ZENSHIN 2000/04/17(No1953 p06)

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週刊『前進』(1953号1面1)

 自公政権打倒、衆院選決戦へ

 沖縄サミット粉砕・介護保険制度絶対廃止へ全力決起を

 動労千葉スト引きつぎ闘おう

 二〇〇〇年決戦の最初の、そして最大の激突局面がついに訪れた。階級情勢は七月沖縄サミットという重大な決戦を前に、五−六月解散・総選挙情勢へと一挙に転回した。小渕・自自公政権は、小渕の入院・危篤という事態によって決定的に破産し、サミット後の解散・総選挙という流れから一転して、サミット前衆院選が現実化している。わが革共同は、森・自公(自公保)政権下での五−六月衆院選情勢に真っ向から対峙し、急速に決戦態勢を構築し、すべての闘う労働者人民とともにこの戦後最大の政治決戦に決起し勝利することを宣言する。すべての労働者人民の皆さん。今こそ森・自公政権打倒、ファシスト石原打倒、沖縄サミット粉砕・名護新基地建設阻止、介護保険制度廃止、大失業攻撃粉砕、社会保障制度解体攻撃粉砕、新ガイドライン・有事立法・改憲阻止の一切をかけて衆院選決戦に立とう。闘う労働者人民の真の代表・長谷川英憲氏を国会に送るためにあらゆる力を結集しよう。

 第1章 (1)労働者人民の怒りで打ち倒された小渕

 小渕・自自公連立政権は、内外する日帝危機の重圧に耐えられず、政権内部の矛盾が噴き出す中で、小渕その人が倒れて一挙に崩壊し、四日午後に総辞職した。そして、翌五日には後継首相をめぐるどたばた劇を経て、森前自民党幹事長を首相とする事実上の自公連立政権ができた。
 小渕が倒れたのは四月二日の午前一時。この前日の四月一日は、人民の反対の声を踏みにじって介護保険制度が強行実施された日であった。戦後の社会保障制度と福祉が根幹から改悪され、解体されていく転換点となった日である。
 しかも、日帝の体制危機は、政治腐敗・警察腐敗(治安危機)となって噴き出しており、人民の怒り、権力への憎しみ、怨嗟(えんさ)の声は爆発的に拡大している。こうした中で、小渕はいったんは三〜四月解散・総選挙を方針化したにもかかわらず、解散権の行使もできない状態に追いつめられていたのである。
 小沢・自由党の連立離脱の脅しも、この労働者人民の怒りの重圧の中で、今一歩の反動的国家改造への踏み出しができない日帝支配階級の体内からの危機感といらだちと反動的衝動の表現であった。そして小沢・自由党は、自公から切られ、党自体の分裂を招いて、政治的・路線的な自滅過程へと落ち込んだ。
 日帝・自民党の動揺は、小渕入院の事実を二十三時間も隠蔽(いんぺい)し虚偽の情報を流し続けるというやり方にも現れた。ところが、これに対して既成野党は、日本共産党を含めて、今こそ自自公政権を全面的に倒そうと労働者人民に呼びかけるのでなく、口々に「一日も早く回復してほしい」などという、およそ労働者人民の気持ちとはかけ離れた談話を発表して、政府・支配階級との挙国一致的・愛国者的結束ぶりをさらけ出したのだ。
 「一日も早い回復を」「沖縄サミットを成功させないと国益が損なわれる」「アメリカや中国に対抗しなければならない」「したがって、すぐに挙国一致の態勢、危機管理の体制をとらなければならない」。これが政府自民党だけでなく野党を含む各政党がとった態度なのだ。
 内閣打倒を掲げて解散の主導権をとることもできない、野党の名にも値しない野党の総屈服を見透かして、自民党は小渕の意志を受け継ぎ、経済再生と沖縄サミット成功のためには森が後継者でなければならないとして森政権をつくった。またしても密室で民意無視の政権たらい回しをやったのだ。そして小渕派を軸とする自民党のヘゲモニーで一気に解散・総選挙にもちこんで日帝政治危機を今や逆転的に突破しようとしているのだ。選挙で勝利して自公体制を強固に確立し、沖縄サミットから有事立法・改憲や一大資本攻勢の大攻撃を仕掛ける本格政権へと変貌(へんぼう)しようというのである。
 だが、われわれは、小渕・自自公政権が「巨大与党の支配」と裏腹のもろさを露呈し、内部分裂し、小渕その人が倒れ、ついに大破産を遂げたことを腹の底からの勝利感をもってしっかりと確認しよう。そしてこの日帝政治危機の深さと激しさの中に二〇〇〇年決戦の大いなる勝利の条件をつかみ取ろう。今こそ小渕・自自公政権を大破産に追い込んだ地平を踏まえ、二〇〇〇年決戦の大爆発に進撃しよう。

 第2章 (2)衆院選決戦は戦後最大の政治決戦だ

 森は、五日の両院議員総会で「小渕総理の政策路線を引き継ぎ、そのやり残したことを実現するために全力を挙げる。そのために政治決戦(=衆院選)に勝利する」と発言している。これはサミット前解散に打って出ることの宣言である。
 まさに日帝支配階級の立場からすれば、早期の衆院選で勝利することなしには、森が日帝を代表する立場で、議長としてサミットを主催し、米帝など各国帝国主義権力者と渡り合うことなどできないのだ。激烈な争闘戦のただ中にある帝国主義国家の立場からは、それ以外にないのである。そこで働いている論理と政治力学は、沖縄サミットのりきりのための挙党態勢あるいは挙国一致の態勢確立というものである。
 そして森は、四月二十二日に沖縄サミットに向けて太平洋島サミットを開催し、四月二十八日から三十日まではロシア訪問、プーチン新大統領との会談、五月連休の訪米、クリントンとの会談を外交日程として設定した。そして連休明けにも衆議院解散という政治日程を敷いたのである。したがって、六月四日か十一日が総選挙となる。
 緊迫する衆院選決戦は、戦後史上でも最大の階級決戦である。わが革共同は、八五年蜂起戦、九〇年天皇決戦を上回る政治的蜂起戦として衆院選を闘う。なぜなら、もし仮に、森のもとで自民党が勝利し、公明党や保守党と組んで連立政権を再確立した場合、この政権は小渕政権とは比較にならない極悪の反動政権となるからだ。小渕の新ガイドライン戦争体制の構築や、労働者が階級として獲得してきた戦後的な権利の破壊攻撃を、小渕・自自公政権が着手した地平から出発して、「選挙の洗礼を受けた」多数派政権として一気に貫徹してくるのである。現実には、「小渕の悲願達成」を掲げた一打逆転の攻撃が、全野党の屈服と転向を突いて展開しかねない情勢になっているのである。
 重要なのは、死の苦悶(くもん)にあえぐ帝国主義に決定的な一撃を加えることのできる「一人のリープクネヒト」の存在と真の労働者党の登場が問われているということだ。「この国のかたち」をめぐる全面的な総路線的・綱領的な全人民的な激突の場で、労働者階級人民の利害を命がけで守り、体を張って闘う革命的議員を登場させる必要があるということだ。
 崩壊しかかっている自公連立政権を完全に打倒して新しい労働者人民の決起の潮流を登場させるのか、それとも逆転的に自公政権の延命的再確立を許してしまうのか。階級的利害がむき出しの形でぶつかり合い始めている。だからこそ国政の場に、国会の場に、「戦争反対・労働者の権利・いのち」という階級的真実を恐れず突き出すことのできる革命的議員を送り込まなければならないのだ。
 東京八区(杉並)で猛然と自公政権を批判しきって、石原伸晃を落とすことに成功すれば、それに比例して自民党を全国で追いつめる情勢が生まれるだろう。総選挙決戦の勝敗の核心は東京八区の攻防にかかっている。
 都政権力を握るファシスト石原慎太郎と一体で侵略と戦争、労働運動圧殺、社会保障解体・福祉切り捨ての先兵となっている石原伸晃を打倒しよう。民主党や日本共産党の転向と屈服を暴き弾劾し、労働者人民の利害を守って原則的に闘える唯一の候補、長谷川英憲氏の必勝をかちとろう。直ちに全力をあげて東京八区の長谷川英憲氏の当選のための総力戦に突入しよう。

 第3章 (3)小渕=森の超反動政策に人民の反撃を

 森は、第一に、小渕の政策路線を引き継いで、何よりも経済再生を追求し、同時に構造改革に着手、第二に沖縄サミットの成功に全力を挙げ、第三に教育改革、第四に行政改革、第五に地域社会の活性化という政策を打ち出している。それらは実に反動的な代物である。
 小渕の政策路線を引き継いで経済再生を追求するとは、労働者人民の犠牲で、銀行と大資本救済の財政ばらまきを引き続き行うということだ。その結果としての天文学的な財政赤字のつけは大衆増税、大衆収奪となって人民に降りかかってくる。しかもそれは、日銀の国債引き受けのような形で、一切の歯止めを失った戦時インフレ的な形をとり、国家破滅と戦争突入への動力となるのだ。
 三月末の経済情勢は、景気回復・危機脱出の「明るい展望」などどこにもないことをあらためて示した。とりわけ四・九%という失業率の高さは、さらに伸びていく気配を示している。森が新たに構造改革などと言い出したことは、これまでよりも一層激しいリストラの大攻撃をかけることを意味する。また、増税、社会保障解体、年金や医療の改悪、福祉切り捨て攻撃は、介護保険の導入をテコにこれから本格的になってくるのである。
 だが、介護保険の導入がつくり出す矛盾は、その廃止・全面見直しの声をすでに大きく生み出しているし、これからますます激しく呼び起こす。四・一当日の杉並行動に続いて大衆の怒りを組織し、その全国的大衆決起の先頭で闘おう。
 第二の、沖縄サミットの成功に全力を尽くすとは、沖縄への差別と犠牲を集中しながら、新ガイドライン体制、朝鮮・中国侵略戦争の発動体制をつくり上げるということである。
 三月十八日の台湾総統選挙は国民党支配の崩壊をつくり出した。それは、国民党支配を支点とする米帝の台湾新植民地主義支配の破綻(はたん)にほかならない。したがってそれは、誰の予想をも超えるスケールで、東アジアの国際構造、階級構造を変えていく出発点となる。アジアにおける米帝的な戦後体制の最終的な全面的崩壊の引き金となる。何よりも、台湾情勢は中国本土での政治的・経済的・社会的矛盾に連動する。中国スターリン主義の国家と社会の危機は、八九年天安門情勢以来の中国人民の下からの巨大な反乱を成熟させつつある。
 朝鮮情勢、インドネシア情勢、南砂諸島問題、釣魚台問題などと中台情勢がからみ合い、アジアの軍事的緊張を極限的に高めている。沖縄基地問題はこれと直結している。
 沖縄基地問題とは、日帝にとっては、新安保=新ガイドライン体制問題そのものである。帝国主義は、特に米帝と日帝は、アジアの再分割をかけた争闘戦を朝鮮情勢および台湾・中国情勢の大変動に対応して激烈に展開せざるをえない。
 日帝はここで対応できなければ帝国主義としては完全にたたき落とされてしまうからである。沖縄サミットはそこを突破するための命がけの跳躍台として設定された。つまり、日帝が戦後のあらゆる制約を打破して対米対抗的に朝鮮・中国−アジアに再び侵略戦争を仕掛けていく反動的転換点としてサミットの沖縄開催が設定されたのである。
 したがって、沖縄サミット粉砕決戦は、日本の労働者階級人民にとって、本土人民と沖縄人民の分断をのりこえ、安保問題と沖縄問題の切断を打ち破って、第三次安保・沖縄闘争を圧倒的に爆発させる数年越しの闘いの頂点をなす大決戦である。同時に、闘うアジア人民と連帯して自国政府の侵略戦争=新ガイドライン発動を阻止する歴史の転換点における一大反戦闘争だ。九九年のガイドライン関連法阻止国会闘争に決起
 6面につづく

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週刊『前進』(1953号1面2)

 4・1杉並行動

 ゛福祉・介護を取りもどそう″

 介護保険廃止の声高く

 高齢者先頭にパレード

 四月一日、介護保険の実施が強行されたこの日、「とりもどそう介護 介護保険廃止! 四月一日杉並行動」が東京杉並区の杉並第七小学校運動場に三百二十人を集めて行われた。
 会場には「みんなで介護保険やめさせよう」と書かれたアドバルーンも上げられ、模擬店や医療・介護相談や労働相談のテントが並んだ。集会では高齢者や福祉の現場で働く労働者など介護保険強行への怒りが噴出した。この闘いの成功で介護保険絶対廃止に向け大きな一歩を踏み出した。
 午後一時半前、司会の新城節子杉並区議が開会を宣言した。呼びかけ人の経過報告で、長谷川英憲元都議が前日の杉並区との交渉経過を報告した。「四月一日を、福祉は権利である、国は義務を負っているという権利をかちとっていく日にしよう。介護保険絶対反対、介護は全額公費負担で、必要な人に必要な介護を保障しろという考えを貫いて今日を皮切りに運動を広げよう」と呼びかけた。
 大阪・高槻市から駆けつけた老人保健施設の代表は、「介護保険と一体で医療法の改悪が七月に強行されようとしており、七月から百八十日をこえる入院患者には医療保険から一定額しか払われなくなる。高齢者に医療はするなということ。生きる権利を奪うことだ」と強く弾劾し、介護保険絶対廃止を訴えた。
 介護現場から発言に立った公務員ヘルパーの女性は、「今まで二時間、三時間という時間の中で介護をしてきた。介護保険で一時間、三十分という短い訪問介護で何ができるのか」と介護の大幅な切り捨てに怒りを表した。
 全国の運動からの発言が続き、高槻医療福祉労働組合の森田充二執行委員長が、「高齢者を苦しめて死に追いやることによってしか自分たちの仕事が成り立たないことを強制されることに怒りを持っている」と語った。東大阪から駆けつけた国保と健康を守る会の代表は、「こんな制度やったら死にたい、早くお迎えに来てほしいと仏壇に拝んでいる人がいる。ここまでお年寄りを追いつめる介護保険を許せますか」と発言し、「長谷川さんを国会へ送りましょう」と熱意を込めて呼びかけた。
 相模原市議の西村綾子さんが、「介護保険は強制加入、強制徴収の大増税です」と相模原市の例をあげながら明らかにした。
 寸劇が行われ、会場を大いに沸かせ、介護保険を痛烈に突き刺した。
 一言コーナーでは参加した多くの区民と高齢者が次々と怒りを表明した。
 「保険料が年金から差し引かれたら生活できない。自殺するほかなくなる」「介護保険は人間を食い物にする制度。怒り心頭です」「介護保険は殺人保険。金を出させて死ねといっている。こんな国を誰がつくったのか」「私も高齢者介護を十三年やった。介護保険で暗い気持ちになっていたが、みなさんと心を合わせて反対していく」
 「介護保険を許してはいけない。こんなことを許していたら次に待っているのは戦争です」「われわれは働いて稼いだ金を全部使ってきたわけではなく、社会資本として残してきた。年寄りが自分たちが働いた成果を今受け取るのは当たり前。堂々と介護を受けていいんです」
 これらの発言に決意を込めた拍手がこたえた。
 「今日から廃止へ! 四
・一杉並アピール」が読み上げられ、集会のまとめでは「介護保険を廃止して、私たちの介護をもっと豊かにしよう」と呼びかけられた。
 パレードは高齢者が先頭に立ち、杉並区役所から阿佐ケ谷駅に向かう中心街を通り、圧倒的な注目を集めた。沿道の高齢者が一生懸命に手を振ってデモ隊を迎え、ビラを受け取った女性がビラまき隊に直ちに相談を持ちかけてきた。
 杉並行動の成功に参加者は確信を深め、今後の奮闘を誓い合った。

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週刊『前進』(1953号1面3)

 杉並区と交渉 都革新先頭に

 切実な要求つきつけ

 三月三十一日、都政を革新する会を先頭に、区民の反対を押し切って介護保険の実施強行に走る杉並区に対して交渉が行われた。
 最初に、都革新の長谷川英憲代表が要望書を読み上げ、区の介護保険説明会で「反対のための質問は認めない」と言い放ち、ついには一切の質問を受け付けないとした区の姿勢を追及した。また、これまで区から無料で貸与されていた介護用ベッドが取り上げられた高齢者や、要介護度が低く認定され、月四十万円もの自己負担が強いられる高齢の「障害者」が存在する現実をつきつけ、区としての対応を問いただした。
 応対した高齢者福祉部長らの「説明会は実施が決まった制度を理解していただく場」「個別の例については調査してからでないと答えられない」という居直りに、参加した区民から一斉に非難の声が上がった。高齢者からも高額の保険料を取り、区独自の施策もつくらず福祉の切り捨てに走る区への怒りが噴出した。
 この中で、区側は「制度のはざまで救済が必要な人が出てくることは認識している。今後も皆さんの意見を聞く場は設けたい」と答えざるをえなかった。

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週刊『前進』(1953号2面1)

 国労中央の闘争団切り捨て策動うち砕け

 ゼロ回答=「解決案」受諾の臨大狙う宮坂・上村・新井ら打倒せよ

 カクマルの裏切り弾劾 「シニア協定」破棄へ闘おう

 国鉄決戦は、文字どおり正念場を迎えた。この間、国労中央−宮坂・チャレンジ一派と革同上村派が闘争団を切り捨てる千四十七人問題の反動的決着のために、五月にも臨時全国大会の開催を策動していることが明らかになった。日帝権力、政府・運輸省の国鉄闘争解体攻撃に完全に屈服した国労中央は、「年度末解決」路線の破産の上に、今度は五月末のILO(国際労働機関)総会で最終勧告が採択される前に決着を図ろうと、なりふり構わず突き進んでいるのだ。この策動を打ち砕き、今こそILO勧告を武器にして解雇撤回・地元JR復帰へ、闘争団とJR本体組合員が一体となった大攻勢に立とう。断末魔の危機に陥ったJR総連=カクマルを打倒せよ。八月国労定期全国大会に向け、二○○○年決戦の重要な一環として、中央本部総退陣、国労の階級的再生への闘いを強化しよう。

 第1章 自社協議の反動性は「新井文書」に明らか

 国労中央本部の宮坂書記長、上村副委員長、新井総務財政部長らが陰謀的に進めていることは、断じて許されない重大な裏切り策動である。その中身は、新井総務財政部長が書いたといわれる「千四十七名問題について」という以下の文書に明らかだ。(抜粋)
 (1)「自社協議により水面下で千四十七名問題が大詰めを迎えている。昨年より、年度内解決を最大目標に社民党を通じて働きかけてきたが、近々にも機関で報告することは可能となるだろう」
 (2)「第一七一回拡大中央委員会で伊藤副党首が触れたように二階運輸大臣、黒野運輸省顧問との話し合いがこの間精力的に行なわれてきた。こうしたなかで二月十七日、今後の進め方について社民党伊藤副党首、渕上幹事長、濱田政審会長から国労三役に対し、二月中にも運輸省、労働省が労使双方の代理人である自社両党から非公式に意見聴取を行ない、その内容を持ち帰り検討して三月中に解決への道筋をつけることが明らかにされた」
 (3)「三月七日に第一回のヒヤリングが行なわれた。社民党からは伊藤副党首、渕上幹事長、濱田政審会長、自民党より甘利副幹事長、杉山憲夫衆議院議員、林幹雄衆議院議員、運輸省からは石川鉄道局次長、桝野鉄道企画室長、労働省からは沢田労政局長、金子労働組合課長らが出席し、甘利座長のもとで会合が進められた。第一回は国労の考え方を聞く場として、社民党側から@JRへの復帰A金銭補償B労使関係の正常化について国労が求めている解決要求について説明がなされた」
 (4)「二回目は前回に続き三月十五日に自民党本部内で行なわれた。自民党側からは、解決ははかるべきだが、会社側を説得する場合に、@JRに法的責任がないことを認めることA政労使間による話し合いはありえないことBJR発足時における国鉄改革関連訴訟は取り下げることCJRが話し合う相手はエリア本部とすることが前提であることが強く求められた。また国会座込みなど国労の行動についても若干のクレームがついたので濱田政審会長みずから是正指導を行なうことで理解を求めた」
 (5)「今後ヒヤリングの上に立って早い時期に解決案が政府から示されるであろう。内容は必ずしも十分ではないが出された解決案で合意を形成していくためにも一カ月以内に臨時大会を招集し決着をはかることがのぞましい」「年度内は若干延びるが早期解決は確実である。以上のことを視野において全国会議を三十日に入れる予定である」
 この「新井文書」が示していることは、国労中央、宮坂・チャレンジ一派と革同上村派が、(4)で自民党が突きつけてきた条件=「運輸省メモ」の丸のみを最終的に決断し、一気に反動的決着を図ろうとしているということだ。そのために(5)で言うように「一カ月以内」に臨時大会を招集することを狙っているのだ。
 しかも、その臨大は、政府から示される「解決案」で「合意を形成」する、すなわち闘争団と国労三万に「解決案」をのませ、最終的な「決着」を図るためのものである。その「解決案」なるものは、「内容は必ずしも十分ではない」とされているように、「運輸省メモ」による、JR復帰を否定した「ゼロ回答」でしかないことは明らかだ。
 三月三十日の「全国会議」=全国エリア委員長・書記長会議とは、こうした「解決案」受け入れについての「本部一任」を取りつけ、それを事後承認させる臨大招集を決定するために設定された。ジュネーブのILO本部に要請に行っていた高橋委員長を急きょ帰国させ、この筋書きをのませようとしていたのだ。
 この策動が明らかになる中で、高橋委員長が出席せず、会議は事実上流れ、ひとまずこの策動は頓挫(とんざ)した。
 しかし、事態は、依然として国労の危急存亡の情勢である。
 ふり返れば、昨年の三・一八臨大は高橋委員長の決断で招集された。この三・一八臨大=「改革法承認」こそ、今日の反動的決着策動の直接の出発点だ。高橋委員長は動揺を繰り返しつつ、この流れの中で宮坂・チャレンジ一派や革同上村派らに取り込まれ、再び〈委員長決断→中執・中闘決定〉での臨大招集さえあり得る情勢なのだ。それ以外にも、彼らはあらゆる手段で反動的決着を狙ってくるだろう。
 四―五月、全力を挙げてこの反動的決着策動を粉砕しよう。宮坂・上村・新井らを打倒し、高橋委員長を先頭とする国労中央本部の責任を徹底追及し、総退陣を迫り、新たな闘う中央本部を樹立しよう。

 第2章 ILO最終勧告前の決着を絶対に許すな

 ここで、昨年末以来の経過を整理しておこう。
 昨年十二月二十七日、二階運輸相が「双方が決断の時」と、国労中央に「運輸省メモ」丸のみの決断を迫ってきた。これに屈した国労中央は、一月二十八日の拡大中央委で反動的「年度末解決」路線を決定しようと狙った。この反動的策動を打ち破られ、追いつめられた国労中央は、「三月末のILO理事会を意識して話し合いの開始を求め、解決を図っていく」(宮坂書記長集約)として、日帝権力、JR資本への一層の投降と屈服を深めていった。
 他方で、日帝権力は三月ILO理事会での最終勧告を阻止するために全力を挙げた。二月に運輸省、労働省、さらにJR東資本とJR総連=カクマルまでが相次いでジュネーブのILO本部に代表を送った。こうした中で、最終勧告が五月末からのILO総会まで延期されることが確定的となった。「日本政府の追加情報の遅れ」がその理由とされている。しかし、国労中央がこれを弾劾した様子はない。むしろ、延期を「渡りに船」とばかりに、最終勧告前の反動的決着に突き進んできたのだ。
 国労中央は、ILO勧告アピール、緊急署名運動を五・二八反動判決を覆す武器とする立場を投げ捨てた。また、貨物などの超低額・ベアゼロ策動に対する国労組合員の怒りを足蹴にして、「千四十七人問題の解決」を口実に春闘ストを放棄した。その裏で「ヒヤリング」と称する「秘密交渉」にのめり込んだのだ。
 この「ヒヤリング」なるものは、「新井文書」の(3)〜(4)によると、自民党と社民党の代表、および運輸・労働両省の官僚が出席して開かれたというものだ。
 国労主催の三・二九中央総決起集会で上村副委員長が「現在、政党間協議の窓口である自民党、社民党において並々ならぬ解決の努力が前向きに進められている」と発言した具体的中身がこれである。だがそれは、自民党や運輸省から「運輸省メモ」を社民党をつうじて再度突きつけられ、それに全面屈服する場以外の何ものでもないのだ。国労中央は、この「ヒヤリング」の場で、社民党をつうじて事実上のゼロ回答をすでに承諾したと言えるのだ。
 しかも、自民党側から闘争団の国会前座り込みなどに対して「クレーム」がついたことに、社民党の濱田政審会長が「是正指導を行う」ことを約束している。“まだ屈服していないではないか。闘争団はまだ座り込みをしているではないか”という権力の恫喝に対して、“今後一切逆らいません。どんな解決水準でも受け入れるから具体的解決案を出して下さい”ということなのだ。
 また、この「ヒヤリング」には、自民党から杉山憲夫、林幹雄というJR東資本の回し者といわれる議員が出席している。これは、今回の事態が、日帝権力の国労解体攻撃とJR東資本の「完全民営化」のための第二の分割・民営化攻撃とが完全に結合したものであることを示している。

 第3章 日帝・資本・JR総連の国労解体に反撃を

 今日、日帝は帝国主義間争闘戦と大恐慌過程への突入という未曽有の危機の中にのたうちながら、一方で新ガイドライン法に基づく戦争体制づくり、沖縄圧殺の沖縄サミット攻撃を強行し、他方で労働者人民に犠牲を転嫁する大失業攻撃を全面激化させている。
 戦争体制づくりと労働者の戦争動員を貫徹するためにも、日帝にとって戦闘的・階級的労働運動の解体が必須の課題となっている。そうして連合などの帝国主義的労働運動を使った労働者支配を貫徹しようとしている。同時に、帝国主義間争闘戦に勝ち抜ける日帝経済に転換するために、大リストラと首切り・賃下げ、社会保障解体などの資本攻勢を激化させている。特に産業再生法、民事再生法、そして今国会で成立が狙われている会社分割法案と「雇用承継法案」などによる国鉄方式のリストラを貫徹しようとしている。
 この時、十三年間にわたり国鉄分割・民営化攻撃と闘い続ける国労を解体し、闘争団を先頭とする国鉄闘争をたたきつぶすことは、日帝の国家意志なのだ。
 この中で、JR資本は、十四年目を迎えた分割・民営化体制の絶望的破綻(はたん)を、一方では「国鉄改革の完遂」=「完全民営化」によって突破しようとしている。「完全民営化」に向けたJR資本の最大の攻撃が、JR東の「シニア協定」と、それとセットとなった全面外注化による徹底した総額人件費の削減である。JR東資本が「完全民営化」し資本として生き残るためには、搾取を強め、最大限の利潤を上げなければならない。だからこそ日経連労問研報告などで打ち出された資本攻勢を貫徹しようとしているのだ。
 いまひとつ、分割・民営化体制の最大の破綻点は、不屈の闘争団の存在と闘いの継続である。だからこそ、闘争団と国鉄闘争の解体による国労解体が至上命題となっている。
 「シニア協定」こそ、そのためにJR東資本とJR東労組=カクマルが仕組んだ「第二の分割・民営化攻撃」そのものである。
 「シニア協定」は、定年延長を完全に拒否し、JR本体での雇用延長も拒否し、関連会社への「再雇用の機会の提供」を行うだけという、最悪の制度だ。JR東労組=カクマルはこれを「第二の雇用安定協約」と称して「JR東労組組合員の雇用だけが保障される」と叫んで、国労解体攻撃のテコにしようとしている。JR東労組=カクマルは、分割・民営化時にも匹敵する大裏切りで結託体制を強化し、JR東資本のファシスト的先兵となって延命しようとしているのだ。
 このようなJR東の結託体制による国労解体への踏み切りに対して、あろうことか国労東日本本部・チャレンジ佐藤書記長らは、「シニア協定」を何の抵抗もなく締結してしまったのだ。国労が締結した協定文にもJR東労組の協定文と同様に「鉄道事業業務等の一部の委託」=全面外注化の推進が盛り込まれている。チャレンジ佐藤らは、国労組合員の多い職場を狙い撃ちにした「メンテナンス合理化」とは違うとごまかしながら、全面外注化の推進を約束したのだ。
 「シニア協定」をめぐる攻防は、まだまだこれからだ。動労千葉が協定を締結せずに春闘第三波の闘いを構えているように、国労東日本本部の協定を破棄させ、定年延長と六十五歳まで働ける労働条件の確立をめざして闘おう。

 第1節 JR連合化の「民主化」声明

 さらに、チャレンジ一派は、この資本・カクマル結託体制の攻撃と真っ向から闘わないばかりか、逆に屈服してしまっている。権力・資本に恭順の意を表すれば、権力・資本がカクマルをやっつけてくれるのではないかと願望する「JR東日本民主化運動」なる権力依存の反動的運動にねじ曲げている。
 三月二十九日、国労東日本本部は、JR連合傘下の東日本鉄産労、ジェイアールグリーンユニオンとともに、「JR東日本の『民主化』を実現する三組合共同声明」を出した。この声明は、JR東の「労務政策の転換」を求めるというものだが、闘争団を切り捨て、国鉄闘争の幕引きを行い、国労の側からJR連合にすり寄り、JR連合へと合流する策動に利用しようとしているのだ。まったくとんでもない。ここに帝国主義的労働運動派=チャレンジ一派の闘争団売り渡し策動の反動的核心がある。

 第4章 和解路線を打ち破り国労の階級的再生へ

 だが重要なことは、現在追いつめられているのは日帝権力であり、JR資本であり、何よりもJR総連=カクマルだということだ。
 自由党の連立政権離脱―小渕首相の入院−森新政権の発足という情勢は、日帝の政治危機を一挙に爆発させている。国労中央を取り込んで進めてきた攻撃を予定調和的に貫徹する余裕など日帝にはない。「完全民営化」などいくら掲げようとも、闘争団を先頭とした国鉄闘争がある限り、絵にかいた餅(もち)にすぎない。しかも五月末にも出されるILO最終勧告は、沖縄サミットを前にして、日帝の労働政策の反動性を全世界に暴き出すものになるだろう。それは、政府を追い詰め、国鉄闘争をますます非和解的なものにする。
 だから国労中央はゼロ回答丸のみの反動的決着の策動を強めているのだ。「自社協議」なるものにすべてを委ねる和解路線そのものの完全破産を、組合員の階級性、戦闘性に依拠して突破するのではなく、より一層権力・資本に屈する形で国鉄闘争を売り渡そうとしているのが宮坂・チャレンジ一派と革同上村派なのである。
 帝国主義の危機、資本の危機からくる階級闘争の非和解的激化の時代に、資本・権力に「和解」をお願いする体制内労働運動は最後的に破産し、敵にじゅうりんされ、果ては闘いを敵に売り渡してしまうものにしかならない。
 十三年間の国鉄闘争は、こんな「和解路線」のもとで前進してきたのではない。分割・民営化という大攻撃と、その先兵になったJR総連=カクマルへの怒り、その怒りと闘いが九〇年の闘争団の決起となったし、今日まで連綿たる闘いを展開してきたのである。権力・資本・カクマルとの対決、闘争団の決起がつくり出したのが国鉄闘争である。いよいよ正念場を迎えた国鉄闘争の中で、このことをはっきりさせて闘うことが重要なのだ。
 国労中央、宮坂・チャレンジ一派、革同上村派は、この国鉄闘争の正義の地平を売り渡す裏切り者であり、これを打倒することなしには、国鉄闘争の前進も、国労の再生もかちとることはできない。
 いまひとつ重要なことは、JR総連=カクマルの断末魔の危機を突いて闘うことである。彼らは、「JR総連=カクマル」という事実が隠しようもなく暴かれ、労働者人民に包囲される中で、自作自演の「対立劇」による必死の延命策動にのめり込んでいる。そして、「シニア協定」という大裏切りを強行した。
 だが、「対立劇」でむしろ両者の一体性が浮き彫りになっている。カクマルは、カクマルの党としての決断で分割・民営化推進に転換してJR総連をつくったのは正しいと開き直り、この間やってきた盗聴や窃盗、白色テロルの数々を居直り、JR総連内の非カクマル、反カクマルの管理職層や青年労働者を恫喝している。JR総連=カクマルは、完全に末期症状だ。
 まさに今、闘えば、JR総連=カクマル打倒、国労の組織拡大を圧倒的に実現することができるのだ。
 四―五月の国鉄決戦の方針は、明確である。
 第一に、今こそILO勧告を武器に五・二八反動判決を覆し、千四十七人の解雇撤回・地元JR復帰、不当労働行為根絶の勝利に向けて、闘争団とJR本体の組合員が一体となって闘うことである。五月末ILO総会に向けて総決起しよう。
 第二に、そのためにも、裏切りと破産にまみれた国労中央、宮坂・チャレンジ一派、革同上村派の反動的決着策動を打ち砕き、八月国労大会に向かって、中央本部総退陣、闘う新体制の樹立に向けて闘おう。
 第三に、今こそJR総連=カクマル打倒へ十三年間の苦闘のすべてをかけて闘うことである。また、JR東の「シニア協定」破棄、業務の全面的な外注化攻撃粉砕へ闘おう。
 動労千葉は、三月二波のストライキに続き、四月第三波の闘いに立とうとしている。この決起に連帯して闘おう。
 こうした闘いを実現するならば、今日の危急存亡の情勢は、逆に国労の階級的再生への決定的なチャンスに転化できるのだ。
 沖縄サミット決戦、衆院選決戦と結合し、国鉄決戦を闘い抜こう。

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週刊『前進』(1953号2面2)

 ゛正義は必ず勝つ″

 国労闘争団 国会前座り込み

 国労闘争団の第四九次上京団は、三月二十二日から三十日まで国会前の座り込みに決起した。この行動は第四八次上京団の運輸省前座り込みを引き継ぎ、政府にILO勧告の履行を求めて闘われた。JR本体の国労組合員や春闘まっただ中の労働者らが連日支援に駆けつけた。
 三十日午後、七日間の座り込みの集約集会で上京団の団長は、「私たちの闘いは十四年目を目前にして、なんとしてもILO勧告を政府・JRに守らせ、納得のいく解決を図りたいという思いで頑張ってきた。私たちの闘いは正義だ。勝つまでやめられない。四−五月、一層団結を固めて頑張りたい」とあいさつした。
 二十九日に東京・社会文化会館で開かれた「千四十七人の解雇撤回をめざし、労使紛争の全面解決と公共交通の再生にむけた三・二九中央総決起集会」で決意表明した上京団の代表は、「多くの皆さんの力を得ながら、明日以降も闘い続けることを明らかにしておきたい。ILOから私たちの闘いに対するエールが送られている。私たちは、正義の闘いは苦しいけれど必ず勝つという立場で運動を進めたい。私たちの闘いは安易な妥結を許すものではない。国際世論の常識は、私たちが職場復帰をし、苦労して闘っている国労本務と一緒に国労の旗を掲げ、本当に労働組合らしい労働組合をつくることだ。完全職場復帰まで闘い続ける」と訴えた。

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週刊『前進』(1953号2面3)

 「一坪反戦地主排除」を採択した沖縄県議会を弾劾する

 サミット決戦爆発で反撃を

 沖縄県議会は三月三十日の二月定例会最終本会議でまったく許せないことに、「県の外郭団体など、あらゆる県の機関から『一坪反戦地主など』を役員から排除するよう求める陳情」を自民、県民の会、新進沖縄などの賛成二十六、反対二十一で採択した。
 この陳情を提出したのは「沖縄県政を糾(ただ)す有識者の会・国旗国歌推進沖縄県民会議」なる右翼団体である。陳情は昨年九月に県議会に提出され、継続審議となっていたもの。
 あろうことか沖縄県議会は名護の市長リコール運動が重要な局面に来ている三月末に意識的に「一坪反戦地主」をたたこうとして、この超反動的な陳情をクーデター的に採択したのだ。
 重要なことは、総務企画委員会でも本会議でも実質審議ゼロ(反対討論一人のみ、賛成討論なし)であったことだ。与党も野党も「沖縄からの平和の発信」とか「世界の首脳に心おきなく沖縄を見てもらう」などと言ってサミット翼賛体制のもとに沖縄の人民を組み敷こうとしているのだ。
 日共スターリン主義はこの陳情に対して、総務企画委でも本会議でもまったく反対討論もせず、採択に全面協力し、屈服したのである。二・一六「報告と訴え」=サミット協力宣言に続いて、日帝の侵略戦争の先兵、沖縄闘争圧殺の先兵として立ち回ったのだ。
 「陳情」は、「一坪反戦地主の土地所有の目的は国の政策を妨害するためのものであるから憲法第一二条違反である」とか、「『反戦平和』とは米軍を日本から追い出し、自衛隊をなくして、日本を無防備にしてから民衆に暴動を起こさせ、日本を破滅に陥れようとする考えと同じである」などとののしっている。
 考えても見よ。戦前、沖縄人民が国の戦争政策に無理矢理協力させられた結果は、一体なんだったのか。「本土防衛の捨て石」として全島が戦場とされ、二十数万人が犠牲となった沖縄戦の道ではなかったか。
 沖縄人民の反戦・反基地闘争を「非国民」呼ばわりし、日帝の朝鮮・中国―アジア侵略戦争に有無をいわせずに協力させようとすることは、まさに“第二の沖縄戦”の道であり、それこそ「沖縄の破滅の道」なのだ。反戦地主が身をもって抵抗し闘ってきたように、米軍基地と戦争にあくまでも反対していく中にこそ沖縄人民の未来がある。
 このような陳情の採択は国益擁護・祖国防衛主義を突き破って発展しようとしている沖縄人民の反戦・反基地闘争を、日帝と反動勢力がどれほど恐れているかを示している。一坪反戦地主会の崎原盛秀代表世話人は「憲法によって保障された思想・信条の自由、基本的人権を踏みにじる暴挙であり、断じて許せない」と声明を発表し、四月一日に幹事会を開いて署名活動や県議会への公開質問状など、全県的な抗議行動を展開することを確認した。
 超反動的な「陳情」を断固粉砕せよ。闘う沖縄人民と固く連帯し、四―七月サミット粉砕闘争を大爆発させ、名護新基地建設絶対阻止へ進撃しよう。

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週刊『前進』(1953号3面1)

 2000年度防衛予算 福祉削って大軍拡

 介護は国家の当然の義務だ

 出来ぬなら国家は倒すべき

 二〇〇〇年度政府予算は、きわめて反人民的で破産的な予算である(本紙前々号3面参照)。とりわけ、この予算の超反動性を凝縮して示しているのが防衛関連予算である。総額八十四兆九千八百七十一億円に上るこの予算のうち、その三八・四%もが国債発行に依存するという超借金財政だ。日帝は、「財政危機」を口実に介護保険制度の強行実施や年金改悪などで社会保障制度を解体する一方、公共事業費と「金融危機対策費」は増大させてゼネコンと大銀行の救済を図り、防衛費も膨らませているのだ。

 第1章 財政危機下で軍事費は突出

 今年度予算の防衛関係費は、SACO(日米沖縄特別行動委員会)関連経費も含めて四兆九千三百五十八億円となった。
 だが、よく知られているように日本の防衛予算の表示にはインチキがある。欧米諸国では、傷病兵への補償や遺族への恩給費なども国防予算として計上されている。沿岸警備や軍事情報獲得のための宇宙での作戦の費用も、もちろん国防予算である。だが、日本では旧軍人恩給費などは総理府の、海上保安庁の予算は運輸省の枠に入っている。
 実際、今年度予算には「不審船対策海上警備体制強化費」が海上保安庁の、軍事情報衛星の開発費用が内閣官房の予算として盛り込まれた。スペースシャトル「エンデバー」を使って軍事ミサイル用地形図をCD二万六百枚分に収録した作戦費用(これにはあの毛利宇宙飛行士がかかわった)は、文部省・科学技術庁の予算である。
 防衛関係費に、これらの海上保安庁予算や旧軍人恩給費などを加えるだけで、五兆円を超えるのだ。
 また、ツケで兵器などを買う「後年度負担」は、これまでの分とあわせて二兆九千八百十九億円に膨らんでいる。これも含めれば、日本の軍事予算は税収規模の一七%、まさに米ロに次ぐ巨大な軍事国家と言って過言でない水準なのである。
 労働者人民には実質的な大増税と福祉の切り捨てで一切の犠牲を押し付けつつ、国債乱発の赤字放漫財政のもと、軍事費には膨大な予算がつぎ込まれているのだ。

 第2章 戦争のできる自衛隊へ飛躍

 さらに今年度の防衛予算は重大な意味を持っている。今年度で現在の中期防衛力整備計画(九六年〜二〇〇〇年)が完成し、次期中期防衛力整備計画(二〇〇一年〜二〇〇五年)へと引き継がれる。今年度予算に二十一世紀に向けた日帝の軍事戦略が現れているからだ。
 第一に、朝鮮・中国−アジアに展開できる軍事力の形成が狙われている。
 今年度予算では、@空中給油機導入のための調査費が計上され、A強襲揚陸艦である「おおすみ」型輸送艦に搭載するエアクッション艇LCACを増加させ、B「不審船」対処のためのミサイル艇を導入し、Cゲリラ・コマンドウ対処訓練施設の整備や、核・生物・化学兵器対処部隊の創設準備が行われた。Dまた、TMD(戦域ミサイル防衛)構想の日米共同研究費は、昨年度の二倍以上に増えている。Eさらに自衛隊初の巡航ミサイルで、かつ最大射程(百五十`)をもつ地対艦ミサイルSSM−1を一挙に九十六発配備し、全国展開態勢の完成が狙われている。
 確かに、現段階ではまだ大量の部隊を海外渡航させる能力は大きくはない。だが、日帝は完全にその突破をめざして踏み込んできたのである。
 第二に、兵器と体制のハイテク化だ。十三億円の予算が付いた「サイバー(電脳)戦部隊」の創設を始め、兵器がどんどん新機種に更新されている。ヘリコプターも、対戦車ヘリ・観測ヘリ・多目的用と更新される。陸自の機械化は、九〇式戦車の導入以来、装甲車から防空用ミサイルに至るまで進んでいる。新中央指揮システムや、防衛統合デジタル通信網の整備なども行われる。これを国産化(ライセンス生産含む)し、独自の戦争能力の確保を狙っているのだ。
 第三は自衛隊の実戦部隊化だ。陸自の第一三師団の旅団化に続き、第一二師団のヘリコプター空中旅団化が行われる。旧来の陸自の師団は甲師団=定員九千人、乙師団=七千人を基礎にして「十二個師団、二個混成団」の編成だったが、これを「八個師団、六個旅団」に再編成する計画の一環である。
 これは、直接には自衛隊に常に二割以上の欠員があることを橋本政権下で「財政改革」の名で追認したものだが、現在的には、新ガイドライン体制下で「すぐ戦場に駆けつけられる部隊への編成」ということに重点がある。
 こうして、全国の基地に新しい部隊や兵器が導入されようとしているのだ。二〇〇〇年決戦の中で、日帝の朝鮮・中国−アジア侵略戦争と軍事大国化に対する闘いをさらに強めなければならない。

 第3章 人民のいのちと暮らし守れ

 侵略戦争のための軍事予算を弾劾し、基地の撤去を求める闘いは労働者人民のいのちとくらしを守る闘いと完全に一体だ。
 厚生省は毎年「平均余命(寿命)」の統計を出している。それによれば、第六回調査(一九三五〜三六年)での平均寿命は約四十九歳、第八回の一九四七年は約五十二歳であった。ところが、第七回統計だけは公表されていない。厚生省の資料には、「資料が焼失してしまった」「資料に不備があった」という記述があるが、その「不備な資料」には、一九四五年の男子〇歳児の平均余命は二十三・一歳と記載されている。なんとも恐るべき数字である。
 左に掲げたグラフは、戦前の総軍事費と国民所得の推移を示している。日帝が凶暴きわまる中国侵略戦争に突入し、さらに対米開戦に突き進むとともに、軍事費は人民の金も生活も命もすべて奪い取っていったのである。敗戦直前の一九四四年には、国民所得を超えるデタラメな軍事予算まで組まれたのだ。
 戦争に反対しなければ、労働者人民の最低限の生存権も守れない。
 今日、日帝は軍事費に膨大な予算をつぎ込む一方、介護保険の強行実施、年金改悪を始め、福祉切り捨ての攻撃に全面的にのりだしている。
 介護保険は、四十歳以上のすべての人民から保険料をむしり取り、高額の自己負担を強制しながら、介護はわずか一割の人しか受けられないという、とんでもない制度である。
 こんな悪政をストップさせて、介護を全額公費で保障させることは人民の切実な要求だ。
 侵略戦争のための予算、民衆とアジアの人びとを苦しめ、踏みにじる予算など必要ない。軍事予算には膨大な金をつぎ込んでおいて、高齢者介護に使える金はないなどというのは大ウソだ。高齢者には介護を要求する権利がある。軍人恩給に毎年一兆五千億円もの支出をする政府に、他の高齢者の要求を拒否する理由はないはずだ。福祉は国家の義務である。
 それができない国家であれば、そんなものは労働者人民の手で打倒する以外にない。このことを政府に迫る力こそが求められている。防衛予算を「聖域」扱いして闘いを投げ捨てた既成野党をのりこえる、闘う議員が今こそ必要だ。
 長谷川英憲氏を国会に送り出そう。戦争と闘い、介護保険を廃止させ、介護の全額公費化をかちとる全国運動を発展させよう。
(投稿・大河治郎)

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週刊『前進』(1953号3面2)

 ストップ介護保険

 現場の労働者に聞く −6−

 自治体労働者 Dさん

 保険料請求でパニック

 「福祉は権利」と主張

 国保の人は大変ですよ。あこぎなのは厚生省もですけど社会保険庁もそうです。会社が経営が悪くなって社会保険庁に支払う保険料を滞納しだすと切るんですよ。その会社が社会保険がなくなってみんな国保にしろということになる。ひどいでしょ。国保の方が使用者負担がないですから、はるかに高いわけです。

 第1節 ■大変なのは女性

 いろいろ大変な人がいますけど、女性の人がやっぱり大変ですね。結婚しないで一人という人が、厚生年金を払ったり、国民年金も払ったりして満額取れるぐらい払っても、実際受け取る年金はものすごく少ない。十三万円とかそこらで高齢の女性が暮らさなければならない。家賃が結構高いですから、どうしても五、六万円かかる。
 今回介護保険で第一号被保険者は半年間保険料を取らないといっているけど、その下の六十歳から六十五歳までの人が大変なんですよ。六十五歳になると控除される額がすごく増えるので、税金がほとんどかからなくなる人でも、そこにいたるまでは税金がかかってしまう。そうすると保険料にも跳ね返りますからとても高くなってしまいます。何千円と。その額をそういった収入から払っていくのはすごく大変なんです。
 あるいは高齢の女性の人に多いですけど、月に三万円なにがししか年金がない人が結構います。無年金の人もいます。「あと何十万円を何日までに払えば年金を受けられますと言われたけど、とても用意できなくて。資格がないので年金はないんです」という人もいます。本当に大変な生活をしています。
 そういう人は介護保険が入ってきたら生活保護を勧めるしかないのかなと思っています。生活保護も、保護率がすごく上がっていて、窓口がパニックになるぐらい生活保護世帯の数が増えているんです。介護保険が始まったらもっと増えるでしょう。でも、それしか方法がなければしょうがない。
 私たち自治体の職員は、毎日住民と接しているでしょう。直(じか)にですから大変なのがよくわかるんです。すし屋とか飲食店とかのお店の今まできちっと払っていた人が、「払えないんだよ」と言って来るんですよ。本当にそういうところに不況の影響がでているんです。
 厚生省の人たちが国保の課長会と座談会をやっていて、収納率が落ちているが、どうしたらいいかという話をしているんですけど、もっと保険証を出さないようにするやり方とか、短期証、要するに半年とか一年しか通用しない保険証を出していくとか、そういうことしか言わない。滞納しているというのはその人が悪いという姿勢です。介護保険で国保の保険証を強制的に取り上げるとなったわけで、これについても大反対してほしいですね。
 三万なにがしかの年金の人も年金から天引きで介護保険料を取られるわけです。そうしたらどうなるのか。その方は一生懸命国保の保険料を払ってきたけど、もう回せないっていうことになりますよ。国保の保険料は月々六百円ぐらいに割って、本当は四回払いなんだけど十二回払いにしてそれぐらいなら払えるからと払ってもらっている。でももう無理でしょう。
 四月の半ば頃に保険料の請求書が行くわけですけど、どうなるか。苦情が殺到して、もうパニックでしょう。介護保険は新しい制度ですから役所で介護保険課をつくって、そこで資格係、保険料係、給付係とそれぞれつくるべきなんですけど、それをしないんです。そんなことをしたら払う人いないですからね。
 介護の認定に関する苦情は国保連合会というところに集中するということになっていますけど、そんなとこみんな行きませんよ。みんな役所にきます。保険料高いという苦情はみんなうちにきます。サラリーマンは給与天引きだし、年金の人は年金天引きだし、一番大変な部分を私たちがやるわけです。混乱は予想されているんだけど国保に人を増やす考えはもちろんありませんから、電話がパンクして大変なんじゃないですか。

 第2節 ■推進する自治労

 ――介護保険反対の運動の点ではどうですか。
 言いたいのは、住民が悪政、悪法と断罪しきって、反対していいんだという気運をつくる必要が絶対あるということです。組合としては自治労で、自治労がこの制度を作ったようなものだから、反対とは言えない状況にされているんです。
 介護保険について何年も前から自治労の人間を呼んで学習会をやりましたけど、許せないですよ。「今現に困っている人がいるのをどうするつもりなんだ」とか「税金なんか待っていたらそういう人がぶっ倒れちゃうんだ」と怒鳴って恫喝するんですよ。「税金でこれ以上福祉の方に回せるわけがない」と、そういうことを言ってました。
 自治労のほかの人間の場合は、ボランティアとか住民が起業して宅配のサービス、食事のサービスとかをやっているグループがあるのを意識して、その人たちが介護保険によって仕事が増える、ボランティアとか女性起業家の時代だという形でオルグをしているようでした。
 今までの福祉というのは本当に数パーセントの人が受けている制度で、しかもその数パーセントにものすごく手厚くお金を掛けているという宣伝が激しく展開されているんです。これからは中間層にシフトするんだみたいな考え方があって、誰もが福祉サービスを受けるんだから制度を変えなければ受けられないだろうって。
 確かに生活保護で言えば一パーセントとか、二パーセント、老人とか「障害者」を考えても比率で言えば数パーセントでしょう。けれどもこの制度にしたら今まで介護を受けていたそういう人たちを切るということですよ。
 自治労や連合は民主党と一緒にやっていく方針だから、介護保険反対なんてもってのほかという中で組合的にはかなり厳しいんです。だからこそ住民の側が介護保険反対をばんばん言って、それを無視できない形にしなければ組合としては反対とはならない。

 第3節 ■「知ったら大変」

 自治体の職員で介護保険をいいという人には、お目にかかったことがないですね。課長連中を含めて。課長が講師で研修をやったときも「この事実を区民の方が知ったら、やっぱりちょっと大変ですよね」と言っている。介護を受けられなくなる人が、誰さんと誰さんと誰さんという形でわかるんです。施設を追い出される人もわかるし、負担がうんと増える人もみんなわかっているんです。
 もう日本の国を変える以外に介護とか福祉というのは無理です。集めた税金を国がどう使うかということを大変革しなければならない。そのためには革命の問題にまで突き当たるから、民主党とか共産党はそれを言うのが怖いわけです。長谷川さんがこれをメーンに掲げると聞いたときは“やった”と思いました。
 介護保険が始まったとしても、介護労働者は労働組合を組織して労働条件を良くして、それで介護の質を高めようという運動をやりながら、介護を受ける側は、権利としての福祉ということをきちんと主張して、「申し訳ないことじゃないんだよ」ということで、いろんな立場が手を結んで、“福祉は権利だ”という言葉をきちんとみんなで守り通しましょう。
(おわり)

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週刊『前進』(1953号3面3)

 中四国でスパイ化工作を粉砕

 −原則的組織活動の偉大な勝利

 社長を協力者に仕立て接近

 金や食事与え競艇にも誘う

 警察・公調の卑劣な手口を暴く

 昨年秋から今年にかけて、中四国地方で公安警察・公安調査庁によるスパイ化工作を連続的に摘発・粉砕する重大な勝利をかちとったことを報告したい。
 これらのスパイ化工作は、昨年の新ガイドライン法制定と組織犯罪対策三法、団体規制法の制定をもって戦争体制構築に全力をあげる日帝権力による戦時型治安政策への転換・飛躍をかけた攻撃である。それは同時に、七月沖縄サミットにむけた「七・二一厳戒体制」下での破防法、団規法の革共同への適用を狙う攻撃である。
 破防法、団規法の「効果」は、結局は発動に先行した革命党の「ガラス張り化」=徹底した実態掌握なしにはあり得ない。そうでなければ破防法、団規法もしょせん「竹光」でしかないることを露呈せざるを得ないのだ。
 日帝権力は革共同への団体規制発動を本質的にも現実的にも狙っている。この間の中四国での連続的なスパイ化攻撃の根拠はここにある。このことを全党に激しく警鐘を乱打したい。
 われわれは、日帝権力のスパイ化工作を絶対に許さない。そして公安警察・公安調査庁の卑劣な手口を暴露し、全党の同志とすべての労働者人民が、スパイ化攻撃に階級的怒りを燃やして総反撃することを訴える。

 第1章 手口と反撃 権力の卑劣な工作を完全に粉砕

 スパイ化攻撃の具体例とその摘発・粉砕の闘いは以下のとおりである。

 第1節 社長と公調の男をその場で糾弾

 @建設労働者Aさん(70年以来の活動家)の例
 昨年十二月、現場へ長期出張の最中に、社長がAさんだけを夕食に誘って連れだし、旅館で見知らぬ男と同席を強要された。移動時からスパイ化工作だと直感したAさんはその場で、男と社長を追及し、名前・身分証明書の提示などを要求して徹底的な弾劾を叩きつけた。男はAさんの怒りの前に「言えません」と言った後はうつむいて沈黙するのみ。Aさんはさらにもう一人、この男に同行していた男の存在を摘発、この男も糾察した。二人は直後に宿泊をキャンセルして逃げ帰った。
 Aさんはすべての事実関係を党に報告すると同時に、調査をとおして公安調査庁のスパイ化工作の動かぬ証拠をつかんだ。
 これは、Aさんが仕事上の都合で集会にほとんど参加していなかった状況をつかんだ権力が、社長を協力者に仕立てれば何とか屈服を引き出せるのではないかと判断したケースである。

 第2節 退勤時狙い接近露骨に転向迫る

 A青年労働者Bさん(学生時代に活動歴)の例
 今年二月、Bさんが職場からの退勤時に「公安」と名乗って男が接触し、「学生時代にマークしていたが、就職して今は活動していないようなので、はっきり(Bさんの口から)確認すればマークをやめる」と屈服=転向を迫ってきた。
 Bさんは権力をかさにきたナメきった態度に怒りを爆発させ、「人権侵害だ。話すことはない。所属と名前を明らかにせよ」と三十分にわたって追及し、いたたまれなくなって逃げようとした男をさらに追跡した。
 男はBさんの気迫に圧倒され、「もう(Bさんに)つかないから」と言い残してタクシーで逃走した。

 第3節 タクシー客を装った工作を粉砕

 Bタクシー乗務員Cさんの例
 闘病のため集会などから離れて数年たった昨年秋に、Cさんは最近就職したタクシー会社で、見知らぬ男の指名迎車を受けた。男は指名迎車を使って「長距離の得意客」として半年にわたって接触を繰り返した。初めは女性と二人でいかにも呼び出し点のマンションに住んでいるように装って信用させ、その後「人と会うから」と温泉までCさんを連れ出して入浴させたり、「約束の人が来なかったので余った」と食事を食べさせ、「競艇で勝った」と理由をつけて多額のチップを渡すなどを繰り返した。
 パチンコ、競馬、競艇などについては冗舌だが、自分のことは一切話さない。さらに自分の携帯電話からは「ナンバー非通知」で連絡するなど一貫して用心深く自分を隠すつき合い方だった。
 Cさんは最初まったく無警戒だったが、今年になってプライベートで競艇に誘われた段階でスパイ化工作と気づき、党に報告した。
 ここでCさんとの真剣な討論が行われ、個人的対応ではなく、断固たる階級的組織的反撃の方針を確認した。そして再び指名迎車してきた男を徹底的に糾察・弾劾し、二度とスパイ活動を許さない闘いを貫徹した。
 このケースは、活動実態の観察から個人の生活パターンなどをつかみ、客を装った接触の方法から口実までを検討した典型的なスパイ化工作である。
 日帝権力は九九年の闘い、とくにヒロシマの闘いの前進に恐怖し、闘いの核心を支える革命党の破壊を狙ってきたのだ。しかし、敵の長期戦略を端緒において完全に粉砕した。

 第2章 勝利の教訓 階級的怒りの反撃で粉砕できる

 勝利の教訓は第一に、党の指導のもとで日帝権力によるスパイ化攻撃に絶対に勝利できるということである。わが党は権力のスパイ化工作を基本的に打ち破って勝利してきた。この勝利の地平ゆえに、権力のスパイ化工作はきわめて焦りに満ち、底の浅い冒険的なものにならざるを得ない。全党的なスパイ化攻撃への武装をさらに強力に推進することで必ず未然に摘発・粉砕できるのである。
 第二に、スパイ化工作者の百パーセントの不正義性・反階級性ゆえに、階級的な怒りの反撃で絶対に粉砕できることに不動の確信を持つことである。スパイ化工作はまったくの不正義であり本質的に脆弱(ぜいじゃく)である。そして階級的正義を掲げて闘うわれわれを、労働者人民は必ず支持し、大衆的政治的反撃にともに決起する。「公安警察・公安調査庁解体! 権力によるスパイ化工作粉砕!」こそすべての労働者人民の声である。
 第三に、全党員と、闘う人民のすべてがスパイ化攻撃の「対象者」なのであり、自分自身の周辺にスパイ化工作が迫ってきていることをリアルに認識しなければならない。権力にとって、「最新の情報」なしには実効性のある工作や弾圧などはそもそも不可能である。そして権力との対峙は二十四時間性であることを再確認する必要がある。権力は「政治の領域」では絶対に勝てないことを自覚しているからこそ「個人的領域」(二十四時間の全生活)を狙ってくるのだ。
 第四に、権力の最もオーソドックスな工作の手口として、党と疎遠になったり、活動をやめた(と権力が認定した)人を最大のターゲットとしてくることである。しかし外からの観察でつかめる事実には限界があり、権力としては最後には「直接の接触」に踏み込んでくる。ここで権力は危険を冒さざるをえず、先行的な闘い(恒常的な掌握・点検と指導)をとおして摘発し粉砕できるということである。

 第3章 何が核心か 党活動の3原則とケーススタディ

 革命党へのスパイ化攻撃との闘いでは、レーニン主義党組織原則が勝利の核心である。すなわち党活動の三原則(会議、機関紙、財政)の白熱的で生き生きとした貫徹と民主的中央集権制の問題である。労働者人民の階級的決起と深く党が結合していく中で、自己の思想、生活、闘争、活動のすべてにおいて組織との一体化をかちとり、党として自己を純化していくことがきわめて重要なのだ。この原則的な組織活動の中で、スパイ化攻撃はおのずから浮き上がってくる。
 その絶対的基礎の上に、組織対組織の本格的死闘戦への突入であることをはっきりさせ、この領域における独自の組織的指導を決定的に強化する必要がある。
 一つには、中央機関と細胞との報告・点検の活動を一層確固たる系統性ある闘いとすることである。
 二つには、ケーススタディーを決定的に重視することである。権力は、自らの不正義性ゆえに、対象者の弱みをつかむ、金銭で買収するなど一定の工作パターンで屈服させようとする以外に何の手段も方法もない。それゆえスパイ化工作をケーススタディーとして繰り返し武装し、組織的な点検と討議を行っていけば必ず摘発・粉砕できる。
 われわれは、個々のスパイ化工作の責任を絶対にあいまいにしない。とことん追及し、日帝公安警察・公安調査庁に対する全人民的怒りを強烈に叩きつける。
 日帝権力のスパイ化攻撃を打ち破り、党と労働者人民の共同の事業として、「連帯し、侵略を内乱へ」を実現できる非合法・非公然の党を建設しよう。

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週刊『前進』(1953号4面1)

 平行滑走路の建設粉砕せよ

 4月着工時緊急闘争へ

 天神峰・東峰2年間決戦アピール

 沖縄サミット決戦と一体で

  赤坂 潤

 第1章 千葉県収容委員会の「再建」を言い出した政府・自民党

 運輸省・空港公団は、建設中の暫定滑走路を本来の平行滑走路(三千三百〜三千七百bの軍用滑走路)計画に戻すために、多くの未買収地が残る天神峰・東峰地区での生活破壊道路(小見川県道トンネル化に伴う迂回道)の着工を四月中に強行しようとしている。迂回道は本来必要のない工事で、地権者への用地買収強要だけが目的の軒先工事だ。公団は「用地買収(農地強奪)の正念場」と位置づけている。反対同盟は三・二六の全国集会で「平行滑走路粉砕の二年間決戦」を宣言、軒先工事に対する全人民的な反撃を呼びかけている。着工阻止緊急現地闘争に総決起しよう。七月沖縄サミット粉砕決戦と
固く結合し、朝鮮侵略戦争の基地=成田空港の拡張を阻止しよう!        第1章 千葉県収用委員会の「再建」を言い出した政府・自民党

 第1節 再び凶暴性をむき出しに

 成田空港建設攻撃が、再び凶暴性をむき出しにしてきた。日帝権力はついに「収用委再建」による強制収用攻撃への舞い戻りを示唆し始めたのである。
 自民党政調会長の亀井静香(円卓会議終結時の運輸大臣)は三月二十四日「成田の平行滑走路を造るためには、千葉県収用委員会の再建が必要」と公言した。「一切の強権的手段を放棄する」との政府・運輸省の確約(シンポ・円卓会議)を投げ捨てる態度表明だ。三十四年間にわたって軍事空港の完成を阻み、安保ガイドライン攻撃と鋭く対決しつづける三里塚闘争に対する日帝権力の強いいらだちの表明である。
 背景にはいくつかの問題がある。第一に暫定滑走路の破産性だ。二千百八十bの短い滑走路では国際空港として使いものにならない事実が判明したこと。天神峰・東峰地区買収による三千三百b以上の本来計画でなければ、供用する意味がない。第二に軍事問題だ。新安保ガイドライン体制にとって、成田空港が米軍の戦略空輸基地として死活的な位置を占めている。第三に治安問題だ。三十四年間にわたる労働者人民・農民の反権力闘争の勝利は、新安保ガイドラインに基づく日帝の参戦体制=人民の戦時総動員体制づくりを根底から脅かしている。三里塚闘争の歴史的勝利という事実を、日帝権力は絶対に容認できない。こうした理由から、三里塚闘争破壊のための、いわば最後の決戦を仕掛けてきたのである。
 政府・運輸省は、暫定滑走路の完成期限を「日韓共同開催のサッカーW杯が行われる二〇〇二年六月」としている。取ってつけた理由だが、ガイドライン体制の実効性を確保する各種有事法制の制定攻撃にあわせた期限設定だ。五〇年朝鮮戦争以来の、第二次朝鮮侵略戦争の発動という歴史的大反動の切迫が、成田平行滑走路建設攻撃の最深の根拠なのである。

 第2節 2年間決戦が攻防の天王山

 三里塚決戦は、向こう二年間の天神峰・東峰の軒先工事をめぐる攻防が天王山である。運輸省・公団側の狙いは、あくまで天神峰・東峰地区地権者に屈服を強要し、暫定案を本来の平行滑走路(三千三百〜三千七百b)に戻すことである。成田発着の九五%を占める大型機が使えない暫定滑走路は問題外なのだ。暫定案が暫定案にとどまることは、平行滑走路建設の最後的破たん、ひいては七八年一期暫定開港以来の二期攻撃の全面破たんに等しい。
 わが革共同は、七月沖縄サミット粉砕決戦と固く結合し、反対同盟とともに、四月天神峰・東峰道路着工阻止闘争|平行滑走路粉砕の二年間決戦を断固としてやりぬく決意である。

 第2章 三里塚闘争の歴史的勝利へ転回点を開いた闘いの地平

 反対同盟はここ数年の攻防で、運輸省・公団、地元自治体・反動勢力の執ような攻撃をはねかえし、敷地内・市東孝雄さんの加入という新たな息吹を獲得し、一糸乱れぬ団結で反転攻勢を宣言、さる三・二六全国集会で勝利への確かな展望を明らかにした。
 この地平は、廃港|三里塚闘争の歴史的勝利への決定的な転回点である。三十四年間にわたる日帝の農民殺し・農地強奪攻撃と闘いぬき、血みどろの実力攻防のすえに、第一級の国策たる軍事空港建設を厳然と阻止しているのだ。このとてつもない現実が、自民党・亀井の「強制収用」発言を引き出すまでに権力を追いつめたのである。ここ数年の攻防の主要な総括点を押さえておこう。
 第一に、この一年間の凶暴な暫定滑走路建設攻撃に打ち勝ち、その本質的脆弱(ぜいじゃく)さを暴き出したことである。二千百八十bの暫定滑走路は、それ自体使い道がほとんどなく、本来計画(三千三百〜三千七百b)の用地買収を強要する手段でしかなかった。この敵の危機を反対同盟は見抜き、暴き出し、内外の闘争陣形を強固にうち立てることに成功した。
 暫定滑走路計画は、平行滑走路計画の挫折の結果、昨年五月に打ち出された文字どおりの暫定案だ。天神峰・東峰の敷地内農家の買収に失敗したため、その軒先まで滑走路を造り、暴力団の地上げよろしく地権者を屈服させる計画だった。あくまで狙いは本来計画への復帰だ。
 公団総裁・中村は「暫定案ができれば農家の頭上四十bをジェット機が飛ぶ」と脅し、農家に用地売却を迫った。地元反動派は運輸省の要請で「早期完成十万人署名」なるファシスト運動を組織、反対派農家を「非国民」とののしった。また成田市は農民切り崩しのために空港対策部の陣容を拡充、一部の脱落派分子と通じながら、デマゴギーを駆使した陰謀的切り崩し工作を展開した。
 これらの攻撃は、軒先工事着工(十二・三)という暴力を背景にしたもので、なま易しい攻撃ではなかった。しかし反対同盟は団結を固め、新たな攻撃に立ち向かった。敵の攻撃の脆弱さを的確に暴き、周辺への宣伝活動に力をいれ、成田市や地元反動を逆包囲する闘いを粘り強く積み重ねた。そして公団の卑劣な買収工作を完全に粉砕し、故・市東東市さん(天神峰部落)の闘いを長男・孝雄さんが引き継ぐ決意を表明、敷地内の一坪共有地の再確定運動も成功させ、平行滑走路建設に対する強力な反撃の拠点を確保することに成功した。
 昨年十二月三日の暫定滑走路着工(起工式)に際して、敵側の「戦果発表」は、十七年前に反対同盟から脱落した堀越昭平(東峰部落)一軒の移転だけだった。暫定滑走路着工をめぐる約一年間の熾烈な攻防の内実は、運輸省・公団側の惨敗だったのである。

 第1節 ガイドラインと不可分一体

 第二に、安保ガイドライン攻撃と成田平行滑走路建設攻撃との関連を明確にし、三里塚闘争と安保ガイドライン闘争、安保・沖縄闘争の合流の基礎を築くことに成功したことである。
 暫定滑走路の認可・着工にいたる最近の成田空港政策の際立った特徴のひとつは、安保ガイドライン攻撃との関係だ。成田二期工事(B、C滑走路)は、八六年着工当時に「九〇年二期工事概成」(第五次空整)を掲げて以来、一度も完成目標を明示できない状況が続いた。当時、十六年ぶりの収用裁決に動いた強制収用攻撃が、反対同盟と人民の厳しい弾劾と県収用委員会の解体(八八年九〜十月)で粉砕され、運輸省は完成期限を切った用地買収ができなくなった。
 その後、収用法に基づく事業認定の消滅も確定、二期攻撃は絶望的となるが、これが再び動き出した契機は、九六年四月の日米安保共同宣言と、それに続くガイドライン締結だった。米軍の成田空港使用が焦点となる中、運輸省は同年十二月に確定した第七次空整で「平行滑走路の二〇〇〇年度完成」目標を十年ぶりに閣議決定した。一方で米軍用地特措法の改悪(翌九七年四月強行採決)も強行、三里塚と沖縄政策の一体性も明確になった。
 攻撃はきわめて暴力的だった。公団は、敷地内の部落を機動隊に日常的に占拠させ、「強制収用の復活」を振りかざし地権者を締め上げた。
 運輸省と通じた一部マスコミには「闘争終結」と着工を促す反動的キャンペーン(朝日新聞)も張らせ、敷地内同盟の一角・加藤清を切り崩した(九七年十一月)。この過程で、脱落派や旧小川グループを含む敷地内農家の六軒が屈服し移転した。また三里塚現闘への四・二一反革命弾圧(九八年四・二一=五名逮捕・起訴)など、暴力性をむき出しにした攻撃が続いた。
 それでも反対同盟の団結と闘争陣形を崩せず、「二〇〇〇年度完成」目標自体が絶望的となったが、またしても安保政策が成田問題を動かした。九九年四月二十七日にガイドライン関連法が衆院で可決。運輸省はこれを受けて五月二十一日、窮余の策として暫定滑走路計画への変更を発表した。どんな形でも、成田の二本目の滑走路が必要だったのである。そして「農家の合意なしに着工しない」との確約(鈴木審議官=九八年十一月)をほごにし、軒先工事の年内見切り着工を一方的に通告、十二月三日に着工を強行した。
 平行滑走路の「二〇〇〇年度完成」攻撃から暫定滑走路にいたる一連の攻撃は、明確に安保ガイドライン政策を起点にしている。この点を明確にし、沖縄闘争との連帯、労働者人民との絶えざる共闘陣形の強化を勝ちとってきたことが、三里塚闘争の階級的実力を支えているのである。
 第三に、成田空港建設の危機が、日帝のアジア侵略政策にかかわる帝国主義的航空政策を断崖に追いつめたことである。このかんの羽田再国際化の動きは、成田空港建設の危機と表裏一体だ。
 日帝は現在、首都圏の深刻な空港容量不足に悲鳴を上げている。成田に続く首都圏第三空港建設が遅れに遅れているのだ。理由は、成田問題が治安政策にかかわる大政治問題に発展し、「第三」に触れること自体が長年タブーとなってきたことだ。これが日帝の航空運輸政策に、二十年以上の立ち遅れを強制してきた。二〇〇二年に日米の航空運輸全面自由化(オープンスカイ政策)を控え、成田問題はいまや、対米争闘戦における日帝の致命傷になりつつある。米帝による対日包囲政策のなかで、アジア各国の新巨大空港が次々と開港している現実も、日帝の航空政策の危機を極限化させている。
 このかん運輸省が、千葉県サイドの猛反発(利権要求)を無視して羽田空港の再国際化に踏み切ったのは、この危機からの絶望的脱出をかけた窮余の策なのである。
 航空運輸および航空・宇宙産業は、帝国主義国家の軍事力と世界支配にかかわる戦略分野だ。われわれは三里塚闘争が、日帝の軍事大国化と帝国主義的対外膨張政策の決定的な側面を突き崩している事実を確認できる。三里塚闘争は「闘うアジア人民と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱に転化せよ」の総路線を実現する闘いとして、今日なおも発展しているのである。
 自民党・亀井の強制収用発言は、こうした三里塚闘争の地平に対する反動的巻き返しの表明だ。二〇〇〇年を新たな出発点とする三里塚闘争は、改憲攻撃|侵略戦争への参戦という日帝の歴史的大反動のなかで、まぎれもなく階級決戦の一翼を担う戦場だ。

 第3章 成田を朝鮮・中国侵略戦争の巨大軍事基地にするな!

 安保ガイドライン攻撃と成田空港との一体性は前章でふれた。その根拠は、ガイドライン体制(米軍の戦時受け入れ体制と日帝の参戦)における成田空港の位置の巨大さである。
 九三年の北朝鮮NPT(核不拡散条約)「脱退」問題から九四年「米朝枠組み合意」過程で、米帝による朝鮮侵略戦争の挑発と危機が最高潮に達したとき、米帝が日帝に要求した受け入れ体制の中心が「民間機の運航停止を含む成田空港の全面使用」だった(米軍準機関紙『星条旗』)。湾岸戦争規模、すなわち五十万人以上といわれる第二次朝鮮侵略戦争の動員規模は、受け入れ基地となる巨大空港を絶対的に必要としている。米帝の海外侵略体制は、民間機による戦略空輸に決定的に支えられる構造になっているからだ。
 湾岸戦争では、全兵員の九九%が空輸で移動、うち七〇%以上が民間機による空輸だった。戦略空輸基地となったサウジのダーラン空港は、兵員受け入れと全兵站作戦(後方支援)の起点となった。ベトナム戦争当時のタンソンニュット空港(旧サイゴン)、最近ではユーゴスラビア空爆時のドイツ・フランクフルト空港などが戦略空輸基地としてフル稼働したが、米帝の海外侵略における大空港の役割は飛び抜けて大きい。
 成田空港が戦略空輸基地に指定される理由は、米帝の戦略輸送機の離発着に耐えられる四千b滑走路があること、巨大な人員・物資の処理能力、アメリカの民間機発着枠があらかじめ膨大、などである。この成田空港の機能を動員しなければ、首都圏に集中する米軍(米日帝)の戦争指導中枢の各種機能が働かないのだ。湾岸戦争規模の地上軍を動員するには、戦略空輸基地(APOD)の機能が決定的に不足している。
 在日米軍の戦争指導中枢は、横田基地(東京)と座間基地(神奈川)、横須賀基地(同)である。横田は在日米軍四万七千人を管理する文字どおりの指揮中枢で、日本に駐留する陸、海、空軍と海兵隊の全軍を統括、調整している。在日空軍(第五空軍)の司令部も横田だ。さらに横田自身が四千b級滑走路一本をもつ空輸基地で、アジアと極東全域の軍事空輸のハブ(拠点)として日常的に機能している。
 座間は陸軍の司令部で、米軍第一軍団司令部(平時は分遣隊のみ)と、軍団レベル(有事の部隊編制で七万〜十五万人)の後方支援司令部の上部組織が置かれている。米帝の朝鮮侵略戦争の作戦計画「5027」は、五十万人規模の地上軍を投入する作戦で、この座間の司令部が決定的な役割を担うが、座間基地自体に滑走路など部隊受け入れ施設はない。横田基地だけではとうてい対応できない。首都圏の大規模空港の使用とその連携が絶対不可欠なのである。つまり成田空港以外にないのだ。
 また朝鮮侵略戦争が湾岸戦争規模(五十万人動員規模)となる時は、第一軍団の他に全軍が重師団編成の第三軍団(米本土テキサス州)も動員される予定だ。同軍団は日本に臨時司令部と後方支援司令部を設置することになる。湾岸戦争ではこれが戦略空輸基地のダーラン空港に設置された。日本では間違いなく成田空港である。運輸省はすでに、有事には成田空港の管理権を米軍に譲る方針まで決めている(昨年三月二十二日付朝日)。
 成田空港は朝鮮侵略戦争のまぎれもない戦略空輸基地なのである。
 二〇〇〇年決戦は、朝鮮侵略戦争への日帝の参戦という歴史的大反動に対する労働者階級人民の階級的総反撃の開始である。侵略戦争への人民の総動員攻撃を真っ向からはねかえす革命的資質を培ってきた三里塚闘争の勝利を、沖縄サミット決戦の爆発と一体のものとして切り開こう。東峰道路着工阻止現地緊急闘争に総決起しよう。

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週刊『前進』(1953号4面2)

 「もんじゅ」訴訟判決を弾劾する

 高速増殖炉の再稼働狙い日帝核武装に道開く攻撃

 全国被爆者青年同盟

 三月二十二日、福井地裁(岩田嘉彦裁判長)は、国と核燃料サイクル開発機構(旧動然)に高速増殖原型炉「もんじゅ」の原子炉設置許可処分の無効確認と運転差し止めを求めた地元住民の訴えを、「審査に不合理な点はなく、ナトリウム事故も合理性を左右しない」「運転しても身体生命を侵害する具体的な危険性は認められない」として、いずれも退ける全面棄却判決を下した。この不当判決を弾劾する声明が全国被爆者青年同盟から寄せられた。(編集局)

 第1章 国側の主張に沿う不当判決

 被爆者・被爆二世は、福井地裁での今回のもんじゅ訴訟不当判決を心からの怒りをもって徹底弾劾する。
 弾劾すべき点は第一に、「もんじゅ」について「将来の電力供給源開発という有益性を有することは明らか」との判断を積極的に示したということだ。その上で「この程度の有用性があれば、社会的にその影響を無視することができる程度の危険性を正当化するには十分」と、事実上運転再開を容認するものとなっている点である。
 高速増殖炉は「将来の電力供給源」か? 断じて否だ。実証炉は白紙状態である。「資源を有効利用するため」とか「将来のエネルギー源確保」などはペテンである。
 まして「有益性」あれば「危険性を正当化できる」とは何事か! 核の世界において「(危険性を)社会通念上容認できる水準」だとか「社会的にその影響を無視できる程度」などの基準はない。人類と核とは共存できない。「もんじゅ」は廃炉あるのみなのだ。
 第二に、耐震性について判決は、敦賀半島での複数の活断層が同時に動く可能性について、「耐震設計審査の指針の合理性を否定するものではない」と退けた。原子力安全委員会が八一年に決めた審査指針そのものが不十分だ。とりわけ阪神大震災以降見直しが求められていることを承知の上でそれを無視したのである。
 第三に、「日本では絶対起こらない」と断言してきたナトリウム火災事故が現実に起こった(九五年十二月)にもかかわらず、どうして国の「安全審査は妥当」(判決)だったなどと言えるのか! 科学技術庁・通産省と原子力安全委員会の安全審査に問題があったからこそ実際に事故が起こったのではないのか!
 核燃機構の再現実験で、@溶解塩型腐食によって床ライナ(床張り)の鋼材に穴が開くことと、A解析床ライナ温度は設計温度を上回ることが知見された。建設前の審査では想定されていなかった危険な状態が生じたのだ。
 「もんじゅ」のこんな審査さえ判決は、「ライナの(厚さなど)具体的健全性は安全審査の対象ではない(つまり原子炉安全確認作業の対象は基本的設計部分だけということ)」(佐藤原子力安全委員長証言)に依拠して、「(事故原因となった温度計の設計は対象外で事業者任せだから)安全審査に不合理な点はない」と決めつけている。
 第四に、「ナトリウム漏洩(ろうえい)事故の際も炉心の冷却能力は保たれ、放射性物質による環境への影響もなかった」、つまり大惨事に至らなかったから「(運転しても)生命、身体が侵害される具体的な危険があるとは認められない」、事故防止対策が今後予定されているので「(施設の)安全性を確保し得るものと推認できる」と強弁して、差し止めの請求をも棄却し、原告住民らの原子炉の危険性への不安を一蹴した点である。
 実際に、ライナ床下のコンクリートとナトリウムが接触する大事故寸前だったのだ。それこそ重大事故が起きてから「審査に問題あり」では、あまりにも遅すぎることは東海村臨界事故(九九年九月)が証明したことなのだ。しかし、これをも完全に無視した。

 第2章 核武装への道決断した日帝

 なぜ、国側の意に沿った「不合理」を「合理」といいくるめるような不当判決が打ち出されたのか。
 政府・核燃機構は、ナトリウム火災事故、東海村再処理工場での火災・爆発事故(九七年三月)、臨界事故で被曝したJCO労働者が死亡し、今も多くの人びとが放射線傷害で苦しめられているにもかかわらず、あくまで「もんじゅ」再稼働を狙っているのか?
 これらの事故は、すべて高速増殖炉を要とする「核燃料サイクル」体系すなわち核武装のための自前のプルトニウム路線の中で起こった事故なのである。
 ソ連崩壊後の現代世界は帝国主義の基本矛盾の爆発、帝国主義間の争闘戦、世界再分割戦を軸として、全面的にその矛盾を爆発させつつある。米帝のアジアにおける再分割戦は、中国を軸とする残存スターリン主義に対する全力あげた制圧戦略(転覆を本質とする)と、その下での当面する市場的取り込みの戦略として展開されている。日帝の生命線=アジア勢力圏化絶対阻止の構えだ。
 米帝の核優位独占体制、米上院のCTBT批准否決(九九年十月)に見られる核軍事力を武器としたこの再分割戦に対し、日帝は、それがどんなに技術的に危険で、経済的に割高になろうとも、「もんじゅ」再稼働−RETF(東海村)で自前の核兵器級プルトニウムの生産をもって自立した核武装国家として対米対抗的にアジア勢力圏化に乗り出すことを決断したのだ。
 日帝・小渕政権は「日本も核武装を国会で検討せなアカン」と発言した西村前防衛政務次官を更迭した。だが、今まで〈非核三原則が国是〉〈核の平和利用〉から、〈選択肢として核保有能力は保持する〉〈防衛のための核保有も使用も合憲〉に至るまで、ごまかしながら追求してきた独自の核武装の道を突き進むことを日帝は決断しているのである。
 「『安全神話』からの脱却」と言い、一方で「事故は起こっても仕方がない。だが、エネルギー政策は国策だ。犠牲は受忍せよ」と主張し、他方で有事体制構築に向けた首相権限強化の下、あくまで原子力政策(=プルトニウム路線)を推進し始めたのだ。
 今回の判決は、日帝のこの「初めにもんじゅ再稼働ありき」の政策、すなわち日帝独自の核武装の道にお墨付きを与えたのだ。

 第3章 「もんじゅ」の廃炉へ闘おう

 福井地裁判決は今年末原子力委員会が改訂する「原子力の研究、開発及び利用に関する長期計画」の中で高速増殖炉に意義を与えることに根拠を提供し、司法の名で「もんじゅ」早期運転開始に弾みをつけた。
 福井県敦賀市現地住民はこの不当判決に対し、「生きとし生ける者の命をもてあそぶ『もんじゅ』を(判決が)認めても、文殊菩薩はお許しにならない」(小木曽美和子原告団事務局長)、「放射能を出す危険なものを子孫に残してはならん。…もう一度、最高裁まで闘いぬくつもりだ」(九十歳の磯辺甚三原告団長)と、政府・電力資本への怒りを燃え上がらせ、次世代へ禍根を残さないためにと立ち上がっている。「被爆者をもう出すな。苦しむのはワシらだけで十分」と訴え続けた原告団の一人、被爆者の時岡孝史さんは五年前に亡くなった。
 今日、敦賀では学童達が集団避難訓練を強制されている。また自衛隊の原発警備の名による治安出動、核戦争部隊化が目論まれている。こんなことが許されてよいのか!
 今こそ、被爆地ヒロシマ・ナガサキから敦賀現地住民との連帯かけて、「日帝の核武装阻止! もんじゅを廃炉へ!」を掲げ、日帝の敦賀・東海・六ケ所などの核燃サイクル体系の粉砕に立ち上がろう! これこそヒロシマ・ナガサキをくり返させぬ道なのだ。

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週刊『前進』(1953号5面1)

 プーチン登場の意味 ロシアの大統領選

 資本主義化の危機的推進で帝国主義的大国の復活策す

 チェチェン侵略と強権をテコに

 三月二十六日に行われたロシア大統領選挙でプーチン大統領代行兼首相が勝利した。プーチンは、旧KGB出身でチェチェン侵略戦争を強行することによって大統領に登り詰めた権威主義者だ。プーチンは「法の独裁」「秩序の回復」を強調し、政府権限と治安の強化で「市場経済」を機能させ、「強い国家」「超中央集権国家」としてのロシアを建設すると叫んでいる。このプーチンの登場の意味するものは何か。

 第1章 「法の独裁」や「秩序の回復」が統治の手段

 プーチンはエリツィンの路線を踏襲し、引き続き資本主義化政策を推し進め、ロシアを帝国主義的大国として復活させ、帝国主義世界体制に組み込むことを自己の使命としている。
 プーチンは、ロシアの統治の方法、資本主義化の実現の方法として「法の独裁」「秩序の回復」とそのための国家機構=治安機関の強化を主張している。エリツィン体制下でまんえんした犯罪、腐敗、汚職、脱税を一掃し、法と秩序を取り戻し、投資環境を整備し、資本の経済活動を保護しようという意図だ。
 エリツィン体制下での資本主義化政策は、権力と結び付いた旧スターリニスト官僚や新興財閥、マフィアが生産手段=国有財産を分捕り、私的に蓄財あるいは浪費するだけのものに終始した。石油・原料を輸出して消費財を輸入する経済構造が固まった。資金は国外逃避するか金融投機に向けられ、国内産業への投資は減少し続けた。ロシアの産業は衰退し、GDP(国内総生産)は十年で半分以下に縮小した。外国からの直接投資は累積で百十五億j、中国の四分の一だ。
 昨年は、ルーブルの切り下げ効果と石油価格の高騰で一定の回復を示したが、経済の基本構造は変わらない。失業者は増大し、平均賃金は月約千五百七十五ルーブル(約六十j)にすぎず、実質賃金は二四%下がった。
 賃金、年金の長期遅配は相変わらずだ。医療サービスは低下し、人口は毎年百万人ずつ減少している。
 旧ソ連を引き継ぐ核大国、国連常任理事国のロシアは、かつてのような国力はないとはいえ、国際政治の場ではG8(主要八カ国)の一員として帝国主義的に振る舞ってきた。しかし経済的にはロシアは資本主義化の途上にあり、千五百億jもの累積対外債務を抱え、IMFの指導下にある後進国でしかない。サミットの経済協議はロシアを除いたG7によって行われている。いまや資本主義化政策の大破産によって、ロシアは「大国」「強国」どころか、逆に帝国主義の従属国に転落しかねない危機にさらされている。
 毎年二百億j前後に達する逃避資金を国内に還流させなければ、産業への投資を増大させることは難しい。IMFの融資再開、財政改善のためにはチェチェン侵略戦争を終結させ、軍事費を抑制しなければならない。人民の三分の一が最低生活費以下の収入しかないという恐るべき貧困の問題も深刻だ。
 プーチン体制の弱点は、体制がチェチェン侵略戦争の「勝利」、国際石油価格の高騰という不確実なものに依拠していることだ。

 第2章 プーチン体制の弱点はチェチェン侵略だ

 チェチェン軍事作戦でのロシアの「勝利」はなんら確定していない。二月六日のプーチンによる首都グロズヌイ制圧宣言以降も激戦は続いている。戦闘は、南部山岳地帯のみならず、チェチェン軍が撤退したはずの首都でも展開されている。チェチェン侵略戦争はなんら決着しておらず、ますます長期化・泥沼化の様相を見せている。
 ロシア軍の死者は、二月六日以降、三月末までで七百人を超え、昨年九月から三月末まででは二千四百人にのぼる。このペースは、一九九四年十二月から九六年八月までの第一次チェチェン侵略戦争時を上回る。
 戦争の長期化によるロシア軍兵士の犠牲の増大は、厭戦(えんせん)気分を促進し、反戦闘争の契機となる。戦費も増大し、国家財政を圧迫している。すでに戦争にかかった費用は二億jといわれるが、実際にはそれをはるかに上回る。
 しかも、ロシア連邦政府は今後、チェチェンに二万五千人もの軍隊を駐留させ、そのもとで十年間で六十億jもの巨額の費用のかかる「戦後復興」を行うことになっている。ロシア単独ではこのような財政負担には耐えられない。国際金融機関や帝国主義諸国の対ロシア融資が必要となる。
 しかし、ロシア軍の非人道的行為、残虐行為が問題となっている現状ではIMFの融資の凍結解除は難しい。逆に欧米帝国主義による対ロ経済制裁が実施される可能性が高まっている。
 ロシア軍は、前回の戦争時と同様に、数千人のチェチェン人民、非戦闘員をチェチェンのあちこちの強制収容所に連行して閉じ込め、拷問・虐待を行っている。スターリン時代の強制収容所政策と同じである。ロシア軍による非戦闘員に対する集団虐殺や女性に対する暴行も頻繁だ。だからロシアは、チェチェンに来た国際機関に収容所を視察させないようにしている。
 首都グロズヌイを始め完全に廃虚となった地区、村は多数ある。二十万人以上の避難民の食料、医療もまったくおざなりだ。
 ロシア政府は、チェチェン共和国にチェチェン人民に支持される親ロシア政権が成立することを願望しているが、絶対的に不可能だ。ロシアによるチェチェン支配は成り立たない。
 チェチェン人民のロシアに対する民族的反感、独立の意思は、最近の二度にわたるロシアの侵略戦争によってますます強まっている。チェチェンの民族解放闘争、民族解放戦争はロシア軍を再びたたき出すまで永続的に闘われるだろう。チェチェン情勢はプーチン体制の死命を制する。

 第3章 拡大NATOへの対抗と協調使い分け

 プーチンの軍事外交政策もエリツィンの路線を引き継ぐ大ロシア主義的・帝国主義的なものだ。
 ソ連崩壊後のロシアの外交路線は、対欧米協調外交から多極化外交へと転換してきた。ロシアは拡大NATOに軍事的に対抗し、中ロの戦略的関係を強め、帝国主義間争闘戦に加わり、軍事的に激化させ、世界危機に拍車をかけてきた。
 プーチンは、基本的に多極化外交を継承しつつも、NATOとの激突を避け、欧米帝国主義からの経済援助を引き出すために、関係修復を試みている。
 ロシアとNATOの亀裂は、NATOのユーゴスラビア空爆に加え、ロシアのチェチェン侵略戦争で決定的に広がった。
 NATOの東方拡大と新戦略概念、国連安保理決議なしのNATOのユーゴスラビア空爆にロシアは反発し、NATOへの対抗性をあらわにし、一月に新安全保障概念、二月に新軍事ドクトリンを発表した。「通常兵器で対処できないときは核を使用する」「自国だけでなく同盟国への侵略に対しても核を使用する」とうたい、通常兵力の再強化の上に数千発の戦略核の維持と戦術核の増強で対抗しようとしている。
 チェチェン問題では、基本的に欧米の非難をはねつけつつ、国際機関の視察を受け入れてかわそうとしてきた。これに対して欧米は繰り返し対ロ経済制裁を提案し、圧力を加えている。
 コソボ問題では、ロシアは三月二十三日、コソボの国連警察隊への要員派遣を拒否することを明らかにした。コソボではセルビア人へのアルバニア人の襲撃、虐殺が絶えず、両者の対立が再燃している。ロシア外務省は「NATOはコソボに安定をもたらすことに失敗した」と断罪し、「コソボが二つに分割される事態を招くなら、ロシアはKFOR(コソボ平和維持軍)から引き揚げる」と宣言した。コソボ問題でのロシアとNATOとの矛盾・対立は解消していない。
 さらにロシアは三月二十四日、「新外交概念」を発表し、独立国家共同体(CIS)十二カ国の結束強化、バルト三国を含めた旧ソ連諸国でのロシアの経済的利権の擁護、在外ロシア人の保護強化を唱えた。ロシアは石油・ガス供給の操作によって圧力をかけるなどして、ウクライナ、モルドバ、アゼルバイジャン、グルジアなどのNATOへの接近を阻止し、NATOとの直接対峙を回避しようと躍起になっている。
 プーチンは経済協力を引き出すために欧米帝国主義諸国との関係修復も試みている。三月五日、英ロ首脳会談を前にしてプーチンは「ロシアのNATO加盟の可能性」にさえ言及した。三月十六日にはロシアとNATOの常設合同評議会が一年ぶりに再開された。
 プーチンは、エリツィン以上に国家主義的・権威主義的・大ロシア主義的だが、NATO―帝国主義との対抗と協調を使い分け、したたかにロシアの利益を追求している。しかし、こうしたプーチンの政策はロシア内外における危機と矛盾を激化させる。ロシア・プーチンの大ロシア主義的・帝国主義的軍事外交政策を許してはならない。
 ロシア―旧ソ連諸国の危機の解決、労働者階級、被抑圧諸民族の解放は、資本主義化や帝国主義的ロシアの復活によってではなく、反スターリン主義・第二革命、世界革命による以外に不可能だ。強権に頼るだけのプーチン体制は前体制以上に危機的である。
 闘うチェチェン人民と連帯し、チェチェン侵略戦争を内乱に転化することが勝利の道だ。ロシア・プロレタリアート、チェチェン人民の決起に連帯し、プーチンを支持する日本帝国主義を打倒しよう。
 〔藤沢明彦〕

 ■ソ連崩壊とその後のロシア■
1991年8月 ソ連共産党保守派官僚クーデター失敗。ソ連共産党解散
   12月 ロシア、ウクライナ、ベラルーシ3国首脳がソ連邦を解体。独立国家共同体(CIS)を創設
1992年1月 価格自由化を断行
   12月 チェルノムイルジン首相就任
1993年10月 エリツィン大統領が反対派のこもる最高会議ビルを武力制圧
   12月 下院選で共産党と自民党が躍進。国民投票で新憲法採択
1994年12月 ロシア軍がチェチェン侵攻
1995年12月 下院選で共産党大躍進
1996年7月 大統領選でエリツィン当選
   8月 チェチェン停戦合意
1998年4月 キリエンコ首相就任
   8月 金融危機
   9月 プリマコフ首相就任
1999年5月 ステパシン首相就任
   8月 プーチン首相就任
   9月 ロシア軍がチェチェンの首都を空爆。
   12月 下院選で「統一」躍進。エリツィンが大統領辞任。プーチンが大統領代行に
2000年3月 大統領選でプーチン当選

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週刊『前進』(1953号5面2)

 『前進』を今こそ人民の中へ

 機関紙拡大闘争の飛躍で党勢2倍化を実現しよう

 前進経営局からのアピール

 党勢二倍化は、二〇〇〇年決戦の勝利のためにも、革命党の歴史的使命を達成するためにも、なんとしても達成しなければならない課題である。二〇〇〇年決戦をそこで総括する、そういう位置をもっている。機関紙活動の大飛躍によって党勢二倍化を達成する、このことをはっきりさせて、全力で闘おう。

 第1章 機関紙は党勢拡大進める最良の武器

 二〇〇〇年決戦の勝利を切り開くために、革命の立場と党派性を鮮明にして、党の蜂起的決起と担い手作り(党建設)を一体的に進めなければならない。
 党派性は闘いを狭めるものだろうか。そうではない。党派性を鮮明にして闘いの全構造と勝利の展望を明らかにしてこそ、大衆決起が切り開かれる。歴史的決戦期の闘いほどそうである。本当に階級の運命を左右する決戦であることが認識されたら、決戦の担い手は決戦の中から必ず生みだされるものである。
 今や、スターリン主義の裏切りによって延命しすぎた帝国主義を打倒すべき、社会主義革命の前夜である。戦争か革命か、ファシズムかプロレタリア革命か||このことが死活的に問われる情勢である。この時代認識を、全人民のものにしなければならない。プロレタリア世界革命の時代の到来への圧倒的確信をもち、プロタリアートこそが時代を担うという革命的時代精神をもって闘おう。
 この精神こそ、最も党派的な主張である。これこそが最もプロレタリアートの魂をつかみ、闘いの意欲を引きだし、勝利の確信を与えるものである。
 帝国主義の巨大な反動を前に、日共、カクマルを始めすべての勢力が、闘いの旗、現状変革の旗を降ろし、帝国主義の反革命先兵と化してしまった。一見、われわれは孤立しているかに見える。しかしわれわれは闘いの旗を守った唯一の党として、全世界の労働者人民と結合する条件を握り締めているのだ。
 そして、これほどまでに帝国主義の危機と腐敗が進み、リストラ・大失業、賃下げ、福祉切り捨て攻撃が進む中で、怒りと危機意識が民衆をとらえている。いやが応でも政治に関心をもち、巨大な規模で政治行動に立ち上がり始める、そうした情勢が到来している。
 最近、大学構内で前進社を知った若い女性から、購読の申し込みが来たので紹介したい。
 前略
 『前進』を三カ月間購読したいのですが、手続きを教えて下さい。尚、こちらの住所は大学構内で知りました。私は、特にどこかの政治団体や市民団体などに所属しているわけではありませんが、政治的な事に今まであまりに無知でしたので、今後、様々な新聞、書物を読み学びたいと思い、購読を申し込みました。(金銭的に余裕のない生活をしていますので、三カ月間のみの購読としたいのですが、可能でしょうか)  草々
 この手紙には大きな時代の動きを感じさせるものがある。同じ気持ちの人が大衆の中に大勢いるはずだ。この女性はたまたま前進社の住所を知ることができたが、多くの民衆は『前進』と中核派の主張や連絡方法を知ることができないでいる。ファシストと革命的共産主義が、政治的に活性化した大衆の獲得を機関紙をめぐって競いあう、そういう時代が始まったのだ。
 今とはどういう時代なのか。この時代に労働者人民はいかに生き、いかに闘うべきなのか||この労働者人民にとって最も根本的で最も切実な問いに対して、真正面から回答しているのは『前進』だけである。
 党の蜂起的決起と党勢の拡大を一体で進める武器は『前進』である。『前進』を読み、『前進』で自ら武装し、『前進』で大衆を組織しよう。『前進』を民衆の中に持ち込もう。

 第2章 機関紙活動を貫く思想・体制・計画性

(1)九九年前期の前進と後期の停滞
 ここで、この間の機関紙活動について、あえて厳しい総括をしておきたい。
 まず、九九年の機関紙活動の全体をとおして言えることは、前期は大衆闘争の高揚と結びついて全組織的に機関紙の拡大がかつてなく進んだが、後期は増加はしたものの、明らかに伸び悩んだということである。
 直接には、十一月からさらに増える可能性を結実できなかった。拡大の条件が悪かったのではなく、組織活動の主体的側面に原因がある。衆院選決戦や沖縄・名護決戦、国鉄決戦その他の重層的決戦の中で、機関紙活動をどう貫いたのかということである。全党が決戦につぐ決戦の中でも懸命に機関紙活動に取り組んだがゆえに、大きな前進がもたらされたが、本当により大きな可能性を結実させ、われわれが組織建設の面でも勝者になるために、あえて克服すべき問題をえぐり出していきたい。
 問題の核心は、機関紙活動を基軸に貫く考え方と体制をもった組織はこの試練を突き抜けて拡大を達成し、その考えと体制のない組織は拡大できなかったということである。
 もちろん後者も、単純な後退ではない。われわれが本物の党へと飛躍しようと挑戦して直面した新たな試練である。ここで決定的なことは、機関紙活動を不屈に貫く考え方があるかないかである。機関紙活動が、決戦期に停滞するような状態を何としても突破しなければ、われわれは飛躍することができない。
(2)どこで前進し、どこで突き当たっているか
 九九年後期機関紙活動について、ある地方委員会からは、全戦線にわたる前進が報告されている。
 「今期は、国鉄、全逓、教労、自治労など明らかに労働戦線でやってきたフラク活動の成果が実を結び始めたと言える。戦線もくまなく伸ばした。運動的、組織的展望を示している」
 このように党建設プランと機関紙拡大計画をもって不屈に実践した組織では、例外なく拡大し次の展望を見いだしているが、計画がない組織や計画を貫くことができなかった組織では、拡大できなかったか、個人的頑張りに終わっている。
 計画性について、学生戦線のある組織は次のように報告している。
 「九九年度の機関紙拡大闘争のささやかな前進(この支部の今期拡大は一六%)は、支部の組織活動として議論し一致し、実践した結果である。リストアップや担当者の決定などの基本的闘いはもとより、実践し総括するサイクルを支部の闘いとして確立していったことである。実践した結果、成果が出ていることによって、党員の機関紙拡大への意欲が生まれており、それがさらに良い結果を生むサイクルとなつている」
 他方、ある地区組織は次のように報告している。
 「拡大は一部に終わってしまった。組織拡大に長期方針がないので、機関紙活動も行き当たりばったりになってしまう。地区党建設の長期方針をまず立てる。党員全員が一つの方向へ力を合わせて進んでいくことができて、初めて機関紙活動の重要性が自覚されると思う。限られた党員の頑張りに期待するのではなく、誰もが自分の機関紙活動をできるようにしていく」
 両組織とも機関紙拡大闘争に取り組みながら、その内容において大きな差が生まれている。ここには、計画性がいかに組織に集中力と活力を与えているか、他方で計画性がないと、組織の力が分散され、個人的頑張りに終わってしまうかが示されている。
(3)機関紙拡大をどう計画するか
 機関紙拡大闘争とそれを環とする党勢拡大闘争は、大衆闘争を全力で闘えば自然に実現できるというものではない。それは独自に、意識的・計画的に進められなければならない。
 もちろん計画は単なる机上の計画であってはならない。党建設プランにもとづく機関紙拡大計画でなければならず、それは組織討議をふまえて、全体の一致した意志にならなければならない。そしてそれは党員一人ひとりの任務にまで具体化され、その実践が組織会議で点検され、討議され、再形成されなければならない。こうした活動が、組織活動の中心に据えられた時、組織の力が爆発的に発揮されるだろう。本来、組織活動とはそういうものではないかと思う。
 組織建設の計画は、革命に向かってどのように党を建設するのかを根本にすえて、中・長期計画と当面の計画が立てられる。これこそが組織の実践の基準になるものである。党勢二倍化方針は、全党にそのことを明示に求めるものである。
 具体的な課題は何か。
 第一に古典の学習会の組織化、第二に『前進』フラクの組織化、第三にそれと結合した機関紙拡大闘争の推進である。
 この闘いを促進し援助するために、担当者会議を行い、機関紙活動についての考え方を確立し、経験交流と相互批判を行うことは、非常に大きな力となる。ある地方委員会の担当者会議の開催は画期的であり、その有効性を実証した。
 この闘いを激闘の中でやりぬくこと、多くの任務を兼任している中でやりぬくことが、実践においては最も困難なことである。その場合、直接機関紙活動をしているか否かにかかわらず、機関紙拡大計画を常に意識していること、そうした観点ですべての活動を実践することが大切である。
 組織建設プランは、われわれの日常の激しい実践を、究極目標につなげる道筋である。これこそがわれわれに夢と意欲と粘り強さをもたらすものではないだろうか。最も多忙な実践をしている組織の責任者が、常に機関紙拡大闘争を牽引しているのは、この志の高さにこそあると思う。

 第3章 激動期こそ機関紙を党活動の基軸に

(1)全紙面を読もう
 機関紙を組織活動の中心におくことは、機関紙を読むことから始まる。すべての党員が真っ先に『前進』の全紙面を基本的に読み切ることである。機関紙を学習する中で、この機関紙を何としても広めたいという意欲がわいてくる。このことを実践することができたら、機関紙活動で今日突き当たっている問題はほとんど解決すると言っていいほどである。
 今期に一六%増の画期的な拡大を実現したある拠点のマル学同支部から、次のような報告がよせられている。
 「新年号販売でいえば、支部が新年号で一致し、空気が入っていることが重要であった。党員自身が『これを拡大したい』『多くの人に読んでもらいたい』となったことである。われわれが販売し拡大すべきである機関紙について、党員が心の底から拡大したい、革命に向かってこの機関紙が絶対に必要なのだと確信することが絶対に必要である。そのための細胞会議での機関紙をめぐる議論と一致、党の基本路線での繰り返しの一致を不断にかちとることが重要である」
 この活動に全組織が学び、実践しよう。そのためには、機関紙を読む時間を、自らと組織に強制することから始めよう。
(2)投稿を組織しよう
 紙面改革は、@革命的共産主義の政治の内容による宣伝・扇動の強化、A「通信」と「投稿」の充実、Bマルクス主義、共産主義、反スターリン主義・革命的共産主義の提起の充実に向けて、全力で進められている。機関紙拡大闘争と紙面改革は、車の両輪であり、大いに進めていかなければならない。
 特に「投稿」や「通信」は機関紙の不可欠の構成要素である。『前進』を共産主義の新聞であると同時に労働者の新聞としてより生き生きとしたものにするために、「投稿」や「通信」を編集局に寄せられるよう心からお願いしたい。
 二〇〇〇年を機関紙拡大元年に! 真の革命党建設に向かって突き進もう!

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週刊『前進』(1953号5面3)

 2000年日誌

 阻もう! 戦争への動き

 3月29日〜4月4日

 一坪反戦地主の排除を決議

 小渕ダウンで内閣が総辞職

●陸自違法射撃は「ストリップショー」の見返り 現職幹部自衛官らによる違法射撃事件で、民間人三人による自衛隊の小銃試射は、約三カ月前に陸自第一空挺団(千葉県船橋市)習志野駐屯地で開かれた「ストリップショー」を手配してくれた友人らに、幹部自衛官が「見返り」の意味で試射させた可能性が強いことが明らかに。(29日)
●「移設問題とサミット議題は別」と岸本 海外マスコミの記者団に対し、岸本名護市長が米軍普天間飛行場の移設問題とサミットのとの関係について関連を否定した。(29日)
●「交戦規則」策定を開始
 防衛庁が「運用上の重要問題に関する検討会」の初会合を開き、自衛隊の武器使用基準などを定める交戦規則(ROE)の策定に着手した。さらに@領土、領海での平時からの警備任務である領域警備A原発など重要施設の警備B陸海空各自衛隊の統合運用C装備のハイテク化に伴う指揮通信機能の強化についても、具体的な対処方針を取りまとめることを確認。(30日)
●県機関からの一坪反戦地主排除決議 沖縄県議会は二月定例会最終本会議で、「沖縄県政を糾(ただ)す有識者の会・国旗国歌推進沖縄県民会議」が提出していた「県の外郭団体など、あらゆる県の機関から『一坪反戦地主など』を役員から排除するよう求める陳情」を自民など与党の賛成多数(賛成二十六、反対二十一)で採択した。一坪反戦地主会を始めとして「『新しい戦前』が沖縄からつくられようとしている」「時代逆行」と強い怒りの声があがり、抗議行動が連日続いている。(30日)
●キャンプハンセン演習場で火災 金武町金武の米軍キャンプハンセン演習場内で米軍の実弾射撃演習が原因の火災が発生、約二十七時間にわたって燃え続け、百五万平方bが焼失した。同演習場内では復帰後六番目に大きな火事。(30日)
●使用10年後に検討 アーミテージ元国防次官補が普天間飛行場の移設施設の十五年使用期限問題で、使用開始から十年後に協議機関を持ち、将来の使用継続を決めるとの構想を明らかにした。アーミテージは十五年後を「目標時点」とし、その五年前の協議で@国際安全保障環境A米軍の要求B自衛隊の能力−をもとに「目標時点で施設使用をやめられるか、利用削減を開始できるなどを現在より明確に決めることができる」と説明している。(31日)
●海上保安庁が那覇軍港の使用へ 日米合同委員会は、第十一管区海上保安本部がサミット警備のため那覇軍港の一部を共同使用することを承認した。今年九月まで。(31日)
●自由党が連立離脱 小渕首相、小沢自由党党首、神崎公明党代表の与党三党首が会談、自由党が連立から離脱することに。(1日)
●東京と沖縄で教育サミット 主要八カ国(G8)の教育担当相による「教育サミット」が東京・上野で行われた。G8の教育担当相が一堂に会するのは初めて。小渕首相があいさつし中曽根文相が議長を務めた。三日目は沖縄県宜野湾市に会場を移し公開フォーラムを行った。(1日)
●十区の会が道ジュネー
 ヘリ基地いらない二見以北十区の会が岸本名護市長に対し、抗議の道ジュネーを行った。市長の住民説明会の開催を市に要求して三カ月がたつが、いまだに回答がない。「市長に説明責任はないのですか」と約六十人が参加した。(1日)●国立高専を辺野古にと中曽根文相 中曽根文相がG8教育大臣フォーラムのレセプションで「国立高専は辺野古につくる方向で検討」と述べた。(2日)
●小渕首相が緊急入院 小渕首相が「脳こうそく」で倒れ入院した。(2日)
●リコール事実上棚上げ
 ヘリ基地反対協が岸本市長のリコールについて「現地点での開始は困難」との声明を発表した。新城共同代表は、「(リコールは)断念ではない。時期をみて市長の責任を徹底して追及し、新たな基地建設を阻止する運動を展開していく」と語った。(3日)
●野田新党、26人で設立
 野田毅前自治相ら自由党の連立残留グループが国会議員二十六人で新たな政党「保守党」を結成した。党首に扇千景参院議員、幹事長に野田が就任。(3日)
●小渕内閣総辞職 小渕内閣は小渕首相の重体に伴い臨時閣議を開いて総辞職した。(4日)
●自衛隊病院の活用をと瓦
 瓦防衛庁長官が小渕首相の入院問題で、首相官邸や迎賓館など政府中枢の緊急医療体制を整備するため、自衛隊病院など防衛庁・自衛隊の医療施設の活用を検討すべきと提案。(4日)

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週刊『前進』(1953号6面1)

 1面からつづく

したすべての労働者人民は、ここで再び猛然と立ち上がろうではないか。

 第4章 (4)沖縄サミット粉砕・名護新基地阻止へ

 沖縄サミットをめぐる現局面はきわめて重大だ。
 名護のヘリ基地反対協は岸本市長リコールの運動について、直接的には運動内諸勢力が市長候補の人選で一致することができなかったため、サミット前のリコールのギリギリの期限であった三月末に、リコール運動をいったん中止し、今後リコール請求を含め創意的取り組みを展開するという決定を下した(正式の表明は四月三日)。
 この事態の本質は、リコールを実現する大衆的な力ははっきりとあるにもかかわらず、サミット前の決戦突入がもたらす敵との正面激突の激しさの前に既成野党とりわけ日本共産党が完全に屈服し、サミット翼賛勢力に転向し、リコール運動を妨害したこと、反革命カクマルがこれと結託してリコール粉砕の策動を繰り広げたこと、そしてわれわれを含む戦闘的な翼はこの反革命の闘争圧殺を打ち破って決起を実現する革命的な指導性を確立する力を形成しえなかったということである。
 革共同はこの事態を名護および全沖縄の闘う人びととともに闘争の現場に身をおいてとことん総括し抜く立場に立っている。しかし、問題の本質は、沖縄サミット攻撃との闘いへの全力をあげたこれからの決起の中でこそ明確にされるべきである。闘いの原則・原点を再確立し、闘う団結を再形成していくことがなによりも大事である。そしてそのためには、「どのように闘うべきか、どうしたら勝てるのか」というかたちで、巻き起こっている真剣な大衆的討論を徹底的にやりぬくことだと考える。
 とりわけ、日本共産党スターリン主義や反革命カクマルの陰険でセクト的・暴力的な破壊策動を全大衆的レベルで徹底的に暴露しなければならない。そしてその中から、まさに名護を主会場とする沖縄サミットを真っ向から粉砕する戦闘的大衆闘争を爆発させ、その力をもって情勢を一変させ、サミット後のリコールへの再突入をかちとるヘリ基地建設阻止闘争の大衆的実力闘争の陣形を確立していかなければならない。
 小渕の三月末の沖縄訪問(名護の会場視察名目)に際して、日帝権力は、名護をはじめ沖縄で八カ所、全国八十カ所の白色テロ的な一斉不当捜索を強行し、名護と富山で二人をデッチあげ逮捕した(三月二十二日)。われわれは、この大弾圧を跳ね返して、二十五日、名護現地で、沖縄労組交流センターと全学連現地行動隊を先頭にサミット粉砕のスローガンも鮮明に戦闘的市内デモを闘い抜いた。また、全学連を先頭に反戦共同行動委は羽田現地で小渕訪沖実力阻止闘争を貫徹した。この日の闘争は、一〜三月の闘争を総括し、七月サミット本番決戦への新たな戦闘宣言として権力との激突の中で実力でもぎりとったものである。
 問題は、全国から労働者人民が大結集してサミット粉砕の大デモをたたきつけることである。われわれは、帝国主義強盗どもの戦争会議=沖縄サミットそのものを絶対に許さない。名護・部瀬名のサミット会場に進撃し、大衆的な大デモンストレーションで開催そのものを粉砕しよう。
 アジア人民・全世界人民を虐殺する砦(とりで)である普天間基地、嘉手納基地を始めとする沖縄基地を揺るがす基地実力撤去の大闘争をたたきつけよう。普天間基地の県内移設を中心軸とするSACO計画を広範な怒りで粉砕しよう。
 辺野古、二見以北十区の会などの名護地元の闘う人びと連帯・結合して、戦闘的に展開し抜こう。
 反革命カクマルは、名護のリコール運動が中止されたことに小躍りし、“もともと岸本リコールや岸本打倒を追求したこと自体が間違っていたのだ、できないことをやろうとしたことを反省せよ”などと言って名護の闘争主体に襲いかかろうとしている。
 カクマルにとっては、日帝権力の新ガイドライン戦争体制構築の攻撃がまさに今沖縄決戦攻防として仕掛けられているということなどどうでもいいのだ。カクマルは、JR総連の戦争協力宣言を文字どおり実行に移そうとしている。彼らは安保と自衛隊すらも容認してしまった正真正銘の日帝の先兵だ。沖縄サミット粉砕決戦は反革命カクマルとの大決戦である。
 シニア協定締結というとんでもない裏切りに踏み込んだJR総連は、まさにカクマル=JR総連の存亡をかけた歴史的大反革命を強行したのだ。だからこそ、カクマルとJR総連との自作自演の「対立」なるものをあえて演じるしかないのである。カクマルは、機関紙上で「電機など連合労働貴族の雇用延長協定は資本への屈服であり、ワークシェアリングの先取り」などと「批判」しているが、シニア協定はこれらをこえる大裏切りである。JR総連=カクマル打倒は全労働者の要求だ。
 凶暴化するカクマルと戦争的に対峙し一つひとつの革命的武装自衛戦争を確実に勝ち抜いていこう。五月テーゼ下の対カクマル戦争の新たな強化を、労働者人民の広範な怒りがカクマルに向かって大衆的に噴き出していく巨大な反ファッショ解放戦争としてつくり出していこう。

 第5章 (5)介護保険の廃止へ全国的運動を起こせ

 森・自公連立政権による五−六月衆院選反革命に対し、長谷川英憲氏を先頭に労働者階級人民の階級的大反撃をたたきつけよう。
 杉並では、介護保険が強行された四月一日を大衆的な杉並行動で迎え撃った。介護保険絶対廃止の全国運動への第一歩が踏み出されたのだ。四・一を突破口に自公政権とファシスト石原による社会保障制度解体攻撃を断じて許さず、福祉全面切り捨て・大増税の介護保険制度廃止へ、巨大なうねりをつくり出そう。
 衆院選決戦の勝利=長谷川氏当選をかちとるため、党と階級の命運をかけた政治的蜂起戦に突入しよう。
 動労千葉の偉大な春闘スト決起に学びそれを引きついで闘おう。

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週刊『前進』(1953号6面2)

 石原慎太郎は゛罪不容誅″

 在日台湾人元日本兵 林歳徳さんに聞く (上)

 ゛私は南京大虐殺を見た″

 都知事・石原は、「中国を分裂させよ」と中国への戦争挑発の暴言を吐いた。断じて許してはならない。南京大虐殺の目撃証人でもある林歳徳さんに、このファシスト石原への弾劾をこめて語っていただいた。次回は、石原がなぜ中国を「シナ」という蔑称(べっしょう)で呼ぶのかについて。(編集局)

 第1章 揚子江に数珠つなぎの死体

 石原慎太郎は、南京大虐殺はウソだ、数がウソだと言っている。この「ウソだ」と言っている言葉自体がウソだ。彼が言っていることはデタラメ。なぜデタラメかというと、彼は南京大虐殺の現場も見ていないし、調査してもいない。
 私は三七年十月、十九歳で軍夫として強制徴用され、台湾の湖口の練兵場で訓練を受けていた。三八年一月十五日、出発前日に漢口攻略に行くとわかった。しかし上海に上陸すると、急きょ南京に向かって歩き出した。私が南京に着いたのは一月下旬で、日本軍が南京を陥落させた十二月十三日からは一カ月以上たっていた。
 私が現地で見た時、南京城の内側、外側、揚子江の堤防や港に死体がいっぱい山と積んであった。それよりもっと恐ろしかったのは、揚子江に数珠つなぎで、中国人の死体が二十四時間連続して海に向かって流れていたことだ。
 死体を処分できない。できるわけないんですよ。全部殺した、殺し尽くした。南京大虐殺は、三軍九個師団の日本軍の総攻撃による完全な三光政策だった。

 第1節 推定では40万人

 いったいどれほどの中国人が殺されたのか、殺された人の頭蓋骨を並べて計算できれば正確だろうが、それは不可能だ。正確な数は私にはわからないが、私の考えでは、四十万人は殺されているはずです。
 その根拠は、何よりも私が見た揚子江の数珠つなぎで流れている実態。さらに、南京城の内側、外側に山のように積み重ねられていた死体だ。この現実を私は見ている、忘れることは絶対にできない。
 私は八八年に北京に行った時、その当時中国の首都である南京にどれくらいの人口がいたのか、調べた。当時の南京は百万の人口がある。さらに日本軍に攻められて、多くの人が南京城内に逃げ込んだ。そこに三七年十二月十三日、日本軍が総攻撃して入った。
 その時、南京の城の中は逃げた人間でいっぱいなんだ。そこを機関銃やら爆弾やらで全部殺したわけだ。全滅に等しい。この実態を見なければならない。

 第2節 天皇の三光政策

 南京大虐殺の実行部隊の総指揮官は、中支方面軍の松井石根大将だ。これは第十一代台湾軍司令官で鬼将軍で有名。このもとに第十軍と上海派遣軍があった。第十軍の柳川平助中将は第十三代台湾軍司令官。これも鬼将軍ですよ。そして上海派遣軍が皇族将軍の朝香宮鳩彦中将だった。南京攻略は、この三軍九個師団で行われた。この当時の戦闘の経緯を皆さんに知ってほしい。
 中支方面軍の松井は奪い尽くしの白兵団長。上海派遣軍司令官、朝香宮は黒兵団長、これは殺し尽くしだ。この配下に第十六師団の中島今朝吾中将がいた。これは東京憲兵司令官として有名ですよ。そして柳川平助、これが南京第十軍を率いた赤兵団長、焼き尽くし専門部隊だった。
 南京攻略作戦の前に天皇裕仁は松井と朝香宮を呼んで、首都南京を徹底的につぶせと言っている。それで南京に降り立った朝香宮の第一声が、「中国人の捕虜を全部殺せ」という命令だった。この虐殺の責任は天皇裕仁にある。

 第2節 なぜ鬼になった

 南京城の揚子江側にある門を一つだけ開けておいた。ここから揚子江に逃げてくる。門を出た所で機関銃隊が、両方から皆殺しするわけだ。当時、機関銃隊隊員で、戦犯で帰ってきた人が証言している。
 その彼が書いた本を私にくれた。戦犯になって反省して鬼から人間に返ったと書いてるが、なぜ人間が鬼になったのかを書くべきだと、私は批判した。
 なぜなら、裸で生まれた時はみんな善良であった。ところがその善良な日本人が、侵略魔天皇制日本帝国という組織管理と組織的教育、管理と教育によって天皇の軍隊として、天皇の銃を持って、天皇の帽子をかぶって南京に行って、殺したのと違いますか。
 私も台湾で、日本は神の国であると教えられた。神国日本の中国侵略のことを、悪い中国人を懲らしめるために、日本が助けに行ったのだと教えられた。心の中ではこのやろうと思ったけれど、すごい皇民化教育だからああそうか、神国日本の聖戦か、と。
 それで私は徴用されて、南京の虐殺現場を見て、これが神国日本の聖戦ということを初めて知った。

 第2章 老女殺され、反戦脱走決意

 私が脱走を決意したのは、侵略戦争もある程度静まって、家宅捜索に出た時のことだ。
 私は上等兵と二人で大きい百姓家に入った。上等兵は左から、私は右から入った。するとおばあさんが五カ月ぐらいの赤ちゃんを抱いていて、土間に頭をつけて助けてくれって言うんだ。そのおばあさんが顔を上げた時びっくりした。顔の形、輪郭が私のお母さんそっくり。とにかく僕は、二人をかめの奥に隠してすぐに飛び出して、上等兵に「異常ありません。行きましょう」って報告した。
 庭まで出たら、赤ちゃんが泣いたんだ。「きさま異常ないって言って、いるじゃないか」と殴られた。私は「おばあさん歩けないし、赤ちゃん、敵にならない」と言ったが、「このばあさんは連絡員になる。赤ん坊は大きくなったら八路軍になる」と、今度は銃床で殴られ立てなくなった。
 それで上等兵が、おばあさんと赤ちゃんをそのままくし刺しだよ。悲しかった。あの晩、兵舎に帰って一晩眠れなかった。なんとかして逃げようと、反戦脱走を初めて決意した。
 最初、南京で殺した死体を見た時は、この戦争は悲惨だ、なぜ蒋介石の軍隊は一人もいないのか。子どもや老人やら女ばっかりだと、蒋介石を憎んだね。このおばあさんと赤ちゃんが殺された時、「俺(おれ)は、こんな悪魔といっしょにできない。逃げよう」と思った。けれど逃げるに逃げられない。
 三八年十月に漢口陥落、私たちは南方へ回されることになり、台湾の高雄で待機した。その時に三日間の休暇をもらって帰った。その晩に母が発熱、母も父も私の帰りを待っていたように死んだ。その場から弟と東京に逃げた。
 これが、皇民化された私が、日本軍隊員として聖戦に行ったいきさつ。だから、南京の現場を忘れることができない。

 第1節 俺は忘れない!

 今、日本の国民はこの歴史の真実を知らないという。俺は知ってる。俺は忘れない。だから、「日本国臣民と国民が『知らない・忘れた』と頑張っても、中国人の心には『知ってる・忘れない』!」と書いたビラをまいている。
 南京大虐殺を反省もしないで、さらに戦争をふっかける石原という野郎、承知しない!
 こういう大罪人は中国の言葉で、「罪不容誅」という。犯した大罪は、殺してもなお足りない。大罪人です。
 これが日本帝国の犯した罪。日本帝国が今日までアジア侵略した大罪人。だから天皇が、侵略魔天皇制日本帝国が憎い。断じて許されない。そういう土壌で育ったのが石原慎太郎、許されませんよ。
 だから石原ヤクザが何をやろうとするか、私たちはどうすればいいか。私は、闘う日本人といっしょに、いのちある限り闘う。
 (つづく)

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週刊『前進』(1953号6面3)

 排外主義と闘う

 入管闘争の課題 C

 在日先頭に闘い爆発

 入管令から入管法へ 4度も廃案を強制

 第1節 「ポツダム政令」

 六九年三月、日帝は「出入国管理法案」を初めて国会に提出した。「入管令から入管法へ」。これは、米軍占領下のポツダム政令である入管令を入管法に格上げし、そのことで入管体制の本格的確立を図るものであり、日帝にとって四五年敗戦−四七年外登令以来の、懸案であった。
 日帝は、六五年日韓条約を画期として朝鮮再侵略へと突き進み、七〇年安保をテコにアジア侵略−軍事大国化へ飛躍を遂げようとしていた。その一環に入管法制定攻撃があった。
 この入管法制定攻撃に対して在日朝鮮人・中国人は怒りを爆発させて決起した。集会、街頭デモ、ハンスト、国会行動が激しく闘われ、ついに六九年八月、「出入国管理法案」を廃案に追い込んだのである。
 さらに入管体制下の圧制の象徴であり、朝鮮戦争下での弾圧−強制送還以来、在日朝鮮人の怨嗟(えんさ)の的となっていた大村収容所(長崎)に対する闘いも、この過程で一気に爆発していく。
 しかし、その後も日帝は執ように入管法制定をもくろみ、七一年、七二年、七三年の計四回にわたって法案を提出する。しかも後の二回は「管理」を外して「出入国法案」に名称を変えるというペテン的やり方だった。だがその都度、大闘争がたたきつけられ、いずれも廃案となった。
 このように七〇年入管法闘争は、戦後在日運動の戦闘性を満天下に告げ知らせた。入管体制下における筆舌に尽くしがたい差別と抑圧に対し積年の怒りを爆発させ、そうした現実を根底的に告発・糾弾するものであった。とりわけ、日韓法的地位協定による協定永住権の申請期限である七一年一・一六を迎える中で怒りは一層倍加した。
 なぜなら入管法制定攻撃の核心は、植民地支配−侵略戦争−強制連行の生き証人である法一二六号(該当者)の抹殺にあり、六五年日韓条約と同時に締結された日韓法的地位協定は、「韓国籍」にのみ永住権を与えるとすることで、在日朝鮮人を「韓国籍」と「朝鮮籍」とに分断し、法一二六号を抹殺しようとするものだったからだ。法一二六号の抹殺をもって日帝は、自己の戦争責任を反動的に清算し、新たな朝鮮・中国−アジア侵略に突き進んでいこうとしていたのだ。
 入管法粉砕闘争は、こうした日帝の狙いを打ち砕いて圧倒的に勝利した。それは戦後日帝の入管政策−在日政策を大破産に追い込んだものとして巨大な意義を有している。ここで形成された力関係は、骨格的には現在に至るまで転覆されずにきている。(だからこそ「在日=内乱勢力」とした九六年梶山発言の意味は重大なのだ)
 何よりも入管法粉砕闘争は、七〇年安保・沖縄闘争の大爆発と一体のものとして闘われ、米帝のベトナム侵略戦争と闘うベトナム人民への国際主義的連帯闘争として闘われた。ベトナム侵略戦争に加担し、自らも再び朝鮮・アジア侵略に突き進もうとする日帝に対して、在日朝鮮人・中国人は植民地支配−侵略戦争下での反日帝の民族解放闘争の歴史を引き継いで闘いに立ち上がったのだ。
 七〇年安保・沖縄闘争を闘い、入管闘争を闘う中で、アジア人民と連帯して闘うという点でのわれわれの決定的な不十分さが「七・七自己批判」として突き出された。核心的に問われた問題は、差別・抑圧、分断・同化・追放の入管体制の中で、それと対峙して生き抜き闘い抜く存在としての在日朝鮮人・中国人の措定ということである。七〇年入管闘争を語る時、「七・七自己批判」は絶対に避けることのできない問題である。これについては、後に詳しく述べる。

 第2節 「難民認定法」

 七五年、ベトナム革命が勝利し、米帝がベトナムを失陥するという歴史的事態とその波及がアジア−全世界に衝撃をもたらす中で、日帝は、七〇年入管闘争の敗北と入管法制定の野望をかけて再び攻撃に打って出てきた。
 ベトナム難民が膨大に生み出され、その一部が日本へ渡航してくる中で、日帝は七七年に「ベトナム難民対策連絡会議」を設置し、難民受け入れ−定住許可という方針を打ち出す。しかし日帝の狙いは、難民の積極的受け入れにあるのではなく、あくまで入管法を制定にすることにあった。難民認定法と抱き合わせることで、入管法制定を突破するというペテン的手法が用いられたのだ。
 また、七八年には法務省入管局官僚・坂中英徳による坂中論文が出された。それは、法一二六号の抹殺を軸に在日朝鮮人の存在と闘いを解体し、体制内融和を図るために同化攻撃の推進を打ち出したものである。七〇年当時、大阪で入管職員として窓口にいた坂中は、在日の闘いを目の当たりにし、その戦闘性に心底恐怖し、憎悪を募らせる中で、入管法制定に最も執念を燃やしていたのだ。
 この中で、六五年の協定永住に続いて、法一二六号抹殺のために特例永住許可制度が作られた。そして、八二年一月一日、難民条約・難民議定書の発効とともに、入管法が「出入国管理及び難民認定法」として施行されるに至ったのだ。
 しかし、在日朝鮮人・中国人の入管体制に対する大衆的な怒りは、逆に総連や民団の屈服をのりこえて、八〇年代の指紋押捺(おうなつ)拒否闘争としてさらに爆発していくのである。

 第3節 難民申請を却下

 日帝の難民認定制度のデタラメさを断罪しなければならない。八二年の出入国管理及び難民認定法施行以来、九八年八月末までに千六百五十四件の難民申請があったが、そのうち日帝が難民と認定したものはわずか二百十八件にしかすぎない。しかもその大半が、初期のインドチャイナ難民関連なのだ。昨年も二百七人の申請に対して許可は十六人にすぎない。
 難民条約では難民の規定として、「人種、宗教、国籍若しくは特定の社会集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」者としている。だが、こうした規定に該当する人びとの難民申請を、ことごとく却下してきたのが日帝の難民認定行政の実態なのである。
 とりわけ、難民申請の期間を来日から六十日以内とするとした「六十日要件」(入管法六一条)は、難民認定を却下するための常套(じょうとう)手段としてきた。また、その困難さを日帝自身も十分承知しながら、難民であることの立証をその当事者に求めている。まさに難民拒絶のための難民認定法なのだ。
 実際、入管当局はこの間、上陸手続きの際に難民申請をした人に対して「ビザの内容と入国目的が違う」として虚偽申請扱いにして、上陸を拒否する一方、日本での在留中に難民申請をした人を情け容赦なく強制送還している。
 昨年十一月には牛久入管収容所の中で難民認定を求めていたイラン人男性がハンストに決起するや、一年以上も長期収容してきた上で強制送還したのだ。また難民認定裁判の日程が決まっていたイラン人男性を強制送還する事態も起こるなど、命懸けの決起を踏みにじる凶暴な攻撃が続発している。この日帝の難民認定行政を徹底的に弾劾し、闘うアジア人民を支援・防衛する闘いが求められている。
 次回は入管収容所問題に迫り、その実態を暴く。
 (五十嵐茂生)

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