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2008年04月号

党学校通信

党学校機関紙 A4判月1回発行 頒価100円

今月の内容 『レーニン『国家と革命』(下)

講義概要 P1-6

★-討論から… P7-10

受講レポート P10-16

2008年04月号
通信 バックナンバー
党学校通信 p1-6 講義概要

第8期 第6課目 レーニン『国家と革命』(下)

後半講義概要 講師 丹沢 望 

2 『国家と革命』の内容の現代的復権(つづき)

●第5章 国家死滅の経済的基礎

 この章は、共産主義の発展と国家の死滅との関連の分析がテーマです。
  第4章までの展開で、レーニンはロシア革命を労働者階級自己解放の闘いであるプロレタリア革命として成功させる立場から、最大のハードルをなしていた国家の問題、ブルジョア国家の徹底的粉砕、プロレタリアート独裁樹立の課題を鮮明に提起した。次にプロ独の下で形成されるコンミューン型国家を、ただちに死滅し始めるように組織された国家機構として明らかにし、国家の死滅過程と経済的変革過程の弁証法的関係を解明した。
  ロシア革命においてこのようなプロ独国家を樹立するという決意と実践的問題意識で、レーニンは第5章で、政治的変革と経済・社会的土台の根本的改造を一体的に論じようとした。
  こうした観点からレーニンは、マルクス『ゴータ綱領批判』の理論的解明を基礎に、プロ独を経て国家を死滅させるためにロシア革命においていかなる実践的課題に取り組まなければならないかを明らかにしている。
  レーニンはまず、プロ独を通じてのみ「完全な民主主義」を実現できること、そして共産主義への移行、国家の死滅とともに民主主義も死滅することを明確にした。
  だが、このような政治的変革の問題を軸に、過渡期から共産主義の第1段階への移行の問題を論じていく方法を取ったために、若干の理論的「混乱」が生じた。
  レーニンは「たった今資本主義社会から生まれ出たばかりの共産主義社会」では、生産物の分配に関してはまだ「ブルジョア的権利」が存在し、「労働の平等と生産物の分配の平等とを保護する国家の必要性はなお残っている。国家はまだ完全に死滅したのではない」としている。 
  ここでは、プロ独と民主主義という問題設定から、プロ独の過渡期政策の領域にかかわる問題が、共産主義の第1段階に持ち込まれている。
  だが第1段階であっても、共産主義社会には、政治権力としての国家は存在しない。国家はプロ独期において資本家の収奪と資本家階級の反抗の制圧をなし終え、生産手段の共有に基づく計画的生産が軌道にのれば、社会階級が存続する根拠そのものがなくなり、基本的に死滅=眠り込みを開始する。
  この問題については、民主主義という政治の問題と、経済・社会の土台のプロレタリアートによる支配・管理・統制の下での経済の根本的改造という問題を一体的にみる必要がある。レーニン自身この問題について明確に把握しているにもかかわらず、この2つの問題が統一的に論じきられていない。
  だがこのような「混乱」は、レーニンがロシア革命後、ロシア社会が一定期間の過渡期を経て、比較的すみやかに共産主義社会に移行するという観点をもっており、また、革命後共産主義社会に移行する闘いを直ちに開始すべきだという強烈な実践的問題意識を持っていたことからくる「混乱」です。
  われわれは、レーニンのロシア過渡期社会建設過程での闘いを学びつつ、レーニンの「混乱」の整理を行うことを通じて、プロ独から共産主義への移行の過程に関する理解を圧倒的に前進させなければならない。

●第6章 日和見主義者によるマルクス主義の卑俗化

 この章の核心は、第2インターの日和見主義的な「マルクス主義者」の帝国主義戦争への協力、国益の擁護、労働者階級の国際連帯の大義の裏切りの根底には、「国家に対する日和見主義」「社会革命に対する国家の関係という問題からの逃げ腰の態度」があるという点です。
  カウツキーやベルンシュタインは、暴力革命によってブルジョア国家を粉砕してプロ独を樹立し、国家の死滅を実現していくというマルクス主義的立場を完全に放棄し、議会内での多数派の獲得によって国家権力を「たたかいとり」、「議会を政府の主人公に高める」という日和見主義に転落した。
  レーニンは、第2インターを席巻していたこのような最悪の日和見主義を徹底して粉砕することなしには、ロシア革命を、さらには世界革命を勝利させることはできないと決意して、真正面から第2インターの日和見主義を弾劾した。レーニンはこの章で、国家と革命に関する核心的問題を再確認している。

3 労働組合の革命論的意義−レーニンの労働組合論から学ぶ−

@プロ独論の発展

 レーニンは『国家と革命』の基本思想をロシア革命において実践的に貫徹しようとした。したがって、ロシア革命の実践的経験との関係で『国家と革命』の基本思想をより豊かなものとしてつかみなおしていく作業はきわめて重要です。とりわけ、ロシア革命の全過程においてきわめて重要な役割を果たした労働組合の革命論的位置づけを明確にさせることは核心的な課題です。レーニン自身はこの課題の重要性を自覚しながらも、革命の渦中で忙殺され、ついに実現しえなかった。現代革命を実現する実践的立場に立つわれわれこそ、ロシア革命の経験の総括を通じて、レーニンにかわってこの課題を達成しなければならない。また、それができるのはわれわれしかいない。
  マルクスがパリ・コミューンの総括を通じてコミューン型国家の基本原則をプロ独の核心として提起し、レーニンがそれを原則的にロシア革命に適用しようとして苦闘し、勝利したように、われわれはロシア革命の経験の総括を通じて労働組合の革命論的意義を明らかにし、マルクス・レーニンのプロ独論を継承し、現代的に発展させなければならない。
  それは階級的労働運動路線の理論的基礎を固める作業であるとともに、レーニンの『国家と革命』がもつ可能性を現代的に復権する意味をもつ作業でもある。

A労働運動を重視したレーニン

 レーニンは、「労働組合は資本の侵害に対する抵抗の中心としておおいに役立つ」が、「賃労働制度そのものと資本の支配を廃止するための組織された力としてよりいっそう重要」だとしたマルクスの立場を継承した。この立場から、レーニンは労働組合がプロレタリアートのもっとも広範な階級組織であり大衆組織であり、プロレタリアートの偉大な歴史的使命を実現する主要な組織だとした。プロレタリア革命が労働者自己解放の闘いであり、労働者階級自身の課題である以上、このような階級組織である労働組合は革命において必然的に重要な役割を担う。
  そうした観点から、レーニンは「労働組合はプロレタリアート独裁の基礎であり、支柱であり、もっとも親しい協力者であり、プロレタリアート独裁の主要な構成部分である」という立場で、革命運動を開始した当初から労働組合と労働運動を徹底的に重視した。
  こうした立場に立ってレーニンは『なにをなすべきか?』の中で、労働者階級の全面的な自己解放能力を否定し、労働者階級は経済闘争主義的にしか闘えない階級であるとした経済主義者を徹底的に粉砕し、労働組合の中で労働者階級の階級的自覚の全面的深化と階級的団結の強化、共産主義的政治の全面的貫徹のために闘うことを提起した。同時にこのような闘いを貫徹するためには、鮮明な階級意識の最高形態をもっとも正確に体現する前衛党を、階級の最高の団結形態として確保する必要性があることを提起した。
  1905年革命に至るまでの過程では、一切の労働組合が非合法とされていたため、レーニンは階級的労働運動を指導するためには党を非合法・非公然の党として建設する必要性があることを提起した。そして、そうした党の実体的担い手の中心が労働者階級自身でなければならないことを強調したのです。

B労働組合の創設と発展

 1890年代中ごろからロシアでは労働運動が活発化し、労働組合がない中で自然発生的なストライキの大波が押し寄せた。ツァーの政府はこれに対処するために反動的な官製労働組合を組織して労働運動を管理しようとした。
  だがレーニンとボルシェビキは、このような反動的組合のなかでも活発に活動し、積極的に社会主義的意識を持ち込んだ。05年の革命はこのような官製労働組合が闘いの渦中に全面的に引き込まれるなかで、ボルシェビキの革命的工作が功を奏し、労働者階級の階級意識が一挙的に覚醒するなかで爆発した。
  同時にレーニンは、労働組合の合法的地位を勝ち取る闘いを展開した。官製組合に対抗して組合がなくても労働者を組織できる工場委員会という組織を各地に創設して労働運動を展開したのです。
  このような闘いをロシア社会民主労働党第3回大会(05年夏)以降、全党が展開した結果、ぺテルブルグ、モスクワ、オデッサなどの主要都市に続々と闘う組合が形成され、05年10月の170万人のゼネストから労働者代表ソビエト創設にいたる05年革命の巨大な発展の道を切り開いた。労働組合は文字通りソビエトの大黒柱となり、プロ独国家は労働組合を土台として形成されることが鮮明となった。

C反動期のボルシェビキの闘い

 05年から17年にいたる過程は、労働運動をいかなる質を持ったものとして展開するかをめぐる激しい党派闘争の連続でした。
  05年革命以降のツァー政府による労働組合と労働運動への弾圧の激化のなかで、「解党主義」や「召還主義」、「労働組合中立論」などの日和主義や党の指導から労働組合を切り離す傾向が台頭する。レーニンはこれらの傾向との断固たる闘いを通じて、プロレタリア革命を貫徹する立場から労働運動を展開する戦略的立場を守りぬいた。
  とりわけ、この闘いにおいて12年プラハ協議会は決定的意義をもった。この協議会でメンシェビキと最後的に決別したボルシェビキは、合法的・半合法的労働組合こそ非合法の党組織の砦、「拠点」「援護所」であり、労働組合がなければ党組織は生存できず、党組織の発展と広範な宣伝活動にとって労働組合は重要な意義をもつことを明確にし、すべての工場内に非合法の社会民主党細胞をつくり、労働運動を全面的に指導していく方針を確立した。
  また、労働運動の全面的発展の観点から、職場からの労働者の投稿を中心とする合法的な労働者新聞『プラウダ』を発行したことは、階級的労働運動の発展にとって決定的な意味をもった。

D10月革命と労働組合

 2月革命によってソビエトが形成されたが、社会革命党とメンシェビキの代表がソビエト指導部の多数派を占めた。多数派はブルジョア臨時政府に屈服し、プロレタリア革命を放棄した。
  これに対しレーニンは、ブルジョアジーに奪われた権力を奪還し、プロ独を実現するためには、労働組合と労働運動が今こそ決定的に強化されなければならないという方針を打ち出した。こうして4月テーゼというプロ独貫徹の路線を打ち出したボルシェビキは、4月以降、労働組合を全国的に組織する一大運動を開始する。7月末〜8月初頭の第6回党大会では、すべての党員が労働組合に加入し、同時にすべての自覚的労働組合活動家に入党をすすめる決議がだされ、猛烈な労働組合活動が展開される。
  この結果、10月革命直前には全国の労働組合員数は200万人を超えるとともに、労働組合やソビエト組織内でのボルシェビキの影響力は一挙的に拡大する。
  この時期、レーニンは二重権力下での生産の労働者管理の闘いを組織し、権力奪取以前の段階で、労働組合の職場支配権の極大化と、生産と分配の労働者統制を実現することを通じて、労働者に社会の主人公としての自覚をうながした。この闘いが10月革命への途上で果たした役割はきわめて重要だ。また、一斉武装蜂起にむけて労働者の武装も目的意識的に追求された。ボルシェビキは全国の工場で労働者民兵を組織し、「労働者赤衛隊」へと発展させた。8月下旬のコルニーロフの反革命的反乱の粉砕、資本家の生産サボタージュなどの反抗の粉砕、赤衛隊の活動をテコとした全人民の武装と思想教育など、全労働組合の武装は10月革命直前に決定的に前進した。
  労働組合に対するボルシェビキのこのような組織的工作があってこそ、10月の武装蜂起は、2月革命以降蓄積されたロシア労働者の革命的エネルギーのすべてを爆発的に解き放った。
  10月革命後の反革命勢力や帝国主義干渉軍との戦いにおいても、労働組合の果たした役割は巨大であった。10月革命後、労働組合を媒介として全勤労人民の武装が実現されたが、帝国主義の軍隊と戦うためには、民兵の原則に反するが、常備軍としての赤軍という正規軍が絶対に必要であった。だが、レーニンはこの軍隊を労働組合員を主軸とする人民の軍隊とするために、労働組合に積極的参加を呼びかけた。こうして数ヶ月で30万人の赤軍が形成された。レーニンは、さらに農民の労働組合による組織と戦争動員活動を呼びかけて19年10月までに300万人の赤軍が形成された。農民の軍事的組織化と赤軍内の労働組合員による教育は、労農同盟の圧倒的強化を実現し、反革命軍や外国干渉軍を粉砕する決定的役割を果たしたのです。

E戦時共産主義期の労働組合

 10月革命後の武装した反革命勢力の反乱、帝国主義諸国による反革命干渉戦争、ドイツ革命の失敗と国際的孤立などの困難の前に、1億4000万人の総人口のうち400万に満たない数の労働者の独裁は、重大な危機に陥る。だがレーニンは、このような困難を前に屈せず、労働組合に依拠しつつプロ独を実現する立場を貫徹し、『国家と革命』で明らかにしたパリ・コミューンの革命的原則をストレートに貫徹する闘いを開始した。
  それは当初は、「労働組合の国家化」政策として展開された。労働組合を国家組織に変え、全面的に国家統治機能を担わせることを通じて、プロ独を強化しようとする政策だった。コミューン原則の貫徹も労働組合をプロ独の大黒柱と位置づける中で実現されるものとした。
  だが、それはロシア労働者の階級的自覚と文化水準・管理能力の不十分性という限界がいまだ克服されていないという現実によって行き詰る。結果は経済の統一的計画的組織化の失敗と混乱の拡大であった。
  これに加え、反革命との戦争の中で余儀なくされたものとはいえ、余剰農産物の強制的徴発が、農民のプロ独政権への不満を爆発させ、労農同盟が危機に陥ったことは、「労働組合の国家化」政策の見直しを迫るものであった。

F「労働組合は共産主義の学校」論

 こうしてレーニンは、一方で新経済政策(ネップ)を導入し、余剰農産物の貨幣による商品交換を認めて労農同盟を修復するとともに、他方で、当面任命制の「単独責任制」のもとで生産の混乱を立て直そうとした。
  これらは明らかに後退政策だが、レーニンは、これが世界革命の展望の中でプロ独を確立するためのやむをえぬ後退であることを自覚した上で、この政策を打ち出した。
  その上で、レーニンは、プロ独の確立のためには、労働者の支配階級としての教育を全面的に強化する任務を労働組合に保証することが絶対に必要だという結論に至る。国家統治と経済管理に労働組合を参加させつつ、労働者の支配階級としての能力を早急に強化する以外にプロ独の確立はないことをレーニンは主張し、労働組合を「共産主義の学校」とする方針を打ち出した。

G労働組合と国家の融合論

 レーニンの「労働組合は共産主義の学校」論は、(世界革命的展望の下で)プロ独の発展と国家の死滅を射程に入れたものだった。
  それはネップによって当面の危機を生き延びつつ、労働組合の下でできるだけ早く労働者階級を行政や統治に習熟させ、経済管理能力を獲得させることによって、次第に国家と労働組合を「融合」させ、ソビエト国家の権力性を希薄化し、ついには国家を労働組合の中に「眠り込ませ」、最終的に世界革命的展望の下で労働組合自身も、国家と労働組合を媒介する党も消滅させていくという国家死滅の道筋を示すものであった。これによって権力や政治に媒介されない生産者の共同組合的な有機的結合体を基礎とした共産主義(第1段階)を実現するという戦略的展望(もちろん、世界革命論と一体のものとして)を持ったものであった。
  われわれは、この過渡期から共産主義への移行の具体的道筋が、ロシア革命の具体的経験のなかで実践的に明らかにされたことをしっかり総括し、教訓化しなければならない。ロシア革命の総括を通じて労働組合の革命論的意義を明らかにし、『国家と革命』の現代的継承と発展を断固として勝ち取ろう。(後半講義了)

党学校通信 p7-10

討論から

●E

 今日の学習なんですけども、自分の問題意識とは結構かみ合っている、内容そのものについては。レーニンがあらゆる困難を乗り越えて階級の指導部として登場している、これがやっぱり決定的かなと。要は、階級の指導部、革命家ならどういうふうに行動するかとかそういうのを、徹底的に労働者に依拠して闘っているレーニン、これをはっきりさせているのが決定的で、そういう意味から言ったら、「結論」がちょっと違う、僕は。実践的には3・16だし、労働組合論から徹底的に学ぶというのもそうなんですけど、要は、全員がレーニンになるということ。階級の指導部になるということはそういうことだと思う。
  今的に言ったら、学生は田中委員長に全員がなるんだと言っている、階級の指導部として。それくらい、今の情勢下で一番求められていることなんです。マル学同強化合宿のレジュメ、これを是非みんな読んでほしい。レーニン『帝国主義論』を、21世紀の『共産党宣言』として復権させるということ。『共産党宣言』で言われているプロレタリアートの存在というところ、その辺をはっきりさせる。新自由主義とかも含めて、帝国主義の末期性ということをはっきりさせればさせるほど、労働者が社会の主人公であり、権力を取っていくということを極めて具体的にはっきりさせている。実践的結論は、全員が田中委員長になろうということなんです。

●R

 基本的に労働者階級自己解放闘争に依拠したというあり方で、もう一回見直すという意味では非常に整理させられたというか、よく分かった。ただ、今日の前半、『国家と革命』の内容で、共産主義というのはある種、本当に簡単にできるんだという自信が湧くんです。だけど後半の方で、これは新しい試みなんだと思いますけど、労働組合論というね。これ自身もちろん勉強になったし、講師が自己解放論ということでやれば必ず解決できるというか、レーニンが超人じゃなくて、ちゃんと分析すれば誰もができる課題なんだというね。だけどいかんせん非常に困難というのは結構生々しいなと。
  もう1個もうちょっと強調する必要があるのは、国際主義というかね。そのテーマが、もっとリアルに、ロシアの国内の困難なんかもある種吹き飛ばすくらい、実は巨大なものがあったんじゃないかと。これが、スターリン主義によって転覆させられた、だから、困難性しか見えなかったのかなと。例えば、ロシア国内だって、諸民族との連帯、それがある種加速させるというか、そういう要素というのがあんまり言われていないというか。

●講師

  まず最初の困難性という問題なんですけど、あの時代のロシアの特殊性というのがある。遅れて発展した帝国主義ということで、労働者階級の歴史がまず非常に若い。それから数、質という点で、西欧の労働者階級とちょっと違う。それから、孤立ですよね、帝国主義に包囲され、すさまじい反革命戦争を仕掛けられたという、その辺の困難性の問題。それから、ロシア内の党派関係。そういうものが、すべて襲いかかってきた。国際的には、第2インターが崩壊して、国際的支援を得られないという問題があった。
  ただ、その辺の問題というのは、現代では非常に様変わりしていると言える。例えば、日本を見れば、労働者階級は圧倒的多数になっている。ロシアの5%なんてもんじゃなくて、50%には達している。国際連帯という点でも、11月労働者集会という形で進んでいる。革命党の質という点でも、革共同がすごい勢いで階級的労働運動路線を展開し始めているということで、ロシアと比べたら圧倒的に展望がある。世界的に見ても労働者階級の数というのは、ものすごく増えている。
  また、世界的に今の資本主義の、帝国主義の危機ということです。労働者の活性化というのもものすごく始まっていて、そんなに悲観したものではないんじゃないか、今の段階では。レーニンの時代には確かに、相当難しい問題があったということだと思う。
  国際主義という問題は、決定的だと思う。ロシア革命にたいする国際的な反応というのはものすごくあった。ロシア国内の諸民族と、それから当時の植民地諸国におけるロシア革命にたいする圧倒的な期待と、それからその後の植民地諸国における階級闘争の発展というのは、すさまじいです。国内においては、レーニンが諸民族の解放を宣言して、民族の自決権を明らかにする中で、とりわけムスリムの決起は、反革命との戦争において決定的役割を果たしている。そういう点で、労働組合の意義ということと、国際主義・諸民族との結合の問題、この問題については、決定的にわれわれとしては重視しなければならないと思います。

●Z

 労働組合の革命論的意義ということをガッチリ据えて、土台にして、その中に『国家と革命』をあらためて位置づけていくという、そういうわれわれ全体のもう1歩の踏み出しが問われている。今日の講師の提起は、そこに向かっての1個の試みだと思う。
  解説本も、この間の『国家と革命』の党学校でも、国家はいかにして死滅するのか、共産主義社会をどうつくるのかということで、一言で言えば、第5章、レーニン的に若干の概念の「混乱」があるのではないかと。そこのところを革命的・戦闘的に、要するに実践的に整理していくものとして、それはそれで決定的だったし、極めて重要な前進を切り開いていると思う。
  しかし今日的には、そこら辺の提起は、労働組合ということをしっかり実践的に措定して、媒介させて、例えば、国家の死滅もストーンと国家の死滅に行くんじゃなくて、国家は労働組合に眠り込んで、ということをとおして、労働組合として死滅していく。その意味では、ストーン死滅じゃなくて、クッションを置いて、ポン、ポンと死滅する。このことは、労働組合ということをはっきりと措定すると、ものすごく鮮明になるし、そういうふうに確認すると、今まさに実践的に分かりやすい。だからレーニンが、共産主義の第1段階にまでプロ独のもとに、いわば滑り込ませた。これは概念的混乱だというのはそれはそうだし、整理する必要がある。だけど、レーニンの問題意識からしてみたら、労働組合的なものに向かって眠り込んでいくことをとおして死滅していくということを実践的には内包しつつ、極めて実践的にものを考えているということもあるから、そこら辺をひとつ整理する、今後はっきりさせていくということを私はすごい感じているんです。
  『共産党宣言』の論理をあらためて考えてみると、主語はプロレタリアート、あるいはプロレタリアートの自己解放闘争。このプロレタリアートが歴史的に登場するや否や、直ちに資本と階級闘争を開始する。それは必ず労働組合を生む、労働組合的団結だよね。で、その労働組合的団結は、必ず労働者自身の政党を要求する。したがって、労働組合的団結が党を生む。そして、パリ・コミューンで、ついに発見された政治形態としてコミューン型国家、つまりソビエトです。だから、労働組合、党がソビエトを生む。コミューン型国家をつくり出す。
  じゃあ今度は、いかにして死滅に入るか、いかにして共産主義社会に入っていくか。つまり、コミューン型国家は、ソビエトと党は、組合に眠り込む。そのときは、もう今の労働組合じゃない。要するに、生産の共同組織というものに組合自身も変容して、言ってみれば、全部オール組合化、全部オール生産共同体化、そういうプロセスをとおして共産主義社会に入っていく。
  だからしたがって、階級的労働運動路線というのは、単に今現在の革命勝利の路線じゃなくて、プロ独、それから死滅へのプロセスも含めて、何をもって、何を武器にして国家の死滅に入るか、共産主義社会をつくっていくかというときに、われわれの実践の中で、ものすごくはっきりさせてきた勝利の如意棒だと思うんです。
  あと、<労働組合−党−ソビエト>の三位一体だけど、これは実体的には何か。要するに、1人が全部体現するんだ。つまり、労働者党員ですよ、労働者細胞ですよ。労働者細胞が、労働者党員が、細胞として、党員として組合の権力を取る、組合執行部になる、組合を率いて先頭に立つ。だから、党員だし、細胞なんだけど、労働組合の指導部でもある。それが今度は、地域のソビエトの議長とか、会計監査とか、なんとかというのができあがっていくということ。だから、党−労働組合−ソビエトと言ったって難しい話じゃない。要は、労働者党員が1個3重に自分を実現する、体現していくんだ。
  したがって、結局は今日の路線だよね。要するに、そういう階級的・革命的な指導部をいかに形成するか。実践はそこだと思う。レーニンのものすごい苦闘を、われわれが学んで繰り返さないで、相当クリアしてかなりスムーズにやっていけるのは、今のうちから階級の指導部にわれわれがなるということ、党員がみんななるということだ。党−階級−ソビエト、それから超実践的には、階級的・革命的指導部としての自己形成ということが、こういう困難を防ぐ道、予防していく道、突破していく道なんだよね。そこら辺が実践的結論ではないか。

●L

  実践的には、今回の学習会を終えて、労働組合運動にドンドン入っていって階級の指導部になっていくということに踏み出していかなきゃならないと思ってます。
  『国家と革命』をレーニンが書いたわけですけど、重畳する困難が次から次へとやってくるような中で、ボルシェビキと一体となって闘った労働者階級の階級的自己解放のエネルギーとして、『国家と革命』は生まれたというふうに思いました。今の新自由主義もそうだけど、ブルジョアジーがものすごい破壊的なことをやっていくわけです。戦争で荒廃したというのはあるけど、そんな中で生産が、現場が、労働者が立ち上がらなかったら何も成り立たないという現実があって、そんな中で労働者は次から次へと職場支配権を握っていくというのが2月革命の後からあった。そんな中で、プロレタリアートの側から国家というものをどうやって射程にとらえていくというのか、ということで、プロレタリアートによる国家統制、労働者が職場を支配するという闘いから、『国家と革命』というものが結実していくんだなというふうに、今日の講師の提起で思った。
  あと、ロシア社会民主労働党第6回大会での「すべての党員が労働組合に加入する」という決議、これはスゲーなって思う。この例外のなさというのをつくったら、これは相当変わるな、という感じはすごく受けました。

党学校通信 p10-16 受講レポート

受講レポートから ★『国家と革命』(下)のレポートです。

【S】

 2月革命の後、7月反動を経て革命をまさに目の前にして書かれた著作。来るべき革命の鼓動がビンビン伝わってくる。
  ロシア革命の歴史の中での労働組合の決定的位置についてある程度わかってはいたつもりだが、まだ未成熟だった労働者階級を革命の中心部隊として徹底して位置づけ、労働組合や工場委員会を通して労働者のパワーを無限に解き放っていったレーニンの信念的信念、センスは、やはりハンパじゃない。
  第2インターの崩壊、反革命干渉戦争や白軍との内戦、農民の反乱、わからず屋のボルシェビキ官僚(トロツキーの「労働組合軍隊化論」!)、こうしたさまざまな困難をリアルな対応で乗り切っていけたのは、「労働組合的団結」を一切の基軸に置いていたからだと思う。
  レーニンが当時直面していたような大激動の時代が、今我々の面前にある。サブプライムローンを始め世界帝国主義が音を立てて崩れ始め、一方我々の側には3国連帯国際労働運動、青年・学生の怒りの決起、労働運動路線の再確立がある。何と恵まれた時代に生きていることか。
  後は、まっしぐらにやるだけ。頑張ろう!

【G】

 『国家と革命』をやるうえで、あらためて労働組合の決定的意義がはっきりした。党−ソビエト−労働組合の関係性を歴史的に、実践的にはっきりさせられました。労働者細胞として、一つにまとめあげられていくという意見は重要でした。労働組合を、職場闘争を闘うための武器だけではなくて、革命の勝利、国家の死滅にむけた、「共産主義の学校」としての労働組合を、今階級的労働運動路線として実践している。
  「すべての党員が労働組合に加入し、同時にすべての自覚的労働組合活動家に入党することをすすめる決議」→これが、今の我々に求められていることそのものだと思いました。ボルシェビキが、SLやメンシェビキとの党派闘争にかちぬく上で、決定的な決議だったんだなあと初めて知りました。もっと『国家と革命』は深められるし、団結論、体制内派批判としてはっきりさせられると思います。

【U】

 今日の第5章と党、労働組合、ソビエトの領域で、ロシア革命と格闘したレポートは、ものすごく迫力ありました。
  労働組合論=労働者自己解放論、あるいは労働者の団結、統治能力の形成などの視点から、プロ独論、死滅論を通して、ロシア革命の内戦期に焦点を当てる視点は学ぶものがありました。
  また、Z同志の整理は、全体をより一層理解するものとしての視点を提供してくれました。
  今日の学習会は圧倒的でした。この領域は、理論的であり、かつ実践的なものです。多くの発言が、そのように出されていて、多くを学びました。

【F】

☆『国家と革命』をプロ独の実現をめざした階級的労働運動路線の実践の立場から学ぶことは、塩川一派打倒の闘いの観点からも重要である。塩川一派は、労働者の階級性など頭から信用していない。動労千葉労働運動は否定するけれども、プロ独は支持するということなどありえない。現実の労働現場では、労働者の置かれた厳しい現実からわれわれの階級的立場が問われる。
☆その時に重要なのは、われわれ自身が、生身の労働者にプロ独の能力があると本当に確信しているのかということだ。現実の労働者を革命の主体として位置づけることができるのかということだ。党と階級は一体であるというのはそういうことだ。レーニンが『国家と革命』で提起している「国家の死滅」とは、党が、労働組合の中に「眠りこむ」ということであり、それは党が、労働者階級にはすばらしい自己解放能力があるということを確信することが、最大の前提でなければならない。

【Z】

(1)<労働組合の革命論的意義>をしっかりと土台=軸にすえて、『国家と革命』をとらえ返すことが、今日的には、死活的に重要だと思います。
(2)団結論−団結の諸段階的形態論として、「労働組合−党−ソビエト」を論じていくこと。
  従って、国家死滅−共産主義論も、「国家と労働組合との融合」=ソビエトと党の「組合」的生産共同体へのねむりこみという実践的契機をはっきりさせることだと思います。
(3)<労働組合−党−ソビエト>の3位1体論も、徹底的に労働者細胞を主体として位置づけきって、その階級的革命的指導部形成論として、実践的に押し出しきることが核心だと思います。
  −以上、発言した通りです。

【E】

 労働組合論的に国家と革命を位置づけることの決定性がはっきりしたことが重要。
  国家、ソビエトを組合の中に解消していく、文字通り死滅していく過程そのものであり、労働組合の持つ革命的な意義があらためてはっきりさせられた。そして、レーニンの闘いの重要性である。まさに革命家そのものであり、階級の指導部そのものである。これを主体化し、自らが階級の指導部となっていくことを決意したい。困難な情況の中で、労働者に徹底的に依拠して闘い、勝利を切り開いている中に、文字通り革命の展望がある。プロレタリア独裁の展望がある。
  ロシア革命の経験から学び、そして21世紀世界革命へ断固進撃していきたい。
  今回は非常によかったと思います。

【I】

*討論の中でも出された、“労働組合運動の革命(論)的意義(もしくは意味)”について、単に“現在的な地点”すなわち、プロ独樹立に向けたたたかい、という中“だけ”で見るのではなく、共産主義社会建設・国家死滅の過程の中においても決定的な意義を持つものとして明らかにしていく作業は重要で、この点で党建設論とも結びついてもいて、ものすごく触発されました。
*また、これは今期の党学校の年間を通じての個人的な総括・感想でもありますが(ちなみに、党学校への参加は初期以来、2度目です)、提起者のみならず、参加者全員が具体的実践とかみ合いながら各テーマに向き合い、全員で“作り(又は創り)出している”という点で非常に学んだものが多く、“おもしろかった(←こういう表現でいいのか疑問ですが…)”です。第8期の最後が『国家と革命』であったというのも「当たった」と思いました。“労働組合運動の革命的意義”という観点で『国家と革命』を捉え返すという観点を持って今日的実践に臨んでいくことで、自らを階級の指導部へと飛躍させていくために一層がんばっていく決意です。そういう決意を生み出してくれた今回の、そして今期の党学校だったと思います。

【J】

 労働者階級は、自らの党と共に職場・生産点を拠点として、ブルジョア階級を打ち倒し、自らのプロレタリア独裁権力を打ち立てます。すなわち、労働者階級は、ブルジョアジーから奪取した生産手段を共同で管理・運営します。
  労働者階級が生産手段・消費手段を共同で共有・運営するたたかいの中に、プロ独権力をしっかりと打ち立てていく物質的根拠がある。労働者階級は、自ら作り出した消費手段を社会の倉庫に共同で管理し、労働者個々人が社会に与えた「労働量に応じて」消費手段をその社会の倉庫から引き出すのです。
  労働者個々人は、体力の違いがあり、また独身の者もいれば、家族を持っている者もいるのですから、消費手段の分配に相違が生じます。しかし「生まれ出たばかりの共産主義社会」では、この不平等の分配は避けられません。共産主義社会では、この「避けられない」・制約をバネにして新社会への建設が爆発的に進むのです。
  プロ独権力・労働者階級は、この「労働量に応じて」の分配を基準としつつ、この基準による消費手段の分配のたたかいをとおして、共産主義社会の共同的団結を作り出していくのです。労働者階級自己解放の、この共同的団結は、高次の共産主義社会の目標に規定されて最初から始動しています。
  労働者階級は、生産手段・消費手段の共同的所有のもとでの共同的団結−意識のたたかいをとおして、自らの権力機構を、共同の社会的機能に変えてゆき、そこでは労働組合を拠点に、国家は死滅してゆくのである。それは民主主義の眠り込みでもある。
  『国家と革命』の後半の学校は、レーニンの労働組合論が豊富に、現実的に提起されました。レーニンが必死にロシア革命の現状において、プロ独権力−共産主義社会へいかに苦闘し、前進していたかが伝わってきました。いまの階級的労働運動路線にしっかりと適用できます。
  友人が“マルクス主義は社会の歴史的な変遷をどう考えていますか”の手紙をくれました。党学校で学んだ史的唯物論・『ドイツ・イデオロギー』で、回答できた、と思っています。

【R】

 「プロレタリア独裁」については、パリ・コミューンとして歴史上はじめて発見され、闘いとられてきたものだが、今、我々に必要なことは、パリ・コミューンになり変わるような闘いを再度実現し、ロシア革命をひきつぎ、乗りこえる闘いを何としても実現し、青年と共に我々を一挙に革命の現実性にたたき込んでいくことだと思う。それは、動労千葉労働運動の中にすでに開始されていることを明らかにすることであり、また、マルクス、レーニンの苦闘を同時に検証しながら、「労働運動で革命を!」「7月テーゼ」を実践していくことだと思う。
  労働者階級と全人民の解放が、プロレタリア独裁を通してかちとられていく、その確信を生むものは、やはり、塩川一派の言うような労働者への「観念的な教育措置」などで事足れりとするのではなく、労働組合という団結形態を拠点にすることで生み出される労働者の自己解放性に依拠した闘いであることは鮮明だ。労働者は、団結さえあれば社会的生産を担っているだけでなく、自分たちで学校をつくり、軍役にも立ち、諸民族、農民とも結びつくことができる。それは、やはり資本主義・帝国主義が、プロレタリアートを最も抑圧し、非人間的位置に追い込めているからである。また、貧農を苦しめ、諸民族に牢獄を強いている元凶だからであり、「鉄鎖以外に失うべきものを何ももたない」プロレタリアートを、社会変革の歴史の前面に「いやおうがなく」立たすからである。
  これらは、党・ソビエト・労働組合の一体となった実践抜きには体得できない。我々は、この「体得」をめざして、今日、階級的労働運動路線で闘っていることをはっきりさせたい。

【L】

 今回の提起は、今後労働組合運動を闘っていくうえで、青年労働者の闘いをどうとらえ、一体になって闘っていくのか、という点で、学ぶべきものがありました。それは、今日の青年労働者が派遣会社などで組合もなく、労働力の再生産さえも破壊されている現実のなかから、組合をつくって闘いを開始していますが、ここで一様に「団結すれば勝てる」「賃労働と資本は非和解」「労働者こそ社会の主人公」と言っていることの意味を、レーニンの『国家と革命』、革共同の「労働組合の革命論的意義」の中でふれられた具体的な経験と教訓にてらして見ると、やはり、ものすごい革命的エネルギーを秘めていることがはっきりすると思います。確かに、党員として、階級の指導部になっていくことはすさまじい飛躍ですが、資本家と体制内指導部との激烈な攻防を青年労働者と一体で闘えるということこそが本当に、真の意味で革命的な闘いなのだと思います。この闘いに全身を投じて闘います。
  青年労働者が、次々とストライキに決起し始めている。労働組合論の革命論的意義を武器に、青年労働者とともに闘っていきます。
  党学校は、学生同志の突き抜けた提起に、何度となく飛躍を突きつけられましたが、これは青年労働者とともに闘っていくうえで、決定的なことだと思います。当局、体制内指導部との激烈な闘いこそ、本当は、理論学習を豊かに勝ちとって、団結を強化していくことを証明していると思いました。

【Q】

 どうやって革命を成功させることができるのか、ということにレーニンが徹底的に実践的にアプローチしたんだということ。『国家と革命』『なにをなすべきか』にあふれているその精神と問題提起を学びとろうということが大切だと思う。
  今回の学習では、何といっても、プロレタリアート独裁・革命の実現のためにレーニンが、最もこだわって提起している労働組合の問題、党−ソビエト−労働組合の一体性ということ、この視点(今の革共同の路線問題の核心)が提起されたことがよかったと思う。
  プロレタリア革命の主体は労働者階級であり、プロ独であること。現実の国家とはブルジョア独裁の道具であること、これを実際に粉砕する暴力革命が必要であることは、我々にとって当然の認識だが、レーニンの挑戦の重要な核が、労働組合の獲得という問題にあることを、我々が真に実践的に措定するということだと思う。当時のロシア、1890年代には全人口の5%位だった労働者階級が革命の主体であること、ロシアの現実を根底からひっくり返す力を持っていること、を確信して、実践課題にできたということが、まずすばらしいと思った。そして、実際の労働組合が反動的であったし、革命的でなかった(経済主義等)現実を党、ソビエトに組織していくダイナミックな過程へと進んでいくわけで、ロシア革命の実際の生きた内容が労働者の自己解放と党の課題、いかなる党が必要なのかということを、我々の共通認識へと深めていくことが、一つの作業として、今日的に必要だと思った。
  その上で、ロシア革命へ向かって、19世紀後半〜20世紀の初期のロシア労働者(あるいはヨーロッパ)の現実の闘い−ストライキや労働組合結成の歴史過程等々をもっと学習していきたい。
  今期は不十分なかかわりだったので、来期はまじめに学習します。

【X】

 『国家と革命』後半で、レーニンの労働組合論の提起がなされ、討論があって、その討論が重要だったと思う。学生の「全員がレーニンになる、田中委員長になる」と3月合宿で討論したという報告もすばらしい、胸ふくらむ思いだ。
  国家の死滅と労働組合の関係を述べたところもすごい踏み込みが述べられている。「国家の死滅もストーンと国家の死滅に行くんではなく、国家は労働組合に眠り込んで、ということをとおして、労働組合として死滅していくんですよね」「労働組合の革命論的意義ということをガッチリすえて、土台にして、その中に『国家と革命』をあらためて位置づけていく…」−労働組合の労働者階級にとっての本質的意義についての新しい領域を述べていると思う。
  今回、『国家と革命』を読んで非常に感じたのは、レーニンがここで全力をかけてマルクス主義の復権をやっているということです。パリ・コミューンの復権や第5章での『ゴータ綱領批判』をベースにした共産主義論の展開などにそれを強烈な意識として感じました。おそらくドイツ社会民主党がマルクスを裏切り、戦争の問題のみならず、革命の問題を議会主義的、改良主義的に歪めていたこと、これをくつがえさないと革命は勝利しない、めざすべきものは資本の支配のもとでの改良を得ることではなく、資本のくびきからの解放なんだ、ということを声を限りにさけんでいる。マルクス・エンゲルスを輩出したドイツ社会民主党(当時の国際共産主義運動の総本山たる)が、議会で多数をとる革命をめざし、資本主義を承認し、愛国主義的立場をとった。これをくつがえすたたかいが革命へのレーニンの革命としてあったのだ。
  レーニンによるマルクス主義の復権のたたかいを第1期の復権のたたかいとすれば、その第2期は、1956年前後を期にしたときから始まった反スターリン主義・革命的共産主義の黎明の時期といえるのではないか。第3期のたたかいが、91年5月テーゼ以降から現在までのたたかいとしてある。
  この第3期は、第1、2期をこえるようなマルクス主義・レーニン主義の否定圧力の中で、マルクス主義復権のたたかいが重要性をましている。
  戦争に反対しても資本主義を容認する人はいっぱいいる。現代のカウツキー主義! 戦争に反対する人はいっぱいいても、マルクス主義・レーニン主義を主張しているのは革共同だけだ。
  結構これまで、マルクス主義・レーニン主義の復権のたたかいは、スターリン主義の崩壊と中国、北朝鮮スタの反人民的残存のなかで、そんなに簡単ではない、そのスタの現実に回答を与えられるものにならなければならないと、強調してきた。共産主義論としても、現実の運動の発展にとっても重要なことだと思っている。
  いま、新自由主義の攻撃は、逆に資本主義の矛盾と超反動性を全面的に露呈させ、青年労働者の怒りの反撃を生み出している。そして、マルクス主義の復権を明示に公言化した闘いが、すでに現実となって熱烈にはじまっている。しかし、しかしだからこそ、こんな歴史的構造のなかでそして帝国主義の戦後最大の金融恐慌(グリーンスパン)の爆発をまえにして、マルクス主義・レーニン主義の革命的復権のたたかいは、いよいよ、ますますその死活性を増している。なんとしても革命をやるぞの一念で、このたたかいの前進をきりひらこう。

【P】

 第5章というと、プロ独と国家の死滅という面に問題意識が行きがちだったのですが、民主主義という政治の問題と、経済・社会の土台のプロレタリアートによる支配、管理、統制の下での根本的改造という問題を一体で見る必要があるという指摘が重要であると思いました。プロ独による資本家の反抗の粉砕、一部の富者のための民主主義から人民の大多数のための民主主義−真の完全な民主主義−国家の死滅というのはとてもスッキリした展開で、良くわかります。対して、共産主義の第1段階では「労働に応じて」の分配、高次の段階で「必要に応じて」とマルクスを引用し、「国家の完全な死滅の経済的基礎は、精神労働と肉体労働との対立が消滅するほどに…共産主義が高度の発展をとげること」という説明はイメージ的で弱いと言えます。
  「国家は不可避的に死滅する…、この過程が長期にわたること、それが共産主義の高い段階の発展速度にかかっていること」の展開について。これを読んで、以前は、レーニンが、国家の死滅が一定の期間を要する(もちろん何百年とかいうことではないですが)、と考えているように捉えましたが、今日の帝国主義の生産力の発展ということを考えた場合、もっと短期間で可能となるのではないか、と感じます。言うまでもなく、その際、単に生産力の発展というのみでなく、人間がブルジョア的価値感から解放されるという側面も決定的なわけですが、階級的労働運動の前進−プロレタリアートの自己変革性というものを感じるなかで、その面でも急速に進むのではないだろうかという気持ちをもちます。
  『国家と革命』を「労働組合の革命論的位置づけ」の問題意識から明確化していく作業は、現代において日本革命−世界革命を準備していくうえで、極めて大きな意義があると言えます。以前は、『国革』を読んでプロ独−共産主義の実現に100%の確信を持ったうえで、その実現の構造がピンときませんでした。しかし、労働組合を位置づけることで、完全に明確になった。これでプロレタリア革命−共産主義の実現をトータルな意味で確信することができます。具体的内容はこれからの学習課題としていきますが、階級的労働運動路線−職場闘争の実践がプロレタリア革命をストレートな意味で準備していく課題として、ますます全力を挙げて闘っていきたいと思います。

【N】

 ブルジョア革命にしても、革命と反動をくり返し、70年がらみの闘争の末に封建制を打倒してきた。プロレタリア革命は、ロシア革命をもって開始され100年がらみの闘争として、今現在闘い抜かれている。そういう立場、認識から『国家と革命』に肉迫していくことが問われているのだと思う。
  今期党学校は、マルクス主義を生きた実践的で主体的なものとして、今日的によみがえらせる作業として、内容豊かにかちとられてきた。それは、プロレタリアートの自己解放闘争としての共産主義運動を内容的に明確にさせるということが最大のテーマになってきたと思う。最後のテーマである『国家と革命』は、もう一度、我々がレーニンのロシア革命によって開始された、国際共産主義運動の今日的な地点に立って、現実的戦略的なテーマとして、日本革命−世界革命をすえきっていく、ということをつき出してくれた。
  それは、スターリン主義を打倒していくという闘いであり、塩川一派を粉砕していく闘いである。レーニンが激しい党派闘争、党内闘争と一体のものとして、ロシア革命を勝利に導いていったのと同じことが、我々に求められている。
  そういう意味でも、プロレタリア革命−プロ独における労働組合の意義を明確にさせていく作業は、実に重要だと思った。今回、基礎的なことを講師が出してくれたのは、とてもよかった。自分としては、もっとこのテーマにくらいついていく必要性を再確認した。党学校を出発点にして、さらにマルクス主義・レーニン主義を自己と党の中にみがきあげていきたい。