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2008年12月号

党学校通信

党学校機関紙 A4判月1回発行 頒価100円

今月の内容 マルクス『ゴータ綱領批判』

講義概要 P1-8

★討論から- P9-14

コラム P15

受講レポート P16-24

2008年12月号
通信 バックナンバー
党学校通信 p1-8  講義概要

マルクス『ゴータ綱領批判』

前後半講義概要 講師林 佐和子 

【はじめに】

 マルクスの『ゴータ綱領批判』は、まず第1に、1875年に発表されたゴータ綱領草案が、第1インターからパリ・コミューンにいたる労働者階級のたたかいの全成果を否定、解体する労働者蔑視の綱領であること、そして権力の弾圧と体制に屈服する綱領であることへの弾劾と怒りの書です。
  第2に、世界史へのプロレタリアートの登場(『共産党宣言』)、資本主義の論理の解明、価値法則の貫徹と矛盾爆発の必然性の論証(『資本論』)によって、資本主義は、すでに階級なき未来社会の条件を内包していることを明らかにした共産主義論です。
  第3に、フランスの労働者階級が、史上初の《プロレタリア独裁》であるパリ・コミューンを実現した地平に学び、プロレタリア世界革命勝利=共産主義社会建設への道をしめしたものです。

【T】世界革命情勢のただなかでマルクス『ゴータ綱領批判』を学ぶ

 いま、資本主義の矛盾が統御不可能な巨大な世界恐慌として爆発している。資本主義・帝国主義の命脈はつきた。最末期帝国主義の延命をかけた新自由主義攻撃(規制緩和・民営化・労組破壊)は、貧困と格差を拡大し、全世界の労働者階級人民の国境を越えた団結と決起を生み出しつつ、総破綻している。世界は、世界大恐慌の激しい破壊力によって底なしの危機に突入し―「資本主義の終わり」が始まった。まさに今が、世界革命情勢です。革命情勢とは、社会の真の主人公である労働者が資本家階級の支配を転覆し、全権力をその手に握るプロレタリア世界革命の時代が来たことを意味する。だからこそ体制内労組指導部と階級的労働運動路線派との激突・革命的分岐が全世界で始まっている。
  プロレタリア世界革命は、日々の階級的労働運動の実践を、《プロレタリア独裁》に向けた労働者階級の団結の強化・拡大として推進する運動であり、その意味で「階級的団結の究極の拡大が革命」なのです。08年11月集会は、「資本主義の終わりの始まり」という時代認識と「世界単一の労働者党」への希求を共有する日米韓3国連帯の新しい出発点を築いた。労働者階級が、プロレタリア国際主義で団結し、全社会の真の主人公として登場する時がきた。《プロレタリア独裁》が課題となる時代です。自らを単一の階級に形成し、《プロレタリア独裁》の力で《資本主義的私有財産制の廃止、収奪者の収奪》を成し遂げること、それを日々の実践でたぐりよせる路線が、階級的労働運動路線なのです。
  階級の存在と階級支配の経済的基礎を根こそぎにするためのテコとなる《プロレタリア独裁》をたたかいとる主客の条件は、資本主義の全運動がすでにつくり出しています。

【U】史上初の《プロレタリア独裁》パリ・コミューンと階級的分岐

 ゴータ綱領草案と『ゴータ綱領批判』は、パリ・コミューンをめぐる分岐のあらわれでした。史上初のプロレタリア独裁権力を闘いとったパリ・コミューンは、「労働者階級の解放は、労働階級自身の事業である」(第1インター規約)とした第1インター結成以来の階級的労働運動の歩みを、新たな次元におしあげた。パリ・コミューンは、1848年ヨーロッパ革命をへてイギリスから全ヨーロッパに拡大した労働者階級の闘争、1864年の国際労働者協会(第1インター)創立と階級的団結の拡大、すなわち「賃労働と資本」の非和解的階級闘争の所産だった。
  1871年3月18日、フランス・プロレタリアートは、プロシャ軍とフランス国軍包囲下のパリで、コミューンを布告した。パリ・コミューンは、72日間の英雄的たたかいののち、壊滅したが、革命的労働者階級が、ついに「社会の真の主人公」として団結した姿を登場させた史上初の労働者権力であり、プロレタリア世界革命の「第一歩」をしるすものだった。
  マルクスは、パリ・コミューンと同時進行で第1インター総評議会決議として『フランスの内乱』を書いた。「プロレタリアートは、自分の運命を自己の手に握り、政治権力を奪取し勝利を確保することが義務であり、権利であることを理解した。しかし、労働者階級は単にできあいの国家機関を掌握して、それを自分の目的に使用することはできない」「コミューンは所有階級にたいする生産階級の闘争の所産であり、そのもとで労働の経済的解放を達成すべき、ついに発見された政治形態だった」(『フランスの内乱』)
  そしてレーニンは、ロシア革命と同時進行で、パリ・コミューンを継承し『国家と革命』を書いた。「パリ・コミューンは、階級の存在、階級の支配の経済的基礎を根こそぎにするためのテコとならねばならなかった」「われわれ労働者は、自分自身で大規模生産を組織する。それは、資本主義によってつくり出されたものから出発し、労働者としての自己の経験に立脚し、武装した労働者の国家権力に支持される、厳重な規律をつくりだしながらおこなうのである」(『国家と革命』)
  パリ・コミューンとその「血の弾圧」は、国際的階級闘争の激動、労働運動内部の路線的分岐・流動を生み出した。パリ・コミューン後の激動と血の弾圧、硝煙の臭いがいまだヨーロッパをおおう1875年に発表されたゴータ綱領草案は、パリ・コミューンにいたる過程で勝ちとられた階級闘争の地平を否定し、プロ独をめざす労働運動を解体するものだった。創生期の不可避な誤りではなく、明確な階級的分岐における反動でした。 
  また、ゴータ綱領草案は、理論的、路線的、綱領的な基本点のことごとくにおいて、ラサール派への屈辱的な原則的屈服をしている。ロンドンにいたマルクスとエンゲルスは、発表されたゴータ綱領草案を手にして、あまりのことに驚き、激怒し、マルクスは、直ちに決別宣言にちかい反論をリープクネヒト(父)あてに送りつけた。それが『ゴータ綱領批判』です。だが、リープクネヒトは、原則を放棄した党の「合同」を推進し、マルクス・エンゲルスの批判を党内外に隠蔽し、ロンドンに送り返し、批判に応えなかった。マルクス死(1883年)後、エンゲルスは、1891年にドイツ社会民主党と党名変更した党の綱領「エルフルト綱領」の合法主義・日和見主義をついに公然と批判し、同時に、16年間隠されてきたマルクスの『ゴータ綱領批判』を公開する。『ゴータ綱領批判』を実践的・理論的に蘇らせたのは、レーニン『国家と革命』であり、ロシアの革命的労働者階級、ロシア革命の勝利です。
  資本主義体制擁護の体制内労働運動派は、労働者階級の階級的団結への不信に巣くう。マルクスのゴータ綱領草案への弾劾は、現在の国鉄分割・民営化と解雇攻撃に屈服した4者・4団体路線、日教組の「パートナー路線」、そして転落した塩川一派への弾劾でもある。《プロレタリア独裁》に敵対する論拠にあさはかにも『ゴータ綱領批判』をもちだした塩川一派。塩川一派は、「『ゴータ綱領批判』で、生まれ出たばかりの共産主義社会の権利は、原則上ブルジョア的権利であるといっているから差別問題はすべて解消しない」(08年7月、『展望』2号)という。塩川一派は、世界革命情勢下でまさにプロ独が現実の課題となったときに、《プロ独》反対派に転落した。
  共産主義とは、塩川一派のように労働者階級の自己解放の能力、《プロレタリア独裁》を否定しておいて共産主義社会のあるべき青写真や共産主義の高次段階をあれやこれやとあげつらうことではない。現実のこの階級社会である資本主義を「動かしている」労働者階級が、資本と非和解に闘い自らの力を自覚し団結することだ。資本主義の全発展、労働者階級の存在、階級闘争の中にすでにプロレタリア世界革命の萌芽がはらまれ、準備されているのです。
【V】ゴータ綱領草案に対するマルクスの弾劾と批判『ゴータ綱領批判』

(1)私有財産制=階級対立と搾取を隠蔽するゴータ綱領草案

  ゴータ綱領草案冒頭部分T−1「労働は、すべての富とすべての文化の源泉であり、そして有益な労働は、ただ社会において、また社会をつうじてのみ可能であるから、労働の全収益は、平等な権利にしたがって、社会の全構成員に属する」
  この冒頭部分は、「労働がすべての富の源泉」と「奴隷労働」を美化し、生産手段を持たない賃金労働者の労働が奴隷労働であることを隠蔽し、資本の搾取を隠蔽しています。
  マルクスの批判「労働だけが、すべての富の源泉ではない。自然も労働と同じように使用価値の源泉である。…労働が自然に制約されている結果、労働力以外に何の財産ももたない人間は、客体的労働条件の所有者である他人の奴隷となるしかない。労働力以外に財産を持たない人間は、客体的労働条件の所有者である他人の許可した時しか働けない。つまり、かれらがいいと認めたときだけしか生存できない」「冒頭には、次の文がくるはず《誰も、労働生産物としてしか富をえることはできないから、自分で労働しない者は、他人の労働で生活しているのであり、その文化もまた、他人の労働の犠牲によってなりたつ》。そして《ついに、現在の資本主義社会のなかで、このような歴史的災厄を打破する能力を労働者に与え、打破せざるをえないようにする物質的その他の諸条件が、どのようにしてうみだされているか》を示し、論証すべきである」
  このようにマルクスは、「階級社会を自然と人間との根源的な関係の疎外」として解明している(史的唯物論的展開)。労働とは、人間と自然の間の物質代謝を媒介する人間活動であり、人間労働力は、生産手段(労働手段と労働対象)と結合してはじめて、労働として実現できる。マルクスは、生産手段の所有者の奴隷である賃金労働者が、生産手段を奪い返すことによって、みずからを賃金奴隷制から解放できること、労働者階級の階級的解放の道を明らかにした。共産主義とは、労働者階級の階級的解放によって階級を廃止する運動、「私有財産制の廃止」である。団結した労働者が、政治権力を奪取し、収奪者を収奪し、全社会的に生産手段と結合する、そのためのテコが《プロレタリア独裁》です。
  冒頭部分T−1後半の《全収益》の《分配》論は、生産対象と生産手段の所有者である支配階級が「社会」の名において、労働する階級から剰余労働を取り上げる権利を主張する論理にほかならない。《労働の全収益》とは、労賃(=支払い労働)と剰余価値(=不払い労働)、賃金と剰余価値の抗争を隠す。賃労働と資本の反比例の関係、搾取を覆い隠す「賃金は労働の価値であり、収益の分け前だ」という資本家の言い分は、すでに「賃金は労働力商品の価値・価格だ」という科学的洞察・マルクス主義の普及(『資本論』)で粉砕されたはずではないか。

(2)生まれ出たばかりの共産主義社会での生産の社会的組織化

  ゴータ綱領草案T−3「労働を解放するためには、労働手段を社会の共有財産に高めること、そして総労働を協同組合的に規制して、労働収益を公正に分配することが必要である」
  マルクスの批判「ブルジョアにとっては、階級支配による剰余労働の搾取が正義であり、《公正》なのだ。《公正》などの法的諸関係は、経済的諸関係から発生する」
  法的諸関係などの社会の上部構造《国家・イデオロギー》は、社会の下部構造《生産力(人間と自然)》と《生産諸関係(階級対立)》を土台にして発生する。革命とは、経済的諸関係の根底的変革、私有財産と階級の廃止です。綱領草案は、解放の主体として労働者階級の存在と闘いをすえない。《プロ独》をとおした《収奪者の収奪》を《共有財産に高まる》にすりかえる。
  「公正な分配」論についてマルクスの批判。「労働手段が社会の共有財産となった《生まれ出たばかりの共産主義社会》、生産手段の共有を基礎とする協同組合的社会の内部では、個々の労働が直接に総労働の構成部分となるのだから、もはや《労働収益》という言葉は意味をうしなう。《生まれ出たばかりの共産主義社会》は、母胎である旧社会のなごりをとどめる。一個人は社会的総労働時間のうちかれの寄与部分である個人的労働時間に応じた『労働証明書』を受け取り、消費手段を引き出す。生産者の権利はかれが給付した労働時間に比例する。つまり権利は、労働という等しい尺度で測られる平等なのだ。平等な権利とは、等しくない権利なのである。このような不都合は生まれでたばかりの共産主義社会の第1段階では避けられない」
  次にマルクスは、「結合した労働者」として労働する人々が、社会的生産を組織し、社会的総生産物を配分する原理を、『資本論』の地平を踏まえ以下のように積極的に提起している。
  「《労働収益》を労働生産物という意味にとれば、《協同組合的な労働収益》は社会的総生産物になる。社会的総生産物から次のもの(A)[@生産手段の消耗部分を更新するための補填分A生産拡張のための追加分B事故や自然災害に備える予備元本あるいは保険元本]を必要に応じて控除。残りが消費財となるが、次のものは個人的には分配されない。(B)[ @直接生産に属さない一般管理費(新社会の発展につれて縮小)A学校や医療保健設備等(新社会の発展につれて増加)B労働能力を持たない人々のための元本]」
  「共産主義社会のより高度の段階で、すなわち諸個人が分業に奴隷的に従属しなくなり、それとともに精神労働と肉体労働の対立が消え去ったのち、また、労働が単に生活のための手段であるだけでなく、それ自体第一の《生命欲求》になったのち、また、諸個人の全面的な発展に伴って彼らの生産力も高まり、協同的富のあらゆる泉が湧き出るようになったのち、−そのときはじめて、狭いブルジョア的な権利の地平は越えられ、社会はその旗に、《各人はその能力に応じて、その欲望に応じて》と書くことができる」
  まだ「権利」が問題になる生まれ出たばかりの共産主義社会とは、社会的に組織された協同の労働のもとで、すでに「能力に応じて働き、欲望に応じて消費する」共産主義の高次段階へと内的な発展を開始している共産主義社会です。分業による精神労働と肉体労働の分裂・対立が止揚され、労働は《生命欲求》となり、諸個人の人間的な自由な発展と、協同的富が豊かに湧き出る。高次の共産主義社会が人類史の新たなページを開く。そこに向かってどう進むかは、賃金奴隷であることをやめて「結合した労働者」となった人々の作業です。
  労働者階級が政治権力をにぎり、私有財産と階級を廃止することによって社会の全生産を意識的に組織する、なんら複雑怪奇でわかりにくい理屈ではなく、原則的で明快な原理が共産主義だということです。

(3)特殊階級的解放の普遍性・根底性、《プロレタリア独裁》と《プロレタリア国際主義》

  マルクス執筆の国際労働者協会(第1インター)規約の中の「労働する人間が、労働手段、すなわち、生活源泉を独占する者に経済的に隷属していることが、あらゆる悲惨・隷属・退廃、政治的従属の根底にある」を、ゴータ綱領草案は改ざん・解体した。
  ゴータ綱領草案T−2「今日の社会では、労働手段は資本家階級に独占されている」「労働の解放は労働者階級の事業でなければならない。労働者階級に対して、他のすべての階級は反動的な一つの集団をなすにすぎない」「労働者階級は自分たちの解放のために、さしあたりは今日の国民国家のなかで活動する。全文明国家の労働者の共通の努力の必然的結果として国際的な国民連帯となるであろう」
  労働手段を独占しているのは地主と資本家です。生産手段の資本家的所有は、本源的生産手段である土地の私有を基礎としてはじめて成り立つ。土地の私有化は、私有財産制の本源的基礎なのです。
  また草案は、労働者階級以外の中間諸階層を「反動集団」と規定し《プロレタリア独裁》から切断している。《プロ独》は、ただちに生産手段の収奪・管理、生産手段の共有を基礎とする協同組合的社会への歩みを開始する。権力が必要なのは搾取者の反抗を抑圧するため。徹底的に革命的な唯一の階級である労働者階級は、搾取者を一掃するため、資本主義の隷属・抑圧下の勤労被搾取者を団結させなければならないし、その能力がある階級です。《プロ独》のもとで、社会内部では、個々の労働が直接に総労働の構成部分となり、農民も徐々に(農業労働者として)その中に有機的に組み込まれる。
  「ビスマルクの新聞が《新綱領は国際主義を放棄した》と報道したのは、当然の結果だ」(マルクス)
  プロレタリアートには国境がない。隷属すべき、忠誠を誓うべき国家もない本質的に国際主義的存在、単一の階級です。ところが綱領草案は、パリ・コミューンと第1インターへの弾圧に屈服し、ドイツ労働者階級の誇りであった労働者国際主義を投げ捨てた。

(4)《賃金鉄則》論に屈服し、搾取を隠蔽し、労働組合運動を否定

  ゴータ綱領草案U「ドイツ労働者党は、鉄の賃金法則とともに賃金制度およびあらゆる形態の搾取とすべての社会的および政治的な不平等の除去のために力をつくす」
  マルクスの批判「賃金制度が廃止されたら、鉄製の法則だろうが、スポンジ製の法則だろうが廃止される。ラサールの賃金鉄則は、マルサスの人口論《貧困は自然に基礎があるから、社会主義は貧困を廃止できない》に論拠をおいた主張にほかならない」「賃金は、労働の価値または価格ではなく、労働力の価値または価格の仮装した形態にすぎない。資本主義的な生産制度全体の中心問題が労働日の延長・生産性の発展・労働力の緊張度の強化などによって、無償労働をいかに延長するかにある。賃金奴隷制度は、労働者への支払いの増減にかかわらず、労働の社会的生産諸力が発展するにつれて、ますます厳しくなる奴隷制度である」「結びの句は、階級の廃止とともに、そこから生じるあらゆる社会的および政治的不平等は、おのずから消滅する、とすべきである」
  マルクスの批判のこの部分は、『賃金・価格・利潤』や『資本論』第1巻の「絶対的剰余価値の生産」「相対的剰余価値の生産」(第3篇〜5篇)および賃金(第6篇)とほとんど同じ内容。賃金制度は、労働力の商品化と搾取の制度化、労働者の分断支配、賃金奴隷制です。たえざる資本による侵害とたたかう、賃金闘争と賃金制度廃止=階級の廃止が、労働者階級のたたかいの核心問題であることを明らかにしている。賃金は、鉄則ではなく、不払い労働と支払い労働の抗争、階級の抗争で決定される。剰余価値を労働者から絞り取る資本家と労働者の関係こそが、賃金制度と現存生産制度の全体の軸点です。(中野洋著『新版 甦る労働組合』は、マルクス主義を現在によみがえらせている。)ゴータ綱領草案は、「科学的洞察への言語道断な暗殺攻撃である。いかに犯罪的な軽率さ、不誠実さで妥協綱領を作成したかがわかる」(マルクス最大の弾劾)。

(5)《賃金鉄則》と《国家信仰》を結合した《国家援助による生産協同組合》

  ゴータ綱領草案V「ドイツ労働者党は、社会問題の解決の道を開くため、働く人民の民主的管理下におく国家援助の生産協同組合の設立を要求する。生産協同組合を工業と農業のために、生産協同組合から総労働の社会主義的な組織が生まれるような規模で、設立する必要がある」
  マルクスの批判「現実の階級闘争の代わりに、社会の革命的転化過程からではなく、《国家援助》から《総労働の社会主義的な組織》が生まれるだと! 生産協同組合を設立するのは労働者ではなく、国家だと!」
  《総労働の社会主義的な組織》《協同組合的生産》とは、資本と賃労働がなくなった共産主義社会(結合した労働者が社会の主人公となった社会)の概念のはず。草案は、専制国家の国家援助で《人民管理》をつくるというとんでもない代物。ラサール説の結論は、《預言者の救済策》に行き着いた。

(6)国家への臣民的信仰で専制国家に屈服し、国家機構の粉砕を放棄

  ゴータ綱領草案W「ドイツ労働者党は、あらゆる合法的手段をもちいて、自由な国家及び社会主義社会を実現するために力をつくす」「ドイツ労働者党は、社会問題の解決の道を開くため、働く人民による民主的管理下におかれる国家援助の生産協同組合の設立を要求する」
  マルクスの批判「この綱領は、徹頭徹尾、国家に対するラサール派の臣民的信仰に毒されている」「資本主義社会と共産主義社会の間には、前者から後者への革命的転化の時期がある。この時期にはまた、政治的な過渡期が対応しており、この時期の国家は、《プロレタリア独裁》である。綱領草案は、《プロ独》にも、共産主義社会における《現在の国家諸機能に相当する社会的機能》にもふれない」「綱領は民主的共和制を要求する勇気をもっていない。警察に守られた軍事専制国家に、しかも《合法的手段》で、諸要求の解決を求めている」
  「警察に守られた軍事専制国家、ドイツ帝国への屈服」が、国家論で破綻的に暴露されている。労働者階級の現実のたたかい、階級の解放運動に基礎をおかない「エセ社会主義」は、今も姿を変えて最後の体制の擁護者として現れています。
  ゴータ綱領草案は、労働者階級のたたかいに階級的に依拠することを拒否した。労働者階級の闘いが、パリ・コミューンのようなたたかいに行き着かざるをえないことに予め恐怖したのです。「ドイツではパリ・コミューンがあってはならない」というのがゴータ綱領草案の階級的核心だとさえ言える。そして、「労働者に受け入れられる社会主義」(リープクネヒト)という口実で、労働者階級を蔑視し、プロイセンの大土地所有者の資本主義批判に屈した俗流社会主義・ラサール主義に、原則的に屈服した上で、ドイツ帝国宰相ビスマルクに生産協同組合への国家援助を求めたのです。

【結語】

 階級的労働運動路線の日々の白熱的実践で《プロレタリア独裁》をたぐりよせよう。
  労働者による政治権力の奪取、と同時により重要なことは、労働者階級が、土台における賃金奴隷制の鉄鎖を打破し、自ら「結合した労働者」として全生産と、全社会の主人公となることです。資本主義を打倒する主客の条件は、資本主義の内側にすでに準備されている。いま世界は革命情勢にある。いまこそ、労働者は自らの階級的力に目覚め、団結してたたかおう。 (講義了)

党学校通信 p9-14

討論から

●G

 党学校の中で、一番このテーマを楽しみにしていた。一番『ゴータ綱領批判』が好きなんです。今回、なんでそうだったのかがハッキリした。
  オルグをしてて、11月集会の総括とかいろいろ議論していても、結局あなたは何をやりたいわけ、という話になる。その時に、「パリ・コミューンをやりたいんだ」と言ったんです。世界に広がっていくようなパリ・コミューンみたいなものを今つくっていく闘いが11月集会なんだ、ということを言ったら、「なるほどそうか」と納得してもらえた。
  僕が『ゴータ綱領批判』を一番最初に読んだ時には、正しいけどそこまで怒らなくても、と思った。結構多くの人がそうじゃないのかな。前進社新書の基本文献学習シリーズではなくて、普通に売られている『ゴータ綱領批判』を読むと、「ゴータ綱領」は「なるほど、それはそうだ」という感じになっちゃいがちかなと。
  だけど「ゴータ綱領」を、パリ・コミューンの現実を踏まえたときに、「お前はパリ・コミューンを見てこれを書いたのか」という怒りから、全部見えるということがハッキリした。つまり、ラサール主義者との合同によって、パリ・コミューンが血の海に沈められる中でも切り開いたその道を投げ捨てるのかという、その怒りだということで、すごくスッキリとこの『ゴータ綱領批判』を理解するし、世界中で労働者階級が決起をしている今につながるものとしてあると思う。
  とくに多くの人が「そんなに怒らなくても」と思うのは、冒頭部分だと思う。だけど僕は、「労働はすべての富とすべての文化の源泉であり」というのは、生産性向上運動みたいな感じがする。今の内定取り消しとか起こっている中でも、ブルジョア・マスコミは、とにかく頑張って働くしかないんだと許し難いことを言っている。その中で、「自然」ということで一番重要なことは、自分の肉体だって自然なんだということ。俺は機械じゃない、生きているんだ、これを隠ぺいすることへの怒り。それこそ「生きさせろ」という闘いと無縁なところで、「ゴータ綱領」が冒頭から開始されていることへの怒りです、一つは。そして何よりも、「平等な権利にしたがって、社会の全構成員に属する」って自明の真理を言っているみたいな風情で言っているけど、労働者階級の自己解放性についてひとつも言わない。この二つの怒りなんだなということを再確認しました。
  「生まれ出たばかりの共産主義社会」の部分については、「パリ・コミューンがあった」というところをさらに強調してもらえればもっと分かりやすかったんじゃないか。多分ここで言われている方策は、マルクスが単に論理的に推論して出してきたものではなく、パリ・コミューンの労働者階級が、まさにそれを目指してやり始めていた方策そのものだと思うんです。それを、「ゴータ綱領」が無視し、ねじ曲げ、恐怖していることへの怒りだろう。
  そして、もう一つ思ったことは、日本共産党系の解説とか読むと、第1段階と高次の段階という話がすごく悪用されている。僕は、パリ・コミューンを絶対に忘れず、ロシア革命も忘れずに見たときに明確になるのは、資本主義を爆砕した瞬間に、もうそこから共産主義が始まっていく、そのスタートの一撃が革命なんだということだと思う。ここから人間の本当の歴史が始まる転換期。それが「生まれ出たばかりの共産主義」、つまりパリ・コミューンだと思うんです。
  そういう生き生きとしたものから反動的に逃げていくこの「ゴータ綱領」を絶対に許したらいけない。それは裏を返していったら、労働者にはできるんだということです。本当にいいスローガンをここ2年間、われわれは生み出してきた。「労働者はできるんだ」とか「労働運動の力で革命をやろう」とか。革命情勢って言うけど、客観的な評論家的な立場で言うんじゃなくて、本当に労働者階級を励まして、自分も労働者階級の一員として、この可能性を秘めているわれわれをおとしめるあらゆるもの、「左翼」であろうと体制内であろうと何であろうと、絶対に一掃していくんだという、すごく明るい話だなと。それが「全然難しい話じゃない」ということが強調されて、本当に「難しい話じゃない」と思いました。
  一番最後に、ドイツ労働者党の「自由な国家および」での、どこからの「自由」かという話。法政大学で大学側も「自由」とか言っているけど、ある教官は「大学の自治というのがあるから自分は何も言えない」と。ふざけるな、何が自治で何が自由かという話です。こういうものは害悪以外の何ものでもない。本当に俺たちがやってやるということです。だから、ルーズベルトとオバマはそっくりだというのを今日聞いて、なるほどな、と思いました。ナチスとかルーズベルトとかオバマ、こういうのが絶対に出てくる中で、いやオバマでもない、ルーズベルトでもない、ナチスでもない、俺たち労働者階級なんだということを真っ向から言っていく、そういう大チャンスが訪れたということで、来週からアジりまくるのが楽しみでたまらない。

●P

 『ゴータ綱領批判』の解説本は、基本文献学習シリーズの企画の最初に出た。その1年くらい後に、全逓労働者と3人で6〜10カ月くらい学習会をやった。結構面白かった。どういうところに労働者と空気入ったのかと言うと、「生まれ出たばかりの共産主義」をどうとらえるかということで、「俺たちの力でできるんだ」と。なにか立派な人がいて、立派な考え方があって、立派な法則があって、ということではなくて、「生身の自分たちの力で明日にもできるんだ」と。そのときに彼らは、「結合した労働者」ということについてえらく気にいってました、今いる自分たちの力でこの世の中をひっくり返すことができるということで。
  『賃金・価格・利潤』をやって『ゴータ綱領批判』というのは党学校企画としてよかった。『賃金・価格・利潤』は1860年代のドイツもフランスもイギリスも労働組合運動がワーッとなっていて、その中で中心的指導部の1人だったウェストンとの論争ということをとおして、マルクスが『資本論』を最後完成する過程の立場に立って必死になって分かってもらいたいということで、あれだけの中身の講演をやるような状況だった。その後1871年のパリ・コミューンがあって、それへの大反動の中で合同という問題が出てきている。添付資料の中に「ゴータ綱領」そのものの全文が載っている。その冒頭Tの所の「労働は、すべての富とすべての文化の源泉」であるというのは、そうじゃないかと思っちゃう。だけど、全文はT、U、V、W、Xとある。そのUの所で、「この諸原則にもとづいて、ドイツ社会主義労働者党は、あらゆる合法的手段を用いて」と言っている。これはパリ・コミューンはやりませんよ、ということ。だから、今の日教組とまったく同じ。このことをハッキリさせて『ゴータ綱領批判』に入った方が僕はいいような気がする。
  そういうふうに事態をハッキリさせると、今の4者・4団体との対決も、まだ新社会党なんです、前面に出ているのは、まだヤワなわけ。その後ろに革同やチャレンジ、要するにゴリゴリのスターリン主義とかがいる。これとの勝負なんです。そこのところを考えたら、これがどういう時代背景で問われたのかということについて、「パリ・コミューンだ」と言われたとおりで、そのことをハッキリさせて読んでいくということが、『賃金・価格・利潤』と合わせてすごく武器になると思いました、ここの所は。これは、全文が出たから分かったんです。そうすると、マルクスがねちこくねちこくやりながら展開していく、その論理がもっと自信を持って言える。さっきの全逓労働者じゃないけど、「俺たちの力でできるんだ」ということがそのままいける。そういう立場から気になったのはJPUの綱領です、全逓と全郵政の統合のときの。それは、企業の発展のために、今の郵政の分割・民営化のために尽くしますという綱領です。結論は生産性向上運動。そこも、この立場で批判していくことがすぐに求められてくる。そういう視点から、『賃金・価格・利潤』をやって『ゴータ綱領批判』ということがバッチリ入るなと思う。
  それから、添付資料の中で、ラサールのことについて触れている、マルクスの「シュヴァイツァー宛の手紙」で。この中でのラサールについて、48年革命後の「15年間のまどろみの後」で、「ドイツの労働運動を再びよびさました」「不滅の功績」がある、と言っている。その辺のことについて、もう少し出していただきたい。

●講師

 当時、キリストの絵とラサールの写真が並べて労働者の家の暖炉の上に必ずのっているくらい、労働者の立場に立ってくれた人として尊敬されていた。シュヴァイツァーというのはラサール主義者です。かなり早い時期から合同ということはテーマになっていた。だけど、74年にラサール派の方から救いを求めてきた。どうしてかと言うと、労働者は賃上げ闘争とか労働組合とかで現実に自分の力に目覚めて闘い始めている、60年代には。そういう中で、ラサール派は労働者から見捨てられるというか、これはダメだということで衰退していく。そのラサール派がアイゼナッハ派に合同を求めた。それを、念願だった合同がついに実現するときが来た、何としても推進しよう、となっていった。

●I

 「ゴータ綱領」冒頭の「労働はすべての富とすべての文化の源泉であり」、これはハッキリ言ってブルジョア経済学そのもの、アダム・スミスの言っていることそのもの。マルクスは、48年革命の敗北という中から、労働者階級の、プロレタリアートの階級性を貫いていくことが求められているんだという形で『賃労働と資本』を出した。それを完全に転覆し、ブルジョアの綱領でもって党をつくる、それを労働者の党の綱領にしようということへの怒りだと思う。それはとりわけパリ・コミューンという形で労働者の権力ということが現実に始まったことにたいして、そこに確信を持つんじゃなくて、敗北した、だからブルジョア綱領でいこうということが、本当に許せないとマルクスが批判を出したんじゃないか。僕なんかも最初読んだら、「ゴータ綱領」間違ったこと言ってないんじゃないか的に、確かにこう言われればこうなのかなみたいな感じだったんですけども、それはこの間の『賃労働と資本』の学習とかいろいろとおして、やっぱりこれは全然違うな、ということが分かってきたところです。
  ということと、あともう一つは、この間の世界革命情勢という中で、あらためて同じことが問題になってきているというのはすごくよくわかった。ブッシュという形で進められている新自由主義が完全に破綻したという中で、オバマというのは全然違うものとして登場してきている。しかも、労働者階級を組織して登場してきている。奴の基盤は労働組合、AFL−CIOという。そういう意味では、一定の譲歩というのは多分やると思うんです。だから、労働組合運動も、これからアメリカにおいてそういう意味では活発化していくかもしれない。それを取り込んで、労働組合運動を体制内に押し込めていくという形で、産業報国会化と言えばいいのかな、支配していくということを今やろうとしている。これに対して、あくまでも革命を貫くということが今本当に求められているとすごく思っている。オバマ情勢というのは、まったく新たな問題を僕らに提起しているという辺りを、もっと深めていかなければと思っています。
  ナチスとかだって、労働組合が壊滅させられてから登場してくるわけじゃなくて、労働組合を基盤にして登場してきた。そういう意味ではルーズベルトの時代だってアメリカの−今第2の高揚期と言われているけども−一番の高揚期だったわけじゃないですか労働運動の高揚ということでは。だけど、一方では高揚するという面と、それをどう階級的に貫いていくのかということをめぐって、そういう意味では体制内化させられてルーズベルトのようにいくのか、あるいはファシズム的にナチスのようにいくのか、それともプロレタリア革命に転化するのかということが、今問われていると思う。その意味で、今のオバマ情勢というのは、かなり重大だなと思っている。
  運動が高揚すると、あんまり路線の違いってそんなに問題にならなくなっちゃうという傾向ってないですか? 運動がうまくいっていると、そんなに違いがあんまり鮮明にならない的な。

●講師

 であるからこそ、そこでの革命派と反革命派との分岐ということにこだわる必要がある。一瞬は小さい勢力で分裂しなくてもいいのに、まとまっていけばいいじゃないかみたいに思うところで絶対に譲歩できない。4者・4団体路線なんかそうですよね。ここで決然と決別するというか分岐をつくり出す。ここにものすごい可能性がある。今の世界大恐慌の中で、動労千葉を中心にして国際労働者の集会が行われて、そこに集まった3国がすべて、この恐慌を革命情勢ととらえている。私たちだけじゃなくて、韓国の労働者もアメリカの労働者も同じようにとらえるということが始まっている。もちろんその中で、身近なところで動揺とか現実にあるけど、絶対に屈しないということが勝利のカギだ。それをマルクス主義に根ざして貫いていくということじゃないか。

●P

 4者・4団体もそうだけど、2・22の5・27弁護団会議は、もっとどでかい意味でそうです。裁判も最終過程に入ってほぼ判決ということを前にして、弁護団を切るなんてことは「常識」ではない。だけど、そこの決断があったから今がある。4者・4団体とも対決できている。
  それから単一の階級として同じだということ、時代を越えてそうだというのは、添付資料にあるエンゲルスの「べーベル宛の手紙」の中の農民との問題、国際主義の問題、賃金闘争の問題、国家と自分たちの問題、それから何より労働組合と労働者階級の問題、これは全部、今の塩川一派との対決、4者・4団体との対決、スターリン主義との対決、全部同じ。逆に言うと、もっとわれわれこれを活かしていかなきゃいけないという点では、時代認識とか、基本的な考え方が決定的なんです。それは、『新版 甦る労働組合』(中野洋著)でも、ゴリゴリ言われている。科学だと、勉強しなきゃいけないし、ちゃんと究めなきゃいけないそういう領域があると。ここの所にこだわるということは重要で、この中に労働者の考え方は何かということをつくっていかないと勝てないです、敵に。だから、徹底的にこだわるべきだ、そこの所は。その点で、非常によかった、今日の学習会は。

●F

 質問ですけど、「生まれ出たばかりの共産主義社会は、母胎である旧社会のなごりをとどめる」というのは、先ほど講師は、「労働時間に応じた分配」ということを言われた。その点に絞って考えた方がいいんでしょうか?

●講師

 それだけではない。「権利」とか「労働」とか「公正」とかということが、まだ問題になる段階、「権利」というのはそれ自体ブルジョア的なものなんだけど、それがまだ問題になる段階ということ。
  労働時間に応じてという基準に応じた平等というようなことは、まだ限界のある社会だ。平等の権利を主張する必要のない社会になる。そういうところに向かっていく過程なんだと。

●F

 「狭いブルジョア的な権利の地平は越えられ」るということは、高次の共産主義のことを指しているわけですね。「生まれ出たばかり」と「高次」へと限界を越えていくべきことのつながりが、ハッキリしました。

●G

 塩川一派が『ゴータ綱領批判』を使って問題にしていることの誤りということで、僕が彼らの言っていることで誤りだなと思うことは、共産主義の第1段階では女性、障害者の解放はまだ完全にはできないということ自体ではなく、プロ独を否定した上でこういうことを言っているということ。つまり、共産主義の第1段階、さらに生まれ出た1日目にすべてということはない。だけど、ものすごいスピードで、労働者自身が「結合した労働者」としてどんどんそういうものを解決していくエネルギーに満ちているということを否定しているのが間違いだというふうに僕はとらえている。それは労働者階級の革命的能力の否定だし、プロ独の否定ということに、そういうことをあてつけて書くということが決定的に誤りで、特に『ゴータ綱領批判』を使ってそれをやるということが本当に許し難いと思うんです。

●J

 プロ独があって、徹底的にブルジョア的な残りかすと闘う必要があるということだと思う。革命が起こって、次の日に差別があるかないかだとかいうのは、革命というものをものすごく小さくする話だと思う。
  今日すごく分かったことは、すべての問題が、人間が人間として扱われていない怒りというか、労働力商品化されている怒り、この労働力商品化ということを絶対に粉砕してやるんだという意志、それが塩川一派にも、「ゴータ綱領」にもラサール派にも貫かれてないというところに対する批判なんじゃないかなということ。革命するという立場、労働者が労働力商品化されていて奴隷として扱われている。これを絶対に変えてやるんだ、この社会を絶対変えてやるんだ、それをプロレタリアートは絶対にできるんだというところの欠如が、マルクスが最も批判したところなのかなと思った。

●P

 労働者の家の暖炉の所にラサールの写真とキリストの絵があった、つまり救済の対象でしかないという、そんなもんじゃないんだ労働者というのは。もっと荒々しいし、一旦決断したら全部をひっくり返す力を持っている階級なんだということを認めるかどうかという点で、天と地の差があるという、それは塩川一派に通じると思う。
  討論の最初に話した全逓労働者がなぜ空気入ったかといったら、現実がどんなに大変でも、自分たちはそういう力を持っているんだというところ。労働者階級は、そこに空気入ることができる階級なんだ、そこが大事なところだと思う。だから、「ゴータ綱領」の中には「資本がない」ということは、かなり核心的なことだと思う。

党学校通信 p15

コラム 『ゴータ綱領批判』冒頭の労働論について

 マルクスによるゴータ綱領草案批判の冒頭部分を読んで、最初、「言い過ぎではないか?」と考える人が多い。「労働はすべての富と文化の源泉である」という所だけを取り出した場合、これは一応正しいのではないか、と。この冒頭の一節は、後半部分で、「社会のなかで、また社会をつうじてのみ…」などと論じているわけだから、ある種の「社会主義」(ラサール的俗流社会主義)ではある。だからこそ、このような紛らわしい論じ方とそこに示されているブルジョア的思想への屈服(体制内への屈服)を明確にえぐらなければならない。マルクスは、この冒頭の労働論そのものが、完全に間違いであることを鋭く突きつけている。
  マルクスの批判は、<労働だけが切り離されて富と文化の源泉であるわけではない。そのような考え方は、労働を現実的な生きた条件のなかでとらえていない。したがって、当然にも生きた現実の社会、階級的に分裂敵対した生きた現実の社会をまったくとらえられない。現実的には労働は階級的搾取と奴隷的抑圧の中で行われている。その階級関係を塗り隠すような思想を(社会主義の名で)撒き散らすな。誰がどのように労働しているのか! そこをはっきりさせろ>ということだ。
  労働とは、それを本源的にとらえるならば、自分自身も自然の一部である人間が対象としての自然と向かい合い、それと結合することによって(わがものとすることによって)、その一部分を人間にとっての生活手段として加工する活動だ。(それによって人間の歴史と社会そのものが生産される。)つまり、自然=物質的条件の存在、そしてそれとの結合が労働の前提なのだ。だから労働は、物質的な活動、血と汗を流す活動である。また物質的条件=生産手段が誰のものであるか(所有関係)によってその意味が全く違ってくる。そのことの中に、人間の歴史の発展や社会のあり方の質的段階的違いが示される。そういうことをすべて無視し否定するような形で、「労働は富と文化の源泉」という一語で何かを語ったような錯覚に陥ってはならない。それは、歴史や人間のあり方を歴史的・階級的にとらえることを否定する思想の表明、つまり超階級的に労働をとらえるブルジョア的思想への屈服だ。どう逆立ちしても、労働の結果を社会全体で分けて欲しいと支配階級(ブルジョアジー)にお願いする思想でしかない。問題は、「すべて労働者階級の力で成り立っている」と言い切っていくことなのだ。
  マルクスは、別の所で、「労働の解放」ではなく「労働者階級の解放」と正しく述べるべきであるとゴータ綱領草案を批判している。抽象的に「労働」を解放するのではないのだ。労働者階級の解放、階級社会(ブルジョア支配階級)の打倒、転覆・止揚こそが問題なのだ。やはり、はっきりと労働者階級を主語にすえることが大事なのである。 (事務局)

党学校通信 p16-24 受講レポート

受講レポートから ★『ゴータ綱領批判』のレポートです。

【O】

 『ゴータ綱領批判』をめぐる当時の事情が押さえられて、内容が鮮明になったと思います。
  革命の現実性が突きつけられれば、それだけ「たたかう隊列」の中から体制に屈服する分岐は起きます。マルクスの当時の原則に立ち返った党派闘争・理論闘争こそ、今に求められているものだと思います。
  現代のパリ・コミューンをめざして、日々の取り組みを強めていきたいと思いました。

【S】

 「古くて新しい」という見方が語られることが多くあります。
  1867年マルクス『資本論』第1巻発刊から8年後にパリ・コミューンに背を向け、体制内運動を組織する「統一」が発生する。これにマルクスが科学的社会主義を確立した立場からゴータ綱領を批判しつくす。
  現代それから100年余の今、現実の論争、運動の原基として学び、実践することが、階級的労働運動路線の発展と確立にとっても重要だと学びました。
  日共、カクマル…、一応「マルクス主義」を名乗るが、ダメ。時代の中では反革命へと純化してゆく。
  「古くて新しい」革命の思想を正しくつかみ実践する困難と解答もすでに古典としてあることを学びました。

【I】

 パリ・コミューンに対する反動として立ち現れたゴータ綱領(ラサール主義者)に対する、痛烈なまでの徹底批判がものすごく良く分かった。今の世界革命情勢を前にしての塩川一派の逃亡と反革命的純化、そして体制内労働運動の10・24=4者・4団体派と対決して勝ちとった11・2の勝利があらためて、今回の学習会からもつかむことができた。
  マルクスがここまで弾劾しているのは、現実のプロレタリアートの闘いを見すえない救済の対象として敵の側に差し出すことへの怒りである。A・スミス=ブルジョア経済学者と全く同じことを綱領にまで高め、労働者階級の階級性を解体していくということの犯罪性と、それに対する断固たる闘争が今ほど求められているときはない!

【G】

 私の共産主義者としての原点は、「パリ・コミューンをやりたい!」ということだった。(もちろん、血の海に沈められるのではなく、世界に急速に拡がるやつだ。11月集会はその起爆点であると思った。)
  いま『ゴータ綱領批判』を読むとき、労働者階級のもっているものすごい可能性から目を背け、パリ・コミューンが切りひらいた地平から逃亡しようとするゴータ綱領への怒りを100%共有できる。その怒りは、裏返せば「労働者階級はできるんだ!」という絶対的信頼にほかならないから。そして、そういう絶大な信頼に「空気入る」のが労働者階級なのだ。結合された労働者として人類の真の歴史を開始するプロレタリア独裁のイメージを持ちかえり、日々のたたかいに活かしていきたいと思います。

【X】

 (一)マルクスとエンゲルスが、『共産党宣言』とパリ・コミューンの地平で、激しい怒りで『ゴータ綱領批判』を提出した死活性と内容がつかめました。『賃金・価格・利潤』とも通じますが、核心は賃金奴隷制の廃止こそ核心であり、またプロレタリア独裁が革命の結節環であることを外す俗論は、イデオロギー的に絶対粉砕しなければならない死活性です。
(二)提起にありましたが、08年11・2労働者集会と世界革命の情勢、そして階級的労働運動路線の推進にとって、塩川一派粉砕と4者・4団体の路線粉砕=体制内労働運動を打ち破る実践的な価値創造性に、改めて確信を深めました。

【e】

 「パリ・コミューンを世界中でやろう」という討論が冒頭にあって、本当にマルクスの「ゴータ綱領」への怒りが自分のものとなりました。
  「プロレタリア権力を解体したこと」、これがスターリン主義発生の根拠である。このことをつかめば、共産主義の原理はものすごく原則的で明解なものですという、今回の『ゴータ綱領批判』での講師の強調に大きくうなずきました。
  「労働者が政治権力を握り、私有財産と階級を廃止することによって、社会の全生産を意識的に組織する」−これが共産主義です。
  資本主義が危機に陥ったときに、資本家とその政府を救済する動きが労働運動の中から頭をもたげてきます。これはマルクス主義の原則を、階級闘争の中で貫くことからの逃亡です。「労働を解放するためには、労働手段を社会の共有財産に高めること…」とゴータ綱領草案T−3で言っていることは、全く卑劣です。主体の転換を抜きに、自然発生的に生産手段が共有化される訳がないのです。
  プロレタリア独裁とは、プロレタリアの暴力を背景にした支配と所有の急速な転化過程なのですから、ここを曖昧にすることは、マルクス主義の否定・破壊に他なりません。
  今、我々は、塩川一派と非和解的に闘いぬくことで、マルクス主義の原理・原則を階級の中に甦らせることに自信を深めていますが、今回の学習は、そのことを理論的に裏打ちするものとなりました。

【J】

 『ゴータ綱領批判』とは、パリ・コミューンで労働者が血の海に沈められながらもつかみとったプロ独の地平、労働者階級の革命性の一切を投げ捨て、労働者をブルジョアジーの奴隷の鎖にしばりつけるものとしてある「ゴータ綱領」に対して、マルクスが渾身の力で弾劾をたたきつけたものだというのは、自分の中でものすごくスッキリした。
  『ゴータ綱領批判』については、重要な文献とされながら、どうしても大衆論議に使えない苦しさがあった。しかし、この革命情勢の接近にともない、まさにプロ独が問題になっている中で、『ゴータ綱領批判』は、我々の路線を明確化させ、党派性をハッキリさせるものとして、ものすごい意味があると思う。
  今日の学校を機に、再度熟読し、自分のものにしていきたい。

【g】

 「ゴータ綱領草案に対するマルクスの怒り」の意味がはっきりつかめた。パリ・コミューンが世界史の中に登場し、世界で初めての労働者権力が衝撃を与えたこと、このパリ・コミューンにたいするマルクスの総括『フランスの内乱』に対する完全否定として、「ゴータ綱領草案」が出されたこと。その核心は、労働者自己解放の思想を解体し、マルクスが徹底的に闘ってきた「労働者救済」の思想で、労働者の中にあきらめと絶望を組織することにあったんだと思う。
  さらに言えば、「ゴータ綱領草案」の中に貫かれているものは、資本と賃労働の非和解性を徹底的に押し隠し、否定し、資本への怒りを解体する役割を果たしていた、ということではないか。これに対する批判をとおして、労働者の中にパリ・コミューンの階級的総括を返し、共産主義に向かっての展望を組織するのが、この『ゴータ綱領批判』なのではないか。
  そうした点で、まさに大恐慌情勢−革命情勢への突入の中で『ゴータ綱領批判』を学習することが決定的。特にオバマ情勢については、学生から出された問題意識に同感! 特に「アメリカの自動車産業に従事する200万労働者を路頭に迷わせないため」と称して、ビッグ3に資金を投入する、というオバマの登場は、アメリカの労働運動のみならず、全世界の労働運動にとっての重大情勢の到来と感じる。まさに新たな労働運動をめぐる激しい体制内派=資本主義救済派との激突・分岐の始まりであり、30年代的情勢への突入である。11・2の総括と一体でオバマ情勢をとらえること、「全世界で4者・4団体派との激突が始まった」ものとしてとらえた時、11・2の世界革命の出発点としての意味がさらにハッキリする。『ゴータ綱領批判』の学習は、こうした時代だからこそ決定的だと実感できた。

【C】

 オバマ当選の中で、「ゴータ綱領」と似かよったものが見えた。さらに、塩川一派や体制内左翼と同じものが見えた。「合法的手段」、「自由な国家」と言っている点は特に。
  議論の中でもあったように、軸はパリ・コミューンであり、プロ独であり、ここが貫かれているかどうかだ。当時もこういうものとの対決であったんだ。
  法大の中の新たなサークル団体は、自由主義的な組織だとか、団体の中から変えると言っている。体制の危機の中だからこそ生まれるのはこういった組織だ。オバマを打倒していくように、打倒していきたい。

【m】

 前半、ちょっと早口でついていくのが苦しい状態でした。後半、なれてきて、かみ合えるようになりました。
  『ゴータ綱領批判』がなぜ重要なのか、よく解りました。まさに革命情勢のただ中で、革命を実践していく勢力の前に立ちはだかって妨害し、革命を血の海に沈めようとする日和見主義者、改良主義者と闘いぬくことが決定的な意義をもっているのだということです。
  “プロレタリアートという主語が欠落している”という提起で、「ゴータ綱領」の問題性を鮮明につかむことができました。塩川一派にしても、4者・4団体派にしても、自らをプロレタリアートとして鮮明に位置づけるということがなく、プロレタリアートの上に立つ意識が強いということです。やはり、唯一の革命的階級としての労働者階級ということを、自らの立脚点として確立することの重要性です。
  世界金融大恐慌の渦中で、日米韓労働者が単一の労働者党形成に向かって第一歩を記した歴史的な11・2〜11・9−10を全党・全人民のものとする闘いを前進させよう!!

【P】

 1)党学校のプランとして、『賃金・価格・利潤』と連続して『ゴータ綱領批判』にあたったということの意義を、今日の講義を受ける中で、もっと徹底的にはっきりさせる必要があると思いました。それは、第1に、1860年代以来の労働運動、労働組合運動の高揚の中で、これとどう結合し、マルクス主義的原則を日々の実践の中で豊富化し、貫徹していくのか。第2に、同時にこの白熱的実践の中で、これと一体で如何に労働者党=革命党は形成されていくべきか、この大テーマが19世紀後半のマルクス・エンゲルスの格闘と、今日のわれわれの懸命な闘い(われわれ=広い意味での11月派ということでアメリカ、韓国の労働者階級も含めて)が完全に一つの線でつながるということを、すごい緊張をもって感じます。これは今、階級的労働運動路線を本当に物質化していくときに、『賃金・価格・利潤』と『ゴータ綱領批判』を本当にわがものにする闘いと一体のことだと思います。
2)講師の提起は、最初ちょっと早口で、論理がどんどん飛躍する所があると思いましたが、後半すごく落ち着いてきて聞きやすかったです。本文の展開と共に、添付された「資料」が相当重要だと思いました。できればもう少しそこにも時間をとって、講師の思いや意見を出してもらった方が、全体、問題をもっとストレートにとらえることができたように思います。(そういう意味もこめて、資料にもとづく質問をさせてもらいました。)
3)あと、質問にもとづく若干の討議の中での大テーマ→@労働組合と労働者階級ということとA党と労働組合、という問題を運動的レベルの問題のみならず、組織的問題、エンゲルスの言葉でいえば、「…党の組織の中に一つの地位を与えることが絶対に必要」というくだりは、まさに今のわれわれ自身の、この間の「党の革命」以来の決定的核心のひとつと思います。自分もまだこの点について明快にこうと言い切れませんが、この問題が出されたことを含めて、今日の講義の意味は大きかったと思います。
  最後に、これと一体で『新版 甦る労働組合』をその立場で読み込み、自分たちの手でさらに深め、はっきりさせていく、ここに挑戦していきたいと思います。
  なお、この点はまだ自分でも充分考えぬいた訳ではないですが、マルクスのいう「資本主義から生まれ出たばかりの共産主義」における「結合した労働者」「結合した生産者」という論及の中に、われわれが今日的にとらえ返し、深めようとしている階級的団結論のいまひとつの決定的深化の核心があるように思います。

【t】

 基本文献学習シリーズの最初として読んだときは、「公正な分配ではなく、階級対立の廃止こそが問題だ」という点が印象的だった。
  今回は、実際に資本主義が崩壊を始めている中で、そして、世界中で労働者が闘い、我々も職場闘争を実践している中で、ものすごく生々しい、今現在のテーマだと思った。
  社会のあらゆる矛盾、搾取の根源にあるのは、労働力が商品化され、社会の主人公である労働者階級が奴隷にされていることなんだ!ということ。そして、労働者階級には全てを変える力があるんだ!というパトスが伝わってくる学習会でした。
  その立場から見れば、冒頭部分など疎外労働美化論以外の何ものでもないし、「革命後の青写真」をあてはめて検討することなど問題にもならない。
  細かいところかもしれませんが、労働者階級以外の階層への評価もすっきりしました。労働者階級の自己解放性をトコトン確信しているからこそ、プロレタリアの同盟軍として団結できる、ということ。『共産党宣言』でのルンペン・プロレタリアへの言及が若干引っかかっていたのですが、ここまでマルクスが言い切っていることに、プロレタリア革命の根底性を改めて実感しました。そのことも、「マルクスすごい」ではなくて、パリ・コミューンの中で、つちかわれ展開された労働者階級の自己解放性が、マルクスをしてこう書かせているのだ、と思います。

【A】

 講師の「共産主義はわかりにくい理屈ではなく、原則的で、明快な原理」という提起が、この間感じていることなのでストーンと確認できた。党学校も3分の2がすぎて、「プロレタリア革命をやって権力をにぎり、私有財産制と階級を廃止する」ことに核心が深まった。
  11月集会〜訪韓をとおして、「プロレタリアートは国際的存在だ。国際的団結によって、階級意識を強化・拡大する」ということを身をもって体感させられた。そう「世界の労働者は一つ」なんだ。小説のようであり、夢のようであり、奇跡のようなことが、世界金融恐慌情勢・革命情勢の真っ只中で、日米韓の労働者が、国際的団結をリアルに実現した。交流した外国人労働者も、「難しいことでなく、単純なことだ」と語っていた。
  「ゴータ綱領草案」は、労働者の・革命の綱領ではない。労働者階級を、革命的階級とみるのか、救済の対象とみるのか−体制内派、塩川一派etc.−この革命観・労働者観をめぐっての分岐になっている。
  7月テーゼの一つの核心は、労働者階級の自己解放の思想である。労働者階級だけが、真に革命的階級である。このことに圧倒的確信をもって、大党派闘争に猛然と打って出よう。

【L】

 労働者階級の闘いに無限の可能性、つまり革命をする力と未来社会を建設する力を全面的に信頼し、そこに依拠できるのか否かが分かれ目であることを、あらためて確認できた。
  パリ・コミューンに労働者階級の階級性、革命の現実性をみてとるのか、これに絶望と恐怖を感じるのか、である。
  講師の方から分岐ということが語られたが、古今東西を問わず、ここに一切の分かれ目がある。
  マルクスは敗北するであろう時期尚早のパリの労働者の決起の無限の労働者性に感動とプロレタリア革命の確信を得たのである。ラサール派は、敗北と弾圧に恐怖と絶望をもったのだ。
  資本主義が共産主義の土台を生み出していて、“私有財産の廃止”が可能であり、リアリティをもつ時代。労働者の団結−組織された力こそ、一切を切り開いていくことをあらためてハッキリできた。

【N】

 学校の始まる前に、久々に『ゴータ綱領批判』(国民文庫版)を読んだ。そして、講師の提起と討論を聞きながら、やはりこの論文は、ドイツの労働者党が、俗流社会主義・ラサール派と合同するに際して、一切の革命性−革命的理論と実践−を欠いていることに対する革命家マルクスの根底的批判が貫かれているものであると強力に確認したい。
  1871年のパリ・コミューンを経て、1875年に合同しようとしている党−しかもラサール派が危機に陥って、泣きついてきた合同−が綱領として掲げるべき第1のことは、パリ・コミューンの革命的労働者の闘いを引き継ぎ、今度こそプロレタリアートの独裁を樹立してみせるという決意に立った、時代認識、路線、戦術でなければならないはずだ。
  ところが、「綱領草案」は、コミューンへの弾圧にふるえ上がり、ビスマルクとの密約にもとづいて「合法性の枠内で」と、労働者階級の自己解放闘争の荒々しい暴力革命への決起を否定し、ブルジョア的綱領を労働者の綱領としてしまう反階級的なものへ転落させている。マルクスもエンゲルスも、これに対する心底からの怒りを爆発させて、この綱領批判を展開している。そのことが非常に強烈に印象に残った。それは、今日の塩川一派や4者・4団体派、体制内派の労働者の自己解放性を根本において否定する、あらゆる潮流との対決と完全に一体のものである。そういう問題意識からも、労働者階級の党の綱領をぶっ立てていかなければならない。
  これまでかなり、『ゴータ綱領批判』というと、共産主義社会論的なものに関心が集中しがちであったが、それも、労働者階級自己解放闘争の中身として、つまり労働者自身が結合した(団結した)階級として、直ちに始めていく闘いとして、確信をもって確認していくことが重要だと感じた。レーニンも『国家と革命』の中で、そういうプロ独を目前にひかえた時に、実践的立場から誰でもできるという確信をもって提起している。
  『ゴータ綱領批判』の読み方、労働者の中での学習の仕方など、いろいろ示唆を受けたことが多かった。是非、労働者と学習会をやってみたいと思う。

【H】

 ○講義は、わかりやすかったです。私もやはり、レーニン『国家と革命』から『ゴータ綱領批判』へ進む学び方でした。したがって、共産主義社会論をマルクスが明らかにした書物として読んできました。
  もちろん、レーニンから『ゴータ綱領批判』というコースも別の意味で重要なわけですが、2008年の闘いの中で、多くの分岐をつくり出しながら、私たちが求めてきたものが、『ゴータ綱領批判』の中に豊富にある点がもっと重要であると思います。塩川一派との対決や一地区の革命から始まった2008年は、5・27臨大闘争弾圧裁判の弁護団解任、国鉄1047名闘争での4者・4団体路線との闘い、現場労働者の体制内指導部との対決をとおして、ついに11・2労働者集会に登りつめた。対決のいっさいは、私たちマルクス主義派と、そうじゃない連合との闘争でした。11・2集会は昨年と同じ人数だったが、質的に全く高い飛躍を勝ち取った集会となった。私たちは、もっともっとマルクス主義に純化していく必要がある。
○資本主義社会の中で、私たちは生活するために労働している。自らの労働力を資本家に売ることとひきかえに、賃金をもらい再生産する。共産主義社会になると、まずこの労働の意味が全く異なってくるような気がする。生きるために働くのではなくて、人類の共通した目的のために働くというような抽象的だけれども、この転換はまさに人類史の前史と後史を分かつものになるのだろう。戦争と飢餓がなくなり、国境と貨幣がなくなる世界をめざして闘い抜こう。

【Y】

 『ゴータ綱領批判』が、ドイツ階級闘争の中で19世紀後半に大きな影響があったラサール主義との路線的分岐をかけた大闘争の書であったことがよくわかった。現実に塩川一派のように、『ゴータ綱領批判』をもちだして、革共同破壊、連合戦線的変質の要求、階級的労働運動路線の否定をすすめている。「女性や障害者は共産主義の第1段階では、差別から解放されない」という。しかし、「私有財産制に基づいたブルジョア的差別はなくなり、共産主義に向かった、生産と所有の主人公への団結が開始される。あえて言えば、『労働時間を基準にする』(控除含めて)という労働者が誰でもよくわかるルールを道しるべにしながらである」。これで、充分説明できると思う。
  全体を通して、「革命は簡単である」「スターリン主義は、プロレタリア権力を解体した」ということは重要だと思った。
  さらに、ラサール主義が「国家援助つきの生産協同組合」と「賃金闘争否定」をメダルの裏表にしていることが、今日的にもよみがえっていることは重大である。やはり、賃金闘争の否定の中で、「労働者の救済」という「自己解放の否定」が、根拠づけられていくのだと思った。

【a】

 今回『ゴータ綱領批判』を学習する中で、マルクスが、なぜ「ゴータ綱領」に対して怒ったのかが分かった。それは、『共産党宣言』『賃労働と資本』『資本論』など書く中で、第1インターをつくり、パリ・コミューンがたたかわれた。その後弾圧されるが、労働者階級の方向性が示されていた。しかし、「ゴータ綱領」の中身は、資本主義体制に屈服した内容であった。それも、本質的な所を隠して、さも体制とたたかうようなポーズを表現する綱領であった。非常に今日的な問題でもある。
  革命情勢の中で、「私有財産の廃止」をキッパリと言い切る路線で、体制内指導部とぶつかっていくことである。まさに、分岐を恐れず、階級的労働運動を推し進めることである。

【F】

 マルクス・エンゲルスはパリ・コミューンを徹底的に見据え、「あれこそがプロレタリア独裁なんだ」と総括し、労働者階級はブルジョア国家権力をあとかたもなく粉砕していくべきだということを徹底的に明らかにしようとした。パリ・コミューンの後、第1インターは分裂し、ドイツでは1875年5月ドイツ社会民主労働者党(アイゼナッハ派)とドイツ労働者協会(ラサール派)とが合同した。
  マルクス・エンゲルスは、その合同の「ゴータ綱領」が、資本主義社会を前提にして「国家援助つきの生産協同組合」等を掲げて、労働者階級の闘いであるパリ・コミューンを裏切っていることに怒りをもって、「ゴータ綱領」を批判・弾劾した。
  しかし、リープクネヒト(父)等のドイツの指導部は、マルクス『ゴータ綱領批判』にたいして「ゴータ綱領」を1語、2語変えただけであった。結局、ドイツ社会民主党は、議席を増やしたが、第1次世界大戦が勃発するや戦時公債に賛成して、帝国主義戦争に協力していくのです。
  レーニンは、マルクス『ゴータ綱領批判』を引き継いで、ロシア革命の前進の中で、共産主義社会に向かっての具体的あり方を力強く著し(『国家と革命』)、実践した。
  プロ独下の「現実の共産主義」は、労働者階級が生産手段を管理・運営しています。労働者階級・プロ独は、社会の共同の元本を差し引いた上で、労働者個々人の労働量(労働時間)の給付に応じて、社会の倉庫から生活手段を分配する「生まれ出たばかりの共産主義」を実現しながら前進します。
  この「労働給付に応じて」の分配は、働く人々の合意・総意によって運営していることにおいて、「高次の共産主義」に向かっての力を内包しています。それは分業の止揚−「労働時間の短縮」に向かっての闘いの前進です。それは、国家の死滅・民主主義のなくなりの道です。その力と導きの糸は、今日の労働組合の団結と闘いの中に宿っています。
  共産主義の闘いとは、労働者階級が、いま資本主義(賃労働と資本)のもとでたたかっている党と労働組合の闘いです。労働者階級の団結・労働組合(コミューン)の闘いに「現実の共産主義」が成長しつつあるのです。
  講師の提起を受けて、自分でつながっていない脈略が理解できました。

【K】

 『ゴータ綱領批判』を、ついに到来した世界大恐慌情勢=世界革命情勢のただ中で学ぶことの決定的意義を痛感させられた。一言で言えば、世界革命=プロ独を目指した階級的労働運動を今こそ、原則的に、不屈にたたかいぬくことだ。
  「ゴータ綱領」は核心的には、パリ・コミューンの「これこそがプロ独だ」という革命的意義を理解できず、血の弾圧による敗北に恐怖し、そのことの故に、マルクスの主張(マルクス主義)を根底的なところで否定、解体する「綱領」としてつくられたということだ。ここには、労働者階級の力に一切依拠した革命、階級闘争をやりぬくことへの拒否、否定がある。
  「ゴータ綱領」を合理化しようとしたリープクネヒトの「労働者に受け入れられる社会主義」という言い方に、すべてが凝縮されていると思う。
  今日的には、あの4者・4団体派が資本と権力に屈服する言い訳に「当該労働者がそれを望んでいる」からという言い草で、屈服路線を正当化しているのと酷似している。
  塩川一派が、「プロレタリア革命が成功したとしても、それだけでは障害者の解放(女性解放……)はなされない」といって「7月テーゼ」に敵対し、党と労働者階級に敵対していったことを、今日的にとらえ返した時、労働者階級に対する蔑視とともに、プロ独思想に対する拒否、否定があるということだ。
  革命情勢の到来の中で、革命的分岐・流動をとことん積極的・攻勢的に闘いぬくことが、ほんとうに決定的である。あらゆる形での体制内派との党派闘争をとことんやりぬくことが、路線と思想を純化し、党と階級を活性化させることが、11・2集会の成功と高揚で実証された。あらためてこの道を確信をもってつき進もう。

【W】

 講師の提起は非常に鮮明で、集中して聞けました。
  「ロンドンにいたマルクスとエンゲルスは、発表された『ゴータ綱領草案』を手にして、あまりのことに驚き、激怒し、直ちに決別宣言にちかい反論を送りつけた」のくだりに感動し、深いものを感じました。
  やはり、1867年に『資本論』第1巻が刊行され、1871年、パリ・コミューンという史上初のプロレタリア独裁権力樹立のわずか4年後に、「ゴータ綱領草案」が発表され、「あまりのこと」に反応したということですが、やはり、今もまさにそうですが、動と反動というか、プロレタリア革命か、体制内路線かといったものを、歴史をこえて感じ、共感しました。
  何より、講義でも言われたように、マルクスのパリ・コミューンの総括が、プロレタリア革命の条件をすでに準備したこと、労働者が、ブルジョア国家権力を打倒し、政治権力を握れば、階級の存在と階級支配の経済的基礎を根こそぎにすることができることを訴えている。ところが、「ゴータ綱領草案」は、パリ・コミューンにいたる過程で勝ちとられた階級闘争の地平を否定し、プロ独をめざす労働運動を解体するものだった、という関係でつながっている。まさに、「4者・4団体」の屈服路線、塩川一派の転落と同一だ。
  あと、「ゴータ綱領草案」は、一見、「そうかな」と思ってしまうような記述があるが、マルクスの批判を見て、結局マルクス主義の否定、プロレタリア独裁の否定につながっていることを見て、感心し、思い知らされた面もありました。結局、《国家権力援助による生産協同組合》にまで行き着く「ゴータ綱領草案」にたいして、「働く人民による民主的管理下による人民支配的管理を国家権力に要求するとはどういうことか」と怒っているのは、本当にその通りだと思いました。
  11・2労働者集会をかちとった階級的労働運動路線の現在の地平から、『ゴータ綱領批判』をあらためて学習できたと思います。

【r】

 かなり前、第1期の党学校のときに『ゴータ綱領批判』をやったのですが、そのとき、今考えてみるとやはりよくわかっていなかったように思います。というか、今回の講義を聞いて『ゴータ綱領批判』というものが、どのような世界史的情勢のなかで言われたのかが非常に鮮明になり、それで全体的に何を言っているのかがとてもすっきりしたということです。それは、講師も強調していたように現実にパリ・コミューンという形でプロレタリア革命・プロレタリア独裁がかちとられたという情勢の中で、あろうことか、これに勇躍して続くのではなく、これに反動的に否定し敵対するというとんでもないことが起きたということです。それで、「この綱領草案はわれわれをすくなからずびっくりさせた」(エンゲルス)わけです。マルクスやエンゲルスの直接の弟子たちが、マルクス・エンゲルスとその作業と到達地平(『共産党宣言』『資本論』、第1インターの創立とパリ・コミューンなど)を真っ向から蹂躙したという事態! 彼らはどれほどがく然としたことでしょうか。であるからこそ、彼らは決定的な闘争に打って出た。それが『ゴータ綱領批判』だったし、その鋭さだったわけですね。この脈絡がわからないと、「たしかに指摘はそのとおりだけど、まあそこまで厳しく言わなくてもよかったんじゃないか」というような気持ちが残るわけです。
  プロレタリア革命が現実のものとなったときに、ドイツ専制国家に屈服し、国家機構の粉砕とプロレタリア独裁の放棄を綱領という形で公然と発表するということ! それが、「労働は、すべての富とすべての……」などのくだらないおしゃべりの中で行間に言われているということです。資本の搾取(賃金奴隷制)と非和解的に闘うことを呼びかけることからの逃げです。「われわれの時代、ブルジョアジーの時代は……敵対する二大陣営、直接に対峙する二大階級に分裂していく」という『共産党宣言』とまったく逆のものがそこで提起されているということですね。さらに、当時のドイツ国家権力の主要な柱であるユンカー勢力と非和解的に闘うことからも逃亡! マルクス主義の陳腐化は、じつはブルジョアジーとユンカー勢力に許容される体制内「マルクス主義」の提起だったわけです。
  革命情勢が現実のものとなったときに屈服を公然化させるのは今の4者・4団体や塩川一派も同じです。こういうことがわれわれの真ん前に展開されているがゆえに、パリ・コミューンの直後に屈服を公然化させるというパラドクスも今はよくわかります。
  「万国の労働者、団結せよ!」の国際革命の精神から逃げるために「さしあたり今日の国民国家のなかで活動する」という疑似マルクス用語を使うのも、裏切り者はいつの時代も同じだなと思った次第です。