受講レポートから ★『ゴータ綱領批判』(上)のレポートです。
【K】
▽ 久しぶりに『ゴータ綱領批判』を読んだが、今日的な議論の中で、大原論文の地平で読み直していくことが、極めて重要だと思いました。
1871年パリ・コミューンの闘いの地平の中で、プロレタリア階級自身が革命的労働者党を闘いとっていく格闘そのものとして、ゴータ綱領をめぐる論争を読み返す、ということではないかと思う。
これまでは、『ゴータ綱領批判』については、ラサール派とマルクス派(アイゼナッハ派)の指導部間の論争という視点から、労働者階級の指導部間の党派闘争、論争という受けとめ方が、自分としては強かった。
そうではない。1848年の革命(その激動の渦中からでてきた『共産党宣言』)と敗北、『資本論』を生み出す格闘、さらに1871年パリ・コミューンの快挙と、その地平を守り発展させ、革命に勝利する労働者党を必死で打ち立てようとした闘いとして、『ゴータ綱領批判』を読む必要がある。
階級闘争の大地に立って、それを必死に一歩でも前に進める(一歩の後退も許されない)という闘いとしてマルクスの批判がある。そう読んでいくと、その意義が、自分としても、生き生きとはっきりしてくる。
▽ ワーキング・プア、格差社会についてのわれわれの批判も、これぐらいの鋭さでやらないと全くダメですね。ラサール的な、没階級的、ムード的批判というレベルのものが、まだまだ多い気がする(自分も含め)。ここを本当に突破したら、ものすごい獲得性と求心力を、革共同が持つことは明白だと思いました。実践的に火急の課題であるということだと思います。 【O】
1)『ゴータ綱領批判』は、パリ・コミューン(1871年)の総括から生まれ、ロシア17年革命の力強い理論的裏付けとなった革命の実践書である。同時に、プロレタリア革命の最良の理論書である。(共産主義社会の現実的な設計計画でもある)
2)『ゴータ綱領批判』(前半)の中で、やはり決定的に重要なことは、賃労働と資本に関する革命的暴露のたたかいの重要性です。この関係が搾取関係であり、非和解的な敵対関係にあることを全面的に明らかにすることにあること。
3)階級(闘争)と党の関係における確認。文字通りプロレタリア階級の血を流してきた中で、マルクスの決起、そしてマルクス主義が形成されたこと。ここの確認も、現在的に現在進行的に「実践と理論」の革命的関係として確認することは依然として重大な確認です。(以下の確認の重要性)
@プロレタリア自己解放=労働者階級の解放は労働者階級自身のたたかいによって実現される。
A労働組合の革命的役割についての確認。
B労働者階級と党建設の関係。
こうしたことを豊かに大きく再武装していくことが求められている。
4)結論的に言えば、階級社会(資本主義)において、プロレタリアートは、社会の主人公になれるし、ならなければ一切は解決しないことの絶対的確認。このことをマルクス主義として全面的に豊かに掘り起こしていくことに学習会のたたかいの意義があるのではないでしょうか。
5)追記。
原則性というと「何か固く縛りつける」もののように思いますが、実際は、この間のマルクス主義学習会(党学校)で確認してきたように、非常に豊かなものを柔軟=フレキシブルにつくり出す原点になっていることです。
マルクスの徹底武装・深化としてのレーニン。
動労千葉の原則的たたかいのもつ普遍的な大きな広がりなど。 【C】
▽ 時代背景も含め解説して頂いて、かなりイメージがわきました。
▽ ラサール派やその他の労働者党のきわめて曖昧な文言とそれに対するマルクス、エンゲルスの鋭い反論は、見ているだけでかなり勉強になる。現実の党派闘争も、こんなものだからだ。
様々な局面の中で、様々な人々と我々は統一戦線をつくったり、歩調を合わせて行動したりという事はよくある。綱領の取り引きはしない、というマルクス、エンゲルスの姿勢の中に革命家であり、リアリストとしてのマルクス、エンゲルスを見た。 【J】
初めて学習会に参加して、これまで非常に長い間、独習という形で学習していたものを、新たな面から再検討することができました。
今回特に印象に残った点は、以下の諸点です。
1)『ゴータ綱領批判』における『資本論』とパリ・コミューンの意義。
2)党組織論という範疇における『ゴータ綱領批判』。
@共産主義(現実のプロレタリア階級闘争の中に在るものとしての共産主義)からとらえ返された党の在り方の問題。
Aプロレタリア革命−プロレタリア独裁の実現という観点からの党組織の在り方。
Bこの@、Aが共に、共産主義の党=階級の党としての在り方を示している。(共産主義を実現するものとしての党の在り方)
3)『国家と革命』と『ゴータ綱領批判』の関係。
4)反スタ運動形成の重要な基礎の一つとしての『ゴータ綱領批判』の意義。 【H】
『ゴータ綱領批判』のとらえ返しという意味で大きな前提は、労働者のたたかいが革命=共産主義のリアリズム論のわれわれのとりもどしである。
そのために、『ゴータ綱領批判』の前半部分でありますが、労働力と労働素材を取り込んでの資本の運動に対する根底的批判が、非常に重要なことだということ。当時の党でも、労働者の団結、階級闘争のとらえ方の根底からの歪みを、マルクスが全力で、労働者の闘いとマルクス主義の深化の下で批判したこと。これを改めて対象化すること。今回の講義の核心のひとつとして、これを受け止めました。
今ひとつ、労働運動の爆発をつくり出すために『ゴータ綱領批判』を起点とすること。これは、議会制を通した資本の支配の中で、直接政府・資本との攻防がリアル性をもっていることをかなり意識した闘いが重要だと思います。このつくり出しが、国鉄では、「政治解決」論のペテンを粉々に粉砕していく闘いのリアル性を、もっと確信的にとらえ返すことになる。この意味からも、『ゴータ綱領批判』のとらえ返しを今日的にしていくものとして、学習を深めていきたい。 【F】
『ゴータ綱領批判』は、共産主義は未来のことではない。今闘われている労働者階級の自己解放の闘いである。マルクスは、そのことをはっきりさせた。『ゴータ綱領批判』は資本主義の転覆−つくりかえによって、共産主義はリアルにわれわれの目の前にあることを明らかにした。
マルクス、エンゲルスはゴータ綱領を見て、労働者階級は今日では、パリ・コミューンを闘いとっているではないかと批判したではないか。
『共産党宣言』−『資本論』は、資本主義−賃金制度とは何かを明らかにし(現実の共産主義)、労働者階級の歴史的存在・使命を明らかにしているではないか。
ドイツの現状の社会体制を肯定していて、「労働」、「社会」、「労働収益の公正な分配」と言っても、それはブルジョア観である。
マルクスは、ラサールらのゴータ綱領は、労働者階級の立場に立った綱領ではない、と批判した。共産主義(−プロレタリア独裁へのたたかい)は、今われわれが権力・資本と闘っている現実の運動・闘いそのものであると。
【N】
『ゴータ綱領批判』を学ぶことの今日的な意義を明確にすることが、やはり極めて重要なことだと思います。
今日の格差社会をはじめとする階級的現実をみる場合、なんとかしたいという欲求は死活的です。別の言い方をすれば、共産主義社会のイメージを提起することは、戦後今ほど求められている時はない。レジュメp2で、〈共産主義はむずかしくない〉という視点は、スンナリ出てくる視点だと思います。ソ連の崩壊によって、共産主義への絶望が蔓延しましたが、その意味で言えば、マルクス主義の復権という点に、『ゴータ綱領批判』の学習をすることの深い意味があると思います。
共産主義の現実性をいかにつかむか、という点は、例えば過渡期社会の固定的とらえ方を批判していくことを通じて、われわれは理論的につかみ取った経緯があると思いますが、『帝国主義論』の独占論の具体的現実と照らし合わせて考えてみると、共産主義のリアリズムがもっとつかめるのだと思います。その意味では、党学校で『帝国主義論』をやり切った地平をいかに引き継ぐかが、『ゴータ綱領批判』を今日的に学んでいく上で重要なのではないかと思います。
また、職場闘争という観点からも、ラサール、ウェストンの賃金闘争否定論への批判は大切で、この点をいまひとつの柱としてやることも学習会の今日的な意義だろうと思います。
さらに言うと、『ゴータ綱領批判』は、レーニンの『国家と革命』にもつながっていくことからして、安倍政権批判や、そもそも労働者にとって国家とは何なのか、ということ、労働者の自己解放という視点から見た国家論をとらえることも意義あることだと思います。 |