第9期第4回 マルクス・エンゲルス『共産党宣言』(上)前半講義概要 講師 仲山 良介 【0】はじめに 20世紀「戦争と革命の時代」を生き延びてきた資本主義=帝国主義はついに終わり。洞爺湖サミットはこのことを示した。だが新自由主義攻撃の破綻の中で、支配階級はどこまでもあがく。とてつもない革命的情勢への突入。 【1】「まえがき」部分で確認すべきこと1)歴史的背景、歴史的意義
『宣言』は、労働者階級の闘争の歴史においてどういう意味をもっているのかという視点が重要。マルクスとエンゲルス自身が階級の側に獲得され、階級移行した。文字通り労働者階級自身の革命宣言として書かれたのです。 2)『党宣言』ではなく「共産主義者宣言」だという議論について略。〔この項目次回あらためて〕 3)「共産主義という妖怪」現存社会秩序を根底的に変革破壊するのは、共産主義という妖怪(幽霊)ではなく、われわれ革命的プロレタリアートだ。要するにこのことをはっきりさせたかった。プロレタリアートによるブルジョアジー打倒・共産主義革命の宣言としてあるということ。 【2】第1章 ブルジョアとプロレタリア(その前半)1)労働者階級は階級社会を打ち倒す存在だ
『宣言』第1章冒頭部分を、「この階級社会を打ち倒す存在であるわれわれ労働者階級」の革命宣言としてよみとりたい。「これまでのあらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である」という最初のセンテンスは、次のようにつながっていく。 2)ブルジョア社会とはどういう社会か(その歴史的形成)
「近代のブルジョアジー自身が長い歴史的発展の産物である」 3)「ブルジョアジーの歴史的革命的役割」(彼らは何をつくりだしたか)
「ブルジョアジーは歴史上きわめて革命的役割を演じた」 4)ブルジョア的生産力発展の帰結<生産力と生産関係の矛盾>
ブルジョア的生産力の発展は、最初は封建社会の中で形成された。これがある段階まで発展すると、封建社会の諸関係、封建的な社会組織、封建的な所有関係と矛盾してくる。封建的な所有諸関係は生産力の発展の束縛となる。それゆえ、この所有諸関係は粉砕されるべくして粉砕された。 【3】プロレタリアート、プロレタリア革命(第1章の後半) 「ブルジョアジーが封建制を打ち倒すのにもちいた武器が今やブルジョアジー自身に向けられている」「しかしブルジョアジーは、自分に死をもたらす武器を作り出しただけではない。その武器を取る人々をも作り出した。すなわち近代の労働者。プロレタリア」 1)プロレタリアートとは
プロレタリアートはこのように、ここで明示的に革命の主体として登場してくる。ここからあらためて労働者階級の闘争の発展をたどりなおす。 2)労働者階級の闘争の発展
「プロレタリアートはさまざまな発展段階をとおっていく。プロレタリアートのブルジョアジーにたいする闘争はその存在とともにはじまる」 3)プロレタリア革命
「今日、ブルジョアジーに対立しているすべての階級のなかで、プロレタリアートだけが真に革命的な階級である。その他の階級は、大工業の発展によって衰退し没落する。プロレタリアートこそは大工業のすぐれて固有の産物なのである」 ●<真の革命的階級としての労働者階級>論(さらに踏み込んでいく)
「旧社会の生活条件は、プロレタリアートにおいてはすでに破壊されている。プロレタリアは、財産をもっていない。妻や子にたいする関係は、ブルジョア的家族関係と共通点はない。近代的な資本への隷属状態は…“世界各国”…どこでも同じで、民族的性格は一掃されている。プロレタリアにとって、法律、道徳、宗教は、すべてブルジョア的偏見であって、その背後には必ずブルジョア的利害が隠されている」 ●公的社会の全体を吹き飛ばすプロレタリアートは、私的欲望と経済的利害がぶつかりあういわゆる「市民社会」に対して「公的社会」の全体すなわち広義の「政治的イデオロギー的上部構造全体」を粉々に吹き飛ばさないと身を伸ばすことも出来ない。このような「公的=エセ共同的」なものは丸ごと階級的抑圧の仕組みなのです。ブルジョアジーに対する勝利は、社会と人間のあり方全体が根底から変わるということでもあります。 ●世界革命と自国ブルジョアジーの打倒
プロレタリア革命は世界革命としてしか実現できない。しかし、世界革命は、各国の労働者階級が自国のブルを倒し、プロレタリアートがひとまず(自国において)支配階級となることをとおして実現される。そこへ向かって、現在的な国際的団結の闘いを推進するのです。 【4】プロレタリアートの勝利の歴史的必然的根拠(第1章最後の2つの段落)●後ろから2番目の段落
「これまでのすべての社会は、抑圧階級と被抑圧階級の対立にもとづいてきた。しかし一つの階級を抑圧することができるためには、その階級に少なくとも奴隷的な生存ぐらいは保っていけるだけの条件が保障されていなければならない。…これにたいして近代の労働者は、工業の進歩と共に地位が上昇するのではなく、逆に自分の階級的諸条件以下にまでますます深く沈んでいく。労働者は受給貧民となり、こうした貧困が人口と富よりも急速に増大していくのである」(前半) ●最後の段落
「ブルジョア階級の存在と支配にとってのもっとも本質的な条件は、私人の手の中に富が集積されること、つまり資本の形成と増殖である。そして資本の条件は賃労働である。賃労働はもっぱら労働者の競争にもとづく。工業の進歩は(資本の論理にたいして)無意志・無抵抗なブルジョアジーによって担われているが、競争による労働者の孤立化ではなく、組織による労働者の革命的団結をもたらす。こうして大工業の発展とともにブルジョアジーの足元から、かれらが生産し、その生産物を取得していた土台そのものが取り払われる。ブルジョアジーはなによりも自分たち自身の墓掘り人を生み出す。ブルジョアジーの没落とプロレタリアートの勝利はいずれも不可避である」 |
討論から●W 講義でも言われたが、「労働運動の力で革命を」「労働者階級の団結の究極の拡大が革命だ」という提起は、現場の闘いの中から生まれたものである。実は、『共産党宣言』も、実践的な中で出されたものだということで、われわれがこの『党宣言』を学ぶ中から改めて自信・確信をもって21世紀における『党宣言』復活、復権・再確立というふうに、改めて確認しました。 ●講師 理論的な、あるいは大きな思想的確認としては、ここに書いてあることは文字通り正しい。ただ、いわば旧来の社会の状態から、社会はブルジョアジーとプロレタリアートの2大階級の関係になったと言っても、農業生産を、いきなり工場労働のように、ブルジョアジーが労働者を雇って経営するというふうにはならない。農業生産というのは、そもそも直接的に自然との関係で、工場とは違ったやり方をしなきゃいけない。だから、農業問題は、資本主義が完全に資本主義化するという場合でも、非常に独特な形で資本の下に組み込んで、農民を圧迫しながら収奪していくみたいな、農業が成り立たない状態に追い込めながらやっていく。農業というのを解決できない困難な中に叩き込むわけです。それを、プロレタリアートは、ブルジョアジーがなし得なかったことを正しく解決していく、それができる唯一の階級である、ということをはっきりさせることがまず重要だと思うんです。 ●d マルクス自身が1843〜44年以来、正義者同盟とのかかわりを深めながら、思想的闘争も繰り広げて獲得された側面も大きいという所なんですが、1844年にあったシュレージエン織工蜂起の衝撃の中でマルクスが自己変革、階級移行を決定的にしたという側面はないんでしょうか? ●講師 確かにこれは大事です。ルーゲは、シュレージエンの織工蜂起に対して、この絶望的な反乱は何の意味もないと言うわけです。政治的に、どう改善してもらいたいのかという内容がなくて、ただ絶望的に反乱しているだけで意味ないと。それに対して、マルクスとエンゲルスは、間違っていると批判した。この労働者の反乱の中にすべてが含まれている、このことを抜きに政治革命が重要だということを言っている奴は、実はブルジョアジーに対して一定の改良をお願いしているだけだ。だから、政治革命重要論というのは、一見戦闘的だけど、ウソだと。要するに、今われわれが共産主義者として、どういう立場に立って根本的革命についての理論と思想を確立しようとしているのか、その立場から言えば、どんなに絶望的に見えても、あの中にプロレタリアートの、この社会を根底的に否定していく中身があるということ。むしろ、あの当時のマルクスは、社会革命ということを言う。革命の社会的内容のないインチキ政治革命というのは、ブルジョア的な民主主義者なんだと。そう言って、ルーゲと決別していく。いわゆるフォイエルバッハの徒とか、ドイツから来た哲学者グループが、共産主義論、労働者と共に闘う立場で理論闘争をやっている中では、非常に重要な決別だった。 ●F 『前進』で「サミットを斬る」というので、地球温暖化問題が出たんですけども、今日の講義の冒頭で、「エコを『口実』(逆手にとった)にした生き残りのための争闘戦」、これは地球温暖化ということを直接に指して言われていることなんでしょうか? あるいは、もっと地球の環境破壊とか。サミットでは、温暖化が結構焦点になっていたわけですけども。 ●C キャンパスでサミット粉砕を叫ぶときに最初、地球温暖化とか、環境問題とかを説明して、で最後に、資本主義がぶっ壊しているのに、みたいなことを言うアジテーションをやっていた。結構それそのものが、くだらないというか、やってたこと自身。例えば、職場ビラまくときとか、キャンパスビラまくときに、それを言って労働者とか学生に響くのかなというところで、やっぱりストレートな怒りとして、トヨタ、キヤノン、パナソニックとかが「エコ、エコ」と言って、JR貨物が新聞の1面に、私たちはエコを実践していますと言って、首切りやって、分割・民営化やってた。そういうところから、ぶった切っていくというか。そういう怒りと一体として、アジテーションでもビラでもやっていかなきゃなというのはあった。 ●講師 環境問題というのは、帝国主義者は、それを口実にもっとあくどい事をどうやるかということしか考えてない。要するに、末期の帝国主義が生き延びるために、結局は労働者階級に対する攻撃としてとらえきっていかないと、人類共通の課題に対して一緒にどう取り組むかみたいな話になる。 ●D 今度の8・6大行動も、これまで「核と人類は共存できない」ということを私たちも当たり前のように言ってきたけども、「核を必要としている資本家と、労働者階級は共存できない」ことをハッキリさせたものに大きく転換すると言われている。 ●r 『共産党宣言』の「ときどき勝利することがあるけど一時的なものでしかない」、本当の成果は団結なんだというね。このことが、この間の階級的団結論ということで言われてきたわけですけど、そういうものとしては理解してなくて、やはり具体的な成果というか、賃上げなら賃上げとか、そういったことについ目を奪われてくるようなことがあったんじゃないかという気がするんです。でも、ここにまともに書いてある。賃上げをかち取ったって、それは一時的なものでしかないとか。それから、真の成果は団結が強まっていくんだ。だから、「団結の究極の拡大が革命だ」ということを示唆しているということだと思うんです。 ●P 講義の一番最後で、「労働運動の力で革命を」というスローガンが「すごい」という言い方をしているんだけど、やっぱり本当に今の資本や当局と、動労千葉がそうなんだけど闘い抜いている労働者から学ぶという、そういう立場でもって『共産党宣言』に接していくということが、すごい新しい力を甦らせるし、逆に『共産党宣言』が何かということを正確につかみ取っていく唯一の道なんじゃないかと思うんです、だから大賛成。 ●g 僕も、まさにこの1章の冒頭の数パラグラフの中に、この階級社会を打ち倒す存在であるわれわれ労働者階級の宣言があるんだと。『党宣言』の中の部分部分がそうじゃなくて、本当に救済の対象じゃなくて、革命の主体なんだ、われわれ労働者は、ということが全体を貫いている、というのを今日強く感じた。 ●e 今日の提起が、われわれが本当に前進したというか、深いところでマルクス主義という、現実にぶつかってつかんできたものが、今日の講師の提起の中に鋭く出されているなと思いました。それは、今日ここにいる老若男女というか、いろんな人たちが集まって、同じようにプロレタリアート自己解放というか、階級を廃絶し、搾取をなくすということで階級形成していくということを、今熱く燃えてやっていることなんだ、そういうすごい力強さ、一体感を感じながら今日の学習会に出てた。それは、デモもそうですよね。明日を俺たちが握っているというかね、ここの団結の拡大、法大で、そして各職場でやったものが、必ず隣の労働者を獲得していけるものがあるという確信が僕らの中に生まれている。 ●D 塩川一派との激突で、共産主義者っていうのは何なのかなというのを考えると、彼らは革命は否定してないと言う。だけど、大衆団体は革命を目指す団体ではないというわけでしょ、この時代にですよ。それこそ民主主義改良的な運動をする人間がいていいじゃないかと言う。そういうのがついこの前まで革共同の中にいたということ自身も驚きだけども、逆に言うと私たち自身が、「万国の労働者、団結せよ」とかいうのは、やっぱりお題目になっていたり、本当に職場生産点での直接的な対峙であるとか、それとの非和解的な対決の中で、隣の仲間を獲得するとか、団結をつくっていくということっていうのは、本当に青年たちの決起と闘いと、それから6・29だって、5・28〜29の学生たちの闘いとか、3・8集会からの「弾圧ありがとう」とか、そういうことの中で、私たち自身もつかんできたことであるということから考えると、本当に今日言われた「共産党」宣言ということについての意味が非常に重要で、労働者階級の革命の宣言であるという、ものすごくドキドキしながら今日は聞いてたんですけど、そういう感じがしました。 |
受講レポートから ★『共産党宣言』(上)のレポートです。【P】 1)『共産党宣言』を今、われわれがどういうものとして読みこんでいくか=自らのものとしていくかという点で、講師の努力と討論でかなり重要なことが自分の中ではっきりしてきたと思います。その点で、講師は最後に、この間のマル青労同、マル学同の同志たちがつかんで打ち出した「労働運動の力で革命を」「団結の究極の拡大こそ革命」こそ、マルクス主義の核心、『共産党宣言』の核心、すごい、というくだりがありましたが、これはわれわれのこれまでのマルクス主義のとらえ方、『党宣言』のとらえ方の中に曖昧さや歪みがあった結果であると率直にいっていいと思います(われわれというより自分自身の中に)。 【X】 (1)「プロレタリアートだけが、真に革命的階級である。……中間諸階層、農民……彼らが革命的になるのは……自分たち自身の立場を捨て、プロレタリアートの立場に立つという場合である」という『共産党宣言』の言及は、マルクス主義の核心であり、再確認しました。ここは、「7月テーゼ」で血債主義・糾弾主義を一掃し、マルクス主義的再確立の現在的テーマでもあります。革共同の規約(=綱領的文書)にも、この部分があります。階級移行という表現をとったり、プロレタリア性の刻印と強制という規定性をとってきましたが、プロ独とプロレタリア革命の主体的構造から核心問題です。 【I】 階級移行の問題がありましたが、理論合宿で、「学生は階級そのもの」という提起があり、まさに学生の階級移行の問題だと思いました。法大の現実は確かに「ひどい」ものだけれど、実は職場と全く同じだということです。職場こそ資本の専制支配の要であり、これをぶち破って、労働者が団結していくことが勝利だと。法大も、そのように闘ってきています。 【S】 資本の条件は賃労働である。〔賃労働(賃金)は攻撃である=前回の『賃労働と資本』のつかみ。〕 【e】 社会の主人公として登場してきたブルジョアジーの支配の時代は終わった。彼らは、資本の論理の奴隷である。 【O】 「プロレタリアートだけが真に革命的階級である」。何度も確認してきたことですが、改めて確認することができました。 【g】 1章全体を貫くマルクスの問題意識−“労働者階級は救済の対象ではない。賃労働の鎖をひきちぎり、この社会・階級社会そのものをひっくり返す歴史的存在なんだ!”−が鮮明となった。1章冒頭の数パラグラフの提起も、その問題意識をはっきりさせたとき、「この階級社会を打ち倒す存在であるわれわれ労働者階級」の革命宣言として読むことができると思う。 【C】 『共産党宣言』の学習会をやるとき、「160年前のことなのに今と同じじゃないか」ということと、「この社会は階級社会である(=資本と非和解)」。ここが一致できたら、仲間になれる。 【m】 『共産党宣言』を今、学ぶということが極めて実践的であることを強烈に感じました。我々の闘いが、具体的に『党宣言』の中味を実践している、ということに他なりません。 【h】 なぜ党学校に出るのかいまいち不鮮明でした。党の革命以降、あまりマルクス主義とか古典の学習をしてこなかったんですが、学習についての考え方がスッキリしてなかったのかと思います。今までは自分自身が自信を持つために、あるいはオルグ対象者と知識の上で壁を逆につくるための学習になっていたのではないかと思います。学習する事をもっと団結の武器として、隣の仲間や世界の仲間とつながるために力を入れねばならないと思います。自分にとって、今までの学習会は自分の劣等感を感じるだけのものであった気がします。だから死ぬほど大嫌いでした。団結のためなら好きになれるかもしれません。 【r】 『前進』2350号の『蟹工船』青年座談会企画が非常にいいと思い、この間考えてきました。そこで「マルクス主義は労働者の理論」というコラムがあり、「敵をハッキリさせて仲間をつくる」「私が仲間になりたいのはあなたなんだ」「全世界の労働者が隣にいるぞ。世界を変えるぞ」の3点が出されている。まさに『共産党宣言』で言われていることそのものです。つまり、1)ブルジョアジーとプロレタリアートの非和解性、2)ほんとうの成果は労働者の団結、3)万国のプロレタリア、団結せよ、ということです。『蟹工船』と『宣言』と『前進』の3つをもって青年労働者をオルグすることだと思いました。 【d】 シュレージエン織工蜂起がマルクスに与えた影響について質問した理由は、マルクスが『共産党宣言』を起草するにあたって、どういう心境だったのか知りたかったため。蜂起に対して小ブル的学者が非難を集中する中で、マルクスは蜂起を断固支持した。なぜなら、非和解だから。賃金奴隷制を粉砕するには蜂起・プロレタリア革命しかないから。 【L】 20世紀冒頭に比してもとてつもない革命情勢への突入の中で、『共産党宣言』を古典を学ぶということではなく、実践の書として再学習することは実に意義あるものと感じた。 【H】 岩波新書『金融権力』(本山美彦著)を読んだ。サブプライムローン問題や格差などの問題が触れられているが、解決策は、NGO金融やイスラム的な福祉だったり、そしてプルードンの再評価なども行っている。この著者を塩川一派は呼んで講演会を行った。まさに、象徴的だ。マルクス主義を投げ捨て、プルードン主義へ退行していく彼らは、まさに労働者階級を信頼していない。幹部が指導して労働者を救済するのが革命と考えているのではないか。 【a】 『共産党宣言』の学習をして感じることは、階級社会をなくすために、労働者が団結して、資本主義を打倒する「力」を持たなければならない。『宣言』は、労働者の世界観・路線が書かれている。 【W】 まず、レジュメの一番最後のまとめのところで、21世紀『共産党宣言』復権・再確立の核心は、「労働運動の力で革命を」「労働者階級の究極の拡大が革命だ」という提起が、まさに『党宣言』を160年後の今日、「戦争か革命の時代」に現場の闘いの中から発せられたということに同感。感銘を受けた。 【F】 資本主義は巨大な生産力を実現することで、大量の商品をつくりだし、共同体を解体し、人間関係を金銭関係にしてしまった。 【M】 帝国主義者たちはサミットで、あたかも今の社会がかかえている問題が全て解決できるかのように宣伝してきた。その一方で、だから労働者階級は黙っていろと厳戒体制を全国に敷き、労働者階級の闘いをおさえようとした。これこそ、ブルジョア・イデオロギーの行きついた先であり、サミットは実際には帝国主義各国の争闘戦の場であることが改めてはっきりした。 【K】 この間の革共同のたたかいは、「21世紀『共産党宣言』の復権と再確立」そのものであることを痛感した学習会であった。 【D】 @歴史的な6・29サミット決戦を闘いとった上で、なおかつ塩川一派との激烈な闘いをやりながら『共産党宣言』を学習することで、非常に実践的、空気の入る学習会だった。今回は、まえがき・第1章までだったが、まず講師の提起として、6・29の歴史的意義が語られたことが良かった。 【i】 『共産党宣言』は、確かにマルクス主義の原体系を明確に宣言した文書である。しかし、その「主義」は何か自然科学の法則なのではない−卑俗に言えば「理屈」ではないということ。『宣言』はすぐれて党派闘争的な文書であり、それが労働者階級によって初めて自分自身が産み出した理論として獲得された意義は絶対である。 【j】 「絶対的貧困」に反対! 賛成です。収奪者の収奪を。そこには階級関係があるんだ! 【R】 『蟹工船』が本屋に平積みになっている事態が今の情勢。世界帝国主義の危機一般を論じているだけで「左翼」とはいえない時代です。明確な変革のビジョンを、一人ひとりの労働者が自分のものとしていく時代だと思う。 【Y】 階級的団結を、我々は新自由主義の団結破壊と対決して取り戻そうとしているのだが、それは、新自由主義攻撃がそうさせているのみならず、本来的にプロレタリア革命そのものが、ブルジョア独裁との対決を通して、プロ独をかちとり、最終的に階級のない全人民の解放を闘いとろうとすることそのものの行為として、最初から、「団結の拡大が革命」ということが言えると思った。 【t】 ○階級的団結の書、団結の拡大がストレートに革命になると確信できる書として『共産党宣言』を復権することが、本当に決定的な情勢に入った。 【A】 『共産党宣言』が、なぜ「万国のプロレタリア、団結せよ」で結ばれているのか、それが結論だからだ。『賃労働と資本』の実践的結論は、階級的団結論である。『党宣言』は、労働者階級による資本主義打倒・共産主義革命の宣言。 【n】 (1)やはり感想としては、6・29を(08年前半を)闘いぬいたわれわれと階級にとっての『共産党宣言』の意義(学びなおす意義)が第1です。 |