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2010年02月号

党学校通信

党学校機関紙 A4判月1回発行 頒価100円

今月の内容 レーニン『帝国主義論』(下)

講義概要 P1-8

★討論から- P9-18

受講レポート P14-28

2008年12月号
通信 バックナンバー
党学校通信 p1-8  講義概要

レーニン『帝国主義論』(下)

後半講義概要 講師 水木 三郎 

第5章 資本家団体のあいだでの世界の分割】

(1)1章の<独占−分割論>、<独占による支配・強制論>、そして2章・3章の銀行の新しい役割と金融資本の定義(金融寡頭制の成立)、それを主体とした第4章、資本の輸出の展開、第5章、第6章でそれが今や、一国内だけではない資本家団体による世界の分割と列強のあいだでの世界の分割として貫かれるところまで資本主義の最高の発展段階である帝国主義の時代は行き着いた。それが現に19世紀から20世紀の境目で現出したことをレーニンは当時のブルジョア経済学者の研究や、あらゆる統計資料を駆使して浮き彫りにしていく。
(2)「資本家たちの独占団体、すなわちカルテル、シンジケート、トラストは、当該国の生産を多かれ少なかれ完全に自分の手におさめることによって、まず第一に、国内市場を相互のあいだに分割する」「資本輸出が増加し、最大の独占諸団体の対外的および対植民地的つながりと『勢力範囲』とが全面的に拡大するにつれて、事態は『おのずから』これらの独占団体のあいだの世界的な協定に、すなわち国際カルテルの形成に近づいていった」「これは、資本と生産との世界的集積の新しい段階、過去のものとはくらべものにならないほど高い段階」「超独占」(岩波文庫版112n)。
(3)「数十億の資本を自由にし、事実上単一の世界的なこのトラストにたいして競争することがいかに困難であるかは、おのずからあきらかである。だが、これらの強力なトラストによる世界の分割は、力関係が−発展の不均等性や戦争や破産などの結果−変化するばあいには、もちろん、再分割を妨げるものではない」(同116n)
  資本家団体の世界の分割が単なる平和的な経済的な問題ではない。政治・軍事・国家間の関係の変化を含む問題として最初からアプローチしている。
(4)「金融資本の時代には、私的独占と国家独占とがいかにひとつにからみあっているか、またいかに前者も後者もともに、実際には最大の独占者たちのあいだの世界の分割のための帝国主義的闘争の個々の環をなすものにすぎないか、ということを、明瞭にみる」(同120〜121n)。「資本家団体のあいだでの世界の分割」と「列強のあいだでの世界の分割」が、前者を土台に後者がといった問題ではなく、むしろ、「これとならんで、またこれと関連して、政治的諸団体のあいだに、諸国家のあいだに、世界の領土的的分割、植民地のための闘争、『経済的領土のための闘争』を土台として、一定の関係が形成されつつある」(同125n)。
  第5章、第6章を一体のものとして、打倒対象である帝国主義のあり方、資本主義の最高の発展段階がつくりだした帝国主義世界の構造と動態について完全につかみきろうとしている。
(5)この立場の対極が、当時、第2インターナショナルの世界的権威・カウツキーの「国際カルテルは、資本主義のもとでも諸国民のあいだに平和を期待する可能性をあたえるもの」という見解。これは、「理論的にはまったく不合理であり、実践的には詭弁であり、最悪の日和見主義を擁護しようとする卑劣な方法である」(同123n)。
  だが、「国際カルテルは、資本主義的独占がどの程度まで成長したか、資本家団体のあいだの競争が何のためにおこなわれているかをしめす」「この後の事情がもっとも重要」「この事情だけが生起しつつあるものの歴史的=経済的意味をわれわれにあきらかにする」(同123〜124n)。
(6)そして最後に、「資本家たちが世界を分割するのは、彼らの特殊の悪意からではなくて、集積の到達した段階が、利潤を獲得するためには、彼らをしていやおうなしにこの道をとらせるからである。そのさい、彼らは世界を『資本に応じて』、『力に応じて』分割する。−商品生産と資本主義との体制のもとでは、これ以外の分割方法はありえない。ところがこの力もまた経済的および政治的発展につれて変化する」「これらの変化が『純』経済的なものであるか、それとも経済外的(たとえば軍事的)なものであるか、という問題は、第二義的な問題であり、資本主義の最新の時代にたいする基本的見解をなんら変更しうるものではない」(同124n)と結論づけている。

【第6章 列強のあいだでの世界の分割】

(1)レ−ニンは、第6章の冒頭で地理学者ズーパンを引用し、「この時期の特徴は地球の終局的分割である。終局的というのは再分割が不可能だという意味でではなく−それどころか、再分割は可能であり、不可避である−、資本主義諸国の植民政策がわが地球上の未占拠地の占取を終わったという意味でである。世界ははじめて分割されつくした」(同126〜127n)とまず結論を明解に言い切っている。
  「今後きたるべきものは、再分割、すなわちある『領有者』から他の『領有者』への移転だけであって、無主から『有主』への移行ではない」(同127n)と、いま生起しつつあるものの本質、資本主義の最新の時代にたいする基本的認識の根幹を、検閲のガードを越えて鮮烈に提起している!!
(2)アメリカの著述家モリスの『植民史』、ホブスンの『帝国主義論』を始め、レーニンは膨大な文献に次々にあたる。まさに1871年から1914年にいたる帝国主義(列強)の生きた動態と動向、その発展の不均等性の具体的推移と構造等にアプローチしていくレーニンの迫力はすごい。
(3)レーニンはいまひとつの決定的問題に入る。これはそれ自身は文字どおり検閲を考慮してそれほど展開されてはいないが、今、われわれが帝国主義の本質に迫るという点で絶対に軽視できないものだ。「最新の帝国主義のいわば純経済的根源と社会=政治的根源との関連」(同130n)。
  「救いは独占にある、−資本家たちはこういいながら、カルテルやシンジケートやトラストを設立した。救いは独占にある、−ブルジョアジーの政治的指導者たちはこうくりかえしながら、世界のまだ分割されていない部分の占取を急いだ」(同)
  この資本家たちやブルジョアジーの政治的指導者たちが独占に救いを求めた背景には、他の列強や若々しくより強力な資本家団体の登場、これとの競争だけではない。そこにあるのは1871年のパリ・コミューンの与えた世界史的衝撃だった。1871年、普仏戦争の真っ只中で、フランスの首都パリで労働者が反乱を起こし、ブルジョアジーが権力をいったん放り投げてパリから逃げ出すところまでいく。このパリ・コミューンの衝撃が世界のブルジョアジーに否応なく帝国主義への突入を強制していく。
(4)「世界の領土的分割とそれにかんする最近数十年間の諸変化とをできるだけ正確にえがきだすため」(同131n)、ズーパンの総括やヒュブナーという人の『地理・統計表』も駆使し、レーニン自身の作業もとおして、「世界分割の完全な様相」を描き出していく。「列強の植民地領有」と「6大強国の総計」で突き出されている6大強国の3つのグループわけ、その後の「金融資本は、あらゆる経済的関係と国際的関係とにおいて、巨大な、決定的ともいえるほどの勢力であるから、それは、もっとも完全な政治的独立を享有している国々をさえ隷属させることができるし、また実際に隷属させている」「だが、いうまでもなく、金融資本にたいして最大の『便宜』と最大の利益とをあたえるものは、隷属国や隷属民族の政治的独立の喪失とむすびついているような隷属である」(同135n)と総括されているところは極めて重要。
(5)さらに、「最新の資本主義の基本的特殊性は、最大の企業家の独占諸団体の支配」「このような独占は、いっさいの原料資源が一手ににぎられるばあいにもっとも強固」「国際的資本家団体が、競争のあらゆる可能性を敵の手からうばいとるために、たとえば鉄鉱山や油田等々を買収するために、どんなに熱心に努力しているか」(同136n)とは、もろ今現在にストレートにつながる問題。
  ここでも、「最新の資本主義の主要な特殊性である独占」を忘却し、「大衆の状態について配慮することのできるトラスト」という、改良主義の幻想に走るのが「今日のカウツキー主義者たち」だと痛烈に批判している。
(6)この章は最後、「この時代にとって典型的なものは、植民地領有国と植民地という、国の二つの基本的グループの存在だけではなく、政治的には形式上独立国でありながら、実際には、金融上および外交上の従属の網でおおわれている、多様な形態の従属国が存在する」(同140n)。「個々の大国と小国とのあいだのこの種の関係はいままでもつねに存在していたが、資本主義的帝国主義の時代には、それは一般的体系となり、『世界分割』の諸関係の総体中の一部分となり、世界金融資本の活動の連鎖の一環に転化する」(同141n)と総括されている。
  世界帝国主義の最弱の環・ロシア帝国主義の対象化、世界金融資本の活動の連鎖の一環を食い破るロシアでのプロレタリア革命の展望。レーニンは1914年の第1次世界大戦の真っ只中で、この核心を完全にとらえきった。

【第7章 資本主義の特殊の段階としての帝国主義】

●帝国主義の定義

(1)「帝国主義は、資本主義一般の基本的諸属性の発展と直接の継続として生じた。だが、資本主義は、その発展の一定の、きわめて高度の段階で、すなわち資本主義の若干の基本的属性がその対立物に転化しはじめたときに、資本主義からより高度の社会=経済制度への過渡時代の諸特徴があらゆる方面にわたって形づくられ、あらわになったときに、はじめて資本主義的帝国主義となった。この過程で経済的に基本的なのは、資本主義的な自由競争が資本主義的な独占にとってかわられたことである。自由競争は資本主義と商品生産一般との基本的属性であり、独占は自由競争の直接的対立物である。ところが、この自由競争は、大規模生産をつくりだし、小規模生産を駆逐し、さらに、大規模生産を最大規模の生産によっておきかえ、生産と資本の集積を、そのなかから独占−すなわちカルテル、シンジケート、トラスト、およびこれらのものと融合して幾十億という金を自由にしている10やそこらの銀行の資本−がすでに発生し、また現に発生しつつあるというほどまでにみちびくことによって、いまやわれわれの目のまえで独占に転化しはじめたのである。しかもこれと同時に、独占は、自由競争から発生しながらも、自由競争を排除せず、自由競争のうえに、またこれとならんで存在し、このことによって、一連のとくに鋭くてはげしい矛盾、軋轢(あつれき)、紛争をうみだす。独占は資本主義からより高度の制度への過渡である」(同144〜145n)
(2)レーニンは、「もし帝国主義のできるだけ簡単な定義をあたえることが必要だとすれば、帝国主義とは資本主義の独占的段階であるというべき」と述べ、「この定義はもっとも主要なものをふくんでいる」(同145n)と明言する。ここでのレーニンの展開は、執拗にこの点にこだわっている。
  その上で、「およそ定義というものは現象の全面的関連をその完全な発展においてとらえることはけっしてできない」(同)として、《5つの基本的標識》を明確にする。
(3)そしてレーニンは、これだけではそれは帝国主義の単に基本的な「純経済的な概念」に限られる。さらに、資本主義のこの段階が資本主義一般にたいしてもつ歴史的地位や、あるいは労働運動における2つの基本的傾向と帝国主義との関係を念頭におくと帝国主義はこれとは別に定義することができるし、また定義しなければならないと言っているが、そのすぐあとで、「だが、いますぐに注意しておかなければならないことは、右にのべた意味に解された帝国主義が、うたがいもなく、資本主義の発展の特殊の段階だということ」(同146n)と強調し、「われわれは、読者に帝国主義のできるかぎり確実な観念をあたえるために、ことさらに、最新の資本主義経済のとくに争う余地なく明白な諸事実を承認せざるをえなくなっているブルジョア経済学者の所説から、できるだけ多くのものを引用しようと努めた」(同)と言っている。
(4)ここにレーニンが、何故、『帝国主義論』を自ら書かねばならなかったのかの鍵がある。〔序章〕で、「ここ数年間に帝国主義についてのべられたことは、本質的には、右の二人(ヒルファデイングとホブスン)の著者によって説かれた、あるいはもっと正確にいえば、総括された、思想の範囲をほとんど出ていない」「われわれは、帝国主義の基本的な経済的諸特質の関連と相互関係とを、簡単に、できるだけ平易な形で叙述しようと思う。この問題の非経済的な側面に詳しく立入ることは、それがいかにやりがいのある仕事であろうとも、いまはそれをしないことにする。」(同26〜27n)と述べていることともつながる問題。
  要は、この点にこそ、当時の、「1889−1914年の25年間における、主要なマルクス主義の理論家であるカウツキーと論争しなければならなかった」重大問題があった。プロレタリア革命の帰趨を決める死活問題があった。その決着をかけてレーニンは第1次大戦の真っ只中で、最新の資本主義=帝国主義を全面的にとらえ返す作業を自ら試みた。そういうものとして改めてレーニン『帝国主義論』をとらえ返したい。

●カウツキー批判
  略。

●レーニンの決定的結論とその今日的とらえ返し

(1)「資本主義の基礎のうえでは、一方における生産力の発展および資本の蓄積と、他方における植民地および金融資本の『勢力範囲』の分割とのあいだの不均衡を除去するのに、戦争以外にどのような手段がありうるだろうか?」(同160n)
(2)「資本主義の独占的段階」という定義が、(=)「帝国主義戦争の不可避性」論と一体のものとして、集約されている。第7章の意味は、第1章から第7章までとおして見るときわめて鮮明になる。
  第1章の独占論と<独占−分割>論、第2章・第3章の金融資本論−金融寡頭制論、第4章の資本輸出論、第5章の<世界の経済的分割論>、第6章の<世界の再分割の不可避性>論、植民政策論と世界支配論と展開してきたことを踏まえ、第7章で帝国主義の第一の定義がされ(第一のというのは、レーニンが言っているように、「できるだけ簡単な定義」「基本的な純経済的概念」、同時に「もっとも主要なものをふくんでいる」という意味)、不均等発展による生産力と既成の勢力圏分割とのあいだの不均衡が生じて戦争にいたる、という戦争論の展開がある。
  この1章〜7章をとおして、マルクス主義にとっての新たな飛躍点・跳躍点が全面的に確立され明らかにされている。あえて言えば、それまでのレーニンの展開とも違う、最新の資本主義の全面的対象化をとおした帝国主義(資本主義)認識の深化とそれによって可能となった<帝国主義の全動態・運動・構造>の把握がある。その<リアルさ>と<階級的正しさ>が文字どおり何人によっても否定できない現実の迫力となってわれわれに迫る。
  そこに、いま目の前で生起していることの事態の根底にある階級的核心をついにつかみとったレーニン自身の決定的飛躍がある。
  レーニン的作業において、世界史的な新たな発展段階にある目の前の資本主義を徹底的に対象化し、分析・研究することと、バーゼル宣言で確認された階級的責務の実践を貫徹することとは完全にひとつながりだった。

【第8章 寄生性と資本主義の腐朽化】

(1)8章、9章、10章は、まさにレーニン帝国主義論の真骨頂であり、そのまま10章の結論=帝国主義は「資本主義制度からより高度の社会=経済制度への過渡」(同199n)、「死滅しつつある資本主義」(同203n)にまでいきつく圧倒的展開となっている。
  最大の問題は、帝国主義の時代における、帝国主義に対するプロレタリアートの立場の確立=時代認識と路線、階級意識の揺るぎない確立とは何によって可能となるのか。その時に、労働者の党、労働者の普遍的団結形態たる労働組合はどうあるべきなのかにかかわる問題だった。
  レーニン帝国主義論の確立は、そのためのレーニン自身の必死の格闘だった。レーニンは、最新の資本主義=資本主義の最高の発展段階にある帝国主義を真正面から打倒対象として徹底的に研究する中で、この「帝国主義のきわめて重要な一面」についても浮き彫りにさせることができた。何故、マルクス主義者ヒルファデイングは、「非マルクス主義者ホブスンにくらべて、この点で一歩後退し」(同161n)たのか。そこには帝国主義段階における労働者支配のあり方の転換、その物質的・政治的・イデオロギー的転換との闘いの問題がある。この点でおしなべて当時の第2インターナショナルの有名な指導部どもは、カウツキーを先頭にして帝国主義の物質力とそのイデオロギーの前に無惨に屈服した。そのことと1912年のバーゼル宣言で誓った内容が、1914年の第1次大戦勃発の真っ只中で、いとも簡単に反古とされたという問題は完全にひとつながりなのだ。レーニンはこう徹底的に弾劾している。レーニンは「序言」で、この闘いは「プロレタリアート党の義務である」(同21n)とまで言っている。
(2)これと関連し、動労千葉・中野顧問の『甦る労働組合』冒頭の「大変な時代である。では、こうした状況の中で労働者はどうすればいいのだろうか。僕は、労働者を軽んじ、蔑視する考えに取り込まれないかぎり労働者は勝てると確信している。難しくはない。団結して立ち上がれば道は切り開かれる。侵略戦争を阻む力もそこにある。そのために、自分たちの労働組合を甦らせ、労働運動の現状を変革することだ。それこそが今、最先端の変革である。闘うことはけっこう楽しいものだ。朗らかに闘おう」というくだりの意味を真剣にとらえ返す必要がある。
  《労働者を軽んじ、蔑視する考えに取り込まれない》とは、自ら階級意識を研ぎ澄まし、帝国主義・資本主義との不断の闘いの最先頭で闘う、革命的共産主義者の党とこれと一体で闘う労働組合の確立があって初めて可能となる。この2つとも当時の第2インターナショナル、とりわけその最大の中心であったドイツ社会民主党・カウツキーとその一派のなかには欠けていた。何故か。帝国主義の物質力とその労働者支配にあらかじめ負けていたのだ。そしてこれは、当時の第2インターナショナル、ドイツ社会民主党だけの問題ではない。帝国主義の時代の階級闘争、労働運動は各国的事情を越えて、この点でも普遍的教訓を闘う全ての労働者に真正面から提起している。
(3)ここで問題になっているのはある各国の資本主義の、ある一国の資本主義の状態ではない。この全部が、資本主義の最高の段階としての帝国主義の、資本主義の独占的段階における全世界的問題として対象化されている。

【第9章 帝国主義の批判、第10章 帝国主義の歴史的地位】

(1)「帝国主義批判の根本問題」(同179n)という点で、『甦る労働組合』の「時代認識をきちんと持つこと−四のキーワード」の、@帝国主義(資本主義)体制は、労働者を食わせられなくなった、A帝国主義(資本主義)体制は、戦争する以外に延命できない、B帝国主義(資本主義)体制は、歴史的命脈が尽き、社会の発展の桎梏となった、C全世界で労働者の反乱が燎原の火のような勢いで始まった、というのは、やはり決定的な問題を明らかにしている。
  要は、「資本主義とはどういう体制なのかということをちゃんと見よう」(『甦る』15n)ということ。「核心は、現代の資本主義は命脈が尽きて、社会の発展にとって桎梏となったということだ。そしてこの現実は、労働者が本当に勝利する条件をつくりだしている。このことに確信をもつことが重要だ」(同20n)。「労働者を軽んじ、蔑視する考えに取り込まれないかぎり労働者は必ず勝利する」まさに今、そういう時代が始まった。
(2)カウツキーの最大の裏切りは、「帝国主義の時代には日和見主義者との統一は不可能であるという、とくに緊急となった問題をぼかしている」(岩波文庫版197n)こと。
  これは単にカウツキー批判にとどまらない。われわれ自身の「党の革命」以来の実践をこの2010年こそ、階級的労働運動路線の真一文字の実践として本当に飛躍・確立していく。11月1万人結集を国鉄決戦を基軸として必ず実現する、その任務の緊急不可欠性を鮮明に突き出すものだ。
(3)10章は、全十章のまとめと同時に、来るべき1917年2月革命、4月テーゼへの実践的飛躍を最後的に確信=決断させた跳躍台。その最大の核心は、「ロシアはまぎれもなく帝国主義国であり、その革命はプロレタリア革命、プロレタリアートの独裁の樹立としてしかあり得ない」ということだ。
  目の前で第1次世界大戦を勃発させるまでに行き着いた、資本主義の最高の発展段階である帝国主義の時代は、これを打ち倒すプロレタリア自己解放の闘いを、プロレタリアート自身の事業であると同時に、それが世界プロレタリア革命としてのみ成就されるということを理論的、実践的、路線的、思想的に最後的にはっきりさせた。
  ここにレーニン帝国主義論と帝国主義世界戦争論の確立がレーニン主義革命論に与えた決定的飛躍がある。レーニン自身、『帝国主義論』を完成させることで巨大な自己変革をかちとった、そう言い切れる内容をもっている。
(4)ここでの主語は、独占段階に達した資本主義=帝国主義であり、その階級支配、政治的支配のあり方だということ。帝国主義とはそういう時代への資本主義の全世界的突入だからこそ日和見主義との闘いは、帝国主義(資本主義)の打倒にとって決定的位置をもつ。日和見主義との闘いは何ら陰湿な忌むべきものでは全くない。労働者にとって問題を真正面から提起し、何が階級的であって真に労働者的であるのかの論議を徹底的に行うことそれ自身が、その身体(労働者の階級意識と団結)を一層強固に堅固にし、根本から打ち鍛える道なのだ。
(5)以上、最後に「すべてのことから、帝国主義は過渡的な資本主義として、あるいはもっと正確にいえば、死滅しつつある資本主義として、特徴づけられなければならない」(同203n)と万感の思いをこめて、かつ来るべきプロレタリア革命の全ヨーロッパ的、全世界的胎動への思いをこめて言い切ります。まさにストレートに、1917年ロシア革命−世界革命へと直結する水路が切り開かれた。レーニン帝国主義論のもっとも躍動的で、感動的な展開です。   (後半講義了)

党学校通信 p9-18

討論から

●T

 非常に刺激を受けて、大変勉強になりました。世界革命の立場でもう一回レーニン『帝国主義論』を読み返す、世界革命の立場でトータルに世界の資本主義の把握として読み返すという問題意識が『帝国主義論』をとらえ返す上で、大きな力になると思った。
  当時のレーニンが直面したことというのは、世界戦争が始まった過程でみんなが裏切っていく、ドイツを先頭にどんどん裏切っていく。この現実に対してどうするんだということがあったと思う。僕らも結構苦しい闘いをしていますけど、レーニンのある種絶望感というのはすさまじかったんじゃないか。当時、ドイツのカウツキーたちが裏切って、スローガンが「講和」になっているというのが序文に書いてあります。実際に戦争が始まったら、反戦主義のスローガンとして、「帝国主義打倒」じゃなくて、「講和をやろう」というスローガンが圧倒的だったんじゃないですかね。
  それに対して、レーニンは『帝国主義論』の中で、戦争の根源は帝国主義・資本主義にあると。「講和じゃなくて、帝国主義の打倒、革命なんだ」ということを一生懸命力説するというのが非常に大きい問題だったと思う。カウツキーたちが裏切った根拠というのは、帝国主義の寄生性という帝国主義の固有の社会のあり方から、労働者の運動の中に2つの潮流ができるというところにある。これは階級がダメだという証明ではない、帝国主義の傾向としてあるんだということが、8、9、10章で言われている核心だと思います。
  だから、帝国主義というのは日和見主義を不可避に生み出すと同時に、帝国主義戦争においてこの日和見主義者をぶっ飛ばす条件をつくるんだと。レーニンは『社会主義と戦争』でも言っていたけど、日和見主義が帝国主義戦争に賛成していく、この過程をとらえて徹底的にやっつければ、その日和見主義者をぶっ飛ばして、階級全体を革命派が獲得して革命をする条件をつくれるんだ。だから、10章は「帝国主義の歴史的地位」となっていますけど、これは「イソップの言葉」で、本当は序言の末尾で言っている「帝国主義は社会革命の前夜なんだ」、これを言いたかったんだろうと。帝国主義戦争に現実に直面している非常に大変な中で、実は戦争が革命のチャンスをつくっているんだということを完全に論じ切っているということなんじゃないかなと思います。
  で、国鉄闘争の視点でこれを読もうという提起も非常に重要だと思います。今、国鉄闘争をめぐって闘いが2つの潮流に分裂している。その一方が、JRの手先になって外注化も認めていくというあり方、そういう意味では一昔前で見れば信じられないような裏切りを労働運動、国労、あと4者4団体がやっている、国鉄闘争は階級闘争じゃないんだと言ってはばからないという。これは、ついに本性をむき出しにさせているということ。われわれが、こいつら裏切り者なんだということをハッキリ言えるような情勢に入っている。そういう意味では外注化決戦も、JR総連だとか、国労本部だとか4者4団体を決定的に打倒して、階級全体をわれわれが獲得する、そういう闘いになるんだということが言われているのかなと思います。非常に武器になる、勉強になった講義だと思います。
  それで、ちょっと質問というか思ったのは、レジュメの16nの一番上に引用されている「今日の状態の特徴は」というのは、何を指しているのかなと。これは「戦争」のことを指しているのかなと僕は思った。「今日の状態の特徴は、日和見主義と労働運動の一般的・根本的利益との非和解性を強めないでおかないような経済的および政治的諸条件にある」(岩波文庫版176n)。要するに、戦争が始まって、日和見主義が戦争を支持していくということが矛盾を激化してて、で、この末尾の日和見主義が“爛熟していく、腐敗していく、融合していく”という、この過程のことは、やっぱり戦争を一つの契機として日和見主義が完全に転落していく、裏切り者としてまったく暴露されていくということを指して言っているのかと思って。だから、この10章で、「日和見主義の発展の速度と特別の醜さとが日和見主義の永続的勝利の保障となるものでない」(同203n)云々とありますけど、これも戦争との関係で言っているのかなと僕は思った。この辺はどうなのか?ということです。

●t

 今回、改めて『帝国主義論』をもう一回読んでみた。その後に、途中まで読んでいた『資本論』の3巻の最後の方をちょっと読んだんです。そしたら、『帝国主義論』というのは『資本論』がなかったら絶対にない著作だなとすごい思って、エンゲルスが2巻、3巻を編集してまとめているんですけど、もう証券取引所とか銀行の役割とか、かなりそういうことを言っている、独占が発生していくんだということを言ってて。そういう意味では『帝国主義論』というのは、『資本論』の継承としてあるなということをすごい思ったんです。
  今日の講義を聞いて、本当にそうだなと思った。現実の階級闘争は、帝国主義戦争が始まって、周りにいた一緒に闘っていたあらゆる勢力が屈服していく中で、バーゼル宣言を徹底的に過去のものとしてあざけって、この総括をかけてもう一回『資本論』の地平に返るという過程をやり切った、これが『帝国主義論』でレーニンが到達した地平だなと改めて感動した。
  資本主義における階級闘争というのは200年にならんとして、学生の仲間もそこの地平に今の自分の獄中闘争があるみたいなことを言ってますけど、本当にひとつながりの闘いとして、あるいは人類史の前進として勝ちとられてきたというふうにすごい思うし、今の綱領草案に体現されている、あるいは今の法大闘争とか国鉄闘争に体現されているわれわれの闘いそのものが、このレーニンの営為ということと完全に一つの闘いをわれわれはやってきたし、その闘いの到達地平として今の綱領草案、階級的労働運動路線、国鉄決戦、法大決戦というものがある。
  改めてこの中で革共同だし、もう一回マルクス主義を今の民主党・連合政権ということの中で復権しようとしていることのものすごい巨大な、本当にわれわれ以外にそれをやりうる党、組織しうる者はいないという中で、この党学校が、沈滞の時期も高揚の時期も開催され続けてきたということも大きいし、これをさらにもっとでかいものにしていくために、自分自身先頭に立って闘いたい。

●N

 『前進』新年号での、資本主義を打ち倒す時代がついに来たんだ、しかも、ただその時代が来たんじゃなくて、私たちの、革共同の50年間の歴史的な闘いが、そういうプロレタリア革命の最大の好機を主体的に闘いとって引き寄せてきたんだという話があって、その上で今日の講義を聞いて、本当に闘って勝てるんだなというのがすごくよく分かりました。
  レーニンが世界革命に向けてた執念とか、どうしても革命をやるんだという、その思いも今日の講義をとおして一層よく分かった。目指すべきはプロレタリア世界革命なんだと、レーニンが『帝国主義論』の中で言っているんだということが実感としてよく分かったし、講義の最後の最後の所でも、やっぱり絶対私たちは勝てるんだということが結論としてあったと思う。
  いよいよやれるなというか、資本主義は今終わっていて、動労水戸の勝利とか動労千葉の勝利とか、あとは5・27裁判の勝利、それで学生たちも勝ちとって獄中から出てきたという、これもただ偶然勝っているんではなくて、資本主義の側がボロボロにもうなっているということの証明だと思う。だから今こそ私たちは、外注化決戦でやっていこう、ということに何かすごく元気が出る今日の講義でした。

●h

 マルクスが『資本論』を書いて、レーニンが『帝国主義論』を著して革命に勝利して、革共同が2009年に綱領草案を提起したという脈絡の中で理解するのが大事かなと改めて思った。
  今期の党学校で、マルクス主義を理解する上で『共産党宣言』だけでいいんじゃないか、『資本論』はやらなくてもいいんじゃないかというのがあったと思うんですけど、マルクスは『資本論』で、資本主義社会というのはどういう社会なのかをトータルに科学的に解明することに全力をあげたわけで、そのことをとおして労働者が革命の主体だということを全面的に明らかにした。だから、『共産党宣言』と『資本論』は一体の革命の書なんだということを鮮明にしたのが、この間の党学校の成果だと思う。
  そういう脈絡の中で『帝国主義論』を今勉強したわけですけども、レーニンもマルクスと同じことをやっている。つまり、帝国主義とは何なのかということを、経済学的に全部解明して帝国主義というのは資本主義の最後の、最高の発展段階であり、革命の前夜なんだということを鮮明にして、帝国主義というのは資本主義の死滅すべき最後の段階なんだということを明解にして、ロシア革命に勝利した。
  その場合に、ハッキリさせたのは日和見主義との闘い。日和見主義とは何なのかを解明して、それを寄生性というところでハッキリさせた。去年の『前進』新年号の後の党学校で、『帝国主義論』というのは要するに日和見主義との闘いなんだということをかなり鮮明に出して、それを僕は目を開かされる感じで読んだ。レーニンが強調したいことは日和見主義との闘争なんだと、今日も強調されていました。その経済的根拠も鮮明にしたということはあると思う。マルクスもレーニンも言っているんだけど、やっぱり労働組合なんだ、党と労働組合の関係は限りなく一体である、党と労働組合を本当に労働者階級のものとして、そこを徹底的に重視することをとおして革命に勝利していくんだということを鮮明にしていったのが綱領草案じゃないか。
  マルクス、レーニンを継承・発展させて、ついに革命に勝利するというところに、前夜に来ている。その中で特に強調したいのは、バーゼル宣言が何で簡単にひっくり返るのかまったく理解できなかった。その点も今日は強調されて、僕は初めて聞いたんですけど、帝国主義の戦争に対して革命なんだということを言い切れなかったというふうにレーニンは総括して、「侵略を内乱へ」というスローガンを真正面から提起した。それが今日いよいよ決定的な時代になったかなと思います。
  その上で、T同志の質問という点で、「今日の状態の特徴は」というのは、それは帝国主義段階のことを言っているんじゃないかなと。狭い戦争という領域だけじゃなくて、帝国主義段階の全体について「今日の状態の特徴は」と言っているんじゃないか。

●D

 冒頭に、8学生を奪還したことを確認したい。これは歴史的な勝利です。8学生奪還の力というのは、僕は11月集会だと思っていて、われわれの路線が国家権力の中枢中の中枢からさえ決定権を奪うほどに力をつけてきた。「1047名解雇撤回」に絞り上げて闘ったことの勝利だと今思っています。それで、民主党・連合政権打倒を『前進』新年号において相当位置づけたことは、僕はすごく決定的だと思っている。一つは、連合支配を打ち破る「1047名」に僕らが集約してきたということと、支配階級の側がもうボロボロで民主党・連合政権が吹き飛んだら次がないという中で、その矛盾点をついているからこその、この歴史的勝利だと思っている。
  で、『帝国主義論』の提起についてですが、体制内派との闘いなくしては空語だということを展開の中からハッキリさせているというのはすごく重要だと。体制内派の奴らが腐敗して、政治権力と一体化していくというあり方は、まさに連合そのものだということです。疑いようもなく政権そのものになってしまった。体制内派、連合との対決なしに、共産主義だの革命だのというのは、まさに空語だと思います。そういう意味でも、われわれの闘いは本当にすごい地平に立っている。
  もう一つは、生産関係から出発して、本当に誰の目にも明らかという、唯物論と弁証法というやつです。生産関係から帝国主義の腐敗と世界戦争ということを明らかにしているという意味で、その辺すごいなと思っている。
  ということと、今日の提起で気になっている所があって、独占ということについて、労働者支配の問題だというような話があって、結構なるほどと思うということと、それに伴って日本帝国主義が最弱の環で、ここを打倒したときに世界革命が切り開かれるというところの、その辺との関連でもうちょっとハッキリしてくるんじゃないかという提起があったような気がしてて、その辺の感覚をもう少し聞きたい。

●講師

 今言われた点は、前回の冒頭に僕、結構強調したんです。独占というものを見ていく場合、4大産別決戦との関係で接近した。4大産別決戦が決定的であるというのはそうなんだけど、それをこの時代における労働者支配のあり方の問題として、逆にそこがひっくり返れば全部ひっくり返る。独占が重要であればあるほど、そこを担っている労働者の存在ということがある。そうい角度で出した。前回のレジュメで僕の問題意識で言っているところがあるんで、討議をして、さらに深めていけたらいいなと思う。

●O

 今日の講義なんですけど、ものすごく良かった。『帝国主義論』というのは、学生の時も結構学習会をやってたり、どうとらえるのかというのをいろいろ議論した。
  一つは、帝国主義戦争の不可避性と言う場合に、分割・再分割ということと、それを不均等発展の問題として言っているところといろいろある。その辺きちんととらえるということが、ものすごく重要だと思う。単に分割・再分割ということで戦争というんじゃなくて、新しい3つの帝国主義の分類がありましたけども、そういう不均衡、今日の現代世界もそうじゃないですか。当時も資本主義の中では、不均等発展という中で必ずそれがぶつかり合って戦争に行き着かざるをえない。で、実際にもう戦争が始まっている段階でレーニンが、経済的分析なんかをとおして、そのことを経済学的にも理論的にも完全にハッキリさせたというのはものすごいことだと思う。
  それと、カウツキー派というか日和見主義との対決ということが不可避だ。現実的にも超帝国主義論という形で出している。今日的に言えば、例えば連合は制度政策要求という形で、今の帝国主義・資本主義の基礎をそのままにして、あたかも改良的な制度政策要求路線で世の中が変わっていくかのようになっている。だけど、実際にはそうじゃない。
  今日の社会は第1次大戦当時よりももっと、それこそ新自由主義が破綻するという中で、資本主義そのものはもう終わったという根本的な段階に来ている。『共産主義者』163号の島崎論文でも、一方で新自由主義が破綻したという問題と、全世界的にも、中国もアジアも含めて膨大なプロレタリアートをつくり出した、その両面で今はプロレタリア革命の前夜、本当に革命なんだということが出されている。
  だからやっぱり、今日的にはわれわれ連合ですよね、特に鳩山−民主党・連合政権との闘いというのが決定的な意義をもつし、それを打ち破るかどうかが核心だ。動労千葉・中野顧問の『甦る労働組合』の第3章でも、今日のキーワードは「連合」だと言っている。そういう問題として、このレーニンの『帝国主義論』そのものを今日、われわれの今の時代の中に引きすえていくことが重要だと思う。
  地区での議論の中で、連合の幹部というのは一体どういうものかというのを、われわれもっと見すえる必要があるという話で、そもそも御用組合の委員長とかは、給料とは別に何百万というカネをもらっている。御用組合というレベルを完全に超えている。そういう意味での買収費ですよね、もう何百万という形で資本の方は出しているわけです。そういうものとして、連合による労働者の支配ということがやられている。
  だけど現実的には、そんなのは上手くいくわけがない。資本主義そのものが崩壊している中では、もうむき出しの激突にいろんな所でなっている。検修外注化という形で資本の側は、1047名闘争と動労千葉と動労水戸と国労共闘そのものの息の根をつぶさないかぎりは自分たちが倒されるということできている。
  そういう意味でも、敵の側のものすごい危機、凶暴性なんだけども、そこにおける脆弱性ということを本当にしっかりと見る。その辺は、レーニンが戦争の最中で『帝国主義論』を書いているという、労働者を信頼して、それを絶対にひっくり返せるし、ひっくり返すんだ、そういうものすごいレーニンの革命精神。今の時代の中で、われわれがそのレーニン以上の怒りを持って、1−3月の外注化阻止決戦で本当にひっくり返すんだと。
  実際に小沢のこの間の金権問題とかあって、鳩山もそれで断固一緒に闘う、なんて言い切った。あれはどうなるのか、という問題もある。とにかく7月の参院選なんかほとんど吹っ飛ぶかのような情勢に完全に入った。だから、2・13に5000ということで、それにわれわれの側から決着つける。ここで勝つということは、分割・民営化そのものに全部決着つけるということだし、今の2000万人が非正規におかれた現実、95年の経労委報告以降の非正規化の現実そのものを根本的にひっくり返すということになる。それは革命そのものに一直線に行く。
  8・30というのは、自民党を倒して民主党になった。だけど、労働者の側は民主党を支持してない中で、それがつぶれたときに自民党をもう一回選ぶのかといったら選ばない。そういう意味でも、鳩山や連合の今の事態の中では、本当の意味での大動乱という状況に完全に入ったという点からいけば、レーニンが『帝国主義論』の中で熱く語っている、本当に革命なんだ、労働者の力でやるんだという、そこのところにわれわれが肉迫し、一体化して、今のこの時代の中でわれわれがやり切っていく。まだ5850かもしれないけど、しかし新自由主義が破綻し、全世界とつながったわけです、動労千葉をとおして。だからやっぱり、労働組合を本当に甦らせて、その力で絶対に勝利しようという、それが2・13だし、1−3月だし、外注化阻止決戦という闘いだと思う。
  そういう読み方をするという点で、結構こういうものを読むというのは、どうしてもそこから離れて読むという、離れてちゃんと読むというのは重要なんだけど、そういうものと今のわれわれが立っている位置というか、立っているところで確信を持つというか。そうは言っても現場へ行けば、体制内勢力がいて、ものすごいガンジガラメにしている。絶対反対なんか言った途端に職場で浮きに浮きまくるし、言っても言っても浮くだけというのがずっと続く。だけど、そこにおいてもわれわれが、絶対に展望があるし勝てるんだという確信が持てるというのがマルクス主義だし、レーニンの『帝国主義論』そのものだ。そういうものとしてしっかりつかんで闘っていく。
  そういう意味で、今日、『甦る労働組合』からいくつかのポイントで提起があったんですけども、本当に一体でつかむというかね。綱領草案で、労働者階級の解放というのは労働者自身の事業だと、革共同の目的は、そこを徹底的にやり切る、それ以外何もないと言っているわけじゃない。本当にそこに立つという点で、自分の中で、例えばカウツキー批判が7章と9章で出てきて、あの関係どうなんだとか、これも島崎光晴著の解説本にも書いてあるけど、だけどちょっと分からないところがある。だけど全体トータルに、その辺ちゃんとつかむというのが重要かなと、改めて今日思った。

●e

 十数年前のマル学同合宿が『帝国主義論』だったんですけど、今思い返せば読み方は変わるものだなと。その時は、帝国主義戦争の不可避性論でゴリゴリ押して、とにかくガイドライン決戦なんだという時代だった。それはそれで、戦争起こるんだということで衝撃だった。ただ、ひとつ、日和見主義との闘争ということとして『帝国主義論』をすえたりというのが党の革命以後あって、それからもうひとつこの間の闘いの地平ということから進んで、もしくはこの党学校での理論的地平というところが進んで、今日の提起があったんじゃないかと思う。
  で、直ちにこの党学校の成果を生かしてということで、年末年始に『資本論』の学習会のチューターをやった。村越同志の提起なんかをもう一回振り返ったりしてレジュメを作って提起して、ということをやって、今日の提起を受けてということで、本当にレーニンというのは、マルクス主義としてのマルクス主義を実践した革命家だったんだなと。『資本論』の精神というか、要はものの考え方ですよね、というのを『帝国主義論』の中でも貫かれている、そういうふうに『帝国主義論』をとらえていくべきなんだということがカギなんだと思いました。
  提起の最後、口頭であった所ですけど、要するにスターリン主義の問題。今学生でも、革命だと言ってもスターリン主義みたいになっちゃうんじゃないですか、党官僚が腐敗していくんじゃないですかというのに、腐敗していったらもう一回やればいいんじゃないのみたいなことで暴力的に返したりしてる。カウツキーへの批判で結局、資本主義もしくは帝国主義の現実、物質力に対する屈服なんていうことが書いてあったんですけど、スターリン主義もそうなわけです。その現実に対する屈服、帝国主義への屈服と階級の革命性の否定というところから全部物事を追っていて、やっぱりそれを打ち破る力が、『帝国主義論』の中の言葉で直接激しい言葉があるからというんじゃなくて、『帝国主義論』にせよ、『資本論』にせよ、現実の中にその現実を乗り越えていく発展の論理がある。D同志も言ったように、いわゆる弁証法的な論理があるというところが最も革命的なところじゃないのかとは思った。弁証法と言っても何か難しい話じゃなくて、要するに労働者階級の現実、存在と闘いの中に、すべてをひっくり返していく、次の社会をつくっていく主体的条件があるということが核心だと思うし、そこに確信を持ったのがマルクスであり、レーニンであった。その立場から今の社会を徹底的に分析していったのが、『資本論』であり、今日の『帝国主義論』の提起だったんじゃないのかと思いました。
  あと一つ、岩波文庫版の解説の所をたまたま読んでいたら、反革命的に結構すごいことが書いてあって、レーニンの『帝国主義論』というのはマルクスの『資本論』を受け継いだんだと、さらに一国社会主義論が可能だということを示したのがレーニンだったんだということまで書いてあって、こういうふうにあたかも一国だけで社会主義が勝利することが可能であるというくらい労働者階級に力があるみたいなことを言っているんですけど、こういうふうにして換骨奪胎していくというか、スターリン主義者というのはねじ曲げていくというのとの闘い、そういう激しい現実の闘いの中でいかに勝利していくかという決戦が2010年決戦であり、法大決戦もそういう闘いとしてある。この『帝国主義論』での今日提起されたような内容、考え方を改めて学生との討論の中で、豊かにしていく闘いをやっていきたい。

●a

 私は『前進』新年号を読んで、頭の中にずっとグルグル回っているのは、昨年の大学闘争で言うと「監獄大学」というのがものすごく今の帝国主義の中における大学の位置を表した、あるいは法政の闘争を共に闘いながら感じてきたことなんです。
  教育労働者がこの2010年を闘うときに、国鉄闘争と民営化反対闘争というのが、どこでどういうふうに展開していくのかということをすごく考えていて、今日の学習会で一つだけハッキリしたことは、一つの国のことだけを考えるんではなくて、全世界的に自分の情勢を、だからレーニンがホブスンを引いたり、いろんなことを引いたりしながら、具体的な事例の中で自分の中に取り込んでいって、これはイソップ的な表現だと言いながらも、帝国主義者の資料を全部自分のものにしながら帝国主義者の打倒につなげていくという考え方を、徹底してカウツキー主義者に対して投げかけたというのを絶対に自分のものにしなくちゃいけないと、今日の提起ですごく思いました。
  それは、日本の民主党の教育政策のことだけじゃダメだというところから、自分の思っているところを一点突破しながら、世界で起こっていることを、日本帝国主義打倒の教育労働者の決起につなげるスローガンを、なんとしても2010年見つけ出したい。それは獲得の論理であると思う。
  私たちは団結とかいろんなことを言いながら、なかなか団結ということが、その言葉もそうなんだけど突破できないところにある。それをもう一回全世界を見ながら、あるいは教育労働者が殺されている、全逓労働者が殺されている、国鉄労働者が殺されている現実を頭に入れながら、それから新しく出た動労千葉など5団体のよびかける2・13集会へ向けたタブロイド版のチラシの中身は、本当に一つひとつものすごく凝縮されていて、革命の文字がいろんな形で躍っている。そういうことを自分のものにしていこうということを、今日最大の獲得物として、自分のものにしたような気がします。絶対になんか頑張りたいなと。

●I

 民主党の「障がい者制度改革推進本部」、これは鳩山を本部長として、その下に「障がい者制度改革推進委員会」というのがある。その中に連合が入っている、経団連が入っている。いろいろ肩書きのすごい障害者団体の代表が会って、この前、「障がい者制度改革推進会議」の初会合が開かれた。連合とか経団連とか三鷹市長とか堂本元千葉県知事とか法政の松井、奴らが入っています。それは要するに、大政翼賛会。「東アジア共同体」を唱える鳩山−民主党・連合政権の下で、障害者解放なんか絶対にありえない。特に連合とか経団連、そういうのが本当にでかい顔をしている。特に経団連なんかは、すでに障害者雇用やっているとハッキリ言っている。これは今日も言われたんですけど、改良主義というのと通じると思う。

●講師

 いろんな同志から言われた、『前進』新年号との関係で『帝国主義論』をとらえ返していくというのは大賛成で、冒頭で言った1月13日のNHKの報道について、敵の攻撃をちゃんと暴露して、民主党・連合政権の中に何が起きているのか、その中でもう一回闘いの原則を、闘争団で言えば、なぜ1047名として23年かけてるかということを甦らせるような批判をしていくということ。
  そういう立場でいろいろ出したつもりだけど、やることと言うこととは結構大変で、でも、そういう実践を、ここの同志が自分の部署で真一文字にやっていくことが大事だ。そういうつもりで僕は、自分の今日、昨日で進行していることを思いながら、今日言いたいことだけは出させてもらおうということでやった。そこはだから、自分自身の課題でもある。共に頑張りたい。

●h

 最弱の環ということで質問があったと思うんですが、私の理解は、一つは、世界の帝国主義の中で日帝は最弱の環である。だから、われわれが世界に先駆けて革命に勝利しようということがあると思う。最弱の環・日帝ということはずっと一貫して『前進』で言っていることですけど、今度の『共産主義者』163号の島崎論文で、何で最弱の環なのかということが展開されている。それはやっぱり、勢力圏を持っていないと。戦後の過程で、アジアの勢力圏化を必死になってやっているんだけど、結局米帝にたたきつぶされ、ヨーロッパにやられて、やっぱりダメみたいな。僕は、これが一番大きな最弱の環であることだと思う。
  もう一つは、アジア人民との関係でやっぱり厳しいというんで最弱の環である。
  それから、日帝の戦後支配の関係で、ヨーロッパ、アメリカ帝国主義に比べると支配がすごく弱い。戦後民主主義的な労働者階級の力関係の中で厳しいものがあるんじゃないかと思います。
  それからもう一つ、国労の5・27裁判で無罪をとって、それ自身ビックリ仰天なんですけど、もっとビックリしたのは検事が控訴しなかったということ。これは説明のしようがなくて、結局支配が崩壊しているというふうに説明するしかない。そのくらい大変なことです。だって、富山裁判なんて、明白な無罪判決があっても控訴するわけでしょ。まずは控訴するわけです、検事というのは。それができないというのは、やっぱり8・30情勢の中で支配が崩壊を開始している一つの表れじゃないかと。もう一つ言えば、「暴処法」組も含めた8学生奪還を勝ちとったのも、ブルジョアジーを体現する検察庁というか裁判所が動揺しているということの結果だと。
  こういうふうに見たときに、改めて最弱の環・日帝というのは、そういう形で今目の前に現れていると思う。だから、マルクス、レーニン、そして革共同(しいて言えば本多書記長ということになるんだけど)、われわれ革共同には、そういう歴史的・世界史的位置があるんだ。アーリーン・井上さんじゃないけど、「私たちってすごいのかも」と。われわれれ自身が世界史的使命ということを自覚して、世界のプロレタリアートに先駆けて日本帝国主義を打倒しようというのは、最弱の環・日帝という表現に表れている革共同の認識じゃないかと思います。

●講師

 僕自身も講師をやってみて、すごくつかめるものがあった。2010年決戦、とくにこの1−3月、国鉄決戦を基軸にしてということに魂入れてこじ開けたいと思います。それを最後確認して、自分の決意としても明らかにしたい。

党学校通信 p18-28  受講レポート

受講レポートから ★『帝国主義論』(下)のレポートです。

【t】

 改めて『帝国主義論』を読み、その後、途中まで読んでいた『資本論』をようやく読了しました。衝撃を受けました。「『帝国主義論』とは、『資本論』の継承ではないか!」と。レーニンは、本当に『資本論』を読んでいたというか、『資本論』に結実したマルクス・エンゲルスの思想を継承しきったものとして『帝国主義論』があったのだと、これがロシア革命勝利の最深の根拠なのだと確信しました。
  このような問題意識をもって今回臨みましたが、講義と討論を通して、さらに深まったと思いました。世界大戦の勃発と全勢力の屈服という中で、レーニンが、自らの闘いの地平でもあった「バーゼル宣言」を「徹底的にあざけり」、『資本論』の地平という原点に立ち返って、それを復権させるものとして『帝国主義論』があったのだと、非常に感動しました。
  『資本論』でも『帝国主義論』でも問われているテーマ、通底するテーマは一つで、「階級的団結の復権」という事だと思います。それは現代の階級闘争においても貫かれています。綱領草案でも提起されている通り、「一切のかぎはあらゆる分断をうち破って団結を拡大していくことである」のです。
  表面のみを見れば、単なる政治動向、党派動向、あるいはいろいろある政策の一つにしか見えないものの根拠となる経済的実体・様相を明らかにし(しかも徹底的にプロレタリアートの立場から!)、それをプロレタリア世界革命の科学的根拠として提起し切ったレーニン(マルクス)の革命的執念に学び、今日の国鉄・三里塚・法大の闘いの中に生き生きと復権させていきたい。またそれを団結論として発展させ、団結そのもの(=組織!)として結実させることが2010年の課題です。党学校の同志先頭に、団結して頑張りましょう!

【F】

 『帝国主義論』を執筆したときの情勢、レーニンの問題意識と「革共同政治局1・1アピール」で提起された“党建設上の死活的課題”とが完全に重なり、きわめて実践的な学習ができたと感じました。
  まず、バーゼル宣言に対する認識が一変しました。バーゼル宣言の最後の部分は「…資本主義世界に、諸民族の平和と友好のプロレタリア世界を対置せよ!」であり、国際的な反帝国主義戦争の意義については「世界戦争の結果プロレタリア革命がおこりはしないかという支配階級の恐怖が平和の本質的な保障である」と言っています。帝国主義者に理性がありその理性にすがるものとしか理解できません。決定的なことは、これに対してレーニンが「バーゼル宣言の中に問題があった。『戦争だ、だからプロレタリア革命だ』と言い切れていない」ことを主体的に総括し、言いきるために執念と迫力をもって『帝国主義論』の研究−確立に臨んだことです。なぜそうなってしまったのかを「帝国主義支配は覆せない。労働者にその力はない」という敗北主義=労働者蔑視におちいっていた、それは「帝国主義の物質力とその労働者支配にあらかじめ負けていたから」。この現実を何としてでも覆えそうと、その「物質力」を徹底的に解明し、腐朽性=非人間性、死滅性をあばき批判し、プロレタリア革命の必要性・勝利性を提起したのだと思います。
  1917年2月革命の1年前から半年かけて執筆し、それが4月テーゼ、10月革命の勝利をもたらした歴史を継承し、主体化することだと思います。

【h】

 マルクスが、打倒対象である資本主義社会をトータルに科学的に解明しきったように、レーニンも、帝国主義段階に至った資本主義社会を解明しきって、帝国主義が資本主義の最高の発展段階であり、プロレタリア革命の前夜であることを明らかにして、革命を成し遂げた。その際、カウツキー主義(日和見主義の発生)の根拠も解明し、日和見主義との闘いこそ、革命勝利の不可欠の課題であることを鮮明にした。
  まさに、現在の我々が直面している課題そのものである。レーニン『帝国主義論』を学ぶことによって、『前進』新年号で明らかにされている世界革命への道筋が一層鮮明になったと思う。
  また、バーゼル宣言が、戦争に対して革命を対置できなかった不十分さを総括して、「侵略を内乱へ」「自国帝国主義の敗北」を掲げたことが重要だったという提起も、極めて今日的課題だと思う。その点で、世界大恐慌から世界戦争情勢の切迫の中で、自国帝国主義打倒から世界革命を真っ正面から掲げて、「万国の労働者、団結せよ」と呼びかけて闘うことこそ、今日的なマルクス主義の実践そのものだと思う。

【G】

 前回同様に、09年決戦の高揚と『前進』新年号の1・1アピールの提起、2010年国鉄決戦の決戦性という中で、高揚感の中で開かれている党学校ということで、講師からエキサイティングな提起として行われたと思います。
  予習という点では、島崎光晴著の解説本なども改めて読んでみました。その中で、「独占」とか「不均等発展」という概念が、カウツキー批判をとおして提出されたものであると書かれていました。
  1912年の第1次大戦前のバーゼル決議の1年半後に勃発した戦争に対して、バーゼル決議の内容で闘うのではなく、それを裏切ったカウツキーに対する批判は、今日の帝国主義の侵略戦争への突入という中で生まれてくる日和見主義勢力への批判が決定的・死活的であるというふうに思いました。
  その中で、バーゼル決議そのものに問題があったという講師の提起を聞いて、バーゼル決議についてもう1度読み返してみようと思いました。もちろんそれだけではなく、解説本でも言っている通り、「帝国主義はなぜ戦争を不可避とするのか」「社会排外主義が発生したのはどうしてなのか、その根拠は何か」「帝国主義は共産主義への客観的条件・前提条件をどのように生み出しているのか」「帝国主義とは何なのか」「プロレタリアートの帝国主義戦争の危機の時代における課題」など、自分自身の中で、これを契機にして改めて深めていきたいと思いました。

【J】

 非常に熱気あふれる講義でした。この熱気、資本主義、ブルジョアジーを打倒して止まない闘いの熱気、革命的気概こそ、いま一番必要なことではないかと感じていたこともあり、そのように思いました。
  〈独占〉という『帝国主義論』の問題提起に絡めて現代世界を眺めるに、まさにこれではないか、という多くの現実が目の前にある。大恐慌でとりあえず“生き残った”ヘッジファンドの親玉の1人が、NHKの取材に答えて「私たちがやることはこれからも何も変わらない」と語っていたが、彼らの年収を計算すると、下層の労働者(とりあえず年収200万)の15万年分である。これが、格差うんぬんの次元を遙かに超えた階級戦争の現実なのだ。
  他方で、ブルジョアジー自身が世界大恐慌の中で大分裂状態に突入、日米のブルジョアジーも相互に本質的には戦争状態というべき段階に入った。アジア支配をめぐる争奪戦にせよ、ドルが紙くずになりそうだという問題にせよ、日米安保の根底からの動揺にせよ、本質論として「戦争以外にいかなる解決手段があるのか?」とレーニンが指摘したとおりの情勢だ。
  民主党政権をいきなり空前の危機に叩きこんでいる小沢問題も、間違いなくこうした情勢の中で起きている。一方で国鉄闘争をめぐるブルジョアジーと連合中央の動きに示される熾烈な階級戦争が年初から激突局面に入り、他方で対外的には本質的には戦争状態に突入しているのである。帝国主義国家として基本的な準備がないままに、この情勢に突入したところに日帝ブルジョアジーの最弱の環たる所以がある。
  この全情勢とラジカルに、根底的に対決することこそが、4大産別に革命派の、革命的共産主義の拠点を打ち立てるという戦略的課題の核心的問題なのだ。そうした熱気あふれる講義でありました。

【I】

 まず、私が『帝国主義論』(後半)の講義を受け率直に感じたことは、レーニンが「バーゼル宣言」、カウツキー及びその他の改良主義者への強い怒りをストレートに表現したものがこの『帝国主義論』であり、その中の独占ということが大きな意味を持っているのだと感じました。今までの講義を受けて、いよいよ最終的な段階へと入ったのだと考えます。
  独占というのは一つには、資本主義のより高度な段階である帝国主義への過渡であると同時に、労働者階級のプロレタリア独裁−プロレタリア革命へと向かう階級闘争を不可避に生み出す、ということだと思います。今までのすべての歴史は階級闘争の歴史であり、労働者こそ自己解放性と普遍的特殊能力を本来もっている革命の主体であること、生産手段の資本による私的所有を労働者が奪い、「利潤を生むモノ」として扱われている労働者が、その本来性を取り戻して、革命を絶対に成就させ得る存在だということを改めて学んだのですが、今日、この『帝国主義論』を終え、いよいよこれから私も共産主義を体得し、実践するぞという熱い想いを抱きました。
  マルクス、エンゲルスもそうでしたが、レーニンもまた、あらゆる「理論家」から必死に、どうすればプロレタリア革命へと労働者を組織できるのかということを必死に研究し、そして労働者にはより具体的に、より解りやすくそれを提示し、共に闘うために苦闘したのだということがハッキリしました。第2インターナショナルを代表するカウツキーの流れをくむ者こそが、今日の「国鉄4者4団体派」であり、日本共産党、塩川派であり、彼らを打倒することにより、団結を強め、革命へと突き進めるのだ、という確信を得ました。
  革共同第25回全国委員会総会と綱領草案が今提起されたことは、レーニンの帝国主義論を、そして1917年ロシア革命を、この日本で日帝打倒−鳩山・民主・連合政権を打倒する−絶対にそれが可能であるという今日の時代認識と階級的労働運動という路線を現実のものへとする、本当に「これで勝てる」ということを、すべての労働者に指し示すものであると断言できます。
  そして、この事業は党と労働組合、ソビエトが一体となって推し進めることで勝てるものだと改めて感じました。検修全面外注化阻止闘争こそが、障害者を含むあらゆるものにとり絶対に必要であり、この闘いをとおして、動労千葉・動労水戸等と固く団結して、私自身も全力をあげます。まだ書きたいことは多くありますが、ひとまずここまでとします。

【D】

 ◎8学生奪還の大勝利! 核心は11月集会の力、階級の力勝負で勝ちとったということ。
  一つに、あらゆる怒りを「1047名解雇撤回」にまとめ上げた。二つに、この闘いが「これ以外ない」「後のない」政治支配体制=民主党・連合政権の急所をついていること。これは、(1)労働者支配の要として(2)民主党政権の基盤として決定的位置をもつ連合支配の破綻点だということ。ここが崩壊する時、ブルジョアジーは労働者支配と政治支配を同時に失陥する。
  一言でいって、プロ独に手がかかる。この恐怖が権力の中枢さえ倒す力になっている。『前進』新年号で、「民主党・連合政権打倒」を柱にすえたことは決定的。これが勝利の方針であることを8学生奪還が示している。
◎その上で、『帝国主義論』に引きつけて。
  徹底して生産関係から唯物論的に、弁証法でもって書かれている。生産力は(生産関係の社会化によって発展し、)「自由競争→独占」へと向かう。この発展の不均等性と市場分割の不均等性の不整合により、帝国主義戦争は不可避となる。
  また、生産力の発展は、体制内派が存在する経済的根拠を生み出す。体制内派との闘争がプロレタリアートにとって絶対不可欠であり、かつ価値創造的であることを提起している。これは、政権そのものとなった連合との闘争の不可避性と、現実の党派闘争でつかんだ価値創造性が、まさにそのもの。また、民主党・連合政権の戦争政策は、(日米間でさえも)帝国主義戦争の不可避性を実証している。
◎ついでに。民主党・連合政権打倒は、「体制内派との党派闘争」と「政治権力奪取−プロ独樹立」が、本質においてのみならず、形式においてさえ一体化している。この方針にまとめ上げていくことの決定的意義は、ここにも示されている。この決戦場としての国鉄決戦。この時、階級闘争の中の国鉄決戦の位置もハッキリするし、全人民の闘う方針になる。
◎なお、独占を労働者支配のあり方として捉えるということについて。
  (不正確な気もするが)「支配の集中が起こっている」という感じかなぁと思ってます。独占体の支配の中枢を破壊すると、その独占体の支配が崩壊するイメージ? だから、帝国主義のプロレタリア支配を倒すことで一挙に進むという感じでしょうか?
  世界の帝国主義がそれぞれどういう位置で、日帝打倒の意義はどれほどか。プロレタリア支配の観点から(もちろん経済的位置をハッキリさせることを基礎にして)見てみたいなぁと思いました。

【Q】

 今回の講義と討論をとおして思ったことは、『帝国主義論』で述べられていることは現代の我々にも通ずる問題だということだ。
  特に今回感じるのは、労働組合をめぐる問題が、レーニンの時代も同様に起こっているということである。連合を始めとする体制内指導部が、労働者の階級的利益を裏切り、その革命性を奪っている。これを今我々は、現場での闘いを通して乗り越えようとしているわけだが、それはまさに、レーニンがここで述べていることと同じだと思う。
  まさに大恐慌の時代が到来し、革命が現実に近づいている中で、これと闘わずに逃亡した塩川一派や4者4団体派的なものが何故生まれるのか、そうしたあり方を粉砕してプロレタリア革命をやるんだ、ということを後半の提起で特に強く感じた。

【q】

 『帝国主義論』が、バーゼル宣言の問題点を徹底的に総括して書かれている、というのは初めて知る視点で、非常に重要な所だと感じた。第2インターの大部分が戦争に反対し、革命を対置できなかったのも、そこに労働者階級の存在が措定されていなかったことに問題があった(特にカウツキーに)。レーニンは、その点を徹底的に総括し、『帝国主義論』をマルクス主義の復権をかけてやり抜いたということがよく分かった。
  だからこそ、我々にとってもまさに現在的課題であり、様々な日和見主義と対決して革命を実現するためにも学び直す必要があると思った。動労千葉・中野顧問の『甦る労働組合』の冒頭部分が紹介されていたが、《労働者を軽んじ、蔑視する考えに取り込まれない》という視点が当時も問われていったということをみても、今現在我々が体制内派との党派闘争をやり抜く上で、同じ問題で闘っているのだと思った。しかも「党の革命」によって、また綱領草案によってそうした立場を確立して闘っている中に、我々の勝利の展望が見える。まさに、革命情勢に間に合ったと感じた講義だった。

【i】

 『帝国主義論』序言でレーニンは、「この小著のなかで特別の注意がはらわれているのは『カウツキー主義』にたいする批判」である旨を述べている。現在は、言うまでもなくカウツキーはとうの昔に死んでおり、カウツキー主義という潮流は存在しない。だがカウツキー主義とは、要するに、帝国主義の物質力とその労働者支配にあらかじめ負けてしまっている姿勢から生じるものであると言えよう。その点では今日、たとえば4者4団体派〜体制内派はもとより、日本共産党、塩川派、反革命カクマル派にいたるまでの全潮流に共通する考え方として、われわれの周りにいくらでもあるのだと捉えなければならない。とりわけわれわれが階級的労働運動を貫こうとする時、眼前に大きくそびえ立つ壁として連合−体制内派のそれが存在する。
  レーニンがカウツキー主義批判として言及する場面とは、今われわれが感じている壁の比ではなかったに違いない。全世界のマルクス主義の師として仰ぐカウツキーその人を筆頭にして、およそ社会主義を名乗る全潮流が戦争推進派になったのである。
  絶望的とも見えたであろう状況の中で、レーニンのとった道は、問題に本当に真正面からぶつかって、帝国主義を解明しきるというものであり、理論的にそれに成功しただけでなく、実践的にプロレタリア革命を成功させたのであった。
  講師はこのレーニンの苦闘を、動労千葉・中野顧問の苦闘に引きすえて展開され圧巻であった。そう、マルクス主義の古典文献は、このように読まなければならないのだ。その点を感じさせられ、そして目前に迫った国鉄決戦への総決起の意志をうち固めてくれた学習会に出席できて本当によかったと思っています。

【v】

 今、昨年の5・27裁判の勝利を始め、ほんとに国鉄闘争の勝利の展望とプロレタリア革命の展望を引き寄せたと思います。
  そういう中で、4者4団体や連合など労働運動をめぐる日和見主義を打ち倒し、動労千葉派が組合権力をとっていく時代が来ています。今までの我々の日和見主義者への政治的批判のあり方から、今日の講義でレーニンがカウツキー派やその潮流が生まれてきた根拠を帝国主義の問題から解明し、そこに取り込まれている労働者を革命の側に取り戻そうとしていたんだと知って、そういう視点から国労本部や連合ダラ幹のあり方を見直して批判し、学習し直してオルグに突入しようと感じました。
  支配階級の側も我々の側も、今までどおりではいかない時代だと感じることが次々起きています。小沢政治献金問題も、政権政党に対してこの踏み込みは何なのか。支配階級もガタガタであること、民主党が政権を取ってない時代でも資本が莫大な献金をするのか…等、帝国主義論的にどうなのか。
  一言で言ったら、革命派にとってのチャンスです。それは、動労千葉が組合権力を取りつつも不断に資本と闘い、団結を固め続けてきた。労働者に依拠しきって闘ってきた所にあります。我々が組合権力を取っているからと、そこにあぐらをかいて失敗してしまった経験も含め、革命に勝利する党と労働組合をつくっていく年だと思います。そのために、『資本論』や『帝国主義論』の思想で武装していく所に自らの確信があると思う。

【Y】

 『帝国主義論』(前半)での“独占は労働者支配のあり方”という提起から今回の提起で、いろいろはっきりしてきたと思っています。レーニンの問題意識として、バーゼル宣言の限界(当時の社会主義者・政党・労働組合)を乗り越え、そこからプロレタリア革命という飛躍をかけて『帝国主義論』があったということ、これは実に新鮮な提起でした。
  バーゼル宣言というのは、帝国主義戦争反対を掲げた唯一の“革命的方針”というとらえ方でしたし、それを裏切ったカウツキーらの第2インター。カウツキーも第2インターも、それまでは“問題はなかった”と思っていました。
  しかし実は、資本主義の帝国主義段階への突入=労働者支配のあり方の転換に対して、カウツキーも第2インターも、これに対応できなかった。レーニンも含め、またプロレタリアート自身も、帝国主義段階という中で飛躍が問われていたのだということ。レーニンは『帝国主義論』をもってこの飛躍を成し遂げたが、カウツキーらはこの帝国主義の物質力に負けていた。
  バーゼル宣言の限界もここにあった。帝国主義の戦争に対して、プロレタリア革命をもって資本主義・帝国主義を打倒するということを、労働者階級に提起できないという限界。ここはものすごく理解できた。このことから、レーニンの『帝国主義論』というのは、とてつもない飛躍だったということがよくわかりました。
  1916年から17年ロシア革命(2月)−4月テーゼで、レーニンが帰国し、ただちにプロレタリア革命を提起することができ、10月革命勝利を手にすることができた。いわばその最大の根拠が、『帝国主義論』でのプロレタリアートの立場、時代認識・路線の確立という大飛躍にあった。『帝国主義論』の内容とともに、目が覚めるような学習でした。

【T】

 大変画期的な提起だったと思います。
  第1次世界大戦への突入と第2インターの崩壊、すさまじい弾圧の中で、レーニンが戦争に革命を対置し、カウツキー主義を粉砕してマルクス主義を復権し、世界革命の一環としてロシア革命をたぐり寄せた革命精神を実感し、学ばねばならないと思いました。どんな困難も革命の糧に転化する弁証法を見ました。
  提起の内容は、今日の革命情勢と綱領草案の地平で、これまでの『帝国主義論』の認識を大きく前進させたものだと思いました。一国主義的分析ではなく世界革命の立場で読み切るという点や、民主党政権・連合打倒の武器として読むという点、労働者階級への圧倒的な信頼をもって読むという点(スベルドロフの話、あとJRが外注化攻撃で国労組合員を外注先の監督にして分断支配攻撃をやっている話なども興味深かった)。
  今我々は、レーニンが直面した革命情勢に急速に接近していると実感しました。そして我々は、マルクス主義、綱領草案と国鉄決戦を武器にして必ず世界革命に勝利できる、そうしてやろうという気になりました。
  なお、10章で、レーニンが独占の4つの主要な現象をあげていますが、なぜここでこの4つをあげたのかという問題意識を知りたいなと思いました。

【B】

 前回講師の言われた、『帝国主義論』を労働者支配との関係で見るということについて、すごいことだと思いました。
  今私たちの社会で、まさに『帝国主義論』に書かれている状況があると感じています。金融資本による支配、それによる労働者支配。
  昨年春闘段階での「労働者の生活より、賃金を上げるより、会社は株主の方が大事」と、まさに講師の言われた通りだと思いました。
  今回、体制内(日和見主義)との闘いの重要性について感じました。しかし職場においてもっとも大変な事ですが、討論の中でも言われていた通り、私たちの言ってきた事が正しかったと言える事実(5・27臨大裁判、JR分割・民営化での証言)など情勢は良くなっていると思います。

【e】

 発言と同じになりますが、今日の講義を受けて、『資本論』とその思想・精神・理論が一体のものであることを実感しました。核心は弁証法です。
  『帝国主義論』というと、経済分析−段階論をどう規定するかということでとどまっていたり、党派闘争の書であるということだけを取り出してみたりしがちでしたが、全体を通じて、労働者階級の勝利への確信、革命性への信頼に裏づけられた、帝国主義を批判し、打倒する鋭い武器であると思いました。
  日本共産党が25回党大会を開催し、客観主義と議会主義を満展開しています。このスターリン主義の根本問題である、「革命を語りながらの、現実への屈服」を乗り越えていく視座が、『帝国主義論』−『資本論』に貫かれているものではないでしょうか。
  スターリン主義の存在とその制動・抑圧をも、階級にとっては積極的に払いのけていくものとして、決着をつけていくのが、国鉄・法大を先頭とした10年決戦です。『資本論』・『帝国主義論』を武器に闘っていこう。

【a】

 @「ついにその時代」、プロレタリア革命の大情勢を目の前(社会主義革命の前夜)にして、その決定的な問題は党と労働組合である。私にとって、全労働者の事業であるプロレタリア革命を成し遂げるために、2010年『前進』新年号とともにこの『帝国主義論』は決定的な実践編のスタートである。つまり、労働組合の中で闘ってきた私にとって、今の情勢を切り開く理論的確信である。カウツキー主義−日和見主義は、1912年バーゼル宣言にもかかわらず、1914年からの第1次大戦突入の中で、帝国主義戦争を革命へ!を裏切った。『帝国主義論』は、国鉄決戦方針にあっても、まさに日本革命の問題としてあり、2010年国鉄・4大産別決戦の中味の水路としよう。
A労働者を軽んじない、蔑視しない、のは言葉だけではなく、帝国主義をどう見るかにあるのだ。帝国主義の規定の厳密性は決定的である。それは5つの規定も重要である。しかし、これにとどまらず歴史的地位を強烈に意識しつつ、労働運動における徹底した日和見主義との闘いが、帝国主義と非妥協的・非和解的に闘うかどうかを分岐点ではっきりさせることから始まる。
B民営化とは何か。一般的には利益優先、企業の国家予算の簒奪、つまり、なりふりかまわず、ついに労働者を食わせていけない上に、膨大な赤字で国家破綻にまで至っている民営化とは、道州制という形で国を私物−私的企業の産物で、労働者支配だけ国の役目。しかし、これはこのまま行かない、プロレタリア革命しかない、労働者にその現実を繰り返し明示し、組織し、“闘えば勝てる”というものが労働組合的に甦る闘いとしていくことであろう。
C帝国主義戦争−イラク、アフガニスタンを始めとして再分割が完了したように見える場合は、アメリカ的公然たる陰謀のデッチあげ戦争である。つまり、戦場を他国にした戦争が多いが、今、ヨーロッパで、アメリカで、ブラジルで、そしてアジア・韓国・日本で起こっている闘いは、帝国主義に対する力の闘いとして、内乱的・侵略的戦争の姿態を持つかもしれない。そういう点で、今始まっている国際的労働運動の闘いの発展は、極めて重要な世界革命への水路だと感じた。

【R】

 世界大戦下の情勢においてのカウツキーの裏切りは、レーニンの闘いにあっては大変なことだったことを改めてはっきりさせられました。
  そしてこの背景には、情勢への屈服があり、その思想的根拠は“労働者は闘っても勝てない”ということがあったと言えます。
  この点を、今日の「検修全面外注化」という「第2の分割・民営化」決戦に入っている情勢と重ねるとすれば、09年の闘いにおいて「闘えば勝てる」「団結すれば勝てる」とつかんだ地平は、ものすごいことだと考えました。

【U】

 『帝国主義論』の学習でとりわけ重要なのはカウツキー(主義)との闘いだ、ということを改めて感じました。
  自分自身、党に結集以来二十数年経ち、その間何度も『帝国主義論』の学習会はやってきました。以前は、カウツキー=カクマルあるいは日共という形で捉えて現状勢を考えていましたが、今日的には塩川派あるいは4者4団体派という形で、依然として「現代のカウツキー」は現れている。しかし、これらとの闘いは、決して「陰湿な忌むべきもの」ではなく、団結を一層強固に堅固に打ち鍛えるものなんだ、という指摘はまさに日々感じることです。
  それから、以前の学習では、『帝国主義論』をどちらかといえば経済的分析としてとらえ、そこから帝国主義には終わりがある、革命状勢は必ずやってくる、というふうに読んできましたが、今回、あるいは最近になっては、帝国主義時代における労働組合の役割というものが決定的であるという読み方がなされてきて、レーニンは経済的分析のみならず、むしろ実践的にはこここそ伝えたかったことなのかな、と感じるようになってきました。
  2・13闘争の大勝利へ向け、闘っていきたい。

【O】

 久しぶりに『帝国主義論』を読みました。非常に重要な学習会でした。
  帝国主義戦争の不可避性を分割・再分割−不均等発展としてとらえることが決定的です。
  そして、カウツキー派、日和見主義との闘いです。当時、すでに第1次大戦が始まっており、その中でおしなべてカウツキー派が超帝国主義論として、“帝国主義”を美化していく勢力に転落していったこと−これは極めて今日的で、“連合”がそのものです。単に『帝国主義論』を当時の情勢と闘いとして理解するのではなく、その核心に貫かれている“労働者自己解放の思想”=マルクス主義としてしっかりとらえて、今日的=現代的に極めて普遍的であること〜こういう読み方、とらえ方をすることではないかと思いました。
  このことは、やはり5月テーゼ以降、さらには7月テーゼ、塩川一派との対決−階級的労働運動路線の職場での実践(マル青労同、学生)としてつかみとってきたこと、11月の勝利、そして何よりも綱領草案として前進した革共同の闘いと存在…これらが一体でつかんでこれたことだと思いました。
  わが党の内容と水準は、全体の闘いの中で圧倒的に前進している。このことの自信・確信、展望をもつこと。これを日々時代の中でつかみ、路線をつくりあげて闘うこと−これこそが本当の学習であり、実践ということだと痛感する。
  なお、カウツキー批判について、第7章と第9章に出てきていますが、この辺の理解がいまひとつ。

【X】

 『帝国主義論』の前半につづいて、後半もやはり独占ということが重要なこととして提起されていて、学習になりました。
  カウツキーを最悪のものとする日和見主義との闘いの死活性は、これまで自分なりにとらえてきたつもりでしたが、日和見主義の発生の根拠もまた、独占にあるということを今回あらためて学ぶことができた。これまで何度も『帝国主義論』を読んだつもりでしたが、読み込み方が足りなかったと痛感しています。
  その上で、レーニンは『帝国主義論』を帝国主義戦争が始まって第2インターナショナルが崩壊し、カウツキーなどマルクス主義者と呼ばれていた指導者たちが、日和見主義と社会排外主義を露わとしたとき怒りを爆発させて書き上げ、世界の労働者に日和見主義打倒、プロレタリア世界革命を呼びかけたと思います。
  今日、世界大恐慌に突入し、資本主義・帝国主義を打倒するべき時代が到来したと言えます。この時、いまだ帝国主義戦争には入ってはいないにもかかわらず、4者4団体派、塩川一派など、自称社会主義者、マルクス主義者が、あからさまな転向・屈服の道に転落している姿を見るにつけ、いよいよこうした日和見主義者との闘いは決定的であると確信しました。
  この点で、レーニンが帝国主義の特徴の一つとして帝国主義の腐朽性、寄生性を、独占による日和見主義の発生の不可避性としてあげていることの正しさと、このことが今日、一層深化していることとして、4者4団体派の登場や塩川一派の登場は、日和見主義、小ブル主義との闘争が死活性をもっていることをつかむことができました。

【n】

 内容の細かい所はあまり頭に入ってませんが、帝国主義が資本主義の最高に発展した段階で、それ故に腐敗・腐朽しきり、プロレタリアートの決起によって打倒される最後の段階だということが、はっきりと判りました。
  あとは、我々がその打倒を実現するために、労働者の団結をつくり出すことに全力を尽くして闘うこと。まずは自分の職場からその闘いを開始することでしょうか。昨秋から新しい職場で働いていますが、4カ月間は試用で、本採用になっておらず、リストラの話もあり、自分の職場になるのかの見通しも良く判らない状況ですが、いずれにしろ、自らの闘いを開始して、世界革命へ共に闘っていく決意です。

【C】

 前回、今回との講義を通して、やっぱり、レーニン『帝国主義論』をプロレタリア革命の書、死滅する帝国主義として読み込むことが決定的であると強く感じました。
  レーニンが、何回も力を込めて、資本主義の独占の段階、これが主要産業においてなされていること、金融寡頭制、資本の輸出と不可分であるなど、まさに帝国主義は独占への転化であり、同時に新たな時代への過渡である、このことを強調していることが決定的であると思いました。だから、すべてを革命の視点から見て提起することが決定的と思います。だから、帝国主義の腐朽性の問題、日和見主義との不可分な対決性を明らかにしていると思います。
  今回の学習会で、『甦る労働組合』を使っていたことはよかったと思います。帝国主義とは、労働者にとって何なのか、4つの視点(労働者を食わせていけない、など)を常に職場の中で展開していくことと、『帝国主義論』の中身はひとつと感じました。

【N】

 資本主義を打ち倒す時代がついに来た!
  「プロレタリア世界革命を実現する歴史的条件はすでに圧倒的に成熟している」今、レーニン『帝国主義論』を学べたのは良かった。
  自分たちの職場生産点での実践が、この情勢を主体的に引き寄せてきたのだ、そして、労働者が団結すれば必ず勝つと確信しつつ日々、闘っていこう!!と思いました。
  資本主義の独占的段階である帝国主義が行き着く先が戦争である以上、私たちは、何としてもプロレタリア世界革命を実現したいと思います。
  国鉄決戦を軸に闘いましょう!

【Z】

 バーゼル宣言をのりこえ、つき抜けて、革命と社会主義の精神をよびもどす、というレーニンの強力な意志を読みとるという点は、大変勉強になりました。

【f】

 @今回の講義で最も重要だったのは、レーニンが『帝国主義論』を書いた問題意識をきわめて鮮明にしたことだと思います。すなわちそれは、「全世界に責任をとるものとしての総括」であり、帝国主義を完全に掴みきったからこそ、帝国主義打倒の確信をガッチリと握りしめているレーニンの革命思想です。
  帝国主義の具体的分析から世界戦争不可避論へと集約していくその展開は、まさに圧巻です! 私は、そこに革命家レーニンの帝国主義打倒へかけるすさまじい熱情をみます。
A『帝国主義論』を語る上で、〈独占〉というキーワードが外すことのできないファクターであることを再認識しました。
  しかもレーニンは、ブルジョア的統計を使い、何人も反論しえない形にまで高め提起している。本当にすごい。
B今回の講義をきいて「ハッ」としたことは、「イソップの言葉」だからと言って、それを軽視したり、得手勝手に解釈したりしないこと。〈本文に即して読む〉ということが、実は本書を最も深く読むことなのではないかと考えされられました。