マルクス・エンゲルス『共産党宣言』(上)前半講義概要 講師 森尾 誠 第10期第3回 マルクス・エンゲルス 『共産党宣言』(上) 【はじめに】●資本主義の命脈がつき、労働者が新しい時代をつくりだすと世界大恐慌への突入が誰にも明らかとなってきている。しかし、資本主義の破綻が次々と進行する中、資本家はもとより、全政党・諸党派のほとんどすべてが資本主義はまだまだ続くと思っている。こういう中で労働者はいかに闘うべきか。『共産党宣言』は労働者階級の解放の綱領であるとともに、いまや実践的指針をも示している。 ●『共産党宣言』から学ぶべき、三つのポイント いま、『共産党宣言』から学ぶ大切なことはまずは、次の三つ。 ●『共産党宣言』は共産主義者同盟の綱領 1847年6月、共産主義者同盟は結成大会を開き、規約を決定した。その上で、規約を確定し、さらに綱領を審議するために、第2回大会が同年11月末から12月上旬に開催された。第2回大会は会期の8会議日を規約討論についやしたが、これはブランキー以来の運動のあり方、少数の秘密結社員による武装蜂起という考え方から労働者階級の階級闘争によるブルジョアジーの打倒への転換でした。同盟(党)は国家権力に対しては非公然・非合法の党でなければならないが、労働者階級には開かれていなければならない。党は労働者階級のものなのです。 【第1章 ブルジョアとプロレタリア】●これまでの歴史は階級闘争の歴史−では現代の社会は? 「これまでのあらゆる社会の歴史は、(原始共同体をのぞき)階級闘争の歴史である」 ●ブルジョア社会とは、どういう社会か−その誕生、発展、政治権力の掌握 城外市民のなかからブルジョアジーの最初の芽が生じた。つまり、封建制の支配階級からではなく、しかも、封建制社会の基本である領主や農奴ではない、それらのはざまの城外市民のような層から生まれた新しい階級です。 ●ブルジョアジーの歴史に果たした役割−歴史上きわめて革命的な役割 かれらはこれまでのあらゆる封建的、家父長的、牧歌的諸関係を破壊した。すべてをむき出しの利害、冷たい「金銭勘定」、人格の尊厳を交換価値に解消し、商業の自由を獲得して、封建時代の身分制や停滞性を粉砕した。 ●ブルジョアジーは生産諸関係をたえまなく革命しつづける−資本制生産の特徴@ 「ブルジョアジーは、生産用具を、したがって生産諸関係と社会的な諸関係全体を、たえまなく革命しつづけていかなければ生きていけない」 ●世界市場をつくりあげる−資本制生産の特徴A ブルジョアジーは自分の生産物の販路を拡大するために全地球上をかけめぐり、世界市場を切り開き搾り取ることによって、すべての国ぐにの生産と消費を全世界的なものにする。 ●国民国家、巨大な生産力−資本制生産の特徴B ブルジョアジーは生産手段の集中、財産を少数者の手に集積させ、国内市場の確保のために政治的中央集権制−独立した諸州を、一つの国家、一つの法律、一つの階級利害、一つの関税線の中にまとめ、国民国家を形成した。 ●全世界の分割とその激突−資本制生産の特徴Cこれは『宣言』が書かれた後のことだが、帝国主義段階の争闘戦、植民地争奪戦、帝国主義間戦争も、資本制生産の特徴として押さえておきたい。 ●ブルジョア社会の限界とその社会変革について このように発展してきたブルジョア社会は、今日の世界大恐慌に端的に示されるように、完全に限界となり、歴史的社会変革が求められる。 ●封建制社会はなぜブルジョア社会にかわったのか?ブルジョアジーの成長の土台である生産手段と交通手段は封建制社会の中で形成された。生産手段と交通手段がある発展段階に達すると、封建的な所有関係では対応できなくなる。それは発展の束縛に変わり、封建的諸関係は粉砕されるべくして粉砕された。 ●いまわれわれの目の前でブルジョア社会に同じ運動が進行している巨大に発展したブルジョア的な生産関係と交通手段はもはやブルジョア社会を発展させることができず、恐慌の中で社会的疫病を発生させている。しかも、これまでのどの時代でも考えられない過剰生産という疫病であり、飢餓や社会的な破壊状態となる。 ●なぜ恐慌がおこるのか? それは、あまりにも過剰な工業、商業が存在するからです。 ●ブルジョアジーはこの恐慌をどうやって克服するのか?一方では大量の生産諸力を破壊することによって、他方では新しい市場を獲得し、古い市場をより徹底的に搾り取ることによって。その結果、ブルジョアジーは今までより、もっと全面的な、もっと激烈な恐慌への道を開き、恐慌を予防する手段をせばめていく。 ●現在の世界大恐慌は大失業と戦争にいきつく 『宣言』においてマルクスは、19世紀の10年周期で起こった恐慌の中で以上のように述べている。 ●ブルジョアジーは彼らを打倒する武器、武器をとる人びとをつくりだす 「ブルジョアジーが封建制を打ち倒すのに用いた武器が、今やブルジョアジー自身にたいしてむけられている」「しかしブルジョアジーは、自分に死をもたらす武器をつくりだしただけではない。その武器をとる人びとをもつくりだした。すなわち、近代の労働者、プロレタリアである」 ●武器をとる人びと−近代の労働者、プロレタリア ここではっきりと確認しておかなければならないことは、生産諸力が生産関係を変えるのではないということです。労働者階級が変えるのです。 ●プロレタリアとはいかなる階級か? ブルジョアジーつまり資本の発展の度合いに応じて、プロレタリアートも発展する。 ●労働者の労働とは? 「機械の普及と分業によってプロレタリアの労働は、独立性をすべて失い、そのため労働者にとってまったく魅力のないものになった」。労働者は機械の単なる付属品となり、労働は単純、単調、簡単に習得される作業となる。 ●労働者階級の闘争はその存在とともに始まる−闘いの発展段階 最初は、個々の労働者が、次に一つの工場の労働者が、さらには一地方の労働者が立ち上がる。 ●労働者の最初の団結はブルジョアジーの結果 最初の段階では労働者は分散・引き裂かれた集団。団結もブルジョアが工場に労働者を集めた結果です。しかも、ブルジョアジーは彼らの政治目的のために労働者を運動に引き込む。 ●闘いは労働者階級とブルジョアジーとの2つの階級の衝突となる 工業の発展と共に、労働者は密集した巨大な集団となり、力も大きくなる。労働者も自分の力を自覚するようになる。機械が労働の格差をなくし、賃金は一様に低くなる。競争が増大し、その結果、商業恐慌がおこる。労働者の生活はますます不安定となる。 ●労働者の闘いの特質−労働者の団結 「労働者は、ときどき勝利することがある。しかし、その勝利は一時的なものにすぎない。労働者の闘争のほんとうの成果は、直接の成功にあるのではなくて、労働者の団結がますます広がっていくことにある」。団結が労働者階級の総括軸である。 ●プロレタリアートだけが真に革命的な階級である 「今日、ブルジョアジーに対立しているすべての階級のなかで、プロレタリアートだけが真に革命的な階級である。その他の階級は、大工業の発展によって衰退し没落する。プロレタリアートこそは大工業のすぐれて固有の産物である」 ●プロレタリアートによる革命(プロレタリア革命)の歴史的性格 これまでの階級は、全社会を自分たちの利得の下においてきた。しかし、「守るべき自分のものなど何一つない」 ●社会はブルジョアジーのもとでは、これ以上生きていくことができない プロレタリアートの発展の一般的な段階を描くことによって、ついに公然とした革命、ブルジョアジーの暴力的打倒をとおして自分自身の支配をうち立てる地点にまで到達しました。 ●ブルジョアジーの没落とプロレタリアートの勝利は不可避 ブルジョア階級の存在と支配は、私人の手の中に富が蓄積されていること、つまり資本の形成と増殖です。そして資本の条件は賃労働です。賃労働は労働者間の競争にもとづく。 ●第1章から第2章の展開へ 第1章には“共産主義”という言葉も“共産主義者”という言葉も使われていません。では、共産主義者とはどういうものなのか?
第2章「プロレタリアと共産主義者」は、第1章を土台として、その共産主義者(党)とプロレタリア全体との関係から始まります。 |
討論から●Z 古典を学習をするという意味において、この間、内容の問題でいろんな工夫がなされているので、ずっと出席する気になっている。その中でも、古典中の古典である『共産党宣言』を、どのような形で現代の路線との関連に引きつけて読むのかは重要だと思う。 ●C 『共産党宣言』というと、冒頭の「階級闘争の歴史である」という所で、いろいろ論議を膨らませるところがあった。今日講師の提起では、最初の所はそのまま読めば分かるという形でやってくれたのは正しいなと思った。その後のブルジョアジーの生成と、それとプロレタリアートの存在、武器をとる人びとという形で出てきている、そこをガッチリとやること自身が重要かなと僕は思っているんです。 ●f 『共産党宣言』を読むたびに新たな発見ができる、改めて自分が共産主義者になれるという喜びがある。動労千葉の中野顧問が『新版 甦る労働組合』で“マルクスだけが俺たちの存在を認めてくれたんだ、全員マルクス主義者になるべきだ”ということを言っているんですけど、この第1章が一番、俺たちのことを認めてくれている、労働者こそ力があるんだということを認めてくれてる所だと思う。その意味で、1章が土台だと思うんです。 ●W 今回、改めて読み直してみて、僕も新鮮な感覚で読みました。資本主義の命脈が尽きている時代に来ている中で、労働者が国際的に交流し、世界の労働者が団結する動きが開始されている。今回は、観念の世界ではなくて、実際にわれわれの手で歴史を動かしていく、その一端を今担っているという感覚で学習しています。 ●N 私も、労働組合とか労働運動をやるようになって、また改めて『共産党宣言』を読んでみて、また今日の講義を受けて、また違うものを獲得できるなと実感しました。 ●g 僕も、『共産党宣言』を読むたびに新しいことを発見する。自分としては、「共産党宣言」とあるように、マルクスに党が必要だという目的意識があるということを改めてハッキリさせなければいけないかなと思った。 ●D 僕は、あまり『共産党宣言』は好きじゃなかったんです、何が中心問題なのか、どこが核心なのかよく分からないなというのがあって。だけど、f同志とかの発言を聞いて、それが核心なんじゃないかと。 ●G われわれは、今の大恐慌を革命へ、ということで闘っているわけですが、ブルジョアジー、あるいは体制内派、反革命勢力も含めて、景気も底を打ったというようなことを言って、今の資本主義社会が永遠に続くかのように宣伝しています。これに対して、資本主義社会は一歴史社会であって、今命脈が尽きて終わろうとしているということを、われわれ自身が声を大にして訴えていかなきゃいけない時代が今まさに来ていると思うんです。 ●P 第1章の主語は労働者階級で、労働者階級とはどういう存在なのかということが提起されている。プロレタリア革命の主体は労働者階級だ、そこをきちっと押さえないと、共産主義者も、それから共産主義の党も行けないんだというところで、第1章が押さえられてると思う。なぜ1章には一言も「共産主義」とか「共産主義者」が出て来ないのか、そこまでマルクスがこだわったことの意義だと思うんです。 ●d 私も、今までの読み方はなんだったんだと思うような新鮮な感じがしています。今日の講義で、1章の「ブルジョアジーの没落とプロレタリアートの勝利は、いずれも不可避である」とつかんで、確信し、闘う人が共産主義者なんだ、共産主義者と共産党とはほぼイコールである、と言われた。これを確信し、闘う人が共産主義者だという点では、その一番大事なところをつかみ始めた感じがしています。 ●h 権力との闘いで、逮捕されたら起訴を粉砕する、起訴されたら無罪をとる、そのために全力をあげるということがあると思うんです。決めるのは最後は権力だから、団結を拡大する、その一点を総括軸にして闘うということで、権力との闘いも整理できる。 ●講師 一つだけ。『共産党宣言』はインテリ向けに書かれたのではない。労働者に向けて書かれている。文字通り労働者の中に、明らかになったことを徹底的に『党宣言』として打ち上げていくという性格で書かれている。 ●Z 結局グチが出る、世界史を知らないのかと。でも、学習会でそうは言えない、どうするんだと。今の人は世界史を勉強していないとかが話題になるのは、僕らの悪いクセだと思う。 ●d そういう枠を取っ払って、ストレートに入っていけばいいと。『賃労働と資本』の学習会で、1847−48年の闘いには負けたけれども、労働者が立ち上がったことが決定的だと。そこを、マルクスが押し出そうと言って、『賃労働と資本』では、3つのことを言った、ブルジョアジーとプロレタリアートは非和解だとか。あの言い方だけでも私は元気になる感じがした。 ●Z それは賛成ですけど、僕らの過去の桎梏として、例えば『賃労働と資本』をやるときに、『資本論』や『賃金・価格・利潤』の地平から『賃労働と資本』を説明する傾向に流れてしまう。 ●d それをやめて、今新鮮に向かえ合えばいいんじゃないかと思います。 |
受講レポートから ★『共産党宣言』(上)のレポートです。【N】 資本主義が命脈のつきている今(こういう時代認識を持つことが大切、と再確認しました!)、労働者階級が団結して闘えば必ず勝てる、これを確信しました。 【U】 誤解しないで頂きたいが、「非常に面白い歴史の授業」という感じがした。とりわけ、第1章の冒頭から数行で「世界史の全部が書いてある」という指摘は、なるほどなぁ、と思いました。 【r】 『共産党宣言』は、闘いに決起して以来、一番学習会で使ってきた古典中の古典でした。改めて、今回党学校で学ぶにあたって、やはり今日の世界金融大恐慌情勢の中で、鮮明な問題意識を持って読む必要があると感じました。 【j】 ○革命の現実性をハッキリと実感できる講義でした。特に、「労働者を食わせられなくなった資本主義の歴史的生命力は尽きている」と我々が確認している内容が、『共産党宣言』でまさに展開されていることを、新鮮な思いをもって確認できました。 【E】 討論の中で、『共産党宣言』をどのように読むのか、ということがテーマになっていました。その中で、第1章の結びの「ブルジョアジーの没落とプロレタリアートの勝利は不可避」ということを確信させてくれるのが『共産党宣言』である。 【P】 第1章の意義についての核心は、「ブルジョアとプロレタリアート」について、「特別な理論や主義ではなく、資本主義社会の発展と限界−その運動と関係−をつかめば、プロレタリアートは誰でも共産主義者になれる」(講師の言葉)ということ。そして、第1章はそのまま読めば、労働者には理解されるということ。一労働者を主語に書かれていることの意味でもある。 【D】 今日ははっきりした。「労働者が主人公だ」ということを訴えている本だとして提起すると、やる気が出る。 【I】 『共産党宣言』第1章について講義を聞きましたが、まず全体の感想は、この『宣言』は、マルクス自身がプロレタリアートと共に闘った現実の中から生まれたものである、ということに強い共感をもったということです。 【B】 今回『共産党宣言』を学習して、1章が土台と言われたが、講義の中では理解できていなかった。討論の中で、いろいろなとらえ方が発言される中で理解できた。何よりも情勢論、時代認識と言われ、納得できた。 【C】 今日の結論は、『共産党宣言』第1章で、労働者は職場に党をつくることができる、やろうという確信を持ったということです。大恐慌と戦争の時代=革命の現実性の中で、『宣言』を労働者階級の中に持ち込むということは、創造的であり、今こそ必要な時だと思います。 【R】 講義を受けて、マルクス主義に改めてカクトクされたと思いました。 【g】 改めて『共産党宣言』が、党をつくる。党が必要だという強烈な目的意識で書かれたことを確認した。今日、世界恐慌が始まり、労働者階級が殺されていく中で、党建設が決定的だ、ということ。 【Z】 自分自身、もう何回も学習会をチュートしてきたが、一番に悩む問題は、『共産党宣言』を、@史的唯物論〜時代認識という、哲学的経済学的レベルから原理的にとらえるか?A「マニフェスト」表題通り、「共産主義者又は共産主義者の党の『公約』」として、政策論的にとらえるのか? つまり、どちらがわかりやすいのかということにあった。現在では、後者の方向にシフトすべきと思っている。「declaration(宣言)」と「マニフェスト」の意味の違いは難しいが、やはり「共産主義者の公約」というのがベターではないかと思っている。 【e】 大恐慌と戦争という情勢のなかで、『共産党宣言』の核心である、「階級の勝利の不可避性」と「団結の拡大が総括軸」という原則をいかに貫いていけるかだと思いました。言うは易く行うは難し、です。 【X】 『共産党宣言』の第1章が「これまでの社会の歴史は階級闘争の歴史である」に始まり、続いて「すなわち抑圧者と被抑圧者は、つねに敵対関係にあり、…闘争をたえまなくおこなってきた。この闘争は、社会全体の革命的変革をもって終わるか…階級の共倒れに終わるかがつねであった」と提示され、最後が「ブルジョアジーの没落とプロレタリアートの勝利は、いずれも不可避である」と結んであり、マルクスが労働者を「労働者は絶対に勝利するんだ」「労働者は絶対に階級のない共同社会を建設することができる」と心から励ましていると思った。そして、第1章の全体を通して、労働者の勝利の不可避性を立証していると改めて理解できた。 【n】 何故(何のために)「古典」を学習するのか? 何故「党学校」なのか? 『共産党宣言』は、『賃労働と資本』と同様に何度も学習会をやってきた。その割には、学んだことが殆ど身についてなくて、その都度、新鮮に(前回を全く忘れて!!)「改めて何々を学びました」なんて感想を毎回言っていた気がします。 【O】 第1章を今の時代と路線の中でしっかりと読みこんで理解することが重要だと思いました。核心は、大恐慌を革命に転化する力が労働者階級にはあるし、労働者の団結の拡大こそがこれを切り開くこと。徹底的に労働者を信頼すること。 【d】 今日は、とても重要な討論になったと思います。古典というと日常の活動とはひとつ違うことにおいてきたような「学習」とは全く異なっているのが、今の労働学校や党学校の地平だと思います。 【W】 今回の『共産党宣言』の学習会は、革命の実践をしていく立場から臨むことができた。『宣言』は、そもそも革命を実践していく書として出されたものだが、今日の時代の中で、この『宣言』はますます生き生きとしたものになっている。 【Q】 今回も前回と同様に、『共産党宣言』を読み直して、あらためて古典などといったものではなく、まさに現代に通じる内容であると感じた。大恐慌の今こそ、そこに書かれていることが実感として、より理解できるのではないかと思う。 【f】 (一)ブルジョアジーの没落とプロレタリアートの勝利は、いずれも不可避である。 【Y】 『共産党宣言』の学習会は久しぶりでした。自分の『宣言』への意識は、第1章というより第2章が核心だと思っていました。第1章は、いわば“世界史”のようなイメージでとらえ、2章が『宣言』の“本番”という意識を強くもっていました。それが今回、全部ひっくり返されました。 【M】 今、オルグしている活動家の大半がそうなのだが、今の社会の矛盾、生きられない現実は受けとめる。しかし、資本主義が終わった、ブルジョアジーのもとではもはや生きていけない。この認識を共有することが、なかなかできないでいる。「資本主義社会の命脈が尽きた」この一点を確認することが、体制内勢力と闘う時の最大のテーマである。 【G】 冒頭に講師から、@われわれはどういう社会にいるのか、A労働者階級=解放の主体、労働者階級の解放=全人類の解放、B労働者の党をつくる、の3点が大切なこととして提起された。この点を現下の階級攻防に即して考えた場合の感想を述べます。 【v】 労働学校の講師とまではいきませんが、自分が労働者と「古典」の学習会をやる際、どういう立場や言葉でやっていけば良いかという観点も考えながら学習しました。 【b】 『共産党宣言』は、学生が仲間をオルグする時に使用する最もポピュラーな本であり、実際、今現在も新入生と読み合わせをしている最中です。新入生の反応としては、一様に「新鮮」「面白い」と言います。これは、講義の中、討論の中にあった様に丁寧に提起すれば、どんな労働者・学生も獲得できる内容が『宣言』につまっていることの証左です。総評がつぶされ、連合による労働運動の支配の中で、マルクス主義が忘れ去られ、歪曲されている現実を、僕たちの力で何としても突き破らなければと思っています。 【q】 資本主義のイデオロギー支配の中で、今のあり方が永遠に続くと思わされている労働者が、『共産党宣言』の1章で展開されている史的唯物論にもとづく歴史観を獲得することが重要だと改めて思った。そのことが労働者にとって、将来に展望を持ち、革命を現実のものとして認識していけるのではないだろうか。そのためにも「『…ブルジョアジーの没落とプロレタリアートの勝利は、いずれも不可避である』ことを確信した者が共産主義者だ」という講師の指摘は、労働者は皆共産主義者となりうることを言ったのだと思う。それは、動労千葉顧問の中野さんの「…労働者は皆マルクス主義者になるべきだ」ということと同じことを意味する。だからこそ、労働者への全面的信頼にもとづいた活動をやりぬくことだと思う。 【y】 6・14−15までの過程で、街頭で組合の旗を立てて街宣をしましたが、立ち止まってくれた労働者との話は、「社会主義とは、どんな社会なのか」になった。その時は、新自由主義の破産のもとで起きている様々な首切り・賃下げなど、労働者にとって非人間的で耐え難いことを話して、「資本主義は終わっている」と話した。これが、中途半端だったように思います。それに比べると、労働者の側はリアリストです。 【p】 『共産党宣言』は、くり返し学習してきており、提起されているが、今日ほど生き生きと、実践的な意味で輝きを感じる時はない。新自由主義が破綻し、資本主義の全面破産が目の前で進行しているとき。『新版 甦る労働組合』を武器に、プロレタリア革命を切り開こうとして闘い抜いている。それは、マルクス主義の復権とも言われている。つまり、『共産党宣言』から始まり『共産党宣言』にたえず立ち戻って総括し、闘い抜くことの意義が絶大な時代を迎えた。 【J】 昨今、目の当たりにしていることは、4大産別を始めとして、資本と体制内組合の職場支配で生み出された現場労働者の“あきらめ”や“絶望”が、一夜にして怒りと闘いの開始に転化していく現実が、今、確実に始まっていることだ。マルクス以来の、またロシア革命以来の階級闘争の歴史から“学んだ”現代の資本による労働者の分断策は、賃金制度による分断をはじめ、実に複雑、巧妙な仕組みなのだが、今、われわれが直面している現実は、この大恐慌の中で、これまでの(帝国主義の超過利潤に基づく)上層部の買収や、現場の様々な分断が、まさに資本の論理そのものによって、その帰結として不可能となり、現場の怒りが充満し始めたのである。『共産党宣言』を実践的な組織化の武器にする、という問題意識がとてもかみ合ってきた、という感想を強くしています。 【h】 1 「ブルジョアジーの没落とプロレタリアートの勝利は、いずれも不可避である」とマルクスが言い切ったことは、動労千葉の中野顧問が『新版 甦る労働組合』で、「労働者が本当に勝利できる条件を作り出している。このことに確信をもつことが重要だ」と言っていることと重なっていると思う。マルクスも、中野顧問も、現実の労働者階級の闘いの中から、「絶対にプロレタリアートが勝利する」と確信できたということだと思う。ここが、ある意味ではマルクス主義の核心だと思う。 【K】 全世界で資本主義・新自由主義の破綻が明確になり、これとの労働者階級の闘いが激発している中で『共産党宣言』を学ぶ。 【i】 冒頭、講師から「私は、『共産党宣言』を前後半2回に分けて講義する場合(今回は違うがいつもは)、ブルジョア社会の限界まで話を進めて前半部を終えることにしている」と語られた。正直驚いた。それでは、ページ数にして『宣言』全体の4分の1にも達しないではないか、3〜4章は流して済ませるにしても、1章の残りの部分にはプロレタリアートの登場があるし、2章には共産主義論が書かれている、まだまだ時間をかけて講義すべき重要な内容が沢山あるはずで、それらを後半講義で全部おさえるのは無理なのではないか、と疑問に感じたからである。 【F】 「これまでのあらゆる社会の歴史は、(原始共同体をのぞき)階級闘争の歴史である」。この『共産党宣言』の冒頭の一文を初めて読んだとき、衝撃を受けると同時に「ああ、そうだったのか」と、すべてが解明されたような晴れ晴れした気持ちになったのを覚えている。その後繰り返し読むたびに、その感動がよみがえってきた。 【a】 今日、『共産党宣言』を学ぶ意義は、時代が要請している。「はじめに」にあるように、組織する原点であり、実態に向き合う「宣言」であり、『甦る労働組合』(中野洋著)のように、私たちの時代に向き合い、組織するために学ぶことにある。 |