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2009年05月号

党学校通信

党学校機関紙 A4判月1回発行 頒価100円

今月の内容 「動労千葉労働運動と革命的共産主義運動の地平」

講義概要 P1-8

★討論から- P9-15

受講レポート P15-28

2008年12月号
通信 バックナンバー
党学校通信 p1-8  講義概要

「動労千葉労働運動と革命的共産主義運動の地平」

講義概要 講師 城戸 通隆 

【はじめに】

 国鉄1047名闘争の最後的解体を狙う超反動的な3・25判決を徹底的に弾劾し、今こそ動労千葉とともに1047名の解雇撤回へ闘うことが求められている。第2次国鉄決戦を基軸とした4大産別(6大産別)決戦、道州制・民営化粉砕決戦を戦略的な柱に09年決戦を闘い、11月1万人結集の実現を射程に入れて総決起しよう。
  国鉄を基軸とした4大産別決戦こそ、今まさに日々激化する世界大恐慌をプロレタリア革命へと転化する具体的な道筋であり、革命勝利の戦略方針だ。すでに資本主義の命脈は尽きた。闘う労働組合とマルクス主義の時代がやって来た。「生きさせろ!」ゼネストの情勢が全世界に成熟している。大恐慌を万国の労働者の階級的団結で迎え撃とう。最末期帝国主義が繰り出す階級戦争と侵略戦争、戦争(改憲)と民営化・労組破壊の攻撃に、階級的労働運動の発展で反撃し、プロレタリア革命勝利を切り開こう。

【T】まず新版『甦る労働組合』の提起から学ぶ

 階級的労働運動の発展に向けて、今こそ全国の全産別・全職場で動労千葉労働運動を実践し、マル青労同を先頭に党組織(細胞)を建設し、第2・第3の動労千葉型拠点をつくり出すことが決定的に必要な時だ。
  では動労千葉労働運動とは何か。それをつかむ場合、ひとつは08年11月労働者集会への闘いの中で発刊された中野洋前動労千葉委員長の新版『甦る労働組合』(さらには『俺たちは鉄路に生きる』2・3や『戦後労働運動の軌跡と国鉄闘争』など)の提起から学びとることが重要だ。さらに今ひとつは、動労千葉を歴史的に、戦後労働運動、70年決戦、そして国鉄分割・民営化攻撃との闘いの歴史の中に位置づけ、現在の到達地平をはっきりさせるということだ。塩川一派などには、この立場がまったく欠落している。
  闘う労働組合を甦らせる闘いにとって、4者4団体派、日本共産党スターリン主義、カクマル(JR総連カクマル松崎)、そして連合指導部など、体制内労働運動との対決が決定的な意義をもっている。新版『甦る労働組合』は、まず何よりも最末期帝国主義の新自由主義攻撃の日本における最先端としてあった国鉄分割・民営化攻撃と唯一闘いぬき勝利してきた動労千葉の歴史的地平を踏まえ、国鉄闘争勝利の方針として、解雇撤回を投げ捨て和解=政治解決路線にのめり込む4者4団体路線を粉砕し、あくまでも解雇撤回・JR復帰に向け、JR本体の闘いと結合して原則的な闘いを貫くことを提起している。

●国鉄闘争を水路に連合路線と対決

 その上で重要なことは、この国鉄闘争を水路に、日帝の労働者支配の基盤であると同時に決定的な「弱点」である連合支配を覆そうということが、大きな目標として提起されていることだ。「国鉄闘争を水路に連合路線と対決していく」「国鉄闘争を水路にして連合路線を打破しよう」。これが本書の実践的な最大の結論でもある。
  さらに新版『甦る労働組合』では、この連合指導部を頂点とする体制内労働運動との闘いを通して、革命的・階級的労働組合をいかにつくりあげるのかの核心問題が、さまざまに提起されている。具体的には、「時代認識の4つのキーワード」など労働組合が〈時代認識と路線〉によって形成されることの決定的な意義、労働組合とは「労働者階級が団結する手段」「資本と闘う武器」であると同時に「階級対立に伴う社会全体の転覆の準備の手段」「革命の武器」でもあるという階級的な提起、そして労働組合運動はマルクス主義の実践そのものであり、「労働者こそが社会の主人公である」ということに圧倒的な誇りを持って、「労働者を軽んじ、蔑視(べっし)する」思想と闘えば、「圧倒的多数者」である労働者階級は必ず勝てるのだということの強調、などなど。

●党と労働組合は「限りなく一体」

 さらにまた「労働運動と反戦闘争は完全に一体のものである」という立場から、労働運動が先頭に立って反戦闘争や政治闘争を闘おうという提起、そして党と労働組合の関係について、両者は「限りなく一体」であり、「社・共に代わる労働者の党」「労働者階級のための党」「労働者に徹底的に依拠した党」をつくろうという革命的な訴え。
  新版『甦る労働組合』にはこのように、階級的労働運動の実践的で核心的な内容が多岐に渡って打ち出されているが、結論的に、一方で「労働者こそ社会の主人公である」という階級的誇りを鼓舞し、他方で「徹底して組合員を信頼」し「徹底的に労働者に依拠する」というマルクス主義で貫かれている。だからこそ動労千葉労働運動は、歴史的に破産した総評・民同労働運動や日共、カクマルを圧倒的にのりこえて前進してきたのだ。
  また新版『甦る労働組合』の全体に、日韓米3国連帯へと上りつめた労働者国際連帯の思想と実践が貫かれている。ここにも動労千葉の階級的真髄と歴史的な地平がある。

【U】70年決戦の地平の継承(歴史・その1)

 わが革共同(革命的左翼、革命的共産主義運動)が先頭で切り開いた70年安保・沖縄闘争の爆発は、戦後階級闘争の中でも戦後革命期に続く革命的な闘いだった。この地平を、その後の現実の労働運動の実践において貫き発展させたのが動労千葉だ。
  67年10・8羽田闘争の歴史的衝撃に始まり、72年5・15沖縄「返還協定」粉砕闘争にいたる70年安保・沖縄闘争は、革共同の「沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒!」「日帝のアジア侵略を内乱に転化せよ!」のスローガンに示された戦略的総路線を先端的な軸にして長期に激しく闘われ、戦後革命以来の日本階級闘争の革命的戦闘的高揚と政治的大激動をつくりだした。(『清水丈夫選集』第2巻序文などを参照)
  革共同の路線と決起を先頭として、大衆運動・統一戦線のレベルにおいては3派全学連と全国全共闘(運動)、反戦青年委員会と反戦派労働運動が闘いの大衆的爆発を担った。この中で特に反戦派労働運動の展開と発展は、「民同労働運動からの脱却の萌芽をつくった」と言えるような位置と役割をもっていた。
  一方で、69年〜72年の国鉄反マル生闘争の爆発と勝利、60年代(後半)の宝樹指導部を退陣に追い込んだ東京を中心とする全逓の反合理化・労務政策変更闘争の高揚は、70年決戦と本質的に一体のものとして闘われた。そしてこれが戦後労働運動の総IMF・JC化−右翼労戦統一の流れを押し止めたのであった。

●フェーズT・フェーズU(P1・P2)の闘いに勝利

 70年決戦の爆発の中で、革共同も大量逮捕や投獄で大いに傷ついた。しかし同時に歴史的決戦を全力で闘い、60年闘争をはるかに超える闘いの大爆発を作り出したことによって、社・共と総評をのりこえた革命的政党と戦闘的階級的な労働運動の登場・創成の現実性と展望が、圧倒的に生まれていた。権力自身がその恐怖と危機感にさいなまれていた。それゆえ、70年決戦の大爆発に恐怖した国家権力は、革共同と共産同に破防法を発動し、カクマルがそれに「呼応」して12・4反革命(白色襲撃)をかけてきた。
  これに対して革共同は、70年代−80年代の2重対峙・対カクマル戦、反ファッショ解放闘争、先制的内戦戦略のP1・P2の戦いへと突入し、激しい内戦を血み泥になって闘い、ついにそれに勝利して、91年5月テーゼの提起から「党の革命」の過程を経て今日の地平まで上りつめてきた。そして動労千葉は革共同とともに、労働運動の現場において、動労カクマル松崎との闘いを、熾烈に、ファシスト反革命との死闘戦として闘い抜き、それに勝利して、今日の階級的労働運動の地平を切り開いてきたのである。
  まさに革共同・革命的共産主義運動なしに、動労千葉は生まれなかった。また同時に革共同・革共運動は、動労千葉によって労働者階級に根差した党と運動となることができたのだ。

【V】国鉄分割・民営化との闘い(歴史・その2)

 動労千葉は革共同とともに、70年闘争の継承・発展をかけて、国鉄闘争の戦場で動労カクマル松崎との激烈な「党派闘争」を展開してきた。しかも同時に動労千葉は、一方での動労カクマルの大裏切りと日帝・中曽根の先兵化、他方での総評と国労の総屈服−崩壊を粉砕しのりこえて、国鉄分割・民営化攻撃との決戦に断固決起し、2波のストを打ち抜き、組織と団結を守り、階級的労働運動の発展へ闘い続けてきた。

●「戦後最大の反動攻撃」とカクマル

 国鉄分割・民営化攻撃の最大の狙いは、「戦後労働運動の中核部隊」である国鉄労働運動(とりわけその中心組合である国労)をつぶし、総評を組織的にも解体することにあった。それはすでに60年代から始まり80年ごろに本格化するいわゆる右翼労戦統一=総評解体=連合化に向けた歴史的大反動だった。またその階級的実態は国鉄労働者20万人の大量首切り・大合理化だった(81年の40万人余から87年の20万人余へ)。
  それはまた歴史的に言えば、ロシア革命と1929年大恐慌−30年代危機以来の国独資政策とその破産、そこからの延命をかけた最末期帝国主義の新自由主義攻撃(レーガン・サッチャー・中曽根)の最先端の攻撃としてあった。これを直接担ったのが81年3月に組織された第2臨調(土光会長)であり、「行財政改革」を叫び、「ヤミ・カラ」キャンペーンや「国鉄=国賊」論を大々的に展開し、国鉄労働者への攻撃を集中した。
  しかもこの分割・民営化の強行は、動労カクマル松崎が第2臨調−中曽根・三塚の先兵となって攻撃を推進し、動労千葉や国労など他労組の労働者の犠牲の上に、自分たちだけは「雇用確保」し生き延びるという、労働組合にあるまじき反革命的な路線をとったことによって、初めて成り立ったものであった。またこのカクマル松崎は、「国労を潰し、総評を解体する」などと叫び(86年7月には総評を脱退!)、日帝・中曽根の総評解体−「労戦統一」の大攻撃にも反革命的に棹さした(『鉄道労連打倒宣言』参照)。

●動労千葉の2波のストライキ

 これに対し動労千葉は2波のストを打ち抜き、唯一、分割・民営化粉砕へ原則的に闘った。第1波は85年11月28日正午からの総武線の快速と緩行を対象にした24時間スト。243本の列車が運休し、これと連帯し11・29にはすさまじい「浅草橋戦闘」が爆発した。これに対し、解雇20人、停職28人を始め、120人が不当処分を受けた。
  第2波は2月15日の、「業務移管攻撃」と対決した24時間ストに突入。この時は、スト戦術の関係で、千葉全管内の列車が止まるという、すごい闘いになった。これへの弾圧は解雇8人、停職31人など、全体で272人という大量報復処分が出された。
  動労千葉はさらに、89年12月、JR移行後最初の24時間ストを東中野事故1周年の反合理化・運転保安の闘いを軸に打ち抜いた。続いて、清算事業団に送られた国鉄労働者の「再就職斡旋」の期限が月末に切れる90年3月には、84時間の「前倒し」ストに決起した。総武線快速もガタガタになり、東京まで全部止まった。

●闘えなかった総評と国労

 しかし総評と国労は、分割・民営化攻撃に原則的に闘えず、政府・権力、当局、およびカクマルの組織破壊を許し、ついには総評解体=連合結成に道を開いた。総評は「三池闘争以来の大闘争にする」(自治労出身の真柄事務局長)と言っていたが、結局5000万人署名(現実に3500万筆くらい集まった)以外には、何もやらなかった。
  国労は民同労働運動、55年体制下の労働運動の最たるもので、民同、協会派、日共・革同を始め、新左翼や中国派を含めてすべての党派がいた。しかし、日帝の全体重をかけた大攻撃に、原則的に立ち向かう思想も路線も基本的に持っていなかった。国労は「これだけ攻撃が激しく厳しい時代だから、たこつぼに入るしかない」という基本認識のもとに、結局は闘いを放棄していった。国労は、現場は闘いを求めているのに、指導部がまったくダメで、敵の集中砲火にまったく反撃できなかったのだ。
  86年10月の修善寺大会(臨時大会)は、現場の怒りが本部の屈服路線を粉砕し、「労使共同宣言」を拒否し、最後の一線で国労を守ったものの、結局、一度は妥協路線に賛成した協会派・革同を打倒して、闘う路線と執行部を確立することができなかった。

●連合への「対抗基軸」の形成

 こうした中で87年4月1日に、国鉄が解体されJRが発足した。7千数百人がJR不採用になり、さらに90年4月、1047名が国鉄清算事業団から整理解雇され、ここに「解雇撤回・地元JR復帰」を掲げて闘う1047名闘争が新たに始まった。
  連合が結成された直後の90年4月の時点で、1047名闘争を中心とする3万余の国労が残り、動労千葉が残った。ここに「連合への対抗基軸」が形成され、さらに連合内外に分厚い国鉄闘争支援陣形が形成された。このことは歴史的で決定的なことだった。
  国鉄分割・民営化攻撃に原則的に対決し、勝利し、生き残り、階級的労働運動の発展を切り開いている動労千葉と革共同の闘いこそが、今日の4大産別決戦を基軸とする日本労働運動と階級闘争の根底を規定しているのだ。これがいっさいの原点である。

【W】総評・民同労働運動の破産(歴史・その3)

 動労千葉は、戦後の総評労働運動(民同左派が主導した労働運動)の歴史的な破産と崩壊をのりこえ、階級的労働運動の再生と労働運動の力でプロレタリア革命を実現することをめざして、今後に唯一展望をもって闘っている階級的労働組合だ。
  戦後革命期の労働運動は、日帝の敗戦直後から爆発的に起こったストライキ・労働争議や生産管理闘争の発展から47年2・1ゼネストへと、日本の労働者の階級的エネルギーと底力を噴出させて大高揚した。しかし産別会議と日本共産党の指導下での2・1ストが挫折する中で、日共スターリン主義の指導と路線の誤りと、あまりにひどい政治的な介入と組合引き回しへの反発などから、産別民主化同盟(民同)が生まれていった。その中心となったのが、産別会議書記局の共産党細胞キャップだった細谷松太である。

●総評の結成と「左旋回」

 1950年7月に総評が結成される。この過程は朝鮮戦争勃発情勢の中でGHQの肝いりで進行した。事実、総評の結成大会の方針は「朝鮮戦争における国連軍支持、北朝鮮軍の侵略弾劾」というものだった。これと同時に、日共の非合法化とレッドパージの嵐が吹き荒れた。民同の出発点とは結局、反産別会議−反日共的な勢力がGHQなどの力を借りて、闘う労働者の首を切り、自分たちの組合的主導権を握っていったということだ。
  しかしこの総評は51年3月の第2回大会で、いわゆる民同左派が勝利して「平和4原則」(中立、全面講和、軍事基地撤去、再軍備反対)のスローガンを路線的基軸として掲げ、早くも「ニワトリからアヒル」へと左旋回した。この原動力となったのが、「教え子を再び戦場に送るな」のスローガンを掲げた日教組と、「愛国労働運動」を唱えた反共民同を打ち破って(民同分裂)、「平和4原則」を決定した国労新潟大会である。以後、総評労働運動は民同左派が主導した。そして人格的、組織体制的には1955年に成立した太田(薫)−岩井(章)のラインであり、ここから春闘も出発する。

●総評・民同労働運動の歴史的限界

 だが総評・民同労働運動には歴史的な限界があった。まず第1に、総評は「平和4原則」のもとで良くも悪くも「反戦闘争基軸」であったが、「中立」や「平和」が示しているように、基本的に今ある帝国主義体制下の「平和」を守れという運動で、帝国主義の排外主義や侵略戦争と労働者の階級的団結をもって闘い、帝国主義を打倒して戦争を止める、侵略と戦争を「内乱」に転化する(革命をやる)というレーニン主義的な反戦闘争ではまったくなかった。だから帝国主義の基本矛盾が全面的に爆発する時代、再び世界戦争が問題となる時代には、無力となり、通用しなくなったということである。
  第2に、結局はその根幹において体制内労働運動、戦後日本帝国主義の経済成長を前提にした労働運動であり、帝国主義と対決し、これを打倒しようという労働運動、「資本主義にノーと言える労働運動」ではなかった。だから高度成長が終わり、帝国主義の体制的危機と新自由主義の攻撃が激化し、55年体制も崩壊する局面が到来するや闘えなくなり、国鉄分割・民営化にも対決できず、破産・崩壊していったのだ。
  第3に、総評・民同左派の掲げる「マルクス主義」「社会主義」は、労働者自己解放の真のマルクス主義ではなく、社会党的(社会民主主義的)、旧労農派的な体制内の、議会主義の「マルクス主義」だった。また特に協会派の「マルクス主義」は旧ソ連スタの存在を政治的物質的基盤としたものであり、ソ連スターリン主義の崩壊と同時に、協会派のよって立つ基盤・世界観も崩壊し、社会党内協会派の大半が変質・転向したのだ。
  第4に、塩川一派などが自己の党派性を解体して賛美する三池闘争やスト権ストについても、それは協会派や民同が指導したものであり、根本的な限界があった。このこともマルクス主義と階級的労働運動の立場から、結論的にはっきりさせておく必要がある。

【X】動労千葉労働運動とは何か

 第1に、動労千葉労働運動は、総評・民同労働運動の歴史的破産と崩壊をのりこえて前進し、「資本家階級の権力を打ち倒して、労働者の社会をつくろう」「労働運動の力で革命を起こそう」と闘ってきている真の階級的労働運動であるということだ。まさに動労千葉労働運動こそ、マルクスが『賃金・価格・利潤』や『共産党宣言』で提起している「労働者階級の究極的解放」「賃金制度の究極的廃止」に向けた革命的実践なのである。
  第2に、動労千葉は労働者を絶対的に信頼し、現場労働者に徹底的に依拠して、日常的に職場闘争をやってきた(やっている)労働組合である。職場闘争の基本的な位置づけと考え方、そして現実の生き生きとした実践は、『俺たちは鉄路に生きる』2・3で打ち出されており、それ自身があらゆる職場闘争の具体的な指南書となっている。

●三里塚ジェット闘争と労農同盟

 第3に、千葉地本でのそれまでの典型的な民同右派との闘いと同時に、動労カクマル松崎という希代のファシスト反革命との熾烈な「党派闘争」ぬきに、動労千葉はなかった。カクマルとの激しい闘いを通して、動労千葉は労働運動の階級的原則をみがき、団結をいっそう固め、79年3月には革命的な分離・独立をかちとった。そして今日の動労千葉がある。この闘いの過程は、現在の体制内勢力との党派闘争の貴重な教訓でもある。
  第4に、動労千葉は反戦闘争・政治闘争を、労働者の中心的課題として位置づけ闘ってきた労働組合だ。そもそも反戦闘争を闘える質をもった労働運動でないと、活動家も育たないし、労働運動自身も活性化しないという立場だ。このことは何よりも三里塚闘争との連帯(労農連帯)に典型的に貫かれている。動労千葉は労農連帯・労農同盟に立った労働運動である。労農連帯を貫いた最大の闘いは、77〜78年から81年にかけ激しく闘われた三里塚ジェット闘争だった。労農同盟はプロレタリア革命を内包した闘いであり、動労千葉は戦後労働運動の中で、労農連帯を唯一貫いた画期的地平を開いてきた。

●反合理化・運転保安闘争の地平

 第5に、動労千葉の路線的な重要な柱は反合・運転保安闘争である。72年の船橋闘争に始まる動労千葉の反合・運転保安闘争は、「事故」「安全」という労働者にとって切実な問題を、国鉄労働運動の中で初めて労働者の正面課題に位置づけた。その核心にあるのは、「安全の確立」は労働組合が闘う以外にないということと、「運転士への責任転嫁を許すな。一切の責任は合理化を推進する当局にある」という思想だ。反合・運転保安闘争は資本主義を否定できない体制内労働運動では闘えない。プロレタリア革命の立場に立った階級的労働運動だからこそ、動労千葉は反合・運転保安闘争を闘えるのだ。
  第6に、動労千葉は国際連帯(インターナショナリズム)を全力で実践している。98年以来の3労組共闘に加え、2003年からの日米韓3国連帯、「万国の労働者、団結せよ!」「労働者階級は国境を越えて一つだ」というプロレタリア国際主義を、11月労働者集会を軸に実践し、発展させてきた労働組合が動労千葉だということだ。そして今や民主労総ソウル本部やILWUローカル10との揺るぎない団結を形成してきている。

【おわりに】

 かつて総評の「御三家」と言われた全逓、国労(国鉄)、日教組(教労)に、自治労(自治体)を加えた4大産別は、プロレタリア革命の戦略的拠点となる位置をもつ。4大産別、特に日教組と自治労は、戦前は「天皇の官吏」の機構として労働組合もなく、国家の支配と侵略の先兵を担わされた。「教室と役所」から戦争が始まったと言われた。今日的にここが革命の拠点となるのか、戦争の先兵となるのかは、決定的なことなのだ。4大産別は、革命においてプロ独の実体をもろに担える存在である。つまり4大産別に闘う指導部が確立され、階級的労働運動をやるなら、革命が展望できるのだ。
  問題は、大恐慌と世界戦争情勢下で、4大産別に革命的な路線と拠点を打ち立て、帝国主義の〈階級戦争と侵略戦争〉〈戦争・改憲と民営化・労組破壊〉と闘い、日本革命の展望を切り開けるかどうかだ。1047名闘争=第2次国鉄決戦を基軸とする4大産別決戦を路線的に再確立して、ここで勝負しよう。4大産別で、マル青労同1000人組織建設を軸に、党組織と第2・第3の動労千葉的拠点をつくり、革命勝利へ前進しよう。

 (講義了)

党学校通信 p9-15

討論から

●N

 私たちの職場で、どう動労千葉のような労働運動をつくっていこうか、ということを考えていたときに、今年の『前進』新年号の1・1アピールで、今の世界金融大恐慌情勢をプロレタリア革命にどう転化していくのかとか、時代情勢のこととか、いろいろ学んで、やっぱり『前進』の拡大じゃないかということになって、『前進』の読み合わせを始めました。
  そうしていく中で、時代認識をみんなが持つことができるようになって、『前進』を中心に団結ができてくる。これから労働運動をつくっていく中で核になる若者たちもできてきた。『前進』の読み合わせで団結ができていくのがすごく大きいなと思っています。

●D

  今日のレジュメは、動労千葉を歴史的に位置づけることが中心になっていたと思う。今、動労千葉をそういうふうに位置づける意義について、確認した方がいいと思ってます。
  今の恐慌情勢は、全労働者が怒りをもって今の社会を変えたいという情勢になってきてて、どうやって変えていけばいいのか、いろんな所で議論になる。その時に、動労千葉労働運動なんだ、動労千葉のように闘うんだと。その根拠が、今日の提起で語られてた。
  今回のレジュメの内容で、僕が重要だと思ったのは、一つに、三池闘争とスト権スト。こういう激しい闘いをやっても、労働者は勝てなかった、何で敗北したのか。一部闘うと言っている体制内派は、これを賛美する。その彼らの路線がなぜいけないのかというのは、相当語られている。
  もう一つは、動労千葉の実践で、2波のストライキは動労千葉のように闘ったら労働者団結できる、というものとして重要じゃないか。大きくはみんな、労働者は団結できないんじゃないかというところが、最後的には一番壁になっている。その中で動労千葉は、問題は執行部、そこが本当に闘いの先頭に立ったとき、8割はついてくると。まさに2波のストライキは、1047人が解雇されるまで闘いぬいて、その後20年間にわたってその撤回闘争を闘っている。これほどの団結をつくれるところとかが重要だと思う。

●g

 今日のレジュメや動労千葉の機関誌29号の田中委員長の提起を読んでて思ったのは、労働運動として戦後から今日の大恐慌情勢までを語る、どう動労千葉が総評労働運動・民同労働運動を打破し、今の大恐慌情勢で階級的労働運動として世界を、労働者を獲得しようとしているか、そういう見方として歴史を見る、総括するということが、動労千葉の闘いを見てできる。動労千葉の闘いを歴史的に位置づけるというのは、そういうことだと思う。
  今、動労千葉が挑戦しているのは、総評労働運動と決着をつけ、体制内労働運動を打倒し、革命をやるという闘い。大恐慌情勢下で、新たな労働運動、革命に勝っていく労働運動・階級的労働運動をつくっているんだと思う。今の学生の闘いも、21世紀の学生運動という新しい運動として、新しい歴史をつくり出していると思っています。
  今、教育の民営化反対ということを押し出して署名をとっている。「教育の民営化」ということで振り向くんです。それは、親が郵便局で民営化されたとか、民営化の中で、奨学金も縮小とか、無くなっていくんじゃないかという危機感とか、法政大の現実は民営化だと、「営業権」とか言っているということで。そういう怒りが感覚的にあって、学生も民営化や道州制と相入れないという闘いになっている。学生運動としても、資本との真っ向からの闘いになっている。そういう中での法政大学の闘いは、法大資本、むき出しの資本との闘いでもある。そういうものとして、学生の闘いでも新しい闘いを切り開いてきているというのを、新歓闘争をやってみて思った。

●Z

 今回の学習会のレジュメの核心点は、労働者権力の樹立に向かって、つまり労働者が自分自身を解放すると同時に、すべての階級の解放へと向かう可能性を、分割・民営化との闘いの中で動労千葉がまさに実践している、そこをはっきりさせた。動労千葉の反合理化・運転保安闘争が突破したことは、一つの歴史的な意味を持つ。
  動労千葉の分割・民営化反対闘争、その中でも反合理化・運転保安闘争が、ブルジョアジーの新自由主義への転換を切り裂いた。ここのところが、現実の路線を深めていく上でも重要だと思う。労働者の力が現実に分割・民営化攻撃の中で、新たな理論的な領域や闘いの領域を切り開いたということが、今回の提起の核心点だと思う。と同時に、今の労働運動路線の持つ有効性というか。
  あと、4大産別決戦ということが、戦略的な展望として明らかになっている。そのためには、三井・三池をこえるという。つまり、4大産別決戦というのは結局、〈総資本〉対〈総労働〉の闘いになるわけだから、そういうことがらも、かなり確信をもって言えるんじゃないかと。

●a

 いわゆるストライキという闘いを、75年まで日教組もやってきた。ストライキはやってみないと自己解放性ってわからないというところがあって、そういう点では改めて60年代の、革共同的に言えば日韓条約から安保以降、日韓条約から始まった反戦闘争と、それから組合運動の中のストライキ闘争というのが、反戦+組合運動という形で結びついてきた意義を、今日の提起の中でもう一回確認することができるなと実感として思いました。
  日教組運動にとっては、動労千葉のような闘いを4大産別の闘いの中に内在させるということとの関係で言うと、やっぱり勤評闘争が重要だと。勤評闘争は、全国の労働者と一緒に闘えた。勤評闘争は教師だけの問題ではない、全労働者階級の問題だと組合的には提起した。しかし、そこで曖昧さがあったのは、教育の普遍性と特殊性の問題。教育労働というのは評価できない、他の労働者と違う、ということを教員を動員する一つの政策的指針として出した。そういう中で闘われて、ものすごい実力闘争をやったわけです。
  そういう中で、全国の労働者と連帯した闘いとして闘うということが、60年、70年と職場の中では引き継がれていった。その一方で、今日提起されている、労働組合の役割が、時代認識と路線が問われる中でブレていく、今や4者4団体の側に行っている。そう考えると、私たち以外に今の道州制攻撃に反対し、大恐慌下で労働組合の役割を果たしてストライキをうつところはない。その中で、日教組の東京の場合、体制内執行部とどういう形で対決していくのかと言ったら、職場の中で1人から始めるという闘い、組合づくりというところから始めなきゃいけないというところに今ある。また、都高教のように組合員がまだ6割とか7割とかいる所では、体制内執行部と激突する勢力をつくることによって、体制内との対決・打倒の展望が開ける。
  動労千葉が70年代の後半から80年代にかけて、様々な対決をとおして組合の方針下で団結して突き進んできた闘いを、今私たちが、どういう闘いとして打ち出すことができるかにかかっていると思うので、今日の提起は、自分自身の総括にとっても、これから1年間どういう構えでやるかという問題としても、すごくよかったし、課題もいっぱいあるなと思っています。

●U

 75年のスト権ストは、国鉄の電車区が結構身近にあって見てたのでよく知っている。75年の闘いはすごく大きかったんだけども、それがなんで崩壊したのかと思ってたんだけど、レジュメで書いてあってわかったのが、55年体制の崩壊、それからソ連スターリン主義の崩壊によって、民同が自らのよって立つバックボーンを失ったことにある、というのが今日鮮明になったかなというところです。

●I

 まだ何も言えないです。第10期党学校の最後の時には、何とかまとまったことが言えるようになりたいと思っています。そして最終的には、1人でも多くの仲間を組織できるようなものに自分を変えていきたい。若い人をどんどん組織できるようになっていきたい。今日の提起とレジュメもそのための武器にしていきたい。

●e

 この間、大学で新歓闘争とかやってきて、世の中的には北朝鮮情勢ということで戦争態勢の構築ということがある。その中で、例えば今の法大闘争だとか、もっと大きく言えば階級的労働運動路線という中で、どう反戦闘争を路線的に貫きつつ大衆的なものにしていくのかということが問われている、問われたなという問題意識がある。そういう観点から今日の提起を受けたときに、動労千葉が反戦・政治闘争を党派闘争と一体で闘いぬいてきたということのすごさ、何で闘いぬいて来れたんだろうというのがある。今の体制内労働運動は、労働者の生活を守れというところから、今の国家体制を守れというところまで行き着いた。そういう中で動労千葉が、階級的な帝国主義打倒の反戦闘争として闘いぬいてきているということについて学んでいかないとなと改めて思っています。
  革命的共産主義運動との関係で言えば、70年安保・沖縄闘争も反戦・政治闘争としてあるわけで、安保・沖縄闘争の継承・発展ということとして、動労千葉がそれ以後の闘いを闘いぬいてきたということの大きさということと、今の4大産別決戦であり、学生戦線であっても、反戦闘争を改めて70年安保・沖縄闘争とは質的にも量的にも違った形で実現していくと言ったときに、一つその点が課題になっているなというのは思っています。そういう観点から、動労千葉労働運動を学んでいかないとなと思います。

●d

 体制内労働運動と階級的労働運動・動労千葉労働運動というのは、最初から違うものだったんだと。つい最近まで含めて、民同も反戦闘争を闘ってみたりする。だけど、労働者階級の解放をかけた、労働者階級に権力をよこせ、という労働運動なのか、それとも体制の中で許されている労働運動なのか、というので全然違う。
  だから、74−75年恐慌の後、75年スト権ストで民同労働運動は終わっちゃう。それに対して、動労千葉はそこから花開いている。本当に労働者階級の解放、権力をよこせ、というところに向かった労働運動として、動労千葉は最初からそういう組合をつくろうとしてきたし、闘いとってきた。
  動労千葉の中野顧問に聞いたけど、本当に最初は保守的なオヤジが、先輩が偉そうな顔をしている組合だったと。組合の先輩の靴を磨かなければ新入りは認められないぐらいの関係だったけど、そういうのをひっくり返して職場を変えていったということも聞きました。確かに本当に一から労働組合をつくり変える、つくり始めるというぐらいの話。だから、そんなにすぐに行かないという面と、今の情勢だからそういうものが求められているという面と一体だと、ほふく前進と超飛躍を一緒にやるみたいな感じなのかなと思って、今日の提起を聞いていました。

●J

 今日の提起は非常に実践的だと受け止めている。4大産別を先頭に動労千葉派の旗をうち立てるということが現実的な課題になっている。その現場で何が問題になっているのか。
  例えば全逓では、資本・権力と闘うという基本中の基本、原点中の原点そのものが攻防点になっている。JP労組中央は、この間「スト絶滅宣言」を「労使共同宣言」と呼応して出した。資本と今の大恐慌情勢下で闘ってはいけないということが組織化されている。だけど、現場も闘わなければ生きていけない状況が広がっていて、その怒りが充満している。だけど、組合指導部は一切闘わない、闘う者をつぶすという中で、一部には、もうどうにもならないというあきらめすらある。そういう中で現場では、まだ少数だけど闘う人たちが公然と登場していて、やっぱりこの人たちと一緒に闘わないとという支持は確実に広がっている。
  つまり、資本・権力と労働者階級として徹底的に闘うということそのものが、職場生産点で問題になっている中で、われわれが、いわゆる左翼少数派として公然と登場するという段階の、次の段階が完全に問題になっている。分会、支部の権力をとるということから始まって、体制内派が、民同や全労連が支配している、この体制内組合そのものをひっくり返すということが実践的課題として突きつけられている。党派闘争をとおして現場を獲得する、この人たちと共に闘うというところまで、4大産別決戦の中で前進することができるのかどうかということが実践的な課題として突きつけられている。各現場で条件も闘い方も違うんだけど、共通していることは、われわれの動労千葉労働運動の質と路線で闘いぬいて、現場が闘いを制するのかどうかという次元で問題になっている。
  われわれが階級的な労働運動を闘えば、当然ある職場だけの闘いで終わらない。資本だって、今会社がつぶれるかどうかが問題になっていて、実際闘えばつぶれるわけです。職場闘争を本当に貫かれると資本は危ないという問題になる。それを本当に勝ちぬくというのは、職場だけの闘いで勝てるわけもない。結局すべての産別を越えて、一つの階級として団結して闘いぬく以外にそもそも闘いようがないんです。だから国鉄決戦であり、動労千葉労働運動が提起していることが極めて重要で、そこに触れて、そこと一体的になったときに初めて、この人たちと一緒に闘おうという方向性も見えてくる。そういう意味で、実践的な問題意識を改めて刺激される提起だった。

●W

 戦後の労働運動の歴史をずっと振り返って、今日の到達地平ということで提起されたんですけど、敵の攻撃は、とにかく革命をやらせない、労働者をバラバラにして分断していくということに一切の核心がある。われわれの勝利の核心は、それをどうぶち破っていくか。労働者が団結して革命をやっていく、そういう地平をどれだけ切り開いたのかというところに一切集約されていくと思いました。何よりも、どんどん新しい世代が決起していることが、われわれの勝利の姿だと思う。

●t

 動労千葉が階級に根差して、階級の怒りに依拠してきたからこそ、戦争攻撃、排外主義と闘えるというのは、本当にその通りだなと思う。「日刊動労千葉」でスゴイのは、組合員は、じゃないんですよね、労働者はこうあるべきだ、という形で絶えず宣伝・扇動をくり返してきたというのが今の地平をつくっていると思うし、それがマルクス主義とか革命的共産主義運動というものだとすごい思います。
  今、学生運動と動労千葉労働運動が一体化している。『前進』で、動労千葉について学生が語っているんですけど、自分たちは処分されて失うものがない、生活がかかっているから同じものがつくれるということを確信を持って語っています。こういう運動と存在を、21世紀の学生運動としてつくってきたのはスゴイなと。新自由主義との闘いとして、新自由主義攻撃の原点としての国鉄分割・民営化と闘い、勝利してきた動労千葉と、現代の新自由主義大学・法政大学の闘いが一体となって大前進している。それをもうひとつ進めるものとして4・24がある。「営業権」を持ち出して、金儲けの邪魔だからどうだこうだという大学なんかもう終わっていい、終わらせてやる、是非4・24に来て下さい。

●R

 僕は、もともと勉強は嫌いで、学校だから黙って聞いていればいいと思って参加したんですけど、みんなと団結するために積極的に発言したい。
  今日の提起を聞いて、動労千葉と党の闘いが切り開いた地平が、その中身も含めてすごい過程だったんだと改めて確認させられました。その上で、それは今日の闘いにおいて〈動労千葉派〉対〈体制内派〉というふうに対決軸がハッキリさせられていることが、すごいことなんだなと思いました。

●P

 今回の提起がスゴイのは、総評労働運動・民同労働運動の歴史的破産と崩壊ということが非常にハッキリと出されていて、それをのりこえて階級的労働運動を貫徹してきた、再生してきた動労千葉労働運動の歴史的位置ということが、歴史的に整理された形で出ているし、民同労働運動の歴史的限界ということでも、3点にわたって整理されているということだと。
  総評労働運動の歴史的破産あるいは歴史的崩壊については、明確に路線化しなければ、継承・発展という面もあるんだけど、なかなか体制内派と対決すると言っても行かない現状があると思う。その点で路線的に明確にしたのは非常に大きい。いわゆる分割・民営化の歴史的な位置づけも、動労千葉の闘いによって分割・民営化の闘いと1047名闘争ができることで、90年連合に対する対抗基軸が唯一確立できたという総括も、これはわれわれのよって立つところ、今どこにいるのか、どういう闘いをめぐって闘っているのかを鮮明にさせる意味で、非常に重要。
  連合路線と対決する、革命をめざすと言うけど、やっぱり動労千葉労働運動で対決しているということにおいてしか有効性とか現実性、あるいは大衆性を持たない。その辺について明確にして、こういう時代の中で、われわれはこういう闘いをやっているという路線を持っているということをベースにしなさいと、第2次国鉄決戦と4大産別決戦のベースにしなきゃいけないということを鮮明に出している。今改めて4大産別決戦が問われているんだけど、今までどう闘ってきて、何を総括しなきゃいけないのか、この辺、今言った点が非常に重要な路線のベースになりかかっていたけど、なってなかったんじゃないかという総括の視点が重要ではないかと思いました。
  今問題になっているのは、動労千葉も組織拡大なわけじゃない。組織拡大路線に発展している。その組織拡大路線ということについて、なぜそういう路線を今創造的に、歴史的に提起できているのかということについて言えば、大恐慌を革命へという問題ももちろんある、それから3・25反動判決ということもある、体制内という意味では3・23の「政労使合意」というのもある、だけどやっぱり、対抗基軸として力を持って拡大できる地平に立っているという確信があるんだと思う。革命をめざす路線的確信を、大衆的に、労働運動的に、組合的に拡大できるという確信があるから、そういう路線をとっているんであって、そこら辺の確信をわれわれ自身が路線的に持てるということが、今われわれが立っている地平なんではないかなということを確信できる学習会でした。

●G

 今日提起された「動労千葉労働運動と革命的共産主義運動の地平」ということから何を学ぶのか、これはずっと考えてきてたことなんですけど、レジュメの冒頭にあるように、闘う労働組合とマルクス主義を甦らせるということを、『新版 甦る労働組合』の提起から学ぶことが決定的だと。世界大恐慌をプロレタリア革命に転化する、そのために、この本を徹底して活用して学ぼうということだと思う。

党学校通信 p15-28  受講レポート

受講レポートから ★第10期第1回のレポートです。

【K】

 『新版 甦る労働組合』を読んで、労働者が「元気になる本だ」「元気が出る本だ」という感想を、何人もの同志から聞いている。また、この本を読んで、実際に「元気になった」同志を何人か見ています。
  ここに、労働者にとってマルクス主義がかけがえのないものであるということが示されている。そういう力(マルクス主義の神髄・「甦る力」)が、この本にあるということです。
  それまで、『前進』さえきちんと読んでいなかった同志が、『甦る労働組合』を何回も読むうちに『前進』をゴリゴリ読んで積極的に発言するようになり、また別の同志は、ガンガンこの本を売って、地域での組織化を進めています。
  党学校も、党にそういう力、エネルギーを生み出す学校にするということだと思っています。そういう構えで臨みたい。今回は、『資本論』を根幹にすえてやるということなので、気合いを入れて臨もうと決意しています。
  講師が冒頭に語った「動労千葉を歴史的に位置づける」ということ、そこが塩川一派と違うんだということは、重要なことだと思いました。路線として確立したということが、やはり決定的だったのだ! 確かに初めの頃は、動労千葉労働運動を路線にするということをよく理解できていなかったが、塩川一派との対決をとおしてはっきりしてきた。
  動労千葉の闘いの歴史(革共同の闘いの歴史)の部分−そもそも国鉄の分割・民営化攻撃に対する態度の違い(明確な違い)が一切を分けた−初めから違っていたということ。これは恐ろしいほどの事実、真実である!
  労働組合は、階級対立をなくすための社会転覆の準備をするところである!! 職場生産点における日常の攻防と党派闘争に、革命の一切の問題がはらまれているということ。ここに帰着するわけだが、ここに本当に確信を持って闘うためにも、動労千葉の闘いの歴史から学び尽くすことが重要だ。
  動労千葉と革共同、動労千葉と三里塚闘争と革共同の勝利に、革命の成否がかかっていることが、非常に明確になってきた。そういう闘いをやってきたことに改めて誇りを感じています。

【Z】

 @革共同史の最新バージョンとして、よく理解できました。
A最大の決戦としてあった国鉄分割・民営化との闘いについては、今では非常に鮮明になっているが、党の側に明確な切り替え、理論的アプローチが不十分ではなかったかという思いがある。特に、帝国主義=国家独占資本主義(ケインズ)→帝国主義=新自由主義(フリードマン)ということが、実践的に分割・民営化攻撃に対して、動労千葉によって進められたということではないか。反合理化・運転保安闘争がこの画期であったことは、今では明白である。
B結局、民同・総評が冷戦の枠組みから抜け出せなかったのと同じ意味で、我々も、段階・過渡・変容・再編・危機の「再編」にしばられてしまったような気がする。
C組織労働者にたいする不信の歴史的な蓄積を職場からの闘いでのりこえる実践論は、動労千葉の歴史の中に反映されており、非常に迫力があり、確信がもてる。
Dスト権スト→我々なら、街頭に出るということが重要ではないか。
E三井・三池→4大産別決戦との対比が重要。枠組みの大きさと戦略性を大事にしたい。

【J】

 “動労千葉労働運動”を革命的共産主義運動(革共運動)の基軸的骨格にすえたことの革共運動の歴史的な意味の大きさを、改めて痛感しました。
  70年闘争の地平は、戦後的な階級支配の枠組みを、反戦・政治闘争の圧倒的な爆発の中で、根底から揺るがしたという意味で、とてつもなく大きな地平であったのだが、そこから、今日の階級的労働運動路線の定立までには、実に様々な課題をのりこえてきた…ということだと思います。「労働組合運動は革命の武器である」というマルクス主義の核心にかかわる問題を、われわれは“動労千葉労働運動”という形で、ついにうち立てることに成功したのである。……という問題を、改めて痛感させられた提起だったと思います。
  1989年の総評の解体=連合結成という事態が、日本階級闘争史の中で、どれほど巨大な反革命だったのか…ということだ。当時、三里塚・天皇決戦の激烈なただ中にあって、この核心的問題を、(こう言って良ければ)“唯一”とらえきり、革共運動を革共運動たらしめて来たのが、動労千葉だったのである。
  この革共運動史の歴史的・主体的総括の上に、われわれは、4大産別を先頭に、動労千葉派の旗を断固としてうち立てるという実践的課題に立ち向かっているのだ。
  実践の武器は何かを、イメージ豊かにふくらませる、大きな契機になる提起でした。

【R】

 提起を受けて、改めて「動労千葉労働運動と革命的共産主義運動の地平」の大きさを確認することができた。70年決戦の地平を継承・発展させてきたということであり、この過程は、資本とカクマルとの死闘の連続だったということである。そしてこの核心は、マルクス主義の再確立と、それに基づく労働運動の実践だったということである。
  そして、この切り開いた地平の大きさの最大のものは、〈動労千葉派〉対〈一切の体制内派〉として、その対決軸を確立したということである。そして、動労千葉の存在と闘いの偉大さは、すでにこの対決での勝利性をかちとっているということである。

【j】

 動労千葉の闘いの歴史と路線について、理解しているつもりだったが、認識の浅さをつきつけられた。
  新鮮だったのは、戦後労働運動の歴史総体の中に動労千葉の歴史と闘いを位置づけて評価し直すという提起だった。1970年以降(あるいは1960年以降)の労働運動の歴史の中に位置づけるという作業は一定行われてきたと思うが、今回の講師のような提起は、私の知るかぎり初めてです。
  50年代〜60年代にも激しい闘いは行われていて、その結末が75年スト権スト【の敗北】であり、80年代の労戦統一〜分割・民営化〜総評解体であったことが鮮明につき出されることによって、動労千葉の路線と闘いの位置が深みをもって、出されたと思います。
  三里塚ジェット闘争の位置づけも新鮮でした。1年間頑張ります。

【P】

 ○「総評労働運動の中から出てきた動労千葉が、総評(民同)運動の崩壊をのりこえ階級的労働運動を再生する」ことの中味が大事だと学べた。
  われわれは、「のりこえ、再生する」ことの大変さを知っているし、困難さと格闘しているわけだが、それは、「のりこえ、再生」の労働組合の団結と党の団結を、路線的力と組織的力としてつくりあげ、実際に体制内派の打倒として結実させるまで(−組合とソビエトへの発展)至らしめなければならない。
  そして、そのためにこそ、動労千葉のように、動労千葉に近づくように、一つ一つの闘いを動労千葉に学んで闘うことです。
○第2次国鉄決戦と4大産別決戦論としても、展開軸としての動労千葉が明確となった。「連合に対する対抗軸の確立」論は、決定的な路線的形成です。

【U】

 当時小学生だった自分にとって、1975年スト権ストは結構インパクトがあった。ヤな先生の授業開始前、黒板に「スト中」と大書し、全員後ろ向きに座ったこともある。
  それから、大学生になった時の総理は中曽根だった。当時の中曽根は、数年前の小泉のようで、国鉄分割・民営化に反対するものは非国民と言わんばかりだった。それを労働運動の側からうち破ったことが2つあった。動労千葉の2波のストと国労修善寺大会だ。
  そして、もう一つの側面を主張したい。1つは、国電ゲリラ戦であり、もうひとつは、動労および真国労幹部に対する赤色テロルの炸裂である、と僕は思う。
  今月、4・24法大解放闘争と4・25尼崎現地闘争がある。民同の時と全く違う、資本主義のスキームそのものをうち破る闘いだ。
  『前進』2387号5面の法大文連座談会でも言われているように、ゼッタイ行かないと損な闘いだと思う。マル青労同・マル学同各1000人建設に賛成する方は、是非、自己解放的な意味でも、行った方が良いだろう。
  最後になったが、あれほど戦闘的に闘われた民同労働運動がしぼんだゆえんが、55年体制とソ連スターリン主義の崩壊だったというところは、スッキリわかって良かったです。

【N】

 革命情勢の今、党学校に参加することにワクワクしています。自分の職場での動労千葉労働運動の実践を、『新版 甦る労働組合』と『前進』の読み合わせ、また、今日の提起を参考にしながらやっていきたい。
  自分の職場は、「地域での運動」的要素も多いです。だからこそ、階級的労働運動を軸にすえて、「地域の労働者との連帯」をおさえつつ、日々闘っていこうと思います。『甦る労働組合』にもありますが、時代認識をきちっと提起すること、自分たちの職場において「今がどういう時代なのか」言い切れることが重要だと思います。ひとりひとりときちんと向き合うこと、路線で団結をつくっていくことを重ねていこうと思います。

【B】

 動労千葉労働運動について、どうとらえるべきなのかはっきりしない点があったのですが、レジュメおよび討論の中で発言者から生の声が聞け、自分の思いと重なる部分や参考となる点が多くありました。
  J同志の、闘えば会社がつぶれる、全産別、全体の闘いになるしかないという発言は驚きました。中小零細で働くものなら、この時代もっとも身近に分かると思いますが、でも動労千葉労働運動から学ぶという面で、とても参考になり、もう一度レジュメを読み直し、動労千葉の本も読んでみたいと思います。

【H】

 『新版 甦る労働組合』は何回か読んでいるのですが、今回の提起にあって、自分としては、労働組合とは何か? 革命運動と労働運動との関係は、ということが中心だと。
  合同労組の運動をやっていますが、動労千葉型労働運動を動労千葉に学ぼうということをすえています。その核心は何かということ。以前は、「原則的な労働運動」とか「迷ったら左」とか(それ自身は正しいと思う)考えていました。しかし今、資本主義の時代が終わろうとしているとき、やはり、時代認識と路線ということが、しっかりと、合同労組の運動にもすえられなければと思います。
  今、自分たち労働者は、組合員は、どういう時代に生き、どうあるべきなのかをはっきりさせること。それがないと、合同労組は、単に争議を解決するだけの手段となり、昨年末の派遣村にあらわれたように、労働者の救済運動になってしまう。それは、革命運動ではないし、今の時代では、その対立物になってしまう。
  4大産別でも、60〜70年代では、今で言う体制内労働運動でも存在することができた。しかし、今彼らは、体制内派(資本主義を前提としたということだと思いますが)は、資本主義の危機の時代には、資本主義を守ろうとするどころか、資本主義を倒そうとしている革命派をつぶすということにまでなっている。闘わなければいけない。
  全体を通じて、革共同と動労千葉は一体のものとしてつかむことができました。そして、動労千葉の労働運動には、マルクス主義がきっちりとすえられているということ。労働者はマルクス主義者になれ、という言葉は、はじめ、そこまで言うのかと思ってましたが、イヤ違う、労働者が主体となって労働者を解放していく思想は、やはりマルクス主義しかないと思います。1年間頑張ります。

【e】

 党の歴史を、動労千葉労働運動の今日切り開いている地平から総括するものとして、同時に大恐慌と戦争という情勢下で、4者4団体派を粉砕して日本階級闘争の主流に名実ともに躍り出るためにも、決定的な提起だったと思います。
  職場闘争−反合理化・運転保安闘争での絶対反対論や階級的団結論、そして何より階級の指導部形成論として動労千葉労働運動をとらえてきて、学生戦線においても実践してきたわけですが、反戦・政治闘争も民同をのりこえて闘いぬいていることのスゴさに、本日改めてその偉大さを実感しました。そうした観点からも、さらに学んでいきたい。
  また、共産主義運動の歴史という意味では、労農派マルクス主義や、「区別と連関」ということの意味、その破産を詳しく展開してもらえたらとも思いました。P1・P2期のわれわれの理論闘争との関連もあると思うし、また動労千葉の闘いから別個に理論闘争が行われていたわけではないと思うので。(※限界性は当然あるとは思いますが。)

【E】

 ・なぜ、革共同が唯一の革命党になりえたのか。一言で言えば、動労千葉と一蓮托生で闘ってきたから、「革共同・革共運動なしに動労千葉は生まれなかった。同時に革共同・革共運動は動労千葉によって労働者階級に根差した党、革共運動となることができたのだ」(レジュメp4)。
  一つは、国鉄分割・民営化との闘いによって。そして、今回学んで分かったことは、総評(民同)の歴史的破産・崩壊というところの中でつかめたことがよかったと思います。
・世界大恐慌への突入は、資本家と労働者階級双方のこれまでの55年体制を破産させ、一方の資本家は世界戦争を選択し、労働者階級の側は動労千葉労働運動路線を選択するという構造になっています。
  その中で、歴史的に動労千葉労働運動と革共運動の総括の中から、4大産別決戦を、(今までは、国家権力の中枢に位置しているなどの認識でしかとらえてこれなかったのですが)とらえられて非常によかったです。
・討論での、年配の同志たちからの、60〜70年代の国独資との対決から80年代以降の新自由主義との対決への転換は、動労千葉が切り開いた、という話は、なるほどと思った。

【I】

 前提として、私は今までの障解委での在り方を、そこでの経験は活かしつつも、一変し、真の革共同の一員へと大きく飛躍していきたい。
  障解委パンフの創刊号にあるように、私たちは資本からの搾取、支配をうけており、資本を倒す以外に解放の道はまったくない、という原点はしっかりと持っています。(もっとも不十分と言われそうですが。)
  今日の動労千葉の闘いの歴史を中心として、どのように動労千葉がつくられてきたのか、という話は大きな感動であり、「よし、これだ!」と思いました。そこに貫かれた体制内潮流との闘い、そして団結を求めるスト、国際連帯の闘いは、どれも大いに参考になりました。「道州制と障害者の解放」・「障害者の解放を動労千葉のように闘うとはどういう闘いなのか」。この点を、1年間の学校で自分のものにしていく決意です。
  障害者は、如何なる状況におかれようとも、労働者階級の一員であり、労働者と結合しなければ未来は一切ない、ということは今の私でも言い切れます。なんとしても、労働者との結合と組織化へと進みたいと考えます。ただ、先述した2点を、この1年でどう血肉化していくのか、というのが今の気持ちです。
  障解委は「まだ少数だ」と言いましたが、私たちは革共同、そして日本全国、さらには全世界の労働者とつながっています。決して「少数派」ではありません。プロレタリア革命へと進みます!

【t】

 動労千葉労働運動を、戦後労働運動の歴史を全面的にとらえ返す中でその意義をはっきりさせるということが、現在の時代情勢との関係で、とてつもない意義を持ってきている。そのことを、「はじめに」でもっともっとはっきり突き出した方が良いと思った。D同志が討論で言っていたことと同じです。
  世界大恐慌と世界戦争が、帝国主義・資本主義の基本矛盾として爆発している。その足元で、帝国主義の経済・政治・軍事の全ての支配が崩壊し、労働者階級人民がものすごい決起を開始している。タイでは、ASEAN首脳会議が粉砕された! 労働者の党があれば、プロレタリア革命まで絶対に行く! そう確信できるこの情勢の中で、「動労千葉労働運動と革命的共産主義運動の地平」をつかみ直すことは、ものすごく決定的だと思う。
  マルクス主義とか原則とかが、固定された教条としてあるのではない、ということが、今回の講義で分かった。動労千葉が、一体何と闘って、現在の地平をうち立ててきたのか。それは日常不断の資本の攻撃であり、総評労働運動に代表されていた体制内労働運動、そして何よりカクマルである。党派闘争を徹底的に貫き、マルクス主義とは、労働者とは何かを徹底的にはっきりさせていくことが、労働者の団結をつくる唯一の道である。これをはずしたところに、現在、賃上げも、戦争反対も闘えなくなっている連合の姿があると思う。資本の危機と団結破壊は、体制内勢力を全く闘えない状態にする。資本のあらゆる攻撃をやはり、団結破壊・分断としてはっきりさせることは重要だと、改めて感じています。

【g】

 動労千葉の階級的労働運動が、民同労働運動・総評型労働運動や連合、全労連と決着をつけ、この大恐慌情勢に全労働者階級を獲得するものとして登場していることがはっきりした。動労千葉の労働運動と革共同の闘いの地平が、戦後世界体制の時代から真っ向から資本主義・帝国主義と対決してきた歴史であり、そのものだということだと思う。
  今回の提起では、動労千葉労働運動から、資本主義・帝国主義の歴史と崩壊が捉えられて勉強になった。この中に、今の職場やキャンパス、学生寮で4者4団体派=体制内執行部を打倒する内容と展望が詰まっている。
  また、重要だと感じたのが、反戦闘争と労働運動の関係である。反戦闘争を闘えなければ職場での資本との闘いも闘えないし、職場闘争が闘えなければ反戦闘争も闘えない。一言でいってしまえば、階級性であると思うが、結局、大恐慌情勢の中で、労働者はここを貫くかどうか問われている。
  学生寮の改修=民営化の問題でも、医療の民営化に反対しながら、また戦争に反対しながら、学生寮の民営化は別問題として賛成している。(また、反対したら弾圧や処分ということを理由にして。)
  階級的に資本・民営化に反対せずして、絶対に闘っていけない情勢になっている。どこまでも職場・キャンパスの闘いで、階級的に問題を捉え、宣伝・扇動して大衆的に反撃する力が必要だと思っています。

【d】

 大恐慌への突入という情勢下での第10期党学校の第1テーマが、「動労千葉労働運動と革命的共産主義運動の地平」というのは最適だった。みんなの話を聞いていても、「大恐慌をプロレタリア革命へ」をどう実践していくか、マルクス主義と階級的労働運動、労働組合の再生、という問題意識に貫かれ、きわめて実践的に突入したと思います。
  動労千葉労働運動を理解する(自分のものにする)というのは、マルクス主義を、職場で、地域で実践せよ、ということだと思います。
  年間を通じて、このことを学校で学びつつ実践するためにも、第1回がこのテーマだったのだ!と。
★恐慌情勢とは、資本家階級が決定的ピンチに陥っている、ということです。労働者階級は資本主義の破産に対して、「労働者に権力をよこせ!」というチャンスだ。だからこそ、資本・権力はとことん労働者の決起に恐怖して、分断し、階級性を解体し、団結を破壊しようとしてくる。「戦争・民営化・労組破壊」だ。
  これを受けて、体制内労働運動執行部は、資本・権力の手先としての最悪の存在をあらわにしてくる。したがって、4者4団体派、日本共産党スターリン主義、カクマル、塩川一派などが登場してくる。これらとの党派闘争が決定的に重要ということ。今日の提起は、そこに革共同として自信と確信を与えてくれるものであった。戦後革命期〜60年代、70年安保・沖縄闘争、対カクマル戦下、80年代新自由主義との攻防すべてを通して総括しうるのは、労働者階級の自己解放性にとことん確信をもち、依拠し、職場でマルクス主義を実践しぬいて、今も団結を保持する動労千葉とともにある革共同だけです。だから、とことん党派闘争を貫き、躍り出よう。階級的なことはもっとも大衆的なことだ! 第2、第3の動労千葉をつくろう。
  そのためにも、第2次国鉄決戦だし、眼前の道州制攻撃と動労千葉労働運動ならどう闘う?と考えて闘いぬくことだと思った。

【Y】

 今回の学習、動労千葉の労働運動を歴史的に位置づけるということで、動労千葉労働運動の大きさ、戦後労働運動の中で動労千葉という存在が、本当に戦略的展望を現在に切り開いているということがよく理解できました。やはり動労千葉労働運動が、今の大恐慌情勢の中で、労働者階級の階級的団結と、プロレタリア革命を実現できる唯一の路線だということだと思います。
  道州制攻撃とは、いわば国鉄分割・民営化を、例外なく全社会的にやるという攻撃。これと対決し、粉砕できるのは、2波のストライキをうち抜き、これにうち勝ってきた動労千葉の闘いと路線しかない。国労も協会派も、連合などすべての体制内派は、闘うことすらできなかった。沖縄をはじめ、道州制をめぐる攻防はこれから始まる。われわれはこの攻撃に対して、何をもって闘い、どういう路線で闘うのかだ。道州制攻撃は、4大産別が戦場になる。そして、第2次国鉄決戦−動労千葉労働運動で勝負するということだと思う。
  今日の学習の中で、あらためて動労千葉労働運動の豊かな内容がはっきりさせられたと思います。『新版 甦る労働組合』をもう一度しっかり、ここから学んでいきたい。

【n】

 学習は苦手で逃げ回っていたのですが、“不良党員”の私にも、党学校へ行けという話が来て、参加させてもらいました。
  大先輩から若い学生さんまで、人の多さには驚きました。皆勤で修了することだけを目標に、入校した以上は頑張りたい、が初日の感想兼決意です。
  講義の方は、講師の声が魅力的なのか、眠くてかないませんでした。これだけ大勢いて、皆忙しく闘っていると思いますが、居眠りをする人がほとんどいないので驚いたというか、皆さんの集中力に圧倒されました。
  内容的には、総評・民同の労働運動は、結局はその根幹において体制内労働運動であり、帝国主義と対決し、これを打倒しようという労働運動ではなかったということを改めて確認しました。それに対して、動労千葉の労働運動は現場労働者を絶対的に信頼し、徹底的に依拠して、日常的に現場闘争をやっている労働組合だということ。とにかく、一個一個おかしなことに対して「おかしい」と言うことから始めた闘い。それをそれぞれの職場で闘い始めて、地域に動労千葉派の拠点をつくっていく闘いに進んでいきたいものです。1年間よろしくお願いします。

【r】

 今日は、「動労千葉労働運動と革命的共産主義運動の地平」というタイトル通り、革共同の歴史の中に、あるいは戦後労働運動の歴史の中に動労千葉労働運動を位置づけるものとして受けとめました。
  今まで僕の中での革共同の闘いの歴史は、極端に言えば、特に70年闘争の学生運動の爆発と停滞期的なとらえ方が基本になっていたと思います。しかし、労働運動、動労千葉労働運動の闘いから、革共同の歴史や戦後労働運動の歴史を見た時、ようやく今日の我々の立っている位置がすっきりと見えた気がしています。70年安保・沖縄闘争以降、特にスト権ストを総括し、乗り越えていく闘い、80年代の新自由主義との、分割・民営化との闘いが、まさにその総評労働運動を乗り越えていく闘いとして、今日輝きを増しているのだと思います。
  はっきり言って、新自由主義という言葉をここ数年(3国連帯の闘い以降だと思うけど)になってやっと使いはじめてきたが、この新自由主義=民営化路線が、敵の破産した唯一の路線だと鮮明にすることが、動労千葉の闘いを通じて核心的にとらえられたことは、本当にすごいことだと思います。
  道州制攻撃・民営化攻撃との対決は、動労千葉労働運動、階級的労働運動路線で勝てるし、勝ちたいと思います。
  反戦闘争論について、ひとつは、職場闘争抜きに本物の反戦闘争はできない。職場闘争を闘うには、時代認識と路線を鮮明にしないと闘えない。反戦闘争は、“階級戦争と侵略戦争”という時代認識でのみ闘えることを昨今の情勢の中で実感しました。そして、より本質的には、学生同志が述べていたように、戦争攻撃は、階級の分断攻撃、国際連帯(3カ国共闘や革命情勢)への反動として怒り、粉砕していきたいと思います。

【D】

 今は、労働者が変革を求める恐慌の時代。そこで我々は「動労千葉労働運動」を提起する。その根拠と核心が明らかになる提起であったと思う。
・現場の怒りで「労使共同宣言」を拒否するも、現場に依拠した指導部を形成できなかった国労。闘う時代認識と路線を持てず、分割・民営化に闘えなくなった。その結果、和解路線に走り、行きつく先は4者4団体派。
・反戦闘争を基軸にした総評。ブルジョアジーとプロレタリアートの階級対立の非和解性をはっきりさせず、帝国主義の下での平和を要求した。「政府の理性」に依拠するしかない思想。故に、帝国主義の矛盾が激化すれば、展望を失い、闘えない。8日間も列車を止めるスト権ストを組織しながら、三木内閣に拒否され、「もうこれで終わり」。三池闘争でも、議会主義の指導部の裏切りによって、三井・三池労組が孤立・屈服させられる。1400人を超える指名解雇に、2万人の労働者が立ち上がった大闘争も血の海に沈められた。結局、分割・民営化に闘えず解体される。
・その一方で動労千葉は、今に至るまで団結を維持し、組織を拡大している。「闘えば団結を維持できる。闘わなければつぶされる」ことがよく分かる。その分岐は、根底的には労働者への信頼である。「社会を回しているのは労働者で、団結すれば勝てる」「あいつも労働者だから、闘いの中でつかむ」「いい部分を何割にできるか」「現場に理解されない方針は、間違っている」。現場の労働者に依拠できたかで勝負が決まっている。ここに依拠できなかった時、どうなるのか? 総評、国労が示している。
  一定まとめてみたが、まだものにしきれてない感がある。今日の観点から再度、『新版 甦る労働組合』を第2部を中心に読み込みたい。

【a】

 大言壮語−この党学校に入ることで、私の人生をかけた1年間をかちとることである。あえて1年間というのは、3月を最後に職場から離れた。職場の労働者、そして私と関わりのある(シンパ)を獲得できるか否か。この1年で決着の鍵を実践的につかみたい。
◎動労千葉を歴史的に戦後労働運動と70年決戦と分割・民営化との闘いの歴史の中に位置づける…という提起は、“どういう時代に生きてきて、今どういう時代なのか”、その中で、しっかりと勝利の地平を確認することであるだろう。
T 労働組合こそ「社会全体の転覆の手段」「労働者階級が団結する手段」「革命の武器」−組織することの決定的重要性。当たり前だが、革命への組織の一歩であり、外から働きかける第一歩。マルクス−私(オルガナイザー)が「存在を認めてくれた」から体制内指導部の一角にいるシンパを私自身をかけて獲得しよう。
U 革共同−70年安保・沖縄闘争という一言で言うところの“歴史的実践者としての動労千葉”。簡潔だが5点の帰結は、革共同なくして動労千葉なし、動労千葉なくして革共同なし、と言い切ったところに、最大の党と労働組合の関係、革命と労働組合。そして、今日までの、今日の党派闘争の核心点とも言える。対カクマル戦の中での国鉄以外の労働戦線での後退、党と今日の階級的労働運動の地平は全党員のものと確認したい。動労千葉労働運動を真に内在的にとらえ返したい。
V 労働運動の労戦統一、総評解体−連合化に至る過程が、労働組合を甦らせる闘いとしてあったこと。資本のすさまじい分割・民営化攻撃と、反革命・カクマル、国労との党派闘争の闘いの一場面の決断一つ一つが闘ったが故に団結し、残ったことに改めてすごい。総評という中に労働運動として身を置き、そして戦闘的に革共同として闘ってきたが、改めて今求められている私自身が担うべき産別の闘いを、動労千葉労働運動とマルクス主義で武装して進んでいきたい。

【G】

 現在の労組破壊の攻撃の中で、今、『新版 甦る労働組合』を学ぶことの意義を明確にしていると思います。
  革命的共産主義運動と動労千葉の闘いということについての歴史は、自分自身の中で、もっと学んでいく必要性を感じました。
  現在の職場における党派闘争の激しさという点から、“労働者を信頼する”し、組織するということが、口で言うのは簡単だが、おそらく大変な困難性をともなうものとしてあると思う。この党学校では、そういう職場での実践と結びつき、実践において何が問題になっているのかをつき出し、何が必要なのかを学ぶことだと思います。
  これから、「闘う労組をよみがえらせるためにどうするのか」「マルクス主義をよみがえらせる」ということそのものについて、実践とがっちりかみ合った討論を通して、自分の中に物質化していくということだと思う。
  そういう点で、提起を聞いて、まだまだ自分自身の不勉強を克服する契機にしていかなければならないことを痛感しました。
  党学校においても、もっと労働現場のリアルな現実をとおして、理論的学習と一体で学んでいきたいと思いました。
  党学校のイメージとしては、実践と少し離れた理論活動ということでしたが、今回は内容も「甦る労働運動」ということだったので、普通に集中することができました。
  大恐慌情勢の中、動労千葉が今存在して闘いぬいていること、その切り開いてきた(いる)地平を(その階級的歴史的意義を)闘いの歴史を通して、あらためて強く感じました。

【h】

 第1回目に動労千葉労働運動をとりあげたのは、すごく正しいと思う。動労千葉労働運動の中に、生きたマルクス主義が息づいているとつくづく感じているので、古典を学ぶ上でも実践的でわかりやすいと思います。
  今回は、労働組合の位置づけとして、労働者階級が団結する手段として、革命に勝利する手段として、そして何よりも、現実の労働組合運動をプロ独能力を身に付ける手段として位置づけることで、労働運動路線が一層、労働者が勝利していく展望として見えてきたと思います。
  今一つ、今回は、三井・三池闘争とスト権ストの総括が鮮明に出されていてよかった。民同労働運動の限界と誤りがはっきりし、他方で、どう闘うべきかも鮮明になったと思う。三井・三池闘争が、「総資本対総労働の対決」と称しながら、その実体が体制内労働運動だったということがよくわかった。
  スト権ストにしても、他の官公労との共闘として闘わなかったのも、根底には、プロ独に向かっての位置づけが最初から全くなくて、ブルジョア体制の維持を前提にするという根底的弱点をもっていたことがよくわかった。これからの労働運動は、職場や職種が違っても、4大産別で決着をつけていく中で、勝利の展望をつかむことができると思う。また、塩川一派の問題もよくわかってよかった。
  今後も、労働運動路線、4大産別決戦の闘いをより豊かに発展させていく党学校としてかちとっていきたいと思います。

【i】

 「党学校通信GAKKOU」は、ずっと関心を持って読み続けていたとはいえ、きちんとした形で受講して学びたいと考えていた。
  古典学習講義が並ぶ中、初回が「動労千葉労働運動と革命的共産主義運動の地平」という形で、第10期党学校のめざすものが明らかになったように思う。古典を文献考証学的にいくら詳しく読んでみても、革命への足がかりにはならないに相違ない。
  さて、党の革命の中で、党内には「動労千葉は民同だ」などという連中が、それも指導部にいたということを知り、本当に驚いた。何のために、あの苦しいカクマル−権力との文字通り生死をかけた闘いをやりぬいてきたというのか。先制的内戦戦略は、ある意味で動労千葉を守りきる−そしてその闘いを発展させるためにあったのではなかったか。
  とはいえ、「動労千葉はすばらしい」と見物席から拍手を送ってみても仕方がない。動労千葉は何故、かくもすばらしい闘いを貫いていられるのか、その解をしっかりと把えるのでなければならない。
  初回講義では、分割・民営化攻撃に対して、「動労千葉はなぜストで闘いぬけたのか」と設問して、「@労働者観、労働組合観の違い」「A時代認識の違い」をはじめ、7点があげられていた。要するに、マルクス主義的世界観にもとづき、革命を本気でめざして闘ったがゆえだということだと思う。
  この動労千葉の闘いの精神にふまえ、今後1年間、きちんと受講し続け、学んでいきたい。非常に楽しみだし、ワクワクしています。
  なお、「動労千葉は民同だ」などという奴等のことがいまだに分からない。本当に驚きである。一体、どういう論理でそんなことを言ってのけるのだろう。わが党が、階級的労働運動路線とは対極的なものにねじ曲がっていたということなのだろうが、その点をもう少し展開してほしかった。それは、動労千葉労働運動のもつ革命的地平をより浮きぼりにしてくれるものとなるのではないだろうか?

【f】

 闘いを点ではなく線、すなわち歴史として見ることによって、現在の大恐慌、そして画歴史的な攻撃としての道州制とどう闘うのかという路線が深化させられた点で、かなり決定的な講義だった。核心は、4大産別決戦であり、学生の場合は法大決戦だ。とりわけ4・24法大集会は、時代の趨勢がかかっているのであり、そのことは今回の講義を受けたからこそ自信を持って言える。つまり、「戦争と民営化」という問題に、敵の側(法大当局)が全体重をかけて突っ込んできているということが、歴史的な観点から見て完全に鮮明になったということだ。
  そのメルクマールが「営業権」という概念だ。「真理探究」、その他諸々の美辞麗句を並べ立てて、必死にヴェールの内に隠し通してきたものを、敵の側から引き剥がすと宣言したのだ。現れたものは、むき出しの資本主義であり、行きつく先は学徒出陣だ。
  社会の主人公は労働者であり、大学の主人公は学生であるということを少しでも譲った瞬間、学生は学生として生きることのすべてを否定される。だから、大学による一切の命令、処分を我々は許さない。それが4・24集会だ。4・24集会は、動労千葉の闘いの地平そのものであり、党建設の決定的な環となる。4・24の闘いは、必ずや道州制粉砕の闘いの火を全国・全世界に放ち、革命に向かうこの闘いを爆発させると確信しています。

【q】

 「動労千葉労働運動と革命的共産主義運動の地平」の報告を聞いて、動労千葉の実践してきたことが本来の労働組合のあり方、ということが改めて理解できたと思います。
  戦後労働運動の歴史は、「55年体制」の再編によって体制内へと変質され、そこをめぐって革共運動もそのあり方を突破するものとして闘われてきたと思います。本多著作選の中で出されている内容が、対カクマル戦の中で後退する中で、それを唯一体現してきたのが動労千葉の闘いだったのではないか。だからこそ、労働組合のあり方をマルクス主義のもとに取り戻す。そのことを『新版 甦る労働組合』の中で提起していると思います。
  スト権ストの破産は、総評・民同労働運動のその根幹にこそ問題があったんだ、ということが提起を聞いて理解できました。「つまり帝国主義と対決し、これを打倒しようという労働運動ではまったくなかった。…だから高度成長が終わり、帝国主義の体制的危機と新自由主義の攻撃が激化し、55年体制も崩壊する局面にいたるや、まったく闘えなくなり…破産・崩壊し、終焉するにいたった」。だからこそ、革命情勢を迎えた今こそ、第2、第3の動労千葉を生み出すために全力をあげていきたいと思います。

【F】

 総評・民同労働運動の歴史的限界(その3)の項は、世界大恐慌を革命に転化するためにどう闘うべきかを、鋭く提起していると感じました。
  75年スト権ストの、それ自身は公務員のストを禁じた公労法の撤廃を、議会を通じてではなく、ストライキでかちとろうとしたにもかかわらず、物流は止まらず、弾圧と闘う緊張もなかった。国鉄、全逓、全電通がストに入りながら、それが民間の運輸労働者のストへと拡大しなかった。提起されているように、もっと全社会を止める大闘争に発展させることが必要だったし、そうすれば街頭での激突は不可避で、労働者の戦闘性、革命性が一気に解き放たれたでしょう。「生きさせろ!」ゼネストで実現しようとしている闘いが、これです。資本家階級が労働者階級を分断支配するために、歴史的に労働者の団結を破壊し、労組の弱体化のために執念を燃やしてきたことを積極的にとらえて、資本と職場で非和解で闘い、分断をうち破り、団結を形成し、守り、拡大していく中に、労働者階級の勝利があります。分断の打破と団結の回復は、すべての労働者が希求していることです。スト権ストの敗北が、その後(前後?)の労働運動−階級闘争を規定していると思うにつけ、あらためて動労千葉労働運動が切り開いてきた地平から学び直さねばと思いました。

【b】

 第2次国鉄決戦を先頭とした4大産別(6大産別)決戦、道州制・民営化粉砕決戦を戦略的路線として確立したことが決定的であること、このことを唯物論的に、つまり歴史的にはっきりさせることが重要だと感じています。ここをはっきりさせた時、僕たちの路線的求心力は爆発的に拡大する。
  この点については、今日の講義で一定出されていると思います(すいません、時間が無くて少し消化不良気味です)。
  分割・民営化の攻防で、動労千葉以外の体制内党派は総屈服しましたが、これを指導部(党)の問題としてちゃんと総括することが重要だと感じました。国労などの体制内指導部は、その時代認識や路線において非マルクス主義でした。だから、帝国主義戦後体制(安定期)の崩壊とともに雪崩を打って転向した。民営化とは、帝国主義の延命策であり、資本主義・帝国主義と闘うマルクス主義の思想がなければ闘えない。動労千葉は、反合・運転保安闘争路線の確立によって、資本主義の本性としての合理化攻撃と真正面から対決してきた歴史があったからこそ、大合理化攻撃としての民営化攻撃とも闘って勝利することができたと思います。
  大恐慌情勢の中で、さらなる民営化攻撃、道州制導入が狙われています。そういう中で、資本主義と闘えない連合や4者4団体派の急落が始まり、僕達にも、これとどう闘うかが問われている。この時に、国鉄闘争勝利、民営化・道州制粉砕という路線で立ち向かう際、動労千葉と革共同が日本階級闘争史上で切り開いてきた地平をもっともっとはっきりさせて全階級のものにしていくことが重要だと思います。(時間がなくてまだまだ消化不良です。またレジュメを読み返して復習します。)

【p】

 『前進』09年新年号アピールの「闘う労働組合とマルクス主義を甦らせ、世界大恐慌をプロレタリア革命に転化せよ」のテーマと、その実践として動労千葉労働運動を実践し、第2、第3の動労千葉を職場につくり上げることが言われている。『新版 甦る労働組合』そのものが、生きたマルクス主義の実践そのものであることを実感します。
  労働者を徹底的に信頼した労働運動、労働者自己解放の労働運動と一言で言われるが、その原点的確認についての核心がマルクス主義だと思う。
  4大産別決戦は、大恐慌情勢の下ではプロレタリア革命そのものをたぐりよせる決戦だ。とことん切り詰めて言えば、団結破壊か、団結の強化・拡大か、ということだと思う。
  連合下にあっても、4大産別に戦後労働運動の戦闘性が現場労働者の闘いで死守されており、また、その産別労働者の動向が体制そのものを決する産別だ。プロレタリア独裁を決する産別だ。
  教育労働者は、戦争推進の尖兵から「教え子を戦場に送るな」のスローガンをつくり上げ、現在も指導部の腐敗をはねのけて闘い抜いていることには大きな意味がある。
  我々は、このスローガンについてどう考えるか。確かに戦争への反省ということが大きいと思うが、戦後革命期の次々に立ち上がる労働者、団結がつくられ、その中で無数の論議が積み重ねられてつくり出されたものと思う。その意味で、団結=同じ意志や思いを共有する団結こそが、戦争問題でもすばらしいスローガンをつくり上げるのだ。
  4大産別決戦で革命への道を一直線に切り開こう。

【M】

 党学校に入学した目的は、生きたマルクス主義を改めて自分のものにしたい、それをぬきに路線的に産別決戦を闘い抜けないという切実な思いからです。
  今日の提起で改めてはっきりしたことは、動労千葉労働運動が、体制内勢力との徹底した路線的対決と闘う労働組合をつくるんだという強烈な自覚の下に営々として闘われてきたということだ。
  「資本主義の終わりの始まり」の中で、資本家階級が労働組合つぶしにうって出てきた時に、唯一動労千葉だけが屹立できているのは、労働者をトコトン信頼し、マルクス主義で武装し、団結して、階級的路線を貫いてきたからだ。
  滝口さんへの解雇攻撃も、高石闘争も、敵とは非和解であり、攻撃の狙いは常に労働組合つぶしなんだという立場で、「一人のクビ切りも許さない」立場を堅持し続けてきた。実践的には、これこそ「マルクス主義」なんだと思う。
  個人的には、結成時から交流センターに加入し、動労千葉の中野顧問とも同席する機会があったが、常に情勢を語り、闘いのスローガンをどうするか真剣に考え抜いていた。時代認識と路線が労働組合運動の核心なんだということを実践されていたからだと思う。
  党と労働組合の関係が階級的労働運動路線で確立され、今はただひたすら実践だが、動労千葉が青年を獲得し、国際階級闘争の最先端に立っているのは、労働運動の現場で、動労千葉が70年決戦からP1・P2段階、そして5月テーゼから今日まで、革命的共産主義運動を満身創痍で切り開いてきたからだ。
  今日改めて、動労千葉派として労働運動の渦中に在ることを自覚しました。

【W】

 今回の学習会、及び討論を通して、階級闘争の核心と、革共運動の切り開いている地平、そして動労千葉労働運動のつくり出しているものを把え返すことができた。
  資本主義社会(帝国主義社会)において資本は、プロレタリア革命を圧殺するために、労働組合・労働運動を解体・変質させる攻撃を不断に行っていること、労働運動、革命運動の歴史は、それとの攻防の歴史である。
  総評労働運動に代表される戦後労働運動も、そのような観点から総括されなければならない。
  総評労働運動の破産と限界は、体制内労働運動の破産と限界であること、体制内労働運動は労働者階級の決起を押し込む勢力として登場していることを改めて感じた。
  現場労働者の決起に依拠して闘うこと、労働者の団結と闘いの中にプロレタリア革命の現実性があること、体制内労働運動はこれらを押さえ込むことに総力をあげていること、したがって現場の闘いは体制内労働運動との激しい攻防になること、動労千葉労働運動はこうした闘いを切り開いてきたのですね。
  資本主義社会が音を立てて崩れる過程に突入し、膨大な労働者人民の決起が始まりつつある。革共同がこうした時代の中で、真のプロレタリア革命の党として登場できる地平を(まだ端緒だがその可能性を)つくり出している。
  闘う労働運動をよみがえらせ、団結をとり戻し、私も胸を躍らせて、闘っていきたいと思いました。

【y】

 動労千葉労働運動を、4大産別を基軸に全面的に貫徹するためにも、今回の提起は実践的だと思いました。今日の大恐慌の中で資本が生き残りをかけて、戦争と民営化・労組破壊の攻撃をしかけてきている中で、プロレタリア革命をめざす労働組合をつくり、資本主義を打倒し、労働者が社会の主人公として権力をとらない限り、労働者階級の勝利はない。これが、労働者一人ひとりの人生の問題になっている。
  このことを明らかにしていくためにも、資本主義を前提とし、資本主義のもとでも労働者は永遠に生きていけるかのような、体制内労働運動=総評労働運動の限界、社会党的「マルクス主義」やスターリン主義の反階級的正体を歴史的に展開していて、膨大な労働者を体制内派と闘って獲得するために、大事だと思った。
  動労千葉の闘いの歴史は、感動的です。一人ひとりの労働者の(家族を含めた)闘いに徹底的に依拠している。労働者は、敵の十字砲火を浴びても、動労カクマル・松崎のような大裏切りをする奴らを許さない。人生を仲間とともに決して、ストライキに立ち上がっていく。労働者が少数であっても、こうやって団結して闘った時に、血路は開かれ、連合支配との対決軸がうち立てられた。ここに、勝利の展望がある。
  今日では、大恐慌下で、資本の攻撃の中で、労働者は揺れ動きながら動労千葉派を見ている。時代認識をストレートに出して、労働者を必死に獲得していくために闘います。

【X】

 動労千葉が分割・民営化攻撃という世界的に困難な闘いに勝利した、膨大で長い闘いがその前史も含めて、分かりやすく、かつ、簡潔にまとめられた講師の提起に非常によい学習になりました。
  私の関心がある、動労千葉がその質・量ともに豊かな組合活動家集団=細胞建設をいかに成功させたのかに最も軸点を置いて、今回も学習に臨みました。
  それは、マルクスが『ヘーゲル法哲学批判序説』等、『経済学・哲学草稿』『ドイツ・イデオロギー』等で明らかにした、労働者・労働者階級へのおしみない賛歌とも言える“労働者の解放が全人間の解放”であるという唯一の存在ということ、このことを基礎にしながら、労働者に常に誇りを鼓舞し、労働者を限りなく信頼し、労働者に依拠するということを、実践しぬいた証であることが、あらためて学習できた。
  また、こうしたすばらしい存在としての労働者の団結と団結形態である労働組合の中でこそ、建設すべきプロ独・社会主義社会の輝くような社会の萌芽をつかみとることができる。協会派などが体制内派であったというだけでなく、ソ連の崩壊とともに4者4団体派などに見られるように、おぞましい程の転落と腐敗が生み出されたことの中に、労働者に建設すべき社会を語ることができなくなったと同時に、“平和革命”であれ、“革命”を語ることのできない労働運動がいかにおぞましく崩壊するかということだろうと思う。
  我々は、資本主義、帝国主義が人類史上最も腐敗し、ナンセンスで終わっているから打倒し、革命するというだけでなく、我々が建設する労働者が支配する社会が、労働者が限りなくすばらしいからこそ、この労働者の団結に基礎をおく社会が絶対に輝く社会であると確信するからこそ、全ての労働者と共に革命をやりたいんだと、改めて確信できた。