マルクス・エンゲルス『共産党宣言』(下)後半講義概要 講師仲山 良介 第10期第4回マルクス・ エンゲルス『共産党宣言』(下) 160年前に出された『共産党宣言』は、労働者階級自身による革命宣言であり、プロレタリア革命=共産主義論の核心問題を鮮明に突き出している。また、その貫徹・実現のために、共産主義者=共産主義者の党の性格と任務、究極的勝利の根拠を明らかにし、闘う労働者階級にその党への結集(階級的革命的団結)をよびかけた綱領的文書である。それ以後、『宣言』は、ずっと、生きて現実を規定してきたのだが、今、ら旋的に<資本主義末期の歴史的危機>への突入のなかで、ほとんどストレートに労働者階級にとって「生きた綱領」としての意味をもってよみがえっている。 【第2章 プロレタリアと共産主義者】(1)共産主義者とは、自分の歴史的使命を自覚した「たたかう労働者」。党とは、労働者階級の先頭に立って究極的勝利まで闘う共産主義者の政治的結集体
「共産主義者(たち)はプロレタリア一般に対してどんな関係にたつのか? 共産主義者は他の労働者党にくらべてなんら特別の党ではない。特別の原則を立てて、その型にプロレタリアの運動をはめ込もうとするのものではない」 (2)共産主義者は、究極的には何をめざしているか 第2章のここではじめて、プロレタリアートの運動の目標(一般的到達点)としての共産主義について述べている。 (3)共産主義者は個人的所有を廃止するのか? 次に、ブルジョア的私的所有の廃止イコール個人(=人格)・自由あるいは労働(勤勉)の否定、さらには、家族や道徳の否定として、つまり人間性そのものの否定として共産主義者を罵倒するブルジョア的イデオロギー(インチキヒューマニズムの形をとる)を批判するかたちをとりながら、その欺まん性=空論性をつきだし、共産主義の積極的内容を打ち出していく。ここの基本的内容は、『資本論』の第1巻の最後のところとほとんど重なる。 ●人格と自由、個人(の廃止)について 「ブルジョア社会では資本が独立して人格をもっている」「活動する個人は独立しておらず、人格も持っていない」 ●労働する意欲、勤勉と怠惰「私的所有を廃止したら怠惰がはびこる」という人がいる。こういう主張は、人は奴隷的強制によってしか働かないという考え方に縛られている。 (4)精神的生産物の取得と生産に関して ●家族の廃止! これについては、そうとう急進的な人々でも共産主義者を非難弾劾する。 ●祖国と国民性 「労働者は祖国をもたない。持っていないものをとりあげることができるか」 (5)宗教、哲学、道徳などのイデオロギー的諸形態 「人間の観念、見解、概念、ひとことで人間の意識は、生活諸関係や社会的諸関係、社会的あり方とともに変化する。精神的生産は物質的生産と共に変化していく。思想の歴史がそれを証明している。ある時代の支配的思想はつねに支配階級の思想であった」 ●宗教、道徳、哲学は永遠か?
「階級対立が消滅することによってのみ解消するような意識形態のなかで人間の社会的意識諸形態は発展してきた。つまり、宗教、道徳、哲学、政治、法…という社会的意識諸形態は、階級社会が廃止されれば存在しなくなるのだ。共産主義革命の進展のなかで、伝来の思想ともっとも根底的に決裂するのは当然である」 (6)プロレタリア革命と共産主義への前進 「労働者革命の第一歩はプロレタリアートを支配階級に高めること、民主主義をたたかいとることである」「プロレタリアートはその政治支配を利用して、ブルジョアジーから次第に資本を奪い取り、国家すなわち支配階級として組織されたプロレタリアートの手に、すべての生産用具を集中し、生産力の総量を急速に増大させる」「このことは、まずは所有権とブルジョア的生産関係にたいする専制的侵害をつうじて行われる」「この方策は、経済的には不十分で維持できないように見えるが、運動の進行のなかで自分自身を乗り越えて進む」「生産様式全体を覆す手段として不可避の方策である」 (7)第2章の結語部分「階級そのもの廃止と国家、および古いブルジョア社会の廃止」 プロレタリアートがブルジョアジーの支配を倒し、権力をとり、支配階級となり、そして、「発展が進むにしたがって、階級の区別が消滅し、すべての生産が結合した諸個人の手に集中されると、公的権力は政治的性格を失う。政治権力とは、本来の意味では、ひとつの階級が他の階級を抑圧するための組織された暴力である。プロレタリアートがブルジョアジーとの闘争において、必然的に階級へと結集し、革命によって支配階級となり、支配階級として古い生産諸関係を暴力的に廃止するときに、プロレタリアートは、このような生産諸関係とともに、階級対立の存立条件と階級そのものの存立条件を廃止し、それによって階級としての自分自身の支配を廃止するのである。 【第3章 社会主義的および共産主義的文献】三 批判的・空想的な社会主義および共産主義(これ以外は略) 空想的社会主義の創始者とよばれる3人を「本来の社会主義的・共産主義的な体系」としてとりあげる。これまでの<社会主義または共産主義者>の思想運動に対して、労働者階級自身の<階級としての現実的運動(階級闘争)>を浮かび上がらせようとしている。 【第4章 種々の反政府党に対する共産主義者の立場】 「共産主義者は、どこでも現存の社会的政治的状態に反対するすべての革命運動を支持する。こうした全ての運動において、共産主義者は所有の問題をその発展形態のいかんにかかわらず運動の根本問題として提起する」 |
討論から●i レジュメ9nからの第2章の「(三)共産主義者は個人的所有を廃止するのか?」のところで、「『個人的所有』は二つの意味がある。『個人的に獲得した』『自分の労働で手に入れた』」と分けてある。これをあえて「二つの意味」だと分けていることを強調する講師の意図がよく分からない。 ●講師 「個人的に獲得した」と「自分の労働で手に入れた」という辺りを解釈して、「自分の生産手段」と「自分の労働」という2つに分けて考えたい。そうすると分かりやすくなる。封建社会末期の小農民的所有が、自分の土地で自分の労働で手に入れた個人的所有として述べられていると思う。「個人的に獲得した」というのは曖昧な言い方です。だけどもそこの所は、「自分の生産手段で」と、そして「自分自身の労働で」というふうに私は解釈して、ここを一貫して解釈するための方法にしているわけです。 ●Z 個体的所有と個人的所有というのは原語も違う? ●講師 英語で言えば、個体的はインディビドュアル、個人的はパーソナル。 ●h 共産主義というのは、一言で言えば、“私有財産制度の廃止”ですけど、そのことの意味が、“共産主義は個体的所有を復興するんだ”と、今日初めて聞いて非常によく分かった。 ●j 第2章の提起の最後で、「ブルジョア社会における万人の敵対を超えた、<一人ひとりの自由な発展が万人の自由な発展の条件となるような結合関係>」と言って、その後に設問として、【その関係の、「母体」はどこにあるか】を入れて、答えは、“闘う労働組合”と言われ、感銘を受けた。 ●S 私的所有の、さっき言われたところが、なるほどというのは思いました。そんなに深く、個人的所有と私的所有は違うということまで考えたことがなかった。 ●C 新訳本の35nの所で僕は思ったのは、「財産が階級的な性格を失う」ということで、資本そのものが社会的な力としてあるにも関わらず、結局この資本主義社会の中では、個人のもの、要するにブルジョアのものになるという、その関係自身をなくしていく、ひっくり返していく。つまり、賃労働と資本の関係を廃止するということで言っていると思う。35nの最後の所でも書いてあるように、「われわれが廃止しようとするのは、資本を増殖させるためにのみ労働者が生き、支配階級の利益が必要とするかぎりにおいてのみ労働者が生きていける、というこの取得の惨めな性格」を変えるんだということを、ここでは強烈に言っていると思います。労働者がこういったブルジョア的所有、あり方をひっくり返して、社会的力を社会的力として運営していく結合体、アソシエーションという形で、その力を得るということ自身がすごく決定的な意味を持ってくるんだと思う。 ●講師 例えば、階級社会が廃止されれば、真の宗教が生み出される、真の哲学が生み出される、真の道徳がとか何とかという言い方がある。だけど、こういうのは要するに、人間生活のある一定の局面で、ある一定の土台としての生産関係のあり方に規定された人間の思想やものの考え方のひとつの表れで、その形そのもの自体がひとつの狭い内容を切り取っている。 ●p 宗教とか道徳とか哲学とかがあたかも尊いものであるかのように、この社会の中でプロレタリアートが、ある意味ではそういうものにすがらざるを得ないというのがあって、そういうこと自身が、新訳本の48nの2行に書いてあるような社会(共産主義社会)を実現したときに、こういうことは全部意味がなくなるということだと思う。 ●W 私的所有を廃止するといった場合に、私的に独占されているという点を強調することが必要だと思います。本来は社会的なものであるものが独占されている。日々労働者が労働してつくっているものが全部独占されている。それを奪い返すということだと思うんです。 ●Z この本を最初に読んだ時の感想が印象に残っていて、当時冷戦下で、自由を第一義的にすれば資本主義社会、平等を第一義的にすれば共産主義社会、という解説がある中で読んでみてハッキリ言えば、全然平等観がない。分配論が書かれていない、所有論だけで。学習会で、私有財産の廃止と個人的所有の問題を区別するときに、労賃の問題、あるいは平等観、つまり共産主義社会というのはもっと分配を平等にするんだと。こういうところが、われわれも不十分だったかなという思いがしたんです。 ●講師 そこのところは、根本的に「所有」ということで論じている。分配とか平等とかいうレベルの話で言えば、例えば、獲得様式とか、取得とか、領有とか、そういう形で述べてます。それはだから、例えば労働者同士の支払いが違うということが問題なんじゃなくて、ブルジョアジーのために働くことで自分は生かしてもらうという、そういう根本的関係そのものの中に何か守るところがあるのか、それをひっくり返すことが問題じゃないのかという形で、ズバッと出している。 ●I かつて精神障害者の働かない権利、働かない運動という全国的な運動があった。精神障害者が働いている労働状況を考えれば、例えば大企業はすごいお金を出してでも精神障害者を雇わないという方向にあるんで、当時は共感したところもあった。 ●講師 今の発言は、重要なことを提起されていると思う。人間の労働は社会的関係の中で成り立つ。現実の労働は、どんな場合でも、どんなに搾取されている場合でも、必ず社会的関係の中にある。それは1人でデスクに向かっている場合でもそうです。労働は、単にある種の技術を自然加工物に向かって実行しているということじゃなく、社会的な人間と人間の関係の確証という面がある。その意味で、労働というのは普遍的だし、労働することによって人間社会が基本的に成り立っているという関係があります。 ●N 共同作業所では今、障害者自立支援法の攻撃がどんどんかけられている。障害者自立支援法というのは、障害者も働いて稼いでこそ一人前なんだということで、障害者の中にも競争原理を持ち込んでくるし、報酬が出席率によって変わってくるので、作業所同士も競争させる、いかに利用者である障害者をたくさん呼び込むか、みたいなことがどんどん強調されている。 ●D 素直な感想としては、しゃべりにくいな、みたいな感じがしまして。理論的にはいろいろ丁寧に説明してもらって、所有というのが核心で、労働組合というのをしっかり位置づけるのが重要だと、確かにその通りだというのはあるんですけど、今回、『共産党宣言』のここから僕らが何をつかみ取って、どこで一致していくのかが、ちょっと見えにくいかなと。どういうところをつかんでいく感じだったのかなという辺りが、僕の問題意識です。 ●講師 『共産党宣言』の場合、イデオロギーと現実の階級闘争、階級的対立関係という辺りをもうひとつ、どうとらえ返していくのかというのは結構大事なんじゃないか。革命的思想というのはあるのかなんて、大胆なことをマルクス自身が言っている。それは直接にはヴァイトリング批判、ヴァイトリング風の世界革命論とか貧民革命論を念頭においている。それに対して、労働者階級が革命的に社会を変革するんだ、共産主義者はそれを貫徹するために闘うかどうかなんだということをズバリといろんな角度から突き出していった。だから、「共産党宣言」であると同時に、「プロレタリア革命の宣言」です。われわれ労働者階級自身が革命の主体なんだということを、いろんな形で表明している。 |
受講レポートから ★『共産党宣言』(下)のレポートです。【F】 第1章の復習をしっかりした上で2章に入れたのがよかった。第1章の結論部分で提起された2点−@資本主義は必ず破綻し社会的危機と混乱をもたらす、A労働者の革命的団結それ自体が資本の存在を許さない事態をつくりだす本質的要因である、を心底確信できた。 【J】 共産主義という“世界を獲得できる”思想と実践が、ロシア革命後の党内闘争におけるスターリンの“勝利”を決定的な転回点にして、無残にも後退させられてきた歴史が、いわば圧倒的な物質力をもって展開されてきた現実がある。しかし、ソ連スターリン主義の崩壊−新自由主義の席捲とその崩壊・世界大恐慌への突入というこの現代において、今再びマルクス主義・共産主義の思想の根本が、わが革共同の闘いの中から、世界を獲得しうる思想と実践としてよみがえりつつあることを実感できる提起でした。 【h】 1.『共産党宣言』の中に、マルクス主義の核心点が全部詰まっていることに驚いた。とくに、「党の革命」以降の3年間でつかみとったことや、中野洋著『甦る労働組合』に書かれてある、労働者階級は必ず勝利するという確信や、革命は労働者階級の事業であるetc.がしっかり提起されている。マルクスは、当時の未だ未成熟なプロレタリアートの闘いからつかんだことはすごいと思う。 【U】 3つの点が印象に残った。 【f】 「ブルジョアジーの没落とプロレタリアートの勝利は不可避である」。これが『共産党宣言』の核心中の核心であると思うが、今回の講義では、その命題を肉付けし、豊富化し、さらに確実なものにしていくということが問題になっていたのではないかと思う。つまり、〈勝利〉とは何か、そのためには何をなすべきか、ということである。 【p】 2回にわたる『共産党宣言』の学習をとおして、まず第一に痛感することは、160年の歴史的経過を経て、新自由主義攻撃とその破産のこの時代に、この『宣言』のストレートな実践がますます大きな意義を獲得していることを感じます。 【R】 革命についての認識を根本的なところで深めることができました。 【g】 今回の『共産党宣言』学習は、なかなかとっつきにくかったというのが本音です。論議としては、「所有」ということで面白い論議がなされたと思いますが、『宣言』でどう労働者・学生を獲得していくのか、という内容が深められれば良かったと思います。その上で、今回は発言できなかったのは問題だと思っていますので、今回でた問題意識を書きたいと思います。 【q】 第1章の「共産主義者」の規定で、「共産主義者とは、自分の歴史的使命を自覚した『たたかう労働者』…」という提起をされ、特別なものではないという感想を持った。それは、中野洋著の『甦る労働組合』の「労働者は、みんなマルクス主義者になるべきだ」というのに通じている感じがした。 【I】 今日の『共産党宣言』学習会での私の結論的な感想を述べます。それは、動労千葉の田中委員長が言っていたことですが、「労働組合のありようが革命闘争を前進させるのか、それとも侵略国家へと日本を変えてしまうのかという鍵を握っているのだ」ということを強く思いながら聞いていました。 【X】 『共産党宣言』第2〜第4章の学習を終えて、マルクスが『党宣言』の結びで、万国の労働者、団結せよ!!と熱烈に呼びかけて終わっている。講師の方からも、共産主義を一言で表すなら、労働者の闘いの中から生み出された、私有財産の廃絶ということにつきる。 【W】 ○『共産党宣言』の第2章の冒頭部分(新訳本p32〜33)が重要であることを感じた。ここに、共産主義者の党とはどのようなものなのかが核心的に示されている。 【G】 @討論冒頭の所有に関する議論について、考えながら参加しようとしましたが、なかなか話の内容について、率直に言ってついていけなかったような気がします。ただ、講師からのまとめで、プロレタリアートが権力を握り、共産主義社会をつくる上で重要だということと、必ず党派闘争になるという提起で、少し理解が進んだような気がしました。 【d】 私は、『賃労働と資本』と同時代に出された『共産党宣言』が、「共産主義者の党自身が共産主義とは何か、その内容を明確にする」ものとして、ブルジョアジー打倒の革命=共産主義革命の宣言を出したことに意義がある。何より、闘う労働者階級に党への結集を呼びかけていることが重要だと思いました。 【b】 2回の『共産党宣言』の学習会を経て、最も印象に残っているのは、共産主義者とプロレタリアの関係についてです。2章の最初の所に端的に出されていますが、改めて奥が深い内容だと思います。講師の方が、一言で「共産主義=セクトの運動ではなく階級の歴史的運動」とまとめられていましたが、本当にここを踏まえて、日々の実践活動ができているのかが自分に突き付けられました。これはありがちなことかもしれませんが、オルグの際、対象者にマルクス主義を「教える」「与える」みたいなスタンスに立っていないか等。労働者の階級性、革命性を徹底的に信頼(信頼と言ってもただ闇雲にではなく、現実の科学的分析から得た確証によって)しているのがマルクス主義であるということが、今回と前回の講義で強烈に伝わってきました。 【Y】 第2章〜4章、それぞれの章の重要性とマルクスの問題意識がよくわかりました。その上で、2章の所有論、ここは以前から分かったような分からないような漠然とした感じだったのが、今回でだいぶん自分のなかで整理できたような気がします。私的所有と個人的所有の問題もはっきりしました。 【i】 第1章の結語、「一人ひとりの自由な発展が、すべての人びとの自由な発展の条件となるような協力体が登場する」、を今回講師は、その協力体の内容、その結合関係の「母体」はどこにあるかと自ら設問され、「闘う労働組合にあると解答したい」と言い切られた。ようやく具体的な解が与えられた思いである。『共産党宣言』は、マルクス主義の入門書とされ、私自身何回も読んできたが、決して易しい本ではない(そうではないだろうか?)。 【v】 今までどちらかというと、『共産党宣言』はアジテーション的に読んでいましたが今回、 【B】 前回(1章)の講師も強調されていましたが、この本が労働者の現実に社会における存在をいやというほど実感させられる、賃金にしばられている状況、労働を売ることでしか生きていけない状況、しかし逆に失うものがない存在で、革命によってしか自由を手にすることができない存在であることがはっきりとした。 【C】 今日の講義は、『共産党宣言』の新たな発見であり、有意義であった。『宣言』と『賃労働と資本』を一体で読む作業は重要であると思う。『資本論』への挑戦も急がなければと思います。次回を楽しみに。 【r】 共産主義者の究極の目標は、共産主義=階級の無い社会(階級社会の廃絶)という事をどう表現するのか。その核心に、所有と私有財産の廃止、ブルジョア的所有を無くすという事が『共産党宣言』の大事な点だと改めて思いました。 【e】 何度か学習会などをしたり、自分で学習したりするなかで読み過ごしていた、意識していなかった点が、提起と討論を通して多く出されました。 【P】 感想として、勉強不足のせいか、所有の問題がプロレタリア階級にとって決定的であるという指摘は、わかるようでなお不鮮明。「私有財産の廃止」が共産主義の解放の中味であることも同じ。 【D】 核心点と感じたことについて 【N】 講師は、第2章を7つに分けていたが、その中でも3番目、個人的所有を廃止するのか、というところが特に印象に残った。 【j】 共産主義社会を実現する場合の「母体」は闘う労働組合にある、と提起された点が印象的でした。 【S】 後半、非常に勉強になりました。 【Z】 第2章の展開は完璧だと思います。特に、プリゲートアイゲントゥーム(私的所有)とインディビディアルアイゲントゥーム(個体的所有)の的確な展開は非常にわかりやすかったです。大いに参考になりました。 講師から [(1)『共産党宣言』は、共産主義者の党の政権公約論ではないでしょう。共産主義革命=プロレタリア革命の宣言です。この「違い」をよく考えてみてほしい。 (2)『宣言』が経済学批判や価値論=剰余価値論において未成熟だったのは事実ですが、〈だから、私的所有の廃止論はあるが、分配論=平等論がない〉というのはあまりにも無理解と言わざるをえない。ブルジョア的私的所有の廃止とは、資本と賃労働の関係そのものの廃止です。そこから考え直してほしい。] |