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2009年01月号

党学校通信

党学校機関紙 A4判月1回発行 頒価100円

今月の内容 レーニン『帝国主義論』(上)

講義概要 P1-8

★討論から- P8-17

受講レポート P17-22

2008年1月号
通信 バックナンバー
党学校通信 p1-8  講義概要

レーニン『帝国主義論』(上)

前半講義概要 講師 柴田 之雄 

はじめに

 世界金融大恐慌の時代は、全世界の労働者階級が団結して世界革命の勝利へと大進撃していく時代だ。日米韓の労働者・学生5700人が結集した11・2全国労働者総決起集会は、日本と全世界の労働者階級に「労働者には革命をやる力がある」という勝利の展望を示した。この地平を引き継ぎ、世界大恐慌を世界革命に転化する闘いに突き進もう。「生きさせろ」のゼネストはすでに始まっている。国鉄分割・民営化攻撃に対して2波のストライキで闘い団結を守りぬいた動労千葉のように闘えば勝てる。資本家と労働者のむき出しの実力闘争が革命の勝敗を決める時代だ。いよいよ労働者が権力をとる時代が来た!
  今日の世界金融大恐慌は、資本主義300年の歴史がついにその終わりの時を迎えたということだ。戦後世界体制を支えてきた最後の基軸国・アメリカ帝国主義は、もはや体制崩壊寸前だ。日本帝国主義も、これまで労働者をとことん使い捨てて肥え太ってきたトヨタやキャノンがついに倒産寸前情勢だ。減産、工場閉鎖、大量解雇、賃下げは、もはや資本主義が労働者を食わせていくこともできなくなったことを突き出している。
  こうした中で、労働組合運動をめぐる激しい分岐が生まれている。資本主義を救済するのか、それとも資本主義打倒のプロレタリア革命に向かって団結するのか。帝国主義の大攻撃とまったく闘わない体制内労働運動勢力との激突に勝ちぬいて、労働者のわき上がる怒りを団結させ、階級的労働運動を大前進させよう。
  最末期の帝国主義のすべての矛盾が爆発し、世界の労働者階級が陸続と決起する時代だからこそ、レーニン『帝国主義論』を20世紀の『共産党宣言』として復権させよう。
  『帝国主義論』は、第1次世界大戦という激動情勢と真正面から向き合い、労働運動における日和見主義潮流(現在的に言えば体制内労働運動)と対決しながら、現代にマルクス主義を復権させた革命的実践の書だ。
  第1次世界大戦が始まったのが1914年。しかも当時の労働運動、社会主義運動の指導部であった第2インターナショナルは、雪崩れをうって転向し、自国帝国主義政府の戦争支持・協力という大裏切りに走った。しかし重要なことは、労働運動をめぐる社会排外主義と革命的潮流との間の分岐と激突が激しく展開され、ロシアなどでは労働者が戦時下のストライキに立ちあがり、帝国主義・資本主義の打倒へ不屈に前進していたことだ。
レーニンは、こうした緊迫した現実と真正面から向き合い、1916年に『帝国主義論』を書きあげ、「資本主義は行きつくところまで行きついて、世界戦争というとてつもない矛盾を爆発させているではないか。帝国主義は死滅しつつある資本主義だ。今こそプロレタリア革命の時代だ」と言い切った。そして帝国主義と労働運動における日和見主義潮流との結びつきを明らかにし、「帝国主義との闘争は、それが日和見主義にたいする闘争と不可分に結びついていないならば、一つの空疎で虚偽な空文句にすぎない」(岩波文庫版203n)ことをはっきりさせた。労働運動における日和見主義潮流との対決・打倒をやりぬくこと、とくに日和見主義との融合・和解を説くカウツキー(カウツキー主義)をぶっ飛ばすことが、現代プロレタリア革命の勝利にとって死活的な課題であることを徹底的にはっきりさせ、1917年ロシア革命の勝利を切り開いていった。世界金融大恐慌のただ中で、体制内労働運動を打倒し、世界革命に向かって階級的労働運動を前進させるためにも、レーニン『帝国主義論』を全力で学習していこう。

【1】第1章 生産の集積と独占

  「帝国主義は、その経済的本質からすれば、独占資本主義である。帝国主義の歴史的地位は、すでにこのことによって規定されている。なぜなら、自由競争の地盤のうえに、しかもほかならぬ自由競争のなかから成長する独占は、資本主義制度からより高度の社会=経済制度への過渡だからである」(同199n)
  「独占」が『帝国主義論』の全体を貫くキーワードだ。独占とは、生産力と市場がほんの数個の独占体(大企業)によって支配され、分割されつくしているということ。これは自由競争が支配的だった段階とは決定的に質的に変化した資本主義のあり方であり、このような「独占の段階に移行した資本主義」をレーニンは「帝国主義」と規定した。
  独占とは、資本主義の「基本的属性」である「自由競争」の否定にほかならない。レーニンはこの独占段階の資本主義を「最高の発展段階」と言い切った。つまり次に来るものはプロレタリア世界革命しかない、社会主義・共産主義しかないということだ。
  レーニンは、独占論の展開を生産における集積という事実から始める。「数万の大企業がすべてで、数百万の小企業は無」(同29n)という状況が生まれ、「競争は独占に転化する」(同43n)。カルテル・シンジケート・トラストといった形態で世界の市場を互いに分割し、価格や生産量なども決め、事実上の独占状態をつくり出していく。こうした独占は、恐慌という資本主義の崩壊の危機の中から生まれた。資本主義が恐慌という形で全矛盾を爆発させる中から、必死のあがきとして、ブルジョアジーは独占の形成へと突き進んでいったのだ。
  しかも独占の形成は、平和的に進んでいったわけではない。アメリカの巨大石油資本スタンダード・オイル・カンパニーは、競争相手のパイプラインにダイナマイトをしかけて爆破することまでやって、石油市場の90%を独占していった。まさに「何でもあり」でブルジョアジーは独占へと突き進んでいった。
  何より帝国主義は、1871年のパリ・コミューンとその軍事的鎮圧から出発した。帝国主義は、労働者階級の団結した闘いを鎮圧しなければ、いつ打倒されるか分からないという階級支配の危機に直面する中から登場してきたのだ。
  1870年代から20世紀初頭は、世界の労働運動の新たな高揚・激突の時代の始まりでもあった。独占は、こうしたブルジョアジーとプロレタリアートの世界的な階級的激突の中から生まれてきた。帝国主義は、その出発点から「革命の恐怖」にさらされ続けてきた体制なのだ。だからこそ、独占の支配は、どうやって労働者の団結を破壊し解体するかに向けられてきた。その核心的攻撃として、労働組合を労使協調化して、資本に立ち向かわせない存在にしてしまうことに総力をあげてきたのである。
  「資本主義は、その帝国主義的段階において、生産のもっとも全面的な社会化にぴったりと接近する。それは、いわば、資本家たちを、彼らの意志と意識とに反して、競争の完全な自由から完全な社会化への過渡をなすある新しい社会秩序にひきずりこむ」(同43n)
  「生産の社会化」とは、資本主義を打倒して共産主義社会を建設するための客体的諸条件が完全に成熟しているということだ。しかし、プロレタリア革命によって資本主義を打倒しないかぎり、「社会的生産手段は依然として少数の人間の私有」のままだ。「少数独占者のその他の住民に対する圧迫は、いままでより百倍も重く、きびしく、たえがたいものとなる」(同)。
  社会には有り余るほどの生産物がつくりだされているのに、それによって労働者階級の状態はよくなるどころか、逆に「モノが売れない」ということで何万何十万という労働者が一斉に解雇され、住宅を追い出され、食うや食わずの状態で路頭に放り出されている。しかも、こうした労働者の大量首切りを行っている資本家どもはどうだ。政府から巨額の公的資金の注入を受けている金融機関の最高経営者たちは、昨年だけで合計400億ドル(約3兆8600億円)以上の報酬を受け取っている。さらには「ビッグスリーの労働者は、トヨタの労働者よりも3割以上高い賃金をもらっている」「好待遇を税金で支えるのか」などというキャンペーンを始めている。
  こうした労働者の団結を破壊し、一切の犠牲を押しつけていく大攻撃に対して、アメリカはじめ世界の労働者は、職場生産点で資本や体制内労組指導部との非和解の闘いに立ちあがっている。世界金融大恐慌に立ち向かう労働運動が全世界で登場している。まさに世界は革命情勢だ。

【2】第2章 銀行とその新しい役割

 「銀行の基本的で本源的な業務は支払の仲介である」(同51n)。しかし、銀行でも集積・独占・巨大規模化が19世紀後半から急速に進んでいった。それを決定的にしたのが、1900年の恐慌だった。恐慌のただ中から、「全国をおおい、いっさいの資本と貨幣収入とを集中し、数千数万の分散した経営を単一の全国民的な資本主義経済に、そしてさらには世界的な資本主義経済に、転化しつつある運河の濃密な網の目」(同56n)が、急速につくり出されていった。銀行は単一の中心部から数百・数千の支店・営業所を全国・全世界に張りめぐらせたネットワークを形成していった。銀行と結びついた産業企業は、一挙に莫大な資金を手に入れ、生産力と市場を全速力で独占していったのである。
  こうして銀行も「多数の控えめの仲介者」から「ひとにぎりの独占者」へと成長転化していく。さらに銀行と産業資本との結合は、人的な関係でも深まっていく。銀行と産業との「人的結合」は、さらに政府との「人的結合」によって補足される。その点では、アメリカ帝国主義が最もあけすけだ。例えば、今度オバマ政権の経済参謀に就いたルービン。1990年代半ばのクリントン政権時代の財務長官として、新自由主義政策を推進してきたルービンは、そもそも大手投資銀行ゴールドマン・サックスの共同会長 だった人物だ。
  銀行における独占の形成も、共産主義の客観的諸条件を急速に成熟させる。「全能の支配者」として「ひとにぎりの独占者による公衆の略奪」をやりたい放題やってきた銀行も、実際には労働者階級が動かしている。「今日では、事務員たちがこのような経営的頭脳労働の十分の九をおこなっている。銀行業務はこの発展の先頭に立っている」(同66n)。
  今や、こうした「全能の独占者」たる銀行が完全に破綻している。何よりも、そうした金融機関に対する公的資金の投入に対して、「資本家を救済するな! 刑務所へぶち込め!」と、圧倒的多数の労働者が怒りのデモに立ちあがり、ブルジョアジーを震撼させている。“資本家なんかいなくていい、俺たち労働者がやってやる!”―労働者が団結して革命をやって銀行も押さえてしまえば、共産主義はすぐにでも実現できるということだ。

【3】第3章 金融資本と金融寡頭制

 「20世紀〔の初頭〕は、古い資本主義から新しい資本主義への、資本一般の支配から金融資本の支配への、転換点である」(同77n)
  鉄鋼業などの重工業で生産の大規模化が進行し、生産設備(固定資本)が巨大化していくと、非常に巨額の資金が必要になっていく。ここから独占的な大企業=大銀行が株式会社制度を使い全社会から資金をかき集めて、資本に変えることが行われるようになる。
  こうして成立した金融資本は、その圧倒的な独占の力をもって全社会を支配し、「金融寡頭制」というものをもたらす。この金融寡頭制にこそ、帝国主義・資本主義の腐敗性・末期性が凝縮して示されている。「現代ブルジョア社会の、例外なしにすべての経済機関と政治機関のうえに、従属関係の濃密な網をはりめぐらしている金融寡頭制」(同200n)など、労働者階級にとっては打倒対象いがいの何ものでもない。
  金融寡頭制においては、「参与制度」が大きな役割を果たしている。参与制度とは、株式の所有や会社役員の派遣などをとおして、親会社―子会社―孫会社といった関係をつくっていくことだ。「この制度は、…どんな種類のうしろぐらい醜悪な所業でも天下御免でやりとおして、公衆からまきあげることを可能にする」(同81n)。しかも、この少数の金融資本の支配者たちは、政治権力と結びついてこれを利用していく。国家の金融・経済政策、通商・外交政策、軍事・戦争政策などの諸政策との結びつきをますます必要としていく。
  今日でも、それはまったく変わらない。破綻した金融機関やGMなど大企業の最高経営者たちは、労働者の大量首切りや賃下げなどと引き替えに、政府から巨額の公的資金による「救済」を受けている。日本でも、小泉政権の時に設置された「経済財政諮問会議」などは、首相の麻生、日本銀行総裁の白川、トヨタ自動車会長の張が同席しているのだから、「結びつき」なんてもんじゃない。世界金融大恐慌のなかで、少数の独占者によるデタラメな支配体制がここまでハッキリしたことは、労働者にとっては打倒対象がこの上なく鮮明になったということだ。いよいよ全世界の労働者が団結して、帝国主義・資本主義を打倒する世界革命に勝利できる時がやってきたということだ。

【4】第4章 資本の輸出

 金融寡頭制の支配を形成するまでにいたった少数のいわゆる先進資本主義国は、他のすべての国家にたいして優越し、「資本の蓄積が巨大な規模に達し」(同102n)ていく。この先進資本主義諸国では「膨大な『資本の過剰』が生じ」てくる。そこから独占が支配する最新の資本主義は「資本の輸出」を典型的な特徴としてくる。この資本の輸出をめぐって、帝国主義国間の世界分割・再分割闘争が激化し、植民地・資源・勢力圏などをめぐる侵略戦争、世界戦争が不可避になっていく。
  なぜ「資本の過剰」が生じるのか。「なぜなら、発展の不均等性も、大衆の生活の半飢餓的な水準も、ともにこの生産様式の根本的な不可避的な条件であり、前提であるからである。資本主義が資本主義としてとどまるかぎり、資本の過剰は、その国の大衆の生活水準をひきあげることには用いられないで、―というのは、そうすれば資本家の利潤をひきさげることとなるであろうから―国外へ、後進諸国へ資本を輸出することによって利潤をひきあげることに用いられる」(同103n)からだ。
  今の日本やアメリカなど、まさにそうではないか。帝国主義の最後の延命策としての新自由主義攻撃である民営化、規制緩和が労働者階級を貧困と非正規化へとたたきこんできた。そうした労働者からの徹底的な搾取によって、トヨタやキャノンをはじめ日本の独占体は毎年史上空前の莫大な利益をあげ続けてきた。「過剰な」資本は中国・アジアへ、世界へと輸出され、そこからまた莫大な超過利潤を吸い上げてきた。しかも現在の金融大恐慌のなかで、日本でもアメリカでも十万人・百万人単位の労働者の大量解雇が始まっている。さらに医療も介護も年金もどんどん切り捨てだ。農業もますます徹底的に切り捨てられようとしている。「労働者を食わせていけなくなった資本主義は倒れてしまえ! 労働者に権力をよこせ」と立ちあがる時だ。
  資本の輸出も平和的に行われるわけではない。国家的な対外膨張政策、植民地侵略政策と結びついて進められる。従属国にたいする借款や縁故、人的な関係もとおして行われていく。しかも、金融資本は国内市場の独占・分割のためにつくったカルテルやトラストを国際的レベルでもつくりだし、「直接的な」文字通りの「世界分割」を行うようになる。
  しかし重要なことは、こうして金融資本は、同時に、全世界に「資本主義の墓掘り人」としての労働者階級の革命的団結を生み出していく、ということだ。「資本の輸出は、その資本がむけられる国で、資本主義の発展に影響をおよぼし、その発展を異常に促進する」(同107n)。そこでは「ブルジョアジーつまり資本が発展する度合いに応じて、プロレタリアートも発展する」(『新訳・共産党宣言』19n)。
  帝国主義の最後の延命策としての新自由主義政策は、これを極限まで押し進めた。そうした中で、労働者の側は、動労千葉を軸とした11月労働者集会の日米韓労働者の国際的団結が形成され、ILWUローカル10を先頭としたイラク反戦のメーデーストライキに、イラクの港湾労働者が連帯ストライキで応えるという画期的な闘いをつくり出してきている。世界金融大恐慌は、全世界の労働者階級が団結し世界革命の貫徹へ大進撃していく時代だ。

【5】第5章 資本家団体のあいだでの世界の分割

 19世紀末から20世紀の初めにかけて、国際カルテル、国際トラストといった独占団体による世界の分割が進行した。これは独占の究極の段階だ。資本家たちは敵対的な市場の奪い合いという形で「世界分割協定」を結ぶ。そういうレベルまできた資本主義の現実の中に、共産主義社会に向けて生産手段や労働力を世界的規模で分配し、労働者が調和的な生産を組織していくことが十分可能な客体的諸条件がつくり出されている。
  しかし、カウツキーのように、“国際トラストや国際カルテルの延長から社会主義が芽生えてくる”などというのは、マルクス主義とは縁もゆかりもない主張だ。カウツキーは「国際カルテルは、資本の国際化のもっとも端的な表現の一つであって、資本主義のもとでも諸国民のあいだに平和を期待する可能性をあたえるものだ、という見解」(岩波文庫版123n)を表明していた。レーニンは、このカウツキーの見解を「理論的にはまったく不合理であり、実践的には詭弁であり、最悪の日和見主義」(同)「カウツキーは、…ドイツのブルジョアジーのがわに移行してしまった」(同124n)と徹底的に批判している。
  国際カルテルや国際トラストは、けっして独占体同士の世界分割・再分割をめぐる闘争を克服したものではない。「利潤を獲得するために」「資本に応じて」「力に応じて」世界の経済的分割を行っているにすぎない。そしてこの力関係は不変ではないし、現実に絶えず変動し、再分割に向かっていく。資本主義のもとでは、「均等な」発展はありえない。
  国際カルテルが平和的に発展して「超帝国主義」の段階に行きつく可能性があるなどというのは、まったくナンセンスだ。「資本家団体のあいだの闘争と協約との内容の問題を、闘争と協約との形態(きょうは平和的であり、あすは非平和的であり、あさってもまた非平和的である、というような)の問題とすりかえることは、詭弁家の役にまで堕することを意味する」(同125n)。 
  現在においても、いや現在だからこそ、カウツキーのように、“帝国主義・資本主義のもとでも世界平和は実現しうる”という連中が次々と現れてきている。塩川一派、日本共産党、4者4団体派などがまさにそうだ。世界革命に向けて労働者階級が団結していくことを必死になって抑えつけ、破壊しようとしているのだ。

【6】第6章 列強のあいだでの世界の分割

  「最新の資本主義の時代は、われわれに次のことをしめしている。すなわち、資本家団体のあいだには、世界の経済的分割を土台として一定の関係が形成されつつあり、そして、これとならんでまたこれと関連して、政治的諸団体のあいだに、諸国家のあいだに、世界の領土的分割、植民地のための闘争、『経済的領土のための闘争』を土台として、一定の関係が形成されつつある」(同125n)。
  資本主義が帝国主義段階に入った19世紀末から20世紀初め、すでに全地球の領土的分割はほぼ完了していた。ここから20世紀は再分割の時代に突入していく。とくに原料資源の独占はますます死活的なものとなっていく。それは現代の全世界巨大企業のトップに米系石油独占体のエクソンモービル(その「起源」はスタンダード石油トラスト)が君臨し、トップ10社のうち8社が石油・資源関連企業であることにも示されている。
  さらに「すでに発見されている原料資源ばかりでなく、可能的な資源もまた意義をもっている。…このことからして、経済的領土の、否領土一般さえもの拡張に対する金融資本の熱望が不可避的に生じる」(同138n)。「資本輸出の利益もまた同様に、植民地の制服をうながす」(同139n)。このように帝国主義段階における領土獲得・植民地の確保は、以前の時代とは比較にならないほど死活的になっていく。
  また、「金融資本の基礎のうえに成長する経済外的な上部構造、すなわち金融資本の政治やイデオロギーは、植民地支配の熱望をつよめる」(同139n)。先に見たように、1871年のパリ・コミューン以来、帝国主義・資本主義は絶えず労働者階級の団結した闘いの中に「革命のヒドラ」を見てきた。プロレタリアートの闘いを鎮圧しなければいつブルジョアジーが打倒されるか分からないという階級支配の危機に直面する中で、ブルジョアジーは、この階級支配の危機を国外に転嫁してのりきっていこうとする。労働者階級の団結した闘いに追いつめられ、ブルジョアジーはますます帝国主義的植民地政策と侵略戦争にのめり込んでいく。
  それは第1次世界大戦後においても変わらない。資本家階級と労働者階級の関係は、どこまでも非和解なのだ。問題は一点、ブルジョアジーとの協調を唱える日和見主義・社会排外主義の指導部を労働運動の内部からたたき出すことであり、その最悪の形態であるカウツキー主義を打倒しつくすかどうか、にあるのだ。
  世界金融大恐慌はプロレタリア世界革命の決定的チャンスだ。1929年大恐慌の時もそうだった。資本家階級と労働者階級の非和解の対立はますます先鋭化し、世界中でプロレタリア革命が労働者の生活上の死活課題となる。何十%もの失業率のなかで、革命をやる以外に労働者は生きていけなくなるからだ。
  しかも1930年代の労働者階級の闘いをとことん裏切り圧殺していったスターリン主義も、労働者階級の闘いによって、全世界で破産し次々と打倒されてきている。体制内労働運動指導部を打倒し、労働者階級が団結して闘えば、必ず勝利できる。 (前半講義了)

党学校通信 p8-17

討論から

●r

 ヨーロッパを中心にゼネスト情勢になっている。ギリシャ、イタリア、スペイン。ギリシャでは、この1年で5回目か6回目。EUの弱い環で崩壊状態が生まれている。
  帝国主義間戦争になって、疲弊し、戦後革命情勢が生れるというかたちで私たちは長年考えてきたところがある。レーニンの『帝国主義論』も脈絡としてはそうなんですよね。14年に戦争が始まって16年に書かれている。しかし今起きてる事態は、大恐慌の中で文字通り革命的事態が拡がってるっていうことだと思うんです。
  29年大恐慌のあとのアメリカの場合、皆さんもよく知ってるあのサンフランシスコのゼネスト、そこからILWUができたわけですけども、それが34年で、サンフランシスコとトレドとそれからミネアポリス、その3つでもってそれぞれ、ゼネストって言ったって1つの都市で数万から数十万、そのくらいだと思います。そこまで5年かかってるわけです。ところが今回は違うんですよ。まず9・15のリーマンショックの何日か後にはウオール街で「救済するな」っていうデモが起きた。それを知ったイギリスの労働者が、同じようなスローガンを掲げて決起した。さらにヨーロッパでは弱い環において、ゼネスト状態が繰り返し行われてる。
  今回は、「戦争があって、戦後革命情勢が来る」っていうんじゃない。大恐慌の破滅的な危機のなかで革命が問われている、そういう事態。これはある意味、『共産党宣言』への原理的回帰みたいな面もある。
  アメリカの西海岸での昨年5・1メーデーストは、9・15リーマンショック前に起きてる。このとき侵略国(アメリカ)の労働者と被侵略国(イラク)の労働者が、目に見える形では1日ですけども、連帯して決起しメッセージを交換した。これは、第1次大戦の時、ドイツの兵士とロシアの兵士が、塹壕戦の時に「戦争やめよう」と交歓した、これに近い。またアメリカでは、9月からほぼ2ヶ月間ボーイングでストライキがあった。IAMっていう体制内指導部がずーっと押さえてきたのを突破してストライキになった。結果としては完全に勝ちきったわけじゃないんだけど、すごいことですね。さらに、今回資料にもありますが、シカゴで「30年代以来の工場占拠」が闘われた(リパブリック・ウインドウズ)。すごいことがアメリカで起きている。急速に展開しつつあるがもちろんまだ走りにすぎない。
  何でこんなに突然、数十万とか百万単位のゼネストになってるのか、1つはやはり労働者の数。プロレタリアートが革命やればやっぱり世の中ガラッと変わる、そういう労働者階級の数自体が、今と昔では全然違う。もう1つは、スターリン主義の制動っていう問題で、これがかなりぶっ飛んじゃってるっていうことがあると思うんですよね。もちろんそれでもやはり指導部の制動の問題がある。そこの突破なしには絶対にプロレタリア革命に行かないんだっていうことがわれわれの目の前で具体的に展開されている。そういった意味では、4者・4団体派との対決が重要だ。僕らは今、日韓米を軸とする「労働者インターナショナル」というものを持って世界大恐慌とゼネスト情勢に登場してる、そこに巨大な可能性がある。

●e

 「『帝国主義論』を現代の革命の実践の書として甦らせる」、その中身が今日提起された。ポイントは6章のところ、「キーワードは独占」というところ。この部分に関してそこでレーニンが『帝国主義論』の6章までで言いたかった核心を完全につかみきった。「ブルジョアジーとプロレタリアートの世界的な階級的激突の中から独占は生まれてきた」と・・・、「帝国主義はその出発点から革命の恐怖にさらされ続けてきた体制なのである。だからこそ独占の支配は、どうやって労働者の団結を破壊し解体するかに向けられてきた」「その核心的攻撃として、労働組合を労使協調化して、資本に立ち向かわない存在にしてしまうことに総力を挙げてきた」。ここの独占ということ、社会主義の前夜、最高の段階としての帝国主義という核心問題を、こういう形で実践に通用する核心としてつかみとってわれわれが登場していることの意義をしっかり確認したい。
  もう1つは、カウツキー主義というのはどういう時代に、どうやって何を根拠にして生まれてきて、それに対して革命派はどう闘ってきたのか。そこが極めて大きなポイント。今日的に言えば4者・4団体、塩川一派の、資本主義に対する救済というか、まだ何か先があるみたいな考え方。これは、法大決戦をやったり、マル青労同を先頭に拠点職場の中で他党派と本当にぶつかりあって、われわれ自身も血みどろになってつかみとった。カウツキー主義は、労働者が団結を拡大して、社会主義を今すぐにでも実現できるんだっていう、このことに対する確信がない、そういう連中なんだ。われわれがそれをつかみとっただけ勝てる。これが11月集会の総括の地平であり、全体そこで生き生きと前に進んで行こうとしている。

●I

 世界金融大恐慌を目の当たりにして、初めて『帝国主義論』てつかめる。アメリカの5大証券会社が全部つぶれていろいろ再編が進んでいく中で、ものすごい独占が進んでいる。その中で合併が労働者の首切りとして襲いかかってくる、レーニンが書いていることそのものが今われわれの目の前で起きてる。「これは」と思ったのは、「資本の輸出は全世界に資本主義の墓掘り人を生み出した」っていうことで、これは『共産党宣言』でも学習会としてやる内容じゃないですか。これが本当に今問題になってる、例えば日産の問題にしても、ルーマニアでストライキが起きた。日本では日産ディーゼルで、派遣切りで裁判をやっている。一緒になったらすごい闘いができる。指導部の意識性っていうか、本当に階級的労働運動路線で闘うのかどうかっていうことが問われる。ソニーにしても全世界で1万6千人が首切られるっていう中で、1万6千人の国際的軍勢が登場していく。
  こういう時代にたいして、本当に労働者の国際連帯で勝利できるんだっていうことを11・2は示した。それ自身が『帝国主義論』の中身、資本主義ってのはもう終わりなんだ、われわれが権力とれるんだ、社会を運営できるんだっていうことの実践じゃないかと思います。
  もう1つは、「体制内との対決」っていうところで、今日の朝日新聞で連合の高木が、「受注がなければ解雇は致し方ないが、まだ受注はあるから解雇は不当だ」みたいなことを言ってる。ふざけんなっていう話。GMでもUAWの幹部は「会社と一体となって(救済法案を)受け入れるんだ」って言って、結局去年9月のGMストライキで勝ちとった地平を全部投げ捨てている。まさに4者・4団体をめぐって起きてることと同じことだ。われわれは本当にここで、労働者階級の団結で勝利していく、「生きさせろ」ゼネストをやるっていうことが問われてると思うし、そのゼネストはもう始まってる。いきなり大波がボーンと起きるってことじゃなくて、例えば森精機の闘いとか精研労組の闘い、法大決戦、全国で闘いが始まってること自身がゼネストなんだ。まさに戦後革命期の「労働組合が雨後の筍のように生まれてくる」みたいなことが起きている。これを本当に階級的労働運動路線で獲得できるかどうかだと思う。そういう意味で今日の提起はすごいよかった。

●e

 ブルジョアジーも「100年に1度」って言ってますよね。だけどここは騙されちゃいけない、「結局大戦やって、また甦ったじゃないか」ということもあるんですよ、彼らの中にはね。戦争で犠牲になるのは俺たちじゃない、うまく煽って国家使って、そうなってもかまわないということでしょう。だからわれわれが階級的立場性において上回るためには、僕は「200年に1度」「300年に1度」・・・資本主義が発生して以来の、初めての世界革命のチャンスが来たっていう、これがわれわれのスローガンていうか立場じゃないのかって思っています。

●F

 『帝国主義論』の基軸はやっぱり独占体論。この独占体の死闘が世界戦争に行き着くということが、やっぱりレーニンの時代でも現代でも共通していると思う。その独占体の基礎、それは労働者階級であって、その労働者階級の闘いが独占体間の死闘を、直接的にも阻止しているんだと。だから労働者階級、労組主体、現場労働者の闘いで独占体の死闘に対して闘い抜いていく、そういう革命の構図というものが鮮明になってきているということから、動労千葉のような闘いの基軸性がはっきりしてきたと受け止めています。

●e

 戦争の問題、独占体間の死闘が戦争に行き着くっていうことが大事なことなんだって言われた。それから、「労働者階級の闘いが独占体間の死闘を止める」っていうニュアンスでおっしゃられたけれども、それはレーニンがあるいはマルクスが言っている、資本主義の墓掘り人、あるいはプロレタリア革命の主体的根拠、可能根拠ってことから言えば、独占体間の死闘をそんな簡単にやめさせることはできない。資本の強制法則の中で利潤の追求を求めて、あるいは帝国主義段階においては独占的な利潤を求めて激しく争うわけですから、それが必然的法則で動いている社会なわけですよ、今の社会は。その金融資本が政府を構成するわけですから、その国家の政策の根本に据えられているものについて見据えなきゃいけない。
  したがって、戦後革命ていう今までのわれわれのとらえ方がいいとか悪いとかじゃなくて、要するに資本家階級とその組織と政府が自信を喪失するっていうことが、革命の成熟であり条件であり、それが先になるか前になるかっていうことは、あくまでもその中におけるプロレタリアートの主体形成っていうことを含めて、資本家の側に対して労働者・農民層も含めて信頼しない状況が、必ず来るっていうことなんです。それが戦争によって完全に軍事力が叩き折られてなる場合もあるし、その前に来る場合もあるっていう、そういう押さえ方をわれわれはするっていうことが大事なんじゃないか。

●a

 今の金融大恐慌の中で失業者があふれてくる。もう一方において大企業は合併をやり始めている。やっぱりその基幹産別がどのように動いていくかによって、決まってくるんじゃないか。そういう意味において、体制内労働運動派をここで打倒してわれわれが主導権を握らない限り独占体の再編がどんどん進んでいって、最後は革命の芽をつぶしていくんじゃないか。そういう意味では100年に1度の大恐慌の中で、帝国主義は帝国主義として完全に労働者に矛盾を押しつけながら、戦争に向かっているということじゃないかと思うんですよ。そういう意味じゃ、この戦争に向かう過程の大失業・恐慌の中で、われわれがどれだけ階級的労働運動を進められるかによって、革命に転化できるかどうかという問題になる。怒りは充満して何百万という形で爆発するけど、革命に転化しない、これが体制内とのぶつかり合いじゃないかと思う。

●L

 新自由主義の破綻が本当に資本主義の歴史の終わりだっていうことを、徹底的にはっきりさせることが重要だと思う。戦争・核戦争ということも含めて、あらゆる意味で「もう終わり」っていうことをはっきりさせた時に、やっぱり革命・世界革命っていうことが生まれてくると思うし、現実に起こってることはそうじゃないですか。新自由主義そのものも、労働者をこき使って、日本だって年間3万人、4万人を殺して生き延びているわけでしょ。今5%とかの失業率だけども、この春はどうなるか。すでに大学の内定取り消しが起こってるけども、まるっきりもう大学そのものも新自由主義の手先に成り果ててるわけでしょ。世界恐慌っていうことは凄まじいですよ。もう路上に放り出されるのが何万人でしょ。キヤノンとかも含めて、凄まじい失業が起こってくる。党がなくたって、ギリシャ見ればわかるだろうってことなんですよ。労働者はああいう大変な状態になったら必ず決起する。「何であれだけのことが起こってるのに革命起こらないんだ」っていうのは、われわれの問題なんですよね。そうなった時にわれわれがどうできるか、どういうふうにヘゲモニーを取れるかっていう問題じゃないですか。それも急速に加速度的に。レーニンの時代は世界情勢ったってどうなってるかわかんない。だけど今はもういくらマスコミが統制しようがどうしようが、リアルタイムで全部伝わっちゃうわけですよ。
  また独占ていうことで言えば、「ボーイングがストライキやってるから、日本でも受注がストップされてどうしようもない」っていう話を聞いた。いたるところでつながってる。われわれはまだ数が少ないとか、そういうところにとらわれて真実を見失ってはいけない。やっぱりわれわれは3国連帯の発展をとおして世界革命っていう、そこの確信をつかんでるっていうこと、韓国の何万人ていう労働者を組織している最先頭の人たちが、過激派と言われようと何と言われようと、「ここに本物がある」って言って連帯してきてることについて、また塩川一派との闘いにおいても勝ち抜いてる。レーニンが言ったことと今われわれがやろうとしてることが、一致するっていうかよくわかってきた。
  今まではやっぱり、考えと実際が隔離してたんです。革命そのものも生産点をどうやって握るかって問題じゃないですか。そこがかけ離れて、何か暴動とか火炎瓶とかそういう面ばっかりが先行してたっていうことから言うと、今はレーニンにぴったりなんですよ。レニングラードとかモスクワとかの労働者をどうやって組織するか、どこにどうやってヘゲモニー持つかってことが、最大のレーニンの関心だった。それで結局間に合ったわけですよ。
  われわれはその路線を、この秋に完全に握ったと言えると思う。確かに日本だけおとなしいっていうような雰囲気もあるけれども、抑えられてれば一挙に爆発する、逆に言えば。その中で本当に原則を貫いていく、本当に闘うところはどこだっていうことで、労働者は見てるわけですよ。日本共産党なんかダメだってことは半年もすればわかる。実際の闘いが起これば、あいつらは裏切り者だってことが。そもそも「資本主義を救え」「いい資本主義」がどうのこうのって言ってるわけだから。そこをいかにしてぶっつぶすかっていうことが今問題になってるのに。われわれはそこのところを完全につかんだから闘える。絶対に間に合ってると思う。
  11月に「賃上げのゼネスト」って打ち出された時に、「ん?」と思ったんだけれども、やっぱりあれはすごい先進的な方針だと、最近つくづく思う。

●司会

 アメリカの9月のあの経済崩壊と、今の政治的崩壊状況。これは本質的にロシアの2月革命みたいな情勢だっていうふうにとらえた方がいい。数年かかるかもしれないし、10年かかるかもしれない。だけどそういう情勢だなと。1917年の2月っていうのは帝国主義の総力戦が何年間か行われて、疲弊しきった弱い環であるロシアが崩壊したってことでしょ。そういう状況の中に今現在の世界は突入している。イメージの話しではなく実際そうだろうと思うんですよ。現場の矛盾はいくらでも起きてくる。だからこそ現場で徹底的に多数派になるために争うわけですよ。労働者が権力をとるしかないわけだから。そういう局面に今突入してて、どんどんそうなる。

●e

 マル青労同の5回大会の中で、そこはもう完全に言い切った。つまり経済評論家でも「資本主義は終わった」っていうふうに言うけれども、最後にとどめを刺すのは労働者なわけで、その1人の労働者の中に革命性がある。それがもう本当に現場でむき出しになってるんですよ。生きるためにはこいつら倒さなかったら、こっちがつぶされるっていうかね。
  森精機もそうだけど、派遣で「お前明日から来なくていい」っていうことは、死ぬんだったら会社の外で死ねと言ってるわけだから。生きるためにはこいつらを本当に倒すために団結する、ここにかけるっていうことなんです。われわれの知らないところでいっぱい闘いは当然のように始まるけれども、その方向性を最後に与えるのは、われわれの今のこの部隊が持ってる確信なんですよ。情熱と確信とマルクス主義なんですよね。もちろんもっともっと拠点とか作っていくんだけれども、「どこか拠点ができたらさあやりましょう」ということじゃなくなってきたなと。やれるというのは非常に感じますよね。
  それともう1つは、戦争を止めるためにやるんじゃないですよ、われわれね。戦争の危機を利用して、プロレタリアート権力を打ち立てるというのがレーニンですから。戦争の危機を利用してプロレタリア革命をやるっていうことで、講師も最後まとめたと思いますけども、そこははっきりしている。

●K

 レーニンの『帝国主義論』といったら「戦争の不可避性」っていう、こういう図式でしか見てなかった。そうじゃなくて、核心は「プロレタリア世界革命の不可避性」というふうに言っていいんじゃないか。1916年という情勢の中でレーニンが『帝国主義論』を書いたわけだけども、われわれが直面している世界金融大恐慌情勢、それがもう完全に資本主義のどん詰まり、終わりの始まりだっていう時代認識を鮮明にする必要がある。
  破綻した新自由主義攻撃をどこまでも激化するしかないっていうことは、帝国主義とプロレタリアートが永続的に激突して、その激突はプロレタリア世界革命によって止揚される以外に道はないんだっていう、そういう時代にわれわれは突入してる、そういう意味で「世界革命の不可避性」をレーニン『帝国主義論』の核心として、今日的につかむ必要があるのかなということを、今日の討論を通して感じた。

●e

 資源・石油の巨大メジャーと世界革命との関係。エクソン・モービルとかをどうやって倒すのか。もちろん中にいる石油労働者を獲得して資源を押さえて君臨してきたようなあり方(帝国主義者)を本当にひっくり返す、プロレタリアートの手に全部取り戻す。民族解放闘争との連帯結合ということも含めて、その辺が、レーニンの時代とまた違った意味ですごい開けてきてるなっていうことがある。

●C

 資本主義は終わりっていうことを徹底的に暴露してくってことですが、学生と討論してて、「たしかに世界恐慌だと思う、だけど資本主義の崩壊じゃなくって資本主義の未完なんだ」って言ってる学生がいた。
  プラス今クラス討論で、法政大では例えば資格の学校とか生協とかが、「内定取り消しなんてあり得ない。公務員だったら大丈夫」っていうのをワーッとやってて、それに対してわれわれは「公務員でもダメ」みたいなことを言って、なんか暗くなっちゃって・・・。やっぱりゼネストっていうのが一番重要だと思ってます。帝国主義戦争の不可避性とか、一気に崩壊していくっていうことだけじゃなくて、やっぱり、資本主義の墓掘り人を生み出してるんだ。
  だから例えば日産のルーマニアの労働者が立ち上がってとか、帝国主義になったことで一斉に世界の労働者が同じ闘いができる。ストライキっていうことがやっぱりわれわれの路線だし、この時代で言えるのはわれわれだけだ。余談になるんですけど、東大の駒場祭で日共が講演会をやってて、題名が「資本主義ののびしろ」だった。

●e

 今の話はすごく切実。やっぱり今の話みたいになったら暗くなるっていうのと、闘わなきゃいけないという押しつけみたいになっちゃう。それに対して救済策を言うんじゃないけど、プロレタリア革命っていうことをみんながどういうものかつかむ・・・大衆的にね、そういう時に来てるって思います。
  そういう意味では、みんな食っていけるんだと。だってレーニンが言ってることや、マルクスのプロレタリア革命論の根幹にあるのは、プロレタリアートだけが組織的で、計画的な形で闘うことができる階級であるっていうことでしょ。それをストレートにわれわれは押し出していくわけですよ。言い方はちょっと語弊があるけど、働きたいと思う人はみんな公務員だっていう。社会主義・新しい時代は、みんなが必要な仕事をやって、それで支え合っていくんだっていうふうに言ってもいい。「計画的に生産し分配していくことが初めて可能になる」って今言い切れば、「ああ、そういうやり方が確かにあるんだ」っていうことでもあるんじゃないかな。そこをこちらが言い切っていかないと。もう明日食えなくなるのに、政府が寮に年内住ませてくれるんだったら、そっちの方に期待しますっていうのが出てくる。
  逆に怖いのは、ニューディールっていうのは、確かに昔のような規模ではやれないだろうけど、形を変えてやってこざるを得ないですよ。1人2万円しか出せないのは情けないなっていうことはあるけれど。これに対してわれわれが、そんなもんじゃないと、全部よこせっていうか、全部この社会の生産手段をわれわれに任せろと。そしたらもうこんなものは解決するんだっていう、このことをスローガンでも出していく。

●講師

 年表を作ってて、とにかく帝国主義の時代は労働者階級がバンバン闘いに決起する時代なんだ、すごいなと。日本の労働者の闘いは全然捨てたもんじゃないと思います。1905年の時とか、1910年の韓国併合の後だって、労働者は軍需工場でストライキやってるじゃないですか。革命の現実性はやっぱり現場の労働者の闘いにあるんだっていうことをつくづく思ったということが1つ。
  もう1つは、やっぱり連合をひっくり返す時が来てるが、何ていうかスマートに取れるんじゃないってことですね。やっぱり実力で権力を取る時代が来てるっていうこと。道州制攻撃が来て、自治労と日教組はチャンスだってこと。現場に行くと、やっぱり今の体制内執行部ってのは方針がないわけですよ。とにかく方針を、現場の労働者が出して職場で実力で闘った時には、その人がもう組合の指導部になっちゃう、そういうところに完全に来ている。「生きさせろ」ゼネストっていうのは、あらかじめ組合があるところだからってこともあるかもしれないけど、とにかくストライキやって組合作ろうっていう、そういう闘いにしていくっていうか、そういう状況に完全に来てるってことじゃないかと思ってる。そういう点では今の大恐慌情勢ってある意味戦後革命と状況は同じだなって・・・
  労働者は食えない状況になって、何始めたかっていったら、とにかく賃上げと生産管理闘争なわけです、組合作って。1945〜46年の状況と、2008年の状況ってのは完全に同じですよね。膨大な失業者が出たのは戦後だって全く同じなわけで。そこで飢餓賃金突破っていうのでやっていく。そういう中で労働者は立ち上がるし、最後決めるのはやっぱり指導部の問題じゃないですか。戦後革命だってそうなわけですよ。今そこのところをめぐるせめぎ合いっていうか、党派闘争をガンガン4者・4団体とかやってきて、塩川一派や平田派を叩き出したのはすごく重要だと思う。その点はドイツ社民党左派とは違うんですよ、われわれは。やっぱり完全にそういう日和見主義と決別して、今本当に世界革命の党としてぶっ立ってる、世界革命の勝利の最大の環をわれわれは自分で打ち立ててる。ここが全然レーニンの時とも30年代とも、全然違うところだと思います。
  あとアメリカで階級的労働運動派は、UAW(全米自動車労組)とれちゃうんじゃないかと思ってるんですけどね。これだけ体制内指導部がガタガタしててね、資本そのものが揺らいでいる時に、体制内組合指導部が今まで通り安泰でいられるなんてあり得ない、現場ではもう工場占拠闘争だってやってるわけじゃないですか。11・2の地平は、アメリカで言えば今こそUAWをわれわれがとるっていう挑戦ってことですよね・・・
  やっぱり核心は動労千葉だと思うんですよ。動労千葉は、『甦る労働組合』に書いてあるけど、「特別じゃないんだ」っていうふうに言ってる。動労千葉の組合員だって別に連合の労働者とあんまり変わらないんだって書いてあるんですよ。だから、「動労千葉のように闘おう」っていうのはなんか特殊に見えるけど、そうじゃなくて、連合傘下の労働者だってガンガンに闘えるし、やっぱり「その時がついに来た」ということを、こっちが確信してるってのがすごい重要なことだと思いますよね。
  その点で言うと「生きさせろ」ゼネストの問題の中心はやっぱり4大産別ですよね。もちろん派遣労働者のストライキもあるけど、それとどう4大産別が一体になっていくか。4大産別こそが先頭に立ってやろうということじゃないかと思います。

党学校通信 p17-22  受講レポート

受講レポートから ★『帝国主義論』(上)のレポートです。

【L】

 『帝国主義論』をプロレタリア革命の実践の書として復権させる。レーニンの『共産党宣言』として学ぶということが今日的情勢できわめて重要。労働組合運動のヘゲモニーをにぎる、職場生産点で労働者が主人公として立つということ。とりわけ今日的には4大産別でわれわれがヘゲモニーを取る位置を勝ちとっていくこと。
  労働運動を闘っていく上で「時代認識が重要」と動労千葉前委員長の中野さんが語っていますが今ほどそのことが問われている時代はないのではないか。“時代認識”と言った場合、やはりレーニン『帝国主義論』をしっかりとおさえることではないか。その上で新自由主義が最末期帝国主義の終わり、これ以上の延命策がないことをハッキリさせること。膨大な生産力があるのに労働者が食っていけないこの独占資本主義の最末期、ブルジョアジーさえお手上げの中で私的独占をひっくりかえすこと=革命が労働者の生きる道であること、こういうことがまったく可能であることは労働者のストライキ決起の中からうまれるということ。
  労働者は必ず決起する。全世界の労働者が示している。問題は革命党にある。我々はこの間の塩川一派との闘い、4者4団体問題でこの環をにぎったといえるのではないだろうか。

【r】

 世界大恐慌の中で『帝国主義論』を学ぶことの意義を非常に強く感じました。体制内指導部との闘いの決定的意義です。他方、私たちとしてレーニンと置かれている状況の差(しかし問題意識=革命の達成ではまったく同じ)も理解しておくことが重要ですね。レーニンが直面していたのは<大国間の帝国主義戦争>、われわれが直面しているのは<300年に1度の世界大恐慌>どちらも、資本主義が全面崩壊していく状況です。
  しかし、こういうとき、それをとらえてプロレタリア革命に決起していく勢力ばかりではない。それどころかまさにそういうときに断末魔の資本主義に救済の手を差しのべる勢力、しかも強力な物質力をもつ既成指導部=体制指導部の反動的活発化というものがある。いまで言えば社会民主主義とスターリン主義です。そういう意味では、10・24勢力=4者4団体派との対決とは、そういうものとの全面的対決ということです。とりわけ、今的には強固な党派性をもっているスターリン主義との対決が今後ますます重大性を増してくると思います。これをぶっとばして日本でも文字通りのゼネストをかちとる、それこそがプロレタリア世界革命の突破口をなす闘いになると思います。

【W】

 やっぱり、マルクスやレーニンの文献を08年12月という今、学習していることのリアルさを本当に痛感します。今日の世界金融大恐慌は29年恐慌をもこえる「100年に1度」の世界革命のチャンス到来ということがあまりにも急激に到来していることの驚きと、レーニン自身が1916年の段階で提起した『帝国主義論』の鋭さにあらためての思いを感じた。討論でも言われた「資本の輸出は全世界に資本主義の墓掘り人」を生み出した、という聞きなれた表現も今のこの時期、生きさせろゼネストのアピールが深々と入ることを考えるとぴったり感があります。
  まさに現代革命の実践の書であることの実感も感じました。9・15リーマンショックからわずか3ヶ月で世界は革命情勢、したがって09年は階級的労働運動路線の白熱的展開、連合=体制内を打ち倒して動労千葉派のヘゲモニーをかちとっていく飛躍の年にしなければならないと思います。

【J】

 『帝国主義論』はいつ読んでもおもしろいと感じる。私が特に、今回おもしろかったのは、『帝国主義論』とは労働者からむき出しの搾取をするためだけに行きついた、最末期の資本主義体制だということだ。そもそも資本主義は、ブルショアジーが封建領主たちの「独占的特権」を打ち破り、「自由」な競争でやらせろと革命までして作り出した社会である。それが、過剰資本、過剰生産という、資本主義の逃れられない矛盾にぶちあたるなかで、ブルジョアジー自身が命がけでつくり上げた「自由競争」すらも投げ捨て労働者からの搾取を強める一点で、独占につき進んだのが帝国主義だ。
  帝国主義とは文字通り、その発生した瞬間から、資本主義の自己矛盾を内包し、労働者階級に打倒されるのみの最末期資本主義である。
  であるがゆえに、労働者は今闘えば勝てる。独占に突き進み巨大化した大企業は、1つの工場、1つの職場ででもストライキがあれば壊滅的打撃をうける。中越地震の時、たった1つの自動車部品の工場がストップしただけで、全国の自動車ラインは機能停止した。これが帝国主義の最大の弱点だ! 今、労働者が闘ったら、こんな社会すぐに転覆できる。09年ゼネストで革命やろう!

【I】

 リーマンショック以来の金融大恐慌の本格的爆発と階級的労働運動路線というなかで、レーニン『帝国主義論』が実感をもってつかめるような情勢になってきたこと、このことが重要だとおもう。ある意味で大恐慌情勢のなかでしか『帝国主義論』を本来的に復権できなかったと思うし、それを可能にしているのが階級的労働運動路線である。
  『帝国主義論』前半のなかで、核心的に提起されている独占の問題は、新自由主義の破綻、大恐慌によって本当に目の前で始まっていると思う。金融機関のみならず、あらゆる産別において独占に向けた再編が行われ、その核心は労働者階級への徹底的なクビ切り、合理化である。したがって「生きさせろ!」ゼネスト方針こそ独占の粉砕、資本家的私有財産の奪還―廃止であり、プロレタリア革命そのものだとおもう。その突破口を11・2は完全に切り開いているし、そこに確信をもって09ゼネストへ突撃していこう。

【e】

 『帝国主義論』を現代のプロレタリア革命の実践の書として甦らせよう!という今回の党学校の提起と内容に革共同と階級的労働運動の到達した地平の高さを確信します。
  『独占は、ブルとプロの世界的な階級的激突の中から生まれてきた。帝国主義は、その出発点から「革命の恐怖」にさらされ続けてきた体制なのだ。だからこそ、独占の支配は、どうやって労働者の団結を破壊して解体するかに向けられてきた。その核心的攻撃として、労働組合を労使協調化して資本主義に立ち向かわせない存在にしてしまうことに総力をあげてきたのである』とレーニンは『帝国主義論』の前半のキーワード独占について、資本主義の"最高の発展段階"と言いきった。今日的に我々も言い切っていることと完全に重なるが、それは「資本主義は終わりだ、労働者の団結した力で革命をやろう」ということだ。そして「労働組合を甦らせること、この一点に労働者階級の未来がかかっている」(『新版 甦る労働組合』)ということも完全に帝国主義段階の資本主義を打倒するプロレタリア革命の主要課題として完全に一体だ。これをやりきったとき、21世紀におけるロシア革命=プロレタリア革命の勝利も完全に切りひらかれる。
  トヨタが利潤を雇用にまわすなど労働者を救済するなら、資本主義は資本主義でなくなってしまう。労働者を"救う“ことができるのは資本を実力で奪い返す権力を樹立することにおいてである。30年代革命を敗北に導いたスターリン主義と体制内指導部のニューディール政策への屈服(推進)を打ち砕き、労働者の団結を甦らせること・・・ここに『帝国主義論』の核心は鮮明に復活しつつあるとおもいます。
  しかも、全世界の労働者階級が団結して世界革命を切り開く方向に向かって・・・!
  100年に1度ではなく、200年に1度のはじめて資本主義を全世界的に打倒するチャンスとしてです。後半もまた期待しています。

【C】

 レジュメP11より「資本主義のもとでは国内市場は不可避的に…全世界に『資本主義の墓掘り人』を生み出した」
  ⇒ここが重要だとおもった。帝国主義は戦争の不可避性ということから、もっともっとポジに価値創造的に全世界の労働者が一つになる条件が整った、労働者は一つだといって通じる時代がきたと言えるし、現実の労働者の闘いが示している。ここをもっと押し出していきたい。

【S】

 現下の世界であらわに誰にでも見える姿をレーニンが『帝国主義論』で鋭く正しく暴露したことを学習し、実感をもってよく「解る」と思いました。
  世界大企業が、生存の危機の下でさらに合併を繰りひろげ、独占を強めながらも危機を深めてゆくのが眼前に進行している状況は(自由な)資本主義のどんづまりと終わりを実感させます。
  今、マルクス主義・レーニン主義を学びつかみなおしてゆくことが本当に革命的なことであるとおもいます。

【Q】

 レーニンが『帝国主義論』を書いた当時の問題意識が実践的感覚で甦る提起だったとおもいました。独占の死闘ととてつもない規模の資本主義の集積がついに29年恐慌とも比較にならない規模の世界大恐慌に突入する時点にまでいたったわけですが、まさに今こそ階級的労働運動の実践と組織化が待ったなしに問われている。
  ひとつは、資本主義は本当に終わった、という認識が決定的だとおもいます。とてつもない生産力、資本の集積が同時にとてつもない規模の失業として爆発をはじめた現実にたいし、労働者階級の政治権力が必要であることを正面から訴えることが唯一、説得力のある道である、そういう時代、情勢である。
  ふたつ目は、すでに世界中でストが激発している問題。労働者のストが発展すればするほど、資本と労働者の“和解点”はないのだ、ということが明確に突き出されてきている。指導部の問題、路線・綱領の問題が決定的なのだ。『甦る労働組合』の提起を導きの糸に、目の前の大流動する膨大な労働者に何をどう訴えるか、生きさせろ!ゼネストへの実践的なオルグと組織化のイメージが大きくふくらむ学習会であった。

【H】

 『帝国主義論』もたしかに世界戦争の不可避性の問題としてとらえる傾向があったので、講師の現在の金融大恐慌に引き寄せた講義は新鮮に感じられました。9・15リーマンショックと我々の11・2集会で、世界の動きを読んでいくことは、明るい展望を与えてくれます。また、革共同が戦後革命(不可避な世界戦争のあとに世界革命がくる)論に立っていたというのも意外でしたが、この現在の恐慌のなかで陸続と決起する労働者の闘いは、やはり、革命に通ずるものと信じます。
  資本主義の次の時代があることを示したのはマルクス主義・レーニン主義だけですから、スターリン的な歪曲をのりこえて社会主義を大いに論じたらよいと思います。確か『帝国主義論』も金融資本や独占が次の社会に利用できる(もちろんそのままの姿ではないが)と書かれていたように思います。一定の富の集中、集積(ファンド)が利潤追求を目的としないならば労働者階級が富の再配分を計画的におこなうことで、世界中から飢餓や戦争をなくすることが可能な気がするのです。働く者をすべて公務員とし週20時間働いたことの証明をもって、ファンドから人間的に生きるだけの費用を受ける。こんな展望をもっと労働者に語りかけよう。

【q】

 世界金融大恐慌情勢下で、われわれがいかに闘うのか、レーニン『帝国主義論』学習会はきわめて多くの問題意識が提起・討論され、いろいろ触発された。なによりも現情勢が17年ロシア革命に至る過程でのレーニンの闘いと完全に重なる、職場で、労働組合でいかにして多数派になっていくのか、ここに徹底的にこだわり、そこでの勝利が革命の勝利につながっていった。それはわれわれが階級的労働運動路線で職場権力、労働者の職場支配権をとっていく。そこに展望があるし、またわれわれが直面している問題・課題だ。
  革命情勢・世界革命の現実性こそ、われわれに労働組合をめぐる党派闘争にかちぬくことを求めている。このことを痛切に感じる。ロシア革命とドイツ革命の勝敗の分かれ目は体制内派との党派闘争(職場・労働組合)を徹底的にやったのかどうかだ。その意義をとらえきれなかったローザ・ルクセンブルクなどは血の海に沈められた。
  帝国主義はブルジョアジーとプロレタリアートの階級的激突のなかから生まれた。パリ・コミューンを契機に、ブルジョアジーは労働者の団結を解体することに執念をもやしてきた。この大党派闘争に勝ち、決着をつける、それが今だ! 4者・4団体派や塩川一派との党派闘争はプロレタリア革命の勝利を開く、また労働者階級の階級的団結をつくりあげていく決定的なテコとなる。党の路線的確信を深めるものとなったと思います。

【F】

 レーニンは、ロシア革命―世界革命に勝利するために『帝国主義論』(1917年4月発行)を書いた。『帝国主義論』は、現在の戦争は「どちらから見ても帝国主義の戦争」であり、レーニンはこの戦争を内乱に転化して、プロレタリア革命に勝利できることを熱烈にアピールした。『帝国主義論』は資本主義の最高の発展段階を帝国主義=「死滅しつつある資本主義」と規定し、帝国主義は戦争を不可避とすること、ロシアの(世界の)労働者階級人民はこの戦争を共産主義社会の実現にむけて、闘いとることに確信を抱いた。
  『帝国主義論』は、「生産の集積と独占」からはじまっている。そしてこの「独占(体)論」が帝国主義論の土台・基軸となっている。『帝国主義論』はその経済的土台にもとづいて「世界戦争にまでいきつく独占論」として書かれているのです。
  独占(体)は金融資本を媒介として金融寡頭制を形成し、国内市場・世界市場をめぐって、資本を輸出し、資本家団体の間での世界(市場・領土)を分割するのです。
  先進大国・イギリス、フランスに対するドイツ、アメリカ、ロシア、日本の追い上げという帝国主義列強の不均等発展は、「世界の分割」をめぐって第1次大戦として爆発しました。レーニンは、帝国主義=独占体は「生産の社会化」で共産主義の条件を成熟させていることを明らかにし、マルクス『ゴータ綱領批判』を受けて、『国家と革命』(執筆1917年)を表し、ロシア10月革命に向かい、プロレタリア独裁権力―共産主義革命を実現したのです。まさに、『帝国主義論』は現代帝国主義の解明に不可欠であり、共産主義革命の実践の書・指針です。

【a】

 『帝国主義論』の1章から6章を学習するなかで、“独占段階にまで達した資本主義にはもうこれ以上の発展はない”、なるほどなあと思った。独占の矛盾の爆発が恐慌になる。それは大量の失業者を生み出し、資本(ブルジョアジー)が生き残るためにはあらゆる攻撃を労働者にかけてくる。今日、金融大恐慌の中で経済収縮が急激になされ、非正規の失業者が増加し、さらに正規の労働者も失業者になっている。労働者が生きるためにはこの資本の攻撃とたたかうことによってしか生きられない時代に入ったのだ。今こそ、階級的労働運動を職場で実践し、職場支配権を闘いとっていくことだ。その場合、資本主義を救済する体制内指導部を打ち倒しながら、ストライキをかちとっていくことである。新自由主義が破産しているなかで、さらなる新自由主義(民営化と労組破壊)を徹底して資本が生き残ろうとしている。この攻撃と対決し、たたかっていく。まさにこの中で革命に向かって進んでいくことだ。

【A】

 世界金融大恐慌を、ストレートにプロレタリア世界革命に直結する時代がついにやって来た。「侵略を内乱へ」でなく、「大恐慌をプロレタリア世界革命へ」、これがスローガンだ。
  @司会の話のなかで、「ロシア2月革命が起こって11月に向かって、労働者階級の現場でボルシェビキが多数派になるために全力をあげた。そういう状況に完全に世界的に突入している。労働者階級が革命で(ブルジョア支配階級を)倒すことをめぐって、徹底的に現場で勝負する。そういう状況・段階に現在の世界は突入している」
  この話を聞いて、レーニンの「4月テーゼ」を思い出した。このチャンスを逃せば、ロシア革命は血の海に沈められるという危機感。何よりもプロレタリア革命への執念と労働者階級への信頼。4月、スイスから「封印列車」でロシアに帰国したレーニン。そして、「全権力をソビエトへ!」のスローガン。だがレーニンの「4月テーゼ」をめぐる党内闘争。「旧来の公式を捨てよ」を要求し、労働者の組織化と党の再武装をやりぬいた。ボルシェビキの労働者が、労働組合運動の主流をにぎったことが、ロシア革命の勝利を決定づけた。
  『帝国主義論』はレーニンが、現実と向かい合って何をつかみ、何を提起したのか。第1次世界大戦情勢と向き合い、労働運動における体制内労働運動と対決しながら、21世紀の『共産党宣言』『帝国主義論』として復権と実践が求められている。
  Aドイツの戦闘的潮流はドイツ革命の決定的瞬間に裏切り、革命の圧殺者となった。ドイツ革命の敗北は、労働組合(権力)をめぐる党派闘争の死活性を示している。「『帝国主義論』は、体制内労働運動との党派闘争に勝ち抜き、世界金融大恐慌情勢に立ち向かう階級的労働運動を前進させていくためにも決定的な実践の書である」と講師が語る通りである。
  11月集会を通じて、世界単一の労働者党の建設が確認された事とともに、資本主義の最悪の救済者である体制内労働運動を打ち破り、打倒することが共通の課題であることが確認された。体制内労働運動との党派闘争の持つ意味が画然と鮮明になってきた。そして日米韓の階級的労働運動の潮流の共通の壁は、この党派闘争にうちかつことにある。何よりも、08年は、革命の最悪の敵対者=塩川一派を打倒し尽くす闘いが圧倒的に前進した。
  B大恐慌がストレートに世界革命に直結する時代の到来は、労働者階級の決起が嵐のように始まる情勢だ。講師がまとめ、「年表をつくっていて、労働者階級はすごい」と結んだ。
  革命への執念と労働者階級への信頼につきる。「労働者の団結した闘いにこそ、社会を変革していく力がある。労働者階級こそ、真の革命的階級である。」「100年に1度の危機」帝国主義・資本主義は完全に終わった。いよいよ労働者が権力をとる時代が来た。
  マルクス主義を復権させよう。労働者の手に取り戻そう。
  「大恐慌をプロレタリア革命へ」「全権力をソビエトへ!」

【K】

 『帝国主義論』はプロレタリア世界革命に向かった実践の書だということをあらためて学び取ることができた。この間『前進』でも提起されているが世界恐慌―世界戦争―革命という革命過程論が世界恐慌―世界革命という図式で語られるようになっているが、現実の世界情勢、労働者階級の闘いをみるとまさにその通りであると痛感する。
  『帝国主義論』が1916年、すなわち第1次世界大戦の真っ只中で書かれたということもあって、「戦争の不可避性」とともに戦後革命というイメージで革命をイメージしていたのであるが、今日的にいえば、それでは完全に情勢に立ち遅れてしまうということも一層鮮明になった。
  そういう観点から考えると、『帝国主義論』の核心は「戦争の不可避性」とともに「世界革命の不可避性」ともいえるのではないかと感じた。
  世界革命の現実性、「資本主義の終わり」の始まりという時代認識を今回の提起―討論をとおしてあらためて強く確認することができたが、その点で、我々が「党の革命」を通して塩川一派を革共同からたたき出したことと、「4者4団体路線」派との大党派闘争を展開し、その勝利的前進として11・2労働者集会を勝ちとった歴史的、階級的意義は決定的なものがあった。この闘いがあったことで、情勢にガッチリとかみ合うことができる。すばらしい地平を勝ちとっていることに確信をもって、09年におどりこもう!