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2008年10月号

党学校通信

党学校機関紙 A4判月1回発行 頒価100円

今月の内容 マルクス『賃金・価格・利潤』(上)

前半講義概要 P1-8

★討論から- P9-14

受講レポート P14-24

2008年10月号
通信 バックナンバー
党学校通信 p1-8  講義概要

第9期第6回 マルクス『賃金・価格・利潤』(上)

前半講義概要 講師 岩谷 芳之 

●全世界でストライキが激発する情勢

 『賃金・価格・利潤』の冒頭には、「いまや大陸では、ストライキという真の流行病と、労賃の値上げを要求する一般的な叫びとが蔓延している。この問題はわれわれの大会にもち出されるであろう。国際労働者協会の首脳部である諸君は、この重要問題について確固たる定見を持っているべきである」と述べられている。
  これは、全世界で賃上げストライキが激発する今日の情勢とまったく同じです。今日のわれわれには、「この重要問題について確固たる定見を持つ」にとどまらず、全世界の労働者と連帯し、日本においてゼネラルストライキを実現できる勢力へと急速に飛躍することが鋭く問われている。

●労働組合は賃金制度の最終的廃止のために闘う存在

 『賃金・価格・利潤』は、マルクスが労働者階級の基礎的団結体である労働組合の任務と、賃金闘争について、真正面から論じた書物です。マルクスは、本書の結論として、次のように言っている。
  「労働組合は、資本の侵害に対する抵抗の中心として大いに役立つ。労働組合は、その力を正しく使わなければ部分的に失敗する。労働組合は、現在の制度の結果に対するゲリラ戦的抵抗だけに自己を限定して、それと同時に現在の制度そのものを変える努力をせず、その組織された力を労働者階級の究極的解放すなわち賃金制度の最終的廃止のためのテコとして使わないならば、全面的に失敗する」
  つまり、@賃金闘争を始めとした資本との日常的攻防戦の不断の貫徹、A賃金制度の廃止−労働者階級の究極的解放に向けた闘い、を一個二重のものとして闘いぬくことが労働組合の任務だということです。
  ここには、塩川一派が言うような「労働組合はもっぱら賃金闘争を行う組織、革命運動は革命党がやること」などという労働組合観は少しもない。労働者階級の解放は、私有財産制の廃止=賃金制度の廃止によってしか実現されない以上、労働者階級の基礎的団結体で、「資本の侵害に対する抵抗の中心」である労働組合が、賃金制度の廃止のために闘うのは当然です。
  動労千葉は『俺たちは鉄路に生きる3』で「『労働者が革命を起こして、お前たちに引導を渡してやる。労働者に権力をよこせ』という立場を持ってこそ、労働運動が前進していく時代が到来した」と述べている。これは、マルクスが『賃金・価格・利潤』で提起したことそのものです。
  労働組合という形で組織された労働者の力を、賃金制度の最終的廃止のためのテコとして使わないような労働組合は、「全面的に失敗する」とマルクスは鋭く言っている。
  同時に、資本との日常的攻防を死活的に貫かなければ、労働者の究極的な勝利をかちとることはできない。マルクスは「もし彼ら(労働者階級)が、資本との日常闘争において卑怯にも退却するならば、彼らは、そもそももっと大きな運動を起こすための能力を失うであろう」と述べている。

●「資本との日常的攻防戦」と「賃金制度の廃止に向けた闘い」の一個二重性

 「資本との日常的攻防戦」と「賃金制度の廃止に向けた闘い」はそれぞれ別個のものとしてあるわけではない。労働者階級は資本と全面的・非和解的対立関係にあるわけだから、資本とのあらゆる闘いの中に「賃金制度の廃止に向けた闘い」がはらまれている。この両者を切断し、「賃上げ闘争は資本主義を前提に、あくまで資本主義の枠内で労働者の生活向上をめざすもの」であるとしてきたのが、体制内労働運動です。しかし、「資本主義の枠内での賃上げ闘争」では、労働者の根底的な怒りを結集することも、労働者の真の団結を打ち固めることもできない。むしろ、今日の情勢の中では、そうした立場で賃金闘争を闘うこと自身、不可能であることを、屈服を深める体制内労働運動の現実が示している。
  賃金闘争という領域を、もはや体制内労働運動に明け渡しておくことはできない。「資本との日常的攻防戦」(賃上げ闘争、賃下げ阻止闘争)を、その勝利のために全力で闘うことが、労働者の階級的団結を打ち固めることになるのです。

●「生きさせろ!」の賃上げゼネストを

 11・2労働者集会は、「09春闘勝利・大幅賃上げ獲得!」「怒りのストライキで、貧困と『格差』を強制する資本家たちの支配を倒そう!」というスローガンを真っ向から掲げて闘われます。大恐慌と大インフレが労働者を襲い、失業攻撃が本格化する中で、「生きさせろ」の賃上げゼネストを実現することは、労働者階級の切実な要求になっている。11・2労働者集会1万人結集は、文字どおり、労働者階級の未来を決する闘いです。
  これは、われわれにすさまじい飛躍を突きつけている。賃金に影響を持てるような勢力へと、急速に自らを飛躍させなければならない。それは今の情勢では、ゼネストを実現できるような存在になることと、ほとんど同義です。
  他方で、その条件は満ちている。リーマン・ブラザーズの破綻をきっかけに、世界金融大恐慌はついに本格的段階に突入した。これが、1929年の大恐慌にも増して激烈なものになることは明らかです。この事態の根本にあるのは、帝国主義の最後の延命策としての新自由主義攻撃が、根底から破産したということ。資本主義はついに終わりの時を迎えている。
  大恐慌と大インフレが同時に激発する今日の状況は、かつてない事態です。それは、基軸通貨としてのドルの没落=ドル体制の崩壊ということによって規定されている。ドルに取って代わる通貨は、存在しない。
  大恐慌の中で、労働者に対する首切り攻撃も始まった。トヨタは、デンソー、関東自動車工業など下請け会社で派遣社員・期間従業員を約2300人削減しただけでなく、本体でも、この半年間に約2000人(全体の2割)を削減した。公務員に対しては、大阪府知事・橋下を先頭に、激しい賃下げ・首切りの攻撃が襲いかかっている。
  小泉構造改革以来、非正規雇用化の攻撃が急速に進められた結果、「かつての不況期と比べても、日本経済は、不況と企業収益悪化が、即、非正規雇用のリストラに集中する構図に変わってきている」(日経)。大失業攻撃はこれからますます本格化していく。
  他方で、インフレによる生活破壊も、激しく進もうとしている。総務省が発表した7月の物価統計では、食パンが前年同月比20%、ガソリンは同29%上昇している。労働者の生活必需品は、大きく値上がりしているのです。
  しかし、これはまだほんの序の口にすぎない。2000年と比べて、国際市場で原油は5・2倍、鉄鉱石は4・9倍、石炭は7・7倍に騰貴している。資本家の感覚からすれば、こうした資源価格の高騰は、まだほとんど労働者階級に転嫁できていない。電気・ガス等の公共料金が大幅に引き上げられれば、労働者がさらなる生活苦にたたき込まれることは避けられない。

●労働者からの強搾取で膨大な利潤を上げてきた資本

 マルクスは、「資本と労働者の闘争によって賃金の大きさは決まる」と述べている。資本は文字どおり、労働者の賃金を引き下げることで、この間の「好況」を維持してきた。労働者の生活実態を正確に反映するとは言えない官庁統計にも、それは反映されている。
  財務省の法人企業統計調査によれば、労働者の平均給与は97年の391万円から、07年には306万円に引き下げられた。他方で企業の配当金は、97年の4兆2千億円が06年には16兆2千億円に、社内留保は98年に5兆7千億円の赤字だったものが、07年には14兆円にまで膨れあがっている。
  ついに始まった世界金融恐慌のただ中で、どんなにわずかな利潤をも手放したくない資本家どもが、これまで以上の賃下げ攻撃に乗り出してくることは不可避です。「生きさせろ」の賃上げゼネストは、まさしく労働者階級の切実な要求になっている。

●体制内労働運動の打倒を

 そのために必要なのは、体制内労働運動を打倒することです。日本帝国主義が経済においても政治体制においても根底的に破産を突きつけられているにもかかわらず、その最後の支柱になっているのが体制内労働運動です。
  労働者が、本気で資本に賃上げを要求し、ストも辞さずに闘おうとすれば、既成指導部は直ちに徹底した抑圧に出てくる。これとの闘いは、労働運動の階級的再生にとって根本的なテーマをなしている。
  しかも、国鉄1047名闘争をめぐる4者・4団体路線が象徴しているように、今日、体制内の支柱としてわれわれの目の前に立ちはだかっているのは、戦後労働運動の中で相対的に左に位置した勢力です。彼らは、今やその本質を急速にあらわにして、反動へと転落している。しかし、「昨日の友は今日の敵」となるのが革命情勢ということです。われわれは、このすさまじい接近戦に勝ち抜かなければならない。そして、そこでの勝利が、間違いなく巨大な階級的高揚を切り開く時代が来たのです。

●第1インターの綱領をめぐる路線闘争

 こうした状況にあって、『賃金・価格・利潤』を問題にする意味はどこにあるのか。
  『賃金・価格・利潤』は、1865年6月の第1インターナショナル中央評議会(ロンドン)で行われたマルクスの講演です。その前年に結成された第1インターの綱領や規約をめぐる討論がなされる中で、この時の中央評議会でウェストンは、次のような問題を討議に付すことを求めた。
  @一般に、賃金を高くするという方法によって労働者階級の社会的・物質的幸福は増大されるか
  Aある業種で賃上げが行われれば、その結果、他の産業に悪影響を及ぼすのではないか(他の業種または産業の労働者の賃金が下げられることになるのではないか。したがって労働者階級の不団結・分裂を促進する)
  このウェストンの主張は、けっして「取るに足らない」ものではなかった。ウェストンは、第1インターの綱領起草委員会を構成した3人の1人で、イギリスを代表するかたちで自分の作成した綱領案を提出した人です。だから、イギリスの労働運動指導者の中で、それなりの位置を持っていた人物です。
  確かに、イギリスの労働運動の実践家たちの中で、ウェストンのようにあからさまに「賃上げ闘争否定論」「労働組合有害論」を唱える人が多数派だったとは言えない。しかし、古典派経済学の「常識」や空想的社会主義と結びついたウェストンの主張に真っ向から反論することは、そうたやすいことではない。その役割を引き受けたマルクスは、第1インター中央評議会で、ウェストンとの論争という形をとって、賃金闘争が労働者の究極的解放にとって不可欠の課題であることを明らかにした。ですから、『賃金・価格・利潤』は、重大な路線対立をはらんだ第1インター中央評議会において、マルクスが行った代表討論と言うべきものです。
  マルクスは、生まれたばかりの労働者の国際的団結が階級性を確立し、存続できるのか否か、つまり労働者が階級的解放に向けて闘いぬけるか否かをかけて、路線闘争を貫いたのです。

●「賃金闘争有害論」との闘争は、今日も労働運動の根本的な課題

 確かにウェストンの論拠は、今日から見れば問題にもならないようなことが多々含まれている。しかし「賃金闘争をしても弾圧を招くだけで、労働者にとって有害無益」というウェストンの結論自体は、どうか。これは、今でも体制内労働運動指導部が絶えず垂れ流している屈服思想です。
  資本は絶えず「賃上げをしても首切りを誘発するだけだ」と言います。体制内労働運動は、こうしたイデオロギーに根本的に屈服している。その根本にあるのは、賃金も雇用も、労働者にとっては運命のように受け入れるほかはない法則によって客観的に決まっているという考え方です。
  こうしたイデオロギーと対決し、実際に職場で賃金闘争を闘うことによって、労働者は労働組合を自らの手に取り戻すことができる。マルクスは、「資本と労働者の闘争によって賃金の大きさは決まる」と言い切りました。この提起は、労働者階級と資本との利害が非和解であること、労働者階級が資本の侵害に対して全力で闘い、自らの生存を全うしつつ、賃金制度の廃止という究極の目的に向けていかに自己解放能力を形成していくかという問題と一体のものとして出されている。
  労働者階級を解放の主体として据えきったからこそ、マルクスは当時、激しく闘われていた労働者階級の賃上げを求めるストライキの中に、革命の現実的な展望を見いだしたのです。

●ウェストンの主張とマルクスの批判

 ウェストンの主張は、要約すると「名目賃金が上がっても物価が上昇するから実質賃金は変わらない」ということ。
  その主張の背後にあったのは、「商品の価格はその商品を生産した労働者の賃金によって決まる」という考え方でした。例えば「賃金を10とし、利潤率を賃金の100%とすれば、資本家は10をつけ加える。地代の率も賃金に対して100%とすれば、さらに10がつけ加えられる。その商品の総価値は30となる」ということです。
  他方でウェストンは、実質賃金を問題にする。実質賃金とは、「支払われた名目賃金で買うことのできる諸商品の量」のこと。それは、諸商品の価格によって変わるから、「実質賃金の大きさは諸商品の価格によって決まる」ということになる。
  つまりウェストンは、一方で「労働の価値が諸商品の価値を決定する」と言い、他方で「諸商品の価値が労働の価値(=賃金)を決定する」と言っている。これでは、商品の価値が何によって決まり、賃金の大きさがどう決まるのかは、まったく不明です。

●商品の価値は何によって決まるか(ここから第6節、本論)

 そこでマルクスは、「商品の価値とは何か」「それはどう決まるのか」という根本問題を提起する。
  一商品の価値・交換価値とは、「その商品が他のすべての商品と交換される量的比率」を意味する。これらの比率は限りなく多様です。
  例えば、1gの小麦の価値は
   1gの小麦=0.5`の鉄
   1gの小麦=30個のみかん
   1gの小麦=10足の靴下
   1gの小麦=15本のボールペン
    …………
というように、ほとんど無限の他の商品に対する交換比率として現れる。
  しかし、これらの式はいずれも「1gの小麦の価値」という同一物の表現にほかならないから、1gの小麦の価値は、いろいろな商品との交換比率という相対的なものではなく、小麦1gに内在するものであるはずです。
  「1gの小麦=0.5`の鉄」という表現に即して言えば、1gの小麦の価値と0.5`の鉄の価値は、小麦でも鉄でもないある第三者に等しいことを表している。
  では、このような形式で表現される共通の実体(「ある第三のもの」)とは何か?

●商品の価値は、その生産に要した社会的労働の大きさによって決まる

 生産された物の自然的性質はさまざまだから、「共通の実体」は社会的なものであるはずです。それは労働、しかも社会的労働としての労働です。諸商品の相対的価格は、それに費やされた労働の分量によって決定される。
  最終生産物としての商品の価値には最後に行われた労働だけでなく、それ以前に労働を加えられて生産された原材料や労働手段の価値も含まれます。

●商品の価値は労働の生産力に規定される

 社会的労働の大きさは、「与えられた社会状態において、一定の社会的平均的な生産条件のもとで、使用される労働の与えられた社会的平均的な強度および平均的な熟練で、その商品を生産するに必要な労働の分量」を意味する。だから、労働の生産力が上がれば一定量の商品の価値は低下する。

●価格は価値の貨幣的表現

 貨幣商品としての金銀の物量で表現された諸商品の価値を価格と言う。貨幣商品としての金銀の価値も、その生産に費やされた労働の量によって決定される。
  あらゆる商品の価値は、金銀の量で表されるようになる。金銀は、貨幣商品として、その物量によって他のあらゆる商品の価値を表す一般的な等価物となる。
  こうした表現形式は、金銀を含むいろいろな商品の物々交換をとおして、自然発生的に、必然的に形成されたものです。貨幣は誰かによって一般的交換手段として考案され、商品交換の外部から持ち込まれたものではなく、商品(関係)そのものの矛盾から自生的・自己展開的に、必然的結果=必然的産物として生み出された。

●あらゆる商品は、平均的にはその価値どおりに売られる

 生産の諸条件が個々の生産者にとって異なっていても、市場価格は同じ種類のすべての商品にとって同一です。市場価格は、平均的な生産諸条件のもとで一定の品物の一定量を市場に供給するために必要な、社会的労働の平均量を表現している。
  確かに、市場価格は需要供給の変動によって、価値以上となったり以下となったりと動揺する。しかし市場価格は、価値どおりの価格(「自然価格」)に向かう傾向をもっている。あらゆる種類の商品は、平均的には、その自然価格で売られる。

●利潤は商品をその価値で売ることによって得られる

 すると、さまざまな事業の恒常的な利潤が、諸商品をその価値以上の価格で売ることから生まれると考えることはできない。
  そこでマルクスは、商品をその価値で売ることによってなぜ利潤が得られるのか、という仕組みの解明に向かいます。

●労働者が売るものは労働力(ここから第7節)

 労働者が資本家に売るものは、「労働そのもの」ではなく、労働力です。
  このことは、賃金形態によって覆い隠されているとはいえ、労働者の置かれている現実そのものです。労働者は、労働力を売ることによってその処分権を資本に引き渡す。資本にとってこれは、「買った労働力をどう使おうが俺の勝手」ということです。つまり、労働者は資本の専制的な指揮・命令に従って労働することを強いられる。
  「もしいくらでも任意の期間にわたって労働力を売ることが許されたなら、奴隷状態が直ちに復活する」「このような売却は、もしそれが生涯にわたって契約されれば、その人を直ちに、彼の雇い主の生涯の奴隷たらしめる」

●本源的蓄積=本源的収奪

 人間の労働力を売り買いする「奇妙な現象」はどうして生まれたのか。労働者は自分の労働力を売らなければ、労働できないし生存もできない。自分の労働力を商品として売るほかはない賃金労働者は、封建制社会の解体過程で、農民を土地から引き剥がしたたき出す上からの暴力的収奪をとおして生まれた。ブルジョア経済学者が「勤勉な者は長い間に資本家になり、怠け者は労働者に転落した」などと言うのは、歴史的事実に反している。
  労働力を商品として売り続けることは、自らの人間としての本源的な力を他人に売り渡しているということ。労働者はすべてを生産しながら、労働者からすべてを奪う資本の力をますます強大化するように強いられている。

●労働力の価値

 労働力の価値も、他の各商品の価値と同じように、その生産に必要な労働の分量によって決定される。しかしこの人間の労働力は、人間の生きた個体のうちにのみ存在する。
  したがって、労働力の価値は、
  1)現役の労働者を個体的に再生産するに必要な生活必需品の価値
  2)将来の労働力を生殖をとおして世代的に再生産するに必要な生活必需品の価値
  3)労働者が一定の熟練を獲得するために必要な一定分量の価値
によって規定される。

●賃金制度の上では「平等な賃金」はありえない

 マルクスが「賃金制度の上で平等な賃金はありえない」と述べているのは、労働者が熟練を獲得するための費用は職種や業種によって異なることを現実の根拠にしている。
  もちろん、現実に存在する賃金の格差が、すべて厳密な意味での養成費の差によるものとは言えない。養成費の差として観念されることの中には、社会的・歴史的に形成された幻想的な要素も混じり込んでいるし、ある質の労働力の希少性や養成の困難性が労働市場の需給関係に反映して、その労働力の市場価格を高くするということもある。さらに、帝国主義段階では、労働者支配=労働者の階級性の解体のために賃金格差を資本が意識的に貫徹するということもある。
  ただ、こうした要素をすべて取り払ったとしても、コアの部分において養成費の差による賃金の差は必然的に存在する。これを無視して「賃金の平等を中心的な要求とするのは、浅薄な急進主義でしかない」とマルクスは言っている。これは、賃金を資本と労働の階級的搾取関係として捉えることに反対し、もっぱら労働者間の「賃金の平等」「公正な賃金」だけを追い求める空想的社会主義者に対する怒りを含んだ批判ととらえるべきです。
  ところがカクマル・松崎は、「平等賃金要求」へのマルクスの批判の激しさだけに飛びつき、『賃金・価格・利潤』の全体からこの部分だけを切り離すことによって、現存する賃金格差をすべて合理的なものと描き出そうとする。しかし、『賃金・価格・利潤』の全体は、カクマルのこうした反革命策動を真正面から打ち破っている。
  今日の賃金格差は、95年日経連プロジェクト報告以来、資本が労働者階級総体を徹底した低賃金にたたき込むために、青年労働者に非正規雇用を強制し、その賃金を極限まで引き下げる方策を取ったことから生じたものです。連合幹部は、これに屈服するだけでなく、「パート労働者との格差是正のためには、正社員の賃金切り下げも覚悟しなければならない」とさえ言っている。資本との闘いを抜きに「公正な賃金」のみを追い求める体制内労働運動との対決は、今もきわめて重大なテーマです。
(前半講義了)

党学校通信 p9-14

討論から

●t

 賃金闘争ということと、賃金制度の廃止という革命に向けた闘いとは一個二重という提起が非常に鮮明だった。この間「労働運動で革命をやる」という、われわれが勝ちとった戦略的なスローガンがあって、その上で、もうひとつ具体的に「生きさせろのゼネスト」方針という形で、金融大恐慌情勢の中で実際に革命をやるというのはこういうことなんだ、ということとして出した。だから、極めて具体的に、生身の労働者に革命ということで切り込んで組織していく闘いのスローガンをハッキリさせたと思った。
それと、賃金制度のもとで「平等な賃金」を追い求めることは、観念論であるとともに、資本にとって都合のいいこと。JR総連・松崎のように格差賃金を居直る読み方ではなく、われわれが掲げるのは「一律大幅賃上げ」以外にない。連合・高木の言う“パート労働者との格差是正のために正社員の賃金切り下げ”、ふざけんなと。「生きさせろ」という“一律大幅賃上げかちとるぞ”の闘いを、われわれは資本とガチンコ勝負でやる。賃金闘争そのもので非和解的な闘いをたたきつけていく、そこのところで怒りを徹底的に組織していきたい。そのベースになる提起が今日なされたと思いました。

●r

 『賃金・価格・利潤』の前置きの所で、“大陸(ヨーロッパ)では、ストライキがガンガン来ているんだ”と。これで、前置きはハッキリする。そして、最後の“労働組合というのは、その組織された力を労働者階級の究極的解放すなわち賃金制度の究極的廃止のテコとして使用しなければ一般的に失敗する”も明快です。だから、始めと終わりが明快なわけです。付録の「国際労働者協会の決議」も明快です。労働者階級は、個々の賃上げ闘争とか様々な闘いもやらなきゃいけないけど、やっぱり完全解放目指して闘わないとダメなんだと一言で言っている。ですが、真ん中のウェストン君がどうしたこうした、ここが煩雑な森に入り込んじゃう感じでスッキリしない。

●O

 ウェストンとの論議のところは確かに、今どうなのかというのはある。だけど、死んだようなイデオロギーがぶり返しているようなところが結構ある。例えば、インフレになると賃金の額面が増えるからローンを組んでいる労働者は助かる、こんなデタラメが平然と出てきている。新自由主義の攻撃の中で、資本主義のシンプルな反動的イデオロギーがもう一回新たな装いで、ある種買収する能力がないがゆえにバンバン力任せに出てくる中で、こういう場で、共産主義運動の歴史の中でケリがついてきた議論にキッチリ反論できる準備をしていく。また、今度うちも労働学校をやるんですが、ここで出ている資料とかウェストン批判の論理は、ほぼこのまま使える。党学校は、各地区で前進しているものをもうひとつ底上げ的にやっていくものという立場に立つなら、古くて新しい議論を統一的に出すことは重要だと思う。

●P

 『賃金・価格・利潤』は、前置きで出てる「大陸では」というのは、日本でもいいですよ、ストライキという「真の流行病」が起きてきてて労賃の値上げを要求する声がちまたにあふれていて、なおかつ労働組合があって、われわれには動労千葉がある。この講演自体が、労働組合の指導的部分を前にして、ウェストンが要求してきたことを取り上げて、労働者階級はいかにこの問題を考えるべきかということで、ストライキと労働組合の問題、ストライキと賃上げの問題をマルクスが『資本論』という地平をつかみつつある立場で真っ正面から出した。
講師が冒頭で出された『賃金・価格・利潤』の結論部分からの引用と、付録の当時の国際労働者協会の声明である「労働組合、その過去・現在・未来」との一致なんだけど、この文章は、「労働組合」が主語になっている。マルクスは『共産党宣言』で、今までの階級社会をひっくり返すものの登場として、「墓掘り人としてのプロレタリアート」と宣言した。以来、一旦『党宣言』の地平とか、その存在も忘れられる中で、労働組合が、ある種資本主義が生み出したもの、労働者がつかみ取ったものをバックに登場してきている。このことにマルクスはものすごい確信を持って、ウェストンをいい材料にして『賃金・価格・利潤』を書いた。
ここで争われている論争、イデオロギーは、ほとんど今も出てくる問題だと思う。そういう点では僕は、『賃金・価格・利潤』を読んでいくとき、「労働運動で革命を」を「労働組合運動で革命を」と言った方がむしろハッキリするようなところまで来た地平でもって出されていることをしっかり置いて読んでいくことが、重要で限りない力になっていくと思う。だから、あえて「労働組合」を主語に書いているということを冒頭の所でハッキリさせて、途中はある種の難解さは含むんだけど、読み通しちゃうということが力になるかなと思っている。

●D

 今日の『賃金・価格・利潤』の学習会、世界金融大恐慌がもう始まっている今の時代情勢の真っ只中で、今日やったのがすごくよかった。とくに、この間「10・24」VS「11・2」という形で、労働組合がどうあるべきかが問われている中で、今日引用された最初と最後の結論部分が、ものすごく明快なんです。今年の春、「4者・4団体」路線を推進する労働情報系の人が、“今は労働者階級と資本家階級は非和解だ、だから妥協するんだ”と言った。非和解だというのはみんなわかっている、だからどうするんだというところが問題になる時代に入っている。そのときに、解雇撤回に反対するというところから全部を放り投げていく。「非和解だから妥協だ」と言った奴は、その先鞭だったんだなと思っている。
この『賃金・価格・利潤』が、とりわけどういう労働組合が必要なのかということを、賃金闘争という根幹をもって出しているのは、古くない今日的なものではないかと思います。ウェストンの問題は、聞いててウーンとなってくるんですけど、やはり今、それぞれに出されている論争点、全部それがはまるものなので、やっぱりやるっきゃないという気がしました。とっかかりはついたと思います。マルクスがウェストンの前提に対する反駁をしているものがすごくわかりやすかった。今日の学習も含めて、「党の革命」以降の過程で強調されている、労働者こそが革命的な階級であり、存在である、これを内的確認じゃなく、必死に労働者、労働者家族の中で言っていくことが必要だと思っています。

●N

 『賃金・価格・利潤』を何度か読んでて、ウェストン批判の所は、何が言いたいのかさっぱりわからなかった。例えば自分だったら、例えば今のマル青労同だったら、ヨーロッパでストライキの波が襲っている、その時にウェストンが一体こういう主張をもって何を目指しているんだと、何を言おうとしているんだということを徹底的に明らかにして、それでもって壊滅的に粉砕するというような論議なんじゃないのかなと。で、この部分はあんまりつき合わないようにしようという感じだった。だけども、改めなくちゃならないかなと、提起と討論を聞いてて。ウェストンって年輩の現場労働者でしょ。それが、生産物の量は固定しているから、ある職種で賃上げしたらこっちは賃下げになって、労働者の分断になる。賃上げやったら、資本家はその分物価を上げて相殺される。要するに、労働組合の賃上げという闘いで、今ストライキの波が覆っているけども、そんなことをやっても労働者の徒労に終わるよ、という主張をやっている。当時それはウェストンに代表されるように、労働者の中にもそういう見方はかなり支配的にあった。
だから、1節から5節の所は、当時の第1インターナショナルの路線論争の最大の核心点がその辺にあって、ここに決着をつけないと前に進めないという問題だったと思う。これで第1インターで決着つけておかなかったら、労働者の闘いがストライキの波というんでワーッと自然発生的に起こっていても、それを革命に向かって組織していく、プロレタリアートの独裁に向かって組織していくとはならない。だから、第1インターを来たるべきヨーロッパにおける革命の拠点として、党としてつくっていくために、その論争をとおして綱領的立脚点、つまり労働者階級自己解放思想というものの核心をぶち立てていくために必要だったのかなと思い返して聞いていました。

●P

 1節から5節、これは結構大事な問題で、前置きで“彼は労働者階級のためだと考えて、労働者階級に最も不人気なことをわかっていることをわざわざ出してきた。この勇気は尊敬しなければならない”と言っている。しかし、結論が間違っていることはハッキリさせなければならないというんで書いた本だと思う。そこも含めてハッキリさせたときに、今われわれが11月に向かう過程の中で、この本がものすごく生きてくる。もっと言えば、労働組合観で最も身近な人との間で一致していないということがある。そこにつながる問題を含んでいる。だからこそ曖昧にしないで、“しっかり見識を持て”と言っていることは、今のことでもある。『俺たちは鉄路に生きる2』で動労千葉の中野顧問が、何で動労千葉がストライキを決断できたのか、その最大なものは時代認識という問題と労働者観の違い。他は全部ダメになった、歴史に試されて。これは、今の僕らも無縁じゃないし、『俺鉄2』があって動労千葉があるから、そういうとこを免れているというものじゃなくて、これは切り合いの中で日々生きたものにしていかなくちゃいけないという点では、完全に今日の問題だと思う。

●a

 ウェストンとの論争は、今のわれわれで言えば、体制内労働運動指導部とやり合うということ。今でも体制内には、賃金が上がれば物価が上がるとデタラメを言う労働者指導部はいる。そういう意味ではマルクスは、賃金が、あるいは価格がどういうものでとか、労働力はどういうことになっているということを、ウェストンとの議論をとおして言っているんじゃないか。それをわれわれ自身が、今の現状に当てはめて、体制内労働運動指導部とやり合っていく、そして論破していく、ここが重要だと思う。
資本との日常的な非和解的な攻防と賃金制度の廃止は一個二重の闘いであるということから物事を判断していく。体制内労働運動と闘う場合、やっぱりそこでぶつかる。つまり体制内は、屈服しながら今の社会をどうやって守り切っていくかしか考えない。だから、市場価格の問題とかの経済問題を述べながら、デタラメを言うということは絶対にある。そこを論破していくためにも、ウェストンとのやり合いをつかみ直すことは重要だ。やっぱり労働力と労働は違うじゃない。そういうことを、体制内とぶつかった時にきちんと言い合える、そのためにこれは書いてある。そういう読み方をしていけば、現実の論争でもものすごい役立つというのは感じました。

●Y

 マルクスが『共産党宣言』で一方で党建設を進めながら、ここに来て労働組合を語ったのが、まずスゴイ。労働者相手に党を語っている人が、やっぱり労働組合が必要なんだと言っている。マルクスがどれだけ労働組合を重視し、軸にしていたのかを改めてこの『賃金・価格・利潤』で感じた。
労働運動、労働者階級にたいして、労働者の中にもまだウェストンのような人がいるにもかかわらず、『資本論』なんかを持っている革命家・マルクスが、賃金闘争が重大だということを言う。賃金こそ、労働者を分断し、搾取を煙に巻く装置なんだ、だから、ここが資本主義を倒すある種カギなんだという意味も込めて、賃金闘争が生存権的にも必要だし、資本の秘密を暴く意味でも重大だというようなところがあるのかなという感じはします。

●講師

 革命というのは、革命党が考え出してこうすればいい社会が出来るという話じゃなくて、労働者階級それ自身の要求だと思う。労働組合は生身の労働者がつくった組織で、労働者階級の解放が本質的に革命以外にありえない以上、労働者階級がつくった組織である労働組合が自らを革命のために役立てるのは、当たり前のこと。「4者・4団体」の問題にしたって、解雇撤回を求めたってできないよと。要するにそれは、とことん要求したら革命に行き着くから、そんなことは労働組合のやることじゃありませんというのが、彼らの言っていること。だけど、本質的に労働者階級の根本的な解放が革命に行き着くしかないとしたら、労働者階級がつくった組織である労働組合がそこまでやるのは当たり前の話で、革命は労働組合の課題ではないという考え方を逆転させていくことが問題になっている。
マルクスが労働組合こそが決定的だというのは、現にストライキが起こって、資本との激しい争いになっていて、その中に労働者階級が自らを解放する力を見たからだと思う。もちろん、賃金闘争自身が本質的に言って労働者と資本との非和解性をはらむという問題はあるけども、現に起きている闘いが、労働者自身の力によってこの社会を覆していくものとして現実に始まっているということが大きかった。それをいろんな理屈をこねて否定したウェストンに対して、真に革命を実現するために何が必要か、ということをかけた論争だったんじゃないか。今までの議論を聞いていて、改めて私自身も整理し、つかみ直しました。

●L

 高度成長期というか、企業が儲けると労働者も賃金が上がるという、戦後帝国主義の特殊的あり方が、今の体制内労働運動を規定している。その根底が新自由主義で全部ふっ飛んだ。そして、新自由主義の中では、もう発展が行き詰まっている。日本がアメリカとか中国に輸出を十何%拡大する中でやっと成り立っていた関係が、今の大恐慌でアメリカがポシャッたわけだから、企業家自身もこのままじゃやっていけない。で、どこに来るかと言えば、首切りであり、リストラだ。
そういう中で、企業つぶれたっていいんだ、労働者が権力を取るんだ、食わせられない資本主義はぶっ倒れろというマルクス主義的な立場がなかったら、賃金闘争すら闘えない時代が今来ている。アメリカ、ヨーロッパとかいろんな所で賃上げ闘争が起こっている。日本では、完全に屈服した体制内労働運動指導部をまだ打倒しきれていないから、闘いが爆発的には起こっていない。そこを突き破るのは、われわれしかいない。現に“一律大幅賃上げでゼネストだ”なんて言っているのは、他にいない。
最初は、『賃労働と資本』やってまたこれかよって思ったんだけど、次回やることも含めて、今まったくこれだと。やっぱり賃金闘争こそが、革命の核心なんですよね。賃金闘争というのは、要するに賃労働と資本の関係でしょ。どういう仕組みで資本が成り立っているのかということを党派闘争で争う。どうやって搾取されているのか、どういう仕組みになっているのかということが問題なわけです。賃金上げろという闘いの中で、資本家との非和解関係を労働者は学ぶ。賃金闘争の中で、労働者が革命的、階級的に立ち上がってくる。だから、一個二重と言っているけども、極端に言えば、賃金闘争がすべてという時代が来たということ。そういう時代に、11・2に掲げたスローガンというのはすさまじく先進的で革命的。だって、来年の春を考えたら、物価は全部上がっていく、リストラとか首切りがバンバン起こっていく。そのときに、「生きていけるだけの賃金をよこせ」「賃上げしろ」という闘いが決定的になってくる。そういうことで、すごくはまった学習会になっているという気がしました。

●M

 「21世紀連合ビジョン」、自治労賃金政策とかを見ても、賃上げ闘争をやるということは一言も書いてない。賃金が大幅に切り下がって来ている現実そのものとは対決しないで、当局や資本家に公平、客観的な評価しか要求しない。つまり、労働者が資本家・当局と闘うんじゃなくて、評価されて労働者は守られるという考え方。これは、ウェストンの言っている賃上げすると物価が上がるだけ、社会を握っているのは資本家で、労働者が立ち向かっても最後は資本家にやられちゃうというところにつながってくるんじゃないか。今の連合とか自治労にしても、現代的に言ってますけど根幹は同じで、資本家と労働者階級の階級的な対立の問題としてとらえないということだと思う。労働者階級が最低限の生活をしていくために、今必要な賃金額すらも保証されていない時代の中で、賃金が客観的に評価されればいいということ自身がとんでもない話だ。

党学校通信 p14-24  受講レポート

受講レポートから ★『賃金・価格・利潤』(上)のレポートです。

【I】

 第6節、7節は、『資本論』で展開されている内容の要約になっているので比較的わかりやすい内容でした。
  そのうえで重要だと思った点は、「平等な賃金論」へのマルクスの反論。賃金制度、つまり賃労働と資本というあり方からの必然として賃金格差があるのであり、資本の側は絶えずその論理で労働者階級を分断してくる。しかも、総体としてどんどん引き下げる方向で。このことを前提とし、この点を問題にしないことは、賃労働という奴隷的あり方を永久化してしまうことになる。マルクスはこの点を、労働組合運動の中での決定的な路線をめぐる分岐ととらえたのであり、したがって、「労働組合は現在の制度の結果に対するゲリラ戦的抵抗…(中略)…労働者階級の究極的解放すなわち賃金制度の最終的廃止のテコとして使わなければ、全面的に失敗する」という結論を導き出したのだと思います。
  ウェストンとの論争について。まずやはり、労働組合運動における路線闘争としてとらえていくことが重要だと思う。貫かれているのは賃労働と資本との絶対非和解性であり、その点を曖昧にするウェストンへの激しい弾劾である。賃労働と資本の絶対非和解性とは、労働者階級の革命性、団結に徹底的に依拠して闘うのかどうかということ。

【m】

 “全世界で賃上げストライキが激発する今日の情勢”下で、本日の学習会は非常に重要だったと思います。
  ウェストンの「名目賃金が上がっても物価が上昇するから実質賃金は上がらない」→だから賃金闘争をやってもムダという奴隷の思想は多かれ少なかれ、今日の体制内労働運動の中に蔓延している思想だと思います。こうした資本に屈服した体制内と真っ向から闘う方針として“生きさせろゼネスト”方針があるということに確信を持ちました。
  @資本との日常的攻防戦の不断の貫徹とA労働者階級の究極的解放にむけた闘いを一個二重のものとして闘いぬくことが労働組合の任務だ、という基本的な確認は、あらためて“労働運動の力で革命をやろう”ということのマルクス主義的な高さを示していると思います。塩川一派に限らず、“労働運動の力で革命をやろう”についての異論を言う人がいます。しかも、マルクス主義者を自称しながら。こういう人を論破するためにも、『賃金・価格・利潤』の学習は重要だと思いました。

【N】

 本来のマルクス主義の賃金論(賃金闘争論)、労働組合論を展開している古典であると改めて実感した。
  これまで幾度か読んでも、前半部分(第1節から第5節)のウェストン批判のところは、何が言いたいのかよく理解できなかった。なぜなら、ウェストンの具体的主張は書かれている通りとしても、それをもって何を言いたいのか〜どういう路線で第1インターないし労働組合を組織したいと思っているのか、さっぱりわからなかったからだ。それで、ヨーロッパをストライキの波が覆い尽くし、賃上げの声が鳴り響いている中にあって、そのストライキがどういうもので、労働組合の闘いをめぐって現実的にどのような路線闘争が展開されているのか、それに対して第1インター=マルクスはどう考え、路線を打ち出していくか〜そういうところから展開を始めたら、もっと面白いし、有益なのではないかと勝手に思ってきたということがあります。
  しかし、今回の提起と討論を通して、まさに労働組合の路線をめぐって、ウェストンと徹底的に対決し、マルクス主義の賃金論(賃金闘争論)、労働組合論を確立していったことがスッキリ理解できるようになりました。おそらく、ウェストンの賃金闘争不要論、労働組合有害論ともいうべき論調は、ストライキがおそっているヨーロッパにあっても、労働者階級の内部から〜とくにその中の指導部から様々な意見・思想として出てきたものだと思います。
  現代の体制内労働運動に通じる、労働組合を賃金制度そのものの廃絶=プロレタリア革命に結びつけない見地から、「労働者のことを思って」という装いをとって、こういう見解が出てきたのだと思う。それと第1インターの労働者指導部は充分闘い、自らの路線(綱領的見解)を明らかにすることができなかった。マルクスは、だからあえてものすごい戦闘性を発揮して、ウェストンを逐条的に批判することで、『資本論』の積極的見解をグイグイ押し出していくことが出来たのだと思います。
  今回は第7節までだったので、まずは前半部の感想ということで、以上です。

【t】

 金融大恐慌情勢に突入した今、実に決定的な学習会であった。要するに、(論議であったように)高度経済成長期の中での資本のおこぼれをあてにした賃金闘争と組合のあり方が全部破産した中で、「10・24」VS「11・2」の対決になっている。そこに確信を与えてくれるものだった。賃金闘争自体が、新自由主義攻撃の中では革命運動の中心に位置する。これは、長らく「組合は経済的課題。革命は党の問題」とされてきた体制内イデオロギーをぶち破って、本来のマルクス主義のもとでの労働運動を復権するということだと思う。
  「4者・4団体派」が「国鉄闘争は永久闘争ではない」と言っていることは、まさに労働者階級が資本に勝てないとしているわけだが、我々はJR資本−帝国主義を打ち倒すまで「永久」に、しかしあえて言えばすぐにでも勝てる!という時代認識と労働者階級への無限の信頼で闘える。
  マルクスが、あえて「革命家」を主語とせず、労働組合、労働者自身として革命に向けた闘いとして賃金闘争をやろう、やれると第1インターで大論争していることは、非常に重要と感じた。どうしても「階級の中に革命をもちこむ」感覚をもってしまうが、「労働組合の力で革命をやろう」ということだ。
  なお、自治労の言う「同一価値労働・同一賃金」は、あるべき評価を前提にした分断イデオロギーだということの上で、戦後労働運動の原則として言われてきた「同一労働・同一賃金」とは違うということですね? さらに「同一労働・同一賃金」自身がマルクス主義的スローガンではない(資本の搾取を前提にしている)と思いますが、どうでしょうか?

【d】

 マルクスの、ウェストンに対する直対応的で煩雑とも思える批判は、「古典派経済学に対する階級的・科学的批判や、…マルクス主義の考え方は、当時まだ常識でもなく確立されてもいなかった」(レジュメp8)時点では、第1インターを労働者階級自己解放のための機関へと飛躍させるためには絶対に必要なものだったのだろう。
  古典派経済学の「常識」や空想的社会主義にとらわれた労働運動指導者を正面から論破することで、その影響下にある膨大な労働者たちを獲得できる。しかも現場の労働者の疑問に直対応的に、労働者の言葉で答えることで、労働者の問題意識に沿った路線論争ができたのではないかと思われる。
  ウェストン自身がこの論戦の後にマルクス主義者になったかどうかは不明だが、第1インターに結集する労働者ではじめは「他党派」だった部分の相当数が、その後「マルクス派」になったのではないか。
  レーニンの党派闘争の原則「現場をとらえて放さず」ではないが、マルクスのこの時の姿勢には学ぶべきものが多い。
  論議の中で「一律大幅賃上げ」が問題になったが、旧総評時代からの「若年者に薄く年長者に厚い」分断的あり方を組合が率先して行うのではなく、「生きていけるだけの」賃金、という意味での「一律」なのではないか。なお、「一律大幅」といっても、正社員と非正規・派遣とでは「生きていけるだけの」水準への到達金額は大きな開きがある。やはり「一律大幅賃上げ」と並んで「非正規職撤廃・派遣法粉砕」なのだ。
  11・2集会1万人結集へ、全力をあげよう。

【Y】

 1848年のヨーロッパでの革命が、一旦倒れながらも現実に起こりだした。労働組合をはじめとした労働者階級の闘いは、1865年の第1インターでのマルクスとウェストンとの論争という形で、あらたに労働組合と賃金闘争の実践的闘いの意義を明らかにさせた。労働者階級が『共産党宣言』で宣言した「墓掘り人としてのプロレタリアート」の意義をなお一層鮮明にさせるためにも、マルクスは、労働者階級の闘いの勝利のためには、まさに当時の“階級的労働運動路線”とも言うべき、資本と闘う労働組合、あるいはその廃絶のためにも、労働者階級の自己解放のためにも、生存のためにも必要な賃金闘争を真っ向から掲げて階級的団結のための路線で闘いぬいたことは、すごく感動的です。
  ウェストンとの論争部分も、一方では、闘いに立ち上がりながらも、他方で、やはり資本主義の搾取や、ひっくり返しとしての共産主義への展望がつかめてない労働者階級にたいして、懸命に俗論と対決して勝利の確信を与えようとした努力が、すごいと思った。

【M】

 賃金闘争をマルクス主義の立場から原則的に闘うことが、改めて決定的に重要であると思います。
  規制改革会議や「21世紀連合ビジョン」、自治労賃金政策(07年1・31〜2・1自治労中央委員会決定)で展開される賃金論のなんとおぞましいことか。「最低賃金を引き上げることは、その賃金に見合う生産性を発揮できない労働者の失業をもたらし、そのような人々の生活をかえって困窮させる」(規制改革会議)、「個々人の能力や成果を公正に評価し、仕事を通じた人生設計が描けるような、開かれた明確な賃金制度とする視点が大切である」(21世紀連合ビジョン)、「同一価値労働・同一賃金の原則を二大原則とする」(自治労賃金政策)、「職務の価値を測る客観的な職務評価基準が不可欠である」(自治労賃金政策)、「任用基準に対応する適切な人事評価制度が必要である」(自治労賃金政策)。
  これらには賃上げの要求すらない。資本、国家こそが自分たち労働者の賃金を「公平・公正」に決めてくれればそれでいい、とする考えがあり、結局自分たち労働者は賃金決定の主体ではない、あくまで賃金決定を提示される被主体なのだという思想が背景にある。ウェストンが唱えた「賃上げをしても物価が上昇するだけ」論とどこが違うのか。賃上げには労働者は絡めない、結局、資本家階級に最後的に結着つけられるのではじめから資本家階級に闘いを挑むべきではない、とするウェストンと全く同じ土俵で労働者に対して上から賃上げ闘争を否定しているのだ。
  労働者階級が自分たちの生存条件の決定的な一つである賃金問題は、資本家階級・国家と階級的に主体として関わらなければならない問題だ。自分たちの生存条件を人間的なものにしていくために闘うこと、その場合、労働組合の存在が決定的であること、これがマルクスが言いたかったことに違いない。
  今の社会の安易な常識と闘っていくためにも、マルクス主義の徹底的な武装と実践があらためて重要であることを感じました。講師の丁寧なレジュメには大いに勉強させられました。

【H】

 『賃金・価格・利潤』の学習は、私にとっても時宜を得たものであった。中心テーマは、賃金論、労働組合論で、ちょうど都労連の秋期闘争が開始されているさなかの学習となった。
  10月の人勧が出る前から、都側は、@現業賃金の15%ダウン、A教員賃金に分断を持ち込む「新職」給料表の実施を主張してきた。
  これに対して、都労連執行部は、闘うポーズを見せながら、「公務員バッシングが激しい中でストライキはできない」と本音では考えています。「ストライキをやっても、何もとれなければ、組合員から不満が出る」とも言います。当局側もそのへんの足もとを見透かして、深夜未明の妥結でお互いの顔をたてることをこれまでも常としてきました。そして、都労連の総括には、「苦渋の選択だった」「都労連の団結が守れた」という文字が躍ります。
  「ふざけんな」と言いたい。都労連執行部や6単組の指導部だって、かつては日共、社会党、解放派を名乗って「マルクス主義者」であったはずです。みんな転向してしまいました。労働組合は、革命とは無関係というのが、日共、協会派、カクマル、塩川一派の主張です。その最大の現れが4者4団体の10・24集会です。都労連は、ここへ動員指示を出そうとしています。その意味でも「許さない。ぶっかいてやる」を基本に闘っていきたい。そして、11月の都労連ストを、大阪の闘いや来春の賃闘につながるものとして闘おう。

【O】

○労働組合と賃金と革命運動について、改めて学習して新鮮な感じがしました。
○賃金闘争と労働組合を革命の問題として提起することの意義を提起されたものと受け止めています。
○ウェストンによる当時の反動的意見については古さも感じますが、「インフレは労働者にとって有利」のようなデマゴギーを語るインチキ学者も出てくる昨今、こうした基本的な論争を押さえておくことは重要だと思います。
○「生きさせろゼネスト」に向けた路線論争の武器として実践の中で深めていきたいと思います。
○松崎の「寺子屋ばなし」の件は、以前の『前進』報道ではピンとこなかったところもありますが、今回はよくわかりました。

【S】

 直感的な把握ですが。ウェストンの誤りとその批判は、とりわけ日本での企業内労使一家・一体主義で行われる賃闘を根本的に批判する現代的な生きた論だと思いました。つまり、会社が儲かっている(いない)から賃金を上(下)げて下さいが当然であるという組合・労働運動などとして今もはびこっている論ではないのかと。

【C】

 『前進』夏季特別号で賃上げが出たときは、正直あまり理解できない部分もあった。“賃上げ”や“学費値下げ”は経済闘争で、体制内が行うことじゃないかと最初は思っていたときもあった。
  今回の講座で、改めて賃金闘争が革命の核心だということがスッキリ入っていた。
  賃上げ、首切り、解雇撤回という、労働組合として本来なら当たり前の要求が二分する。労働組合はどうあるべきか、この時代はどんな時代なのか〈時代認識〉が他党派とイデ闘になる。
  会社が不況のときに賃上げはできないという論は、他党派だけでなく労働者自身にも染みついている部分だ。ここで動労千葉のように生きていくために、労働者自身が賃金を決めていいんだと職場で我々がガンと登場することが、100の仲間をつくる突破口になると思う。

【L】

 賃上げストが課題になっている中で、『賃金・価格・利潤』は実にタイムリー。
  労働組合の任務、@賃金闘争を始めとした資本との日常的攻防戦の不断の貫徹、A賃金制度の廃止−労働者階級の究極的解放に向けたたたかい、を1個2重のものとしてたたかいぬくこと。
  その上で、今日的情勢の中(新自由主義が破綻し、1929年恐慌をはるかに超える〈100年に1度の事態〉大恐慌、しかも大インフレという歴史上なかった事態)で、「生きさせろ」の賃金闘争は日本階級闘争(革命運動)のカギをなす。
  賃労働と資本のマルクス主義的理解なくして賃金闘争がたたかえない(既成労働運動−指導部−イデオロギーを粉砕しなければ闘いの真の発展がない)情勢の到来です。我々の決定的飛躍のチャンス。
  帝国主義の分断攻撃を粉砕し、革命的団結をかちとる環である。

【r】

 世界金融大恐慌情勢の大爆発(すでに29年恐慌をこえている)−日帝経済の急速な破局の接近、全世界ストライキ情勢、新自由主義の破産、一律大幅賃上げゼネスト論と賃金闘争の原理的・本格的爆発、国際連帯の飛躍的前進(現在的インター)という情勢の中で『賃金・価格・利潤』を読む。時宜にかなったこととあらためて思いました。この著は、階級的労働運動路線の原型を提起しているように思いました。
  また、第1インターの中で対ウェストン論争のようなものが闘われたことを考えると、逆に現在の「インター」(現在の米韓との国際連帯)の水準の高さを感じます。
  後半も楽しみです。

【a】

 『賃金・価格・利潤』のはじめのところの「大陸では、ストライキが猛威をふるい……」という部分の書き出しの中で、労働者階級の怒りが爆発している状況の中で、ウェストンとの討論になっている。マルクスは革命家として、賃金とはどのように成り立っているのかを、討論を通してときあかしている。
  今日の恐慌情勢の中で、労働者が体制内労働運動を打倒するために、「賃金とは、価格とは、利潤とは、労働力とは」を明らかにしながら、資本との絶対非和解のたたかいをつくり出そうとしている。まさに、「資本との日常的攻防戦」=職場での当局・体制内指導部とのぶつかり合いと、賃金制度の廃止に向けてのたたかいをやりながら、革命に転化していくことだと思う。
  原点を自分のものにしていくことが、重要である。

【A】

 「いまや大陸では、ストライキという真の流行病と、労賃の値上げを要求する一般的な叫びとが蔓延している。…この重要問題について、確固たる定見を持っているべきである」というこの冒頭の書き出しが鋭い。
  いまや、ついに世界金融大恐慌が本格的に始まっている。新自由主義は破綻し、資本主義はついに終わりの時を迎える。
  この書き出し、「ストライキと労賃の値上げを要求する叫び」は、今の情勢そのものである。ウェストンの言う「賃上げ闘争は、労働者に有害無益」は完全に間違っているし、今の体制内指導部がたれ流している屈服思想そのものだ。
  6・29集会に向けてビラをまき続けてきた。50号ぐらいまでは「サミット粉砕」中心だったが、6・29以降は、「ストライキと賃上げ」に変えた。「大幅賃上げをかちとりましょう!」「給料をあげろ!」の掛け声に対して、露骨に拒否する人はほとんどいない。思わず立ち止まる人、「頑張って下さい!」−ビラの受け取りが圧倒的に変わった。「ストライキと賃上げ」−「生きさせろ」の賃上げゼネストの実現が、労働者階級の切実な要求になっていることに確信をもって組織し、11・2集会1万人結集を実現しよう!

【P】

1)講師の努力と提起の中身だけでなく、党学校の討論の中で、自分の感想や考えが、いまひとつ整理され、前に進むことを実感できた今回の党学校でした。
2)その上で、テーマは非常に今日的、核心的問題だと思います。マルクスが何故、全力あげてウェストン批判の重要性を認識、とりかかったのか、又それが何をマルクス主義、当時も今も含めての階級的労働運動の路線的、運動的、組織的実践につながっていったのか、はっきりつかみとることが、今日のテーマでの一番大事な点と思います。その意味で、結論を大胆に出させてもらうと、@『賃金・価格・利潤』をマルクスの「労働組合原論」というふうにとらえるやり方に、ちょっと違和感を感じます。それでは、スタティックすぎる。意見でも出しましたが、マルクスの『賃労働と資本』のときと『賃金・価格・利潤』の違いには、大陸とイギリスをはじめとする労働者階級のたたかいの荒々しい前進があり、労働組合の結成とその前進のめざましい躍進があったこと、Aそのことがマルクスを根本からつかみ、まさに『資本論』の刊行に先駆けてその中身を真正面から提起できる主体を見いだした! このほとばしるような感覚があって、ウェストンの主張を一旦土台にしながら、もっと全面的な提起をするに至った、ここがこの『賃金・価格・利潤』の核心だと思います。Bですから、もっと言うと、これに「付録」としてついている宣言、「労働組合、その過去・現在・未来」こそ、マルクスの一番言いたいことだし、核心中の核心だと思います。そして、このことを冒頭から終わりまで貫くものとしてアプローチしていったとき、今日のテーマの全容がもっとはっきりしていくと思います。
3)その上で、今日討論で一番学んだことは、賃金闘争の重要性、ここにあらためて本格的に突入していくこと、理論武装と実践と党派闘争をここで構えること=現在の「4者・4団体」路線との対決、3労組陣形の強化、発展もあると思います。(この点は率直に言って、今日の討論の中で自分自身激しく突きつけられたと思います。)
4)以上、総じて、次回も含めて今日の最もリアルで白熱的テーマをめぐる“労働組合観”の深化、労働運動論、革命論の生きた推進として、この党学校での全体的討議と内容的深化をともにかちとっていきたいと思います。

【K】

 金融大恐慌に完全に突入し、いよいよ世界大恐慌そのものが爆発する段階に入る、そのただ中で11月労働者集会をかちとろうとしている。我々は、“一律大幅賃上げゼネストを”をスローガンにかかげて、かちとろうとしている。その時、『賃労働と資本』に引き続き、『賃金・価格・利潤』を学習することの意義は極めて大きい。
  今回の学習を通して、あらためて、プロレタリア革命にとっての賃金闘争の決定的な位置を学ぶことができた。まさに「労働者階級の究極的解放、賃金制度の最終的廃止のためのテコとして使わないならば、労働者のたたかいは全面的に失敗する」というマルクスの言葉を真に理解し、強烈な確信のもとに労働者階級に訴え、論争し、獲得し、組織化することが、待ったなしに我々に問われている。まさにタイムリーな学習会であった。
  ウェストンとの論争が、賃金闘争を真に革命に向かったたたかいとして打ち立てて行くに当たって、決定的に重要だということでマルクスが全力で論争している。そのことは、今回初めて積極的に受け止めることができた。しかし、率直にいって、各論的には、いまだに難しく、まだるっこい論争だという感じはぬぐうことができないでいるのも、事実である。しかし、討論の中で出されたように、新自由主義攻撃の中で、資本主義がむき出しの論理で労働者階級に襲いかかっているがゆえに、ブルジョアジーとそして体制内派との党派闘争にうちかち、労働者階級を革命派に獲得していくんだという立場にしっかりと立ち切るためにも、このウェストンとの論争を主体的に切開し、党派闘争の武器を鍛え上げていく必要があると、あらためて決意します。
  なお、「賃金の本質的不平等性」というマルクス賃金論の展開と、「賃金の平等を中心的な要求とするのは、浅薄な急進主義でしかない」というマルクスの弾劾の意図が、いまひとつはっきりしなかった。

【Z】

 大幅賃上げゼネストを実践していくための理論武装として決定的な党学校だったと思います。労働組合とは、賃金制度廃止のために闘わなければならないこと、賃金闘争とはそのように位置づけられることがはっきりしました。
  レジュメp2で「標準賃金獲得のための労働者の闘争は、……労働の価格について資本家と争う必要は、自分を商品として売らなければならない彼らの状態に内在するものだ」という引用があります。労働者が自然発生的に賃上げ闘争に決起しているのは、賃金制度そのものに根拠があると言っている。『賃金・価格・利潤』でのマルクスとウェストンの論争は、まさにここをめぐるものだと思いました。
  レーニンの「ストライキについて」という論文があるが、そこではストライキは、資本主義の産物だと言っているところがある。自然発生的に、労働者は労働組合をつくり、ストライキをやる。
  けれども、労働者階級というのは、自分たちのおかれている位置について初期的には自覚をしているわけではない。だから労働組合というのは、賃金奴隷制そのものを廃止するために闘い、労働者階級のもっている力を発揮させていくものだというのがあらためて、重要だと思いました。要するに、賃金闘争というのは階級闘争だと…。

【D】

 世界金融大恐慌に突入した時点で、『賃金・価格・利潤』を改めて学ぶ意義はきわめて重要だ。学習と討論を通じて強烈に自覚した。資本主義の終わりにブルジョアジーは根底からうちふるえているが、さしあたっては延命のためにあらゆることをやってくる。首切り、リストラ、賃下げ、増税、物価高騰→これから本格化してくる。このときに、労働者は生きていくために必ず立ち上がってくるし、全世界で、日本でも現に立ち上がっている。
  「我々はとてつもない飛躍を求められている」と学習会講師が言ったことは、まさにその通りだと思う。マルクスがやったことを我々がやっていかなくてはならない。@労働者を救済の対象として見るのではなく、労働者自身が解放の主体であるということを明らかにしきる。A賃金という問題に核心があること。ウェストンの論の中に、今日体制内指導部が労働者の決起を抑えこむ論があることとして論駁できるものをはっきりさせる。B労働組合−労働者の階級的団結体として賃金制度の廃止をかけて闘うものとしてとらえる−ここは、われわれ以外全部異なる、大党派闘争の領域。
  地区でも、青年労働者が、職場で退職金半額攻撃と闘いはじめたとたん、資本・経営側からはもちろん、労組内で分岐が始まった。1人の非正規の労働者が相談をもちかけてきて、この流れで相談に乗ったら(非正規の人がとんでもない理由で解雇をちらつかされた)、組合の中で統制処分にかけられ、執行部をおろされてしまった(闘争中)。労組解散までいっていたところをたてなおした青年労働者におりろという。賃金闘争はかくも激しい。しかし、その中で相談に来た労働者は共に闘っている。毎日、資本や職場の上司との闘いの中で揺れ動くが、団結を毎日固めて日々強くなっている。賃金闘争−労働組合の原点をめぐって共に闘っている感じだ。その中で、この『賃労働と資本』−『共産党宣言』−『賃金・価格・利潤』…生きた文献と思える。党の革命−階級の党として闘いぬいているからこそ、全く新鮮につかめていると思う。
  発言でうまく言えませんでしたが、この「賃金」「労働組合」の問題は、今や階級のものすごい関心事だということ。そして、めちゃくちゃな議論も含めてガンガン巻き起こっていることに対して、具体的職場闘争、地域での闘いにどんどん飛びこむべきだ、ということが言いたかったことです。

【Q】

 福田政権が吹き飛び、新自由主義攻撃の一環としての労働者の非正規雇用が社会問題となった。工場法以前の状態にあっという間に戻ってしまったわけですが、既成の体制内労働組合指導部が、闘う前から屈服してきたことが、この事態(一言で言って新自由主義)を決定的に促進した構造も浮き彫りになっている。
  この上に金融恐慌が完全に始まった。一部の大資本家が勝ち逃げを図り、天文学的な損失のツケを労働者人民が負わされる−この資本主義を延命させていいのか、ということが世界の労働者の喫緊のナマのテーマとなっているのである。
  そこで、『賃金・価格・利潤』の提起である。今更ながら、新鮮な提起であると感じました。労働者階級が資本家たちから政治権力を奪い取る! ここに唯一、労働者階級の状態を改善していく道もある。この立場からしか、賃金闘争を闘うことも出来ない。この立場に大いに自信を持って、労働組合をめぐる体制内派との党派闘争をやり抜き、組織していく。これが革命的共産主義者の中心的任務であり、その決定的な切り口が賃金闘争なのである、との提起と受け止めました。

【W】

○『賃金・価格・利潤』の本については、これまで数回読んだり学習会に参加したりしたことはあったが、今日の情勢の中であらためて対象化してみて、感新たなものを感じました。それは、いうまでもなく今日われわれの眼前にある革命的情勢の展開下で読んだからだと思います。本の「前置き」で「いまや大陸では、ストライキという真の流行病と、労賃の値上げを要求する一般的な叫びとが蔓延している」という記述が、今日の情勢そのもの。まさに11・2を前にしてわれわれに問われている情勢と合致しているということを初めて感じ、マルクスとの一体感、団結を感じたしだいです。
○もう一つの前置きとして、マルクスはウェストンとの議論を通して展開していることが、やはり、後の『資本論』の根幹を示すものであるし、労働組合が賃金制度の廃止のために闘うこと、そういう方向性は当然だし、労働組合は、賃金闘争を行う組織、革命のために闘うのは当然との提起であるし、まさに今われわれが直面し取り組んでいることと合致しているという観点でとらえることができました。
○11・2のスローガンの中に、「生きさせろ!大幅賃上げゼネストを」がありますが、この本で言う「資本との日常的攻防戦」と「賃金制度の廃止に向けた闘い」の一個二重性はその通りだし、現在との一体感をひしひしと感じました。
○マルクスは、ウェストン批判として、「賃金闘争は労働者にとって有害無益」との主張について述べているが、これは今で言う体制内労働運動指導部が垂れ流している屈服思想。中でも、塩川一派が、われわれに対する「批判」として言っている「労働組合がもっている相互扶助(たすけあい)の機能をもっと強めていくことである。その際、共催、レクレーションなどの相互扶助機能は決定的である」という主張は、ウェストンと塩川一派が通じる内容をもっているものとして、140年前のマルクスも想定していたんだな、という感じ。マルクスが『資本論』を構成していく上で、ウェストンの主張をけっして「取るに足らない」としないで、理論的にも有効な反論を加えていったという過程は重要な闘いであると思いました。

【X】

(一)11月1万人結集に向かって、労働組合原論として『賃金・価格・利潤』の意義と内容と学習は、すごくタイムリーだと思いました。提起されているとおり、金融大恐慌が音をたててインフレとリストラとして始まっているとき、「生きさせろ!大幅賃上げゼネストを!」の革命的スローガンを出して闘っている確信を深めるものです。
  4者・4団体路線(10・24集会)は、労働者の革命的存在と、解雇撤回闘争21年の、資本との非和解性と、その闘いの偉大さに背を向け、悪罵する許し難い反革命的な正体をむき出しにしている。マルクスもまた、ストライキの流行病がおとずれているとき、目の前の間違ったウェストンの「賃金闘争否定論」と、丁寧に全面的に闘い、粉砕したのだということが、わかりました。
(二)第6節からの本論の展開の中で、第7節に「労働力〜資本の専制的指揮・命令=労働者支配」の具体例として、ライフサイクルから国鉄清算事業団を指摘されたことは、ハッとしました。この観点でつかむべきと。
(三)賃金制度上、「平等な賃金はありえない」について。
  「前提を認めて結論をさけようとする」や「賃金制度の基礎の上で平等な報酬または公正な報酬を要求することは、奴隷制度の基礎の上で自由を要求することと同じ」と指摘しているように、賃金制度そのものが、階級支配であり、階級分断だということだと思います。

【R】

 「資本主義は終わった」と、いまや道行く人々が口に出す時代になりました。今こそ、マルクス主義の現実的な展開が求められています。「労働者に権力よこせ」以外に何があるのか、ということです。
  『賃金・価格・利潤』は、このことを正面から論じているわけで、このテキストを学ぶことそのものが、一労働者が革命に組織されることだし、又、組織する側がその意義を強くもつことが要求されると思います。
  「資本」と日々格闘することぬきに労働者の勝利はないということです。逆にいえば、労働者が今の現実を変えるために日々格闘することが「資本」と闘うこと=打倒することだし、労働組合の意義を表しています。まさに動労千葉に学べということです。「日常的闘い」と「賃金制度の廃止」を1つのものとして意識的に闘うこと、このことを実践するということ、つまり「団結」をつくり出すということです。
  11・2から「生きさせろゼネストへ」、今、われわれの鮮明な方針があります。一方、既成の「左翼」の一斉崩壊が進んでいます(4者・4団体等)。昔の左翼(日共、社民左派、「全共闘くずれ」〈塩川一派など〉)が、今や日帝の崩壊をなんとかしようとあがいています。勝負はこれからで、我々にとっての試練が大きく課題になってきている時です。
  「賃金」をめぐる闘いにトコトンこだわるということが労働者階級の団結形成の軸、自己解放的決起のチャンス、この点を『賃金・価格・利潤』学習のポイントとしておさえるべきです。特に、マルクスが批判対象とした第1インター指導部諸潮流、特にウェストン批判に学んでいくことの今日的意義をはっきりさせるということが重要だと思います。

【e】

 資本主義社会生産様式とその細胞形態である個別資本が潰れても構わない。このことを明確につかみ、言い切ることができる地平が、『賃金・価格・利潤』の理論的地平だと思います。つまり、賃金というものは、すべてが資本の労働者支配と分断=管理の手段だということです。
  そして、新自由主義攻撃の本質は、単なる分断=管理ではなく、労働者同士の殺し合いにまで行き着いています。これに対して、労働者階級の生きさせろ!生きてやる!の即時的意識を賃上げゼネストという階級的意識と階級的団結をベースにした階級間戦争に発展させていくこと。このことにマルクス主義者としてのすべての努力を傾注していくことが、基本任務になったということだと思います。
  賃上げゼネスト方針は、単なる経済闘争ではなく、極めて政治的、組織建設的方針でもあるということだと理解します。つまり、プロレタリア革命に向かうプロレタリア組織としての労働組合の階級的再生と国際的結合のスローガンとしてつかまなくてはならないということです。

【F】

 イギリス、大陸の労働運動の指導部(労働者階級)は、資本主義社会を自然現象のように考えていた傾向にあった。マルクス・エンゲルスは、『共産党宣言』『賃労働と資本』で、資本主義社会は一歴史的社会であり、資本(家)は、労働者からの搾取によって運動していることを明らかにしていた。労働者階級は闘うことで、自らを解放することも提起していた。
  1860年代、労働運動が高揚して、より一層労働者階級の自己解放が迫られていた。マルクスは第1インターのウェストンを丁寧に批判することを通して、労働者階級の進むべき、闘う姿勢を明確にした。ウェストンらは「闘って賃上げをかちとってもすぐに取り返されるだけだ」「だから闘っても無駄だ」と言っていたのです。
  しかしマルクスは、賃金は、労働者階級と資本家との力関係・闘いで決まるのだ、とはっきりさせたのです。『賃金・価格・利潤』は、賃金を資本主義社会の細胞形態である商品の価値とその実体としての社会的労働(量)からとき起こして、明らかにしました。そして、賃金とは労働力の価値(労働者が明日もまた生きてゆく必要生活手段の価値)の価格形態であることです。
  このことで、労働者階級の賃上げ、労働条件は、労働者階級の究極的解放(賃金奴隷制の廃止)の闘いから、自らを位置づけ、闘うことによって勝ち取られることを明らかにしたのです。
  労働者階級は、自らの解放のために、労働組合を闘いの拠点として団結し、もって資本(家)の賃下げ、首切りと闘うことの中で、自らの解放を勝ち取っていけるのです。
  11・2全国労働者総決起集会に結集しよう!