ホームページへ週刊『前進』月刊『コミューン』季刊『共産主義者』週刊『三里塚』出版物案内販売書店案内連絡先English

2009年12月号

党学校通信

党学校機関紙 A4判月1回発行 頒価100円

今月の内容 マルクス『ゴータ綱領批判』

講義概要 P1-7

★討論から- P8-15

受講レポート P15-28

2008年12月号
通信 バックナンバー
党学校通信 p1-7  講義概要

マルクス『ゴータ綱領批判』

講義概要 講師 林 佐和子 

【はじめに】

 今回のテーマは、@『共産党宣言』−『資本論』と『ゴータ綱領批判』Aパリ・コミューンと『ゴータ綱領批判』−ロシア革命という、二本の筋で現代の革共同「綱領草案」につながります。今回の学習の重点は、『共産党宣言』−『資本論』と『ゴータ綱領批判』という太い線を軸にしてマルクスの『ゴータ綱領批判』そのものを、逐一読み解いていきます。マルクスは『ゴータ綱領批判』で『資本論』の地平に立って共産主義論を明らかにしました。モスト『資本と労働』は「『資本論』は、資本主義が共産主義の萌芽を自分の中に秘めていることを明らかにした」と書きました。
  マルクスの『ゴータ綱領批判』は、国際労働者協会(第1インターナショナル)と史上初の《プロレタリア独裁》であるパリ・コミューン(1871年)で切り開いた地平を破壊し、『資本論』を懸命に学んだモストのような労働者党員を裏切る『ゴータ綱領草案』(1875年)を徹底批判したものです。いまにつながる共産主義者の体制内日和見主義に対する批判・弾劾の書です。
  マルクスが、パリ・コミューンがたたかわれている渦中で執筆した『フランスの内乱−国際労働者協会総務委員会宣言』(1871年5月)は、「コミューンは労働者階級の政権であり、所有階級との生産階級の闘争の所産であり、労働の経済的解放を達成するためについに発見された政治形態だった」と宣言しました。
  われわれは、「大恐慌をプロレタリア世界革命へ」という立場で、階級的労働運動路線を白熱的に実践して、勝利の手ごたえをつかみつつあります。動労千葉を結集軸とする09年11月労働者集会は、体制内労働運動と決別し階級的労働運動路線で激しく闘う日韓米の国際主義的労働運動の団結をしめしました。革共同「綱領草案」の発表の地平で、プロレタリア国際連帯の新しい歩みがはじまりました。「未来のいつか」ではなく、「大恐慌を革命へ」といま直ちに、与えられた条件で、プロレタリア世界革命へと踏み出すのだという理論的確信を深める書として『ゴータ綱領批判』を学びたいと思います。

【1】私有財産制=資本主義的生産様式の基礎の上での労働と労働者階級

◎ゴータ綱領草案T−1冒頭部分「@労働は、すべての富の源泉であり、Aそして有益な労働は、ただ社会において、また社会をつうじてのみ可能であるから、B労働の全収益は、平等な権利にしたがって、社会の全構成員に属する」
◎冒頭部分へのマルクスの批判「@労働だけがすべての富の源泉ではない。自然も労働と同じように使用価値の源泉である。労働が自然に制約されている結果、自分の労働力以外になんの財産ももたない人間は、客体的労働条件の所有者である他人の奴隷となるしかない。A労働の全収益は社会の全構成員に属するという文言はBへ帰着する。結論は、社会維持のため国家による請求、社会の基礎たる私的所有の請求、すなわち、搾取を容認したあとのそれ以外のものだけが労働者のものになる。C(綱領は)資本主義社会は、このような歴史的災厄を打破する能力を労働者に与え、打破せざるをえない物質的その他の諸条件を生み出すことを示し、論証するべきである」

★ 人間の労働力は、生産手段(労働手段と労働対象)と結合してはじめて、労働として発現できる。必要な前提を欠いたゴータ綱領の冒頭「労働がすべての富の源泉」論は、労働を重視しているようで実は階級社会=奴隷労働を美化し、資本主義を容認している。
  私有財産制である階級社会は、人間と自然との根源的な関係としての労働を疎外し、他人のための奴隷労働とした。最後の階級社会、資本主義では、生産手段からきりはなされている賃金労働者は資本に雇われることではじめて働き、生きていける。人間が労働力商品とされた資本主義的生産様式の基礎の上では、生産過程は、資本による労働力商品の消費過程であり、資本家の所有する「モノとモノ」の関係であり、だから、労働の結果−生産物は、資本家の所有物である。労働者は収益の分け前に与らない。
  冒頭の「労働の全収益」論は、「賃金は、労働の価値であり、収益の公正な分け前だ」という資本家の言い分に屈服し、賃金奴隷制と階級対立の非和解性を否定し、資本による搾取(剰余価値=不払い労働)を覆い隠す言葉になっている。
  マルクスの冒頭部分批判は、一定の生産力発展のなかで、他人の労働の搾取可能性がうまれた歴史段階(階級社会)で「労働と生産手段との分離」として私有財産が発生したこと、私有財産制に基礎をおく最後の階級社会=資本主義的生産様式の特質を明らかにした。資本主義は、「労働と生産手段の分離」を「収奪者を収奪する」ことで解決する団結した労働者、「墓掘り人」であるプロレタリアートを歴史に登場させた。『資本論』は、資本主義の全運動が、階級と階級支配の経済的基礎を根こそぎにする主客の条件をつくることを明らかにしたのです。

◎ゴータ綱領草案T−2「今日の社会では、労働手段は資本家階級に独占されている」
◎マルクスの批判「労働手段を独占しているのは、地主と資本家である」

★ マルクスは、「労働者を奴隷化して搾取する手段になっている生産手段、土地と資本を自由で共同的な労働の用具に転化する」と、生産手段を「土地と資本」と規定しています。生産手段の資本家的所有は、本源的生産手段である土地の私有を基礎にして成り立ちます。生産手段の重大要素である土地所有、地主の大土地所有を免罪して、資本とたたかうことは不可能です。

【2】生まれでたばかりの共産主義社会での生産の社会的組織化

◎ゴータ綱領草案T−3「労働を解放するためには、労働手段を社会の共有財産に@高めること、そして総労働を協同組合的に規制して、A労働収益を公正に分配することが必要である」
◎マルクスの批判「労働手段を社会の共有財産に高めるだって! ブルジョアには、階級支配による剰余価値の搾取が正義で公正。《生まれでたばかりの共産主義社会》、生産手段が社会の共有財産になった協同組合的社会では、個々の労働が直接に総労働の構成部分となる。だが、《生まれでたばかりの共産主義社会》は、まだ旧社会の母斑をもつ。個人は、労働時間に応じた《労働証明書》で消費手段を引き出す。権利は、労働時間という尺度で測られるかぎりでの平等である。協同組合的な社会的総生産物から経済的必要の控除分(生産手段の消耗補填、生産拡張分、事故や自然災害の予備・保険元本)を控除した残りが消費手段となる。消費手段の分配前に、直接生産に属さない一般管理費(発展につれて縮小)、学校や医療保健設備など(発展につれて増加)、労働能力をもたない人々のための元本が控除される。
  《共産主義のより高度の段階》、すなわち諸個人が分業に奴隷的に従属しなくなり、精神労働と肉体労働の対立が消え去ったのち、労働が生活の手段であるだけでなく、それ自体第一の生命欲求とになったのち、また、諸個人の全面的な発展に伴って生産力も高まり、協同的富の泉が湧き出るようになったのち、そのときはじめて、狭いブルジョア的な権利の地平は越えられる。社会はその旗に《各人はその能力に応じて、その欲望に応じて》と書くことができる」 

★ ゴータ綱領草案は、パリ・コミューンの地平を無視して、ブルジョア国家の打倒、暴力による急激な転化過程とプロレタリア独裁樹立なしに、「生産手段を社会的共有に高める」ことが可能だという。あえて《プロ独》を言わずに「高める」と書くのは日和見主義への変節をずる賢く行うものだ。
  『資本論』は、剰余労働=不払い労働を剰余労働時間としてとらえ、資本による搾取の現場をおさえた。賃金労働制度で覆い隠された不払い労働を、賃金部分の「必要労働時間」に対する「剰余労働時間」としてとらえた。
  資本主義を転覆した《生まれでたばかりの共産主義》では、労働者は、個々人の労働時間に応じて消費財を受けとる。資本主義的生産様式を転覆して、結合した労働者が全社会を動かす社会であり、そこにはもはや搾取階級はいないし、「労働力の売買」(労働力の商品化)もないが、「労働時間に応じて消費手段を受けとる権利」とか労働や「平等な権利」などがまだ問題になる。
  だが、社会的に組織された協同の労働の社会は、すでに《能力に応じて働き、欲望に応じて消費する共産主義の高次段階》へと内的な発展を開始している社会である。
  《共産主義の高次段階》では、分業による精神労働と肉体労働の分裂・対立が止揚され、労働は《生命欲求》となり、諸個人の人間的な自由な発展と、協同的富が豊かに湧き出る。そこに向かってどう進むかは資本を収奪して賃金奴隷であることをやめた「結合した労働」の作業である。
  共産主義とは、労働者階級が自己解放の闘いで団結し、ブルジョア政治権力を打倒し、プロレタリア独裁を樹立し、「収奪者を収奪」してこそ到達できる。「結合した労働者」が、「生産者と生産手段の分離」である私有財産制=階級の基礎を廃止して、社会の全生産を意識的に組織する明快な原理なのだ。

【3】労働者階級の階級的解放の普遍性とプロレタリア国際主義

◎ゴータ綱領草案T−4「労働の解放は労働者階級の事業でなければならない。労働者階級に対して、他のすべての階級は反動的な一つの集団を成すにすぎない」
◎マルクスの批判「国際労働者協会暫定規約を改ざんしたラサールからの引き写しとつぎはぎ文。われわれは、職人や農民に《反動的な集団》などとわめかない。」

★ 1864年にマルクスが執筆した国際労働者協会暫定規約は「労働者階級の解放は、労働者階級自身の手でたたかいとらねばならない。労働者階級解放闘争は、全階級支配の廃止のための闘争である」と労働者階級の自己解放の意義を明らかにしました。
  だが、資本家階級と闘わなければならないのは、労働者階級だけではない。たとえば資本主義・帝国主義の矛盾が集中する農民層がそうです。レー二ンは、1917年「4月テーゼ」で徹底的に《プロ独》論を鮮明にし、だからこそ労農同盟を不可欠なものとして重視し、労農兵ソビエトに全権を集中し、ロシア革命に勝利しました。労働者階級は、《プロ独》を闘いとるやただちに、生産手段の収奪・統制・管理、生産手段の共有を基礎とする全社会の再組織に着手する。搾取者を一掃し、個々の労働が直接に総労働の構成部分となり、農民・小生産者もその中に組織され、社会は結合した労働する人と人の関係になる。全勤労被搾取者は《プロ独》で団結する。

◎ゴータ綱領草案T−5「労働者階級は自分たちの解放のために、さしあたりは今日の国民国家のなかで活動する。その際、全文明国家の労働者の共通の努力が、その必然的な結果として国際的な国民連帯となるであろうと自覚している」
◎マルクスの批判「国際的な国民連帯とは、ブルジョア的な自由平和同盟から借りた言葉。国際労働者協会(第1インター)は、国際的活動のために中央機関をつくる努力の手始めだった。ビスマルクの新聞が、《新綱領は国際主義を放棄した》と報道したのは当然だ」

★ 資本主義は世界市場を形成し、価値法則の論理を全世界に貫徹している。プロレタリアートは本質的に国際的存在である。プロレタリアートには国境がない。スターリン主義の「一国社会主義」論の裏切りを粉砕し、プロレタリア国際主義を復権しよう。

【4】ラサールの賃金鉄則に屈服し、賃金労働制度の廃止をいわない綱領

◎ゴータ綱領草案U「党は、@鉄の賃金法則とともに賃金制度およびあらゆる形態の搾取と、A全ての社会的および政治的不平等の除去のために力をつくす」
◎マルクスの批判「@ラサールの賃金鉄則はマルサスの人口論《貧困は自然に基礎がある。社会主義は貧困をなくせない》に論拠をおいている。だが、賃金は労働の価値または価格ではなく、労働力の価値または価格の仮装した形態であり、賃金労働制度は、一つの奴隷制度である。党員大衆に普及している科学的洞察にたいするこれほど言語道断な暗殺攻撃!はない。Aは、階級の廃止とともに、あらゆる社会的・政治的不平等は、おのずから消滅するとすべきである」

★ 国際労働者協会の中央評議会でのマルクスの講演『賃金・価格・利潤』(1865年)と第1回大会での決議「労働組合、その過去・現在・未来」(1866年)を、前回学びました。賃金は、「労働力の価値」であり、その実体は「労働力の再生産費」であるが、その「再生産費」すなわち労働者の生活のレベルそのものが、資本と賃労働の抗争、力関係で決まる。賃金労働制度の廃止が、労働者階級の解放闘争の核心問題である。それは、国際労働者協会(第1インター)に加盟していたドイツ社会民主労働者党と労働者に普及した理論だった。マルクスは「暗殺攻撃だ!」と最大限の怒りをたたきつけた。
  また、エンゲルスは「ゴータ綱領草案」批判で、「労働組合によって労働者階級を組織することについて一語もない。労働組合は、プロレタリアートの本来の階級的組織であり、その中で資本との日常の闘争を闘い自己を訓練し、また最悪の反動期も破壊されない労働者階級が団結する組織だ」と書いています。

【5】《賃金鉄則》と《国家信仰》を結合させた《国家援助による生産協同組合》

◎ゴータ綱領草案V「党は、社会問題の解決のため、働く人民による民主的管理の国家援助の生産協同組合設立を要求する。(工業と農業の)生産協同組合を、そこから総労働の社会主義的な組織が生まれるような規模で、設立する必要がある」
◎マルクスの批判「ラサールの《賃金鉄則》の次は、預言者の救済策というわけだ!現実の階級闘争、社会の革命的転化過程からではなく、《国家援助》から《総労働の社会主義的な組織》が生まれるという。しかも生産協同組合を設立するのは労働者ではなく国家だという。ゴータ綱領草案は、階級運動の立場から小分派(宗派)の立場に逆行している」

★ ブルジョア国家を粉砕打倒し、自ら武装した労働者階級が、政治権力を掌握し、勤労大衆を指導し、プロ独の力で旧支配階級の抵抗を抑圧し、《収奪者から収奪する》、そうしてはじめて《総労働の社会主義的組織》《協同組合的生産》がはじまる。
  労働者階級の自己解放と《社会の革命的転化過程》、プロ独を抜きに、ドイツ帝国専制国家の援助で《人民管理》をつくるというありえないペテン。「ゴータ綱領草案」は、現実の階級闘争、労働者階級の怒りと闘いに依拠せず、空想的社会主義者オーエンなどの小分派的な「社会主義の設計図」の立場へ逆行した。3年後の1878年にビスマルクは、社会主義者取締法で社会主義者を国外追放し、議会選挙以外の活動・出版を禁止した。

【6】 専制国家への臣民的信仰と民主主義者の奇跡信仰に毒され、プロ独否定

◎ゴータ綱領草案W「ドイツ社会主義労働者党は、あらゆる合法的手段で、自由な国家および社会主義社会を実現する。党は、国家の自由な基礎として、普通・平等・直接・秘密選挙権、直接立法、常備軍に代わる民兵制、人民代表による宣戦と講和決定、例外法(言論・結社・集会取締法)撤廃、人民による司法、無料裁判を要求する。党は、国家の精神的・道徳的基礎として、平等の国民教育、義務教育、学問の自由、信教の自由を要求する。国家の経済的基礎として、団結の自由、標準労働日、日曜労働の禁止を要求する」
◎マルクスの批判「綱領草案は、社会が国家の基礎ではなく、逆に、国家が独自の基礎を持つものとする。ブルジョアの勢力下にあり、官僚主義的な警察国家、専制国家に、しかも《合法的手段》で要求を出す。民主主義的共和制を要求する勇気さえもっていない。資本主義社会と共産主義社会の間には、前者から後者への革命的転化の時期がある。この時期には、政治的な過渡期が対応する。過渡期の国家は《プロ独》である。この綱領は、プロ独についても、共産主義社会の《現在の国家機構に相当する社会的機能》についてもふれていない。徹頭徹尾、国家へのラサール派の臣民的信仰と民主主義者の奇跡信仰、社会主義からかけ離れた二種類の奇跡信仰の折衷である。

  私は語った。そして私の魂を救った(以上のように批判したからには、もはやこの綱領には責任は負えない)」
★ 最後の決別宣言の文言のいたるところに、ブルジョア権力によるパリ・コミューン戦士への血の弾圧に脅え、資本主義と同時に「墓掘り人」として登場した労働者階級の自己解放運動に基礎をおかないドイツの党幹部、党の合同でビスマルクとラサール派に屈服した党幹部へのマルクスの怒りがあふれている。
  『共産党宣言』−『資本論』、労働組合運動とストライキの高揚、国際労働者協会(第1インター)設立、ドイツ社会民主労働者党(アイゼナッハ派)の第1インター規約採用の地平、史上初の《プロ独》パリ・コミューンの地平、この階級闘争史の到達地平を社会主義の名でことごとく破壊している。ゴータ綱領草案には、労働者階級の存在と闘いが、パリ・コミューン=《プロ独》に行きつくことへの予めの恐怖がある。資本と権力に対して、ドイツではパリ・コミューンはやりません、と誓うものになっている。
  帝国主義段階への世界史の推転のなかでドイツ社会民主党(ドイツ社会主義労働者党から改名)は、帝国主義に屈服し、第1次世界大戦=帝国主義戦争の戦費予算に国会で賛成票を投じるまでに転落した。社会排外主義「背教者カウツキー」は、ロシア革命にはじまるプロレタリア世界革命期には、ドイツ革命絞殺のためにローザ・ルクセンブルクを虐殺した社会民主党大臣ノスケの反革命を助ける裏切りに転落した。ついにはプロレタリア革命への公然たる敵対・反革命に純化した。
  歴史に「もしも」はない。だが、マルクスのゴータ綱領草案批判は、理論的批判にとどまらないものだったのだ。

【結語】 反帝・反スターリン主義の旗のもと大恐慌をプロレタリア世界革命へ! 階級的労働運動の日々の白熱的実践で《プロ独》への飛躍のときをたぐりよせよう

 団結した労働者がブルジョア国家を打倒し、政治権力を奪取して《プロレタリア独裁》を樹立し、賃金奴隷制の鉄鎖を打破し、自ら結合した労働者として全社会の真の主人公になること。《プロ独》権力をテコに《収奪者から収奪》し、搾取と搾取の基礎、階級と階級支配の基礎を粉砕する。団結の力で全被抑圧諸階層を指導して、社会的生産を組織する。
  資本主義を打倒し、共産主義を実現する、その主客の条件は、資本主義の内側にすでに準備されている。万国の労働者団結せよ!の「革命的共産主義者同盟全国委員会綱領草案」をもって結語とします。
(講義了)

党学校通信 p8-15

討論から

●N

 今日の講義で2つ、何か違和感があるなあと思って聞いてたんです。
  まず、私自身の体験からなんですけど、11月1日の集会とその次の日の理念交流会、それから訪韓もさせていただいて、ソウルの大会に参加し、その次の理念交流会にも参加して、世界中の労働者が今同じところで闘ってて、本当に統一の党というか国際的団結をつくっていこうって、すごく切羽詰まった熱いものを感じて、その上で今日ここに参加したんですけど、今日の講義は、情勢とあまり結んでなかったなという違和感があった。理論もすごく大事なのもわかるんです。でも理論だけを勉強しに来てるんではなくて、じゃあ私たちは今日から明日からどう闘うんだっていう、その時代とくっついたようなダイナミックな授業が聞けるかなと思って来て、ちょっと違ったなというのが1つ目の違和感。
  もう1つは、「ゴータ綱領」を批判しながら、じゃあマルクスはいったい何を言いたかったんだろう、というのが最後までよくわからなくて、マルクスがその批判を通しながら、「こうなんだよ」ってもっとダイナミックに言っているはずだと思っていて、そこら辺のもうちょっと突っ込んだ展望あるような、社会主義とか共産主義の社会についてマルクスがどう語ったのかというのを、講師の口から解釈を通して聞きたかった。

●X

 当時アイゼナッハ派と言われてる第1インターの綱領を体現したような党が、ラサール派と合同するという名目で、ゴータ綱領を出すという転落を行った。そういう中で、彼らは階級運動の立場から小ブル分派の立場に移行していく。階級運動という労働者階級自己解放の闘いの中で、団結を求めて拡大していく、そこに一切の総括軸を置くということから離れた途端に、現実の資本の物質力の前に屈服していくということが、当時から起きていた。どんなにいい綱領を掲げていても、そこのところはきちんとしていないと、やっぱり現実の困難性の前に屈服していく、変節していくということが簡単に起きる。とりわけ今の大恐慌情勢の中だからこそ、労働者階級に本当に信頼を置かないと、そういうことが起きると思いました。

●G

 『ゴータ綱領批判』を読んだ時に一番関心があったのは、「労働の解放は労働者階級の事業でなければならない。労働者階級に対して、他のすべての階級は反動的な一つの集団を成すにすぎない」という部分。7月テーゼでも「プロレタリア性の強制」とかいう文言が出てくると思うんですけど、「プロレタリア独裁」とか「プロレタリア性の強制」とかいうことを観念的だと思ってたんで、関心を持ってここの部分を読んでいた。これを「ラサールからの引き写しとつぎはぎ文」だとマルクスは批判している。その背景というか、こういう書き方をしたのはなぜなのかというのが質問としてある。マルクス主義・レーニン主義を語って、あたかも革命を目指して闘うかのような言い方をしながら、一方ではプロレタリア独裁を否定するという立場に、塩川一派は結構似てるという感想を持ったんです。
  あともう1つ、「ビスマルクと密約したラサール主義者の意図」はどこにあったのか、もうちょっと聞きたい。端的に言えば地主を除いたわけで、その理由というか背景は何なのかということを。
  感想としては、今の現実の階級闘争、日本でも世界でもそうだと思うんですけれども、党派闘争というか、現実の階級闘争の中で自分自身が困難にぶち当たると、どうしても別な方向に逃げようとする。今の資本主義社会を打倒して、自分たちが権力を握るっていうことじゃなくて、資本主義の中でも何とかなるんじゃないかと思ってしまうような傾向が出てくるような気がするんです。そうした時に『ゴータ綱領批判』に出されてるような、過去にこういうことがあったということを現在の階級闘争の中で教訓として学んでいくと、今の階級闘争の中でも、自分自身も含めて闘う方向性を見失わないで、今の路線に確信を持って闘うことができるんじゃないかと思います。

●講師

 「何でビスマルクと密約したのか」ということですけれども、19世紀当時のドイツでは、農民が働いている人々の多数を占めている中で、ユンカーというプロイセンの大土地所有の貴族たちが権力を握っていた。ビスマルクは、そのユンカーを背景にしている、資本主義が発展していって今までのようにはいかないところに立ち至ってる勢力です。その旧勢力が、新興のブルジョア勢力に対抗するために労働者の運動を利用するという、そういう利害がある。ラサール派の運動は、資本(新興ブルジョアジー)と闘うために、国家権力の支援を受けることを基本としているから、土地貴族の代表であるビスマルクに意識的にすり寄っていった。そういうあり方で、労働者の中に影響力を拡大しようとした。

●h

 何で労働者階級以外の諸階層・諸階級は「反動的集団だ」っていうふうに言う必要があったのか。

●F

 「労働者階級に対して、他の全ての階級は反動的な1つの集団を成すにすぎない」と言ってるのは、プロレタリアートと他の階級の結合ということを絶対させないということです。つまり、農民の決起をさせない。労働者階級の解放、つまりプロレタリア革命への同盟軍として農民が決起していく、それと結合していくことを絶対にさせないために、あえて「反動的な集団」という形で断定したということだと思う。それは、ビスマルクとラサールの利害と完全に一致するわけです。
  プロ独を支えるのは〈党・労働組合・ソビエト〉という3つの柱で、これが戦略的な一環を形成する。このソビエトの中身、構成を考えた場合に、労働組合・労働者階級が核になることは間違いないわけですけど、そのもとに諸階級・諸階層の人民を組織するわけです。それでソビエトを結成し、プロ独国家を形成していく。そこにおける労働組合・労働者階級の指導性は明白なわけです。これを否定するということが核心ではないかと思います。
  今日的には塩川一派がいるわけです。「労働者だけが革命的みたいなことを言ってる」と、われわれを批判する。「実際にものを作り出して社会を動かしているのは労働者だけじゃないだろう」「農民だってそうじゃないか」という言い方をして、実は切断していくという点では、非常に今日的な読み方ができると思いました。

●W

 われわれは今日ここで学習して、地域に帰って学習会やっていくと思うんで、労働者を前にして、『ゴータ綱領批判』の学習会で何をつかみとるのか、何に確信を持つのかというところをしっかり置いて、それで踏み込んでいくことが必要だと思います。われわれは革命運動をやってるわけで、11月集会という形でかつてない規模で、国際連帯ということにおいても、単一の党や世界革命ってことを意識して結集してきている。そういう中で『ゴータ綱領批判』で何をつかむかということを、僕自身もそうだし、全体で向き合ってやっていく必要がある。
  現実に労働者が、「何が言いたいの」「どうしたらいいのか」というところに直面してるわけです。賃上げをやったら倒産しちゃう、そういう会社もいっぱいある。その中で何をつかみとるのか。本当に今ボロボロになってる資本主義に、何とかうまくつぎはぎをしてルールある資本主義にすればうまくいくんだとか、あるいは国家にいろんな要求をして、それを獲得していけば良くなるんだとか、鳩山政権が登場し、連合がその一角に座って、そういう政策を矢継ぎ早にやってくる。完全に労働者の決起ってことを恐怖して、そういう意味ではビスマルクの“政策”なんかも教訓化して、現実にそういうことをやってくる。
  韓国でもサンヨン闘争をあそこまで闘って勝ちとったものがある。そこはマルクスがパリ・コミューンでつかみとった確信と通じるものがあると思う。今の資本主義社会というのはもう本当に終わりだと。それを救済したり、うまくつぎはぎしていこうというんじゃなくて、最後の引導を労働者が渡すんだと。労働者が今の社会を本当に動かしてるし、そこが権力を取れば社会を変えられるんだ、その一点で確信持って、だからこそ団結する中に力があるんだ、そういうものとして何かこの中でつかみとっていくということが、絶対必要だと思います。
  われわれはそういうものとして、本当に待ちに待ってた、本当に切羽詰まった中で、しかしそういう中で展望があるというものをつかんで、勝利を一つひとつ勝ちとっていく、そういうものとしてマルクスの提起もあったと思うし、そういう学習会を進めていきたいと思いました。

●h

 『ゴータ綱領批判』の学習は、解説本が出版された当時僕もやった記憶があって、僕らがプロ独を樹立してどうやって共産主義社会に突き進んでいくのかっていう、イメージが湧くという点では非常に良かった。ただ当時は、「結構立派なことを書いてるじゃないですか」「どこがいけないんですか」と、いろいろマルクスが批判してるけど、確かにそれはその通りだけど、当時は何をこんなに怒ってるかなかなかわからなかった。今は非常によくわかります、まさに今われわれが対決している体制内派との激突という点で、全く同じことがマルクスの時代でも始まっていたという。現在的には塩川一派とか、社会主義を掲げる社民党が、民主党と一緒になっちゃうとか。特に4者4団体派があんなふうに転落すると思ってなかった。そこの中身も『ゴータ綱領批判』の中で、マルクスが怒ってることに核心があると思います。
  1つは、弾圧に対する恐怖があると思う。前進社本社に対するガサ攻撃も今までと次元が違う、本当に党を絶滅する攻撃が本格的に始まった、そういうことに対する屈服ってあると思う。
  もう1つは、マルクスが一番言いたかったのは、やっぱり労働者階級への信頼じゃないか。労働者階級が革命という事業をできるんだ、そこが核心だし、そこをとことん信用しようじゃないか、そこに依拠すれば勝てるんだと。十数年前に学習した時は全くそんなの理解できなかったんですけど、今は本当に切実な課題として、職場の労働者が賃下げ・首切りの中でどうやって闘うのかといった時に、プロレタリア革命は労働者階級自身の事業だと、団結の拡大が総括軸になるっていうことを本当に確信持って言うことを通して、労働者を組織できると思う。
  そういう点では、すごい空気入って僕は講師の提起を聞けた。逆に言うとN同志の方から、かみ合ってないと言われて、自分が批判されたようで。その点をもう少し、いろんな意見を是非発言してほしいと思います。

●N

 講師が、今日は『共産党宣言』−『資本論』と『ゴータ綱領批判』だって最初に前提を話されたから、それでいいんだって言われても、やっぱりちょっと「そうかな?」というのがあって。
  今の話を聞いて、確かに、くっついてきているなとは思います。ただ、国際連帯みたいな話が『ゴータ綱領批判』そのものの中にもないんですかね?

●O

 われわれは91年の5月テーゼでの転換があって、労働組合運動を軸にした労働者自己解放だし、労働者には力あるんだっていう、そこを本当に実践の中でも理論的にもつかみとってきた。そういうことと、権力とってプロ独樹立して、それで共産主義へ向かっていくっていうことが、非常にまたより一層はっきりした。労働者には力あるし、できるんだっていう。
  われわれが国際連帯っていう場合も、一番の焦点になったのは国鉄1047名闘争じゃないですか。JR総連が介入してる、韓国においても、フィリピンとかもそうじゃないですか、何とか国際センターってのを作って、金をばらまいて買収していく、結局民営化推進てことでしょう。自治労だったら「攻めの民営化」。そういうものは1047名闘争を焦点にして、4者4団体派もJR総連も含めて、全部そこに一つの対決構造の中ではっきりしてきたって構図になった。1047名闘争は解雇撤回を勝ちとる闘いでしょう。それは革命に直結するし、労働者には力がある、労働者が本当に闘えばそういうことはひっくり返すことができるんだっていうことを、確信してるかどうかをめぐって、国際連帯ということも全部分岐してるわけじゃないですか。
  今年の1月、「生きさせろゼネスト」ってわれわれがやった時に、労使共同宣言を連合なんかが結んだ。その先頭を行った電機連合が、今や連合の中軸に座って民主党・連合政権として、「労働者には力ない」「制度政策要求でやれば大丈夫」っていうことをガンガンやってきている。だから本当に労働者自己解放、労働者は力あるんだっていう、そこをめぐっての分岐になってる、国際労働運動っていうか、国際階級闘争も。『ゴータ綱領批判』を今われわれが学んでいくっていう時に、僕はそういうふうに頭から、今日の勉強を楽しみにしてたってこともあったんで、ものすごく良くわかった、もうひとつ深まったっていうのがある。
  結局、今日的な問題だと思うんです、全部。自治労も、今道州制推進です。「地方分権」とか「地方自治」とかいうのは響きがいいわけ。例えば自治労が言ってる「協働」。市民と協働して自治に参加させていく、それを制度政策要求っていう形でやるから、ものすごく響きがいい。だけど、それは毒がある。今の資本主義社会の枠の中でやるわけだから、それはどんどん屈服していくし、労働者の闘いを圧殺する方向に行くわけです。だけど「地方分権」とかって言って、そこにいる労働者とか住民なんかの要求が反映されていくかのような形でやるわけです。行政刷新会議なんか作ってやってるっていうことと、最近、地方分権ってことに向かっての機構を作るとも言ってる。全部一体で道州制っていう攻撃は強まってる。そういうものごとを見た時に、この『ゴータ綱領批判』はまさに今日的なことですよ。
  そういう意味では1047名闘争もそうだし、今われわれが4大産別決戦で労働運動を切り開いていくんだって言う場合に、今日的にこの『ゴータ綱領批判』で言ってることを、自分の置かれてる職場はいろいろだと思うんだけど、同じだと思うんです。われわれ以外は全部、民主党・連合政権への幻想を流している。あの事業仕分け、見て下さい。あれこそ新自由主義です。必要かどうかじゃなくて、要するに金で全部バッサバッサ切っていく。それをセンセーショナルにキャンペーンする。国鉄の分割・民営化と同じです。そういうものとして進んでるんで、レジュメの「はじめに」で書かれている、「『ゴータ綱領批判』をとおして明らかにした『資本論』の地平と共産主義論を、今われわれの手で実践的に甦らせることに今回の学習の課題がある」というところは、その通りだと思った。

●M

 私は今日のこの学習会はすごくためになった。今の大恐慌情勢下で、ついこのあいだまで一緒にやってた、その辺にいた人たちが雪崩れ打って、資本主義そのものを打倒するんだっていう革命をとにかく彼岸に置いて、そこに持っていかない持っていかないということにくみする勢力になっている。そういう中で、11月の労働者集会過程のオルグは、4大産別の中で本当に時代認識と路線で勝負する以外に、絶対突破できないっていう壁とガンガンぶつかりながら来た。
  最近私は、『ゴータ綱領批判』の古典読んでて、「『共産党宣言』手にしてたのに、何でこんな『ゴータ綱領』みたいなのが出てくるの?」と思ってて、後ろの方でエンゲルスが、誰に宛てた手紙、誰に宛てた手紙っていろいろ批判書いてますよね。それで、ああ党の団結つくるってこの時代もすごい大変だったんだと。今、われわれも党の革命の、特に塩川一派との闘いの渦中にあるので、マルクスのその時の怒り・弾劾、その辺がすごく身につまされる。同じことを今私たち言ってるよっていうことで、今私たちが格闘してることそのものの意味ということが改めてはっきりしたという意味で、ものすごく積極的に受け止めました。
  それから、パリ・コミューンの激動に恐怖して、この屈服と分岐が起きたっていうことですよね。私も若い人とオルグするとき何回も何回も『甦る労働組合』読むんだけど、動労千葉労働運動が絶対反対で23年間やってきて、この道州制決戦の中で、国鉄1047名闘争を結集軸にして4大産別決戦やろうということに今なって。それを時代認識・路線でゴリゴリやってきて、それでこの過程で党として綱領草案を発表した。この恐慌下で動労千葉労働運動があって、それで国際連帯が動労千葉を結集軸にして今つくり出されてるというこの渦中で、この綱領草案をわれわれが出してるってことの責任の重さと意義ってことを、そういう意味ではすごく私たちはとことん現実に踏まえてやってきたっていうことで、正解っていうかな、そういうことで思いました。だから、日和見主義との格闘ってことは、永遠のテーマだと。それを徹底的にやる。マルクス主義者としてのマルクス、エンゲルスの偉大さに続こうと思った。
  今度から『帝国主義論』と『国家と革命』で、間に何で『ゴータ綱領批判』なのかちょっとわからなかったんですけど、それもよくわかったし、最初の「『共産党宣言』−『資本論』と『ゴータ綱領批判』」と、これから「ロシア革命−革共同『綱領草案』」に行くんだよと、これが国際階級闘争というか共産主義運動の大きな流れだし、その未来をわれわれが握ってるんだっていう意気も含めて大局的につかめて、今日はすごく空気入りました。

●a

 私は一番引っかかったのが、なぜ16年間も隠してたか。当時の党派闘争ってどういうことだったんだろうと言ったときに、仲山さんの解説本には「1ダースの綱領より現実の運動の進展が重要」と書いてあって、それでギリギリで発表しなきゃならないところでは、もうマルクスは死んだし、エンゲルスもその後5年ぐらいで死んじゃうって時に発表したって言ってるけど、この16年間がよくわからない。
  なぜそうだったんだろうと考えつつ、今日の講義を聞いていて、今こそ共産主義とは何か、資本主義を打倒するってことはどういうことかという問題が突きつけられてる。戦後いろんなことがあったけど、大恐慌っていう、もう資本主義がこれでやっていけないという現実を目の前にした時に、一方では23年間の動労千葉労働運動が階級的柱の中心になってやってきたということと、路線的な転換の中で労働運動を据えきった中で、発表した綱領草案を現実の運動の中で、本当に生かして党を、世界党をつくっていくというところに踏み出したということが、ものすごく決定的な意味がある。
  民主労総の中の苦闘も今党派闘争だし、それは国境を越えた党派闘争なわけで、JR総連も含めていうと。今回行った韓国で、動労千葉の人が、ハイテック・コリアの女性が、もう闘いがないと本当に病気になっちゃうって話をしに職場から駆けつけて交流会に来た時に、一生懸命動労千葉の闘いを言っていた。それを聞いてて、今民主労総が突き当たっている壁とかいうのを感じながら、動労千葉と現実に交流してるのを見た時に、本当に現実の運動を進めるっていうこと、今のわれわれがぶつかったことを、原則的にどう私が、党が、現実的にできるかっていうところに本当にかかってるということを考えると、この当時のマルクスの怒りが、どうして16年間そうなっちゃったのかなっていうのが、まだ最後まで残ってる。

●仲山

 ヨーロッパ全土で嵐のような労働者のストライキがあって、そしてそれがヨーロッパの政治変動と絡まって、パリの労働者が自分の権力を打ち立てるパリ・コミューンまで行った。しかし、それに対する弾圧と反動でフランスの労働者は壊滅的打撃を受ける。資本主義の遅れた発展の中で、ようやくドイツが次の鍵を握るという状態になってきて、ドイツの官憲は全力を挙げてドイツの労働者階級を弾圧する。ドイツの労働運動は、自分たちが頑張らなきゃいけないということも含めて動き出す。その中でいわゆるマルクス派である集団が、ラサール派と合同しながら、新しい労働者階級の運動を模索する。弾圧に対する防衛ということも含めて階級としての結合を強めて頑張っていこうというんだったらいいんじゃないかという、一定の了解があった。けれども、実際に準備過程を見てみたら、現実の闘いも、理論的にも『資本論』も出て、資本主義に対する根本的な批判と労働者階級がブルジョアジーを倒していくということが、階級のない社会への道なんだということが、科学的にもはっきりしてきたはずで、第1インターもそういう形でやってきてる。ところがそれを全部ひっくり返すようなことを、この綱領はやってる。こういう合同には反対だという形で逐一批判して、マルクス、エンゲルスと連絡を取っていたドイツの党の指導部に向かって根本的な批判を書いたけれども、ビスマルクの社会主義者取締法による党の非合法化と、その中での新しい党派闘争・党内闘争の展開という情勢の中で、現実的にかつ原則を貫きながら、党と労働者階級の関係を解決していくという、いわば前人未踏の闘いに入る。その時に「1ダースの綱領よりも」という考え方をとった。
  ビスマルクスの死後、90年代に入って党は議会における勢力としては大きくなったけど合法主義を満開させたんで、その時にエンゲルスは、これは自分の遺言みたいなものとして明らかにするんだということで、あえて出した。そして、議会で勢力が増えたら革命ができるかのような考え方はダメなんだと、労働者階級がブルジョアジーを倒すという原点に返ることを訴えた。この中には、今現在もわれわれが、党と労働者階級の関係として考えていかなければいけないいろんな問題が詰まっている。
  もう一つ、討論の中で一番最初にN同志が出されたことは、非常に重要だと思います。「ゴータ綱領」の「労働が全ての富の源泉である」という考え方、これは社会主義のような雰囲気をとってるんだけど、中途半端な体制内思想で、分配をちょっと改善してくれという程度の話。こういう理論では、国家援助の生産協同組合で労働者は救済されるという程度の、労働者救済運動しかできない。
  労働者階級が自己解放の立場に立って、これまでの階級社会を全部ひっくり返すということが資本主義の中で実は準備されてる、自分たちがそれをやるんだと。資本主義ってのは、徹底的な賃金奴隷制の社会なんだと。今の体制を根本的にひっくり返して、今世界がぶつかってる問題を全部解決していく力が俺たちにあるんだってことを、はっきりさせていくことが必要なんです。労働者階級が勝利するために、部分的な中途半端なものでない、根本的な認識、根本的な批判を労働者階級自身が自分のものとしていく。そのためには、徹底的に物事をはっきりさせるような理論闘争や党派闘争が必要で、これと現実の労働者の運動の結合ということが一体で進んだときに、「党と労働者階級」「党と労働運動」、あるいは「共産主義の理念と現実の労働運動」、そういう『ゴータ綱領批判』以来の歴史的教訓をわれわれが本当に生かして、今の状況の中で勝利していくことができると思います。

党学校通信 p15-28  受講レポート

受講レポートから ★『ゴータ綱領批判』のレポートです。

【N】

 討論をして、講義と今の世界情勢がピッタリくっつきました。
  体制内派の救済論と真っ向から立ち向かい、一歩もひかず闘うことの重要性もガッシリつかみました。
  共産主義で世界中の労働者と連帯していくこと、そしてその共産主義では、労働者階級が階級的に団結し、ブルジョア政治権力を打倒してプロ独を樹立すること、社会の全生産を意識的に組織する、という明快な原理だ、とよく理解しました。
  労働者階級の解放をかちとるために、今日からまた、職場生産点で地味に、でもしっかり闘おうと、ものすごく空気が入りました。

【h】

 今回の講義と討論は非常によかったと思う。以前に学んだ『ゴータ綱領批判』は、共産主義社会をどのように建設していくのかというイメージと現実性がわかってよかったが、内容的には、冒頭からスッと理解できなかったのを今でも覚えている。
  しかし、今回は、なぜマルクスがゴータ綱領を感情的に批判しているのかがよくわかった。まさしく、現代的に言えば体制内派との闘いや塩川一派との闘いそのものだというのを、身に迫って実感した。マルクスの時代にも、激しい党内闘争があったのがよくわかった。従来は、あくまで理論的一般論として理解していたが、今回は現実の差し迫った階級闘争そのものであることがよくわかった。
  当時は、ビスマルクの激しい弾圧と「飴と鞭」政策の中で、党を維持しつつ、労働者階級といかに結び付いていくかが課題だった。そういう中で、体制内的な屈服が無自覚のうちに蔓延していったというのも、今日の時代と同じだと思う。今日では、民主党政権への幻想に全党派がまみれていく中で、我々のみが真っ正面から「革命」を訴えて、党を建設し、労働者階級を組織して団結を拡大していくのだということだと思う。
  マルクス主義の原点、労働者階級の解放は労働者階級自身の事業であるという意味、労働者階級にはそれをやり遂げる力があるんだという確信が大事なのだと思う。これが、パリ・コミューンの総括だ。
  ちなみに、なぜ16年間も公表しなかったのかという説明も、すっきり理解できてよかった。亡命の身で、現実の階級闘争と切り結んでいこうというマルクスの姿が感動的だ。

【y】

 09年11月集会は、全世界の労働者階級が、大恐慌をプロレタリア革命に転化するべく、国鉄1047名解雇撤回闘争を結集軸にして闘いとられた。労働者階級は、断じて救済の対象ではない。労働者階級は、最末期帝国主義の歴史的災厄に対して、社会主義をめざす党に結集し、国際的団結の力で資本主義を打倒し、プロレタリア独裁を戦取して、共産主義を実現する。その現実の運動が始まった。
  職場で吹き荒れている首切り、賃下げ、団結破壊の攻撃と対決し、職場の体制内勢力と激突して、労働者の団結と党をつくるためにも、マルクスの『ゴータ綱領批判』のように、根底的な批判が必要なのだと思います。今日、プロレタリア革命の現実性があるからこそです。
  ゴータ綱領が出された当時も、今も、階級闘争の現実の困難の中で、やはり労働者階級の団結した力にかけきって闘うことが求められている。社会を動かしているのは労働者だ。その労働者が賃金奴隷の鎖を断ち切って、人生かけて闘う力にかけきるということだと思います。
  その団結した力を生み出すためにも、『ゴータ綱領批判』と革共同の綱領草案で武装して、党派闘争を闘うことだと思います。討論で、実践的に深められていったように思いました。

【q】

 これまでは、『ゴータ綱領批判』は共産主義社会の姿をマルクスが描いたもの、という印象が強かった。今回の党学校に向けて、解説本を再読し、また講師の説明を受けて、『共産党宣言』−『資本論』とのつながりの中で「ゴータ綱領」を批判し、労働者階級の党とはどうあらねばならないのかを、徹底的に明らかにしたものだと改めて感じた。
  マルクスは、労働者階級を徹底的に信頼し、労働者階級とつながった党をつくろうとしていた。その時に、マルクスとエンゲルスがつくり出してきたアイゼナッハ派が、日和見の綱領を無批判的に受け入れていったことは、最初はどうしてなのかと思った。それが、情勢の厳しさの中からのラサール派との合同、弾圧の激しさへの屈服という問題にあったことをみると、過去の問題ではなく、現在につながる問題であり、常に運動の中で検証していくことが必要なのだと実感した。
  今、革共同が綱領草案を発表し、党への飛躍を決断したことは、革命情勢の急接近の中で非常に重要だったと思う。マルクスの批判点を再学習しながら、綱領草案を学習していきたいと思う。

【I】

 今日の『ゴータ綱領批判』の学習会を、11月労働者集会を経て、国鉄1047名闘争、星野同志奪還闘争、法大−沖縄闘争、動労千葉の組織拡大戦を「待ったなし」の状況で迎えている我々が行えたのは、第1には、「革共同綱領草案」が、革共同として初めての「綱領」として出来たことが最も土台をなしていると考えます。
  その上で、講師がはじめに、「大恐慌の今、体制内派を打倒し、革命を実践するために絶対に必要なことだ」と提起された点が大きいのではないか。全体をとおして私は、今日、革命をめざす我々にとっての最大の課題である体制内派との党派闘争の観点から、随分と大切なことを学べた。それは、塩川派であり、今日、政権の座にある民主党・連合政権の存在である。
  いろいろとありますが、一点、賃金制度の廃止をめぐる攻防こそが、現場労働者の革命へと向かう最も基軸的な闘いであると考える立場から、マルクスが『ゴータ綱領批判』の中で言っている、また、講師がレジュメでも強調している労働組合の役割−資本がとるのか我々がイニシアチブをとるのかという攻防を核心とした−がハッキリしたことが、今日の私の最大の収穫です。
  『ゴータ綱領批判』をエンゲルスが16年間公表しなかった(できなかった)理由も、「1ダースの綱領よりも実践を重んじた」という解説で十分納得できました。さらに、マルクスは、どのような著書を書いているときにも、常に自ら労働者の闘いの内部にいた、ということからも理解できます。
  賃金制度の廃止を、いかに労働者階級の団結の下で闘いとるのか、という点で、マルクスは、ラサールの「労働の全収益」論や「自由」「平等」論を批判し尽くし、その結語が、「暗殺攻撃であり、もはやこの綱領には責任は負えない!」という怒りの表明であることからしても、マルクスが百%現場労働者と共に革命を強く強く願っていたのかが類推できると考えます。
  日本共産党の綱領を見ればよくわかる! 革共同の綱領草案が、この『ゴータ綱領批判』に裏打ちされた労働者階級の自己解放論で、階級闘争を前進させるためのものに他ならないと考えます。
  討論になった、国際的な運動との連動は、この『ゴータ綱領批判』に十分描かれています。また、現実の我々の闘いとの結合は、このような体制内派との対決を鮮明にさせたものを学ぶこと、それを大前提としてしか実現できないと考えます。
  私としては、また一歩前進できた!と強く感じます。これを土台として、実践に突き進みたい。

【g】

 今回の党学校で、改めて「綱領草案」の内容がスゴイと思いました。レジュメの題に、「パリ・コミューンと『ゴータ綱領批判』−ロシア革命−革共同『綱領草案』」とありますが、これが核心をついていると思います。『ゴータ綱領批判』でも、ロシア革命(『国家と革命』)でも、体制内派や日和見主義との党派闘争をとおして、労働者に依拠した党をつくり、革命に向かっている。当時も、現在も、問われていることは同じであり、だからこそ、動労千葉の階級的労働運動、国鉄1047名闘争にこだわり、つくりあげてきた綱領草案の内容、革命の路線がはっきりと内在化していることを確信しました。
  また、09年の11月集会−訪韓闘争でつくりあげている国際連帯の位置と意義に、世界革命の展望がぎっしり詰まっていることがはっきりしたと思います。
  討論も、それがはっきりわかる形で行われ、おもしろく、勉強になりました。

【e】

 レジュメの提起では、恥ずかしながら、マルクスがどういう批判をしたかについて、字面だけで理解していただけでした。しかし、討論での多くの同志の発言をとおして、また、改めてレジュメの[はじめに]と[結語]の直前を読み直す中で、今回の党学校で何が問題となり、『ゴータ綱領批判』で何をつかむのかが、自分なりにはっきりしました。
  核心的には、“どういう党をつくるのか”“その党の綱領はどうあるべきか”を、パリ・コミューン、ビスマルク、ラサール主義の大きくは3点を基底に、党派闘争、路線論争を行っていたのだということです。現実の階級の状態、階級状勢の中で、いかに『共産党宣言』や『資本論』の原則を貫徹していくのかについて、理論的には言うまでもなく、実践的・組織的かつ大衆的にどうしていくのか、という激しい熱意と、階級への圧倒的信頼が、その党派・路線闘争の背景にあるものだと思いました。
  提起の直後に空気が入らなかった自分の未熟さを乗り越えるためにも、当時の時代背景を踏まえて、階級の党を建設するにあたっての格闘として、『ゴータ綱領批判』をもう一度読み返し、とらえ返していきたいと思いました。
  討論にもなった、レジュメp7の上の所ですが、ラサール派についてもそうですし、本文ではもう少し展開がしてあるわけで、その点もう少し詳しくやって頂けたら、7月テーゼや階級的労働運動との関係も、もっとよくわかったように思います。
  いきなり、講師の文章のように言うと、「レーニン主義の立場からラサールを批判する」というような、飛躍した話になっているような気がしました。偉そうにすみません。

【M】

 マルクス主義を貫く革命党を建設することが、どれだけ偉大であり、それが絶えず生み出される日和見主義との党内闘争・綱領論争として展開されるということがとてもリアルで、今日の私たちの格闘と重なって、とても空気が入りました。
  パリ・コミューンの偉業を前に生み出された「日和見主義」に、マルクス、エンゲルスが激怒し、『共産党宣言』を貫く立場から、徹底的にゴータ綱領を批判したという目的意識がよくわかった。

【d】

 @これまでの『ゴータ綱領批判』の読み方・受け止め方と全く異なって、今回の学習会〈講義と討論〉で非常に大きなものを得ました。
  党学校では、『賃労働と資本』『賃金・価格・利潤』『共産党宣言』『資本論』を通じて、労働者階級の自己解放の力ということに徹底的に依拠し、賃金奴隷制を廃絶することを通じて階級社会をなくしていく、ということを学んできました。
  その上で、今回の『ゴータ綱領批判』では、『共産党宣言』『資本論』etc.を根底から否定する体制内派−今では塩川一派、4者4団体派やあらゆる屈服的連中に通ずる−との全面的な対決をマルクス、エンゲルスの怒髪天をつくものとして、実に一体感をもってつかみました。
Aまさに、大恐慌−資本主義最末期の時代、09年11月集会にいたる過程ですさまじい党派闘争を闘ってきたからこそ、労働者と労働者の党は、この時代にどう生き、闘うのか、『ゴータ綱領批判』から学ぶものは大きい。
  全解闘のキムベッキュさんは、「解雇は殺人!」と言い切った。資本(主義)にとっては生き残りのために公然と−公正・公平にやっていることが、労働者にとっては絶対に相入れない。国家による救済などできるはずもない。
  資本主義は終わっている。賃労働と資本の関係の廃絶、プロ独からのただちに共産主義へ向けての前進こそが全世界で求められているということ。
Bまた、労働者階級が真に革命的階級である、としたことと、階級的解放の普遍性とプロレタリア国際主義でのゴータ綱領批判の点も、今日的に言って決定的に重要だ。09年11月集会での国際的な連帯と団結と共に、三里塚反対同盟との結合は、こうした中にはっきりと土台がある。〈党・労働組合・ソビエト〉の問題についての深く、広いイメージが広がる。
C革共同50〜60年の闘いと党綱領草案の地平が、完全に一つとなって見える。我々の闘いの責務は大きく、日々の闘いの積み重ね(会議・機関紙・財政の3原則の貫徹)、職場・地域での闘いが、マルクス・エンゲルス・レーニンの歩みを引き継ぎ、非常に大きく感じる。

【f】

 @『ゴータ綱領批判』を『資本論』との関係で読んでいくことが重要だ。
  労働者階級の解放をかちとるためには、資本主義の根本的批判を労働者が自らのものとしなければならない。
  その上で、『資本論』と日和見主義との徹底的な党派闘争を闘いぬいた上で書かれた『ゴータ綱領批判』を読むことは、本当に決定的なことだと思う。
A『ゴータ綱領批判』を革共同の綱領草案との関係で読むことが重要だ。
  @ともつながることだが、労働者は自らの勝利のために、自らの理論、そして正しい理論をもつことが必要だ。そしてそれは、究極的には〈綱領〉という形で表される。
  革共同の綱領草案は、紛れもなく『ゴータ綱領批判』の地平を正しく引き継いでいる。とりわけ、「労働者階級の解放は労働者自身の事業である」(労働者の革命性!)と「万国の労働者、団結せよ!」(労働者の国際性!)である。
  正しい綱領こそが、強じんな革命党をつくり、プロレタリアートを勝利に導く。我々の思想的立脚点をはっきりさせる上でも、今回の講義が重要だった。

【D】

 本書は、まずは分かり易く党派闘争の本になっている。労働運動の路線をめぐる党派闘争が最大の決戦場となる今日、実践的な学習が行いやすい題材だと感じた。あたかも労働者の味方かのように振る舞い、あるいは「労働者の代表」とでもいうべき労働組合の立場を利用し、幻想を振りまき、労働者を裏切っていく体制内勢力。彼らがごまかす点は、やはり普遍性がある。特に気になった点についてレポートする。
  @民主党・連合政権との対決から、「あらゆる合法的手段…」について。
  色々あるが、やはり連合の「民主党が政権をとれば解決する」というあり方。社・共含めて、議会主義政党指導部は、皆ここにゴマカシがある。その立場から、さらに踏み込んで現場の闘いを圧殺している。
  結局のところ、民主党政権となり、社民党も閣僚に入る中、幻想の一切ははがれ落ちている。「政策要求」が自民党政権下で実現されないことを核心に維持されてきた運動は、その実現が問題になった途端、破綻を深めている。沖縄の基地問題での露骨な裏切り。大失業に抗する力がないどころか、率先して首切りを進める。新自由主義−民営化攻撃への怒りを吸収して生まれながら、連合を取り込み、「労働者に支持される」形をとることで、自民党以上に推進するあり方。
  A社・共、とりわけ塩川派の裏切りと同質のもの。
  一読すると「微妙な」表現。大衆なら何ら問題ないが、確信的に裏切っていることの犯罪性。塩川派の「綱領もどき」も似たような感じ。
  Bやはり、我々の路線は党派闘争の中でこそ通っていくということ。圧倒的な大衆性と根底性をもった「1047名解雇撤回」のスローガンは決定的。このスローガンは、すさまじい獲得力がある。同時に、党派闘争を闘えば、革共同綱領草案での一致が問題になる。ここをやり切る力をつけたい。その意味でも、本書の意義を感じる。
  C「弁証法」が重要だと言われて、最近のブーム。ブルジョア社会にプロ独が内在化されている。プロレタリアートの中に革命をやり切る力が内在化している。自己を変革し、他者を変革する。それによって、さらに自己も変革される。今の現実の中に、次の社会が内包されている。連続的な感じ。まだ表現しきれないが、今回の学校でもそういった内容が展開され、「弁証法」いいなぁと、思ってます。

【v】

 はじめに『ゴータ綱領批判』を学習した時は、一般的に誤ったマルクス主義への、間違った理解への批判という感じで読んでいた。今回、我々自身が大恐慌と世界革命を目前にして学んで、当時のフランスのパリ・コミューンから革命への恐怖から、体制内的発想、合法主義〜反革命へと向かったラサールへの怒りと批判としてあることが理解できた。私たちの塩川派や4者4団体派、JR総連に対する怒りも、また同じだ。ほんとに当時と同じ情況だ。
  プロレタリア独裁ということが強調されたが、それは、労働者には労働者自身の力で労働者の社会がつくれるんだ。それは、遠い先の話ではなく、今私たちの課題としてあるんだ、ということがつかめた。
  この学習と同時に、革共同が綱領草案を持った所はもっとやりたかった所です。労働者を信頼し、労働者自身の事業としてやりとげること。資本主義の打倒が階級社会の廃絶となること、等々。もちろん世界革命をやる党として、ここに発表された意義は大きいですが、綱領草案をつかんで、実践をもって本物の綱領になるように闘いたい。

【Z】

 大昔の話で恐縮だが、私の経験によれば、共産主義の入門とかさわりということについてどうあるべきか、ということがまじめに議論された記憶がない。学生運動の真っ只中にいたのにもかかわらず…だ。
  周知のように、党の労働者文庫の第1巻は『ゴータ綱領批判』であり、この文庫が出された時、誰とはなしに、党の(あるいは共産主義の)入門書であり、我々にとっての“空想から科学へ”ということなのだと言われた。実に興味ある提起であった。
  それからどうなったか……。労働者や人民大衆にとって、共産主義社会のイメージは大きく前進したのか?
  さて、我々(党)にとって、現在の『ゴータ綱領批判』は、当然にも「党綱領(草案)」でなければならない。
  『ゴータ綱領批判』の学習においては、結局同じことだが、「共産主義社会とはどんな社会か」というような入門的な側面を強調する(文庫本の解説)場合と、過渡期政策論→社会主義社会論それ自身の展開という場合に、結構分かれたと思う。(上述の「提起」はそれ故迫力があった。)
  今日では、@「党綱領草案」学習の補助として、A我々の過渡期政策論−社会主義社会論を深化させる導きの糸として、B革命過程における社民主義(ラサール主義は、社民主義の原型→階級和解の道具としての国家論)との党派闘争の武器として、積極的に意味があると、私は思う。

【A】

 『ゴータ綱領批判』は、前進社新書(マルクス主義基本文献学習シリーズ1)出版後に、何かの学習会で学んだ。
  当時は、アイゼナッハ派とラサール派の合同におけるアイゼナッハ派のマルクス主義の原則を極度に歪めたラサール派への譲歩に対するマルクスの「これではいかん」「許されない」ということでの批判…という感じで学習したと思う。
  今日の学習会では、革命的情勢の直中で、動と反動、激しい生き残りをかけた党派闘争、動揺、逡巡、日和見主義等々が折り重なる階級闘争の現実の下で、労働者階級の自己解放としてのプロレタリア革命の原則を現実の階級闘争の中で貫くものとして学習した。
  その意味で、時代を分かつ、階級激動の中で、種々様々な形で発生する労働者階級の闘いを、資本主義と調和、和解する論調と闘い、労働者階級の闘いを勝利させるものとして党派闘争を徹底的に貫き通す書であり、現在我々が、11・1集会から11・8を中心に闘い取った、新しい労働者階級の国際的団結の出発点と党の綱領草案を発表したことと重ねて学んでいくことだと思う。

【Y】

 1)『ゴータ綱領批判』は何回読んでもよく分からない、マルクスも、なぜこんな細かいことに目くじらを立ててこだわるのだろう、ということがずっとあった。
  今回の学習で、内容的に分かったところもたくさんあったが、マルクスがこだわり続けたその中で、マルクスが絶対に譲ることのできない階級的原則を守ろうとしたんだということ、これが『ゴータ綱領批判』。そういう意味で、『ゴータ綱領批判』が当時の階級闘争の中で、重要な意味を持っていたということがよく理解できました。
  『資本論』の地平、以前的には『共産党宣言』があり、そしてパリ・コミューンというパリの労働者階級の闘いの勝利−敗北という動−反動の逆巻く中で、「ゴータ綱領」のようなものが出され、マルクスからすれば、ずっと闘いとってきた地平すべてをひっくり返してしまうような事態(「ゴータ綱領」)は、絶対に許すことのできないことだった。いわば、マルクス主義の根本思想である「労働者階級の解放は労働者階級自身の手で闘いとらねばならない」という根本を絶対的に守り抜くという、そうだから、「細かいことのように思った」ことに対しても、徹底的にはっきりさせなければならなかった。マルクスの問題意識がはっきりしてくれば、『ゴータ綱領批判』の意義と重要性が見えてきたような気がします。
2)マルクスの『ゴータ綱領批判』をめぐる当時の体制内日和見主義との闘い。マルクスやエンゲルスが、党と階級、あるいは階級的原則と大衆性の問題など、現在のわれわれが直面している問題とも通じていると実感しました。
3)内容的には、『ゴータ綱領批判』は読む気があまり起こりませんでしたが、今回の学習を基礎にもう一度やり直してみたい、そういう意欲がわいてきました。

【B】

 『ゴータ綱領批判』の学習が、とても重要なことだったということが分かりました。私たちが11月集会に向かう過程でぶつかっていた問題が、今回の講義、その後の討論の中ではっきりしたし、自分がぶつかっていた壁がどういうものだったのか、今後の方向性も含め、分かったような気がした。
  毎回、講義の中で、労働者だけが資本主義を倒す階級だと強調され、資本を増殖するもの、剰余価値→利潤→不払い労働という説明はよく分かった。そう考えると、労働者以外にいないと思った。

【i】

 マルクスは、社会主義像の詳細な見取り図を描かなかった。何故なのだろうか。おそらくマルクスとしては、「社会主義革命とは人類の前史から正史への転換点であり、それを担うプロレタリアートの事業である。予め決められたプログラムにのって進めていくというようなことでは、とてもこういった大事業は達成できない。だから、社会主義像など描けないのだ」という気持ちであったのではなかろうか。
  しかし、このマルクスの姿勢をいいことに、われわれも含めて、これまでの左翼の間の社会主義像は貧しいものであったのではないか。効率よく組織化された産業社会という協会派や日共辺りの社会主義イメージをいくばくも超えていなかったのではないか。そこから旧ソ連・東欧の経済的破綻−崩壊という歴史的現実から「社会主義の破産」がはやし立てられ、それがリアリティがあるように人々に受け入れられ、「マルクス主義者」であると主張することがはばかられるような情況が生まれているのではないだろうか。
  だが今、「社会主義」の対極として賛美された資本主義も、その行き詰まりが誰の目にも明らかになってきている。そうした時だからこそ、マルクスの根本発想を『ゴータ綱領批判』の中から学びとる意義があるに違いない。『ゴータ綱領批判』の中でマルクスは、もちろん、高度な生産力水準が共産主義社会の必要条件であると書いているが、「効率よく経済運営をし、生産力が発展すれば万事オーケーで、それが共産主義への道だ」などとは決して主張していない。「労働[時間]という等しい尺度で測られ」発給される「労働証書制」とは、そうした生産力水準とはおよそ違う次元での発想であろう。
  今回、講義の後の討論の中で、革命後の低次・高次過程といった段階論的発想を克服しなければならない、との発言があったが、それは直接的・具体的には、この場面をさすのではないか。実際スターリン主義は、「労働の質と量」を言い立てて、「労働証書制」の平等主義を完全に否定して成立したのである。反スターリン主義のわれわれこそが、この点を深めるのでなければならないと思う。

【W】

 『ゴータ綱領批判』の学習は、09年11・1労働者集会の大成功をもって切り開かれた今日の階級情勢において、決定的な意味をもつ。
  資本主義の歴史的崩壊が一挙に進行し、労働者階級の世界的決起が不可避となる中、日本においても、韓国においても、米国においても、ブラジルにおいても、全世界において、体制内的運動との闘いが決定的に重要なものとなっている。
  社会の変革−プロレタリア革命は、労働者自身の闘いによって成し遂げられる。国家による救済などでは成し遂げられない。労働者階級の解放は、資本主義を打倒し、賃金奴隷制を廃絶させることをもって成し遂げられる。「分配の平等」などというものは、資本主義を維持していこうとするインチキであり、そんなものでは労働者階級は、ますますみじめなものとされていく。
  マルクス『ゴータ綱領批判』は、現実の社会(資本主義社会)そのものの中に、プロレタリア革命の現実が宿っており、労働者階級の団結した闘いそのものの中に、新しい社会をつくり出すその力がみなぎっていることを確信させるものである。

【E】

 『ゴータ綱領批判』そのものの理解という意味でも、革共同の綱領草案−11月国際連帯の一連の闘いをやりきった今日の地平をとらえ直せたという意味でも、非常によかった。
  『国家と革命』の中に出てくるパリ・コミューンは、マルクスの総括であり、それは労働者階級は、ついに労働者階級の解放を実現するための政治形態を闘いの中で発見した。だから必ず、共産主義革命はできる、ということだった。そして、レーニンがロシア革命によって、現実の階級闘争の中で証明しきった。けれども、何万人という労働者の虐殺という形で敗北したパリ・コミューンの闘いの総括は、簡単にはいかないということ、第1インターが解散するという事態になった。
  1875年につくられたゴータ綱領も、その当時の動と反動という階級状勢の中にあったし、マルクスの闘いは、体制内日和見主義との革命をめぐる激突としてあったということ。その本が、『ゴータ綱領批判』ということがつかめた。このことがつかめなかったときに読んだときは、まったく分からなかったけれども、今の階級的労働運動路線の実践、革共同の綱領草案、そして11月集会の地平があって理解できるようになったと思う。

【Q】

 本日の学習会は、討論をとおしてかなり内容が深まったと感じた。この間の学習会をとおして思うことは、マルクスの時代と現代との相似性だ。『ゴータ綱領批判』についても、ますますその感を強く感じた。
  討論の最初に、「違和感を感じる」との意見があり、自分の感じ方が間違っているのかと思ったが、その他の人の話を聞いていて、そうではないという思いを強くした。
  マルクスが批判したドイツ社会主義労働者党のあり方は、今現在の我々が直面している問題でもあるのだ。
  大恐慌情勢の中にあって、本当に資本主義を打倒し、共産主義社会を実現するのか、それともその困難さに負けて、反革命として転落するか。社民や日共、塩川派といった党派を倒して、革命を実現する党をつくる重要性をあらためて感じた。

【r】

 マルクス主義基本文献シリーズ『ゴータ綱領批判』が出された時は、地区に著者が来られて、講演学習会をしたのを憶えています。その時の話で今も印象に残っているのは、「共産主義は遠い未来の話ではなく、資本主義そのもののなかに既に準備されているのだ。共産主義は、ほんのちょっと先にもうあるんだ!」と言われていたことです。それまで、ぼんやりとしたイメージしかなかった社会主義や共産主義が、なるほど資本主義社会に成長してきてて、あとは労働者階級が自らの力を自覚し、政治権力をとればできるんだ、という希望を持ったことを思い出します。
  今日、この『ゴータ綱領批判』をどう読むか。一方で、冒頭言われたように、「『共産党宣言』−『資本論』−『ゴータ綱領批判』」という線から、我々自身が、より一層資本主義を打倒するための理論的武器を深化させる闘いを、19世紀後半のマルクスの苦闘から学んで現在的に生かし、発展させる作業として、もう一方で、11月集会で切り開いた国鉄1047名闘争の責任主体として、国際連帯の中軸を担う主体として、あるいはそれと一体の国際的な単一党建設を担いうる主体として学ぶ必要があることを実感した。
  ところで、『ゴータ綱領批判』は、マルクスが語った数少ない共産主義社会像だと言われてきたことがあるが、むしろ逆に、「『共産党宣言』−『資本論』−『ゴータ綱領批判』」を一体的にとらえないと、生きた階級闘争と結びつかない観念的な本になってしまいそうだ。この点でも、現実の実践的な闘いと結びつけて学んでいこうと思いました。

【O】

 ◎討論が非常に重要だったと思います。
  資本論研究に続いて、“ゴータ綱領批判”を出したということは決定的だったことが、よりはっきりしました。
◎共産主義論のとらえ方(段階論的にとらえることの問題性)についても、よりはっきりしました。
  労働者自己解放、労働者には力がある−労働者階級への絶対的信頼というマルクス主義の核心をはっきりさせればさせるほど、このことはよりはっきりします。
  資本主義を打倒し、共産主義を実現する主客の条件は、資本主義の内側にすでに準備されている−このことも、動労千葉労働運動の実践のなかで学んで、そして自らの職場で実践する中での確信としてつかんできたことが大きい。
◎“ゴータ綱領”にあるものは、今日の一切の体制内派の主張そのもの。
  資本主義への幻想、それは結局は救済へと転落するし、自らがその立場から闘いを圧殺することになっていく。その核心は、労働者階級への不信だし、絶望だ。
  今日の時代、ますます分岐が鮮明な中で、11月の前進の地平に確信をもち、本当に、職場生産点で労働者を組織できるかの勝負に一切かかった。
  この決定的武器として“ゴータ綱領批判”があったし、さらに革共同の綱領草案と一体で、主体化していくことが必要だと痛感する。

【X】

 講師の話を聞いていて、内容は綱領批判ですから、多くのことが展開されているので、これはこれで一つひとつが重要だなと思います。
  しかし、私の関心は、なぜアイゼナッハ派と呼ばれるマルクスと親しい党派、第1インターナショナルの規約を採択した党派が、ラサール派と合同することを口実に、こんなとんでもない綱領を出して来たのか、ということにあります。
  革共同の中から、塩川一派や平田派や旧与田派などという、やはりとんでもない、権力に屈服して1ミリも恥じないグループが発生したのと同じことが、マルクスの時代にも起きている。
  これは、マルクスの批判、「階級運動の立場から小分派の立場に逆行している」が一番納得がいきました。労働者の自己解放のたたかい−労働者の団結の中に一切依拠していく立場を失うと、必ずこうした屈服・転向が起きるのだと思います。
  当時、パリ・コミューンに恐怖したドイツ国家権力の弾圧による困難に屈したのが、当時のアイゼナッハ派だと思います。
  したがって、我々もトコトン労働者をひとり残らず心から信頼し、労働者の団結をつくり出すことの中に、プロレタリア革命の勝利の展望があると確信しました。

【n】

 最初のN同志の発言には驚きましたが、訪韓の熱気との温度差でしょうか。私には、マルクス・エンゲルスの怒りが、かなりストレートに入ってきました。「批判ばかりで具体的な方針が出てない」との意見もありましたが、あまりにもとんでもない内容なので、マルクスも、ただただ怒っているのではないでしょうか。
  講師が強調していた(していなかったのかな? 私にはそう思えましたが−)賃金「鉄則」批判の所で、分配を、資本家の取り分を「限りなくゼロにしていい」、いや、「完全にゼロでもいい」というのが、今日のハイライトだと思います。
  「資本家側がゼロ」というのは、資本家が生きていけないわけで、賃金労働制度の廃止でしょう。それをかちとる闘いを労働組合運動で実現していく。その闘いへ、多くの仲間を結集して、団結の力で頑張っていきたいと決意を新たにしています。
[事務局から:真意はそうではないと思いますが、〈賃金を上げて資本家の取り分(利潤)をゼロにする運動〉⇒〈賃金労働制度の廃止へ〉とも読めますので、念のため一言。マルクスの提起のポイントは、〈分配−取り分の問題でなく、賃金制度とは一つの奴隷制度であるということ、しかも、この奴隷制度は、支払いの増減にかかわらず、労働の社会的な生産諸力が発展するにつれて、その分だけますます厳しくなる奴隷制度であるということ〉−したがって、〈資本家の生産手段を丸ごと奪い取り、彼らの存在そのものを“廃止”する〉ということです。]

【U】

 様々な討論がありましたが、私には、今回の講義は分かり易かったです。
  ここ数年、わが革共同から、与田派、平田派、塩川派と脱落していった奴らがいる。彼らは、今日の8・30情勢下、完全に民主党に屈服した姿をさらけ出している。彼らと「ゴータ綱領」を出した、当時のドイツ社民党はなんと似ていることか。「ゴータ綱領」を批判し、『ゴータ綱領批判』を出したマルクスと、現在、綱領草案を出した私たちとは似ていると思いますし、ここに今回、『ゴータ綱領批判』の学習会を行ったタイムリーな意義があると思います。
  レーニンの何かの本の冒頭のページにあったと思いますが、党派闘争はほんとに重要ですね。こうして革命の理論は純化し、鍛えられ、強くなっていく、ということも、今回つかめたような気がします。

【G】

 『ゴータ綱領批判』の全体をつかむことから改めて学習し、ドイツ社民党が直面した状況についての把握や、パリ・コミューンとは何だったのか、ということを改めて学習する必要性を感じました。多分、今日の階級闘争の現実とマッチするものがあり、多くの教訓に満ちていると思います。
  レジュメの冒頭に書いてありますが、「《プロレタリア独裁》パリ・コミューンをめぐる体制内日和見主義との革命的分岐」ということと、今、同じような分岐が始まっていると思います。
  現在の革命的分岐と1870年代の革命的分岐と共通性があると思いました。
  資本主義社会を現実の階級闘争の中で覆していくことができるという確信を、より持つことができる契機になったと思います。
  資本主義を打倒し、その後の未来社会(社会主義−共産主義社会)のイメージを描いてきたわけではありませんが、資本主義の中に共産主義・社会主義の萌芽があり、そこに向かっていくという展望が感じられました。
  討論をとおして、パリ・コミューンの闘いとその後の弾圧などの階級情勢そのものについて理解することによって、なぜこの綱領が生まれたのかを理解することができるのだと思いました。やっぱり、その当時の状況を予備知識として踏まえていないといけないと思いました。
  また、その当時の党派闘争、党−労働者階級との関係など、非常に興味深く聞きました。基本的な知識が不足していると思いました。

【j】

 ○久しぶりに『ゴータ綱領批判』を読みました。
  現在の我々の闘いが直面している課題=体制内派とのイデオロギー闘争を含めた闘いとそっくりと言ってもいい闘いとして、ラサール派と合同したドイツ社会主義労働者党指導部との闘いの書であることがよく分かり、感銘を受けました。
○さらに、「プロ独を知りたければパリ・コミューンを見よ」(レジュメには出て来ませんが)、というエンゲルスの言葉も、若干本線の議論からそれますが、新鮮に受け止めました。
○改めて、マルクスによる共産主義論の魅力を実感しました。この共産主義建設論自体の宣伝・扇動の必要性を感じたところです。
○「中間層(労働者階級以外の)は反動的な集団をなすにすぎない」旨のゴータ綱領草案の文言は、今まで見過ごしてきましたが、労農同盟の今日的重要性の観点から、マルクスの批判を教訓的に読みました。
○最後に、革共同綱領草案(抜粋)が出されていることが重要です。『ゴータ綱領批判』を学んだ地平で革共同綱領草案全文の再学習を行いたいと決意しました。

【J】

 『ゴータ綱領批判』が、革命家マルクスの真骨頂にふれる題材であることが改めて印象に残った。プロレタリアートの激しい怒りと闘いを、いかにして資本主義に対する根本的な批判、階級関係の根底的な転覆、賃労働と資本の関係の廃絶にまで高めることができるか。『ゴータ綱領批判』のテキストの行間から、そうした強烈な問題意識をもって現実の労働者階級の闘いに身を置いたマルクス・エンゲルスの熱い想いが伝わってくる。
  ゴータ綱領そのものの日和見主義と転向の手口は、現代の様々な日和見主義潮流やスターリン主義反革命によるマルクス主義の改ざんに通じる。周囲を見渡せば実感できることだが、日々生きる労働者の要求はそれ自体が切実な要求である。ということを背景にしつつ、「漸次的改良」のイデオロギーは様々な形態で、きわめて強固なものがある。
  しかし、あらゆる職場生産点において、階級対立は日々拡大し、「改良」への幻想を打ち砕く現実は急速に拡大している。ここにおいて、真に革命的でラジカルな党と労働者階級の現実の闘いが結びつくカギは何か、が問われているのだ。
  マルクスは、「1ダースの綱領より現実の運動が決定的なのだ」と言い遺したが、労働者階級が現実の闘いに立ち上がることそのものが、理論闘争の組織化の上でも決定的な契機をなすということだろう。資本との激突を、実践的に非和解的に、徹底的にやり抜くことがやはり核心である。その現場労働者の闘いをあらゆる面から助力すること、これを基礎に理論闘争・政治闘争・経済闘争のあらゆる可能性を追求すること、その中で、不断に細胞建設の拡大を積み上げること。これらが、党に結集した共産主義者の基本的任務なのだと思います。

【a】

 ○『「ゴータ綱領批判」の持っている重要性』−大情勢と党の綱領の決定的意義
  『資本論』を学習した時に、“次は『ゴータ綱領批判』”という問題提起があった。正直言うとピンと来なかった。ましてや私にとっての学習で決定的に抜けていたのは、19世紀革命運動史をリアルにとらえることであった。改めて、『共産党宣言』…『資本論』を学び直すことによって、マルクスの生きた時代と理論が融合し、現実の21世紀プロレタリア世界革命へ鮮明な光を照らして出していると再確認できる。
○現実の情勢と国際的労働運動の高揚と決起
  08〜09年第2回・第3回理念交流会でも提起されたことは、世界大恐慌と党の問題(労働運動と革命)であった。それは、“革共同提起”であり、“党の綱領”である。
  講師の提起、“パリ・コミューンをどう見るか”というとてつもない闘いの中で、“できあいの国家機関”に対するプロレタリア階級の見解を「ゴータ綱領」批判を徹底的に批判することによって『資本論』に回帰している。だから、綱領の逐一読みときはとてもよく理解し、批判点を鮮明にすることが重要な提起でした。大情勢の激化の中での党派闘争、党への結集、労働者の組織化のために“今すぐに与えられた条件”で踏み出す根拠になる。
○「労働は富の源泉」論はデマゴキーチックに利用される!
  階級社会(−プロレタリア階級の任務として)の廃絶を否定し、資本主義社会を容認・美化する、極めて身近に曖昧にされる論理である。現代のラサール主義者は、資本家と密約している!
○「高める」論は、「急激な転化」=プロレタリア独裁の否定・敵対である。
  “自然移行論”は、プロレタリア自身の根底から変革する力、そして無限の力を信用していない。
○眼前のコミューンへの恐怖、眼前の大恐慌への待機に対しては、〔三〕階級的解放の普遍性とプロレタリア国際主義という回答は全く正しい!
  プロレタリア独裁は、誰と同盟し、どういう権力をつくるかということである。「国民国家」論は、労働者の国際的な連帯を完全に否定している。世界革命の主体はプロレタリアートであり、国際的連帯なしには勝利できない。
○「革共同綱領草案」を現実の運動へ
  “帰結は「革共同綱領草案」”と講師は結語。何故『資本論』→『ゴータ綱領批判』なのか、何故「革共同綱領草案」なのか、凄い!提起だった。
  マルクスは、「1ダースの綱領より、現実の運動の進展が重要」と言った。21世紀革命は、革共同綱領(草案)で現実の運動を進展させよう! 組織しよう! 韓国・アメリカ・ドイツ・ブラジル2009年11・1〜8・12は、それを求めている!
(追:マルクス主義基本文献学習シリーズの一番目の意味がやっとわかりました。今日的意義は、1994年をこえる重要性とも言えます。)

【R】

 講義を受けて、社民の反動的実態を心底から確認するものとなりました。とりわけ今日における4者4団体派−塩川一派などは、その最たるものであり、これとの党派闘争は徹底的でなければならないということです。
  確認したことは。
  一つは、その理論的デタラメ性です。マルクス主義を語って似て非なるものをつくり出す。これほど破廉恥なものはありません。
  二つは、資本主義体制の打倒をトコトン回避していることです。マルクス主義の一番の核心点を骨抜きにしているのです。
  三つは、これが一番の核心と思いますが、社民は「ノスケ」になるということです。民主党政権に社民党が入っているけど、これなどはもってのほかです。そういう時代に階級闘争は突入しているということなのです。
  マルクスが怒りに怒って「ゴータ綱領」を弾劾したわけですが、これを今こそ我々がやって、革命へ向かおうということです。

【F】

 今回、『ゴータ綱領批判』そのものを逐一読み解いていく形で提起があったが、ラサール派と一体化しようとするドイツ社会主義労働者党の幹部に対するマルクスとエンゲルスの怒りと批判は、私たちの体制内勢力・指導部への怒りと批判そのものだ。
  初めに「ゴータ綱領」の冒頭部分の丁寧な批判がされたが、再度読み直してみてその重要性を感じた。@労働はすべての富の源泉、A有益な労働は社会において社会をつうじてのみ可能、B労働の全収益は平等は権利に従って社会の全構成員に属する。「労働は…」という言い方で、労働が生産手段(労働対象と労働手段)と結合して初めて行われることを隠し、労働の主体が生産手段を奪われ、その所有者の奴隷になっている、つまり奴隷労働であることを隠している。奴隷労働で成り立ち奴隷労働を維持する「社会」であることを隠している。奴隷労働で成り立つ「社会」での労働を「有益」だと言い、その「社会」を肯定している。
  こうした奴隷制社会(国家)の維持経費が無条件で差し引かれることを隠し、「全収益」が、労働の主体である「社会の全構成員」に「属する」=配分されると言っている。これは日共式「ルールある資本主義」そのものではないか! 「働けばそれなりに分配される」と幻想をあおり、「状況が厳しくても分配の前提になる資本主義社会(国家)を維持するためにがんばろう」だ。公務員労働者に対する「全体の奉仕者論」、カクマル式「働こう運動」そのものだ。それが「妨害する者を排除・壊滅しよう」となる必然性がよく分かる。国鉄分割・民営化での松崎の裏切り、今回の社保庁解体=1000人首切りでの協会派の裏切りの思想的根拠だ。『ゴータ綱領批判』が文字通り「批判の武器」になる。