第9期第2回 マルクス『賃労働と資本』(上)前半講義概要 講師 畑田 治 ■はじめに はじめに以下のことを確認したい。 ■序章/『賃労働と資本』について 『賃労働と資本』(以下、『賃資』)について第1に確認したいことは、革命的激動の中で『共産党宣言』と一体で書かれた革命の書だということです。 ■(第1章)労賃とは何か? それはいかにして決定されるか?●労賃とは「労働力商品の価格」
1章の結論は、〈労賃とは、生産物の分け前ではなく、既存の労働力商品の価格〉だということです。つまり、いっさいの生産手段を奪われた労働者階級は、生きるために自らの労働力を資本家に切り売りする以外に生きられない存在だということです。1章のポイント的なところを引用します。 ●社会の表面では「労働の価格」
さらに『賃資』では、「資本家がこの購入(原料や機械、労働力)を行った後は、資本家はもはや、原料と労働用具(生産手段)をもって生産するばかりである。わが善良な労働者ももちろん労働用具の仲間であって、彼は織物機械と同じように、生産物または生産物の売り上げの分け前には少しもあずからない」(同p43)と言っています。 ●「疎外された労働」
労働は人間の生命の活動であり、生命の発露です。ところが、上に見てきたように資本主義社会では、生産手段を持たない労働者にとっては、彼の生命の活動は生活手段を確保するための単なる一手段にすぎない。彼は生きるために労働するのです。だから、労働は、自分の自己実現ではなく、むしろ彼の生活の一犠牲でしかない。だから、彼は労働する時間を自分の生活には算入しない。 ●賃金労働の歴史的独自性
労働力はいつでも商品だったわけではありません。労働力が商品となるのは、非常に独特な、資本主義に特有の関係です。 ●階級対立―階級闘争―階級のない社会への展望
資本は、「毛穴という毛穴から血と脂(あぶら)をしたたらせながら生まれてきた」(『資本論』)のです。土地を奪われいっさいの生産手段から切り離された労働者は、労働力を商品として売りに出す以外に生きられなくなってしまいました。ここに極限的な階級社会が生まれ出たわけです。 (前半講義了) |
討論から●A うちの地区でも先日、第1回の労働講座をこの『賃労働と資本』でやりました。『賃労働と資本』のマルクスのスタンスですけど、「われわれは労働者に分かってもらいたいのだ」「経済学の最も初歩的な概念さえも前提とはしないであろう」ということで、かなりユニークな講義をやってもらいました。最初に何を言ったかというと、中野さんの『甦る労働組合』の中の「賃金とは資本による労働者や労働組合にたいする分裂や分断の一番基本的でオーソドックスな攻撃である」。賃金とは攻撃なんだというのを聞いて、あ、そういうことなんだと、賃金とは攻撃なんだというね。そこで、まず何かみんな分かった気になった。 ●E 序章の所で、マルクスの改めての決意、立場表明なんだと書いてあった。団結を総括軸にして『賃労働と資本』を書いたんだというところが、やっぱり決定的なことなんじゃないかなと思った。マルクスは、賃金というところから始まって、資本家とは折り合いなんかつけられる関係じゃないんだということをハッキリさせたし、だから、モノを取った、カネを取ったじゃなくて、団結を総括軸にして、もう一回腰を据えて革命をやろう、ということをハッキリさせるのかなと思う。 ●I 『共産党宣言』と一体なんだということが言われていて、自分もそうだと思ったんですけども、『賃労働と資本』自身が、労働組合の中のイデオロギー闘争として、とりわけプルードン主義ですけど、ガンガンやっているということだと最近感じて、そういう意味では『共産党宣言』では「党」ということを言って、実践的には今のわれわれの階級的労働運動路線ということなのかもしれないけれども、そして『賃労働と資本』という形で、労働組合の中で問題になっていることにたいしてマルクスは、さっきも言われた資本とは絶対非和解なんだということを徹底的にハッキリさせたというのが、『賃労働と資本』をマルクスが執筆した目的なんじゃないかなと。 ●J 『前進』新年号が出たときの学習会で、『賃労働と資本』の後半の方を提起したんですけど、『賃資』で言いたいことは、資本家階級と労働者階級の絶対的非和解性、それと労働者階級の革命性、この2点だと僕は思っているんです。それ以降、イデ闘で、これでどう獲得していくのか、本当に党派闘争だし、行動提起のときに使うものだなと常々思っていて、今日の内容もまったくそうだと。『賃資』というのは、徹底的に労働者階級と資本家階級というのは一切の妥協はないんだ、打倒するのみなんだ、ということを言っているわけですよ。僕らはここで完全に一致して、その中で団結をつくっていくということが求められていると思います。 ●T 今どう闘うのかというときに、資本との党派闘争である、あるいは体制内労働運動との党派闘争である、と言葉では確認できるんですけど、実践的に非和解的に闘うというのは相当大変なんですよね。ある種浮きまくるというか、そういう厳しさがやっぱりある。そうじゃないと、労働者は自分の階級性をつかんで、自分の力をつかんで団結するということはできない、ということをハッキリさせるということなんだろうなと。賃労働と資本の非和解性というのは、言葉じゃなくて実践において貫かれなければいけない。 ●t 今日、すごい重要だなと思ったのは、今まで『賃資』の学習会をやってもあんまり空気が入らないというか、つまり、こんなに労働者搾取されているんだみたいなところで終わってたというのが、自分のやってきたことから言うと違ったなと思って。今日言われている「決意表明」というのは、すごい決定的だなというね。労働者に、あなたはこうですよ、非和解ですよ、ということを説明しているんじゃなくて、階級闘争をやって本当にこれでぶっ倒すという確信をつかむ、『宣言』と一体ということはそういうことだと思うんです。そこをつかんだという、そこは重要だと思った。 ●g 今日つかんだ最大の核心は、不平等に対する怒りを組織するんじゃなくて、賃金制度そのものに対する怒りを組織するということの重要性。今、新自由主義攻撃の中でやっていることは無茶苦茶で、本当に賃金のあり方なんかもひどすぎる状況がある。そのひどさに対して怒るというんじゃなくて、その資本そのものに対してどうやって怒りを組織するのかということが、すごい今重要なんじゃないかと思ってる。賃金とはそもそも何なのかというところに徹底的にこだわって、これが攻撃であり、分断そのものなんだということを、こっちがガンガン出していくということだと思うんです、結局、非和解性ということなんですけど。そこが本当に、新自由主義との対決という点で、今問われているし、実は党の団結というのも、ここで組織するというね。他のところに党の団結があるんじゃなくて、職場でのやり合いの中で、賃金制度とは何なのか、その非和解性ということを徹底的にハッキリさせながら、そこで党の団結も組織する、党をそこでつくるというか、そういう問題意識が重要なんじゃないかと思いました。 ●Y そもそもこの賃金奴隷制をつくるためには、本源的蓄積という奴隷貿易とか、人間を路頭に迷わせて羊をという、それ自身が、古代の奴隷制自身を使ったというか、そういう形でつくり上げた、つくり上げた結果、また奴隷制だというね。今度は賃金奴隷で、実は奴隷制よりも、それ以上にある種過酷だというね。 ●講師 結局、賃金制ということは、労働力の商品化ということで、何でそうなってしまったのかというときに、誰かがそういうシステムを考えたというよりも、原蓄過程なんかでは農民が土地を奪われて無一物になったと。自分で労働を実現できなくなる人がたくさん生み出された。そしたら、自分が労働力を他の人に売るしか自分は生きていけなくなってしまった。 ●L ただプロレタリアートというのは、土地から放り出されただけでプロレタリアートにならないんですよね。流民として始まって、強制的に労働させられるという形をとおしてプロレタリアートになるんですね。ブルジョアジーが生きていくためにはプロレタリアートを強制的につくり出す以外に、要するに工場ができたって働く奴がいなけりゃダメなわけだから、それで流民をともかく、無茶苦茶な強制労働、罪人扱いして働かなかったらムチと焼き印という暴力的過程をとおしてプロレタリアートというのは、強制的に生み出されたわけですよね。 ●M 今日の『賃労働と資本』の学習で感じたんですけども、マルクスが言っているのは、労働者階級にたいして結局、賃金が上がるというところにおいて実際には労働者階級がつくり上げてきた価値とか労働を半分以上奪っちゃうわけですよね。結局、それをまた資本家階級は武器にして、労働者階級をそれで搾取しているというね。 ●柴田 労働を奪い返すというのは、俺はよく分からない。現実的には、資本の命令には従わないということになっていくわけですよ、要するに、金を払っているんだからもっとちゃんと働けとか言ってくるわけですよね、実際には。ちゃんと働けってことは、もっと働けということなんですけど、そういうことに対して、いや、そんなふざけるなというんで命令を拒否するという闘いなわけです。そこで処分とか弾圧とかもあったり、職務命令とか出されるんですけど、そういうものとの対決という点で、そのやり合いをとおして、その非和解的やり合いをとおして、職場に団結をつくっていくんで、労働者の団結でもって職場支配権を握っていくという闘いですよね。実際には超勤拒否とかといって、働かないぞってやるわけですよ。こんなの働いてられるか、ふざけるなと、課長お前やれ、というふうになるわけです。そういうやり合いに入っているわけですよ。不起立だってそうでしょ、やらないよ、立たないよ、となるわけで、そういう闘いにどんどん入っていくわけで、資本との非和解性というところを本当にハッキリさせるようなスローガンということで言えば、ちょっと「労働を奪い返す」というのはいまひとつじゃないかなというふうに僕は思います。 ●M だって今日の『賃労働と資本』の中でも、資本家は必要労働、剰余労働という形で奪っているわけでしょ、剰余労働という部分を。現実がそうなんだということをマルクスが提起しているわけでしょ。その現実に対してどうするのかということです。 ●f 現実には、ここまでが必要労働で、ここから先が剰余労働だという区切りをつけて分けられるものじゃないし、要するに核心的には、デタラメな理由で労働者は解雇されるという現実はあるわけであって、それは資本が職場を支配しているから、それに対して組合が闘わないから労働者が解雇される。それに対して、その解雇された労働者が、こんな現実ひっくり返さなければいけないということで労働学校に結集しているわけですよね。その辺の怒りだと思うんだな。やっぱり資本の支配の下で労働者がすべての人格を奪われていると。だから、奪い返すということがあるんだったら、資本支配によって奪われた人格、労働者として生きるための人格だとか、そういうすべてを奪い返す、要するに全世界を奪い返すということだと思うんだよね。 ●I 講義の例の所で、4時間分1日、1時間1000円で買われている、で、その4時間作った後に4時間資本家に、というふうな、例としては確かに説明するときに僕も結構そうするし、分かりやすいという面あるんですけども、でもやっぱり、資本主義のこの社会の中で労働するということは、1分1秒でも、要は資本家のために働いているんだということなんですよね。最初の4時間が必要労働で、残りの4時間が剰余労働でその分資本家に、ということじゃなくて、1分1秒すべてが資本家のためなんだということだと僕は思います。 |
受講レポートから ★『賃労働と資本』(上)のレポートです。【O】 今回の学習会では、マルクス主義−団結−実践の関係が深まったと思います。 【R】 1848年の時点に立ってみたとき、マルクス(30才)が革命を志して「上京」=パリに出て来て5年が経っています。そして、1848年パリ2月革命、ドイツ3月革命の敗北の上に、新たな決意として書かれたものということで、感覚的にとらえると、非常に身近く思われます。 【g】 新自由主義との闘いの中で、“賃金とは何か”をはっきりさせることが決定的に重要であることが、はっきりした。労働者の団結を徹底して破壊し、ブルジョアジーは「会社がつぶれたらお前らも生きていけない」「国が破産したら−」と言い、体制内組合指導部は「運命共同体」と言って労働者に襲いかかってくる。その根底に貫かれているのが「分け前」論だということ。 【j】 ○日経連がいう「企業は労使の運命共同体」論、を絶対粉砕する基礎が『賃労働と資本』にある。 【I】 『賃労働と資本』を、これまでは「賃労働とはこういうものだ」というように読んできたけれども、階級的団結論を通して読み返すと、「資本と労働者は徹底非和解で、労働者は資本を打倒することで解放されるんだ」というマルクス主義そのものがよみがえってくると思った。とくに、最初の読み方のところで、マルクスが「世界革命の勝利以外に労働者の勝利はない。労働者は勝利できる」と、ものすごいパトスをもって執筆した立場に立ちきって読むことが本当に重要。 【E】 ○冒頭のマルクスの「総括と決意表明」は、『賃労働と資本』を“学ぶ”にあたって決定的に重要なことであると思いました。マルクスが立った資本主義に対する原則的立場にたち切ることが、今の我々に問われているのだと思います。 【e】 「競争と分断」に対して、個人的にはこれを否定して革命家への道を歩みだしました。今日始まっていることは、「競争と分断」に対して、労働者階級が階級的団結をとりもどしていく過程が、現実のものになりはじめているということです。 【X】 1.私の地区では、4月に第1回の労働学校を、青年労働者を中心にスタートしました。開始した職場闘争をマルクス主義としてとらえ返し、固める活発な討論で成功です。 【m】 これまで『賃労働と資本』について、自分が非常に限定的な理解だったと感じました。講師の冒頭の提起も含めて、賃金闘争そのものが資本主義打倒=革命の重要な課題であることを再確認できました。“人間の血と肉を容器とする「奇妙な商品」”、しかし今日的には、そこからも排除されてしまう膨大な「プレカリアート」の存在がある。新自由主義が、自らの墓掘り人を生み出している現実。 【t】 『賃労働と資本』の読み方が変わった。「労働者は搾取されている」「だから闘おう」ではなく、賃金奴隷制で日々分断されていることへの怒りを組織して、団結をつくり出す実践の武器にする。これは決意ですが。 【C】 「賃金」とは攻撃である。→この言葉がすごくよかった。この一文で全てがわかる。この一文で『賃資』がわかった。 【P】 1)今日の提起の重要な所は、『賃労働と資本』の「はじめに」と序章で、マルクスの決意について相当な力をこめてはっきりさせきった所にあると思います。『賃労働と資本』が党派闘争の書=さまざまな諸党派(当時も今日も)という意味もあると思いますが、やはり最大の問題は、今の資本主義社会は、資本があってわれわれがあるのか、逆にそうではなく、労働者の存在があって資本含めた全社会が成り立っているのか、一点、この点に関わる大闘争だと思います。自分が『賃労働と資本』を最初に読んだときの感想は、資本と賃労働の関係は非和解で徹底的に対立している、ということもありますが、結局なんだかんだと言っても、今の社会の全部をつくり出し、担っているのはわれわれ労働者なんだ、という何とも言えない気分であったことを思い出しました。(最初の本格的な学習会は、労働組合の人たち含めた当時の青年労働者とのフラクションのテキストが『賃労働と資本』でした。) 【J】 今回の学校で、g同志より「不平等に対する怒りじゃない、賃労働に対する怒りだ!!」というのがあったが、僕もまったくそう思う。 【V】 何回か『賃労働と資本』の学習会に参加してきましたが、今までの中で、今回の党学校の内容と討論が一番良かったと思います。 【r】 ☆『賃労働と資本』の位置ということについて、ひとつ「『共産党宣言』と一体の革命の書、革命の激動の中で」ということと、もうひとつ「新規まき直し、今度こそ勝利」というなかで書かれたことの強調、大切だと思いました。それと「党派闘争の書」であるという視点も。私もこれまで、『賃労働と資本』『賃金・価格・利潤』は『資本論』の入門というものとして読んできましたが、『賃資』の魂にふれた思いで新鮮でした。 【Y】 「賃金とは何か」と労働者に聞くことで、私有財産制の廃止にまで労働者をオルグしようとしている姿が、まずすばらしいと思う。賃金自体が、労働者の分断や競争をひきおこす、「人間の評価」ではまったくなく資本家によって搾取を強要され、新しい奴隷制まで押しつけられた結果であることをあばき、資本主義の打倒まで闘おうと促すことが重要だ。 【f】 賃金が、労働者階級に対する攻撃だということが、今日の提起と討論の過程ではっきりしたと思う。 【A】 レジュメの「はじめに」にあるように、「党学校は、階級的労働運動路線についての確信を深め、…革命の組織者、宣伝・扇動者として飛躍するための闘いの場。これもひとつの党の会議」という提起をガッチリと受け止め、実践していきたい。 【H】 1.『賃労働と資本』を若い頃から何度も読んできたが、独学だったので、知識として蓄積されたものはあった。しかし、学習会と討論をする党学校では、実践課題に引き寄せることで、さらに知識も意欲も深められていくように思った。討論の中で、『賃労働と資本』を『資本論』への橋渡しとして読んできたために「空気が入らない」という発言もあったが、賃金制度を覆っている「たてまえ」が引きはがされ、賃金制度そのものを打倒していく展望がこの書にはあるという理解は、これまでにない新鮮な感じがした。 【U】 1.『賃労働と資本』を通してマルクスは、プロレタリアートとブルジョアジーの非和解性をとき明かして、賃金奴隷制の廃止・革命を明らかにしているんだということが、今回のポイントだと思った。 【T】 全ては実践的にどうするか、でハッキリさせることだと思う。そこから離れたスローガンは、スローガンたりえないと考える。〈労働者が、職場で〉 【b】 最後(討論)の「奪われているもの」を奪い返すために訴えかけるスローガンは? という質問は、いい質問だったと思います。やはり、労働者は人間性の全てを奪われている。これを奪い返すためには、体制内労働運動を打倒してプロレタリア世界革命をやる以外ない。階級的労働運動路線の白熱的実践を、ということだと思います。 【d】 『賃労働と資本』の学習会は、(自分の体験では)解釈主義的でスタティックなものばかりだったが、今回初めて、そうでないものに出会った。「資本家にとってはもうけが少し減るだけ」とか「不正・公正」とかの指摘はあったが、提起には、資本そして資本主義に対する怒りがみなぎっていて、自分もチューターをつとめる時には、今回の講師にならいたいと考える。 【M】 賃労働と資本の関係の廃止! これをいかに現代の労働現場で具体的に分かりやすく出していくか、これが問題だと思います。プロレタリアートは社会の諸資本から切り離された存在、生産手段から切り離された存在故に、自らを労働力商品として切り売りしなければ生きていけない存在。そして労働現場における労働がそうであるが故に資本家階級に奪われている存在、資本家階級から見ればプロレタリアートは資本が既に持っている蓄積された労働(=価値)を増やすためだけに存在している。一個の人間というよりはモノとしてあり、実際そのように扱われている。これが資本主義社会の現実(=本質)だ。 【L】 賃金とは何か、ということをハッキリさせる中に資本主義というものの本質がみえて来る。『賃労働と資本』は『共産党宣言』と一体で出されており、つかみとるとされています。プロレタリアートとはどのような存在なのか、このことをハッキリさせることではないであろうか。 【W】 『賃労働と資本』を開始された階級的労働運動路線下に自己を位置づけて、新たな気持ちで参加した。これまで『賃資』を学習した際、どうしても「学習的」になり、実践とかけ離れていた面、プロレタリア革命を先の方に見ていた。『賃資』の講義をあらためてきいたとき、それが、当時の体制内労働運動ともいえるプルードン主義との党派闘争として実践的に提起され、労働者の団結と決起を根本からつくり出す革命の内容であることが、主体的に受けとめられ、大変よかった。 【K】 党学校=古典の学習会という固定観念にとらわれている自分が、根底から粉砕されてしまうような、党学校であった。 【F】 米帝のサブプライムローンを発した住宅バブル崩壊は、米帝はもとより国際帝国主義の信用収縮−大金融恐慌を引き起こし、産業資本の過剰資本を全面的に暴き、大恐慌への突入を不可避とする情勢をつくりだした。この情勢は、現代帝国主義はもう生き残れないことを示しいてる。洞爺湖サミットは、最末期帝国主義の大恐慌を解決できない。 【a】 「賃労働とは何か」ということで学ぶ中で、賃金のあり方がどういうことか、少しわかりかけてきた。資本家が労働者に支払うのは、半分であるが、労働者は、労働力で賃金をもらっている。つまり、生活するために「労働力」を売るしかないのが労働者であるが、「労働」を売っているのではない。しかし、現実的には、労働力を売ることで、労働者のほとんど全てが、賃金奴隷となってしまう。だから、労働者が、労働用具・原材料と同一に扱われている。この商品として扱われる労働者の怒りが今の資本主義を打倒しないかぎり、「労働」の自由な解放がないのだ。 【D】 今日の学習を通じて、『賃労働と資本』の学習の姿勢が完全に変わりました。階級的労働運動路線の下で実践が始まり、討論もすべて刺激を受けました。 【Z】 『賃労働と資本』の核心的内容を、ついにつかんだ気がします。それは、賃金奴隷制の廃止ということ、階級支配そのものを覆していくということにあります。このことが、提起と討論、さらに『賃労働と資本』をテーマにした先日の労働学校の中で明らかになりました。「不平等」に対する「平等」ではない、「労働力の商品化」そのものの廃絶のために労働者階級は闘うということです。 【Q】 『賃労働と資本』の読み方が、極めて実践的な問題意識からの提起と討議によって大変前進している、と感じました。 【S】 労働力を労働者は資本家に売る。貨幣を受け取る。これが労賃である。 【N】 講師の提起も、参加したみんなの問題意識も、階級的労働運動の実践の観点からマルクスの「何としてもプロレタリア革命を」という当時の実践的立場に迫って『賃労働と資本』を捉えるというもので非常に刺激的で、もの凄く勉強になりました。 【n】 (1)『賃労働と資本』をどう学ぶか−提起について。 【i】 「賃労働と資本」の関係性は、徹頭徹尾“非和解”であるということ。“非和解”であることに、解決しようのない矛盾が集中しているということも含まれている。だからこそ、「賃労働と資本」の階級的な関係をひっくり返すプロレタリア革命は、徹底性が貫かれた決定的な闘いとして貫徹されるし、されなければならない。 |