ホームページへ週刊『前進』月刊『コミューン』季刊『共産主義者』週刊『三里塚』出版物案内販売書店案内連絡先English

2010年03月号

党学校通信

党学校機関紙 A4判月1回発行 頒価100円

今月の内容 レーニン『国家と革命』 (上)

講義概要 P1-8

★討論から- P9-16

受講レポート P17-28

2008年12月号
通信 バックナンバー
党学校通信 p1-8  講義概要

レーニン『国家と革命』(上)

前半講義概要 講師 丹沢 望 

【はじめに】

 資本主義の歴史的矛盾の本格的爆発の時代がついに到来した。まさにこの歴史的生命力を失った資本主義国家をプロレタリア革命で打倒し、プロレタリア独裁の下に共産主義社会を建設すべき偉大な時代が始まったのだ。
  今こそわれわれは、この闘いに勝利するために、歪曲され続けてきたマルクス主義の国家・革命論を復権し、ロシアにおけるプロレタリア革命の勝利の指針となった『国家と革命』を、日本革命を実現するという実践的観点から学び、それで徹底的に武装しよう。
  そのために、第1回講義では『国家と革命』の基本的内容について、@とりわけプロ独論の復権という観点から概観するとともに、A今日のわれわれの綱領的立場の深化と、階級的労働運動路線の発展の観点からその内容を読み解いていきたい。
  第2回の講義では、ロシア革命の経験の総括にふまえた労働組合の革命論的意義と、党・労働組合・ソビエトの有機的・一体的関係について革共同の綱領草案を深化する立場から提起する。労働組合を基盤とした労働者の闘いで勝利した歴史上初めてのプロレタリア革命の教訓を徹底的に学ぼう。

●『国家と革命』をプロ独論として学ぶ

 『国家と革命』は、ロシア革命における日和見主義勢力のエセマルクス主義的な国家論、革命論を粉砕し、ロシア革命をプロレタリア革命として絶対に勝利させるという強烈な実践的問題意識をもって書かれた。その目的は、プロ独樹立の闘いを指導しうる労働者の前衛党を確立し、労働者階級をプロ独と世界革命の思想と路線で武装することであった。
  当時、ヨーロッパの革命運動においては、プロ独の思想は徹底的に解体されていた。1871年のパリ・コミューンが労働者自己解放の闘いによってプロレタリア独裁を樹立した偉大な歴史的経験は忘れ去られていた。ドイツ社会民主党の「ゴータ綱領」に顕著に見られるように、マルクス主義の国家論・革命論は徹底的に歪曲・解体され、社会排外主義の潮流が全世界の公認の社会主義諸党を支配していた。
  だが帝国主義諸国間の世界戦争として爆発した第1次世界大戦の渦中で、ヨーロッパの諸党が自国政府の戦争政策を支持する中で、ロシアの労働者階級は自らを解放するためにロシアの帝政を打倒し、同時にブルジョアジーの支配を粉砕するプロレタリア革命に決起した。この革命に勝利するためにレーニンは、『帝国主義論』によって確立された革命的時代認識を基礎として、「いったん忘れ去られたプロ独の思想」を復権し、ロシアの労働者階級をそれによって徹底的に武装しようとした。しかもそれを具体的な実現目標として高々と掲げて闘い、ロシア革命に勝利したのである。
  『国家と革命』には、そうした実践的問題意識が冒頭から終わりまで一貫して貫かれている。こうした観点から『国家と革命』の内容を見てみよう。

【第1章 階級社会と国家】

 「第1章 階級社会と国家」は、国家の本質を明らかにしたものである。まず、国家は階級対立の非和解性の産物であり、相互に和解できない諸階級へと分裂した社会において発生したことが明らかにされる。ここでは国家は、人類史の初期から存在したものでも、永遠の存在でもなく、支配者が被支配者を搾取する階級社会の登場とともに発生し、階級対立が消滅するとともに死滅するものとして把握されている。
  次に、被支配者と支配者が「無益な闘争によって自分自身と社会を滅ぼさないようにするためには、外見的には社会の上に立ってこの衝突を緩和し、それを『秩序』の枠内に保つべき権力が必要となった」ことが明らかにされる。
  この「衝突の緩和」とは、日和見主義者が言うように「国家は諸階級を和解させる機関である」というようなものではない。それは一階級による他の階級の抑圧の機関としての国家が暴力的に被抑圧階級の反抗を粉砕することによって、ブルジョアジーにも大きな打撃を与えかねない階級間衝突を緩和させるという意味である。
  さらに、労働者階級にとって国家は絶対に相いれない存在であることが明らかにされる。それは国家の本質論を単に理論的に明らかにするという学問的視点に立つ見解ではない。そこには、あくまでも労働者階級と国家は非和解的に対立する存在であり、それを打倒し、死滅させない限り労働者は解放されないという思想で労働者を武装しようとする観点が貫かれている。
  ここから出てくる結論は、労働者が資本家と資本家の国家による支配から自らを解放するためには、国家の暴力装置を破壊し、国家そのものをなくすことが必要となるということである。そして、国家そのものをなくすためには支配・被支配、搾取・被搾取の関係を永遠に廃絶する出発点を築くプロ独が必要となる。プロレタリア革命によって既成のブルジョア国家を完全に破壊し、プロ独を樹立すること、そして、このプロ独の下で国家そのものの死滅を実現しうる政治的・経済的・社会的政策を展開することが必要となるのである。労働者階級はこのようにして階級支配を廃絶し、労働者階級のみでなくあらゆる被支配階級を解放する新たな共産主義的社会の建設に向けて進むのである。
  『国家と革命』は、この過程すべてにおいて労働者階級が主体であることを鮮明にしている。つまり国家と革命に関する本質論の領域においても、労働者階級自己解放の思想が一貫して貫かれているのである。労働者自身が自分の闘いの歴史的意味を正確に理解し、確信をもってプロ独樹立に向けて決起できるように自らを武装することをレーニンは『国家と革命』全編を通じて熱烈に訴えているのである。

●階級対立の非和解性と階級的労働運動

 労働者階級は、資本の貪欲な搾取を受けるだけでなく、抑圧され差別されている存在であるため、常に自然発生的に団結して資本家階級に対して決起する階級だ。だが、資本家に対する単なる反抗や、抵抗だけでは不十分であり、それだけでは自分たちを究極的に解放することはできない。問題は労働者階級が、資本との闘いの中で階級支配の道具としての国家の本質を認識し、資本のくびきから自分自身を解放するために国家に対する態度を明確化して国家との闘いに決起できるか否かだ。労働者階級はブルジョア・イデオロギーの影響を常に受ける中で、自分には労働者に対する支配を粉砕する革命を勝利させる能力も、プロ独国家を樹立し、資本家に代わって支配階級になり、階級そのものを廃絶する共産主義社会を建設する能力もない階級であると思い込まされている。
  だが、労働者と資本との対立が絶対的に非和解なものであり、資本家の支配を打倒する以外に自分の生きる道はないと確信した時、労働者階級はブルジョア・イデオロギーの支配を打ち破ってプロレタリア革命に必ず決起する。だからこそマルクスもレーニンも、階級対立の非和解性を理論的に全面的に明らかにしたのだ。
  労働者階級の前衛は、この「非和解性」を理論的に明らかにするだけでなく、実際の資本との闘いの中で、資本家階級との対立が非和解的なものであることを労働者階級が具体的に理解できるように闘いを組織する。
  階級的労働運動とは、まさにそうした闘いを労働組合を通じて組織する運動だ。労働者は前衛党の宣伝・扇動によってこの「非和解性」を理論的にも理解するが、労働組合として団結し、労働者を搾取・抑圧する資本と激突するときに真にそれを理解する。だから前衛党は、民営化や首切り、合理化や外注化などの資本の攻撃を「非和解性」の全面的現れとして暴露し、これと断固として闘うことを呼びかけて闘う。そして実際にストライキを組織し、敵との激突の中で労働者が資本との非和解性を正しく把握できるように闘いを指導する。このような闘いこそ、動労千葉が牽引する階級的労働運動路線のもとでの闘いだ。プロレタリア革命とプロ独の思想なしにこのような闘いを組織することは不可能だ。プロ独の観点からこの非和解性を徹底的に明らかにすることが核心的に重要なのだ。
  ところが日和見主義は、この非和解性を徹底的にごまかす。民営化や外注化などが、新自由主義の一大攻撃として全労働者の生活を破壊する非和解的なものであることをおし隠し、闘いを組織することを放棄する。彼らは、新自由主義的な非和解的攻撃の内容を暴露せず、それに屈服した上で、国家による労働者の救済策を要求したり、ワークシェアリングなどに労働者の目を向けさせ、この攻撃との真正面からの対決を拒否する。日和見主義者は、資本との激突の中で労働者がこの非和解性を理解し、階級的・革命的に決起し始めてしまうことを恐れるのだ。

●被抑圧階級を搾取する道具としての国家

 「国家は経済的に支配する階級の国家である。この階級は、国家を手段として政治的にも支配する階級となり、こうして被抑圧階級を抑圧し搾取する新しい手段を獲得する」「古代国家と封建国家が奴隷と農奴を搾取する機関であっただけでなく、近代の代議制国家は、資本が賃労働を搾取する道具である」(『国家と革命』研究会編27n)
  この規定は、国家が直接的に労働者階級の敵であることを明らかにしている。ここから出てくる結論は、労働者階級は国家と闘わないかぎり、階級支配を一掃できないということだ。
  今日の国家は、民営化、道州制の導入などの新自由主義政策を国家の政策として打ち出すことによって、労働者階級を永遠に資本のくびきのもとに縛りつけようとしている。したがって大量の労働者の首切り、労働強化を強制し、労働者を生きることもできなくさせるこれらの政策との労働現場における闘いは、国家権力との直接の激突に必然的に発展する。つまり、労働者の前衛党は生産点における労働者の資本との闘いを、直接に国家との闘いに発展させる観点から組織しなければならないということだ。動労千葉の国鉄分割・民営化阻止の闘いはまさにそうした観点から組織された。資本と闘わないだけでなく、動労千葉の国鉄分割・民営化阻止の闘いが政治闘争として発展しないようにカクマルや体制内派は動労千葉に激しく敵対した。動労千葉の闘いはこれらの勢力と闘い、勝利することによって巨大な地平を切り開いたのだ。
  われわれは、動労千葉の闘いに学び、今日の新自由主義の下で、「生きさせろ」と要求する青年労働者たちの闘いを、国家権力打倒のゼネスト=巨大な政治闘争=蜂起戦へと発展させるために闘わなければならない。

●暴力革命の必要性

 国家の本質は、支配階級が被支配階級を支配するための「武装した人間の特殊な部隊(常備軍と警察)と、監獄やあらゆる種類の強制施設から成る」公権力である。したがって、労働者階級がブルジョア国家を打倒するためには、まずこれらの公権力を暴力的に解体しなければならない。
  国家は法律・軍隊・警察・裁判所・官僚機構・刑務所・税金・年金・健康保険・国立の銀行、大学、病院などの巨大な機構と機能を持ち、国民生活をがんじがらめに縛っている。労働者が生きるためには国家に依拠するしかないという現実、これが国家に関する幻想や常識を生み出す物質的根拠だ。
  だが、はたして国家はそれほど強大であり、労働者階級のためのプロ独国家につくり直すことなどは不可能なことなのであろうか。
  国家権力は強大で万能であるかのように思われているが、実際には労働者階級を弾圧する暴力装置の中軸は労働者階級の数と比べれば圧倒的少数の警察と軍隊だ。そのうち軍隊は労働者人民と領土を外国の軍隊の侵略から守るためのものとされており、内乱鎮圧に出動させ、国民に対して武力を発動させることは困難である。しかもその実体は労働者人民であり、革命情勢の下では労働者階級が獲得しうる存在だ。
  警察は内乱を鎮圧する主力部隊であるが、その数はそれほど多くない。例えば日本では、警察官は25万人しかいない。東京に約4万3千人、関東6県に約4万人、大阪に2万人、近畿5県に約2万5千人しかおらず、その他の県では数千人程度である。労働者階級が首都圏および関西圏を中心に数十万・数百万のゼネストやデモを展開すれば、警察組織の暴力装置としての機能は大きく混乱させることができる。2000万の青年労働者、6000万の全労働者が総決起し、その前衛部隊が内戦的対峙をとおして自衛隊の兵士を獲得すれば、労働者が国家権力を奪取することはまったく可能だ。
  なお、国家の暴力装置とは次元が異なるが、ブルジョアジーの支配を支える体制内派労働貴族による労働者支配のための暴力も、国家暴力と同様に粉砕する必要がある。
  労働者階級が階級支配の道具としての国家を廃絶するためには、ゼネストや巨大デモ、そして武装蜂起という階級的暴力が絶対に必要である。マルクスも言っているように、「暴力は社会的運動が自己を貫徹し、硬直し死亡した政治的形態を打ち砕くための道具」である。また「革命が必要なのは、たんに支配階級を他のいかなる方法によっても打ち倒せないからだけでなく、打ち倒す階級が、ただ革命の中でのみ、一切の古い汚物を払いのけて社会を新たに樹立する力を身につけることができるようになるからである」(新訳『ドイツ・イデオロギー』)。

【第2章 国家と革命。1848−1851年の経験】

 第2章はマルクスのプロ独論の発展過程を明らかにしつつ、プロ独を否定する日和見主義者によるマルクス主義の国家・革命論の歪曲を徹底的に粉砕している。
  ここではレーニンは、マルクスが1847年の『哲学の貧困』で「階級が廃絶されたのちには国家は消滅する」ことを明らかにして以降、労働者階級の実際の闘いの発展から学び、プロ独が、どのような労働者国家として建設されるべきかを明らかにする過程を追跡している。
  同年12月に執筆を始めた『共産党宣言』では、「ブルジョアジーの暴力的打倒をとおして、プロレタリアートは自分自身の支配をうちたてる。それは搾取者を抑圧し、あらゆる搾取を完全に廃絶する。そしてこのプロレタリア国家はただちに死滅し始める」という見解を明らかにした。ここにはパリ・コミューン後に歴史的経験をとおして確立されることになるマルクス・エンゲルスのプロ独の思想が一般的に表現されている。
  マルクスは1847年の段階では、従来の国家権力機関をそのまま奪取して利用するか、それともそれを粉砕してまったく新たな国家権力を樹立すべきなのかどうかについてはまだ明らかにしていない。
  マルクスはこの問題に関する解答を、1848年〜51年の革命の総括を通じて導きだす。マルクスは、理論を観念のなかで創造するのではなく、革命家として、労働者階級の闘いの歴史を総括し、労働者の具体的な闘いから学びつつ、国家と革命に関する理論を再検討し、生きた現実の階級闘争の発展を支える理論として構築していく。
  この革命の総括の中で、マルクスは「これまでの革命はみな国家機構をいっそう完全なものにしたが、ブルジョア国家機構は粉砕し、打ち砕かなければならない」という結論を出した。
  しかし、この時点ではマルクスは、この粉砕され、廃絶されるべきブルジョア国家機構をなにに代えたらよいかという問題をまだ具体的に提起してはいない。 

【第3章 国家と革命。1871年のパリ・コミューンの経験】

 この問題に対する解答は、第3章第2節の「粉砕された国家機構をなににとりかえるか?」で与えられる。プロ独の具体的姿もここで鮮明にされる。
  第3章第1節の「コミューン戦士の試みの英雄的精神はどういう点にあるか?」で、マルクスは、コミューンは「労働者階級はできあいの国家機構をそのまま手に入れて、自分たちの目的のために使うことはできない」ということを証明したとして、『共産党宣言』に唯一の修正を加える。
  その上で第2節でパリ・コミューンの総括を通じて、プロ独の基本的姿を明らかにしている。
  コミューンの基本的4原則とは、第1に、常備軍(警察)を廃止し、それを武装した人民と取り替えたことだ。国家の本質をなす「武装した人間の特殊な部隊」(軍隊と警察など)の廃止と、無階級社会の特徴をなす全人民の武装の復活が真に貫徹されれば、階級や階級支配、国家の存在しない社会への道が開かれるのである。
  第2に、すべての公務員の完全な選挙制と(随時)解任制を導入したことだ。これは人民の上に公務員が立てないような構造や、全人民が公務員の仕事を担うという体制を確保し、官僚機構そのものをなくしていく制度的保障となった。
  第3に、すべての公務員の俸給の「労働者なみの賃金」水準への引き下げだ。この措置はまた、公務の単純化を基礎として、公務をすべての労働者が分有する体制をつくり出し、全労働者がプロ独国家の担い手となることを可能にした。
  第4に、議会制度を廃棄し、コミューンを議会風の機関ではなく、執行府であると同時に、立法府でもある行動的機関にしたことだ。階級支配の制度であった議会制度の廃棄と代議機関を行動的団体に転化したことで、コミューンの代表会議と政府の執行機関を労働者代表が労働者階級の意思に従って運営していく体制が形成された。
  さらに労働者自身による大規模生産の組織を基礎にして、この4原則を貫徹すれば、賃金奴隷制とは似ても似つかない秩序が徐々に作り出されていくことが明らかにされた。
  重要なことはこれらの措置は極めて簡単ですぐにでも実行できる措置であることだ。このような形で、コミューンをプロ独として明らかにしえたことは、労働者階級に極めて大きな展望と希望を与えるものとなった。
  労働者階級がプロレタリア革命に決起することを決断するためには、労働者階級自身がブルジョア国家権力を打倒してプロ独国家権力を握り、社会を根本的に変革することができるということに確固たる確信をもつことが必要だ。そのためには、国家と革命に関して理論的に武装するとともに、プロ独とはなにか、どのようにしたらプロ独権力を樹立し、維持し、発展させ、共産主義社会に移行することができるかについて鮮明なイメージと確信を労働者階級が持つ必要がある。第3章のパリ・コミューン論はこうした観点から書かれているのである。

●コミューン・ソビエトの基盤の今日的形成

 われわれの階級的労働運動は、コミューンやソビエトの基盤を今日的につくり出す闘いである。革命以前に、労働組合を階級的労働運動を担う労働組合に甦えらせることは、将来革命的ソビエトを建設するために決定的に重要だ。ソビエトの実体を担うのは労働組合であり、階級的労働運動で鍛えられた労働組合なしには、4原則の貫徹も不可能である。実際レーニンは労働組合をそういうものとして位置づけ、労働組合の革命論的意義を明らかにしたのである。今日的には、労働組合はソビエトの萌芽形態としてあることをしっかり押さえ、労働運動をそういう観点から闘わなければならない。
  なお、第4章についてはエンゲルスの補足という性格のため、省略した。

【第5章 国家死滅の経済的基礎】

 この章では、過渡期社会をいかなるものとして建設し、共産主義社会への道をいかに切り開くかが簡明かつ具体的に示されるとともに、過渡期のプロ独国家がそこで果たす決定的に重要な役割が明らかにされている。
  過渡期においては、まず資本家の抵抗を最後的に粉砕し、民主主義を徹底的に貫徹してプロレタリア民主主義への質的転化を実現することで、共産主義社会の基礎が築かれることが明らかにされる。
  次に、この政治的変革過程をプロレタリアートによる生産と分配のあり方の変革=経済的変革と一体で展開することの重要性が強調されている。つまり共産主義的経済制度建設を政治的変革と一体で実現することで、共産主義社会の建設が急速に前進するのである。
  共産主義社会は長期にわたる過渡期を経て到達しうる理想社会ではない。それは短い一定の「革命的転化の時期」を経て、直ちに始まる。高度な共産主義社会に達する時間は具体的諸条件に規定されるが、生産手段の社会的所有への転化を前提とする新社会の発展は極めて急速なものとなる。特に今日の生産力の高さ、労働者階級の文化度、技術的能力などの高さは、ロシア革命時代とは格段の差があり、それだけ過渡期は短縮されるだろう。
  ここでは、プロレタリア革命後にプロ独が実現されれば、共産主義社会は独自の内的動力をもって開始され、人類史後史が豊かな内容を持って切り開かれるのだという展望が全労働者階級に示されているのである。だからレーニンは、なんとしてもまずプロ独を実現しようと労働者階級に激を発しているのだ。

【第6章 日和見主義によるマルクス主義の卑俗化】

 この章では、マルクスのプロ独論とコミューンの経験を否定するカウツキーを始めとする日和見主義の批判が徹底して展開される。レーニンはこの章で「国家に対する日和見主義が、マルクス主義の歪曲とその完全な卑俗化を生じさせた」「日和見主義は国家の問題において集中的に現れる」という点をあらためて確認し、プロレタリア革命を勝利させるためには、日和見主義との断固たる闘いを通じてプロ独の思想で労働者階級を武装することこそが決定的に重要なのだということを何度も強調しているのである。
  以上にみたように『国家と革命』は、労働者階級をプロ独の思想で武装し、ロシア革命を勝利させ、さらにはロシア革命を突破口として世界革命を切り開く壮大な展望を示すものであった。そして今日的にはこの闘いの突破口が切り開かれるか否かは、階級的労働運動路線の成否にかかっている。『国家と革命』を武器として、労働組合の中にプロ独の思想を断固として持ち込み、プロレタリア世界革命に向けて突進することがわれわれの結論である。綱領草案をさらに深化させる観点から『国家と革命』を学習し、現代プロレタリアート革命の勝利とプロ独樹立に向けて突進しよう。(前半講義了)

党学校通信 p9-16

討論から

●e

 僕は最近、学生と『国家と革命』の学習会を始めたばかりなんですけど、いきなり最初で、まさにレジュメで言うと7nの「『衝突の緩和』と『「秩序」の枠内にたもつ』の意味」という所に当たるんですけど、小ブル・イデオローグが「階級を和解させる機関だ」と言っているけども、「じゃあ非和解なのかどうなのか」というところが、ひとつ論議になって、一応大きくは一致したというのがあった。今日のレジュメに書かれているようなことで、具体的に秩序というのが何なのかというのをハッキリさせると一致できるなというふうに思ったということと、その話から発展して、労働者階級が非和解だというのは分かると、その上で、労働者階級が権力をとって次の社会を維持できるんですかというような話にまだ1章の段階でなっていった。
  要するに、スターリン主義の問題というのがあって、結局できないんじゃないの、労働者階級にはそういう力はないんじゃないの、今の現状は許せないけれども、ブルジョアジーがやっていることはおかしいけれども、結局どこかで和解して、妥協していくしかないんじゃないのかというのがあって、それは今の「教育の民営化」という問題等々をめぐる論議の中で課題になってくることなんです。この国家という課題をめぐって、今のブルジョア国家を打倒して労働者階級が全部動かしていくというところの現実性を僕らは、動労千葉労働運動のすごさと、11月の国際連帯のでかさというところでひっくり返していこうとはするんですけど、スターリン主義が、資本主義・帝国主義との平和共存という形で国家・プロ独についての思想を解体してきたところは非常に根深いものがある。それを打ち破っていくものとして、『国家と革命』を復権していかないといけないなと思った。今日の内容なんかをも踏まえて、今度はしっかりとオルグをしていきたい。

●X

 パリ・コミューンの闘いが詳しく、総括的にも出されているんですけど、労働者が闘いの中で、これまで誰も提起していないのにパリ・コミューンという独自の組織形態を創造的につくり出した、労働者階級にはそういう力があるんだということがまとめとして言われている、そういうところは非常に感動した。労働者階級には能力があるんだという信頼を、改めて今回の学習会の中で深めた。

●講師

 パリ・コミューンの時に、第1インターを通じて指導部の中にマルクス主義を考えている人が入っていて、プロレタリアートの支配する国家をどうつくるのかということを理論的に提起したわけではない。ブランキ派やプルードン派のイニシアチブの下で、労働者が自分たちで論議してつくり上げていったんだと思う。マルクス自身がコミューンとかについて、まだ具体的イメージを持っていない中でつくられたものですから、労働者の自発性というのはすごくあった。

●D

 『国家と革命』はすごく好きな文献で、プロ独をやるということに徹底的に貫かれた本で、われわれが全部責任をとるんだということが一番貫かれている。だからこそ、あらゆる党派でわれわれ以外、『国家と革命』に空気が入る人はいない。われわれが一番この本で空気が入って、これで勝負できるという中身になっているんじゃないかと思っている。
  それと、この間僕は、大衆的な運動を組織するのを、もうひとつどうやって突破するかを考えている。要は、ロシア革命の時の「パン、土地、平和」という闘いが本当に闘い抜かれた時に、「全権力をソビエトへ」というようなスローガンに変わっていくとか、あの辺の感じです。われわれが大衆運動を本当に組織して、しかしその中に確信を貫いて闘えば本当に勝利できるということが結構見えるというか、そういう感じなんです。だから、『国家と革命』の内容で武装できないと、単純に大衆迎合になるか、もしくは教条的になるかしかないという感じがしてて、本当に指導部としてこういう内容を身につけていくのがすごい重要だと思っている。
  あとは、ロシア革命の総括が重要だということで、書いていない7章で2回のうちの1回、半分使うという辺りに僕はすごい空気が入っていて、次回が楽しみだなというのと、労働者が次の社会を担えるんだという辺りのアジテーションがすごい好きだなという感じです。

●N

 私も、今日の講義はすごい分かりやすくて、よしやるぞ、という感じを持ちました。日和見主義、体制内派の人たちに対する怒りというのをみんなが持っているはずなんです。その怒りを引き出して、一緒にやっていけば勝てるんだということを、いかに私たちがその人たちに訴えていくのかが重要だと思っている。
  レジュメの3nの所で講師が、国家の暴力装置はこんなに人数が少ないんだ、東京で4万人しかいないとか、そういう具体的数字を今日挙げてくれたことですごい面白くて現実的で、こういう数字を言うと、人って、そう言えばそんなに少ないんだ、労働者ってそう言えばこんなにたくさんいるんだ、じゃあ闘えば勝てるのかもと、そう思えるイメージが持てるんだったら、こういう説明の仕方って面白いなと思いました。本当にそのイメージと確信を持てば、闘えば勝てるって、そういうふうになっていくのかなと思いました。
  それと、革命が起きたらどうなるのとか、あなたたちどういうのを目指しているのとかよく言われる。そういう時に、今日の4原則の話とかをしていくと、こういうふうになっていくよみたいな説明も、すごくし易いなというのが今日面白かったです。
  綱領草案の大きさも今日再確認できて、今この綱領草案で世界中の労働者が一つになれるという、そこに本当に今日は確信を持つことができて、しかも私たちの階級的労働運動路線というのが革命に向かって最短距離なんだという話もありましたけど、そこにも今日確信を持てた。

●講師

 労働者階級にたいして、勝てるんだというイメージをつくり出す、これがすごく重要です。労働者階級は団結して闘ったらすごいことになるんだということを、理論的に、かつ歴史的に全部きちっと明らかにしていくという。
  あと、革命の展望です。要するに、プロ独ってどういうものなのかという。どういうふうにしたら、これが実現して共産主義に行くことができるのかということを分かりやすくイメージを出していく、それがわれわれの課題です。われわれがそれを提起できないと、労働者はやっぱりブルジョア・イデオロギーから脱却できない。その辺のところを意識してやっていくことが革命党の役割だと思う。それは、体制内派の労働者にたいしてもそうです。もうとんでもない時代に入ってきて、何かしないとダメなんだとみんな考えている。そのときに、鮮明なイメージがあったら分かる。しかも、分かりやすくわれわれが説明するということ、そこが今の運動のあり方の変革すべきところじゃないかと思っている。

●C

 今日の講義を聞いてまして、やっぱり最初の所ですね、労働者と資本家との関係は非和解なんだという、ここを徹底的にハッキリさせることをとおして、国家という存在自身を打倒する、暴力革命やってプロレタリア独裁ということ自身が、ものすごく重要なのかなと思った。絶対に利害は一致しないというこの対立を和解させるために、支配者階級自身が国家をつくって、またその国家権力自身を養成してきたという歴史があると思う。ここを徹底的にハッキリさせることで、本当に労働者階級自身の国家をつくる、資本主義社会から共産主義社会への事業を労働者自身が担っていかなくちゃいけないという結論を、僕ら自身がつくり出していかなくちゃいけない。改めて今日、そのことに確信を持った。
  自分の職場ということに引き寄せて思ったのは、この大恐慌という状況の中で、今いる自分の職場で働いている派遣の人たちを全部クビ切ると、それを3月いっぱいまでに実行するということが、経営側からの攻撃としてかけられてきている。この一切の基準は儲けの追求、利潤の追求です、職場が回らなくてもある種構わないと。
  こんなもの冗談じゃないということで、この間オルグしている仲間に話をして自分が思ったこととして、利潤の追求で徹底的に労働者のクビを切って、残った人間だけで職場を回せという形になっている状況の中で、これが資本の本質そのものであって、こんな資本自身打倒しなきゃ絶対にダメだという、そこをハッキリさせることでその仲間も本当に変わってきた。
  だから、僕も今自分で思っているのは、まずこれが大恐慌の下である種しょうがないんだとさせちゃいけないということです。これが資本の本質そのものであって、実際今のJRで起こっていることとまったく一緒ですよね。この資本の合理化と対決するためにも、やっぱり階級的労働運動が絶対に必要なんだというところで、今日のレジュメの中にも出ているんですけど、階級対立の非和解性を労働者階級自身が全面的に認識しうるような宣伝・扇動と実践的闘いが決定的に必要なんだという、僕は今こういう闘いをやらなきゃいけないと、すごく思った。
  合理化によって一切を労働者に転嫁して生き延びようとする資本主義を、本当に労働者自身の手で打倒しようという形で、今の自分の職場の闘いということ自身の方向性もあるなと思ったんで、今日の『国家と革命』の学習自身が、ものすごく重要だと思ったということが今日すごくよかった。

●W

 今日の講義を聞いて、プロ独をする、労働者が権力をとるということが、労働者自身の欲求なんだということだと思います。資本と労働者は和解できない。検修外注化も必ずそこに行き着くんだということでもあると思うし、利益を上げるためには労働者を最後はモノのように扱っていくというところに資本というのは必ず行き着く。労働者は、そういう資本と和解することはできない。最後は権力をとって、自分で社会を動かしていくという本質的な闘いにならざるを得ない。その労働者自身の自己解放的な決起を抑え込もうとするものとして体制内的なものがあるし、そういうものとの闘いということだと思います。
  話を聞いてて思ったんだけど、『蟹工船』の話もそうだし、パリ・コミューンもそうだし、あるいは戦後革命、ゼネストという中で日共が最後屈服して、GHQの弾圧をとおして労働者の決起を抑え込んでいったということもそうだけど、労働者自身が資本と非和解的な関係の中で決起して立ち上がっていく中で、党の側が本質的な関係をしっかりと踏まえて組織するという観点がなかったら敗北するということだと思います。

●講師

 非和解性という問題は、結構労働者階級は資本の攻勢なんかで理解しているんです。検修外注化の問題も実際にガンガン攻撃がかかってきて、労働者の現場でみんな討論している。それがこれまで全然爆発していないのはなぜかと言うと、体制内派が全然課題として取り上げない。国労なんかバンバンやられているけど、ストライキも何もやらないという。
  今回初めて動労千葉にガーンとかかってきて、動労千葉の労働者が激怒して決起したのを見て、それで、俺たちも怒っていいんだと、じゃあ今までやらなかったのは何なのかということで、体制内派指導部の問題性ということがまたあぶり出されてくる、そういう構造になっている。労働者が理解していないんじゃなくて、体制内派が理解した上で闘争を組織しようとしないという構造があると思う。だから、どこかがこれは非和解的闘いだということで決起してバーンとぶち抜いちゃうと、全労働者が立ち上がるという構造になっている。
  今度の検修外注化問題というのはほんのわずかの闘いじゃない、数年におよぶ闘いで、この闘いでもってあらゆる労働者が自分たちと同じ問題だと考えて決起する、この外注化問題は一部分の問題じゃない、全体の問題なんだととらえて、あらゆる戦線であらゆる職場で、労働者がこの動労千葉の闘いを見て決起する、動労千葉がまさにその結集軸になっていくという、そういう画歴史的な闘いなんだという位置づけをしています。
  そういう点では、非和解性の問題ということをしっかり押さえて決起する労働組合が1つあるかないかで、世の中が本当に変わる情勢になったと言えると思う。

●W

 レジュメ11nの所で、政治闘争になかなかできないというのがあって、労働者は闘って負けたくないからいろいろつながりたい、どんどん闘いを広げたい、そういうふうにみんな思っていきます。そういう中で、勝つためには党が必要だと。そういうふうに必ずなっていくし、そういう中で勝つために、妥協を主張する指導者に対して徹底的にそれに抵抗して闘っていくという自己解放的な決起であるし、だから革命党としては、資本と労働者は非和解なわけだから、必ず最後は暴力的に資本は来るわけで、国家というのはそういう本質を持っている、それを打倒して、労働者が本当に権力をとって社会を変えていくという本質的な闘いを、労働運動の指導部の側が、あるいは革命党の側が、そういうものを本当に解き放つものとして、暴力の問題、プロ独の問題、労働者の国家を樹立しなくちゃいけないという問題とかを真正面から展開していくことが大切かなと思いました。

●I

 今資本主義が一切の余裕をなくして労働者に対しては社会保障政策とかそういうものを投げ捨てて、単なるモノとしてしか扱わない。働かない者は、ハッキリ言って殺してしまってもいいというのが、今の民主党、鳩山=民主党・連合政権です。
  民主党は5、6年前の保安処分をめぐる国会闘争で、社会全体でもって犯罪だとかそういうものを防げばいいじゃないか、そういうことを言って、当時の与党の小泉の諮問による保安処分制度に反対した。その正体が今ハッキリした。社会全体で障害者を取り込み、それによって犯罪を防ぐ、これこそがレジュメ7nの「衝突の緩和」「『秩序』の枠内にたもつ」ことだと思う。
  また、それに飛びついている連中が、日障協とか自民党系とかあるいは共産党系の障害者団体、そして塩川派グループです。ただ、その中に入っている障害者や精神障害者は別だと思います、労働者における中央執行部と現場との関係でもあると思う。彼らは、例えば国鉄1047名解雇撤回闘争とかやらない。政治的に和解して金を貰ったら、それで終わるわけです。ところが、1047名闘争というのは解雇撤回をとおしてこの社会を倒す、資本主義を倒すということだと思う。そういう点で、障害者においても分岐はすでに激しく始まっている。

●a

 『帝国主義論』は、当時の時代認識の本という形で書かれた。それで『国家と革命』は、プロレタリア革命の決起論をつくるんだと思うんです。それはなぜかと言ったら、『帝国主義論』の時に配られた年表を見ながら、パリ・コミューンからロシア革命までのイメージを持ちながら聞いていたんですけど、1871年のパリ・コミューンをマルクスがどういうふうに考え、レーニンが、それをどう実践的に「国家と革命」論に総括したか、それこそロシア革命をやる過程のすごさを、改めてすごく現代的に受け止められた学習会だと思っている。
  それは一つは、私たちはよく、非和解的だとか非和解というのは簡単に言うし、実際に私はそう思っている。だけど、それを説明するのが一番難しい。
  それから、具体的に闘争化するのが一番難しい。その原因はハッキリしている。やっぱりスターリン主義の問題だったり、それから最大の問題は、国家を打倒する、プロレタリア権力を樹立するという、それこそ日本プロレタリアートにとっては、様々な歴史の中ですさまじい、直体験はしないけども、いろんなことを歴史の中で学んだり、その中を乗り越えていくことだから、その辺の恐怖感もある。今、新自由主義の破綻の中で、労働者が陥っているのは、勝てないんじゃないかということ。実際、簡単には勝てないという現実はある。それを、プロレタリア階級が決起して、国家を打倒して、プロレタリア権力を本当に独裁的に樹立するところにいかなければ、この闘いは勝利しないんだというところの説明を、同じ時代の中に生きて、まだ経験していない私たちが、どうつくっていくのかというのが党の問題だし、それから私の感覚で言えば、ロシア革命の時に、簡単なスローガンで最初は労働者は決起して、そしてソビエトやコミューンをつくっていき始めたというように、一点のスローガンで結集するものを、どうリアルにつくっていくのかという過程だと思う。
  動労千葉の2・1−2の検修外注化阻止のストライキを、私たちは8万枚のビラを全国に流すことによって訴えることで、ひとつはくさびを打って、動労千葉の闘いをやってきた。それを自分の感覚で、あるいは自分の地域で、本当に自信を持っているんだけど、獲得的にまだやり遂げられていないというところでは、すごく今日の学習は決定的だった。とくに革命決起論を、私たちは今まで革命をやろうとか、生きさせろとか、いろんなスローガンの中で、まだまだ自分の言葉で語り切れてないところを、今日もう一回後ろから押されるような気持ちで学びました。
  非和解性を徹底的に明らかにしようということと、今のスターリン主義および体制内派を打倒していくということは、本当に闘いの中でしかないということがもう一方で言われているんだけど、その闘いをどうやってつくっていくかを考えることしかないと思っています。革命への決起論を本当につくっていかなくちゃいけないなと思いました。

●Z

 非和解性という事柄を本題として、日和見主義あるいは修正主義、そういうものの発生というところがそれ自身としてものすごく大事だということを、改めて。つまり、ここのところでオルグの現場で日和ったら、結局カウツキー主義であり、塩川一派になる。
  労働者がやって実際にできるのかどうかという問題に関して言えば、マルクスが研究できるのはフランス革命しかない。
  それに対して、『国家と革命』を書くレーニンの前には、マルクスが研究した成果と、それから48年の革命と71年のコミューンがある。
  われわれの前にはさらにその上に、ロシア革命の教訓もあり、ドイツの革命の敗北の教訓があり、さらに戦後革命の敗北の教訓がある。そういう意味では、われわれが綱領草案を持った今、労働者が権力をとって、実際革命をどうやるのか、どうやって支配を打ち立てることができるのかという、この執念的執念みたいなものが一番大事なんじゃないかと改めて思いました。
  それから、プロ独という言葉を、もっと議論の中に出すべきだと思う、今日の提起からしても。70年前後くらいの話だけども、日本共産党の入門書というのは、エンゲルスの『空想から科学へ』だった。あそこの中で書かれていることは、国家を階級和解の機関とするのか、階級非和解の結果と結論するのかというところで、社民主義、当時だったらラサール派なんかがあるわけだけども、社民主義と共産主義が分かれて、そして国家は直ちに廃止すると、プロレタリア独裁を認めるか認めないかで無政府主義とマルクス主義に分かれるんだという説明をしている。あそこの所は非常に大事で、われわれはエンゲルスのは振り分け的な言い方じゃないかというので、真っ向から『国家と革命』をやった方がいいということで、われわれはこの『国家と革命』で文字通りオルグした。だから、もっとプロ独について議論した方がいいんじゃないか。やっぱり制圧性ということは必要、ねじ伏せるというようなところが、反革命を。民主主義もなにもない、革命的暴力だというときは絶対にある、ハッキリ言って。

●講師

 ねじ伏せるというのは重要です。要するにプロ独になったら、その段階でブルジョアジーの抵抗をすべて粉砕する、反革命の抵抗を暴力的に粉砕するということはハッキリしているわけです。その後に、民主主義の問題というのは出てくるし、経済建設の問題というのが出てくる。だから、プロ独の最初の任務は、やっぱりブルジョアジーの抵抗を暴力的にねじ伏せるということだと思う。

●E

 僕もレジュメ3nの「『国家と革命』をプロ独論として学ぶ」というふうに出されていて、どういうことなのかというものすごく興味があって、結論は、それが非常に分かりやすくて、分かってよかった、イメージ通りなんです。レジュメの中で、『甦る労働組合』の引用を出されていて、『国家と革命』と階級的労働運動との関係が整理されて出されたのが重要だと思っている。
  日和見主義が労働者階級の革命性を否定するというか、闘っても勝てないんだというところで全部革命を否定していくというところもそうだし、スターリン主義なんかもコミューン4原則というところの問題もそうなんですけど、ブルジョア国家とプロレタリア国家というか独裁の違いが、大きくは4原則というところで違う。その中で、レーニンが実践して結構苦闘する中で後退するというか、そういうところも出てきたという面と、スターリン主義はそれを正当化していく、コミューン4原則を貫徹するのは困難な状況を正当化して、これは正しいんだというふうにして、それで根本的には労働者階級がこの社会を動かしているというところを否定していく、マルクス主義の解体に行き着く問題があって、そこを突破していくものが重要だと思う。
  だから、『国家と革命』は、「プロ独を承認するかどうか」というところが重要なんだということが分かってよかったです。

●M

 私も、今日面白く講義を聞かせてもらったんですけども、この間私たちは、絶対反対論と階級的団結論と言うわけじゃないですか、職場闘争だと。それが、プロ独という、真のマルクス主義者、プロ独ということが、具体的な階級的労働運動を現場でやるときのキーワード、『国家と革命』は、それに貫かれているなと改めて思った。
  例えば、私たち何でも反対、絶対反対ですよね。あなたたち、いつも反対なのね、とか、すぐ打倒、打倒って何でも打倒。とくに民主党政権が出た時なんかは近場でも論議になった。ある共産党員だった人には、『前進』2425号の大倉総一郎論文の中で、労働組合運動を主語にして戦後を総括するみたいなところがあって、今の外注化阻止決戦、合理化絶対反対というところにもっていっているところが好評。あの論文もよくよく読んでみると、本当にやっぱりそういう精神に貫かれているなと。
  つまり私たち、今日の中でも、プロ独を認める者のみがマルクス主義者だという話とかいろいろ出てきましたけども、そういう格闘を今しているんだなとすごく思うんです。2・16が本当に奴隷的屈服みたいなのがハッキリしている中で、2・13集会のような、外注化絶対反対、1人の仲間も裏切らないという闘いをやっている。で、国労の組合員が2人、考え抜いて、私も組合運動をやっていたから分かるんだけど、自分が所属していた組合を一旦やめて新しい所に入るというのは大変なんですよ。まさに苦渋の選択だと思う。でも、もうここだって言い切って、晴れ晴れして2・1の総決起集会に参加している人たちを見るにつけて、私たちが今格闘しているのは、まさにプロ独というか、暴力革命というところに向かっての闘いをやっているんだとすごく思うんです。
  だから、和解路線を粉砕するということが今、分割・民営化もそうだし、トヨタの破産から含めて、本当に資本主義が、日帝が立ち行かなくなったという意味では、もう崖っぷちどころか垂れ下がっているなという時に、その中で向こうも、大政翼賛で取り込むということですごくイデオロギッシュだし、まさに暴力でくると思うんです、これから。その時に、プロ独・暴力革命の思想でやるんだというマルクス主義の思想が、今の労働運動、階級的労働運動に貫く精神、構えとしても一体だということを、今日すごく共感をもって聞きました。

党学校通信 p17-28  受講レポート

受講レポートから ★『国家と革命』(上)のレポートです。

【a】

 前回学習した『帝国主義論』による革命的時代認識の確立に続いた本論は、まさにプロレタリアートの革命への決起論の書である。階級としての決起であるという点では、パリ・コミューンの具体的な教訓、そしてロシア革命への実践過程を現在進行形の中で書かれている。『共産党宣言』〜『帝国主義論』→『国家と革命』は、プロレタリア独裁−世界革命をかちとる党の綱領草案の生命線である。−労働者が権力を握り、自己解放していく思想と道筋を明らかにしたプロ独−暴力革命が提起された。
●「国家の問題は…特別の重要性をおびつつある」とは、第1版の序文の冒頭である。誰もが認められる中での革命情勢の中で(1917年)、カウツキー主義者を相手にこの「思想と道筋」の“プロ独論”である。労働者が資本主義を打倒しない限り生きられない今日において、極めて決定的な提起である。
  鳩山・民主党しかり、オバマしかり、資本主義は延命できない。全世界で展開されるスト・工場占拠の中で、プロレタリアートの闘いを押し込める側に回り、またそこにくっつきサポートする労働組合指導部、「エセ左翼」塩川派は、プロレタリア革命への敵対者であり、反革命である。国家を打倒するか、資本主義の中で奴隷になって死に絶えるかだ。
●階級対立の非和解性、産物としての国家、このことは“徹底した「非和解性」の本質と怒りが、自らの自己解放性”と「国家の打倒」=プロレタリア権力⇒共産主義という道筋の解明であり、プロレタリアートの本分が革命の主体であること、またその能力を唯一有していることを明らかにすることなのである。だから、資本家や国家と闘うことの中で、労働者は「完全に理解する」ということは本当に実感できる。その中で、階級的団結が「国家打倒」「プロレタリア権力」ということが階級として形成される。
●党の役割、そして労働組合運動が決定的!プロ独に向けて
  レジュメ20nに書かれているように、労働者の革命的存在・役割に依拠して労働組合がプロ独に向けてのあらゆる準備を行うこと、前衛党の指導者に労働者を獲得すること、各1000人のマル青労同・マル学同を! そして、今まで関わりあった、支持してくれた人々をこの思想で組織することを改めて決意しようと思う。
  なお、ソビエト(ロシア革命におけるソビエト)のことを次回でももっと聞きたいし、紹介して欲しい。

【M】

 ・「国家とは」「暴力革命とは」「プロレタリア独裁とは」、いずれも今日の全党派(日和見主義勢力)との激突点であり、それを今日の階級情勢に引き寄せて、どう論争し獲得するかという問題意識に貫かれていて、すごく理解が深まった。
  労働者と資本家の関係は非和解ということは、結論は暴力革命に行き着く。そうでなければ、闘いを組織することはできない。日帝の危機が深まり、最後は暴力に訴えて労働者階級の決起をおさえこむ。
  「独裁」という言葉に違和感を持つ労働者も多いが、ブルジョア国家を廃絶するには、唯一プロレタリア権力が打ち立てられなければならない。その廃絶の過程では、暴力革命が不可避ということだ。
  絶対反対論、階級的団結論こそ、このプロ独を打ち立てる唯一の労働運動路線だということが、ますますはっきりした。

【y】

 今回の『国家と革命』の講義では、階級的労働運動を推し進めていく上で、資本家と労働者の関係の非和解性を徹底的に明らかにしようという提起がされ、議論が活発になされた。ここが、体制内指導部と全面的に対決して、職場に動労千葉派の団結を打ち立てていく上でのカギなのだと感じました。
  今日の資本主義は命脈が完全に尽きてしまい、社会を成り立たせていく上で必要なことを全て破壊してでも、非正規化を進め、利潤をあさり、生き延びようとしている。この現実に対して、労働者の間でこれ以上ガマンならない怒り、憤激が高まっている。具体的な現場での派遣切りの話を聞いても、怒りを覚えた。
  われわれが生きるためには資本家を打倒して、労働者が権力を握り、自分達の手で社会をつくるしかない。ブルジョア国家を暴力的に打倒して、プロレタリアートが支配して取って代わる以外に未来はない。このことを明確にしながら、実際の労働者の具体的で切実な問題と密着して、闘争と団結をつくりたい。動労千葉の反合・運転保安闘争に学び、資本主義との非和解性、プロレタリアートの独裁をめざす職場の団結をつくりたい。

【b】

 「労働者階級と資本家階級の非和解性をハッキリさせる」実践が、革命とプロ独を実現していく過程であるということが、講義後の討論で焦点となり、この闘いをつくっていくのがなかなか難しいという意見もありましたが、僕自身もそれを実感しています。
  最近自分の大学でも、サークル闘争の中で「教育の民営化(私物化)」を端的に表すような攻撃をかけられたにもかかわらず、これに対する当局への怒りをサークル員となかなか共有できないという現実があります。断固ここを突破して、「教育の民営化」を粉砕していく、階級的団結を自分の大学につくっていくという思いですが、それとは別に、法大闘争4年間の闘いのデカさを改めて実感するということがあります。
  06年の3・14弾圧から、誰の目にも明らかに学生と法大当局・権力との絶対非和解の闘いとして法大闘争は始まりました。自分自身も逮捕され、公安警察・検察に取り調べを受け、裁判にも出廷する中で、法大当局・権力に対する非和解性と同時に、こんな奴らは打倒できるという感覚をつかんできました。この4年間で、本当に多くの革命家が輩出され、それがこれからもそうであることは間違いありません。
  その上で、非和解性を実感するだけではだめで、やはり社会に責任をとっていく立場に立つためには、今日の講義の内容である、国家とは何か、プロ独とは何か、共産主義社会はいかに実現されるのかということについて、マルクス・エンゲルス・レーニンの著作で表されているところの、これまでの階級闘争の総括から必死に学ばなければならないと感じました。
  今日の講義では、パリ・コミューンの様子を詳しく提起され、また次回はロシア革命の総括ということで、非常に楽しみです。

【I】

 今日の講義は、非常に現在の私たちにとって重要なものだと考えます。「生きさせろ!」とか「労働運動で革命をやろう!」という青年労働者・学生のスローガンが単なるスローガンではなく、マルクス主義・レーニン主義に裏打ちされた路線であり、新自由主義の破綻から暴処法、検修業務外注化の攻撃で「むき出しの姿」をあらわしている資本主義−体制内派を串刺しにして、プロレタリア世界革命へと向かう理論であり、そのマルクス主義の実践であるということを肌身に感じて納得しました。
  『国家と革命』、このタイトルは、国家とは資本の労働者への支配と搾取であり、上からの階級支配の道具であること、そしてそれを打ち破る革命−世界革命に至る階級闘争が唯一正しいものであることを示していると考えます。その中で、資本家階級と労働者階級との非和解性を明らかにし、労働者階級の団結こそが勝利の道であることがハッキリしました。
  ロシア革命で「パン・土地・平和」を要求する闘い、それこそが現在の1047名解雇撤回闘争であり、法大解放闘争だと率直に思いました。その意味で今日、革共同が綱領草案を提起した意味は絶大だと思います。現代の『共産党宣言』であり、『国家と革命』に他ならないと考えます。
  私が今日再認識したことは、パリ・コミューンの革命性と、その後のマルクスの総括である「4原則」の革命性です。ここに単なる学者を超え、労働者と共に生き、闘ったマルクスの偉大さが示されており、それを引き継いだレーニンの革命性もまた明白です。労働者全体にたいする確信があったからこそ、そうなのだと教えられました。
  今ひとつは、動労千葉がいかに素晴らしいのかも痛感しました。その現実的実践・組織のあり方、全てがマルクス、レーニンの提起したソビエトに限りなく近いものだということです。
  今日の講義で改めて、革命を「彼岸の彼方」に追いやった「4者4団体派」や「塩川派」の反革命性も明らかになりました。今日、鳩山=民主党・連合政権が一切の余裕もなく、労働者を「モノ」としか扱えない今日、それを打倒するのではなく、「和解路線」へと走る彼らとの大党派闘争こそが、労働者の団結を生み、プロレタリア世界革命へと前進するにもかかわらず!

【B】

 今回、『国家と革命』を学習して本当に良かったと感じています。
  新自由主義社会といわれている中で、私たち労働者のおかれている状況は、「生きさせろ」という一語につきます。資本のなりふり構わぬ攻撃、非正規職化を始め賃下げ・サービス残業強要というような中で、今回講師の強調されていた国家の暴力、直接的に警察の機能、これに対し具体的に数をあげ、労働者・大衆が決起した時に押さえられないこと、イメージがわきとてもよかったし、勝てると思った。
  また、体制内労働組合についても直接的ではないがと国家的暴力といわれたのは意外だった。党派闘争的観点でしかとらえていなかった。
  国家についても明確にとらえることができた。資本と国家の関係について、民主共和制的にとらえることができた。
  日和見主義についてよく分かった。今一番の問題だと思っています。

【Y】

 @『国家と革命』をプロ独論として学ぶ、ということの重要性を理解することができました。当時のレーニンの問題は、革命の真っ只中で、そこではびこっていた日和見主義のエセ国家論・革命論を粉砕し、ロシア労働者階級をプロ独の思想で武装することが、ロシア革命の成否のかかった重大な課題だったということ。息詰まるような当時の階級攻防の中での、レーニン自身も含めボルシェビキ−ロシア労働者階級の決定的な飛躍をかけた闘いだったのではないかと思う。
A日和見主義の国家と絶対に“闘っても勝てない”という敗北主義、コミューンを敗北主義的に総括し、それを引きずって、2月革命で帝政を打倒したロシア労働者階級の革命性、彼らこそ革命の主体であることを否定し、プロレタリア革命−プロ独の担い手であることを否定しつづける日和見主義へのレーニンの怒りの激しさを『国家と革命』のなかに見ることができました。
B階級間の非和解性について。ここは、プロレタリア革命−プロ独ということをつかんでいく上で、きわめて重要な土台をなしていると思います。“相手を打倒しなければ、自分が生きられない”という関係、職場においてこそ、この関係は日常的に闘争のなかにあらわれてくる。この非和解性がはっきりさせられ、それをつかみとっていったとき、プロレタリア革命へといくし、労働者は革命を理解するのだと思います。
  そういう意味で、『甦る労働組合』のなかでもいわれているように、「労働運動も革命運動の一翼だ」となる。この非和解性を職場において、労働者がこれを全面的に認識できるような「宣伝・扇動」が必要だし、そのための実践的闘いをやろうということだと思います。

【W】

 大恐慌が深まり、労働者階級の歴史的な決起が開始されるなか、国家についての明確な立場が不可欠となる。
  労働者階級は、既存の国家の中で自己解放をかちとることは絶対にできない。資本と労働者とは絶対に非和解の関係にある。資本が資本として生き延びていくためには、労働者をどこまでも搾取していく以外にない。
  こうした中で、労働者階級が自己解放し、労働者自身の手で人間的な社会を建設していくためには、賃金奴隷となることを暴力的に強制するブルジョア国家を打倒し、プロレタリア独裁を樹立することが不可欠である。それは、労働者階級自身の本質的欲求である。
  『国家と革命』は、こうした観点から、労働者自身の決起を押さえ込もうとする体制内派との闘いの重要性を改めて認識させるものであり、本物のマルクス主義者かどうかをフルイにかけていくものであると感じた。

【i】

 非常に興味深い講義だった。いくつもあるが、コミューン4原則に関してのみ記してみたい。
  コミューン4原則はもちろん知っていた。しかし、4原則はあまりにユートピア的ではないか、というのが長い間の率直な私の感想であった。そこにはスターリン主義の現実からくる、プロ独国家=比類なき専制的抑圧国家のイメージが大きく影響していると思う。
  だが講師は、4原則を貫徹することは「極めて簡単」で「すぐに実行できる」と言い切っていた。そして、それが大変に説得力を持っていたのだ。
  説得力の源泉はどこにあるのだろう? それは、労働組合の革命論的意義の把握ということに根拠があると思う。
  「4原則の貫徹は、やはり労働組合の強固な確立の下での労働者の階級意識の成熟、社会的・文化的能力の発展にかかっていることがロシア革命の経験で明らかになった」というくだりである。しかもそれが、動労千葉という具体的なモデルに基づいて語られているところが説得性をもっていたのに違いない。
  今期党学校の開始時でのレポートで、「『動労千葉は民同だ』などという輩がわが党にいたのが信じられない」という主旨のことを私は書いたが、動労千葉型労働組合運動が「プロ独」をも射程に入れたものである(少なくとも中野顧問はそうであった)ことまでは読み取っていない私の感想であったこと、猛省しなければならないと思う。
  労働組合の役割を中心に据えると予告された次回講義が楽しみです。

【T】

 階級的労働運動路線で『国家と革命』を読み込み、プロレタリア革命−プロレタリア独裁への道として階級的労働運動路線が位置づけられたという内容であったということで、非常に重要な提起がなされたと思いました。
  まず冒頭で、世界(特にヨーロッパ)のマルクス主義潮流がイラク反戦闘争の前段でどのように凋落と転向に陥っているのか、この間の日米韓の国際連帯の拡大や綱領草案の地平の説明は大変わかりやすかったです。
  次に、国家をめぐる認識の基礎として、階級対立の非和解性をゴリゴリと確認することに大変解放的な感覚を感じました。ここにマルクス主義の核心があるんだと思いました。
  今回の提起で一番の核心は、レジュメp19の「コミューンの基盤の今日的形成」の所だと思いました。マルクス主義で武装した労働運動、労働組合をつくることが、革命への最短距離なのだと本当に思いました。逆に言えば、これまでの総評労働運動は、「マルクス主義」を学習しながら、階級の非和解性もプロ独の主体的提起も全くなかったのではないかと思います。本当に国家権力をとる労働運動が広範に登場すれば、革命は現実のものになるのだと思いました。我々労働者階級は圧倒的に多数派なのだから。

【n】

 「プロレタリア独裁」について、何度も学習してきていたが、今回改めて学習したというか、初めて中身が判ったというのが、正直な感想です。
  国家が階級対立の非和解性の産物であり、これを我々労働者階級が暴力革命とプロ独の樹立で打倒・粉砕する。そのために、この非和解性を労働者階級に全面的に暴露していく宣伝・扇動を実践的な闘いで組織していくことがきわめて重要な闘いだということが、良く判ったです。
  自らが職場・地域で、これをどう実践していくかが、まだ明確ではありませんが、その闘いを進んでいこうとは思いました。

【g】

 「プロ独を承認する人だけがマルクス主義者である」ということが今回の党学校で鮮明になりました。
  特に、“プロ独”を勝ち取っていくために、職場・キャンパス・寮でどう闘うかが、『甦る労働組合』や討論の中でハッキリしたと思います。階級的労働運動路線は、資本との非和解性を明確にして、労働者の団結で職場支配権を奪い返す。非和解とは裏を返せば資本の打倒であり、日和見主義の「資本には勝てない」「労働者・学生には力がない」との対決になる。職場・キャンパスで、たえず資本・当局との非和解性を宣伝・扇動して、組織化・実践が重要だと思います。
  実際、学生運動でも“非和解”が問題になります。資本・当局と非和解性が鮮明になれば大衆運動の爆発や決起として獲得できるし、ここの勝負が壁になっていると思います。
  さらに、労働者が勝てるというイメージを示すことが重要というのは、まさにその通りで、この『国家と革命』のような論議を現場にあわせてどれだけできるかが、革命家の使命だと改めて思いました。

【U】

 一般に人と話をしていると、国家をデカ写しにして、「国家を打倒するなんて不可能なんじゃないか」と言う人が多い。
  また、このことをロシア革命や今回講義で触れたイラン革命などを例示しても、それを納得か留保した上で、「それでも結局、ソ連や中国、北朝鮮のように官僚が上に立って人はそれに従わされるだけになる」と言う人も多い。
  このような考えを打倒するためにも、『国家と革命』などの本の学習会は非常に重要であり、学習会を組織することの重要性を今日実感した。
  それと同時に、現実にプロ独を樹立し、運営するためにも、動労千葉のように階級的労働運動を実践すること、そしてそれを拡大することが決定的である。
  昨年11月集会は、アメリカ、韓国に加えてブラジルからも参加があり、このようなことからも、レーニンの時代よりもずっと世界革命の実現が達成可能であることを実感できるものであった。
  最後に、いつも党学校のたびに思うことだが、党派闘争が重要である。とりわけ今日、4者4団体派や塩川派が現政権=民主党打倒を決して言わない姿を見ていると、この「国家」の問題は、まさに党派闘争の我々に有利な戦場であり、奴らをここに引きずりこんでねじ伏せる恰好の舞台だと思う。

【e】

 ○発言したことも踏まえて。『国家と革命』の全面的な提起を受けて、この論文が、労働者階級の革命性への確信に裏打ちされた実践的総括の書だと思った。徹底した総括を通して、革命の現実性が鮮明にされています。あえて言えば、内容以前に総括することの重要さを感じた。
  48年革命とパリ・コミューンを総括したマルクスであり、その歪曲から甦らせたレーニン。さらに、ロシア革命の経験と総括を、我々自身がやっていくということが、次回の課題なのだと思います。
○討論であった、「我々以外に『国家と革命』に空気が入る党派はいない」というのは、階級闘争における革共同と『国家と革命』の位置を示すものとして、的を射ていると思った。だからこそ、『共産党宣言』(から『資本論』)から『帝国主義論』、そして『国家と革命』としてトータルにとらえていくことができるのは我々だけであるし、それが決定的な理論的武器になるのだと思いました。
○全体を通して、やはりスターリン主義を打倒することが、日々のオルグと実践の中でもそうですが、今決定的に問われていることだと思いました。

【r】

 考えがあまりまとまっていませんが、大恐慌下で『国家と革命』から学びとる事としてプロ独を復権することが階級的労働運動を実践する中で、階級の中に持ち込む決定的好機が来ていると思います。
  本多著作選の「レーニン主義の継承か解体か」を随分昔に読んだ時、確か党はプロレタリア独裁を承認するか否かが、カクマルのような日和見主義に転落するかどうかの決定的な問題であると書いてあった気がします。今、党と労働組合の一体性をつかみとる地平に到達し、動労千葉労働運動=階級的労働運動を職場やキャンパスで実践していく中で、必ずプロ独をつかみとる気運が、階級の中で高まっていると思いました。
  非和解性をはっきりさせることは、非常に実践的であり、日々現場の闘いで問われ格闘している事ですが、ここにこそ、まさにプロ独への階級の希求があるのだと思いました。そして、だからこそ党が目的意識的に、この『国家と革命』で言われている核心を訴え続けていくこと、階級が自らの力を自覚するための努力をする事が、プロレタリア革命をたぐり寄せるのだと思いました。
  もっと、より実践的に『国家と革命』を学ぶ努力をしていきたいと思います。

【C】

 「労働者階級と資本家階級は非和解である」、あるいは「日和見主義者とマルクス主義者は、プロレタリア独裁の思想をもってあいいれない」、このことを強烈に確認できる学習会であったし、この原則から、国家とは「非和解の産物」であり、打倒対象そのものであることが鮮明となりました。
  自分の中では、ある種、国家=資本、資本家階級ともいえるぐらいの強烈な敵がい心が生まれました。だから、職場で闘うということは、経営者=資本家、つまりは国家そのものを打倒するような闘い、死闘であると認識できました。
  まさに、搾取の限りをつくし、団結破壊の限りをつくす資本を、労働運動の力で打倒することはプロレタリア革命そのものと思います。だから、職場闘争と革命運動は直結すると思いました。
  動労千葉が勝ち抜けたのも、階級的労働運動路線も、プロ独樹立を目指す労働運動であるからこそ可能と思いました。職場で、職場支配権の奪取と結合して、政治闘争も一体の闘いとして、プロレタリア革命でプロレタリア独裁権力を樹立する、すごく展望のみえる学習会となりました。

【E】

 レジュメにあった“『国家と革命』をプロ独論として学ぶ”ということが決定的だと思います。それは、『国家と革命』を階級的労働運動路線を実践してきた地平があるから、かなり理解しやすいものになってきていると思います。
  プロ独の基盤は労働組合であること。だから、プロ独を樹立するためにも、日和見主義、体制内派、スターリン主義と徹底的な党派闘争が絶対に必要であり、「絶対反対論」「階級的団結論」に基づいた(=『国家と革命』における第1章の内容だと思います)階級的労働運動を発展・拡大させることが必要であり、唯一の道であるということです。

【G】

 今日の大恐慌の下で革命の問題が現実化する中で、『国家と革命』を学ぶ意義を改めて感じることができたと思います。この資本主義社会の中で生きている労働者、学生、農民、すべての被抑圧人民の怒りをどのようにして革命に転化するのか、ということが問題になっていると思います。
  ひとつは、非和解性ということについて、ブルジョアジーとプロレタリアートとの非和解性をはっきりさせ、そのことによって全人民の普遍的な解放の道を明らかにしたと思います。同時に、日和見主義の発生の根拠についてもわかりやすく提起されていると思いました。一方では、非和解性ということだけでもだめで、プロ独ということを承認しなければ、結局日和見主義に転化するということも改めて認識させられました。
  討論でも出されましたが、現在の労働者をはじめ資本に怒りをもつすべての人民の組織化を実践していく場合、必ずぶつかることとして、労働者の支配権力を樹立する能力の問題(講師の提起で、ブルジョアジーがつくりだした虚偽のイデオロギーの粉砕)やスターリン主義の問題(現在のエセ社会主義=反革命の存在であるスターリン主義=社会主義の払拭)なども、次回のロシア革命の総括を学ぶことを通して確信をもつことができると思います。
  講師が強調していた「労働者階級の勝利の展望、労働者階級のもつ能力=資本主義を打倒し、次の社会をつくることができることを理論的、歴史的に明らかにしていくことが必要だ」という問題意識が学習の中で貫き通されていて、わかりやすかったと思います。
  また、現在の党と階級の現状(主体情勢)についても、大きな前進を闘いとっているということが、ロシア革命当時のボルシェビキと比較されていたので、われわれの勝利的前進ということが浮き彫りになっていると思いました。
  自分としては、コミューンの経験、ロシア革命の教訓についても、一層深めていく契機にしなければと思いました。
  感想としてまとまっていませんが、とにかく階級的労働運動路線の前進とがっちりリンクするかたちで提起されていたので、すごく聞きやすかったというのを強く感じました。現在の“国家と革命”として論じている意識が聞く側にとって理解しやすいということだと思います。そういう意味で、すごくよかったです。

【j】

 ・すばらしい内容提起ありがとうございました。個人的には、パリ・コミューンの具体的な事実が豊富に展開され、とても勉強になりました。
・第5章「国家死滅の経済的基礎」の章に、最近問題意識を深めていますが、その点でも、階級的労働運動的観点に貫かれた提起に得るものが多かったです。
・ソビエトの主体的基礎が階級的労働運動路線にのっとった労働組合の樹立にあること、プロ独の立場に貫かれた職場・生産点の闘いの重要性に関して、改めて教えられました。

【D】

 『国家と革命』は、プロ独論−プロレタリアートが社会を運営できる、変えられるということ。国家論−ブルジョアジーがプロレタリアートを支配し、搾取するための機関。あらゆる闘いを政治闘争に組織し、政治権力を奪取しなくてはならない。
  また、「パン・土地・平和」のスローガンが非和解性を明らかにする闘いになり、国家権力と対決するところまで行く。そして、『国家と革命』の内容で組織する中で、「全権力をソビエトへ」「臨時政府打倒」の闘いになる。『国家と革命』で闘いを組織するということと、『国家と革命』が通用する闘いを組織する。「民主党・連合政権打倒」と「生きさせろ!」ということ。反スターリン主義論と一体で、「勝てる!」ということ。あらゆる局面で、「意識性」を豊かに貫く指導部の力をつける上でも重要な気がする。これができるようになる度合いに応じて、相当「大衆的な」闘いも位置づけられる。
  今回は自分の中のまとまりがついてない。次回、ロシア革命の総括をやるという所に空気が入る。次回あわせてまとまりをつけておきたい。

【X】

 今回の『国家と革命』の第1回講義は非常に分かりやすかったと思う。第1回講義のレジュメを大切にしていきたい。
  その上で、今回の講義でパリ・コミューンを誰からも教えられず、何かの教科書があったわけではないのに、パリの労働者がパリ・コミューンを樹立したその歴史的創造力の凄さを学ぶことができた。
  マルクスとレーニンが、これこそがプロ独だとしたパリ・コミューンを、労働者階級がつくり出したことの中に、労働者の中に新しい社会をつくる力、歴史をつくる力があることを改めて確信できた。
  その上で、資本と労働者は非和解である。ブルジョア国家と労働者は非和解であるということをトコトン明確にして労働組合運動をしていかなければならない、と強く思った。
  その点で、レジュメ9nの「動労千葉は、これらの攻撃を『非和解性』の全面的現れとして暴露し、労働者にこれと断固として闘うことを呼びかけて闘ってきた。そして実際にストライキを組織し、敵との激突の中で労働者が資本との非和解性を正しく把握するように指導してきた。『非和解性』を明らかにすることで、労働者の階級的団結を強化してきた。プロレタリア革命とプロ独の思想なしにこのような闘いを組織することは不可能だ」としている所は、実践的な参考になりました。

【N】

 わかりやすい講義だった。
  労働者に革命を呼びかける時、@まず怒りを引き出すことと、A勝利できるイメージを伝えること、が大切なんだと再確認しました。
  こうすれば勝てるよ、と展望を示せないと、人はなかなか動かないものだと思う。日本の総人口に対し、圧倒的少数の国家権力の話も具体的で良かった。(←これは明日から話す時に使います。)
  被抑圧階級を搾取する道具として国家がある、ということも再確認しました。プロ独とは何か、その必要性と、どのようにしたらプロ独権力を樹立し、発展し、共産主義社会に移行させることができるか、プロ独が人間解放の決定的テコになる。
  綱領草案の持つ役割が決定的だと思う。私たちの現在の階級的労働運動路線は、まさしくプロ独を最短距離で実現する道だ、とよくわかった。
  団結して闘えば勝てる! 闘って勝利しよう!
  労働者階級だけが革命を遂行する能力があるし、労働者は必ず立ち上がると確信し、明日からも職場で話をしていこうと思う。
  次回が楽しみです。

【Z】

 「書かれなかった第7章」について、革共同的にどういう内容が生まれつつあるのか?ということは、次回(最終回)のお楽しみということなのだろう。ブルジョア国家の打倒→国家の死滅への学説は、「武器としての国家」=プロ独論として、マルクス主義の真髄であるが、同時に、日和見主義との永遠の闘争でもある。綱領草案を得た今、「国家と革命」(マルクス主義の国家論学説)は、レーニンの記した@1848〜52年の革命の教訓、A1870〜71年のパリ・コミューンの教訓に加えて、B「3つの革命」の研究として、発展・深化されねばならない。
  「3つの革命」とは、(A)1917年ロシア革命の経験、(B)1907〜20年のドイツ革命の教訓、(C)1945〜48年の日本の戦後革命の敗北の教訓である。そこには、労働運動と党との関係、支配者階級としてのプロレタリア階級の形成の問題、できあいの国家のとりかえ、ソビエト論などが含まれる訳だが、とにかくも、「書かれなかった第7章」を世に出したいものである。ついでに「革共同による第8章」=「労働運動の力とソビエト形成」(仮題)というのはどうだろうか。
  生産性運動→生産性原理が形式的にも通用した時代→総額人件費の抑制・消滅の現在、体制内派とのQ&A的議論もおもしろいだろう。

【J】

 『国家と革命』には未完の7章があったのだという点に関して、問題意識を強く刺激されました。ロシア革命の総括(05年と17年)を、とくに労働組合の役割という問題意識から是非ともやらなければならないとレーニンが考えていたことは、呂嘉民の仕事を通してもかなりの程度伝わってきますが、本講座がその領域を全体の2分の1の時間(次回の全部)をとって準備されていると知り、感銘を受けています。次回がより楽しみです。
  その上で、本日の講義で「反スターリン主義」の立場からロシア革命史の突っ込んだ検証と総括が必要なのだと講師が強調されたことに大いに同意します。前記の問題(労働組合の革命的再確立)とともに、17年〜24年の間に何が起こったかの総括が、反帝国主義・反スターリン主義の現代革命の決定的な領域をなすわけです。これを検証・総括する作業の入り口は、66年の第3回大会で相当な質量をもって行われ、このあまりの大きさに深い感銘を受けて革共同に結集した若き日々を思い出す次第ですが、この作業は今日の実践的問題意識(日本革命が問題になっている!)からすると、まだ「入り口」に過ぎない。これをやれるのは革共同以外にないわけです。未完の第7章とともに、喫緊・必須の課題であることを示唆して頂いたことは素晴らしいと思いました。

【t】

 非常に重要な講義でした。
  ひとつは、ある歴史的な出来事をどう見るか、どう総括するかというのは、一般的にあるのではなくて、徹底的に党派的なものとしてあらわれるという事だと思いました。
  パリ・コミューンに対するゴータ綱領とのマルクス、エンゲルスの闘いであり、2月革命とソビエトに対するエスエル、メンシェビキの「お願い機関」としてのとらえと、レーニンの4月テーゼから始まる闘い。それに、イラク反戦闘争の高揚と開戦という現実に対する、一方における英仏の「新左翼」諸党派の変質(その中に塩川派的なものも完全に含まれるでしょう)、他方における動労千葉の72時間イラク反戦ストライキと「新指導路線」=階級的労働運動路線の確立、マル青労同の再建へと突き進んでいったわれわれ。
  この最後の党派的分岐は今日に至り、ますます非和解性を鮮明にさせているわけですが、この党派闘争に勝ち抜き、最も断固とした、最もラディカルな存在として自己を登場させ、2000万−6000万労働者階級を獲得し、プロレタリア世界革命を完遂する立場に立った時に、『国家と革命』でレーニンが打ち立てた−復権したマルクス主義(愚直なまでに!と言っていいのではないか?)を学ぶことは、本当に決定的であると思います。
  ふたつに、ではそのマルクス主義の立場とは何なのか?という事です。それは、講師も強調されていましたが、労働者の自己解放性にたいする無限の信頼です。この信頼と確信の上に立って、資本や体制内派の支配への現場労働者の怒りを徹底的に解き放ち、また仲間と共に立ち上がる勇気を与える思想と理論、また宣伝・扇動を行っていく事です。
  「レーニンは、一旦カベにぶちあたろうが、愚直にマルクスが提起したコミューン原則を革命ロシアに適用しようとしたのだ」という講師の提起、すごく良いです! レーニンは、初期の著作においては、『資本論』の丸写しのような文章ばかり書いていたと言います。『帝国主義論』もまた、『資本論』の地平があったから可能だった著作だと思います(これは前回もレポートに書きましたが)。
  最後に、では現代におけるわれわれの任務は何なのか?という事ですが、以上述べてきた事から、おのずと明白です。徹底的であれ。ラディカルであれ。愚直なマルクス主義者たれ!という事です。2010年を、こうした自己=党を打ち立てる決定的な年にしましょう!
  次回の「書かれざる第7章」、とても楽しみです!

【q】

 ・『国家と革命』は、ロシア革命を目前にしたレーニンが、日和見主義によって改ざんされたマルクス主義理論を復権する闘いだったことが再確認できた。その上で、その中で貫かれている核心がプロレタリア独裁論にあったというのは、我々が今迎えている情勢でも非常に重要だと思った。
  国家に対する幻想が、国家への要求運動へとつながり、結局は労働者の闘いを体制内化させて革命を敗北させてしまう。この日和見主義との闘いこそが、レーニンが苦闘し、今我々が直面している4者4団体派等との党派闘争だと思う。
  国家の本質を徹底的に暴露し、国家への幻想を粉砕し尽くすことがそんなに簡単なことではなく、全力で立ち向かわなければならないことは、レーニンの闘いを見ても分かる。
・革命の成否は、「問題は労働者階級が、実践的闘いのなかで国家の本質を認識し、自分自身を解放するために国家に対する態度を明確化して決起することができるか否かだ」(レジュメp4)というところにかかっている。
  そのためにも、スターリン主義によって歪められ、またそれをも利用して広められているマルクス主義=共産主義への間違った理解を、国家の本質を暴露することをとおして本来のマルクス主義を労働者階級の中に復権していくことが重要だと思った。
・「マルクス主義の国家・革命論をめぐる党派闘争は、世界革命の成否をめぐる闘いとしてあった」(レジュメp6)の所は、ロシア革命に勝利したのち、それを世界革命へとつなげていくためにも、レーニンが必死で第2インターの日和見主義と格闘していたんだと思う。
  レーニンは、ロシアの革命(自国の革命)を闘い取るだけでなく、マルクス主義=世界革命の視点で常に考えていたことが分かる。我々も、そうした視点を持ち続けて闘うことが重要だと思った。
・「国家は諸階級を和解させる機関」という小ブル・イデオローグやメンシェビキのとらえ方は、国家を第三者機関のようなものと考え、抑圧機関とは見ていなかったと理解していいのだろうか。【その通りだと思います。】

【f】

 @今回の講義は、『国家と革命』をプロ独論として読むことを鮮明にさせている点で、成功をかちとっていると思います。
A『国家と革命』を貫くプロ独論をさらに具体的・実践的にするために、パリ・コミューンの歴史、ロシア革命の歴史に徹底してこだわるということも極めて重要です。
  ひとつには、「労働者と資本家は相いれない」という階級対立の非和解性の鮮明化。実践的にここの宣伝・扇動を重視する。
  ふたつには、労働者自己解放の思想の復権。スターリン主義、あらゆる体制内思想によって歪められ、解体されてきたこの思想を甦らせる。プロレタリア革命の勝利も社会主義社会の建設も、ここが必ず鍵になると思います。
B『国家と革命』の内容を1回で終わらせるのは困難な気もしましたが、ロシア革命における労働組合の役割を学習するのは、今日的にかなりマッチした内容だと思います。来月の講義も楽しみです。

【R】

 『国家と革命』の位置と意義が良くわかりました。レーニンのプロ独論の確立をかけた闘いとしてあったということです。そして今日的には、世界の階級闘争がフランス第4インターの崩壊をはじめとして、混迷と屈服状態にあり、国内においても一切の体制内派が脱落・逃亡する中で、今ほどこの復権が求められている時はないということです。
  内容的には、いくつもの重要な提起が出されていて、これから学んでいかねばならないことが多かったのですが、次の点を強く感じたので挙げておきます。
  ひとつは、「国家とはなにか」という点で、階級支配が始まる中から発生したということであり、このことは歴史的に見ればごく最近のことであり、短いものだということです。ここでは、自分がこの歴史的存在の一部であり、ここで闘っているんだということを改めて実感するものとしてありました。
  もうひとつは、「衝突の緩和」の意味についてです。
  国家の理解について、私は体制内派よりだったのではないかと驚かされました。国家とは「両成敗」的な形をとって、被支配階級を抑圧するという理解だった。しかし、今回つかんだことは、端から弾圧し抑え込むものとしてあり、労働者階級にとっては、真っ向からの敵としてあるということ。そして、このように国家をとらえることこそが、プロ独論の核心をなすということなのです。

【h】

 レーニン『国家と革命』は、革命情勢の接近という情勢の中で、エセマルクス主義(日和見主義)が蔓延する中で、改めてマルクス主義を復権させて、革命勝利の現実性を示したということだと思う。今日、革共同がついに「綱領」の発表に踏み切ったのと同様の革命情勢の急接近の中で、『国家と革命』を提起した。
  この点で、我々以外のすべての勢力が、帝国主義の崩壊的危機を迎えて、まさに「革命」の絶好のチャンスを迎えているにもかかわらず、おしなべて資本主義の救済者として登場しているのとまったく同じ状況だと思う。したがって、我々は、プロレタリアートにはブルジョア独裁を打倒して、プロ独を実現し、労働者の社会を建設することができるという現実性を明確にすることが絶対に必要だ。我々がどうやってプロ独を実現するのか、プロ独を実現した後はどうするのかを、パリ・コミューンの経験からつかみ取ったマルクスから、レーニンは学んだ。同じように、我々は、パリ・コミューンはもとより、ロシア革命からも徹底して学ばなければならないと思う。
  未完に終わった第7章を我々の手で完成させよう。それは、ロシア革命の経験から学ぶと同時に、何よりも、階級的労働運動の実践をとおして一層豊かに発展させていくことができると思う。第7章を完成させることは、日本の地において革命をやり遂げることと一体である。また、そのような実践的闘いの中で、マルクス主義の一層の深化・発展もかちとることができると思う。やはり、地を這うような闘いの中でこそ、マルクス主義を真に自らのものとすることができるというスタンスが大事だと思う。