受講レポートから ★『共産党宣言』第3回のレポートです。
【F】
今回の提起は、マルクスが当時のエセ社会主義諸党派と論争しつつ、自らの共産主義理論を形成していった過程がよくわかりました。プロレタリアートのブルジョアジーへの怒りを反動的に組織していった封建的社会主義、観念的な階級闘争から超越したところに身を置いたドイツの「真正」社会主義、労働者を救済の対象としてみているプルードン派に対して、労働者こそきたるべき革命の主力部隊なのだと主張したのが、『宣言』第3章です。
プロレタリア革命の主体は、いうまでもなく労働者階級自身です。この事実に立つのか立たないのかということを、マルクスは、われわれにたいして『宣言』のまとめを通して問うているように感じました。
講師も強調していたように、マルクスは、単に政治革命としての意味で暴力革命を強調していたのではなく、賃労働と資本という所有関係を転覆するという労働者階級の蜂起として提起していたのです。階級的労働運動路線を巡って党内で論議が起きている今だからこそ、この点を「前提」であるとして素通りするのではなく、ガッチリとおさえていかなければならないと感じた次第です。 【G】
今回の提起に関して、最後のまとめのところで、『宣言』の全文を通してまとめていたのが良かったです。
当時のマルクスの共産主義の萌芽的な運動に対するイデオロギー闘争としての3章という展開は、深みがあった。ただ、大きく労働者階級とマルクスという関係ではっきりさせられていなかったので、論争的論争になっていてもったいなかったと思う。実体的に労働者階級に獲得されたという部分と、マルクスがマルクス主義をつかみとっていく(階級移行していく)という部分の立体的構造みたいなものは必要。
また、現代的に普遍的問題として。労働者を救済していく、空論的な共産主義、プロレタリアの革命性を低めていくイデオロギーに対して、階級的立場をまずはっきりさせて批判していくことが重要だと思った。その辺は、現代的に批判していく上でも重要であろう。「労働者階級の中に革命して、社会の主人公になっていく力がある」。このことをくり返し、批判を通してはっきりさせていくことが3、4章で重要なことだろう。 【S】
3章は、学習会でも「昔の党派の話だから」とトバしてしまうことが多いのですが、今回は、当時の革命運動のダイナミックな歴史を聞けて良かったと思います。6・9集会でも、「革命というのは難しいことではなく、自分を抑えつけている一切のものを無くすことだ」と発言した青年がいましたが、革命運動というのは複雑で固定したものでなく、シンプルで躍動的なものだと思います。ブランキやフーリエなど良いことを言っているが、ブッとんだこともやっている愛すべき連中との党派闘争、革命的労働者達との交流を通じて、マルクスが思想を豊かにしていったように、「自分も仲間もドンドン変わっていく」革命運動を楽しむ、このことを3章で教わった気がします。 【O】
@ レポーターも報告してましたが、『共産党宣言』の学習は、通常1章、2章どまりで、3章、4章までふみこんでやる学習会は僕も1回しか経験がなく、今回の報告はかなりよかったと思う。とくに、マルクスの思想の形成や『共産党宣言』が、どう党派闘争的に、あるいは種々の間違った思想と対決して形成されていったのか、この3章、4章は実は極めて重要な章だと思います。1章、2章の内容は、3章、4章の内容の背景から形成されてきたものだと思います。この3章、4章は、あの当時の問題だけではなく、現在の問題でもあると思います。
A 学習会の報告と討論も、かなりかみ合ってきていて、学習にもなりました。
以前、津田道夫の書いた本だったと思いますが、バブーフ、ヴァイトリング、ブランキの時代の労働者のたたかいの歴史が書かれていた本を読みましたが(30年ぐらい前だったと思います)、かなり興奮して読みました。とにかくあの当時は、マルクスだけではなく、労働者が、労働者の個性豊かな代表たちが、陰謀家が次々と現れ、ブルジョアジーと闘い、死んでいった。これとの闘いの中で、マルクスは自らの思想を鍛え上げ、労働者階級のたたかいの綱領『共産党宣言』をあらわす事ができたと思います。
B マルクスというと、ヘーゲル哲学、イギリスの経済学、フランスの社会運動が源泉になっているとよく言いますが、核心的には、労働者のたたかいに感動し、その勝利のためにたたかい、マルクス主義という労働者の解放のための唯一無二の思想を形成していった。今回、この事が出されていた学習会だったので、よかったと思います。
C 前回の「ルンペン・プロレタリアート」の問題は、討論として出しつくされたと思います。「労働者種族」という言い方は、マルクスが使う労働者にたいして愛情をもって言う事と、現在、「労働者種族」という言い方を「障害者」解放闘争で言う場合には、まったく意味が違います。「種族」という概念と、日本の現在の運動の場面での「種族」という言い方にはギモンを感じます。差別的なものを感じます。
D 結論。今回の学習は、かなり勉強になりました。「学習は学習」で何才になっても必要だと感じました。 【E】
まず、今日的に『共産党宣言』からどう学ぶかということをはっきりさせていく必要があると思います。マルクス主義の生きた実践である動労千葉や3・18−6・9といった実践的な観点から『宣言』をもっと深めていく必要があります。結論としては、11月1万人であり、マル青労同、マル学同の1000名建設です。
いろいろ不十分な所もあったと思いますが、3回の学習会でつかんだことをただちに実践にうつしていきたいと思います。
今回の学習会としては、やはり党派闘争的な論争の重要性を今日的につかみとるということだと思います。社会改良だとか資本の枠内での生活向上といったものに対して、プロレタリアートの解放は根底的な革命によってのみ実現されるということを明らかにしているという点で、重要だと思います。
今日的には、社・共といったものに対して、「労働運動の力で革命をやろう」といった3・18−6・9の訴えこそが、青年労働者や学生を獲得できる唯一の内容だということです。
闘わない組合執行部、体制内労働運動から決別し、青年労働者・学生先頭に、11月へ進撃していきたいと思います。 【V】
3章、4章を今日的に引き寄せて読んでいく、そのためにも3章、4章が書かれる背景としてどのような論争がおこなわれ、それを受けて書かれたのか、非常に大切だし、興味深かった。これまでは単に、1章、2章の内容をはっきりさせるために、当時の他党派に対する批判を書いた、くらいにしか思っていなかったが、この『宣言』が生まれてくる当時の運動との関わり、ダイナミズムとともに、当時の論争もとらえていくことによって、今日のさまざまな諸反動や諸党派、さまざまなイデオロギーが渦巻く中で、生きたマルクス主義を、労働者の実践の思想として提起していけると思った。
自ら学習会を組織したことがまだないので、自分の問題意識がまだ漠然としているが、3回の学習を通して、議論にも触れ、自らが組織者になるという、何よりもぶっ立てなければならない問題意識がはっきりしてきた。『宣言』についてはこれで終わりとなったが、どういうダイナミズムの中で『宣言』が生まれてきたのかを、3回の内容にふまえて、再度読み返してみたい。 【X】
1)3回受講して、大変勉強になりました。3回目は、第3章に関連して、『宣言』が書かれた当時の運動との関係のみならず、プロレタリアートとの交流の中でマルクスの論及も深められていった等々の歴史的流動の中で『宣言』が描かれていて大変おもしろかった。1、2章も、生きた言葉としてよみがえって来た様な気がしました。
2)自分としては、1848年の革命自体がどの様なものだったのか、『党宣言』をやる都度に、何か読んでみようと思ってきたのですが、今回も、一寸読み始めたところで完読できていませんが、今日の話を聞いて、読み切りたいという気持ちになりました。
3)若い人たちの発言、批判も、ものすごく刺激になりました。革命をやるんだという気持ちで読もうとしているところに、追い立てられるものを感じました。
4)討論の最後のところで、仲山同志が、「70年世代は権力奪取がない…からナンセンス」となって云々、4章まとめのところで、マルクスは云々、両者を合わせて云々…と言われていましたが、ここの所は、すごく重要なことを言っていると思います。 【N】
「ルンペン・プロレタリアート」の質問については、今回の提起と討論の中で、はっきりさせることができました。実践的な問題意識を軸にしながら、討論を深めていくことの重要性を再確認しました。
3章、4章についても、まさにマルクスの革命家の実践という立場を明確にさせることがポイントだったと思います。その点で、今回の学習会は、『宣言』の理解をかなり深めてくれました。
ただ、本当の意味で3章、4章をはっきりさせるためには、我々の立場で、実践的に3章、4章的な内容を形成していかなければならない、と思いました。例えば、既成の労組の中で決起したMWLの仲間が激しい攻撃を一身に受けて闘っている。彼らがこの攻撃と闘い抜き、仲間を獲得し、全体を獲得していく−その力となり、武器となるマルクス主義、『宣言』の内容を、党の力で形成していかなければならない、ということだと思います。産別的な宣伝・扇動の中にも『宣言』のガイストが貫かれている−そういうレベルで我々が『宣言』を使い切れるレベルをどう形成していけるのか。私としては、『宣言』はまさにそれに値する革命の書だということを確信することができました。その一つだけでも、重要な学習会でした。 【P】
ルンペン・プロレタリアートについての討論が非常に良かったと思います。マルクス主義に対する批判のひとつとして、「ルンペン・プロレタリアートを腐敗した連中であると非難している」という批判があります。しかし、『党宣言』での提起は、「ルンペン・プロレタリアートとは、旧社会の最下層の人びとの受動的な腐敗現象」と規定しているわけであり、資本主義の成立期の歴史的事態として言っているということがわかりました。批判する人たちは、マルクス主義者が、今日のホームレスの人たちなどを「ルンペン・プロレタリアート」として非難していると言わんとしているわけですが、まったく的はずれだということです。そういう人たちについて、帝国主義段階の過剰労働力の問題として捉えていくことで整理できると思います。
今回、1840年代のヨーロッパの労働者の闘いと、その中で、マルクス・エンゲルスの闘いが位置づけられて提起され、理解が深まりました。とりわけ正義者同盟−共産主義者同盟への飛躍とそこでのヴァイトリングとの討論が大きな意味を持ったということです。ヴァイトリングの思想(キリスト教的友愛思想)からプロレタリアートを解放主体とする思想への飛躍が成し遂げられ、組織としてもプロレタリアートの党としての共産主義者同盟への飛躍が勝ちとられたということです。
ここにおいては、マルクス・エンゲルスが一方的に労働者をオルグしたということではなく、労働者の側におけるヴァイトリングの思想からの脱却と、マルクス・エンゲルスのプロレタリアートの側への獲得という面があったということです。この面については、これまでの学習でも学んではきましたが、よりプロレタリアートの闘いに結合した形であったのだということが理解できました。 【Z】
(1)『宣言』のまとめとして、前2回の論議をうけとめて、大変な力作。今日的に1つの水準をぬいたのではないかと思います。
(2)3章の重要性について→小生自身も全く同感です。思想・理論・路線は、垂直的正置形態のみならず、対立的論争的、党派闘争的に展開されてはじめて、主体的実践的なものに高められるというのは、絶対的真理だということです。
▲また、マルクス・エンゲルスが、他党派の階級的正体のとらえ方において、極めて厳格的・厳密であり、全力投入している姿勢です。
(3)『宣言』全体を第3章、4章との関係でつかみ直すために→
▲なぜ『宣言』が21世紀革命のバイブルたりうるのか? なぜ不滅なのか? その秘密の1つが、今回出されていることは重要な地平です。
すなわち、「共産主義者同盟」の思想的綱領的(再)確立をかけたヴァイトリングとの死活の党派闘争−そこに身を置いたマルクスの必死の格闘と飛躍ということ。当時の階級闘争の先端の攻防そのものは、忘却の彼方に消え去っていこうとも、先端的基軸的死闘とその所産は、古典性と普遍性をおびるのであり、その古典性と普遍性ということを媒介として、時空をこえて、絶えず新しい相貌をみせ、絶えず新しいメロディを奏でずにはおかないということでしょう。
(4)『宣言』全体の捉え返し→
▲今日的テーマを捉えこんで、1つぬいたと思います。
▲今は“革命やろう”ですが、早晩、所有の問題−“私有財産の廃止”が現実のスローガンにのぼることが示唆されています。
(5)「ルンペン・プロレタリアート」について→
▲討論の流れに賛成。特殊歴史的現象ですから、社会科学的経済学的にというよりも、私自身は、学習会では文学的に出しています。何よりマルクスの『ブリュメール18日』です。それから、フランスはユジューヌ・シューの『パリの秘密』、イギリスではディッケンズの諸作で描かれた資本主義社会初期の大都市の「暗黒社会」etc.の描写ですが……。 【C】
今回の講義は、とても興味深い、意義あるものでした。
1つは、『党宣言』が、マルクス・エンゲルスとヴァイトリングをはじめとした当時のヨーロッパの労働運動の担い手・指導者たちとの“共産主義とは何か”をめぐる論争の結果として、その成果として生みだされた、ということ。
2つは、共産主義が「ブルジョア的私的所有の廃止を根本的な総括軸にしていく」ということに結論づけられるプロセスが、実は、プルードンの「平等の交換の体系をもって、ブル社会の弊害を無くそうとする」などのアイマイでペテン的立場と思想を徹底批判しきる形で突き出されたのだ、との講義の提起も、すごく動的に、おもしろく聞くことができた。
3つに、第3章は、「封建的・小ブル的・ドイツ的・社会主義」「ブルジョア的社会主義」「空想的社会主義」との「共産主義とは、いかにあるべきか?」をめぐる徹底した論争の立場で書かれていることを、講義では、もっと出してほしかったし、おもしろくしてほしかった。
4つに、第4章は、「まとめ」のところが、すごくよく提起されていてよかった。特に、「共産主義者は、所有の問題をその発展形態いかんにかかわらず、運動の根本問題として提起する」「共産主義者は、自分たちの目的が、これまでの一切の社会秩序の暴力的転覆によってしか達成されえないことを公然と宣言する」という点と、それへの講師の解説「プロレタリアートは『公的社会の一切を』ふきとばし、身を伸ばし、社会の主人公となり、階級対立と階級そのものを廃止していく世界史的存在としてある」とのまとめは、圧巻であった。いつもこういう提起だとよかったと思う。
ルンペン・プロレタリアートの問題での議論は、当時の王党派とその貴族どもが私費を投じても、自分たちの手兵としてつくりだしたのではないか、という提起は、興味深い問題として、現在的にとらえた。
講師と関係者の努力に感謝します。 【I】
討論の中で展開しきれなかった点について書いて、レポートにかえたいと思います。
『党宣言』の学習会として、3回目にしてきわめて“実践的”なものに近づいた、という感想は述べた通りです。この間、現実の展開がとても激しく、かつダイナミックな中で、実践面で出される様々な文書、あるいは意見・見解(批判)などは、マルクス主義のガイストをめぐって、その原典の引用なども含めて多く引き合いに出されています。この現実の攻防にかみ合うかたちで、やはり「原典学習」の側からも必要だと考えています。そうなってこそ、現場の闘いと「原典学習」が相互に“発展”していくと思います。
今回は、まさにその点で「まとめ」の部分が、「所有の問題」と「社会秩序の暴力的転覆」の“核心中の核心部分”が、現下の論争点とガッチリ向き合っていた、ということが「第3回」の全体を非常におもしろいものにしたと思います。これは、まさに暴力革命が、単にブルジョアジーの「暴力的武装」に対峙・打倒するためだけに必要なのではなく、プロレタリアート自身がその中で「あらゆる汚物」を払いのけるためにも必要だという点とも重なって、とても勉強になり、自分自身の理解も(したがって、実践的にも)深まったと思います。 【R】
『宣言』は、3章、4章を通して、1章、2章で明らかにした、プロレタリアートの「唯一の革命性」という確信を、徹底的に論争しながらも明らかにし、プロレタリアートの国際的団結を最初から呼びかけていることが、すごいと思った。
『宣言』を読んで全体的に感じることは、マルクス・エンゲルスの「本=提起」として今日も読みつがれているのだが、労働者階級が実践を通して、マルクス・エンゲルス、そして党を育て、支えてきたという、その柔軟さ、対応の万能性に、あらためて気がつかされたということです。マルクス・エンゲルスと共に階級闘争を闘い、党を宣言した労働者一人ひとりの顔が浮かぶようなところまで肉迫できれば、プロレタリアートの独裁が私的所有を廃止し、共産主義社会の中で、人間の解放をかちとることができるということに確信が生まれます。
そういう意味で、3章、4章の論争の激しさが、死活をかけた論争であることが、今日的にも明らかになってきていると思います。 【J】
「共産主義者の理論的命題は、現におこなわれている階級闘争、つまりわれわれの目の前で展開されている歴史的な運動のほんとうの諸関係を一般的に表現したものであるにすぎない」(新訳本33頁)。
『共産党宣言』の学習を通して、「共産主義者の理論的命題」の理論的・実践的な内容を学ぶことができました。
『共産党宣言』は、イギリス産業革命が終わり、イギリス資本主義が確立し、資本主義の生産様式がヨーロッパ−世界に広がろうとしていたそのときに発行されています。1789年のフランス大革命、イギリス産業革命・資本主義生産様式の確立によって、ブルジョアジーが権力を握り、労働者階級は団結と闘いを必要としていました。労働者のあらゆる運動と団体を糾合するための理論的・実践的指針−批判が必要であったのです。
それは、イギリス労働者階級・ヨーロッパの労働者階級がブルジョアジーとの闘いを本格的に開始するその時です。労働者階級にとって革命党が必要であったのです。
労働者階級の闘いのもとで、マルクス・エンゲルスは、1847年2月「正義者同盟」に加入します。「正義者同盟」の改組である共産主義者同盟の第1回大会が6月ロンドンで開かれる。12月、マルクスは『共産党宣言』の執筆に入る。そして、『宣言』は、1848年2月に刊行される。ときに、1848年が勃発した。『宣言』の発行と1848年革命の勃発は同時であった。
『宣言』は、党と労働者階級の普遍的関係・内容に満ちています。資本主義が資本主義であるかぎり、『宣言』は1848年にして、同時に今日の『宣言』なのです。
〔レーニン『帝国主義論』・『国家と革命』等を学ぶことによって、反帝国主義・反スターリン主義−現代帝国主義の打倒がかちとられます。〕
私自身の闘い(−生活)の場で、『宣言』を実践的に生かします。 【A】
『共産党宣言』第3回目。第3章・第4章の講義を受けて、最も強く印象に残った点について。
講義とその後の討論を通して、『党宣言』の著述過程が共産主義の実践そのものとしてあったという認識がとても鮮明になりました。
当時の西欧における共産主義的な運動の諸潮流間の闘争・論争、そして何より階級闘争の中から、マルクス・エンゲルスによって著述されたものとして『党宣言』があったことがよく理解できました。
また同時に、この著述を進める中で、マルクス・エンゲルスがかつての自分たちのたたかいを自己批判的に乗り越えてゆこうという姿も鮮明となりました。
そういうものとして、現実の階級闘争の中から、自ずからそのあらわれとして、共産主義とは何であり、どういうものとして実践されてゆくものかを自ずから示すものとしてあったし、その最初の第1歩としてあったという点での認識が深められました。
やはり『共産党宣言』は良い。学ぶ度に新たな活力が生みだされます。今回の講義とその後の討論も、『党宣言』を実践的に学び、活用していくという真剣さが伝わるものでした。
なお、ルンペン・プロレタリアート規定について。「旧社会の最下層の人びとの受動的な腐敗現象」という規定で、特殊歴史的な存在として捉えるべきという点は理解できます。しかし、一方で、もう現実には「存在」しないという認識については疑問が残ります。ルン・プロを「最下層の人びと」と規定する誤りは明らかですが、同時に、やはりブルジョアジーに取り込まれ、その尖兵として白色テロをふるう腐敗現象(社会的な層としての存在=例えばヤクザや右翼〔現代日本的な右翼〕など)はこれに通じるものがあると思われます。 【Q】
『共産党宣言』の学習会は、非常にエキサイティングで勉強になりました。
1.現在の路線討論−革命情勢下での党の路線をめぐるたたかいを背景として、特に労働者同志、若い学生同志の主体的決起の内容にふれることができました。
2.まさに、マルクス主義の復権が実践的にチャレンジされた学習会になっていったと感じました。さらに内容を深めて、「共産党宣言」が現実の革命と党アピールになるようがんばりましょう。
3.マルクス自身の「階級移行」をかけた「宣言」であることが、より鮮明になったと思います。
4.私が誰か(労働者)を対象にやる学習会では、もう少し当時の情況・歴史背景の資料、また現在の情勢等の資料を使いながら、より具体的に今のこととしてアプローチしてやる方がわかりやすいような気もします。(準備と学習が必要ですが、自分が説明しやすいと思っています。) 【B】
第3回での提起は『宣言』への接近の仕方として歴史的に位置づける意図は感じました。しかし今現在求められている接近の仕方としてはやや違うのではないかという感想を持ちました。ただ私自身、当時のプロレタリアートの闘争の本格的発展期についての認識というのはほとんどなかったのでその点での示唆が与えられたことは良かったと思います。
現在われわれは労働者階級の闘いの本格的発展のなかで労働者の党をつくろうとしている。階級は自らに必要なものは創り出すと思います。マルクス主義もまたそのように形成された。「社会全体に革命をもたらす思想があるといわれる。それは古い社会の内部に新しい社会の要素が形成されたこと…」(第2章、新訳本p44)。この言葉はマルクス自身の自己規定としてもあるのではないでしょうか。
当時の労働者階級の闘いを現在われわれが戦後革命期の闘いを学んでいるようなかたちでダイナミックに描き出し、そこにいかに『宣言』が有効な指針たりえていたのかということを検証するということはできないでしょうか。労働者階級の闘いと経済学的批判というのが大半を占めなければならないのではないかと思うのですが。
第3章、新訳本p52、「…僧侶的社会主義は封建的社会主義と結託している」このへんは韓国の階級闘争はおもしろいと思います。1970年代の民主労組運動においてカトリックやプロテスタントの組織が果敢な闘いを行っている。労働運動においてかなりの影響力を与えているのではないか。これは当時とは違う点です。
前回につづいて所有の問題について展開されています。しかしこの問題について語る場合、帝国主義についてまず触れないわけにいかないと思うのですが。「帝国主義は社会主義の前夜」という言葉は私的所有ということと生産関係が如何に相容れなくなっているかということとしてもとらえられます。これまでの取得のあり方は私的なかたちで行われてきたということ。ローマ市民というような市民。市民というのは公的だろう。しかし極端に私的なもの(奴隷制)を条件とする公である。国家もまた公である。しかし階級対立の産物としての公である。公務員は公か。公として作られたが4大産別闘争は労働者階級の闘いの先頭にたつことで革命にとって決定的位置をもっている。民営化や私的所有の「…この取得の惨めな性格である」。トヨタ、キャノン、グッドウィル・グループ。
戦争というのは最も公的な性格のものだろう。しかしそれさえも私的な性格が刻印されている。封建社会では家の名誉など。武勇の誉れ。帝国主義戦争はあまりに巨大で悲惨だがもっとも反動的なものである。階級と階級の闘いではなく強盗同士の戦争。私的所有の延命のための戦争である。この帝国主義戦争を階級対階級の決戦に転化していくのが労働者の闘いだと思う。
このような公的世界の全体を吹き飛ばす闘いに労働者階級は起ちあがってきたしいままた起ち上がりつつある。「共産主義革命は伝来の財産(所有)諸関係からのもっとも根底的な決裂である」(第2章、新訳本p45)。所有概念そのものが決定的に変化していくということだと思う。
以上、生意気ですが批判的に書かせてもらいました。 【L】
自分としては、質疑応答で出されたレジュメ7ページのまとめの部分が重要な意義を持っていると思いました。講師が、今回いちばん提起したいことだったと思います。労働運動においても、他党派を批判したり、戦闘的な民主主義者との統一戦線にしても、自分たち労働者階級の運動は「所有の問題を運動の根本問題にする」ことは、共産主義革命に向かって実践的に推し進めていく上で、決定的だと思う。
動労千葉が「労働者を食わしていけないような資本はただちにやめろ! 代わりに俺たちがやってやる! という構えに立って闘う。これで労働者は団結できる。労働者がそれができるのは、生産を握っているからだ」と労働者に提起していることは、このまとめの部分の実践のように思う。「所有の問題を運動の根本問題にする」ということが、実際には、今の社保庁の労働者にしかけられているような最末期の帝国主義の攻撃を、労働者階級が人間的怒りを爆発させて、団結して闘い、労働者や労働組合の誇りをとりもどすという闘いをする、導きの糸になると思います。
|