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2008年11月号

党学校通信

党学校機関紙 A4判月1回発行 頒価100円

今月の内容 マルクス『賃金・価格・利潤』(下)

後半講義概要 P1-8

★討論から- P9-14

受講レポート P14-24

2008年12月号
通信 バックナンバー
党学校通信 p1-8  講義概要

マルクス『賃金・価格・利潤』(下)

後半講義概要 講師岩谷 芳之 

第8節 剰余価値の生産

●剰余価値の根拠

 第7節で「労働力」の価値が規定されたことを基礎に、この節では資本が剰余価値を搾取する仕組みが説き明かされます。
  簡単に言えば、労働力を再生産するために必要な労働の分量と、その労働力から引き出しうる労働の分量とは異なるが、後者の方が前者より大きく、その差が資本家のものとなる、ということです。
  例えば、1人の労働者の日々の必需品の平均量を生産するのに、6時間分の平均労働を要するとしましょう。この場合、労働者は自分の労働力を再生産するために日々6時間ずつ働かなければなりませんが、それは労働者がもっと長時間、働きえることとは別問題です。資本家は、労働力の1日分の価値を支払うことによって、その労働力を1日にわたって使用する権利を得ています。だから、資本家が労働者を12時間働かせるとすれば、労働者は、自分の労働力の価値を補填するために必要な6時間を超えて、さらに6時間働かなければならない。後者の6時間を剰余労働時間といい、これが資本の取得する剰余価値を形成します。

●資本の生産過程は、階級関係を再生産する

 賃金は、労働力を再生産するために必要な生活必需品の価値を超えることはありません。労働者が一時的に貯蓄をすることがあっても、基本的にはそれは労働者の生涯のうちに生活費として消えていきます。労働者が生活費を超える貯蓄を累積させて、容易に資本家なり独立生産者に転化できるようであれば、資本主義社会は存続できません。
  他方、資本家は生産手段や賃金に投下した価値を利潤とともに回収し、再び資本家として生産を営むことができる。こうして資本の再生産過程は、階級関係を再生産するのです。

●剰余価値率

 剰余価値の率は、剰余価値と労働力の価値との割合として示されますが、それは剰余労働時間の必要労働時間に対する割合に対応しています。1日の労働時間が長くなれば、それだけ剰余労働時間も長くなり、剰余価値は増え、当然、剰余価値率も増大します。

第9節 労働の価値

●労働力の価値は、必然的に「労働の価値」として現れる

 労働者が資本に売るものは労働力です。しかし、労働者が売るものは労働そのものであり、その対価として賃金を受け取るかのような形態が必然的に現れます。
  「労働の価値または価格」という形態は、真実を覆い隠すものですが、そのような形で現れてくる必然性を持っています。労働力を売るといっても、労働力=労働する能力を労働者自身から切り離して売ることはできません。労働者が資本の指揮・命令に従って具体的・現実的に労働することによってしか、労働力商品を引き渡すことはできないからです。
  また、賃金が支払われるのは実際に働いたあとです。このことから、賃金は労働の価格=労働の報酬として現れるようになります。
  賃金の支払形態は現実にはさまざまな形をとりますが、時間賃金の場合、時間単価×労働時間という形で算定されます。こうしたことも、「賃金は労働の報酬」という外観を強めます。

●賃金形態は、資本家と労働者の本当の関係を覆い隠す

 その結果、労働者の労働の一部分だけが支払われて他の部分は不払いであるのに、あたかも総労働が支払労働であるかのような外観が現れます。

●賃金労働

 賃金労働は、身分的人格的束縛のない「自由な労働」であり、また労働のすべてが支払われているかのような見せかけを持っています。しかし、この見せかけ=外観が歴史上特殊な形態であるとしても、奴隷制や農奴制のもとでの労働と同じように、「不払い労働」を支配階級によって奪い取られていることは同じです。
  階級社会の発生以来、支配階級は他人の労働を搾取し、その上に自分たちの「富と文化」を築いてきました。直接に労働する人間の剰余労働を奪い取る形態の違いが、階級社会のさまざまな形態を規定しています。
  賃金制度は、奴隷主や封建領主の搾取とは違う「自由」な形式のもとで、階級的本質を隠蔽しつつ剰余労働を奪い取る形態です。賃金労働を中心軸に成立している資本主義社会は、まさに階級社会にほかなりません。

第10節 利潤は商品を価値どおりに売ることによって得られる

 商品の価値は、その商品に含まれている総労働量によって決定されます。ところで、商品に含まれている労働の一部分は支払い労働であり、一部分は不払い労働です。だから、商品をその価値で売ることにより、資本家は必然的に利潤を得る。資本家は、対価を要したものだけでなく、何の対価も要しなかったものをも売っています。こうして、正常かつ平均的な利潤は、商品をその現実の価値で売ることによって得られるのです。

第11節 剰余労働が分裂する種々の部分

●地代、利子、産業利潤

 剰余価値は、地代や利子などに分解し、剰余価値の一部が産業利潤または商業利潤として事業を行う資本家の手元に残る。この産業利潤や商業利潤は、資本所有そのものから生まれる利子とは区別されて、事業を行う資本家があたかも自分の努力や才覚で稼いだものと観念されるようになります。
  こうして「労働者の賃金=労働者の労働に対する報酬」、「資本家の利潤=資本家の『労働』に対する報酬」という観念が形成され、これに対応して「地代=土地所有に対する当然の報酬」、「利子=資本所有に対する当然の報酬」という観念が形成される。こうして搾取関係は覆い隠されてしまいます。

●企業資本家による剰余価値の搾取こそが賃金制度の軸点

 地代、利子、産業利潤は、商品の剰余価値(商品に含まれている不払い労働)のみから生じたものです。この剰余価値を直接に労働者から搾り取るのは企業資本家にほかならない。企業資本家と労働者との関係こそ、賃金制度全体の軸点をなしている。これは、職場生産点における闘いこそが、資本主義を覆す軸をなすということです。

第12節 利潤・賃金および物価の一般的関係

●賃金が減少すれば利潤は増大し、賃金が増大すれば利潤は減少する

 「資本家と労働者とは、労働者の総労働によって測られた価値を分配するほかはないのだから、一方が多く得れば他方はわずかしか得ないし、一方がわずかしか得なければ他方は多く得るであろう。……賃金が下落すれば利潤は増大するであろう。また賃金が騰貴すれば利潤は減少するであろう」

第13節 賃金を値上げし、またはその値下げを阻止しようとする企ての主要な場合

●生産力の変動と賃金

 例えば天候不順によって農作物が不作になる場合、生産力は減少し、労働者の生活必需品の価格は上がります。賃金がそれに応じて上がらなければ、労働力の価格は価値以下に下落する。
  生産力が増加し、労働者の生活必需品の価格が下落した場合、賃金が不変であれば、労働者の実質賃金は多少増えますが、それ以上に剰余価値は増大する。これは、労働者の相対的賃金、つまり資本家と比べた労働者の社会的地位は低下するということです。
  労働者の生活必需品の価値は変わらなくても、金の価値が低下した場合、生活必需品の価格は騰貴します。賃金の貨幣額がこれに応じて上がらなければ、実質賃金は下落します。
  賃上げ闘争は多くの場合、こうした変動の必然的な結果として起こる。

●労働日の延長が資本の普遍的傾向

 より多くの剰余労働を搾取するため、資本は常に労働日を延長しようとします。合理的限界を超えた労働時間の延長は、労働者の生活・生存を破壊する。賃金制度のもとで労働者が労働力を売らざるをえないのは、生きていくためであって、自分自身を破壊するためではない。労働力を売るといっても、健康や生命まで資本に売り渡したわけではないのです。しかし資本は、あくなき搾取のために労働者の全時間を支配しようとする。これに対して、労働時間の制限を始め、合理的限界内での労働条件を資本家に守らせるために闘うことは、労働者にとって自分自身とその階級を守るために絶対に必要なことです。
  時間外労働に対する割増賃金は、資本による勝手な労働時間の延長を許さないための方法です。割増賃金を払えばいくらでも労働時間を延長できるというものではない。労働時間が一定の限界を超えれば、どんなに割増賃金が支払われても労働力の消耗を償いえなくなる。その極限が「過労死」です。
  資本は、放っておけば労働者を殺してしまうところまで搾取を強めます。そのため、労働時間を法律で直接規制することが必要になりました。労働者階級の闘いが労働時間の法的規制を国家と資本に強制したのです。
  人間は、自由にできる時間があってこそ、自らを発展させることができる。労働者にとって資本から自由な時間を確保することは、団結を固め、資本の支配と闘うためにも必要不可欠です。

●労働の強度の増大

 労働強化が限度を超えれば労働力の再生産は不可能となる。労働強化=合理化は必ず団結破壊という狙いをもって貫かれることを見ても、これとの闘争は労働者にとって死活的です。

●資本主義の循環運動と賃金

 諸商品の市場価格は景気循環の中で変動しますが、全循環を平均すれば、それはその価値によって規制されています。労働力も商品である限り、その価値は価格の循環的変動をとおして実現される。したがって、好況期には可能な限り賃金を上げるために闘い、恐慌や不況期にはできる限り賃下げに抵抗して闘うことが、労働力の価値を維持するためにも必要となる。
  賃上げのための闘争のほとんどは、それに先行する生産力や諸商品の価格変動、労働時間の延長、労働強化などの必然的結果として起こります。
  労働力の価値は固定的なものではないし、あらかじめ価値どおりの支払いが保障されているわけでもない。労働力を売り賃金を受け取るということ自体(雇用)が安定的に保障されているわけでもありません。だから、労働者が闘う力を失って資本の言いなりになるなら、古代の奴隷よりはるかに不安定でみじめな状態を強制されます。

第14節 資本と労働との闘争とその結果

●賃金闘争は資本主義であるかぎり必然的

 この節の冒頭で、マルクスはこれまでの展開を、次のようにまとめている。
  「賃金引き下げに対する労働者側の周期的な抗争と賃金を引き上げさせようとする彼らの周期的企ては、賃金制度と不可分なものであって、それらは労働が諸商品と同一扱いされ、したがってまた物価の一般的運動を規制する法則によって支配されているという事実そのものによって引き起こされる」「賃金の一般的騰貴は一般的利潤率の低落を生じさせるが、諸商品の平均価格またはそれらの価値には影響しない」

●労働者は平均すれば自分の労働力の価値を受け取るだけ

 「他のすべての商品と同じように、労働についてもその市場価格は、長期間にはその価値に適応するであろう。したがって、あらゆる騰落にもかかわらず、また労働者が何をしようと、彼は平均的には彼の労働の価値だけを受け取るであろう」
  これは、「賃上げ闘争などやってもやらなくても同じ」ということではない。賃金を巡り争う当事者間の力関係が労働力の価値を決定する要因の一つになるが、労働力の価値が具体的にどの水準になろうとも、労働者が自分自身を維持・再生産するために必要な生活必需品の価値で労働力を売っていることに変わりはない、ということです。賃金制度を廃絶しない限り、資本家と労働者の階級関係は再生産され続けるのです。
  こう言うと、「賃金闘争はしょせん体制内の闘いなのか?」という疑問が生じるかもしれません。
  しかし、資本主義社会において労働者は、絶えず「生きさせろ」の闘いを貫かなければ、資本によって絶滅されてしまう。もちろん、労働者階級を生存させることができない資本主義など成り立ちませんが、資本は、搾取の限界を自分で設定するような合理的行動をとれる存在ではない。労働者階級にとって、賃金闘争は生き抜くために絶対に必要な闘いです。
  同時に、賃金闘争を闘う中で、労働者は労働者階級と資本との利害が非和解であることをつかみ、賃金制度の廃止という究極の目的に向けて自己解放能力を形成していきます。この立場に立って賃金闘争を闘えば、それは体制を根本から覆す闘いとなるのです。

●労働力の価値は、生理的要素と歴史的・社会的要素によって決定されるが、究極的な限界を決定するのは生理的要素である

 労働力の価値は、生理的なものと、歴史的・社会的なものの2要素により決定されますが、その究極の限界をなすのは生理的要素です。生理的要素とは、労働者が自分自身を維持し再生産するために絶対に必要不可欠なレベル、つまり生きられないレベルがあるということです。
  しかし、この生理的限界にも、ある程度の弾力性があって、労働力の価値がどの水準で決まるかは、資本の攻撃と労働者の闘いのせめぎ合いによるところが大きい。
  「労働日の究極的限界は、労働者の体力によって与えられている。……とはいえ、この限界には大いに弾力性がある。不健康で短命な世代の迅速な継起によっても一連の健康で長命な世代によるのと同じように、労働市場はちゃんと供給されるであろう」
  今日の資本主義は、子どもを産み育てることもできない現実を労働者階級に強いています。強搾取によって労働者が早死にしようがどうなろうが知ったことではないという資本の本質が、今ほどむき出しになっている時代はありません。
  労働力の価値を決定する歴史的・社会的要素は、生理的要素に比べてより大きな弾力性を持っています。
  「単に生理的な要素の他に、労働の価値はどの国でも、伝統的な生活水準によって決定される。それは単なる生理的生活ではなく、人々がそこで生み育てられる社会的諸条件から生じる一定の欲望の充足である」「労働の価値に入り込むこの歴史的または社会的要素は、膨張することも収縮することもありうるのであり、また生理的限界以外には何も残らないほどすっかり消滅することもありうる」

●利潤の現実の大きさは、資本と労働との絶えざる闘争によってのみ定まる

 このように労働力の価値は可変的です。そうであれば、賃金の大きさと利潤の大きさがどの程度に確定されるかは、資本と労働との絶えざる闘争によってのみ決まります。資本家は常に賃金をその生理的最小限に引き下げ、労働日を生理的最大限に拡大しようとしているし、労働者はそれを反対方向に押し返そうとしている。事態は、両者の力の問題に帰着します。
  そこから考えると、社会主義協会派のように、賃上げ要求の「論拠」として「賃金は労働力の再生産費だから、労働力の価値どおりに賃金を払え」と言うのは、間違っている。これは、「労働者が生きられるように資本主義をきちんと運営しろ」という要求です。もちろん今日、生理的最小限以下の低賃金がまかり通っている現実はある。これに対しては、「生きていけるだけの賃金をよこせ」「それができないなら俺たちに権力をよこせ」という根源的な怒りをたたきつけるべきです。
  体制内労働運動が想定するような、労働者の生存を安定的に保障する「価値法則」などありません。「価値法則」は、労働者と資本家との血みどろの争いの中で貫徹される。だから労働者階級が求めるものは、価値法則そのものを廃絶することです。

●生産力の高度化と相対的過剰人口の生産。資本の有機的構成の高度化

 古典派経済学は、「資本の蓄積が進めば労働に対する需要は増大し、賃金は上がる。だから資本家と労働者の利害は一致している」と言ってきた。しかし、資本は絶えず生産力を増大させ、資本の有機的構成を高めるので、資本の総額が増大するほどには労働に対する需要は増大しません。
  生産力の増大とは、1人の労働者がより多くの固定資本(機械など)や原材料を使うということです。したがって、可変資本に対する不変資本、特に固定資本の割合は相対的に増大する。これを「資本の有機的構成の高度化」と言います。
  生産力の著しい高度化を伴う近代産業の発展は、資本に有利で労働者に不利な情勢をつくり出します。

●実践的結論

@日常的闘争の徹底的な貫徹
  標準賃金獲得のための労働者の闘争は、賃金制度と不可分の事象であり、賃上げを求める労働者の闘いのほとんどは、「労働の価値」を維持しようとする努力である。労働者階級が資本との日常闘争を貫かなければ、労働者階級はより大きな運動を起こすための能力も失ってしまう。
A労働者の究極的解放を根幹に据える
  日常闘争において労働者は、結果と闘っているのであって、原因と闘っているのではない。労働者階級は、資本の絶え間ない侵略や市場の変動から生じる不可避的なゲリラ戦に没頭してはならない。資本主義は、労働者に窮乏を押しつけるが、同時に、社会の経済的改造に必要な物質的条件と社会的諸形態をも生み出している。
  労働者は、『公正な1日の労働に対する公正な1日の賃金!』という保守的な標語の代わりに、『賃金制度の廃止!』という革命的なスローガンをその旗に書き記さなければならない。
  この結論を定式化して、マルクスは第1インターナショナル中央評議会に次の決議を採択することを求めました。
  「第一 賃金率の一般的騰貴は一般利潤率の低落を生じるであろうが、だいたいにおいて諸商品の価格には影響しないであろう。
  第二 資本制生産の一般的傾向は、賃金の平均標準を高めないで低めることにある。
  第三 労働組合は、資本の侵略に対する抗争の中心として立派に作用する。それは、その力の使用が適切でなければ部分的に失敗する。労働組合が現行制度の結果に対するゲリラ戦に専念して、現行制度を変化させようとしないならば、その組織された力を労働者階級の究極的解放、すなわち賃金制度の究極的廃止のためのテコとして使用しないならば、全般的に失敗する」

●第1インター第1回大会の決議『労働組合、その過去・現在・未来』

 マルクスが提案した決議案の中身は、第1インター第1回大会で採択された決議『労働組合、その過去・現在・未来』に全面的に取り入れられています。
  「労働組合はもともと、労働者の生活を少なくともまったくの奴隷状態以上に引き上げるような契約をかちとるために、このような競争をなくそうとして、またはできる限り制限しようとして自然発生的に生まれた。したがって、労働組合の直接の目的は、日常の諸要求、資本の絶えざる侵害からの防衛の手段、一言で言って、賃金と労働時間の問題に限られていた。労働組合のこのような活動は正当なだけでなく、必要なものである。これは、現在の生産制度が続く限り、やめるわけにはいかない活動である」
  「他方で、労働組合は、自分たちでは自覚することなしに、労働者階級の組織の中心となった。……労働組合は資本と労働の間のゲリラ戦のために必要なのであるが、賃金制度そのものと資本の支配を廃止するための組織された力として一層重要である」
  「労働組合は、もともとの目的は別として、今や労働者階級の組織的中心として、労働者階級の完全な解放という大きな利益を目指して活動することを学ばなければならない」
  これは、全階級的利害から個々の労働組合の路線・方針も打ち立てなければならないということです。

●第1インター暫定規約前文

 最後に、第1インター第1回大会で決定された暫定規約前文の重要な部分を確認しておきたい。
  「労働者階級の解放は、労働者階級自身の手で闘いとられなければならないこと、労働者階級解放のための闘争は、階級的特権と独占を目指す闘争ではなく、平等の権利と義務のための闘争、またあらゆる階級支配の廃止のための闘争を意味すること、
  労働する人間が労働手段すなわち生活源泉を独占する者に経済的に隷属していること、これがあらゆる形態の奴隷制、あらゆる社会的悲惨、精神的退廃、政治的従属の根底にあること、
  したがって、労働者階級の経済的解放が大目的であり、あらゆる政治運動は手段としてこの目的に従属すべきものであること」
  「労働者階級の経済的解放が大目的であり、あらゆる政治運動は手段としてこの目的に従属すべき」というのはきわめて激しい表現です。これを根本から否定しているのが塩川一派です。
  労働者階級の解放は、労働者階級自身の事業です。労働者は救済されるべき存在ではなく、闘いによって自らを解放する主体です。
  そして、労働者階級の特殊階級的解放こそが「人間の全面的解放」をもたらすのです。われわれは7月テーゼによって、このマルクス主義の根幹を奪還することができました。
  11・2集会から09春闘に向かう過程は、まさに世界大恐慌のただ中で闘われます。「生きさせろ」の闘いに続々と立ち上がる労働者階級と結合し、マルクス主義を実践的に復権させる時は今をおいてほかにありません。

(後半講義了)

党学校通信 p9-14

討論から

●O

 先月のうちの労働学校のテーマは、「インフレはどこへ行く」。そこで出た質問は、「あんたの言っていることはわかるけれども、じゃあ世の中って変わるんですか」と。要は、革命を言え、という要求が大衆から出た。次の労働学校に向けて準備しようと思ってたら、世界恐慌が始まった。
  その中で、リーマン・ショックで、地域の商業モールが閉鎖になった。閉鎖発表から1週間くらいで50店舗あったのが3店舗しか残っていなかった。そこの一番大きいスーパーも、パート労働者は近隣の関連店舗に全部一旦配転し、あっという間に撤退した。われわれに介入する隙を与えない。金融恐慌が始まっている中で、大型閉鎖とか倒産とかに対して労働者の怒りを爆発させないために、敵は構えている。いよいよ資本家とわれわれのガチンコ対決という時代基調にある。今の世界恐慌下で、労働者が日々生きていくための要求と革命の要求が、限りなく近くなっていく時代に入っている。
  雇えない、作れない、どうするんだとなったときに決定的なのは、労働力が商品化されているという根本的な問題をつかまえて、自分たちが団結して生産力を掌握して、作って、配って日々生きていく。その核になるのが、戦後は当時の組織された労働者だった。組織労働者がなんだかんだと言っても知恵を出して作っちゃう。そういう中で今、4大産別の絶滅型の攻撃を敵がかけてきているという話で、労働学校では、「なるほど、そういう意味があるんですか」という話になっていった。そういう点では、労働力の商品化という概念、これがわかる程度に応じて納得の度合いが違う。「働けなくなる、どうしよう」というんじゃなく、労働力商品を資本家がもう購入できないような現状は、逆に言うと、革命に向けて労働者が踏ん切りつけて新しいところに行く時代への決定的転換点だと考えれば、嘆き悲しむことではない、生活は大変だけど。そういう状況を労働者が団結を拡大していく時代基調としてとらえるべきだという形で議論はまとまった。だけど、今日やったような内容が厳密でないと結構苦しい。
  つまり、労働力の商品化は、今の資本主義社会でどういう具合に現れているのかということを、この『賃金・価格・利潤』で出ているような内容を身につけた程度に応じて、この金融恐慌時代どうするんだと、いやそれは生産手段の私的所有と労働力の商品化を、われわれの実践的な闘いで止揚するんだということが自信を持って言える。
  あと、「同一労働・同一賃金」というのは、戦後の低賃金・無権利の見習い工なんかが多いような時代には意義があった。ただ、現状はどうか。非正規雇用との関係で「同一労働・同一賃金」だけではちょっと。やっぱり、同一労働条件とか、同一雇用条件みたいなことが、職場の中におけるスローガンとしては有効だと思う。ただそれは、イコール革命のスローガンなのかと言われると、確かに限界がある。

●f

 僕の地区にある病院で、同じ看護師で同じ仕事をしていながら賃金格差がある中で、派遣労働者だということを理由に雇い止めが生じている。そういう中で、「同一労働・同一賃金」というスローガンだけで闘えるのか。明日から来なくていい、ということが資本の職場支配のあり方として今ある。それに対して、賃労働と資本の関係を覆していくという立場なしには闘えない。それを今日の講義で、また今現に闘っている中で感じた。

●P

 「11節 剰余労働が分裂する種々の部分」に、「剰余価値を直接に労働者から搾り取るのは企業資本家である」「企業資本家と賃労働者との間のこの関係こそは、賃金制度の全体および現存生産制度の軸点」とある。だから、賃労働と資本の現場は生産点そのもの、ここが軸点になる。要するに、職場生産点こそ賃労働と資本の白熱的現場であり、ここに労働者自己解放の、賃金制度撤廃のすべての根源がある。ここを離れて考えてはダメだ。
  提起の最後に「国際労働者協会暫定規約前文」が引用された。「労働者階級の経済的解放が大目的」で「あらゆる政治運動は手段としてこの目的に従属すべきもの」と激しい言い方をしている。当時の運動の中に、今日的に言えば、塩川一派的な主張があったということだと思う。労働者階級の解放が「大目的」ではなく、いろいろなうちの1つであるという。
  それと、『賃金・価格・利潤』を読んでいく場合、労働組合とは何なのかということにこだわりたい。「労働組合、その過去・現在・未来」では、労働組合は「自然発生的に生まれた」とある。レーニンは『共産主義における「左翼空論主義」』の中で、労働組合は「資本主義がもたらしたもの」と言っている。だから、われわれの労働組合論を本当に生き生きとつかんでいく上で、レーニンも含めて理解していくべきだと。今、4者・4団体との全面的激突になっている。彼らの主張には、戦後の良心を代表するような部分の持っている労働者観、労働組合観が出ている。労働者は救済の対象で、自力で闘っていく主体ではないと。だけど、われわれは労働者の救済を求めるんじゃない。国鉄労働者が自分の職場で分割・民営化反対を貫いて闘えば勝てるということを動労千葉が示している。この時代になって、彼らの労働組合観とか労働者観とか労働運動論では闘えないことがハッキリした。われわれがもっと積極的に、労働組合とは何なのか、労働者階級とは何なのか、を語るときに来た。そのためにも、ここの武装と論議は重要だと思う。

●e

 われわれ自身が「賃上げゼネスト」を提起し、闘っている中で、われわれの階級的労働運動が主流派になっていく場合、2つある。賃金とは何なのか、あるいは賃金奴隷制度を廃止するための賃金論を、あらゆる労働運動の中でわれわれがつくり出し、労働組合が自分たちの理論にしていく時代が来ている。われわれはこの問題で、新社会党であるとか総評を継続している左派と言われるところの賃金論を含めて、全部根底的に批判し尽くして直接青年労働者と結びつき、グッととらえなきゃいけない。キャンペーンだけではなく、労働組合の中に入っていって論争し、オルグし、組織化していく。4者・4団体との絡みで完全にそのことは見えてきた。彼らが屈服していくのは、敵の側が追い詰められて危機で国家的不当労働行為をやっているにもかかわらず、突き破る立場がないから。そういった意味で、一つは賃金闘争論。もう一つは解雇問題。解雇をさせない、許さない、そういう労働者の団結の強さを回復する。ここが勝負所だと思う。
  あと、大幅賃上げの要求は、労働者階級の団結をつくり上げるための闘いだと明確に意識し、自覚しないといけない。そういう団結形態を労働組合としてつくり上げて、地域とか日本の労働運動をリードする、動労千葉を先頭としたネットワークをつくっていく。そういう構え、考え方。バラバラに分断されて1人で「生きさせろ!賃上げ」と言うのではなく、団結をするためのスローガン、闘いということをもハッキリさせるということだと思います。

●講師

 確かに「4者・4団体」との攻防に突入する中で、大幅賃上げをめぐる闘いにおいても、リアリティが出て来た。直接には国鉄1047名闘争をめぐる攻防だけれど、労働組合のあり方とか労働者観が直接に党派闘争のテーマになる。それも、今の恐慌、大失業という現実の中では、ストレートに賃上げ闘争をどう闘うのかということも党派闘争のテーマになっている。そういう意味では、4者・4団体との激しい接近戦というのは、実践的には大きな意味をもっている。これをやり切って11月大結集をかちとることで、09春闘にわれわれが情勢決定要因になりうるという絵が描けますよね。

●K

 『賃金・価格・利潤』全体の核心的な思想を踏まえた場合、労働者階級の賃金闘争は、労働者階級の階級的団結を固める観点から闘われるものだ。もっと言えば労働者階級の、人間の究極的な解放を目指して闘うという立場に立たない賃金闘争は間違ってしまう、失敗に終わる。この辺の核心的な提起を踏まえた上で、「一律大幅賃上げ」のスローガンがある。
  その上で、賃金闘争のスローガンは、固定的なものではなく、それぞれの現場での闘い、実践をとおしてつくり上げられていくものだ。例えば、「一律大幅賃上げ」というスローガンは、「生きられるだけの賃金よこせ」と言い換えることもできる。そう考えると、「一律大幅賃上げ」は今日的に革命的なスローガンだ。今日の学習会をとおして、そういうものとして理解した。

●講師

 あらためて『賃金・価格・利潤』を読み返してみると、賃金はいろんな要素−養成費も含めて−をプラスして客観的に決まるのではなく、その全体が力と力のぶつかり合いの中で決まる、とことん力関係だと書いてある。このことが一番の核心だと思う。
  だから『賃金・価格・利潤』は、協会派の「労働力の生産費だからそのとおり賃金をよこせ」という、主体的な条件や階級闘争を抜きに、経済的な条件であらかじめ客観的に賃金水準が決まっているかのような考え方を根本的に粉砕している。

●O

 協会派なんかが言っている「マルクス主義」なるものは、なぜ資本主義がうまく回っているのか、という説明に汲々としている。今、労働者が求めているものはそうではない。うちの労働学校で話しても、この状況はどこまで行くんですか、という質問が多い。その次に、なんでこうなっているんですかと来る。資本主義はどうしてうまく回っているんだとかいう質問出ないですよ、事実うまくいってないんだから。体制内指導部のイデオロギーを現実そのものが粉砕している。階級的力関係の勝負だけが残るような時代にどんどん進展している。団結の力のみが状況を切り開くことを、今労働者が実際に感じ始めている。その中で資本主義を成り立たせてきた基本的な条件が崩壊している現実をつかむために、この『賃金・価格・利潤』とかマルクスの基本的な文献を学んで現実に活かしていくことが重要だと思います。

●P

 「労働力の価値の究極的限界」には、生理的なものと歴史的・社会的なものの2つの要素があり、決定的には生理的要素だと。だからマルクスは、「生きられるだけの賃金よこせ」は正しいと言っているわけ。力関係そのとおり。資本家はこれだけ確保するなんてことに理論的根拠はない、とマルクスは言ってくれている。それは「大幅賃上げゼネスト」につながると思う。

●e

 賃金闘争の核心は力関係。だけど、それをもっと階級を統一していくスローガンとして出さなきゃいけないと。派遣労働者の人たちは分断されていて、賃上げとか言いたくても言えない。そこと結合する賃金闘争の核心は、動労千葉の中野顧問が言われている「資本主義の下でのあらゆる賃金は労働者の分断攻撃である」。だからこそ団結を闘いとっていくんだ。単なる力関係論ではないと思います。

●G

 「賃金は分断である」、だから分断をはねのけて団結したいということを全国の大学生全員に言えるし、絶対にそこで怒りを共有できると思う。提起で「勝手にできる自由な時間のない人間」について触れたけれど、僕が資本主義を一番許せないのは、時間を奪われていること。単に眠る時間、食べる時間だけじゃなく、団結する時間だし、闘う時間。生産力が向上するんだったら、その分奴隷労働はドンドン削減されていくはず。だけど僕自身、バイトから帰ってくるのは夜12時とかで、翌朝7時からまた仕事。これが特別ではなく、普通にされていることへの怒りです。僕は、大幅賃上げというのは、裏返しに言えば、労働日の短縮ということだと思う。超勤拒否の闘いやストライキは、資本から時間の自由を奪い取るということ。法大での5・29戦闘もそう。あれが何だったのかずっと考え続けてようやくわかったことは、学生も労働者も、資本をいかに儲けさせるか、いかに団結を破壊する手先となるかという、生きている時間が分断の道具になるように強いられている。「全生涯を資本家のための労働によって奪われる」「牛馬よりもあわれ」。新自由主義の中で、この文章は本当にリアルだと思う。
  労働日の短縮、ここが個人的にはマルクスで一番実践的に獲得されたところ。今資本主義が破綻しまくって、結局何が起こるかをリアルに考えた時に、もっと働かないかぎり生きていけないということです。だから、今雇い止めにあっている彼らが、ストライキとか、超勤拒否とかをとおして資本の道具ということをこえて、闘いの時間をもぎ取った、そこに僕はものすごく感動する。こういう時間をほしいというのをパッシブなものとしてではなく、学生の実力で時間をもぎ取るんだというイメージで、10・17闘争も、11・2も闘う。賃金問題と労働日の問題とをもっと有機的に結合すると、もっとアピールするんじゃないかというのが僕の感想です。

●L

 われわれは、人間解放とか自由とかを実現する社会をつくるマルクス主義的確信、展望を持っている。ここのところを、とくに青年・学生にはガンガン言っていく必要がある。資本に与える剰余労働と必要労働の割合が、今は5対1という生産力があると言われている。8時間労働で言えば、1時間半くらい働けば今の水準を維持できるわけです。この『賃金・価格・利潤』とか『資本論』で言っていることは、今の現実をひっくり返せば、そういう夢のようなことをわれわれがかち取れるということでもある。だから、一方で厳しい闘いを提起すると共に、もう一方ではそういうことも語り合っていく。やっぱり、苦しいエライというだけじゃダメで、われわれロマンチストでないと、革命的な。

●e

 労働者階級は、すべてを奪い返して本来的な社会的労働を実現する階級であることにロマンを持ち続けると同時に、路線的・理論的にも他党派を打ち負かし、階級と直接結合する。これが、われわれの党のあり方だと思う。
  それから現場の話で言えば、賃上げ要求というのは切実な要求です。また、孤立したら、本当に自殺に追い込められたり、病気になったりという状況がある。これにたいして、われわれが結びつく姿勢と同時に、団結を形成できるスローガンをつくらなきゃいけない。「大幅賃上げ」でいいんだと思います、それは。今の世界大恐慌情勢で言えば、工場占拠に匹敵するような、自分たちに生きていける生産手段をよこせと。要するに、今までの延長で生活向上みたいな意味じゃなくて、生きていくための生産手段の共有ということに結びつくようなイメージとして。で、理論的にも位置づけを与えていくということが、今後必要かなと思います。本当に賃上げを実現するためにはストライキを構えるという話になる。それこそ力関係だから、その中で勝ちきるということは、あんたら資本家がそれをできないんだったら俺たちがやると。それを言い切らないと、最後までストライキ闘争を貫徹できないし、労働者の仲間を自信を持って資本家との全面的対決に引っ張っていけない。動労千葉はそれをやっている。

●講師

 その場合に、資本主義なんか倒せるし、倒してもやっていけるんだ、その確信を労働者階級全体のものにしていくということが最後のところ問われると思います。

●Y

 『賃金・価格・利潤』でマルクスは、いろんな闘争があるんだけど、やっぱり賃金闘争が中心なんだということをハッキリさせたんじゃないか。そして、賃金闘争と労働組合というのはまったく一体。組合のない人でも一緒に賃金闘争をやろうということの中には、そういう団結をつくっていく、11・2なんかに結集させるというのは、そういう闘いをやり切らないと。こういう時代だから、賃上げとか本当にやろうと思ったら、やっぱり組合に入って闘うということじゃないか。

●d

 やっぱり「一律大幅賃上げ」でなければならない。総評型の賃上げというのは、40代から50代前半にかけてが賃上げ幅が厚くて、青年労働者にとってはほとんど賃上げがない。要するに、総評自体が資本の労働者を分断するやり方に屈服し、容認する賃上げ方式だった。動労千葉は、そうじゃない、年取った人も、若い人も、生活費はいる、だから大幅に一律だと。
  さらに、11・2のスローガン、派遣も正社員も公務員も同じ労働者だ団結しよう。だから、派遣も正社員も公務員も一律大幅賃上げをかちとろう、だと。派遣労働者は時給だから、大型の休みのある時はみんな青ざめてます。そういう人たちは、自分が生きていけるだけの額を要求して当然なんです。もともと派遣社員だった人たちが組合をつくって闘争して期間従業員になったら、それとは別に相変わらず派遣会社から派遣労働者をとる。あるいは労働基準局から偽装請負は問題だよと指導されて、これまで派遣だった人を期間従業員にして、また新たに派遣をとる。これが資本の姿です。世界金融大恐慌の中で、派遣労働者にたいする雇い止め阻止、これは会社側が一番嫌がるスローガンです。だから、この要求のスローガンが革命的なんです。
  「同一労働・同一賃金」が問題になっていましたけど、要するに時と場合による。機械的、固定的に正しい賃金要求としたときには、保守的なスローガンになってしまう。だから、今の資本、企業が嫌がるスローガン、「一律大幅賃上げ」「派遣労働者の雇い止め粉砕」「期間従業員の雇い止め粉砕」など、敵の嫌がることは何でも言っていく、要求する。その場その場で、現場労働者が思いついた言葉とかスローガンは、人を引きつけます。「派遣労働者で日比谷野音いっぱいにしたい」というスローガンだってそう。「派遣なんかなくなればいいのに」という言葉だってそう。みんなその時の思いつきでポッポッと言っているかもしれないけど、みんな同じことを言っている、「革命」ということを。

党学校通信 p14-24 <<●差し替え 受講レポート

受講レポートから ★『賃金・価格・利潤』(下)のレポートです。

【K】

 賃金とは何か? 労働力の価値とは何か?についての展開を通して、賃金闘争の階級的本質が提起された。率直に言ってこれまで、賃金闘争とは何か、という問いを真っ向から考えたこともなかったので、『賃労働と資本』についてもそうであったが、『賃金・価格・利潤』もとても衝撃的で、新鮮で、魅力的な内容であった。
  前回の講義で提起された、“賃金制度の上では「平等な賃金」はありえない”という個所に引っかかってしまい、後日あらためてレジュメと解説本を読み直しました。労働の種類によって養成費が異なる、というマルクスの提起が、まったく理解できなかったのです。しかし、労働力商品論の展開の必然的帰結として、賃金原論としてのマルクスの提起は、まったく正しいということが分かりました。
  その上で、賃金制度は形をかえた奴隷制だという確認も、私にとってはとても新鮮でした。あらためて、賃金制度もろとも資本主義を根底から覆さねばならない、打ち倒そうという決意が湧いてきます。
  世界金融恐慌から世界大恐慌へと日々刻々革命情勢が拡大・深化しつつある今日、労働者階級・人民の現実の状況は悪化の一途をたどることになるでしょうが、この情勢に絶望するのではなく、人間の全面的解放を現実にかちとることのできる、まさにプロレタリア革命に向かっての希望に満ちた情勢が訪れていることに確信をもって、労働者階級・人民に提起できるのはマルクス主義以外にはないことが、ますます明らかとなりました。
  当面の課題は、資本主義の最後の下支えを買って出ている体制内派を理論的にも、実践的にも、徹底的に粉砕しぬいて、労働者階級の自己解放的決起と階級的労働運動路線への獲得を全力あげてたたかいとることです。11・2労働者集会になんとしても1万の労働者・人民を集めきろう!

【X】

 (一)全体として、前回の前半の冒頭でゴリッと確認され、今回後半の最後の実践的結論の(賃金闘争も労働組合も)「労働者の究極的解放を根幹に据える」の核心を、より深く提起されました。「草稿」の「賃金」の引用からも、「労働組合、その過去・現在・未来」の引用からも、マルクス主義の、また動労千葉労働運動の核心としてダメ押し的に提起されました。地区と職場の労働学校でも、ゴリゴリやります。
(二)このことを、資本と賃労働の非和解性という観点から、今日、「9節 労働の価値」のところで、「賃金形態は資本と労働者の本当の関係を覆い隠す」と二重の結果の隠ぺいの言及は、すごく重要だということを学びました。どこの職場でも、賃労働と資本の非和解性を職場の闘いと現実から、宣伝していくことがすごく重要だと思いました。
(三)「同一労働・同一賃金」も、われわれのスローガンではないと思う。階級闘争はシンプルで、「生きていくための賃金よこせ」だと。同一労働をしている派遣と正社員の現場での闘いは、正社員化要求ではなく、11・2スローガンのように、非正規職撤廃です。職務給も、人事評価−成績給も、60年代の民間産業から労働者支配と分断=団結破壊のために導入されたものです。

【O】

 世界金融恐慌情勢が日々進展する中で、大変重要な学習会でした。
  生産手段の私的所有と労働力の商品化を、労働者の団結した力でひっくり返す。そのことが現実的だからこそ、こうした基礎的な学習が一層重要になっているのだと思います。

【H】

 都労連の秋期闘争=賃金闘争が開始される中での『賃金・価格・利潤』の学習は有意義なものでした。国の人勧がゼロ回答だったので、都人勧もゼロかマイナスだろう。インフレ下の中で実質的な賃下げになろうとしている。一律大幅賃上げは、労働者階級の本音の声だ。また、許せないことは、給料表をめぐって分断がもちこまれようとしていることだ。一つは、現業賃金15%のダウン、もう一つは、教員への新級導入だ。都労連の団結を破壊することが目的である。都労連指導部は、ストライキを配置して「当局に決断を求めていく」という言い方をしている。しかし、「公務員バッシングの中でストはできない」というのが指導部の本音だ。この連中が、4者・4団体路線の共闘組織の中心になっている。こうした連中を許さず、断固ストライキを実現したい。それは可能であるし、労働者階級の支持も絶対に獲得できると思う。
  11・2労働者集会に多くの都労連労働者を決起させ、その力でストライキを実現する。現場は、怒りに満ちているんだ!

【J】

 これまで『賃金・価格・利潤』を読んでも、何が核心か、実はよくわかってなかった。『賃労働と資本』や『共産党宣言』の方がわかりやすいので、基本的に学習会を主催するときは、もっぱらその2つをやっていた。
  しかし、今回『賃金・価格・利潤』をやってみて、今の時代、非常に重要な古典であると感じた。『賃金・価格・利潤』に書かれているのは、賃金闘争問題と、そこにおける組合論じゃないか。この大恐慌時代、賃金問題は、我々革命派以外ふれることのできないものになっていく。なぜなら、賃上げ=革命となっていくから。この中で、闘えない組合指導部と対決し、革命の団結をつくっていくものとして、労働組合を再生することが待ったなしに問われている。その時、『賃金・価格・利潤』は非常に強い武器になると思った。
  11・2は、スローガンの1つに大幅賃上げを掲げている。『賃金・価格・利潤』の内容で武装し、なんとしても11・2集会1万人結集を実現しよう!!

【S】

 講義で提起された「賃金」闘争の正しい、革命的な闘い方について。目下「一律大幅賃上げ」が多くのメンバーからも支持されておりましたが。
  「労働者が資本と非和解であることをつかみ、…究極の目的に向けて自己形成をしてゆく」ためにも、賃金要求は機械的・固定的に常に一律であることも間違いだと思います。
  動労千葉の「反合・運転保安」の闘いも、だから正しく鋭い「賃闘」になっているのだと今日の学習で思いました。

【e】

 「資本主義のもとでのあらゆる賃金は、労働者の分断攻撃である」(中野洋前動労千葉委員長)。このことを明確に掲げた賃金闘争論が求められているし、95年日経連プロジェクト報告への階級的な回答でもある。同時に、左派も含めた体制内労働運動の賃金論(平等な賃金要求)に対する革命的な批判だ。
  「4者・4団体」は、労働組合と労働運動を資本の搾取制度のもとにつなぎとめるものだ。しかし、それは現実に、青年労働者に分断と競争と戦争を押しつけるものになっている。国労をはじめとする彼らの労働運動の破産を理論的に明確にするチャンスが到来している。それは、マルクス主義を復権した賃金論と「解雇させない」労働運動の再生にある。
  提起者のまとめにもあるが、「一律大幅賃上げ」のスローガンも、労働者の階級的団結を固める観点から宣伝し、組織化するということがなければならないと思う。そして、非正規職撤廃!というスローガンを発展させなくては、「一律大幅賃上げ」を派遣労働者が掲げることはできない。つまり、「派遣の切り捨て解雇をさせない」ということも戦略的スローガンとして掲げることが、搾取制度そのものの廃絶につながるのではないか−。

【G】

 「賃金制度の廃止!」をあらためて自分のスローガンとして確立することができた。生産力はこれだけ発達しているのに、「生理的中断」の時間さえ奪われ、働いても食っていけない賃金。何なんだこれは! 「社会の発展」という。だが、そうならなぜ、「自由な時間」はかぎりなく奪われていくのか。「生きる時間」を売ってしか生存できない奴隷制。この制度がついに大崩壊をはじめた。今こそ弱体化した敵から真の自由をもぎりとる時だ。「一律大幅賃上げ」−分断としての賃金をぶっ飛ばすために。「超勤拒否」−資本の矛盾を暴き、団結の自由を拡大するために。「ストライキ」−資本の支配から自由な時間をもぎりとるために。すべては人間解放、あくなき自由へのさけびでもある。最も自由を奪われ、最も苦しめられている労働者階級(私もその一員である!)こそが、この無限の自由を解き放つ主体でもあるのだ。「やっちゃっていいんだ。やっちまおう」−11・2労働者集会に向け、文字通り自己解放的に取り組んでいきたい。

【R】

 「賃金」は分断。されど「賃金(闘争)」は、革命。11・2のよびかけ、「一律大幅賃上げ、非正規職撤廃」というのは、マルクス主義の実現の今日的実践だという確信が、本学習会で深まったと思います。
  革命というのは、やはりコペルニクス的転回なわけで、資本主義社会の矛盾や危機というものは、新しい社会の到来であること。そして、資本主義がなぜダメなのかは、労働者=賃金奴隷の存在から明らかであること。これらのことが、現実の姿として、ハッキリしていく日々だと思います。
  何か理想的な賃金制度や要求があるのではなく、賃金制度そのものの廃止=私有財産制度の廃止を明確な現実的課題にしていくこと。その度合いに応じて、団結が進むし、団結が進めば、その度合いも深まると思います。
  いずれにせよ、今こそ11・2だ、というのが結論ではないでしょうか。マルクスの『賃金・価格・利潤』と11・2方針がダイレクトに結合する学習会だったと思います。
  なお、「資本主義は終わりだ」連続学習会というのも企画したらいいのではと思うのですが。つまり、「次は何か」と明確にテーマをつくって学習会をやっていくというのはどうでしょう。(資本主義を打倒したら「○○○」「△△△」いいことがある、人間が変わる、というようなことでしょうか。)

【C】

 レジュメp7の「自由にできる時間がなければ人間的発展はない」の部分が印象的であった。超勤拒否やストライキをやって労働者の顔がイキイキとしているのは、団結する時間、闘う時間を資本からもぎり取った解放感なんだ。
  10・17はデモの時間は3コマの授業だ。大学当局から3コマの授業を学生が闘う時間、団結する時間としてもぎり取っていく闘いを組織していきたい。

【f】

 「賃金は分断と支配の道具である」−というふうに自分の地区の労働学校で提起がなされた時、参加していた労働者から「違和感がある」というような感想が出された。職能組合的に組織された労働者からすれば、「能力・技術に応じた賃金を受けとって何が悪い」ということになるのであろう。
  しかし、そういう労働者の意識自体が、資本の分断支配によって形成されたものだということを決して忘れてはならない。「一律大幅賃上げ」という11・2のスローガンは、賃金を分断のための武器として使う資本に対する、カウンターパンチとなる。
  さらにこれは、今の資本が決してのめない要求だから、革命のスローガンになる。「俺が働いた分を全て、お前たちは支払え」ということだから、資本のための労働、あるいは資本のために奪われた自分の全存在を全て奪い返すということにもなるのではないか。

【P】

1)前回と今回とおして、非常にまとまったレジュメ(講義内容)が出されたと思います。この点は意見でも述べましたが、講師の整理してくれた各節の最初のまとめ、結論だけをおっていっても、それ自身職場での討議ができるリーフレットのようになっており、これは徹底的に活用し、11・2、そして09春闘に向けた武器にしていくということだと思います。
2)その上で、マルクスが一番言いたかったことは何か。結局、鍵は現場生産点における資本との闘いであるということ。これをもっと言えば、ある同志が指摘したとおり、「賃金闘争」の決定的重大性ということです。ここでの攻防を離れ(放棄し)て、何か他に闘いがあるかのように考えることは誤りであり、「賃金こそ最大の労働者の分断、団結破壊」の攻撃であるならば、ここで闘い、逆に労働者の団結をうち固めていく=労働組合を強力によみがえらせていく、ここに圧倒的確信をもって闘おうということだと思います。そしてその際、労賃の限界の最大の要因は、その生理的限界=まさに労働者階級の生存そのものに関わる点、これは、これもある同志が鋭く指摘したとおり、“労働日”“労働時間の問題”含めてそうだということを真正面からはっきりさせて闘うということだと思う。
3)そういう意味で、『賃金・価格・利潤』をわれわれの最大の力、武器に現実にしていく度合いに応じて、階級的労働運動の白熱的実践はあるんだと思います。今回後半に臨むにあたって、『俺たちは鉄路に生きる2』の第4章を読み返してみました。それとレーニンの『共産主義における「左翼空論主義」』を読み返してみて、非常にシンプルでかつ明解な労働者観、労働組合観をわれわれ自身、もっと大胆に徹底的におし出し、実践していく、この大きさを実感しました。同時に、そういう闘いそのものが、レーニンを継承し、動労千葉型労働運動を自分の所で始めていくということだと思います。
4)そしてそれゆえ、現在の「4者・4団体」との対決の最大の核心的テーマ、「4者・4団体」の最大の問題は、戦後日本労働運動の階級的魂や誇りを、労働組合、国鉄闘争、1047名をもって投げ捨てる所にあり、絶対に許されないということです。そしてこれは同時に、われわれがその全てにわたって本物の継承者、発展者として歴史の前面に躍り出るということ。11・2集会1万を絶対に実現することを突破口に、断固やりましょう。

【h】

 『賃金・価格・利潤』後半は、原文を8割読んで臨んだが、それでもスピードについていけなかった。提起者の言っている事は、なんとなく理解できますが、では何を得たのかと言えばよくわからないので、レポート作成も苦痛です。
  討論でG同志が言っていた“時間をよこせ”っていう点は、なるほどと思った。生きさせろ(賃上げ)ストライキの中には、労働者が生きていくうえで単に賃上げしろ、という要求として出すにとどまらず、ましてや戦術論という問題でもなく、ストライキで人間らしく生きていくための全てを奪い返すという根源的な、革命的な要求である事がイメージできた。あと、ロマンチストという論議も、学生相手にアジやるときに自分が抜けてた点だと思い、反省。
  前半をやり直して、というかちゃんとやって、もう一度レジュメの勉強をし直します。

【Y】

 『賃金・価格・利潤』には、マルクスの実践的革命家としての路線が流れていると思います。賃金闘争を否定するウェストンと真っ向路線勝負をしていて、今日の動労千葉のような労働者魂を見ることができます。
  賃金とは、資本主義社会を解剖することができるテーマであり、労働者が実際には生産の担い手となりながらも、その全成果を奪われ、ほんの少しのおこぼれとしての生命維持(繁殖も含め)費としての賃金しか得ることができない。こうした搾取と収奪の秘密を暴いて、労働者がこの社会を担っていくことができるんだ、管理できるんだ、という自己解放性を発揮していくことのできる大テーマが賃金闘争であり、また、それを実践するための労働組合への組織化を提起したものだと思います。特に、この労働組合の役割を革命と一体で、その実践的水路として提起したことが、マルクスの革命家としての真髄を発揮していると思います。

【d】

 労働現場で徹底的に分断されている労働者の要求を統一するためには、旧総評型、連合型の分断に屈服した「賃上げ」闘争ではなく、職種、所属、年齢の違いを越えた「一律大幅賃上げ」スローガンが唯一有効である。「生きていけるだけの」賃金額に到達するには個人差があるのは当然で、分断を打破して団結を実現するための絶対的な要求である。
  その上で、現実に労働者が分断されているため、具体的な闘争スローガンは現場にマッチしたものでなければならない。「派遣の雇い止め反対!」も「正社員との格差是正、同一労働・同一賃金」も、資本に対する有効な闘争スローガンとなるなら、その現場では革命的スローガンだ。動労千葉の「大スコ闘争」のように、労働者から「うけて」やる気を引き起こすスローガンをさらに追求しよう。
  金融大恐慌のもと、金融業・証券業と倒産・破綻が広がっている。製造業への波及は目前である。派遣の雇い止めに対しては職場占拠をはじめとする「生きさせろ!」の実力闘争で団結を拡大し、職場支配権の奪取→革命へと突き進もう。

【W】

 今回は、賃金闘争について考えを新たにした。今、われわれが提起している「生きさせろ、賃上げゼネスト」が、マルクスの提起とこれほど合致していたのかと感じたからです。討論もよかった。G同志が労働日の短縮について訴えた。L同志の「今の労働者は1・5時間働けば十分だ」にも、心をうたれた。
  また、「自由にできる時間がなければ人間的発展はない」というのも、その通りだ。
  賃金闘争というのは「しょせん体制内のたたかい」的な感じを1年位前まで持っていた。「資本は、搾取の限界を自分で設定するような合理的行動などとれない」「賃金闘争を闘う中で労働者は労働者階級と資本との利害が非和解であることをつかみ、賃金制度の廃止という究極の目的に向けて、自己解放能力を形成していく」のだ。「労働者が生きられるように資本主義をきちんと運営しろ」という要求から、「オレたちに権力をよこせ」のイデオロギーに転換してきた。
  今こそ、塩川一派の反動的イデオロギーと対決して、マルクス主義の実践で11・2の爆発へ、と感じた。

【D】

 私たちが生きている資本主義の社会の構造を、労働者の側からひっくり返していく方向(闘い方)含めて出しているのが、この本だと思った。
  働けば働くほど資本主義を生きながらえさせ、自らをみじめな存在におとしめていくからくりが「賃金」の中でつかんでいける。搾取されていること自体が隠されている(資本家と労働者の本当の関係を覆い隠している)。そのことを暴き出していくのが賃金闘争である。そして、それを闘う中で、「労働者階級は、資本との非和解の関係をつかみ、賃金制度の廃止という究極の目的に向けて自己解放能力を形成していく」
  提起の中で、社会主義協会派との党派闘争の話が出たが、まったくそのとおりだと思う。労働者階級が社会変革(自己解放)の主体ではなく、救済の対象であるとされている。資本主義社会を永遠の存在と前提化している。また、労働組合の役割も全く異なる。「4者・4団体」問題での対決で今日はっきりここがぶつかっていると思うが、何より、我々自身が「党の革命」を経て、階級の党として立ったことと、時代情勢(資本主義の終わりの始まり)ということに真正面から向き合うことで、可能になったのではないか。それと、動労千葉労働運動→それとして党として闘ってきたものではあるけれど、動労千葉労働運動の中で労働者自身が原則的に闘いぬいてくる中で、今日のあらためてのマルクス主義の復権があるのではないか‥と思いました。
  文献そのものが、ものすごく新鮮です。私のところでも、この立場に立って闘いはじめています。党学校での話をしたところ、自分も失業中の同志がハローワークで失業中の労働者に、11・2へ向かってビラをまきました。「失業しているのは労働者が悪いのではない!」「生きていくために仕事をよこせ!」というビラが真剣に読まれています。みんな、この立場に立ったら、いろんなことを考えて決起しています。

【L】

 賃金闘争の重要性があらためて明白になった。29年恐慌をはるかにこえる世界大恐慌の到来は、いよいよ実体経済へ波及を急速度で強めている。とりわけ最弱の環・日帝は、帝国主義の中で最も株価を下げ、その脆弱性をあらわにしている。首切り、リストラ、賃下げが嵐のように襲いかかる時代の渦中に入った。こうした中、「生きさせろ」「大幅賃上げ」の要求は必然的であるとともに、我々以外それを正しく発展させることはできない。「労働者を生きさせることの出来ない資本主義は終わった」「社会は労働者が動かすことが出来る」「権力をよこせ」という立場での賃金闘争以外、賃金闘争が成り立たない。
  賃金闘争は解雇を許さない闘いと一体である。「解雇許すな」「生きさせろ」「大幅賃上げ」は「パンと平和」のスローガンと同様、革命のスローガンだ。
  資本と労働者の非和解性は、説明の段階ではなく現実だ。生産点における資本との対決、ここに一切がある。
  「労働者階級の経済的解放が大目的であり、あらゆる政治運動は手段としてこの目的に従属すべきものである」(「国際労働者協会規約前文」)
  階級的労働運動路線に一切をかけ闘うトキであると、つくづく思う。

【M】

 世界的金融大恐慌がまさに眼前で展開されている。資本主義制度の下で労働者を搾取してきた剰余価値を投機にまわし、この間大儲けをしてきた巨大資本が、サブプライムローンの破綻で次々に大破産している。しかも、その底は見えない。そういう中にあって、支配階級である資本家階級は、そのつけを全て労働者階級に負わせようとしている。公的資金の注入がそれだ。
  巨大資本家たちは、今まで労働現場を正規、非正規、派遣など、様々に分断支配し、労働者を無権利状態に追いやる中で、徹底的に賃金を削り取り、自らかつてない「利益」を上げてきた。その彼らが、今度はこの金融恐慌の中で、無権利状態に追いやってきた派遣労働者から次々に首切り、雇い止めを始めている。社会的生産力はかつてないほどにあるはずなのに、膨大な労働者が生きていくことさえ難しい局面にある。
  この根本的原因が、賃労働と資本の交換関係として成り立っている資本制的生産にあることをハッキリさせ、このような資本主義的あり方をぶっ飛ばしていく闘いが、今こそ必要になっている。そのためにも、『賃金・価格・利潤』の提起をしっかりと受けとめ、闘っていくことが必要だ。
  そもそも労働力の価値と労働力の使用の落差として生まれた価値を資本家階級に奪い取られ、その価値の力が労働者に襲いかかってくるこの現実をなんとしても突破しよう。

【F】

 人間・労働者は、歴史的に自らの労働で自らに必要な生産物以上の生産物(剰余生産物)をつくり出してきた。階級社会は、この剰余労働(剰余生産物)の搾取のあり方として発展してきた。資本主義社会では、資本家が労働力の商品化(賃金労働)をとおして、労働者の剰余労働を搾取しているのです。
  賃金労働者は労働力を行使し、目的をもって材料を加工します。同時に、生産手段の価値を生産物に移しつつ、生産物に労働(量)をつけ加えています。
  商品の価値は(結果から見ると)次のように表されます。
  商品の価値(w)=生産手段の価値(c)+労働力の価値(v)+剰余価値(m)
  ここで労働力の価値vは、あたかも剰余価値mを含んだ労働の価格(賃金)として現れているのです。資本家から見れば、投下資本はc+vであり、この資本から利潤p(mの転化)が得られるように見えるのです。資本家の利潤は、商品をその価値どおりに売ることによって得られます。
  この産業資本の利潤が、銀行の利子生み資本に、そして地代に分解するのです。現実の資本の蓄積において、生産力の発展とともに、搾取率は上がるが、利潤率は傾向的に下がります。ここに資本の運動(好況−恐慌−不況)の根拠があります。
  資本家は生産力を増大して、大量生産を実現し、利潤を得ようとします。労働者の身体を極限的に酷使する(搾取そのもの)のです。また、資本の運動は、絶えず労働者の賃金を切り下げ、首を切る方向に働くのです。だから、労働者は、自らの生活を維持するために、労働組合を拠点にして、賃上げ闘争をしなければならない。その闘争は、労働者階級の究極的解放の立場から闘うことで、はじめて賃上げ−自らの解放(労働日の短縮)を勝ち取ることができるのです。
  11・2労働者集会に結集しよう!
  討論は現場の息吹きが伝わってよかった。
  なお、現代帝国主義の労働者は軍需生産をしているのですが、当該の労働組合が、どう軍需生産の拒否と闘っていくのか、現場の声を聞けたらと思っています。

【Q】

 マルクスが賃金闘争の決定的意義に着目したこと自体が、極めて大事であることを改めて鮮明にする報告でした。したがって同時に、革命派が労働組合の中に細胞をつくり、資本と激突する拠点をうち立てていくことの決定的な意義も突き出されている。
  危機の時代(現在)において、労働者は、まさに生きるために500円とか1000円の問題で切実に日々格闘しているわけですが、この問題でいったん資本との激突を開始した瞬間、労働者とはどういう存在なのかという根本問題に直面せざるをえない。この激突点においてこそ、ありとあらゆる政治的衝突の本質をまさに階級的に理解できるのである。
  実践的な問題意識を大いに刺激された。

【I】

 『賃労働と資本』冒頭エンゲルスの序文で言っている労働の価値と労働力の価値の問題と一体のものとして読みました。
  賃金=労働力の価値であって労働の価値ではない。しかし、この賃金=労働の対価という考え方こそが、資本家が利潤をあげる上で決定的なイデオロギーとなっている。このまやかしをひっくり返すことなしには、労働者の階級意識は形成できないということを、ウェストンとの論争をとおしてマルクスは言っているのだと思います。
  したがって、賃金問題を考える上での根本的な路線対立がある。体制内が主張する「会社あっての労働者」の根本には、賃金=労働の対価というブルジョア思想がある。これに対して、われわれが「生きていけるだけの賃金よこせ」とする賃金闘争論は、賃金=労働力の再生産費であり、その再生産費すらも支払えないブルジョアジーの矛盾と弱点を突いた闘いである。文字通り革命のスローガンであり、社会主義の要求だと思う。

【r】

 今回は討論がとくに充実していたように思いました。それは、職場での実践や経験が積み重ねられてきているからだと思う。
  さて、今回ピーンと来たことがあります。それは、レジュメの14ページの「『賃金・価格・利潤』で行ったマルクスの決議案の中身は、第1インターの綱領的文書である『労働組合、その過去・現在・未来』の中に全面的に取り入れられた。マルクスのウェストンに対する路線闘争は、こうした形で結実した」というところです。これはさりげなく言われているのですが、『賃金・価格・利潤』をとらえる上で、あるいは学習する上でとても大切なところではないでしょうか。つまり、『賃金・価格・利潤』とは、@『資本論』第1巻をつうじて価値論(労働者が資本に売るものは労働ではなく労働力)を確立していたマルクスが、A「賃上げ闘争なんかやっても意味ない」と第1インター内において典型的にかつ影響力をもって主張していたウェストンを論戦的・科学的に壊滅的に批判することをつうじて、B賃上げ闘争は労働者にとって大切な闘いであり、Cその武器となるのが労働組合であり、Dしかも労働組合は労働者階級の完全解放にとっても決定的武器である、と主張したものである、ということです。この闘いなくして、翌1865年に『労働組合、その過去・現在・未来』が第1インターの第1回大会で採択されることもなかったでしょう。と考えると、マルクスの『賃金・価格・利潤』での闘いはきわめて大きな意義をもっているということです。そしてマルクスは、『賃金・価格・利潤』の結論や『労働組合、その過去・現在・未来』でマルクス主義のきわめて根本的な事柄を指摘していると思います。私たちが階級的労働運動路線を取っている今、それは身にしみて理解できるところではないでしょうか。つまり―
「労働組合は、資本の侵略にたいする抗争の中心としては、りっぱに作用する……〔しかし労働組合が〕現行制度の結果にたいするゲリラ戦に専念して、それを同時に現行制度を変化させようとしないならば、その組織された力を労働者階級の究極的解放すなわち賃金制度の究極的廃止のためのテコとして使用しないならば、一般的に失敗する」(「14節 資本と労働との闘争とその結果」)
「労働組合は……いまや、労働者階級の中心組織たることを意識して、労働者階級の完全解放という大利益において行動することを学ばねばならぬ」(「c その未来」)

【A】

 「ほどほどに食わせて、明日も働かせるようにする。これが賃金の基本だ」(中野洋著『甦る労働組合』)。つまり、最低でも資本家階級は、労働者に飯を食わせなければいけない。しかし資本主義は、もう労働者を食わせることができなくなった。「資本主義は命脈が尽きて、社会の発展にとって桎梏になった」
  労働者を食わせていけないのはお前らのやり方が悪いんだから、俺たちが代わってやるという気概をもつことだ。だから、この体制は打倒しなければならない。
  『賃金・価格・利潤』は、マルクス主義の真髄をあらわしている決定的な書だと思う。講師の語った、賃金という形態、資本家と労働者の本当の関係を覆い隠し、労働の報酬という形をとる。先にお金を払うと、労働者はお金をもらってどこかに行ってしまう。それを防ごうと思ったら、原材料・機械を買って倉庫に入れて鍵をかけておくように、労働力を確実に使おうとしたら、人間をどこかに閉じ込めておくしかない。資本主義の始まりは、そんなところから始まる。それができないから、労働した後に払うという形をとる。資本家階級と労働者階級は、こういう関係なのだ。中野さんと岩井章の対談の本にあったが「岩井さんがイギリスの労働運動にふれて『階級的労働運動などという教育はなかったにも関わらず、あいつら(資本家階級)と俺たち(労働者階級)とは違う』のである…労働組合幹部はこの感覚が希薄になっているか、ゼロである」。昔、イギリスのポップ歌手のインタビューで「俺は労働者階級出身だ」というのを聞いて驚いたことがある。
  討論であったが、今の世界恐慌下で、労働者が日々生きていく要求と、革命の要求が限りなく近くなっているという時代基調に踏まえ、労働者階級が圧倒的多数であること、その団結が、資本家階級を打倒する力をもっているということ。だから、資本家階級ブルジョアジーは常に労働者の団結を破壊しようと攻撃してくる。賃金は分断攻撃であることをはっきりさせよう。分断されているから、団結を回復する。大幅賃上げは、労働者の階級的団結をつくり上げるためだ。
  労働者は、「公正な1日の労働にたいする公正な1日の賃金!」という保守的な標語の代わりに、「賃金制度の廃止!」という革命的なスローガンをその旗に書き記さなければならない。「賃金制度の廃止」は、労働者階級の革命的事業であると同時に、全人民の解放の課題なのだ。「労働者階級の経済的解放が大目的であり、あらゆる政治運動は手段としてこの目的に従属すべきものである」
  だから、労働者の団結をつくり上げていくことが、力関係を転換し、賃金制度そのものを廃止していく、基軸的な闘いであると明確に言える。賃金は分断攻撃であることをはっきりさせよう。分断されているから、団結を回復する。大幅賃上げは、労働者の階級的団結をつくり上げるためだ。
  『賃金・価格・利潤』を体現してきた動労千葉労働運動の存在の大きさと生きた実践がここにある。動労千葉の闘い・その現実。今こそ、「労働運動の力で革命を!」

【t】

 提起と討論を通して、賃金闘争論の意義が非常に鮮明になった。自分は、マルクスが言う「ゲリラ戦だけでなく、『賃金制度の廃止のために』…」について、「賃金闘争それ自身は改良闘争だが、革命のために位置づける」というように分裂的にとらえる傾向にあったと思う。やはり核心は、賃金闘争によって分断攻撃を粉砕し、資本を粉砕する団結をつくり上げることだ。「4者・4団体」派との対決の中で、我々はついに、この決定的領域での主流派になる闘いを始めたのだ。大恐慌情勢において、実に大きい。
  「同一労働・同一賃金」スローガンをどうとらえるか、はよくわかりました。徹底的に分断を乗り越えることを総括軸に、固定的でなく職場に即したスローガンをつくり出すことだと思いました。
  資本との闘いの軸点である職場生産点で、とことんやり合い、団結をつくり出すことが、革命への王道だ。来春闘へ闘おう!

【g】

 「資本制生産の一般的傾向は、賃金の平均水準を高めるのではなく、低めることにある」「労働の価格について資本家と争う必要は、自分を商品として売らなければならない彼らの状態に内在するものだ」という結論的な提起は改めて重要。
  資本主義は労働力の再生産を保証できなければ社会として成立しないが、しかし、労働者が「生きさせろ!」の闘いを貫かない限り、労働者階級は絶滅させられてしまう。そして今、私たちが目の前にしている世界大恐慌突入下での資本による攻撃は、まさにそういう「ひとつの社会が崩壊してでも資本を救済する」という質のものとしてある、ということだと思う。ここをハッキリとおさえることが「一律大幅賃上げ要求」のスローガンの革命的な意義だと思う。ここに4大産別を始めとした組織労働者の体制内との激突−「4者・4団体」路線との激突の中身があるし、2000万の青年労働者の怒りと結合していくカギがあると思う。
  さらに、「もし彼らが、資本との日常闘争において卑怯にも退却するならば、彼らはそもそももっと大きな運動を起こすための能力を失うであろう」というマルクスの言葉も決定的。やはり、講師も言っていたように、賃金闘争など日常的な資本とのゲリラ戦は、階級的団結をいっさいの総括軸にすえていく、ということだと思うし、具体的な賃金闘争のスローガンも、そこをすえた時におのずから生まれてくる、ということ。
  「一律大幅賃上げ」要求とは、一つには、資本と賃労働との非和解性をハッキリと突き出し、労働者の資本への怒りを叩きつけるものであると同時に、公務員労働者と民間労働者、正規と非正規などあらゆる「賃金による分断」をのりこえて階級的団結を組織していく「もっともっと大きな運動を起こすための能力」を自らのものにしていくスローガンだ、ということだと思う。