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2009年04月号

党学校通信

党学校機関紙 A4判月1回発行 頒価100円

今月の内容 レーニン『国家と革命』(下)

後半講義概要 P1-8

★討論から- P9-15

受講レポート P15-20

2008年12月号
通信 バックナンバー
党学校通信 p1-8  講義概要

レーニン『国家と革命』(下)

後半講義概要 講師丹沢 望 

■『国家と革命』と労働組合の革命論的意義

 階級的労働運動路線の発展の観点から『国家と革命』を読み直すことが今、決定的に重要になっている。そのためには、プロレタリア革命において労働組合、労働運動がいかなる役割を果たすのか、労働者階級は労働組合運動をとおして、どのような道筋をとおって革命に到達するのか、そして、労働者階級の革命的前衛党は、この闘いを指導するためにいかなるものとして自己を形成していくべきかという問題意識を強烈に持って、ロシア革命を総括することが必要だ。なぜならば、ロシア革命が歴史上初めて、革命的前衛党の指導の下で労働組合を基盤として勝利したプロレタリア革命であったからだ。
  さらに、そうした作業を通じて今日のわれわれの階級的労働運動路線の理論的・実践的基礎を固めると同時に、マルクス、エンゲルスの国家・革命論、レーニンの『国家と革命』の内容を現代的に復権しなければならない。
  この課題は、本来レーニン自身が『国家と革命』の「書かれざる第7章」において明らかにしようとしたものだ。だがレーニン自身は、この課題の決定的重要性を自覚しつつも、革命の渦中で忙殺され、ついにそれに着手できなかった。
  労働者自己解放の立場に立ち、現代プロレタリア革命を実現する立場に立って階級的労働運動路線を提起し、実践しているわれわれこそ、レーニンにかわってこの課題を達成しなければならない。また、それができるのはわれわれしかいない。
  『国家と革命』の基本思想をロシア革命の経験の総括を通じて、より豊かなものとしてつかみ直していく作業の中で核心的なものは、「労働組合の革命論的位置づけ」の明確化と、それをめぐる激しい党派闘争の貫徹の重要性である。

●労働組合に重点をおいたロシア革命の総括

 ロシア革命を今日的に総括する場合、われわれは今までの発想を根本的に転換しなければならない。今までのわれわれのロシア革命史への関心は、どちらかといえばロシア革命の政治的・軍事的過程そのものに焦点を絞る傾向があった。「巨大な政治闘争、街頭闘争、権力奪取の武装蜂起、非合法・非公然の党と非合法・非公然活動」などの展開に重点を置いてロシア革命史を分析する傾向があった。
  しかし、それらの闘いを根底で支える基盤となり、実際にソビエト内の力関係の転換や権力奪取を成功に導いたのは、労働組合と労働運動を圧倒的に発展させた労働者であり、それを重点的に指導する戦略をとった前衛党であった。つまり、労働組合、労働運動に視点を定めて、ロシア革命史を総括することが、ロシア革命の真の姿をとらえるためには決定的に重要だということだ。
  レーニンが「書かれざる第7章」を書いたならば、必ずこうした観点からロシア革命の総括を出したであろう。
  したがって、われわれは、以上の観点から「書かれざる第7章」を完成することによって、『国家と革命』を新たな視点から再構成し、同時にわれわれの階級的労働運動路線の正しさを実証しなければならない。

●革命と労働組合についてのレーニンの基本認識

  レーニンは、マルクス、エンゲルスの「労働組合は、資本の侵害に対する抵抗の中心としておおいに役立つ」が、「資本とのゲリラ戦にのみ専念して労働組合の組織された力を現行制度の変革、すなわち労働者階級の究極的解放と賃金制度の最終的廃止のためのテコとして使用しなければ、闘いは全面的に失敗する」という立場を継承し、「労働者階級の解放は労働者自身の事業でなければならない」(『社会民主党綱領草案と解説』、レーニン全集第2巻)という立場に最初から立っていた。
  だから、前衛党が労働組合を自己のまわりに獲得できなければ、プロレタリアートは「権力を奪取できない(しかも権力の奪取を試みることができない)」(レーニン選集第4巻)とし、前衛党の任務も労働組合の革命的獲得に重点を置かねばならないと主張し続けた。
  また、革命後に樹立されるプロレタリア独裁に関しても、「労働組合はプロレタリア独裁の基礎であり、支柱であり、もっとも親しい協力者であり、プロレタリア独裁の主要な構成部分である」としていた。
  こうしてレーニンは、労働組合を革命の全過程、革命後のプロ独樹立から、共産主義社会への移行過程すべてにおいて最重要の役割を果たす存在とみなしていた。

●1905年革命と労働運動

 05年革命に至るまで、ツアー体制下のロシアでは労働組合は非合法であった。だが、ロシアの労働者階級は、労働組合が存在しないにもかかわらず、ロシア資本主義の形成と同時に極めて戦闘的なストライキ闘争を開始し、すでに1890年代からツアー体制を根底から揺るがす闘いに突入していた。
  こうした中でレーニンは、1895年に「労働者階級解放闘争同盟」を創設し、労働運動を軸とする革命闘争を開始した。
  これに対し、ツアー政府は、革命党を厳しく弾圧すると共に、反動的な官製労働組合を組織し、労働運動の革命的発展を抑制・管理しようとした。
  だが、レーニンの党はこのような反動的組合に組織された労働者の中でも積極的に活動し、社会主義的宣伝・扇動を全面的に展開した。この闘いの成果は05年革命として結実する。この過程は同時に、労働組合への革命的政治の持ち込みを拒否する経済主義者との熾烈な党派闘争に勝利する過程でもあった。
  05年革命によって労働組合が一時的に合法化されると、ロシア社会民主労働党(1898年創設)は、第3回大会(05年夏)以降、ペトログラート、モスクワ、オデッサなどの主要都市に続々と労働組合を結成する闘いに突入し、05年10月の170万人のゼネストから労働者ソビエト創設に至る05年革命の巨大な発展の道を切り開いた。
  ソビエト自身はメンシェビキやエスエルなどの日和見主義者がヘゲモニーを握る組織であった。社会民主党はこの時点ではまだ労働組合に確固たる基盤をもたなかったために、ソビエトのヘゲモニーを握ることも、革命に勝利することもできなかった。とはいえ、レーニンが05年革命の総括を経て労働組合がソビエトの胎児組織であり、プロ独国家は労働組合を土台として建設されるという基本的立場をこの時点で確立したことは決定的な意義をもっている。

●反動期の労働運動

 05年12月モスクワ蜂起の敗北後、労働運動は再び厳しく弾圧される。こうしたなかで、労働組合における革命党の闘いをめぐって、激しい党派闘争が展開される。党を解党して労働運動を経済主義的にのみ展開する「解党主義」や、労働運動を放棄して非合法の政治的・軍事的闘いにのみ集中しようとする「召還主義」や、プレハーノフらの「労働組合中立論」などは、いずれも労働者階級のなかでの革命党の闘いを否定するものであった。
  これに対してボルシェビキは、これらの傾向との断固たる闘いを通じて、プロレタリア革命を貫徹する立場から労働運動を展開する戦略的立場を守りぬいた。
  とりわけこの闘いにおいて、1912年のプラハ協議会は決定的な意義を持った。レーニンは、合法的・半合法的労働組合こそ非合法の党組織の砦、「拠点」「援護所」であり、労働組合がなければ党組織は生存できない、党組織の発展と広範な宣伝活動にとって労働組合は重要な意義を持つと主張した。こうした立場から、ボルシェビキは12年プラハ協議会以降、すべての工場内に非合法・非公然の社会民主党細胞をつくり、労働組合と「協働」して経済闘争と労働運動の巨大な高揚に対応し、指導していく路線を鮮明にした。

●1917年2〜10月における労働組合とソビエトをめぐる党派闘争

 この時期、プロ独をめざすボルシェビキの階級的労働運動を軸とする権力奪取の闘いに対し、ブルジョア臨時政府、エスエル、メンシェビキなどの日和見主義勢力が一丸となって敵対し、両者の間ですさまじい党派闘争が展開された。プロレタリア革命が具体的課題となったとたんに「マルクス主義」「社会主義」を標榜するあらゆる勢力が反動化し、ついにはブルジョアジーと連立政権を形成してボルシェビキに対して反革命的攻撃を仕掛けた。資本主義の救済か、その打倒を通じたプロ独樹立かをめぐって一切の党派闘争が展開された。
  この党派闘争に勝利し、労働組合とソビエトで圧倒的多数派になり、臨時政府を武装蜂起によって打倒する力の源泉はどこにあったか。それは、ボルシェビキが徹底して労働者階級の団結体である労働組合や工場委員会に依拠して、職場支配権と権力を握ったところにある。
  このような状況は、今日われわれが直面している情勢そのものだ。われわれは、動労千葉の職場を拠点とした革命を目指す階級的労働運動の展開と動労千葉型労働運動の全国的発展を勝ち取ってきた。また、革命的ソビエトの樹立を射程に入れた地区党建設の闘いの展開、そして日韓米の共同の党建設の闘いの貫徹を通じた世界革命を目指す運動の発展を実現している。
  だからこそ、破産と絶望的危機のどん底に追い詰められた4者4団体派、日本共産党、塩川一派、カクマルなどのすべての体制内派が、一丸となって動労千葉と革共同の闘いに敵対し、プロレタリア革命の破壊のために全力を注いでいる。これらの勢力との党派闘争に勝ち抜き、動労千葉の闘いを軸として階級的労働運動のさらなる全面的発展を勝ち取ることこそ、唯一の勝利の道だ。
  この点を以下、ロシア革命における工場委員会の闘いの総括を通じて明らかにする。

●ロシア革命における労働者統制と工場委員会の意義

 ボルシェビキは労働組合とソビエトのかなりの部分のメンシェビキ、エスエルによる支配を転覆し、臨時政府を打倒するために、どのように闘ったのか。単なる政治路線の正しさや、戦争問題をめぐる党派闘争や、街頭闘争での勝利という空中戦的闘いを通じて、ボルシェビキが勝利したのではない。ボルシェビキは工場委員会(メンシェビキなどの産別支配を覆すために、各工場ごとに形成された一種の労働組合)による職場・生産点における権力の奪取と職場支配権の確立と、労働者による生産・管理業務の統制を通じて、労働者権力の基盤をつくった。
  2月革命直後、街頭から工場に戻った労働者は直ちに工場委員会を形成し、8時間労働制の要求、反動的職員や管理者の追放、労働者や職員の任免権の獲得など、職場での資本との本格的闘いに突入し、社会主義革命に向かって闘いを開始した。
  この闘いは、資本家たちが革命に対抗するために、生産サボタージュ、ロックアウト、革命的労働者の解雇、物資隠匿、機材の撤去と移転などによって、革命的労働者の闘いを解体しようとしたことに対する反撃の闘いであると同時に、資本家と妥協するメンシェビキらの闘争放棄と闘い、ソビエト内の力関係を転換し、革命のイニシアチブを労働者階級とボルシェビキの手に奪い返そうとするものであった。
  ボルシェビキはこのような闘いを意識的に組織した。工場委員会は、労働組合がない工場でも、メンシェビキが産別を支配している産業の各工場でも、闘争委員会、職場委員会のような形で組織することができ、その工場の全労働者の意思を直接反映する闘争機関であった。
  工場委員会の革命的労働者たちは、ボルシェビキの指導下で労働者統制の闘いを展開する中で、全労働者を経済管理闘争に引き入れ、資本や反革命勢力との激突を通じた労働者の政治的・軍事的武装の推進、工場防衛のための赤衛隊の形成を実現した。こうして工場委員会の闘いは、経済闘争と政治・軍事闘争を文字通り一体的に展開しつつ、ソビエト内のヘゲモニーを掌握し、社会主義革命に向かっての準備を急速に前進させる役割を果たした。
  5月末には376の工場委員会を集めてペトログラート工場委員会が形成され、それを軸として全国の工場委員会が組織された。4月テーゼ以降、工場委員会による労働者統制を強化する路線を確立したボルシェビキは、これらの工場委員会で圧倒的な優勢を占めた。
  こうして17年3月から10月にかけて全国で2151の工場委員会が形成され、ソビエト内におけるボルシェビキとメンシェビキ、エスエルの力関係は、10月の武装蜂起直前には完全にボルシェビキに圧倒的に有利なものになっていた。
  ボルシェビキは、工場委員会の闘いを通じて、資本家、国家権力との最後の決戦の準備を完了した。工場委員会の武装した労働者は、各工場に軍事委員会を形成し、ボルシェビキの創設した軍事革命委員会の主軸を担った。
  また、武装蜂起に勝利した後も、工場委員会は国家機関の一翼を担い、全面的労働者統制を実現する主体となった。
  以上から明らかなように、工場委員会を基盤とする労働者統制とは、労働組合とソビエトがメンシェビキらに支配されている状況下で、ランク・アンド・ファイルの職場・生産点での怒りのエネルギーに依拠し、労働現場で労働者自身による主体的で革命的な闘いを展開し、その支配を転覆し、臨時政府を打倒するための唯一の階級的団結形態であった。それは、個々の職場・生産点で権力を握ることがいかに重要であり、政府や規制労組の重厚な支配構造を根本から転覆する重要な戦略的テコとなるかを示している。
  職場闘争委員会や、労組交流センター、合同労組などの今日のわれわれの職場・生産点でのランク・アンド・ファイルに依拠した闘いは、本質的にロシア革命における工場委員会の闘いと同質のものだ。われわれの動労千葉型労働運動=階級的労働運動路線とは、工場委員会が展開した闘いを路線的に追求するものであり、極めて大きな展望をもつものだ。われわれが今始めている闘いに圧倒的な確信を持って前進しよう。

●労働組合と労働者の武装

 労働組合は労働者の武装部隊形成の決定的テコとなった。2月革命後の臨時政府による警察の復活策動に対する反撃として、労働者たちはボルシェビキの呼びかけに応え民兵組織を各工場に形成した。それは次第に労働者赤衛隊へと発展していった。赤衛隊は、経済統制や資本家のサボタージュへの対処のために威力を発揮したばかりでなく、8月下旬のコルニーロフの反革命反乱を鎮圧する重要な役割を果たした。
  これらの闘いを通じて、労働組合は10月蜂起以前に総武装され、職場支配と軍事的武装を同時的に実現した。
  内戦と帝国主義の干渉戦争の時代においても、労働組合は決定的な役割を果たした。18年夏以降の富農の反乱、18年5月以降のチェコスロバキア軍団の反乱、秋以降のコルチャック、デニキンらの反革命軍の活動、19年春から夏にかけての帝国主義諸国軍の武力侵攻などに対して闘ったのは、労働組合から派遣された労働者軍であった。
  これらの反革命軍と闘うために結成された赤軍は、労働組合を主体として形成された。労働組合幹部とランク・アンド・ファイルは、ボルシェビキの呼びかけにこたえ、わずか数カ月間で30万人の赤軍部隊を形成した。前線に近い地域の労働組合は武装して赤軍正規軍を支援する活動を展開した。また、補給・兵站活動も労働組合が担った。
  帝国主義の正規軍と闘うためには農民の戦争動員が必要であったが、これも労働組合が募兵活動を担った。人口の1割にも満たない労働者階級が内戦と帝国主義の干渉戦争に勝利するためには、労農同盟に基づいて、圧倒的多数の農民を組織し、武装して、共に闘う必要があった。労働組合は見事にこの困難な闘いを担い、19年10月までに300万人の赤軍を組織し、内戦と干渉戦争での勝利を獲得した。

●戦時共産主義期の労働組合

 この時期、ボルシェビキは『国家と革命』で明らかにされたプロ独の内容を具体的にするために、パリ・コミューンの「4原則」をできるだけストレートに貫徹しようとした。労働者の武装を核とした全人民の武装=民兵制の導入、官吏の選挙制と随時罷免制、労働者並みの賃金、立法府であるとともに執行府でもあるソビエトのプロ独権力としての強化などである。
  だが、ロシアの現実はレーニンの予測を超えて、あまりに多くの困難に満ちていた。武装した反革命勢力の無視できない存在、帝国主義諸国軍隊の反革命干渉戦争による国土と経済の破壊、労働者階級の絶対数の少なさ、ソビエトや労働組合における小ブル勢力の影響力の大きさ(当時まだ社会革命党員は100万人、メンシェビキ党員は20万人いた)、そしてなによりも労働者階級総体の政治的・文化的水準の問題などである。また、ドイツ革命を始めとする西欧における革命の不発も、巨大な重圧をロシアに集中する結果をもたらした。
  このため、ボルシェビキは、プロ独を維持するために民兵制度から常備軍制度へ、選挙・解任制から他段階選挙制度や単独責任制へ、同一賃金から格差賃金へと相次ぐ後退を強いられた。ただし、レーニンはロシアの現実を冷静に見つめつつ、あくまで労働者階級の自己解放能力に徹底的に期待し、依拠してプロ独目指して闘った。このような後退からの早期脱出を図るために、レーニンは徹底的に労働組合に依拠した。

●労働組合の国家化政策

 18年頃から19年初めにかけて、労働組合に国家機能の大部分を担わせる「労働組合の国家化政策」が実施された。レーニンは18年10月の10月革命1周年記念の日に、「労働者階級が管理を学びとり、労働者大衆の権利が確立されたときに初めて、社会主義は形づくられ確立されうる。……これがなければ社会主義は願望にすぎない。だからわれわれは、この政策が矛盾に満ちたものであり、不完全な方策であることを知りながらも、労働者統制を実施したのである」と述べている。
  労働者階級はこのレーニンの期待に応え、すさまじい情熱を噴出させてプロ独国家建設のために続々と決起した。労働者階級は生産と分配の自主的管理・運営の巨大な経験を通じて、自らをプロ独の主体と自覚し、その基礎を築いた。

●「労働組合は共産主義の学校」論

 だが他方で、内戦期・反革命干渉戦争の時代が過ぎると、戦時共産主義は行き詰る。それは、すでに見たような客体的困難と労働者階級の階級的自覚と文化水準・管理能力の不十分性という主体的困難を原因とするものであった。
  また、食糧強制徴発の続行に不満を爆発させた農民の反乱と、労農同盟の危機という事態にも直面した。
  こうした中でボルシェビキは、新経済政策に転換し、一定量の食糧と農業副産物の税としての徴収後の余剰農産物の自由売買を容認することによって、労農同盟を回復しようとした。他方、工業面では、経済採算制の実施、貨幣額による企業実績の評価、賃金の貨幣賃金への移行、工場における労働者集団責任制から単独責任制への転換などを実施した。
  これに伴って労働組合も、国家機関としての位置づけから、「共産主義の学校」へと位置づけ直された。
  レーニンは、労働組合は、共産主義の学校として労働者階級の経済的管理能力を高め、統治能力を強化すること、また共産主義的自覚を高めることを主要任務とするとしたのだ。これは労働者階級があくまで社会の主人公であることを認めた上で、ロシアの労働者階級の主体的現実を見据えて、当面は労働者階級は社会の主人公にふさわしい能力を自ら獲得する闘いに重点を置くべきであるという観点から打ち出された現実的政策だ。

●労働組合と国家の融合論

 その上でレーニンは、共産主義の学校としての労働組合がその任務を完遂した暁には、労働組合とプロ独国家は融合し、プロ独国家の死滅の具体的過程が始まることを予測した。
  それはプロ独期において労働者階級が共産主義の学校で学び、国家活動にできうる限り参加し、行政と統治に習熟する度合いに応じて、国家と労働組合はいわば「融合」し、ソビエト国家の政治権力としての性格も希薄化し、国家は死滅していくという考えである。国家の死滅の条件は生産力のさらなる発展、全人民の文化的レベルの向上、労働組合の国家管理への参加であるとレーニンは主張しているが、レーニンは特に最後の条件を決定的なものとして重視したのである。
  この融合がしだいに進み、労働組合を最終的に全国民経済管理を行う社会主義国家にかえたときに、国家は国家でなくなり、労働組合も労働組合でなくなる。こうした過程を経て、国家と労働組合に代わる組織=権力や政治に媒介されない生産者の協同組合的な有機的結合体を基礎とした共産主義社会が実現されていくというのがレーニンの予測だ。
  このようにレーニンは、労働組合を通じて経済管理権を次第に労働者全体に引き渡し、その後さらに生産者全体、すなわち全人民に引き渡すという形で国家の死滅を実現するという国家死滅の具体的道筋を模索したのだ。

●結語

 レーニンは、労働組合を革命の初期の段階から、武装蜂起、内乱期、プロ独期、そして国家の死滅過程において極めて重要な役割を果たすものと把握した。こうした理論はロシア革命で実践的に試されたものとしてわれわれに大きな教訓を残している。
  われわれは今日、階級的労働運動路線を貫徹するにあたって、ロシア革命において労働組合の闘いを重視したこのようなレーニンの実践的経験をおおいに学ばねばならない。
  そうした作業は同時に『国家と革命』に関する理論を今日的に創造的に発展させる闘いでもある。労働組合論をマルクス主義の国家と革命の理論のなかにしっかり位置づけ、『国家と革命』を現代的に発展させよう。そしてその実践として、一切の日和見主義との党派闘争に勝利し、現代のプロレタリア革命の勝利とプロ独樹立を実現しよう。

 (後半講義了)

党学校通信 p9-15

討論から

●e

 この間、われわれ自身が、労働者階級の階級性に依拠して、プロレタリア独裁に向かっていく党と労働組合、その関係を戦闘的に、具体的な動労千葉の闘いを土台にしながら、現実的なプロレタリア革命を準備する党としてのあり方を模索し転換してきた過程だったと思う。そこに挑戦できるところに立ってるんだと感じた。
  今日言われたように、現実と向き合って、われわれ自身でつくり上げていく過程なんだと。「これが完成品です」というふうに出てくる、そういうものではない。改めて自分たちの課題として引き受けようっていうことだなと思いました。それが1つ。
  前回、『新版 甦る労働組合』との関係で『国家と革命』をどう読むか、理論が切り開くところがもうちょっと求められてるんじゃないかと思った。だけど今回、『国家と革命』の後半部分としてロシア革命史そのもの、党と労働組合、ソビエトの問題について、バーンと出した。結局、こういうふうにわれわれもぶつかりながら、つかみとっていく、切り開いていくということなんだろうなと思いました。
  パリ・コミューンの原則と、レーニンがつかみとった労働組合の決定的な位置ということを絡み合わせながら、レーニンがやろうとしたことを、今日的な意味でわれわれがやる。つまり、もっと巨大に生産力も発展してるし、労働組合の位置も巨大化してるし、資本家階級の側も、労働組合を体制内化するために総力を挙げているというのが帝国主義の現状だと思います。ここにパリ・コミューンの4原則ということを今日的にどうやるのかという問題意識で切り込んでいきたい。前回と合わせて、だいぶ課題は見えてきた。

●p

 20年前、30年前とは違って、今の現在の路線との関係では、こういう方向で学習するんだと、非常に勉強になった。4月テーゼがその書かれなかった第7章であるというような理解も、30年前には大いにあった。ただその労働組合、もしくは労働組合運動の革命論的意義ということと、革命的意義ということとの違い、つまり「論」が入ってるか入ってないかの違いなんだけど、その辺も大事にしたい。
  『国家と革命』では、1848年の革命とパリ・コミューン。書かれなかった第7章は、1917年の革命。われわれの到達地平、今の路線との関係から言ったら、3つの革命を、ロシア革命の総括も含めてやっていく。理論というのは、その実践現場における応用力をつける基本的な思想というか、そういうものとして『国家と革命』自身は書かれていると思う。
  『国家論ノート』を読み直して、4月テーゼがなぜ可能であったのか。あるいはこの労働組合の革命論的意義との関係で言えば、レーニンの問題意識の中に、現在の国家機構を粉砕する、どのように何とそれを取り替えるべきなのかという、そういうことに関する模索があった。しかも資料というのは1848年の革命と1870年の革命しかない中で。われわれの場合はロシア革命、さらにドイツ革命や日本の戦後革命の教訓もある。メンシェビキやエスエル、あるいはケレンスキーが、結局ソビエト権力に敵対していくのも、根本的には「現在の国家機構を粉砕する」という観点がなかった。この『国家と革命』自身が書いているのはその点。極端に言えば「民主主義もまた国家である」という言い方をして、それで新しいプロ独の労働者権力はどうあるべきなのかという点を追求した。
  だからそれとの関係で、4月テーゼに貫かれているプロレタリア革命の立場ということが、特に3つの革命との関係なんかでも、非常に重要だと今思っています。つまり被支配者階級というのはいろいろな階級あるわけだけども、労働者階級の解放によって階級が廃絶される、つまり全被支配者階級を解放できるんだ、この思想というか、そういう事柄を確認するということと、現在の国家機構を粉砕する、どのようなものに取って代えるべきなのかという問題意識を、ちゃんと合わせることが必要じゃないか。
  もう1つは、国家と権力の問題という場合、プロレタリア階級以外の被支配者階級があるということは前提なわけです。ブルジョアジーすらも、働きもしないで生きているということから解放する、そういう背景から言えば、特にレーニンがとったプロレタリア主義+労農同盟、特にロシア的現実では8割ぐらいが農民ということから、プロレタリア階級の指導性ということはあっても、農民階級の解放も重要であるととらえた。その意味では、特に現代のようなものすごい中間階級が複雑に入り組んでいるような下においてレーニンは、そういう観点からロシア革命、つまり2月革命から11月革命を連続的なものとしてとらえきったんじゃないかということ。
  3番目には、特に労働組合運動との関係では、労働者階級の支配能力の形成という観点が、レーニンの中に相当あったと。工場委員会と労働者統制ということを組み込んで、ゴリゴリやった。そういうレベルから労働運動の革命論的意義を明らかにしていく。
  若い人と勉強してたら、労働者階級と資本家しかいないような形で、社会全体を考えてしまう傾向が強い。そうじゃなくて、最後の階級であると同時に、階級を廃絶できる階級としてのプロレタリア階級という観点を、やっぱりちょっと強調したい。
  そういう意味では、労働組合運動やっていればいいということではない。この場合、工場委員会と労働者統制、当然ながら個々の工場が勝手に生産したら、生産財の配分や過不足が絶対起こる、そんな単純じゃない。しかし、そういうものがある程度高度に発達した資本主義の中では準備されている。そういう意味では革命の現実性というのは、日々ある。そういうことに関して、労働組合の革命的論意義の中にちゃんと入れるべきじゃないかと。

●X

 今日の提起は、階級的団結論で書かれざる第7章をやった。一番ああそうなのかと思ったのは、10月革命の前に、4月テーゼと6月デモへの参加、あるいは7月の6回大会、そこを転換点に、生産現場は、工場委員会と労働者統制でプロレタリアートが専制的に握っていたと。国家権力が二重構造というだけじゃなく、生産現場をもう握っていた。それが武装蜂起の準備だったということが重要じゃないか。
  その上で質問ですけど、私の『なにをなすべきか?』の学び方は、武装蜂起の立場から党は絶対となっていた。この間、「労働組合の革命論的意義」で大きく転換していく作業に入ってるんですけど。直接は『なにをなすべきか?』を労働組合論として提出したといった場合に、どこら辺がポイントになるのかということを聞きたい。
  今回でも、レーニンは1880年代から「労働者階級の解放は労働者自身の事業でなければならない」とかいうふうに党綱領草案なんかでもゴリゴリ、最初からブレないマルクス主義者であったことは見ることができたんですけど、特に『なにをなすべきか?』そのものにおける労働組合論は、どこら辺がポイントになるのか。
  2つ目はパリ・コミューン。ロシア革命の50年前ですから、労働者階級の状況は、結構違ってると思うけどもあそこまでいった。実際バクーニン派とかがヘゲモニー持ってあそこまでやったっていうことですけど、2点目の直接的な質問は、『共産党宣言』で「支配階級に高められたプロレタリアート」っていう結論まで到達して、パリ・コミューンに直面して唯一修正点を加えた。出来合いの国家を自分たちの手に入れて、そのまま使うことはできないっていう。
  これはもちろん軍隊だとか監獄だとか警察を粉砕しなきゃいけないってことは、直感的にもわかる。また、行政機構なんかも含めて。粉々に粉砕しなきゃいけないってのは、『国家と革命』の核心中の核心じゃないかと思うんですけども、そこの論理的というか、歴史的な実践的な飛躍は、どこら辺にあったのかなと。

●講師

 パリ・コミューンの場合は、党が存在しないということと、無政府主義者の影響が圧倒的に大きかった。それから労働者階級の現実、いわゆる組織労働者、大産業の労働組合に組織した労働者ではないという問題があったと思う。にもかかわらず労働者階級が国家権力を暴力的に打倒し奪取し、あの4原則を編み出し、しかもそれを具体的に貫徹したという点で、すごいことだと思う。
  労働者階級というのは、本来的に労働者階級である限り、そういう労働者全体を解放する闘いを実現できる能力・自己解放能力を持っているということの証左じゃないかと。もちろん、当時の革命思想、いろいろ無政府主義とかその影響を当然受けてたと思うんですけども、何よりもやはり労働者階級自身の、資本や権力に対する憎しみ、あんなもの粉砕しなきゃいけない、あれとは全く違う原理でもって自分たちは生きていこうという、そういうものがあったから、ああいうふうに4原則をつくり上げ、闘いを貫徹しえたということだと思うんです。
  もう一方でそこにはいろいろな限界があって、具体的にどういうふうに実践するのか。権力と最終的に決戦して粉砕する、だからベルサイユに逃げる軍隊に対して追撃戦を展開しなかったとか、あるいは全国の労働者・農民を組織することもできなかったとか、あるいは経済管理という点でも不十分であり、要するにブルジョアジーの息の根を断つっていう、そういう点では限界があったと思うんです。
  しかしマルクスはそういうことを全部見ながらも、これこそがプロレタリア独裁権力、国家の原則なんだという形で、パリ・コミューンの限界も含めながら全体的に総括して、これこそがプロレタリアートの道なんだということを出した。そういう点でマルクス自身、パリ・コミューンですごい感激して、あそこからものすごいものを学んだ。労働者階級をわかっていたつもりでも、実際にああいうところまで行ってしまうというすごさを持ってるということで、マルクスは大感動した。レーニンの場合もそうだと思う。
  次に『なにをなすべきか?』問題。今までのわれわれの読み方があって、それがやっぱり染み付いてる。そこを転換して、新しい見方で『なにをなすべきか?』を読んでいくことは、そう簡単ではない。私としては『国家と革命』を1つの切り口にして、それを追求してみた。まだ問題意識として、一応こういうものではないかと。当時の非合法体制下で労働運動をどうやって推進するかと。いろんな問題がここに含まれてる。
  権力の凄まじい弾圧の中で、非合法体制の中で、しかも労働組合自身も非合法という中で、どうやって勝利できる党をつくるのかという形で、レーニンは考えたと思う。だから非合法闘争を推進するための党組織論ていうよりも、どのようにして労働者階級は勝利できるかということだと思う、問題は。
  われわれが今から見て、そこから汲みとるべきものはいっぱいある。そこら辺はもっと整理していきたい。

●W

 今日の中心テーマは「労働組合の革命論的意義」ということで、そういう観点からちょっと。『新版 甦る労働組合』の中で、「労働組合と党は限りなく一体であるべきだ」というようなことが言われていると思う。そういうものとして階級的労働運動路線の中で進んでいるし、その中で体制内との党派闘争が激しく展開されている。そこのところで打ち抜かなくてはならない。「内なる体制内との闘い」ということも非常に重要だと思います。
  「党と労働組合の関係」という所で、ロシア革命におけるボルシェビキが、「その活動の中心を武装蜂起、革命の軍隊と革命的臨時政府樹立などの政治的任務におき、労働組合をその基礎として位置づけた」というふうに書いてあって、なるほどと思いました。
  さらにロシア革命後の問題では、「労働組合の国家化政策」ということで、「18年頃から19年初めまで、労働組合の国家化政策の実施。労働組合に国家機能の大部分を担わせる。労働者階級全体が直接に国家機能を担う」と。具体的なことがわからないのでもう少し説明をお願いします。
  もう1つは、「工場委員会」と「労働者統制」のことが展開されてるんですが、日本語的な意味で、「労働者統制とは階級的団結形態であった」と言われて、ちょっとわからなかった。

●講師

 この「労働組合の国家化」の時点で、労働組合がどういう形で関わったのかということなんですけど、最初はかなり自然発生的に、ともかく工場を労働者が全部握って、ガンガン自分たちで生産管理やって、資材の調達なんかも労働組合同士で連絡つけてやっていく。全国的な横のつながりなんか拡げながらやってた。それが「国家化」だというふうに言われてた。ところがそれでやると、生産が大混乱しちゃうわけです。自分の工場だけの資材を集めて、他は関係ないと。
  そういう状況を克服するために、国民経済会議というのをつくって、それもまだ国家化政策が転換する過渡期なんですけども、国民経済会議に各地の労働組合の代表を集めて、そこでもって論議して、生産調整みたいなのを含めて、国民経済の管理という形にだんだんもっていく。労働組合の代表と、経済人民部の2つが主要には集まって、国民経済会議という形で運営する形態をとった。その場合、労働組合は国家機関の1つとして位置付けられた。それで一定程度調整したんだけども、それでもうまくいかないという状況が出て、さらにそれを転換していくっていう過程がある。
  「労働者統制が階級的団結形態である」の所。要するに労働組合がメンシェビキとかエスエルに支配されて、そこで労働者は個々分断されている。それに対して、工場委員会をまず1個の工場でつくって、そこでもって闘いをともかく始めようと、生産管理などを始めていくわけですね。そうする中で、今までになかった団結がつくられていく。要するに現場で個々に分断されていた関係から、団結の形態が出来上がっていく。それが次第に各地に波及し拡大するという形態をとる。レーニンもそれは明確に意識してやっている。職場での闘いが重要なんだ、工場での闘いが重要なんだと。それがメンシェビキ、あるいはそういう反動的な連中の支配を粉砕する、決定的テコになるというふうに位置づけた。

●F

 党学校に参加して、本当に勉強になりました。党の革命もあり、そういう中で、今日のような労働組合論をしっかりと対象化するために、党学校で学んだことを自分のものにしていくことが重要であると思っています。
  現代帝国主義の終焉、それから資本主義とはとか、唯物史観ということを、党学校で学んだ。革命家としての、共産主義者としての立場を基礎に、きちっと党の路線をつかむところに来た。実際、唯物史観ていうのは『ドイツ・イデオロギー』をここで学ばなかったら、この間展開できない文章だなというふうに思ってるんです。それから資本主義とは何かもね。これは『「資本論」の研究』の長い過程から勉強してきましたので。労働組合論を対象化するということも、やりきっていきたい。

●a

 今回、レーニンが非常に労働組合を重視したというのがはっきりした。05年の闘いをやって、その後、革命をどうやって勝利へ向けるんだっていう中から、労働組合を土台にしながらやっていく。その中で体制内とか日和見主義とのものすごい闘争が起きてくる中で、『なにをなすべきか?』は書かれてるんじゃないかと感じた。
  情勢認識と路線だとよく言うけど、今の大失業・大恐慌情勢の中で、この情勢を本当に革命に転化できるかってことを問われたら、転化できる土台は揃っている。だって今若者はものすごい怒ってる、派遣切りを含めて。そして生存のあり方を含めて怒ってる。これはちょっと70年とか80年の時代とは全然違うなっていう、そういう意味じゃ新自由主義の行きづまりの中でこういうことが起きている。
  それに対して、どういう闘いをしてそれを革命に転化できるかって言ったら、結局は労働組合を、職場権力を握らない限りは、絶対革命に転化できない。だから職場での闘いを本当につくり出す。そこで初めて情勢も含めて、路線的にもはっきりしたんじゃないかなって、感じています。
  今日的にはやっぱり体制内、あるいは日和見主義との闘いが、革命への突破口を開くんだというのが、非常にはっきりしました。僕も、マルクス、レーニンというのはあんまり系統的にやってなかったから、この際やろうっていって参加したんですけど、勉強っていう感じじゃなくて、実践を含めた学習だったなというのがはっきりしてきて、よかったなと思います。

●K

 今日の「労働組合の革命論的意義」、これが書かれてはいない『国家と革命』第7章の内容の叩き台だということで出された。レーニンがロシア革命を遂行するにあたって、パリ・コミューンの経験をとことんふまえて、そこを実践のテコとして闘い抜いて勝利したっていうこと、本当にそれがマルクス主義者の立場なんだということを学びました。
  今日の提起で、今日われわれがマルクス、レーニンを実践的に学んでいくポイントとして、やっぱり1917年を頂点とするロシア革命の成功というか、欧州での革命が全部失敗する中で、なぜボルシェビキがロシア革命に勝利できたかっていうことを、今日的にとらえ返すということがどれほど重要なことなのかと。その内容がとりわけ労働者階級の現場に根差した闘いっていう、労働組合という形をとった現場での闘いにカギがあった。
  具体的には4月テーゼを出した時に、レーニンは党内でも孤立したということも提起されていた。そういう中でも党内闘争をとことんやり抜いて、労働者階級の大地に立って、現場にとことん固執してそこから闘いを構築していった。ソビエト内でボルシェビキは圧倒的な少数派だったけれども、少数派から多数派への転換が何によって勝ちとられたのかということで提起された。現場にとことん固執して、既成の幹部たちの制動をはねのけて、ランク・アンド・ファイルの闘いを工場委員会という団結形態を通して闘い抜いてきた。それが決定的なテコだったということで、今日われわれが学ぶ教訓として、非常に素晴らしい提起だったというふうに思います。
  振り返って今日のわれわれのことを考えると、この年末から1〜2月過程での職場生産点での実践、この間いくつかの労働組合での職場支配権をかけたというか、体制内労働運動の制動をぶち破ってストライキとか、職場での闘いがいくつか報告されてるんですけども、これはわれわれの現場での実践ということにとどまらず、日本の階級闘争の革命的な転換ののろしとなるような、先駆的な闘いとして本当に歴史に刻まれる闘いだと思うんです。中小の工場での労働者の決起だっていうことではあるけれども、やっぱり日本の階級闘争の革命的な前進が、この1〜2月過程で勝ちとられた。それだけ密度の濃い、革命的な闘いを展開してきた。それを4大産別決戦として、つくりあげていく必要がある。
  われわれ自身が実際の階級的労働運動路線の実践の中で、改めてもう一度レーニンやボルシェビキの闘いをとらえ直していく、そしてレーニンが書くことができなかった『国家と革命』の核心というか、われわれの階級的労働運動路線の中である意味で初めて見えてきたことをわれわれの中で再確立する。実践を通して理論化を深めていく作業を、自分自身もその一員となって深めていきたいなと、そういう決意が湧き出てくるような提起でした。

党学校通信 p15-20  受講レポート

受講レポートから ★『国家と革命』(下)のレポートです。

【X】

 書かれざる『国家と革命』第7章を、「労働組合の革命論的意義」として、レーニンとロシア革命の労働者階級解放同盟の闘いから、過渡期国家建設期まで膨大な領域が扱われましたが、大変学習になりました。
  特に「労働者統制と工場委員会」が、1917年の6月以降、7月の6回大会を転換点として、生産管理−経済闘争を労働者による現場での主体的で革命的な闘いとして組織し、生産点で10月革命に先行して〈職場権力の集合体はソビエトの母体〉として実現されていたことは、初めて知りました。
  ここは、ランク&ファイルの実践そのもので大切だと思います。

【e】

 『国家と革命』を学ぶ後半ということで、ロシア革命を対象化したということだと思います。全力を結集して、実践の中で学んだものを結びつけ、現代の『国家と革命』をつくりあげていくことが全党の課題になったということだと思います。
  パリ・コミューンの4原則を貫く、レーニンの『国家と革命』。ここにおいて、「共産主義の布告」というような行政的・官僚的な労働者動員としてではなく、賃金奴隷制の廃止、資本主義の支配にとってかわる労働者による「国家と経済の支配・管理」ということを、内在的に主体の変革をともなって成し遂げていく過程こそ、プロ独過程ではないかと考えます。
  したがって、現在の革共同の党と労働組合のプロレタリア革命に向かっての限りない一体化論というものは、労働組合主義とか経済主義とかのワラ人形=批判にもならない批判ではなく、ワークシェアリングという資本の救援にのめりこむ、JR総連や連合などを根底からふき飛ばす階級的団結論に他ならないということだと思います。

【W】

 後半では、「労働組合の革命論的意義」についてのテーマであったので、ロシア革命の展開の中で、レーニンが労働組合について重視していることをあらためて学んだ。
  特に、「党と労働組合の関係」のところで、「ボルシェビキが、党活動の中心を武装蜂起、革命の軍隊と革命的臨時政府樹立などの政治的任務におき、労働組合をその基礎として位置づけた」のはその通りだし、メンシェビキは違っていたこと。
  さらに、工場委員会を基盤とする労働者統制が階級的団結形態であったことを学んだ。
  1918〜19年のレーニンの労働組合の国家化政策の実施、労働組合に国家機能の大部分を担わせる、労働者階級全体が直接に国家機能を担う、ような闘いをめざし、現階級的労働運動の中で、『新版 甦る労働組合』で言っている「労働組合と党は限りなく一体であるべきだ」を基礎にして、さしあたり、体制内、内なる体制内、塩川一派などとの党派闘争に断固かちぬき、3・20の大結集を実現していきたい。

【F】

 資本主義の終わりの時代が始まっている。われわれは革命情勢の時代に生きている。この大金融恐慌・大不況を具体的に革命に転化するときである。千載一遇のときだ。
  講師は、いまこそロシア革命・『国家と革命』を実現するときであると、労働組合を革命−プロレタリア独裁の拠点であると、明確にした。
  共産主義社会の建設は、今この資本主義社会での現実の闘いそのものであり、労働組合を拠点にして建設されるものである。
  私たちは職場・生産点で、労働者の団結形態である労働組合をとおして資本とその手先となっている体制内労働運動の指導部、そして国家権力と闘い、その闘いをとおして団結を勝ち取っていく。労働組合での団結はコミューンそのものである。
  各職場・生産点での労働組合の闘いが全国に拡大し、大同団結したとき、それはソビエトである。ソビエトの建設は、革命党の指導に媒介されてこそ、実現できることを明確にしなければならない。
  職場・生産点での労働組合・ソビエト・党の一体化を勝ち取るために、頑張ります。
  私は数期にわたって、党学校でマルクス主義・レーニン主義を勉強することができました。党学校に通うことができ、勉強できたことに、厚く御礼申し上げます。
  講師の提起、討論をとおして学んだことを、今日の革命情勢で実践してゆきます。今後も「党学校通信」を学んでゆきます。

【a】

 今回の『国家と革命』の後半での、レーニンが書くことができなかった第7章を学習することをとおして、革命に勝利するのは、労働組合が職場支配権を確立することであり、革命派が体制内執行部を打倒しないかぎり、労働者の解放はありえないと思った。
  新自由主義の崩壊の中で、恐慌が始まり、大失業情勢だ。労働者がモノのように扱われている。資本主義社会を打倒するためにも、労働者の団結をつくる、労働組合を労働者の手に取り戻さなければならない。
  党派闘争に勝ち抜き、階級的労働運動を貫くことが、革命勝利への道だ。

【K】

 「資本主義がついに終わった時代」というその真っただ中で、あらためて『国家と革命』を学ぶことができ、新たな感動をえた。とりわけ、今回の“『国家と革命』と労働組合の革命論的意義”をテーマとした提起は、極めて今日的であり、かつレーニン・ボルシェビキのたたかいに新しい光を与えてくれた。
  レーニンといえば、「プロ独」「職業革命家の党」「武装蜂起」が頭に浮かんでくるというレベルであったのが、この間の階級的労働運動路線の提起と実践の中で、自己の中での明白な転換がかちとられて来ていた。その上での今日の提起と討論を通して、一層確信は深められた。
  レーニンは、原則的かつ、徹底したマルクス主義者であった。したがって、マルクスと同様、パリ・コミューンをはじめ、プロレタリアートの歴史的階級的実践にしっかりと踏まえて、プロ独樹立を確固として提起し、実践し、そして実現した。そして、その勝利の環は、あくまでも職場・生産点での職場支配権をめぐる労働運動の実践であった。
  メンシェビキ、エスエル等の体制内派との徹底した党派闘争にうちかち、少数派から多数派へと劇的な転換をかちとり、最終的には主流派に躍り出て、17年革命を勝利に導いていったのだが、その勝利の環が、やはり職場・生産点での現場労働者に依拠した、職場闘争と団結の拡大にあったという提起は、非常に核心的であり、感動的に受け止めた。
  世界革命の現実性という情勢の到来の中で、あらためてロシア革命を全面的に見直し、その経験にトコトン学び尽くす作業が、我々の現実的・実践的課題としてつきつけられている。いよいよそういう時代になったという喜びをもって、今日的課題と向き合い、解決しつつ、前人未踏の世界革命に向かって進撃していきたい。

【A】

 「労働者の解放は労働者自身の事業でなければならない」というレーニンの基本認識と確信。レーニンはプロレタリア革命をめざし、一貫して労働者階級の組織化を主要な任務とし、労働運動を階級的労働運動として発展させようとした。
  革共同を本物の労働者階級の党として生まれ変わらせていくための闘いが始まっている。プロレタリア革命は将来の課題ではなく、現在進行する大恐慌下で待ったなしの現実問題だ。闘う労働組合を甦らせ革命に勝利する党の建設、その核心は労働者に徹底的に依拠した党、職場生産点での、労働者階級の闘いにとことん基礎を置く党をつくること。労働者に依拠する、一人ひとりの労働者がもっている自己解放の力を信頼し、それを解き放って闘うことだ。社会を変革する力は労働者階級の中にこそ宿っている。
  講師は最初に3つの問題提起。@労働組合、労働組合運動はどういう位置を持つのか。A労働者階級は労働組合運動をとおして革命にどのような道筋をとおって到達するのか。B労働組合を軸として革命を達成する闘いの過程で、それを指導する革命党(労働者自己解放のための前衛党)をいかなるものとして形成していくのか…党・ソビエト・労働組合の三位一体を基礎とする革命。
  労働組合・労働運動とは、「労働者階級が団結する手段」、「階級対立に伴う社会全体の転覆の準備の手段」、「階級対立をなくすための社会転覆の準備をするところ」、そう、労働組合は革命の武器なのだ。
  2つのエピソードが印象に残った。
  @、1896年の綿工業のゼネストは、「農民的で意識水準が低い」と思われていた綿工業労働者が10時間半労働と一律賃上げ要求をもってゼネストに突入し、一致団結して25日間闘いぬいた。これは、労働者階級としての歴史の浅い労働者であっても、革命党の部分的指導があっただけで、労働者階級が素晴らしい力を発揮し、革命党も(レーニンも驚く)、権力も驚くほどの闘いを実現する能力を持っていることを示した。(ロシアにおける体制内派労組指導部の不在も大きい。逆に言えば、体制内派指導部を粉砕すれば、労働者階級は必ず素晴らしい闘いを実現する能力を発揮するということ。)
  A、「ストライキ闘争は、資本家と専制に対する労働者階級の積年の怒りを解き放ち、自分たちこそ社会の主人公であることを自覚させた。さらに資本家や国家権力、軍隊との衝突を通じて、労働者階級は政治意識を高め、国家権力の打倒なしに自らの解放はないことを認識した。またそのために、自らが主体的に階級的指導部をつくり出し、労働者階級の前衛党をつくり出す必要を痛切に感じた。個別的な工場での反抗から、団結して資本主義の基礎を粉砕する闘いへ。労働組合がない中では、団結する手段としてストライキは重要。一時的団結形態としてのストライキの結果、労働者は恒常的団結形態としての労働組合の必要性を自覚する」
  講師が言うように、「職場・生産点でのランク&ファイルに依拠した闘いは、ロシア革命における工場委員会の闘いと同質のものだ。動労千葉型労働運動=階級的労働運動路線とは、工場委員会が展開した闘いを路線的に追求するものであり、極めて大きな展望を持つもの」、「われわれが、今始めている闘いに圧倒的に確信を持とう。今は少数派でも、必ず労働者階級を丸ごと獲得し、一挙に多数派になることを可能にする闘いなのだ。断固として、これで行こうという決意で闘おう」に圧倒的な確信が持てた。
  プロ独を勝ち取るために、労働者を賃金奴隷の鎖につなぐ体制内派をぶっ飛ばそう。資本との非和解的激突を進めていくために、徹底的な党派闘争を貫徹するぞ!

【t】

 大変意欲的・刺激的な講義でした。
  2004年頃の「労働組合の革命論的確立」が、『新版 甦る労働組合』など動労千葉労働運動の実践を推進軸にして、相当鮮明になってきたと思いました。
  特に、ロシア革命を実現する過程が、一般的な「組合の獲得」ではなく、徹底した党派闘争であったこと。実際には、工場委員会をとおして、職場における支配権奪取を実現し、革命を準備していったプロセスを知ることができたことは非常に大きかったです。講師が言っていたとおり、今はまだ動労千葉といくつかの労組権力しかなくとも、4大産別を軸に、ランク&ファイルの闘いを展開し、職場闘争委員会をつくっていることが、革命への唯一の道だと、改めて実感しました。まさに「唯一無二の路線」(『前進』新年号)なのだと、確信しました。地区での激しい職場闘争−党派闘争の意義をもっとはっきりつかめるように、学習を進めたい。
  『なにをなすべきか?』の労働組合を軸とした読み返しについては、是非深めて提起してもらいたいと思います。

【L】

 『国家と革命』に書かれなかった第7章として、労働組合の革命論的意義が展開されたのですが、私にとってまったく新しい提起であり、実に興味深いものでした。
  レーニンというと『なにをなすべきか?』、非公然・非合法党建設ということがまずあり、『帝国主義論』と武装蜂起が次に来るという感じでした。まず党ということから、党がすべての上に立つという考えは、この間の党の革命までぬぐい難くあったということです。
  「5月テーゼ」以後、「労働者の中へ」ということは語られていましたが、上から目線であったように思えます。レーニンは、どうやって労働者を組織したのかが、私にとってずっと謎であったのですが、その謎は労働組合にあったということです。
  この間、党と労働組合は限りなく一体ということが言われ、革命は労働者の事業ということが再確認されています。職場・生産活動の現場、つまり賃労働と資本の原点の攻防にこそ革命のヒドラが宿っていること。資本は、ここでの反乱(労働者の決起)を抑えることにあらゆる力を投入していること。資本による分断支配をうち破る労働者の団結の形成、それはやはり労働組合です。この間の党の革命以前は、労働組合が堕落していることもあって、労働組合を獲得しなければ革命など問題にもならないと感じつつも軽視する傾向、困難さの前にあきらめる傾向があったように思う。
  レーニンが、最初から(1880年代から)労働組合をいかに重視していたかがわかった。実践を深めつつ、今回の提起を深化させていくことは非常に重要だと思います。

【p】

 @労働運動の革命論的意義論として勉強になった。とりあえず…
A『国家と革命』書かれなかった第7章の展開としては、いささか飛躍があるのでは?
  労働運動の革命的意義論との関係については、以下の点が重要。
  第1に、「現在の国家機構を粉砕する」という思想とプロレタリア主義の関係。(17年の勝利の根拠。メンシェビキやエスエルがケレンスキーと同一にボルシェビキに対抗したのもこれ!)プロレタリア主義(諸被支配者階級を解放できるという思想)だけが、4月テーゼを理解できた。
  第2に、『国家と革命』の最大テーマである国家と権力の問題。この場合、諸被支配階級は前提であって、プロレタリア主義+労農同盟として、11月革命をまずとらえるべき。(労働者階級が諸階級を解放した。)
  第3に、労働者階級の支配態勢の形成として、工場委員会〜労働者統制を理解する。→労働組合運動の革命論的意義(自主管理型労働運動と明確に区別すべき)
B「市民社会とは何か」(資本論・帝国主義論)と異なって、「市民社会における正義(Right)とは何か」というテーマが、国家・革命論。この意味では、哲学的・思想的拠点が重要と思う。資本論と史的唯物論の円環構造の理解として、全ての実践的応用力の基礎になる。
  「国民の統一を組織」⇒「寄生体としての国家の打倒」の弁証法が重要。銀行の接収とコミューンの4原則は重要。(権力機構の粉砕、全人民総武装・民主主義賃金)
Cサブプライム問題の核心は「住宅問題」。この点、エンゲルスの展開を聞きたかったです。
  なお、労働組合運動の革命論的意義については、「革命論的意義」を「革命的意義」と理解しないことが重要。

【O】

 全体を通じて、今日の階級的労働運動路線の確立および2008年11・2の地平から、これまでのマルクス主義・古典にたいする理解が問われている中、4者4団体派などの日和見主義潮流との党派闘争における本質的問題として、今回の提起がされていると思います。
  ひとつには、階級対立の非和解性が基礎にあること、そこから、労働者階級を主体にしたプロ独論も出てくると思います。
  この点で、われわれは「労働組合の革命論的とらえ返し」を進め、「党と労働組合の役割分担」的あり方をのりこえ、党−労働組合−ソビエトが一体となったあり方の入口をつかみとり、運動的にも組織的にも闘いを進めています。
  今回の提起を受けて、自分ではわかっているつもりでも、まだまだ労働組合の革命論的位置づけが弱いな、と感じました。

【r】

 『国家と革命』そのものに書いてあること自体、私としてまだ十分に咀しゃくしているわけではないという気持ちはあるのですが……。そのうえで、今回「書かれざる第7章」として、圧倒的に労働組合論が提起されましたし、17年10月革命に向かっての「労働者統制と工場委員会」の問題は、現在の階級的労働運動路線や職場支配権をめぐる闘いにもかなり直接つながるような問題としてきわめて重要だと思いました。
  以下、おもに自分の頭を整理するために書くのですが……。
  『国家と革命』の著者レーニンの問題意識は次のようなものでした。
  「@一般にブルジョアジー、またとりわけ帝国主義ブルジョアジーの影響下から、勤労大衆を解きはなつためのたたかいは『国家』についての日和見主義的偏見とたたかうことなしに不可能である。……われわれは、はじめに、マルクスとエンゲルスの国家学説を考察し、この学説の忘れさられたか、日和見主義的歪曲をこうむっている側面を、とくに詳しく論じる。Aつぎに、この歪曲の主要な代表者であるカール・カウツキー……をとくに研究しよう。B最後に、1905年の、またとくに1917年のロシア革命の経験から獲られる主要な結論をまとめてみることにする。C……プロレタリアートの社会主義革命の国家にたいする関係の問題は、こうして、実践的・政治的意義をもつようになってきているだけでなく、資本の束縛から自分を解放するために近い将来になにをなすべきかを大衆に明らかにする問題としても、このうえなく切実な意義をもつようになってきている」(1917年8月の第1版序文/@〜Cの丸数字は引用者が補ったもの/@Aが現存の『国家と革命』であり、Bが「書かれざる第7章」(「1905年と1917年のロシア革命の経験」)
  各国のプロレタリアートが「書かれざる第7章」をみずから書くことになった場合、そのプロレタリアートが経験してきた(あるいは直面している)状況からしてそれぞれ違ったものになるのではないかというのが、私の印象です。
  たとえば、韓国の民主労総ソウル本部の場合、1987年大闘争以来、巨大な大衆的規模・人民的基礎をもった戦闘的労働組合として成長してきたわけですが、マルクス主義とそれにもとづく党とがない中で、彼らにとっての「書かれざる第7章」とは、おもに〈マルクス主義と労働者の党、その獲得のための闘い〉ということになるのではないか。
  他方、日本のわれわれの場合、スターリン主義からの革命的分裂以来、党ということはゴリゴリ確認してやってきた。しかし、労働組合の決定的役割については大きな軽視があった。そのため、「労働組合の革命論的確立」のようなものとして、「書かれざる第7章」に取り組むことが重要だ。そういうことになるのではないだろうか、というのが私の今考えているところです。