第8期 第3課目 マルクス『賃金・価格・利潤』(上)前半講義概要 講師 岩谷芳之 なぜ『賃金・価格・利潤』を学ぶのか 『賃金・価格・利潤』は、マルクスが労働者階級の基礎的団結体である労働組合の任務を正面から論じた書物です。マルクスは本書の結論として、次のように言っています。 「賃金闘争有害論」との闘争は労働運動の根本的な課題 ウェストンは「賃金闘争は労働者にとって有害無益」と主張しました。これは、今でも体制内労働運動指導部が絶えず垂れ流してる屈服思想です。こうしたイデオロギーと対決し、実際に職場で賃金闘争を闘うことによって、労働者は労働組合を自らの手に取り戻すことができるのです。 ウェストンの主張とマルクスの批判(第1節〜第5節) ウェストンの主張は、要約すると「名目賃金が上がっても物価が上昇するから実質賃金は変わらない」ということです。 第6節 価値と労働●商品の価値は何によって決まるか そこでマルクスは、「商品の価値とは何か」「それはどう決まるのか」という根本問題を提起します。 ●商品の価値は、その生産に要した社会的労働の大きさによって決まる 生産された物の自然的性質はさまざまですから、「共通の実体」は社会的なものであるはずです。それは労働、しかも社会的労働としての労働です。諸商品の相対的価格は、それに費やされた労働の分量によって決定される。 ●商品の価値は労働の生産力に規定される社会的労働の大きさは、「与えられた社会状態において、一定の社会的平均的な生産条件のもとで、使用される労働の与えられた社会的平均的な強度および平均的な熟練で、その商品を生産するに必要な労働の分量」(岩波文庫版p62)を意味します。だから、労働の生産力が上がれば一定量の商品の価値は低下します。 ●価格は価値の貨幣的表現略。 ●あらゆる商品は、平均的にはその価値どおりに売られる 生産の諸条件が個々の生産者にとって異なっていても、市場価格は同じ種類のすべての商品にとって同一です。市場価格は、平均的な生産諸条件のもとで一定の品物の一定量を市場に供給するために必要な、社会的労働の平均量を表現しています。 ●利潤は商品をその価値で売ることによって得られる すると、さまざまな事業の恒常的な利潤が、諸商品をその価値以上の価格で売ることから生まれると考えることはできません。 第7節 労働力●労働者が売るものは労働力 労働者が資本家に売るものは、「労働そのもの」ではなく、労働力です。 ●本源的蓄積=本源的収奪略。 ●労働力の価値 労働力の価値も、他の各商品の価値と同じように、その生産に必要な労働の分量によって決定されます。しかしこの人間の労働力は、人間の生きた個体のうちにのみ存在します。 ●賃金制度の上では「平等な賃金」はありえない マルクスが「賃金制度の上で平等な賃金はありえない」と述べているのは、労働者が熟練を獲得するための費用(養成費)は職種や業種によって異なることを現実の根拠にしています。 (前半講義了) |
労働時間、労働力の搾取、賃金奴隷制 −討論から−●N 「ある大陸法には、ひとがその労働力を売ることのできる最長時間が規定されているのである。もしいくらでも任意の期間にわたって労働力を売ることが許されたなら、奴隷状態が直ちに復活するであろう。このような売却は、もしそれが生涯にわたって契約されたならば、その人を直ちに、その雇い主の生涯の奴隷たらしめるであろう」(岩波文庫版p70)の「最長時間」というのは、1日何時間という最長時間ですか? ●講師 時間という言葉を使っているから、そっちが適切だなという気がする。ただ、全体の論の運び方からすると、1日の労働時間と労働契約の期間のどっちも含んでいるような感じがしますよね。 ●N その後に、「もしいくらでも任意の期間」とあるんで、そこと分けてしまうのはね。両方ないと「奴隷」にならない。 ●講師 実際に現場で賃金闘争を闘っていく場合に、現実に労働者の感覚からしたって、これは許し難いという格差がある。それを、格差は当然だよ、というふうにはならない。マルクスが言っていることも、そういうことじゃない。現実にある格差というのは、養成費の違いで全部説明できない。むしろ、今の現実の中では、そんなものを覆い隠すくらい膨大な格差になっている。だから、格差是正、あるいは格差をただすことそれ自身がナンセンスだというのは成り立たないと思う。 ●N これが正しい賃金体系だ、みたいなものはないということですよね。だから、積極的に賃金制そのものを廃絶することだし、そのために職場の団結をどうつくり出すかという意味での賃金闘争だということですよね。 ●講師 これが望ましい賃金体系みたいなものは、はっきり言ってないじゃないですか。だけど、賃金闘争もあるし、賃金要求というのもありますよね。それは、労働者にとって団結できる要求であり、団結できる闘いであるかどうか、というのが基準になると思うんです。例えば、何%上げろという要求だったら格差を拡大する。だから、1人あたり一律1万円上げろと要求するということもある。それは、いろんな現実があるから、置かれた現実の中で形態が違ってくると思う。だから、実際にどういうふうに要求するのか、どういうことを対置していくのかは、具体的事情によって様々だと思う。 ●N この間の「労働運動の力で革命をやろう」「団結の拡大が革命なんだ」という中で、賃金闘争も革命に向けてどう団結をつくっていくのかという問題としてとらえ返すと、非常にスッキリするなとは思うんです。 ●講師 かつての高度経済成長の時代みたいに、要求すれば上がっていくことが永遠に続くと思われる方が特殊な時代で、マルクスの時代だって、今のわれわれの時代だって、要求したって簡単には通らない。その中で、闘うことによって団結をつくっていくために賃金闘争も闘うということだと思う。 ●S ここの部分は、プルードンとか、バクーニンとか、こういう賃金制度が一挙に実現するんだみたいな夢物語を、闘争を媒介して実現するんじゃなくて、そういうことばっかりを言っている人たちに対する反論みたいな感じで書いているよね。要するに、そういう空理・空論で、一挙に平等賃金を実現するんだみたいなことを言っていることに対する批判。 ●X 賃金闘争は賃金闘争ですごく重要な闘争なんじゃないの? 要求しても、あんまり実現されないからというような言い方は、あんまりよくないんじゃないかと思う。だって、そもそも耐えられない低賃金であるという現実があるわけでしょ。 ●講師 ともすれば、みんなが納得する制度はどうなのか、みたいなことを、とくに既成労働運動なんか発想しますよね。その理想的な制度を実現するためにはこれだけ引き上げが必要だから、というふうに考えていくとちょっと違うんじゃないかということです。賃金闘争がものすごい重要だというのはそうですよ。 ●A 先ほど問題になった所。労働期間の問題。あれは労働日の問題で、1日の労働時間が限りなく延ばされたら、本来労働力だけを売っているにもかかわらず、人格それ自体を売り渡すのと同じで、だから、奴隷状態だと言っているんじゃないでしょうか? 労働者は、一生働き続けなければ生きていけないわけだから、それは何年であろうと、多少労働条件によって差は出てきますけども、変わらないと考えた方がいいんじゃないでしょうか。だから、労働日の問題なんだという理解の方がいいんじゃないか。 ●U 当時の状態から言えば、体力の続く限り、1日15時間でも16時間でも働いて、結果ギリギリ寝る時間を、ある種5時間、6時間にしちゃって、そういうのを1週間続けるとか、そういう状態になったら、それを奴隷状態と言うんじゃないの、という話を書いてるんじゃないかと私は思う。 ●O 資本主義のあり方とは、売るのが、労働そのものではなくて労働力なんだ。奴隷制はとにかく労働する人間そのものが商品として売買されるという世界。その辺の違いを言っているわけだよね。だから、大陸法には労働者が労働力を売ることのできる最長時間が規定されているという、いろんな労働者の闘いによってね。そういう形で書かれているわけだよね。これが「任意の期間」資本に任されたら、時間が規定されない。そういうふうに労働力を売ることが許されたら奴隷状態になっちゃうということを言いたいと思うんだけどね。 ●X こだわっているのは、近代的労働者の大量的産出での、2重の意味で自由というやつ。封建的主従関係からの自由であるということと、土地から切り離されて生産手段から自由である。この2重の意味で自由だということによって、資本制社会が成り立っている。だから、人格を売るのじゃなく、労働時間を売るというところに資本主義社会の特質があるわけでしょ。そうするとこういう、もしも労働力を長期間にわたって売ることができれば奴隷状態になるというような展開になっていくと、そこの特質をまぜこぜにしているような感じがするなということなんだよね。奴隷制、農奴制、資本制の違いは、まずは承認するわけでしょ、われわれは。 ●Z 資本主義社会が奴隷制、封建制とは明白に違う、その意味では単純に言えば、歴史的な進歩だと。そこには一つの画然たる違いがあるんだという、そこのところは強烈に確認してほしいという意見だと思う。だけど、それに含まれつつ、なおかつ、マルクスがここで接続する形で、「奴隷状態が直ちに復活するであろう」というのは、もう紙一重で、奴隷制そのもの、いくらでもそうなるというふうなニュアンスね。それを強烈ににじませたいから、「奴隷状態が直ちに復活するであろう」ということを立体的に書いたと思うんだよね。13節で、「われわれは今まで、労働日の限界は与えられているものと仮定してきた。だが、労働日それ自身は不変の限界をもっているわけではない。資本の不変的傾向は、肉体的に可能な最大の長さまで労働日を延長することにある」(同p96)と。だから、資本というのは、放っておけば、まさにここで言うように、制限のない、最長時間のない、要するに奴隷制そのものにどんどん行くんだという、それが資本の本質的なあり方なんだということが出されて、それでプロレタリアートは放っておけば文字通りぶっ壊されるわけだから、したがって階級闘争になる。労働者にとって労働日問題というのは、資本主義の、あるいは資本主義における階級闘争の核心問題なんだよね。資本は極限まで制限なし。奴隷制そのもの。30代でバタバタ死ぬというところまで平気でやる。それは、今日の最末期帝国主義もまさにそう。 ●X いや、賛成です。 ●仲山 労働時間というのは資本主義以前は自然の摂理で決まっている。朝、お日様が上がったら畑に行く。夜は暗くなる前に帰って来る。労働時間を上から人為的に規制するということが基本的にないんです。ただ、自然の摂理を一切合切無視して、人間の働く力を徹底的に無制限に引き出す場所というのは、例外的にあった。それは囚人の労働で、無制限に人間の労働力を何年間かで使い切って死なせるという、金山とか鉱山の労働だけなんだということを書いてあります、『資本論』なんかで。基本的にそれ以外の封建社会の労働というのは、自然の摂理にしたがって、共同体の掟で労働した。だから、資本主義以前の段階では、権力者がやったことは、労働時間を引き延ばす法律をつくってそれをゴリゴリ押しつけようとするということなんです。だけど、それは無理がある。自然の掟で共同体的に労働を行っているというのが基本だから。それを外から来てハネて持っていくというのが搾取や収奪の仕方でしょ。だから、限界がある。だけど、直営の金山なんかでは、数年で死ぬまで働かせるということがあった。労働力を金銭で買うというのは、それと似ているということなんです。 ●I 労働者は「命までは売ってないよ」というのが、動労千葉の『俺たちは鉄路に生きる3』の中にも出てくる。ところが、現実は命まで全部とられている。「プレカリアート」の人たちもそうだけど、労働者は殺されている。 ●N 確かに労働者は売るのは労働力で、魂までは売らねえよ、ということがある、労働者として。だけど、まさに人格までも専制的に支配して、毎年自殺者が3万人。「プレカリアート」なんかその怒りの声なわけじゃない。資本主義というのは賃金奴隷制なんだ。だからこそ労働者階級は決起して、根底的に革命をやってひっくり返すんだと、『賃金・価格・利潤』を読むときに、はっきりさせるべきじゃないか。賃金闘争をそこにつなげて、団結論として、団結をどうつくり出すのかというものとして復権していく。そういうものとして、もう一回とらえ返す必要があるんじゃないかなと思う。 |
受講レポートから ★『賃金・価格・利潤』(上)のレポートです。【P】 マルクスが「平等な賃金制度」はありえないと怒っているその激しさが何故なのか、当初シックリこなかった。今日の資本主義において、とりわけても労働者を分断するために賃金に驚くほどの格差をつけている現実があり、その意識の反映だったと思うのですが。しかし、これが賃金制度の根本的問題性を問題にせず、「平等な賃金制度」を空論的に掲げる空想的社会主義者に対する心からの怒りの表明であることが理解できました。 【W】 導入部分の、いわば「今、『賃金・価格・利潤』を読み直すことの意義」の部分が非常に重要と思いました。一つは、労働組合論を革命論から真っ向からとらえなおすということ。<資本との日常闘争>と<革命>を一体でたたかいぬくというテーマ。まさに『俺たちは鉄路に生きる2・3』でもっとも生き生きと描き出されている実践的テーマそのものですが、マルクスの実践的理論的格闘からもつかみとり深めていくべき問題です。そこに立ち向かっていく学習会として決定的だと感じました。 【C】 今日の『賃金・価格・利潤』の講義は、導入部がすごくよかったが、1節以降、7節までのところは、もう少しはしょってもいいが、重点を決めてウェストンへの批判点を出してほしかった。 【L】 今回は、階級的労働運動路線を闘っていくにあたって、賃金闘争について学習し、議論をした。自分のように労働運動についてまったく未経験な者にとっては、現場で闘う同志たちの議論を聞くことが非常に大事だと思いました。 【A】 『賃金・価格・利潤』はマルクス経済学の基本的概念を的確かつ平易に述べられたものですが、これを学習し、今日的に実践していく課題にこたえるものとして、今回の講義と討論はなされたと思います。 【R】 第1インター・イギリス代表のウェストンは、賃金制度そのものの廃止を掲げなかった地平から、「賃上げ・賃金闘争有害」論を主張してしまった。これは、まさしく空想的社会主義に後押しされた論であり、現実には、イギリスをはじめ労働者階級の闘いが、ストライキが、賃上げ闘争として爆発し始めている時には、まったく反動的役割を果たしてしまった。マルクスは『資本論』完成に先駆けても、ここでウェストンと立ち向かったのは、重大な闘いだった。 【X】 資本主義社会の成立が、封建的な主従関係からの自由を前提にしたというところから、資本主義社会を何かスマートな社会であるかのように捉える感覚を一面で持ってきたことを反省的に捉え返しました。 【B】 いい討論になったと思う。「命までは売ってねえよ」という動労千葉労働者の言葉をひいて討論が行われた。労働力商品として、資本家は買ったものはとことん消費しつくすということである。それが賃労働と資本の関係である。つまり、適正な賃金要求という考え方は、この資本家の労働力自由使用権に対して、このへんまでが適正で、そうすれば社会が維持されるでしょうという考え方。それは、資本主義の中では夢物語でしかない。現実は、貧困と生命力の極限的酷使です。 【J】 資本家と労働者階級の労働日をめぐる討論は非常によかった。 【I】 ・質問し忘れたことを冒頭に一つ。なぜ「7節」で切ったのでしょうか? 【O】 マルクスの『賃金・価格・利潤』の学習は以前、部分的には何回かやったことがあるが、現在の党の基本路線下で徹底再学習することが重要だと感じました。 【U】 @ウェストンの「賃金を上げても物価が上昇するだけ」の論は、資本家や御用組合がよく使う論。現在的にも、現場ではブルジョアジーの論として生きている。重要。 【Z】 (1)討論は6節、7節に集中したが、当然のことだと思います。 【N】 ・自分としては、討論をとおして、今日的に『賃金・価格・利潤』をどう復権していくのか明確になったと思います。 【Q】 資本主義の仕組みの本質が、賃金制度の中にはらまれていること、資本主義の反人民性、人間性の否定(とことん徹底的なもの)について、マルクスが鋭く提起していることの画期性を見るべきだと思いました。プロレタリアートの存在が人間解放への大きなものであること、プロレタリアートが自らの存在の本質をつかみ、資本主義とたたかうことの人類史的意味の根本部分が提起されているのがわかります。したがって、賃金闘争、労働組合運動、団結の意義も明らかになると思います。 【S】 『賃金・価格・利潤』は題名からしても経済学説の本だと勝手に思っていたが、マルクスの労働組合論だ、ということが良く理解できました。「労働組合はその組織された力を労働者階級の究極的解放のためのテコとして使わないならば、全面的に失敗する」というマルクスの言葉は重要だと思う。 【G】 『賃金・価格・利潤』の重要なポイントがおさえられていたと思いました。はじめのところで、連合や自治労の賃金に対する考え方や、ブルジョアジーの考え、ウェストンという人物だけでなく、第1インター内部での討論など、現代的に通ずる部分があり、とても印象に残りました。 【E】 冒頭で出されている労働組合原論、結論として出されている賃金闘争の意義を、まずしっかりと押さえることが重要だと思いました。 【V】 『賃金・価格・利潤』について、以前はマルクス主義経済学の入門書と言われていた(自分もそういう視点でのみとらえていた)のに対して、“マルクス主義基本文献学習シリーズ”でも、今回のレジュメでも、「労働組合原論」として位置づけるということが提起されている。すなわち「賃金闘争の意義」ということだが、自分の現場の実践が特殊違っていることもあって、過去4回の学校に臨むときよりも問題意識が希薄だった。今回は、討論を通して、自分の問題意識が喚起されたというところ。
|