日帝の戦争国家への転換問題であると同時に、日帝自身の財政危機爆発の切迫と国内労働者支配の全面破綻の切迫である。

 第1節 赤字放漫財政の危機

 日帝・小渕政権のもとで野放図に強行された赤字放漫財政による金融資本・独占資本救済の政策は、米帝経済のバブル崩壊の切迫のもとで、逆に日帝経済を空前の危機にたたき込む要因に転化しようとしている。国債発行残高三百六十四兆円、国と地方を合わせた長期債務残高が六百四十五兆円という、天文学的な財政赤字を解決する道はどこにもない。
 これだけの財政を投入しても、日本経済の長期不況(実際には恐慌的爆発過程に半ば突入している)を脱することはできない。日帝の金融資本・大資本が長期にわたって蓄積し、かつバブル期に膨らませた過剰資本・過剰生産力が、巨大な圧力となってのしかかっているからだ。政府が大銀行に巨額の金を注ぎ込み、日銀がゼロ金利政策のもとで市場に大量のマネーを供給しても、生産の拡大にはつながらず、中小企業などへの銀行の貸し渋りも続いている。
 その一方で、行き場を失って膨れ上がるジャパンマネーが結局は新たな投機先を求めて米の金融市場になだれ込み、米のバブルをさらに押し上げる悪循環をつくりだしているのである。
 日帝は、この赤字放漫財政を推進する上で、労働者人民に対しては逆に「財政危機」の恫喝をふりかざしてその生活関連予算をことごとく削りとり、切り捨ててきた。さらには、介護保険の導入を突破口に「国はもう社会福祉に責任は持たない」と、戦後の社会保障・福祉制度の全面解体・打ち切りをも宣言してきた。だがそうしてまで金融資本・大資本に注入した財政は、長期不況をまったく打開できないばかりか、大恐慌の爆発と新たな不良債権の山をひたすら準備するものとなっているのだ。
 今日、日帝は、米のバブル崩壊の切迫を前にして、そこに起きる破局をのりきるために一層反人民的な政策にのめり込もうとしている。大増税と国債の日銀引き受け、さらに超インフレ政策という労働者人民への極限的な犠牲転嫁のもとでの財政危機問題の暴力的な突破に踏み込もうとしてきている。
 これは、天井知らずのインフレに道を開くことによって、労働者人民の生活をどん底に突き落としながら、国債残高を実質的に五分の一、十分の一、あるいはほとんどゼロに近いところまで激減させることを狙うものだ。その上にますます大量の国債を発行して戦時財政、軍需経済へと突き進んでいくやり方である。そして結局のところ、戦争によって一切を「解決」するのだ。帝国主義者にとって財政問題の「解決」とは、最後はそこに行きつくしかないものなのである。

 第2節 階級的激突は不可避

 この金融・財政政策と一体のものとして日帝が必死に繰り広げているのは、恐慌下での延命と同時に帝国主義間争闘戦に打ち勝つための全産業的な資本再編と巨大独占体制の形成である。大銀行や日帝を代表する巨大資本同士のあいつぐ統合・合併がますます激しく進んでいるが、それは同時に、大量の労働者を無慈悲な首切りと賃金の徹底した大幅引き下げによって路頭にほうり出す攻撃だ。
 昨年の産業再生法に始まる一連の攻撃は、企業の集中合併と不採算部門・下請け部門などの切り捨てに伴う大量解雇や賃金引き下げをやりやすくすることが最大の狙いだ。またそのための労組破壊・労働運動解体の攻撃や、労働者の無権利化を推し進めるための戦後労働法制の解体攻撃として進んでいる。
 日経連が掲げる「総額人件費削減」とは、一般的な賃金切り下げにとどまらず、そうした全面的な攻撃を推し進めるためのものだ。そこでは、終身雇用・年功賃金体系の解体とともに、年金や失業保険や医療・介護・福祉を始めとした社会保障制度の全面解体がめざされている。それは労働者とその家族の生涯にわたる生活基盤を完全に破壊し、文字どおりの貧困と大失業にたたき込むものだ。
 このような国家総ぐるみの一大資本攻勢に対し、労働者階級の中には激しい怒りが充満している。連合、全労連など既成労働運動指導部の帝国主義的労働運動への完全な転向やそれへの屈服と迎合の中で、いまだ決定的な出口を見いだせないでいるが、連合支配のあらゆるひび割れの中からもきっかけさえあればたちまち噴き出すようなものすごいマグマが日に日に成長してきている。
 日帝ブルジョアジーを最も恐怖させているのは、この地下のマグマがいずれ必ず厚い岩盤を突き破って一斉に噴き出さずにはおかないこと、日本労働者階級の日帝に対する歴史的総反乱の開始の日が刻一刻と近づいていることだ。労働者階級は、自分自身と家族の最低限のいのちと暮らしを守るためにはどんな困難があろうと資本と闘って生きるしかないし、そのためには階級的に団結して立ち上がるしかない。階級対立が本当に煮つまった時、闘いはあらゆる水路から、自然発生的にも爆発するのだ。連合支配の破綻と大崩壊は今や不可避である。
 問題は、この反乱を率いる新たな闘いの組織と指導部の形成である。連合や全労連にとって代わる、闘う労働組合の総結集による戦闘的階級的労働運動の全国的新潮流が、今こそ力強い勢いをもって生み出されなくてはならないのだ。戦後革命期において、まったくの焼け野原の中から続々と組合が結成され、労働者階級自身の手によって急速に巨大な組織へと成長していったように、激動期には、闘う労働者はおのずから闘う組織を求めるのだ。
 闘う三労組の呼びかけによってかちとられた昨年の十一・七労働者集会は、そうした新潮流運動の出発点を築いた。その先頭に立った動労千葉、全国金属機械港合同、全日建運輸連帯関西生コン支部の先進的闘いに学び、この三労組が掲げた闘いの火を今こそ全労働戦線に広げるために闘おう。
 ここにおいて、最も重要な位置を占めているのが国鉄決戦である。それは総評解体・戦後労働運動解体の頂点をなす攻撃としてしかけられてきた八〇年代の国鉄分割・民営化=国鉄労働運動解体攻撃に対して、闘う国鉄労働者が断じて屈せず今日までその組織と運動を不屈に守りぬいてきたことによって、現在の日帝の大資本攻勢との対決においても最大の激突点となっているのだ。国労解体攻撃のすさまじさは、まさにそこに日帝が全労働者階級の圧殺をかけて襲いかかっているからだ。断固としてこの攻防に勝利し、闘う国労の内部からの破壊を絶対に許さず、JR総連=カクマルを打倒して国鉄決戦の歴史的勝利を切り開こう。

 第3節 介護を奪い返す闘い

 労働者階級のこの歴史的総反乱の開始にとって、今日新たな闘いとして始まった介護保険闘争の発展は、きわめて重要な戦略的意義をもっている。
 日帝による戦後社会保障制度の全面解体攻撃との対決の突破口をなすこの闘いは、すべての働く人民の丸ごとの決起をつくりだすことによって、階級的労働運動の前進を根底から支える巨大な基盤を形成する。しかもそこにとどまらず、社会の全階級・全階層の中から、日帝のあまりにも非人間的な攻撃とその帝国主義的腐敗に対して怒りをもって立ち上がる膨大な人びとをつくりだすのだ。
 なぜなら、介護・福祉の問題は、@労働者人民のいのちに直結する問題であり、A人が人として生きるとはどういうことかという人間社会の根幹にかかわる問題だからである。そして資本主義・帝国主義の社会は、労働力の商品化の上に成り立つことによって、人民のいのちを本質的にはモノと同じに扱い、かつ人間社会の本来的な共同性を根底的に否定し破壊した上にしか成立しない。
 介護保険制度の導入に示される今日の日帝の攻撃は、労働者人民が戦後の闘いによってもぎとってきた〈いのちの要求・生きる権利〉としての福祉とその国による保障責任を真っ向から否定し、資本主義・帝国主義のむきだしの弱肉強食の社会にすべての人民を投げ出そうとするものだ。それは@大資本救済の財政政策のために国が福祉予算を徹底的に切り捨て、A本当に介護・福祉を必要としている人びとから生きる権利そのものを奪い、B介護事業を資本の金もうけの手段に転化し、C「金のない者は死ね」と宣告するものだ。
 さらには、D介護を口実にした保険料という形で、実際には「第二消費税」とも言うべき新たな大増税の導入を全人民に強制するものだ。また最も恐ろしいことは、E一人ひとりのいのちにランクづけをし差別・選別の対象とすることによって、「人のいのちの平等」という戦後の価値観を根底から破壊し、「障害者」差別を始めとした差別主義・排外主義のまんえんに道を開くものである。
 日帝がこの介護保険を、「介護の社会化」というまったくペテン的な、きわめてデマゴギッシュなキャンペーンをもって強行しているのは、その反人民的正体が赤裸々に暴かれていった時の人民の怒りの激しさを恐れるからだ。だからこそ「介護保険は大事業だ」「人民のためになることだ」という、事実を百八十度歪曲した恐るべきペテンとデマで人民をだまし、その前に日本共産党を始めとした全政党を軒並み屈服させ、推進派にとり込むことで強行してきている。
 だが四月実施強行の中で、最も切実な、現実に介護を必要としている高齢者とその家族を先頭にして、「こんな制度は許せない」という叫びが爆発的に広がってきているのである。またケアプラン作成などが間に合わないままの見切り発車に示されるように、施行の瞬間からその破綻が次々と暴き出されている。行政の内側からさえ、このままではやっていけないという声が続々と上がっているのだ。
 ここまでその破産性と反人民性が明白になっているにもかかわらず、廃止を要求する声が高まっていないかのように見えるのは、既成政党がどこも反対していないからである。中でも日本共産党の果たしている役割は本当に許しがたい。
 日本共産党は介護保険を「国民的大事業」(不破)と日帝とまったく同じ言葉を使って公然と擁護し、推進する立場を明らかにした。その立場から「よりよい制度にしよう」などといくつかの「改善要求」を持ち出しているが、介護保険で実際に「介護が奪われる!」と悲鳴を上げている大衆の一番切実な要求は何ひとつ真剣に取り上げようとはしない。あくまでも選挙の票のために、人民の不満を代弁するかのようなポーズをとるだけで、人民のいのちと暮らしを本当に体を張って守るために行政と闘おうという態度はみじんもない。
 実際、東大阪市では、共産党の市長が最先頭に立って、市民の反対を踏みにじって介護保険実施を強行しているのだ。
 民主党は、そもそも介護保険推進の張本人であり、その提案者の側に立ってきた政党である。それを支える連合・自治労本部は介護保険を美化するデマキャンペーンの先頭に一貫して立っている。
 だがしかし、このことは、圧倒的な人民大衆がこんな共産党や民主党に見切りをつけ、お払い箱にして、介護保険の廃止と公的介護の要求を真っ向から掲げて大衆的政治的に決起するなら、介護保険をつぶして必要な介護を闘いとることはまったく可能だということだ。戦後の社会福祉制度も、まさにそうした労働者人民の政治的大衆的闘争によって、人民の実力で日帝政府に迫り、一つひとつ闘いとってきたものだ。「人民が強力に団結して闘えば必ず勝てる」――今、必要なのはこのことを徹底的にはっきりさせることだ。そして杉並を先頭に、全国的な大運動をあらゆる力を結集してつくりだすことなのだ。
 「介護保険制度は直ちに廃止せよ! 一切の自己負担をなくし、介護は全額公費負担で! 必要な人には誰でも必要な介護を! 十分な介護体制の確立を!」の要求を、人民の絶対に譲れない要求として掲げ、今こそ全労働者人民の中に広げよう。そして日帝があくまでこのような反人民的攻撃を強行し続けるというならば、「こんな国、こんな社会は人民の手で打ち倒そう」という叫びを全国に巻き起こしていこうではないか。
 すでに、多くの高齢者は生きるための必死の叫びを上げている。高額の保険料を強制徴収される人民の中からも、怒りの声はこれから爆発的に上がってくる。介護保険制度のもとで恐るべき強労働と超低賃金を強制される介護労働者の決起も、必ずや始まる。四月一日の杉並区民の決起は、その展望をはっきりと示している。
 そして、この闘いの先頭に立つ長谷川英憲氏を、真の労働者人民の代表として絶対に国会に送り出そう。
 ■結語
 レーニンが提起する革命党の三つの義務
 日本の労働者階級人民は、戦後革命の敗北以来、六〇年安保闘争、七〇年安保・沖縄闘争とそれに続く七〇〜八〇年代の日帝権力およびファシスト・カクマルとの内戦、八五〜八六年の三里塚と国鉄を頂点とした日帝・中曽根政権との激突、さらに天皇制反革命を粉砕した九〇年の決戦と、この五十数年の間に幾多の歴史的決戦の試練をくぐりぬけてきた。だが今日迎えている二〇〇〇年の決戦、そしてこれから始まる二十一世紀は、これまでの闘いをも画然と塗り替えるような、プロレタリアートの怒濤(どとう)の進撃の時代、一斉蜂起と新たな革命の時代を切り開くものである。
 時代はすでにその諸条件を日々成熟させている。深まる世界危機と日帝の体制的危機は、革命的情勢の急速な接近をもたらしている。われわれはここで、レーニンがかつて一九一七年ロシア革命の前夜、「第二インタナショナルの崩壊」(レーニン全集第二一巻所収)の中で指摘した、革命的情勢の特徴とそこにおける革命党の義務についての記述を思い起こさなければならない。そこには次のように書かれている。
 「一般的に言って、革命的情勢の徴候とは、どんなものであろうか? つぎの三つの主要な徴候をあげれば、たしかにまちがいではないだろう。(一)支配階級にとっては、いままでどおりの形で、その支配を維持することが不可能なこと。『上層』のあれこれの危機、支配階級の政策の危機が、割れ目をつくりだし、そこから、被抑圧階級の不満と激昂がやぶれ出ること。革命が到来するには、通常、『下層』がこれまでどおりに生活することを『のぞまない』だけではたりない。さらに、『上層』が、これまでどおりに生活していくことが『できない』ことが必要である。(二)被抑圧階級の欠乏と困窮が普通以上に激化すること。(三)右の諸原因によって、大衆の活動性がいちじるしくたかまること。大衆は、『平和』の時代にはおとなしく略奪されるままになっているが、あらしの時代には、危機の環境全体によっても、また『上層』そのものによっても、自主的な歴史的行動に引きいれられる」
 さらにレーニンは、すべての革命的情勢から革命が起こるとは限らず、そうした客観的情勢の変化に主体的な変化が結びつく場合、すなわち、「旧来の政府を打ち砕く(または揺るがす)に足りるほど強力な革命的大衆行動を行う革命的階級の能力が加わるような情勢」からだけ革命が起こると指摘した。
 そして、革命的情勢の到来に際しての革命党の「最も基本的な義務」として次の三つを提起した。すなわち@革命的情勢が現存することを大衆に明らかにし、この情勢の広さと深さを説明し、プロレタリアートの革命的自覚と決意とを呼びさまし、Aプロレタリアートを助けて革命的行動に移らせ、Bその方向に向かって活動するためにこの情勢に応じた組織(非合法・非公然の党)をつくりだすという三つの義務である。
 一〜五章ですでに述べてきたように、日本の階級情勢は、ここに指摘されたような革命的情勢に向かって急速に接近し始めている。わが革共同はすでに九一年五月テーゼにおいて、日帝が基本的に新しい型の「十五年戦争」の過程に突入し始めた以上、実際の戦争に突入する以前に、その準備段階においてこうした革命的情勢の成熟がありうることを提起してきた。今まさに、その提起が現実のものとなる時がやってきたのである。
 この情勢は同時に、七〇年代、八〇年代をもはるかに超える、革命と反革命との内乱・内戦的大激突が激化し発展していく過程となることもまた明白である。労働者階級のストや職場占拠の続発、巨万人民の大衆的デモによる街頭制圧の展開の中からゼネストや蜂起に向かっての情勢が次第に発展するが、それと同時に警察権力の弾圧や反革命カクマル、極右天皇主義者を始めとしたさまざまな民間ファシスト勢力、スターリン主義反革命などによる、闘う人民への武装襲撃も激化してくる。また軍隊の治安出動と、それに対する兵士=軍服を着た労働者・農民の反乱も必ず生まれてくる。
 このすべては、〈党の問題〉としてわれわれにつきつけられているのだ。レーニンの「三つの義務」を文字どおり実践し貫徹しぬくことのできる党、革命の宣伝・扇動と革命的大衆行動の組織化とプロレタリアートの勝利に一点のあいまいさもなく全責任をとりきることのできる党の建設の問題である。そうした真の革命党への飛躍をかけ、全同志が、一人の例外もなく、自らの反スターリン主義・革命的共産主義者としての一切をかけて二〇〇〇年の決戦に総決起しようではないか。
 六月衆院選決戦、七月沖縄サミット決戦の絶対勝利を始め二〇〇〇年決戦のすべてに勝利し、反帝国主義・反スターリン主義プロレタリア世界革命の二十一世紀への歴史的突破口を切り開こう。

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週刊『前進』(1956号10面1)

 マルクス主義を学ぶ

 「基本文献シリーズ」に取り組んで

 マルクス・エンゲルス『共産党宣言』(その1)

 党学校でマルクス主義の基本文献学習シリーズを学ぶ同志たちのレポートを毎月一回紹介しています。今回はマルクス・エンゲルスの『共産党宣言』の一回目です。(編集局)
 (1)『共産党宣言』の核心を労働者階級の自己解放の問題として把握する
 課題1 『共産党宣言』の核心を労働者階級の自己解放の問題に沿って述べて下さい。
 ■『共産党宣言』の核心は、「共産主義者の理論的命題は、けっしてあれこれの世界改良家が発明したり、発見したりした思想や原理にもとづくものではない」「(それは)現に行われている階級闘争、つまりわれわれの目の前で展開されている歴史的な運動のほんとうの諸関係を一般的に表現したものであるにすぎない」という言葉に集約的に言い表されている。
 つまり、共産主義は、資本主義の矛盾に対する改良や改革、空想的な理想の対置によって実現されるものではない。それは、資本主義の生成と発展が必然的に生み出す生産力の巨大な発展とその中で起こる資本主義そのものの歴史的限界性を示す基本矛盾の爆発(恐慌)、他方での革命的階級としての労働者階級の形成と発展という主客の条件のもとで、労働者階級の自己解放闘争が不可避的、必然的にブルジョア支配の革命的打倒にまで至ること、そして労働者階級が資本主義のつくり出した生産力を掌握し、ブルジョア的生産諸関係を廃止した上に、自らが社会の主人公になって生産力を計画的に発展させることを基礎に実現される。
 それまでの社会主義においては、労働者階級は悲惨な境遇からの単なる救済対象とされ、有能な個人が考え出した理想や計画によって解放されるとされていた。
 しかしマルクスは、資本主義社会の成立の条件をなす労働者階級こそ、資本主義の矛盾を一身に背負うものとして自己解放闘争に決起せざるをえず、その闘いの発展と勝利によって、繰り返し矛盾を爆発させる資本主義社会を転覆し、階級社会の廃絶を実現する主体たり得る力をもっていることを明らかにした。
 労働者階級は、資本家階級を打倒することによってプロレタリア独裁権力を樹立し、資本家階級が独占する生産手段を奪取して、結合した労働者による共同の生産として意識的に社会的生産を組織していく。これを基礎に、社会の一部分が他の部分を搾取する資本主義的生産諸関係を廃止し、階級対立と階級そのものの存立条件を廃止することをとおして、「一人ひとりの自由な発展が、すべての人びとの自由な発展の条件となるような協力体」=共産主義を実現する。
 まさに『宣言』は、最後の階級社会である資本主義社会の没落と労働者階級の歴史的使命である自己解放闘争の勝利をとおした共産主義革命の必然性・現実性を力強く宣言しているのである。    (東中誠)

  (2)「これまでの社会の歴史は階級闘争の歴史である」という言葉の意味
 課題2 「これまでのあらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である」について説明して下さい。
 ■今日に至る人間の社会においては、支配者と被支配者、すなわち搾取者と被搾取者が存在し、利害を異にする両者は常に敵対関係にあり、闘争が公然とまたは隠然と間断なく行われてきた。奴隷制社会では自由民と奴隷、都市貴族と平民、封建制社会では領主と農奴、ギルドの親方と職人というように。
 資本制社会はどうか。「近代ブルジョア社会は……階級対立を廃止したわけではなかった」「ブルジョアジーの時代は階級対立を単純化した」、社会はますます二大階級に分裂していくと『宣言』はいう。
 ブルジョア社会では身分的束縛が打破され、自由と平等が実現されているかに見える。だが、ブルジョアジーによるプロレタリアートの搾取、この維持のためにブルジョアジーが握った国家権力による後者への抑圧は厳然として貫かれている。
 すなわち、ブルジョア社会は、生産手段を独占したブルジョアジーとそれを持たないプロレタリアートの二大階級へと極限的に分裂し、階級闘争の最も先鋭な発展の条件を生み出した。この意味でブルジョア社会は階級社会の最後の形態なのである。
 このように利害の異なる人間集団=階級の間での対立、衝突、闘争をつうじて社会は動いてきた。この対立や衝突を根底において規定するものは、人間の物質的生活の社会的生産の発展における剰余生産物の支配―分配のあり方である。奴隷制では、労働生産物の一部を奴隷の生命維持に供する以外は奴隷主が奴隷の労働生産物の一切を支配した。封建制では、農奴は領主の土地の占有が許される代わりに年貢と賦役が課せられた。
 今日のブルジョア社会では、生産手段を独占するブルジョアジーが、生産手段を持たず自分の労働力を売る以外に生きられないプロレタリアートを外見上「自由契約による労働とその報酬としての賃金の支払い」という形で雇用する賃労働制が支配している。
 だが、賃金はプロレタリアートに明日の労働力の再生産と労働者種族を繁殖させる費用にすぎず、資本家はこの部分を超えた部分=不払い労働部分を「利潤」として搾取する。そしてますます資本の蓄積を増大させ、プロレタリアートへの支配力を高めていく。プロレタリアートは生きていくためにはブルジョアジーに隷属せざるをえない。
 しかし、隷属すれば生きる保証が与えられるわけではない。いったん恐慌になれば資本の都合でプロレタリアートは街頭にほうり出される。これは歴史上最も過酷な搾取の形態である。しかも、あたかも労働者の労働の全部に対して払われたと思い込ませる賃金形態は、巧妙さにおいて歴史上最も完成された搾取の形態である。
 したがって、この物質的根拠においてブルジョア社会の階級対立は最も激しい非和解性を持たざるをえず、プロレタリアートの闘いはブルジョアジーの打倒にまで至る決着性を不可避に求めるものとなる。
 以上の意味で、人間の物質的生活の社会的生産に基礎をおいて人間社会の歴史的発展をとらえる唯物史観は同時に階級闘争史観である、と主体的戦闘的にいうことができる。
 なお、第一章の冒頭でエンゲルスが注として、人間の歴史の初期に階級のない社会があったといっている。人間の社会はそもそも階級社会として発生・成立したわけではない。人間による人間の搾取に基づく階級社会は数万年の人間の歴史うちのたかだか数千年にすぎない。この事実は、階級社会(資本主義社会)が社会の唯一の必然的なあり方ではないことを一層鮮明に示している。(若山弘)

 (3) 資本制社会が奴隷制社会や封建制社会と違う点はどこにあるか
 課題3 資本制社会がそれまでの社会(奴隷制社会、封建制社会)と違う点はどこにあるでしょうか。
 ■第一に、封建制社会では、いったん形成された生産様式、それに伴う社会関係をいかにそのまま維持していくかが、産業を担う階級の生存条件であった。社会は閉鎖的であり、孤立しており、交通も限られていた。
 これに対して資本制社会の変革性は激しい。
 国内的には農民からの土地の収奪、対外的にはアメリカ大陸、インド、アフリカなど全地球的規模での暴力的収奪によって形成、発展を遂げてきたブルジョアジーは、機械制大工業の成立(産業革命)を経て、「自立的な発展」の段階に入った。この中で交通、生産、技術、果ては戦争のやり方さえもがすさまじい変化を遂げた。利潤を求めて競争する資本の絶え間ない運動が社会を支配するからである。
 ブルジョアジーは、生産物の販路の拡大を求めて地球上のあらゆる地域や社会に資本制生産への移行を強要する。その社会を商品経済に引き込むために既存の生産様式、経済構造を資本主義の破壊力と暴力性をもって解体していく。こうして資本主義は巨大な生産力と世界市場をつくり出し、旧社会の地域的に制限されたあり方や閉鎖性、交通の分断を打ち破って、社会発展の大きな物質的基礎をつくり出してきた。
 だがそれは他方で、ブルジョアジーに反逆せざるをえないプロレタリアートを世界的に大量に生み出すとともに、恐慌という歴史上かつてない形で資本主義の矛盾を爆発させるようになった。恐慌においては過剰に蓄積された資本が破壊される。ここに資本主義の歴史的生命力が有限であることが示されている。
 第二に、奴隷制社会、封建制社会は画然たる身分制の上に成り立っており、それが人の一生を基本的に規定していた。
 他方、資本制社会では形式上、制度としての身分制は廃棄され、人びとは「国民」という言葉でひとくくりにされ、「法の前に平等であり、自由である」とされている。
 だが、このような法的建前とは裏腹に、現実の生活においては、生産手段を私的に独占し搾取を続けるブルジョア階級と、生産手段から切り離され自らの労働力しか持たず搾取されることによってしか生きられないプロレタリア階級との間の階級対立が厳然と存在している。
 奴隷制、封建制では、階級がそれぞれいくつもの身分、階層に分かれているので、階級闘争は見えにくかった。しかし資本制社会では、階級対立は、政治的、経済的、社会的な全権力を握っているブルジョア階級と賃金奴隷として生きざるをえないプロレタリア階級の二大階級の対立に単純化している。資本主義社会は最も発展した極限的階級社会であり、二大階級間の非和解的対立は最後の決着を不可避としている。
 これらの主体的客体的な資本制社会の特徴は、この社会が共産主義社会の前提を準備していることを示している。  (白石美奈)
 (4) ブルジョアジーがつくり出した 「自分の死をもたらす武器」 とは何か
 課題4 「ブルジョアジーは、自分に死をもたらす武器をつくりだしただけではない。その武器をとる人びとをもつくりだした」というのは、どういう意味でしょうか。
 ■封建制社会は、その中から発展してきた生産力によってその基礎を掘り崩された。つまり封建制社会を転覆させた「武器」とは、直接的には生産力の発展といえるが、それに実体化してしまわないで、生産諸力と生産諸関係の矛盾というひとつの関係の帰結として把握する必要がある。
 資本制的生産様式は、これまでの生産様式を駆逐しつつ発展し、巨大な生産諸力をつくり出す中で、封建制社会の局地的、自給自足的な生産諸関係、身分制的に細分化された社会関係とぶつかるとともに、封建領主の支配、その崩壊への一過渡形態である絶対王政の支配にぶつかり、その枠内では生産諸力を発展させることができなくなった。そこでついに旧政治権力の打倒とブルジョア階級自身による政治支配へと進んだのである。
 生産諸力がその発展を条件づけた生産諸関係とぶつかるという問題が封建制社会に生じたのと同様、資本制社会にも起こっている。その具体的な現れが商業恐慌、周期的恐慌である(帝国主義段階では、蓄積様式の変化によって恐慌の周期性に変容が生じているが、資本の過剰蓄積の矛盾からは逃れられず、恐慌は回避できない)。
 恐慌は、景気循環という形をとった資本の運動の一環であって、例外的事態ではない。それは、労働力商品という資本が生産できない商品を絶対的条件としている資本制生産において、過剰な資本の存在自体が生産の制限になるために起こる。ブルジョアジーは、過剰資本としてある生産物、生産手段、すなわち生産力そのものを自分たちの手で破壊し、そのたびに幾百万、幾千万の労働者を繰り返し街頭にほうり出す。このような繰り返しの中でしか資本主義は存続しえない。資本主義は人類史上かつてない非人間的な矛盾を抱えた社会なのである。
 こうした資本制生産の矛盾の中で、資本の不可欠の搾取材料とされ、この矛盾を一身に背負わされているプロレタリアートが資本主義を打倒する勢力として登場することはまったく必然である。実際、ブルジョアジーの発展の裏面には、搾取されてきたプロレタリアートのブルジョアジーに対する血みどろの闘いの発展がある。
 『宣言』の革命的衝撃力は、武器を持って決起するものとしてプロレタリアートが存在することをまずもって言いきっていることだ。プロレタリアートは、その生誕とともにブルジョアジーと闘い始め、何度も闘いを突き崩されながらも、その苦闘の中から階級的団結を形成=再形成し、自らの政党を組織する過程を開いてきた。この『宣言』第一章の後半の叙述は、プロレタリアートの自己解放性の歴史的実証として現実に闘われた階級闘争の理論的総括であり、マルクス、エンゲルスがそこに参加してつかみとったものだ。
 このようなプロレタリアートのやみがたい自己解放の闘いは、恐慌を不可避とする資本主義を倒し、共産主義社会を建設するものへと発展する必然性を持っている。その意味でプロレタリアートの存在こそ、資本主義を打倒し、共産主義への道を開く最大の武器といえるのである。  
(池西静雄)
  (5)ブルジョア革命と比べてプロレタリア革命の独自性はどこにあるか
 課題5 ブルジョア革命と比較して、プロレタリア革命の独自性はどこにあるでしょうか。
■プロレタリア革命は、階級社会の根底的廃絶という内容ゆえに、それ以前のいかなる歴史的社会の変革とも異なる徹底的な目的意識性を持っている。
 ブルジョア革命は、政治的支配の交代=政治革命として起こった。つまり、資本制的生産様式は封建制的生産様式に比して経済的優位性をもっていたので、その生産様式の自然成長的発展は旧来の生産様式を駆逐し、革命の前に封建的社会関係を実質的に掘り崩してしまっていた。生産諸関係の一定の変革の上に政治革命が起こったのである。
 これに比してプロレタリア革命はまったく違った過程をたどる。生産力と生産関係の矛盾の進行が変革の客観的条件を醸成するという点ではブルジョア革命と同じだが、資本制社会の中で資本の廃止を前提とした新たな生産様式を創出することによって古い生産関係を掘り崩すことはありえない。
 したがって、プロレタリアート=革命主体の意識的能動的な行為を軸にブルジョアジーの暴力的打倒を目指す階級闘争として革命への道程が開かれる。ブルジョア政治権力を打倒し、一切の権力を自己の手に集中すること、プロレタリア独裁の樹立によって、初めてプロレタリアートは自己の目指す共産主義に向かっての政治的、経済的、社会的変革の出発点に立てる。プロレタリア革命は、ブルジョア革命がその終点とした政治革命を「当面の」課題とし、そこから社会の根本的変革を革命の核心的課題として実現していく。
 このことを別の角度からいえば、プロレタリア革命の勝利のためには、資本主義の没落の歴史的必然性と自らの歴史的階級的責務とについて理解と自覚を深めたプロレタリア階級が、政治綱領と組織中枢を備えた強固な組織(党)をつくり、自己を一個の能動的社会集団、支配権力を担う指導的階級として形成していくことが絶対不可欠となるということだ。
 ブルジョア革命は「自由、平等」を掲げてなされたものであるが、その実現は、ブルジョアジーによるプロレタリアートの搾取とブルジョア的私有財産を保障するものでしかなかった。そして、ブルジョアジーは自分の搾取のあり方を絶対的、普遍的なおきてとして社会全体に強制し、階級社会を維持してきた。
 プロレタリア革命は、階級社会における人間による人間の支配が他人の労働の搾取に基づくものであることを明らかにし、それが階級対立、国家間対立、民族間対立、一切の抑圧、差別の根源であることを弾劾的に突き出し、これら一切を廃絶するために、資本主義的搾取を廃絶することを歴史的な課題としている。
 このような意味で、プロレタリア革命はプロレタリアートの階級的解放をつうじて普遍的な人間解放を実現していくのである。 
      (北森伸二)
 (6) 共産主義者の党と他の労働者党の関係、共産主義者の党の独自性
 課題6 共産主義者の党と他の労働者党との関係および共産主義者の党の独自性について述べて下さい。
 ■共産主義者の党は「他の労働者党にくらべてなんら特別な党ではない」。プロレタリアートの利益の立場に徹底的に立つ党である。その当面の目的は、他のすべての労働者党と同じであり、「階級へのプロレタリアートの形成、ブルジョア支配の打倒、プロレタリアートによる政治権力の奪取である」。
 共産主義者は、プロレタリア階級全体の利益から切り離された利益を持たず、また特別の原理や原則を立てて、それにプロレタリアの運動をはめ込もうとするものでもない。『宣言』が「共産主義者の理論的命題は……歴史的な運動のほんとうの諸関係を一般的に表現したもの」としていることで明白なように、共産主義者はプロレタリアートの自己解放性を徹底的に信頼し、そこに依拠して闘うのである。
 その上で『宣言』は、この闘いを真に勝利させていくために、共産主義者の党が階級闘争の中で自然成長的に出てくる他の労働者党と違う点を強調している。
 それは第一に、プロレタリアのさまざまな国民的闘争において国際主義を貫くことである。プロレタリアートは、世界市場の上に成り立つ資本主義を世界的に打倒していく国際的な闘い(世界革命)の一翼として自らを位置づけ、「まず」自分たちの直接の抑圧者である自国のブルジョアジーを打倒するために闘う。
 この立場を貫くことなしにはプロレタリアートの解放はかちとれない。それは第二インターナショナルの歴史や今日のファシスト・カクマル、また「一国社会主義=世界革命の放棄」を核心とするスターリン主義の歴史が示している。
 第二に、プロレタリア階級の闘いのさまざまな発展段階で常に運動全体の利益を代表すること、つまりプロレタリア階級の最後的勝利という観点から常に当面する個別の運動のあり方を判断していくことである。
 それは、経済主義や組合主義の枠の中に運動を閉じ込めたりせず、プロレタリアートの自己解放性の中にある究極的解放への発展の力を徹底的に形成していくということである。
 共産主義者の党は、それ自体プロレタリアートの一部であり、その最も先進的な部分である。運動における徹底性と方針上、理論上の先見性を、あらゆる階級闘争、大衆闘争における指導性として発揮していくことによって、階級情勢の変革とその中でのプロレタリアートの階級形成、ブルジョア支配打倒の力の確立を促進していく。
 共産主義者の党は、先見性という点で決定的役割を持っている。『宣言』は「理論的には全プロレタリアートに先んじている」と述べ、共産主義者の党は「当面する」闘いについてはもとより、共産主義の理論・綱領総体にかかわる高さをもつことを、そのあり方の決定的要素として強調している。(上田由美子)

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週刊『前進』(1956号10面2)

 コミューン 6月号

 介護保険を総批判

 四月一日に強行実施された介護保険制度に対する「大増税と福祉切り捨ての介護保険制度絶対反対」の声はますます強まっている。介護保険に対する全人民の怒りの大爆発が不可避となる情勢が到来した。
 本特集はこうした情勢下で、介護保険絶対廃止の闘いのさらなる爆発を実現するために、第一章で介護保険制度の反人民的実態、第二章で「介護ビジネス」に群がる営利企業の実態を徹底的に暴露した。
 第一章の第一節では、保険料強制徴収と高額保険料が低所得の高齢者いじめの制度であるとともに、従来の社会保障制度を解体する突破口をなすものであることを暴露した。
 第二節では、要介護認定が実は介護切り捨てのための手続きでしかないことを明らかにした。
 第三節では、介護保険の導入でサービスが削減される上に、高額の自己負担が強要されるのはなぜかについて構造的に暴露した。
 第二章の第一節では、介護保険制度のもとでの営利企業の参入が福祉の切り捨てを極限的に促進するものであることを明らかにした。とりわけ、「介護ビジネス」の代表格として急膨張してきた「コムスン」の、介護を食い物にする手口を詳しく分析している。
 第二節では、介護保険が導入されてから五年を経過したドイツの悲惨な現状について、ドイツ労働者の告発を紹介しつつ暴露した。
 特集末尾には、用語解説も掲載した。

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