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2007年02月号

党学校通信

党学校機関紙 A4判月1回発行 頒価100円

今月の内容  レーニン『国家と革命』(下)

講義概要 P1-4

★- 『国家と革命』における労働 組合の位置づけ  −討論から− P5-6

受講レポート P6-10

2006年12月号
通信 バックナンバー
党学校通信 p1-4 講義概要

第5課目   レーニン『国家と革命』

   前半講義概要  講師 川武信夫  

 第3章に入る前に、次のことを確認しておきたい。第1に、打倒すべきブルジョア国家、そして国家そのものについてのブルジョア的・日和見主義的な観念と幻想を、運動の内外から一掃し、マルクス主義の階級的な国家論を復活・発展させること〔これを前回やりました〕、第2に、権力を獲得したプロレタリアートのめざしていく目標、共産主義社会建設の内容を明らかにすること、第3に、その究極目標をかちとっていくために、プロレタリア独裁の樹立を出発点として、共産主義社会への過渡期をどのようにたたかいぬいていくか〔この2つが今回の課題です〕、これらが『国家と革命』の3つの柱と言えます。

第3章 国家と革命 1871年のパリ・コミューンの経験。マルクスの分析

 第3章は、歴史上はじめて労働者権力を樹立した1871年パリ・コミューンから、あらためて理論的・実践的な教訓を引き出そうという問題意識で書かれています。

●コミューン戦士の試みの英雄精神はどういう点にあるか?

 マルクスは、パリ・コミューンを、革命的指導、党的組織的準備がないままに「強いられた決戦」としながらも、「大衆的な革命運動」「世界プロレタリア革命へ向かっての確実な前進」としてコミューンのプロレタリア戦士をたたえ、その敗北から懸命に教訓をつかみ出そうとしました。こうしたマルクスの姿勢に、レーニンもまた学んでいます。その最重要な教訓は、「パリ・コミューンは、『労働者階級は、できあいの国家機構をそのまま手に入れて、自分たちの目的のために使うことができない』ということを証明した」(マルクス『フランスの内乱』)ということでした。
 つまり、ブルジョアジーの国家機構、これを徹底的に粉砕するということです。労働者階級が自己解放をかけて、未来社会を担う主体をつくっていくことは、ブルジョアジーの国家機構に依存することによってはできないのです。そして、ブルジョア国家を粉砕し、自分たちの政治権力を樹立していく過程自体が、労働者階級の自己解放性の発揮であり、階級性の形成なんだということをレーニンは言っています。これが『国家と革命』の核心です。

●粉砕された国家機構をなにととりかえるのか?

 では、粉砕したブルジョア国家機構を「いったい、なにととりかえるのか?」(『国家と革命』研究会版p71)
 マルクスは『フランスの内乱』において、この問題の解答を、空想にふけることなく、パリ・コミューンという「大衆運動の経験」がつくりだしたコミューン型国家〔「ついに発見された政治形態」〕から引き出します。
 レーニンは、『フランスの内乱』のもっとも重要な個所を引用(同p72〜73参照)した後で、コミューンを「プロレタリア的、社会主義的共和制」〔「階級支配そのものを廃止するような共和制」〕の「明確な」形態だと言っています。
 このような「形態」としてのパリ・コミューンは、現実にどのような政策をとったのでしょうか?
 @パリ・コミューンが行った第一のもっとも基本的な政治的行為は、「常備軍の廃止、そして武装した人民によってそれを取り替えること」(同p74)でした。これこそが「ただちに死滅しはじめるように組織された」労働者国家・コミューン型国家の第一の原則であり、核心でもあります。(詳しくは、解説本p138〜142参照)
 Aコミューンの市会議員・吏員、警察や裁判官など全公務員の普通選挙制・責任制・随時解任制。
 Bコミューンの議員をはじめ、一切の公務(public services)は労働者なみの賃金で行う。
 以上の諸措置の一つひとつは、単に民主主義の徹底化にすぎないように見えますが、その全体をとらえてみると、「ある制度を、根本的に異なる他の制度と、巨大な規模で取り替えることを意味」(研究会版p75)します。これは、一つの国家形態である民主主義が、「もはや本来の国家〔階級支配の機関〕ではないものに転化する」(同)ということです。その核心は、「ひとたび人民の多数者自身が、自分の抑圧者を抑圧するようになると、抑圧のための〈特殊な力〉は、もはや不必要となる」(同p76)という点にあります。「この意味で、国家は死滅しはじめる」(同)のです。(詳しくは、解説本p143〜151参照)

●議会制度の廃棄

 C「コミューンは、議会的ではなくて、行動的な機関、すなわち立法府であると同時に執行府でもあるような機関でなければならなかった」(研究会版p79)。
 コミューンとは「武装した労働者」の自己権力ですが、それは、議会ふうの機関によって自己を政治的に総括して社会のうえに君臨するのではなく、「同時に執行し立法する行動的機関」として存在し機能しなければなりません。普通選挙(全成員による選挙)によって選出された代議員は、「みずから活動し、みずから法律を実施し、みずから実際上の結果を点検し、みずから自分の選挙人にたいして責任を負うべきである」(同p84)。ここには、「議員の特権」など入り込む余地はありません。
 ここでの要点は、代議機関を「行動的機関」に転化するということです。
 また、ブルジョア社会の寄生物である旧官僚機構を一挙に粉砕し、あらゆる官吏を徐々になくしていくことを可能にするような新しい機構の建設に、ただちに着手しなければなりません。
 「資本家を倒し、武装した労働者の鉄の腕で、搾取者の反抗を打ち砕き、近代国家の官僚機構を粉砕せよ、そうすれば、“寄生体”から解放され、すばらしい装備をもった機構が登場するであろう。この機構は、共同した労働者自身によって容易に運営できるものである。かれらは、技術者、監督、簿記係を雇い入れ、こうした人々にたいして、一般的にすべての〈国家〉官吏にたいすると同様、労働者なみの賃金を支払うのである」「これが、われわれの当面の目標である。このような経済的基礎に立つ国家こそが、われわれの必要とするものである」(同p88)
 このようなコミューン政府が、共産主義への過渡期を切り開いていく現実的諸条件はどこにあるのか?
 「われわれ労働者は、大規模生産を組織するのであるが」「それはすでに資本主義によってつくりだされたものを基礎」〔@〕とし、「労働者としてのわれわれ自身の経験に依拠」〔A〕する。そして、これを「武装した労働者の国家によって支えられた厳格な鉄の規律を打ちたてながら、遂行していくのである」〔B〕(同p86〜87)。
 実際、現在の職場でも、現場のことを一番よく知っているのは労働者であって、経営者ではありません。例えば、動労千葉の反合・運転保安闘争は、合理化に伴うJR資本の安全無視の結果としての「レール破断」を暴き出し、職制の「会社の運行権、経営権に対する侵害だ」という悲鳴を粉砕してたたかいぬかれています。
 共産主義社会への過渡期の権力の問題は、未来のことではなく、日々の職場での職場支配権などをめぐる職場闘争をとおして提起されているのです。
 ロシア革命の過程においてレーニンは、生産の「管理と経理」を担うのは労働組合であるとしています。レーニンは権力奪取の前から切迫感をもって、労働組合の獲得、組合権力の確立を提起しています。

第4章 国家と革命、つづき。エンゲルスの補足的な説明

 略。解説本p188〜215参照。

第5章 国家死滅の経済的基礎

 この章でレーニンは、「国家の死滅」〔と民主主義の問題〕という角度から、権力をとった労働者階級が、共産主義社会の建設へ向けての過渡期をどのようにたたかいぬいていくか、それを実現すべき共産主義から逆規定し、照らし出していこうと、激しい迫力をもって追求しています。
 「それ自身の基礎の上に発展した共産主義社会」(「第2段階の共産主義社会」)において、「分業への奴隷的従属の廃止」「精神労働と肉体労働の対立の消滅」「〈生きるための労働〉から〈第一の生命欲求としての労働〉への解放」「諸個人の全面的な発展と諸個人の発展」「協同的富のあらゆる泉が豊かに涌き出る」(同p163)などに至ります。
 「資本主義の発展は…ほんとうに〈すべての人〉が国家統治に参加できる前提条件をつくりだす」「だれでも読み書きができるということであり、ついで、郵便、鉄道、大工場、大商業、銀行業等々の大規模で複雑な社会化された機関によって、数百万の労働者が〈教育と訓練〉を受けている」「経理と管理―これが、共産主義社会の第1段階を〈軌道に乗せる〉ために必要とされる主要なものである」(同p172)
 労働者が権力を握れば、社会の主人として社会的生産と分配を計画的に組織し、ただちに共産主義社会の建設へと向かっていけるのです。

第6章 日和見主義者によるマルクス主義の卑俗化

 ドイツ社会民主党のカウツキーをはじめ第2インターナショナルの指導者らは、“労働者階級には、こんな膨大な複雑になっている国家と社会を運営する能力がない、官僚にやってもらうしかない”などと言って、マルクス主義を歪曲し、革命への裏切りを深めていきました。
 これに対して、「労働者大衆が行動を起こし、旧国家機構を粉砕し、それを新しい機構ととりかえ、こうして自分の政治的支配を社会主義的改造の土台としなければならない時が近づきつつある」(同p205)という結語をもって、レーニンはロシア・プロレタリアートとともに労働者権力樹立の蜂起へ向かっていったのです。

●結語

 ロシアのプロレタリアートは、すでに1905年でソビエト〔労働者・農民・兵士代表評議会〕を生みだしてパリ・コミューンを復活させ、17年2月にツァーリズムを打倒し、首都ペトログラードをはじめ、各地の工場、兵営、地区にソビエトを組織し、ブルジョア政府(ケレンスキー政権)と対峙した二重権力状態をつくり出していました。レーニンは、10月の蜂起を目前にして、このような緊迫した状況の中で、実践的な問題意識をもって、1848年の革命、パリ・コミューン、1905年の革命、17年2月からの革命の総括の上に立って、『国家と革命』を書いていたのです。
 この『国家と革命』を、レーニン的な革命精神を労働者階級のものにしていくテコとして、また、スターリン主義の半世紀にわたる反革命の歴史と、すでにガタガタになっている帝国主義を串刺しにして、全世界の労働者、とくに青年労働者・学生を、マルクス主義・レーニン主義で獲得していくための武器として使い切っていきましょう。        (後半講義了)

党学校通信 p5-6

『国家と革命』における労働組合の位置づけ −討論から−

【B】

 今、労働組合という問題が出されましたが、たしかに『国家と革命』における労働組合の位置づけの問題は非常に重要なテーマで、真剣に検討しなければならないと思います。
 われわれが「労働組合の革命論的意義」ということを打ち出している以上、その観点から革命論の中に労働組合論をきちっと位置づける。それをロシア革命の教訓、経験の中からきちっと歴史的に位置づけていくことが必要なんじゃないか。それから論理的にも、レーニンの『国家と革命』の理論的発展として、労働組合論を位置づける。それは要するに、プロレタリアート独裁を実際に革命の過程において実現していくという際に、労働組合の持っている決定的位置ということだと思うんですよね。それが、実際にロシア革命にどういうふうに実現されたのかという問題だと思うんです。
 これは、歴史的に段階があって、いわゆる国家権力が打倒された2月革命から10月革命までの過程と、それから11月以降の内戦期が始まっていく過程、さらに、それが終わっていわゆるネップに移行していく過程、それからさらにその後スターリンが登場してくる過程というのがあるんですけど、そこにおいて、それぞれの段階で労働組合の位置というのはあると思うんですね。
 一つは、2月革命以降、プロレタリアートがブルジョアジーと激しく競り合う中で、労働者、労働組合が工場でブルジョアジーの制動を廃して自主管理し、各工場における工場委員会とか労働組合を通じて職場支配権を強烈に確立していくという過程がある。そこにおいて、労働者が最後10月革命に向かって突進していく決定的な組織の役割を果たしたのが労働組合なんだということがあると思うんですね。
 次に、内戦期に入っていく中で、工場委員会なり労働組合が果たした役割というのは決定的な位置がある。要するに、革命軍の動員の基盤となったのが基本的には労働組合なわけです。積極的に労働組合が軍隊を組織して送り出していくという過程が全国的に進んで、それで内戦に勝利していくという過程があったと思うんですね。
 しかしその上で、今度はネップというのは、要するに内戦で破壊された経済をどう再建するか、とりわけ農民との関係をどう回復していくのかという過程で、国家主導による経済政策が出されて、労働組合あるいは工場委員会をどうするのかという問題が起きてきて、いわゆる労働組合論争なんていうのが起きてくるわけです。
 労働組合をこのまま断固として維持して国家権力みたいに高めていくということでやるのか、それとも国家が、あるいは党なんかが主導権持ってやるのか、というような論争があって、レーニンは労働組合の国家化には賛成しなかった。当初そういうことが言われていたんですけども、そうじゃなくて、国家がネップなんかをやりながら、しかしもう一方で労働組合の主体性というのを重視する。労働組合を発展させる中で、プロレタリアートが力をつけていくということをレーニンなんかが促進する過程があって進んでいくわけですけど、そのうちにスタの問題が出てきて、党の権力と国家権力を強烈に拡大して、労働組合の活動を圧殺していくという方向性に入るということで、非常に独特の形でもって、プロレタリアートの独裁が粉砕されていく過程があったと思うんですね。
 その辺の過程を、われわれが国家論の観点、革命論の観点から、読み取っていく。われわれの観点から、労働組合が実際に革命期、内戦期、それから国家再建期でどういう役割を果たすのかということを、歴史的にも論理的にも確立する作業を新しくわれわれがやることが必要だと思うんです。それが『国家と革命』を現在の実践的立場で発展させる。反帝・反スタの深化として。それから、労働組合論の革命的位置づけという新しいわれわれの視点ですよね。この観点からやっていくということが必要だと思うんですね。
 レーニンがパリ・コミューンの総括によって『国家と革命』を書いたということを踏まえてロシア革命の経験を総括して、新たな国家論をつくり出していくということがわれわれの課題、任務になってくると思うんです。
 レーニンとしては、『国家と革命』で労働組合論についてはほとんどというか位置づけをしていないわけですけど、それはある意味当然というか、まだロシア革命の17年の革命以前の段階ですから。労働組合の果たす現実的な役割、あるいはプロレタリアートのすごい創造性みたいなもの、ある意味ではレーニンの想像を超えたものがロシア革命の中で労働組合の闘いとしてあったわけですね。だから、ここでは総括されてないのは当然なわけで、その作業をやるのがわれわれだということだと思うんです。

党学校通信 p6-10  受講レポート

受講レポートから ★『国家と革命』(下)のレポートです。

【J】

 今回の学習をとおして、『国家と革命』が、2月革命の現実にもとづいて10月蜂起を準備・実現する過程で、ツァー権力を打倒し、プロレタリア革命に勝利するために書かれたということが非常に鮮明になった。『国家と革命』こそ、革命勝利−実現のための実践の書そのものといえる。
 レーニンは、プロレタリア革命に勝利し、実現していくために、ロシア階級闘争の歴史、そしてその現実、まさにプロレタリア革命の前夜、蜂起しプロ独権力を樹立すべき状況にあると見定め、そこで、マルクス・エンゲルスに徹底して学ぶことをとおして、プロレタリア革命勝利の理論的・実践的方針を確立した。そして、ロシア革命に勝利し、世界革命への過渡期の時代を切り開いた。今日『国家と革命』を学ぶ上で、このレーニンの実践的な立場そのものを学んでいく必要があることを強く感じた。また、『国家と革命』を批判し、否定・歪曲しようとする傾向との闘いにとって、このことが最大のポイントになると思います。
 『国家と革命』の今日的な実践的貫徹の必要性については論をまたないが、その点でロシア革命における労働組合の役割についての時代区分をして分析を進める必要性があると提起されたが、この提起は今日的に重要なもの。
 革命を勝利させる展望とプロ独権力の樹立・維持という観点からの解明は、『国家と革命』の継承・発展にとって必須の課題であろうと思います。

【N】

 討論の中で、国家にたいする様々な構想なり提案が社会にはびこっていることが分かりました。連邦制や地方・地域社会を念頭においた政策論争とも関連して、まことしやかになされているようです。「美しい国・日本」を出している安倍政権の支持率が急落しているが、社会の崩壊が進む中で、国家への幻想が暴き出されている状況があると思います。それへの反発として強烈な国家主義や分権論、道州制など、実にさまざまなイケンがあります。
 こういう中で、『国家と革命』の立場は、プロレタリア革命の観点に唯物論的に立っている点で、他のギロンを圧倒しています。問題は、マルクス主義の国家論を復活させるだけでなく、そのリアリズムをつかみとることだろうと思います。それは革命を目指す労働運動の課題でもあるのではないでしょうか?
 国家の死滅が客観主義的に論じられていない点は非常に重要であると思います。コミューンの原則を貫くことが共産主義的政策そのものであり、いわゆる過渡期についての基本的な考え方であり、それは「ゴータ綱領批判」「資本論の研究」で革共同が理論的にハッキリさせてきました。いわば共産主義社会論のベクトルを追求する目的意識性に、レーニンの真骨頂があると思います。
 しかも、レーニンの強調している点は、その目的意識性、政策の具体的貫徹が何ら困難な作業ではなく、むしろ原始的なまでに民主主義的な要求に過ぎないということです。ここにレーニンのリアリズムと科学性=理論性があると思います。
 言い換えれば、工場での労働者の生活そのものに革命を見るというレーニンの立場が、われわれが今日的に学ばなければならない立場であり、マルクス主義の真理ではないでしょうか。そういう意味では、レジュメのp7にもあるように、職場でのわれわれのあり方、考え方が改めてテーマとして焦点化されてきてしかるべきだと思います。職場、労働組合は革命の学校であり、革命の戦場そのものだということです。

【D】

☆ パリ・コミューンの当時の党派闘争の現実。組合主義で党建設を否定するプルードン派が第1党派として労働者を組織していたことが根本的な敗北の原因だ。やはり最後までトコトン党派闘争。本多さんの「継承か解体か」で書かれているとおり、暴力革命を準備することにこそ、党の目的意識性の核心があり、それへの敵対・逃亡がカクマルへの痛打として論じられていた。重要。
☆ 労働者にこそこの社会を変える力がある。これがマルクス主義であり、プロレタリア独裁の思想だ。労働者階級は「永遠の抵抗者」でおさまることなどできない。この核心は、賃金奴隷制を打倒し、新しい社会を組織する力があるということであり、今の現状に反対するのみならず、未来を作っていくことができるという確信、誇りに満ちあふれて組織することだと思った。俺たちには新しい社会を組織する力があるんだ、命脈つきた支配階級はさっさと権力をよこせ! と。
☆ 次期党学校に向けて。
 青年労働者自身が参加するとともに、全ての参加者が持ち場で青年労働者の組織化の闘いの中で格闘して結集することがポイントです。そして、どうやって青年労働者に学習会で提起するかなどの組織するための実践的議論、組織する武器としてのマルクス主義という核心をゆるがさないものとしてやることが重要ではないか。

【C】

□ 『国家と革命』というのは、労働者人民の革命性とその本来的能力に依拠してたたかうべきことを示している。そのために労働組合のもつ意義がさらにはっきりしてくる。つまり、労働組合と職場闘争が労働者階級をプロ独の主役として鍛え上げていく決定的な力になるということだ。
□ そういう観点で『国家と革命』を見ていくと、マルクス、エンゲルスがパリ・コミューンにたいして、単に戦術的な範囲でなく、全面的に支持したちあがっていったことの意味もつかめる。

【H】

 『国家と革命』後半で、レーニン全集24〜27巻の資料が出され、マルクス主義・レーニン主義の継承を今日の実践として提起された。これは重要な飛躍であり、何としても実現したい。
 マルクスの『共産党宣言』、レーニンの『国家と革命』で、パリ・コミューンの歴史的意義を、革命的転機として熟考され、その中から、唯一の変更の問題や、レーニンのプロ独という規定の内容が生まれた。ここに共産主義の根幹が打ち出されている。
 「資本主義の発展は…ほんとうに〈すべての人〉が国家統治に参加できる前提条件をつくりだす」
 今日的には、職場(社民とスタの崩壊と腐敗の中での党派闘争)支配権力をたたかいとるためには、思想闘争を正面から出してはじめて、勝利できるのではないか、そうしてはじめて、必ず職場・組合を階級性の獲得として実現できるのではないかと思う。
 したがって、反帝・反スタの思想闘争は、綱領として豊かにしていくたたかいと組合運動の実現をとおして、党建設的にたたかうこと。共産主義論は、マルクス・レーニンの根幹からすぐずれて、枝葉にまぎれこむものであり、そのためには『国家と革命』での内容を徹底化するたたかいと、大量の共産主義への実践としての闘いを、まさに革命から逆規定してとらえる闘いが必要だと思います。
 今回で最後ですが、われわれの歩みと一体のものとして党学校の闘いがあり、この1年は印象深いものとなった。

【F】

 『国家と革命』の学習をとおして、熱い理論・実践が伝わってきました。第7期党学校をとおして、学習と実践の統一を強く感じています。
 『国家と革命』を学んで、労働者階級は、自らの労働組合運動(−自己解放のたたかい)−労働運動を土台として、その現実の運動そのものを、高次の共産主義社会の諸目標からとらえています。
 理論的にも、実践的にも、労働者階級は現実の労働運動の発展・拡大を、分業の止揚(−肉体労働と精神労働)、生命的欲求としての労働−その労働時間の短縮(生産力の高度化)、階級の廃絶・国家の死滅から、逆規定してたたかいます。
 労働者階級が革命的内戦を闘い−革命的転化を終了したその段階では、そこでは、生産手段の共有化が実現されて共同的生産が動き始めています。労働者階級は、労働組合−ソビエトをとおして、共同で生産手段を運営し、労働者個々人の「労働給付に応じて」、生活手段を分配しています。
 この共産主義の第1段階は、獲得すべき高次の段階をバネにして、すでに高次の段階に向かって前進を開始しているのです。
 私は、共産主義の闘いの土台は、今私たちの目の前にある労働組合が地区党を媒介として、国家権力−資本の攻撃とたたかうことである、と学んでいます。
 第7期の党学校に参加して、党員・共産主義者としての姿勢を大いに学ぶことができました。

【O】

 レーニン『国家と革命』は、ロシア革命の真っ只中に書かれたプロレタリア革命論=ブルジョア国家権力粉砕論、プロレタリア独裁論=ソビエト論であり、さらに世界革命に攻め上るプロレタリア社会建設論=過渡期論としてある。
 また、『国家と革命』は、労農同盟論、ソビエト組織論におけるプロレタリアートの自己変革=自己解放を内包した優れた組織論でもある。
 『国家と革命』(後半部)は、マルクスのパリ・コミューン論を全面的に再生し、土台として構築されている。
 レーニンは、パリ・コミューンのプロレタリアートの蜂起戦の側に立ちきって書きぬかれたマルクスのパリ・コミューン論に感動し、共感し、理論的にも、そして何よりもパリ労働者とマルクスの実践性を徹底的に学びとった。(「歴史上はじめての労働者権力」の革命的意義)
 ロシア革命を目前にして、レーニンは革命に必要なことは全部準備する立場で『国家と革命』を執筆し、実践した。革命に全責任をとる。これがレーニンとボルシェビキの革命家精神である。革命の方針をしぼり出すたたかいの実践書として『国家と革命』を書き上げた。レーニンの実践的情熱があふれ、「革命についてのおしゃべり」を許さず、プロレタリア革命への限りない勝利の執念で徹底的に武装されたテキストである。
 レーニン『国家と革命』は全編を貫いて、労働者階級がキーワードとなっている。(全てが労働者階級を主語としている。)レーニンは、プロレタリアートの自己解放を確信し、その解放力をプロレタリア社会建設の核心にすえて『国家と革命』を練り上げた。プロレタリアートが社会の主人公であり、社会建設の担い手であることを鮮明にさせながら理論を展開している。
 後半部(『国家と革命』)の最大のポイントは、マルクスの「コミューン4原則」の革命的継承と実践的貫徹論としてゴリゴリと確認していることである。ここでもレーニンは、プロレタリアートの社会的能力、自主性、解放性、共同性にたいする限りない信頼と確信に基づいて語っている。(レーニン主義の神髄がここにある。)
 ここで、われわれがかちとりつつある「労働組合の革命論的明確化」を重ね合わせて学習することが決定的に重要である。プロレタリア革命、ソビエト、プロ独、社会建設、世界革命のイメージが、具体的で豊富化されていく。
 第4〜6章においても「労働組合の革命論的明確化」は、プロレタリアの歴史性と勝利性を明らかにしていく役割を果たすことになる。(生き生きとした労働組合を軸とした社会建設)
 最後の確認は、日和見主義者への壊滅的批判、打倒のたたかいについての死活的確認である。
 レーニンが、その生涯の全てをかけてたたかいぬいたたたかいは、資本主義(=帝国主義)への怒りと同時に、日和見主義(者)との党派闘争、党内闘争である。情け容赦ない非妥協的なたたかいである。
 われわれ的に確認するならば、
 1)既成労働運動との決別、打倒のたたかい。
 2)党、組合における革命的団結、細胞建設のたたかい。
 3)党内闘争の決定的重要性。「党の革命」のたたかい。
として現在的たたかいである。
 われわれは、「党の革命」をとおして、プロレタリア自己解放に確信をもち、階級的労働運動路線を確立し、プロレタリア革命の勝利の大道を歩き出した。まさにレーニン「国家と革命」論は、「党の革命」を遂行していく強力な理論=実践である。

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事務局から

 レーニン『国家と革命』(下)をもって、第7期党学校は全課程を終了しました。次号「党学校通信」は、第8期党学校の開講日程に伴い5月発行となります。引き続きのご購読をよろしくお願いいたします。