第9期第3回 マルクス『賃労働と資本』(下)後半講義概要 講師 畑田 治 ■後半のはじめに 前半・後半の講義をとおしてはっきりさせたいことは、「資本主義の原理は分断と競争だ。共同性の解体・否定だ」ということです。それゆえ「階級的団結」論とその獲得・拡大の闘いは、資本主義の原理と根本的に対立し、プロレタリア革命論、共産主義論の核心そのものだということです。 ■(第2章)商品の価格は何によって決定されるか? 第2章は岩波文庫版の47p.2行目〜56p.6行目です。 ●商品の価値は労働時間で決まる
商品の価格は、市場における買い手と売り手の競争、需要と供給の関係で変動します。その上下の変動の基準となるもの、それが商品の価値ですが、マルクスはそれをここでは、〈生産費〉として提起しています。 ●労働力商品の価値は、労働力(労働者)の維持・再生産の費用
労働力商品は、資本家が直接、工場で生産できるものではありません。だから、同じ商品とはいっても、他の商品のように「商品の生産に投入された労働時間」によって直接に価値が決まるというものではありません。別のかたちをとります。 ●資本はたえず、労働者が生存と繁殖を維持する水準に労賃をおし下げる
「機械の普及と分業によってプロレタリアの労働は、独立性をすべて失い、そのため労働者にとってまったく魅力ないものになってしまった。労働者は機械の単なる付属物となり、労働者に求められるものは、もっとも単純で、もっとも単調で、もっとも簡単に習得できる作業だけとなった。だから労働者にかかる費用は、ほとんど、労働者が自分たち自身の維持と自分たち労働者種族の繁殖に必要な最小限の生活手段に限られる」(『共産党宣言』) ■(第3章)資本とは何か 第3章は56p.7行目〜64p.6行目です。本章では、資本主義社会がけっして永遠不変の社会ではなく、始まりと終わりをもった一歴史段階であることを明確にしています。そして、その唯物史観の立場から、「資本」についての俗説(「生産に役立つ機械や設備など」)を批判し、資本の本質が、モノではなく社会的な生産関係であることをはっきりさせています。 ●資本とは、特定の(=ブルジョア的な)社会的生産関係のこと
生産に役立つ機械や道具は、一定の社会的諸関係(諸条件)のもとでのみ、資本となるのです。 ●資本は体を変える
たしかに資本は、機械や原材料など物質的諸生産物の形をとります。しかし、資本はけっしてそれだけではない。同じように諸交換価値から成り立つ。資本は、量的に増大しながら自己運動する価値なのです。その価値が体を絶えず変化させながら――カネになったり、生産手段や労働力になったり、商品(生産物)になったりしながら――増殖していくのです。 ●資本の成立条件は、賃金労働者の存在
それでは、ある価値のかたまりが資本となる条件は何か? 資本の特性とは何か? ●資本の本領は、賃金労働者から剰余労働を搾取し価値増殖すること
資本の本領は「自分自身の価値を維持し、さらに増殖する」ところにある。なぜ、それが可能になるのか? それこそ労働者を搾取することによってです。 ●賃金は二重の仕方で消費される。資本家には生産的に、労働者には不生産的に
たとえば、資本家が1日5000円で労働者を雇って2万円の新たな価値をつくり出すとします。この場合、この5000円は二重の仕方で消費されました。まず資本家にとっては、生産的に消費されました。その意味は、これによって資本家は、最初の資本価値5000円を回収した上に、新たに1万5000円の剰余価値を手に入れたということです。資本家は再び、この5000円で新たな労働力を購入してまた2万円の新価値をつくり出します。5000円を繰り返し繰り返し投資して、そのたびに1万5000円の剰余価値を搾り取るのです。 ●「資本家と労働者の利害は同一」とは?
今見てきたとおり、資本は、労働力と交換されることによってのみ増殖することができます。他方、賃労働者の労働力は、資本を増殖させることによってのみ――自分を奴隷のように酷使し支配する力を強大にすることによってのみ――資本と交換されうる。 ■(第4章)賃金と利潤の関係 第4章は64p.7行目〜74p.2行目です。 ■(第5章)生産的資本の増大は、労賃にいかなる影響を及ぼすか 第5章は74p.3行目〜最後です。 ■(第6章)「救済案」「労働組合」「賃金制度の積極面」 手稿の第6節「救済案」では、労働者に対する種々の救済案を取り上げて批判しています。 |
討論から●O 前回の党学校で、「賃金は分断である」と、僕もそうだと思って、早速その週に地区の労働学校で、それがかなり入ったんです。薬剤師のパートをやっている人がいて、許可を持っている薬剤師の人は全然働かない、実務は自分が全部やっていると。薬事法なんかがあって、自分はこんなに働いているのに、なぜ賃金が違うのかと、いつも言っているんですけども、賃金制度というものはそもそも分断なんだというところから話をして、本人の怒りのもって行き所がハッキリした。 ●f 橋下が大阪府の経済の再建だと言って、府の職員の賃金を削減すると言っている。バブル経済のころに箱もの行政でいろんなものを建てたわけじゃないですか。資本家が土建屋を中心にして、そこに政治家も利権に群がって、そういう経済を煽りたてるためにバンバンやってきた。その破産した結果であるわけで、労働者とはまったく関係ない。そういうのに対して、ストライキで闘わなければいけないと。それは東京も同じこと。職員の削減と賃金の削減に対して、われわれは賃労働と資本は絶対非和解だということで率先して怒って、現場の職員の先頭に立って闘うということだと思うんです。 ●N 「今回の講義ではっきりさせたいこと」という中で、「『賃労働と資本』の実践的結論は、『階級的団結論』である」と。だから、階級的労働運動路線の下で、絶対反対論、階級的団結論、あるいは組織拡大論という形で明らかにしてきて、とりわけ階級的団結論ということをもって、マルクス主義の現代的復権を本当にかちとっていくという問題意識の中で、この問題を通して「賃労働と資本」とは何かということをもう一度はっきりしていこうという問題意識だと思うんです。その問題意識にはまったく賛成で、いわゆる階級的団結論、団結ということをめぐって、党内においてもまだ対立がある。 ●P 結論的には、今日の『賃労働と資本』の後半の提起と出された資料含めて、一番の問題は、「労働運動の力で革命をやろう」ということをどういうふうに今の時点で団結するのかということがポイントだと思う。その場合に、プロレタリアートの存在そのものが闘いの始まりなんだ、そういう存在なんだと。資本家の分断と団結破壊に対して、労働者自らがつかみ取った武器なんだ、労働組合そのものが。歴史的にも理論的にも、そういうところから始まったんだということについて、何らけれんみなく据えよう、これがまず出発点だと思うんです。だから、ブルジョアジーにとってみれば、数世紀に渡って団結をも禁止せざるをえない、元々そういうものなんだということにしっかり立って、ものを考えるというのがカギじゃないか。 ●G 結論から言うと、今日この困難な中で来てよかった。それは、法大闘争って結局、学生の誇りをかけた闘いだと思っている。その学生の誇りをかけた闘いだということの意味がより深まったし、これからまたキャンパスで、もっと本質的な意味でそれが言えるなということを思った。 ●e 僕らの所も学習会を組織化して青年労働者とやっているんだけども、ある青年が言っていたのは、あらゆる職場を経験したと、で、一番きつかったのはどこかという話になって、それはトヨタのベルトコンベアで回っている、鎌田慧が書いているような「自動車絶望工場」だったと。あんなの絶対にやりたくない、どんなにカネ貰ってもやりたくない、あれをやらないために自分は他の仕事をしているようなもんだと。とにかく、本当に自分が機械にされるわけ、それで何か物音させたり物を落としたりしたら、みんなの冷たい視線が集中してアアッとなるという、もう完全に逆転した世界ですよね。 |
コラム 『賃労働と資本』をどんどん使いこなそう マルクスは、『賃労働と資本』においてはじめて、資本主義の経済的基礎の批判を労働者にわかるかたちで、しかも本格的なかたちで提起しました。のちの『資本論』につながる基本的骨組みがそこですでに出されています。エンゲルスは、1891年に『賃労働と資本』をパンフにするとき、『資本論』の地平から、〈労働力の商品化〉の立場で一定の読みかえを行うことによって、剰余価値の搾取論を明確にしようとしました。 |
受講レポートから ★『賃労働と資本』(下)のレポートです。【S】 資本は「資本」ではなかったのか! 【O】 階級的団結論と一体の賃金論(搾取の問題)として、すっきりしていてわかりやすかったと思います。 【j】 ・前回にひきつづき、階級的団結論の普遍性がはっきりしました。「労働運動の力で革命をやろう」も同じく。動労千葉の闘いをそういう点からはっきり、学んでいく必要性を感じました。 【X】 1)講師の提起は、現在性(階級的団結論/動労千葉労働運動/『甦る労働組合』/JR 総連・松崎の賃金論・組合論など)において、『賃労働と資本』の核心を鮮明化させられたことが、よかったと思います。 【R】 ○賃労働と資本は徹底非妥協だということを、鮮明にしてたたかうことが大切だと確信。 【e】 インテリゲンチャ的に「疎外」を確認するだけでは、『賃労働』を理解したことにはなりません。前回は、資本と労働者階級が非和解であることを、経済主義的にではなく、全面的な対立としてつかみました。 【G】 賃金は、「労働の対価」ではない。生産過程において搾取が存在する。資本主義とは、最も洗練された究極の搾取システムであること。−このことを鮮明にしたとき、「勝ち組」イデオロギーを粉砕しつくし、目の前の労働者・学生と団結できると実感した。「勝ち組」とは、「《自発的に》資本に搾取される労働者」ということ。こんなものになるために生まれたのではない。 【f】 ○世界革命の立場からみた新自由主義攻撃の積極的な面について提起されたのは新鮮でした。 【N】 『賃労働と資本』を、階級的団結論で読み解くことは重要だと思った。発言したことだが、今、この「団結」論をめぐって党内に対立があり激しくぶつかっている。青年たちは、「資本と非和解で闘わない、革命そのものを目指さない“団結”などウソだ!」と批判している。 【A】 「労働運動の力で革命をやろう」というのが、本当にリアリティを持っているし、世界の合い言葉になりつつあることを実感している昨今。そのことを『賃労働と資本』の講座を通して理論的に学べたことが、明日からの階級的労働運動の実践にとって、決定的な武器となりました。 【Z】 階級的団結で賃金奴隷制そのものを廃止していく、このことがはっきりした内容だった。資本家階級と労働者階級との力関係がすべてだということだ。「資本が増大して労賃が上がり生活状態が改善される、しかしそれは、支配されるための『金の鎖』をうち鍛えるだけだ」というくだりがあったが、その通り。あくまで資本家階級の労働者階級に対する支配の問題として徹底的に賃金闘争を闘っていくことが重要だと感じた。それは、資本が労働力の商品化を前提としており、搾取して成り立っているということにもとづいている。モノとりではなく「団結を総括軸にして闘う」という路線は、賃金奴隷制をうち破る必然的な路線であることがよくわかった。 【r】 とくに討論の中ではっきりとしてきたことがあります。それは、新自由主義攻撃の中に絶望を見るのか、それとも展望を見るのかということで、われわれは断固として展望を見ているわけです。他方、塩川一派やカクマルは絶望を見ている。 【L】 賃金は労働の対価としてあるのではないこと、人間の本来もっている創造的力である労働力を物と同様にとりあつかうこと、生産過程そのものの中に搾取がくみこまれていること、がハッキリした。 【F】 『前進』の「焦点」で、「宇宙基本法」の実態的な攻撃を阻止しよう、と呼びかけていました。今日の学習で、「宇宙基本法」の攻撃を阻止する闘いは、三菱長船社研−エリコン闘争の教訓が、現在的・今日的であると思います。 【M】 日本共産党の志位委員長の主張とか、カクマル・松崎の主張は、今の資本主義社会が結局は搾取が無い論をベースに展開していることが分かった。今の体制内労働運動も、資本・当局との対決を主張しない以上、それと似たようなものだと思う。 【H】 1.5・28〜29法大弾圧は絶対に許さない。この弾圧に手を染めた当局、警察権力に必ず報復してやる。その上で、今の大学が新自由主義攻撃の前に完全に屈服していることに怒りをおぼえる。かつてマルクス主義経済学の東の牙城と言われた法大において、この弾圧が行われたことについて、ふざけるなの思いです。前総長も現総長も経済学者だそうだが、体制内化し、新自由主義に頭をたれ、学生を商品としてとらえ、その商品の価値を高めて資本に売るのが大学の役目だと考えているのだろう。学生運動(とくにマルクス主義の)が法大ブランドにキズがつくという考え方なのだろうと思う。法大を解放し、実践的マルクス主義がどういうものか、弾圧した連中にわからせてやろう。 【a】 『賃労働と資本』を学習して、あらためて資本家階級と労働者階級は非和解であることを確信した。そして、賃金制度は、労働者を分断し、競争をさせて、資本主義を成立させている。逆に労働者が団結するならば、資本主義を打倒することができる。 【K】 『賃労働と資本』でマルクスが核心的に訴えていることは何なのか。 【P】 1)2回の『賃労働と資本』の講義は、階級的労働運動路線を本当に物質化していくための大きな武器となっている。また、そういうものとしてあらためて『賃労働と資本』を自らのものとしてつかみとる意義をものすごく感じました。階級的団結論の核心は、労働者階級の自己解放=プロレタリア革命、ひいては共産主義の核心そのものであるという提起は、その意味で非常に納得できました。また、今回の資料としてとりあげられた松崎批判、特にその「労働組合と革命組織は違う」論は、まさに塩川一派との党派闘争の核心そのもの、体制内労働運動との決別をかけた闘いの内実そのものだと思います。これは、『俺たちは鉄路に生きる2』(中野洋著)でのわれわれの労働者観、労働組合論、労働運動論、革命論と完全に通じるものだと思いますが、自分自身あらためて、このマルクス主義的原点に立ちもどって猛然たる実践に突入していきたいと思いました。 【W】 1)『賃労働と資本』の実践的結論が、「階級的団結論」であることを聞き、すっきりした。最近『共産党宣言』の最後に、「万国のプロレタリア、団結せよ!」とあることを意識化したばかりで、感動していたわけだが、160年も前に、マルクスが「階級的団結論」の真髄を説いていたということをあらためて受け止めました。 【V】 資本家と労働者の関係は、絶対的非和解の関係にあることが、今回の党学校で改めてはっきりした。 【i】 資本主義の原理が競争と分断にあり、共同性の解体・否定にあるとの規定は、資本主義の転覆=革命がその規定を根底からひっくり返すこと、すなわち、階級的団結の形成・拡大そのものにあることが明らかにされている。 【g】 『賃労働と資本』の学習が、階級的労働運動路線の実践にとって決定的であることを核心的につかむことができた。 【t】 『賃労働と資本』を階級的団結論として見事に復権したレポートだと思いました。今までの自分の理解では、「搾取」=悲惨とヒューマニティックにとらえる傾向がどこかこびりついていた。これでは、日本共産党、カクマル、塩川一派らと同じ「結局、労働者は勝てない」に行きつきかねない。つまり、資本主義万能論になってしまう。しかし、資本主義は、労働者を分断するが、労働者が団結する条件をもつくり出してきた。討論であったように、新自由主義は、革命の現実性の到来だとはっきりさせることが大事だと思った。 【Y】 労賃は、生活維持費と労働者種族の繁殖費、修養費とから成るというが、「個々の労働者は、生存・繁殖しうるだけを受け取っていない」という。そして「全労働者階級の労賃は、その変動の内部においてこの最低限に一致する」という。つまり労賃には、剰余労働を生みだしておきながら、これを除外した所の残りの経費としての労賃の中から、労働者の維持や種族としての再生産費を調達しようとしている。労賃自身は、「幾百万の労働者は、生存・繁殖にも足りない」にもかかわらず、資本家は、あくまで労賃を「自力で繁殖までして再生産しろ」と言わんばかりに、労働者負担強要のイデオロギーを押しつづけている。このイデオロギーを粉砕する上で、剰余価値を否定しているプルードンの共済組合論や、「労働の価値どおりの労賃」要求論は、何ら労働者の解放にはならないことをはっきりさせるのが重要だ。 【D】 1回目のときの1848年革命敗北後のマルクスの強気な総括、団結を総括軸としている点、また、「本腰」を入れて、革命をやり直す。長期強靱に労働者階級を革命に向かって組織していく、プロレタリアートの党、共産主義者の党をつくる−そのための出発点が『賃労働と資本』ということが、今回の学校−提起と討論で、さらに確信がもてたように思う。
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