第9期第6回 マルクス『賃金・価格・利潤』(上)前半講義概要 講師 岩谷 芳之 ●全世界でストライキが激発する情勢 『賃金・価格・利潤』の冒頭には、「いまや大陸では、ストライキという真の流行病と、労賃の値上げを要求する一般的な叫びとが蔓延している。この問題はわれわれの大会にもち出されるであろう。国際労働者協会の首脳部である諸君は、この重要問題について確固たる定見を持っているべきである」と述べられている。 ●労働組合は賃金制度の最終的廃止のために闘う存在 『賃金・価格・利潤』は、マルクスが労働者階級の基礎的団結体である労働組合の任務と、賃金闘争について、真正面から論じた書物です。マルクスは、本書の結論として、次のように言っている。 ●「資本との日常的攻防戦」と「賃金制度の廃止に向けた闘い」の一個二重性 「資本との日常的攻防戦」と「賃金制度の廃止に向けた闘い」はそれぞれ別個のものとしてあるわけではない。労働者階級は資本と全面的・非和解的対立関係にあるわけだから、資本とのあらゆる闘いの中に「賃金制度の廃止に向けた闘い」がはらまれている。この両者を切断し、「賃上げ闘争は資本主義を前提に、あくまで資本主義の枠内で労働者の生活向上をめざすもの」であるとしてきたのが、体制内労働運動です。しかし、「資本主義の枠内での賃上げ闘争」では、労働者の根底的な怒りを結集することも、労働者の真の団結を打ち固めることもできない。むしろ、今日の情勢の中では、そうした立場で賃金闘争を闘うこと自身、不可能であることを、屈服を深める体制内労働運動の現実が示している。 ●「生きさせろ!」の賃上げゼネストを 11・2労働者集会は、「09春闘勝利・大幅賃上げ獲得!」「怒りのストライキで、貧困と『格差』を強制する資本家たちの支配を倒そう!」というスローガンを真っ向から掲げて闘われます。大恐慌と大インフレが労働者を襲い、失業攻撃が本格化する中で、「生きさせろ」の賃上げゼネストを実現することは、労働者階級の切実な要求になっている。11・2労働者集会1万人結集は、文字どおり、労働者階級の未来を決する闘いです。 ●労働者からの強搾取で膨大な利潤を上げてきた資本 マルクスは、「資本と労働者の闘争によって賃金の大きさは決まる」と述べている。資本は文字どおり、労働者の賃金を引き下げることで、この間の「好況」を維持してきた。労働者の生活実態を正確に反映するとは言えない官庁統計にも、それは反映されている。 ●体制内労働運動の打倒を そのために必要なのは、体制内労働運動を打倒することです。日本帝国主義が経済においても政治体制においても根底的に破産を突きつけられているにもかかわらず、その最後の支柱になっているのが体制内労働運動です。 ●第1インターの綱領をめぐる路線闘争 こうした状況にあって、『賃金・価格・利潤』を問題にする意味はどこにあるのか。 ●「賃金闘争有害論」との闘争は、今日も労働運動の根本的な課題 確かにウェストンの論拠は、今日から見れば問題にもならないようなことが多々含まれている。しかし「賃金闘争をしても弾圧を招くだけで、労働者にとって有害無益」というウェストンの結論自体は、どうか。これは、今でも体制内労働運動指導部が絶えず垂れ流している屈服思想です。 ●ウェストンの主張とマルクスの批判 ウェストンの主張は、要約すると「名目賃金が上がっても物価が上昇するから実質賃金は変わらない」ということ。 ●商品の価値は何によって決まるか(ここから第6節、本論) そこでマルクスは、「商品の価値とは何か」「それはどう決まるのか」という根本問題を提起する。 ●商品の価値は、その生産に要した社会的労働の大きさによって決まる 生産された物の自然的性質はさまざまだから、「共通の実体」は社会的なものであるはずです。それは労働、しかも社会的労働としての労働です。諸商品の相対的価格は、それに費やされた労働の分量によって決定される。 ●商品の価値は労働の生産力に規定される社会的労働の大きさは、「与えられた社会状態において、一定の社会的平均的な生産条件のもとで、使用される労働の与えられた社会的平均的な強度および平均的な熟練で、その商品を生産するに必要な労働の分量」を意味する。だから、労働の生産力が上がれば一定量の商品の価値は低下する。 ●価格は価値の貨幣的表現 貨幣商品としての金銀の物量で表現された諸商品の価値を価格と言う。貨幣商品としての金銀の価値も、その生産に費やされた労働の量によって決定される。 ●あらゆる商品は、平均的にはその価値どおりに売られる 生産の諸条件が個々の生産者にとって異なっていても、市場価格は同じ種類のすべての商品にとって同一です。市場価格は、平均的な生産諸条件のもとで一定の品物の一定量を市場に供給するために必要な、社会的労働の平均量を表現している。 ●利潤は商品をその価値で売ることによって得られる すると、さまざまな事業の恒常的な利潤が、諸商品をその価値以上の価格で売ることから生まれると考えることはできない。 ●労働者が売るものは労働力(ここから第7節) 労働者が資本家に売るものは、「労働そのもの」ではなく、労働力です。 ●本源的蓄積=本源的収奪 人間の労働力を売り買いする「奇妙な現象」はどうして生まれたのか。労働者は自分の労働力を売らなければ、労働できないし生存もできない。自分の労働力を商品として売るほかはない賃金労働者は、封建制社会の解体過程で、農民を土地から引き剥がしたたき出す上からの暴力的収奪をとおして生まれた。ブルジョア経済学者が「勤勉な者は長い間に資本家になり、怠け者は労働者に転落した」などと言うのは、歴史的事実に反している。 ●労働力の価値 労働力の価値も、他の各商品の価値と同じように、その生産に必要な労働の分量によって決定される。しかしこの人間の労働力は、人間の生きた個体のうちにのみ存在する。 ●賃金制度の上では「平等な賃金」はありえない マルクスが「賃金制度の上で平等な賃金はありえない」と述べているのは、労働者が熟練を獲得するための費用は職種や業種によって異なることを現実の根拠にしている。 |
討論から●t 賃金闘争ということと、賃金制度の廃止という革命に向けた闘いとは一個二重という提起が非常に鮮明だった。この間「労働運動で革命をやる」という、われわれが勝ちとった戦略的なスローガンがあって、その上で、もうひとつ具体的に「生きさせろのゼネスト」方針という形で、金融大恐慌情勢の中で実際に革命をやるというのはこういうことなんだ、ということとして出した。だから、極めて具体的に、生身の労働者に革命ということで切り込んで組織していく闘いのスローガンをハッキリさせたと思った。 ●r 『賃金・価格・利潤』の前置きの所で、“大陸(ヨーロッパ)では、ストライキがガンガン来ているんだ”と。これで、前置きはハッキリする。そして、最後の“労働組合というのは、その組織された力を労働者階級の究極的解放すなわち賃金制度の究極的廃止のテコとして使用しなければ一般的に失敗する”も明快です。だから、始めと終わりが明快なわけです。付録の「国際労働者協会の決議」も明快です。労働者階級は、個々の賃上げ闘争とか様々な闘いもやらなきゃいけないけど、やっぱり完全解放目指して闘わないとダメなんだと一言で言っている。ですが、真ん中のウェストン君がどうしたこうした、ここが煩雑な森に入り込んじゃう感じでスッキリしない。 ●O ウェストンとの論議のところは確かに、今どうなのかというのはある。だけど、死んだようなイデオロギーがぶり返しているようなところが結構ある。例えば、インフレになると賃金の額面が増えるからローンを組んでいる労働者は助かる、こんなデタラメが平然と出てきている。新自由主義の攻撃の中で、資本主義のシンプルな反動的イデオロギーがもう一回新たな装いで、ある種買収する能力がないがゆえにバンバン力任せに出てくる中で、こういう場で、共産主義運動の歴史の中でケリがついてきた議論にキッチリ反論できる準備をしていく。また、今度うちも労働学校をやるんですが、ここで出ている資料とかウェストン批判の論理は、ほぼこのまま使える。党学校は、各地区で前進しているものをもうひとつ底上げ的にやっていくものという立場に立つなら、古くて新しい議論を統一的に出すことは重要だと思う。 ●P 『賃金・価格・利潤』は、前置きで出てる「大陸では」というのは、日本でもいいですよ、ストライキという「真の流行病」が起きてきてて労賃の値上げを要求する声がちまたにあふれていて、なおかつ労働組合があって、われわれには動労千葉がある。この講演自体が、労働組合の指導的部分を前にして、ウェストンが要求してきたことを取り上げて、労働者階級はいかにこの問題を考えるべきかということで、ストライキと労働組合の問題、ストライキと賃上げの問題をマルクスが『資本論』という地平をつかみつつある立場で真っ正面から出した。 ●D 今日の『賃金・価格・利潤』の学習会、世界金融大恐慌がもう始まっている今の時代情勢の真っ只中で、今日やったのがすごくよかった。とくに、この間「10・24」VS「11・2」という形で、労働組合がどうあるべきかが問われている中で、今日引用された最初と最後の結論部分が、ものすごく明快なんです。今年の春、「4者・4団体」路線を推進する労働情報系の人が、“今は労働者階級と資本家階級は非和解だ、だから妥協するんだ”と言った。非和解だというのはみんなわかっている、だからどうするんだというところが問題になる時代に入っている。そのときに、解雇撤回に反対するというところから全部を放り投げていく。「非和解だから妥協だ」と言った奴は、その先鞭だったんだなと思っている。 ●N 『賃金・価格・利潤』を何度か読んでて、ウェストン批判の所は、何が言いたいのかさっぱりわからなかった。例えば自分だったら、例えば今のマル青労同だったら、ヨーロッパでストライキの波が襲っている、その時にウェストンが一体こういう主張をもって何を目指しているんだと、何を言おうとしているんだということを徹底的に明らかにして、それでもって壊滅的に粉砕するというような論議なんじゃないのかなと。で、この部分はあんまりつき合わないようにしようという感じだった。だけども、改めなくちゃならないかなと、提起と討論を聞いてて。ウェストンって年輩の現場労働者でしょ。それが、生産物の量は固定しているから、ある職種で賃上げしたらこっちは賃下げになって、労働者の分断になる。賃上げやったら、資本家はその分物価を上げて相殺される。要するに、労働組合の賃上げという闘いで、今ストライキの波が覆っているけども、そんなことをやっても労働者の徒労に終わるよ、という主張をやっている。当時それはウェストンに代表されるように、労働者の中にもそういう見方はかなり支配的にあった。 ●P 1節から5節、これは結構大事な問題で、前置きで“彼は労働者階級のためだと考えて、労働者階級に最も不人気なことをわかっていることをわざわざ出してきた。この勇気は尊敬しなければならない”と言っている。しかし、結論が間違っていることはハッキリさせなければならないというんで書いた本だと思う。そこも含めてハッキリさせたときに、今われわれが11月に向かう過程の中で、この本がものすごく生きてくる。もっと言えば、労働組合観で最も身近な人との間で一致していないということがある。そこにつながる問題を含んでいる。だからこそ曖昧にしないで、“しっかり見識を持て”と言っていることは、今のことでもある。『俺たちは鉄路に生きる2』で動労千葉の中野顧問が、何で動労千葉がストライキを決断できたのか、その最大なものは時代認識という問題と労働者観の違い。他は全部ダメになった、歴史に試されて。これは、今の僕らも無縁じゃないし、『俺鉄2』があって動労千葉があるから、そういうとこを免れているというものじゃなくて、これは切り合いの中で日々生きたものにしていかなくちゃいけないという点では、完全に今日の問題だと思う。 ●a ウェストンとの論争は、今のわれわれで言えば、体制内労働運動指導部とやり合うということ。今でも体制内には、賃金が上がれば物価が上がるとデタラメを言う労働者指導部はいる。そういう意味ではマルクスは、賃金が、あるいは価格がどういうものでとか、労働力はどういうことになっているということを、ウェストンとの議論をとおして言っているんじゃないか。それをわれわれ自身が、今の現状に当てはめて、体制内労働運動指導部とやり合っていく、そして論破していく、ここが重要だと思う。 ●Y マルクスが『共産党宣言』で一方で党建設を進めながら、ここに来て労働組合を語ったのが、まずスゴイ。労働者相手に党を語っている人が、やっぱり労働組合が必要なんだと言っている。マルクスがどれだけ労働組合を重視し、軸にしていたのかを改めてこの『賃金・価格・利潤』で感じた。 ●講師 革命というのは、革命党が考え出してこうすればいい社会が出来るという話じゃなくて、労働者階級それ自身の要求だと思う。労働組合は生身の労働者がつくった組織で、労働者階級の解放が本質的に革命以外にありえない以上、労働者階級がつくった組織である労働組合が自らを革命のために役立てるのは、当たり前のこと。「4者・4団体」の問題にしたって、解雇撤回を求めたってできないよと。要するにそれは、とことん要求したら革命に行き着くから、そんなことは労働組合のやることじゃありませんというのが、彼らの言っていること。だけど、本質的に労働者階級の根本的な解放が革命に行き着くしかないとしたら、労働者階級がつくった組織である労働組合がそこまでやるのは当たり前の話で、革命は労働組合の課題ではないという考え方を逆転させていくことが問題になっている。 ●L 高度成長期というか、企業が儲けると労働者も賃金が上がるという、戦後帝国主義の特殊的あり方が、今の体制内労働運動を規定している。その根底が新自由主義で全部ふっ飛んだ。そして、新自由主義の中では、もう発展が行き詰まっている。日本がアメリカとか中国に輸出を十何%拡大する中でやっと成り立っていた関係が、今の大恐慌でアメリカがポシャッたわけだから、企業家自身もこのままじゃやっていけない。で、どこに来るかと言えば、首切りであり、リストラだ。 ●M 「21世紀連合ビジョン」、自治労賃金政策とかを見ても、賃上げ闘争をやるということは一言も書いてない。賃金が大幅に切り下がって来ている現実そのものとは対決しないで、当局や資本家に公平、客観的な評価しか要求しない。つまり、労働者が資本家・当局と闘うんじゃなくて、評価されて労働者は守られるという考え方。これは、ウェストンの言っている賃上げすると物価が上がるだけ、社会を握っているのは資本家で、労働者が立ち向かっても最後は資本家にやられちゃうというところにつながってくるんじゃないか。今の連合とか自治労にしても、現代的に言ってますけど根幹は同じで、資本家と労働者階級の階級的な対立の問題としてとらえないということだと思う。労働者階級が最低限の生活をしていくために、今必要な賃金額すらも保証されていない時代の中で、賃金が客観的に評価されればいいということ自身がとんでもない話だ。 |
受講レポートから ★『賃金・価格・利潤』(上)のレポートです。【I】 第6節、7節は、『資本論』で展開されている内容の要約になっているので比較的わかりやすい内容でした。 【m】 “全世界で賃上げストライキが激発する今日の情勢”下で、本日の学習会は非常に重要だったと思います。 【N】 本来のマルクス主義の賃金論(賃金闘争論)、労働組合論を展開している古典であると改めて実感した。 【t】 金融大恐慌情勢に突入した今、実に決定的な学習会であった。要するに、(論議であったように)高度経済成長期の中での資本のおこぼれをあてにした賃金闘争と組合のあり方が全部破産した中で、「10・24」VS「11・2」の対決になっている。そこに確信を与えてくれるものだった。賃金闘争自体が、新自由主義攻撃の中では革命運動の中心に位置する。これは、長らく「組合は経済的課題。革命は党の問題」とされてきた体制内イデオロギーをぶち破って、本来のマルクス主義のもとでの労働運動を復権するということだと思う。 【d】 マルクスの、ウェストンに対する直対応的で煩雑とも思える批判は、「古典派経済学に対する階級的・科学的批判や、…マルクス主義の考え方は、当時まだ常識でもなく確立されてもいなかった」(レジュメp8)時点では、第1インターを労働者階級自己解放のための機関へと飛躍させるためには絶対に必要なものだったのだろう。 【Y】 1848年のヨーロッパでの革命が、一旦倒れながらも現実に起こりだした。労働組合をはじめとした労働者階級の闘いは、1865年の第1インターでのマルクスとウェストンとの論争という形で、あらたに労働組合と賃金闘争の実践的闘いの意義を明らかにさせた。労働者階級が『共産党宣言』で宣言した「墓掘り人としてのプロレタリアート」の意義をなお一層鮮明にさせるためにも、マルクスは、労働者階級の闘いの勝利のためには、まさに当時の“階級的労働運動路線”とも言うべき、資本と闘う労働組合、あるいはその廃絶のためにも、労働者階級の自己解放のためにも、生存のためにも必要な賃金闘争を真っ向から掲げて階級的団結のための路線で闘いぬいたことは、すごく感動的です。 【M】 賃金闘争をマルクス主義の立場から原則的に闘うことが、改めて決定的に重要であると思います。 【H】 『賃金・価格・利潤』の学習は、私にとっても時宜を得たものであった。中心テーマは、賃金論、労働組合論で、ちょうど都労連の秋期闘争が開始されているさなかの学習となった。 【O】 ○労働組合と賃金と革命運動について、改めて学習して新鮮な感じがしました。 【S】 直感的な把握ですが。ウェストンの誤りとその批判は、とりわけ日本での企業内労使一家・一体主義で行われる賃闘を根本的に批判する現代的な生きた論だと思いました。つまり、会社が儲かっている(いない)から賃金を上(下)げて下さいが当然であるという組合・労働運動などとして今もはびこっている論ではないのかと。 【C】 『前進』夏季特別号で賃上げが出たときは、正直あまり理解できない部分もあった。“賃上げ”や“学費値下げ”は経済闘争で、体制内が行うことじゃないかと最初は思っていたときもあった。 【L】 賃上げストが課題になっている中で、『賃金・価格・利潤』は実にタイムリー。 【r】 世界金融大恐慌情勢の大爆発(すでに29年恐慌をこえている)−日帝経済の急速な破局の接近、全世界ストライキ情勢、新自由主義の破産、一律大幅賃上げゼネスト論と賃金闘争の原理的・本格的爆発、国際連帯の飛躍的前進(現在的インター)という情勢の中で『賃金・価格・利潤』を読む。時宜にかなったこととあらためて思いました。この著は、階級的労働運動路線の原型を提起しているように思いました。 【a】 『賃金・価格・利潤』のはじめのところの「大陸では、ストライキが猛威をふるい……」という部分の書き出しの中で、労働者階級の怒りが爆発している状況の中で、ウェストンとの討論になっている。マルクスは革命家として、賃金とはどのように成り立っているのかを、討論を通してときあかしている。 【A】 「いまや大陸では、ストライキという真の流行病と、労賃の値上げを要求する一般的な叫びとが蔓延している。…この重要問題について、確固たる定見を持っているべきである」というこの冒頭の書き出しが鋭い。 【P】 1)講師の努力と提起の中身だけでなく、党学校の討論の中で、自分の感想や考えが、いまひとつ整理され、前に進むことを実感できた今回の党学校でした。 【K】 金融大恐慌に完全に突入し、いよいよ世界大恐慌そのものが爆発する段階に入る、そのただ中で11月労働者集会をかちとろうとしている。我々は、“一律大幅賃上げゼネストを”をスローガンにかかげて、かちとろうとしている。その時、『賃労働と資本』に引き続き、『賃金・価格・利潤』を学習することの意義は極めて大きい。 【Z】 大幅賃上げゼネストを実践していくための理論武装として決定的な党学校だったと思います。労働組合とは、賃金制度廃止のために闘わなければならないこと、賃金闘争とはそのように位置づけられることがはっきりしました。 【D】 世界金融大恐慌に突入した時点で、『賃金・価格・利潤』を改めて学ぶ意義はきわめて重要だ。学習と討論を通じて強烈に自覚した。資本主義の終わりにブルジョアジーは根底からうちふるえているが、さしあたっては延命のためにあらゆることをやってくる。首切り、リストラ、賃下げ、増税、物価高騰→これから本格化してくる。このときに、労働者は生きていくために必ず立ち上がってくるし、全世界で、日本でも現に立ち上がっている。 【Q】 福田政権が吹き飛び、新自由主義攻撃の一環としての労働者の非正規雇用が社会問題となった。工場法以前の状態にあっという間に戻ってしまったわけですが、既成の体制内労働組合指導部が、闘う前から屈服してきたことが、この事態(一言で言って新自由主義)を決定的に促進した構造も浮き彫りになっている。 【W】 ○『賃金・価格・利潤』の本については、これまで数回読んだり学習会に参加したりしたことはあったが、今日の情勢の中であらためて対象化してみて、感新たなものを感じました。それは、いうまでもなく今日われわれの眼前にある革命的情勢の展開下で読んだからだと思います。本の「前置き」で「いまや大陸では、ストライキという真の流行病と、労賃の値上げを要求する一般的な叫びとが蔓延している」という記述が、今日の情勢そのもの。まさに11・2を前にしてわれわれに問われている情勢と合致しているということを初めて感じ、マルクスとの一体感、団結を感じたしだいです。 【X】 (一)11月1万人結集に向かって、労働組合原論として『賃金・価格・利潤』の意義と内容と学習は、すごくタイムリーだと思いました。提起されているとおり、金融大恐慌が音をたててインフレとリストラとして始まっているとき、「生きさせろ!大幅賃上げゼネストを!」の革命的スローガンを出して闘っている確信を深めるものです。 【R】 「資本主義は終わった」と、いまや道行く人々が口に出す時代になりました。今こそ、マルクス主義の現実的な展開が求められています。「労働者に権力よこせ」以外に何があるのか、ということです。 【e】 資本主義社会生産様式とその細胞形態である個別資本が潰れても構わない。このことを明確につかみ、言い切ることができる地平が、『賃金・価格・利潤』の理論的地平だと思います。つまり、賃金というものは、すべてが資本の労働者支配と分断=管理の手段だということです。 【F】 イギリス、大陸の労働運動の指導部(労働者階級)は、資本主義社会を自然現象のように考えていた傾向にあった。マルクス・エンゲルスは、『共産党宣言』『賃労働と資本』で、資本主義社会は一歴史的社会であり、資本(家)は、労働者からの搾取によって運動していることを明らかにしていた。労働者階級は闘うことで、自らを解放することも提起していた。 |