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2010年04月号

党学校通信

党学校機関紙 A4判月1回発行 頒価100円

今月の内容 レーニン『国家と革命』(下)

講義概要 P1-8

★討論から- P9-16

受講レポート P16-28

2010年4月号
通信 バックナンバー
党学校通信   講義概要

レーニン『国家と革命』(下)

後半講義概要 講師丹沢 望 

■ロシア革命に勝利した労働者の闘い

【はじめに】

 後半講義ではロシア革命において労働者階級がいかにして勝利し、プロ独を実現したかを学ぶ。
  ロシア革命は労働組合、労働運動に徹底的に依拠した革命であった。ところが、われわれはこれまで、ロシア革命の教訓を政治的・軍事的観点から学ぶという傾向を強くもっていた。レーニンやトロツキーなどの路線や革命戦略・戦術をめぐる闘いを教訓化しようとする観点はもっていたが、肝心の労働者階級がロシア革命において具体的にいかに闘い、どのような闘いを経て勝利を勝ち取ったかという点についての研究はきわめて不十分であった。レーニンやボルシェビキの偉大さが一面的に強調される反面、労働者階級の姿はまったく見えていなかったのだ。つまり、われわれはロシア革命がプロレタリア革命であったと認識していながら、肝心の労働者階級自身の闘いに肉薄することができていなかった。
  だが、ロシア革命ほど労働者階級の生産現場における闘いに徹底的に依拠した革命はない。ボルシェビキの指導の下で、ロシアの労働者階級は労働組合や工場委員会の下での職場における闘いを通じて、階級的に覚醒し、臨時政府と闘い、メンシェビキなどとの党派闘争に勝利して、ソビエトを革命的に建設することで勝利したのだ。
  したがって今日、階級的労働運動路線によってプロレタリア革命を実現しようと闘っているわれわれは、ロシア革命における労働者の闘い、とりわけ労働組合(工場委員会)の決定的役割について今こそ全面的な見直しを行わなければならない。後半の講義は、『国家と革命』の書かれざる第7章(ロシア革命の教訓)をわれわれの手で書こうという試みであるが、われわれは、今日の階級的労働運動路線の深化という観点から、ロシア革命を労働者の闘いを軸として総括していこう。
  われわれがこのような視点をもってロシア革命を総括し、教訓化しようとする立場にようやく立てたのは、@われわれが動労千葉の闘いに学び、動労千葉型労働運動をそれぞれの職場で積み重ねる中で階級的労働運動路線を確立し、A「党の革命」を経る中で真の労働者階級自身の党を建設することによってプロレタリア革命を実現するという問題意識と決意を強烈に持ったからであり、B他方でロシア革命時におけるレーニンとボルシェビキの苦闘と、その過程での労働組合論の革命的確立に学ぶことができたからである。

【T ロシア労働運動の発展と05年革命】

 ロシアの労働運動は、帝政下で資本主義化が急速に進む1880〜90年代に、若々しく戦闘的な労働者階級が登場するとともに開始された。ロシアの労働者階級は、登場するや否や相次いで大ストライキに決起し、帝政を根底から揺るがした。レーニンは革命運動を始めた当初から、当時のロシアの全人口の5%にも満たない戦闘的な労働者階級に徹底して依拠して闘う立場に立っていた。1895年に設立された「労働者階級解放同盟」は、当時労働組合を結成することさえ禁止されていた労働者階級に、外部からの宣伝・扇動を通じて巨大な革命的影響を与えた。
  だが、初期の革命運動は国家権力の凶暴な弾圧によっていったんは壊滅させられ、党内には経済主義が蔓延した。こうした革命主体の危機に対し、レーニンは『なにをなすべきか』で経済主義と闘い、階級的労働運動によって労働者階級を組織できる党的継承性を持った全国単一の党、権力の弾圧に負けない非合法・非公然の党を再建し、全国的政治新聞に依拠した革命運動を組織していった。

●05年革命

 05年革命の発端は、労働運動の高揚に恐怖した警察が労働者階級の闘いを合法的な枠内に抑え込むために作った御用組合の組合員の解雇を撤回させる闘いであった。解雇攻撃に激怒した労働者たちは05年1月、体制内派指導部を突き上げ、プチロフ工場全体をストに突入させた。資本家たちの横暴に抗議し、ロシア皇帝に現状の改善を求める誓願デモで、軍隊に1000人の労働者が虐殺されると(「血の日曜日」事件)全国的抗議ストが爆発した。この闘いを突破口として、10月には全土ゼネストが爆発し、ソビエトが形成され、労働組合も初めて合法化される。
  だが、05年ソビエトの指導部はメンシェビキや小ブル知識人であり、労働組合とその闘いを基盤として闘う指導部ではなかった。他方、多くのボルシェビキ党員は、ソビエトがこれらの連中のおしゃべりサロンと化していたことに反発し、前衛党の指導の重要性を一面的に強調して、ソビエトに対して否定的態度をとっていた。こうした事情から、帝政の反撃が開始され、弾圧が強化されると、このソビエトは12月には脆くも崩壊した。
  レーニンはこの点を徹底的に総括し、@まず、「ソビエトを臨時革命政府の萌芽とみ、この組織をさらに拡大し、このまわりにツアーリズムに反対するあらゆる人々を結集しなければならない」とした。その上で、A労働組合に依拠した労働者自身の闘いが巨大な規模で実現されない限りソビエトは容易に弾圧され、ブルジョアジーの激しい抵抗に対決できないとした。
  こうした立場から、レーニンは革命的ソビエトの形成とその勝利のためには、労働組合を強固に確立することが絶対的に必要であることを主張した。1912年のプラハ協議会でレーニンが、すべての工場内に非合法の社会民主党細胞を作り、労働組合と共同して経済闘争と労働運動の巨大な高揚に対応し、指導していく視点を鮮明に打ち出したのも、このような05年革命の総括に基づくものである。

【U 1917年2月革命と労兵ソビエトの形成】

 05年革命の後、12年頃までは反動期が続き、労働組合は再び非合法化された。だが、12年4月のシベリア・レナ鉱山の労働者のストライキ闘争と170人のスト労働者の虐殺事件を契機として再び革命的高揚期に突入する。14年のメーデー闘争以降は、大デモ、大ストが連続的に爆発した。14年7月の第1次世界大戦へのロシアの参戦後、労働運動への弾圧が強化されていったん革命的高揚は沈静化する。だが15年夏以降、ロシア軍の敗勢が濃厚となる中で、労働者階級は再び革命的決起を開始する。17年2月には、労働者階級のツアーと資本家に対する怒りは極限化し、革命情勢は完全に煮詰まっていた。

●2・23決起の決定的性

 しかし、革命的方針はボルシェビキを含むすべての左翼勢力から打ち出されなかった。このような危機的情勢を打ち破る決定的契機になったのが国際婦人デーにおけるビボルグ地区の女性労働者の革命的決起だった。
  彼女たちは、16年以降、ボルシェビキのビボルグ地区の革命的労働者の不断の働きかけの中で、職場闘争を闘い、急速に革命化した女性労働者たちであった。彼女たちは、この地区の労働者が資本家の残虐な搾取と帝政の戦争政策に対する激しい怒りと憎しみを持っていることを肌で感じており、いまや労働者たちが断固たる帝政打倒の闘いに決起する寸前の状態にあり、決定的な行動の呼びかけを待ちに待っている状態にあることを熟知していた。また、今決起しなければ、労働者階級の怒りのエネルギーが霧散してしまいかねないことを直感的に感じていた。
  したがって彼女たちは、ボルシェビキの国内中央指導部の制動にもかかわらず、2月23日に一斉にストライキに入り、ビボルグ地区全域をストに引き込んだ。この段階でボルシェビキ中央指導部は誤った情勢認識と方針を修正し、スト支援を決定した。女性労働者たちは郊外の労働者地区から市内に突入し、市内の222工場21万人以上の労働者をストに突入させた。この決起が、兵士たちを獲得し、首都の全兵士の反乱を引き出すことで帝政が打倒されたのである。革命の危機を救ったのは地区党の下に組織されたこうした女性労働者たちの組織的決起であった。この事実の中には、地区党の強固な確立の下に職場闘争を断固として闘い、革命情勢の下で強烈な革命的主体性をもって決起する労働者を組織することの決定的重要性が示されている。

●4月テーゼとレーニンの闘い

 帝政が打倒されたにもかかわらず、メンシェビキの主導下にあったソビエトは、ブルジョア自由主義者が形成した臨時政府支持、戦争遂行政策支持の立場に立っていた。これに対してボルシェビキの国内中央指導部も、流刑地から3月に帰国したスターリンやカーメネフの指導の下で、この革命はブルジョア革命であり、臨時政府の帝国主義戦争遂行政策も支持するという立場に立っていた。
  このような革命の危機を突破し、プロレタリア独裁を樹立する革命に勝利するために、レーニンは決死の闘争を開始した。レーニンは4月3日に亡命地から帰国すると直ちに「4月テーゼ」(「現在の革命におけるプロレタリアートの任務について」)を発表した。4月テーゼは、この革命が社会主義革命であり、その目的が労働者と貧農の権力としてのソビエト権力の樹立であることを鮮明にした。そして当面の闘いとして、革命的祖国防衛主義反対、臨時政府支持政策反対の闘いを打ち出した。だが、このテーゼは国内の中央指導部からは全面的に否定され、レーニンは完全に孤立した。
  レーニンは4月テーゼをめぐる党の危機的現実を、革命的労働者と地区党に依拠して突破した。2月革命後、首都のボルシェビキ党の構成には重要な変化が起きていた。2月から4月までの間に労働者地区の地区党の急激な強化と工場委員会闘争の強化の中で、労働者党員数の全党員に占める比率は一挙に数倍化した。レーニンはまず、各地区党の総会で4月テーゼをめぐる論議を進め、4月下旬までに次々と4月テーゼの採択を勝ち取った。この過程を経て、ボルシェビキ4月全国協議会で4月テーゼの採択を実現するとともに、レーニンを最高指導部とする新たな革命的中央委員会を選出する。
  この過程は労働者党員の総決起で実現され、一種の党内革命としての性格を持つ。路線の面ではブルジョア革命論からプロレタリア革命論への転換、革命的祖国防衛主義から帝国主義戦争を内乱への立場の再確立、組織面では革命的中央委員会の確立と労働者党員を基盤とする党組織への転換などを実現し、ボルシェビキはプロレタリア革命の党として最後的に確立された。

【V 工場委員会の闘い】

 党の革命的再建と革命路線の確立を実現したボルシェビキにとって次の課題は、ソビエトと労働組合における体制内派勢力のメンシェビキやエスエル(社会革命党)との力関係を覆し、ボルシェビキの主導権を確立することであった。
  工場委員会こそはその決定的テコとなった。レーニンは、工場委員会の闘いを通じて労働者階級の主体的闘いを組織し、その闘いの中でプロレタリア革命に向けて労働者階級を政治的・経済的・軍事的に武装した。またその過程でメンシェビキやエスエルなどとの党派闘争に勝利する闘いを展開し、ソビエト内部における力関係をボルシェビキにとって有利に転換していった。
  工場委員会とは、労働組合がない企業でも、メンシェビキが組合権力を握っている企業でも形成でき、その工場の全労働者の意思を直接反映する闘争機関であった。各工場の労働者は、自分たちの間からもっとも信頼でき、労働者の利害を代弁するランク&ファイルの中から工場委員を選出した。
  工場委員会は2月革命直後から、ボルシェビキのイニシアチブの下に各地の工場で活動を開始した。資本家たちは帝政を打倒した後、自分たちの支配権を確立するために労働者の闘いを抑え込もうとして、革命的労働者の解雇、物資の隠匿、機材の撤去、ロックアウトなどを行った。
  これに対して労働者は、反動的職員や管理者の追放、労働者や職員の任免権の獲得などを通じて職場支配権を確立していく。さらには生産の統制から自主管理にいたるまで、各工場の労働者の主体的能力に応じて多様な闘いを展開した。そしてこの過程をとおして、自分たちこそが社会の主人公であるという自覚を形成していった。
  またこの過程は同時に、労働者による統制を粉砕することで労働者階級の自己解放的な闘いを解体しようとする資本家や臨時政府との激突の過程であり、そうした資本家・政府を支持するメンシェビキやエスエルなどとの党派闘争の過程でもあった。
  さらには将来の社会主義経済を運営する能力を獲得し、資本家に雇われた連中や右翼勢力の襲撃から工場を守る武装自衛を臨時政府打倒の武力に発展させていく過程でもあった。17年3月から10月までの間に全国で2151の企業(ロシアの全企業の22・5%。200人以上の企業では68・7%)で工場委員会が形成され、広範な規模で工場委員会闘争が展開される。
  ボルシェビキはこの闘いにおいて完全にイニシアチブを握り、すでに5月末段階で、ペトログラートの工場委員会協議会で多数派を占めていた。10月革命直前に開催された第1回工場委員会全ロシア協議会では、ボルシェビキは完全に全国的ヘゲモニーを確立した。ボルシェビキはこの闘いを通じて、きわめて広範な労働者階級を資本家や臨時政府、体制内派との闘いに組織し、労働者階級を丸ごと革命の側に獲得することに成功したのだ。その結果、ソビエトにおいても多数派となった。
  また、ボルシェビキは10月武装蜂起を前にして、工場委員会の闘いを通じて労働者階級を政治的・経済的・軍事的に完全に武装し、ブルジョアジーとの力関係を圧倒的に有利なものに転換し、あらかじめ決着がついていた。だからこそ10月武装蜂起はほとんど無血の蜂起として勝利しえた。
  地区党、労組交流センター、職場闘争委員会の闘いなどを軸とする今日のわれわれの職場・生産点でのランク&ファイルに依拠した闘いは、本質的にロシア革命における労働組合・工場委員会の闘いと同質のものだ。われわれの動労千葉型労働運動=階級的労働運動路線とは、工場委員会が展開した闘いを今日的に路線的に追求するものであり、きわめて大きな展望を持つものだ。ここで勝利すれば、プロ独を一気に実現する展望が切り開かれる。

【W ソビエトにおける多数派の獲得】

 ソビエトの中核的実体は工場委員会と労働組合から選出された代表であり、工場委員会、労働組合でのボルシェビキの優位の確立は、必然的にソビエトにおけるボルシェビキの優位をもたらした。その上で、ボルシェビキは工場委員会の指導下で職場での闘いを展開しつつ、同時にそれを反戦闘争と密接に結びつけて闘った。臨時政府による戦争継続と帝国主義的利害の追求に対し、ボルシェビキは帝国主義戦争絶対反対の立場から、同盟国との戦争義務遵守の声明を粉砕する4月の闘い、夏季攻勢に反対する6〜7月の闘いの組織化を通じて、労働者階級を臨時政府打倒の政治闘争へと組織した。ボルシェビキは、この闘いと工場委員会の下での職場闘争を有機的に結合する中で、工場委員会の闘いを否定し、臨時政府の戦争遂行政策を擁護するソビエト内における体制内派との力関係を圧倒的に有利なものに転化したのだ。
  とりわけ、ボルシェビキの指導下で工場委員会の闘いと密接に連携して形成された労働者の自衛武装組織である赤衛隊の強化と、赤衛隊を核とする労働者の闘いによる8月末のコルニーロフの反乱の粉砕は、全ソビエトの急速な革命化を促進し、ボルシェビキのソビエト内における優位を最後的に確定する。こうしてボルシェビキは、9月の段階で、圧倒的多数のソビエトでヘゲモニーを掌握したのである。
  ソビエトは、プロレタリア革命において農民、兵士、諸民族などの被抑圧人民の自己解放的決起を引き出すテコとなった。労働組合という団結形態をもつ労働者と異なり、これらの被抑圧人民は、資本や政府によってバラバラに分断されていた。ソビエトはこれらの被抑圧人民を地域ソビエトや農民ソビエト、兵士ソビエトなどの形で団結させる機関であった。そしてこれらのソビエトは、労働者ソビエトの指導と影響の下に急速に革命化していった。プロレタリア革命に勝利するためには、やはりソビエトに被抑圧人民を結集し団結させ、労働者階級のイニシアチブの下で主体的決起を勝ち取ることが必要なのである。党・労働組合・ソビエトが一体となってこそ壮大な規模のプロレタリア革命に勝利できる。

●プロ独を支える党・労働組合・ソビエト

 われわれは動労千葉の階級的労働運動に学び、その実践に総力で突入し、他方でロシア革命におけるボルシェビキの労働組合論の革命的確立に学んだことによって、プロレタリア革命における労働組合の決定的位置と役割を明確化してきた。
  その上で、この地平から逆に労働者階級にとって党とは何かを根本に立ち返ってつかみ直してきた。すなわち党は、労働組合を媒介として労働者階級全体と結びつかなければならず、労働組合を媒介としてこそ党は労働者階級と一体化するということであり、党をそういうものとして建設しなければならないということである。それは労働者階級の権力樹立とそれを通した共産主義の実現を直接にめざす共産主義者の政治的結集体である。したがって党は労働者階級の一部であり、その階級意識を最も鋭く体現する最高の団結形態であり、最も鍛え抜かれた階級の前衛である。そしてこの党は、国家権力との死闘を貫きながら、革命の勝利のために闘う本質的に非合法・非公然の党である。このような党なしに、労働者階級はプロ独を実現する一個の政治勢力として登場することはできない。
  党の本質と絶対不可欠性をこのようなものとしてとらえ返すことで、われわれは党と労働組合の関係、労働組合の重要性もいっそう明確化することができたのである。

【X 工場委員会・労働組合と労働者の武装】

 労働者の武装部隊である赤衛隊は、反革命の襲撃から工場と工場委員会・労働組合を防衛し、資本家の反抗を武力をもって打ち砕き、来るべき一斉武装蜂起を担う部隊として形成された。労働者階級総体の武装も労働組合の闘いを通じて実現されたのである。
  武装蜂起の際にも各工場に軍事委員会が設立され、労働組合と工場委員会の代表がソビエトの下に組織された軍事革命委員会に参加し、一斉武装蜂起の計画を立案、実行した。とりわけ労働者赤衛隊は、蜂起直前には2万人の部隊がおり、蜂起の主力部隊となった。
  内戦期、帝国主義の干渉戦争の時代においても、労働組合は決定的な役割を果たした。国内の反革命との内戦においては、首都から派遣された赤衛隊が主力部隊となり、革命軍部隊を組織し、教育する基幹部隊となった。
  また、数十万の国内反革命軍と帝国主義諸国の正規軍との戦闘に勝利するために建設された労農赤軍においても労働組合は主柱となった。労働組合はわずか数ヵ月の間に30万人の労働者を赤軍に参加させた。さらには、農民に革命戦争への参加を呼びかけ、動員する活動を労働組合が担い、19年10月までに共産主義で武装された300万人の労農赤軍を建設し、プロ独政権を防衛しぬいたのである。

【Y 過渡期建設と「労働組合の国家化」政策】

 ロシア革命の勝利後のプロ独国家の確立過程においてレーニンは、労働組合に国家的機能を担わせることによってコミューンの4原則をストレートに適用しようとした。労働者階級は、この政策のもとで、自分たちこそがプロ独政権の担い手であることを自覚し、革命的情熱を燃やして、全般的労働義務制の確立、生産・分配の任務の遂行、労働規律の強化、経済全般の組織と計画化などの点で、続々と国家的活動に参加していった。
  この過程こそ、資本家や官吏たちの最後の抵抗を粉砕してプロ独国家を労働者国家として確立する過程であった。膨大な数の労働者が労働組合の指導の下にこの過程に参加したことはプロ独国家の確立という点ではかり知れない意義を持っていた。
  だがこの政策は、献身的で先進的な労働者党員が内戦期に多数戦死したこと、帝政下の「愚民化政策」を原因とするロシア労働者階級の政治的・文化的水準の問題(識字率や計算能力などの極端な低さ、統治能力の弱さ)などを主要な原因として、経済運営の混乱と経済危機の激化をもたらした。また、この時期これに加えて食糧徴発をめぐる労農同盟の危機の激化への対処が必要になっていた。
  こうした中で労働組合の国家化政策は転換され、21年3月に新経済政策(NEP)が導入される。この措置は、過渡期の政策としては明らかな後退であった。しかし、レーニンは労働組合の当面の最大の課題は、統治能力や経済管理能力が不十分な労働者階級による時期尚早な国家運営を強引に推進することではなく、労働者階級がプロ独の主体として自己を確立するために、労働組合の中で労働者の経済管理能力と統治能力を高め、共産主義的自覚を高めることであるとした。
  ここから「労働組合は共産主義の学校」論が出てくる。それは労働者階級こそがプロ独の主体であるが、当時は不十分であった支配階級としての能力を最短の時間で獲得するために何が必要なのかを徹底的に考えぬいて打ち出された政策であった。この政策が、労働者階級による過渡期社会の建設と社会主義社会の建設をあくまで目指すものであったため、労働者階級自身も当面する現実の厳しさを勘案して、一定の後退を確認しつつボルシェビキの政策を正しく受け止めたのである。
  以上に見たように、ロシア革命は労働組合・工場委員会の下で労働者階級が全面的にかつ主体的に決起した革命であった。それは、労働者階級自身がボルシェビキの指導の下で自己解放的に決起することによって勝利した。
  われわれは、ロシア革命の勝利の経験を総括する場合、労働者階級が党の指導の下にどのような具体的闘いで勝利したかを徹底的に総括しなければならない。それは、労働者の前衛による革命的指導があれば、労働者階級は必ず決起し、革命を主体的に担いうる勢力として登場するということを証明するものである。労働者階級への圧倒的信頼さえあれば、われわれは絶対に革命に勝利しうるのだ。今日の階級的労働運動の勝利の展望も、まさにこの点にこそある。 今こそ 日本革命、世界革命へ向かって、この道を真一文字に突き進もう。
  (後半講義了)

党学校通信 

討論から

●X

 今日、『国家と革命』の書かれざる第7章ということで、レーニンも、現実の革命の方がずっと面白いと、『国家と革命』の最後の方に言っていたんですけども、本当にそういう闘いとしてロシア革命があったということが、具体的にプロレタリア革命のダイナミズムみたいなものとして実によく分かった。いろいろ間違った指導部やその方針なんかぶっ飛ばして物事が進んでいる、労働者というのはやっぱりすごいなと。ますます革命を、本当にやりたくなった学習会だった。こういう闘いの中に、われわれももうじき絶対に突入するんだという思いで、日々やっていきたい。

●e

 05年と17年革命の経験ということで、とりわけ労働者階級に徹底的に依拠して闘ったレーニンというかボルシェビキの党内革命ということでも書かれていたんですけど、ここに示される党と労働組合の関係から、『国家と革命』の副題の「マルクス主義の国家学説と革命におけるプロレタリアートの諸任務」ということが現在的にハッキリさせられたと思います。
  ということと、今回の全学連の訪米が決定的な闘いだったと思うんです。この闘いの中で、やっぱり時代認識と路線が重要だと。大恐慌は革命の時代だということを、僕らは動労千葉であり、法大闘争であり、階級的労働運動路線だということで確立してきたがゆえに、動労千葉が注目され、法大闘争が圧倒的共感をもって迎えられたと思う。だから、百万、数百万の闘いの中に、そういう路線と時代認識、さらには組織を持っていくということが、今回の『国家と革命』、ロシア革命の経験を含めて、非常に重要だなと思いました。
  3点目に、この間とりわけ階級的労働運動路線と言った場合に、動労千葉で言えば反合・運転保安闘争であるというような言い方をしている。そういう闘いの中で、体制内派との闘い、資本との闘いを推進していくんだということが言われているんですけど、今回、解雇撤回闘争が05年革命の端緒となったということであるとか、17年2月革命前後の連続するストライキの闘いだとかが提起されたんですけど、ボルシェビキがどういう路線で闘ってたのか、どう労働組合の組織化をしていったのかというのがよく分からない。今回の提起でちょっと思ったのは、労働者統制というのが、ひとつ重要な路線なのかなと。

●講師

  路線という点では、基本的には階級的労働運動路線で闘っていた。ただ帝政の下で、労働組合それ自身は非合法なわけです。ようやく17年の2月革命になって、労働組合が全面的に合法化され、それ以降、工場委員会なり労働者統制の闘いということをひとつの路線にして、労働者階級の中に全面的に入っていって、体制内労働運動と全面的に対決する形で、しかもプロレタリア独裁に向かって組織していく闘いをやった。
  つまり、労働者をブルジョアジーと闘わせ、かつ臨時政府と、それから体制内派と闘うと、で、反革命とも将来的に最終決戦になるということで軍事的に武装する。経済的、政治的、軍事的に、現在に必要な闘いをやるというだけではなくて、将来プロ独を樹立する時に労働者がプロ独を担える主体になれる、そこまで考えて展開された路線が工場委員会の闘いであった。
  それ以外にも政治闘争の路線というのが確固としてあった。とりわけ反戦闘争。労働者が組合の中で資本家と直接闘う、反革命の襲撃と闘うというだけではなく、積極的に街頭に打って出て、ブルジョアジーの戦争政策を粉砕する。労働者が街頭に出て行って闘うということを組織していくことは、労働者の政治意識を高めるという点でも非常に大きな意義を持った。
  それは今、動労千葉がやっている運動と同じです。職場闘争をやるだけでなく、あらゆる課題に、政治闘争に労働組合が関与する、それを先頭で担うことで、労働者階級全体を武装していくということを貫徹している。

●U

 今日の学習会で、ロシア革命というのは労働組合を建設して、そこから勝ちとっていったんだという立場でとらえたものとして提起したのは、的確な言葉かどうか分からないけども非常に面白かったし、いいと思います。
  あと、一番自分が思ったのは、封印列車でレーニンが帰国して4月テーゼを出して変えていった。それ以前は、カーメネフとかスターリンが指導していて、彼らは非合法活動の経験は豊富だったけれど、労働者の心をつかむ、あるいは労働者の心をとらえる方針を全然出せていなかったということ。
  今、パートタイムで働いているんですけど、そこで組合つくったとか、労働運動をやっているとか、そういう華々しいことをやっているわけじゃないんだけど、そこで実際に労働者と接するというのは、労働者人民の気持ちというのを自分自身の中に打ち鍛えるために重要なことだと思っています。

●N

 講義を聞いて、労働者ってすごい力があるという、すごくシンプルなところで一番ズシンときました。本当に労働組合が重要なんだ、労働者が革命の主体になっていくんだということが、今更ながらよく分かりました。
  レジュメ8nで、レーニンがいかにしてこの闘いに勝利したのか、「地区の労働者党員に全面的に依拠して」っていう、本当に労働者を信頼していたんだということがよく分かった。動労千葉も、労働者は必ず立ち上がるというところに絶対的信頼をおいて、路線を曲げずに闘ってきた、私たちにはその動労千葉の闘いがあるんだということを、また今日すごく思いました。
  そして、その上で綱領草案があると。今世界中の労働者と綱領で一緒になれるんだから、本当にこれで革命やれるぞという感じがすごくしています。全学連の訪米闘争では、すごくいい合流もあったようだし、本当に労働運動で、そして学生も一緒になって、労働運動がもう反戦闘争なんだというところで、3・20も地域の労働者と参加していきたいなと、今日すごく元気が出る講義でした。

●講師

  この間の検修外注化反対闘争に出てくる動労千葉の組合員の顔は、ものすごい闘志に溢れた、歴史的決起をやっているという顔をしています。その労働者は、一つの組合に入ってきた普通の労働者です。だから、労働者階級というのは究極的に信頼できる存在なんだということが、われわれには分かる。綱領草案も、結局そういうものを基礎にしてできている。

●M

 今日の講義の中で感じたことなんですけど、今私たちのランク&ファイルの闘いは、工場委員会の闘いそのものであると。
  つまり、動労千葉労働運動があって、私たちは4大産別を先頭に階級的労働運動を目指してやっている。さしあたり時代認識と路線で党がゴリゴリに武装して、路線で闘うということにかけてやっているわけだけど、数としては圧倒的に少ない。だけど今、例えば北教組弾圧に見られるように、敵が労働者の団結、階級的なものをたたきつぶすという時に、この間の「党の革命」以来の闘いの中で、絶対反対論、階級的団結論にかけきって登場していることはすごくでかいということが今日の提起の中であって、「ランク&ファイル」という言葉自身も、この間国際連帯の中で、われわれ結構自分たちで使っている言葉でもあるんだけれども、そのことの歴史的なでかさというのを、今日改めて提起された思いで、すごく空気が入りました。
  これは体制内的なあり方を引きずっているのかもしれないけど、選挙で目指した数行かなかったりすると、一旦ちょっとガックリするし、もうちょっとこうだろうと思うことが行かないというとこがあるんだけど、でもこの階級攻防の中でそれだって、路線を譲らずにぶっ立っているということで、ある時期が来た時、一挙に数に転化する。われわれそういう革命的な、階級的な労働運動をやっているんだと、ハッキリ今日つかめて空気が入りました。

●h

 感想ですけど、レジュメの1nにも書いてあるとおり、『国家と革命』については僕も、政治的・軍事的観点から学んできた。革命の勝利は軍事的に決着つくわけだから、軍事は大事なんだという観点からずっと学んできて、その上でこの間の中で、体制内派との闘いが決定的なんだということを強調しているのがレーニンの『国家と革命』だと前回の学習会の時にも理解して、で、今回は、レーニンが一番言いたかったのは第7章で、要するに階級的労働運動路線なんだというんで、その辺の中身については、大きくは去年の『前進』の中で、どうしてロシア革命が勝利したかと言ったときに、工場委員会の闘いをとおしてソビエト内でボルシェビキが多数派になっていく過程なんか学んでいって、それは結構武装蜂起に向かって準備していった。
  そういう意味では、今日の提起ではもっと詳しく、実際に武装蜂起のない時点で、完全に軍事的にも政治的にも、あらかじめの時点で勝利を確定していった。職場闘争と街頭闘争の結合をとおして、実質的に社会全体をすでに制圧していた中で、その後に最終的な決着をつけて勝利するというのは、そういう意味ではもうひとつ整理をされてきて、われわれがどうやってプロ独に勝っていくかとか見えてきた。ただ、『国家と革命』は階級的労働運動路線を言っているというのは、これまで自分が学んできたこととあまりにも落差が大きすぎて、ちょっとついていけないというところはある。
  だけど、韓国のサンヨン自動車の闘いなんかを見ていると、国家権力の暴力と真っ正面から対峙して闘っている。あれなんか、やっぱり労働者は武装して闘うんだという確信を持つことができる。日本の場合は、武装するという点で壁があって、鉄パイプひとつ、ゲバ棒ひとつ持つんでもすごくアレルギーがあるんですけど、その点は実践の中で完全に突破できると思います。

●d

 『国家と革命』の読み方というのは、「党の革命」、それからこの間の階級的労働運動路線の私たち自身の実践で大きく変わってきているんだと思う。今みたいに読めるというのは、プロレタリア革命は本当に労働者階級の事業として闘い抜くんだということが、本当に座りきることでもうひとつ転換したんだと思います。
  今日出された、書かれていない第7章ということについて、去年からロシア革命の現実も、工場委員会の建設から地区党の建設、そこに機関紙をガンガンと拡大していくということが『前進』なんかで出され始めて、ドキドキするようなものとして読んできたんです。今日の提起は、もっとそれがリアルに感じられて、とくに17年の2月革命のところなんかは、先日国際婦人デー闘争があったということもあって、ものすごい感動とこれをやりたいんだと思いながら聞いていました。
  国際婦人デーの認識についてだって、ほんのちょっと前までは自然発生的なものとして言われてきたし、あえてそういうふうに言おうとしてきた連中もいる。スターリン主義なんかを始め世界的に、2度とプロレタリア革命をやらせないために婦人デーを曲げてきたのがいっぱいいる。それに対して、われわれはプロレタリア革命を切り開く革命の日として国際婦人デーを守ってはきたんですけど、本当にそういうものとして闘い始めたと今年なんかはとくに思っています。
  それもやっぱり、職場の闘争、それから地区党の建設、今日聞いてて全然17年とは思えない、今のことのように聞いてた。徹底的に地区党に依拠して、職場細胞に依拠して工場委員会をつくって、ソビエトの力関係をひっくり返していく、そういうものを、今私たちは実践しているんだという気持ちで聞けました。で、力が湧いてきた。
  労働者階級には社会を変える力がある、労働者階級にはプロレタリア革命をやれる力があるという、それを実体的に可能にしていく闘いが見えた。それから、常にそれを低めようとするメンシェビキとか、いろんな反乱、クロンシュッタトの反乱とか、次から次からいろんなことが起こってくるわけですけど、それも今も同じで、4者4団体派がいたり、すごい弾圧があったり。しかし、絶対に勝てるぞと、今日の話を聞いていて思えた。

●C

 今日の学習で、前半の部分で強く感じますが、労働者階級の闘いというか、労働組合の闘いが基盤となって17年の革命に上り詰めていったということが、ものすごくよく伝わってくる中身だった。
  かなり立体的に論じられていて、自分も整理できたなという感じはしてて、レーニンとしては、労働組合自身が資本と闘う武器であって、労働者階級を団結させる組織なんだということをハッキリさせて、05年の総括から17年に上り詰めていく中で、そこは絶対に曲げないでやり切ったということがすごく伝わってきた。その中で、党の存在、ボルシェビキの存在の意味と、ここも労働者階級の一部であって、その先進的な部分、共産主義者の結集体ということであったということ自身が、もうひとつすごくよく分かった。ビボルグ地区の労働者の決起ということにも党が絡んでいたわけだし、レーニンが帰ってきて、そこで労働者階級の事業として断固やり抜くんだというところで、2月の前後の攻防というのはものすごく意味があるなということを、改めて学ぶことができたことはすごくよかったと思います。
  あと一方で、後半の部分のところを見ていっても、自分たち自身ということで考えてみても、レーニンの苦闘自身が、現実の問題として出てくるということも強く感じるんです。レジュメの中でも、民主党政権は半年も経たないうちにボロボロになってきているという今の情勢自身が、あの17年革命の時とまったく変わらないと提起されている。自民党が倒れて民主党になって、労働者の状況はますます悪い状態になっているわけであって、そういう中で、やっぱり資本主義を終わらせるというか、賃金奴隷制を廃止すると、それなしには絶対に浮かばれないということを本当に自分自身持たなくちゃいけないし、その中で、今回提起されている、党・労働組合・ソビエトというところの意味を、現在に復権しなければならないと強く感じます。
  それとあと、プロレタリア独裁を樹立するというところから、この3つの結合ということ自身が強力に言われているんだなと強く思った。ただ、ソビエトということを考えるとき、労農同盟ということ自身が問題になってくると思う。レーニンの時代は労働者の数は圧倒的に少なかったわけで、農民の決起をどうやってつくり出すかというところに、ひとつカギがあった。
  今の時代を考えると、労働者階級の方が圧倒的に多いという中で、ソビエトということの意味なんかも考えちゃう。ただ農民自身は徹底的に低く落とし込められて来ている。三里塚の農民たちも言っているように、トヨタの車を売るためにある種農民が犠牲にされているという状況がある。そういう意味では今の時代においても、資本主義、利潤のために社会が回っているという状況を終わらせること自身が、農民の存在自身も生かしていくことでもあるんだというところで、改めて労農同盟の意味も、その中からとらえ返していくことが必要なのかなと思った。後半のところは、結構いろいろ自分たちはどうするのかというところを喚起させるような中身であって、そのことは今問われていると強く思いました。

●t

 革命が目の前にある、社会に怒りが溢れているこの状況にたいして、プロレタリア革命とはどういうものなのかということを、ハッキリとわれわれ自身が持たなきゃならない。そのためにあらゆるものを準備しなきゃいけないという中で、今日の提起は非常に全面的だなと。ボルシェビキであり、ロシアの労働者階級は職場を軸にしながら、実に様々な闘いをやり抜いて、担い抜いて勝利していった。やっぱり労働者の力はすごいんだなということを、非常に感じるということです。
  そういう労働者のものすごい闘いと怒りということと、目の前で戦争が始まり社会がどんどん崩壊していく状況の中で、レーニンが『国家と革命』で何をやったのかと言ったら、マルクス主義の国家学説をハッキリさせた、まずここからやっている。具体的な闘いの方がよっぽど愉快だし、楽しいものだと言っているんですけど、このすさまじい現実に対してレーニンは、マルクスは何て言ったのかということをもう一回ハッキリさせたことがすごい大事だなと思いました。
  ということと、読み方が変わるというのは、動労千葉の中野顧問の本ですごく感じて、自分が法大闘争をガンガン06年以来始める中で、やっとこいつら倒さなきゃ浮かばれないみたいな敵がい心を本当に実感できるという感じだった。自分が資本や国家権力に対して怒って闘うというこの実践というか、実際にぶつかり合って、絶対にこいつら許せないと思うということの中で、本当に自分のものとしてつかめる、そういうもんだと思う。
  あと、ソビエトという問題です。今日的にどんなもんなんだろうみたいなことを考えたりして、今日の講義の中で、そもそもは各省とか企業家とか労働者の代表で構成されていたというのを聞いて、プロレタリア独裁の立場からどう位置づけるかと、今日的にどういうもんなんだろうというのがイメージできるようでできていない、しきれないというのが僕の率直な感じです。

●講師

 2月につくられた委員会、政府と資本家と労働者の代表が集まってというのは、これは懐柔政策としてつくられた。しかし労働者は、初めてそういう所に参加した。政府と資本家とゴリッとやり合うということができて自信を持って、俺たち闘えるぞというふうに考えた。その人たちが、そのまま各工場に戻って行って、それを軸に闘いを各工場でつくっていって、ロシア2月革命以降ソビエトができた時、そこに集団でダーッと参加していくという形でソビエトが発展していった。
  だから、ソビエトの指導部は日和見主義なり体制内派でもうどうしようもない連中なんだけど、そこに参加していった労働者というのは、最も積極的で活動的なんです。しかも、ランク&ファイルが選んだ、自分たちの工場で選んだ人間で、一緒に闘える仲間、信頼できる人間、人格的にも優れた人間、そういう人をソビエト代表として選んだわけです。ソビエトというのは元々、そういう革命的なすごい者の集団、固まりだった。それを体制内派が上から抑えていた、過疎支配していたにすぎない。そういう労働者を信頼してキチンと働きかけて共に闘う、工場委員会をどんどん組織していく、闘っていけば変わっちゃうわけです、一挙に、ソビエト内部の党派関係なんていうのも。なかなかそういう状況というのは、今の時点では想像できないんですけど、事態が革命的に急速に動いている時というのは、そういうことがドカーンと起きる。
  さっきトルコの闘いをちょっと紹介したんですけど、自分たちの親組合である連合みたいな組織が動かないという時に労働者は、俺たちは勝たなきゃいけないんだ、勝つためにどうするのかというので、各工場から全部代表を集めてきて、1万2000人の全労働者を組織して、それを丸ごと敵権力とぶつかる方向にもっていく。家族も含めたら数万人になる。それが一丸となって、解雇撤回闘争を闘っている。それに感動したトルコのあらゆる労働者が、ガンガン支援に出てきている。2月4日にゼネストだったんですけども、その時もトルコ労働組合連盟は全然動員する方針ではなかった。ところが、予想もできないような数の動員を実現して、ゼネストをやっちゃった。核になる工場委員会をつくって、核になる労働者が断固として解雇撤回闘争をやったら、トルコは今新自由主義政策が全面展開でほとんど全部民営化するということが起きていて、みんな次は俺たちだと構えているから、そういう軸ができると、そこにグワーッと集まって急速に拡大していくというふうになっていくわけです。
  そういうものというのは今、本当に核になるものがあれば一気に世界化するような情勢に来ている。そういうものがソビエトの基盤なんです。

●d

 そういう問題でさっき、日本では鉄パイプでも大変だという話が出たんですけど、私は読み方が変わってくると、対カクマル戦の歴史的総括だって大きく見え方が違ってくるなと思っているんです。大学戦争に夜勤明けの全逓労働者とか、たくさん大学戦争に鉄パイプを持って決起しましたよね。
  それから、動労千葉そのものが、79年の分離・独立の際に、津田沼に動労カクマルが武装して襲撃かけてくるということなんかに対して、動労千葉の組合員は本当に武装して闘ったんです、血を流しながら。頭を割られながら闘った労働者もいた。そういうことをやってきた組合だということです。われわれ自身も、そういう労働者党員がつくってきた革共同だと思っている。非公然部門の同志も、公然部門の同志も、そういう労働者階級の最先端でそれを担ってきたし、闘ってきた中で、今日、その精鋭の部隊が工場に散って、工場委員会を組織していく、職場細胞を組織していく、その実践に入っているところなんじゃないかと。今まさに、そういう12年、17年辺りのことを革共同自身が何十年間かけてつくってきた。だから、世界の闘う労働者、労働組合がものすごく注目している。ジャック・ヘイマンさんの動労千葉・中野顧問への弔辞でも、どうしてこんなに分かるんだろうという、体制内派との徹底的な闘いを指導してきたというようなことが言われていますけども、どこの国の労働者も、今そういう体制内派や、そういう右翼反動や、反革命やファシストや、そういうものと対決しているわけでしょ。そういうことにたいして、革共同は綱領草案まで含めてつくってきたし、そういう闘いをとおして、また実践をとおして、こういう今日学んだようなことができているんだなと。
  ソビエトの所は本当に結構大変なことだなと思います。実際、自分たちが経済的にみんな食わせられるだろうかとか、革命やってどうなるのみたいなこととか思いますけど、それも含めて労働者の中に力があるし、世界にこんなにつながっているというのはかつてない情勢だから、すごいことができるのかなと思います。

党学校通信  受講レポート

受講レポートから ★『国家と革命』(下)のレポートです。

【a】

 綱領草案の持つ重要性を改めて突きつけられると同時に、革命を切り開く「書かれざる第7章」の提起を聞いて興奮しました。そのいくつかを挙げると、@「はじめに」で、「ロシア革命が労働組合・労働運動に徹底的に依拠した革命」、そのことと我々の綱領草案が“党全体が総力あげて動労千葉労働運動に体現される階級的労働運動の実践”の結果であることです。驚きをもって確認しました。真にスターリン主義の克服をマルクス主義、『共産党宣言』の原点としてすえたことの意味を「党は労働者階級の一部であり、…最高の団結形態であり、最も鍛えぬかれた階級の前衛である」と、2、3月外注化反対のストライキでの動労千葉労働者の一人ひとりの存在が確信に満ちたものであり、そのたくましさに圧倒されたことと結びつき、嬉しさと凄さを改めて感じました。日々の闘いで得たものを自分の実践でどう生かすか、そのスタートにもなりました。
A「労働組合」は「労働者階級の究極的解放と賃金制度の最終的廃止」の闘いの中心とならなければならないことであり、それがメンシェビキとの決定的な違いです。ひいては、主人公である労働者に依拠し、階級の勝利として革命があります。そこにソビエトをしっかり位置づけることで階級と党が結びつき、勝利するのです。
  04年12月「4人の労働者の首切り」〜05年10月クロンシュタットの反乱−05年ソビエト、そしてレーニンの敗北の総括は、この事を導き出しており、その後の1917年2月23日の労働者の決起は、党との闘いとしてもあったことは、労働者党員の大きさに、実践力に戦慄と感動を覚えます。党をも変える労働者党員が鍵を握る地区党の重要性が提起されたが、その通りだと思います。組合での組織拡大、そして地区党でのマル青労同の(及び革共同の)獲得が決定的です。4月テーゼの持つ決定的な位置は@で確認した実践を遂行できる党であり、階級の形成にかかっていることです。そして、現在の私たちが綱領草案の地平を提起し、自らのものとすることは、革命情勢、全世界的な革命勢力の形成(交流から始まる)の偉大さを実感しました。
B私は、『国家と革命』を簡単に言うと“暴力革命”、そして“移行ではなく転覆”という点から学習してきた。もちろん単純ではなく、社会主義革命への「理想的な」プロセスや展望は未知の部分が多かった。大事なのは、党も労働者階級の一部であり、階級と共に革命への展望が現実的なランク&ファイルに依拠した闘いの中に地平を切り開くものがあるということです。
  「党は階級自身の中から形成しなければならない」「労働組合の指導は階級の前衛による政治的指導を」「自己変革と階級移行を!」など、課題を明確に受けとめることができた。

【J】

 05年〜17年の全体を通して(それ以前も)、レーニンが「労働者自身の闘い」としての労働運動を基礎に、あらゆる政治、軍事、組織のすべての問題を実践的に準備し、やり抜いた歴史、そこに貫かれた党の不断の目的意識的な闘いの飛躍、その大きさを実感する講義でした。この壮大な過程の全体が、一斉武装蜂起という決定的な闘いの頂点に向かって、多くの曲折を経ながら(スターリン的な無定見のジグザグではない)、「労働者の多数派を獲得する」リアリズムで組織されていた。労働組合を基礎とする多数派獲得のための闘いを武装蜂起にいたる計画として組織する。「第7章」のテーマはこういうことだと思いました。すごい歴史であるなあと、講義の感想です。
  特にコルニーロフの反乱を粉砕できたこと、蜂起の2カ月前に、そこまで労働者を組織しぬいていた。軍事問題を含め、一体どういう指導がなされたのか? この過程で、ボルシェビキはソビエトの多数派に劇的に転じる。核心にかかわる問題があふれていると思いました。
  今日的・実践的に最重要の問題としては、「反動的組合の中でいかに闘うか」「いかにして多数派を獲得できるか」に関連して、レーニンが工場委員会をどのような形態で組織し、運営したか、今回の講義で大きな示唆がありました。プロレタリア革命は、多数派を獲得してなんぼである。そして、多数派になるのは「ある日突然」ではない。
  レーニンは、反動的執行部が支配する組合の「中で」闘うことに徹底的にこだわった。その一方で、労働者管理(統制)を水路に職場支配権を奪取していく闘いを「工場委員会」を武器に大規模に組織し、成功したようだ。すぐにも実践的に着手するテーマとして、ここは改めて重視したいと強く感じました。

【t】

 現在のすさまじい情勢(大恐慌と戦争)の中で、我々はプロレタリア世界革命の準備を全面的(思想的・政治的にも、軍事的にも)に成し遂げなければならないという緊張感の中で、今回の『国家と革命』の“書かれざる第7章”の講義、討論にのぞんだ。
  講義と討論をとおして感じたのは、月並みだが、労働者階級にはやはりその力があるということだ。それは、4月テーゼを貫徹していく過程の闘いや、我々の「党の革命」を見ても本当にそうだ。日々、賃労働と資本の中で生活していながら、資本にまったく依拠せずに自らの指導部を形成し、革命を準備し、成し遂げることのできる階級、それがプロレタリアートなのだと、あらためて感じた。
  レーニンと『国家と革命』のすごいところは、それを明らかにするために、「マルクスは何と言っているか。そして日和見主義どもは、それをどう歪曲しているか」と鮮明にさせた事だ。労働者の階級闘争というのは、空間的(国境などない!)にも、時間的・歴史的にも“一つ”なのであり、そういう風にはっきりさせる事によって、当時の労働者、そして現代の我々に力を与えてくれる。やはり、マルクス主義はものすごい、と思う。
  ソビエトの所で思ったのは、我々自身がソビエトを構想しうるような大衆運動をつくる事かな、と思いました。

【I】

 最初にこの学校の1回目で、私は「一年やってみないとわからない」と言いましたが、今日の最後の講義を終えて、「中核派にいることが大事なのだ」といった考え方が、今の革命を直前に控えたこの時代に、自分がプロレタリア革命の担い手へと飛躍しようという今の段階での結論を得ました。その意味で、この一年は非常に有益であったと強く思います。
  『国家と革命』の後半部分は、まさに革共同がプロレタリア革命へと向かっている、そのために何が必要なのかという点をハッキリさせたと考えます。はじめの所で、ロシア革命が労働組合、労働運動に徹底的に依拠した革命であり、労働組合−党−ソビエトがロシア革命を勝利させた。そして結論の部分で、現在は2月革命後の情勢であり、階級的労働運動路線と国際連帯の発展−動労千葉労働運動を軸とした−こそが、まさにそれだ、と日本革命、世界革命に向かって進もう、ということを自分自身の課題としてハッキリさせられたことが最大の成果です。
  動労千葉の中野顧問は、命をかけて資本と対決し、マルクス主義で武装された動労千葉を築き、全国の青年・学生が大学や職場で奮闘している。これこそが1917年ロシア革命への途だと確信できました。
  レーニンも党内革命をやり、地区の現場労働者を革命の主体とし、第2インターやエスエル等の体制内派と激しく闘ったことを知り、それは今、私たちが直面している問題そのものだと思いました。
  労働者(労働組合)が生産を管理し、被抑圧民衆を革命の隊列に引きつけ、そればかりか、革命後の反革命との闘いに勝利する赤軍をも組織したことを知り、改めて、今の我々の綱領草案が労働者全体を革命の隊列に引き寄せるものであることが自覚できました。解雇撤回−検修業務外注化阻止を軸とした革共同の闘いこそが、今日的にマルクス主義・レーニン主義を復権させ、具体的に革命へと進む闘いであり、路線であることがハッキリしました。
  今ひとつ、私個人の課題ですが、組合に入っていないから、という言い訳は一切通用しないという点です。1000万大失業時代の今、街頭で組織化と団結を強めていきたいと考えます。一年間ありがとうございました。

【b】

 今日学習した『国家と革命』の第7章の部分は、『国家と革命』を学ぶ上で、どうしても外せない、誰もが気になる箇所であると思います。『国家と革命』の6章まで出されたプロ独の理論をどう実践的に貫徹していくのか(また実際にロシア革命においてどのような形で実行され、それがいかにしてスターリン主義によって歪曲されたのか)という問題です。
  今日の講義では、ロシア革命におけるプロ独の実体を労働者の基礎的団結形態である労働組合が担ったということを、現在の私達の階級的労働運動路線の立場からとらえ返すという内容で、非常に面白かったし、現在の私達の路線への確信を一段と深めるものであったと思います。
  とりわけ僕自身が空気を入れられた箇所は、ロシアの労働者階級が、工場委員会を通じた職場支配権をめぐる闘争の渦中で、資本・当局・権力等の暴力的弾圧に対し、自ら赤衛隊という武装組織をつくり、これが暴力革命の決定的テコとなったこと、また革命後の内戦・干渉戦争時にも、労働組合が中心になって何十万という赤衛軍が組織され、実際この戦争に勝利したということです。なぜこの箇所に空気が入ったのかと言えば、討論の中の発言でもありましたが、労働者は本当にそのような武装闘争に決起するのか、という確信がまだまだ自分の中で弱かったというか、イメージしきれていないところがあったからです。
  確かに労働者は、この社会を動かしていて経済の根幹を握っている。しかし、その労働者が本当に国家権力(警察・軍隊)に対して立ち向かえるのか、それほどの革命性を持っているのかというところの確信がまだまだ弱かったのですが、今日の講義を聞いて、労働者階級の経済、政治・軍事にいたる革命的力の解放としてのロシア革命の現実を省みる中で、労働者階級の自己解放への確信を一層深められたと思います。もっと言えば、このような命を燃やし尽くすような労働者の自己解放闘争を抑圧していったスターリン主義の許し難さも一層強くなりました。

【i】

 『国家と革命』の書かれざる第7章を展開すると予告された本日の講義は、期待にたがわぬ非常に面白いものでした。
  たとえば、ロシア革命での4月テーゼによる転換の具体的事実経過です。
  2月革命=労働者の自然発生的決起→当時の在ロシア・ボルシェビキ指導部の無能ぶり→それへのレーニンの断固たる4月テーゼ貫徹の闘いの勝利→そこからロシア10月革命勝利へ。これが従来のロシア革命の概括的把握であったし、私自身も、その程度の認識でした。
  なるほど、レーニンの孤軍奮闘の闘いの重要性はいくら強調してもしすぎることはないでしょう。だが、それはレーニンが偉大であったからという確認では、歴史の真実をとらえたことにはならないに相違ありません。何よりも、労働者階級自身の主体的闘いをないがしろにするものではないでしょうか。
  2月の婦人労働者の決起ということ自身、ボルシェビキの労働者階級との結合という目的意識的追求の結果としてあったし、その後4月テーゼが受け入れられたということも、ボルシェビキが労働者階級のランク・アンド・ファイル運動の断固たる推進者であったことによってはじめて可能であったということです。
  その他、本講義では、私にとって随分と耳新しい事実がおりこまれて展開され、非常に新鮮でした。講師自身、「『国家と革命』の読み方が変わった」と話され、「変わったのは、動労千葉労働運動と階級的労働運動の進展に比例してのものであった」とつづけられていました。まさにその通りでありましょう。古典の読み方も、この間劇的に変わったように思います。あらためて古典学習へ立ち向かう意欲を喚起させられました。ありがとうございます。

【v】

 ○まず、ロシア革命は10月の武装蜂起によって決せられたと今までイメージしていたが、ボルシェビキの指導による労働組合、工場委員会における闘いと権力奪取によって、あらかじめの勝利まで達したところでの決定的な10月革命だったと認識を改めた。
○今、私達は革命によってプロ独をめざす階級的労働運動の唯一の勢力として、我々以外のすべての体制内勢力と激突して職場権力を奪取する闘いを展開していますが、我々が階級に依拠して闘う限り、労働者は我々と合流するという確信がつかめました。
  2・23決起では、ボルシェビキが長期戦の方針のもと、行動を控えろと指示したにもかかわらず、現場の怒りをもっとも理解した繊維工場の女性労働者の決起が2月革命の勝利を切り開いた。革共同の06年の「党の革命」においては労働者同志の決起が政治局を指導し、革共同を労働者党として覚醒させました。
○「日本で暴力革命を訴えるのはむずかしい」というのは、労働者が体制内派に支配されている限りのことです。職場で資本や体制内派と激突して闘い始めたら、労働者は武器を取ってでも闘います。私はマル青労同の仲間と共に闘って、最初は「暴力は良くない」と言っていた青年が、資本と闘う中でデモの最先頭で機動隊とぶつかっていくことを経験した。我々動労千葉派が労働運動の主流派になることにかかっているんだと思います。

【Y】

 1)レーニンの4月テーゼのところの提起について。
  4月テーゼがボルシェビキのなかで勝利をおさめていく過程は、労働者党員の闘い(地区)によって、勝ちとられていった。この地区労働者党員の闘いがあったからこそ、4月テーゼはプロレタリア革命路線として、労働者の心をとらえていった。そこでの地区党の重要性という提起はきわめて重要、われわれにとっても今日的な重要な提起だったと思いました。革命のなかで「党の革命」をやったレーニンとボルシェビキのすごさを感じました。この4月テーゼをめぐり、ボルシェビキの4月協議会で、党の階級構成を転換していったということも、いかにレーニンが労働者を信頼していたのか、革命運動のなかで一貫してつらぬいている姿勢として、今日的にわれわれが学ぶところだと思います。
2)工場委員会による労働者統制のたたかい。
  ここはあまりイメージのつかめないところでしたが、今回の提起でかなり理解できたような気がします。当時のロシアの労働組合が産別的に労働者を組織し、それをメンシェビキが握っている。それを工場ごとに代表を送り、工場委員会を組織する。トルコの話でより鮮明になったような気がします。
  それともうひとつ、工場委員会の労働者統制の闘いとともに、反戦・政治闘争とも結合し、労働者階級を武装していくということ。レーニン・ボルシェビキのなかに労働者統制の闘いもプロ独という強烈な問題意識が貫かれており、ここはすごいことだと思います。
3)干渉戦争期の労働組合のところの提起で理解が深まったのは、レーニンはコミューン4原則をストレートに適用しようとしたのだと思います。工場委員会(労働者統制の闘い)→工場を反革命から守る(赤衛隊)→全人民武装、これを基礎に工場委員会(赤衛隊)を「軍隊の機能、警察の機能、国家秩序および国家行政の主要な・・・・」として位置づけようとしていた。ここは、レーニンがいかに労働組合を決定的に重視していたのかがよくわかりますし、レーニンの問題意識がどこにすえられているのか、よくわかりました。

【d】

 前半の講義で、レーニンがマルクス主義の徹底的な継承として労働者と資本家階級の非和解性を明確にしきり、その中で、国家は被抑圧階級を搾取する、支配する道具としてはっきり規定したことが出されている。
  そのことを受けて、今日の「書かれざる第7章」は、現実の大恐慌下の革命情勢を眼前にする我々にとって、非常に重要だった。
  「大恐慌をプロレタリア革命へ」「国鉄決戦でプロレタリア革命へ」を掲げて2010年の闘いに突入して3カ月目に入っているが、世界の労働者階級が、今日の資本主義・帝国主義の体制をそのままにしては生きていけないというところにきているなかで、今日の学習は、われわれがプロレタリア世界革命−プロ独を実現していく過程そのものをどうやって実現するかを具体的にイメージすることができた。
  「党の革命」をもって『国家と革命』の読み方が変わった。政治的・軍事的観点から学ぶ、という傾向から、当時の労働者階級自身の闘いに肉薄していくものになることによって、むしろ今我々が何をしていくか明確になったし、ロシア革命がきわめて身近になった。徹底した職場での階級的労働運動の実践=「資本との非和解の闘いの組織化」をはかる。地区党建設、ソビエト建設。そしてそれが、ロシア革命の中で出てくる日和見主義的傾向、階級調和的傾向、ありとあらゆる反動等々との闘いを学ぶことをとおして、今現在の闘いと直結してくる。
  動労千葉・中野顧問のことばに「労働者を蔑視する思想にとらわれない限り…」というのがありますが、今、それが何よりもマルクス・レーニンの闘いから引き継いできているものなのだということがわかりました。
  1905年〜1917年にいたる過程、17年2月革命〜の闘いのレポートは、ダイナミックな展開を直に自分のものとして感ずることができました。「党の革命」があって、連合党的あり方を払しょくし、自らも戦線から地区党へ、そして地区党建設の上での変革をかちとってきているなかでつかめてきたし、自己変革をかちとってきたというのがあると思います。

【q】

 「ロシア革命ほど労働者階級の生産現場における闘いを徹底的に重視した革命はなかった」という確認は、今回の講義で非常によく理解できた。そして、今我々が闘っている労組交流センターの闘いや職場闘争委員会のあり方が、ロシア革命における工場委員会が切り開いた地平を生み出していく展望を持っているという説明は、世界の労働者が動労千葉労働運動を軸にしたあり方に注目しているところだと思った。
  「党・労働組合・ソビエト」の関係も、革命に勝利するというだけでなく、革命後の社会建設をやり抜くためにも軸にならなければならないものだと分かった。革共同は、「党の革命」をやり抜くなかで、党に関するスターリン主義的概念を一掃し、マルクス主義を本来の姿に復権させることに勝利したと実感した。あとは、この「綱領」のもとに団結し、世界革命に向かって全力で闘っていきたいと思います。

【A】

 『国家と革命』後半のテーマは、レーニンの『国家と革命』の第7章にあたる。
  大恐慌の第2段階とも言える今日、我々は階級的労働運動路線で闘い、現代におけるプロレタリア世界革命を実現しようとしている。くり返し、時代認識と路線を深化させ、磨き上げることによって、革命をたぐり寄せようとしている。
  レーニンの時代にあっては、『帝国主義論』で時代認識をはっきりさせ、プロレタリア革命を具体的に、実際に達成する意識性を確立したと思います。
  その上で、レーニンとボルシェビキの闘いを今日の時点で見ると、党と階級との関係を、労働者階級の党として、一体的に、激動するその時々の焦眉の課題を闘い、路線の確立、再確立していったと思う。17年革命を勝利し得た核心は、ロシアにおいても階級的労働運動路線の貫徹であったと思う。
  プロレタリア革命における労働組合の重要性が、今回の学習を通して一層明確にされました。それは同時に、マルクス主義の核心である。労働者は、団結する組織を持って初めて何事かが出来るのであって、レーニンは、この労働者にとっての組織をあらゆる所で追求していたと思う。
  現代における『国家と革命』が問われているが、それは2010年『前進』新年号路線を実践するなかにあると思う。

【M】

 ○ロシア革命における3・8の女性労働者の決起が、当時の党指導部の誤りを突き抜けて闘われたことを知り、労働者党員の決起の決定的役割を改めて知ることができた。決意が真剣なものであるかどうかが、今のような激動情勢では、歴史を左右することを学んだ。
○レーニンが労働者を信頼し、地区の労働者のエネルギーに依拠して4月テーゼを貫いていったこと、労働者党員に依拠して党指導部内の絶望的現状を突破していったことに感動した。
○今日の提起全体を通して、「私たちが今格闘しているランク・アンド・ファイルの闘いが、本質的にロシア革命における労働組合・工場委員会の闘いと同質のものだ。巨大な革命的展望とダイナミズムを持った積極的なものと捉え返すことが必要。さらにここで勝利すれば、プロ独を一気に実現する展望がきりひらかれる」という提起は、新鮮だった。一気にイメージがふくらむものだった。
○「党は労働者階級の一部である」という綱領草案の文言を心に刻んで、とことん労働組合にこだわって闘っていきたいと決意をあらたにしました。

【n】

 幻の『第7章』は、非常に新鮮でした。階級的労働運動・労働組合に依拠して、ロシア革命を闘い抜き、勝利したという提起は、非常に判りやすかったです。当時は圧倒的に少数だった工場労働者がロシア革命の主体だったことは理解しているつもりでしたが、今日の講義はとても具体的でした。
  今まさに革命的激動期に突入している訳で、我々が全力でこの中で労働者階級の自己解放の闘いを切り開いていく。職場生産点・地域に根ざした闘いを徹底的にやり抜いて、プロ独をかちとる。私も微力ながらも、その闘いを進んでいこうと決意を新たにしました。1年間どうもありがとうございました。

【R】

 労働組合の革命論的位置づけは、階級的労働運動の前進のなかで解明され、これがロシア革命における労働組合の役割を根底から明らかにするものとなった。
  そうであればこそ、ロシア革命の歴史を歪曲したスターリン主義の反革命的役割の大きさと犯罪性を痛感せざるをえませんが、だからこそ、これを突破した地平にいることの決定的性を同時に身震いするほどの確信をもって確認せざるをえません。
  工場委員会(=労働組合)の組織化を通してメンシェビキの支配を打破し(今日の体制内派だ!)、主流派になったことが、ロシア革命勝利のメルクマールだったことが突き出されましたが、今日の階級的労働運動の実践こそがまさにこれなのだ。
  改めて、10年決戦を闘い抜くエネルギーをもらった学習会でした。

【C】

 『国家と革命』2回の講義を通じて、動労千葉労働運動−階級的労働運動路線と綱領草案の中身、そして、これで共産主義社会を実現するという展望をつかめたことは有意義でした(前回のレジュメで『甦る労働組合』のエッセンスを要所要所に入れていたのは、すごく意味あることでした)。
  党と労働組合−ソビエトの有機的一体性の意味と、党が労働組合を媒介として「賃金奴隷制の廃絶」にとって決定的な役割を果たすことをつかめたのは良かった。動労千葉労働運動の存在が、綱領草案の中身を勝利の展望をもって実に豊かにしていることがはっきりとしてきました。
  また、工場委員会における労働者統制も、未来をみすえたプロ独のための事業であったことも、すごいと思ったし、今の労組交流センター運動の位置も、ここまでみすえてやろうという提起も、すっきりとすることができました。
  労働者階級の底力と、これと結合するプロレタリア党(階級の一部であり前衛)の決定的存在、このことをつかめたのが、一年間の成果としてよかったと思います。もっともっとマルクス主義者になろう、そのことを決意します。

【r】

 今日の講義は10期の最後にふさわしい、今日的・実践的提起だったと思います。特に自分のなかでウヤムヤだった点がスッキリしたのが収穫でした。
  まず、ロシア革命のとらえ方について、「ロシア革命とレーニン主義」という前進社刊行の本を読んで、自分の印象として、17年10月までレーニンは孤立していたととらえていましたが、そうではなく、職場生産点で、あるいは地域で闘い続けてきたランク&ファイルの存在が、レーニンをして、4月テーゼから10月革命を勝利させたという事に新鮮な驚きを受けました。また、17年革命の引き金となった2・23決起などが、今的に言う党の革命と重なって、階級の決起に圧倒的に確信を持つことができました。
  また、工場委員会の果たした役割について、そもそも工場委員会の存在を体制内労組指導部(メンシェビキら)との関係で見てなかったので、「なんで工場委員会なの?」という感じでした。今日の我々のランク&ファイルの闘いが前進しているがゆえに、この工場委員会の意義、つまり今日的に労組交流センター運動などが位置付くのだと思いました。
  最後に、大恐慌下で、世界の階級闘争が高揚を見せる中で、我々が階級的労働運動路線と、革命党とその綱領草案を持っている事も歴史的にとらえ返すことができたし、これから更に深化していきたいと思います。
  一直線で上手くトントン拍子でいくとは思えませんが、11月集会が生み出した地平は、全世界を獲得しつつ、日々前進しており、全学連の訪米闘争、これからのブラジル訪問など、既に革命の渦中に今自分がおかれている事を喜びに、これからも闘っていく決意です。
  どうも講師の皆さん、参加者の皆さん、ありがとうございました。

【Q】

 今回の講義は、書かれざる7章ということで、新たな視点での話で非常によかったと思う。
  ロシア革命が、プロレタリア革命であったということをはっきりさせる講義であった。そして、ロシア革命が労働組合、労働運動に徹底的に依拠した革命であったということ、生産現場における闘いを重視し、その闘いを通じ、労働者階級は階級的に目覚め、ソビエトを革命的に建設することにより勝利したという提起を、とても新鮮に感じました。
  今我々が進める階級的労働運動路線こそ、まさにレーニンがロシア革命でやったことと重なるものであると思う。この路線を断固堅持し、労働者を信頼していく中に、本当に革命が可能になるのだと思った。

【B】

 『国家と革命』後半での講義は事前に『共産主義者』162号を読んでおいた方が良いと言われ、読んだのだが、革命に向かう過程・革命のイメージがつけられた。
  講義を受けてまず感じたことは、今私達の路線と同じことだ、「階級的労働運動路線」、体制内派との闘い、職場闘争そのものだと感じた。
  ロシア革命における工場委員会、その指導下での労働者による統制の問題など、プロ独のイメージを持つことができた。
  武装蜂起、即共産主義とならない点についても、どう克服していくのか、どういう方向で考えていくのか、イメージがついた。

【e】

 提起と討論を通して、日本階級闘争・国際階級闘争における動労千葉労働運動・反スターリン主義革命的共産主義運動の歴史的到達地平が決定的なものであることが鮮明になったと思う。
  先制的内戦戦略のP1・P2のころの『国家と革命』の読み方をほとんど知らない自分にも、「党の革命」がどれほど『国家と革命』の捉え方に影響を与えたかがよくわかった。
  発言でも若干触れたのですが、「国家と革命の関係」「国家とプロレタリアートの任務との関係」を考える時に、それは極めて、党の目的意識性と階級の革命性の問題であること、さらにそのプロ独への目的意識性を貫くものとして、路線と時代認識が決定的に重要であるということが、1905−17年のロシア革命でのボルシェビキの闘いとその総括という本日の提起の中で、核心であろうと思いました。
  もう一歩進めれば、階級を信頼する指導部のマルクス主義での武装の問題として、『国家と革命』はあると思いました。

【U】

 本日の講義で最も印象に残ったのは、4月テーゼ前後のところだ。レーニン帰国以前、ボルシェビキを指導していたスターリン、カーメネフらは、労働者人民の心を捉える具体的方針を提起できなかったという。恐らくそれまでの厳しい弾圧下、制約された非合法活動の故に。非公然・非合法の党としてあるわれわれは、スターリンやカーメネフを他山の石としなければならない。
  自分自身も、いくらかの学生運動の経験があるだけで、労働運動や労働組合活動などについては正直まだよくわかっていない面があると思う。労働者としてのセンスをしっかりとつけていきたい。
  今回の講義は、いわば「労働運動の力で革命をやった」レーニンとボルシェビキの足跡をたどっていったものだったと思うが、極めて今日的で、とても実践的でわかりやすく、面白かったです。

【N】

 労働者に全面的に依拠して、労働者を信頼しきっていたレーニンが、今回よく見えた講義でした。ランク&ファイルの闘いを通して党指導部内の絶望的現状を突破したこと、労働者ってやっぱりスゴイ!!と思いました。
  世界中が革命情勢になっている今、階級的労働運動路線で闘い抜き、ほんとうに革命したい、闘えば勝てる!!と元気が出ました。
  今、労働者階級が一つになれる綱領草案がある。そして、原則を貫き、闘い続けている動労千葉の労働運動が私たちにはある。
  検修業務全面外注化阻止で勝利しましょう。自分たちの職場生産点で、日々、コツコツとオーソドックスに闘うこと。必ず労働者は立ち上がる、と信頼し切って、団結をつくっていきたいと思います。
  機関紙の拡大も、シコシコ続けようと思っています。
  何より、今日ここで学んだこと、つかんだことを、職場の仲間に広めていこうと思いました!!

【G】

 ○冒頭に、ロシア革命から今日的に学ぶ上で重要なことが提起されているし、かなり整理されているという印象を受けました。
○重要な点としては、前回の学習会でも感じましたが、現在闘われている階級闘争の構図が基本的に同じだということだと思います(もちろん、労働者、農民などの構成比は違いますが)。
  ボルシェビキも、当初からスムーズに進んだわけではなく、様々な困難があって、それを一つひとつ打ち破っていく中で、17年のロシア革命は実現されたということがよくわかりました。@国家権力やツァーリの弾圧、Aエスエル、メンシェビキとの党派闘争、B当初レーニンの4月テーゼは全体に受け入れられなかったこと、C兵士の獲得、D反革命との戦いなど……「困難性」と一言で言っても、気が遠くなるような困難性にも関わらず、革命は労働者階級に依拠することによって勝利できるということを証明したこと、偉大さを改めて認識しました。
  上記の困難性の中でも最も印象的なのは、兵士への働きかけが最初は受け入れられなくても、最後に合流できたことの感動的な場面がイメージできるような提起としてあったと思います。
  全体の提起として、とにかくプロレタリア革命に向けた勝利の展望、勝利への確信につながるようなものとしてあったと思います。最初は少数であったり、受け入れられなくても、革命情勢が成熟する中で、ダイナミックに発展していくことがよくわかりました。
  現在の戦闘的・階級的な労働組合=動労千葉の存在や革共同という党の存在は、世界史的に見てもすごいことだという認識をあらためて感じました。
  冒頭でも講師から提起された、ロシア革命のとらえ方、「スターリン主義の克服の不十分性」「労働者階級自身の闘いに肉薄することができなかった」という正しい総括が提起されているので、後の展開もすごくわかりやすく、またすっきりとしたわれわれの路線に完全に一体で提起されていると思いました。
  とにかく、かなりの学習量と正しい総括によって、学習会そのものがかなりの一体感をもって勝ちとられていると思います。この限られた時間の中での提起として、かなり充実したものになっていると強烈に感じました。
  体制内組合とは決別した工場委員会の形成が、トルコで現実に行われていることも、世界の階級闘争の発展のメルクマールとして空気入る話として聞きました。
  このレジュメを再度読み返し、学ぶことを通して、また新たな自分自身の飛躍につながっていく気がしました。

【X】

 講師から『国家と革命』の書かれざる第7章ということで、現実の革命運動の方が100倍も楽しいということが本当に言えるロシア革命を詳しく提起されていたと思います。心からプロレタリア革命のダイナミズム溢れる闘いにトコトン生き、勝利したいと改めて思えました。
  これまでロシア革命の17年2月革命を、ボルシェビキのヘゲモニーがない自然発生的な革命と、私は理解してきたのが決定的な間違いであったと確認できた。
  ボルシェビキの地区党の労働者の働きかけによって、ビボルグ地区の女性労働者がプロレタリア革命の確信と情熱をもって17年2月23日のたたかいに決起し、情勢を切り拓いていったこと、そして次々と工場委員会を立ち上げ、急速に党と工場委員会を拡大し、全労働者階級をプロレタリア革命に獲得していき、ロシア・プロレタリア革命に勝利していった。このすごいダイナミズムを学ぶことができた。
  そして、レーニンが『国家と革命』で提起した内容を労働者は現実の闘いの中でつかみ、臨時政府を打倒していった姿が感動的でした。

【Z】

 書かれなかった第7章について、幸いにも、私は同じ講師の報告を去年も聞いているわけで、今回のはより深くて、内容的にも成功していると思いました。ただ、レーニンが意図した第7章と、100年近くたって今からとらえるべき第7章(もちろん第8章、第9章であってもよいが…)は、単にロシア革命史とか教訓論であってはならないと思います。
  私の問題意識は2つあって、@マルクスが心血をそそいでフランス革命やパリ・コミューンから学びとったものはどのように発展したのか?(簡単に言えば、コミューン4原則→その発展→プロレタリア革命の??原則みたいなものはあるかということ)、A題名「国家と革命」そのものとしての理論的問題(簡単に言えば、国家死滅への道筋とプロ独の意義と確信ということではないか)。
  前者については、ソビエト論がやはり重要で、その直接的な革命的民主主義のみならず、「できあいの国家機関をつかうことはできない」の実践的解答となっていることを理論的に押さえることが必要だと思う。(イ)ある種の高揚をバネとしたプロレタリアートの意識改革と政治参加、(ロ)生産の主人公性の自覚→生産管理、(ハ)農民や他の階級の獲得と解放への主導性、(ニ)対反革命への軍事力の形成、(ホ)一般的民生への対応政策(例えば住宅問題など)、(ヘ)その他(今、思いつかない)、などを理論的に発展させなければならないと思う。
  後者について……。共同体の交通手段として、あるいはその対象化として「クニ」を意識した時代→列強による地理的分割によって「国家」を意識した時代→もはや「国家」を意識せず、国家死滅への時代、という壮大な人類史の中で、(A)人格的自由の発見とブルジョア革命(プロレタリアートの出現ということが重要)に対して(B)は何なのか、ということなわけですが、我々には、まだ「プロ独」というキーワードしかない。
  なお、マルクス主義というのは、シンプルに言えば、@「社会とは何か」A「社会的正義とは何か」ということにつきる。
  @は『資本論』によって、かなり精度のよい基礎づけができているのに対し、Aはマルクスも完成版を書きたかったろうが、できずに死し、レーニンのみがそれを引き継いで『国家と革命』を記した以上、その後100年間、それを発展させた人物はいない。そういう著作もない。このため、未だに国家と市民社会の混同が蔓延している。最高の倫理形態であるのは「国家」ではなく「革命」なのだということを、理論的にも明解にしたいものである。

【F】

 革命の主体であり、実際に革命を実現した労働者階級自身の闘いに肉薄して、ロシア革命をとらえ返す。労働組合の決定的な役割をはっきりさせる。そのことで今まで漠然としていたプロ独と国家の死滅の過程、実現すべき共産主義社会が非常にリアルなものとしてとらえられることがわかりました。
  共産主義社会の実現は決して遠い未来のことではない、いま実践している第2、第3の動労千葉をつくる闘いの中にあるということです。プロ独政権の下で国家機能を担い、これを民主化し、プロ独国家組織にとって代わり、最終的には全国民経済の管理を行うのは他ならない労働組合だということです(労働組合と国家が融合する)。それができるのは労働組合内部にプロレタリア民主主義が貫徹されていることによってです。
  「絶対反対論」と「階級的団結論」は、そうでなければブルジョア国家を粉砕できないというだけでなく、共産主義社会の実現にとって不可欠なのだと思います。スターリン主義を克服したとき労働者階級自己解放の闘いが一気に爆発していく、革命に向かって目の前が開ける。“反帝国主義・反スターリン主義”綱領の圧倒的正しさとそれを実践してきた革共同50年の歴史の重さを実感し、さらに前進していく決意を新たにしました。

【h】

 『国家と革命』の第7章「ロシア革命の経験」が階級的労働運動路線そのものだったという提起は、「政治的・軍事的観点」から学んできた私にとっては、あまりに落差がありすぎた。
  これまで、『国家と革命』から、プロレタリア革命は暴力革命でしかあり得ないこと、そしてそれが可能であることを学んできた。そして、プロレタリア革命を暴力革命として貫徹するためには、何よりも軍事的観点が絶対的であると確信し、「内乱と武装の論理」を実践する革共同こそ、プロレタリア革命に勝利する革命党であると信じて今まで闘ってきた。
  しかし、今我々が階級的労働運動路線を確立し、「国鉄決戦に勝利して世界革命へ」と『前進』新年号で提起した路線そのものが、レーニンが書こうとしていた第7章「ロシア革命の経験」だということが、今回の学習でつかむことができたと思う。
  レーニンが1905年革命を、「労働組合に依拠した労働者階級自身の闘いが巨大な規模で実現されない限り、…」と総括し、非合法化の労働組合の中で、不屈に労働組合政策を貫き、12年プラハ協議会で、「工場内の職場細胞建設」に全力を挙げたこと。それは、マルクスが『賃金・価格・利潤』で強調している「労働組合は、賃金制度の廃止=革命のためのテコとして使用しなければ…」というマルクス主義の核心であること。そしてそれが、17年の2月革命を準備したこと。2月革命が、女性労働者の偶発的な決起という印象を強く持っていたが、今回の学習で、労働者階級と真に結合した職場細胞があったからこそ、2月革命があり得たという事実は驚きだ。
  また、ソビエトが全人民的決起の不可欠の機関、そのソビエトで多数派になることをとおして、プロ独を実現できること、まさに、党−労働組合−ソビエトという立体構造が鮮明に提起されている。
  マルクス→レーニン→階級的労働運動路線が、1本の線につながったような感じだ。このようにつかむことができたのは、労働者党員の決起としての「党の革命」と、何よりも動労千葉の存在があったからこそだとつくづく思う。動労千葉・中野顧問の存在の大きさと、亡くなったことの無念は悔しい限りだ。しかし、中野顧問の意志を受け継いだ多くの青年労働者党員が生まれており、彼らとともに闘っていきたい。
  今までの、自分のマルクス主義の理解がいかに狭隘だったかを思い知らされた1年間だった。本当に、苦難の闘いの中でついにつかみ取ったマルクス主義だと思う。これに満足せずに、もっともっと実践をとおしてマルクス主義の核心を深め、内容豊かに発展させて、膨大な労働者と結合する党に飛躍していきたいと決意する。

【T】

 今回、ロシア革命を文字通りプロレタリア革命として、党の革命、階級的労働運動路線の地平からつかみ直した事は、世界革命にとって決定的な地平を切り開くものだと思う。
  それはまず何よりも、私自身の労働者階級観を根底から覆すものである。革命のために命をかけて立ち上がるロシア労働者の姿こそ、すべての労働者がもっている革命的能力の発露なのだと思う。
  もう一つは、党を階級が乗り越える決起から革命の突破口が切り開かれたという事、そして、切り開かれた地平に対応したプロレタリア革命の綱領と路線を持った革命の指導部をかちとる闘いから、労働者による統制の闘い、そして目的意識的な権力奪取へというダイナミックな構造が簡潔に示されたと思う。
  ここにおいて、ロシア革命における綱領問題において、レーニンが16年に『帝国主義論』をもってブルジョア革命を経た上でのプロレタリア革命論からプロレタリア革命論への決定的転換を行っていた事の決定的な意味が改めてよく分かった。
  ボルシェビキが二段階革命をプロレタリアートのヘゲモニーで進めようとしてきた事を考えると、2月革命とソビエトを前に中央委員会がとった動揺に理由がないわけではなかった。プロレタリアートの革命的決起を革命の路線に位置づける綱領をめぐる闘いが、まずボルシェビキの内部で、労働者、地区党に依拠した少数派のレーニンが主導権を取り返す闘いとして行われたということには、2つの中央指導部問題の革命的止揚の問題なども含めて、非常に重要な意味と教訓が含まれていると思う。あらゆる革命は、まずここでつぶされているのだと思うから。
  革命党内における体制内派との闘い、これを徹底的に理論的にも実体的にも、労働者階級に依拠して勝利していったということ。「一種の党内革命」と表現されている提起の所は非常に重要である。
  革命と党・労働組合・ソビエトの関係について。労働組合はともかく、ソビエトは党が意識してつくったものではない。現実の革命的情勢の中で生み出された。現物を見なければなかなかつかめない組織だが、今回の工場委員会を武器にボルシェビキが労働者=労働組合と結合し、ソビエトの主導権を握ったこと。その実践としての労働者による統制の発展。今日のわれわれの職場闘争や政治闘争の位置の革命的意義の提起は、非常に新鮮であった。
  革命後の過渡期建設問題でのNEPへの転換と労働組合の位置づけの転換の構造も、今回初めて分かった。ロシア革命の概念的理解がかつてなく深まってきている、と実感した。