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2008年02月号

党学校通信

党学校機関紙 A4判月1回発行 頒価100円

今月の内容レーニン『帝国主義論』(下)

講義概要 P1-6
★-討論から… P6-10

受講レポート P10-160

2008年2月号
通信 バックナンバー
党学校通信 p1-6 講義概要

第8期第5課目 レーニン『帝国主義論』(下)

後半講義概要   講師 柴田 之雄 

【0】はじめに(U)

 今回は、『帝国主義論』の第7章から第10章の提起になりますが、「日和見主義潮流との闘いが革命の成否を決する」という、帝国主義論の核心的な部分に入ります。あえて言えばレーニンも、この日和見主義・社会排外主義の潮流ときっぱりと決別し打倒していく闘いの不可避性・死活性をはっきりさせるために『帝国主義論』を書いたと言える。『帝国主義論』全体をとおして、資本主義の最高の発展段階としての帝国主義と労働運動における日和見主義潮流との関係を明らかにし、カウツキー主義などの日和見主義潮流をぶっ飛ばしてプロレタリア革命を実現するんだと訴えきったわけです。
  われわれ自身も現在、階級的労働運動の白熱的実践ということで、まさにその渦中にいます。ですから、第7章から第10章をとおして、体制内労働運動との決別・打倒の闘いがプロレタリア世界革命をかちとる闘いの決定的な環なんだということをつかんで、この08年、4大産別を先頭に全産別の職場生産点で階級的労働運動の闘いを決定的にぶんぬいていこうということです。
  今日はじめに訴えたいことは、『共産主義者』152号・153号に収録されている秋月論文をちゃんと学習しようということですが、自分としては、それだけでいいのだろうかとも考えました。前回の『帝国主義論』前半の学習会は12月冒頭でしたが、そこから今日にいたる2カ月の間に、われわれ自身が大きな飛躍をかちとってきたと思うんです。中でも、関西の党員総会がものすごい転換点になっている。「革共同史上初めて」と言われていますけど、労働者同志が主軸となって塩川一派を完全にぶっ飛ばし、ついに全国単一の労働者党建設の地平をかちとったということです。また07年の闘いを先頭で切り開いてきたマル青労同、マル学同の同志たちも、より強固に団結を固め、職場でキャンパスで、階級の指導部への飛躍をかけた新たな闘いを開始しています。
  「日和見主義潮流との闘い」という場合、連合・全労連といった体制内労働運動の指導部といった連中と非妥協に闘うということはもちろんですが、同時に、革命的情勢の接近という中で、プロレタリア革命をめざしてともに闘っている自分たちの仲間の中から生まれ出てくる日和見主義との闘いですね。そういうのが出てきたとき本当に闘えるのかどうか。そこでマルクス主義者としての、革命家としての自己が本当に問われる。われわれはそれを06年3月の党の革命に始まり、そして塩川一派との分裂・追放ということで、自分もふくめ今ここにいる同志の一人ひとりが問われ、格闘し、決定的な飛躍をやりとげてきていると思うんですよ。
  要するに言いたいことは、『帝国主義論』の前半を議論していた頃と、今日のわれわれは決定的に違うんだということです。『前進』新年号1・1アピールでも「塩川一派を打倒し階級的労働運動の白熱的実践かちとれ」とはっきり打ち出した。この地平に立って、今日の『帝国主義論』の後半をやっていきたいと思います。
  それから党学校も、自分としては大胆に変わっていくことが求められていると思っています。党学校では「講師」と「生徒」ということになっていますが、そういう壁をぶっ壊していくことが重要だと思っています。「労働学校を全国に組織しよう」ということもあって、ぶっちゃけ党学校に参加している全員が「みんな労働学校の講師になろう」ということなんですね。その体制ということを考えても、党学校や今まで行われきた労働学校などで講師をやっていた人だけで、新たに始まる全国の労働学校を行脚して回るというのは、どう考えても無理があります。生徒として参加している同志も含めて自分たちが、職場やキャンパスでマルクス主義の学習会を組織する。そして労働学校の講師もやる。そのための実践的な中身を党学校でつかんでいく、つくっていくということだと思います。また全国的な規模でもマルクス主義労働学校の講師団をつくり出していくような、そういう活動の中心にこの党学校をつくっていければと思います。

【7】第7章 資本主義の特殊の段階としての帝国主義

●自由競争から独占へ

  「資本主義的な自由競争」が「資本主義的な独占」にとってかわられたこと、これが資本主義の帝国主義段階への移行を示す経済的な指標である。しかも独占は、「資本主義からより高度の社会=経済制度への過渡」すなわち共産主義社会の物質的諸条件の成熟としてあるんだということが、繰り返し強調されています。
  ここには、労働者の階級性・自己解放の力にたいする無限の信頼がある。

●帝国主義の定義

  略。岩波文庫版p145〜146、『共産主義者』153号秋月論文p127〜128参照

●「新自由主義にたいしてはプロレタリア革命しかない」!

  略。『共産主義者』155号島崎論文参照

●今でも大勢いるカウツキーの類

  カウツキーは、第1次世界大戦の真っただ中で超帝国主義論を主張した。これは、国際的独占体が「1個の世界的独占体」となり、矛盾と争闘もなくなり、平和的に「社会主義の条件」ができあがるという、プロレタリア革命への敵対宣言です。
  カウツキーは帝国主義を「資本主義の一段階」と見ることを拒み、「金融資本によって『好んで用いられる』一定の政策」だとした。
  “資本主義・帝国主義のもとでも平和的な改良策が可能”という主張は、最末期帝国主義の矛盾が全面的に爆発していく情勢の中では、職場生産点での労働者階級の革命的決起に対する妨害・敵対・圧殺者として襲いかかってくる。「カウツキー主義」はそういうものすべての傾向を代表する潮流。
  現代的には、塩川一派や日本共産党スターリン主義、そして連合など。
  こうしたプロレタリアートにとって最も有害で、反動的な思想・潮流と決別し、徹底的に闘わなきゃいけない、帝国主義打倒の革命に向かって労働者階級を組織化しなければならない――これがレーニンのカウツキー主義批判の核心。

▽『俺たちは鉄路に生きる2』(中野洋著)から

  「分割・民営化攻撃の中ではっきりしたことは、日本の左翼はほとんどすべてが体制内左翼だったということです。…国労はかなりの戦闘性をもっていた。しかし結局は体制内労働運動に過ぎなかった。だから、分割・民営化という戦後最反動の攻撃に対して、転向して敵の手先になるか、闘わずして屈服するかという道を選んだ」「そういう意味では、体制内労働運動とは違って、マルクス主義的な物の見方をすることができたということが、動労千葉が唯一闘いぬくことができた核心だと言える」(p165〜166)

●戦争をもたらす帝国主義の不均等発展

  レーニンが直面していたのはイギリスとドイツという2大帝国主義国家の不均等発展。先行して「世界の工場」として資本主義的発展をとげ、世界に広大な植民地を確保していたイギリスに対して、遅れて出発しながら急速に資本主義的発展をなしとげ、生産力においてはイギリスを追い抜いたドイツ。この不均衡を根拠にして、実際に、世界の再分割をかけた第1次世界大戦に帝国主義全体が突入していった。
  この帝国主義の不均等発展は第1次大戦以後も、第2次大戦から今日にいたるまでの世界情勢をも根底的に規定しています(前出、島崎論文参照)。

【8】第8章 寄生性と資本主義の腐朽化

●「金利生活者国家」への変貌

  帝国主義がどんなに腐朽化し寄生的な存在になっているかは、「金利生活者国家」と呼ばれるようなあり方に端的に示されています(前出、秋月論文p137〜138参照)。
  今日の末期帝国主義のもとでは、このようなあり方は、新自由主義攻撃での民営化・規制緩和、労組破壊による労働者階級からの搾取・収奪の激化と一体です。
  そして、「世界はひとにぎりの高利貸国家とおどろくほど多数の債務者国家とに分裂した」(岩波文庫版p163〜164)――この分裂が極限まで行っているのが現代の帝国主義です。(前出、島崎論文p35〜36、秋月論文p138参照)
  帝国主義は海外の植民地・半植民地における搾取と収奪のみならず、移民=外国人労働者の増大をとおしても寄生性を強めます。差別的・奴隷的な賃金や労働条件で収奪し、それをテコに国内プロレタリアート全体の搾取も強化して高利潤を得ていく。

●労働運動における日和見主義者の支配をぶっ飛ばして闘おう!

  「帝国主義は、プロレタリアートの上層を買収する経済的可能性をつくりだし、これによって日和見主義を培養し、形成し、強固にする。だが、ただ一つ忘れてはならないことは、一般的には帝国主義にたいして、特殊的には日和見主義にたいして、反抗しつつある勢力のあることである」(岩波文庫版p169)
  日和見主義は、そもそも「プロレタリアートの広汎な大衆」の基盤をまったくもっていません。現代革命の成否は、「上層」にたいする本来のプロレタリア的下層、つまりプロレタリアートの圧倒的多数をなす部分を日和見主義から引きはがし、革命的潮流、マルクス主義者が獲得することにかかっている。
  いま日本の労働運動においては、連合中央の高木とか、日教組本部の森越とか、本当に帝国主義の手先そのもののような連中が労働組合を牛耳り、労働運動を支配している。これは絶望的事態なのか。全然そうじゃない。あいつらが帝国主義と一体化すればするほど物事がはっきりする。「腫物」が早く大きくなるのはいいことだ、それをつぶしてすっきりして革命に進もうとレーニンは言っている。

【9】第9章 帝国主義の批判

 帝国主義の危機と世界再分割の闘争が熾烈化すればするほど、「つくる会」のような公然たる帝国主義イデオロギーがふりまかれます。この「帝国主義的イデオロギーは労働者階級のなかへもしみこんでいる」(同p177)。だからこそ、職場生産点における資本との闘い、職場闘争が決定的です。日々洪水のように流される帝国主義イデオロギーと意識的に徹底的に闘い、賃労働と資本の非和解性をはっきりさせ、労働者の誇りと団結を取り戻していく闘いが決定的なのです。

▽『俺たちは鉄路に生きる2』から

  「まず、職場闘争というのは本質的に職場支配権をめぐる闘いだということです。職場支配を組合側が獲得する闘争である。したがって非常に大変な党派闘争であるということです。…一番の党派闘争は、資本との闘争です。資本・当局が日常不断にまきちらす思想、イデオロギー、あり方、これとどう闘うかということが一番の党派闘争です。それをめぐって労働者の中にさまざまな考え方が、日和見主義も含めて生まれてきます。それとの闘いをしなくちゃいけない」(p55〜56)

▼カウツキー主義批判は現在に通じる普遍的課題

  帝国主義と一体化した日和見主義、これとのプロレタリアートの融合を試みるカウツキー主義を打倒・一掃しなければならない。この闘いなしに労働運動を再生させ、マルクス主義を再生させて、プロレタリア革命の道を切り開くことはできない。カウツキー主義批判は過去のものではなく帝国主義段階における労働運動―革命運動の普遍的な課題です。

【10】第10章 帝国主義の歴史的地位  

●死滅しつつある資本主義

  独占の段階にまでいたった資本主義は、もはや「より高度の社会=経済制度」すなわち共産主義にとって代わられるしかない。「労働運動の力で革命をやろう」
  「独占資本主義が資本主義のあらゆる矛盾……この尖鋭化は、世界金融資本の終局的勝利の時代のときからはじまった歴史的過渡期のもっとも強力な推進力である」(岩波文庫版p201)
  マルクス主義者は、こうした資本主義の矛盾の激化・先鋭化のなかに、絶望ではなく、「歴史的過渡期のもっとも強力な推進力」を見る。「資本の危機は労働者にとってチャンスだ」と、とらえられるかどうかです。

▽『俺たちは鉄路に生きる2』から

  「動労千葉はどういう時代認識をもっていたのか。あの当時も、僕は組合員によく、『支配階級の側が盤石な時には、労働者がどんなに闘っても敵はびくともしない。しかし危機の時代には、われわれの闘いようによって敵を揺るがすこともできる。労働者階級の側から見れば、チャンスの時代なんだ』と言っていた。…敵の危機にかられた攻撃を『冬の時代』と考えて敵の陣営に加わるのか、『これに逆らったら大変だ』と考えてたこつぼに入るのか、それとも労働者階級にとってのチャンスだととらえるのか、という違いが明確にあったということです」(p165)

●資本家の時代は終わった。労働者に権力をよこせ!

  「死滅しつつある資本主義」と言えるのは、プロレタリアの革命的決起が不可避であることに確信をもっているから。労働運動の日和見主義的な指導部を打倒して、プロレタリアートの怒りを全面的に解き放って革命的団結を組織すれば、資本主義は今すぐぶっ倒せる、革命の現実性が圧倒的にある――このことがレーニン帝国主義論の核心だ。
  レーニンは、革命的実践の中に身をおいていたからこそ、帝国主義論のような革命的時代認識を確立することができた。

▽『俺たちは鉄路に生きる3』から

  「このような時代、われわれ労働者は、資本家階級の迫力に負けない圧倒的な迫力で闘いぬくことが重要です。『お前ら資本家の時代は終わったんだ。俺たち労働者がやってやる』という立場を鮮明にして闘うことが必要だということです。『労働者が革命を起こして、お前たちに引導を渡してやる。労働者に権力をよこせ』という立場を持ってこそ、労働運動が前進していく時代が到来したのです」(後半講義了)

党学校通信 p6-10

討論から…

●E

 講師が、労働学校を各所で組織し、ここにいる全員が講師となっていくという実践的立場に立つと言われて、すごい納得した。自分もそういう立場でやっていきたい。
  内容的にも、「7章の結論は職場での実践である」と、これまでのあり方をかなり突破したことが言われた。僕も、体制内との闘いを開始したのはほんの1年前です、3・18に向かう過程。「労働運動で革命をやろう」「体制内と徹底的に闘おう」と、体制内的サークル団体の執行部なんかと徹底議論し、闘った。今ではその執行部が、敵大学当局とすき焼きを食いに行くところにまで転落していって、これは本当に「悪性の腫れ物」そのものだし、その中で、中核派の言っていたことは正しかったという形で団結が拡大するということが生まれてきている。日和見主義的な兆候は左翼的な部分にむしろある。塩川一派のように党内にもあるし、自分にもある。だから、この党学校においても、団結をつくっていくということが、決定的だと思います。
  体制内的あり方だとふっ飛ばされる。学生や青年労働者の中で問われていることはそうなんです。法政大学では、学生会館がなくなり、学友会も廃止され、依拠するものが団結しか無くなった。こういう立場に立って、徹底非和解で闘い抜いたことが、団結をつくり出し、勝利の地平を切り開いてきた。われわれの依拠するべきは、モノ、カネじゃなく団結だというのは、実践において本当に問われていく。
  ということで、党学校も根本からみんなで位置づけ直していきませんか、という意見です。

●N

 自分の地区の現状を話すと、マル青労同に結集している青年を階級的労働運動をやるところにまだ獲得しきれていない、労働運動をやろうと本人は頑張っているんだけど。問題は、僕自身が体制内的あり方を突破し切れていないというところだと。この過程、マル青労同や学生の闘いから教えられるところは、そこだと思ってます。講師の提起も、レーニン主義の核心が体制内労働運動の打倒にある、そこを実践的にはっきりさせるということでピタッときたというのは、僕もまったく同様の感想。自分たちが始めた労働学校を、次はこの内容でやりたい。

●G

 僕としては、10章が重要だと思う。独占がプロレタリアート=墓掘り人をつくり出したということが、10章にガーンとある。生産の社会化ということが、圧倒的多数のプロレタリアートを成長させているということを押さえる必要があると思う。
  あと、社会排外主義に対して闘うプロレタリアートはいるんだということで、しっかりと2つの潮流という形で押さえているのが重要。塩川一派は、差別・排外主義が振りまかれるということだけを言う。それに対して、それをふりほどいていく勢力もいる、労働者階級の側に。それに屈服しているのが社会排外主義、言葉の上では社会主義、実践の上では排外主義という形で労働者階級に襲いかかってくる。7・7思想をめぐる問題としては、そういうとらえ方が重要ではないか。

●I

 今日の提起にあったとおりですけど、労働者が社会の主人公で、自分たちには革命ができるんだと誇りと団結を取り戻していく。そのために、インチキなカウツキーの「理論」をこてんぱんに粉砕するんだと思います。だから、そこに「特化」して『帝国主義論』を読み貫いていくべきだと。
  したがって、今日の提起でものすごく合ってる。ここまでやるかというぐらい、島崎論文(『共産主義者』155号所収)、『俺たちは鉄路に生きる3』などで『帝国主義論』を深める方向でいけば、もっと時代が進んでいけば、もっとかみ合う。ということで、この党学校での学習が、次々と新しいものを生み出していくものになるといいんじゃないか。

●R

 いろんな分断や差別、職場での能力主義やいろんな攻撃にさらされてますよね、労働者は。その中で塩川一派は、敵の攻撃しか言わない。われわれは団結とか仲間を見いだす。そこが決定的に違うのかなと。そのことがマルクス主義じゃないか。
  あと、第8章の労働運動指導部の買収の問題。もともとパリ・コミューン以降、社会福祉とか社会政策的な労働者指導部の買収というのはあるんじゃないか。今、新自由主義の中で、それこそ資本主義の本来の姿だと言っている。そういう資本主義のむき出しになった段階で、もう一回買収政策というか、むき出しに労資一体を叫び、必要ならイラクに行って来いという言い方までする体制内指導部のあり方のもっている意味は、どうなんでしょう。
  あともう1個は、部落解放闘争というあたりの僕の問題意識として、資本主義の下で、被抑圧民族や被差別人民という形態はあるんだけど、労働者階級とブルジョア階級の2大階級に分解されていく。そして、プロレタリア独裁の中で結合され、共産主義社会の中で融合されていくという。とくに部落解放闘争について、帝国主義時代でも封建的なものとして、プロレタリアート(労働者)に特化できないものがあるんだという言い方で、労働者階級とは別な形の部落解放闘争を語る。それは違うとはっきり言いたい。そういうことを『帝国主義論』を勉強しながら言えればいいと思う。

●Z

 秋月論文(『共産主義者』152、153号所収)でプロレタリアートの上層の買収の可能性ということをゴリゴリ強調している問題意識・意図は、われわれの帝国主義理解の要でもある。つまり、血債主義者・糾弾主義者が、帝国主義本国のプロレタリアートはとことん腐っててダメだと絶望論を振りまくのに対して、帝国主義国のプロレタリアートをブルジョアジーが丸ごと買収し切るなんてことができるはずがないと。「上層の買収可能性」はあるけど、プロレタリアートは絶対に買収なんかされない、存在そのものとして、ということを明確に対置させるものとしての「可能性」であって、逆に言えば「可能性」でしかないということが強調されていると思う。
  その上で、死滅しつつある資本主義、プロレタリア革命の前夜という中で、世界革命を押し止めるブルジョアジーの分断支配にとっての最後の切り札として、体制内労働運動、日和見主義潮流の役割があるということを、はっきりさせることが重要だと思うんです。

●E

 連合の高木とかって買収なんですかね。何も貰ってないのに屈服している感じで、僕は疑問に思うんです。
  その上で、JR総連なんて、すごくわかりやすく買収されたわけですけど、その結託体制が崩れている。帝国主義が完全に追い詰まっている中で、一定の融和政策すらも全部投げ捨てていく時期に入ったというところが核心問題としてあるかなと思いました。

●Z

 財政的・経済的基盤の問題で言えば買収ということだけど、講師が提起の中で強調した点は、それよりも役割だよね。体制内労働運動はだんだんどうでもいい、役立たずになっていくんじゃない。どんどんそうなっていくんだけど、そうであればあるほど上層部・体制内の連合指導部は、逆に反革命の先兵、予防反革命として意識的にブルジョアジーの主要な社会的支柱として、「労使は運命共同体である」というイデオロギーでゴリゴリやってくる。それとどう激突できるのか、どうぶっ飛ばしていくのか、ということが切実な問題になっている。

●講師

 そういうものに対する意識的闘い、革命への意識性をもって対決して闘っていくことが重要だと思います。買収というのは、帝国主義として倒されないためには何だってやるということ、危機になればなるほど。高木とか森越、現場の労働者の怒りと闘いが始まっていることに追い詰められて、自分がそれによって打倒されるというふうにますますとらえていくという感じなんじゃないか。
  でも、動労千葉のような闘う組合はどんどんできていくし、つくっていける。沖縄の高教組なんかすごいじゃないですか。9・29の12万人決起とか、現実に帝国主義の攻撃をうち破って闘いをつくれるし、日本の労働者がそういう力を持っているんだということを現実に示したという気がします。

●N

 われわれが今、階級的労働運動、体制内労働運動の打倒と言ったときに、マルクス主義とか、階級的と言っているその主体自身が、階級的とか革命的とか、体制内労働運動と言っている内実をはっきりさせて、マルクス主義というのはこうなんだよということを、われわれがここでつかみ取って出したということが、決定的だなと思いました。本質論的に帝国主義による「上層の買収」という問題と、それを打倒しようというマルクス主義を実践する者が、そういうものとして階級的な中身をとらえていく、そこを軸に実践していくということを、ここでつかんだということの意味は大きいかなと。

●講師

 『帝国主義論』との関係で、部落解放闘争の革命的再確立というのは、時間が追いつかなくて宿題にした。
  ただ、はっきりしているのは、労働者として団結する。そこに展望がある。住宅闘争とかもそうだし、一般民労働者と部落民労働者という関係においても、労働者として団結して闘うというところに展望がある。そのことは自信を持って正面から言える。

●E

 賃労働と資本の関係で分断攻撃として出されている、それが部落差別であり、女性差別であり、「障害者」差別である。一切はここに集約されるというマルクス主義の基本的な立場、ここをはっきりさせていくことが団結になっていく。塩川一派は「労働者と団結できない」と言う、差別にまみれていて。論争的にも、そこが一切の核心かなと思います。

●Z

 私も、『帝国主義論』の論理構造で言うと、第10章の「帝国主義の歴史的地位」、つまりプロレタリア革命の前夜で死滅しつつある資本主義、その帝国主義の階級支配、階級政策、分断というところに、まずはガッチリ位置づけることが核心だと思う。

●C

 『帝国主義論』の学習会全体をとおして、何がどうよかったのかと言うと、『帝国主義論』を現代帝国主義論、そして世界革命論として読んでいくことが大事だということです。
  今日で言うと階級的労働運動路線と7月テーゼという形で出されている革命論を、動労千葉労働運動、現代における職場生産点での闘争をどうするのかというところにまで導いていく。そういう提起として、今回の『帝国主義論』、ものすごい意欲的な試みとしてあって、非常によかったなと思っていて、その点での掘り下げをやっていきたい、いく必要があると思った。

●E

 現代帝国主義論とか世界革命論とか明らかにしたということは重要だと思うんですけど、あえて言えば、その立場に立って講師が提起したということが重要だと思う。そういうところを一人ひとりが主体化していくことが必要なんじゃないかと思いました。

●V

 今の彼の提起というのは、実践的にはすごく大事じゃないか、やっぱり立場、スタンスですよね。今結論的に言えることは、本当に党一丸となって、階級的労働運動を何としても前進させるという立場に立つかどうかということじゃないかと思う。
  今日の『帝国主義論』の学習会は、今この時代、この情勢をどうとらえて、われわれどういう立場に立ってやっていくのかということをはっきりさせる、とりわけ日和見主義との闘い、その立場を『帝国主義論』の中から学んでいくということが重要じゃないかと思ってます。

●講師

 全党総講師化、できるはずだと僕は思います、そこでやりきるんだというのがあれば。絶対反対論と階級的団結論、それを貫いて職場で、キャンパスで実践していく、ここかなとすごく思います。『帝国主義論』を現場で貫いていくという場合の具体的なことは、結局そういうこと。そのことをはっきりとこの過程でつかんで、闘いを開始しているということはすごいことで、われわれは共産主義者として誇り高く団結して闘うんだということで、僕はいいんじゃないかなと思います。それでやっていきましょう。

党学校通信 p10-16 受講レポート

受講レポートから ★『帝国主義論』(下)のレポートです。

【S】

 帝国主義論を労働運動路線から読みとる、という、一見乱暴なやり方でレクチャーをされたが、これは結構イケテるな、と思いました。
  レーニンが、イソップの言葉ではありながら体制内労働運動との闘いの重要性を強調しているのは決定的だと思う。
  貿易黒字よりも、海外投資からの配当金が遙かに上回るまで寄生性の強まった日帝足下に於いて決定的な決戦に打って出ようとしている今、我々の闘いがパワーアップすればするほど「腫物」=体制内労働運動は、それだけ早く腐り、それだけ早く潰すことができる。死滅しつつある資本主義=帝国主義に引導を渡すことができる。その暁を見たいがために生きてきた。頑張るぞ!

【G】

 カウツキー主義批判を、現代のカウツキー主義者=塩川一派と規定して闘っていくということが良かった。カウツキー批判が、単なる論争や労働者階級の外側にある問題ではなく、我々の内側や党の内側から生まれて来る問題だということです。
  1912年プラハ協議会からプロレタリア自己解放の闘いにばく進していった立場から、レーニンも『帝国主義論』を書いたと思います。そういう実践的立場から、『帝国主義論』を読んでいくことが重要でした。そして、カウツキー主義批判が論争だけで打倒しただけではなくて、プロレタリアートが打倒した、ロシア革命をやって最後的に打倒したという実践的問題結着をつけたことが重要です。塩川一派打倒という実践的立場で読めば、かなりカウツキー主義批判が、わかりやすかったです。

【Z】

(1)講師の提起は、『共産主義者』155号島崎論文をもう1つの軸において提起をつらぬいた点で、成功したと思います。
  『帝国主義論』の8〜10章の実践的重要性ということは、秋月論文(『共産主義者』152、153号所収)以来、強調されてきたところですが、レーニンが“イソップの言葉”を強いられて涙をのんだところを今日的に展開しきる試みが島崎論文だと思っています。
  この点で、講師のスタンスは全く正しいものだと思った次第です。
(2)従って、論としての論ではなく、まさに“プロレタリアートの実践的な時代的情勢的な認識”として、提出されえた、と思います。
  階級的労働運動の革命的時代観−ということです。
(3)問われているのは、職場的もちこみと実践−ということは全くその通りです。
  また、全党総講師化ということも、08−09年を決する提起だと思います。

【N】

 『前進』新年号でうちだした「塩川一派を打倒し階級的労働運動の白熱的実践かちとれ」のたたかいを実践していくにあたって、とても有意義な提起、討論でした。
  何よりも「体制内労働運動の打破なくしてプロレタリア革命なし」ここにレーニン主義の核心があるということを徹底的にはっきりさせたことです。
  5月テーゼ以来の苦闘も「私党化」という大問題があるが、「新自由主義」攻撃という形で最末期を迎えた帝国主義に対して、我々が革命党として、体制内労働運動の打倒ということを、明確にすえきって実践に突入することができなかった、ということが核心にあったと総括できると思います。
  そういう意味では、動労千葉の闘いが青年・学生を獲得し、その青年・学生の闘いが党と階級を獲得する−そういうものとして、『帝国主義論』の内容も、生命をふきかえし、再構築される突破口がきりひらかれていると言えると思います。
  この地平をさらに発展させて、鋭く現実の帝国主義を切りさき、打倒しつくしていく武器として、『帝国主義論』を奪還していくことが必要だと思います。
  実践的に地区での労働学校、学習会の組織化をすすめます。学校での学生同志の援助に感謝します。

【E】

 今回の党学校は、今までで一番よかったと思います。
  まず何よりも、講師の立場性、スタンスが圧倒的に鮮明であったことが決定的です。
  『帝国主義論』を論としてとらえるのではなく、極めて実践的立場でとらえており、特に「7章の結論は職場での実践である」と言いきったところは感動的でした。
  また、党学校の位置づけを労働学校の講師養成学校にしようという提起は、一人ひとりの主体的立場を問うものとして非常に重要であったと思います。
  内容的には特に、日和見主義との対決の意義を自分としてはつかむことができたと思います。塩川一派との対決であり、体制内との闘いはまさに今自分の大学で問われているところであり、徹底的にやりぬく立場に自分は立ちきりたいと思います。
  講師の提起に触発されて、自分も積極的に議論へ参加することができました。この党学校における団結を強固につくり出す第一歩として、今回は非常にいい議論ができたと思います。団結の拡大を総括軸にした学習会を自分としては作りあげていきたいと思います。
  その中で階級的労働運動論であり、世界革命論を深化させ、その実践としてキャンパスに突入して体制内をぶっ飛ばし、革命的な団結の拡大と全国300万ゼネストに向けて闘いぬいていきたいと思います。

【I】

 レーニン『帝国主義論』の核心が、「マルクス主義」をかたったカウツキーらの「革命情勢ではない」論との徹底的な党派闘争であることを、今日の塩川一派粉砕のたたかいと完全に重ね合わせて明らかにしたことは『帝国主義論』を“生きた”ものとして現在に復権させる上で非常に重要で、その点で大成功していると思います。
  「(社会主義の『対置』が)社会主義が即時実際に実現されるとは信じていない人を、ことごとく帝国主義の陣営に追いやる…」というカウツキーの主張は、今回初めて(?)見ましたが、本当に塩川一派とうり二つだ。
  とてもおもしろい学習会でした。

【C】

 『帝国主義論』の後半を聞いての感想を述べると、つぎの点です。
  1つは、レーニン『帝国主義論』を現在のわれわれが当面する「カウツキー主義者」=塩川一派との党派闘争の視点から読むことが大事だ、という講師の指摘に感動しました。階級を主体的に措定できない、動労千葉労働運動を実践できないところに、帝国主義打倒論は、そしてその日本における実践は貫けないということ。
  2つには、レーニン「帝国主義」論を現代帝国主義論=革命論として読み、実践していく(階級的労働運動として)ことが決定的だということ。その場合、職場生産点で、体制内労働運動と切り結び、これにうちかって職場支配権を奪取し、階級的労働運動をやりぬいていくことだと思う。
  3つには、党は階級に獲得されるとは、目の前の労働者を、うまずたゆまず獲得、オルグし、11月労働者集会に結集し、階級的団結を日本と世界に広めていくことである。
  すでに07年で開始された青年労働者、学生の闘いに学び、これにくらいついていく。そして、己の職場で、職場闘争を賃労働と資本の非和解性にとことん立脚して闘いぬくことに徹するということ。言うは易く実践はむつかしいが、ここにむかって突き進んでいくことだと、つくづく感じた。

【V】

 『帝国主義論』は、どういう立場に立って読むのかで、とらえ方が全然違ってくる。まさに立場性が問われるということだと思う。今回の「日和見主義潮流との闘いが革命の成否を決する」という観点から主体的に『帝国主義論』を読むということが、まさにその立場性を、どれだけ本気で革命をやろうとしているのか、はっきりさせるものになると思う。
  帝国主義が危機になればなるほど、革命にむけたチャンスということだが、そこで直面する課題に対してチャンスととらえきれるかどうか、そこでの格闘だと思う。チャンスととらえきる核心は、どんな困難も労働者階級の団結した力でうち破ることができるという確信に立脚してたたかうことだと思う。自分の細胞は、一昨年からの文字通りの絶滅攻撃と必死でたたかい抜いてきたが、党の仲間を信頼し、労働者階級の団結した力で必ずうち勝てる、その立場に立ちきって労農同盟論をうちたてるという立場にたちきっていなかったのだと思う。これまでは『帝国主義論』を日和見主義との対決という視点では、あまりとらえていなかった。このとらえ方とその上での実践が、今の情勢の中で決定的だと思う。

【J】

 『帝国主義論』は、第1次大戦の最中、資本主義国イギリス、フランス、ドイツ等の経済的基礎を解明することで、資本主義の自由競争が独占に転化していることをつかみ出し、「世界戦争に行きつく独占論」を鮮明にした。帝国主義の侵略戦争・帝国主義間戦争の不可避性を明らかにした。
  同時に、『帝国主義論』は、眼前の帝国主義戦争を推進しているのが、日和見主義的な潮流−体制内労働運動にあることをはっきりさせ、帝国主義戦争を阻止するためには、帝国主義を打倒するためには、体制内労働運動との闘争が不可欠であることを明らかにした。
  帝国主義は、超過利潤を生み出し、金利生活者を生み出し、労働運動指導者を買収するのである。したがって、帝国主義の侵略戦争に対するたたかいは、体制内労働運動とのたたかいでもある。『帝国主義論』は、帝国主義は資本主義の最高の発展段階であると規定することで、帝国主義は、プロレタリア革命の前夜であり、プロレタリア革命の諸条件を準備している、すなわち共産主義社会の現実的条件を成熟させていることを明らかにしたのである。独占(論)とは、共産主義の「生産の社会化」を準備するものである。
  現代帝国主義の打倒にとってこそ、レーニン『帝国主義論』は真骨頂である。
  討論をとおして、『帝国主義論』を学習する実践的な立場の重要性を強く感じました。それは、日和見主義潮流との闘いが革命の成否を決する、ことです。

【L】

 今回の『帝国主義論』の学習会に参加して、実は、率直にいって「良かった」という面と、それ以上に自分としては、圧倒されたという面がありました。「圧倒された」のは、どういうことなのかと自分でふり返りながら討論を聞いていました。やはり、講師が昨年12月から今年1月現在までの闘いの圧倒的地平に立ち、プロレタリア世界革命を実現する時代が来たという時代観、塩川一派打倒し、階級的労働運動の白熱的実践に突進しようという攻撃的立場をとことん貫いていたところです。
  自分としては、本当に、これから4大産別決戦での闘いと、マル学同1000人・マル青労同1000人建設の闘いに決起しなければならない。これをできるのか、というためらいは、非常に自分の中にある。でも、今回の提起は、できるということを勝利的に打ち出していたと思います。
  そのことを実現していく立場に立つ上で、関西の塩川一派に何年にも渡って指導を受けてきて、自分の中にも塩川一派的なものがあるのだということをはっきりさせ、実践の中で打倒していかなければならない。
  例えば、実践的な話になるわけですが、講師が今回やり切ったような帝国主義論の提起をキャンパスなどの討論の場でやっていたか? そうじゃなく、帝国主義論の解説であったりした。それは、帝国主義を革命の前夜ととらえ、労働者階級の団結の力に依拠して革命をやろうというものでなく、解説者の立場だった。宣伝・扇動が、大衆操作のようなあり方だったのではないかと思います。学生の同志から、今回「自分たちは、団結に依拠するんだ」と言われたことに改めてはっとさせられた。レジュメ15ページの「帝国主義の批判」の中で、職場での闘い、宣伝・扇動について、『俺たちは鉄路に生きる2』の引用がされていますが、ここを今自分は、実践課題にしていくことが求められていると思いました。
  講師が勝利感をもって提起していたのは、職場の団結のために体制内指導部と闘って勝てるということと、自分が労働者とともに変わっていけるというところにあるのではないかと思いました。とにかく、4大産別を主戦場に、体制内指導部を打倒し、労働者の革命に向かっての団結をつくりだすべく、闘っていこうと思います。

【P】

 これまでは『帝国主義論』を「帝国主義の不均等発展−帝国主義戦争としての爆発」「帝国主義=社会革命の前夜」という視点で読んできたのですが、むしろ実践的問題として、レーニンが日和見主義潮流との闘いを革命の死活がかかったものとして重視し、それとの闘いを訴えていることをつかむことができました。
  以前の学習でも、帝国主義の寄生性とプロレタリアの上層の買収という点は、それとして重要な問題として捉えていたつもりなのですが、そこまでの認識に留まっていたという限界がありました。現実に革共同が階級的労働運動を開始し、青年労働者を先頭として職場闘争に突入した途端に、どの職場でも、体制内労働運動指導部が申し合わせたように破壊しにかかってくる。この実践に踏み出すことを通して『帝国主義論』の読み方が深まったという関係にあるわけですが、逆に、そのようにして『帝国主義論』を読み直すことを通して、日和見主義=体制内労働運動との闘いの決定的重要性、ここで勝ちぬいていくことが革命の準備をしていくのだということを確信するものとなりました。すなわち、我々が現在、体制内労働運動との闘いで苦闘していることは、何ら特殊なことではなく、帝国主義の時代のプロレタリアートの闘いにとって普遍的テーマであるということです。「ただ一つ忘れてはならないことは、一般的には帝国主義にたいして、特殊的には日和見主義にたいして、反抗しつつある勢力のあることである」というレーニンの言葉は、プロレタリアートの側の勝利性をレーニンが確信していたことを示していますが、我々も然り、ということです。体制内労働運動との闘いを我々の側から求め、とことんやっていこう。
  血債主義・糾弾主義との闘いの観点から、今日的に帝国主義が、資本主義的な要素を再編して階級支配のテコにしていく(労働者階級を分断支配していく)という問題が重視する必要のあるテーマであると思います。とりわけ後発帝国主義である日帝の場合、部落差別や天皇制攻撃の極限的激しさということがあり、この問題を日帝による労働者階級の分断支配の攻撃として、帝国主義論的に位置づけていくことが大切であると思います。

【R】

 帝国主義は、全世界を資本主義化し、分割−再分割戦争にまでうったえている。帝国主義とは「最高に発展し、死滅しつつある資本主義」であり、階級闘争を2大階級の闘争として、最も単純化してきた。その観点から、民族・植民地問題や、農業・農民問題の矛盾の解決も、結局はプロレタリアートがブルジョア独裁を打ち倒して、プロレタリア社会主義革命を実現するなかで達成されることにある。(社会的被差別人民との連帯も、これを基本にして考えるべき。)
  塩川一派との闘いの中で、「7月テーゼ反対」を通して、プロレタリア世界革命に真っ向反対する論調と勢力があることがはっきりしてきた。帝国主義が「社会主義革命の前夜」であることからの逃亡であり、帝国主義を資本主義と、へ理屈をつけて一生懸命引き離そうという考えが論拠にあると思う。
  ブルジョアジーの帝国主義的・世界大的な超過利潤の取得は、プロレタリア革命の予防反革命としても、大胆に投入されているのであり、これをはね返して行くためにも、職場闘争=賃労働と資本の廃絶に向けた闘いを軸にして闘うことが重要であると、今日の学習会で鮮明になってよかった。
  これらは、いわゆる労働者家族の“賃金外”賃金としての医療や福祉をかちとる闘いの進め方においてもあてはまり、やはり、職場闘争を軸にして、階級的団結をつくり、そこにあらゆる人民との結合と連帯闘争を作り出していくのがカギだと思う。そうでないと、ブルジョアジーのさし出す“おこぼれ”にすがる体制内運動に陥ってしまうと思う。

【X】

 『帝国主義論』後半の報告も、原典を詳読されたうえで、今日的な問題意識にふまえて、述べるべき点は他文献なども引用されてとことん敷衍されていて、大変勉強になった。
  「1892年には、イギリスの680万トンにたいして、ドイツは490万トンの銑鉄を生産したにすぎなかった。ところが、1912年には、イギリスの900万トンにたいして、ドイツはすでに1760万トンであって、イギリスにたいしておどろくほどまさっている!」−英:独の比が7:5であったものが1:2と大逆転状態になっている。
  つづけてレーニンは、この「資本主義の基礎のうえでは」、生産力と資本蓄積と、植民地の分割状況との不均衡を除去するためには「戦争以外にどのような手段がありうるだろうか?」と帝国主義戦争の本質を暴露している。
  今回『帝国主義論』をあらためて読んでみて、強い印象をうけたものは、帝国主義(資本主義)と戦争の不可分性の強調である。カウツキーらは、帝国主義であっても、戦争という政策をとらないこともできる、と主張している。この戦争が帝国主義から必然的なものとして生じているとその一体性を認識しなかったら、その戦争にたいする評価もあいまいなものとなる。ロシア帝国主義の圧政からロシア人民を解放するのだ、という独帝国主義の口実に乗ってしまうことになる。
  戦争の根源は帝国主義にある、と断じた場合、戦争反対のたたかいは帝国主義打倒によってはじめて貫徹される、となる。反戦と帝国主義打倒とは同一のものとしてたたかわれなければならない。だとすれば、この反戦闘争の主軸は労働者階級がになわなければならない。そうでなければ反戦闘争がプロレタリア革命に転化されることはないからだ。これがレーニンの帝国主義論だ。
  反戦闘争をたたかう人々は多くいる。反戦闘争の強調にとどまるならば、市民主義的なものもあれば、社民、スタ、小ブル平和主義などなどさまざまある。しかし、やはりその量的拡大では戦争を阻止することはできない。もちろんさまざまな諸階層の人々のたたかいはどうでもいいなどといっているのではない。同盟軍として欠くことのできないたたかいであることはいうまでもない。
  労働者階級の自己解放闘争として反戦闘争をたたかうこと、マルクス主義・レーニン主義の復権として反戦闘争をたたかうこと、帝国主義打倒闘争として反戦闘争をたたかうこと、だから労働者階級の組織化を軸とした反戦闘争をつくりあげていくことが大切ではないかとあらためて思った。考えてみれば、戦争の根源は帝国主義にあるとなれば、そういうことになる。

【U】

 レーニンが「イソップの言葉」と言っている点についてですが、ではイソップの言葉をはぎ取って、今日的に表現したらどうなるのか、ということを感じています。
  帝国主義の破綻、革命的情勢の中で、イソップの言葉をはぎ取った「帝国主義論」は、今日的には、「体制内的論理」を徹底批判し、「革命前夜」「これこそ唯一の道」ということを論じきるということだと感じます。
  『共産主義者』155号島崎論文などで、「全世界で反乱が開始されている」ことが「革命情勢なんだ」という点で踏み込んでいることは、我々にとっての、「イソップの言葉」を捨てた踏み出しでしょう。塩川一派の情勢論での「不一致」の中心点も、このことをめぐる点ではないでしょうか。
  かなり実践的に提起が行われたと感じています。現実の世界で起きていることがきわめて激しいので、一層踏み込んで「帝国主義論」を論じないといけないとも思いました。

【Q】

 実践的党学校の確立という本講座のテーマの革命性が、この『帝国主義論』学習会でかなり深化されたと思う。
  このことは、やはり今の現実の実践−塩川一派とのたたかいを通して明らかになってきた。「党の革命」=階級的労働運動路線の実践を経て、はじめて獲得されていることがおさえられる。
  レーニンは、何のために『帝国主義論』を書いたのか、なぜ「書けたのか」といえば、プロレタリアートの主体にたちきって、当時の現実の世界帝国主義の徹底分析とその結論としてのプロレタリア世界革命の現実性をはっきりさせることができたということ。つまり、レーニン版『共産党宣言』だ。徹底した階級移行だ。
  超強大に見える帝国主義。しかし、それはイリュージョンであって、プロレタリアート(墓掘り人)によって打倒できるんだという「コペルニクス的転換」が必要だと思う。
  本講座で、『共産主義者』152、153号秋月論文や『共産主義者』155号島崎論文が多く引用されていることは重要で、革共同版「帝国主義論」としての確立−現代世界革命への挑戦ということで、結論としての「職場での実践」過程で総括していくことだと思う。
  私自身、あまり本講座にかかわれなかったと思っているが、来期も参加して、革命的実践理論についてのわくわくするような中味に参加していきたいと思います。
  レーニン『帝国主義論』は、実践的立場−世界革命の一環としてのロシア革命−に立って、徹底したカウツキー批判=「体制内」主義批判を展開している。それは同時に、プロレタリア革命党建設=団結論という問題意識だと思う。
  危機にあえぎ、あらゆる手段(差別、排外主義、戦争、買収…)をつかっても、絶対にプロレタリア革命だけはやらせない! という帝国主義とその帝国主義の「強大さ」「狡猾さ」に屈服する「体制内派」(塩川一派や我々の中にもある日和見主義)を粉砕・突破する課題にとって、我々の帝国主義論=21世紀の「共産党宣言」を確立して、世界革命に向かおう! ということだと思います。
  「賃労働と資本」の矛盾の解決は、プロレタリア世界革命だということ、7月テーゼの深化、血債主義、糾弾主義、「二重の抑圧」論批判などの領域は、今後の課題として重要だと思います。「貧困、差別、分断、不信…」という現代の「宿痾(しゅくあ)」は、プロレタリア革命によって解決できるという確信、プロレタリアートの団結こそが希望なんだということをより鮮明にすることが、理論と実践の合一を実践する道だと思います。