第8期 第3課目 マルクス『賃金・価格・利潤』(下)後半講義概要 講師 岩谷芳之 第8節 剰余価値の生産●剰余価値の根拠 第7節で「労働力」の価値が規定されたことを基礎に、この節では資本が剰余価値を搾取する仕組みが説き明かされます。 ●資本の生産過程は、階級関係を再生産する-- 略。
第9節 労働の価値●労働力の価値は、必然的に「労働の価値」として現れる 労働者が資本に売るものは労働力です。しかし、労働者が資本の指揮・命令に従って具体的・現実的に労働することによってしか、労働力を引き渡すことはできません。また、賃金が支払われるのは実際に働いたあとです。このことから、賃金は労働の価格=労働の報酬として現れます。 ●賃金労働賃金制度は、奴隷主や封建領主の搾取とは違う、身分的・人格的束縛のない「自由」な形式のもとで、階級的本質を隠蔽しつつ支配階級=資本家階級が剰余労働を奪い取る形態です。このような賃金労働を中心軸に成立している資本主義社会は、まさに階級社会にほかなりません。 第10節 利潤は商品を価値どおりに売ることによって得られる-- 略。
第11節 剰余労働が分裂する種々の部分●地代、利子、産業利潤 剰余価値は、地代や利子などに分解し、剰余価値の一部が産業利潤または商業利潤として事業を行う資本家の手元に残ります。この産業利潤や商業利潤は、事業を行う資本家があたかも自分の努力や才覚で稼いだものと観念されるようになります。 ●企業資本家による剰余価値の搾取こそが賃金制度の軸点-- 略。
第12節 利潤・賃金および物価の一般的関係資本家と労働者とは、労働者の総労働によって測られた価値を分配するほかはない。だから、賃金が減少すれば利潤は増大し、賃金が増大すれば利潤は減少する。 第13節 賃金を値上げし、またはその値下げを阻止しようとする企ての主要な場合
●生産力の変動と賃金-- 略。
●労働日延長が資本の普遍的傾向 より多くの剰余労働を搾取するため、資本は常に労働日を延長しようとします。合理的限界を超えた労働時間の延長は、労働者の生活・生存を破壊します。賃金制度のもとで労働者が労働力を売らざるをえないのは、生きていくためであって、健康や生命まで資本に売り渡したわけではありません。しかし資本は、あくなき搾取のために労働者の全時間を支配しようとします。これに対して、労働時間の制限を始め、合理的限界内での労働条件を資本家に守らせるために闘うことは、労働者にとって自分自身と労働者階級を守るために絶対に必要なことです。 ●労働の強度の増大労働強化が限度を超えれば労働力の再生産は不可能となります。労働強化=合理化は必ず団結破壊という狙いをもって貫かれることを見ても、これとの闘争は労働者にとって死活的です。 ●資本主義の循環運動と賃金 諸商品の市場価格は景気循環の中で変動し、全循環を平均すれば、その価値によって規制されています。労働力商品の価値も、価格の循環的変動をとおして実現されます。したがって、好況期には可能な限り賃金を上げるために闘い、恐慌や不況期にはできる限り賃下げに抵抗して闘うことが、労働力の価値を維持するためにも必要です。 第14節 資本と労働との闘争とその結果●労働者は平均すれば自分の労働力の価値を受け取るだけ 「他のすべての商品と同じように、労働についてもその市場価格は、長期間にはその価値に適応するであろう。したがって、あらゆる騰落にもかかわらず、また労働者が何をしようと、彼は平均的には彼の労働の価値だけを受け取るであろう」 ●労働力の価値は、生理的要素と歴史的・社会的要素によって決定される 労働力の価値は、生理的なものと、歴史的・社会的なものの2要素により決定されますが、その究極の限界をなすのは生理的要素です。生理的要素とは、労働者が自分自身を維持し再生産するために絶対に必要不可欠な必需品の価値のことです。 ●利潤の現実の大きさは、資本と労働との絶えざる闘争によってのみ定まる このように労働力の価値が可変的であれば、賃金の大きさと利潤の大きさがどの程度に確定されるかは、資本と労働との絶えざる闘争によってのみ決まります。資本家は常に賃金をその生理的最小限に引き下げ、労働日を生理的最大限に拡大しようとしているし、労働者はそれを反対方向に押し返そうとしています。事態は、両者の力の問題に帰着するということです。
●生産力の高度化と相対的過剰人口の生産。資本の有機的構成の高度化-- 略。
●実践的結論 @日常的闘争の徹底的な貫徹 ●第1インター第1回大会の決議『労働組合、その過去・現在・未来』 マルクスが提案した決議案の中身は、第1インター第1回大会で採択された決議『労働組合、その過去・現在・未来』で全面的に取り入れられています。 (後半講義了) |
賃金闘争と動労千葉労働運動の普遍性 −討論から−●講師 講義の中で、“再生産費どおりに賃金を払え”というのは賃上げ要求の根拠にならないと言いました。私が言いたいのは、資本と労働との闘争ということと別個に、労働力の再生産のためにはこれだけ必要だということが客観的に決まっていて、それに現実の賃金が達していないということで、賃上げ要求の根拠を組み立てるというのは違うということです。 ●川武 こんな低賃金では食えないという階級的要求を社民がねじ曲げて、賃金交渉する場合に、資本家にも労働者にも通用するような完璧な根拠みたいに歪曲する。そこにいろんな労働学者らが群がって、賃金形態論、賃金論なんかを論ずるという長い伝統があったと思うんです、平和的な高度成長の発展の中で。そういったイデオロギーがあって、資本はこれだけ儲けているんだからこれだけ要求するという、超階級的な根拠づけをする。協会派とかスターリン主義者は、労働力の再生産費(=価値)を客観的な根拠みたいにねじ曲げていく。 ●W 60年代末の『最前線』に陶山さんが賃金問題で書いているものがある。あるA君という青年労働者の賃金の価格、給料明細を2年間比較して、会社の側は賃金を上げたと言っているんだけど、実際手取りは下がっている。これはどういうことなのか、ということを今回解明してみようというテーマでやっている。その最後、なぜ下がっているかという決定的根拠は、そのA君は借金をしていて、そのローンを返済するということで下がっていたということだった。それを含めて会社の責任じゃないかということでアジりまくっている。会社の責任じゃないというふうに入ることも含めて、実際に労働者の生活は生きていけないような現実になっているんだと。それも含めて保障するのは当然だと、がんがんアジっている。僕は、こういうことが通用した時代なのかなと見てたんだけど、今回、賃金問題を、完全にブルジョアジーをどう打倒していくか、あるいはどう闘いの中で団結をつくっていくのかという問題として、まず真っ向からすえて、それを闘いの武器にしていくという思想がまずガーンとないと闘えないんだという意味で、理論的によくわかった。 ●丹沢 今のアメリカの教師の労働運動と日本の教師の既成労働運動は決定的に違う。 ●W オークランドの闘争なんかは、僕はよくわからなかった。大幅な賃上げを要求している。それが保護者や生徒を巻き込んで組織している。これ、どういうことなのかなと。教師の賃金を上げろということで、教師がストライキをして、それに保護者や生徒も一緒になって闘っていく。こういうことが賃上げ闘争という枠組みの中で、どうして成り立つのかなというふうに思っていた。賃金制度そのものに対する闘いということをすえたときに、移民の問題とか、今のアメリカの階級支配のあらゆる問題と闘うことの一環として、真っ向から賃金問題を提起できるという闘い方をしなかったらありえないようなことが起こっていると思うんです。だから、僕は賃上げ闘争でこういうことが起こっているというのが、今までよくわからなかったんだけど、それもやっぱりマルクス主義的じゃないなと。今回の提起を受けて、むしろそういう闘い方が賃金闘争の本来の闘い方であるというふうに、われわれの側の賃金闘争の概念を変えなきゃいけないと思います。 ●Z “賃金は労働力の再生産費だから労働力の価値どおりに賃金を払え”という賃上げ要求、つまり「マルクス主義」の言葉をもってする賃上げ論。こういう論理というのは全部、思想の枠組みで言うと、「『公正な1日の労働に対する公正な1日の賃金』という保守的な標語」、要するに公正な賃金論なんだよね。あたかも客観的に公正な賃金なるものがあるかのように、科学の名において掲げているというのは全部、「保守的な標語」なんだ。それに対して、賃金闘争で確認すべき核心点は、「『賃金制度の廃止』という革命的なスローガン」、これが眼目中の眼目だと思うんです。「マルクス主義」の言葉を使っているけど、ただの公正要求でしかないということが核心じゃないかと思う。 ●X 圧倒的には生きていけない賃金なわけでしょ。ブルジョアジーの生活と比べたら天と地なわけで、そういう意味では、この辺が頃合いだというようなものはないと思うんだよね。 ●講師 ブルジョアジーも労働者も互いに認めあえるような賃金水準なんてない。それをあるかに言うのが、「公正な賃金」ということだと思うんです。ブルジョアジーと論争したら、百年前はお前らの生活はこうだったんだからそれで我慢しろ、それ以上のものは贅沢だ、となるに決まっている。それを合意できるかのように言うのがとんでもない間違いだと思うんです。 ●X 労働者の生活がよくなるというのは、高度成長過程の一時であって、ごく例外なことで、絶対的貧困化ということがある。つねにそういうことを突きつけられるというか、闘わなければ生きていけないという階級関係があるんだということが重要だと思う。 ●V 最近、三里塚反対同盟の萩原進さんが口にすることで、安い農産物でいいという話になれば、結局それは労働者の賃金に跳ね返ってくる。労働者が安い農産物が食べられる賃金でいいじゃないかという形で資本家にやられるじゃないかと。そういう形で、労働者自身が賃上げ闘うことが重要だというような提起がされていると思う。そういう点で、「公正な賃金」論というのは、まさにそういった資本の攻撃にさらされる理屈だなというのをすごく今日聞いて実感した。 ●講師 レジュメでは略して申し訳ないんですけど、ちゃんと読むと、当時のイギリスの穀物法の話が出てきます。外国からもドンドン輸入すれば穀物が安くなるんだ、その安くなった分、労働者の生活が豊かになるじゃないかというキャンペーンをブルジョアジーはした。だけど実際には、輸入を自由化して、それに応じて労働者の賃金がガーンと下げられたという話が出てきます。それとまったく同じです。 ●X “価値どおりの賃金をよこせ”というのは、価値論的な考え方自身で誤りがあるわけでしょ。1カ月の生活費どのくらいだから、これが価値だ、というようなことが言えなくはないような面があるけど、労働力商品の価値がどれだけなのか、なんてことはわからないわけでしょ。 ●講師 マルクスは、労働力商品というのは、他の商品と違ってある種の弾力性があるんだということを強調し ●I 自治労の給料日は早い。横浜は5日、前払いなんです。自治労自身が戦後の過程で闘争をやった。契約したんだから、早いうちに払えと。それはそれで大した闘争だし、重要なんだけど、それで終わってしまってはというところはある。だけど、それで団結が勝ち取れるんだったら、そういう闘争だってやるべきだ。賃金闘争はそういう形態もありうるということだと思う。 ●仲山 さっきの価値論的な、というところで発言させてもらいたいんだけど、再生産費というのは、労働者が人間らしく生きて働くために必要な費用というふうにみんな考えてしまうけど、そうじゃない。資本にとって、必要なかたちで市場で労働力商品が購入できればいいわけです。フラフラになろうが、とにかく労働力市場で商品として労働力を買ってきて工場でこき使う。一番鋭く書いているのは、『賃金・価格・利潤』だと思うんですけど、早死にして速く回転しようが、ある程度平均寿命が長くなって、長く働きながらゆっくり回転する、世代的に。どっちでもいいんだ。ギリギリまで生活条件、労働力再生産の条件を削って削って、早く死にながらドンドン労働力を提供する、子どもを生んで次の労働力世代を提供する。あるいは長く働く。そのどちらでもいい、資本にとっては。労働力市場で労働力を商品として調達できるということが、どんな形であれギリギリ保証されればそれでいい。それが再生産費用ということです。 ●Z 『賃金・価格・利潤』は、賃金論あるいは賃金闘争論ということで決定的だけど、読めば読むほど、また今日の提起を聞いても思うけど、マルクス主義の真髄そのものなんだということが非常に決定的。 ●講師 本当にそのとおりです。動労千葉の闘いがあって、その現実があるから、われわれが『賃金・価格・利潤』の内容をとらえられたという面と、それから、仮に論理的にこう言えるにしても、空理・空論にならないというものを現実に持っているということがやっぱりすごいことだと思います。 |
受講レポートから ★『賃金・価格・利潤』(下)のレポートです。【S】 マルクスはとっても過激、というのが感想。空気入りました。 【Z】 (1)『賃金・価格・利潤』は、あらためて学習してみて、やはり決定的な書だと思う。 【U】 @賃金闘争論としても論議が深められたと思います。 【G】 『賃金・価格・利潤』での、賃金闘争のあり方みたいなイメージの展開が最もはっきりした。 【X】 @資本は、常に労働市場で労働力を得られれば良い限りで、賃金を可能な限り安くしようとすること、だから労働者階級は、常に最大の要求を突きつけて闘う必要があること、この賃・資の力関係によってのみ労賃が決まることを、改めてしっかり確認した。労働者階級が、ブルジョアジーよりつましい生活をしている事が当たり前、なんていうことも当たり前にしてはいけない。 【V】 党の革命を経て、階級的労働運動路線を実践するという立場から『賃金・価格・利潤』を読むと、かつてマルクス主義経済学の入門書としてしか見ていなかった時に比べて、全然違う読み方、とらえ方になるなと思います。 【P】 『賃金・価格・利潤』は、賃金闘争の決定的意義について提起している点が重要であると思います。 【C】 今日の『賃金・価格・利潤』の学習会と討論でつかんだ大事な点は、つぎの点にあると思います。 【J】 『賃金・価格・利潤』は、当時の労働者階級の労働運動にたいする考え方・実践にたいして、マルクスが第1インターでの講演で、賃金闘争は大いにやるべきだ、と労働者階級の闘いのあり方・運動をはっきりさせたものです。 【L】 賃金闘争について経験がないということで、議論をきくことにしました。 【A】 1、討論の中でも出されていましたが、『賃金・価格・利潤』はマルクス主義の真髄をあらわしているという意見には賛成です。小冊子でかつ平易に書かれていますが、その点も含めて、マルクスの著作の中でもやはり一つの頂点を示していると考えられます。党学校の限られた期間での学習文献として選定されている理由も、ここにあると理解できます。 【R】 マルクスの『賃金・価格・利潤』は、その内容において『資本論』のガイスト的に書かれているのだが、それはまさに『資本論』自体が『賃金・価格・利潤』で対象化している、労働者階級との対話の中から生まれてきたことを実証していると思う。 【W】 今回の講義は、自分にとってマルクス主義、原理論の体系的整理を自分のなかでもう一度やらねばならないと考え込まされるものであった。結論を先に言えば、宇野原理論的な、マルクス主義を没階級的論理主義で整理してしまうような面(むしろ宇野はそれをウリにしている)から脱出して、徹頭徹尾階級闘争の武器として、原理論を自分のなかに復権しなければならない、是非したいという欲求にかられた。 【I】 今回は特に興味深い(おもしろい)内容だったと思います。 |