ZENSHIN 2000/03/13(No1948 p08)

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週刊『前進』(1948号1面1)

 革共同の3月アピール

 4月衆院選決戦へ総決起を

 大衆的な怒りの行動巻き起こし介護保険実施を中止に追い込め

 岸本リコール運動の成功を

 日帝は昨年の新安保ガイドライン法の国会通過以後、侵略戦争遂行のための国内体制の反動的構築に躍起になっている。われわれは三大決戦(衆院選決戦、沖縄サミット粉砕決戦、闘う労働運動の新潮流の形成)を中心にして、この小渕・自自公政権の反動攻勢を迎え撃ち、二〇〇〇年決戦の大衆的発展を切り開きつつある。三月の最大の課題は、三月末解散―四月総選挙情勢を見すえて、福祉の全面的切り捨てと大増税の攻撃=介護保険絶対反対の闘いと衆院選決戦を、党の総力戦として闘いぬくことである。さらに、名護新基地建設阻止・沖縄サミット粉砕にむけて、名護現地の市長リコール運動を成功させることである。そして衆院選闘争と沖縄闘争を前進させるためにも、三・一二革共同政治集会の大衆的動員の成功と、三・二六三里塚全国集会の勝利をかちとることが、三月闘争の重要な課題である。さらに、二〇〇〇年春闘を日帝の戦争と大失業と賃下げの攻撃と対決し、労働運動の新たな潮流を形成するために闘いぬかなければならない。二〇〇〇年決戦の勝利を根底から支える闘いは、党建設の闘いと対カクマル戦争の新たな強化だ。党の細胞的強化とともに党勢の拡大強化に全力を挙げて取り組もう。反革命カクマルはJR総連の危機の中で大衆闘争の破壊策動を強めている。革命的武装自衛闘争を強化し、カクマルとの接近戦を闘いぬき、勝利しよう。

 第1章 自自公とファシスト石原の反動打ち破れ

 世界経済情勢は、二九年型の大恐慌の爆発へと不可避に向かっている。ニューヨーク株式市場のダウ平均株価が十一カ月ぶりに一万jを割った。株価暴落が債券安、ドル安へと発展しトリプル安に向かいつつある。インフレ懸念のために、財務当局者は金利を夏までにさらに数回にわたって引き上げようとしている。他方、賃金の上昇と石油価格の急騰(NY原油一バーレル=三二j台)が進み、株価暴落がいよいよ切迫している。アメリカ経済の長期の「景気持続」はついに終わりを告げようとしているのだ。米帝と全世界のブルジョアジーは、バブルの崩壊が大恐慌に発展することに震え上がっている。一切の内外政策を恐慌回避策として強引に展開している。

 第1節 争闘戦とブロック化

 こうした中で米帝とNATOは、「欧大西洋地域の安全を守る」と称し「人権」を振りかざして、九九年ユーゴスラビア侵略戦争を強行した。これは、米帝にとって軍事的脅威で他帝国主義を押さえつけ、アメリカの国益、経済的利益を貫く政策である。「二〇〇〇年米国防報告」は、この基本政策を表明している。米帝は「世界のリーダーシップのよりどころは軍事力」と言い切っている。これは、世界への侵略戦争宣言であり、他帝国主義への争闘戦宣言である。
 今や世界は、争闘戦の激化とブロック化と戦争への動きを強めている。その中で、欧州ではナチス礼賛と民族排外主義のファシストが台頭している。オーストリアで極右・自由党主導の連立内閣が生まれた。EUの大不況と大失業がファシスト勢力を生み出しているのだ。
 ロシアは、チェチェンの首都グロズヌイを焼け野原にして侵略・占領した。エリツィン・プーチンはロシア危機を排外主義で乗り切ろうとしている。
 米帝は、ユーゴスラビアのコソボに巨大な軍事基地(ボンドスチール基地)を建設している。ヨーロッパの火薬庫であるバルカンの制圧のための軍事拠点である。さらに欧州とロシアをにらんで戦争重圧を加えるのが目的である。
 またアジアにおいては「中国、朝鮮は米国の国益に軍事的脅威を与える存在になり得る」(国防報告)と、朝鮮・中国―アジアへの侵略戦争宣言を発した。
 こうした世界大恐慌過程の現実化と深まりの中で、日帝は、帝国主義としての延命をかけて国家・社会の反動的大改造ともいうべき攻撃を激化させている。
 昨年のガイドライン法の国会通過をふまえて、日帝は国家改造ともいうべき政治的、経済的、社会的攻撃を全面的に開始したのだ。ガイドライン情勢に見合う国家体制=戦争国家、侵略戦争体制構築の攻撃である。
 具体的には衆院選の強行をとおして、自自公体制の堅持と一層の強権内閣、ボナパルティズム的内閣をつくり、実際のガイドライン体制の発動、朝鮮・中国―アジア侵略戦争を遂行できる国家体制をつくり上げようとしている。二〇〇〇年における最大の反動攻撃が、この衆院選の強行をとおして貫かれようとしているのだ。
 さらに沖縄サミットの開催は、沖縄圧殺、階級闘争圧殺の最先端の攻撃である。日帝と警察権力は、沖縄闘争の完全な解体を策動している。そのために、沖縄サミットを口実にした治安弾圧攻撃を沖縄現地でも本土でも決定的に強めている。沖縄サミットの開催と基地の県内移設攻撃で、沖縄奪還闘争、米軍基地撤去闘争の完全解体を策動している。反基地、反戦闘争を絶滅させ、階級闘争総体の解体をめざす攻撃である。それはガイドライン体制の構築=侵略参戦体制づくりの最大の攻撃なのである。
 さらに小渕・自自公政権は、教育基本法改悪などの「教育改革」攻撃を全力で進めている。「教育基本法は第二の憲法」といわれる。「教育改革」は侵略戦争イデオロギーの注入のための大反動である。教育労働者運動を解体し、率先して侵略戦争の担い手をつくり上げようとしている。この三、四月の卒業式・入学式の「日の丸・君が代」闘争は重大な攻防点である。
 また国立大学の独立行政法人化も教育反動の柱のひとつだ。小渕は、臨検新法、PKF凍結解除などの反動法案をも狙っている。国会での憲法調査会の発足は決定的反動への踏み切りである。まさに侵略戦争のための有事立法・改憲攻撃が完全に始まったのである。
 さらに、介護保険制度の四月実施を突破口として、戦後社会保障制度の解体攻撃が全面的に実行に移されようとしている。またこうした情勢の中で、部落差別攻撃が激発し、「自由主義史観」など排外主義イデオロギーが横行している。

 第2節 外形標準課税反対!

 東京都知事のファシスト石原は、外形標準課税の大銀行への適用を突破口とする戦時型の大増税攻撃を行おうとしている。われわれはこの外形標準課税導入に断固反対し、極反動ファシスト勢力の台頭を阻止していかなければならない。
 この間の赤字放漫財政と国債乱発は、結局は悪性インフレと大増税を不可避とする。この中で、外形標準課税方式は、景気に左右されずに不況の時も安定した税収を得るための、消費税と並ぶ反人民的な税制である。政府税調も自民党税調も、外形標準課税の導入は基本方針としては決定している。問題は、中小・零細企業などに打撃を与えるために導入できないで来たことだった。
 石原は金融資本への大衆的反感、反発を利用して、この戦時型税制を導入しようとしているのだ。法人税の低減の代替として外形標準課税が導入されるので、大企業は基本的に賛成である。だが中小零細企業にとっては、大増税になる。あまりの反動性ゆえに政府がちゅうちょしている政策を、金融機関・大手銀行への大衆的な反発を利用し、政府に先駆けて都がやるやり方は、まさにファシスト的政治手法である。そして、この外形標準課税が福祉の切り捨て、都労連労働者の賃下げ・リストラとセットとなって打ち出されているところに、石原の超反動的意図が表れている。
 衆院選決戦を最大の闘いとする二〇〇〇年決戦はこの大情勢の激動の中で、自自公政権とファシスト石原を打倒し、革共同の革命党としての本格的登場、飛躍を断固としてかちとる闘いなのである。

 第2章 福祉の全面切り捨てと大増税は許せない

 小渕政権は、予算案と予算関連法案成立後の解散、四月総選挙強行へと動き出した。自民党が最も有利な情勢での解散を狙っている。国会情勢は衆議院の解散が最大の政治焦点となった。したがってこの情勢に対して革共同は、三月の闘いを選挙闘争中心に組み替え、四月衆院選決戦への全面的組織的集中を開始しなければならない。
 衆院選決戦の争点は、介護保険絶対反対か否かと、自自公政権の承認か否かの二点である。自自公政権のもとに、新安保ガイドライン体制への労働者人民の動員体制づくり、有事立法・改憲攻撃が進んでいる。国家の財政的破綻の中で、戦後の社会保障制度を解体する反動的国家改造が始まっている。福祉切り捨てと大増税である介護保険制度の四月実施は、その中心的攻撃である。
 日帝の国家財政は、政府と地方自治体の債務残高が、二〇〇〇年度末で六百四十五兆円になるという恐るべき破綻(はたん)状態だ。この国家財政の危機の中でも、日帝は銀行と大企業の救済費用および軍事費は増大させようとしている。その一方で、財政破綻の原因が戦後社会保障制度にあるとして、その全面的な解体、切り捨てに動き出したのである。その最大の切り口が介護保険制度の導入だ。また七月から医療保険制度の改悪が実施される。さらに、年金制度改悪、雇用保険料の引き上げ、確定拠出型年金(日本版401kプラン)の導入などが狙われている。

 第1節 屈服と無力化の野党

 今通常国会では、自自公体制のもとで国会の空洞化、私物化が憲政史上かつてない形で進行している。与党だけで衆議院の定数削減法案を通過させ、野党抜きでの施政方針演説が行われた。この小渕・自自公政権の大暴挙に民主党以下の野党は完全屈服し、翼賛勢力に転落している。小渕・自自公政権の戦争政策、福祉切り捨て政策、大資本救済政策に、民主党、共産党、社民党などすべての野党は全面屈服、大賛成しているのだ。
 この自自公政権―翼賛国会と対決する労働者人民の代表、闘う国会議員が絶対に必要だ。侵略戦争反対、介護保険制度反対の議員が必要だ。
 衆院選決戦に勝利するための最大の課題は、介護保険制度の四月実施中止に向けた闘いをこの三月に人民の怒りの大衆行動として実現することである。
 そのために、第一に、戦後社会保障制度の解体攻撃との闘いが労働者人民の死活的課題であることを明確にして取り組むことである。この領域は、革命運動、労働運動にとっても最重要の課題だ。
 日帝は経済的危機と日米争闘戦の激化の中で、一大資本攻勢を本格的に激化させている。終身雇用制・年功賃金制度の解体、戦後的労資関係の反動的解体に全力を挙げている。社会保障制度の解体は、行財政改革と一体であり、労働者の生きる権利を取り上げる攻撃である。
 社会保障制度とは本来、ブルジョアジーがプロレタリア革命の現実性におびえ、労働者人民を資本主義につなぎ止めることの必要の中から生まれてきた。労働者人民の階級的闘いの高揚と生きる権利の要求によって、ブルジョアジーと政府はそれを強制されてきた。しかし、戦争と恐慌の時代に突入する中で、今や労働者の賃金の切り下げと一切の社会保障を切り捨てることでしか、帝国主義と資本は延命できなくなったのである。「過度の平等が社会の停滞を招いた」(経済戦略会議)として、一切の社会保障制度を解体し、「弱肉強食」の社会、三〇年代の失業と貧困と飢餓の時代への回帰の攻撃に踏み切ったのである。
 われわれは革命党として、この社会保障制度解体攻撃との闘いに全力で取り組んでいかなければならない。
 第二に、介護保険四月実施を絶対に阻止するために闘うことである。
 介護保険制度の本質は福祉と介護の全面的な切り捨てである。同時に、この介護保険は大増税の攻撃である。四十歳以上のすべての労働者人民から毎月、高額の保険料を強制徴収する攻撃である。このことへの大衆的怒りを、全面的に行動に転化していくことが必要なのだ。
 「ストップ介護保険の十万人署名運動」はその最大の武器である。@「介護保険の四月実施を中止せよ」、A「一切の自己負担をなくし、全額公費負担で」、B「必要な人に誰でも必要な介護を。十分な介護制度の確立を」のスローガンを大衆的行動として実現していく闘いの中に、介護保険実施阻止と衆院選闘争の勝利のカギがある。三月の闘いの最優先課題である。全力でがんばろう。

 第2節 沖縄サミット粉砕へ

 日帝の二〇〇〇年における最大の政治攻撃は、沖縄サミット開催と米軍普天間基地の名護移設攻撃である。
 サミットは、帝国主義諸国の頭目の強盗会議であり、帝国主義間争闘戦の場である。世界経済の二九年型大恐慌の現実化を前に、争闘戦、ブロック化が進み、帝国主義は戦争的激突過程に突入している。危機の焦点は、北朝鮮・中国などの残存スターリン主義圏と、ロシア・東欧などの旧スターリン主義圏であり、その取り込み、解体、再侵略にある。
 こうした中で日帝は、サミットを沖縄で開催することで、日米帝の最前線出撃基地=沖縄の存在を半永久的に固定化しようとしている。そして七一年ペテン的沖縄返還に続いて、「現代の琉球処分」を再度行おうとしている。そのために日帝は、一方では十年で一千億円を投入するという「特別振興策」などを振りかざしている。稲嶺と岸本はこの日帝の手先だ。
 沖縄サミット開催と名護への米軍基地移設の攻撃は、二〇〇〇年決戦の最大の政治攻防である。われわれは、名護市長・岸本リコールの運動の先頭に立ち、名護への基地移設を絶対に阻止する。沖縄サミット開催時に「闘うアジア人民と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱に転化せよ」「沖縄米軍基地撤去=沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒」を掲げ、巨大な闘う人民のデモンストレーションを闘いとろうではないか。
 そのために、この三月に岸本市長のリコール運動を全力で推進し成功させよう。本土における沖縄闘争の発展・強化をかちとろう。
 さらに、三里塚闘争、北富士闘争、関西空港闘争などをこの沖縄闘争との連帯を掲げて闘いぬこう。

 第3章 春闘−「日の丸・君が代」闘争の高揚開く

 日帝の今ひとつの反動的攻撃は、資本攻勢の一挙的激化であり、戦闘的階級的労働運動を一掃するための攻撃である。したがって、三月闘争において二〇〇〇年春闘をこの資本攻勢との対決として闘いとらなければならない。
 今年の「日経連労問研報告」は、これまでの「第三の道」的なごまかしすらかなぐり捨て、アメリカ型のリストラ・大失業攻撃への転換を明確に打ち出した。「総人件費コストの引き下げが企業活性化のカギ」として、ついに賃金切り下げを真正面から宣言した。そのための方策としてワークシェアリングも打ち出してきた。さらに競争力強化のために「過剰雇用」の整理も宣言した。
 これに対して連合は、「雇用・生活における危機突破」春闘と称して、資本と協力しての「デフレ脱出―自律的経済回復」春闘なるものを打ち出している。しかしこの「自律的経済回復」は、経済戦略会議の路線そのものだ。経済回復のためには、どんな過酷な賃下げ、リストラものもうというものだ。連合は、労働者の賃上げ要求を完全に否定している。戦後最大の一大資本攻勢の激化、首切り攻撃に対して、労働組合として一切の抵抗を放棄している。「日経連労問研報告」のワークシェアリング論に完全に屈服し、容認しているのだ。また連合は、日帝・日経連の「景気浮揚」論に唱和している。連合は今や、日帝の労働者支配の反革命的転換を労働者の側から支えているのだ。
 カクマル松崎とJR総連は「雇用の維持」と称して、九六年以来、賃金を半分に切り下げるワークシェアリング論を提唱してきた。JR総連は、連合の反動的転換の最先頭を切ってきたのである。連合の反革命的先兵がカクマル=JR総連である。
 カクマル過疎支配の危機を爆発させるJR総連=カクマルと全力で対決し、連合の春闘破壊と闘い、春闘の戦闘的再生を新潮流運動の発展の中で闘いとらなければならない。
 第一に、今春闘を、昨年の労働者集会をけん引した動労千葉、全国金属機械港合同、全日建運輸連帯関西生コン支部の闘いから学びつつ闘い、発展させよう。
 第二に、一・二八中央委員会での勝利を引き継ぎ、三月の年度末解決=幕引き策動を許さず、三月国鉄決戦を闘い、八月全国大会の勝利へ進んでいこう。
 第三に、国鉄決戦を軸に、教育労働者、自治体・都労連、全逓の四大産別決戦に勝利しよう。とりわけ「日の丸・君が代」闘争は決戦だ。広高教組の強制配転・大量処分攻撃との闘い、新勤務評定との闘いは決定的に重要である。全国で「日の丸・君が代」闘争を爆発させよ。
 第四に、労働運動の新たな発展をかけ青年労働者の結集に全力をあげよう。

 第1節 革共同集会の成功を

 この三月闘争の勝利のために、三・一二革共同政治集会の大成功と三・二六三里塚全国集会への大結集を訴えたい。
 今回の革共同政治集会の意義と任務は何か。
 第一に、一・一アピールで提起された二〇〇〇年決戦の勝利に向けた一大決起集会である。三大決戦、政治闘争の五つの課題、労働運動の四大産別決戦への総決起をかちとることである。
 第二に、衆議院解散情勢を前にして、東京八区で長谷川英憲氏をおし立て、当選をかちとる体制を確立することである。四月衆院選決戦勝利のための文字どおりの総決起集会である。
 第三に、長期獄中同志の奪還をかちとる総決起の場として闘うことである。
 第四の課題は、二〇〇〇年決戦の死活的課題である反革命カクマルとの闘いの勝利に向けた意思統一の場である。われわれは、五月テーゼ―一九全総路線のもと、労働者人民との共同闘争の中で反革命カクマルを決定的に追い詰めてきた。この新たな対カクマル戦争への大衆的決起をかちとることが、二〇〇〇年決戦の勝利のカギである。カクマル=JR総連打倒に総決起しよう。(本紙今号三・一四アピール参照)

 第2節 3・26三里塚闘争へ

 三里塚暫定滑走路建設の攻撃は、沖縄サミット・名護新基地建設攻撃と並ぶ、ガイドライン体制、侵略戦争体制づくりとの闘いの決戦場である。朝鮮侵略戦争では、成田空港は座間、横田、横須賀と一体の首都圏最大の軍事基地になる。五〇年朝鮮戦争では、横浜港が横須賀の軍港と一体の軍事物資搬入の一大基地になった。また福岡空港は嘉手納と並ぶ侵略の最前線基地であった。成田空港は必ず巨大な侵略軍事空港になる。
 三里塚闘争こそは七〇年闘争を継続し、発展させてきた巨大な反戦闘争である。三里塚闘争の解体・一掃なしに、日帝の参戦体制=ガイドライン体制はつくれない。日帝は参戦体制づくりのために、沖縄闘争と三里塚の鎮圧、解体に乗り出しているのである。
 また、三・二六闘争は、七月沖縄サミット粉砕への人民の総決起集会である。
 日帝・運輸省・公団による四月東峰生活破壊道路(迂回道路)着工を実力で阻止しなければならない。反対同盟との血盟をかけて、三・二六三里塚闘争に総結集しようではないか。
 さらに三月五、六日の部落解放全国連合会第九回大会の成功をふまえ、日帝の差別抑圧政策の激化に対し、差別糾弾闘争の復権をかちとり、部落解放闘争の新たな発展を切り開こう。
 侵略体制づくりの攻撃として強まる排外主義と、在日朝鮮・中国人、アジア人民への差別・抑圧の攻撃を許さず、入管闘争の革命的推進をかちとろう。
 三・八国際婦人デー闘争を革命的女性解放闘争の飛躍をかけて闘おう。
 最後に、この二〇〇〇年決戦のただ中でこそ党建設と機関紙拡大、党勢拡大へ取り組みの強化をかちとろう。恐慌と失業と戦争に飲み込まれる資本主義に代わるものは、プロレタリア革命だけである。反スターリン主義・革命的共産主義運動だけが、現代世界を分析し打倒できる思想的立場であり、戦略である。このことに熱烈な確信をもって前進しよう。
 二〇〇〇年決戦勝利への決定的な飛躍点として三月闘争に総決起しよう。

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週刊『前進』(1948号1面2)

 3・26三里塚現地大集会へ

 反対同盟が全国に招請状

 ”暫定滑走路粉砕を”

 ◆招請状

 三里塚闘争をともに闘う全国の皆さん。
 政府運輸省は破綻した平行滑走路の打開をかけて、暫定滑走路計画を認可し着工を強行しました。その目的は空港に反対する反対同盟住民を追い出すことであり、当初計画の平行滑走路を完成させ、さらに延長部分(北側ずらし部分)を加えた三千七百メートル軍用滑走路を建設することです。新安保ガイドライン下のこの攻撃に対して、反対同盟は沖縄とともに敢然と闘いをいどむ決意です。きたる三月二十六日に三里塚現地で開催する全国集会に多くの皆さんが結集されますよう訴えます。
 成田空港は朝鮮有事の際に飛来する米兵五十万人の受け入れ基地です。暫定滑走路は、計画では当初計画を三百二十b縮めた二千百八十メートルの短縮滑走路ですが、住民を追い出すことによって二本目の四千b級滑走路(三千七百メートル)に延長できます。
 B52戦略爆撃機やC5A戦略輸送機にはこの長大な滑走路が不可欠です。そして成田が、在日米軍司令部のある座間(神奈川県)や第五空軍司令部のある横田と一体となって、空輸基地の役割を担うことはガイドラインのなかで自明のこととなりました。反戦・反核闘争の砦(とりで)としての真価にかけて、暫定滑走路を絶対に阻止・粉砕しなければなりません。
 昨年十二月三日に着工を強行した暫定案は、現在、予定地に広がる谷地の暗渠(あんきょ)・造成工事を続けています。この五月には、小見川県道トンネル化のための迂回(うかい)道路の工事を強行し、東峰地区住民を追い出すための軒先工事に踏み込もうとしています。三・二六に始まる四〜五月はこの攻撃との闘いです。
 滑走路南端から民家まで三百五十b、頭上四十bでジェット機を飛ばす暫定案は常軌を逸した殺人的計画です。軒先百b足らずの誘導路でジェット機を自噴自走させて騒音・排ガスをまき散らす生活破壊を許してはなりません。暫定滑走路を造る過程で反対運動をおしつぶす、造ることで追い出す――これが暫定案攻撃なのです。空港公団は、二階運輸大臣と沼田千葉県知事、空港周辺の長を招いた「着工報告会」(一・一八)で、「暫定滑走路着工」を「平行滑走路着工」と言い替えて、その狙いをむき出しにしています。
 しかし暫定案こそは成田空港廃港へのステップです。暫定案が二千百八十bの短縮滑走路のまま終わってしまえば成田空港の没落は必至です。暫定案認可のその日から、これまでタブーとされてきた羽田国際化や首都圏第三空港が急ピッチで動き出しました。反対同盟は二月十六日、千葉地裁に運輸大臣の認可取消を求める行政訴訟をおこし、暫定計画の不法・不当を訴えました。三里塚現地では体を張って断固闘います。勝利を確信します。
 小渕内閣は侵略戦争体制づくりのために、有事立法・改憲攻撃や、「日の丸」「君が代」を強制する攻撃を強めています。他方、賃下げとリストラが吹き荒れるさなかに、高額保険料を強制的に徴収する介護保険など、社会福祉制度を切り捨てる攻撃に踏みこんできました。時代を一変させるこれらの攻撃に対して、今、立ち上がるときです。三・二六全国集会をそのための総決起の場としよう。大結集を訴えます。
 二○○○年二月二十三日
   記
【集会名称】成田空港暫定滑走路建設粉砕、県道迂回道路5月着工実力阻止
 3・26全国総決起集会
【日時】三月二十六日(日)正午
【会場】成田市天神峰 反対同盟員所有地
【主催】三里塚芝山連合空港反対同盟
(連絡先)事務局長・北原鉱治 成田市三里塚一一五
рO476(35)0062

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週刊『前進』(1948号1面3)

 ◆声明

 木元グループ排除

 五者が声明を発表

 三里塚芝山連合空港反対同盟と支援四党派は二月二十七日、以下の木元グループ排除の五者声明を発表した。(編集局)
 三里塚芝山連合空港反対同盟は、六七年十一月の日本共産党排除決定以来、支援共闘団体との間で「現地農民組織の創意と方針を尊重し如何なる行動においても反対同盟の同意のもとに闘う」ことを共闘原則として確認してきた。これは闘いの団結にひび割れを生み分散させるといった事態を防ぐための大原則である。
 木元グループは、以下四点においてこの共闘原則に反し脱落した。のみならず、三里塚闘争に敵対しこれを破壊しようとしていると断ぜざるをえない。よって反対同盟は木元グループの排除を声明する。
 木元グループによる敵対・破壊行動は以下のとおり。
 一、反対同盟の承認のもとに建設し支援団体に管理を委(ゆだ)ねている現地闘争拠点を襲撃した。
 一、公聴会粉砕闘争において分裂行動をとった。
 一、福日労の越年・越冬闘争集会への同盟員の参加を妨害した。
 一、三・二六分裂集会を策動した。
 三里塚闘争は現在、暫定滑走路粉砕の激しい闘争のさなかにある。政府権力は反対同盟をつぶすために軒先工事を強行し切り崩し攻撃をかけている。他方、支援諸団体に対して組織つぶしの弾圧を強めている。木元グループの所業が、この政府権力を利するものとしてあることは明白である。
 以上、反対同盟は木元グループを三里塚闘争から排除することを表明するとともに、「空港絶対反対」「農地死守」のもとに団結を固め空港廃港へと前進することをあらためて決意するものである。
 二〇〇〇年二月二十七日
三里塚芝山連合空港反対同盟
革命的共産主義者同盟
革命的労働者協会
共産主義者同盟(戦旗派)
共産主義者同盟(蜂起派)

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週刊『前進』(1948号2面1)

 JR総連打倒!3月国鉄決戦勝利へ

 東労組内部を白色テロで恫喝する松崎とカクマル議長植田

 ファシスト的過疎支配の断末魔

 国鉄決戦はこの三月、勝利に向けた攻勢に打って出る重大情勢を迎えている。十三年に及ぶ不屈の国鉄闘争が、ついにJR総連=カクマルを決定的な窮地に追い込み、国鉄分割・民営化体制=JR労資結託体制の危機と破綻(はたん)を強制しているのだ。労働者人民の怒りとJR総連内のカクマル過疎支配の危機と矛盾がかつてない勢いで爆発し、追いつめられたJR総連は“JR総連=カクマルと言わないでくれ”と必死に弁明し、他方でカクマルと松崎は労組内を恫喝し始めた。だが、彼らがどんなにあがこうとも「JR総連=カクマル」であることは隠せない。国鉄分割・民営化=二十万人首切りの先兵となった大罪を消し去ることはできない。今こそ国鉄労働者を先頭に積年の怒りを解き放ち、JR総連=カクマル打倒の大攻勢に立とう。国労闘争団とともに三月闘争を全力で闘おう。

 第1章 「JR総連=カクマル」の規定が死の重圧に

 本紙前号で暴露したように、JR総連は二月七日、「組織混乱を意図した一連の組織介入と不審事に対する見解」という執行委員会声明を出し、この間、カクマルがJR東労組東京地本の旗開きや職場、社宅、組合事務所に押しかけたことを「労働組合活動に対する妨害」だと非難した。
 続いて二月九日のJR東労組の中央委員会でも、カクマルの行動に対して「何人かの中央委員から、疑問と危惧の意見、そして常軌を逸した行動に抗議の声があがりました」(JR東労組機関紙『緑の風』二月十五日付)という事態となった。この『緑の風』では、「党の支配・介入は絶対許さない」として、「実際、『古文書クラブ』を名のった『主張』なる怪文書は、『セミナー』六〇号の松崎講演を無断転載したものであり、これらの配布は『激励、支援』のためだと言うにいたっては、迷惑以外の何ものでもありません。いや、それどころか激しい『東労組=革マル』キャンペーンを助長する行為であり、『支援』でなく組織破壊でさえあるのです」などと言っている。
 これら一連の事態は、JR総連=カクマルの陥っている危機のすさまじさを示して余りある。JR総連内、とりわけ東労組で、カクマルの行動への「抗議」という形をとって、カクマル過疎支配に対する不満が公然と噴き出したのだ。
 事態はさらに拡大した。今度は、カクマルが反革命通信『解放』第一六〇八号(二月二十八日付)に「カクマル派議長」植田琢磨署名の「『労組への介入』ではない!」という声明を掲載し、JR総連・JR東労組に「反論」するという事態に至り、これを『解放』号外にしてJR社宅などに投げ入れたのだ。
 ここで植田は次のようにうそぶいている。
 「『緑の風』において、『党によるJR東労組への支配・介入』であるというように主観主義的に断定し的はずれの寝言を書きたてている」
 「JR宿舎へのビラ配布、旗開きへの激励行動という闘いは、党として当然なすべき革命的な闘いなのである。このようなわれわれの多角的・多面的闘いにたいして、ダラ幹どもは『常軌を逸した行動』などとがなりたてているのだ。わが同盟にたいしてこのような言い掛かりをつけることこそが、『常軌を逸した』言辞にほかならず、理に反する主張であるといわなければならない」
 JR総連・東労組がカクマルを非難し、それに対してカクマルが東労組の「ダラ幹」を激しく非難しているのだ。だが、だいたい「ダラ幹」とは誰のことか。松崎を始めとした東労組の幹部のことであり、そのほとんどはカクマルそのものではないか。これでJR総連とカクマルはイコールではないなどと言うのは、まったく見え透いた茶番劇というものだ。
 起きている事態の核心にはJR総連におけるカクマル過疎支配の危機がある。「JR総連=カクマル」規定への絶望的悲鳴がある。だからこそカクマルは、JR総連を「外」から恫喝すると同時に「対立」劇を必死で演じているのだ。
 だがこうしたあがきをとおして、JR総連=カクマルは一層ファシスト的に純化し、さらに危機と破綻を絶望的に激化させていかざるを得ない。
 この間、JR総連=カクマルは、かつてない深刻な危機に直面している。かつての九一―九二年のJR西日本や東海などでの旧鉄労系との大分裂―JR連合結成や、九五―九六年の東労組からの旧鉄労系の脱退―グリーンユニオン結成などを上回る、JR総連結成以来の最大の危機なのだ。

 第1節 カクマルへの不満が噴出!

 だから昨年来、東労組内で「組織内のウミを一滴残らずしぼり出す」と称して、グリーンユニオンや鉄産労、国労の組合員らとともに「イモ煮会」などのレクリエーションや飲み会に参加した東労組組合員を「組織破壊分子」呼ばわりし、見せしめ的につるし上げたりしている。また、職場での「平和共存打破」と称して「他労組とお茶を飲むな」などという締め付けを行っている。だが、カクマルのファシスト的反労働者的な職場支配に対する「平成採」の青年労働者を始めとする不満や反発が高まり、カクマルからの離反を一層加速させている。
 @こうした危機をもたらしたのは、何よりも「JR総連=カクマル」「カクマル=JR総連」という規定と労働者人民の弾劾の嵐である。とりわけ昨年の新ガイドラインや組対法、「日の丸・君が代」法などの反対運動の高揚の中で、「盗聴のカクマル」「日の丸を掲げる松崎」「軍事輸送=戦争協力のカクマル」の正体を暴かれたことだ。
 Aそして、盗聴や窃盗などの数々の悪行、特に昨秋にはNTTに潜入していた元動労カクマルによる電話データ盗み出しが発覚するなど、国家権力とのあつれきが生じていることだ。
 Bさらには、安全問題などで資本・カクマル結託体制の矛盾が爆発し、「完全民営化」のためにはJR東などの資本はカクマルとの癒着関係を絶て、という圧力が強まっていることだ。
 Cこれらの全事態の根底で、何よりも闘争団を先頭とする国鉄労働者の不屈の闘いが日帝権力、JR資本、JR総連=カクマルを追いつめているのだ。

 第2章 松崎講演の『主張』をJR社宅に投げ入れ

 追いつめられたJR総連=カクマルが今年に入ってやったのが、「権力内謀略グループによるJR“爆発物”謀略を粉砕せよ」という新たな「謀略物語」をデッチあげたビラをまいたこと、それをもって「激励」と称してJR東労組の旗開きなどに押しかけたこと、そして、松崎講演を転載した『主張』をJR社宅などに投げ入れたことである。
 「謀略論」なるものは、JR総連=カクマルが危機に陥るたびに持ち出される、組織固めと「国労解体」などのための常套(じょうとう)手段である。JR総連もこれと同じ「謀略の影」論を主張しており、カクマル以外に誰も信じる者はいない。
 『主張』とは、九九年九・二五工務職場大集会での松崎講演を転載したもの(二月一日付)と、新たに九九年八・一九上野車掌区分会大会での松崎講演を転載したもの(三月一日付)である。
 この二つの松崎講演は、「戦争を起こす準備はすべて完了しつつありますから、もう最後は三年先、憲法改悪です……今から先は真っ暗なわけです」(九・二五講演)と絶望をあおり、JR総連の戦争協力路線へのファシスト的大転向を居直る中身が大半である。
 その上で、講演の核心は次のような言葉にある。
 「しっかりした労働組合に対してどういう攻撃をかけてきますか。中から破壊させることです。だからいま『インフォーマル組織』がいろいろつくられているでしょう。人事課長クラスが先頭にたって指揮してやっているわけです」(九・二五講演)
 「『JR連合万歳』なんてほざく奴、そんな虫けらみないなものは問題にしなくていいけど、その背後にいるものが問題だ。区長は知らない、そんなことはない。支社の人事課長はじめ人事課は知らない、そんなことはない」「組合の中で意見を言わずに、かつての民社、同盟、職業的な分裂屋・警察権力、そういう連中に煽(あお)られてわれわれを破壊するためにのみに蠢(うごめ)くような連中を許すわけにはいかない」(八・一九講演)
 松崎は、“組織破壊をやっている奴は全部分かっているんだ、絶対に許さない”などと叫び、しかも、自らのカクマル性をむき出しにしてすごみ、労組内部を恫喝している。
 それは、植田の声明の中で、「(JR連合などがJR総連の組織破壊に手を貸しているだけでなく)会社当局が、学卒のいわゆるキャリア組を労働組合内に潜入させ、もってJR総連組織の内側からの解体に狂奔(ママ)していることをも、われわれは知っている」と言っているのと狙いはまったく同じだ。
 「JR東海社長の葛西がJR東日本の社長のイスを狙っている」などとJR総連=カクマルが口をそろえて叫ぶのも同様である。
 つまり、東労組内の非カクマル系の組合員や幹部、管理職を白色テロの恫喝で脅し、東労組の内部からの崩壊を阻止し、松田(JR東社長)=松崎体制を護持しようと躍起になっているということだ。「ダラ幹」という非難は、こうした恫喝と白色テロ宣言なのだ。
 こうまでして組織防衛に必死になっているJR総連・東労組の姿は、今やカクマルの過疎支配の矛盾と危機がかつてなく爆発しているということである。

 第3章 労組のカクマル支配自認し墓穴掘る植田

 さらに重大なことは、植田の声明で「一九六〇年安保闘争いらい戦闘的闘いを続けてきた国鉄および動力車の労働運動の伝統をうけついだ組織的転換形態としてのJR総連、とりわけ東労組の労働組合運動」などと、JR総連・東労組を賛美していることだ。これほどJR総連をあからさまに賛美したのは初めてだ。
 ここでは明確に、松崎を先頭とした動労カクマルが国鉄分割・民営化の先兵となり、JR総連、とりわけ東労組を組織して今日に至っていることを、最大限に持ち上げている。断じて許すことはできない。
 カクマル松崎は、分割・民営化過程から「カクマルはやめた」などと言って国鉄当局や政府・自民党に取り入り、「労使共同宣言」を結び、分割・民営化に率先協力した。そして、国労や動労千葉に対する不当労働行為の先兵となることによって、カクマル組織を延命させ、鉄労などと野合し、現在のJR総連に移行した。まさに彼らは、二百人の自殺や二十万人の首切りという国鉄労働者の犠牲の上にJR総連の権力を手中にしたのだ。
 とりわけJR東日本の労資結託体制を強化し、ファシスト的に純化することで延命してきた。この過程でも不当労働行為の限りを尽くしてきた。その最たるものが「ゴネ得を許すな」と千四十七人のJR復帰に一貫して反対し、その闘いを妨害してきたことである。さらに、JR職場における国労・動労千葉組合員に対する差別的労務政策だ。
 しかも彼らは、JR資本との結託体制を護持するために、国労やJR連合の幹部、文化人、ジャーナリスト、そして会社の幹部に対する盗聴、窃盗、列車妨害などありとあらゆる悪行の限りを尽くしてきた。九八年一月以降に警察によって摘発された「豊玉アジト」などの一連のアジトは、そのための拠点だったのだ。
 今回の植田の声明では、「わが同盟は終始一貫して、鉄道労働者の戦闘的闘いを側面から援助する種々の闘いを組織し展開してきたのであったし、現に今もくりひろげている」「アナログ警察無線とともにデジタル無線を傍受し活用しながら、謀略の嵐に抗して、わが党組織を守り抜いてきたことをこそ賞賛すべきなのである」と、これらJR総連=カクマルがやってきた悪行のすべてをカクマルの組織方針だと公然と認め、完全に居直っている。
 さらに、植田は、「JR総連というひとつの労働組合の内部で数千名のわが同盟員が活動していたとしても」などうそぶき、むしろ自ら「JR総連=カクマル」であることを積極的に押し出して逆に墓穴を掘っているのだ。
 そして「わが同盟は……今後も諸君(JR総連の組合員)らの闘いを支援するために、ダラ幹どもが忌み嫌う宣伝・煽動のビラを洪水のごとく流し込むであろう」などと露骨な恫喝で声明を結んでいる。
 JR総連防衛のために「党」の総力を挙げるという宣言は、松崎講演と一体で、「『JR総連=革マル派」というキャンペーンは神話」などと言いながら、むしろJR総連=カクマル、松崎=黒田であることを押し出し、白色テロの脅しでカクマルの過疎支配を維持しようという断末魔のあがきなのだ。

 第1節 闘争団と共に3月大攻勢を

 もう一つ、JR総連=カクマルが全力を挙げているのが、千四十七人問題に関するILO勧告を覆すことである。最終勧告によって国鉄分割・民営化とJR総連=カクマルの不正義が全世界に暴かれることを死ぬほど恐れているからだ。
 JR総連は、二月九日にジュネーブのILO本部に抗議のために押しかけた。これに先だって七日にはロンドンのITF(国際運輸労連)本部にも押しかけ、国労を全面的に支援するITFに抗議することまでやっている。
 JR総連=カクマルの策動や、政府・JRの必死の巻き返しにもかかわらず、三月のILO理事会で、昨年十一月の中間報告と同様に国労の申し立てを全面的に認める最終勧告が出される情勢にある。
 こうして国労が原則的闘いを貫くことによって、JR総連=カクマルをますます追いつめ、勝利を切り開くことのできる情勢にある。にもかかわらず、チャレンジ一派は「カクマルに代わる受け皿」論をもってJR連合に合流しようとしている。そのために闘争団を切り捨てる反動的決着を狙っている。断じて許せない。反動的「年度末決着路線」にとどめを刺し、ILO勧告の勝利の情勢を真に生かして闘おう。
 こうした中で、北海道闘争団が二月二十八日から三月三日まで独自の国会前座り込み行動に断固決起した。さらに三月、闘争団の上京行動がJR本体の組合員の春闘行動と結合して闘われる。また、動労千葉は、今春闘を「組織拡大春闘」として闘い抜く方針を決定している。
 三月闘争をJR総連=カクマル打倒、国鉄闘争勝利の大進撃の時としよう。

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週刊『前進』(1948号2面2)

 国労闘争団国会前座り込み

 国労闘争団北海道連絡会は、2月28日から3月3日まで上京行動に決起した。裁判所前などでの早朝宣伝行動の後、夕方まで国会前に座り込み、「JRは不当解雇を撤回しろ」「政府・JRはILO勧告に従え」「職場復帰をかちとるぞ」と訴えた。東京地本など関東4地本の組合員も参加。国労本部の高橋委員長、長谷川英憲元都議、全労協の代表らが訪れ、激励のあいさつを行った(2月28日 衆議院第2議員会館前)

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週刊『前進』(1948号2面3)

 動労西日本

 姫路総鉄でスト

 乗務員基地廃止粉砕へ

 二月二十日、動労西日本はJR貨物・姫路総合鉄道部でストライキに突入した。JR貨物は、来年にも同鉄道部の乗務員基地を廃止しようと企てている。この日のストライキは、この大合理化攻撃の撤回を求めて闘われた。
 スト突入門前集会には、動労西日本の組合員を先頭に全逓、自治労、国労、日教組、ス労自主、関西合同労組、医療労働者、関西労組交流センターなど四十人の支援が結集した。動労西日本の組合員は、職場の多くの仲間から「がんばれ」という励ましを受け、断固としてストを貫徹した。
 JR貨物は、三月ダイ改で姫路総合鉄道部の大幅な要員削減を打ち出した。六十六人の乗務員のうち五十一人を、百`も離れた岡山機関区と吹田機関区に強制配転するというのだ。乗務員基地の完全廃止を前提とした大幅縮小の攻撃だ。
 遠隔地職場への配転・遠距離通勤の強制は、貨物乗務員にすさまじい労働強化をもたらす。今でも貨物乗務員には「明けの晩出」「明けの早出」といわれる、「未明に勤務終了、同日午後出勤」「午後に勤務終了、翌日未明に出勤」という勤務が連続している。ほとんどの乗務が深夜時間帯だ。その上に遠距離通勤が強制されたら、労働者の体も家庭もぼろぼろになってしまう。労働者に疲労を蓄積させたまま過酷な乗務を強いるのは、運転保安の上からも大問題だ。
 姫路総鉄では、当然にもこの攻撃に対する労働者の怒りがわき上がっている。国鉄分割・民営化の破産、貨物会社の構造的矛盾をすべて現場労働者に押し付けてきた資本のやり方に対して、労働者の怒りは爆発寸前だ。「劣悪な労働条件と賃金格差・低賃金を強制しておいて、今度は職場まで奪おうというのか」という怒りの高まりの中で、このストライキは闘われた。
 それはまた、JR総連・貨物労=カクマル打倒への闘いでもあった。貨物労は、綱領に「国鉄改革完遂」を掲げ、現場労働者の切実な要求を切り捨てて、会社施策を現場に押し付ける最悪の役割を果たしている。姫路総鉄の縮小・廃止提案についても、当初は現場労働者の突き上げで「反対」のポーズをとっていたものの、その後は闘いを抑圧することに終始した。他労組から呼びかけられた「基地廃止反対署名」にも「応ずるな」と傘下組合員を恫喝し、「取り組みは地本・分会三役に一任しろ」などと言いながら早々に妥結したのだ。
 動労西日本はこのストライキで二〇〇〇年春闘勝利への号砲を上げた。すべての労働者はこの闘いに続こう。「新フレイト21」=貨物六千人体制計画を粉砕し、軍事輸送拒否を貫いて闘おう。戦争協力へと大転向を遂げたJR総連=カクマルを今こそ打倒しよう。

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週刊『前進』(1948号2面4)

 資本攻勢&労働日誌

 2月15日〜29日

 電機連合が転職支援制提案

 ●会社分割法制創設へ答申

 ●日本版401K導入へ要綱案

 ●完全失業率最悪状態続く

●15日 帝国データバンクが発表した1月の全国企業倒産集計では倒産件数は前年同月比43.7%増の1441件と、3カ月連続で前年同月を上回った。
●16日 石油精製専業の東燃と石油精製・元売りのゼネラル石油が7月1日をめどに合併する。計画では、今月18日に日本法人のエッソ、モービル両社を株式会社から役員数が少なく設立の簡単な有限会社に移行。「有限会社が株式会社を支配するような形には首をかしげる」といった指摘も。
◇日立製作所の労資は従業員の雇用延長制度を2001年度に導入することで基本合意した。
●17日 松下電器産業、富士通、NECなど電機の14大手労組は、相次いで春闘要求を会社側に提出した。金属労協(IMF・JC)大手組合の提出はほぼ終了。
◇NTT労働組合の津田委員長は中央委員会で、雇用維持のためには人件費抑制もやむを得ないとの考えを明らかにした。
◇東京都の外郭団体につき、従業員の給与体系に「能力・業績主義」を導入するなど、都の7項目のリストラ基本指針が明らかに。
◇東京電力は30歳以上の若手社員も対象とする転職支援制度を3月に導入する。
◇法務省は、倒産関連法制の全面改正の一環として、国際倒産法制の整備に着手する方針を固めた。
●18日 労働省は、98年度の労働者派遣事業報告を発表。実際に派遣されて働いた人の数は、前年度比4.7%増の89万5274人で86年の派遣法施行後、最多を記録。
●21日 松下電器産業などは、2000年度から業績連動型の一時金制度を導入する。同制度を導入するのは松下のほか、シャープ、三洋電機、沖電気工業、パイオニア、松下電工。電機大手では富士通や東芝、NEC、富士通ゼネラルの4社がすでに導入しており、これで計10社に。
●22日 電機連合は、企業の枠にとらわれずに組合員の能力評価や人事考課を横断的に実施し、電機業界の中で転職できるようにする「転職・職種転換制度」を導入する方針を固め、経営側に提案。労働力の流動化の先兵に。将来は職業訓練校の設立も目指すという。
◇法制審議会の総会は、企業再編を促進するための会社分割制度を創設する商法改正要綱案を了承し、臼井法相に答申した。
●23日社会保障制度審議会は、「確定拠出型年金」(日本版401k)制度案の要綱を了承した。
◇造船重機大手6社は、雇用延長について、2003年度を目標に61歳までの再雇用制度を導入すると各組合に回答。造船重機労連は26日までに受け入れを決めた。
●26日 厚生年金基金連合会は、厚生年金基金が解散した場合に支援する「支払保証事業」を見直す。基金の解散が増え事業の財政悪化が避けられないとの判断から、現役従業員を事業の保証範囲から外すことなどを検討。
●29日 総務庁は1月の労働力調査の結果を発表。完全失業率(季節調整値)は前月と同率の4.7%で横ばいだったが、就業者数は昨年1月に比べて25万人減の6355万人となり、厳しい雇用状況が浮き彫りになっている。(表参照)

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週刊『前進』(1948号3面1)

 福祉切り捨てる石原打倒を

 「中国分裂させよ」と対中国戦争挑発を叫ぶファシスト

 『諸君!』での暴言弾劾する

 ファシスト都知事・石原慎太郎が中国への侵略戦争の鼓吹者・挑発者としてとんでもない侵略主義的・排外主義的暴言を吐いたことを徹底的に弾劾する。

 第1節 石原は日本のハイダーだ!

 雑誌『諸君!』三月号での文芸評論家・福田和也との対談で、石原は反米・反中国の言いたい放題の暴言を吐いている。特に中国に対して、「世界唯一のエンパイア(帝国)」と規定し、「(中国を)分裂させなきゃいけないんだよ。少しでもその作用に日本は手を貸してやるべきだし、分裂前後のイニシアチヴもとらなければならない。アメリカの軍事的後退がどの程度になるかはわからないけれど、ヘゲモニーが崩れたその後の情勢を睨(にら)めば、やはり東アジアの秩序を維持するに必要な軍事力を備えていく必要もあるしね」と言っている。
 また、そのために「日本の金を使って沿海州などの中国の周辺に自治区みたいな地域をどんどん作るという戦略をすぐ行動にうつすべきなんだよ。(そうすれば)中国の国内分裂の動きを加速させることができる」と言って、ロシアと中国への侵略をも提唱している。沿海州(ロシアの東南端の日本海に面する地域)を日本の支配地域とすることによって、中国を分裂させるというのである。
 このような石原暴言を受けて福田は、「(中国分裂が)うまくいけば、それこそ石原さんのおっしゃる大東亜共円圏、アジア版ECが可能になります」と称賛している。
 石原は南京大虐殺の事実を否定し中国侵略戦争を美化し居直ってきただけでなく、新たな中国侵略と侵略戦争を公然と扇動する言辞を吐くに至ったのだ。絶対に許すことができない。
 しかも昨年十一月には台湾を訪問して李登輝と会談し、今年四月には都庁でチベットのダライ・ラマと会見を予定するなど、現実の活動として中国の分裂をあおり、侵略戦争のきっかけをつかもうとしている。
 これは日清戦争と一九〇〇年の義和団事件を契機に中国に侵略し(それ以来四五年の敗戦まで、日帝軍隊は中国に居座り続けた)、柳条湖事件をデッチあげてニセ「満州国」をつくり、盧溝橋事件から中国全土に侵略戦争を拡大した戦前の日帝の暴虐を「今度はうまくやり遂げる」とばかりに再現しようとするものだ。
 これは、米帝と競って中国の覇権を獲得し、アジアの日帝勢力圏化を図り、大東亜共栄圏(石原の言う「大東亜共円圏」)をつくろうとするもので、「そのためには軍事力が必要」として戦争にも訴えることを明確にし、今日の日帝が本質的に狙っていて、まだ口に出せないことをファシスト的に突出して公言しているものである。
 「中国を分裂させる」などという内政干渉の侵略主義、排外主義の言辞が現職の都知事の口から発せられること自体とんでもないことである。国際問題に発展して一内閣が吹っとんでしかるべき性質のものだ。
 しかしそれが、たいしてとがめられもせず現実にまかり通っている。民主党はもとより、日本共産党も「首都移転反対と外形標準課税には賛成」と石原を支持している。
 石原は、反米・反中国を公然と掲げ、中国侵略戦争をあおり、首都から日本を戦争のできる国に変えようとしているファシストである。石原は現代のナチス・ヒトラー、日本のハイダーなのだ。オーストリア自由党党首・ハイダーは、ヒトラーとその侵略戦争を礼賛し、自由党の政権入りを果たした。だがヨーロッパ中の非難のあらしによって、ハイダーは形の上では党首辞任を余儀なくされた。
 石原が都知事になって排外主義暴言を繰り返していることは、オーストリアのハイダーに勝るとも劣らない重大な事態だ。ファシスト石原打倒は日本の特に首都の労働者階級人民にとって死活的な緊急の課題である。闘う中国、アジア人民と連帯し、絶対に石原を打倒しなければならない。

 第2節 外形標準課税の反人民性

 石原は、外形標準課税をもって「甘い汁を吸ってきた銀行をこらしめる」かのようなポーズをとっているが、これは実際は労働者人民に対する大増税の一歩でしかない。自民党税調、政府税調がこれに乗って「全国一律、全業種への外形標準課税」と言いだしたように、全業種に拡大され、中小零細企業を直撃し、賃下げと首切りに直結していくことは間違いない。
 何よりも石原は、都職員の賃下げとリストラ、高齢者医療費助成と高齢者福祉手当の廃止、シルバーパスの有料化、重度心身障害者手当への所得制限導入と心身障害者の医療費助成への所得制限強化などの福祉切り捨てを強行している。
 介護保険が四月から実施されようとしている。「介護は権利」という命の叫びに真っ向から敵対しているのが石原だ。「保険あって介護なし」の介護保険は絶対に中止以外ない。誰もが必要な介護を受けられるように闘わなければならない。ファシスト石原とその息子・石原伸晃を打倒し、衆院選に勝利しよう。

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週刊『前進』(1948号3面2)

 ストップ介護保険

 現場の労働者に聞く 2

 高齢者の生き甲斐奪う問題が多い要介護認定

 老人保険施設看護婦 Bさん

 ――老人保健施設で働いておられるそうですが。
 私は、A町の老人保健施設で看護婦をしています。入所者が八十人ぐらいいます。看護婦とケアワーカーと相談員と諸々の職種の人がいます。一番多いのは介護をする人で、看護婦も介護を一緒にしながら看護もやり、看護婦としての知識を発揮するわけです。
 今介護保険の実施に向けて調査が行われています。ケアマネジャーが調査をする場合と市町村から調査員が来る場合とあります。家族が立ち会っていても現場の私たちが立ち会わなければいけないんですね。施設に入っている人の様子というのは現場にいる私たちの方がよくわかりますから、私たちが聞かれたことに対して答えています。

 第1節 4分で検討無理

 ――調査に立ち会っていてどう感じますか。
 まず、アルツハイマーの人が要介護度が低く出てしまうのが問題です。要介護度を決めていくのに施設介護を基準にしているということがあるんですね。施設の介護と在宅の介護の場合には違うと思います。足腰が丈夫ということから要介護度を見ていくと低くなってしまうというのは調査票を見ればいえます。
 今入所している人たちが一割の自己負担と保険料を払うことになるわけですが、そうなるとすごく大変ですね。意外と家族の人がまだ自分がいくら払わなければならないかが良くわかっていません。
 また、主治医意見書を医師が書くのですが、難しくてつらい仕事です。主治医意見書を書こうと思っても現場の人間に聞かないと書けないわけです。一緒にいて、よく観察していないとわからないんですよ。
 開業医の場合にはもっと大変じゃないですか。実際に書類を見せてもらってもほとんど書いてないものもあると言ってました。私のところの先生は時間を費やして一生懸命書いていますが。そうなってくるとかなりばらつきが出てくるのではないですか。
 二次判定も時間が短すぎます。一人について四分でしょ。私たちは主治医意見書をつくるのに初めはものすごく時間がかかった。最初は一人について三十分かかりました。慣れて要領がわかってきたんですけどそれでも二十分ぐらいかかります。それを検討して判定するのに四分じゃ無理だと思います。
 そこで問題だと感じるのは、老人性鬱(うつ)病の人や心気症の人が施設にいるんですが、そういう人が認定制度では軽く判定されてしまうということです。心気症というのは、例えばお腹がすいたりするとそれで死ぬんじゃないかと恐れたりしてそれにとらわれたりする。立つことも歩くこともできるのに日常的には寝たきりの生活をしているわけです。もし自立ということになったら施設利用はできなくなってしまうし、家庭に帰せば鬱状態も、心気症もひどくなるわけです。
 また、デイサービスを利用する人たちでもそれを生き甲斐としている人たちがたくさんいるわけで、その人たちの問題ですよね。寝たきりにさせないようにしなければいけないわけです。だけど、自立にされてデイサービスも利用できなくなればそれを生き甲斐としている人たちが早く寝たきりになってしまうということです。

 第2節 大変な仕事増加

 ――準備作業はどうですか。
 介護保険に振り回されています。仕事がよけいに増えた。そもそものケアをするという仕事ははずせませんから、もともとの業務以外にそれに関わらなければならないのです。
 それから調査を四月までに終わらなければならないということです。施設の方はまだ楽ですが、在宅の人たちの調査をしてプランを立てる介護マネジャーは、何曜日の何時はどこということを、利用者が支払う金との関係でケアプランを立てるわけで、その作業は大変ではないですか。
 それが今問題になっているわけです。今現に受けている介護を受けるためには、最高の要介護5と認定されてもそれじゃ間に合わないわけです。最高の要介護5で約三十六万円ほどになるわけですが、ある人の場合、今受けている介護を計算すると五十万円ぐらいになる。結局その介護を維持しようとすると十七〜八万円の自己負担になってしまう。そんな負担はできないし、介護のレベルを落としたら生活できないので結局は施設に入らなければならないということになる。
 どちらを選択してもいいんですよ、望む介護が受けられますと言ってきたんですが、現実はまったくそうではない。
 ――財政削減と福祉切り捨てのためにやっていますからね。
 現場の人はみんなわかっていますよ。本当に高齢者を救う制度ではない、高齢者を行き場のないところに追いやる制度だと。現場は、それにどうすることもできずに怒りを募らせています。
 本当にお年寄りをみる場合には、みる側の気持ちが問題なんですよ。人間をケアするために一番大切な部分なんです。人間性が問われるし、欲とか損得の問題ではなくて、そういうものをやれるためには介護者の側が高まっていかないとだめだということがある。私たちも自分が疲れているといい介護ができないんですよ。とっても肉体労働ですから、介護という仕事は。

 第3節 労働条件が重要

 人間にとって一番必要なものを要求されているわけですよ。それなのに低賃金なわけです。実際介護するのは若い人たちが多いんですが、その介護する人間のストレスを仲間の団結で解消しているんです。
 労働者の労働条件がきちんと保障されないようだと逆に問題が広がってくるのではないでしょうか。介護保険になったらいろんな施設は運営方針を変えるでしょう。そうなると施設内でかげでお年寄りを虐待するという問題が起きてくるのではないでしょうか。
 いま四月実施に向けて準備が進んでいますが、やればやるだけ矛盾を感じます。実際にケアプランを立てなければならない介護マネジャーの人が特に大変だと言ってました。つらい立場に立たされて、無慈悲なことをやらされるわけですよ。問題意識があればあるほどつらいですよ。
 みんな企業のお金儲けのために介護保険をやっているという構造がわかっていないと思うんですね。階級意識がしっかりないと。資本主義とはどういうものか、資本家が生き延びるためのお金をどんどん政府は費やしているということがわかってない。矛盾を感じながらも「仕方がない」という形になっている。そこをどう変えていくかが課題ですね。

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週刊『前進』(1948号3面3)

 高齢者の虐待が常態化 必要な保険給付も拒否

 ドイツ介護保険の実態暴く

 大増税と福祉解体の介護保険四月実施は絶対に中止させる以外にない。
 日本の介護保険法のモデルとされているのは、九五年から実施されたドイツの介護保険法だ。介護保険推進派は、ドイツの介護保険制度を賛美し、バラ色の高齢者福祉が実現したかのように宣伝している。だがドイツにおいても、介護保険制度の導入によって福祉は解体され、高齢者に対する虐待とも言うべき事態が横行しているのが現実だ。
 「シュピーゲル」誌に掲載された記事に基づき、ドイツの介護保険制度の実態を見ていきたい。(『コミューン』二〇〇〇年四月号の翻訳資料を参照)
 ドイツでは、介護保険が高齢者の命を奪うものにさえなっている。こうした実態が明るみに出されるとともに、介護保険に対する怒りと闘いが広がっている。

 第1節 4人に1人が放置で床ずれ

 ハンブルク市に住むある女性は、介護サービス業者によるずさんな介護で衰弱し、寝たきりになってしまった。背中に床ずれが広がり、病院に送られた時にはすでに潰瘍(かいよう)が皿ほどの大きさにまでなっていた。手術のかいもなく、彼女は亡くなった。
 老人介護施設に三週間預けられただけで床ずれになり、飲食もできずに昏睡(こんすい)状態に陥ってしまった女性もいる。
 ハンブルク大学病院の法医学研究所が市内の火葬場で約二千五百体の遺体を調査したところ、六十歳以上の遺体のほぼ四分の一に褥創(じょくそう)=床ずれがあったという。中には、骨が露出するほどの傷も見られた。同研究所のクラウス・ピュッシェル所長は、全高齢者の少なくとも四分の一は「重大な放置状態」にあると警告している。
 ライン・マイン地方でも、やせ衰えた入所者が一つのベッドに三人で寝かされている施設があったと報告されている。
 高齢者団体「グラウエ・パンター」(「灰色の豹」)のトルーデ・ウンルー議長は、介護の欠如は「最悪の人権侵害」であり、いまだかつてなかったほどの「高齢者への憎悪」を示していると怒りを語る。
 これらは、介護保険制度によって福祉に「市場原理」が導入され、暴利を求める民間資本が参入してきた結果だ。収入をあげるために業者が患者をひどい状態のまま放置していたケースがいくつもあった。
 また、介護保険を運営する地区疾病金庫(地区単位の健康保険組合)が極端な給付抑制を強いていることにもその原因がある。
 ハンブルク保健介護協会のカリン・ヘルマー事務長は、「われわれは夜も三回(被介護者の)体位を変えなければなりませんが、それに対しては介護保険からは支払われません」と訴える。その結果、事業者の中には、収入にならない作業を省略するところがでてくるのだ。看護婦のカリン・シュレーダー・ハルトビックさんも、「人員削減がさらに進めば、床ずれ患者の一層の増加に直結する」と危機感を表明している。

 第2節 老人を犠牲に財政維持図る

 シュレスビッヒ・ホルシュタイン州で老人ホームを経営するドローテア・ベームさんは、尻と腰に床ずれのある覚醒昏睡の患者を受け入れた。しかし疾病金庫は、四カ月にわたって一万五千マルク(約百八万円)の特殊マットレスを買うことを拒否し続けた。結局この人は、病院に入らなければならなくなったという。
 アウクスブルク市の内科医エーバーハルト・フォイファーさんは、次のように州社会相に訴えている。卒中発作を繰り返して十年来寝たきりの七十六歳の女性患者に、圧迫潰瘍を防ぐための定期的なマッサージと体位変換を施そうとしたが、疾病金庫は必要な介護の給付を拒否した。理由は、「七十七歳の夫がまだその介護をできるだろう」というものだった。
 手術で重い脳損傷を受け、夫に介護されていた七十二歳の女性は、疾病金庫から電気介護ベッドの給付を拒否された。事故にあい、マットレスを必要としているのにその支給が認められず、両脚切断の後になってようやく支給された女性もいる。寝たきりの女性が、薬を飲む時の付き添い費用の支給を拒否された例もある。彼女は肺の病気で、しかも視覚「障害者」で自分で薬を飲むことはできないにもかかわらずだ。
 連邦民間老人ホーム・介護ホーム・訪問サービス連盟のベルント・テブス事務局長は、「ドイツでは在宅看護の約一五%の処方が理由なく拒否されている」と述べ、金庫が困窮した老人を犠牲にして自分の財政状態を守ろうとしていると非難している。
 ザクセン・アンハルト州の疾病金庫の内部文書には、「床ずれの場合に適切に寝かせること」にも「薬の投与およびその監視」にも、保険給付はするなと書かれていたという。こうして、九八年には在宅看護への支出を八・四%、八億マルク(約五百七十六億円)も削減したのだ。
 これが介護保険「先進国」ドイツの実態だ。
 もともとドイツは、日本に比べれば介護、医療、社会保障は比較的ましな国だった。それが、東西ドイツ統一後の介護保険の導入によってここまで悲惨な状態にされてしまった。日本で介護保険が実施されたら、恐るべき事態が生み出されることは明らかだ。
 介護保険への労働者人民の怒りを爆発させて、四月実施を中止に追い込もう。長谷川英憲氏の必勝へ、衆院選決戦を闘い抜こう。

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週刊『前進』(1948号3面4)

 ”芦浜の勝利に続け”

 2・23六ヶ所

 核廃棄物搬入阻止に立つ

 二月二十三日、海外からの返還高レベル核廃棄物の六ケ所村への搬入阻止闘争に立ち上がった。高レベル核廃棄物とは、原発の使用済み核燃料を再処理した際にできるいわば「死の灰」で、きわめて放射能レベルが高く、近くにわずか数秒いただけで致死線量を超えてしまう危険なものだ。このため地元住民はもとより全国の人民、海上輸送ルート周辺諸国の人民が抗議行動を闘ってきた。今回は五回目で、搬入量はガラス固化体にして百四本と、これまでで最大量である。
 激しい吹雪と寒さをはねのけ、県内外から労働者人民がむつ小川原港前の広場に続々と結集した。反戦共同行動委員会の独自集会をかちとった後、海上保安庁の巡視艇やゴムボートに護衛されて入港してくる輸送船パシフィック・スワン号に対して、激しいシュプレヒコールをたたきつけた。
 午前八時半過ぎ、青森県平和労組会議、反核実行委員会主催の集会が開催された。地元六ケ所住民を代表して坂井留吉さんが発言した。「私がうれしかったのは、三重県の芦浜原発計画がついに白紙撤回に追い込まれたことだ。もうひとつは、県知事の意志で建設を止められるということだ。反対の闘いをより強め、私たちの仲間を知事に出して、建設をやめさせよう。このまま建設を許すならば、六ケ所のみならず青森県、全国の人びとは安心できない。六ケ所を変え、青森県を変えていかなければならない。全国のすみずみまでこの六ケ所の声が届くことを願っている」
 さらに中米プエルトリコから、環境保護団体「海の仲間」の代表ティト・デ・ヘススさんが発言した。「輸送船は、まるで泥棒のようにこっそりと私たちのところを通過していった。私たちはちょうど米軍の軍事演習に反対する闘いをしていた時で、そのすきをついて通過を強行した。今回は通過を許してしまったが、次はもっと情報を集めて反対を強める。今日はこの六ケ所の闘いと同時に、プエルトリコでは日本領事館、ドミニカでは日本大使館に抗議行動を行っている。ともに闘いましょう」
 次に、核燃料廃棄物搬入阻止実行委員会主催の全体集会が行われた。阻止実行委員会代表が「六ケ所の闘いは十五年になるが、継続した闘いは必ず勝利する。芦浜原発がそれを示した。さらに闘おう」と発言した。元衆議院議員の関晴正さんが「まったく言いなりになっているのが青森県知事だ。危険なものは危険だ。黙っていてはいけない。立ち上がって、闘っていこう」と熱烈に訴えた。
 北海道の反原発を闘う市民からの発言に続き、東北大学学生自治会の代表が、「本日の搬入攻撃に対して断固実力阻止で闘う。核と人類は絶対に共存できない。沖縄の人びとも名護新基地建設に反対し闘っている。国鉄労働者も不屈の闘いを貫いている。ともに連帯して闘う」と鮮明な決意を表明した。昨年亡くなった寺下力三郎元六ケ所村長の遺志を受け継ぎ「無核無兵」のゼッケンをつけて参加した人や、現地住民の坂井さんの発言を受けた。午後からの阻止行動への決意を全体が打ち固めた。
 「核廃棄物の搬入を実力で阻止するぞ!」、午後から本格化した搬入作業に抗議のシュプレヒコールをたたきつけた。今回は過去最大の搬入量なので、運搬する巨大なトレーラーも従来の倍の四台だ。トレーラーが出発する港の正面ゲート前が最大の攻防点になった。反戦共同行動委は正門前に陣取り、断固たるシュプレヒコールを警察部隊、ガードマンにたたきつけた。激しい阻止行動に出発予定時間はどんどん過ぎていく。しびれを切らした警察権力はついに機動隊を投入し、排除に乗り出した。われわれはスクラムをがっちり組み、機動隊の壁を押し返す。現地住民もスクラムに加わり、機動隊に激しく抗議した。正門前の各所で機動隊との激しい闘いが繰り広げられた。
 「芦浜の勝利に続こう」、この六ケ所住民の訴えをわがものとして、核燃料サイクル基地建設阻止へさらに闘おう。

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週刊『前進』(1948号3面5)

 全学連沖縄現地行動隊名護奮戦記

 「阻止できる」と確信もった

 東北大 T

 名護では岸本市長リコールに向け、猛然と闘いが始まっています。この間、現地行動隊は宣伝カーを使った宣伝活動や名護市全戸へのビラ入れを行っています。私がビラまきしたときに出会った名護市民の反応をいくつか報告します。
 何よりも強く感じたことは、名護市民のヘリ基地絶対反対の思いです。「こんなヘリ基地に賛成する人なんていない」という言葉が何人もの人から返ってきます。なかにはこちらに「あんたは基地反対?」と聞いてきて、「反対です」と答えると「そうかそうか」とうれしそうに何度もうなずく人もいます。また、ある夫婦の家では「海上基地反対のビラを配っています」と中に入っていくと「家にあがりなさい」と言われ、お茶やお菓子をもらい一時間ほど話になったこともあります。その家の方は沖縄戦から戦後の沖縄の話をしてくれて、「沖縄戦当時、ここら北部地域は南の那覇方面から多くの人が非難してきて大変な状態だった」「私は嘉手納出身。戦後の米軍による土地接収は本当にひどかった。嘉手納基地をつくるときには何も言わずにいきなりブルドーザーでサトウキビ畑を壊していった。何も謝らないで。本当に憎い」と話してくれました。
 リコール運動に関しても、この間多くの反応が返ってきています。「ヘリ基地反対のビラです」と言ってビラを渡すと、「リコ−ル署名はしないでいいんですか?」「リコール署名は必ずしますよ」という声が返ってきています。北部地域のある役場では「ここの役場にも何人か名護市から通ってきている人がいるから、ここでもリコール署名をやったらいいよ」と言ってくれる人もいました。“基地反対という思いを踏みにじった岸本市長を絶対に許さない”という怒りがどんどん出ています。
 一方で「ヘリ基地に反対しているのは名護の人間ではなくて、外からやってきた、本土からやってきた人間なんだ」と言われたこともあります。岸本市長−誘致派はこのようなことを言って基地反対運動、リコール運動をつぶそうとしているわけですが、しかしこれこそ沖縄−本土を分断しようとする攻撃ではないのか。すべての労働者人民が基地・戦争には絶対反対なのであって、すべての労働者人民が名護のヘリ基地反対の闘いを激励し、ともに基地反対を闘っていく中で何よりも本土の安保・沖縄闘争を絶対に爆発させていかなければならない、ということだと思います。それをこのヘリ基地建設阻止の闘い・リコール運動の中でやっていかなければならないと感じました。
 この間の闘いの中で基地建設阻止は圧倒的に可能な地平を切り開いています。何よりも名護市民一人ひとりの「基地には絶対反対」という思いと、「岸本市長のリコールによって基地建設は絶対に阻止できる」ということに確信を持つことです。市長リコール勝利・サミット決戦に向けてともに闘いましょう!

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週刊『前進』(1948号4面1)

 2000年3・14アピール

 カクマル松崎の過疎支配の危機爆発させるJR総連を打倒せよ

 戦争協力路線に労働者の怒りを

 中津 次郎

 第1章 3・14反革命への復讐戦25年カクマル完全打倒の誓い

 一九七五年三月十四日に、わが同盟の創設者であり、最高指導者であった本多延嘉書記長(当時)が、カクマル白色テロ部隊の卑劣極まるテロによって暗殺されて以来、二十五年目の「三・一四」を迎えた。この二十五年間、われわれは「三・一四反革命を見すえ、そそぎ、のりこえる」ために全党が心をひとつにして闘ってきた。そしてK=K連合(警察=カクマル連合)による革命党解体攻撃をはねのけ、今、カクマル完全打倒=JR総連打倒をはっきりと射程内にとらえる地点に立っている。そして、戦争と革命の時代、世界史的激動の時代に、日本階級闘争の戦闘的爆発を切り開きつつある。まさに本多書記長が最先頭で獅子吼(ししく)した階級的武装蜂起による日本革命の勝利の大道をまっしぐらに進撃しているのだ。
 カクマル=JR総連は、戦争協力路線に大転向し、ますます労働者人民の敵としての正体をあらわにしている。昨九九年の闘いをとおして、「カクマル=JR総連=ファシスト」という事実は、圧倒的な人民の階級的認識となるに至った。このこと自体が決定的な勝利である。
 すべての闘う労働者人民の皆さん! 革共同の同志の皆さん! ファシスト・カクマルの打倒なくして、労働者人民の未来はない。この二〇〇〇年、日帝の戦争と大失業の攻撃に真っ向から立ち向かうと同時に、それと一体の闘いとして、三・一四復讐戦貫徹=総反攻完遂、カクマル完全打倒のために決起しよう。
 二十五年間の対カクマル戦争の地平をがっちりとうち固め、警察と結託したファシスト集団の悪行に煮えたぎる怒りをもって総決起しよう!

 第1節 「JR総連=カクマル」規定の重圧にあえぐ

 カクマルはますます人民の闘いを破壊するためにデマとトリック、偽造と白色テロにのめり込んでいる。最近の動きをとりあげただけでも、▼新ガイドライン反対の「百万人署名運動」の名をかたって八回もニセ「通信」をデッチあげ、品性下劣なデマを書きなぐって運動の妨害と破壊を策動した、▼動労からNTTに送り込まれたカクマル分子が革共同や国労、その他労組・大衆団体の電話を盗聴し、情報をカクマル白色テロ機関に送っていた、▼カクマル分子が旅行社に侵入し、沖縄闘争に参加した人びとの名簿を盗み出していた――など、暴露される一つひとつが、すべて国家権力ではなく労働者人民を対象とした反階級的な行為なのである。カクマルは公安警察の手先だ。腹の底からの怒りを抑えることができない。絶対に打倒あるのみだ。
 こうした悪行に対する人民の怒りは、何よりもカクマルが過疎支配するJR総連・東労組を危機に追い込んでいる。それを示す重大事態が、今現に生起している。
 二月七日、JR総連執行委員会名で「組織混乱を意図した一連の組織介入と不審事に対する見解」が出された。そこでは、カクマルがJR東労組東京地本の旗開きや、職場・社宅・組合事務所に押しかけたことを「労働組合活動に対する妨害」と非難し、さらにJR総連の会議を盗聴したことを「全くもって許しがたい行為」などと非難した。
 また東労組機関紙『緑の風』二月十五日付は、二月九日に行われた東労組中央委員会の報道で、カクマルのビラ配布、「激励」と称した旗開きへの押しかけなどに「何人かの中央委員から疑問と危惧(きぐ)の意見、そして常軌を逸した行動に抗議の声があがりました」と報じ、「迷惑以外の何ものでもありません」「『支援』でなく組織破壊でさえある」「党の支配・介入は絶対許さない」と述べている。
 これに対してカクマルは『解放』二月二十八日付で議長・植田琢磨署名で「『労組への介入』ではない!」とする反論を掲載した。そこでは「JR総連、とりわけ東労組の労働組合運動を破壊することを狙った謀略がらみの敵権力の攻撃」に対して、カクマルがそうした攻撃から「終始一貫して、鉄道労働者の戦闘的闘いを側面から援助する種々の闘いを組織し展開してきた」と述べた。それゆえ、東労組が言うことは「いわれのない非難攻撃」「JR東労組のダラ幹どもの的はずれの寝言」であるとも毒づいている。
 事態は一層エスカレートし、カクマルはさらにこの声明を『解放』号外ビラにしてJR社宅などにばらまいた。また、これと合わせて、この間二度にわたって松崎明(JR東労組会長、カクマル副議長)の講演全文を再録した『主張』なるビラをまいた。
 こうしたJR総連とカクマルの、突然の醜悪な「やりあい」が示すものは、JR総連=カクマルにおいて決定的な危機が進行しているということである。
 もちろん、こうした「やり合い」それ自体は、見え透いた「自作自演」を動機としており、「JR総連=カクマル」の正体を押し隠そうとするものでしかない。お互いに対立しているかのごとき仮構をつくりだすことで、“JR総連・東労組とカクマルは無関係だ”というようにごまかそうとしているのである。
 なぜなら、そもそもJR総連執行委員のほぼ全員がカクマル分子であり、JR総連がカクマルによって牛耳られ、カクマルの延命のための道具となっていることは、周知の事実なのだから。
 重大な点は、このような「自作自演」を行い、組合の公式機関や組合機関紙を使って「カクマル批判・非難」を出さざるをえないほど、カクマルの過疎支配の危機が決定的に深まっているということである。そして、この「自作自演」の茶番劇は、カクマル自身の浅はかな思惑を超えて、JR総連の危機・矛盾を一層激化させずにはおかないのである。
 JR総連=カクマルがこのような「危険な」芝居に出ざるをえなくなった重大な要因は、カクマルによる組合の白色過疎支配が決定的な危機を迎えているからである。
 各地の地本・支部・分会で執行部と組合員の離反が進み、「役員だけの運動」「やれる人だけの運動」(東労組内部文書)になっている始末だ。不満や疑問を述べる組合員の続出に、あせったカクマルは職場や外で他労組と交流した組合員をつるし上げ、「組織破壊分子」「スパイ」呼ばわりし、見せしめ的な攻撃を加えてきたのである。そして「組織破壊分子の追及行動」「ブラブラ連合解体闘争署名」に組合員を強制的に動員し、「文句を言うやつは組織破壊者だ」と決めつけて動向を監視し、暴力支配・恐怖支配を強めてきたのである。
 最近では、「平和共存打破」「組織内のウミを一滴残らず絞り出す」と称して締めつけを一層強め、「他労組とお茶を飲むな。会話するな」「連れだって飲みに行くな」「一緒にやっている職場の親睦(しんぼく)会も解散しろ」などという異常な指示が行われている。こうした中で、カクマルの過疎支配、白色テロ支配に対する組合員の怒りと反発と不信は日増しに増大し、このままでは過疎支配が崩壊してしまうことを恐れて、新たな反革命的策動にうって出たのである。
 JR総連=カクマルが自作自演の「対立劇」にうって出ざるをえなくなったもうひとつの理由は、JR労資結託体制の危機である。カクマル・松崎は、日帝ブルジョアジーの一部にある「JR東日本の完全民営化のためには、カクマルを排除しろ」という批判をかわし、松田(社長)―松崎カクマル結託体制を維持し、カクマルの利権を守ることにすべてをかけている。そのために、“JR総連はカクマルと無関係である”との仮構をつくりだそうとしているのだ。
 東資本=松田の側も今後、第二の分割・民営化と言うべき保守部門の大合理化=大量首切り、国労解体攻撃を強行するために、カクマル・松崎=JR総連のファシスト的反革命性を使いまくろうとしているのだ。そのための松田=松崎体制の維持・強化のためのカクマルの悪あがきが、今回の「対立」劇であり、『主張』なるビラでの「松田・松崎体制を敵の破壊攻撃から守れ」というキャンペーンなのである。
 だが、カクマルの浅はかな思惑に反して、「対立」劇はますます「JR総連=カクマル」の正体をさらけ出してしまった。松崎・カクマルの危機のりきり策が大失敗することは必至だ。JR東日本の労資結託体制粉砕へ総決起しよう。

 第2節 ILO本部への圧力と春闘スト圧殺方針

 さらにカクマル=JR総連の危機と、一層のファシスト的転落を示す事態が次々と起こっている。
 一つは、JRの国労差別を強く非難したILO(国際労働機関)中間勧告にJR総連が打撃を受け、二月九日になんとジュネーブのILO本部にまで行って「首を切られた国労労働者を救済する勧告を出すな」という圧力をかけたことである。なりふり構わぬ反階級的暴挙は、JR総連が国鉄闘争の前進に追いつめられ、恐怖していることの証明である。
 今ひとつ重大なことは、カクマルが春闘方針からストライキ闘争を完全に追放したことだ。『解放』掲載の春闘論文、「連合批判」論文、春闘スローガン、そして二・一三カクマル春闘集会(基調報告も決意表明も)などのすべてから、完全にストライキ方針を抹殺したのだ。
 ストライキ方針を放棄することは、労働者が資本家と闘う武器を捨てるということである。つまり、日帝の賃下げ攻撃と一切闘わず、全面的に降伏するということである。松崎発言の「ストライキで解決できるほど世の中甘くない。ストよりワークシェアリングだ」(九五年水戸講演)を、カクマル自身の方針として確認したということである。
 カクマルは、JR総連―東労組の労資結託体制の危機の中で、カクマル自身が資本にとってけっして「危険な存在」ではないこと、松崎の「ストやらない、やらせない」発言はカクマルそのものの党的約束であることを必死でアピールしようとしているのだ。それどころか、スト絶滅、国労・動労千葉つぶしの先兵としての反革命的「存在価値」を日帝・資本にアピールしているのである。
 JR総連=カクマルをこうした危機にたたき込んだのは、カクマル打倒の闘いの全人民的な前進であり、また動労千葉・国労闘争団を先頭とする国鉄闘争の不屈の貫徹である。また、われわれが昨年のJR総連の軍事輸送協力宣言、「連合新政治方針への対案」問題など、カクマル=JR総連の大転向を連続的に暴露し全人民に宣伝し続けたことも、彼らをぐいぐいと追いつめてきたのである。
 ファシスト・カクマル=JR総連を孤立させ、その白色過疎支配を崩壊させ、完全打倒に突き進む絶好のチャンス到来である。今こそ労働者人民の大攻勢をたたきつけよう。
 2章 白色テロと「謀略論」、盗聴と脅迫に依拠するファシスト
 日本階級闘争史上かつてないファシスト反革命を打倒しきることは、真に偉大なことであり、日本帝国主義打倒=日本革命の勝利を半ばわが手に握りしめるに等しい。
 そもそもカクマルが右翼日和見主義者から公然たる白色テロ集団に転落した契機は、七〇年闘争に対する反革命としての七一年十二・四反革命であった。
 六九年、七一年の「二つの十一月」決戦を頂点とする七〇年安保・沖縄闘争は、デモ参加者のべ二千万人以上、逮捕者三万七千人という日本階級闘争史上空前のスケールで闘い抜かれた。この決戦過程で、東大決戦(六九年一月)から敵前逃亡するなど一貫して日和見主義的に動揺し敵対していたカクマルは、七〇年闘争が大衆的・武装的に発展していったことに心底から恐怖し、七一年十一、十二月、革共同と革命勢力に対する連続的な白色テロに踏み切ったのである。
 当時、革共同は十一月闘争への予防反革命として、二度目の破防法の適用を受け、十一月渋谷・日比谷暴動闘争で多くの同志が逮捕・投獄され、集会・デモ禁止などの集中砲火を浴びていた。その最中にカクマルは中核派への襲撃を開始し、十二月四日に関西大学学費値上げ阻止闘争のバリケードストを襲撃し、辻敏明同志、正田三郎同志を虐殺、十五日に三重大学で武藤一郎同志を虐殺し、さらに多くの指導的同志への襲撃を策動したのである。
 カクマルが革共同を憎悪し襲撃した理由は、中核派が「日本階級闘争の表層(実は深層)をかく乱させた」(『解放』七二年一月五日付)からということだった。カクマルはこうして十二・四反革命が、日帝の階級支配を根底的危機にたたき込んだ七〇年決戦全体に対する反革命であることを自認したのである。
 われわれはカクマルの急速な白色テロ化の前に一時的には確かに困難な立場を余儀なくされたが、そうであればあるほど、怒りと不退転の決意は一層強くなった。われわれは、この困難を「勝利に向かっての試練」として真正面から受け止め、革命党と労働者階級の隊伍を反革命の襲撃から守りぬくことこそ、七〇年闘争の切り開いた地平を発展させる闘いであることを確信し、二重対峙・対カクマル戦争へと突入していった。
 そして七三年九・二一の報復戦突入をもって戦略的防御から対峙段階をかちとり、さらに総反攻へと転じていった。その闘いに追いつめられたカクマルは七五年三月十四日、実に卑劣な手段で本多書記長を暗殺するという、かつてない大反革命を凶行したのである。
 この三・一四反革命こそ、革命党党首の暗殺を初めから意図した反革命であり、カクマルが白色テロを主要手段とするナチス型集団に転落したことを最後的に示すものであった。
 党首の暗殺という大反革命に対して、われわれはすさまじい怒りとプロレタリア革命勝利への執念に燃え、全党一丸となって復讐戦争に突入していった。
 そして、八〇年十・三〇戦闘を頂点とする画期的な勝利をかちとり、先制的内戦戦略のPT(第一)段階からPU段階へと前進していったのである。
 一方、カクマルは、戦争的敗勢をごまかすために「権力の謀略」論デマ(中核派にやられているのではなく権力にやられているのだ、という大ウソ)を叫んで国家権力に泣きつき、K=K連合への依存を強めていった。さらに動労を「水本謀略デマ」運動で引き回し、国鉄分割・民営化攻撃の先兵へと転落していった。
 二重対峙・対カクマル戦争のPT、PU段階の闘いの意義は計り知れないほど大きい。われわれは、一九二〇―三〇年代のファシスト反革命の白色テロに抗しえず、血の海に沈められた国際階級闘争の敗北の教訓から学んで、そののりこえをかけて対カクマル戦争を全力で闘ったのだ。
 そうして、カクマルの革共同解体のもくろみを完全に粉砕し、党と階級の隊伍を守りぬき、逆にカクマル組織を着実に追いつめ、路線的・綱領的破産を拡大してきた。
 カクマルとの死闘が党の革命的資質を鍛え上げ、それが同時に日帝のあらゆる転向強要攻撃をはね返す力となり、九一年五月テーゼ路線のもとでの本格的前進の時代をたぐり寄せたのである。
 二十一世紀の幕開けを目前に、カクマル=JR総連の決定的危機をつくりだしつつある今日、いよいよこの闘いの勝利性と正義性への確信をうち固め、ここ数年のうちにカクマル=JR総連を完全打倒しよう。

 第1節 ファシスト石原の「銀行新税」に大賛成

 われわれは昨九九年、新ガイドライン闘争を軸に労働者人民の決起と結びつき、偉大な前進をかちとった。その対極でカクマルは、あらゆる面で危機を深めている。
 とりわけ、カクマルが過疎支配するJR総連では、すでに見たとおり重大な危機が進行している。国鉄労働者の「JR総連解体・労資結託体制打倒」の闘いと五月テーゼ下の対カクマル戦が結合して、確実にカクマルを追いつめているのだ。
 沖縄でも決定的事態が進行している。沖縄カクマルの壊滅的事態をもたらした「山里問題」発生―山里殺害未遂事件以降、本土カクマルを投入して沖縄組織の再建をはかったもののうまくいかず、至るところで沖縄人民の怒りの的となり、孤立を深めている。二〇〇〇年沖縄決戦は、カクマル組織の最弱点である沖縄カクマル打倒・一掃に向かっての重大決戦に押し上げられた。
 さらに、『解放』新年号は九九年の総括も二〇〇〇年の闘争方針も提起できないという惨状を示し、日本階級闘争からの脱走・逃亡を宣言した。また破産した「新東西冷戦論」をなんとか維持しようとする一方で、議長・植田は同じ新年号でそれを否定するという大動揺をさらけ出した。
 カクマルはこれまで「世界の戦争の根源は、中ロの対米包囲網づくりにある」「中ロの脅威の前に帝国主義は団結し、帝国主義は侵略戦争も帝国主義間戦争もしなくなった」「帝国主義は民族=宗教戦争を解決しようとしている」と言い続けてきたのである。ところが、米帝・NATOのユーゴスラビア侵略戦争のすさまじい戦争性・破壊性、これに対する中国・ロシアの無力、帝国主義間争闘戦が旧スターリン主義圏をめぐるむき出しの軍事的再分割戦に突入した現実に直面して、カクマルの「中ロ脅威論」「新東西冷戦論」は、植田を先頭にしてグラグラになっているのである。
 この破産の中でカクマルは、反米愛国主義と、中国に対する民族排外主義を声高に叫んでいる。「中華帝国を分裂させよ」(『諸君!』三月号)と叫ぶファシスト都知事・石原慎太郎にイデオロギー的にすっかり共鳴している。
 JR東労組=カクマルは、機関紙『緑の風』二月十五日付で、「(外形標準課税の)石原構想にもろ手を上げて賛成するのは当然だ」「石原都知事の既成の『秩序』を破壊する決断力・実行力は評価されてよい」と、驚くべき石原賛美発言を行った。自自公政治や銀行に対する人民の怒りを利用して、大型開発と首都治安強化と、日帝の大増税に道を開く石原の外形標準課税導入に「もろ手を上げて賛成」とは! 福祉大幅切り捨て、都職員の賃下げ・リストラを強行し、陸海空三自衛隊投入の首都クーデター訓練を狙っている石原の「決断力・実行力を評価」するとは!  カクマルは、ファシスト石原の手先だ。
 昨年は日帝権力が、K=K連合に甘えきったカクマルの非公然活動の弱点を突いて、コントロールのための圧力を強めた。日帝は、カクマルが民間反革命としての一定の独自運動をもって階級支配を反革命の側から動揺させることに危機感を強め、K=K連合再編の圧力を強めたのである。これに対してカクマルは、JR総連の戦争協力宣言と、大衆闘争破壊策動の強化をもって権力への屈服、忠誠を誓ったのである。
 それを実際に権力に示して見せたのが、昨年の後半過程のカクマルの悪行である。革共同からの反党脱落分子・白井朗の名をかたったニセ「白井パンフ」を全国の大衆団体・労組・議員・弁護士・宗教者などに送りつけ、さらに大衆団体の名を僭称(せんしょう)してニセモノのニュースやデマビラの発行、ニセ電話・脅迫電話など、卑劣な手段で大衆闘争の破壊にのめり込んだ。
 だが、こうした暴挙は、あらゆる戦線で労働者人民の怒りに火をつけ、反ファシスト解放戦争の陣形を大きく前進させるものとなった。ニセ「白井パンフ」の策謀は本紙上での暴露、書店の毅然たる廃棄処分によってあとかたもなく粉砕された。ニセ「白井パンフ」・脅迫ビラをもって組合事務所を訪れたカクマル分子は労働者につまみ出され、ほうほうの体で逃げ帰った。部落解放同盟全国連合会は、カクマルの組織破壊策動に怒りの弾劾声明を発した。都労連集会の現場では、学生カクマルの暴力に労働者の怒りの鉄拳が浴びせられた。カクマルは墓穴を掘ったのだ。

 第2節 「神戸謀略論」デマの破産を総括してみよ

 さらに「神戸謀略論」デマ運動を最後的に破産させたことは、特筆すべき決定的勝利である。「神戸の小学生殺傷事件はアメリカCIAの犯行」「アメリカ帝国主義の日本保護国化のための対日工作」などというデマ宣伝は、われわれの闘いによって完ぷなきまでに粉砕されたのである。そして、カクマル=JR総連の一連の「権力の謀略論」「鉄道謀略論」も、すべてこのたぐいのカクマルのウソだということをさらけ出すものとなり、「デマのカクマル」「盗聴のカクマル」という階級的認識が急速に広がっていったのである。
 カクマルの受けた打撃は甚大であり、この「神戸謀略論」デマ運動を『解放』新年号で総括も提起できない惨たんたる状況を示している。九八年の『解放』新年号で「ハンガリー革命に匹敵する闘い」などと大仰に位置づけ、組織を挙げて取り組んだ課題について、何の総括も示さないで撤退することなど、政治組織として無責任の極みである。
 今年の『解放』新年号では植田が、黒田の言葉を引いて「われわれが展開する種々の実践はつねに必ず成功するとはかぎらない。失敗や過誤をおかしながらも……」などと言っている。つまり、「今回は失敗したが、次はもう少しうまくやる」ということであり、カクマルは内部から起こる動揺を抑えつけることに必死なのである。
 今やカクマル=JR総連は、またぞろ「新たな鉄道謀略が始まった」「JR爆弾事件やATOS(東京圏輸送管理システム)の故障も謀略」「トンネル壁崩落も権力の謀略(!)」などと何の論証もなく「謀略」デマを流している。だが、今やJR総連の内部でもこんなデマを本気で信じるものは誰一人いない。「謀略論」デマを言えば言うほど危機は深まるが、それでもカクマル=JR総連はそこから逃れられず、アリ地獄にはまりこんでいるのだ。
 「神戸謀略論」デマ運動では、カクマルはA少年の家族の住居に侵入して壁の中に盗聴器をしかけて盗聴し、鑑定医の病院に侵入して供述調書を盗み出し、その調書を文芸春秋社などに送って公表させた。このようにカクマルは、「A少年を冤罪から救う」などといいながら家族や弁護士に近づき、自分たちの「謀略論」宣伝という党派利害のためにA少年や家族、被害者の人権をもてあそび、踏みつけにしたのだ。このファシスト的悪行を徹底的に断罪しなければならない。

 第3節 「階級がふやけているから闘えない」と松崎

 カクマルが、労働者人民をどんなデマとペテンでだましても構わないと考えていることは、黒田=カクマルの根っからの労働者蔑視(べっし)によるのである。
 黒田、朝倉、松崎は言う。
 「現実の大衆は、しかし、その感覚や精神さえもが疎外され、……闘争にたちあがろうとする気力をさえ喪失し、こうして全体として現存支配秩序にあみこまれているのだ。いわゆる大衆社会的状況におかれた砂のごとき大衆が、それである」(黒田『日本の反スターリン主義運動2』)
 「先進資本主義国の労働者・勤労人民は……帝国主義的腐朽の中に完全に編み込まれてしまっている」「五無的人間(無感動・無気力・無関心・無責任・無作法)になっている」(朝倉、九六年十・一三集会)
 「階級全体がふやけているから突出できない」(松崎『寺子屋賃金ばなし』―自分たちの裏切りを労働者階級のせいにして開き直っている。このファシスト性!)
 このような、マルクス主義とはまったく無縁な、労働者階級に対する蔑視と、労働者自己解放の思想に対する敵対が、黒田=カクマルの一切の出発点なのである。
 革命党は、権力・資本との闘いの先頭に立ち、その闘いをとおして労働者階級が本来もっている階級的自己解放性の全面的な解放と組織化のために闘うのであるが、ファシスト・カクマルはまったく逆である。労働者を「砂のごとき大衆」「五無的人間」でしかないとして、カクマルの党派的利益のために踏み台にし、だまし、脅し、襲いかかるのだ。「権力の謀略」デマを流し、“労働者は無力であり、強大な権力と闘っても到底勝てない”などという、まったく腐りきった屈服の思想を振りまくのだ。すべては「世界に冠たるカクマル派の建設」のためであり、そのためには一切が許されるというわけだ。
 これはヒトラーのファシスト思想と完全に同根なのである。ヒトラーは、「民衆の圧倒的多数は、冷静な熟慮よりもむしろ感情的な感じで考え方や行動を決める」「巨大なウソをつくりあげてみることなど、彼らの思いも及ばないことだろうし、下劣なまでに真実をゆがめうる厚かましい人間もいることなど、彼らにはとても信じられないのである」(『わが闘争』)などとうそぶいた。こうしてデマとデッチあげと白色テロを駆使してファシスト運動を展開した。
 カクマルはこのナチス・ヒトラーをまねて平気でうそを言う。しかも「大がかりなほど本当らしく見える」とばかりに系統的・組織的にデマ運動を展開するのである。
 ファシストというものは、デマ、デッチあげ、トリックに浸りきっているうちに、「理論」的一貫性も捨て去って無理論化し(もともと大衆蔑視があるから階級的真実を重視しない)、ますます卑劣なだましと白色テロに依拠するしかなくなるのである。
 そして、帝国主義のあらゆる腐敗したイデオロギー、差別主義、民族排外主義をあおり、そうしたものを白色テロの脅威で人民に強制しようとする。ウソとだましと脅しと白色テロ――これこそがファシストに共通の行動様式なのだ。今や、カクマルは激しい路線的・組織的危機の進行の中でますますそうした真正ファシストへと純化しつつある。
 3章 安保・自衛隊・改憲を容認し「分割・民営化」以来の大転向
 昨年五月の新安保ガイドライン法(周辺事態法)の成立を機に、JR総連は「戦時下の労働運動」論を打ち出して軍事輸送に協力することを宣言した。八月には「連合政治方針見直しに対する対案」を提出し、日帝の行う侵略戦争への全面協力を誓った。これは決定的に重大なことである。
 事実経過は以下のとおりである。
 JR総連は、新ガイドライン法成立直後に開いた定期大会(六月六、七日)で柴田委員長が「戦時下の労働運動という時代認識」を打ち出した。その意味するところを柴田は、「新労働通信」六月十六日付ではっきりと述べた。すなわち「新ガイドライン関連法により、JRは『周辺事態』に際して武器・弾薬や兵員の輸送を担わされることとなった」「自衛隊との密接な連携と協力が義務づけられているJRは、軍事輸送・戦争加担を拒否できない」という軍事輸送協力宣言である。
 また、JR東労組は機関紙『緑の風』六月十五日付で「『戦時下』とは労働運動は存在させられない状態を言う」と規定した。さらに定期大会(六月二十二〜二十四日)で、嶋田書記長は「まさしく戦前、戦時下そのものであり、労働組合が存在しえない、暗黒の時代という現実がある。われわれは孤立に孤立を重ねている。そのような現実に、われわれは背筋が凍る恐怖心をもたなければならない」と、徹底的な敗北感、恐怖感をあおり立てた。
 「もう戦時下」という規定もデタラメだが、「戦時下では一切闘えない」というのも、度し難い屈服である。周辺事態法は強行成立させられても、日帝の戦争体制づくりはまだきわめて不十分なままである。それを阻む労働者人民の闘いが全国に根強く存在しており、社・共、連合が屈服しても労働者階級の戦闘力はけっして解体されていないからである。
 ところが、いち早くJR総連は「法律ができてしまったから、もうおしまいだ」と、新ガイドライン体制を受け入れ、軍事輸送を拒否しないことを組合方針として打ち出したのだ。

 第1節 連合への「対案」問題で批判に反論できず

 さらに決定的なことは、JR総連が八月中旬に連合中央に提出した「連合政治方針見直しに対する対案」である。そこでJR総連は改憲・安保・自衛隊・海外派兵を公然と承認し、転向路線を大きく進めたのである。
 これは国鉄分割・民営化への全面協力以来の重大な裏切りである。JR総連の「対案」は、新ガイドライン体制に対応した連合の大転向、産業報国会化に、ファシスト労働運動として積極的にゴーサインを与えたものである。連合新政治方針の承認、推進という自己の反革命的本質を少しでもごまかそうとして、こそくにも「対案」なるものを提出したのだ。
 それは、およそ対案という代物ではなかった。新政治方針の補強案、積極的推進案と言うべきものだった。帝国主義国家の「自衛権(すなわち侵略戦争の権利)」を「独立国家の固有の権利」として承認し、自衛隊と日米安保を容認した。さらに「国連決議によらない軍事行動に反対」すなわち、国連決議さえあれば軍事行動(帝国主義の侵略戦争、自衛隊の海外派兵)に賛成する立場を打ち出したのだ。これは連合の新政治方針ですら直接言及していない点であり、JR総連はこれを突出的に承認したのだ。
 さらに憲法改正問題について、連合の「時期尚早」に対して「不適当」を対案とした。こんなものはまったく対案ではない。改憲そのものを何一つ拒否していないし、隠れ改憲でしかない連合の「憲法論議」に賛成したのだから。JR総連は今や改憲派そのものである。
 これはJR総連のデッチあげ団体である「九条連(憲法九条―世界へ未来へ連絡会)」なるものが、改憲阻止の運動などではまったくなく、実はペテン的に人をだまして、改憲と日帝のアジア侵略戦争を翼賛するものであることを同時に示すものだ。
 日帝が朝鮮・中国―アジア侵略戦争突入を本気で決断し、そのための準備過程に入ったことを見てとって、カクマル=JR総連は、松崎言うところの「先見性」「洞察力」を発揮していち早く屈服し、日帝権力に忠誠を誓ったのである。松崎の「三年先、十年先を見る先見性」「洞察力」とは、国鉄分割・民営化攻撃への大裏切りがそうであったように、敵階級の攻撃の方向を見てとり、真っ先にその攻撃に屈服し、「抵抗しても到底勝てない」と、労働者が闘うことの無益さを説教し、攻撃の先兵となることである。それは、労働者階級の利益を守りぬこうとして闘う勢力・労組への妨害、白色テロと一体のものである。
 JR総連の積極的な尻押しがあったからこそ、連合は祖国防衛主義への大転向に踏み切ることができたのだ。
 そしてこのJR総連の「対案」を、カクマルは『解放』九月十三日付で全面的に称揚したのである。これはカクマル自身がJR総連の大転向を正式に承認したことにほかならない。つまり、カクマル自身が、帝国主義の「自衛権」=侵略戦争権を承認し、自衛隊と日米安保を承認し、国連の名による軍事行動=侵略戦争に賛成し、ガイドラインに賛成し、改憲に賛成する立場に決定的に移行したということである。
 これはカクマルの歴史においても決定的な踏み切りである。カクマルは帝国主義が本格的に危機と戦争を爆発させ始めた中で、ペテン的にせよ「反対」のポーズをとることが日帝との激突に発展することを恐れたのである。また、この間の日帝権力との一定のあつれきの中で、連合の大転向の最先頭に立つことで、党派としてのカクマルとJR総連の存在を容認してもらおうとしているのである。
 われわれは本紙新年号の一・一政治局アピール第四章、第八章で、このカクマル=JR総連の大転向を全面的に批判した。ところが、カクマルは今日に至るも、これにまったく反論できない。『解放』二月七日付で政治局アピールへの弱々しいケチつけを試みたが、ここでも四章、八章には一切沈黙したままである。一言もふれられないのだ。ここまで大転向すれば、ペテン的な「反戦・反安保闘争」も成り立たなくなるし、これはこれで、カクマルならびにJR総連の危機の促進要因になってしまったのだ。
 カクマルよ、お前たちはJR総連が自衛隊や日米安保、沖縄基地を容認しても、それでも支持し、称賛されるべきだと機関紙で明言したのだ。これに対するわれわれの批判に真正面からこたえてみよ。

 第2節 「暗黒の時代」論叫び労働者の闘いを圧殺

 戦争と大失業攻撃の激しい展開は、労働者にとって、カクマル=JR総連が言うような「労働組合が存在しえない暗黒の時代」「背筋が凍る冬の時代」の到来を意味するものではけっしてない。こんな奴隷的な屈服の思想を粉々に吹き飛ばさなければならない。
 帝国主義の危機が激化し、争闘戦が戦争に向かって突き進む過程は、労働者階級への階級的抑圧、搾取、収奪、失業、生活破壊が激烈に進行する過程である。だがこうした現実は、資本家階級と労働者階級の非和解的・絶対的対立関係をさらけ出し、労働者階級の階級的総決起を促すのである。労働者階級は団結して闘うことの大切さを知り、荒々しいストライキ、大衆的実力闘争に決起する中で自らがもっている階級的力の大きさに気づき、帝国主義打倒=プロレタリア世界革命の達成に向かって立ち上がっていくのである。戦争と恐慌、大失業の時代とは、プロレタリアートの総決起の時代なのである。
 現に労働者階級の決起は、全世界の至るところで始まっているのだ。カクマルのように帝国主義国の労働者階級が腐ってしまってどうしようもない、ごみだ、ほこりだなどというのは、帝国主義の腐敗したイデオロギーそのものである。
 プロレタリアートの全世界的な革命的総反乱の予兆に脅えて、「背筋が凍りつく恐怖」を感じているのは帝国主義ブルジョアジーであり、その先兵カクマルなのだ。
 4章 「会社のために骨身を削れ」「国労の首切れ」と叫ぶ松崎
 カクマル=JR総連は、資本攻勢との闘いでも、資本家階級の攻撃とそれに追随する連合の路線に対応し、そのファシスト突撃隊の役割を果たしている。
 ここで怒りをもって断罪しなければならないものは、昨年十月二日のJR東日本横浜支社三周年記念集会での松崎講演である。松崎はここで、ストライキ絶滅、ワークシェアリング・賃下げ、国労解体などのファシスト労働運動の綱領的路線をあらためて宣言したのである。
 集会では運輸事務次官として国鉄分割・民営化を強行しその「功績」でJR東日本の初代社長となった住田(現最高顧問)がまず講演した。住田は、「日本と中国とインドが一体となって、アメリカとかヨーロッパと対抗する」などというアジア侵略と帝国主義戦争の思想を、二十一世紀の日本の生き残り戦略として提唱した。このような住田を、松崎は「そういう方を会社のトップにいただいてきたことは、この上ない幸せなこと」と最大限に持ち上げた上で、断じて許すことのできない発言を行った。
 「JR東日本の基礎を労使の信頼関係におくことは絶対的基礎だ」
 「私は命がけで国鉄改革をやってきた。十何年間ストライキもやらなかった。これからもやらない」
 「この会社を本当によくするためには、場合によったらワークシェアリングを考えなければ駄目である」
 「二十一世紀に蘇生したJRを発展させていくには、労使の信頼関係の上に立って、我慢しなければならないものは我慢する」
 「日本経済が厳しい条件を迫られるときに、労使が骨身を削るときがあってもいい。労働組合がわがまま勝手な要求をすればいいというものではない」
 いったいこの発言のどこに労働者の階級的立場があるのか。松崎は「労使の信頼関係」をことさらに強調して、ファシスト的な「労使協力体制(ニアリーイコール論)」の強化を叫び立てている。そして労働者に向かって「会社が厳しくなるから賃上げ要求するな。ストライキは絶対にやらせない。骨身を削って働け」と号令をかけている。また、会社に向かって「会社の利潤を上げるためにワークシェアリングで賃下げをやれ」と迫っているのだ。
 松崎はさらに、「国労を支えている人が職場にいても仕事をやればいいということになるのか。国鉄をダメにした大きなひとつの責任は労働組合にある」と言って、資本に対して「国労解体」「国労の首を切れ」と迫っているのだ。完全に労務担当の重役気取りである。
 十・二松崎講演は、断じて許すことのできないファシスト労働運動の宣言である。

 第1節 JR総連こそ連合の産報運動路線の先兵

 カクマルが『解放』紙上で行う「連合批判」なるものがいかにインチキな代物かは、この松崎講演がすべてを物語っている。どんなに「連合の救国産報化」を批判するポーズをとろうが、JR総連・松崎の進めるファシスト労働運動こそが、カクマルの真実の姿なのだ。
 「『連合』の解体再構築をかちとれ」というカクマルのスローガンの真意は、カクマル=JR総連が先兵となって連合全体をファシスト労働運動の方向に引っぱっていくという以外の何ものでもない。そのファシスト的突出性をもって、連合内での有利なポジションを確保しようとしているのである。
 それは、事実を追えば明白だ。松崎カクマルが実践してきた「ニアリーイコール(労使対等)」「労使協力体制」などのイデオロギーが、連合の帝国主義的労働運動の「産業報国会」的展開のてことしてフルに利用されているのである。また、賃下げしか意味しない「ワークシェアリング」は、松崎が連合よりもずっと早くから、資本家に屈服し迎合して提唱してきたものである。
 具体的に見ていこう。
 カクマルは、連合の「ステークホルダー(利害関係者)」論を批判して、「このようなものとして『経営参加』が追求されるならば、労働組合は完全に企業組織体のうちに編みこまれ、……労働組合にとっては自らの死を意味するものでしかない」(『解放』新年号)などと批判している。
 あまりにも恥知らずというものだ。労働組合の立場も投げ捨てたズブズブの「経営参加」運動は、「ニアリーイコール」論のもとに松崎・JR総連が十年も前から行ってきたことそのものである。十・二横浜講演でも、松崎は「JR東日本がさらに世界第一の企業として大きく発展するために、言いたいことは言わしてもらう」と発言しているのだ。こうしたことにほおかむりして、どうして連合を批判できるのか!
 これでは、労働者の権利、労働条件はどんどん奪われていく以外にない。松崎はこれを「労働運動は現状(資本主義)を是認する運動だ」と開き直って、実践してきたのだ。
 松崎は、これをペテン的に「安全と健康を担保しながら進める」のだと言ってきたが、そんなことは成り立たないのである。利潤追求のための労資結託体制は、不可避的に合理化によって労働者の安全と健康を破壊し、命すらも奪ってきた。大月駅列車衝突事故や山手貨物線での五人の下請け労働者の死亡事故など、取り返しのつかない重大事故が続発してきたではないか。
 松崎やJR総連の幹部どもが資本家との癒着体制から甘い汁を吸っているときに、職場では多くのJR労働者、下請け労働者が搾取され、命すらも脅かされてきたのだ。松崎はそれでも満足せず、「JR東を世界一の会社にするために、もっと骨身を削れ」と号令をかけているのだ。なんという奴らだ!
 もはや、完全に明らかだ。それを松崎のように「ニアリーイコール」と呼ぼうが、連合のように「ステークホルダー」と呼ぼうが、大した違いではない。労働者階級への裏切りという点で同じである。重大なことは、労働組合が資本と一体化して利潤追求に突き進み、労働者を犠牲にする体制づくりを、カクマル=JR総連は連合が言い始めるよりもずっと早く提唱し強行してきたということである。まさに、カクマル=JR総連こそ、連合の産報化のファシスト的先兵なのだ。

 第2節 JR労資結託体制の危機は日帝の破綻点

 カクマル=JR総連は、完全にハメをはずして「毒をくらわば皿まで」とばかりに日帝・資本の先兵化の道を突き進んでいる。国鉄分割・民営化の先兵となったカクマル=JR総連は、とことんまで労働者階級を裏切り、日帝・資本のファシスト的突撃隊となるしか生き延びられないのだ。
 だが、こんなものが労働運動として、いつまでも押し通せると思ったら大間違いである。ここまで階級性を失ってしまったものが、労働運動として、労働組合として、成り立つはずがない。労働者の不満を、脅しと暴力で抑えつけようとも、そうすればするほど危機は拡大し、やがて必ず爆発することは間違いない。すでにその危機は、JR東労組・JR総連の内部で、深く広く進みつつあるのだ。
 われわれは、カクマル=JR総連の果たすファシスト突撃隊的役割をいささかも過小評価することなく確認すると同時に、しかしこの過程が彼らの一層の危機をもたらすものであることをはっきりと見据えて闘おう。
 また、これは敵階級の危機そのものであり、連合の労働者支配の危機そのものである。このようなファシスト的運動を生みだし、それに依拠しなければならないまでに、彼らの体制的危機は深まったということである。JR総連=カクマルとJR東資本の労資結託体制は、帝国主義体制の最も危機的な裂け目、最弱の環なのだ。まさにカクマル・JR総連打倒、ファシスト労働運動打倒、連合打倒、そして日本帝国主義打倒の条件が圧倒的に成熟しつつあるということなのだ。
 5章 「中国の脅威」論の排外主義宣伝で日帝の侵略戦争擁護
 カクマルは「ヤンキー帝国主義による日本乗っ取りの策動」などと反米民族主義的に反発し、帝国主義間争闘戦の一方の当事者である日帝免罪・擁護論を展開している。昨秋のWTO(世界貿易機関)閣僚会議での米帝の「傲慢で身勝手なふるまい」「真夜中の非礼な電話」への怒りを小渕と共有し、さらに「日帝は米欧から“自立”した“アジア共同体”をつくりだすことを目論んでいる」(『解放』一月一日付)などと、日帝の対米対抗的なアジア侵略戦争・勢力圏化の策動を完全に免罪し擁護しているのである。
 さらにカクマルは、「中国脅威論」「中国がロシアと同盟を結んで世界に対米包囲網をつくろうとしていることが世界危機の根源だ」という反中国の排外主義宣伝を行って、帝国主義の侵略イデオロギーに唱和している。カクマルの宣伝は、中国・朝鮮侵略戦争の狙いをあからさまにした米国防報告の中身と基本的に同じである。
 反共主義と一体化したカクマルの「中国脅威論」は、彼らのスターリン主義論の反革命性とその大破産に規定されている。
 彼らはスターリン主義を〈世界革命を放棄し一国社会主義を自己目的化した国際共産主義運動の疎外態〉と規定することができず、その有限性、危機性を見据えることができず、それ自身が一個の歴史段階を画する社会経済構成体のようなものと考え、反共主義的に「ソ連の対外膨張、世界制覇の野望」などと叫んできた。
 そのソ連が九一年に崩壊して、カクマルは大混乱してしまった。ここでカクマルのスターリン主義論は完全に破産したのだ。カクマルは大混乱に陥り、まったく情勢分析ができなくなった。そして、帝国主義の侵略戦争が本格化し、争闘戦が激化するに及んで、今度はご都合主義的に「中国の脅威」をゴジラ化し、「中国の対米包囲網づくり」を叫び立てるに至った。
 つまりカクマルは、その都度、帝国主義にとっての脅威なるものをあれこれとデッチあげることで、帝国主義の軍事、侵略戦争を常に弁護し続けてきたのだ。
 さらにカクマルの帝国主義の先兵化を示すものは、「ナショナリズムの相互衝突」論である。アングロサクソンとスラブ民族の対立、キリスト教とイスラムの対立、各国のナショナリズム・国家エゴイズムの衝突などと、すべて平板な「ナショナリズムの相互衝突」「民族=宗教戦争」論で片づけてしまうのだ。
 これもまた、帝国主義イデオローグが言うところの「東西冷戦構造の終結で大きな戦争の危機はなくなった。今や地域紛争、宗教=民族対立が多発しており、世界の平和維持、新世界秩序の創造、そのための日本の国際貢献が課題となっている」という主張と同根のものである。連合の新政治方針の情勢分析もこの帝国主義イデオロギーである。
 こうした議論の核心的な誤りは、帝国主義の基本矛盾が爆発し、ソ連崩壊以降、帝国主義対帝国主義の対峙・対決構造が世界史の展開基軸となったことを絶対に認めようとしないことである。帝国主義の新植民地主義支配体制の危機と崩壊の進行、国際帝国主義の市場・勢力圏の再分割戦の激化(そのためのさまざまな干渉、民族的対立のたきつけなど)、とりわけユーゴ、旧ソ連圏などの旧スターリン主義圏、中国・北朝鮮などの残存スターリン主義圏が帝国主義の市場・勢力圏再分割戦の焦点となっていることをまったく欠落させている。この現代帝国主義論とは無関係に「宗教=民族戦争の多発」があり、「世界秩序を乱すもの」に対して米日欧が「新国際秩序の創造」のために介入している、と合理化してしまうのである。米国家安全保障会議のスタッフであったハンチントンの「文明の衝突」論などと同根の、帝国主義の侵略戦争擁護論でしかない。
 カクマルは、危機管理だとか地域紛争抑止力などという防衛庁・自衛隊が使う用語に、ただ「」(カッコ)をつけるだけで自分たちの情勢分析に使っている。日帝は危機=戦争の原因ではなく、外から来る危機(周辺事態)に対処するだけだとされるのである。自衛隊の強化も「地域紛争の抑止のため」、つまり戦争をするためではなく戦争を抑止するためだと合理化されてしまうのだ。
 だからカクマルには、新ガイドラインに反対する理由など、初めから何もないのだ。「ガイドラインの問題は単なる出遅れの問題ではなく、むしろやらない方で考えていた」(昨年六月のJR総連大会での本部答弁)とは、カクマルの反革命的な本音なのである。
 JR総連が「連合対案」において、帝国主義による「新しい世界秩序の形成」とそのための「国連決議による軍事行動」を容認し、自衛隊と日米安保を承認するに至ったのも、このカクマルの日帝擁護論からして必然なのである。
 また、帝国主義の経済分析でも、帝国主義世界経済の戦後発展の完全な行きづまりと帝国主義間争闘戦が相互に促進しあいながら危機と矛盾を激化させていることを分析の基底に据えることがまったくできない。たとえば米経済の九〇年代の長期成長なるものが、過剰資本・過剰生産力の重圧と帝国主義間争闘戦のもとで生じているバブル経済的浮揚以外の何ものでもないことがとらえられず、“リストラや企業再編や情報通信産業の発展による「アメリカ経済の復活」である、バブルではない”と美化してしまうのである。
 この間、米帝が経済安保戦略に基づき、弱肉強食の帝国主義的通商戦争(本質的に帝国主義戦争の論理構造をもったもの)を展開し、日帝の弱体化政策を追求し、資本と商品の市場分割=再分割戦を遂行してきたことが、米経済の九〇年代の経済成長を大きく規定していることがすっぽり抜け落ちてしまうのである。
 カクマルは、米帝のバブル経済がいよいよ破局に向かって突き進んでおり、それがドル体制の大崩壊、世界大恐慌爆発の引き金となり、世界経済の分裂化・ブロック化、帝国主義間争闘戦の激化、帝国主義の侵略戦争、世界戦争の爆発へ突き進んでいくことを見据えることができず、これとの対決から完全に逃亡し、屈服し、その先兵となっているのだ。

 第1節 「戦後成長」に屈服し容帝反共主義に転落

 このようなカクマル=JR総連の「日帝の侵略戦争支持」への大転向は、黒田によるレーニン帝国主義論の全面的否定、容帝反共主義的転落が行きついた末路である。
 そもそも黒田は次のように言ってきたのだ。いわく「帝国主義は相互に戦争すればソ連が革命の輸出をして世界革命になってしまうから、お互いに協調しあって戦争はしない」。また「新植民地主義体制がつくりだされ、多国籍企業という形態を通じて後発諸国に対する経済的支配が可能になった」から侵略戦争は必要なくなった、と(『現代世界の動き―その捉え方』など)。
 要するに〈現代帝国主義はレーニン時代の帝国主義とは一変した、帝国主義間戦争も侵略戦争もやらないハイカラ帝国主義だ〉〈帝国主義はその基本矛盾の爆発から解放された、恐慌も戦争もなしに過剰資本の問題も自力で処理できるようになった〉〈帝国主義には内在的な矛盾はない〉〈危機は外側(=スターリン主義の世界制覇の野望)にあるのだから、外の危機さえ防げば、帝国主義は永遠だ〉ということなのである。
 だから、第二次大戦後の朝鮮戦争も、ベトナム侵略戦争も、イラク・中東侵略戦争も、ユーゴ空爆―コソボ軍事占領も、すべて「スターリン主義の世界制覇の野望に対する帝国主義の防衛戦争」として合理化してきたのである。
 まったく、とことんまで帝国主義の戦後発展に屈服し、帝国主義万能論のとりこになっているのだ。
 だが、黒田が言うように「サミットで帝国主義は『協調と協力』の関係を維持している」と言うのならば、なぜ今カクマルも「経済的には」と限定しながら「日米争闘戦の非和解的激化」に言及せざるをえないのか。それこそ帝国主義の基本矛盾が、帝国主義の一時的な同盟・協調関係をもとおして展開し、ついには爆発していく世界史的過程に入ったということそのものではないか。カクマルの主張は完全に破産しているのである。
 カクマルは、日本の労働者階級が、日帝が行った残虐極まる侵略戦争と植民地支配に対して歴史的階級的自己批判を行うこと、そしてその実践的貫徹として「連帯し侵略を内乱へ」の闘いを貫き、アジア人民・在日アジア人民との連帯闘争を進めること――この闘いに対して、「被抑圧民族迎合主義」などとののしって敵対してきた。プロレタリアートをもとらえている民族排外主義との闘いが、帝国主義国の労働者階級の階級的自己形成、階級闘争への立ち上がりにとって死活的であることを一貫して否定してきたのだ。こんなカクマルだからこそ、帝国主義イデオロギーに対する階級的批判の立場を喪失し、今や帝国主義的排外主義を満展開させ、侵略戦争の先兵となっているのである。
 新たな対カクマル戦へ
 JR総連=カクマルをめぐる決戦の成熟は、まさに三十年に及ぶ対カクマル戦争の一切をかけた〈天王山の闘い〉が到来したということである。かつてないカクマルとJR総連の危機が進行しているのだ。党と人民の総力を結集してカクマル=JR総連完全打倒へ攻め上ろう。
 カクマルはけっして労働者人民と結合できない。彼らが依拠するものは危機を深める帝国主義ブルジョアジーであり、K=K連合であり、白色テロだからである。われわれが大衆闘争における武装自衛の体制と闘いを強化し、ファシスト・カクマルへの全人民的怒りを組織していくなら、必ず勝利できる。カクマルを全人民の力で打倒する闘いは、現代革命勝利への突撃路を開く決定的闘いである。
 そのために必要なことは何でもやりぬこう。三・一四反革命に直面した時のあの怒り、対カクマル戦争の中で、かけがえのない同志たちを虐殺されたときのあの怒りを再び胸にたぎらせて、新たな対カクマル戦争に決起しよう。
 五月テーゼ―一九全総路線のもとでの新たな対カクマル戦争方針こそ、絶対に勝利できる方針だ。@戦闘的大衆闘争を戦争的意義をもつものとして強力に発展させ、Aカクマルの綱領的・路線的な反労働者性を暴露するイデオロギー闘争を猛然と強め、そのファシスト性を全面的に暴露し、B大衆闘争の革命的武装自衛の闘いを強め、C党の対カクマル戦争体制の全面的強化をかちとろう。
 衆院選決戦で長谷川英憲氏の当選を絶対にかちとろう。権力と連合したカクマルの妨害、襲撃策動を粉砕し、革命的鉄槌を下そう。
 黒田、松崎、土門ら反革命頭目どもを革命的に処刑し、三・一四復讐戦貫徹・カクマル完全打倒をかちとるために猛然と決起しよう。
 三・一二革共同政治集会に総結集せよ!

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週刊『前進』(1948号5面1)

 本多延嘉書記長

1934年2月6日、東京に生まれる。54年早稲田大学入学。早稲田大学新聞編集長。日共早大細胞を指導。56年ハンガリー革命の衝撃を受けスターリン主義の問題を根本的にとらえ返す。トロツキー教条主義との闘いをつうじて(革共同第一次、第二次分裂)、59年革共同全国委員会を創設。以降、革共同書記長。63年黒田一派の卑劣な分裂・逃亡と闘う。69年4月27日、4・28沖縄闘争を前に破防法40条で逮捕、2年間の獄中闘争。二重対峙・対カクマル戦争を最先頭で指導しているさなかの75年3月14日、反革命カクマルの卑劣な憎むべき襲撃を受け暗殺される。享年41歳。

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週刊『前進』(1948号6面1)

 オーストリア極右・保守連立政権成立の衝撃

 情勢の核心にドイツ問題

 30年代的なファシストとの激突へ

 オーストリアでの極右ファシスト・保守連立政権の成立は、ついにファシストが政権につく時代の到来を衝撃的に示している。労働者階級とファシスト勢力の三〇年代的激突が本格的に開始される内乱の時代が再び到来したのだ。オーストリアはヨーロッパ中央に位置し、東欧・バルカン諸国と国境を接している。こうした条件から、帝国主義世界経済危機の深刻化とスターリン主義圏の崩壊・東欧危機の爆発の重圧を集中的に受け、階級情勢の突出的激動がもたらされたのだ。オーストリアは一九三八年にナチス・ドイツに併合されたが、戦後処理の過程でナチス・ドイツから切り離され、帝国主義とスターリン主義との間の緩衝国として位置づけられた。スターリン主義圏の崩壊とドイツ帝国主義の東方侵略の激化とともに、オーストリアのドイツ国粋派的な反動勢力は再びドイツ帝国主
義と一体化し、東方侵略の道を掃き清めようと策動し始めたのだ。
 丹沢望

 第1節 ナチス礼賛し排外主義叫ぶハイダー

 二月四日、オーストリアでナチスを礼賛し排外主義を公然と唱える極右ファシスト党・自由党と保守・国民党の連立政権が成立し、全世界に衝撃が走った。ヒトラーの生まれ育った国、オーストリアで、再びファシストが権力を握ったことは、帝国主義の危機の深さ、従来の階級支配の破綻(はたん)をつきつけ、ヨーロッパを始め全世界の階級闘争に新たな局面をもたらした。
 連立政権で副首相、蔵相、国防相、法相、社会相などの枢要な閣僚ポストを獲得し、政権の実質的主導権を握った自由党とはまさにファシストの党以外の何ものでもない。
 自由党は八〇年代中ごろまでは社民党と国民党の二大政党支配のもとでの一保守政党であったが、八六年にイェルク・ハイダーが党首になると急激に極右政党化し、勢力を拡大した。党首に就任したハイダーは、従来の保守路線にとどまろうとする党内反対派を粛清的手段で追放し、党勢を極右ナチス勢力の間に拡大する政策をとった。ハイダーは元ナチス軍人や元親衛隊員の集会に頻繁に出席し、ナチス礼賛の発言を繰り返し、元ナチス軍人とその家族の間に多くの支持者を獲得した。
 自由党は次に、移民・難民に対する排外主義的なデマ宣伝を徹底的に行うことによって経済危機の深刻化のもとで増大する失業者や若年労働者の間に党勢を拡大しようとした。「外国人過剰ストップ」などという、かつてナチスが使ったのとまったく同じスローガンを掲げ、「失業が増え、オーストリア人が貧しくなったのは移民や難民が増えたためだ」「入国管理の強化を」などと排外主義的イデオロギーをむき出しにして叫びたてた。
 オーストリアでは、大失業時代の到来で九〇年代に失業者が急速に増大した上に、スターリン主義圏の崩壊で隣接する東欧諸国から移民・難民が大量に流入した。加えて新植民地主義体制諸国の危機の激化の中で、中東・バルカン諸国などからも移民・難民が増大した。欧州全体には九八年までの十年間に四百二十二万人の亡命申請者があったと言われているが、その他にもいわゆる「非合法」の移民も大量に流入した。
 オーストリアには、この間に百万人近くの外国人が流入し、人口八百三十万の国の人口構成に急激な変化が起きた。人口百五十万人の首都ウィーンの外国人労働者数は三十万人にのぼるといわれる。
 ハイダーの登場は、こうした帝国主義とスターリン主義の戦後体制の崩壊の中で、三〇年代以上に深刻化した移民・難民問題と経済危機に直面したオーストリアの戦後的支配体制の崩壊的危機を示している。
 ハイダーはこうした条件下で党勢を急速に拡大してきた。わずか五万人の党員しかいない自由党の議席は、八六年には十八議席であったものが、九九年には五十二議席へと約三倍化し、失業者を含む労働者階級の四八%、三十歳以下の若年層の三五%が自由党に投票した。
 これはオーストリアの戦後政治経済のあり方への蓄積した労働者人民の不満が、階級的革命的な指導部が不在という状況下で、ファシスト的に組織されたからでもある。社会民主党と国民党の十三年間におよぶ連立政権のもとで、中央官庁の幹部や国営企業の取締役ポスト、学校校長などの公職を両党が独占的に分け合う(プロポーツ=比例配分)制度に典型的にみられるように、両党の党員のみが有利な地位を獲得できる制度に国民は不満をもっていた。ハイダーはこうした特権を享受できない層を、「官僚主義と既得権益の打破」をペテン的に掲げて組織したのだ。
 オーストリアでの極右ファシストと保守の連立政権成立という戦後史を転覆するような事態は、欧州のファシスト勢力の動向と連動している。フランスの国民戦線(総選挙で一〇〜一五%の得票率を維持)、ドイツ国民連合と共和党(州議会で十五程度の議席保有)、イタリアの国民同盟(上下院合わせて百三十二議席を保有)、ベルギーのフラームス・ブロック(九九年総選挙で下院に十五議席を獲得)などは、いずれも移民・難民問題を排外主義的に宣伝し、勢力を拡大している。大恐慌情勢の中で欧州帝国主義の政治支配が至るところで破綻し、階級対立がかつてなく先鋭化しているという状況下で、こうした極右勢力の台頭が開始されたのだ。
 こうした情勢下で、英、独、米、デンマーク、フィンランド、オランダなどの極右政党やネオナチは、相互に連携する動きも見せており、オーストリアの極右の勝利を祝福する集会を二月下旬、オーストリア国境に近いドイツの町パッサウで開催しようとしている。

 第2節 大ドイツ圏の成立は欧州震撼させる

 オーストリア情勢の新展開の下でEUは重大な危機に直面している。自由党はユーロ、司法・内務協力、安保・防衛というEU共通政策を担当する大蔵、法務、国防の各大臣を出しており、EUの対オーストリア制裁が強化されれば、EUの基本政策を決定する閣僚理事会で拒否権を発動する可能性がある。そうなればEUの統合政策は重大な危機に直面する。またオーストリアの内政に対するEUの強硬な介入は、EUの内政干渉に警戒感を示し、統合に消極的な英、フィンランド、デンマークのEU離れを促進しかねない。
 EU東方拡大に関してもハイダーは、「EUが拡大すればポーランドの労働者が押し寄せてくる」などとファシスト的デマを振りまいて、反対の態度を示しており、ここでもオーストリアの拒否権発動の可能性がある。東欧諸国のオーストリア新政権に対する反発も強まっている。こうした状況のもとでは、二〇〇三年から東欧諸国のEU順次加盟の日程に支障が出る可能性もある。
 したがって、EUは帝国主義ブロックとしてのEUの機能がストップするのを回避するために、制裁強化に慎重にならざるをえず、結局は、オーストリア新政権を容認し、ファシスト・保守連立政権を包摂したEUへの道を歩まざるをえない。それは、EU各国でのファシスト勢力の台頭をさらに促す結果をもたらすことになるであろう。
 また、十月四日のEU司法・内務相理事会は、排外主義的宣伝をテコとする極右の進出を阻止するためとして、「不法移民対策に全力を」とEU加盟国に訴える排外主義的特別声明をだした。これに見られるように、各国政府の移民・難民に対する排外主義的措置も強化されるであろう。
 連立政権の主導権を握った自由党は、オーストリアよりもドイツにより強い帰属意識を抱くドイツ国粋派であり、大ドイツ主義の政党である。この党が新政権の政策として永世中立政策の放棄、NATO加盟の方針を打ち出し、ドイツ帝国主義との一体化を目指して動き始めたことは、重大な意味を持つ。
 新政権の永世中立の放棄、NATO加盟とEU独自の安保機構への参加方針への転換は、NATO軍、とりわけドイツ軍の東欧への軍事的進出にとって画期をなす事態なのだ。九九年のNATO軍のユーゴスラビア空爆時に、社民・国民連立政権下のオーストリアは中立を理由にNATO軍機の領空通過を拒否したが、オーストリアがNATOに加盟すれば領空どころか、陸上もNATO軍が通過できるようになる。ドイツ帝国主義にとっては、東欧諸国に隣接するオーストリアの併合と大ドイツ圏の形成は、東欧侵略の歴史を画するものとなる。
 したがって、キリスト教社会同盟などのドイツの保守派は「EUのオーストリアに対する二カ国間の政治的外交関係の凍結という制裁措置は行き過ぎ」という批判を行って、新政権を擁護している。ドイツ帝国主義は現在、政府としてはオーストリア新政権を非難しているが、その帝国主義的立場からすれば、東欧侵略を一挙に推進する願ってもない情勢が到来したということなのだ。
 今まさに大ドイツ形成へと動き始めたオーストリア問題は、即ドイツ帝国主義問題である。
 米帝やフランス帝国主義などにとっては、大ドイツ圏の成立は、ドイツのさらなる巨大化と東欧への突進をもたらす恐るべき事態となる。ドイツによるオーストリアの再度の併合は、EU諸帝国主義および東欧・中欧諸国にとって、「強大なドイツ」の再来として、東西ドイツ統一にも比べられる、ある意味ではそれ以上のインパクトを与えるものである。それは米帝のヨーロッパ戦略・世界戦略と真正面から激突するものでもある。だからこそ米帝や仏帝は激しくオーストリア新政権を非難し、あわせてドイツの独走を抑え込もうとしているのだ。
 こうしてオーストリア問題をめぐって、米帝とドイツ、ドイツとその他のEU諸帝国主義の帝国主義間争闘戦が一挙に激化することは不可避である。

 第3節 巨万のデモで反撃に立つ労働者人民

 オーストリアの労働者人民は新政権成立を前後して断固たる闘いに決起した。新政権成立直前の二月二日には、ウィーンで一万五千人のデモが行われ、終日、延べ数万人のデモが街頭で展開された。四日には、数千人のデモ隊が新閣僚の宣誓式の行われる大統領府を包囲していたため、新閣僚たちは緊急時用のトンネルから入らざるをえなくなった。この日は、自由党の大臣が就任する社会省など政府庁舎も一時デモ隊に占拠され、国会も包囲された。五日にはウィーンで二千人のデモ隊が自由党本部に突入しようとして警官隊と激突した。同時に新政権打倒のデモの波はザルツブルグ、グラーツ、インスブルックなどの地方主要都市にも波及した。十八日には、ウィーンで高校生四千人による反極右デモが、学校側の制止を振り切って展開された。
 そしてついに十九日、ウィーンで戦後最大規模の三十万人の反ファシスト集会と大デモが爆発した。一九三八年にヒトラーがオーストリアを併合し、「帰郷」した際に演説をしたのと同じ王宮前広場が集会の場所として意識的に選ばれ、反ファシスト闘争の断固たる貫徹が宣言されたのだ。また、フランスでも八十都市で、二万人のファシスト・ハイダー弾劾のデモが行われた。同日、ロンドン、リエージュ(ベルギー)、オスロなどでも反ファシスト集会が開かれ、翌二十日には、ベルギーの首都ブリュッセルでも一万千人の集会とデモが行われた。
 オーストリアの階級闘争は、内乱と内戦の三〇年代に、独自の反ファシズム闘争を闘った。
 一九一七年のロシア革命の勝利、一八〜一九年のドイツ・プロレタリアートの武装蜂起と敗北、一九年ハンガリー・ソビエトの成立と崩壊=反革命白色政権の成立、二二年イタリア階級闘争の内乱的発展とファシズムの登場||こうした近隣諸国の激闘に揺さぶられたオーストリアでは、支配的な社民党系及び少数派の共産党系もともに、労働者の武装組織を維持していた。
 とりわけ二七年七月には、ファシストによる労働者殺害と官憲による犯人の無罪放免に抗議する暴動闘争がウィーンで闘われ、警官隊との衝突で九十人の死者を出しながらもファシストの政治的進出を阻止する闘いに決起している。
 また日和見主義的な社会民主党のもとではあれ、九万人の武装自衛組織「防衛団」に組織された労働者の中核部隊は、極右ファシスト武装組織・護国団六万人と対峙する闘いを展開した。三四年二月には、親イタリア・ファシズム勢力の労働者武装組織への白色攻撃に対し、社民党の日和見主義的指導に制約されつつも、ウィーンでの武装蜂起による抵抗闘争を闘った。蜂起敗北後も地下組織を作り、国内外のファシズムとの闘いを継続してもいる。前衛党の不在ゆえに、スターリン主義と社民による労働運動、階級闘争の抑圧、歪曲を突破しえず三〇年代の反ファシズム闘争は敗北したが、その革命的伝統は今でも生きている。
 オーストリアの反ファシスト闘争の発展は、ヨーロッパ諸国の階級闘争に波及し、重大な局面を開くであろう。オーストリア労働者階級の反撃の闘いは、三〇年代的危機の爆発とファシスト勢力の台頭に対する全ヨーロッパの労働者階級の闘いの先陣を切る役割を担うものだ。
 ファシストが登場し政権につくに至った自国帝国主義との闘いを、膨大な外国人労働者との連帯をふまえた「侵略を内乱へ」の戦略のもとで闘うこと、その闘いを指導しうる革命党を闘い取ることが、オーストリアを始めとする全ヨーロッパの労働者人民の緊急の課題となっている。
 オーストリア労働者階級の反ファシスト闘争に連帯し、日本においても自自公の大政翼賛会政治とその先兵、ファシスト石原と石原都政に反撃し、長谷川英憲氏の衆議院選挙勝利の闘いに決起しよう。

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週刊『前進』(1948号6面2)

 3・26三里塚全国集会へ

 反対同盟へインタビュー 上

 空港建設は戦争への道

 反対同盟事務局長 北原鉱治さん


三・二六三里塚集会の大成功へ三里塚芝山連合空港反対同盟の北原事務局長にインタビューした。次回は萩原進さん。(聞き手は編集局)
 −−二〇〇〇年という節目の年の三・二六全国総決起集会が迫ってきました。最初にこの闘いの意義をお聞かせください。
 世界の平和を願い、また日本の行政を根本から変えようとしている全国の労働者、農民、学生、漁民が今こそ、立ち上がらなければならない時がきたことを声を大にして訴えたい。力あるものは力を、資力あるものは資力を、知力あるものは知力をもって、今日の圧政を打ち破るために立ち上がっていただきたい。この三月に、日本の将来がかかっている。すでに反対同盟は政府、空港公団の暫定滑走路建設を阻むために全力で闘う態勢に入っている。
 −−政府、公団は暫定滑走路建設で何を狙っているのですか。
 ひとつは、政府、公団が打ち出した「二〇〇〇年度平行滑走路完成」計画を、三里塚闘争がものの見事に破産に追い込んだ現実がある。政府は国際的信用がかかったものとして、なんとしても二期工事を完成させなければならないところに追いつめられた。さらに、農民、労働者の闘いによって二期工事が一歩も進まないという現実を認めるわけにはいかないと国家的威信をかけて暫定滑走路建設に踏み出した。もうひとつ、新ガイドラインの中で、成田空港を侵略戦争の一大拠点とすることが明らかになった。米軍にとって重要な戦略的な基地として絶対に必要だという要請がある。
 −−だから政府、公団は暫定滑走路に執念を燃やしているわけですね。
 そのとおり。しかし、暫定滑走路は二千五百bの滑走路を二千百八十bに縮めるという計画だ。今日の航空産業を見ると、大型化している。二千百八十bの滑走路を使える航空機などほとんどない。こんな無用の長物の滑走路をつくってどんな意味があるのか、と誰もが疑問を持つ。
 −−「使えない滑走路」をつくることにどうしてそんなにこだわるのでしょうか。
 暫定滑走路はこれまでの平行滑走路の北端を、さらに八百b北にずらしてつくる計画になっている。平行滑走路二千五百bに八百b加えて、三千三百b。さらに公団用地として確保している平行滑走路南側の四百bを足すと合計三千七百bの滑走路が浮かび上がってくる。これこそ新ガイドラインが要請する大型軍用機のための滑走路だということがはっきりする。二千百八十bの滑走路建設をごり押しする、そうしておいて「滑走路ができたら上空四十bをジェット機が飛ぶ。そんなところで生活はできないだろう。だから早く出ていけ」と脅迫するための暫定滑走路なのだ。
 敷地内の農民、地権者をたたき出して三千七百b滑走路をつくるのが暫定滑走路建設攻撃の本当の狙いだということだ。
 ||反対同盟が空港建設反対闘争の当初から、軍事空港建設反対のスローガンを掲げてきたことが再び輝いていますね。
 もともと政府が地元を無視して、三里塚に空港をつくると一方的に決めた一九六六年はベトナム侵略戦争が激しく行われた時だ。羽田空港が米軍の後方基地、輸送基地として使われ、米軍機で埋め尽くされた。それで、もうひとつ空港が必要ということで三里塚に空港をつくることが決められた歴史がある。
 そして今、新ガイドラインのもとで日本列島を全土基地化し、成田空港を五十万米兵の受け入れ態勢の一大拠点として始動させようとしている。
 −−成田空港が新ガイドライン空港になるとどう使われるのでしょうか。
 二月十五日に、石垣島の石垣空港に普天間基地の空中給油機やヘリコプターが大挙飛来して空港を制圧する事態が生じた。米軍は、日米地位協定によりいつでも米軍の支配下におけると説明した。成田空港でも同じことが起きる。日米安保というもの、新ガイドラインというものは、空港だけではなく、その周辺まで軍隊の支配下に置かれてしまうことになる。
 −−新ガイドライン攻撃を打ち破るためにも、三里塚闘争には絶対勝利しなければなりませんね。
 侵略戦争の一大拠点になる成田空港の建設は、日本が再び戦争への道に進もうとしている現状を示している。この現状を見つめ、日本の将来を考えたとき、なんとしても暫定滑走路の建設工事を許してはいけない。沖縄では、名護に新基地を建設し、基地の島として再び本土の防波堤としようと攻撃が強まっていることを見逃してはならない。沖縄と連帯して、三里塚の闘いに勝利しなければならない。
 そのためにも、三十四年間にわたり終始一貫して反対同盟と共闘してこられた長谷川英憲さんを国会に送るために闘う必要がある。一貫して正義を貫く長谷川さんを国会に送り込み農民、労働者民衆の代表として、なれ合い政治にあけくれる国会を相手に闘ってもらいたい。
 −−反対同盟の勝利の展望と確信をひとことお願いします。
 敷地内農民の生活をメチャメチャにしてでも空港をつくるという政府の暴挙の実態を知れば、全国の労働者民衆が立ち上がる。反対同盟は、工事計画用地に闘争拠点をたくさん持っている。これを武器に、農地死守・実力闘争で闘い勝利する。全国の皆さんの三・二六全国総決起集会への結集をを訴えます。

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週刊『前進』(1948号6面3)

 2000年日誌 阻もう!戦争への動き

 2月23日〜29日

 高レベル放射性廃棄物搬入

 米軍演習で臨時空域6カ所

●高レベル放射性廃棄物が到着 フランスから高レベル放射性廃棄物ガラス固化体を積んだ専用輸送船パシフィック・スワン(約五千d)が青森県六ケ所村のむつ小川原港に到着した。搬入量は、ガラス固化体百四本(計約五十二d)で、今回が最大。(23日)
●ラプコン返還に否定的
 航空機進入管制システム(嘉手納ラプコン)について米空軍第一八師団のジェームス・スミス司令官は「ラプコンは民間との協力で円滑に運用され、満足している。それを変えようとする動きに注意を払わなければならない」と述べ、返還に否定的な見解を示した。(23日)
●米国防総省報道官が15年期限を否定 米国防総省のベーコン報道官が普天間飛行場の移設に伴う十五年使用期限問題について「十五年後の安全保障上の脅威がなくなるとは誰も確信できない」と述べ、米政府の否定的な立場をあらためて強調。(23日)
●稲嶺知事、15年期限拒否問題に居直り 沖縄県の二月定例県議会の代表質問で稲嶺知事は十五年使用期限問題について「瓦防衛庁長官は(米側が)拒否した事実はないと表明した。同問題は着実に前進していく。県としては政府で引き続き検討され、県の要望に答えられるよう強く求めていきたい」と述べた。(24日)
●新たに二十年の賃貸契約
 北原巌男那覇防衛施設局長が沖縄市と陸上自衛隊白川高射教育訓練場内にある同市有地の旧米軍知花サイト(千平方b)について二月十日、新たに民法上最長の二十年の賃貸借契約をしたことを明らかにした。また同高射教育訓練場と米軍嘉手納弾薬庫地区の市有地についても、同じ日に二十年の賃貸借契約をしている。同日、沖縄市職労と中部地区労が市役所前広場で抗議集会。(24日)
●衆院憲法調査会で質疑
 衆院憲法調査会が西修駒沢大教授、青山武憲日大教授を参考人として呼んで憲法制定の経緯にかかわる意見聴取と質疑を行った。西教授は「連合国総司令部(GHQ)のマッカーサー総司令官の示唆で極東委員会の下で展開し、同総司令官の承認で効力を発した」とGHQ押し付け説を強調した。(24日)
●「中国の台湾政策に懸念」 ブレアー米太平洋軍司令官が瓦防衛庁長官と会談し、中国が台湾を統一する決意と方針を示した台湾問題に関する白書を発表したことに関連し、「中国が最近発表した白書の台湾に関する記述はどうかと思う」と述べた。(24日)
●稲嶺知事が軍民共用を強調 沖縄定例県議会の代表質問で稲嶺知事は移設問題で地域共同体を分裂、対立させたとの指摘に「行政の責任者としてオール・オア・ナッシングではなく、ベストでもなくベターの正しい選択をした」と述べ、二十カ所ある米軍の常設訓練空域の実態をどこまで把握して軍民共用空港を提言しているのかとの質問には「軍民共用空港は沖縄の空の利用状況のもとに建設されるのではなく、普天間の代替施設として建設される」と述べた。(25日)
●キティホーク東中国海へ
 米国防総省当局者が横須賀を母港とする米空母キティホークが一両日中に台湾東方の東中国海に到着し、洋上訓練を行うと語った。(25日)
●反対協がリコール学習会
 ヘリ基地反対協が署名運動を担当する受任者を集めて学習会を開き、署名活動での心得や注意点など学んだ。(25日)
●サミットの主要議題を発表 小渕首相が七月の沖縄サミットに関する懇談会でサミットの主要議題を発表した。(28日)
●「飛行中止要請難しい」
 衆院予算委員会で、普天間基地所属の米軍機五機が沖縄県の反対を無視して石垣空港に着陸したことについて外務省北米局の林景一参事官が「米軍の航空機は日米地位協定五条に基づき国内の飛行場に出入りする権利が認められている」と答え、飛行中止を求めることは難しいとの認識を示した。(28日)
●米比合同演習で揚陸強襲演習訓練 一月末から四年ぶりに行われている米とフィリピンの合同軍事演習「バリカタン2000」で、山場となる強襲揚陸訓練がルソン島で行われた。沖縄など在日米軍基地から千五百人が参加。(28日)
●在沖米四軍ビーチクレスト始まる 在沖米軍が四軍統合演習「ビーチクレスト」を沖縄本島周辺の訓練空域、海域で実施した。海兵隊を中心に約二千人が参加。演習に伴い訓練空域は常設の七カ所に加え、「アルトラブ」と呼ばれる臨時空域六カ所が設定、民間航空機は、より窮屈な運航が強いられる。(29日)
●リコール運動へ向け市民講座開く ヘリ基地反対協が名護市の大中公民館で、米軍普天間飛行場の受け入れ表明をした岸本建男名護市長のリコール(解職請求)運動に向けた「第一回連続市民講座」を開催した。(29日)

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週刊『前進』(1948号7面1)

 団体規制法・観察処分の発動について

 闘う共同戦線を発展させ戦時治安政策打ち破れ

 東山 整一

 昨年から今年にかけて日本帝国主義の治安政策は大きな歴史的な転換・飛躍をとげた。それは九九年五月の新ガイドライン関連法制定に完全に対応したものであり、戦時型治安政策への全面的移行というべきものとしてある。そのために、@昨年八月には組織的犯罪対策三法が、A同じく住民基本台帳法改悪が、B十二月には団体規制法(第二破防法)が制定された。団規法は制定と同時に発動され、現在オウム教団に対する「観察処分」が進行中である。われわれはこれをけっして対岸の火事と見ることはできない。それは戦争を決意した国家による全人民を標的とした新たな質の治安攻撃の先駆けであり、七月沖縄サミットに向けた超法規的厳戒態勢を先取りするものだからだ。闘いはこれからだ。二〇〇〇年階級決戦の勝利、反治安・弾圧戦線の一層の発展に全力を挙げよう。

 第1章 団規法(第二破防法)制定とその全面発動

 第1節 対岸の火ではない規制処分

 団規法(「無差別大量殺人を行った団体の規制に関する法律」)が閣議決定・国会提出されたのが昨年十一月二日、まともな討論もなしに自自公民などの賛成で衆院を通ったのが同十八日、十二月二日には参院も通り、成立した。そしてこれは同二十七日に施行されるが、同時に公安調査庁長官は、オウム真理教に対する同法第五条に基づく「観察処分」を請求、公安審査委員会は一月三十一日にはこの請求を認め、二月一日には三年間の「観察処分」を公示した。これを受けて同四日には公安調査庁は各県警とともに、栃木県大田原市など全国五カ所の教団施設に対する立ち入り検査を開始した。さらに現在三月二日を期限として報告書の提出を求めている。
 国会提出からわずか三カ月、施行からはわずか一カ月余りの間に、団規法は、さしあたり対象をオウム教団に絞っているとはいえ、全面的に発動され、その威力を発揮している。同じ団体取締り法であり、団規法の姉妹法である破壊活動防止法が、制定から半世紀近くを経ても団体規制で成果をあげていないことに比べ実に対照的である。
 周知のように公安調査庁は、九五年十二月、村山政権の下で、破防法第七条に基づくオウム教団への「解散処分」に向けて動きだすが、九七年一月、公安審査委員会によって処分請求を棄却されている。理由はただ一点、当時のオウム教団に「(暴力主義的破壊活動を繰り返す)将来の危険性」を証明することができないことにあった。
 それから三年を経て、同じ公安審査委による団規法に基づく「観察処分」決定は、それではオウム教団に「将来の危険性」が回復したと認定されたから出てきたのか。そうではない。破防法では厳格に要求されていた「将来の危険性」の証明(「明白かつ現在の危険」)を、団規法では「将来の危険性の否定」を証明できない限り処分決定、という形に一八〇度逆転した結果なのである。破防法では処分できない団体も、団規法では文字どおり一夜にして、問答無用に処分できる||これが団規法なのである。

 第2節 公調の「蘇生」と警察の強化

 団規法制定とともに、いま何が始まったのか。
 第一に公安調査庁の蘇生(そせい)である。破防法という「伝家の宝刀」を長年抜くに抜けず、錆びつかせ、やっとオウムという「神風」(九五年当時の公調職員の言葉)に助けられて抜いてみたら実は竹光だったというのが、この数年間の公安調査庁の現実だった。行革リストラの的とされたのも当然だろう。
 この死に体の公調が、団規法によって、戦争と大失業の時代において、団体狩りを専らとする治安機構として息を吹きかえしたのだ。特に破防法では任意調査権しか与えられていなかったのが、団規法によって実質的な強制調査権を手に入れたことは決定的である。
 第二に警察が、これまで基本的にアンタッチャブルな領域であった団体規制の分野に公然と踏み出してきたことである。すでに「観察処分」の一環として行われている教団施設への立ち入り検査自体が、公調と各県警によって合同で行われているが、これは裁判所の捜索令状に基づく捜索ではなく、あくまで行政処分としての立入検査である。
 もちろん団規法においても処分の請求はあくまで公安調査庁の専権事項だが、その準備、調査などにおいて警察の役割が非常に大きくなっている。公調だけの管轄下にあった団体規制の領域に警察が全面的にのり出してくることで、団体規制制度は飛躍的にエスカレートした(数的比較だけでも、公調は千七百、警備・公安警察は四万)。
 第三に見逃せないのが、団規法制定前後をとおして繰り広げられた「国民の敵=オウム」に対する常軌を逸した排斥運動である。これはもちろん、オウムという希代の反人民的な、宗教の形態をとったファシスト的集団に対する広範な民衆の怒りを利用したものだが、だが断じてその延長上で自然発生的に起きたのではない。明白に治安機構を発信源とした、きわめて意識的な情報操作(しばしばデマ情報を含む)によって、まず自治体を操り、住民が踊らされ、マスコミがこれに群がるという構図の中で全国化した。そこでは信徒の住民登録拒否や子どもの就学拒否などの違法行為も公然とまかり通っている。
 この官主導の異端排斥運動が、来るべき戦争その他の重大情勢において、容易に対象と規模をさらに拡大させた新たな「非国民狩り」に転化することは想像に難くない。団規法は、隣に住む「敵」への恐怖をあおることによって、住民の相互監視と一億総監視体制を組織する。すでに公安当局の手のひらの上にのっているオウム教団が、その予行演習のためにとことん利用されているのだ。

 第2章 戦争と大失業の時代の結社をめぐる攻防

 第1節 団規法・組対法・労働法制改悪

 団規法は優れて戦時型の治安立法である。破防法と比べても格段にデタラメなその超法規性は、かつて五〇年朝鮮戦争下で猛威をふるった団体等規正令を連想させる。五〇年朝鮮戦争は日本全土を最前線出撃・兵站(へいたん)基地とすることによって遂行されたが、それは当時の日本がいまだ米軍の占領下にあり、GHQという超憲法的な権力が存在し、それが団規令や占領目的阻害令などの超法規的治安法規をふりまわすことができることによって可能であった。
 団規法は組対法などとともに、新ガイドライン下における新たな侵略戦争の時代に登場した治安法である。したがってその最大の狙いがかつての団規令と同様、団結権と結社の自由の暴力的な侵害、要するに共産主義政党や在日朝鮮人団体、さまざまな反戦運動や労働組合の解体におかれることは明白なのである。
 その点で、団規法とそれに先行して制定された組対法三法とこの間の一連の労働法規改悪は一体のものとしてみなければならない。特に組対法三法は、盗聴法が今年の八月施行の予定であるのに対し、匿名証言制度の導入はすでに昨年九月に、組織的犯罪に対する刑の加重と金の没収を狙った狭義の組対法は今年二月から施行されている。
 これは、すでに昨年二月の全日建運輸連帯関西生コン支部に対する大阪地裁の反動判決(正当な労働争議に「営業妨害」のらく印を押し、二億六千万円の損害賠償を命令)や東京における洋書センター争議に対する四人の労働者に対する十カ月を超える逮捕・勾留攻撃などの形をとって、先取り的に発動されている。それは、九八年五月の国労に対する東京地裁の不当判決(国家的不当労働行為の全面的な居直りと労組法の解体)などとともに、大失業と戦争の時代において、労働者の団結権を根底から解体する攻撃である。重要なことは、団規法はこれらと無縁なところにあるのではなく、その最も鋭い一環としてあるということだ。

 第2節 破防法改悪の一環なす攻撃

 そもそも団規法は当初は現在のような独立法としてではなく、あくまで破防法の改悪として準備されてきた。それが土壇場の九九年九月、急きょ野中ら内閣官房の意向によって、その一部をつまみ食いする形で「オウム対策」と銘うった団規法にすりかわるのだ。
 それでは破防法改悪の策動はいつから始まったのか。最近、公安調査庁の内部告発を行っている元公調キャリア職員(昨年九月に『溶解する公安調査庁』現代書館刊を発表、同じころ別件逮捕)の証言によれば、それが公調内で本格化するのは九七年一月のオウム破防法棄却決定以降だが、出発点は大きく逆上り、九〇年秋の大嘗祭時点における革共同への破防法発動の見送りにあった。
 このとき政府・自民党は大嘗祭成功のために、ゲリラ戦を闘う中核派への破防法団体規制の発動を要請したが、公調が十分な証拠を集めることができず断念に追い込まれた。「この結果、それまでも自民党の議員の一部にあった公安庁の存在に疑問を呈する声が、廃止論となって党内に一気に浸透」した(前述書)。
 九〇年は、破防法との攻防の大きな節目であった。この年九月、六九年四・二八破防法(扇動罪)裁判の最高裁判決が出た。結果は有罪だったが、起訴以来ここまでに二十年かかったということ自体、運動の予防的規制を眼目とする破防法の破産を意味した。そしてこの直後に天皇闘争への団体規制攻撃が断念される。
 破防法はわが同盟を先頭とする七〇年以来の合法・非合法、公然・非公然のあらゆる闘いによって最も根幹的なところでうち破られたのである。
 破防法改悪の動きは、この九〇年時点の公安調査庁の絶体絶命の危機から出発し、九四年米帝の朝鮮侵略戦争突入前夜情勢、九五年サリン事件の思わぬ「追い風」で勢いづき、棄却決定で一時つまずくが、さらに九九年新ガイドライン関連法制定で新たに意義付与され、今日さしあたりオウムを格好の餌食(えじき)とした団規法として立ち現れてくるのだ。だがはっきりしていることは、敵の真の狙いは、オウム対策などではなく、オウムを利用し、戦時下に備え、革命党から労働組合にいたるあらゆる結社と団結権を徹底的につぶすところにある。

 第2節 調査対象団体を無限に拡大

 しかもその対象は無限に拡大する。ここに一通の公調の内部文書がある。九六年度に下部組織の近畿公安調査局に出したその文書は調査対象の拡大を指示したものだが、その内容は驚くべきものである。
 すなわちそこでは、「重要解明目標」として、@政治・選挙関係、A経済・労働関係、B大衆・市民運動関係、C法曹・救援、文化、教育関係等の項目を並べ、例えばBでは、沖縄米軍基地をめぐる反対運動及びその他の基地反対運動の動向把握、「核廃絶」及び「核実験全面禁止条約」の締結に向けた運動の実態把握、原発反対運動の実態把握、消費税率引き上げ反対運動の実態把握、市民オンブズマンの行政に対する告発運動の実態把握、部落、婦人問題など人権擁護運動の実態把握、生協、農民、公害・環境、宗教などの運動の実態把握を列挙した上で、具体的な団体名として原水爆禁止日本協議会、反原発運動全国連絡会、日本婦人団体連合会、日本生活協同組合連合会、産直運動全国協議会、全国市民オンブズマン連絡会議、情報公開法を求める市民運動などを挙げている。
 また同じくCでは、左翼法曹団体、弁護士会による司法改革や破防法反対の取組の実態把握、労働弁護団による労働争議や労働者の解雇・配転問題の取組の実態把握、諸団体による死刑廃止や人権擁護の取組の実態把握、日本ジャーナリスト会議による言論・出版の自由などを求める活動の実態把握、いじめ・不登校問題、日の丸・君が代反対などに対する諸団体の動向把握などを列挙した上で、具体的団体として、自由法曹団、社会文化法律センター、アムネスティ・インターナショナル日本支部、日本科学者会議、日本ジャーナリスト会議、日本ペンクラブ、日本教職員組合などを挙げている。
 そしてこの文書を暴露した九九年十一月二十五日付東京新聞は、「指示を受けていた近畿公安調査局は、調査中に市民団体から抗議を受けた場合『日共や過激派等の調査に関連付けて説明できるように訓練させている』」ことを紹介し、また公安調査庁次長三谷は同紙に、「内部文書とされるものが本物かどうかは業務の性質上、確認しない。従って、内容についても、事実かどうか答えられない」というコメントをよせている。

 第3節 全社会問題が治安問題化

 この文書は一見あまりにも無茶苦茶だ。だがこれをけっして荒唐無稽(こうとうむけい)なものとして片づけることはできない。ここには日帝国家権力の危機感が凝縮している。戦時下の治安体制、深刻な体制危機下の警察管理社会はここまでゆきつくということだ。つまり戦時下では、結社は、ただそれが結社であるというだけで十分監視と弾圧の対象になりうる。いいかえればこれは恐慌と戦争の危機が切迫する中で、日本帝国主義にとって全問題が治安問題となる、すべての政治・経済・社会問題を治安問題として取り扱うということだ。だからこそ彼らはあらゆる結社を危険視するのだ。
 実際日帝ブルジョアジーとその政党が八〇年代以来叫び続けてきた「市場原理」や「規制緩和」を旗印とするさまざまな改革論議は、今ではすっかり色あせどんな幻想性もない強権性だけが浮き彫りになっている。政治改革とは何だったのか。結局それは小選挙区制導入によって社会党を解体し、今日見るような自自公翼賛政治、国会の機能不全を結果しただけだった。
 歯止めなき財政膨張で今や「小さな政府」の掛け声もどこへやら、行政改革・省庁再編で何より突出しているのは内閣府に代表される国家の危機管理機能の強化である。小渕が強調し始めた教育改革も、一言でいって教育基本法の解体と教育勅語的なものの復活につきる。「日の丸・君が代」強制が象徴しているように、管理教育の結果生じた学校崩壊状況に対して、文部省は管理教育のさらなる徹底化の処方箋しかもちあわせていない。
 司法制度改革審議会の下で開始された財界・自民党主導の司法改革論議もまったく同様だ。「法曹一元化」などの煙幕を張りながら、実は増員した弁護士をブルジョアジーの御用聞きにおとしめ、人権の砦(とりで)・日弁連と弁護士自治そのものを解体するところに最大の眼目がある。
 さらに当面は「二兎(にと)ではなく一兎を追う以外にない」という理由で、すっかり棚上げされてきた財政改革の出口も、最後はインフレと大増税という超ど級の治安問題に行き着かざるをえない(東京都知事石原の「外形標準課税」はその突破口だ)。

 第4節 破局的危機の主体的突破へ

 八九年のベルリンの壁崩壊と九一年のソ連崩壊を境に、帝国主義とスターリン主義の戦後世界体制は一挙に崩壊した。ちょうどこのころ、日本ではバブルがはじけ、右肩上がりの経済成長が最後的に終わり、超長期不況過程に突入した。こうして九〇年代の日本帝国主義は、階級矛盾を体制内的に吸収、包摂するシステムを失った。経済・社会的には企業主義的支配の崩壊が、政治的には五五年体制の崩壊が進行した。
 あらゆる種類の改革論議は、崩壊した従来のそれに代わる新しい支配・体制・システムを求めて、日本に活力を取り戻そうするものであったが、ことごとく失敗した。いや失敗したというよりも、その厚化粧がはがれ落ち、全矛盾を労働者人民に転嫁する、それをただひたすら強権的・治安的に貫徹する以外にないという本性があらわになったということだろう。
 こうした中で、日本階級闘争においては九五年九・四事件以来の沖縄の「新たな人民反乱の開始」の巨大なうねりが開始された。
 だからこそ国家権力は、住基法改悪で全国民に背番号をつけ、組対法で労働運動や人民の生活のあらゆる領域(経済・訴訟・通信活動など)に土足で踏み込み、さらに団規法では公調を「現代の異端審問官」に祭り上げて、ただひたすら監視と強権と弾圧の政治にすがる以外に能がない。だがそれは何も解決しない。今日の社会的閉塞(へいそく)状態はさらに深まるだけである。
 そしてこの急坂を転げ落ちるような奈落を前に、帝国主義が生き残る道は、結局それが帝国主義である限り、最後にはどんなに絶望的であっても排外主義と侵略戦争の道以外にないのである。だから新ガイドラインであり、周辺事態法であり、「日の丸・君が代」であり、「新自由主義」史観であり、有事立法であり、憲法調査会の設置なのだ。そうしてその日帝の先兵としてカクマル=JR総連が闘う労働者人民に対して、盗聴・脅迫の白色テロルをふるっているのである。
 この文字どおりの破局的危機は、ただ労働者人民の主体的闘いによって、主体的に突破する以外にない。階級闘争の再生によって、労働運動の復権によって、この死の苦悶(くもん)にあえぐ帝国主義を打倒する質をもった闘いの前進によってのみ未来は切り開かれる。そしてこの再生と復権の萌芽は、スターリン主義と社会民主主義の残骸をつき破って、すでにいたるところで力強く成長し始めている。
 この重要な一翼を担うものとして、結社をめぐる攻防、激化する戦時型治安・弾圧攻撃との闘いがある。それはすでに、@団規法・組対法に対する執拗な反撃として、A公安調査庁の人民監視システムを弾劾する闘いとして、Bいまだ施行されていない盗聴法を廃止に追い込む闘い(署名運動)などとして新たな前進を開始した。
 反治安・弾圧の闘う共同戦線の一層の発展のためにさらに全力を挙げよう。

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週刊『前進』(1948号7面2)

 星野再審棄却を弾劾する

 怒り爆発させ異議審闘争を

 二月二十二日、東京高等裁判所第一一刑事部・荒木友雄裁判長は、星野文昭同志の再審請求に対して棄却決定を強行した。この暴挙は、「七・二一体制」(沖縄サミット厳戒体制)下での反革命攻撃であり、絶対に許さない。
 星野同志は、一九七一年十一・一四沖縄返還協定批准阻止闘争に最先頭で決起した沖縄闘争戦士であり、獄中二十五年、完黙非転向を貫いて、無期攻撃と闘う偉大な革命家である。
 星野同志はこの戦闘での機動隊員完全せん滅に対して日帝国家権力がかけたデッチあげ「殺人罪」・無期攻撃に対しても獄中から敢然と決起し、一九九六年四月十七日に再審を請求して不屈の闘いを貫いている。 星野同志への「殺人罪」攻撃は、沖縄奪還闘争の爆発に恐怖した国家権力が、階級的報復として目的意識的に行った許しがたいデッチあげである。当時少年だった数人を含め群馬の学生を狙い撃ちにして逮捕し、暴力的取り調べでウソの「自白」を強制したのだ。
 再審請求において「共犯者供述」を全面的に分析しそれがデッチあげであることを完全に明らかにした。またウソの「自白」を強制された「共犯者」自身が、その内容を撤回して真実を語る「陳述書」を新証拠として提出し、星野同志への無期懲役判決は、証拠に基づかないことを暴いた。だが棄却決定は事実調べも行わず、取り調べ段階における「共犯者供述」は信用できると言い放った。
 星野同志は無実である。 「共犯者供述」が、警察権力によってデッチあげられたという真実は消し去ることはできない。「再審棄却決定」が、目撃供述は真実か虚偽かの争いに踏み込んだこと自体が、敵の墓穴を掘るものとなるのだ。
 沖縄闘争の正義を訴え、無実を叫ぶ星野同志の闘いは人民の信頼をかちとり、広大な支援陣形を形成している。星野再審署名は五万筆に迫り、全国八つの星野救援会では星野同志を取り戻そうと真剣な活動が展開されている。母美智恵さん始め、妻暁子さん、兄治男さん、弟修三さんたちは家族ぐるみで再審運動に決起し、一日も早い星野同志奪還を念願している。
 なんとしても星野再審闘争に勝利しなければならない。星野同志を奪還しなくてはならない。
 弁護団は、二月二十四日異議申し立てを行い異議審闘争に突入した。全党、全人民に訴える。日帝・東京高裁による再審棄却決定に怒りを爆発させ、異議審闘争に総決起しよう。沖縄人民との連帯をうちかため、七月沖縄サミット粉砕決戦の大爆発をかちとろう。
 「東京高裁は、事実調べを行え! 星野さんは無実、再審の開始を!」の声を、人民の中に広げよう!

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週刊『前進』(1948号7面3)

 コミューン4月号

 教育への全面攻撃

 全国で「日の丸・君が代」闘争が激烈に闘われている。新ガイドライン締結後、日帝は朝鮮・中国−アジア侵略戦争に向かって有事立法・改憲攻撃を強め、「教育国会」と称して教育改革−教育基本法改悪の攻撃をかけてきている。
 特集「教育改革と『日の丸・君が代』」は、第一章で、小渕の施政方針演説と小渕が設置した「21世紀日本の構想」懇談会報告を中心に、日帝の教育改革攻撃と教育基本法改悪の狙いを明らかにしている。核心は戦争国家化への国家・社会の改造計画である。
 第二章で、日帝の教育改革攻撃の先兵であるファシスト・石原都知事の「心の東京革命」の超反動的内容を全面的に批判した。
 第三章は、昨年夏の「日の丸・君が代」国会における政府の反動的答弁を五点取り上げ徹底的に批判。
 最後に資料として「日の丸・君が代」法制化後の動向を掲載。これは、「日の丸・君が代」を全社会に強制し、戦争国家化を事実をもって進行させる日帝の狙いを示すものである。
 翻訳資料は「介護保険で殺されるドイツ」。日本の介護保険はドイツがモデルとなっており、「素晴らしいもの」と宣伝されてきた。ところがドイツの雑誌『シュピーゲル』によると、介護保険下のドイツでは、必要な介護が行われなかった末に、高齢者が殺されている。この事実が深刻な構造的な問題であることが明らかにされた。その詳細なレポートである。

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週刊『前進』(1948号8面1)

 マルクス主義を学ぶ

 「基本文献シリーズ」に取り組んで

 労働者党の綱領的全内容を提起

 党学校でマルクス主義の基本学習文献を学ぶ同志たちが、各文献の中心課題に取り組み、レポートした。これを今後月一回のペースで紹介する。今回は『ゴータ綱領批判』の一回目です。(編集局)

 第1節 反スターリン主義・革命的共産主義における『ゴータ綱領批判』の意義

 課題1 反スターリン主義・革命的共産主義運動にとって『ゴータ綱領批判』はきわめて重要な意味を持っています。それはどういう内容でしょうか。
 スターリンはロシア革命を世界革命から切断し、「一国でも社会主義は可能だ」として反労働者的・反人民的な国内建設を進め、ロシア革命と国際共産主義運動を反革命的に変質させた。その事実を隠蔽(いんぺい)し、理論的に粉飾するために『ゴータ綱領批判』の将来社会論を歪曲して使った。反スターリン主義・革命的共産主義運動は、その創成期において『ゴータ綱領批判』を武器にソ連は社会主義社会ではないことを論証し、自らの運動の綱領的立脚点を形成していった。
 だが、『ゴータ綱領批判』を将来社会論としてだけ読むのは狭い読み方だ。
 マルクスは『ゴータ綱領批判』をつうじて、一八七〇年代のヨーロッパ―ドイツ階級闘争が直面した問題に向き合い、『共産党宣言』で提起した階級的原則を貫く「国際的な労働者階級の指導部の形成」と「パリ・コミューンを革命的に引き継ぎ、のりこえる階級闘争の推進」という観点から、労働者党の綱領的全内容を提起した。これをくみ取り、現代的に復権することが問われているのだ。
 一八七〇年代のドイツ階級闘争は、ビスマルクの弾圧と対決しつつパリ・コミューンが指し示した道を突き進むことのできる階級的な力を本格的に形成する歴史的課題に直面していた。
 だが、アイゼナッハ派はラサール派との合同において、マルクスが提起した批判を真剣に取り扱わず、ラサール派に屈服した「ゴータ綱領」を採択した。一八九〇年にビスマルク体制が崩壊し、党が合法化されると、ドイツ社民党は合法主義、日和見主義を満開させていった。一八九一年のエルフルト綱領も、ゴータ綱領の問題性を根本では受け継いだ。ベルンシュタインとカウツキーの「修正主義」論争は、その問題性、すなわち「国家への日和見主義」と資本主義の帝国主義段階への推転についての無理解というの土俵の上でのものであった。そのため第一次世界大戦の勃発(ぼっぱつ)の中でドイツ社民党は祖国防衛戦争に賛成・協力する社会排外主義にまで行き着いた。
 レーニンは、ドイツ社民党によって踏みにじられたマルクスの『共産党宣言』の原則、プロレタリア階級闘争論、国家・革命論を復権させようとした。レーニンは、『帝国主義論』で帝国主義段階という歴史的現実の認識をはっきりさせるとともに、『ゴータ綱領批判』を全面的に受け止めて、その中身を実際に貫徹するために『国家と革命』を書いた。そして四月テーゼ、「ドイツ革命―世界革命の実現のためのロシア革命」の立場を貫いてロシア革命を勝利に導いた。
 しかしスターリンは、ロシア革命―世界革命を貫徹することの困難の前に屈服して、「一国社会主義論」をもってレーニンの闘いを根本から裏切った。スターリンは、ロシア革命をドイツ革命―世界革命と一体のものとして推進する立場を放棄したのだ。
 ソ連スターリン主義の崩壊という今日の地点に立って、マルクス主義を復権するためには、スターリン主義によって裏切られたレーニンの未完の事業=〈第二インターナショナル的腐敗を全世界的に打ち破る闘い〉、すなわち〈『共産党宣言』の階級的原則を労働者階級の大運動として実現し、帝国主義国におけるプロレタリア革命に勝利し、世界革命への展望を開く事業〉をわれわれが引き継がなければならない。その観点から『ゴータ綱領批判』の綱領的全内容をわがものとして今日的に復権することがきわめて重要になっている。(志村行雄)

 第2節 過渡期についての積極的とらえ方と機械的三段階移行説の問題点

 課題2 資本主義から共産主義への過渡期について、機械的な三段階移行説の問題点と過渡期の本質についての積極的とらえ方を述べて下さい。
 「過渡期社会」というと過渡期の躍動性のようなものが失われてしまう。「過渡期社会建設」というよりも「過渡期建設」と言った方が、マルクスのいわんとしたことのニュアンスをより正しく表現できる。
 歴史的には、レーニンを歪曲したスターリン主義が「過渡期社会、社会主義社会、共産主義社会」というように機械的に三段階区分をしてきた。その一方で、スターリンが過渡期を乱暴に「終了」させたことに対するアンチとして、過渡期は延々と続くものだと考える傾向が反スターリン主義の側にも生じた。その極端化としてカクマル・黒田は、過渡期には過渡期社会の法則があると称して、過渡期社会「段階」の設定にまで陥っている。
 これらのとらえ方は正しくない。すでに一九六六年の革共同第三回大会で「過渡期社会建設におけるプロレタリアートの闘いは、プロレタリア独裁権力をてこにしつつ、与えられた限りの諸条件を駆使して、一刻も早く、社会主義社会へと前進する前提を成熟させることである」と提起している。また『共産主義者』五七号(一九八三年)の野島三郎論文「『国家と革命』をいかに学ぶか」でも、「この時期は、資本主義の徹底的打倒、共産主義(第一段階)への可及的すみやかな前進の時としてあり、それ自身長期の一時代をなすもののようには原理的には措定されえない」と規定している。
 『ゴータ綱領批判』で論じられている内容は、『資本論』的世界の原理的転倒である。マルクスは、『資本論』において資本制社会の経済学的解明を成し遂げ、その地平の上に『ゴータ綱領批判』で、資本主義の中で形成された諸条件を材料にして共産主義(「生まれ出たばかりの共産主義」)に直ちに向かえることを科学的に打ち出しえた。世界革命による資本主義の打倒・転覆→共産主義(第一段階)への急速な移行として問題を立てている。過渡期(政治的にはプロレタリア独裁の時期)はこの「→」の部分にあたり、プロレタリア独裁の任務を速やかに達成し、国家の死滅を経て共産主義に移行するものとされている。
 こうした論を踏まえるならば、「過渡期社会」を一段階として考え、何百年も続くかのように考えることは、マルクス共産主義論の無理解に基づくものであり、資本主義の永遠化である。(西野弘)
 社会主義をすでに達成したと強弁して反労働者的なソ連建設を進めたスターリン。これに反発して提起された「延々と続く過渡期社会論」。この両方とも過渡期についての間違った考え方である。
 マルクスは、資本主義社会=最後の階級社会の労働者階級による革命的転覆によって、現にある材料を組み替えていくことで共産主義社会の具体的第一歩が歩み出されると言っている。この「共産主義社会の第一段階」はそれ自身の中に「より高度の段階」を準備していく現実的バネがある。
 この立場に立たないものは、「しょせん共産主義革命は夢」というブルジョア的な立場か、スターリン主義の社会主義ならざる「一国社会主義」の立場か、あるいは「過渡期社会の法則」なるもののデッチあげに熱中する黒田カクマルか、いずれにしても「共産主義の現実性」を否定するものである。
 マルクスは『ゴータ綱領批判』における共産主義論を「現実には適用できない本質論」などというものとして提起しているのではない。ブルジョア独裁を粉砕し、プロレタリア独裁を樹立した労働者階級が、世界革命への国際的な階級闘争を進めながら、国内的な社会建設において、生産手段の社会的共有(最初はプロレタリア的国有化)のもとでの社会的生産の全体の計画的な運営、社会的総労働の意識的配分への前進に直ちに取りかかっていくものとして展開している。過渡期における革命的な転化の基準や方向が「共産主義(第一段階)」として与えられるのである。
 すなわち、労働者国家を世界革命の砦(とりで)、全世界の労働者と被抑圧民族の解放の砦として残存帝国主義と対決しつつ、「共産主義(第一段階)」を準則として可能な限りの過渡期建設を推し進めること、そうした過渡期の勝利的前進をとおして、社会の主人公としての労働者階級が世界革命の達成の道程の中で「共産主義(第一段階)」の実現に入っていくことは、まったく現実的だということが提起されているのである。(福島栄一)

 第3節 エルフルト綱領草案へのエンゲルスの批判の核心点はどこにあるか

 課題3 エルフルト綱領草案へのエンゲルスの批判の核心はどこにありますか。
 エンゲルスは一八九一年、エルフルト綱領をその作成過程において批判したが、その際マルクスの『ゴータ綱領批判』をドイツ社民党指導部の反対を押しきってあえて公開した。つまり『エルフルト綱領批判』と『ゴータ綱領批判』には内容的一体性がある。またエンゲルスの晩年の『フランスの内乱』一八九一年版序文、『フランスの階級闘争』一八九五年版序文と併せて検討していく必要がある。
 エルフルト綱領は、エンゲルスの批判を文言の上ではある程度採り上げ、ラサール的なにおいを一掃し、いちおう「階級闘争史観」の上に立っていた。しかし、労働者階級が将来勝利するのは自然必然的で、いつかは勝つだろうと言っているにすぎず、日和見主義と合法主義に染め上げられていた。カウツキー自身、基本的に議会をつうじた権力への道という思想を持っており、特にラサールにもつうじるドイツ的俗物根性の核心、「国家に対する崇拝」を脱しえていなかった。
 エンゲルスは、当時ビスマルクが失脚し社会主義者取締法が廃止された局面で、党指導部がこれからは合法主義でやっていけるという日和見主義を満開させていること、また「今日の社会は社会主義へと成長・移行していく」という自己欺瞞(ぎまん)で党と労働者階級をごまかし、プロレタリアートの独裁という問題の核心を踏みにじろうとしていることへの痛烈な批判を投げつけている。エンゲルスは「プロレタリアートの独裁」という言葉を聞いて恐怖するドイツ社民党指導部に対して「パリ・コミューンを見たまえ。あれがプロレタリアートの独裁だったのだ」(『フランスの内乱』一八九一年版序文)とさえ言っている。
 ただ『エルフルト綱領批判』そのものには非常に微妙な言い方もある。それはドイツ社民党が日和見主義といっても、弾圧に耐えて組織と運動を発展させ、すでに大勢力になっていたという歴史的現実があったからである。このことを踏まえながら、エンゲルスは最大限、革命的な内容を与える立場で批判している。
 エンゲルスの提起の核心は、@当時のドイツの国家の官僚的な権力機構は強大で凶暴であるA労働者階級が独自の勢力に成長してきたBだがそれは革命の「平和的成長・移行」が可能になったことを示すものではないC逆に国家権力の反動との全面的な激突が避けられないから、それに実践的に準備せよ――ということだった。
 これを裏切ったドイツ社民党は、第一次大戦の勃発の中で「ロシアのツァーリ反動からのドイツ国家の防衛」の名のもとに社会排外主義に転落したのである。(原田信明)

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週刊『前進』(1948号8面2)

 排外主義と闘う 入管闘争の課題 1

 法相の自由裁量権

 在留特別許可

 不許可イコール退去強制

 日米新ガイドラインが、朝鮮・中国−アジア情勢を緊迫させている。ガイドライン体制構築を狙う日帝・小渕自自公政権は、有事立法・改憲攻撃に踏み込んだ。オーストリアではハイダーが移民排斥を叫び、都知事・ファシスト石原は日帝の侵略戦争の先兵の役を買って出ている。「闘うアジア人民と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱に転化せよ」「米軍基地撤去=沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒」の総路線を貫徹し、日本の労働者人民は今こそ、恐慌と戦争、大失業と福祉解体の攻撃と闘おう。その闘いを貫くために、強まる排外主義・差別主義と対決して闘うことが重要であり、その具体的な闘いとして入管法・外登法−入管体制粉砕の入管闘争がある。今号から、闘う在日朝鮮人・中国人、アジア人労働者に襲いかかる歴史的日常的な治安管理、治安弾圧の実態に迫り、二〇〇〇年入管闘争の課題を明らかにするシリーズを開始する。

 第1節 在特へ一斉行動

 二月二日、昨年九月に在留特別許可(在特)を求める一斉行動に立ち上がり、東京入国管理局に出頭した滞日イラン人家族ら二十一人のうち、イラン人家族三人が在留特別許可を認められ、定住者としての在留資格(在留一年)をかちとった。次いで十四日までにイラン人三家族十三人が在留特別許可を獲得した。
 しかし同時に、二月二日にはビルマ(ミャンマー)人一家三人が、九日にはイラン人とバングラデシュ人の単身男性二人が不許可になった。つまり退去強制処分が決定されたのである。
 ビルマ人家族はその場で入管に収容された。母親(34)と二歳の娘は「帰国準備のため」として仮放免が許可されたが、父親(43)は拘束が続いている。父親は来日後、祖国ビルマの民主化運動に参加しており「ミャンマー政府から迫害を受けかねない」と訴えている政治難民でもある。
 同じく不許可になった二人の男性は、日本での労災事故で治療中だ。来日八年目になるイラン人のアデル・ゲイビさん(34)は、「私たちは3Kと呼ばれる職場で働いてきた。不況になったから帰れ、では納得できない。不法滞在のため保険に入れず、病院にも行けずに死んだ友人がいる」と訴えた。
 ゲイビさんらは「後に続く人のため、捨て石となる覚悟で世論に訴えよう」と在留特別許可を求めての一斉行動に立ち上がったのである。

 第2節 「捨て石覚悟」で

 では、そこまで過酷な決意を強いる「在留特別許可」とは何なのか。
 現在、日本には二十七種類の在留資格があり、さまざまな制限によって細分化し、在日外国人を分断している。日帝は、入管法と外登法を軸とした入管体制ですべての在日・滞日外国人を治安管理の対象としているのだ。それは日帝の侵略戦争と植民地支配の結果、在日を強いられた在日朝鮮人・中国人に対する歴史的民族抑圧の体制として、さらに八〇年代以降、急激に増加したアジア人労働者に対する治安管理体制として襲いかかっている。
 在留資格なしで日本に暮らす外国人労働者とその家族は二十七万人を超え、その四人に一人が五年以上の長期滞在だと言われている。今回、就学している子どもの有無によって処分が分かれたが、法務省は「申請理由や生活状況、他の不法滞在者への影響などを総合的に判断した」と言うのみで、具体的な理由を明かさない。“法務大臣の自由裁量。言う必要はない”というわけだ。
 この法務大臣の自由裁量権こそが入管体制の大問題なのである。法務大臣の思いのまま、自由裁量で成り立っているのが入管法であり外登法である、と言えるのだ。“外国人に人権なし”というわけだ。この入管体制の本質がむき出しに貫かれるのが在留特別許可審査なのである。
 外国人労働者とその家族の闘い、法務省前での座り込みや署名運動など闘いの広がりは日帝を追い詰め、一部とはいえ在特をかちとるに至った。だが臼井法相は、その外国人労働者たちを天と地ほども差のある在留許可と退去強制処分に選別し分断した。“在特という恩恵を与えたのだから屈服せよ、いやなら出ていけ”という恫喝だ。差別・排外主義の源がここにある。入管闘争はこの差別・抑圧、分断・同化・追放の入管体制との闘いであり、それは日本労働者人民の闘いの課題である。

 第3節 ある日突然……

 「収容します。もう外には出られません」−−埼玉県内の高校三年生の女子生徒が東京入国管理局の一室で職員に告げられた。(二月二十三日付朝日新聞)
 昨年十月、定期的な呼び出しだと思って、中間試験を午前中に終え、母親らと入管を訪れた午後のことだった。彼女は、滞日中国人家族の次女。九七年に在留特別許可を求めて東京入管に出頭、審査中だった。
 審査の結果は、短大生の長女だけ「留学」扱いで在留を認めるが、両親と次女、小学生の長男の四人は不許可、退去強制だった。ただちに入管施設に収容され、私大の推薦入学の予定もつぶれた。
 長女が十一月末に弁護士を伴って再審と仮放免を申請し、父親を除く三人の帰宅がようやく認められた。
 この中国人家族と先に述べたイラン人家族らに何の違いがあるのか。就学の配慮すら見られなかった。地域社会から学校現場からある日突然、子どもたちが入管施設に収容される事態が頻発している。地域ぐるみで闘う入管闘争が強められなければならない。
 退去強制手続きとして進められる在特審査では、出頭するとまずは身柄が収容される。仮放免が許可になっても多額の保証金が必要だ。繰り返される入管の違反調査は、プライバシーに踏み込んだ、「犯罪者」に対する「取り調べ」として行われている。
 収容施設内での不当な処遇、人権侵害、さらには入管職員による暴行傷害・暴行致死−虐殺さえ現実に発生している。差別・抑圧され、社会的孤立を強いられている在日・滞日外国人労働者に対する支援・防衛の闘い、地域や労働組合をつうじた団結と共同闘争が切実に求められている。
 昨年春、国会に入管法・外登法改悪案が提出されるや、ただちに入管法・外登法改悪反対の闘いが巻き起こった。だが、延長国会最終日の八月十三日、入管法・外登法改悪が強行されたのである。
 その改悪入管法が二月十八日に施行された。次回は、ガイドライン攻撃と一体となって強行された入管法・外登法改悪について考える。
(室田順子)

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