受講レポートから ★『帝国主義論』(下)のレポートです。
【t】
改めて『帝国主義論』を読み、その後、途中まで読んでいた『資本論』をようやく読了しました。衝撃を受けました。「『帝国主義論』とは、『資本論』の継承ではないか!」と。レーニンは、本当に『資本論』を読んでいたというか、『資本論』に結実したマルクス・エンゲルスの思想を継承しきったものとして『帝国主義論』があったのだと、これがロシア革命勝利の最深の根拠なのだと確信しました。
このような問題意識をもって今回臨みましたが、講義と討論を通して、さらに深まったと思いました。世界大戦の勃発と全勢力の屈服という中で、レーニンが、自らの闘いの地平でもあった「バーゼル宣言」を「徹底的にあざけり」、『資本論』の地平という原点に立ち返って、それを復権させるものとして『帝国主義論』があったのだと、非常に感動しました。
『資本論』でも『帝国主義論』でも問われているテーマ、通底するテーマは一つで、「階級的団結の復権」という事だと思います。それは現代の階級闘争においても貫かれています。綱領草案でも提起されている通り、「一切のかぎはあらゆる分断をうち破って団結を拡大していくことである」のです。
表面のみを見れば、単なる政治動向、党派動向、あるいはいろいろある政策の一つにしか見えないものの根拠となる経済的実体・様相を明らかにし(しかも徹底的にプロレタリアートの立場から!)、それをプロレタリア世界革命の科学的根拠として提起し切ったレーニン(マルクス)の革命的執念に学び、今日の国鉄・三里塚・法大の闘いの中に生き生きと復権させていきたい。またそれを団結論として発展させ、団結そのもの(=組織!)として結実させることが2010年の課題です。党学校の同志先頭に、団結して頑張りましょう!
【F】
『帝国主義論』を執筆したときの情勢、レーニンの問題意識と「革共同政治局1・1アピール」で提起された“党建設上の死活的課題”とが完全に重なり、きわめて実践的な学習ができたと感じました。
まず、バーゼル宣言に対する認識が一変しました。バーゼル宣言の最後の部分は「…資本主義世界に、諸民族の平和と友好のプロレタリア世界を対置せよ!」であり、国際的な反帝国主義戦争の意義については「世界戦争の結果プロレタリア革命がおこりはしないかという支配階級の恐怖が平和の本質的な保障である」と言っています。帝国主義者に理性がありその理性にすがるものとしか理解できません。決定的なことは、これに対してレーニンが「バーゼル宣言の中に問題があった。『戦争だ、だからプロレタリア革命だ』と言い切れていない」ことを主体的に総括し、言いきるために執念と迫力をもって『帝国主義論』の研究−確立に臨んだことです。なぜそうなってしまったのかを「帝国主義支配は覆せない。労働者にその力はない」という敗北主義=労働者蔑視におちいっていた、それは「帝国主義の物質力とその労働者支配にあらかじめ負けていたから」。この現実を何としてでも覆えそうと、その「物質力」を徹底的に解明し、腐朽性=非人間性、死滅性をあばき批判し、プロレタリア革命の必要性・勝利性を提起したのだと思います。
1917年2月革命の1年前から半年かけて執筆し、それが4月テーゼ、10月革命の勝利をもたらした歴史を継承し、主体化することだと思います。
【h】
マルクスが、打倒対象である資本主義社会をトータルに科学的に解明しきったように、レーニンも、帝国主義段階に至った資本主義社会を解明しきって、帝国主義が資本主義の最高の発展段階であり、プロレタリア革命の前夜であることを明らかにして、革命を成し遂げた。その際、カウツキー主義(日和見主義の発生)の根拠も解明し、日和見主義との闘いこそ、革命勝利の不可欠の課題であることを鮮明にした。
まさに、現在の我々が直面している課題そのものである。レーニン『帝国主義論』を学ぶことによって、『前進』新年号で明らかにされている世界革命への道筋が一層鮮明になったと思う。
また、バーゼル宣言が、戦争に対して革命を対置できなかった不十分さを総括して、「侵略を内乱へ」「自国帝国主義の敗北」を掲げたことが重要だったという提起も、極めて今日的課題だと思う。その点で、世界大恐慌から世界戦争情勢の切迫の中で、自国帝国主義打倒から世界革命を真っ正面から掲げて、「万国の労働者、団結せよ」と呼びかけて闘うことこそ、今日的なマルクス主義の実践そのものだと思う。
【G】
前回同様に、09年決戦の高揚と『前進』新年号の1・1アピールの提起、2010年国鉄決戦の決戦性という中で、高揚感の中で開かれている党学校ということで、講師からエキサイティングな提起として行われたと思います。
予習という点では、島崎光晴著の解説本なども改めて読んでみました。その中で、「独占」とか「不均等発展」という概念が、カウツキー批判をとおして提出されたものであると書かれていました。
1912年の第1次大戦前のバーゼル決議の1年半後に勃発した戦争に対して、バーゼル決議の内容で闘うのではなく、それを裏切ったカウツキーに対する批判は、今日の帝国主義の侵略戦争への突入という中で生まれてくる日和見主義勢力への批判が決定的・死活的であるというふうに思いました。
その中で、バーゼル決議そのものに問題があったという講師の提起を聞いて、バーゼル決議についてもう1度読み返してみようと思いました。もちろんそれだけではなく、解説本でも言っている通り、「帝国主義はなぜ戦争を不可避とするのか」「社会排外主義が発生したのはどうしてなのか、その根拠は何か」「帝国主義は共産主義への客観的条件・前提条件をどのように生み出しているのか」「帝国主義とは何なのか」「プロレタリアートの帝国主義戦争の危機の時代における課題」など、自分自身の中で、これを契機にして改めて深めていきたいと思いました。
【J】
非常に熱気あふれる講義でした。この熱気、資本主義、ブルジョアジーを打倒して止まない闘いの熱気、革命的気概こそ、いま一番必要なことではないかと感じていたこともあり、そのように思いました。
〈独占〉という『帝国主義論』の問題提起に絡めて現代世界を眺めるに、まさにこれではないか、という多くの現実が目の前にある。大恐慌でとりあえず“生き残った”ヘッジファンドの親玉の1人が、NHKの取材に答えて「私たちがやることはこれからも何も変わらない」と語っていたが、彼らの年収を計算すると、下層の労働者(とりあえず年収200万)の15万年分である。これが、格差うんぬんの次元を遙かに超えた階級戦争の現実なのだ。
他方で、ブルジョアジー自身が世界大恐慌の中で大分裂状態に突入、日米のブルジョアジーも相互に本質的には戦争状態というべき段階に入った。アジア支配をめぐる争奪戦にせよ、ドルが紙くずになりそうだという問題にせよ、日米安保の根底からの動揺にせよ、本質論として「戦争以外にいかなる解決手段があるのか?」とレーニンが指摘したとおりの情勢だ。
民主党政権をいきなり空前の危機に叩きこんでいる小沢問題も、間違いなくこうした情勢の中で起きている。一方で国鉄闘争をめぐるブルジョアジーと連合中央の動きに示される熾烈な階級戦争が年初から激突局面に入り、他方で対外的には本質的には戦争状態に突入しているのである。帝国主義国家として基本的な準備がないままに、この情勢に突入したところに日帝ブルジョアジーの最弱の環たる所以がある。
この全情勢とラジカルに、根底的に対決することこそが、4大産別に革命派の、革命的共産主義の拠点を打ち立てるという戦略的課題の核心的問題なのだ。そうした熱気あふれる講義でありました。
【I】
まず、私が『帝国主義論』(後半)の講義を受け率直に感じたことは、レーニンが「バーゼル宣言」、カウツキー及びその他の改良主義者への強い怒りをストレートに表現したものがこの『帝国主義論』であり、その中の独占ということが大きな意味を持っているのだと感じました。今までの講義を受けて、いよいよ最終的な段階へと入ったのだと考えます。
独占というのは一つには、資本主義のより高度な段階である帝国主義への過渡であると同時に、労働者階級のプロレタリア独裁−プロレタリア革命へと向かう階級闘争を不可避に生み出す、ということだと思います。今までのすべての歴史は階級闘争の歴史であり、労働者こそ自己解放性と普遍的特殊能力を本来もっている革命の主体であること、生産手段の資本による私的所有を労働者が奪い、「利潤を生むモノ」として扱われている労働者が、その本来性を取り戻して、革命を絶対に成就させ得る存在だということを改めて学んだのですが、今日、この『帝国主義論』を終え、いよいよこれから私も共産主義を体得し、実践するぞという熱い想いを抱きました。
マルクス、エンゲルスもそうでしたが、レーニンもまた、あらゆる「理論家」から必死に、どうすればプロレタリア革命へと労働者を組織できるのかということを必死に研究し、そして労働者にはより具体的に、より解りやすくそれを提示し、共に闘うために苦闘したのだということがハッキリしました。第2インターナショナルを代表するカウツキーの流れをくむ者こそが、今日の「国鉄4者4団体派」であり、日本共産党、塩川派であり、彼らを打倒することにより、団結を強め、革命へと突き進めるのだ、という確信を得ました。
革共同第25回全国委員会総会と綱領草案が今提起されたことは、レーニンの帝国主義論を、そして1917年ロシア革命を、この日本で日帝打倒−鳩山・民主・連合政権を打倒する−絶対にそれが可能であるという今日の時代認識と階級的労働運動という路線を現実のものへとする、本当に「これで勝てる」ということを、すべての労働者に指し示すものであると断言できます。
そして、この事業は党と労働組合、ソビエトが一体となって推し進めることで勝てるものだと改めて感じました。検修全面外注化阻止闘争こそが、障害者を含むあらゆるものにとり絶対に必要であり、この闘いをとおして、動労千葉・動労水戸等と固く団結して、私自身も全力をあげます。まだ書きたいことは多くありますが、ひとまずここまでとします。
【D】
◎8学生奪還の大勝利! 核心は11月集会の力、階級の力勝負で勝ちとったということ。
一つに、あらゆる怒りを「1047名解雇撤回」にまとめ上げた。二つに、この闘いが「これ以外ない」「後のない」政治支配体制=民主党・連合政権の急所をついていること。これは、(1)労働者支配の要として(2)民主党政権の基盤として決定的位置をもつ連合支配の破綻点だということ。ここが崩壊する時、ブルジョアジーは労働者支配と政治支配を同時に失陥する。
一言でいって、プロ独に手がかかる。この恐怖が権力の中枢さえ倒す力になっている。『前進』新年号で、「民主党・連合政権打倒」を柱にすえたことは決定的。これが勝利の方針であることを8学生奪還が示している。
◎その上で、『帝国主義論』に引きつけて。
徹底して生産関係から唯物論的に、弁証法でもって書かれている。生産力は(生産関係の社会化によって発展し、)「自由競争→独占」へと向かう。この発展の不均等性と市場分割の不均等性の不整合により、帝国主義戦争は不可避となる。
また、生産力の発展は、体制内派が存在する経済的根拠を生み出す。体制内派との闘争がプロレタリアートにとって絶対不可欠であり、かつ価値創造的であることを提起している。これは、政権そのものとなった連合との闘争の不可避性と、現実の党派闘争でつかんだ価値創造性が、まさにそのもの。また、民主党・連合政権の戦争政策は、(日米間でさえも)帝国主義戦争の不可避性を実証している。
◎ついでに。民主党・連合政権打倒は、「体制内派との党派闘争」と「政治権力奪取−プロ独樹立」が、本質においてのみならず、形式においてさえ一体化している。この方針にまとめ上げていくことの決定的意義は、ここにも示されている。この決戦場としての国鉄決戦。この時、階級闘争の中の国鉄決戦の位置もハッキリするし、全人民の闘う方針になる。
◎なお、独占を労働者支配のあり方として捉えるということについて。
(不正確な気もするが)「支配の集中が起こっている」という感じかなぁと思ってます。独占体の支配の中枢を破壊すると、その独占体の支配が崩壊するイメージ? だから、帝国主義のプロレタリア支配を倒すことで一挙に進むという感じでしょうか?
世界の帝国主義がそれぞれどういう位置で、日帝打倒の意義はどれほどか。プロレタリア支配の観点から(もちろん経済的位置をハッキリさせることを基礎にして)見てみたいなぁと思いました。
【Q】
今回の講義と討論をとおして思ったことは、『帝国主義論』で述べられていることは現代の我々にも通ずる問題だということだ。
特に今回感じるのは、労働組合をめぐる問題が、レーニンの時代も同様に起こっているということである。連合を始めとする体制内指導部が、労働者の階級的利益を裏切り、その革命性を奪っている。これを今我々は、現場での闘いを通して乗り越えようとしているわけだが、それはまさに、レーニンがここで述べていることと同じだと思う。
まさに大恐慌の時代が到来し、革命が現実に近づいている中で、これと闘わずに逃亡した塩川一派や4者4団体派的なものが何故生まれるのか、そうしたあり方を粉砕してプロレタリア革命をやるんだ、ということを後半の提起で特に強く感じた。
【q】
『帝国主義論』が、バーゼル宣言の問題点を徹底的に総括して書かれている、というのは初めて知る視点で、非常に重要な所だと感じた。第2インターの大部分が戦争に反対し、革命を対置できなかったのも、そこに労働者階級の存在が措定されていなかったことに問題があった(特にカウツキーに)。レーニンは、その点を徹底的に総括し、『帝国主義論』をマルクス主義の復権をかけてやり抜いたということがよく分かった。
だからこそ、我々にとってもまさに現在的課題であり、様々な日和見主義と対決して革命を実現するためにも学び直す必要があると思った。動労千葉・中野顧問の『甦る労働組合』の冒頭部分が紹介されていたが、《労働者を軽んじ、蔑視する考えに取り込まれない》という視点が当時も問われていったということをみても、今現在我々が体制内派との党派闘争をやり抜く上で、同じ問題で闘っているのだと思った。しかも「党の革命」によって、また綱領草案によってそうした立場を確立して闘っている中に、我々の勝利の展望が見える。まさに、革命情勢に間に合ったと感じた講義だった。
【i】
『帝国主義論』序言でレーニンは、「この小著のなかで特別の注意がはらわれているのは『カウツキー主義』にたいする批判」である旨を述べている。現在は、言うまでもなくカウツキーはとうの昔に死んでおり、カウツキー主義という潮流は存在しない。だがカウツキー主義とは、要するに、帝国主義の物質力とその労働者支配にあらかじめ負けてしまっている姿勢から生じるものであると言えよう。その点では今日、たとえば4者4団体派〜体制内派はもとより、日本共産党、塩川派、反革命カクマル派にいたるまでの全潮流に共通する考え方として、われわれの周りにいくらでもあるのだと捉えなければならない。とりわけわれわれが階級的労働運動を貫こうとする時、眼前に大きくそびえ立つ壁として連合−体制内派のそれが存在する。
レーニンがカウツキー主義批判として言及する場面とは、今われわれが感じている壁の比ではなかったに違いない。全世界のマルクス主義の師として仰ぐカウツキーその人を筆頭にして、およそ社会主義を名乗る全潮流が戦争推進派になったのである。
絶望的とも見えたであろう状況の中で、レーニンのとった道は、問題に本当に真正面からぶつかって、帝国主義を解明しきるというものであり、理論的にそれに成功しただけでなく、実践的にプロレタリア革命を成功させたのであった。
講師はこのレーニンの苦闘を、動労千葉・中野顧問の苦闘に引きすえて展開され圧巻であった。そう、マルクス主義の古典文献は、このように読まなければならないのだ。その点を感じさせられ、そして目前に迫った国鉄決戦への総決起の意志をうち固めてくれた学習会に出席できて本当によかったと思っています。
【v】
今、昨年の5・27裁判の勝利を始め、ほんとに国鉄闘争の勝利の展望とプロレタリア革命の展望を引き寄せたと思います。
そういう中で、4者4団体や連合など労働運動をめぐる日和見主義を打ち倒し、動労千葉派が組合権力をとっていく時代が来ています。今までの我々の日和見主義者への政治的批判のあり方から、今日の講義でレーニンがカウツキー派やその潮流が生まれてきた根拠を帝国主義の問題から解明し、そこに取り込まれている労働者を革命の側に取り戻そうとしていたんだと知って、そういう視点から国労本部や連合ダラ幹のあり方を見直して批判し、学習し直してオルグに突入しようと感じました。
支配階級の側も我々の側も、今までどおりではいかない時代だと感じることが次々起きています。小沢政治献金問題も、政権政党に対してこの踏み込みは何なのか。支配階級もガタガタであること、民主党が政権を取ってない時代でも資本が莫大な献金をするのか…等、帝国主義論的にどうなのか。
一言で言ったら、革命派にとってのチャンスです。それは、動労千葉が組合権力を取りつつも不断に資本と闘い、団結を固め続けてきた。労働者に依拠しきって闘ってきた所にあります。我々が組合権力を取っているからと、そこにあぐらをかいて失敗してしまった経験も含め、革命に勝利する党と労働組合をつくっていく年だと思います。そのために、『資本論』や『帝国主義論』の思想で武装していく所に自らの確信があると思う。
【Y】
『帝国主義論』(前半)での“独占は労働者支配のあり方”という提起から今回の提起で、いろいろはっきりしてきたと思っています。レーニンの問題意識として、バーゼル宣言の限界(当時の社会主義者・政党・労働組合)を乗り越え、そこからプロレタリア革命という飛躍をかけて『帝国主義論』があったということ、これは実に新鮮な提起でした。
バーゼル宣言というのは、帝国主義戦争反対を掲げた唯一の“革命的方針”というとらえ方でしたし、それを裏切ったカウツキーらの第2インター。カウツキーも第2インターも、それまでは“問題はなかった”と思っていました。
しかし実は、資本主義の帝国主義段階への突入=労働者支配のあり方の転換に対して、カウツキーも第2インターも、これに対応できなかった。レーニンも含め、またプロレタリアート自身も、帝国主義段階という中で飛躍が問われていたのだということ。レーニンは『帝国主義論』をもってこの飛躍を成し遂げたが、カウツキーらはこの帝国主義の物質力に負けていた。
バーゼル宣言の限界もここにあった。帝国主義の戦争に対して、プロレタリア革命をもって資本主義・帝国主義を打倒するということを、労働者階級に提起できないという限界。ここはものすごく理解できた。このことから、レーニンの『帝国主義論』というのは、とてつもない飛躍だったということがよくわかりました。
1916年から17年ロシア革命(2月)−4月テーゼで、レーニンが帰国し、ただちにプロレタリア革命を提起することができ、10月革命勝利を手にすることができた。いわばその最大の根拠が、『帝国主義論』でのプロレタリアートの立場、時代認識・路線の確立という大飛躍にあった。『帝国主義論』の内容とともに、目が覚めるような学習でした。
【T】
大変画期的な提起だったと思います。
第1次世界大戦への突入と第2インターの崩壊、すさまじい弾圧の中で、レーニンが戦争に革命を対置し、カウツキー主義を粉砕してマルクス主義を復権し、世界革命の一環としてロシア革命をたぐり寄せた革命精神を実感し、学ばねばならないと思いました。どんな困難も革命の糧に転化する弁証法を見ました。
提起の内容は、今日の革命情勢と綱領草案の地平で、これまでの『帝国主義論』の認識を大きく前進させたものだと思いました。一国主義的分析ではなく世界革命の立場で読み切るという点や、民主党政権・連合打倒の武器として読むという点、労働者階級への圧倒的な信頼をもって読むという点(スベルドロフの話、あとJRが外注化攻撃で国労組合員を外注先の監督にして分断支配攻撃をやっている話なども興味深かった)。
今我々は、レーニンが直面した革命情勢に急速に接近していると実感しました。そして我々は、マルクス主義、綱領草案と国鉄決戦を武器にして必ず世界革命に勝利できる、そうしてやろうという気になりました。
なお、10章で、レーニンが独占の4つの主要な現象をあげていますが、なぜここでこの4つをあげたのかという問題意識を知りたいなと思いました。
【B】
前回講師の言われた、『帝国主義論』を労働者支配との関係で見るということについて、すごいことだと思いました。
今私たちの社会で、まさに『帝国主義論』に書かれている状況があると感じています。金融資本による支配、それによる労働者支配。
昨年春闘段階での「労働者の生活より、賃金を上げるより、会社は株主の方が大事」と、まさに講師の言われた通りだと思いました。
今回、体制内(日和見主義)との闘いの重要性について感じました。しかし職場においてもっとも大変な事ですが、討論の中でも言われていた通り、私たちの言ってきた事が正しかったと言える事実(5・27臨大裁判、JR分割・民営化での証言)など情勢は良くなっていると思います。
【e】
発言と同じになりますが、今日の講義を受けて、『資本論』とその思想・精神・理論が一体のものであることを実感しました。核心は弁証法です。
『帝国主義論』というと、経済分析−段階論をどう規定するかということでとどまっていたり、党派闘争の書であるということだけを取り出してみたりしがちでしたが、全体を通じて、労働者階級の勝利への確信、革命性への信頼に裏づけられた、帝国主義を批判し、打倒する鋭い武器であると思いました。
日本共産党が25回党大会を開催し、客観主義と議会主義を満展開しています。このスターリン主義の根本問題である、「革命を語りながらの、現実への屈服」を乗り越えていく視座が、『帝国主義論』−『資本論』に貫かれているものではないでしょうか。
スターリン主義の存在とその制動・抑圧をも、階級にとっては積極的に払いのけていくものとして、決着をつけていくのが、国鉄・法大を先頭とした10年決戦です。『資本論』・『帝国主義論』を武器に闘っていこう。
【a】
@「ついにその時代」、プロレタリア革命の大情勢を目の前(社会主義革命の前夜)にして、その決定的な問題は党と労働組合である。私にとって、全労働者の事業であるプロレタリア革命を成し遂げるために、2010年『前進』新年号とともにこの『帝国主義論』は決定的な実践編のスタートである。つまり、労働組合の中で闘ってきた私にとって、今の情勢を切り開く理論的確信である。カウツキー主義−日和見主義は、1912年バーゼル宣言にもかかわらず、1914年からの第1次大戦突入の中で、帝国主義戦争を革命へ!を裏切った。『帝国主義論』は、国鉄決戦方針にあっても、まさに日本革命の問題としてあり、2010年国鉄・4大産別決戦の中味の水路としよう。
A労働者を軽んじない、蔑視しない、のは言葉だけではなく、帝国主義をどう見るかにあるのだ。帝国主義の規定の厳密性は決定的である。それは5つの規定も重要である。しかし、これにとどまらず歴史的地位を強烈に意識しつつ、労働運動における徹底した日和見主義との闘いが、帝国主義と非妥協的・非和解的に闘うかどうかを分岐点ではっきりさせることから始まる。
B民営化とは何か。一般的には利益優先、企業の国家予算の簒奪、つまり、なりふりかまわず、ついに労働者を食わせていけない上に、膨大な赤字で国家破綻にまで至っている民営化とは、道州制という形で国を私物−私的企業の産物で、労働者支配だけ国の役目。しかし、これはこのまま行かない、プロレタリア革命しかない、労働者にその現実を繰り返し明示し、組織し、“闘えば勝てる”というものが労働組合的に甦る闘いとしていくことであろう。
C帝国主義戦争−イラク、アフガニスタンを始めとして再分割が完了したように見える場合は、アメリカ的公然たる陰謀のデッチあげ戦争である。つまり、戦場を他国にした戦争が多いが、今、ヨーロッパで、アメリカで、ブラジルで、そしてアジア・韓国・日本で起こっている闘いは、帝国主義に対する力の闘いとして、内乱的・侵略的戦争の姿態を持つかもしれない。そういう点で、今始まっている国際的労働運動の闘いの発展は、極めて重要な世界革命への水路だと感じた。
【R】
世界大戦下の情勢においてのカウツキーの裏切りは、レーニンの闘いにあっては大変なことだったことを改めてはっきりさせられました。
そしてこの背景には、情勢への屈服があり、その思想的根拠は“労働者は闘っても勝てない”ということがあったと言えます。
この点を、今日の「検修全面外注化」という「第2の分割・民営化」決戦に入っている情勢と重ねるとすれば、09年の闘いにおいて「闘えば勝てる」「団結すれば勝てる」とつかんだ地平は、ものすごいことだと考えました。
【U】
『帝国主義論』の学習でとりわけ重要なのはカウツキー(主義)との闘いだ、ということを改めて感じました。
自分自身、党に結集以来二十数年経ち、その間何度も『帝国主義論』の学習会はやってきました。以前は、カウツキー=カクマルあるいは日共という形で捉えて現状勢を考えていましたが、今日的には塩川派あるいは4者4団体派という形で、依然として「現代のカウツキー」は現れている。しかし、これらとの闘いは、決して「陰湿な忌むべきもの」ではなく、団結を一層強固に堅固に打ち鍛えるものなんだ、という指摘はまさに日々感じることです。
それから、以前の学習では、『帝国主義論』をどちらかといえば経済的分析としてとらえ、そこから帝国主義には終わりがある、革命状勢は必ずやってくる、というふうに読んできましたが、今回、あるいは最近になっては、帝国主義時代における労働組合の役割というものが決定的であるという読み方がなされてきて、レーニンは経済的分析のみならず、むしろ実践的にはこここそ伝えたかったことなのかな、と感じるようになってきました。
2・13闘争の大勝利へ向け、闘っていきたい。
【O】
久しぶりに『帝国主義論』を読みました。非常に重要な学習会でした。
帝国主義戦争の不可避性を分割・再分割−不均等発展としてとらえることが決定的です。
そして、カウツキー派、日和見主義との闘いです。当時、すでに第1次大戦が始まっており、その中でおしなべてカウツキー派が超帝国主義論として、“帝国主義”を美化していく勢力に転落していったこと−これは極めて今日的で、“連合”がそのものです。単に『帝国主義論』を当時の情勢と闘いとして理解するのではなく、その核心に貫かれている“労働者自己解放の思想”=マルクス主義としてしっかりとらえて、今日的=現代的に極めて普遍的であること〜こういう読み方、とらえ方をすることではないかと思いました。
このことは、やはり5月テーゼ以降、さらには7月テーゼ、塩川一派との対決−階級的労働運動路線の職場での実践(マル青労同、学生)としてつかみとってきたこと、11月の勝利、そして何よりも綱領草案として前進した革共同の闘いと存在…これらが一体でつかんでこれたことだと思いました。
わが党の内容と水準は、全体の闘いの中で圧倒的に前進している。このことの自信・確信、展望をもつこと。これを日々時代の中でつかみ、路線をつくりあげて闘うこと−これこそが本当の学習であり、実践ということだと痛感する。
なお、カウツキー批判について、第7章と第9章に出てきていますが、この辺の理解がいまひとつ。
【X】
『帝国主義論』の前半につづいて、後半もやはり独占ということが重要なこととして提起されていて、学習になりました。
カウツキーを最悪のものとする日和見主義との闘いの死活性は、これまで自分なりにとらえてきたつもりでしたが、日和見主義の発生の根拠もまた、独占にあるということを今回あらためて学ぶことができた。これまで何度も『帝国主義論』を読んだつもりでしたが、読み込み方が足りなかったと痛感しています。
その上で、レーニンは『帝国主義論』を帝国主義戦争が始まって第2インターナショナルが崩壊し、カウツキーなどマルクス主義者と呼ばれていた指導者たちが、日和見主義と社会排外主義を露わとしたとき怒りを爆発させて書き上げ、世界の労働者に日和見主義打倒、プロレタリア世界革命を呼びかけたと思います。
今日、世界大恐慌に突入し、資本主義・帝国主義を打倒するべき時代が到来したと言えます。この時、いまだ帝国主義戦争には入ってはいないにもかかわらず、4者4団体派、塩川一派など、自称社会主義者、マルクス主義者が、あからさまな転向・屈服の道に転落している姿を見るにつけ、いよいよこうした日和見主義者との闘いは決定的であると確信しました。
この点で、レーニンが帝国主義の特徴の一つとして帝国主義の腐朽性、寄生性を、独占による日和見主義の発生の不可避性としてあげていることの正しさと、このことが今日、一層深化していることとして、4者4団体派の登場や塩川一派の登場は、日和見主義、小ブル主義との闘争が死活性をもっていることをつかむことができました。
【n】
内容の細かい所はあまり頭に入ってませんが、帝国主義が資本主義の最高に発展した段階で、それ故に腐敗・腐朽しきり、プロレタリアートの決起によって打倒される最後の段階だということが、はっきりと判りました。
あとは、我々がその打倒を実現するために、労働者の団結をつくり出すことに全力を尽くして闘うこと。まずは自分の職場からその闘いを開始することでしょうか。昨秋から新しい職場で働いていますが、4カ月間は試用で、本採用になっておらず、リストラの話もあり、自分の職場になるのかの見通しも良く判らない状況ですが、いずれにしろ、自らの闘いを開始して、世界革命へ共に闘っていく決意です。
【C】
前回、今回との講義を通して、やっぱり、レーニン『帝国主義論』をプロレタリア革命の書、死滅する帝国主義として読み込むことが決定的であると強く感じました。
レーニンが、何回も力を込めて、資本主義の独占の段階、これが主要産業においてなされていること、金融寡頭制、資本の輸出と不可分であるなど、まさに帝国主義は独占への転化であり、同時に新たな時代への過渡である、このことを強調していることが決定的であると思いました。だから、すべてを革命の視点から見て提起することが決定的と思います。だから、帝国主義の腐朽性の問題、日和見主義との不可分な対決性を明らかにしていると思います。
今回の学習会で、『甦る労働組合』を使っていたことはよかったと思います。帝国主義とは、労働者にとって何なのか、4つの視点(労働者を食わせていけない、など)を常に職場の中で展開していくことと、『帝国主義論』の中身はひとつと感じました。
【N】
資本主義を打ち倒す時代がついに来た!
「プロレタリア世界革命を実現する歴史的条件はすでに圧倒的に成熟している」今、レーニン『帝国主義論』を学べたのは良かった。
自分たちの職場生産点での実践が、この情勢を主体的に引き寄せてきたのだ、そして、労働者が団結すれば必ず勝つと確信しつつ日々、闘っていこう!!と思いました。
資本主義の独占的段階である帝国主義が行き着く先が戦争である以上、私たちは、何としてもプロレタリア世界革命を実現したいと思います。
国鉄決戦を軸に闘いましょう!
【Z】
バーゼル宣言をのりこえ、つき抜けて、革命と社会主義の精神をよびもどす、というレーニンの強力な意志を読みとるという点は、大変勉強になりました。
【f】
@今回の講義で最も重要だったのは、レーニンが『帝国主義論』を書いた問題意識をきわめて鮮明にしたことだと思います。すなわちそれは、「全世界に責任をとるものとしての総括」であり、帝国主義を完全に掴みきったからこそ、帝国主義打倒の確信をガッチリと握りしめているレーニンの革命思想です。
帝国主義の具体的分析から世界戦争不可避論へと集約していくその展開は、まさに圧巻です! 私は、そこに革命家レーニンの帝国主義打倒へかけるすさまじい熱情をみます。
A『帝国主義論』を語る上で、〈独占〉というキーワードが外すことのできないファクターであることを再認識しました。
しかもレーニンは、ブルジョア的統計を使い、何人も反論しえない形にまで高め提起している。本当にすごい。
B今回の講義をきいて「ハッ」としたことは、「イソップの言葉」だからと言って、それを軽視したり、得手勝手に解釈したりしないこと。〈本文に即して読む〉ということが、実は本書を最も深く読むことなのではないかと考えされられました。 |