第8期第4課目 マルクス『ゴータ綱領批判』(上)前半講義概要 講師 畑田 治 〔1〕 『ゴータ綱領批判』の歴史的背景 『ゴータ綱領批判』は1875年に、マルクス(在ロンドン)がドイツの社会主義労働者党(アイゼナッハ派)の指導部にあてて送った手紙です。当時、アイゼナッハ派はラサール派と合同しようとしていた。合同の直前に初めて綱領草案を見て、「こんなのはダメだ」とリープクネヒトらに批判の手紙を送った。しかし、ほとんど受け入れられず、手紙はエンゲルスが1891年に公表するまで、16年間も隠され続けた。 〔2〕『ゴータ綱領批判』から何を学ぶか 『ゴータ綱領批判』は、1950−60年代に革命的共産主義運動が、スターリン主義と対決して真のマルクス主義を復権していった時の重要な導きの糸。スターリン主義の「平和共存戦略」「一国社会主義」論を世界革命への裏切りとして弾劾し、マルクス世界革命論、共産主義論を現代に復権させる闘いの過程で、活動家がむさぼり読んだ。 ●労働者階級をどう位置づけるか マルクスが「ゴータ綱領草案」をみて、「これは違う! こんなのは労働者党の綱領ではない!」と叫んだ核心点はなんだったのか。 ●リアルな共産主義 それからもう一点、『ゴータ綱領批判』から読みとるべきことは、労働者自身が闘いとる「リアルな共産主義」論です。 〔3〕『ゴータ綱領批判』の具体的中身●労働と自然、資本主義のもとでの労働の特性 マルクスはまず、綱領草案の冒頭の言葉「労働はすべての富とすべての文化の源泉である」を批判する。すなわち、「労働だけがすべての富の源泉なのではない。自然もまた労働と同じように、使用価値の源泉である」と。 |
ドイツ社会民主党と「自由労働組合」 −討論から−●講師 ドイツ社民党の百何十万党員の中心的部分は、「自由労働組合」の労働者党員だった(1890年代以後)。 ●Z 今われわれが党の分裂をかけてでも、絶対に体制内労働運動と決別しきらなかったら、ドイツ革命の敗北の二の舞だという切実な問題があるわけだよね。党と労働組合、労働組合と党。そのパラレルな関係の中で見ていく視点が必要だと思う。要するに「自由労働組合」、今日のドイツ総同盟なんですけども、レギンという奴が創立から1920年まで独裁している。1890年に社会主義者取締法が廃止されて、ドイツの党は公然化する。踵を接して、労働組合の方も、92年に自由労働組合の全国創立大会をやる。それまで労働組合もずっとあったんだけど、ビスマルクの社会主義者取締法下、全国組織は認められない。したがって、全国組織は解体して、共済協会等という形態をとっていた。92年に自由労働組合の創立大会でレギンが親分になり全国組織になる。その時にレギンは、「現在の社会を変革する闘争ではなく、現在の社会の枠内で、労働者の利益を増大させるために行う経済闘争のみが、組合の固有の活動分野である」、と主張する。最初から現在の松崎(JR総連)みたいな、マルクス主義と無縁の主張。要するに体制に触らない、社会の変革を求めない、経済闘争のみ、扇動なんてやつはとんでもない、集会も闘争もダメ、組織、組織、組織。これがレギンの自由労働組合の根本思想。 |
討論から●F 今日の提起は、今の党の革命をもって「労働運動の力で11・4集会1万人結集を実現しよう」ということに完全に即した提起であったと思います。僕も、党が階級を指導する、党が労働組合を指導する、そういう考え方でずっと来てたけど、それは根本的に違う。党が労働組合を組織して、労働者を組織する。その階級性の中に完全に依拠して闘いぬく。労働組合の中に未来の共産主義社会のソビエトの形態を完全に見いだして闘うんだ、そういう立場に立たなきゃ絶対に革命にも勝利できないんだということが、今日ははっきりしたと思います。 ●W 今日の提起で、当時のドイツの党内闘争のやり合いの過程がかなりリアルに具体的な事実が出されて、結構ビックリした。結局マルクスが『ゴータ綱領批判』を出して、それは完全に隠ぺいされてそれで終わり。マルクスは、外交的沈黙というか、あるいは私信において完全な局外者で何の関係もないという声明を発表します、と言っているだけで実際出しもしない。エンゲルスは、16年経ってマルクスの『ゴータ綱領批判』の手紙を隠したのはドイツ社民党指導部だと言っている。党内闘争的には完敗ですよ、はっきり言って。本当にそれを生命線かけてやり合いしたのか疑問です、マルクスとエンゲルスちょっと問題があるんじゃないか。それ以降も結構ドイツ社民党は、帝国議会で躍進したり、それから弾圧されたりとか、激しい激突の過程というのはあるわけですけど、そこに本当に主体的にかかわっているようにも見えない。こういうことを、どう総括し、乗り越えていくかというテーマはあるんじゃないか。 ●仲山 かなり重要な提起であると思いますが、半分以上そうせざるをえなかったということはある。合同に向かっていくプロセスで、マルクスやエンゲルスの実際の影響力というのはほとんどない。組織の党首として指導する関係じゃない、理論的・思想的な存在としてロンドンにいるだけで。ということが一つと、じゃあ分かった段階で徹底的に粉砕するためになぜ闘わなかったのか、というのが今の話の一つのポイントなんだけど、労働者党としての階級的基礎とか、そういうものはまだ全然未確立、70年代冒頭は。階級の指導部として政治的にもものすごく未成熟です。一定の構築された組織体制があって、その中でがんがんイデオロギー闘争をやって獲得するという関係でもない。そういう意味では、間接的な影響力をどう及ぼすかという限られた条件の中にあった。 ●柴田 マルクス、エンゲルスの党内闘争は問題だったというのは、単にこんな合同なんか徹底的に粉砕しちゃえばいいということでもない。階級闘争の大地に根ざして問題を見た場合、アイゼナッハ派が、動労千葉と結びついていないということなんです、当時の、そういうのがあったとすれば。もしくは、当時のドイツの中で動労千葉をつくるんだという目的意識性がアイゼナッハ派に決定的に欠落しているということが、かなり致命的な弱点で、合同することに問題があるというより、そこの意識性がまったくないし、あるいはドイツの労働者階級、あるいはそこにおける階級的労働運動と結合していない、切断されているというところの致命的問題を抱えたまま合同に走るというところが根本的に間違い。マルクスやエンゲルスも、そこのところを徹底的に批判していると思う。というふうに問題をとらえた方がいい。合同後の社会主義者取締法下の十数年間、まさに国鉄分割・民営化と同じなんです、やられたことが。社会主義者取締法と名前が付いているけど、単に社会主義者、労働者党だけへの攻撃ではなく、労働運動を徹底的に解体していく、体制内化していく攻撃。動労千葉がこの時存在して、社会主義者取締法に対して何らかの闘いを徹底的にやった場合、情勢が違ったということです。 ●N 今日の提起と討論を聞いていて、当時のドイツのゴータ大会での合同から自由労働組合の流れというのは、今のわれわれが直面している体制内派とまったく重なった。本当に労働運動と共産主義との関係だとか、労働運動、労働組合がなんなのかということについて、その根本的な、本質的なところで勝負していかないと、当時のアイゼナッハ派の状況というのは他人事じゃない。そういうときに、われわれは動労千葉を持っているということの決定的な位置ということ、11月集会の唯一性ということで、全党的に当時を今日的に乗り越えていくものとして11・4集会1万人結集を実現していくということと結びつくんじゃないか。 ●E 僕としては、いかにして11・4集会に1万人集めるかというところからの問題意識がある。学習会と、討論とかやって、本当に今僕らが問われているのは、体制内に転落するのか否かというところ。結局、体制内との闘いであり、動労千葉というのが強固にあるというのと、1万人集めきれなかったらドイツ社民党になるんだ、というものとしてとらえていくべきかなと思います。動労千葉があるからこそということであるし、体制内との闘いというのも、本当に今あらゆる職場で、大学で、ガチガチやり合っている。ここに勝ちきれるかどうかというのは、11・4に1万人集めきれるかどうか。というところからとらえて、今日の学習会は、かなり自分としてもよかった。 |
受講レポートから ★『ゴータ綱領批判』(上)のレポートです。【W】 討論で発言した問題について、やはりこだわりがあります。つまり、「ラサール派との合同問題=決定的な革命綱領の変質=党の変質」とマルクス・エンゲルスがとらえていながら、なにゆえ「ゴータ綱領批判」を指導部に提出しただけで、闇に葬られてなお公然たる党内闘争をやりぬかなかったのかという問題についてです。 【A】 ゴータ綱領批判を今日的に実践してゆく。ゴータ綱領批判を過去の歴史の中に埋没させてしまおうとする勢力との闘いに勝利してゆこう、という観点に貫かれた提起であり、それを受けた討論であったと思います。 【J】 『ゴータ綱領批判』(1875年のマルクスの手紙)は、ドイツ社会主義労働者党の綱領が、労働者自己解放の闘いから、全く後退−裏切っていることを、マルクスが怒りをもって、リープクネヒト、べーベルらを批判したものです。 【C】 今日の学習会は、現在の当面する運動にとって非常に密接不可分な視点がいくつも出されていて有意義でした。 【R】 『ゴータ綱領批判』の前半で学んだことは、綱領における労働者階級の見方への言及の重大さだと思う。マルクス・エンゲルスが、1848年『共産党宣言』を起草し、第1インターも始動し、パリ・コミューンにまで国際階級闘争の前進がかちとられていながら、「ゴータ綱領」では、ラサール派への譲歩だけで終始し、「労働者が自己解放かけて社会を建設するんだ」というパトスの片りんも見られないことは、本当に悔しかったに違いない。しかし同時に、このことを反面教師として、「労働者は唯一革命的階級である」と言い切って、全人民解放の先頭で、労働者階級が起ちあがっていくことの重要さを改めて教えてくれている。「労働者は資本家がいなくても、社会を担えるし」、また「プロレタリア革命によっていっさいの搾取、抑圧、差別を打ち破る土台を切り開くことができる」という確信があれば、マルクス主義の確信は踏まえられるのではないかと思う。「ゴータ綱領」自身は、階級闘争的には、パリ・コミューン原則に踏まえられ、重要な提起も出ているとは思うが、やはり、そういった重要な綱領項目を掲げてみたところで、それを実際に実現しようとする気概がなければまったくの「絵に描いた餅」に終わるということは、その後のドイツ社民党の歴史的敗北の歴史を見ても明らかである。実際、ナチス勝利にいたるその後の過程を見ても、労使協議機関というアメの機関にからめとられ、「体制内社会主義」に終始したその破産と反革命性は、ドイツ革命の敗北の教訓、ひいてはロシア革命の世界革命への発展を閉ざした一因としてはっきりさせなければならないと考える。 【V】 11・4集会1万人結集の実現に向けた実践とかみ合う形で、問題意識を鮮明にできた学習会だったと思う。やはり、体制内労働運動、日和見主義と曖昧さなく対決して階級的労働運動を実践すること。この「曖昧なく」というのが決定的で、なおかつ、それは階級的労働運動の目的意識的な実践のなかでこそ、勝ち取れるのだと実感した。 【X】 @当時のSPDの変節が明らかにされたことが、それに対する批判としてマルクスのゴータ綱領批判が行われたものとして、理解が深まったと思う。当時、すでにマルクスとSPDとの間では、相当な乖離があった。 【N】 【E】 【F】 【I】 【G】 【Z】 【D】 【S】 【Q】 【O】 【P】
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