マルクス『資本論』(上)−モスト『資本と労働』を学ぶ−前半講義概要 講師村越一郎 第10期第5回 マルクス『資本論』(上)−モスト『資本と労働』を学ぶ− 【はじめに】 全3巻からなる『資本論』は、資本主義を倒して、労働者の力で社会主義・共産主義の社会を実現しようと、マルクスが全生涯をかけて確立していった“マルクス主義”の集大成です。 【T『資本論』で武装せよ】●マルクス主義は労働者階級の理論 「『資本論』で武装せよ」。われわれは『資本論』で武装して、そして革命をやろう、という強い気概を持って、今から20年近く前に仲山良介著『「資本論」の研究』を出版した。われわれがこれまでに、党としてどういう意気込みで『資本論』に立ち向かったのか、『資本論』についてどう考えてきたのかが熱いものとして伝わってくるので、機会があったら読んでほしい。 ●『共産党宣言』と『資本論』−『資本論』を学ぶことの意味について マルクスは、『共産党宣言』から約20年後の1867年に『資本論』の第1巻を出版する。そして、1883年のマルクス死後、エンゲルスの手によって1885年に第2巻、1894年に第3巻が出版される。『資本論』は、「『共産党宣言』の思想と理論の科学的深化、発展」であり、「1848年革命以来の革命家マルクスおよびエンゲルスの全生涯をかけた闘いの実践的総括」(『「資本論」の研究』)でもあった。 ●モスト『資本と労働』との出会い 『資本論』をわれわれの武器にしていくという場合、まず『資本論』を労働者の中でどうやって読んでいくのかということで、モストの『資本と労働』に僕は注目をした。今までの『資本論』の読み方でいるかぎり、労働者はいつまでたっても『資本論』を読めないのではないか、と強く感じていた。そういう中で、モストのパンフレットに出会い、これを使って労働者の中での『資本論』の学習会はやれるんじゃないのかと直感して、労働者との学習会の度ごとにコピーして、読み合わせをした。 【U 商品、貨幣、資本−資本とは何か】●資本主義社会とは「一つの巨大な商品の集まり」 第1章「商品と貨幣」という所ですけど、ここでは、冒頭の文章だけを独立させて『資本論』から引用した。これ自身が、『資本論』全体に渡る重要な文章です。 ◆商品(労働力商品)が商品を生産する もう一つ。社会全体が巨大な商品の固まりから成り立っているような社会ができるというのは何を意味しているか。商品が商品を生産するから社会全体が商品の固まりになる。物を生産する労働者自身が、資本によって商品として買われる。そうすると資本の下で、労働力という商品が労働をして新しい生産物を生産し、それがまた商品となる。労働者は、その生産物である商品を資本家から受け取った賃金で買い入れて生活をする。こうして、社会全体が商品が商品を生産し、その商品がまた商品を生産し、という形で壮大なひとつの商品の固まりになる。 ●「1,商品と貨幣」について モスト『資本と労働』で言うと、第1章「商品と貨幣」となっていて、第2章が「資本と労働」となっている。『資本論』の場合、冒頭は商品、貨幣、資本と説明が進んでいく構成をとっている。マルクスは『資本論』の冒頭の「商品、貨幣、資本」の全体の説明をとおして、資本の説明をしている。このことを頭に置いておいてほしい。 ◆「資本−貨幣−商品」として読む お金って何なのかを説明しようとすると、商品の説明が必要になる。お金というのは、商品から生まれる。商品というのは、商品だけで商品になることはない。商品が交換されるという場合には、交換相手の商品をいわばお金の役割、位置においている。形の上では商品と商品の交換という場合にも、必ず一方の商品はお金の役割を果たしている。 |
討論から●N 今日、講師の話にもありましたけど、若い一労働者が『資本論』を読んで、ここが重要だと思ったことを自由に書いている。私もモストの『資本と労働』を読んでいて、若い労働者が資本に対してこんなに怒りを持っていた、これを労働者の仲間、労働者階級に知らせたい、みんなで分かろう、そういう情熱をすごく感じました。 ●G 僕は『資本論』をまともに勉強してないんですけど、これを契機に勉強しようという気になる講義だった。 ●I 商品=貨幣=お金という所で、今一つ分からないんで聞きたい。資本主義社会の中では、労働者をも商品として、労働者の生産活動が資本家の新たな商品を、つまり剰余価値を生み出すと。資本家は貨幣、すなわちお金で労働者を商品として買う、で、その労働者は長時間労働をすることによって、新たに資本家のために価値を生む。封建制社会とか、奴隷制社会とはどこがどう違うのですかね? ●講師 資本主義社会での、資本(家)による労働者の搾取が、古代奴隷制社会における奴隷所有者による奴隷の搾取や、封建社会における封建領主による農奴(農民)に対する搾取と違う点は、資本(家)と労働者との関係が、労働力商品の売り手と買い手、「商品の売り手と買い手」という形を取る、というところ。商品の売り手と買い手の関係は対等である、という建前のもとに、資本家の労働者に対する現実の搾取、搾取の関係が隠されている。 ●I 資本主義社会では、労働者が資本家の利益を生む商品として、全世界的に剰余価値を生む対象になった。封建制社会とか奴隷制社会だと、身分制的だということですか? ●講師 さっきその例を挙げて言おうとしたのは、資本主義社会というのは、どれだけ残酷な社会なのかということ。労働者を「モノ」、商品としてしか見ない。資本家が、より多くの利潤を上げるための手段、「モノ」としてしか見ない。要するに、労働力が商品という姿をとっている、お金を払ってそれを買ってくるという関係で。そうすると、相手を人間としてなんか全然見なさない、そういう社会の仕組みを資本主義社会はつくっちゃうわけ。 ●I 奴隷制社会とか封建制社会でも、奴隷とか農奴はモノ扱いでしょ。 ●講師 奴隷や農奴を人間として扱わないという点では、同じようにモノ扱いです。だけど、資本主義の場合、労働力を商品とするというところが違うのです。封建社会の場合には、領主と農奴(農民)の関係は身分という形をとって社会的に制度化されている。農民というのは、今で言う職業というような考え方じゃない。士農工商という身分制として、ひとつの社会の制度になっている。 ●h 奴隷制社会では、人格そのもの、文字通り人間そのものを商品として買う。だけど、資本主義社会では、労働力を商品として買う。その人格を商品として買うわけじゃない。そこは全然違う、資本と契約解除すれば、自由になるわけだから。この会社は嫌だったら別の会社と契約を結べばいい。労働力を商品として売っているわけで、資本が買うのは労働力、人格を買っているわけじゃないから、形式上。 ●p 奴隷は確かに人格丸ごと売買されるんだけども、奴隷主は、その奴隷がいないと成り立たないわけだから、相当酷いことはやっても、その人が生きていくということについては結構責任をとった社会だと思うんです。ところが資本主義というのは、労働力を商品として買うわけだから、この商品をどう扱うかは自分勝手なわけです。 ●q 奴隷は奴隷主にとっては財産なんです、ひとつの。だから、それは殺さない。だけども、資本主義社会の中では商品だから、トコトン使う。 ●I 資本主義の下では資本家は労働者に対して何の責任も持たない。労働者を単なる資本家の利益を生むためのモノとして扱う、そこが違うということですか、分かりました。 ●p 商品が商品を生産する社会という、僕も、この辺を読んだ時、ちょっと難航したり、あるいはサーッと読んでしまったり。何回か読んでて、アッ重要なことがあったと思ったことですけど、資本主義社会は巨大な商品の固まりでできている、と大雑把に言ったときに、自分の周りの商品をイメージして読んじゃう、最初は。 ●e 絶対反対論だとか、非和解性、力関係で一切が決まる、資本主義を徹底的に分析する中でそこがハッキリするんだということだと思うんです、ムチャクチャ大雑把に言うと。 ●C 前半の所で、『資本論』を革命の武器として復権させようということが言われてた。その中で、『共産党宣言』と『資本論』がつながっていると言われてたと思う。マルクスは、48年の革命をやって、その後亡命という形になって、一旦経済学を一からやり直すことに取りかかったんだけど、『資本論』自身は別に経済書というわけじゃなくて、講師の方からは革命の書であるということをちゃんとつかむべきだと言われてたと思うんです。だから、『共産党宣言』とつながっているというところをもうちょっと簡潔に説明してくれたら助かるかなと思った。 ●講師 G−W−Gなんて言うと取っつきにくくなる、と一番強くどこでも言われる。それは、そういうことはあると思う。だけど、資本というのを説明する場合、自分で理解する場合にも、G−W−Gというのはすぐれた説明だと俺は思うんだよね。 ●a 価値の自己増殖という場合、剰余価値の自己増殖と言わないといけないんでしょ? ●講師 剰余価値の、と断らなくても、価値の運動なんだ、資本の。マルクスは『資本論』の中では、例えば100万円で商品を仕入れて150万円で売ると50万円増える、これを剰余価値と呼ぶ、という説明をして、この増えた50万円はどこから出てきたのかということから、今度は搾取を明らかにするという説明に移っていっている。だから、資本の運動としては、価値の自己増殖運動。 ●I 資本主義社会は、資本が一定のカネで労働者の労働力を商品として買い、自分の利潤を追求するために労働者を商品として扱うことによって価値の自己増殖が無限になるという形で、資本が全面的に労働者を支配する社会ということですか? ●講師 資本の場合、自分の利潤を上げるためだったら何でもやる。それに関連することで、レジュメに書いておいたんだけど、労働力の価値という言葉の説明として、一個の商品として労働力を生産・再生産していくということは、労働者が生活して生きていくということだから、そのためには生活費というのは必要なんだ、これに当たるものが労働力の価値なんだというような説明になっている。 ●I 奴隷主とか封建地主は、奴隷とか農奴に一定の食い物とかを与えると。ところが、今の大恐慌の中で、資本家が使えなくなった労働者はもう殺してもいいと、実際に1年間で3万人も自殺をしている。そこが一番の違い、どっちがいいということじゃなくて。 ●講師 さっきe同志から出されたことだけど、『共産党宣言』では「階級対立を単純化した」と言っているんだけど、資本主義では労働力商品の売りと買いとして階級関係を、ある意味では単純化した。 ●n 物は生産していないけど、サービス業なんかでカネを貰っている労働者もいるから、その辺の感じですよね。 ●O 公務員という言葉そのものがそうだと思う。福祉とか、そういう労働者全部、何か物を作っているというわけじゃない。だけど現実的には、資本家が社会を支配している関係の中に全部いる。だけど、公務員というのは、公務という形でまず関係が曖昧にされているし、しかも今公共サービスだと、とくに自治労なんか完全にそうです。だから、働こう運動になっている、資本と一緒になって。 ●g 正直、難しかったという感じが結構あって、僕も『資本論』をどう読むかというのは問題意識としてありまして、獄中で『資本論』は一応全部読んだんですけど、どうしても学者的に読んでしまうというのがあって、どう突破するのかと。今、『共産党宣言』、そして綱領草案との関係で読むというのが重要だとも思いますし、一つのカギは、動労千葉の中野洋さんの『甦る労働組合』にあるのかなとは少し思ってまして、マルクスだけが労働者を認めた、という言葉にあるように、労働者が社会の主人公であって、あらゆるものの生産・管理やっているんだ、そういう誇りというところから『資本論』も始めるべきなのかなと思うんです。 |
受講レポートから ★『資本論』(上)のレポートです。【C】 『資本論』を読みたいという欲望が、生まれてきたように思います。モストの『資本と労働』の画期性は伝わったので、まずは最後まで読み進めていきたい。 【j】 『共産党宣言』の学習だけではなく、なぜ『資本論』での武装が必要なのか、とてもよく分かる講義だったと思います。 【N】 「大恐慌を革命へ!」というスローガンの中で、モスト『資本と労働』を学ぶ重要性がよくわかる講義でした。 【n】 一般的な資本と商品と貨幣に関しては、質問への回答も含めて、今までの学習もあって、大体理解できてきたようですが、『資本論』そのものを「判った」と言うか、「学習したんだ」と言うか、ホンのひとつのことだけでもつかみたいものです。 【e】 『資本論』冒頭の、資本主義の規定を商品経済が支配的となった社会として与えられている点から始まって、階級的非和解性を説かれたのが、「絶対反対論」の重要性ということと一体で、なるほどなと思いました。 【O】 ○講師が冒頭言われたことは重要ではないかと思いました。 【g】 『資本論』を革命の書として復権させていく作業が重要だと思いました。自分も『資本論』を読みましたが、難しく、長くてなかなか読めないし、どうしても学者的理解になりがちです。核心は、『甦る労働組合』や綱領草案と一体で復権させていくことだと感じました。 【Q】 『資本論』について、今までなかなか読んでみるということが出来ずにここまできてしまった。今まさに世界大恐慌情勢の中で、「革命の武器」としての『資本論』について学習する必要を感じた。 【U】 『共産党宣言』『国家と革命』などは何回か読んできたし、学習会も何度もやってきた。それに比すと『資本論』は大部であり、なかなか手が出ない。何人かの同志の発言にあったように、「投獄」などの時空間の大きな変転がない限り、今後も正直手が出しにくいと思う。そんな中で、ダイジェスト版とはいえモスト『資本と労働』が出版されている。少なくともこの本なら、読める、学習会もできる、という気がする。今回の学校を機に、深読みにトライしていきたい。 【B】 『資本論』についての学習会という事で、難しそうで気乗りしなかったのですが、参加して講師の今回の学習会にたいする思い、取り組みにたいする姿勢が良く分かり、こちらも予習をしてこなければと考えさせられた。 【G】 (1)前半部分で確認された点で、@労働者の現実に闘う武器として、A『資本論』を学習する上での問題意識として、現実の階級闘争との分離という問題を克服するために、『資本論』を学ぶ意義を強調されたと思います。このことは大変重要だと思いました。 【b】 労働力の商品化から、労働力の買い手としての資本家と売り手としての労働者との絶対的非和解性(『資本論』の「労働日」の章で展開されている様な)が生じるということが面白かった。今日、資本の自己増殖の話がありましたが、G−W−G’という資本の運動も、交換価値以上の価値を生み出す労働力商品(W)の存在によって初めて全面的に開花する。よく、資本主義社会の特徴を一言で言えば、それは「労働力の商品化」であると言われていますが、今回の講義・討論の中でそこが何となく分かった様な気がしています。 【Y】 最初の部分の話、労働者階級が自分の思想をもつことの意味が非常に心に残った。奴隷・農奴に独自の思想があったわけではない。支配されている階級の中で、自分の思想をもっているのは労働者階級だけだ。やはり“社会の主人公”という意識、ブルジョアジーを打倒し、みずからを支配階級へと高めるという意志をもった階級だけが自分の思想をもつ。そして、自分の思想をもった階級が勝利できる。それを理論として確信をもつことが、歴史の大きな転換期の中では絶対に必要なんだということが非常によく分かりました。『資本論』を労働者階級の思想・理論としてつかみとっていくことだと思います。このような立場から『資本論』と格闘していくことだと強く感じました。 【W】 大恐慌情勢が到来し、労働者人民の膨大な決起が始まろうとしている中、労働者の中に『資本論』を持ち込み、学習することの決定的重要性を感じました。 【R】 講義と討論を通して、多くの点で理解が深められました。 【p】 今回の学習会で、かつて『資本論』を読んだ時の学び方が多分に理論的理論を導き出す様になっていたことを自分自身感じました。まだ現場労働者と共に学習する機会を得ていませんが、労働者と共に学んでいく場合の討論の仕方などの点で参考になりました。 【F】 ■『共産党宣言』から『資本論』の学習に入るにあたって、ある種の“転換”が必要だと感じた。それは「なぜ『宣言』だけではいけないのか」という疑問への回答であり、マルクスが、なぜ2月革命を頂点としたヨーロッパ全土に巻き起こった革命の敗北のあと、『経済学批判』、『賃金・価格・利潤』を間にはさんで、約20年後にようやく訪れた革命の高揚の−パリ・コミューンに向かう−中で、『資本論』第1巻を世に送ったのかということでもあると感じた。「『宣言』は、マルクスとエンゲルスが唯物史観にのっとって、はじめてブルジョア社会の根底における階級対立を明らかにし、プロレタリア革命=共産主義の必然性を実践的な革命綱領として提起した」。しかし、労働者階級が真に社会の主人公となり、新しい社会を運営していくためには、それだけではいかない。資本主義社会の徹底的な解明=解剖が必要だった。『資本論』冒頭の、要約すると「資本主義社会は、巨大な商品の固まりでできている」という一文は、マルクスがついにつかみとった資本主義社会の一切を表している。 【q】 『資本論』が、労働者階級にとって自らを解放する革命の理論だということを改めて感じた。資本家階級のイデオロギーを覆し、労働者を商品化していることの残酷さを徹底的に暴き出さなければならないと思う。 【D】 『資本論』を学ぶ意義が提起されたと思う。 【I】 モストの『資本と労働』は、何回か読みました。私は活動家になった時に、マルクスの『資本論』全巻をすべて買いましたが、実際にはほとんど読まずにいました。労働組合に加入し、自身、階級的労働運動路線を支持している以上、今、本当にマルクス主義を身につけ実践しなければ、私の党における存在意義はないと思い、党学校に参加しています。ここでは精神障害者云々を言うことを自覚的にやめます。なぜならば、資本による搾取と支配を受けているという点で、自分は労働者階級の一員であり、階級的団結で体制内勢力−資本と闘う立場に立つことが、私の中でハッキリとしているからです。 【h】 動労千葉が動労千葉たりえたのは、その指導部がマルクス主義で武装されていたからだという提起は、やはり重要だ。負けても負けても立ち上がることができるのは、マルクス主義で武装されているからだ。すなわち、資本主義社会の科学的解明ができているからこそ、分割・民営化過程でも正しい時代認識をもつことができたからこそ闘う時、闘うことができた、と思う。『共産党宣言』に加えて『資本論』学習の意義が鮮明になった。 【X】 講師から『資本論』をどう読んでいくかというテーマで話されて、資本主義社会は「社会の富」が「ひとつの巨大な商品の集まり」からなっている社会、「商品が商品を生産するような社会」、資本が労働者(=労働力)を商品として買い入れ、使用するという形をとって生産をおこなう、「資本主義的生産様式が支配的におこなわれている社会」。このことをしっかり押さえておくこと、と提起されました。 【J】 この間の労働運動の現場における党建設の闘いで実感していることですが、日々、資本の攻撃と対峙している労働者が、自分の理論を持つことの大きさである。資本と闘うこと、現場労働者が、われわれと共に資本との闘いを始めること自体の中に、極めて大きな自己解放的な階級意識の高まりを感じますが、職場活動家の党への結集という問題は、やはり、意識的・計画的な理論闘争の積み上げが絶対的だと実感しています。資本主義の下で、自分は実は“商品”なのだ、という事実を完全に理解することの決定的な意味、ということでしょうか。モスト氏がパンフレットをまとめた問題意識も、そういうことなのだと想像できます。 【K】 1)今回は、ついに『資本論』。改めて、冒頭「商品」の理解の重要性を認識しました。「難解」ということが強調されますが、資本主義の正体をとらえることがプロレタリア革命の核心なので、資本主義社会=商品経済社会としてつかみきることは重要だと思います。現代革命がプロレタリア革命であり、プロレタリア(労働者)の事業=解放の主体はプロレタリアであるというのは、労働力の商品化を基礎として成立している資本主義社会だからなのです。 【M】 講師が言っていたように、私も原典に挑戦したことがあったが挫折し、『「資本論」の研究』が出た時も学習会にチャレンジしたが、これも続かず、『資本論』は投げ出していました。今回、モストの『資本と労働』が出されたことで、久しぶりに学習する機会ができました。 【i】 「大恐慌を革命へ」というスローガンを、今われわれは掲げて進んでいる。革命が眼前に迫った。待ちに待った時代が到来したのだ。今こそ、資本主義をプロレタリア革命で打倒せよ、というマルクス主義の原点が問われている。それは、『資本論』の全内容が試されているということでもある。 【a】 講師はモストとの出会いを熱っぽく語った、「これは、一気に読める!」と―日々の忙しさも口実にはできない− 【r】 『資本論』をなぜ学ぶのかという、ある種あたり前のところで、まずしっかりと考えつくさないとならないと思います。決意と気合いだけで読めるものでもないし、読んでも学術的理解にはまり込んでしまいそうだから。その点、前半部分の提起をそう受け止めました。 【f】 @前提として、『資本論』を読みきったことはありません。(何度も挫折している。) 【d】 何より、『資本論』に挑戦するということは途方もなく大変な作業のように感じていましたが(時間的にも…)、『資本と労働』という、このモストの取り組み+マルクスの加筆のパンフレットというものが、今の大恐慌の時代・情勢に間に合うものとして労働者階級に提供されているということが、よくわかりました。 |