レーニン『帝国主義論』(下)後半講義概要 講師 柴田 之雄 【7】第7章 資本主義の特殊の段階としての帝国主義(1)帝国主義の時代はプロレタリア世界革命の時代「帝国主義は、資本主義一般の基本的諸属性の発展と直接の継続として生じた。だが、資本主義は、その発展の一定の、きわめて高度の段階で、すなわち資本主義の若干の基本的属性がその対立物に転化しはじめたときに、資本主義からより高度の社会=経済制度への過渡時代の諸特徴があらゆる方面にわたって形づくられ、あらわになったときに、はじめて資本主義的帝国主義となった……しかもこれと同時に、独占は、自由競争から発生しながらも、自由競争を排除せず、自由競争のうえに、またこれとならんで存在し、このことによって、一連のとくに鋭くてはげしい矛盾、軋轢、紛争をうみだす。独占は資本主義からより高度の制度への過渡である」(岩波文庫版144n) (2)「資本主義の終わり」を示す「五つの基本的標識」 「帝国主義のできるだけ簡単な定義」は「資本主義の独占的段階」(145n)である。しかし「資本主義の独占的段階」というだけでは簡単すぎるので、「五つの基本的標識」(145n)をふくむ帝国主義の定義を提起している。 (3)帝国主義に対置すべきは「政策」ではない、革命だ! ところがカウツキーは、帝国主義を「資本主義の一段階」と見ることを拒み、「金融資本によって『好んで用いられる』一定の政策」だと言い張った。“帝国主義・資本主義のもとでも平和的な改良策が可能だ”という主張は、実践的には「資本主義の救済」「プロレタリア革命への敵対」だ。日本共産党も、塩川一派も、何かしらの「ルール」「政策」「制度」をつくれば資本主義は立て直せるんだと言って、労働者階級が団結して革命に決起することに敵対している。「カウツキー主義」との闘いは、現在の階級的労働運動の前進にとっても死活的だ。 (4)帝国主義・資本主義の矛盾の爆発としての世界戦争 何よりレーニンがカウツキー批判をとおしてはっきりさせたかったのは、目の前で現に行われている第一次世界大戦がいかなる歴史的=階級的性格の戦争なのか、ということだ。そして「帝国主義的な略奪と欺瞞に党が加担するか、それとも、革命的行動を宣伝し準備するか」(『第二インタナショナルの崩壊』)という革命的・階級的実践の問題だ。 (5)レーニン『帝国主義論』を歪曲・解体する塩川一派 レーニン『帝国主義論』を「現代の共産党宣言」として復権させる立場から、塩川一派のエセ「現代帝国主義論」を徹底的に粉砕しつくそう。 【8】第8章 寄生性と資本主義の腐朽化(1)日和見主義的潮流との決定的闘争を訴えたレーニン 「帝国主義との闘争は、それが日和見主義に対する闘争と不可分に結びついていないならば、一つの空疎で虚偽な空文句にすぎない」(第10章、203n) (2)とことん腐りきっている現代帝国主義 帝国主義がどんなに腐朽化し寄生的な存在になっているかは、「金利生活者国家」と呼ばれるようなあり方に端的に示されている。新自由主義政策の一環として進められた金融の規制緩和とバブル経済化は、こうしたあり方を極限まで押し進め、そこからサブプライム証券のような詐欺的な手段をも使って巨額の利益を吸い上げていく仕組みをつくっていった。アメリカ帝国主義などは、企業全体の利益の50%が金融の利益で占められるまでになっていった。 (3)プロレタリアート上層を買収する経済的可能性 「金利生活者国家は寄生的な腐朽しつつある資本主義の国家であり、そしてこの事情は、一般的にはそれらの国のあらゆる社会政治的諸条件のうえに、特殊的には労働運動における二つの基本的な潮流のうえに、反映しないではおかない」(165n) ●「闘うための団結形態としての労働組合」――『新版 甦る労働組合』から 「資本家の側は戦後一貫して、労働者をいかにして団結させないか、労働組合幹部をどうやって籠絡して労使協調の労働組合にするのか、ということにものすごいカネと人を投入してきた。…つまり、労働者をどういうふうに支配するかということが、資本家にとって最大の問題だった。その核心は労働組合を労使協調化して、資本家に立ち向かわせない存在にすることだった」(55n) (4)日和見主義の支配は長く続かない 帝国主義段階においては「日和見主義は…数十年の長きにわたってある一国の労働運動における完全な勝利者となることはできない」(176n)。なぜなら「今日の状態の特徴は、日和見主義と労働運動の一般的・根本的利益との非和解性を強めないではおかないような経済的および政治的諸条件にある」(175n)からだ。 【9】第9章 帝国主義の批判 「帝国主義の基礎の改良主義的な改変は可能かどうか、事態は帝国主義によってうみだされる諸矛盾のいっそうの激化と深化へむかって前進するか、それともその鈍化へむかって後退するか、という問題は、帝国主義の批判の根本問題である」(179n) 【10】第10章 帝国主義の歴史的地位(1)矛盾が激化する時代こそ革命の時代 「帝国主義は、その経済的本質からすれば、独占資本主義である。帝国主義の歴史的地位は、すでにこのことによって規定されている。なぜなら、自由競争の地盤のうえに、しかもほかならぬ自由競争のなかから成長する独占は、資本主義制度からより高度の社会=経済制度への過渡だからである」(199n) (2)資本主義は今すぐぶっ倒せる 「帝国主義は過渡的な資本主義として、あるいはもっと正確にいえば、死滅しつつある資本主義として、特徴づけなければならない」(203n) (3)革命を実現してみせるという実践的立場こそ重要 レーニンがこのように革命の時代認識、現実性をつかむことができたのは、資本、ブルジョアジーに対する激しい階級的怒りと、何がなんでもプロレタリア革命をやってやるという強烈な実践的立場があったからこそだ。 ●「資本家階級の権力をうち倒して、労働者の社会をつくろう」―『新版 甦る労働組合』 最後に、『新版 甦る労働組合』の一節を引用して、むすびにかえたい。 |
討論から●W 塩川一派は、体制内派に転落しているし、プロレタリア世界革命に敵対する存在として登場している。たとえば三里塚にしがみついているみたいな面はあるんですけど、ではどういうふうに三里塚を彼らが「闘おう」としているかというと、農地死守の闘いではない、市民運動というんですか、小ブル的な反戦平和運動みたいな形で、全然違うものに変質させる、あるいは敵対する。そういう意味で、塩川一派批判が、『帝国主義論』を自分のものにしていくことにもなる、そういう実践的なものを感じて、理解が深まりました。 ●P 党学校というのは、ここに出て勝負するということが大事だなということを今日の後半の提起を聞いておもった。今の階級的労働運動路線の下で、とくに去年1年間、2・22の弁護団解任から始まって、超弩級のことをやり抜きながら今あらためて、今年の『前進』新年号の路線を実践していくという立場で、レーニン『帝国主義論』をどうつかんでいくのかということが、講師から出されたと思う。 ●r やっぱり最後の方の「死滅しつつある資本主義」というところ。もうひとつは、体制内指導部、日和見主義的指導部打倒ということ、『帝国主義論』というのは、時代認識と路線ということを、ああいう形で出していたんだなと。 ●O 今の意見、一部異論がある。もともと中身のあった人が変質したんじゃなくて、それまで党の理論や思想について曖昧にしてきている部分が、本当に厳しい選択が問われたときに、ガッと崩れて反動に転落したと僕は思っている。党が革命に向かって進んでいくためには理論が非常に重要であるということの、ある種逆の表現としては重要かなと。追随的にやってこられるうちはよかったけど、本当に革命情勢がやって来た瞬間に、やはり理論のなさ、組織的でない体質というのが暴露されたというところで、僕は受け止めています。そこだけちょっと、塩川一派については押さえておくべきではないか。 ●G レーニン主義の厳しさというふうなイメージで日和見主義との闘争を見てきたところがある。最近わかったのは、厳しさというのは労働者階級への絶対的信頼と表裏一体だと思うんですよ。労働者を蔑視するような思想とか、労働者階級に社会を運営する能力がまだないとか、こういうようなものに対して、絶対に許さないということなんだなと、今回の学習で明らかにすることができた。 ●e 帝国主義は世界革命の時代である。レーニンは、この結論を導くために理論化した。そしてカウツキーを暴ききった。レーニン『帝国主義論』は、労働者階級を地獄への道に引き込んでいく日和見主義、社会排外主義、その最悪の形態であるカウツキー主義に対する徹底的な党派闘争の書である。同じことを僕も感じているんですけど、そこのとらえ返しというか、現実的にそこでつかんできたことが、今の党に、われわれの中にみなぎっていると思っている。 ●d 『社会主義と戦争』で書かれている「日和見派を粛清する過程」、ここの所はちょっと読み飛ばしてましたね。逆に言えば、体制内派からすれば、われわれは間違いなく粛清の対象なんだということをあらためて実感しました。確かに4者・4団体派とか見ると、権力にわざわざ通報してわれわれを売り渡そうとするわ、集会場の入口で検問して売り渡そうとするわ、国労大会の会場にはデカを引き込んでパクらせようとするわ、やってきますよね。 ●N この『帝国主義論』学習会の全体を通して、率直に言ってかなり大胆な展開をやったなと。自分としては、いやーそのとおりだな、大成功したなというふうに、思いました。 ●P 死滅しつつある資本主義論の裏側には労働者階級にたいする限りない信頼があるんだ、これは積極的に確認したい。 ●a 今度の後半を聞いてて、やっぱり体制内派、つまり日和見主義者との闘いのために、この『帝国主義論』を書いたというのを強く感じました。 ●講師 提起は結構苦労したんです。帝国主義戦争の不可避性、帝国主義の不均等発展が帝国主義戦争を必然化する、自分もそうやってきた、それを、今の時代の中でそのことだけを確認しててもしょうがないということ。そこをもうひとつハッキリ突き抜けて、やっぱり資本主義の終わりだということをハッキリさせたかった。 |
受講レポートから ★レーニン『帝国主義論』(下)のレポートです。【K】 非常に刺激的な提起であり、討論であった。我々のこの間の転換と飛躍の核心をしっかり踏まえた『帝国主義論』の展開がなされたと思います。 【p】 @大昔、本多同志・野島同志からうけた『帝国主義論』の学習会とどう違い、どう深化してきているのか、という問題意識で聞いた。 【H】 1.『帝国主義論』の学習は、これまで、独占と金融寡頭制による世界の分割、帝国主義戦争の不可避性ととらえて、帝国主義はブロック化し、その再分割を求めて、第3次世界大戦は起こるのだと、我々は、第2インターナショナル「バーゼル宣言」のように「侵略を内乱へ」転化するために闘う。そう闘わなかったカウツキーはナンセンスだというレベルにとどまっていたと思う。今回の学習では、いったんすべてひっくり返し、現在の実践に直接に結びつく内容が出されてすごくよかったと思う。特に、レーニンが何故あれ程カウツキーを批判したのか、その現代的意義は何かということについて鮮明に提起された。塩川一派の論文批判もかなり踏み込んだものになっていて、彼らが労働者が決起することや革命に恐怖するが故に、「大恐慌ではない。資本主義は危機をのりこえる。革命の主体が未形成だ」と叫んでいることが明確になった。 【T】 今回、マル青労同・マル学同1000人建設の武器として、『帝国主義論』を圧倒的に復権されたと思います。討論の中で、労働者の口から次々と、「資本や職制の方こそじゃまなんだ! おれたちに権力よこせ!」という言葉が語られているのは本当に決定的な事だし、そこでこそ労働者は団結できるのだと講師や、動労千葉顧問の中野洋さんも提起している通りだと思います。 【q】 『帝国主義論』を今回のようにまとまった形で受講したのははじめてです。 【d】 「われわれのあたえた帝国主義の定義のなかに表現されている基本的な思想」、すなわち、帝国主義・資本主義の「改良」や「救済」ではなく、プロレタリア革命による打倒、という核心が正面から提起されていた、と感じる。『第2インターナショナルの崩壊』や『社会主義と戦争』による補足も充分で、自分が地区労働学校等で主催者の立場になったときには、ぜひ参考にしたい。 【E】 昨年のマル学同合宿での『帝国主義論』で、党派闘争の重要性から帝国主義論を位置づける、と提起されたわけですが、この08年の塩川一派や4者・4団体派との闘いのなかで、『帝国主義論』の実践的位置づけがより深まったと思う。 【P】 1)党学校は、直接提起を聞き、同志と討論し、自分の問題意識をもっとはっきりさせていく、あらためてのことですが重要な事として再確認したいと思います。特に今回の学校では、強く感じました。(かなり自分の問題意識が討論によって整理された) 【r】 やはり、討論の中でも述べましたが、革命情勢の現実性が生き生きと展開されるその時に、それを必死で否定する勢力が必ず登場するのだなと、あらためて確認しました。 【a】 『帝国主義論』の前半において、独占論が帝国主義段階の軸になっていることがわかった。それが今の現実になっていることが、鮮明になっていった。 【t】 『帝国主義論』を、労働者階級の時代認識と路線、それをめぐる党派闘争の実践の書として新鮮に読んだ。はっきりさせるべきは、資本主義が終わりだ!と1ミリの揺らぎもなくはっきりさせ、今こそ労働者階級が権力をとろう、とれる、と真っ向から訴える熱烈なパトスだ。 【h】 『帝国主義論』を真正面から真剣にノートをとって読んだのが今から18年前(91年3月)のことで、それ以来読んでなかった。やっぱり面倒くさい本だからでした。初めて読んだ時は、やはり自分のやっていた反戦運動などが正しいと、思った記憶があります。ちょうど湾岸戦争が始まった直後だったので、やはりその読み方は「帝国主義戦争の不可避性」の確認だったのだと思います。 【N】 『帝国主義論』の今回の提起全体を通して、かなり大胆に、現在的問題意識から、〈帝国主義とプロレタリア革命〉というテーマとして、すぐれた問題意識をもって構成されたと感銘を受けました。例えば、労働者の中での学習会においては、こういう提起が必要だなと思いました。 【W】 今、われわれが「生きさせろ!ゼネスト」1〜4月決戦の渦中――まさに闘いの地歩が開始されたが、「資本主義の救済か革命か」の分岐・激突の時代に突入しており、そういう党派闘争を断固進めなければならないが、カウツキーへの徹底した批判によって、よく理解できた。現在に通じる普遍的課題なんだ、とまさに実感した。 【A】 帝国主義の時代とは、プロレタリア世界革命の時代なのだ。つまり、革命のチャンスということである。労働者階級にたいする絶対的信頼をなくさない限り、大恐慌情勢を革命に転化できる。 【L】 「大恐慌→ブロック化→世界戦争」という時代認識は単にそのままでは100%ブルジョア思想であって、労働者階級の時代認識とはまったく別物である、という提起は、この間の〈戦後革命ではなく〉〈大恐慌をプロレタリア世界革命へ〉と通じる革命的提起であると思いますが、ハッとさせられるものがありました。 【S】 私は、今回講師がくり返し提起された、日和見主義者への批判と打倒こそが帝国主義を打倒すること。そのために絶対に必要な思想と課題であることを学びました。 【X】 (一)『帝国主義論』後半は、前半以上に、『第2インターナショナルの崩壊』『社会主義と戦争』や『新版 甦る労働組合』と一体化して、日和見主義(塩川一派と日本共産党)批判が提起されたことは、正解であり、鮮明であり、何よりも実践的な提起であったと思います。今回、冒頭のレジュメにない3点もしかりです。 【G】 レーニンの「厳しさ」は、「労働者階級への絶対的信頼」と表裏一体である。この信頼がゆらいだときに、理論的にも、実践的にも裏切ることになる。 【e】 前回に続き、「帝国主義はプロレタリア世界革命の時代である」というレーニン帝国主義論の結論が鋭く提起されきったと思います。 【O】 『帝国主義論』にカウツキー関係の論文を組み合わせて、今日的な体制内労働運動批判の提起として、とても実践的なものだったと思います。 【g】 レーニンの時代認識の基底に労働者階級への無限の信頼があること、それは動労千葉労働運動にも貫かれている共通のものだ、ということがハッキリとつかめた。 【F】 レーニン『帝国主義論』の基軸・土台は「世界戦争に行き着く独占論」として書かれている。『帝国主義論』の基礎は独占論にある。レーニンは、第一次世界大戦の最中、<帝国主義戦争の不可避性>を論証した。帝国主義(戦争)は、社会主義革命の前夜以外の何ものでもない。帝国主義は共産主義の条件を成熟させている。レーニン率いるボルシェビキはカウツキー主義者――体制内労働運動と闘い、"帝国主義戦争を内乱へ”のもとに、ロシア革命(1917年10月)に勝利したのである。『帝国主義論』は第一次世界大戦の最中――19世紀末〜20世紀の初頭の資本主義の歴史的段階を「生産の集積と独占」から解き明かして、金融資本を媒介とする「資本の輸出」、それは「資本家団体のあいだでの世界の金融」再分割戦であること、それは第一次世界大戦の現実的・物質的な解明であった。レーニンは、この世界戦争を内乱に転化して、ロシア革命――ドイツ革命を闘いとるにあたり、カウツキーの”資本主義の帝国主義的政策論””体制内労働運動”を批判・打倒することを絶対的な闘いとしたのである。レーニンはカウツキー主義者――プレハーノフを批判することで、労働組合(論)――ソビエトを基軸・土台とする革命論を構築し、労働者階級人民を組織していったのである。ペトログラードの労働者・兵士を組織し、ロシア革命に勝利していった。レーニンにとって、『帝国主義論』は、共産主義革命の現実的条件=「生産の社会化」を明らかにするものであった。 【I】 前回の提起もそうでしたが、この世界金融大恐慌の時代に帝国主義論を本当に復権していくということが決定的だと思いました。まさにレーニンが執筆したとき、ヨーロッパにおける恐慌と第一次大戦、そして労働者階級の歴史的大反乱の開始というなかで、社会民主主義をかかげていた体制内指導部が裏切っていく、まさに現在の我々が直面している情勢とレーニンが真っ向から対して、「革命の時代だ!」「労働者階級に革命する力はある!」と喝破したことがヒシヒシと伝わってきました。これまで、帝国主義論がひとつの経済書、あるいは世界戦争不可避論として読まれてきた限界をのりこえて、「帝国主義はプロレタリア世界革命の時代」ということをはっきりさせる、独占こそが労働者階級を食えない状況に落としこめながら、それは労働者階級が労働組合に団結して独占をぶっ飛ばしたときに社会主義を実現できる、その条件が圧倒的に成熟しているのが帝国主義なのだと。 |