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2010年01月号

党学校通信

党学校機関紙 A4判月1回発行 頒価100円

今月の内容 レーニン『帝国主義論』(上)

講義概要 P1-8

★討論から- P9-16

受講レポート P17-28

2008年12月号
通信 バックナンバー
党学校通信 p1-8  講義概要

レーニン『帝国主義論』(上)

前半講義概要 講師 水木 三郎 

【はじめに−今回の党学校にあたって】

(1)ロシア革命は、時代認識と路線、労働者党建設に勝利することによって実現されたと、この間レーニン『帝国主義論』を読み通してみて率直に思った。革共同綱領草案でも、「レーニンが規定したように、帝国主義は資本主義の最高の発展段階であるが、その下では資本主義の矛盾は著しく激化し、帝国主義戦争と大恐慌の爆発はともに不可避である。帝国主義の時代はプロレタリア社会主義革命の時代そのものである」と短く言っている。まず冒頭で、この辺の魂を入れていきたい。
  今こそレーニン『帝国主義論』を最末期帝国主義の最後のあがきを打ち破る現代の『共産党宣言』=プロレタリア革命宣言として絶対に甦らせよう。
  『帝国主義論』は、今起きている事態について、一から根本的にとらえ返す、レーニン自身が猛然と学習することでもって書いた本だ。「イソップの言葉」や「奴隷の言葉」でしか書けない部分もあったけど、帝国主義の時代に生きる労働者の時代認識が全部出てる。革命家レーニンのエネルギッシュな闘いの姿がこの中にある。その根底にあるのは、プロレタリアートの自己解放性への無限の確信です。レーニン自身にとっても、ある種の転換、飛躍があった本だとはっきりさせよう。
  体制内派との対決が決定的になっている今、幸いなことに、僕らは今年の11月労働者集会の地平、韓国訪問の地平、沖縄闘争の地平、5・27裁判勝利の地平をもっている。
  それと「綱領草案」です。「革共同の半世紀にわたる歴史」と一対で自分のものにしていこう。
  国鉄の三河島事故、鶴見事故、それから三池の炭塵大爆発という中で、カクマルとの3全総での分裂の最大のテーマが、この大問題に対して国鉄職場の中でどういう闘いをやるのかという問題だった。簡単に言えば、戦闘的労働運動をめぐる白熱戦的攻防と論議があった。そういう立場でレーニン『帝国主義論』に向かっていきたい。
(2)ロシア革命は労働運動における日和見主義(今の体制内労働運動)との長期にわたる粘り強い、かつ激烈なやり合いに勝ち抜くことで勝利した。
  今の連合から日本共産党スターリン主義、カクマル、4者4団体(指導部は日本共産党・革同と社会主義協会派)に至るすべての体制内労働運動派に共通しているのは、帝国主義の持っているすさまじい物質力に対する屈服です。と同時に、「労働者は闘っても勝てない」というイデオロギーに身も心も浸っているということです。こういうものとの闘いが最も重要です。労働者は闘ったら勝てる存在なのだから。
  検修外注化の攻撃の中で、検修職場で働いている若い国鉄の青年労働者、それから非正規の下請けの労働者から聞いたんだけど、「安全の崩壊」と言われると本当に複雑な気持ちだと、俺はそこで一生懸命仕事をしている、正規であれ非正規であれ、自分の仕事に誇りをもっているからやれていると。だから、労働者の誇りをズタズタにする攻撃なんだというふうにひっくり返していかないと、ストンと入らないと言われた。そういうことも含めて、「労働者は闘っても勝てない」というイデオロギーとの闘いは、日頃ぶつかっていることだと思う。
  「労働者は闘っても勝てない」というイデオロギーの根本にあるのは、帝国主義・資本主義に対する屈服なんだということを、レーニン『帝国主義論』をとおしてハッキリさせていきたい。そういう立場で、〈時代認識と路線〉を本当に骨太につくり上げて、新たな革命戦略=戦略的総路線としての国鉄基軸の4大産別決戦の先頭に立とう。これが2010年の爆発を根本で保証する、1万人結集の力はその中にある。
(3)動労千葉と革共同の歴史こそ、レーニンの闘いとロシア革命を今日的に甦らせ、継承してきた歴史そのものであることに圧倒的な確信をもとう。
  動労千葉労働運動から徹底して学んで、動労千葉のように、動労千葉とともに闘うとよく言われます。本当に動労千葉の労働運動から学ぶということは、全同志が自分の職場で、自分の戦線で、絶対反対で階級的労働運動路線を団結基軸に闘うということ。その中から、無限の豊かさも出てくる。
  動労千葉の中野顧問の『甦る労働組合』は、レーニン『帝国主義論』をとおして〈時代認識と路線〉を確立するという点で、決定的な要になる本です。『甦る労働組合』の中には、随所に〈時代認識と路線〉の確立に関わる核心がある。レーニン『帝国主義論』の基本的な観点がぎっしり詰まった本だ。併せて自分たちのものにしていこう。
(4)「闘いつつ学ぶ」「闘いの中でこそ学ぶ」ということの決定的重要性について確認しよう。必死になって苦労して、ぶつかりながらやるのが一番の勉強だ。

【レーニン『帝国主義論』そのものにどう向かうか】

(1)まず最初の1章から最後の10章までを貫く精神、結論は、帝国主義の時代こそプロレタリア革命の時代であり、プロレタリアートが必ず勝利する時代であることを、レーニンが真正面からうち出していることを感動もってはっきりさせよう。
(2)その上で、何故、第1章「生産の集積と独占」から始まるのか。
  そこで強調されている点は、「いま生起している事態の根底にはあるものは何か」。この懸命な作業こそ、レーニン『帝国主義論』を貫く階級的魂です。
  強調したい点は、独占という問題を、階級支配の独特のあり方への転換との対決の問題として、連合を丸ごと見すえ切って打倒する問題として見ていく姿勢です。いわば「国家的独占」という形をとった独占の支配の真っ只中にいる労働者こそが、労働者支配の根幹をぶち破る決定的な戦略的位置をもっている。レーニンがなぜ第1章を独占から始めたかということの中に、4大産別決戦論をも入れ込んでわれわれの武器にしていきたい。
(3)第2章「銀行とその新しい役割」は、1章の「独占論」と一体のものとしてつかむ。
(4)この1章、2章に沿いながら第3章の金融寡頭制ということをヘソとしてつかむ。
(5)その上で、もう一つ、革共同第6回大会の第2報告で、「帝国主義・資本主義」、「資本主義・帝国主義」という言い方を意図的にしていることの意味。
  これはかなり大事なことで、簡単に言えば帝国主義というのは資本主義だということ。これは「7月テーゼ」にもかかわってくる。塩川派は、今はもう資本主義じゃないと描くから、プロレタリアートの自己解放じゃなくなる。
  いろいろ語りましたけど、どういう気持ちでこの党学校に向かい、レーニン『帝国主義論』を読もうと思っているかを最初に確認した。

【序言、序章にかえて】

 第1次世界大戦が始まったのが1914年の7月。8月にドイツがロシア、フランスに宣戦布告という中で、ドイツ社会民主党は当時のドイツの国会で、戦時公債に賛成投票する。しかし、「バーゼル宣言」が出た12年には、ロシアで「レナ鉱山のストライキと虐殺事件」などがあり、「新たな革命の波が始まった」。この中で、ロシア社会民主労働党の「プラハ協議会」が行われて、われわれの言葉で言えば階級的労働運動路線をすえる。だが当時の「社会主義の指導部」は、「バーゼル宣言」を投げ捨てて、雪崩をうって戦争に支持・協力していく。社会排外主義的な労働運動なのか革命的階級的労働運動でいくのかが、待ったなしの問題として浮かび上がった。
  レーニンは、一から全部とらえ返して、これについて主体的根拠をハッキリさせるという問題意識で『帝国主義論』を書いた。
  19世紀末から20世紀冒頭の境目に、「資本主義は変わった。マルクスの言っている通りにならなくなった」「革命ではなく社会改良だ」という主張が、当時のドイツ社民党の中で起きる。レーニンは、「資本主義は行くつくところまで行きついて、世界戦争というとてつもない矛盾を爆発させているではないか」、これと闘わないで、社会改良だなんてふざけるんじゃない」と、帝国主義というのは資本主義の最高の段階で、プロレタリア革命の前夜なんだ、と言い切ることの根拠をハッキリさせようとした。資本主義が帝国主義の段階に入るということと、労働運動の中で日和見主義が生まれてくるということは表裏一体。帝国主義との闘いは、その問題を抜きには「一つの空虚な空文句」(岩波文庫版203n)になる。

【第1章 生産の集積と独占】

●『帝国主義論』のキーワード=独占

  レーニンは、この第1章の中で、ほんの数個の独占体によって支配され、分割され尽くしている資本主義は、自由競争が支配的だった段階とは決定的に質的に変化した資本主義であることをとらえた。このような段階に移行した資本主義を帝国主義と総括した。
  もうそれ以上発展することのない歴史的生命力の尽きた資本主義、死滅しつつある資本主義として、「より高次の社会」にとって代わらなきゃいけないということを自らの胎内から噴出している最後の段階として、独占論を基軸にしながら論証していった。

●生産の集積による独占の形成

  レーニンは、「工業の巨大な成長と、ますます大規模化していく企業への生産の集中のおどろくほど急速な過程」(同28n)、「競争の独占へのこのような転化は、最新の資本主義の経済におけるもっとも重要な現象の一つ」(同30n)ということで、ドイツとアメリカの例で説明していく。
  独占論の展開を生産における集積(吸収合併も含む資本の大規模化と集中)という事実から始めています。本当に一握りが全てを支配すると言っている。しかし、1個の完全な独占体ができあがるわけではない。激しいやり合いと競争の中で、カルテル・トラスト・シンジケートという形態で世界の市場を互いに分割し、価格や生産量なども決め、事実上の独占状態をつくり出していく。

●独占による「生産の社会化」と支配・強制関係

  「生産の社会化」とは、資本主義が独占段階に入ったことを背景に、市場の問題や労働者支配の問題を含んだ言い方です。同時にすさまじい支配・強制関係だと言っています。
  一国のいっさいの原料資源を計算できる、生産の計画を立てられる。全世界の原料資源すら掌握できるところまで資本主義は発展している。それが社会のため、労働者のためではなく、一握りの独占が肥え太るために進行するところに資本主義の歴史のパラドックスがある。
  「資本主義は、その帝国主義的段階において、生産のもっとも全面的な社会化にぴったりと接近する」(同43n)。
  「接近」するけれども土台は資本主義です。「自由競争の一般的な枠はのこっているが、少数独占者のその他の住民に対する圧迫は、いままでよりも百倍も重く、きびしく、たえがたいものとなる」(同)として、「生産の社会化」とますます激しい少数独占者の圧迫、支配・強制ということを一つのものとして見ている。
  プロレタリアートにとっては、社会主義への移行の条件が成熟していることを資本主義の発展自身が示している。プロレタリアートが権力を取りさえすれば、たちまち一歩が踏み出せる。共産主義というのは遠い先のことじゃなくて、今のプロレタリアートの力で、結合した労働者の力で、社会の生産を握り運営することなんだけど、それに入ることは今すぐ可能なんだ、そういう条件を資本主義そのものがつくり出しているということをレーニンは明らかにしたかった。
  こうした独占の形成は、一国的にも世界的にも、平和的に進んでいったわけではない。非合法的暴力を含め、「何でもあり」だ。今日のわれわれから言えば、その究極の破産が今目の前にある最末期帝国主義の状態。新自由主義にしか延命の道がなく、しかもそれも破産するしかない今の帝国主義・資本主義の姿だ。今を貫く問題としてハッキリさせよう。

●独占と恐慌(独占−過剰生産力の形成−矛盾の激化)

  独占は恐慌を排除しない。むしろ全階級的・全社会的矛盾を一層激化させる。独占による価格や生産量の「調整」、独占がもたらす「生産の社会化」や技術の巨大な発展は、最も矛盾を激化させ、恐慌の新しい形態をつくり出す。
  それは根拠がある。独占は過剰な生産能力を恒常的に形成していく。鉄鋼や電機などの重工業では、工場・機械設備などの膨大な固定資本がかかる。周期ごとの恐慌で「破壊」できるような水準を超える。これへの対応として、独占のますますの形成が生まれる。過剰生産力状態が、株式バブルや不動産バブルの崩壊、金融恐慌をとおして一気に露呈する。不況はきわめて深刻化し、長期にわたって続いていく。そういう意味で、組織された資本主義の下で恐慌も起きない、革命なんて必要ないということとは、まったく違う現実が生まれていることをハッキリさせて、独占というのは、「資本主義の発展における最新の局面」の最後の言葉だ。だから、それに代わるものをプロレタリアートとして真正面から対置すべきなんだと言っている。

【第2章 銀行とその新しい役割】

●銀行業務の集積と独占

  銀行業務の発展と銀行の集積、1つの銀行への集中が現れる。銀行の取引関係、当座勘定、その他の金融業務をとおして、個々の資本家の営業状態を精密に知る可能性を得る。そうやって統制をして、その資本家の運命を決定していく。

●銀行の新しい役割

  「銀行と産業とのあいだの密接な関連」(同68n)で銀行の新しい役割があらわれる。@手形割引、当座勘定の恒常化、A巨大な量の資金をかき集める、B当座勘定で顧客の状態を詳細・完全に知りうるようになる。
  これとともに、「銀行と産業との人的結合が発展」(同69n)し、監査役会・取締役会へ銀行の重役を派遣する。その結果、「真に『普遍的性格』をもった施設への銀行の成長転化」(同72n)が進む。「古い資本主義は寿命を終えた。新しい資本主義はなにものかへの過渡である」(同75n)

【第3章 金融資本と金融寡頭制】

●金融資本の定義

  「生産の集積、そこから発生する独占」(同78n)の登場。そういう中で、「銀行と産業の融合あるいは癒着」が進む。「これが金融資本の発生史であり」、同時に「概念の内容である」(同)。
  歴史的推移と、それで資本主義の新しい段階への転回がなぜ起きたのか、その固有の中身をつかむ。この両方で接近するということ。
  では、中身は何なのか。起きていることは、遅れて資本主義に入ったドイツがイギリスに追いつけ追い越せと、徹底的に資本の蓄積のあり方を変えていく。銀行を中心に株式会社制度でもって全社会から資金をかき集めて、新たな生産設備でやっていく。短時日のうちに重工業化を推し進め、鉄鋼業でイギリスに追いつき追い抜いていく。イギリスにとっても、こういう金融資本的蓄積様式を取り入れなければ生き残れない。
  そういう過程の中で、暴力的やり合いと争闘をとおして、資本主義は帝国主義段階へと推転していく。
  イギリスの綿工業から、ドイツの鉄鋼業を中心に資本主義の産業構造が大きく変わっていく。こうして、資本の蓄積のあり方が歴史的にも変わっていく。このような金融資本の「発生史」と「概念の中身」の両方をしっかりと押さえて、帝国主義における矛盾はますます激しくなるということとしてとらえていくことが大事です。
  こうして成立した金融資本は、その圧倒的な独占の力をもって全社会を支配し、「金融寡頭制」というものをもたらす。レーニンは、この金融寡頭制ということでもって、帝国主義の持っている腐朽性と寄生性、それから末期性ということをゴリッと出した。これがあって、レーニンのイメージもどんどん膨らんでいった。

●金融寡頭制と参与制度

  金融寡頭制が実際に支配の網の目をつくっていく上での参与制度の持っている役割。
  母親会社があって子会社、さらに孫会社というような系列で、「どんな種類のうしろぐらい醜悪な所業でも天下御免」(同81n)でやれるようになっていく。
  レーニンは、銀行資本と産業資本の融合は、資本主義的独占体の形成と関連して、ロシアでも巨大な前進をとげた。だから、ロシアもプロレタリア革命なんだ、と言っている。
  ここに、なぜ『帝国主義論』が、レーニンにとっても転換になったのかが如実に出ている。

●金融資本の利潤と金融寡頭制

  「少数者の手に集積されて事実上の独占を享有している金融資本は、会社設立、有価証券の発行、国債の引き受け」(同89n)、特に国債の引き受けはボロ儲けだ。かつて考えられなかったような利潤が巨大独占体に転がり込んでいく。全社会がこの独占者にたいして「貢物」(同)を与えるような関係です。
  それから、「独占は、それがひとたび形成され、数十億の金を自由にするようになると、絶対的な不可避性をもって、政治的機構やその他どんな『こまごまとしたもの』とも無関係に、社会生活のすべての方面に浸透していく」(同96n)。
  これらは全部同時進行で、自由競争の支配したあり方を根本から廃して生まれている。それを金融寡頭制ということとして、レーニンは言おうとした。

●金融力をもつ少数国家の傑出

  「帝国主義とは、あるいは金融資本の支配とは、このような分離〔資本の所有と資本の生産への投下との分離〕が巨大な規模に達している資本主義の最高段階である。他のあらゆる形態の資本にたいする金融資本の優越は、金利生活者と金融寡頭制の支配を意味し、金融上の『力』をもつ少数国家がその他すべての国家にたいして傑出することを意味する」(同98n)
  このことについて、レーニンは第10章で、「現代ブルジョア社会の、例外なしにすべての経済機関と政治機関のうえに、従属関係の濃密な網をはりめぐらしている金融寡頭制」(同200n)ともう一回言っている。この中に、独占の「もっともあざやかな現われ」(同)がある。
  しかし、金融寡頭制について、闘っても勝てない怪物みたいに描くのはナンセンスだ。腐敗しきったデタラメな支配であって、もう労働者階級が引導を渡さない限りダメなところに来ていると、金融寡頭制という言い方の中にレーニンが込めた気持ちをハッキリさせて読んでいこう。
  金融資本という形で打倒すべきものがハッキリするということは、逆にこういう形で、全世界がどうなっているかをつかめるようになるということでもある。じゃあ全世界でどういうふうに展開しているのか。それを見ていくカギは「資本の輸出」だ。

【第4章 資本の輸出】

(1)「独占が支配している最新の資本主義にとっては、資本の輸出が典型的となった」(同102n)
  イギリスが他の国に先んじて資本主義国となった。19世紀の中頃には自由貿易制度を採用して、みずから「世界の工場」の役割をひきうけた。他の国々は、この製造品と引き換えに、イギリスに原料を提供する関係だった。
  19世紀から20世紀のしきいぎわに、イギリスに対するドイツ、イギリスに対するアメリカ、こういう少数の一握りの独占的な国家のやり合い、争闘がどんどん始まる。その結果は、「第一には、資本主義の発達したすべての国における資本家たちの独占団体の形成であり、第二には、〔一国内だけじゃなくて世界的規模で〕資本の蓄積が巨大な規模に達した少数のもっとも富んだ国々の独占的地位の形成である」(同)。
  そういう中で、「先進諸国では厖大な『資本の過剰』が生じた」(同)。
(2)「資本の過剰は、国外へ、後進諸国へ、資本を輸出することによって利潤をひきあげることに用いられる」(同103n)。この主体は金融寡頭制だ。
  資本輸出というのは、たちどころに勢力圏の問題、植民地の問題、他の少数の豊かな金融資本の国とのやり合いだ。これは現在的にもそうである。
(3)少数の一握りの国が「爛熟」し、国内に「有利な」投下の場所がないことから、資本輸出をとおして全世界を、全地球をはじめて資本主義がとらえたということになる。全地球的に「武器をとる人びと」(『共産党宣言』)をつくったということでもある。今も完全にそうだ。
(4)「資本の輸出は、その資本がむけられる国で、資本主義の発展に影響をおよぼし、その発展を異常に促進する」(同107n)
  資本輸出が一気に全世界を一変していくという状態を、こういう形で表現している。
(5)とりわけそういう中で、「資本を輸出する国にとっては、ほとんどつねに、特定の『利益』をえられる可能性がえられる」(同)。だから、ここで他の列強との対立が起きるし、労働者に対する激しい抑圧と弾圧も起きる。
(6)「金融資本は独占の時代をつくりだした。独占はいたるところで独占の原理をともなう」(同108n)
(7)最後に、「金融資本は自分の網を、世界のすべての国のうえに文字どおり張りめぐらす」(同109n)。
  資本主義が帝国主義段階に突入することによって、全地球を資本主義化することによって、ある種われわれから言えば世界革命の条件なんだけど、現実的に「一つの世界」が生まれる。
◆「資本を輸出している国は、比喩的な意味で、世界を自分たちのあいだに分割した。ところが、金融資本はまた世界の直接的な分割をもたらした」(同111n)
  「比喩的な意味で」というのは、各国の資本輸出の大小で世界の勢力図がつくられるという意味合い。しかし、金融資本がつくった国際カルテル(協定)をとった場合には、むしろ「直接的」。資本輸出は、帝国主義同士の世界市場の分割・再分割のより有利な位置をとるためにも、経済的・政治的・軍事的な勢力圏の形成をめぐるやり合いとなっていく。

  (前半講義了)

党学校通信 p9-16

討論から

●X

 今日の学校の講師からの提起で、独占を支配関係という点で常にとらえているという指摘が、これまでにない新鮮な感じがしました。確かに、資本主義社会の生産関係や所有関係というのは、労働者に対する支配関係として登場するということで、新たにああそうかというふうに思った。
  その上で、独占が金融寡頭制という形で拡大して全世界的に労働者を支配していくもとで、現代の労働者の団結というのは、確かに資本による大工業の発展というのが生み出したという点からすれば、この独占というのがものすごい労働者の世界的な団結を生み出したはずなんだけども、労働組合が連合とかそういう体制内派に牛耳られることによって、それが発展できない。そこの所を変えていくことによって、われわれは最末期の帝国主義にまで至った資本主義の発展が階級支配を転覆し、終わらせていく、打倒することができるんだということを改めて、今日の提起で私としては分かりました。

●e

 今日は『帝国主義論』ということで、何度も学習してきた内容ではあるんですけども、やっぱり時代認識を改めて打ち立てていくという意味で非常に重要だなと思った。レーニンが当時の時代をどう見ていたのかということだし、僕らは今の時代をどう見るのかという問題として、学んでいくことが重要だなと思ったということです。
  この12月、学生は全学連拡大中央委員会を開催して、内容的にも、この09年を総括して10年の決戦にのりこんでいくんだ、8学生奪還なんだということでやった。その組織戦の過程で課題になったのが時代認識なんです。今のこの時代をどう見るのかということがかなり課題となって、これは学生でも、労戦等々でも一緒だと思うんです。結局今の時代はおかしいと、この『帝国主義論』で言えば腐敗しまくっているというのはあって、そこへの怒りはあっても、けどやっぱり就活だ、資格取得なんだと、単位がどうのこうのというふうに縛られる。それをいかに突破するのかということで、僕らの側の宣伝・扇動ということが問われている。そこにおいてひとつ重要なのはスターリン主義の問題です。
  今、スターリン主義・日本共産党が「ルールある資本主義」と言っているという問題だけじゃなくて、スターリン主義がロシア革命を歪曲して以後、ずっと今まで階級闘争の中にもたらしてきたイデオロギーだとか時代観だとかいうのが、この『帝国主義論』というものを解体してきて、今も続いている。だから、結局資本主義は続くんじゃないですかと、無茶苦茶腐敗はしているけども、確かに戦争の危機というのもあるのかもしれないけども続くんじゃないですかと。だったら、就活しないと自分の生活、人生ないですよ、という話になってくるわけです。
  今の学生は、生まれた時から新自由主義で、ソ連だとか関係ない。ソ連なんて、もう昔の話でしょ、総評って何ですかって話。だから、逆にそれをひっくり返したときは、ものすごい根底的な決起になる。それをひっくり返すためにも、今日提起されたような、帝国主義というのが資本主義の最高の発展段階であると共に革命前夜なんだということを、どれだけ自分の時代認識としてハッキリさせていけるのか、そしてそれを大衆的にハッキリさせていけるのかということが、決定的な武器となるなと思っている。そういう観点から、改めて独占ということをキーワードに出されたんですけども、スターリン主義の時代観・社会観ということをぶち破ってつくっていく、復権していくということが決定的だなと。
  4大産別決戦論ということでも、この間討論してきているんですけど、本当に労働者階級が立ち上がったときに、もう直ちに共産主義を建設していける、このギリギリのところに来ているんだと。だからこそ決意が大変なんだというところではあって、そこで本当に人生選択として獲得していくというのが勝負だなという観点から、今日の『帝国主義論』を改めて決定的なものだなというふうに思いました。

●I

 初歩的な質問ですけど、「金融寡頭制」の所で「参与制度」というのがあったんですけど、これがもうひとつ分からない。金融寡頭制と関連があるというのは分かるんですけども。

●d

 企業とかに取締役とか何とかという形で、銀行・金融資本が出ていって、その会社の政策とか経営とかに全面的に口を出していくというようなことじゃないんですか、人を送って。だから、すぐに資金を引き揚げちゃったり、つぶしたりということをやれる。

●講師

 それが金融寡頭制の支配を強めていく重要なテコになっている、そういう役割を果たしているというような意味じゃないでしょうか。

●O

 企業の中に銀行の頭取なり何なりが一角に必ず入っている。そういうのがいわゆる「参与制度」。会社の金融関係とか全部、資産とか含めて銀行は分かるわけじゃないですか。だから、資金を貸す、引き揚げるということも含めて、全部銀行というものが力を持つことになる。そういう頭取なり何なり、今回の日航もそうだけど、そういう形でそこに入っていく。分かりやすく言えばそういうことだと思う。
  その上で、遅れた資本主義であるドイツでは金融資本的な蓄積様式のもとで、重工業で金融資本をガンガン形成していく。それに対して産業資本的な蓄積様式でやってたイギリスは、生き延びるために金融資本的蓄積様式をどんどん取り入れていく「以外になかった」と書いてある。いつもこの辺を誰かから質問されて答えられなくて、どういうふうに考えたらいいのかなと。
  ドイツそのものは、世界が完全に分割されて、いわゆる再分割戦という状況に入っていくということで、結局そういうやり方しかなかったということはそうだと思う。だけど、イギリスが膨大な植民地を持っているわけじゃない。だから、持っているそこをやってればそのまま行けるんじゃないかと一方では思えなくもない。
  もちろんドイツなんかが金融資本的にガンガン入っていくということだから、単純にそういうふうには言えないと思う。ただ『帝国主義論』の中で、「それ以外になかった」と言っている、イギリスもそういうところに行くしかなかったという。その辺をどう考えたらいいのかというのがひとつある。

●n

 よく分からないんで想像なんだけど、イギリスは最初にそういう膨大な植民地を持ったから、株式なんかなくても膨大な土地があったり、膨大なカネがあって工場つくったりが出来て、それでそのまま牧歌的にやってきたんじゃないですか。それに対してドイツは、そういうのがないところから行ったから、まず資金をどうするかということで株式制度みたいなのを充実して、そこでもってカネを世界からかき集めたりしないと自前の工場も出来ない、何も出来ないというのがあったということじゃないですか。

●A

 独占の方向に行くしかなかったということでしょ。独占と言っても資本主義で、資本主義というのはどこまでも資本家同士は蹴手繰り合って、競争し合って、相手をつぶしちゃう。それが独占的な関係でやられる中で、ドイツの挑戦を受けてほっとくと自分たちが負けちゃうという関係だと思う。

●i

 産業構造が変わったということがある。19世紀末から20世紀冒頭にかけての産業構造は、繊維産業から大きく重工業に変わっていく。鉄鋼業など重工業は巨額な資金が必要で、それを調達するための銀行を中心とした株式会社制度なり何なりがあって、それが独占の形成を促進する。
  一方、資本の輸出の問題だけど、イギリスにおける資本の輸出は、そういう産業構造の変化に見合ったというよりも、実際は世界の工場となって集まった大量の資金とか資本をどこに投下したかと言ったら、植民地なり、あるいは後進国の国債に投下してその利子をとって、それで国際収支の循環をやった。そういう意味で言ったら、ドイツ的な形での重工業を中心とした銀行、金融寡頭制とはちょっと外れたような形になっていたと思う。そこが違うんだということなんじゃないかと、僕は理解しているんですけど。

●講師

  ベースには、資本主義の独占的段階というのがまずあって、生産力の一番水準の高いところが握っていくんです、結局。そこに見合わなかったら競争に勝てない、どういう形であれ。そういう点では、ドイツが先進的な資本主義を代表していた、その当時。それに勝つには、同じものを取り入れる以外競争にならない。そこを抜きに植民地があっても、それは資本主義の基本的な生産のところをどこが握っているか、どういう資本のあり方が握っているかで決まる。金融資本の“発生史とその概念の中身”と『帝国主義論』の中でもわざわざ言っているということは、単純に自由競争の延長で独占が発展してきたんじゃなくて、そのことを含むと思う。
  それは、7章で鮮やかに出るわけです、鉄道の延伸と鉄鋼の生産量によって。そこでもう一回論議しましょう。そこの所の問題が、非常にハッキリするから。

●T

 ここの所は僕は、イギリスは植民地があって、そこにドイツが金融資本的に殴り込みをかけることに対して、イギリスとかフランスが植民地的な力を背景に対抗する。そこで、ドイツは戦争するしかなくなるという流れかなと思って。

●a

 今日の提起で、最初の講師の“どういう立場でこれを提起するのか”の最後の所に、「バーゼル宣言」の問題を極めて今日的な問題であるというふうに出した。そういう点では、やっぱりこれが、レーニンがフランス語版への序言で言っているように、1914年から18年の第1次世界大戦にものすごく起因しているということについてハッキリさせた上で、この序言においては、核心的にはロシア革命の問題と、それから帝国主義の問題について断言していると思う。だから、あえて様々なブルジョアジーの検閲上の考慮をして書き直す必要はないという形で出した上で、非経済的なことについては言及しないとわざわざ書いてある。そういう点では、今言った論争というのを私は、1914年から18年の当時の第1次世界大戦をどう見ていくのか、それからレーニンが分けた3つのイギリスが植民地型とかいう帝国主義の規定の問題を通り抜けて、帝国主義の腐朽性と最終的には打倒するべき対象だという、1920年のレーニンの提起ということを「バーゼル宣言」の問題と含めて、まだ前半だけですけど、すごく受け止めている。
  そういう点では、レーニンが非経済的なことには言及しないと言いながら言っていることで、講師が抜き書きした所で1個、最後まで抜き書きして欲しかった所がある。それは第2章の最初の銀行の所の3行目に、「資本家階級の処分にゆだねる」っていう、ここに階級という問題が出てくるわけ、資本家階級というのが。岩波文庫版で言うと51n。
  「銀行の基本的で本源的な業務は支払の仲介である。これと関連して、銀行は遊休貨幣資本を機能資本に、すなわち利潤を生む資本に転化し、ありとあらゆる貨幣収入をかきあつめて、それを資本家階級の処分にゆだねる」
  それは、「資本家階級の処分」っていう資本家階級という形の中に、逆に言えば労働者階級の問題ということを言っているのがイソップ的なのかなと、ちょっと思ったんです。

●g

 僕は『帝国主義論』は結構苦手ということもあったんですけど、改めて今回『帝国主義論』をやって重要だなと思ったのは、“なぜ『帝国主義論』をやるのか”とか結構心構えとかいろいろはじめに書かれていた所。
  この『帝国主義論』を僕は最近見直したりしてて、すごい党派闘争的なものだなというのを感じる。今日配られた年表でもそうなんですけど、『帝国主義論』を書くまでには、『第2インターナショナルの崩壊』とか『社会主義と戦争』とか、「バーゼル宣言」から転向していくようなカウツキーとか日和見主義者に対して、とにかく徹底的に論破するということでかなり構えて書いているし、『帝国主義論』のはじめの方にあったと思うんですけど、帝国主義を支える最後の支柱が日和見主義なんだというところで、革命はできる、帝国主義というのは資本主義の最後の形態であるということで暴露し尽くしたものだと思うんです。そういう意味で今日的にとらえ返すというのは、すごい必要だなと思った。
  今回まだ最後までやってないんですけど、独占と金融寡頭制という、そういう時代認識というのを『共産党宣言』と一緒に絡めて自分の中で体現していくということだと思うし、そもそも労働者は革命的だし、元来、生産が社会的労働になってきて共産主義を実現できる社会の基礎がもうすでにあるというものとして『帝国主義論』をつかむというのがやっぱり重要だと。
  今、日本共産党は、東大では「ルールある資本主義」で講演しているとか、JR総連の松崎は、「労働者は革命できないから資本の言いなりになって、このまま民営化を率先してやればいいんだ」みたいなことを言っている中で、そういう奴らに対して、労働者がとるに足らない存在として力がない、というようなことを言っている存在に対して、『帝国主義論』というのは“時代認識で労働者は革命ができるんだ”ということを言っているというものとしてやっていくというのが重要なんだというのを、今日改めて思った。そういう意味で、オルグとかでも、ちゃんとそういうのをとらえて『帝国主義論』をやりたい、やらなきゃいけないなと思っている。

●講師

 今、後半のところで言われたレーニン『帝国主義論』の党派闘争の問題。むしろ、モロそこのところから『帝国主義論』をとらえないといけないと思っている。それこそ「奴隷の言葉」ではあっても本当に真実を出して、闘うのかどうかということを含んでいく過程に入るんです。だから、今の指摘はすごく大事なことだと思います。

●g

 付け足しなんですけど、『帝国主義論』をちゃんとつかまないと、綱領草案も出て、今の時代をどう見るのか、いわゆる「段階・過渡・変容・危機」という中で、綱領草案の中のロシア革命から現在までのところをバーッと書いてある所で、今の大恐慌情勢というのが、帝国主義の「過去1世紀にわたって積み重ねられた全矛盾の爆発」であると簡潔に書いてあって、それはすごいなと思ってて、こういう規定をちゃんとできる党派というのはわれわれしかいない。ただ、『帝国主義論』の「段階」、「独占」というのをちゃんととらえないと、こういうふうには行かないなと。本当に今、プロレタリアートの大チャンスだ、革命の時代だと言えるというのが、ひとつは、この『帝国主義論』をどう読むかにかかっているんだなとはすごく思う、というのが1つ言い忘れたことです。

●T

 最初の問題意識で言われた点がいい勉強になりました。革命的な時代認識と路線であるということと、4者4団体派との攻防の実践的問題意識で読むということと、あと動労千葉と革共同の実践的地平の中で論じるということと、「闘いつつ学ぶ」という視点で読もうという提起が驚きで、すごいなと思いました。
  あと、独占の問題で、「ブルジョアジーは歴史上革命的役割を果たした」というところからの歴史的転換が、『帝国主義論』で説明されているという指摘も非常に重要だなと思いました。
  それから、金融資本の所は、この間のアメリカのリーマンブラザーズの破綻からの過程を、こういう視点で見るというのは重要だなと思った。
  その上で、素朴な疑問は、帝国主義という概念は、昔は日本は帝国主義でカナダはどうかとか、そういう議論をやってたような気がする。レーニンも序言かなんかで、世界資本主義の今日的何とか、とかいう言い方をしているから、いわゆる帝国主義と言った場合に、どの国がどうかとか、そういうふうに問題を設定するのか、国際資本主義の世界史的段階というような、世界資本主義を問題にしているのかというのはどうなんですかね?

●講師

 後者でしょ。さっきのドイツとイギリスの違いも、違いを強調するんじゃなくて、やっぱり同じ段階に入っているんです。そういうものとして、その実際の対応の違いというのはあると思うんだけど、じゃあイギリスが良くてドイツが悪いのかということもない。それはそういうふうに論議は深めていった方がいいと思う。

●Z

 帝国主義論というのは、各国の経済政策をベースにしているわけだから、各国帝国主義論というのは存在する。例えば第1次世界大戦というのは、ドイツ型帝国主義とイギリス型帝国主義の衝突なわけ。国際的帝国主義というのは、打倒するプロレタリアートから見たときにどの帝国主義も同じだという意味では同じなんだけど。

●h

 今の論議とも関連するんですけど、マルクスは資本主義社会を科学的に解明して、むしろ労働者階級が闘うまでは革命が必要だというふうに言って、で、パリ・コミューンを総括して、やっぱり暴力革命しかないと総括して、その資本主義社会というのはどういう社会なのかというのを科学的にしっかりとやり遂げたのが『資本論』なわけだけど、獄中の同志も『資本論』を今読み始めてて、もちろん『資本論』は『資本論』として勉強するのは大事だけども、しかしもっと大事なのは、マルクス自身が「労働者にはその力があるんだ」という確信を持っている、そこが大事なんだ、織田全学連委員長はそう手紙で書いているんです。
  それはすごく大事なことで、そういう観点でレーニン『帝国主義論』を読んでいきたいと思う。レーニンの時代は帝国主義段階なわけだから、資本主義とは違った様相の新たな帝国主義社会において、これは一体どういう社会なのかと、これはマルクスの『資本論』と違うのかという問題で、帝国主義というのは資本主義の最高の発展、だから最後の発展段階、すなわちもう倒れる寸前で、労働者階級とは相入れないんだということが一番言いたかったことで、それを科学的・経済学的に解明したのが『帝国主義論』なわけでしょ。
  マルクスも同じことをやっている。スミスの『国富論』から始まって一生懸命経済学を勉強して、レーニンも同じことをやっているわけでしょ。その核心は何かと言ったら、今こそプロレタリア革命の時代なんだ、ある種『資本論』の時代以上に帝国主義によってこんなに腐敗して、寄生性というか何というか、サブプライムローンじゃないけどデタラメなことをやっている、詐欺師まがいに金貸して。こんなデタラメな社会を科学的に解明していたから、今すぐ革命できるんだ、という形で言ったのが『帝国主義論』。今すぐだ、とつかんだのがすごく大事なところじゃないかと思う。
  それから、T同志が言った、この国は資本主義なのか帝国主義なのか、というのは必要なことだと思います。革命というのは各国ごとに行われるわけだから、だから日本は帝国主義かどうなのかというのは結構大事な問題だと思う。僕らは、今の資本主義を完全に帝国主義段階に入っているものとして、ちゃんと科学的に解明して打倒対象をつかむという点で必要だし、ドイツはどうなのか、カナダはどうなのか、というのは、それはそれとしてと思うんです。
  だけど、やっぱり基本は金融資本的支配になっているかどうかというのが1つのメルクマールで、そういう意味では一応科学的につかんでいくというのは大事だと思いますけど、ただやっぱり革命というのは世界革命である。資本主義社会は世界的にはもう帝国主義段階に入ったんであって、そういうことを前提に押さえてちゃんとつかんでいくというのが大事だというふうに思います。

●M

 先日たまたまなんですけど、若い青年から『帝国主義論』で学習会やるからと誘われて行ったんです。その彼は、共産党だったんですけど、「ルールある資本主義」ふざけるな、という思いはあるんだけど、なかなかその辺を理論的に蓄積がなくて理論的に論破できない中で、今は「労働運動の力で革命をやろう」というんで一緒にやっている。
  それで結局、彼なりに「『帝国主義論』だ」と思ってレーニンの『帝国主義論』を一生懸命読んで、今日の話の中で言えば「独占」ということについてキーワードだと直感的に思ったらしく、そして自由競争と、競争と独占というのは対立しないんだと、だけど独占に転化し始めたことによって、やっぱり帝国主義に行くんだみたいなことをつかんでいるんです。
  その上で、後の方で7章だと思うんだけど、帝国主義の5つの定義ということで、独占、金融寡頭制、資本の輸出とか、そういうことでよく分かったというようなことを言っているんです。何が言いたいかと言うと、今の時代の中でそういう混迷をしている、その中でやっぱり帝国主義・資本主義、帝国主義ということを本当につかむことによって、本当の意味で自分たちが主人公だし、腐りきった社会を変えるということの理論的確信をつかめるんだという。それは、そういう青年にとっての渇望でもあるんだということに私は空気が入って、今日勉強したことも含めて、今度会った時に返そうかなと思っているんです。だから、今日の話の中でも、帝国主義・資本主義、これが大事だと言われたことがすごく印象に残りました。
  それと、私も何回か読んだけど、読み方が全然違っていて、今日の最初の講師の方の“向き合い方”、この『帝国主義論』への。特に今の4者4団体派が資本主義を擁護するということに対して、この腐り切った現実に立ち切って、そこで階級としての団結をつくるという立場でやっていくという闘い方が非常に実践的だし、カギだなということをすごく勉強しました。
  それと、独占というのは労働者支配のあり方としてとらえ返すという、さっき他の同志も言われたけど、それもまたキーワードだなと思ったので、すごく勉強になりました。

●d

 今のM同志の意見にまったく賛成なんです。今、青年とも話をしたりしているけども、今資本主義の社会でしょ、という所から話を始めて、じゃあ共産主義はいいんですか、とかいう話もしているんですけど、やっぱり今の時代は資本主義でしょ、あなたの困難は何なの、今仕事できていない、仕事がない、何もないという人なんだけど、何があなたを苦しめているのか、ということ、いや、自分が悪いんです、とかそういうふうに思ってしまう。仕事が見つからないのも、どうしても約束を守って来れないのも、いろいろ社会的に自分が間に合っていかないのも、自分が悪いんだというふうに思わされてしまっている。しかし、そうじゃないんじゃないかというところで、話を始めているんですけども、やっぱり時代認識だと思うんです。そういうところを共有しつつ、今日の話の中では、マルクスもそうだったけどレーニンも、労働者階級にこの社会を変える力がある、ということを徹底的に明らかにするということでもって、h同志も言っていたけど、時代認識で日和見主義の連中を徹底的に叩いて、それが及ぼしている害悪をコテンパンに粉砕するということでやっているのが、この『帝国主義論』だろうと。
  昔の読み方が違ったなと思うところは、帝国主義段階論においては、やっぱり何か違ってきているんじゃないかという、資本主義の根本的なところで、やっぱり違うんじゃないかみたいなところを一生懸命見ているようなところがあった。それは随分前の話ですけど、やっぱりそうじゃなくて、本当に今や目の前にしているリーマン・ショック以来の過程でハッキリしてきているけれども、独占ということをとおしても資本主義の根本的な内容が貫徹しているということだと思います。

●講師

 闘争団のある人は『資本論』を、自分が首を切られて余裕がある時に全部読んだ。また別の人は、感動したけど、モストの『資本と労働』を持って行ったら、岩波書店のモストの『資本論入門』を持っていた。そういう人が結構いるんです。だから、4者4団体派の上の人たちが政治解決と言ったって、そんなに簡単にはいかない。
  だから、本当に綱領草案です、綱領草案で論議して獲得する。今の相手は新社会党とかいろいろ党派なんです、全部。だからこそ、そこで勝負するということだと思っています。

党学校通信 p14-28  受講レポート

受講レポートから ★『帝国主義論』(上)のレポートです。

【h】

 マルクスが資本主義社会を科学的・経済学的に解明して『資本論』を完成させたように、レーニンも帝国主義を科学的・経済学的に解明して、帝国主義が資本主義の最高の段階=プロレタリア革命の前夜であることを明確にしたということだと思う。
  マルクスの時代も、レーニンの時代も、日和見主義や体制内派がばっこしていた。しかし、労働者は社会の主人公であり、社会変革の主体であることに確信をもっているがゆえに、打倒対象を捉えることができたということだ。日和見主義者には、それが見えないのだ。このことは、極めて現在的な課題そのものである。帝国主義段階である今日において、打倒対象である帝国主義をマルクス主義的にトータルにつかむこと=レーニン帝国主義論をつかむことは不可欠のことだ。
  その点で、キーワードは「独占」であり、独占とは形を変えた一層激烈な競争であり、労働者支配の一層の強化であることをつかむことだと思う。帝国主義段階の支配の腐朽性・寄生性は、一層労働者の怒りをかき立て、帝国主義を打倒しない限り労働者は生きていけないという現実は、まさに革命の前夜そのものだ。
  以前は『帝国主義論』の学習では、「なぜ帝国主義は戦争を不可避とするのか」という視点が強かったが、今回は「今こそ、革命の時代だ」と革命の現実性を訴え、日和見主義との闘争に全力で闘ったレーニンの勝利性からこそ学ばなければならないと思った。
  改めて、しっかりレーニンの『帝国主義論』を学ぼうと意欲が出てきた。最近は、原典の小さい字を読むのがおっくうだが、デジタル版なら読もうという気持ちになれる。
  なお、「資本主義・帝国主義」とあえて強調している意味について、もっと展開して欲しい。

【r】

 20年近く前に『帝国主義論』を読んだ時、丹念にノートを作ったことを思い出しました。そのとき、“帝国主義は戦争を不可避とする”“帝国主義は革命の前夜”ということを学んだ気がします。その後マルクス主義基本文献学習シリーズで、第1章の「独占」について、帝国主義論の要をなすものとして深化させることを学んだ。
  しかし、今回の提起にあった労働者階級に対する階級支配、労働者支配の独特の段階として第1章をとらえるという視点が、自分には無かったと気付かされた。また同時に、ベルンシュタインらマルクス主義を解体する連中、あるいは第2インター・カウツキーらの裏切り、体制内派との闘争など、帝国主義段階に突入した資本主義はまさに革命の前夜として、マルクス主義を復権しようと格闘しながら書いたダイナミックさをいかにつかみとるかが重要だと思う。このレーニンとロシア労働者階級の闘いを、我々が引き継ぐ闘いをやっているのだという歴史的時代認識をつかみとることだと思います。
  その上で、独占がつくり出す革命の現実性について、つかみとらねばなりません。資本主義が帝国主義段階に突入する中で、単なる戦争の現実性や資本主義の強大化のみを強調するのではなく、革命を求めて労働者階級が国際的に自国の支配階級との闘いに立ち上がるという、今日の現実と一体的に学ぶことだと思う。
  あと、最近何気なく「日帝」という帝国主義と示す表現を使わなくなっている気がしたが、「独占の段階に移行した資本主義」を「帝国主義」と規定したとあり、あまり表面的にあれこれ考えるんじゃなく、内容的に理解することで良いんだと思いました。
  実際向き合って読もうと思ったら、『帝国主義論』はやっぱり読みにくい本だ、と思ってしまうのですが、これを苦痛に思わないくらい、ちゃんとレーニンの時代、特に第1次大戦頃から学習し直したいと思いました。

【y】

 今回の講義で強く感じたことは、今日の最末期帝国主義を打倒するために、あの当時のレーニンの姿に学ぼうということです。
  「労働者は闘っても勝てない」という体制内勢力の敗北主義が、歴史的転向・裏切りとして襲いかかる一方で、自ら本物の社会主義とは何か、マルクス主義は何かと全世界で闘う労働者が党を希求し、資本の大首切りと団結して闘いぬいている。この中で、国鉄1047名解雇撤回とJR検修職場での外注化との決戦が、切っておとされている。
  労働者階級は、今こそこの腐敗し、社会を発展させる力を喪失し、戦争・改憲、民営化・労組破壊をやってしか生き延びられない帝国主義・資本主義をプロレタリア革命で打倒する時が来た。『帝国主義論』は、労働者階級こそ社会の主人公であり、資本主義を打倒し、新たな社会主義建設は可能なのだということを、大激動の中で提起した。
  1章から3章の提起で、独占についてしっかりとらえようと提起されていて、特に、独占=階級支配として提起していることにハッとさせられました。これは、労働者階級の側からとらえ返すと、「会社あっての労働者」と常々言われているが、支配階級であるブルジョアジーは、どのようにして支配をつくり出しているのかをつかむことだと思います。
  《生産の集積、そこから発生する独占、銀行と産業の融合あるいは癒着−これが、金融資本の発生史であり、金融資本の概念の内容》とありますが、資本主義が、階級闘争の中で生き延びようとしてつくり出した姿に見える。したがって、4章「資本の輸出」から、よりプロレタリア世界革命の条件はつくり出されていることを提起していると思いました。打倒対象の姿を明確にしていると思いました。つまり、俺たちが敵をここまで追いつめ、団結した力で敵を打倒できるのだ、と提起していくことだと思いました。

【I】

 党学校に参加して、最初に動労千葉の闘いの歴史、それから『共産党宣言』へとつづき、今回は『帝国主義論』の講義を受けたのですが、回を重ねるにつれて少しずつ、マルクス、エンゲルスが、「過去の理論家」ではなく、労働者階級の立場に立ち切って、『資本論』をも完成させたのだということがハッキリとしてきました。
  今日の『帝国主義論』でよりハッキリしたことは、革共同が綱領草案を出す状勢と革共同に未来の指導部が公然と登場し、1000万失業時代の今日、本気になって資本主義体制を打倒する、そういう決意と確信の下で、この党学校が開かれているし、私も60歳を超えましたが、本心から資本との対決をやり抜きたいという気持ちになったこと、その点が最大のことです。
  レジュメの副題に「ロシア革命とわれわれの立場」と言われていること、さらに講師がはじめに、「綱領草案を実現する立場で、レーニンの帝国主義論を実践する」と表明されたこと、この点が今日、私の印象の全てと言って過言ではありません。内容的には、今後さらに党学校に参加しつづけ、自分自身を深化させていくつもりですが、「独占」という問題は新鮮なインパクトを得ました。
  一つには、資本の形成→生産手段の私的所有→労働者からの収奪であり、一つには、その資本主義を打倒する労働者階級の闘いが必須のものであるということ。そして、それをプロレタリア革命へと進むために、鳩山・民主・連合政権、日共、塩川派などとの党派闘争が非常に大事だということ。1917年のロシア革命もその課題をのりこえて達成され、しかもドイツ等でも労働者階級の激しいゼネスト等が実際に行われたのにもかかわらず、また、1912年に「バーゼル宣言」が出されたにもかかわらず、カウツキー、ドイツ社民党等の祖国防衛派への転落によって敗北した。これは今、日本で、そして全世界で闘う労働者階級が直面している問題です。
  つまり、この党学校そのものが、綱領草案が出されたことを踏まえて、この日本で実際にプロレタリア革命が現実のものとなってきた時代を迎えて、一人一人が実践する立場に自分を変える場であることを改めて認識しました。最後まで食らいついていきます。まだ色々ありますが、とりあえずここまでとします。
  なお、「参与制度」は、レジュメの10頁の(二)で出ていました。

【q】

 『帝国主義論』を、現代の『共産党宣言』=プロレタリア世界革命宣言の書として甦らせよう、という最初の提起が貫かれた講義になったと思う。特に、革命を目前にした情勢下にあって、当時のレーニンも日和見主義との闘争を貫くなかで、「独占」の形成と「金融寡頭制」の中に、共産主義社会の基礎が生まれていることを見たと思う。問題は、労働者階級のなかにそれを実現できる能力があることを見ない、日和見主義にあった。
  現在の我々も、全く同じ問題を前にして闘っているのがよく分かった。
  「現在の連合から日本共産党、カクマル、4者4団体派(日本共産党・革同と社会主義協会派)から塩川一派に至るすべての体制内労働運動派に共通なのは、実は帝国主義のすさまじい物質力とその反革命的暴力の前に屈服し、『労働者は闘っても勝てない』というイデオロギーのもとに労働者の存在と闘いを低め、辱めていることにある」
  まさに、今我々が押し進めている闘いが、レーニンの時も同じ問題で苦闘し、その突破をかけてロシアの労働者階級に訴えていたと思う。「『独占』=労働者への階級支配の独特の段階、あり方としても捉えなお」し、これとの闘いをやり抜いていくことが重要だと思った。

【b】

 今日の講義で興味を持ったのは、第4章「資本の輸出」のところで、この資本輸出(独占に基づく過剰資本が原因)が、初めて全世界を資本主義化したという趣旨の講師の発言でした。それまで、後進国は原料生産(農業)に特化していたが、そこに資本が輸出されたことによって、膨大なプロレタリアートが生まれた。帝国主義段階において、まさに「万国のプロレタリアート、団結せよ!」という号令と「世界革命」という言葉が現実味を帯びる客観的情勢がつくられたのではないかと感じました。レーニンも「イソップの言葉」でしか言えなかったとはいえ、一番言いたかったことは「万国の労働者、団結せよ!」「帝国主義(金融寡頭制)を打倒せよ!」だったということが、「金融寡頭制」と「資本の輸出」についての表現から伝わってきます。
  現代は、74−75年恐慌から過剰資本が後進国に輸出され、レーニンの時代とは比べものにならないほど、プロレタリアートが世界史的存在として登場しています。7月サンフランシスコ会議、11月集会によって、日本・韓国・アメリカ・ブラジル・トルコ・フィリピン・ドイツの労働者が国境を越えて団結している。本当に素晴らしいことだと思います。

【a】

 時代認識と路線で一致するということの中味は、今の日本−世界帝国主義をどう見るかということ、「資本主義の最高段階としての帝国主義」というプロレタリアートにとって「革命前夜」という衝動と確信を持てる、持つということである。
  レーニンが1912年、第1次世界大戦の突入前の帝国主義との闘いの様々な潮流の動揺、転向、変質に対して、労働者の闘い(1871年パリ・コミューン、各国のストライキ等)に絶大な信頼を寄せてぶつけたのだと考える。文字通り、帝国主義・資本主義がその寄生性・腐朽性を深めている現実(日本韓国併合・リビア・第1次バルカン戦争)を経済的に帝国主義そのものを解明し、非和解的階級闘争への勝利の水路を開いている。
  バーゼル宣言は、「万国の社会主義諸党と労働組合とが戦争にたいする戦争の点で完全に一致したこと」を確認したにもかかわらず、波のような屈服・転向が始まった。改めて1912年〜17年〜ロシア革命の中で、この『帝国主義論』の実践的帰結を感動する。すごい! 戦争に対する態度は、帝国主義をどう見るかであり、労働者の団結の最大の場であることを党の時代認識・路線の中に見る。
  帝国主義・資本主義の歴史的成立への一見淡々とした、だが実に鮮明な資料的解明の中に、帝国主義打倒への決意、そして党派闘争への踏み込みが感じられる。
  今、私達の「時代認識と路線」、そして「党の綱領草案」で体現すべきはやはりペトログラード20万ストライキである。動労千葉の提起する1万人決起は、その始まりなのである。
  パリ・コミューンに恐怖! ヨーロッパが戦場!! この恐怖には、革命−プロレタリアート自己解放の闘いしかありえない、それがプロレタリアートの道である。

【i】

 冒頭、講師からの『帝国主義論』へのとりくみ方に関して、熱烈な提起に目が開かれた思いです。
  正直に言って私は、『帝国主義論』の展開は分かりやすいと考えていました。一国内での生産の集積と独占体の成立→金融寡頭制の形成→資本の輸出→資本家団体の間での世界の分割→列強の間での世界の分割、といった一連の流れを理解してこと足れりとしていたわけです。
  しかし、このような経済的な自然必然性のなせるわざといった風の理解では、レーニンが第1次大戦下の悲惨な現実に立ち向かったパトスを学んだことにはならないということです。レーニンは、“ツァーリズムの検閲を考慮して経済問題に限定して出版の合法性を確保した”という趣旨のことを述べていましたが、逆に言うと、だからこそわれわれは『帝国主義論』の行間を読みとる必要がある、ということではないでしょうか。
  たとえば、「独占」という語です。この語は、『帝国主義論』全体のキーワードですが、「『独占』=労働者への階級支配の独特の段階、あり方としても捉えなおす」(レジュメp3)のでなければならないという論述は、そういう読み方を全くできていなかった私には、非常に新鮮でした。
  今回、学習会前にも岩波文庫を一読しては来ましたが、その読書姿勢は反省しなければならないものであったと思います。次回、あらためて勉強しなおして、講座にのぞむ決意です。

【Y】

 1年前の『帝国主義論』も出席しましたが、今回はまた違った印象を持った。最初の「どう向かうか」のところで、講師が『帝国主義論』(レーニン)を「連合打倒論」として読むという問題意識ということを言っていたが、これは重要なことだと思いました。
  “「独占」=労働者への階級支配の独特の段階、あり方としてとらえなおす”という提起、それを戦後労働運動、とくに「連合」というものをとらえていく上で、かなり新鮮に感じました。74−75年恐慌から国鉄・分割民営化と労働組合破壊を目的とした激しい攻撃、総評が解体され、「連合」の結成に至る過程、「日本の左翼のほとんどが(ある種われわれ自身も例外にしないで)闘えなかったことによって生起」したという主体的総括を抜きにありえなかったということ。
  レーニン『帝国主義論』から、われわれが学ぶべきこと、またレーニンが『帝国主義論』の中で、独占ということが階級支配の転換であるということをはっきりさせたかったのだということを、つかみとっていくことだと思います。これはおそらく、7章以降でもっとはっきりさせられていく課題だと思います。
  それと、4大産別決戦論も『帝国主義論』でこそもっとも位置づけられる、ということもちょっと新鮮でした。
  『帝国主義論』の1章〜3章が重要、ひとつながりとなっていて(独占論)、それが4章〜6章の展開・準備となっている、という提起はなるほどと思いました。こういう観点から1章〜3章をとらえていけば、「金融寡頭制」も理解できるような気がしました。3章は、今までよく分かりませんでした。レーニンが、なぜゴリゴリ言うのか、少し理解できたような気がしました。

【g】

 勉強になりました。「独占」をどう捉えるのかが重要だと思いました。
  『帝国主義論』は、経済的事実や現象の記述が中心なので、一面的なシステム的な理解に陥りやすいし、自分もはじめの読み方はそうでした。現代社会で見える「独占」ということを、階級闘争と資本主義の労働者支配をスッ飛んで理解しようとすれば、「競争がなくなる」「戦争がなくなる」と言ったカウツキーや、「ルールある資本主義」の日共スターリン主義になるし、まったく帝国主義に闘えない。
  そうではなくて、独占を資本主義の独占の段階として、日和見主義者・スターリン主義者などと徹底的に対決する。事実、『帝国主義論』の書かれた目的もそうでしたし、独占の時代は共産主義が客観的に準備され、革命が問題になってる時代だと、きわめて党派闘争的に読む、捉えるべきだと思いました。
  また、討論での、日共だった青年が「ルールある資本主義」への疑問と怒りから『帝国主義論』に展望を見いだして、「独占」「金融寡頭制」「資本の輸出」にキーワードをつかみ、学習会を組織したという話は、空気が入りました。『帝国主義論』で正しく時代をつかむことができるという証左だと思いました。

【T】

 「はじめに」の立場性、問題意識の提起、特に連合とのたたかい、4者4団体派との実践的闘争に勝利するために『帝国主義論』にくらいつこうという講師の提起は、圧倒的に正しいと思いました。自分自身もレーニンの序言を読み返して、今日の我々が直面している体制内派とのたたかいが持っている決定的な攻防が、レーニンとロシア革命・ロシア労働者階級が直面したものと同質である、ということにとても感動しました。
  独占の問題について、これが資本主義の時代の歴史的転換=革命の時代への突入となっているという提起も、非常に戦闘的でいいと思いました。そして、「独占」=労働者への階級支配の独特の段階、あり方としてもとらえる、これを今日の連合・民主党政権のとらえとして見ていきたいという視点は、大変重要だと思いました。
  討論になった問題ですが、『帝国主義論』は各国の現状分析というよりも、「すべての国の争う余地のないブルジョア統計の総括的資料‥‥にもとづいて、世界資本主義経済の総括的様相が‥‥その国際的相互関係においてどのようなものであったかをしめすこと」(序言)とあるように、まずは国際プロレタリア階級の立場で、国際資本主義の全体的本質をつかむ所におくべきではないかと僕は思いました。各国の具体的あり方は国際資本主義の一部、肢体としてみるのがいいのかなと。そうすれば、各国の特殊的なあり方ももっと柔軟に理解できるかなと思いました。
  個人的には7〜10章が一番意味深な所が多いので、そこの提起が大変楽しみです。

【d】

 『帝国主義論』の読み方という点で、非常に党派闘争的、論争的に入っていることが重要だと思います。資本主義・帝国主義最末期−これをひっくり返す力が労働者階級の中に存在しているということに確信をもって、だからこそ眼前の帝国主義(第1次大戦に突っ込んでいく)の巨大な情勢に対して、徹底的な解明を与えていることが重要だと思いました。核心→独占ということについてをとらえていくこと。さらに、独占が労働者支配にも関係してくるという指摘は、なるほど!と思いました。
  また導入部で、国鉄(JR)労働者が「安全の崩壊」ということについて、自分たちは必死で働いている、誇りをもっている、それがズタズタにされることへの怒りがある−と言っていたことは、とても大事だと思いました。
  社保事務所の労働者と話をしたのですが、「窓口に来る労働者に精一杯その人の年金(−生活)のためになるように考え、事務をとることが『法例違反』として処分の対象になるから、これから(来年から)はそうした労働者の立場に立った業務はやれなくなる−これまでは仕事に誇りがあったが、そういうものがズタズタにされる」ということを言っていました。その人は日共系労組にいて、解雇問題には−「雇用を守る」で対応しているが、そういうことだけではない、と言いたげでした。結局、日共の時代認識=今の社会は簡単に変えられない−労働者に力がない、というところから、自分たちだけの雇用を守るだけになり、さらにそれもムリ…ということになってきている。我々が、今の時代が資本主義の終わりの時代であり、それを何より労働者が変えられる!というところに真正面からぶつかっていくことが労組オルグでも問われており、『帝国主義論』は直結しています。
  09年1月派遣切り労働者の大量な出現−経団連デモから3月春闘生きさせろゼネスト、道州制粉砕・民営化粉砕→7月国際会議、国鉄1047名闘争−11月集会−11・27判決と闘いぬいた中に、『共産党宣言』『資本論』『帝国主義論』に踏まえた綱領草案を生み出していくものがあったと思います。
  4者4団体派と対決する最前線の講師の講義は、とても力が入っていたし、実感がわきました。

【A】

 『帝国主義論』を、今我々は日々実践している闘いの中で学ぶ場合に、講師が提起された、時代が大きく転換しようとしている時、日々起こっている激動が何なのかに真正面から対決し、全面的にマルクス主義者としての立場からつかむ−というレーニンの姿勢から学ぶことが、何よりも重要と感じました。
  経験したことのない世界戦争が起こり、労働者は決死のストライキの闘いに決起している。今までの価値観では説明できない現実が次々と起こり、第2インターの重要な面々が屈服している、その中でマルクス主義を貫くレーニンの立場が、『帝国主義論』と言えると思う。その意味で、当時の時代認識をはっきりさせたものが『帝国主義論』であり『国家と革命』だ。
  11・1集会を成功させた地平からとらえ返せば、スターリン主義、社民、4者4団体派、塩川一派等と徹底的に闘い(日和見主義との闘い)、労働者階級の革命性と自己解放能力を今こそ発揮すべきとき。
  時代の転換点では、日和見主義はこの転換と種々の理屈を並べ、マルクス主義の歪曲や否定の論に祭り上げようが、それを粉砕し、転換を革命のトキとして、宣伝・扇動する我々の立場をより深めるものとして、さらに学習していく。

【B】

 『帝国主義論』について、今回の学習であらためてというか、別のものを受け止めることが出来たと感じています。
  講師の訴えた3点について、自分のおかれている状況で何が出来ているのか、不十分なのか、具体的に考えることができるようになった。これほど身近に『帝国主義論』をとらえたことはなかった。
  独占ということについても、支配関係としてとらえるということについても、今までなら資本家・企業間のものとしかとらえることができなかったが、今回一歩進んでとらえることが出来た。
  帝国主義の発生と歴史という話で、資本主義と帝国主義の区別がつけることができるようになった。

【U】

 現代日本の帝国主義としての進行・爛熟・腐敗ぶりは、一般新聞の記事にも毎日何かしら載っている。月1500万母親から小遣いもらっている鳩山とか。だが、その鳩山にお願いする労働運動もまた存在する。
  結局、時代認識と路線、これがすごい大事なことなんだと思う。その時代をレーニンはどう見ていたか、この時代をわれわれはどう見るか。言い換えれば、党派闘争を峻厳に、徹底的に進めていくことが絶対必要なんだということである。
  カクマルにしても、日本共産党にしても、4者4団体派にしても、塩川派にしても、帝国主義がこれ程までも進行し、かつまたレーニン『帝国主義論』を読んでいるであろうにもかかわらず、革命の現実性を躍起になって否定するのは、要は労働者にたいして絶望しか感じられないからだろう。われわれが『帝国主義論』を学び、あるいは綱領草案を内外に明らかにするのは、この意味で決定的なことだと思う。
  もうひとつ。「バーゼル宣言」で、戦争に対する態度という点において、「万国の社会主義諸党と労働組合とが…」と、労働組合のもつ重要な役割を明記してあることは、これまで読み流していて、今回講師からの指摘で気付き、新鮮でした。

【Q】

 今回、『帝国主義論』を学ぶにあたって新鮮に感じたことは、(討議でも言われたことだが)時代認識と路線ということである。
  レーニンが『帝国主義論』を書くことによって闘ったという第2インター・カウツキー派と、今まさに体制内労働運動をめぐって闘っている我々の現実とが同じであるということ。労働者階級による革命の現実性を、この内容をつかむことではっきりさせることが出来る。そのことをあらためて感じた。
  内容的には、次回にかけてもう少し、しっかりとつかんでいけたらと思う。

【O】

 講師の『帝国主義論』の提起の視点(「はじめに」)は重要だとあらためて思います。われわれの5月テーゼ以降の路線的=実践的前進と一体ですが、資本主義の最高の発展段階、つまりあとがない資本主義ということであり、プロレタリア革命の前夜ということですが、ここで労働者の存在、社会の主人公だということを本当につかんできていることで、革命の現実性をしっかりとつかめるところに来たと思いました。
  『帝国主義論』も、一方では帝国主義の経済的分析、他方ではカウツキー主義への日和見主義批判としてありますが、結局は“闘っても勝てない”という敗北主義との党派闘争です。資本がふりまく思想・イデオロギーとの闘いであり、資本主義・帝国主義とは何かをつかむことと一体であると思います。このあたりが、やはりとくに実践のなかで、路線としてもより鮮明になってきたのではないか、と思いました。
  “独占”については、資本主義の“基本的属性”である「自由競争」の否定−もうこの段階で、資本主義が資本主義として破産してきているということですね。これを“国家独占資本主義段階”といってごまかしてきたことも、歴史的経緯だけでなく(今日的に破産していること)、そもそも理論的にも最初から終わっているということではないか。
→次回の世界の分割(再分割)というところでも、もっとはっきりさせられていけばと思います。

【f】

 @ 今回の講義をきいて、『帝国主義論』を単なる客観的な〈帝国主義〉の〈論〉として読んでは絶対にいけないと思った。すなわち我々は、徹底して本書を〈帝国主義打倒〉の立場から読むということであり、〈現代の『共産党宣言』〉として読むという立場に立つことが必要だ。
A 『帝国主義論』をそういうものとして読めば読むほど時代認識は鮮明になり、路線も明確になる。
  講師が、〈独占〉の話から4大産別決戦論に関して言及することができたのも、『帝国主義論』の内容に肉薄しきったからだと思う。
B 自分の問題意識としては、〈独占〉をキーワードにして、教育の民営化粉砕の路線をさらに豊富化させたいと思っている。
  というのも、教育を民営化せざるをえない現代の帝国主義を捉えるためには、もっと独占の問題から捉える必要があるのではないかと、今回の講義をきいて思ったからです。すなわち、今回講師が4大産別を捉えたような仕方でなら、教育の問題も的確に捉えられるのではないかと考えたからです。(方向性が定まらずすいません…)

【E】

 レーニン『帝国主義論』は、“マルクスはもう古い”と革命を否定し、改良主義に陥る勢力との徹底的な党派闘争の中から生まれたもので、だから、そこに勝ちきるために、“最高の発展段階としての資本主義”“死滅しつつある資本主義”と言い切ることが必要だった。
  また、ロシア国内でも、ブルジョア革命なのか、プロレタリア革命なのか、という党派闘争の中だったからこそ、ロシアも資本主義・帝国主義であり、プロレタリアートによる権力奪取でなければ問題は解決しない、という闘いになっていて、レーニン自身も帝国主義論において、決定的な飛躍になった本。
  時代認識と路線で徹底的に勝負した本として『帝国主義論』をとらえ、だから党建設に勝利し、革命を成し遂げたレーニン、ロシア革命というように読むことが重要だと思いました。

【e】

 自分の発言ともかぶりますが、レーニンが「階級の革命性・自己解放性に無限の確信をもって」時代を捉えきったところに『帝国主義論』の地平があるし、同じように我々が、この大恐慌−大失業と戦争の時代を革命前夜として、アジり切り、大衆を獲得していく上で、『帝国主義論』の視点、方法論は重要であると思う。
  討論で出され、講師も冒頭で確認されていたことですが、党派闘争として押さえていくこと、それが全体を貫いている。とりわけスターリン主義であるし、ブルジョアジーどもとのイデオロギー闘争に勝ち抜くものとして『帝国主義論』がある。
  「独占」という自由競争とは矛盾したあり方の登場に、プロレタリア革命の展望をつかみきり、かつ、その腐敗・腐朽への弾劾として、「寡頭制」という表現がぴったりくると思いました。
  次回後半は、世界分割と争闘戦として、現在の日米対立をどう見ていくのかという意味でも重要なところであるので、そうした観点から臨んでいきたいと思います。

【M】

 レーニンがパリ・コミューンの感動を終生大事にし、第1次世界大戦が開始されて全ての勢力が雪崩れうって戦争に協力していく中で、仁王立ちして『帝国主義論』を書いた、まさにその時代に今、突入していることが改めてハッキリしました。
  現代が「資本主義であり帝国主義である」というこの規定そのものが、最大の党派闘争のテーマであり、ここで勝負することを日和らずやりたいと思いました。
  それには、レーニンのように現実に起こっている問題をとり上げ、資本主義の腐敗をあばいて、それが労働者の支配の在り方として「生きていけない」膨大な労働者を生み出していることとしてつかみとり、階級対立・絶対非和解性、階級的団結こそ力だという実践的論理を、闘いの中でつくっていきたいと思いました。

【N】 『帝国主義論』を時代認識と路線で読んでいくと革命が見えてくる、と思った。
  プロレタリアートには革命をする力があるんだ、とレーニンが確信していることが(今回の講義をうけて)よくわかった。資本主義がいよいよ終わりになっている今、「綱領草案」でオルグし、共に闘う仲間を増やしていこうと思う。
  検修外注化絶対反対の闘いを自分の闘いとして、日々地味に、しかし、人とちゃんと向きあって活動しようと思いました。
  職場では『前進』を貼り出して、現場の労働者に自分達の立場を鮮明にうち出し、内部での団結も固め、やっていこうと思います。

【C】

 帝国主義を打倒対象として、いかに読むのか、職場での組織化にとっていかに大切であるかを考える上で大いに刺激となった。
  帝国主義は、資本主義的生産様式のもとでは発展しようのない最高の段階であり、社会主義への過渡としてあるということと、もうひとつ重要と思ったのは、暴力革命論として接近すること、読み込むことが大切ではないかと思いました。帝国主義−国家と革命として17年革命に向かってレーニンが進むのも、暴力革命として帝国主義の全体系を明らかにする必要があったのではと思います。
  今日の講義の独占、そして金融寡頭制のとらえ方は刺激になりました。独占企業と銀行が社会を支配することで、賃労働と資本の関係が、ますます全社会、全世界をおおい、そこから抜けることはできない状況になったのではないかと思います。「経済機関と政治機関の上に、従属関係の濃密な網をはりめぐらす金融寡頭制」の指摘は重要で、まさに国家そのものが、暴力的な力によって金融寡頭制そのものとして成り立っているように思います。だからこそ、国家そのものの、労働者の力による解体−暴力革命の意義が、帝国主義の著作によって明らかになるのではと強く思いました。次回も期待します。

【n】

 資本主義の最後の段階である帝国主義は過剰資本から、独占・金融寡占が極限まできて、腐敗・腐朽・寄生にのたうち回っている。とっくに打倒されてなければいけない。我々労働者の怒りで絶対に打倒しなければいけないということが、今日は良く判りました。
  どうしても、各国の分析の方に目がいってしまって、レーニンが何のために分析しているかという一番大事なことを見失ったまま、今まで何回か学習会に参加していたのだとやっと気付きました。
  勤務あけで殆ど寝ないで出ていたので、一番大事な前半の大半を聞き逃してしまって済みませんでした。次回はその分まで、しっかり聴いて頑張りたいです。次回もよろしくお願いします。

【X】

 今回の講師の提起を受けて、新鮮な感じをもった。
  それは、独占を支配関係の面からもレーニンは見ている、という指摘です。
  資本主義社会は、所有関係として支配関係があらわれるのですから、独占も労働者支配を画然と強化すると共に、独占は金融寡頭制まで行きつき、全世界の労働者を支配するまでに至ったと言えるのではないか。
  つまり、マルクスが言っているように「労働者の団結は大工業制がつくりだした」ように、独占は全世界の労働者の団結をつくり出す基礎を与えていると言えるのではないか。
  しかし、現実はそうはなっていないのは、体制内労働組合指導部が組合を支配しているからだと思う。したがって、労働組合をめぐる党派闘争で体制内派を打倒すれば、プロレタリア世界革命を実現できると確信した。

【G】

 1)09年の勝利的な闘いの前進の中での学習会ということもあると思いますが、かなりの高揚感の中でのアジるような提起としてあったと思います。これまでの党学校の学習会では、なかったような感じがしました。2010年決戦に向けて決意みなぎるものとしてあったと思います。できれば、もう少しテンションを下げても十分伝わるかもしれません。聞いていて、結構体力的に大変そうな感じがしました。
2)問題意識としては、時代認識・路線で一致するというのは、ひとつはプロレタリアートの階級的団結の問題であり、帝国主義ブルジョアジーの側につく日和見主義との党派闘争などとして提起されているので、冒頭でもあるように「現代の『共産党宣言』」として学ぶ必要があると思いました。
  普段何気なく使っている、帝国主義という中味についてもはっきりとつかむことによって、われわれの今現在の社会についても、はっきりとらえることが可能になると思います。その場合、「独占」とか「金融寡頭制」ということについてどうとらえるのかが結論的に出されていると思いますが、なぜそう言えるのかの根拠は、数字データを参考にしたり(当時のデータや現在のデータ)することによって、結構理解することができるかもしれないと思いました。
  帝国主義が戦争に向かう、破滅に向かう、労働者階級が社会を根本から変えることができる、そういう革命前夜として認識を深めるために必要だと思いました。最高の発展段階=社会主義の前夜としてとらえるのかどうか、この資本主義の枠の中で改良する余地があるという考え方をも粉砕することができるということにもなると思います。中途半端な理解であるかもしれませんが、今後深めていきたいと思います。
  帝国主義を説明するというのは、一方ではそう簡単ではないということも感じました。

【Z】

 宇野三段階論的に言えば、革共同の「帝国主義論」は限りなく、三段階目の“情勢分析”に近い「帝国主義論」であると言えるだろう。昔の峰岸論文などがその典型で、「独占」の問題など、いくつか深められた今日でも、この基本は変わらない。ということで、宇野経済政策論を美化するつもりはないが、こういう領域に少しずつでも踏み込みたいと考えるからだ。
  わが綱領的な時代認識である“段階・過渡・変容・危機”にとって、従来のような学習会は重要であることに変わりがない。ここを押さえて、@カウツキー型「超帝国主義論」に対抗した“資本主義に変わりがない”論的な新しい経済政策を展開する資本主義の視点→5つの指標(これは経済政策の特長ともいえる)の押さえ方、A「独占」が手段であり、かつ目的であることの破壊性、腐朽性→革共同がなぜ「独占」という言葉を避けてきたか、B政策論だから、当然各国的に異なる→日本帝国主義論の形成と展開、C“談合政治”と“労働貴族”をめぐる政策と危機、D80年代国独資的展開(ケインズ主義)→新自由主義展開(新古典派)の根拠、E経済政策の衝突としてある戦争の(特に戦後の戦争〜イラク・アフガン戦争)の物質的根拠などがテーマとして思いうかぶ。
  なぜこういうことを言うのかと言うと、帝国主義論を情勢分析的にとらえる傾向から、塩川一派のようにあたかも資本主義が資本主義的でないもののようにとらえて、血債的課題や農業・農民政策において、プロレタリア的原則が欠落してしまう傾向を生み出したと思うのである。(血債主義は現代版超帝国主義論の反射にすぎない。)
  ということで、今回の提起はいろいろと相当に踏み込んだ所があって、勉強になりました。詳しくは、2回の提起を聞いて、また述べたいと思います。
[事務局から:言わんとしていることが不明確で、意味がつかめない。漫然とした問題意識ではなく実践的立場から、講義・討論を踏まえた感想を期待します。]

【j】

 ○「実践家が理論家にならなければならない」という指摘には、新鮮な驚きがありました。
○第1章「独占」を独占による労働者支配のあり方の転換として捉える視点にとても教えられました。
○独占体や金融寡頭制の変遷や展開が、21世紀の現在において、具体的な形でどのようになっているのか、をレーニン帝国主義論の視点から捉えなおしたい、と痛切に感じています。
○同様の問題意識ですが、グローバリゼーションの画歴史的な展開と帝国主義の問題についても、今日的な整理が必要と感じています。JALの倒産の危機に示される合従連衡の例などを、分割とやり合いの争闘である、という視点から捉えなおしたいと思います。
○「社会主義に移行するための客体的諸条件がすでに成熟している」のが帝国主義だ、という点を改めて肝に銘じたい。

【J】

 「数万の最大企業がすべてであって、数百万の小企業は無である」「ドイツを支配しているのは、たかだか300人くらいの巨大資本家であって、その数は絶えず減少している」と、レーニンが書いた独占の状態は、現在で言えばどう表現すればいいのか? ソ連スターリン主義の崩壊といわゆる「経済のグローバル化」を通して、レーニンが『帝国主義論』で分析した戦争の不可避性の問題、少数者による圧倒的多数の労働者人民への搾取と収奪、圧迫という問題は、さらに大きく、決定的なまでに重い現実として現れているのである。
  現代における金融資本の支配と戦争の現実について、具体的で詳細な現状分析に取り組むことも急務だと感じました。

【F】

 提起にもあったように、「帝国主義=資本主義」をはっきりさせるために、あえて「帝国主義・資本主義」「資本主義・帝国主義」と言ってきました。塩川一派や旧与田派残党が帝国主義段階での“非資本主義的要素”を強調しプロレタリア革命であらゆる社会的差別を撤廃できることを(そこでの労働組合の基軸的役割も)否定していると批判していても、いまひとつ決め手を欠くような思いがありました。今回、レーニン『帝国主義論』のキーワードは「独占」であり「労働者への階級支配の独特の段階、あり方としても捉えなおす」ことが重要と言われて、やっと地に足が着いた批判ができるように思いました。
  第1章の「少数独占者のその他の住民にたいする圧迫は、いままでより百倍も重く、きびしく、たえがたいものとなる」は、支配する側が少数になればなるほど徹底した階級(階層)の分断・相互対立による支配になるし、帝国主義間争闘戦がこれに拍車をかけるのは明らかです。
  同じく1章の「マルクスは、資本主義の理論的および歴史的分析によって、自由競争は生産の集積を生み出し、この集積はまたその発展の特定の段階で独占をもたらすことを論証した」ことも決定的です。「8・30情勢」と綱領草案の意義は『帝国主義論』をとおしてこそ深められる。また行動へと駆り立てずにはおかないものだとも思います。後半の講義が楽しみです。