マルクス『ゴータ綱領批判』前後半講義概要 講師林 佐和子 【はじめに】 マルクスの『ゴータ綱領批判』は、まず第1に、1875年に発表されたゴータ綱領草案が、第1インターからパリ・コミューンにいたる労働者階級のたたかいの全成果を否定、解体する労働者蔑視の綱領であること、そして権力の弾圧と体制に屈服する綱領であることへの弾劾と怒りの書です。 【T】世界革命情勢のただなかでマルクス『ゴータ綱領批判』を学ぶ いま、資本主義の矛盾が統御不可能な巨大な世界恐慌として爆発している。資本主義・帝国主義の命脈はつきた。最末期帝国主義の延命をかけた新自由主義攻撃(規制緩和・民営化・労組破壊)は、貧困と格差を拡大し、全世界の労働者階級人民の国境を越えた団結と決起を生み出しつつ、総破綻している。世界は、世界大恐慌の激しい破壊力によって底なしの危機に突入し―「資本主義の終わり」が始まった。まさに今が、世界革命情勢です。革命情勢とは、社会の真の主人公である労働者が資本家階級の支配を転覆し、全権力をその手に握るプロレタリア世界革命の時代が来たことを意味する。だからこそ体制内労組指導部と階級的労働運動路線派との激突・革命的分岐が全世界で始まっている。 【U】史上初の《プロレタリア独裁》パリ・コミューンと階級的分岐 ゴータ綱領草案と『ゴータ綱領批判』は、パリ・コミューンをめぐる分岐のあらわれでした。史上初のプロレタリア独裁権力を闘いとったパリ・コミューンは、「労働者階級の解放は、労働階級自身の事業である」(第1インター規約)とした第1インター結成以来の階級的労働運動の歩みを、新たな次元におしあげた。パリ・コミューンは、1848年ヨーロッパ革命をへてイギリスから全ヨーロッパに拡大した労働者階級の闘争、1864年の国際労働者協会(第1インター)創立と階級的団結の拡大、すなわち「賃労働と資本」の非和解的階級闘争の所産だった。 (1)私有財産制=階級対立と搾取を隠蔽するゴータ綱領草案
ゴータ綱領草案冒頭部分T−1「労働は、すべての富とすべての文化の源泉であり、そして有益な労働は、ただ社会において、また社会をつうじてのみ可能であるから、労働の全収益は、平等な権利にしたがって、社会の全構成員に属する」 (2)生まれ出たばかりの共産主義社会での生産の社会的組織化
ゴータ綱領草案T−3「労働を解放するためには、労働手段を社会の共有財産に高めること、そして総労働を協同組合的に規制して、労働収益を公正に分配することが必要である」 (3)特殊階級的解放の普遍性・根底性、《プロレタリア独裁》と《プロレタリア国際主義》
マルクス執筆の国際労働者協会(第1インター)規約の中の「労働する人間が、労働手段、すなわち、生活源泉を独占する者に経済的に隷属していることが、あらゆる悲惨・隷属・退廃、政治的従属の根底にある」を、ゴータ綱領草案は改ざん・解体した。 (4)《賃金鉄則》論に屈服し、搾取を隠蔽し、労働組合運動を否定
ゴータ綱領草案U「ドイツ労働者党は、鉄の賃金法則とともに賃金制度およびあらゆる形態の搾取とすべての社会的および政治的な不平等の除去のために力をつくす」 (5)《賃金鉄則》と《国家信仰》を結合した《国家援助による生産協同組合》
ゴータ綱領草案V「ドイツ労働者党は、社会問題の解決の道を開くため、働く人民の民主的管理下におく国家援助の生産協同組合の設立を要求する。生産協同組合を工業と農業のために、生産協同組合から総労働の社会主義的な組織が生まれるような規模で、設立する必要がある」 (6)国家への臣民的信仰で専制国家に屈服し、国家機構の粉砕を放棄
ゴータ綱領草案W「ドイツ労働者党は、あらゆる合法的手段をもちいて、自由な国家及び社会主義社会を実現するために力をつくす」「ドイツ労働者党は、社会問題の解決の道を開くため、働く人民による民主的管理下におかれる国家援助の生産協同組合の設立を要求する」 【結語】 階級的労働運動路線の日々の白熱的実践で《プロレタリア独裁》をたぐりよせよう。 |
討論から●G 党学校の中で、一番このテーマを楽しみにしていた。一番『ゴータ綱領批判』が好きなんです。今回、なんでそうだったのかがハッキリした。 ●P 『ゴータ綱領批判』の解説本は、基本文献学習シリーズの企画の最初に出た。その1年くらい後に、全逓労働者と3人で6〜10カ月くらい学習会をやった。結構面白かった。どういうところに労働者と空気入ったのかと言うと、「生まれ出たばかりの共産主義」をどうとらえるかということで、「俺たちの力でできるんだ」と。なにか立派な人がいて、立派な考え方があって、立派な法則があって、ということではなくて、「生身の自分たちの力で明日にもできるんだ」と。そのときに彼らは、「結合した労働者」ということについてえらく気にいってました、今いる自分たちの力でこの世の中をひっくり返すことができるということで。 ●講師 当時、キリストの絵とラサールの写真が並べて労働者の家の暖炉の上に必ずのっているくらい、労働者の立場に立ってくれた人として尊敬されていた。シュヴァイツァーというのはラサール主義者です。かなり早い時期から合同ということはテーマになっていた。だけど、74年にラサール派の方から救いを求めてきた。どうしてかと言うと、労働者は賃上げ闘争とか労働組合とかで現実に自分の力に目覚めて闘い始めている、60年代には。そういう中で、ラサール派は労働者から見捨てられるというか、これはダメだということで衰退していく。そのラサール派がアイゼナッハ派に合同を求めた。それを、念願だった合同がついに実現するときが来た、何としても推進しよう、となっていった。 ●I 「ゴータ綱領」冒頭の「労働はすべての富とすべての文化の源泉であり」、これはハッキリ言ってブルジョア経済学そのもの、アダム・スミスの言っていることそのもの。マルクスは、48年革命の敗北という中から、労働者階級の、プロレタリアートの階級性を貫いていくことが求められているんだという形で『賃労働と資本』を出した。それを完全に転覆し、ブルジョアの綱領でもって党をつくる、それを労働者の党の綱領にしようということへの怒りだと思う。それはとりわけパリ・コミューンという形で労働者の権力ということが現実に始まったことにたいして、そこに確信を持つんじゃなくて、敗北した、だからブルジョア綱領でいこうということが、本当に許せないとマルクスが批判を出したんじゃないか。僕なんかも最初読んだら、「ゴータ綱領」間違ったこと言ってないんじゃないか的に、確かにこう言われればこうなのかなみたいな感じだったんですけども、それはこの間の『賃労働と資本』の学習とかいろいろとおして、やっぱりこれは全然違うな、ということが分かってきたところです。 ●講師 であるからこそ、そこでの革命派と反革命派との分岐ということにこだわる必要がある。一瞬は小さい勢力で分裂しなくてもいいのに、まとまっていけばいいじゃないかみたいに思うところで絶対に譲歩できない。4者・4団体路線なんかそうですよね。ここで決然と決別するというか分岐をつくり出す。ここにものすごい可能性がある。今の世界大恐慌の中で、動労千葉を中心にして国際労働者の集会が行われて、そこに集まった3国がすべて、この恐慌を革命情勢ととらえている。私たちだけじゃなくて、韓国の労働者もアメリカの労働者も同じようにとらえるということが始まっている。もちろんその中で、身近なところで動揺とか現実にあるけど、絶対に屈しないということが勝利のカギだ。それをマルクス主義に根ざして貫いていくということじゃないか。 ●P 4者・4団体もそうだけど、2・22の5・27弁護団会議は、もっとどでかい意味でそうです。裁判も最終過程に入ってほぼ判決ということを前にして、弁護団を切るなんてことは「常識」ではない。だけど、そこの決断があったから今がある。4者・4団体とも対決できている。 ●F 質問ですけど、「生まれ出たばかりの共産主義社会は、母胎である旧社会のなごりをとどめる」というのは、先ほど講師は、「労働時間に応じた分配」ということを言われた。その点に絞って考えた方がいいんでしょうか? ●講師 それだけではない。「権利」とか「労働」とか「公正」とかということが、まだ問題になる段階、「権利」というのはそれ自体ブルジョア的なものなんだけど、それがまだ問題になる段階ということ。 ●F 「狭いブルジョア的な権利の地平は越えられ」るということは、高次の共産主義のことを指しているわけですね。「生まれ出たばかり」と「高次」へと限界を越えていくべきことのつながりが、ハッキリしました。 ●G 塩川一派が『ゴータ綱領批判』を使って問題にしていることの誤りということで、僕が彼らの言っていることで誤りだなと思うことは、共産主義の第1段階では女性、障害者の解放はまだ完全にはできないということ自体ではなく、プロ独を否定した上でこういうことを言っているということ。つまり、共産主義の第1段階、さらに生まれ出た1日目にすべてということはない。だけど、ものすごいスピードで、労働者自身が「結合した労働者」としてどんどんそういうものを解決していくエネルギーに満ちているということを否定しているのが間違いだというふうに僕はとらえている。それは労働者階級の革命的能力の否定だし、プロ独の否定ということに、そういうことをあてつけて書くということが決定的に誤りで、特に『ゴータ綱領批判』を使ってそれをやるということが本当に許し難いと思うんです。 ●J プロ独があって、徹底的にブルジョア的な残りかすと闘う必要があるということだと思う。革命が起こって、次の日に差別があるかないかだとかいうのは、革命というものをものすごく小さくする話だと思う。 ●P 労働者の家の暖炉の所にラサールの写真とキリストの絵があった、つまり救済の対象でしかないという、そんなもんじゃないんだ労働者というのは。もっと荒々しいし、一旦決断したら全部をひっくり返す力を持っている階級なんだということを認めるかどうかという点で、天と地の差があるという、それは塩川一派に通じると思う。 |
コラム 『ゴータ綱領批判』冒頭の労働論について マルクスによるゴータ綱領草案批判の冒頭部分を読んで、最初、「言い過ぎではないか?」と考える人が多い。「労働はすべての富と文化の源泉である」という所だけを取り出した場合、これは一応正しいのではないか、と。この冒頭の一節は、後半部分で、「社会のなかで、また社会をつうじてのみ…」などと論じているわけだから、ある種の「社会主義」(ラサール的俗流社会主義)ではある。だからこそ、このような紛らわしい論じ方とそこに示されているブルジョア的思想への屈服(体制内への屈服)を明確にえぐらなければならない。マルクスは、この冒頭の労働論そのものが、完全に間違いであることを鋭く突きつけている。 |
受講レポートから ★『ゴータ綱領批判』のレポートです。【O】 『ゴータ綱領批判』をめぐる当時の事情が押さえられて、内容が鮮明になったと思います。 【S】 「古くて新しい」という見方が語られることが多くあります。 【I】 パリ・コミューンに対する反動として立ち現れたゴータ綱領(ラサール主義者)に対する、痛烈なまでの徹底批判がものすごく良く分かった。今の世界革命情勢を前にしての塩川一派の逃亡と反革命的純化、そして体制内労働運動の10・24=4者・4団体派と対決して勝ちとった11・2の勝利があらためて、今回の学習会からもつかむことができた。 【G】 私の共産主義者としての原点は、「パリ・コミューンをやりたい!」ということだった。(もちろん、血の海に沈められるのではなく、世界に急速に拡がるやつだ。11月集会はその起爆点であると思った。) 【X】 (一)マルクスとエンゲルスが、『共産党宣言』とパリ・コミューンの地平で、激しい怒りで『ゴータ綱領批判』を提出した死活性と内容がつかめました。『賃金・価格・利潤』とも通じますが、核心は賃金奴隷制の廃止こそ核心であり、またプロレタリア独裁が革命の結節環であることを外す俗論は、イデオロギー的に絶対粉砕しなければならない死活性です。 【e】 「パリ・コミューンを世界中でやろう」という討論が冒頭にあって、本当にマルクスの「ゴータ綱領」への怒りが自分のものとなりました。 【J】 『ゴータ綱領批判』とは、パリ・コミューンで労働者が血の海に沈められながらもつかみとったプロ独の地平、労働者階級の革命性の一切を投げ捨て、労働者をブルジョアジーの奴隷の鎖にしばりつけるものとしてある「ゴータ綱領」に対して、マルクスが渾身の力で弾劾をたたきつけたものだというのは、自分の中でものすごくスッキリした。 【g】 「ゴータ綱領草案に対するマルクスの怒り」の意味がはっきりつかめた。パリ・コミューンが世界史の中に登場し、世界で初めての労働者権力が衝撃を与えたこと、このパリ・コミューンにたいするマルクスの総括『フランスの内乱』に対する完全否定として、「ゴータ綱領草案」が出されたこと。その核心は、労働者自己解放の思想を解体し、マルクスが徹底的に闘ってきた「労働者救済」の思想で、労働者の中にあきらめと絶望を組織することにあったんだと思う。 【C】 オバマ当選の中で、「ゴータ綱領」と似かよったものが見えた。さらに、塩川一派や体制内左翼と同じものが見えた。「合法的手段」、「自由な国家」と言っている点は特に。 【m】 前半、ちょっと早口でついていくのが苦しい状態でした。後半、なれてきて、かみ合えるようになりました。 【P】 1)党学校のプランとして、『賃金・価格・利潤』と連続して『ゴータ綱領批判』にあたったということの意義を、今日の講義を受ける中で、もっと徹底的にはっきりさせる必要があると思いました。それは、第1に、1860年代以来の労働運動、労働組合運動の高揚の中で、これとどう結合し、マルクス主義的原則を日々の実践の中で豊富化し、貫徹していくのか。第2に、同時にこの白熱的実践の中で、これと一体で如何に労働者党=革命党は形成されていくべきか、この大テーマが19世紀後半のマルクス・エンゲルスの格闘と、今日のわれわれの懸命な闘い(われわれ=広い意味での11月派ということでアメリカ、韓国の労働者階級も含めて)が完全に一つの線でつながるということを、すごい緊張をもって感じます。これは今、階級的労働運動路線を本当に物質化していくときに、『賃金・価格・利潤』と『ゴータ綱領批判』を本当にわがものにする闘いと一体のことだと思います。 【t】 基本文献学習シリーズの最初として読んだときは、「公正な分配ではなく、階級対立の廃止こそが問題だ」という点が印象的だった。 【A】 講師の「共産主義はわかりにくい理屈ではなく、原則的で、明快な原理」という提起が、この間感じていることなのでストーンと確認できた。党学校も3分の2がすぎて、「プロレタリア革命をやって権力をにぎり、私有財産制と階級を廃止する」ことに核心が深まった。 【L】 労働者階級の闘いに無限の可能性、つまり革命をする力と未来社会を建設する力を全面的に信頼し、そこに依拠できるのか否かが分かれ目であることを、あらためて確認できた。 【N】 学校の始まる前に、久々に『ゴータ綱領批判』(国民文庫版)を読んだ。そして、講師の提起と討論を聞きながら、やはりこの論文は、ドイツの労働者党が、俗流社会主義・ラサール派と合同するに際して、一切の革命性−革命的理論と実践−を欠いていることに対する革命家マルクスの根底的批判が貫かれているものであると強力に確認したい。 【H】 ○講義は、わかりやすかったです。私もやはり、レーニン『国家と革命』から『ゴータ綱領批判』へ進む学び方でした。したがって、共産主義社会論をマルクスが明らかにした書物として読んできました。 【Y】 『ゴータ綱領批判』が、ドイツ階級闘争の中で19世紀後半に大きな影響があったラサール主義との路線的分岐をかけた大闘争の書であったことがよくわかった。現実に塩川一派のように、『ゴータ綱領批判』をもちだして、革共同破壊、連合戦線的変質の要求、階級的労働運動路線の否定をすすめている。「女性や障害者は共産主義の第1段階では、差別から解放されない」という。しかし、「私有財産制に基づいたブルジョア的差別はなくなり、共産主義に向かった、生産と所有の主人公への団結が開始される。あえて言えば、『労働時間を基準にする』(控除含めて)という労働者が誰でもよくわかるルールを道しるべにしながらである」。これで、充分説明できると思う。 【a】 今回『ゴータ綱領批判』を学習する中で、マルクスが、なぜ「ゴータ綱領」に対して怒ったのかが分かった。それは、『共産党宣言』『賃労働と資本』『資本論』など書く中で、第1インターをつくり、パリ・コミューンがたたかわれた。その後弾圧されるが、労働者階級の方向性が示されていた。しかし、「ゴータ綱領」の中身は、資本主義体制に屈服した内容であった。それも、本質的な所を隠して、さも体制とたたかうようなポーズを表現する綱領であった。非常に今日的な問題でもある。 【F】 マルクス・エンゲルスはパリ・コミューンを徹底的に見据え、「あれこそがプロレタリア独裁なんだ」と総括し、労働者階級はブルジョア国家権力をあとかたもなく粉砕していくべきだということを徹底的に明らかにしようとした。パリ・コミューンの後、第1インターは分裂し、ドイツでは1875年5月ドイツ社会民主労働者党(アイゼナッハ派)とドイツ労働者協会(ラサール派)とが合同した。 【K】 『ゴータ綱領批判』を、ついに到来した世界大恐慌情勢=世界革命情勢のただ中で学ぶことの決定的意義を痛感させられた。一言で言えば、世界革命=プロ独を目指した階級的労働運動を今こそ、原則的に、不屈にたたかいぬくことだ。 【W】 講師の提起は非常に鮮明で、集中して聞けました。 【r】 かなり前、第1期の党学校のときに『ゴータ綱領批判』をやったのですが、そのとき、今考えてみるとやはりよくわかっていなかったように思います。というか、今回の講義を聞いて『ゴータ綱領批判』というものが、どのような世界史的情勢のなかで言われたのかが非常に鮮明になり、それで全体的に何を言っているのかがとてもすっきりしたということです。それは、講師も強調していたように現実にパリ・コミューンという形でプロレタリア革命・プロレタリア独裁がかちとられたという情勢の中で、あろうことか、これに勇躍して続くのではなく、これに反動的に否定し敵対するというとんでもないことが起きたということです。それで、「この綱領草案はわれわれをすくなからずびっくりさせた」(エンゲルス)わけです。マルクスやエンゲルスの直接の弟子たちが、マルクス・エンゲルスとその作業と到達地平(『共産党宣言』『資本論』、第1インターの創立とパリ・コミューンなど)を真っ向から蹂躙したという事態! 彼らはどれほどがく然としたことでしょうか。であるからこそ、彼らは決定的な闘争に打って出た。それが『ゴータ綱領批判』だったし、その鋭さだったわけですね。この脈絡がわからないと、「たしかに指摘はそのとおりだけど、まあそこまで厳しく言わなくてもよかったんじゃないか」というような気持ちが残るわけです。 |