レーニン『国家と革命』(上)前半講義概要 講師丹沢 望 はじめに ついに本格的なプロレタリア革命の時代がやってきた。大恐慌下で資本主義の全矛盾が爆発するなかで、もはやプロレタリア革命によるしか労働者階級は生きられない時代が到来した。資本主義がついに終わった今こそ、労働者階級を主人公とする社会を建設し、人類史の新たな時代を切り開くことが死活的に求められているのだ。 『国家と革命』をプロ独論として学ぶ 今日、あらゆる日和見主義勢力、体制内派が、唯一プロ独をめざすわれわれに一丸となって敵対しているなかで、激烈な党派闘争を通じてロシア革命を成功に導いたレーニンの『国家と革命』を学習し、その内容を実践的に貫徹することが決定的に重要だ。革命期が再びやってきた今こそ、レーニン『国家と革命』をプロ独論としてとらえかえして学習することが重要だ。 第一章 階級社会と国家階級対立の非和解性をとことん明らかにしよう 国家は被抑圧階級を搾取する道具だ 「国家は経済的に支配する階級の国家である。この階級は、国家を手段として政治的にも支配する階級となり、こうして、被抑圧階級を抑圧し搾取する新しい手段を獲得する」 暴力革命の必要性 労働者階級は賃金奴隷の境遇から解放されるためには革命をおこすしかないが、この革命は国家権力を打倒し、プロ独を樹立する暴力革命以外にありえない。だが、日和見主義者たちは、この暴力革命の必要性をあいまいにするために、国家の「死滅」という概念を歪曲し、暴力革命なしに国家が自然に死滅するかのように描き出す。 第二章 国家と革命 1848〜1851年の経験マルクスのプロ独論の発展 『哲学の貧困』(1847年夏)で、階級が廃絶されたのちには国家は消滅するとしたマルクスは、同年11月の『共産党宣言』では、ブルジョアジーの暴力的打倒をとおして、プロレタリアートが自分自身の支配をうちたてる、そして、このプロレタリア国家は勝利するやいなやただちに死滅し始めるという見解を明らかにした。ここにはマルクス・エンゲルスのプロ独の思想が一般的に表現されている。これは、(革命を)せいぜい自分の任務を理解した多数者に少数者が平和的に服従することだと考える公認の社会民主諸党が忘却してきた思想だ。 第三章 1871年のパリ・コミューンの経験。マルクスの分析 この解答は第三章第二節の「粉砕された国家機構を何ととりかえるか?」で与えられる。 コミューンの4原則の革命的意義 4原則とは、第一に、常備軍を廃止し、それを武装した人民ととりかえたことだ。これによって多数者である労働者による少数者であるブルジョアジー(支配階級)に対する抑圧が行われ、多数者を抑圧するための特殊な力はもはや不必要となり、国家は死滅し始めた。 コミューンの今日的実現 われわれがコミューン、ソビエトを今日的に実現するためには、労働者階級の団結形態である労働組合を本物の階級的労働運動を闘う労働組合として甦らせることが重要だ。コミューンやソビエトの基盤は、労働組合であり、労働組合を今の体制内派が支配する労働組合から、動労千葉型の労働組合に甦らせることが、将来、われわれの手でコミューンやソビエトを復活させる唯一の道だ。現在の階級的労働運動路線は、まさしく、プロ独を最短距離で実現する道である。 第五章 国家死滅の経済的基礎 この章では、資本主義社会から共産主義社会への移行の具体的過程が明らかにされるとともに、過渡期のプロ独国家がそこで果たす重要な意義が提起されている。資本主義から共産主義への移行の特殊な時期(=過渡期)が、歴史上うたがいもなく存在するが、この時期の国家はプロレタリアートの革命的独裁でしかありえない。共産主義を実現するためには、まず国家を死滅させるテコとなるプロ独を実現することが必要だということを明らかにすることが核心だ。 第六章 日和見主義者によるマルクス主義の卑俗化この章は『国家と革命』の核心をなすとともに結論をなす部分だ。レーニンは、カウツキーなどの「国家にたいするプロレタリアート革命の関係の問題にたいする逃げ腰の態度、国家に対する日和見主義が、マルクス主義の歪曲とその完全な卑俗化とを生じさせた」「日和見主義は国家の問題において集中的に現れる」という点を改めて確認している。パリ・コミューンの経験を教訓化し、プロ独を実現しようとするロシア革命を勝利させるためには、カウツキーと同様の傾向を持ったロシアの日和見主義を徹底して粉砕する必要があった。そのために、この章ではプロ独を否定するカウツキー批判が徹底して展開される。このような日和見主義者に対する激しい党派闘争の立場なしにはロシア革命は勝利しえなかったであろう。 今日の日本の日和見主義 現代のカウツキー・塩川一派は、口では革命と叫ぶが、労働者階級自己解放の思想を解体し、プロ独を目指す階級的労働運動を否定している。本質は小ブル革命主義、現実の運動ではズブズブの市民主義で体制内労働運動に完全に埋没している。 日和見主義の本質とは何か これらの連中の最大の問題は労働者階級への不信、蔑視だ。彼らは、資本主義の下で抑圧され、搾取されているためにブルジョア的知識や能力を奪われた労働者はプチブル・インテリの自分より劣った存在だとみなし(ブルジョア能力主義)、労働者の人間的感性や、規律ある生産活動で鍛えられた組織的能力や、資本家と資本主義に対する深く激しい怒りと憎悪の力を見ない。労働者はインテリの指導なしに何事もなしえない存在だとする労働者蔑視の感性と思想だ。だから、労働者の怒りをブルジョア国家権力粉砕の闘いへと組織することをあらかじめ放棄する。 |
討論から●G 問題意識が2点。「できあいの国家機構を徹底的に粉砕する」ということについて、1つは今の社会というのがどんなに民主主義とか言われていようとも、徹底的にブルジョアの独裁してる社会だということを何回もはっきりさせる必要があると思います。そのブルジョア独裁を可能ならしめるために工夫されたのが、今の議会制度であるし省庁であるし、僕らの問題意識で言えば今の大学である。 ●講師 京品ホテルの例はすごく重要。やっぱり労働者は、いつ自分たちがそうなるかわからないと、京品ホテルをずっと見ていて、すごいなと。自主管理やって大成功し、勝利してることに空気入ってる。労働者が、営業利益を上げて、争議をやっている全員の給料まで数ヶ月間にわたってまかなった。それは、支援してる労働者の圧倒的な注目を集めたわけですよね。その中で、周辺の労働者との交流がガンガン始まった。それが一気に全国化しかねない、そういう恐怖を感じたわけですよね、権力は。それだけのエネルギーを、またその展望を、京品ホテルは持ってた。 ●A 去年も自分のとこで『国家と革命』やったんですけど、今日聞いて全然違う。やっぱりそれはこの年末年始過程、1月闘争を相当突っ込んでやってきたということがあるからです。日比谷派遣村が廃止されて練馬の方に37人が移って来ました。とにかく1週間派遣村に行っていた。それでもって1月4日のデモに○○人くらいの人が来た。それで1月12日にそこは廃村になる。現在的にはそういう人たちを中心に組合を作ると。名前が「東京生きさせろ連絡会」というんです。 ●J 『国家と革命』は僕は5・29でパクられた時に獄中でしっかり読み返した。読むとすごく空気入る。1つはっきりさせたいのは、これを読んだ後にやっぱり「おっしゃ革命できるじゃん!」ていう、「これが革命できる展望じゃん!」ていう、こういうふうになる本だっていうか、そういうレーニンのアジテーションだっていう、こういうことをちょっとはっきりさせたいと思う。 ●講師 今彼が言ったところが今回苦労したところなんです。現実の今の状況にマッチした、そういう形での『国家と革命』をやらないとね。『国家と革命』ではこういうことが書かれてます、ここを勉強しましょうっていうんじゃなくて、やっぱり実践的にわれわれが直面している問題を、それとの関係で論じていくと。だから『甦る労働組合』と『国家と革命』のプロ独論、この2つの軸をガチッと結び合わせた形でやらないと、全然だめ。そういう問題意識で今回、初めての試みでこういう形にした。 ●g プロ独論として『国家と革命』全体を読むということで、全体にその問題意識が貫かれてることがよくつかめました。本当にこの時代、プロ独やるんだと、あるいはやれるんだという確信をつかむということが、一切のこの学習の獲得目標だなと思う。例えばこの間の問題でいうと森精機のストライキ。これもまさにプロ独やれるんだという確信がなかったら、あそこで派遣先に対して「法律なんか関係ない」という、まさに法律・国家というものに対して、それそのものをぶっ飛ばしてストライキやるっていう闘いはあり得なかったでしょう。 ●X 地区の労働学校で『国家と革命』の(上)をやりました。いろいろな問題に関連させて、特に派遣切りだったり4者4団体派だったり、分割・民営化だって全部そうですけども、神奈川では今道州制が破産して、県の労働者に3%賃金カットっていう・・・。日産とかトヨタに何千億投入して破産したら、労働者の賃金カットという道を取るわけですよ。道州制、破産してもそこにしがみつく以外ない。要はおよそ国家と革命に関係しないことは世の中に何も存在しない。金融資本が破産し、独占資本が破産して、もう行政と国が破産するという段階に来た。革命以外にない。討論では、「職場に国家と革命があるんだ」っていう議論がガンガン青年労働者から出る。そういう点で学生の同志が言った通り、本当に革命をやろうという展望を出すものとして、『甦る労働組合』と『国家と革命』を武器にすることが大事だと、今日改めて思いました。 ●e この間やってきた『共産党宣言』や『帝国主義論』では、われわれが動労千葉労働運動を切り口にして、分割・民営化、新自由主義攻撃と闘うなかで、党と労働組合の根本的な、プロレタリア革命をやっていくにあたっての武器を、現実的に登場させた。その中で体制内労働運動の問題であるとか、革命に向かって階級を組織化していくにあたって、次の壁というのもはっきりしてきた。その中で、われわれが本当に階級をプロレタリア革命に向かって、自信と確信をみなぎらせるものとしてこの『国家と革命』を全面的に出すっていうことが、われわれの課題として、国際的な労働運動の党を作っていこうということの1つの理論的な柱になるはずなんですけど。 ●C 「プロ独論として学ぶ」「プロ独樹立にむけて」ということが書かれている。今までだったらその「独裁」っていう言葉に引っかかって、「独裁=ヒトラー」みたいなイメージで、議論も空中戦的になってた部分も多かったんですよ。「独裁」っていう言葉の響きみたいなものをめぐって。でも最近さっきも話にあった京品ホテルの闘いとか、動労千葉の闘いで、「こういうことなんだよ」ってそのまま現実の闘いで返せるし、それが通用する時代なんだと実感してます。日共は「独裁」とは言わないで「執権」というんですよね。 ●e 「コミューンとはどんな国家であったか」、コミューン4原則に関するところ、ここをもっと生き生きと。道州制の問題。公務員がいい思いしてるみたいな形で、奴らは公務員攻撃をしてきてるけど、われわれはこのコミューン論で獲得する、きちっと批判をしてくってことでしょう。それがすごく生き生きと、ああそういうやり方があるんだっていうこと、もっと現代に通用するコミューン原則というものを甦らせていかなきゃいけない。労働者階級あるいは学生も含めた展望というか、これでやれるんじゃんていう、われわれの国家論。資本主義だって行きづまっているから、どこかに敵を作って戦争に持っていくか、労働者階級をやっつけるっていう、労働組合があるからダメなんだっていう形で本当にとんでもない逆転をして、反革命策動に出てきてるわけでしょう。われわれはここのところで、労働組合を拠点にしながら、生き生きとやっていこうよという展望をすごく感じます。 ●a 『帝国主義』論前回やった、今回『国家と革命』をやって感じてるのは、やっぱり日和見主義との闘いだと思う、現実的に。これに書かれているのは常に日和見主義との、今で言う4者4団体派との闘いを、どうやって突破していくかっていう観点だと思う。つまりこの壁を打ち破らない限り革命に勝利できない。どうやって突破していくのか、展望を与えていると思う。第5章、第6章なんかは、共産主義はどういう過程になるかってことを言ってるわけでしょ、現実的にね。それに対置して今の国家は解体できないという疑問の形で、日和見主義というか体制派はいつも来るわけですよ。 |
受講レポートから ★『国家と革命』(上)のレポートです。【S】 「生きさせろ!」「革命をやろう」 【C】 今日の講義でもあったように、「国革」の核心は「プロ独」だ。動労千葉や京品ホテルの闘いで「労働者はできる」ということが示されているし、展望ある。 【J】 「国革」と読むと空気が入る。それは「プロレタリアートは絶対に革命できる!!」というレーニンのアジテーションに感動するからである。この革命情勢の時代、わが革命派に問われていることは、まさに、「国革」において、レーニンが必死にアジったように、「プロレタリアートのみが、このブルジョア社会を粉砕しきり、新たな社会を構築することができる」ということを、いかに労働者・学生大衆に伝えられるかである。そういう意味で今回の党学校の問題意識は、自分の問題意識と完全に合致する。 【g】 ◇『国家と革命』をプロ独論として読むという問題意識に貫かれているレポートだと思いました。プロ独へ突き進む以外に生きられない社会への突入ということの中で、労働者が「オレたちが権力をとってやる」「社会を回しているのはオレたちだ」ということをハッキリさせることが求められている。“労働者が権力とれるんだ”“労働者が権力とる以外に生きられない”ことを労働者に真正面から提起すること、そこで体制内勢力と激突し、打倒していく中身を『国家と革命』をとおしてハッキリさせること。 【X】 「国家と革命」の講師の提起は非常によかったし、大いに学習となりました。 【G】 労働者は資本に対する激しい怒りを持っているし、団結したときにこの社会を根本からすばらしく運営できるのだという確信――これが『国家と革命』と『甦る労働組合』を貫いている一本の軸だ。これを実践に貫いたときに、(森精機や京品ホテルの闘いのように)、労働者は本当に誇り高いすばらしい存在として登場する。 【e】 プロレタリアートの独裁を基礎にした労働の解放、社会の解放にむかって、ブルジョア国家を粉砕する歴史的事業をわれわれの手でやるときが来ています。カウツキーをはじめとした日和見主義者、社会民主主義者も、プロ独など実現不可能という労働者階級への不信が根底にあった。今、われわれは、プロ独をやりぬくための労働組合を建設するという、理論的実践的な到達地平があるということです。 【a】 『国家と革命』を学習して、プロ独を闘いとるには、日和見主義=4者4団体派との闘いに勝利する中で前進していくことなのだと思った。『国家と革命』の中身を、今の情勢の中で、生き生きと語ることができるようにしなくてはならないなーと思う。それは、職場を軸にして、階級的労働運動を実践していくことだ。 【A】 ついに、プロレタリア世界革命の時代がやってきた。キーワードは、「非和解性」である。資本との非和解性そして国家権力との非和解性をハッキリさせることが決定的である。「要するに、階級的労働運動ということは『労働者階級と資本家階級、つまり、労働者と資本家との関係は非和解なんだ。だから結局、労働者自らが資本家階級の権力を打倒し、権力を奪取して、労働者階級の社会を建設しない限り、労働者は幸せになれない』という考え方だ」(『甦る労働運動』)。 【q】 『国革』をプロ独論として学んでいく。今まで何回か、『国革』について学習会をやってきたが、プロ独論という問題意識を軸に据えたとき、『国革』そのものがものすごく理解できた。2章の“何ものとも分有を許さない、大衆の武装力に直接立脚したプロ独”“プロ独を認めるものだけがマルクス主義者”、以前はあまり意味も分らなかったし、さらっと流し読んでいた。 【d】 プロレタリア革命の勝利、プロ独の樹立に向けて、マルクス主義を歪曲する日和見主義との闘争が死活的である。歪曲を打ち破れば、本来の荒々しいマルクス主義革命論・国家論を労働者階級は自分自身のものとして革命に決起する。なぜなら、階級対立は非和解だから。 【H】 1.前回のレーニン『帝国主義論』もそうだが、レーニンの著作はすべて論争の書である。K・カウツキーというかつてのマルクス主義正統派が転向屈服して祖国防衛主義に走るなかで、これとの対決を一貫して意識して書かれている。『国家と革命』の学習会で感じたことも、まずはこの点で、今日的にわれわれが直面している「党派闘争を日和らずに闘う」こととつながっている。1917年に、チューリッヒから帰国して、フィンランド駅に立ったレーニンは愕然としたのではないか。臨時政府にボルシェビキの一部までもが迎合している中で大急ぎで「国家論ノート」を取り寄せて、『国家と革命』を執筆した。プロレタリア革命を国家との関係を明確にし、大論争を挑んでいった。何よりもソビエト内のメンシェビキ、エスエルの体制内を打倒するために。その意味で、今回の学習も単なる古典の学習ではないと思う。 質問 国家の本質を『幻想共同性』であるとする解釈を初期マルクス主義『ド・イデ』を根拠に主張し、ポストモダンの枠組みで語ろうとする傾向について、私は反対だし、『国家と革命』もそういう意味をこめて書かれていると思うのですが‥‥。 【F】 講師の『国家と革命』の読み方・実践は、“革命の拠点としての労働組合論”から提起されていました。講師は、“労働者の人間的感性や、規律ある生産活動で鍛えられた組織的能力や、資本家と資本主義に対する深く激しい怒りと憎悪の力”(25p)を述べられました。この労働者(階級)の生産活動の組織的能力は、現実の共産主義・労働組合を闘いとる根源的な力・あり方です。今、我々は資本主義300年の終わりが始まっていることを実感しています。それは新しい社会=新しい人類史を闘いとっている真っ只中にいます。その新しい社会・人類史をたたかいとる力こそ『国家と革命』です。 【K】 「今や革命情勢」という時代認識に立ち、階級的労働運動路線の白熱的実践を開始したわれわれにとって、『国革』は決定的な武器である。今回の提起と討論は、まさに『国革』の今日的、革命的復権そのものの内容となった。 【r】 『国家と革命』のプロ独論と『甦る労働組合』での問題提起をかみ合わせる形で講座が展開されたことはとてもよかったと思います。また、学生の同志の発言の中にも「新人には『国家と革命』と『甦る労働組合』を渡して読んでもらうことから始めている」というのがありました。このことは、『共産主義者』159号の畑田さんの『賃金奴隷の鉄鎖を断て』も同じで、この手法はこれからのすべての古典学習においてあてはまることではないかと考えます。 |