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2009年11月号

党学校通信

党学校機関紙 A4判月1回発行 頒価100円

今月の内容 マルクス『賃金・価格・利潤』

講義概要 P1-8

★討論から- P9-18

受講レポート P18-28

2008年11月号
通信 バックナンバー
党学校通信 p1-8  講義概要

マルクス『賃金・価格・利潤』

講義概要 講師 岩谷 芳之 

【『賃金・価格・利潤』を今なぜ問題にするのか】

●『賃金・価格・利潤』の問題意識と今日の情勢

11月労働者集会は、世界大恐慌下、プロレタリア世界革命を切り開く国際連帯集会として闘われる。われわれには、全世界の労働者と連帯し、日本において壮大な労働者の決起を実現する勢力への急速な飛躍が問われている。
自民党支配を崩壊させた労働者階級の怒りがプロレタリア革命に向かうことを全力で抑えつけるために登場したのが民主党・連合政権だ。連合が権力の一角に食い込んだという事態は、労働組合を革命派が握るか、反革命派によって制圧されるかという攻防が、一切を決する決定的要因になったということだ。国鉄決戦を基軸とする4大産別決戦というわれわれの路線は、この情勢と真っ向から切り結んでいる。
この情勢下、われわれはついに綱領草案を全党の力でつくり出した。綱領草案で、労働組合の革命的位置を綱領に位置づけたことは、世界の革命運動の歴史にとっても画期的なことだ。
マルクスの『賃金・価格・利潤』は、労働者階級の基礎的団結体である労働組合の任務と賃金闘争について、マルクスが真正面から論じた書物であり、綱領草案の理論的バックボーンの一つをなす重要な文献だ。
『賃金・価格・利潤』の冒頭でマルクスは、「いまや大陸では、ストライキという真の流行病と、労賃の値上げを要求する一般的な叫びとが蔓延している。この問題はわれわれの大会にもち出されるであろう。国際労働者協会の首脳部である諸君は、この重要問題について確固たる定見を持っているべきである」と言っている。
われわれが現在、格闘している課題は、当時の第1インターナショナルが直面していた課題と完全に重なり合う。マルクスは、現に澎湃と巻き起こっている賃上げストライキをプロレタリア革命に転化するために、第1インターナショナルの指導者たちの実践的な飛躍を求めたのだ。

●労働組合は賃金制度の最終的廃止のために闘う存在

『賃金・価格・利潤』の結論として、マルクスは次のように言う。
「労働組合は、資本の侵害に対する抵抗の中心として大いに役立つ。労働組合は、その力を正しく使わなければ部分的に失敗する。労働組合は、現在の制度の結果に対するゲリラ戦的抵抗だけに自己を限定して、それと同時に現在の制度そのものを変える努力をせず、その組織された力を労働者階級の究極的解放すなわち賃金制度の最終的廃止のためのテコとして使わないならば、全面的に失敗する」
つまり、@賃金闘争を始めとした資本との日常的攻防戦の不断の貫徹、A賃金制度の廃止−労働者階級の究極的解放に向けた闘い、を一個二重のものとして闘いぬくことが労働組合の任務だということだ。
ここには、「労働組合はもっぱら賃金闘争を行う組織、革命運動は革命党がやること」などという労働組合観はみじんもない。労働者階級の解放は、私有財産制の廃止=賃金制度の廃止によってしか実現されない以上、労働者階級の基礎的団結体である労働組合が、賃金制度の廃止のために闘うのは当然のことなのだ。
同時にマルクスは、「もし彼ら(労働者階級)が、資本との日常闘争において卑怯にも退却するならば、彼らは、そもそももっと大きな運動を起こすための能力を失うであろう」と言っている。これは、職場における資本との日常的攻防を不断に貫き、労働者が職場支配権を握らなければ、労働者階級の究極的な勝利を実現することはできないということだ。
「資本との日常的攻防戦」と「賃金制度の廃止に向けた闘い」は、それぞれ別個のものとしてあるわけではない。両者は本来的に一つのものだ。体制内労働運動は、その両者を、あえて切断してきた。そのあり方こそ、おかしなものだったのだ。体制内労働運動は、「賃上げ闘争は、資本主義を前提に、あくまで資本主義の枠内で労働者の生活向上をめざすもの」だとしてきた。しかし、それではこの大恐慌下で労働者の資本に対する根底的な怒りを結集することも、労働者階級の真の団結を打ち固めることもできない。
今や体制内労働運動は、賃金闘争を放棄したにとどまらず、その敵対者として立ち現れている。もはや賃金闘争という領域を彼らに明け渡しておくことはできない。動労千葉派が、賃金闘争を全力で闘い、労働者階級の究極的な解放に向けて団結を打ち固める時が来ているのだ。

【『賃金・価格・利潤』の成立と背景】

●「賃金闘争有害論」との路線闘争

『賃金・価格・利潤』は、1865年6月の第1インターナショナル中央評議会(ロンドン)で行われたマルクスの発言をまとめたものだ。第1インターはその前年に結成されたが、その綱領や規約は結成時には未確立だった。結成後に綱領や規約をめぐる討論がなされる状況の中で、1865年6月の中央評議会でウェストンは、次のような問題を討議に付すことを求めた。
@一般に、賃金を高くするという方法によって労働者階級の社会的・物質的幸福は増大されるか。
Aある業種で賃上げが行われれば、その結果、他の産業に悪影響を及ぼすのではないか(他の業種または産業の労働者の賃金が下げられるのではないか。したがって労働者階級の不団結・分裂を促進するのではないか)。
こうしたウェストンの主張の論拠の中には、今日から見れば問題にもならないようなことも多々含まれている。しかし「賃金闘争をしても弾圧を招くだけで、労働者にとって有害無益」というウェストンの結論これ自体は、今でも体制内労働運動指導部が絶えず垂れ流してる屈服思想だ。
資本は常に、「賃上げをしても首切りを誘発するだけだ」などと強弁する。体制内労働運動は、こうしたイデオロギーに根本的に屈服している。職場で賃金闘争を闘おうとしたら、こうしたイデオロギーとの対決は不可避だ。そのような激突をもとおして、実際に職場で賃金闘争を闘うことによって、労働者は階級的団結を打ち固めていく。
労働者階級を解放の主体として据えきったからこそ、マルクスは当時、激しく闘われていた労働者階級の賃上げを求めるストライキの中に、革命の現実的な展望を見いだした。そして、労働者を自己解放の主体と認めず、救済の対象と位置付けて、さまざまな「社会改革」案を提案するウェストンらに激しい路線闘争を挑んだのだ。

●ウェストンの主張とマルクスの批判

ウェストンの主張は、要約すれば「賃金を上げたら、その分、物価が上昇するから、実質賃金は変わらない」というものだった。
その主張の背後にあったのは、「商品の価格はその商品を生産した労働者の賃金によって決まる」という考え方だ。例えば、「賃金を10とし、利潤率を賃金の100%とすれば、資本家は10をつけ加える。地代の率も賃金に対して100%とすれば、さらに10がつけ加えられる。その商品の総価値は30となる」ということだ。
他方でウェストンの「賃上げをしても物価が上がるだけで実質賃金は変わらない」という主張には、「賃金の大きさは諸商品の価格によって決まる」という考え方が必然的にはらまれている。なぜなら、実質賃金とは、「支払われた名目賃金で買うことのできる諸商品の量」を意味するからだ。実質賃金は、諸商品の価格によって変化する。だから、ウェストンは「賃金の大きさは諸商品の価格によって決まる」とも主張していたことになる。
つまりウェストンは、一方で「労働の価値が諸商品の価値を決定する」と言い、他方で「諸商品の価値が労働の価値(=賃金)を決定する」と主張した。これでは、商品の価値が何 によって決まり、賃金の大きさがどう決まるのかは、まったく明らかにならない。
このことを鋭く指摘して、マルクスは「商品の価値とは何か」「それはどう決まるのか」という根本問題の解明に向かう。これは、「労働運動の実践とは直接関係のない経済学上の問題」ではけっしてない。労働者階級の現実の闘いが、資本主義を全体として対象化し、それを科学的に解明することを求めたのだ。『資本論』によって集大成されたマルクスの「経済学」もまた、そこから生まれた。だから『資本論』は、革命の書だ。『賃金・価格・利潤』は、労働者階級の中で行われた現実の路線闘争の中から、『資本論』が生み出された現場をかいま見せてくれている。

【商品の価値は何によって決まるか】

 一商品の価値・交換価値とは、「その商品が他のすべての商品と交換される量的比率」を意味する。これらの比率は限りなく多様だ。
  例えば、1gの小麦の価値は
   1gの小麦=0.5`の鉄
   1gの小麦=30個のみかん
   1gの小麦=10足の靴下
   1gの小麦=15本のボールペン
    …………
というように、ほとんど無限の他の商品に対する交換比率として現れる。
  しかし、これらの式はいずれも「1gの小麦の価値」という同一物の表現だ。したがって、1gの小麦の価値は、小麦1gに内在するもののはずだ。
  「1gの小麦=0.5`の鉄」という表現に即して言えば、1gの小麦の価値と0.5`の鉄の価値は、小麦でも鉄でもないある第三者に等しいことを表している。では、このような形式で表現される共通の実体(「ある第三のもの」)とは何か?
  生産された物の自然的性質はさまざまだから、「共通の実体」は社会的なものであるはずだ。それは、社会的労働としての労働にほかならない。諸商品の価値は、その生産に要した社会的労働の大きさによって決まる。

【労働者が売るのは労働力】

●「労働の価値」は存在しない

賃金とは「労働の価格」のことだと誰もが思っている。だが、労働者が資本家に売るものが彼の「労働そのもの」であり、賃金が「労働の価格」であるとすれば、次のような矛盾に陥る。
もし「労働の価格」があるとすれば「労働の価値」も存在しなければならない。では、「10時間分の労働」の価値はどれだけか? 「10時間分の労働には10時間の労働が含まれているから、その価値は10時間の労働に値する」というのでは、無意味な同義反復になる。そもそも労働者は、10時間の労働の対価として、10時間の労働が費やされた生産物に値する賃金を得ているのか?
労働者が資本家に売るものは、「労働そのもの」ではなく、労働力だ。
「労働者が売るものは労働なのか労働力なのか」−これは何も、こむずかしい理論上の話ではない。「労働者は労働力以外に売るものがない」というのは、労働者の置かれている現実そのものだ。労働者は、労働力を売ることによってその処分権を資本に引き渡す。資本の側からすれば、それは「買った労働力をどう使おうが俺の勝手」ということだ。つまり労働者は、資本の専制的な指揮・命令に従って労働することを強いられる。
例えば、JR東日本の「ライフサイクル深度化」の攻撃は、労働者を運転業務に従事させようが駅業務に従事させようが、文句を言うなということだ。極端な場合、資本は、買った労働力から具体的な労働を引き出さないことを労務支配の手段とすることさえある。国鉄分割・民営化に際して行われた被解雇者の国鉄清算事業団への収容は、その典型だ。
労働力を売るとは、本質的に資本の命令への絶対的な服従を強制されるということだ。労働力を売らなければならないということ自体が、非人間的で不合理きわまるものなのだ。

●労働力の価値はどのように決まるか

労働力の価値も、他の各商品の価値と同じように、その生産に必要な労働の分量によって決定される。では、人間の労働力とは何か? それは、生きている人間個体の中にのみある、労働する人間的能力のことだ。
このような能力は、生まれながらにあらかじめ備わっているというわけではないが、人間が(ある社会の中で)生まれ、成長し、生命を維持していく(個体的再生産)ことそのものが労働力の生産・再生産でもある。
したがって労働力の価値は、@現役の労働者を個体的に再生産するに必要な生活必需品の価値、A将来の労働力を生殖をとおして世代的に再生産するに必要な生活必需品の価値、B労働者が一定の熟練を獲得するために必要な一定分量の価値、によって規定される。
言うまでもないが、労働力という商品は、ほかの商品が工場で生産されるような形で、つまり労働過程において労働によって生産されるのではない。労働者は、労働の生産物である生活手段を消費することによって自己の生存を維持する。このことが労働力を再生産させる。つまり、労働者が自己を生存させ生活を営み、子どもを育てるという行為が、資本主義社会においては、労働力の再生産として、資本の蓄積過程に取り込まれる関係にある。

●搾取を覆い隠す「労働の価値」という形態

先に見たように、労働者が資本に売るものは労働ではなく労働力だ。しかし、労働者が売るものは労働そのものであり、その対価として賃金を受け取るかのような形態が必然的に現れる。
労働力を売るといっても、それは労働者が資本の指揮・命令に従って具体的・現実的に労働することによってしか引き渡すことはできない。また、賃金が支払われるのは実際に働いた後になる。賃金の支払形態は現実にはさまざまな形をとるが、時間賃金の場合、時間単価×労働時間という形で算定される。こうしたことから、賃金は「労働の報酬」という外観をとる。
その結果、労働者の労働の一部分だけが支払われて他の部分は不払いなのに、あたかも総労働が支払労働であるかのような見せかけが現れる。こうして、賃金形態は、資本家と労働者の本当の関係を覆い隠してしまう。
だが、資本主義のもとで労働者は、奴隷制や農奴制のもとでの労働と同じように、「不払労働」を支配階級によって奪い取られていることは同じだ。賃金制度は、階級的本質を隠蔽しつつ剰余労働を奪い取る形態だ。賃金労働を中心軸に成立している資本主義社会は、まさに階級社会にほかならない。

【労働者と資本家との非和解的対立関係】

●賃金が減少すれば利潤は増大し、賃金が増大すれば利潤は減少する

「資本家と労働者とは、労働者の総労働によって測られた価値を分配するほかはないのだから、一方が多く得れば他方はわずかしか得ないし、一方がわずかしか得なければ他方は多く得る。賃金が下落すれば利潤は増大するし、賃金が上昇すれば利潤は減少する」
マルクスがこう述べているのは、賃金をめぐる闘いの中にこそ、労働者と資本家との非和解的対立関係が鋭く貫かれていることを確認するためだ。
しかし連合など体制内労働運動指導部は、「労働者と資本家は同じ釜の飯を分け合う以外にないのだから、利害は共通している」「釜の飯の量を増やすために労資一体で努力しよう」などと言い、労働者を強労働に駆り立てる。
だが、「釜の飯」をつくり出しているのは労働者であって、資本家はそれを横取りしているだけだ。体制内派は、この事実をとことんまで押し隠している。賃金をめぐる労働者と資本家との関係は、奪うか奪われるかという非和解的対立関係にほかならない。

●労働日延長が資本の普遍的傾向

資本は、労働者からより多くの労働を搾り取るために、絶えず労働時間を延長し、強労働を強いてくる。それは、放っておけば労働者を絶滅してしまうところにまで行き着く。労働者にとって、「資本主義の枠内」では生きられる保障など存在しない。だから労働者は、資本主義の中で絶えず資本と争い、労働時間の制限などを資本に強制しようとしてきた。そうした闘いが、労働時間の法的規制を国家と資本に対して強制した。
労働日の長さは、資本と労働との力関係によってのみ決まる。
これを別の面から見れば、次のようにも言える。労働者がいなければ資本主義社会は成り立たない。労働者を絶滅してしまうような強搾取を放置したら、資本主義自身が滅びる。しかし、絶えざる競争を強いられている個別資本にとっては、搾取の限界を自分で設定するという合理的行動などとれない。だから、国家が労働法をつくって、労働時間の制限を始めとした規制を個別資本に課すことが、資本主義の存立にとっても必要になった。
だが、労働者階級の闘いによる資本への強制力が失われた瞬間、資本は労働時間規制を始めとする労働法規など平然と踏み破ってくる。今日の新自由主義の攻撃は、一切の規制を取り払って、資本に全面的な搾取の自由を与えようとする。そんなことを徹底的にやれば、社会は社会として成り立たなくなる。こうした攻撃をかけなければならなくなったこと自体、資本主義は終わりの時を迎えているということだ。

●賃金の大きさは、資本と労働との絶えざる闘争によってのみ定まる

「労働力の価値は2つの要素によって形成される。その一方は単に生理的なものであり、他方は歴史的なものである。その究極の限界は生理的要素によって決定される」
この「生理的要素」にもある程度の弾力性があり、労働力の価値がどの水準で決まるかは、資本の攻撃と労働者の闘いのせめぎ合いによるところが大きい。他方、歴史的・社会的要素もまた、大きな弾力性を持っている。
労働力の価値は可変的なのだ。そうであれば、賃金と利潤がどの大きさに確定されるかは、資本と労働との絶えざる闘争によってのみ決まる。
ところで、社会主義協会派のように、賃上げ要求の「論拠」として「賃金は労働力の再生産費だから労働力の価値どおりに賃金を払え」と言うのは、間違っている。これは、労働者階級の闘いとは無関係に労働力の価値が客観的に決まっているかのような「理論」だ。体制内労働運動は、労働者の生存を安定的に保障する「価値法則」があるかのように夢想する。しかし、「価値法則」とは、労働者と資本家との絶えざる闘争の中で貫徹されるものだ。だから労働者階級が求めるものは、賃金制度の廃止−価値法則そのものの廃絶だ。
賃金闘争とは、何か外在的に決定されている「あるべき賃金水準」を実現するためのものでも、「理想的な賃金体系」をつくり出すためのものでもない。労働者は、賃金闘争を闘う中で、労働者階級と資本との利害が非和解であることをつかみ、賃金制度の廃止という究極の目的に向けて階級的団結を打ち固め、自己解放能力を形成していく。この立場を貫いて賃金闘争を闘えば、それは体制を根本から覆す闘いになる。賃金闘争はもともとそういう闘いだ。賃金によって資本は労働者の団結を破壊する。だから賃金闘争は、労働者の団結をめぐる根本的な闘いだ。

【職場における日常的闘争の不断の貫徹と労働者の究極的解放を根幹に据えた闘いの実践】

●実践的結論

『賃金・価格・利潤』の結論として、マルクスは次のように言う。
「標準賃金獲得のための労働者の闘争は、賃金制度と不可分の事象であり、賃上げを求める労働者の闘いのほとんどは、労働の価値を維持しようとする努力である。労働者階級が資本との日常闘争を貫かなければ、労働者階級はより大きな運動を起こすための能力も失ってしまう」
「日常闘争において労働者は、結果と闘っているのであって、原因と闘っているのではない。労働者階級は、資本の絶え間ない侵略や市場の変動から生じる不可避的なゲリラ戦に没頭してはならない。資本主義は、労働者に窮乏を押しつけるが、同時に、社会の経済的改造に必要な物質的条件と社会的諸形態をも生み出している。
労働者は、『公正な一日の労働にたいする公正な一日の賃金!』という保守的な標語の代わりに、『賃金制度の廃止!』という革命的なスローガンをその旗に書き記さなければならない」
この結論を定式化して、マルクスは第1インター中央評議会が次の決議を採択するよう求めた。
「第一 賃金率の一般的騰貴は一般利潤率の低落を生じるであろうが、だいたいにおいて諸商品の価格には影響しないであろう。
第二 資本制生産の一般的傾向は、賃金の平均標準を高めないで低めることにある。
第三 労働組合は、資本の侵略に対する抗争の中心として立派に作用する。それは、その力の使用が適切でなければ部分的に失敗する。労働組合が現行制度の結果に対するゲリラ戦に専念して、現行制度を変化させようとしないならば、その組織された力を労働者階級の究極的解放、すなわち賃金制度の究極的廃止のためのテコとして使用しないならば、全般的に失敗する」

●労働組合は労働者階級解放のための組織的中心

マルクスが提案した決議案の中身は、第1インター第1回大会で採択された決議『労働組合、その過去・現在・未来』に全面的に取り入れられた。
「労働組合の直接の目的は、日常の諸要求、資本の絶えざる侵害からの防衛の手段、一言で言って、賃金と労働時間の問題に限られていた。 労働組合のこのような活動は正当なだけでなく、必要なものである。これは、現在の生産制度が続く限り、やめるわけにはいかない活動である」
「他方で、労働組合は、自分たちでは自覚することなしに、労働者階級の組織の中心となった。それは中世の都市や自治体がブルジョア階級にとって組織の中心であったのと同じことである。労働組合は資本と労働の間のゲリラ戦のために必要なのであるが、賃金制度そのものと資本の支配を廃止するための組織された力として一層重要である」
「労働組合は、もともとの目的は別として、今や労働者階級の組織的中心として、労働者階級の完全な解放という大きな利益を目指して活動することを学ばなければならない」
労働者階級の解放は、労働者階級自身の事業にほかならない。労働者は救済されるべき存在ではなく、闘いによって自らを解放する主体だ。ここにマルクス主義の核心がある。 (講義了)

党学校通信 p9-18

討論から

●W

 賃金制度の廃止を闘う重要性を改めて認識しました。その対比として協会派の主張、連合や日本共産党も同じだと思うんだけど、公平な賃金の要求がいかにとんでもないものなのか。そもそも協会派も含めて、労働者が生きられる賃金が維持されるのが価値法則の貫かれた安定した資本主義社会、日共で言えば“ルールある資本主義社会”という、資本主義社会そのものに対する認識が根本から間違っている。
  資本主義社会とは、絶えず労働者を路頭に迷わせ、過労死にまで追い詰め、とことん生きられないまでに労働力を搾取し、剰余価値を搾取していく、それで戦争にまで行き着いていく社会だということと、あと賃金制度そのものが、労働者をとことんまで働かせ、資本の言いなりにさせて、そして労働者の団結を破壊して互いに競争させていくもので、それとの闘いの重要性をとことん否定するものだということがよく分かりました。
  とくに金融恐慌以降の今の企業のあり方は露骨だけども、クビを切るにしても能力がないからとか、あるいは競争させて低賃金で働かせるための賃金制度−格差はそのためだった−は、能力や力がないから賃金が低くても当然、それを労働者にも思い込ませるという意味も持っている。また、少しでも良い生活をするためには一歩でも他人よりも前に行くことが必要だと、絶えず競争の中で、労働者の団結とか連帯意識を解体していくために資本が意識的につくった制度でもある。モスト『資本と労働』にあったように、「検事・政治家・兵士たちの全部」を合わせたよりも賃金制度というのは、奴隷制度として資本主義社会で「大きな役割」を果たしている。それとの闘いは、本当に重要だと思います。
  ウェストンの主張は今日的にも、協会派や連合や日共なんかの主張としてあって、それとの闘いは本当に重要で、今、労働者一人ひとりは、賃上げを言ったら物価が上がって、結局自分に跳ね返ってくるなんて主張を許してたら、生きていけない。本当にそこで、それは資本主義社会だからなんだということを展開していく上で、また労働組合の決定的重要性ということを再認識する上で、『賃金・価格・利潤』の学習会は、本当に重要だと思いました。
  地区の街頭宣伝で、高校3年生3人と11・1の話をしたんだけど、すごく入っていく、来年の就職が決まらない、難しいと。働く意志もあり、働きたいのに働けない。資本の利潤のために労働者をクビにしたり、雇わなかったり、そういう資本主義社会はおかしいんだ、本当に労働者と一緒になって社会を変えようという11・1の集会に行ってみないかという話で、じゃあ行ってみるか、という反応だった。高校生でもストレートにそういうものを感じるような社会になっている。
  問題は、そういうこととどう結びついて革命に組織していくかだと思う。そういう意味で、今日のような学習会を、労働者がストレートに分かるような形で、自分自身がもう少し確立しながらやっていきたい。

●C

 レジュメの結論の所に出ている、「利潤率が現実にどの程度に確定されるかは、資本と労働との絶えざる闘争によってのみ決まる。資本家は常に賃金をその生理的最小限に引き下げ、労働日を生理的最大限に拡大しようとしているし、労働者はそれを反対方向に押し返そうとしている。事態は闘争者たちのそれぞれの力の問題に帰着する」という原文の引用部分が決定的で、労働組合論を僕らが本当に復権させていく上で重要だと思う。労働者の団結した闘いによって状況は決まるということで、労働組合の決定的役割が掲げられていると思います。
  賃金も生理的最小限に引き下げる、労働日を最大限に拡大する、実際にこれは、自分の職場でも起こっている。うちの職場は、賃金を目茶苦茶に切り下げるという意味では決定的なことをやってきていて、初任給を大幅に切り下げた。職種によって違うんですけど、最大で1カ月6万円切り下げたんです。それは当然、夏冬の一時金にも反映するわけだから、最大の職種では1年間で100万円切り下げられてるんです。それを経営の方は、初任給は経営の専権事項である、新しく入職してくる人間は組合員じゃないからいちいち組合と団交して決める必要はないというやり方でやってきた。
  それで結局、労働委員会に持ち込んで完全に勝利した。不当労働行為である、差額賃金を払えという形になったわけです。だけど、経営は言うことをきかない。最終的には最高裁まで行って勝利命令をとった。ただ、差額賃金を払え、とはなってなくて、不当労働行為と認定して、要するに団交しろという形にはなって、それで団交が始まった。経営は、とりあえず団交はするという形で、形だけ団交はやっている段階が続いている。
  うちの組合は体制内・日共です。今そこと激しく激突している。経営が、不当労働行為という最高裁決定を認めない中で、その日共が、団交の中で最終的に経営に要求したことは、まず2分の1を戻してくれということ。そういう形で、どんどん後退している。
  それとあと、労働日です。僕の職場だと夜勤の問題に関わってくる。3交替制だったものを、経営が強引にいろいろ理由をつけて5年くらいかけて、今、2交替制を強制している。これも、女性が夜中に帰らなくていいからいいとか、労働者自身がある種自分を納得させるためにそうなっているところもある。だけど結局、それも体を破壊することにも絶対なるし、賃金の面でもやっぱりおかしいと思うんです。
  準夜と深夜でそれぞれ加算手当があるわけですけど、それが2交替制になって、準夜と深夜をそのまま足して一回の夜勤にしてしまう。だけど結局、16時間働いているわけだから、本来だったら、夜勤以外に8時間分のある種残業やっているようなもので、残業代払えくらいの話なわけです。だけど、経営は絶対にそんなことはやらないし、組合もまともに闘わない。
  もう一度そういう問題なんかも含めて、体もボロボロにしていくし、賃金の面にしたって不当なあり方なわけだから、資本家がどれだけ搾取しているのか、不景気を口実に無茶苦茶なことをやっているということで、もっとしっかりと言わなくちゃいけない。それとあと、体制内派との闘いということで、この労働組合論の意義はすごくでかいなと思った。今日の講義は、そこら辺を読み返していかなくちゃいけないなと思いながら聞いていました。

●N

 組合として、地域の道行く人に11月集会の賛同署名を訴え、チケット、パンフを売っています。参加する人を募るアピールを組合員それぞれが書いて持ち寄って、11月集会の意義を話すということもやっています。
  合同労組なので、地域の道行く人、地域の労働者みんなが獲得対象です。地域の顔見知りのタクシーの労働者なんか、本当に怒っている、給料もこの間月々10万円近く減っていると。若い組合員が、正規で就職したけど月給13万円なんです、本当にひどいでしょ、と言ったら、僕それより少ないよ、というタクシー労働者もいて、合同労組として「資本との日常的攻防戦」をやりながら、本当に地域の労働者の怒りと結びついて、こういう賃金制度なんかおかしいんだ、労働者階級が本当にこれで搾取されているんだという怒りに結びつけていきたい。
  職場の中だけにいたのでは出会えなかった労働者といっぱい出会えているという毎日で、スーパーマーケットのカードの勧誘をしている派遣労働者の人とも話をした。その人はすごく自分の仕事に誇りを持っていて、ノートを見せてくれて、気が付いたこととか、今日学んだこととかいっぱい書いてあって、本当に誇りを持って派遣社員の仕事をしているんだなとすごくよく分かった。だけど、11月集会の話、こんなに搾取されているんだよという話、それから派遣法撤廃の話とかをしてったら、すごく変わって、1日2時間私は働けば十分だったんだ、そんな話初めて聞いた、と言ってすごくビックリしていて、残念ながら11月集会当日は仕事が入っていたんだけど、是非次の情報をまた下さいという、そういう地域の労働者といっぱい出会う闘いを日々やっています。今日学んだことで、また明日から話していく内容が濃くなっていくなと思いました。
  結論的な結論になるんですけど、レジュメの最後に書いてある、「労働者階級の経済的解放が大目的であり」云々、綱領草案にも「労働者階級の解放は、労働者自身の事業にほかならない」とありますけど、ここに確信を持って11月集会へ地域の労働者をいっぱいまたオルグしていきたいなと、今日の講義でまたより一層確信しました。

●G

 自分の感想として言うと、全体としては、すごく今の階級攻防とリンクしているというか、党と労働組合というのが今問題になっているわけですけど、その労働組合の果たす役割ということについて、改めて勉強しなきゃいけないなというきっかけになった。
  動労千葉派は、労働組合というのは経済的な要求を掲げて闘うだけじゃなくて、社会を根本から変えていくものとしてあるんだということを、ある種常識的なこととして語っている。しかし、今の労働者階級のものすごい怒りが渦巻いている状況の中で、その怒りを社会の変革にどう結びつけていくのかと考えた場合に、改めてこの『賃金・価格・利潤』で、マルクスがウェストン批判をとおして提起しているような内容を、僕自身自分の中で整理して、提起できるようにしていかなきゃいけないなと思った。まだまだ組織化という点での自分のある種の学習も必要だなとすごく痛感したということです。
  講義の中で言われていることで、塩川一派とか平田派、あるいは協会派、それからJR総連、連合の主張は、今のブルジョアジーの意志として、そのブルジョアジーの先兵として反動的イデオロギーをまき散らし、労働者への攻撃、あるいは階級支配を貫徹していこうとしていると思う。そういう党派闘争に勝ち抜くために、そういう反動的イデオロギーを徹底的に粉砕していくためにも、この『賃金・価格・利潤』というのは絶対に必要だなと思った。
  それとあと、その場合、賃金というのはどうやって決まるのか、というようなことについて、普通に働いている労働者を獲得していくための一つの武器として、改めて復習も含めてやって武装していきたいなと強く感じた。『共産主義者』160号にも講師の「『賃金・価格・利潤』を学ぶ」という論文が出ているんで、もっとその辺のところを学習していきたいなと思いました。

●Z

 討論の冒頭から1カ月6万円下げるというのに圧倒された。70年代だったか、光文社労組が月6万円の賃上げストライキをやって大闘争になって、資本側は法外な要求と言っていたのを思い出した、逆に6万円下げるというのがどんなに激しいことなのかということも含めて。現場のそういう報告は、ものすごく大事だと思います。
  僕の問題意識という点から言えば、なぜ『賃金・価格・利潤』を学習するのかというところから始まって、それはどのように学習されるべきかと、つまり『賃労働と資本』との違いとは何なのかと、『賃労働と資本』をやって『賃金・価格・利潤』をやる積極的な意味はどういうことなのかということとか。今の路線の中でマルクス主義の復権ということが大命題なわけだから、あらゆるものを取り込んでいくという積極的な面から言っても、そこの所に強烈な問題意識があった。
  そういう意味では、僕は今日の提起の方向性は非常に成功していると思う。僕自身も非常に勉強になった。『賃労働と資本』と『賃金・価格・利潤』に共通するのは、賃金形態に対する怒りです。その廃止の現実性という事柄を同時にアピールするということができるわけですけども、『賃労働と資本』は、人格的自由と生産手段からの自由という特殊歴史的な生起から賃金形態が生まれた、これはどう考えても倫理的におかしいという観点からゴリゴリと書いている、感性ということから言ったら。『賃金・価格・利潤』というのは、その頃すでにマルクスの中では剰余価値論が完成していたと思う、その剰余価値論から賃金形態への怒りを展開するということになっている。もちろん中身的には剰余価値論そのものや『資本論』を勉強する上でも、非常に参考になる展開になっている。そこの所に関して、今日の講義はその対比が明瞭で良かったなと思って、地区でもこういう形の学習会をやりたいなと思っています。
  その上で、『賃金・価格・利潤』の結論を単純化したら、要するに、賃上げをかち取ったら資本の利潤率は下がる、ザマア見ろ、という一つの結論と、もう一つは、賃金は、経済的あるいは経済学的に合理的に決まるものじゃなくて、あくまで労働側との力関係で決まるんだということを、いわば科学的に証明したというところにある。そういう意味では、利潤、地代、賃金という三位一体論のインチキ性というものを理論的に暴露した。ここから、労働運動をすることはいいことだということを、剰余価値論の搾取の実態を暴露するという展開をとおして、賃金形態そのものを打ち破る力と団結を得るものとして労働運動をとらえきったという点にあると思う。結局学習する意味は何なのかと言ったら、賃金形態に対する怒りという事柄を絶対的剰余価値の生産とその搾取というところから資本主義批判をするという、それゆえ労働運動やろうぜ、という結論だということで、つまり、賃金形態を打倒する労働運動というこのベクトルが鮮明になってきたんじゃないかと思います。

●h

 今まで『共産党宣言』とか『賃労働と資本』とか『資本論』でマルクス主義の基礎編という感じで、今度は『賃金・価格・利潤』で実践編という。この実践編をとおして、基礎編で学んだ労働力とは何なのかとか、「労働の価値」とは何なのか、もう一回リフレインして理解が深まって非常に良かったなということと、それと労働運動をどう闘うかという点で、この間動労千葉労働運動から学ぶということで、『甦る労働組合』とかいろいろ学習してきたので、そういう点でもすごく分かり易いという感想を持ちました。
  その上で、マルクスが一番言いたかったのは、労働者の賃金というのは、労働者の闘いによって決まるということだと思います、その対比としてウェストンがいて、それへの反論という形をとっていますけど。そういう意味では、『賃労働と資本』とか『資本論』なんかでも結論的に言っている、労働者の闘いによって決まるんだということを、より一層鮮明にさせるという点で良かったと思います。
  その上で、労働組合運動と言った場合、それは基礎的なものとして賃金闘争にある種帰着するというか、ほとんどそれが核心だと思う。賃上げ闘争にこだわって闘うという点で、ウェストンとは次元は違うけど本質は同じで、連合とか、賃上げ闘争をやるなという形でやっているという点では、マルクスの時代から今日においても、賃金闘争を闘うということは労働組合、労働者の解放という場合決定的に大事だという点でも、賃金闘争は普遍的課題だということをしっかり押さえることが改めて大事かなと思いました。
  それから、賃金制度の廃止のために闘うということの中で初めて労働者の目的は達せられるんだという、その辺もゴリッと強調しているのは非常に大事だということと、常に団結を破壊するために資本が攻撃をしているというのは非常にハッキリしていると思うんですけど、マルクスが、当時から団結の拡大こそが一切の基軸なんだということもしっかりと言っているという点では、改めてマルクス主義の正しさが鮮明になっていると思う。

●e

 久しぶりに改めて、『賃金・価格・利潤』を今日やって、岩波文庫版の表紙に、「『資本論』への最善の,そうして最も平易な入門書」と書いてて、だから『資本論』を読む前に『賃金・価格・利潤』を読んで、よく分かんなかった。『資本論』を読んで、もう一回『賃金・価格・利潤』を読んだら、何となく分かったなという気はしたんです。
  要するに、剰余価値とか、階級対立の問題とか、その中で階級対立をハッキリさせるということなんかも、この間やってきた『資本論』、モスト『資本と労働』とも一体だと思うんですけども、乱暴な言い方をすれば、ウェストンとの論争もそうなんですけど、やっぱり全てを生み出しているのは労働者なんだということへの確信というか、そこに依拠するということが根っこにあるんじゃないかと思いました。
  この大恐慌情勢の中で学生が、労働者とほぼ同じ、似たような状況に置かれていて、11・1に向けて、学生にとっても1047名解雇撤回闘争の勝利に、客観的にも、主体的にも未来というか生きる展望があるというふうになってきていて、何よりも党の側がそういう形で路線的に学生運動を鮮明にさせてきたということがあると思う。そういう中で、「学祭規制許すな」ということで10・16闘争を闘い抜いています。学祭の中に、学生自身が自主文化だとか、文化的価値を創造していくという内容があって、やっぱり大学ってそういう場だろうと、教育って本来そういうもんなんじゃないのかというところが示されている。今、教育の民営化という形で学生の団結を破壊して、一切を金儲けの手段にしていくという中で、学祭問題というのが一つ重要な焦点になっている。
  本当に許せないんですけど、2名の学生が逮捕された。問題がハッキリしていいんですけどね、民主党政権下で初めて法大集会をやって、門前でトラメガも使わず、声がでかかったら逮捕するというような話で。あと、学生が1人ででもキャンパスの中でしゃべろうものなら、十数人の職員が襲いかかってくるという、こういうあり方に対して、それだけ敵の方がグラグラだということ、そういう状況の中で、10・16から11月が闘われることが決定的だなと思っています。
  カリフォルニアで、大恐慌、財政破綻という中で、民営化反対、大学は自分たちのものだ、州財政なんかつぶれてもいい、という決定的な闘いが爆発している。そういう闘いをやっていかなきゃならない。そういう闘いの中で、学生だとか、もっと言えば労働者も、自分たちが社会を動かしているんだ、自分たちが大学の主人公なんだということを取り戻していくと思う。
  大恐慌情勢の中で、学生が法大で闘ったら処分なんです、今の社会が続いていく限り未来はない。処分されるし、退学になるし、逮捕されるし、東京拘置所に行くし、だから、それだけ人生かけたものになる。これは、青年労働者も、6000万労働者階級も同じだと思う。今の情勢の中で立ち上がるということが、本当に人生をかけたものになっていて、結局最後核心は何かと言うと、労働者がこの社会の主人公なんだ、労働者が社会を動かしているんだというところに確信を持てるのかどうかというところだと思う。それが結局、資本、ブルジョアジーがそうだし、体制内労働組合もそうだし、戸塚秀夫だとか「左翼」の労働経済学者みたいなものもこぞって、そこに確信を抱かせないというか、「左翼」的言辞を吐きつつも、そこを曖昧にしてきたことが今の状況をつくり出してきたし、分割・民営化も闘えなかったということに行き着くと思う。
  だから、10・16を闘い抜いて、改めて11・1に向かって、本当に労働者が主人公になる決定的なチャンスが、今の大恐慌と新自由主義の破産という中で来ているんだということを、どれだけ闘いの中で示していけるのかということが決定的で、それに当たって今日の『賃金・価格・利潤』で学んだ階級対立ということと、すべてを動かしているのは労働者なんだという、かなり雑というか、乱暴ではあるんですけど、そういう内容がやっぱり決定的だなと思いました。

●講師

 今の、すべてを動かしているのは労働者だというのは、言い方を変えたら、資本家なんかいなくてもやっていける、ということ。さっきの初任給で6万円下げられたという、それを元に戻せと言うだけで大幅賃上げ闘争です。そんな大幅賃上げしたら、もう資本として成り立たないよ、結局倒産して、みなさんクビになるだけですよ、というすさまじい恫喝の中で、だけどまっとうに生きていこうと思ったら、6万円の賃上げ闘争だってやらざるをえないという関係の中に今ある。
  そのときに、資本というのがなかったら社会が社会として成り立たない、と労働者自身が強烈に思い込まされている。そこをぶち破れるかどうかじゃないか、そんな生易しい話じゃ実際にはないんだけど、非常に単純化して言えばそういうことだと思う。
  賃金闘争それ自身、それと賃金制度廃止つまり革命に向けた闘いは一体なんだというのは、こういう状況になればなるほど区別する余地なんかなくなる。そこがないと、自分の生活を守るための、ある種の経済闘争的賃金闘争だって成り立たないところまで完全に来ている。逆に言ったら、革命派が労働運動全体を制圧できる客観的な条件はもう満ち満ちている。

●h

 質問ですけど、レジュメの自治労の賃金政策の所で「同一労働・同一賃金」というのが出て来てて、自治労の政策自身は、闘わないために言っているんですけど、例えば越谷市職の闘いの中では、「同一労働・同一賃金」の大原則をかち取った、そういう地平として積極的に出されている側面があると思う。その辺をマルクスの『賃金・価格・利潤』のレベルから説明するとどう整理されるんでしょうか?

●A

 これはだけど、この文章そのものの最後の方が、自治労のやつは「解体」ということじゃないですか。「同一価値労働・同一賃金」と言いつつ、「この原則を実現するためには、職務の価値を測る客観的な職務評価基準が不可欠である」。こういうことを言って、ある種の評価基準みたいなものを入れていく、そういうペテンがある。

●講師

 自治労のこれは、そういう意図ですよね。確かに、恣意的な資本の賃金を使った差別・分断を許さないために、この仕事だったらこの賃金というふうに固定的に決めちゃえと。個別に、この人がよく働くとか働かないとか、そんな分断許さない、そういうことが一つの闘争のテーマになるということは確かにある、具体的な中では。一律にそんなのはナンセンスだとは決めつけ的には言えない。
  ただその場合でも、制度が確立したから、それで賃金をめぐる問題はある種の決着がついたというふうにすると、もう全然違っちゃう。資本は絶えずそれを壊そうとする、絶えず賃金を使って分断しようとするし、絶えず賃金引き下げようとする。体制内とそうでないものを分ける分かれ目みたいなものはある種そこにあって、制度としてこうつくったと、そこに安住した途端に体制内になっちゃう。
  国鉄の分割・民営化をめぐってもそうです。制度としてこうつくった、それに安住したのが国労本部。だからメタメタにやられた、そんな制度なんか一瞬にして破棄されるんだから。そのときに、本当に団結して自らの力で闘うのか、こういう制度をつくりました、それに安住するのか、そこの考え方の違いが、実際にはこれからギリギリ問われるような過程に入る。

●G

 今のh同志は、レジュメの自治労の第二次賃金政策の所を言ったわけですよね。質問なんですけど、「同一価値労働・同一賃金」と言った場合、例えばどういうふうに賃金というのはなるんですか、職場では?

●a

 例えば教員は、直接に利潤を生む仕事ではない。だけど、2001年の「21世紀連合ビジョン」の辺りのちょっと前から、業績評価という形が出て来て、それと伴って、主幹制度・主任教諭制度という職を分担する新職をつくってくる。特に、一番最近に出て来た主任教諭制度に対して組合は、賃金を上げるためにはこれに応じなければならないというヒドイ論理で反対の声を封じて、組合幹部が率先して主任教諭になっている。
  賃金闘争として考えていく場合に、業績評価に反対している立場から言うと、業績評価との闘いは、さっきの賃金制度廃止という、労働者自己解放の観点から鋭いスローガンを出さないと根本的には決着つかない、われわれの団結を分断するとかいうぐらいの話じゃない。つまり、この「同一価値労働」という「価値」は、評価ということと向かい合った形で出て来ている、多分自治労のもそうだし、実際にはそういう分断される過程の中で出て来ていることだと思う。組合が全部屈服しているがゆえに、こんな「同一価値労働」なんていう、冗談じゃないというね。
  教員だけでやれるわけです、学校は。賃金闘争が賃金闘争として、私たちの階級性を表現するような組合にならないと、資本や国家を打倒できない。
  レジュメ冒頭の所得の表でビックリしたんですけど、これに労働時間を教員の場合に付けたら、もう賃下げと労働時間は反比例なんです、一体何なんだと怒っているわけ、そういう点では。怒っているけど、でも賃金闘争として出せないというか、そのちょっともどかしさを、今日ズーッと聞いてて思ってって、だから、賃金制度廃止というすごく自己解放的なスローガンをどこでどう出せば、教員というのは労働者になれるのかなと、変な言い方だけど。
  賃金闘争としての賃金闘争という形で、やっぱり「聖職者」の中で、ある意味では「同一労働・同一賃金」、男女差別のない、ということの中で低賃金で安住しちゃった。だから、共働きは普通みたいな、ところもある。
  さっきの「同一価値労働」の話の現実の攻撃の問題からすると、そういう業績評価との関係で攻撃を受けている。今日はいっぱい考える、すごく材料になった、まだ結論は出ないけど。

●講師

 「同一価値労働」という形で、「価値」という言葉を付けるて業績評価とかを滑り込ませちゃう。
  例えば、実際の職場の中で、税金を取る仕事と別の仕事があると、その仕事が大変さにおいて一緒だとか、どっちがしんどいだとか、こんなことが組合が評価し始めたら、限りない分断しかもたらさない。

●n

 現業職と事務職みたいな何かそういう職場内の仕事の違い。だけど、ここに書いてあるのは、「労働者間で職務内容が異なっていても、職務の価値を何らかの基準で測定した」ら同じだというのは、特に公務員で市役所だったら、水道課があったり、何課があったり、税務課だって窓口やっている人もいれば、別の現場に行っている人もいるから、こうなっていると思う。
  組合自体が、事務職だったら全員同じ給料にしろという形のことを一時期ガンガンやった、賃上げ闘争と一緒に諸要求の中で同一賃金ということを。

●講師

 ただ、「同一労働・同一賃金」が、何か素晴らしい賃金体系かと言ったら、またそれも。基本的な考え方として、理想的な賃金体系なんかないということです。賃金闘争を闘うことによって、階級的団結をつくれるかどうか、そこを目的に闘うということ。

●F

 「同一労働・同一賃金」というのは、今だって、会社でまったく同じ仕事をしているのに派遣の人は3分の1とかという給料でしょ。当時の自治労であったらば、新規採用じゃなくて、年齢がある程度いって転職して採用された人は現業職なわけです。まったく同じ職場で同じ事務をやっている。でも、給与体系はまったく違うわけです。上がり方も違うし、最初の基本給も抑えられている。完全に差別があるわけです、現業差別が。そういう分断を打ち破るということで、「同一労働・同一賃金」という。先ほど男女差別ということを言われたけども、公務員の場合、女性だからって賃金低くなってない、同じです。だから、そういう労働者を分断する、それに対して労働者の団結を固めていくための、分断打破のためのスローガンというか要求として、「同一労働・同一賃金」というものがあったと思う、当時の趣旨として。
  それを今の自治労は完全にひっくり返して、「価値」と言ったら資本にとっての「価値」じゃないですか、資本主義社会における「価値」で。それをペテン的に滑り込ませて、従来あった分断を打ち破る、団結を打ち固めるための、それは当然賃金制度そのものの廃止に向かうものをもちろん持っているわけです。それを解体して、反対にブルジョア的価値観でもって要求していく。そういう意味では賃金闘争そのものを解体するものとして、「同一価値労働・同一賃金」ということを持ち出しているんじゃないかと思います。

党学校通信 p18-28  受講レポート

受講レポートから ★『賃金・価格・利潤』のレポートです。

【h】

 今までの基礎編(『賃労働と資本』『共産党宣言』『資本論』)の学習の上で、今回は実践編として、実践的に賃金(「労働の価格」)はどのようにして決められるのか、商品の価値は何によって決められるか、剰余価値はどのようにして生み出されるのかについて明確にしているのは、一層分かり易くてよかった。
  また、マルクスの提起する労働運動という点でも、これまで動労千葉労働運動から学んできたという地平があったので、非常にスイスイと理解できた。
  一つは、「資本と労働者の闘争によって賃金の大きさは決まる」とキッパリと言い切って、提起しているところがやっぱりスゴイと思う。マルクスの時代も、今日においても、労働組合運動にとって賃金闘争は基軸的たるたたかいであることは変わらず、その重要性・死活性もまったく変わらない。今日の時代こそ、ますますマルクスの賃金論は輝きを増していると思う。
  今ひとつは、賃金闘争を「賃金制度の究極的廃止」のテコとして利用しないならば全般的に失敗する、という提起も極めて今日的課題である。すなわち、体制内派か革命かという、体制内労働運動との対決が死活的に求められているという点でも、マルクスの提起は極めて今日的課題であるとつくづく思う。
  マルクスの提起が、学習すればするほどますます輝いてくるというのはスゴイと実感している。
  また、現代の賃金の実態を実証的に暴露したレジュメの図は分かり易くてよかった。
  「同一労働・同一賃金」をめぐる討論もよかった。職場の具体的状況に踏まえて、賃金闘争の戦術を決めていくこと、総括軸は団結の拡大にあるということをはっきりさせていくということが鮮明になってよかった。

【g】

 『賃金・価格・利潤』が、ウェストンと対決して賃金、労働運動をめぐり、党派闘争として書かれたものであることを改めて重要だと感じました。
  ウェストンとの対決をとおして、すぐれて資本、そのもっとも象徴する賃金問題を扱い、資本との党派闘争として書かれている点には、現在も体制内派が資本のイデオロギーをもって労働者を抑圧・弾圧するものとして、まったく変わっていないことがはっきりしました。だからこそ、労働者の解放をめぐる問題・核心は賃労働であり、職場・生産点で労働者を支配する賃労働のイデオロギーとの対決が絶対的に不可欠であり、階級的労働運動でなければ大恐慌と大失業の中、闘えないということだと思います。
  また、労働者は「賃労働の廃止」のスローガンで団結できる、というのはますます重要であると思います。もちろん、この言葉を使う、使わないは別として、「賃労働」によって行われる資本の専制的支配を、どれだけ路線的に、大衆的に、職場・生産点でスローガン化できるかが我々の闘いだと思います。
  『賃金・価格・利潤』は、労働組合の位置づけが書かれた本ともありましたが、自分的には、それへの記述が少なく思え、いまいち理解しにくいものとしてありました(当時の労働組合の未発達性もあるのでしょうが)。しかし、今回の綱領草案をめぐる論議や草案の確定において、労働組合の革命的意義がはっきりしたのと、国際共産主義運動においても、この内容において重要な発展を勝ちとったと思います。

【G】

 『賃金・価格・利潤』を学ぶ意義として、今日の情勢が冒頭に、当時の第1インターナショナルが直面していた課題と完全に重なり合うと提起されていることが、まったくその通りだと思いました。
  あらゆる職場における労働者のおかれた現状(@非正規の割合が4割、A年収300万円以下の世帯が3割を超える、B08年10月〜09年12月にクビを切られる派遣・請負労働者が23万9千人など)は、「生きさせろ」という資本への怒りとして渦巻いている。これに対する実践的結論は、労働者が社会の主人公であり、労働者自身がブルジョア社会を根本からひっくり返す革命の主体であることを賃金闘争を通して自覚し、団結を固め、そのために労働組合を「社会主義あるいは共産主義の学校」として闘うということがあらためて学習できたと思います。
  現実の労働者の闘いは、職場における様々な資本からの攻撃にさらされると思います。どうすれば、自分たちのおかれた極限的な抑圧的な状況から解放されるかを、資本への怒りと同時に考えると思います。
  そういう状況の中で、自らの解放のために必要不可欠な労働組合が、体制内的イデオロギーをうち破って闘う武器として『賃金・価格・利潤』があると思いました。これまで学習した『資本論』や『賃労働と資本』よりも、自分としては比較的スムーズに入り込めたように思います。
  マルクスが言うとおり、「労働組合という形で組織された労働者の力を、賃金制度の最終的廃止のためのテコとして使わないような労働組合は全面的に失敗する」というのは、講師からの提起にもあるように、資本との非和解性を含んだものとしてあり、またそういう考えがない限り賃金闘争も勝利できないということだと思います。
  資本家は自らの利益のために労働者に対する賃金を減らし、労働を強化し、競争させて団結を破壊するために日常的に攻撃してくる。それをうち破るための基礎的団結形態としての労働組合が、プロレタリア独裁を維持するために必要な能力を形成するためのものでもあるということをはっきりさせていると思う。ここに確信を持つことが、現在の体制内勢力の反動的イデオロギーを粉砕する核心だと思いました。
  最後の討論で、自治労の賃金闘争原則についての変遷について、勉強になりました。

【I】

 今回の『賃金・価格・利潤』の講義を受けてハッキリとしたことは、一つは、「同一労働・同一賃金」と「同一価値労働・同一賃金」とが決定的に異なるものである、ということです。
  後者は、つまり「価値労働」こそ資本が労働者に「制度」として押しつけ、連合等体制内派が屈服し、現場の労働者の「生きさせろ!」の叫び、闘いを抑圧するものである、ということです。
  本来の(ごく当たり前の)労働組合は、賃金や労働条件をめぐる闘いをとおして、究極的には賃金制度の廃止、資本主義の打倒へと突き進む組織だと考えます。その目的のために「同一労働・同一賃金」を要求するのだと思います。
  マルクスの言う賃金闘争は、「資本と労働者との階級闘争によって決着する」、この一言を、今のあらゆる体制内労働組合幹部に突きつけ、その「目に見える闘争」の実現こそが現場労働者の獲得・組織化・団結へとつながる、そのことがハッキリとしたことは、今日の私の大きな収穫です。
  動労千葉の田中委員長が、「現在問われていることは、誰が労働組合の権力を握るのか」、これこそ今日の情勢の核心であり、しかもマルクスは、今から100年くらい前からそのことを見抜き、「第1インターナショナル」でウェストンらと激しい党派闘争を行い、それが土台となり、1917年の革命へ、そして現代の全世界の労働者の指針となっていること、この事実は本当にモノスゴイ!
  ほかにも感じたことは非常に多いのですが、今日はこの一点に絞って書きます。連合の「21世紀連合ビジョン」、自治労本部の実質的な賃金闘争の放棄、社会主義協会派の「賃金は労働力の再生産費だから云々」。日本におけるそれらの元凶こそが、中曽根の「国鉄分割・民営化」であり、「労働者派遣法」です。
  結論(私なりの)は、11・1日比谷野外音楽堂の全世界労働者総決起集会へ、私も街頭を決戦場として闘うということです。「11・1一万人デモ」で動労千葉、動労水戸への組織破壊と法大弾圧を粉砕し、星野文昭同志奪還を勝ち取りたい。民主党・連合政権を打倒して、労働者の階級的団結を強めよう。

【A】

 『賃金・価格・利潤』を今日的に学ぶということ、とりわけ11月労働者集会1万人結集の実現を闘い取ろうとしている中でどうとらえるかという点で、いくつかの感想を持ちました。
  資本の利潤追求は、そのまま放置したら、労働者の生存そのものをも否定するところまでおよぶことから、闘いの武器として必然的に労働組合が生まれ、労働組合への団結を武器に労働者階級は闘ってきている。
  労働組合の闘いは、その9割は労働時間と賃金闘争となると思う。『賃金・価格・利潤』は、「賃金はいかに決定されるか」を、労働力の価値、剰余労働の搾取等を暴露することによって、労働組合を労働者階級の自己解放=賃金制度の廃止を闘い取る決定的武器として位置づけた。
  今日では、1047名解雇撤回闘争を軸に、解雇問題が焦点になっているが、労働者階級と資本との非和解の関係のもとでの賃金をめぐる極限的闘いが、解雇問題とも言える。この力関係の転換をかちとろうとするのが11月1万結集だ。
  第1インター第1回の暫定規約の内容は、我々が11月集会で実現しようとしている内容そのもののように感じられる。特に、「労働者階級の経済的解放が大目的であり、あらゆる政治運動は手段としてこの目的に従属すべき」の提起は、「肝に銘じて」諸闘争を闘う必要があると強く感じました。

【B】

 『賃金・価格・利潤』仲山良介著を読んできたのだが、賃金の価値とか、賃金はどう決まるのかとか、分かりにくかったので困っていたのですが、受講してすっきりした。 私たちが職場で問題になること、賃上げしたら会社が倒産する、最低賃金を1000円にしたら中小企業はやってられない、に対し、私たちの答えはこれしかない、と思えるような講義と質疑だったと思います。
  賃金闘争は、民同と言われていた頃からすると、とらえ方が変わったなと思いました。賃金制度の廃止という立場で職場を組織し、階級的団結をつくり出していきたい。

【f】

 @8・30総選挙、労働者の積年の怒りによって自民党が打倒された。そして、革命を圧殺するという一点において、民主党・連合政権が登場した。まさに階級攻防の焦点は、労働組合をめぐる攻防に絞り上げられたのである。
Aこの情勢において、『賃金・価格・利潤』を党学校において学習できたことは、本当に決定的だったと思います。
B昨年の「党学校通信」も読みましたが、その中では、党派闘争の観点から本書が読まれていたと記憶します。
  本講義で重要だったことは、昨年の地平から理論的に一歩踏み出して、賃金闘争の重要性から「労働組合とは何か」をえぐり出したことではないかと思います。そして、綱領草案の地平をもって、労働組合とは労働者の究極的解放=革命を目指すものである。そしてそれは、労働者階級自身の事業であると言い切れる所に到達したのではないでしょうか。
C11月1万人をもって、労働組合をめぐる攻防に勝利しよう!

【C】

 今日の講義は、体制内労働運動の幹部たちと闘うために、労働組合論、賃金闘争論ということで、非常に重要であった。
  日本共産党も連合も塩川派も全てが、労働組合の革命の学校、共産主義の学校としての役割を否定していることがよくわかった。
  資本による搾取という、階級的本質を徹底的に暴くことが大切であり、そして、資本主義打倒へと結実していくことだと思います。
  賃金闘争、労働時間の延長に対する闘いが、いかに資本を追い詰めていくのか、その観点は重要だと思います。理想的な賃金とか、そんなものは関係ないですね。6万円賃上げ闘争です。

【y】

 今回の講義は、大恐慌を革命に転化するために、自分たちのすさまじい飛躍を求めるものだと感じました。11・1は、大恐慌下の労働者階級の怒りを結集させ、全労働者階級の闘う団結を闘いとるために、「1047名解雇撤回!」を掲げて1万人結集で実現させなければならない。その力が、今年冬から来年春の闘いにとって、本当に死活的なものになっていると冒頭で感じました。
  本当に許せない資本家による首切りと賃下げがうち続く中で、死活をかけた実践として、賃金闘争が闘われなければならない。何よりも、自分自身ストライキと賃上げについて、「確固たる定見をもたなければならない」のだと感じました。
  討論の中で、ストライキは現場労働者の怒りと次々に結合していく力を持っていること、11・1の宣伝が圧倒的に浸透し、国際連帯パンフが手に手に渡っていく情景が生き生きと話されて、ストライキの素晴らしさを強く感じました。
  またe同志から、結局は労働者こそが、資本家を自分たちの団結した力で打倒し、資本家なしで社会を運営していく力をもっているということ、このマルクス主義への根本的な確信を闘いの中で貫くことが決定的なのだということが話され、その通りだと感じました。
  マルクスの言葉通り、「労働組合という形で組織された力を賃金制度の最終的廃止のためのテコとして使う」ということが、体制内指導部との生死をかけた激突になる。あらゆる職場で党派闘争にかち抜いて、革命をやり抜く責任勢力に飛躍しなければならないのだと思いました。

【a】

 労働組合の存在と役割を鮮明にした講義でした。そして、賃金闘争が革命運動の両輪としてあることが改めてはっきりした。党の闘いを媒介として、職場生産点における労働者の怒りを階級として組織する、自己解放的闘いなのである。マルクスの時代の“ストライキ・労賃値上げの叫びの蔓延”を学ぶ
@究極的解放−賃金制度の廃止のために! 一個二重の闘いを!
  非正規の増大、賃金格差のみならず、労働者が生きていけない状況。誰が資本との日常的攻防戦を勝ちぬくのか。賃金制度の廃止!という闘いを一個二重のものとして闘いぬくという労働組合の任務、そして非和解的な階級対立をなくすための労働運動ということを明確にしたことである。
A『賃金・価格・利潤』の結論はこう。
  マルクスの第1インター中央評議会での路線闘争は革命を引き寄せた。
  「資本と労働者の闘争によって賃金の大きさは決まる」、これが1つである。非和解的な階級対立を、ややもすれば“生きる”というところでの労働者の屈服を、階級闘争としてしっかり位置づけたのだ。
  2つ目は、労働力の価値というところが決定的である。今日、21世紀連合ビジョン、そして自治労賃金政策に見られるように、連合等体制内派は、完全に資本の労働者分断、組合破壊を、賃金闘争においてその先兵になっている。何とかして、賃下げ・分断を労働者に納得させようとしているのだ。しかし、そんなものを信じている労働者はいない。怒りはある。ただ、資本家がいなくても、労働者は労働できること、資本の蓄積過程に取り込まれていること、平等な賃金−理想的な賃金体系はないこと、能力主義・業績評価をなくすこと・・・「賃金制度の廃止!」しかないこと、をはっきりさせることである。それこそ資本との闘い。私たちが「労働」ではなく「労働力」(の商品化)を廃絶する闘いの中にある。
  「賃金」から全ての労働者を獲得しよう。資本家階級を打倒し、自らを解放するのは労働者階級自身の事業であること、再度確信を持つ。

【Z】

 なぜ、『賃金・価格・利潤』を学習するのか? それはどのように学習されるべきか(『賃労働と資本』との違いは何か?)、昔、党の学習基本文献9種になぜ『賃金・価格・利潤』が入っていなかったのか?という問題意識があった。(せん越ですが…。)この意味では、今回の提起は非常に成功している。非常に勉強になった。
  『賃労働と資本』『賃金・価格・利潤』という2つのマルクスの講演(もちろん出版にあたって厳密に加筆したであろうが…)に共通するのは、賃金形態への怒りであり、その廃止(=賃労働と資本の廃止)の現実性へのアピールということができる。前者は「資本と賃労働」について下向展開的に、後者は労働運動の発展ということを切り口に上向展開的に述べている、という見方も成り立つ。
  『賃金・価格・利潤』の結論をシンプル化すれば、@賃上げをかちとれば資本の利潤率が下がる。(逆の場合は逆)A賃金は合理的に決まるものではなく、資本と労働者の力関係で決まる。(三位一体などインチキなのだ!)……から、労働運動はいいことだ。→剰余価値の搾取の実現を暴露し、賃金制度そのものをうち破る力を、団結を得る、という展開である。
  結局、この著作の学習の意味は、賃金→賃金形態→絶対的剰余価値の搾取→資本主義批判、それゆえ、労働運動やろうぜ!ということになる。
  現在の党の路線的深化の中で、特筆して重視するべき基本重大文献であることがよくわかりました。

【N】

 11月集会に向けて重要な講義でした。
  8・30情勢で、労働者の怒りがほんとうに地域にあふれています。1人でも多くの労働者と結びつき、11・1日比谷へ行くために、街宣、ビラまき、署名、パンフやチケット売りの毎日です。
  「ほんとうに今の世の中、間違っていると思うよ」と署名に応じてくれたタクシー労働者は、家に帰って勤務かどうか確かめて、可能だったら11・1に参加したい、と言ってくれました。
  私たちは合同労組なので、街中の労働者が獲得対象です。派遣社員にも出会いました。
  地域の労働者の怒りを集め、今日の講義にあった、「労働者階級の組織的中心として」労働組合こそ労働者階級の完全な解放を目指して、活動していこうと思います。
  11・1へ、残りの日を、組織し、組織し、組織する日々にしようと、今日また決意をあらたにしました!!

【v】

 ○地区の労働学校で『賃労働と資本』の学習をやった時に、「商品の価値とは労働力の生産費に規定されること。この労働力の価値とは、特別な使用価値=創造力の不当な変換=搾取が賃金形態で制度化されている」という提起に対して、「労働力の生産費に規定されるのではなく、労働量=労働時間に規定されるのではないか。一労働日に支払われる賃金は、労働力の再生産に必要な額に規定される。労働力の再生産費と言ったら、家賃や食費によって商品の価格が決まることになり、搾取のからくりがわからない。ブルジョア・イデオロギーにとりこまれる」といった意見が出され、いろいろな議論になったがスッキリしなかった。
  今日の講義で、労働者と資本は絶対非和解であり、賃金制度そのものの廃止を前提にした時、スッキリした。公正な賃金要求、価値通りに支払え、という理想的賃金要求に陥ってしまう議論になっていた。
○頭では、賃金制度そのものの廃止だ。資本家なんかいなくたって社会はまわせるとわかっている。団交の場等では、結局そういう結論に行き着くのだが、言葉でストレートに出すと、あまりの絶対非和解性ゆえに、「あなたたちとは話しにならない」と、双方が席をけって出て行くことになり、「公正に支払え」論になってしまったりする。
  現場での具体的攻撃に対して、資本主義の打倒を頭に置きつつ、資本と闘うことによって、賃金も権利も勝ちとることが核心だ。それを忘れて要求闘争になると、考え方までからめとられてしまうんだと思った。

【q】

 『賃金・価格・利潤』のマルクスの視点が、労働者は賃金制度の廃止のために労働組合に結集し、団結して闘わなければならないというところにあることが改めて理解できた。そのためにも、ウェストン的な考え方を徹底的に批判し、賃金闘争の重要性が資本による分断攻撃を打ち返すところにあることも、討論を聞いていて分かった。
  また、レジュメの13nにある、「つまり、労働者が自己を生存させ生活を営み、子どもを育てるという行為が、資本主義社会においては、労働力の再生産として、資本の蓄積過程に取り込まれる関係にある」ということは、人間的自然な行為が、全て資本によって、資本のために24時間縛られているということであり、資本主義という社会がまったく非人間的なものであることを示していると思う。こうしたことを、街宣やオルグでも暴露し、労働者を結集させていくことが必要だと思った。
  こうした意味でも『賃金・価格・利潤』は、『資本論』の入門書というよりも、階級的労働運動の実践の書だ、と感じた。
  このことは、これから始まる民主党・連合政権との対決、とりわけ体制内労働運動との党派闘争をやり抜く上で重要なものであり、再学習しながら活かしていきたいと思った。

【Q】

 『賃金・価格・利潤』は、「労働者階級の基礎的団結体である労働組合について、その任務と、賃金闘争について、マルクスが論じた書物」であり、重要な文献なのだということを、あらためて感じた。
  特に賃金闘争の重要性について、現在の体制内派との闘いの中で思った。
  労働組合とは、賃金制度の最終的廃止のために闘う存在であるということこそ、今もっとも求められていることだと思う。賃上げ要求をおさえ込んで、労働者の怒りをおしつぶす体制内派を打倒して、本当の労働者の社会を実現するためにも、もう一度しっかり学習し直します。

【W】

 賃金闘争を否定したウェストンの主張との闘いは、今日においても重要な意味を持つ。
  「賃上げをしたら、物価が上がり、結局労働者に不利になる」という主張、「賃上げをしたら、企業が海外に逃げていく」という主張など、労働者の賃上げ闘争を否定する主張との闘いは、今日においても重要な闘いである。
  また、連合・自治労は、「同一価値労働・同一賃金」要求をかかげ、賃金制度による労働者の分断を容認し、協会派は、「賃金は労働力の再生産費だから、労働力の価値通りに賃金を払え」と主張して、労働者が、賃金制度のもとで搾取され続ける資本主義社会を支える理論を展開している。日本共産党の「ルールある資本主義社会」の要求しかり。
  資本主義社会が歴史的に行き詰まり、労働者が社会の主人公となる革命的情勢が急速に接近する中、「生きていけるだけの賃金をよこせ!」という闘いと、「賃金制度そのものを廃止させる闘い」で、労働組合運動を組織する闘いが決定的に求められている。
  その武器として、『賃金・価格・利潤』を学習していきましょう!

【e】

 ・自分が発言したことが、今日の講義と討論を受けての感想のすべてですが、その上で。
・表面的に「賃金とは?」「賃金闘争とは?」とだけ考えるのではなく、マルクスがウェストンとの、この賃金闘争をめぐる路線論争の中で、何に依拠し、何を目指していたのかを鮮明にさせることが、『賃金・価格・利潤』を学ぶに当たって重要なのでしょう。提起も、体制内派の批判や、動労千葉労働運動の地平ということを織り交ぜて、そうしたものになっていたと思います。
  労働者階級の革命性に依拠し、直ちにプロレタリア革命を目指しているということです。そこを押さえればこそ、経済学的・理論的分析も力を持つのだと思いました。
  大恐慌をプロレタリア革命に転化していく自信と確信をもつにあたって、決定的な内容です。

【U】

 「綱領草案」を発した今、『賃金・価格・利潤』をとらえ返すと、非常に実践的な書物なんだということがわかりました。
  特に最初の方の「ウェストンとの論争」のところは、以前読んだ時は、正直よくわからなかったのですが、今日、講義で言われたように、今日の体制内派との論争に簡単にたとえてみるとわかりやすい。
  今日、階級的労働運動路線のもと、「革命をめざす労働運動」とハッキリ宣言しています。それがあるから、「俺たちに権力をよこせ」と言うことができる。
  今、あまりにヒドイ低賃金がまかり通っていますが、物量として激しいことを言ったとしても、それが体制内的なものにとどまっている限り、どこかもどかしいものになってしまう。そして、危機が深まれば深まるほど、体制救済的な色彩を強め、反動的な性格を帯びていく。これは今、まさに目の当たりにしていることである。
  「革命」ということをハッキリ打ち出すことの重要性、ここがマルクスがもっとも訴えたかったことであり、「綱領草案」でも打ち出していることであり、重要なことだと思います。(そして当然のことながら、これを本当に実現すること!)

【n】

 今日の講義は、判ったような、よく判らないような、全体にぼやーっと聞いていたのでしょうか?
  レジュメの13頁の所で、労働力の再生産として資本に取り込まれていて、その中でというか、そのために労働時間の中だけでなく、全生活を資本に規制・強制させられていて、良質な労働力を提供するとして、それこそ早寝・早起きから、二日酔いで職場に来るなとか、身だしなみを小綺麗にしろ、などとまで言われる。我々は労働力のみを売り渡しているだけなんで、格好なんてどうでもいいだろうと言いたいですね。最近、タクシードライバーになったんですが、それこそ髪形から茶髪など、服装等は目茶目茶言われます。深酒は物理的にアウトです。(前の職場は良かったなあ!)
  今日の核心は、労働者は組合で賃金闘争を闘って、団結を強化して、大幅賃上げを要求して、出せないとか、出したら倒産だという回答なら、俺たちに権力をよこせ、と言って資本を打倒し、究極的には賃金制度の廃止をかちとり、社会そのものを変革する。その最大の武器が労働組合だということだと思いました。
  連合・協会派はじめとした、デタラメな「常識」を粉砕して、闘う労働組合を拡大・強化して闘っていこうと決意しました。

【Y】

 今回の『賃金・価格・利潤』の学習は、非常に学ぶものがたくさんありました。
@ 「資本との日常的攻防戦」と「賃金制度の廃止にむけた闘い」を一個二重の闘いとしてやるという点について。この2つを別個のものとして、これを“意識的に結合する”ということではない。そもそも、これを分けてきたこと自身がおかしいということ、自分の中で「日常的な攻防戦」を「賃金制度廃止」にむけて“高めていく”ようなイメージで考えてきました。ここはスッキリしました。
A 討論部分での自治労賃金政策−同一価値労働・同一賃金は、最初は賃金による分断を打破するという問題意識であったが、これが同一価値労働などという言葉で、逆に労働者の団結を分断するという意図をもって出されていること。しかし、賃金闘争論的には「労働力の価値」=賃金に理想的な賃金体系などありえないということをはっきりさせることが重要だということが鮮明となりました。
B @とも関連しますが、賃金闘争が職場の労働者の階級的団結をつくりあげるために決定的だということ。マルクスも賃金闘争を革命=「賃金制度廃止」のなかに位置づけることができた。ここに革命の現実性もあるということだと思います。
C 賃金の上昇は物価の上昇を引き出すだけで、賃金闘争は労働者にとって意味がないとするウェストンの主張は間違いであり、賃金の上昇は利潤率の一般的低落をもたらすだけだ。賃金の最小限度と労働日の最大限のあいだで、資本と労働者の力で結着していくということ。ここは、ものすごくはっきりしました。
D 労働者にとって「労働力を売る」ということが、生きていくためにということもあるが、売った瞬間に資本の専制的な指揮と命令下に入り、絶対的服従という関係になる。やはり賃金制度そのものが、資本と労働者階級の絶対的非和解の土台だということがはっきりした。賃金闘争−「賃労働制廃止」が、労働者のスローガンとならなければ、それを賃金闘争を通して実現していくということだと思います。

【J】

 賃金闘争およびそれに連なる職場でのあらゆる資本との日常的な戦闘を、可能な限りあらゆる形態で組織しぬくこと……この最も基本的な労働者階級の闘いそのものが、国鉄分割・民営化以来二十数年にわたる資本・権力の攻撃と、JR総連・カクマルの白色暴力、体制内派指導部の全面的な後退・屈服の中で、とてつもない後退を強いられてきた現実がある。
  しかし、賃労働と資本の非和解的対立は、あらゆる意味で限界を超えており、綱領草案の提起にまで高められた革共同の階級的労働運動の実践が、全体を獲得できる条件は、急速に拡大しているのだと感じる。
  上記の「賃金闘争および…組織しぬくこと」をやりぬける思想的・綱領的根拠は、わが革共同と動労千葉派だけが獲得していることに、大いに自信をもてるのである。……ということを、改めて痛感させられる講義だった。
  “11月”を頂点に、各職場での闘いの戦略と組織戦術をあくなき執念でみがき上げ、前進しよう。

【X】

 『賃金・価格・利潤』でマルクスは何を提起したかったのか? 今回の講義を通じて、私なりに少しつかめたように思う。
  マルクスはここで、プロレタリア革命における労働組合の果たす役割を決定的に明らかにした。すなわち、第1インターナショナルの第1回大会決議として「労働組合、その過去・現在・未来」で、「労働組合は−あたかも中世の都市行政および自治体がブルジョア階級にとっての組織の中心だったように」と提起していることの中にハッキリとさせている。
  ブルジョアジーは中世の自治都市の支配を通じて統治の仕方を身につけながら、やがて社会全体を支配する能力を身につけていった。労働者にとって労働組合がやはりそうした役割を持っていることを自覚することを提起している、と思えてならない。
  だからこそ、「労働組合は、資本と労働とのゲリラ戦のために必要だとすれば、賃金制度および資本支配一般の廃止のための組織された動力としてさらにいっそう重要である」となると思う。やはり、プロレタリア革命=プロレタリア独裁へ向けて、プロレタリアートが統治能力を獲得する過程が労働組合のなかで培われていくことを、常に心がけることが重要ではないのか。
  そのことは続けて、「労働組合は、もともとの目的は別として、今や労働者階級の組織的中心として、労働者階級の完全な解放という大きな利益を目指して活動することを学ばなければならない。労働組合はこの方向を目指すあらゆる社会的、政治的な運動を支持・支援しなければならない。労働組合が労働者階級全体の前衛、代表としての自覚を持って行動すれば、未加盟の労働者を隊列に獲得することに必ずや成功するであろう。‥‥労働組合は、労働組合の活動が狭く利己的なものでなく、踏みにじられている幾百万の人民の解放を目指しているのだということを、全世界に納得させなければならない」という決議文の結論からも、ハッキリしていると思う。
  さらに、第1インターナショナル第1回大会で決定された暫定規約前文も、やはり重要である。ここでは、労働者階級の解放は労働者階級自身の事業であることと、労働者の解放が普遍的人間的解放であることが、高らかに宣言されている。だからこそ、「労働者階級の経済的解放が大目的であり、あらゆる政治運動は手段としてこの目的に従属すべき」と、1ミリの揺らぎもなく宣言されている。

【R】

 講義を受けて理解を深めた点。
  第1は、本書の意義です。
  第1インターの指導部に対して提起したもので、情勢は今日とまったく同じものだった。
  第2は、ウェストンという人物についてです。
  これは、決しておかしな意見ということではなく、古典派経済学の「常識」等に結びついたものであり、これとの論議は重要な路線をめぐるものとしてあった。
  第3は、労働組合の目的を明らかにしたことです。
  マルクスの目的は、この点にあったということです。そして、この点での講師の提起の中で、「資本との日常的攻防戦」と「賃金制度の廃止に向けた闘い」は本来的に一体のものとしてあり、体制内派はこれを分離したという点は、分かりやすかった。

【r】

 印象に残ったこととして、「賃金制度の上では『平等な賃金』はありえない」というところで、マルクスが「平等な賃金」なるものを労働者階級自身の自己解放闘争を否定した空想的プランを案出する空想的社会主義者に対する怒りの表現としてとらえるべきという提起です。
  今までは「平等な賃金」ができるか否かで、できないことをおしゃべりする連中程度に読み流していたのですが、今日の体制内勢力のペテン性をマルクス主義の根幹にある賃労働と資本の関係−階級対立の非和解性を解体する問題から生み出されているイデオロギーとして(労働者を救済の対象とするイデオロギーとして)弾劾しているのだと読むと理解が深まるということです。
  ところで、今回『賃金・価格・利潤』を学び、今までの読み方が『資本論』の入門書という読み方でアプローチしていたことが、一面的な読み方であったと思う。特に極端に言えば、“賃金はいかにして決まるか?”ということさえ理解しておけば読んだ気になっていたということです。
  そうではなく、第1インター内での路線闘争として激しく、労働組合とは何か、賃金闘争の意義は何か、労働者の解放のためにいかに活かし闘うのかという点を明確にさせた上で、賃金とは、利潤とは何か、労働力商品とは何か、という資本主義の根本に突っ込んでいかないと、単なる学術書になってしまうということです。
  今回の講義は、良く理解できたし、勉強になりました。『共産主義者』160号も読んで、自分で学習会を組織したいと思います。

【i】

 『賃金・価格・利潤』において、賃金闘争など有害無益とするウェストンの主張を、マルクスが否定しているのは言うまでもない。が、それと同時に、「革命」を語りながら賃金闘争をないがしろにする空論的・空想的社会主義者どもをも、鋭く批判していることを見てとらなければならない。
  ウェストンも革命的言辞を弄する連中も、根は同じだということである。問題は、革命運動の中にいかに賃金闘争を位置づけ闘うのか、ということである。
  「党の革命」であぶり出された「動労千葉は民同だ」などという輩の存在が、私にはまったく信じられなかった。しかし、勇ましく「革命」を語りながら、具体的な労働者の切実な闘いに向き合おうとしない連中は、いつの時代にもいるということであろう。なるほど「クソのついた札でも金は金だ」と、金さえ多くとればいいという、太田的賃金闘争のあり方に反発する心情は分からないではない。しかし、そこから賃金闘争そのものを否定するのは本末転倒もはなはだしい。
  賃金闘争など闘っていたら民同になってしまう、のではない。「賃金闘争を闘うなかで、労働者階級と資本との利害が非和解であることをつかみ、賃金制度の廃止という究極の目的に向けて階級的団結を打ち固め、自己解放能力を形成していく、この立場を貫いて賃金闘争を闘えば、それは体制を根本から覆す闘いになる」(レジュメ20頁)ということである。
  正直なところ私は、『賃金・価格・利潤』に苦手意識があった。それは、ウェストンなどという人物の主張への批判という形でずっと展開がなされていて、私には論旨が見えにくく感じられたからである。しかし、ウェストンの主張は、けっして歴史の流れの中に消えていった「取るに足らない」ものではない、ということであった。今日でも、労働運動・賃金闘争の根本的対立点をなす批判的対象であるということであった。−このことが本講義で教えられ、『賃金・価格・利潤』が急に身近に感じられるようになりました。ウェストンの主張の一つひとつにきちんと向き合い、改めて『賃金・価格・利潤』を勉強しようと決意しています。