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2006年10月号

党学校通信

党学校機関紙 A4判月1回発行 頒価100円

今月の内容 マルクス『賃金・価格・利潤』 B

第3回 講義概要 P1-3

★-C同志の提起と補足 P3-5

★ -討論から P6-8

受講レポート P9-10

2006年10月号
通信 バックナンバー
党学校通信 p1-3 講義概要

第3課目 マルクス『賃金・価格・利潤』

  第3回講義概要  講師 岩谷芳之 

 受講生C同志からの「生徒自身がレポートするようにしては」との提起を積極的に受け止め、新たな試みとして、解説本の第4章の最後の部分(p173〜178)と補論(一)、(二)をC同志が担当しました。p3〜5にその提起と補足を掲載します。 (事務局)

 今日は、『賃金・価格・利潤』の第13節からです。解説本では第4章にあたる部分をやります。

第13節 賃上げの企て、または賃下げ阻止の企ての主要な場合

●生産力の変動と賃金

 略。解説本p117〜123参照。

●労働時間の延長と賃金

 より多くの剰余労働を搾取するため、資本は常に労働時間を延長しようとする。労働者は、自分自身と階級を守るために、労働時間規制を始め、合理的限界内での労働条件を資本家に守らせるために闘わなければならない。
 時間外労働に対する割増賃金は、資本による労働時間の勝手な延長を許さないための方法だが、労働時間が一定
の限界を超えれば、どれだけ割増賃金が支払われても労働力の消耗を償うことはできなくなる。
 そのため、労働時間を法律で直接規制することが必要となった。労働者階級の闘いが労働時間の法的規制を国家と資本に強制した。
 日本経団連は労働時間規制をなきものにしようとしているが、こんなことは許してはならない。

●労働の強度の増大

 労働強化が限度を超えれば労働力の再生産は不可能となる。労働強化に対しても、抵抗しなければならない。

●資本主義の循環運動と賃金

 景気循環の中で、諸商品の市場価格は変動するが、全循環を平均すれば、それはその価値によって規制されている。労働力も商品である限り、その価値は価格の循環的変動をとおして実現される。したがって好況期には可能な限り賃金を上げるために闘い、恐慌や不況期にはできる限り賃下げに抵抗して闘うことが、労働力の価値を維持するためにも必要となる。
 賃上げのための闘争のほとんどは、それに先行する生産力や諸商品の価格変動、労働時間の延長、労働強化などの必然的結果として起こる。

第14節 資本と労働との闘争とその結果

●労働者は平均すれば自分の労働力の価値を受け取るだけ

 「他のすべての商品と同じように、労働についてもその市場価格は、長期間にはその価値に適応するであろう。したがって、あらゆる騰落にもかかわらず、また労働者が何をしようと、彼は平均的には彼の労働の価値だけを受け取るであろう」(岩波文庫版p104)
 これは、「賃上げ闘争などやってもやらなくても同じ」ということではない。賃金をめぐって争う当事者間の力関係が労働力の価値を決定する要因のひとつになるが、労働力の価値が具体的にどの水準になろうとも、労働者が自分自身を維持・再生産するに必要な生活必需品の価値で労働力を売っていることに変わりはない、ということ。

●労働力の価値は、生理的要素と歴史的・社会的要素によって決定されるが、究極的な限界を決定するのは生理的要素である

 略。解説本p141〜145参照。

●利潤の現実の程度は、資本と労働との絶えざる闘争によってのみ定まる

 資本家は常に賃金をその生理的最小限に引き下げ、労働日を生理的最大限に拡大しようとしており、労働者はそれを反対方向に押し返そうとしている。事態は闘争者たちのそれぞれの力の問題に帰着する。

●生産力の高度化と相対的過剰人口の生産

 略。解説本p150〜151参照。

●資本の有機的構成の高度化

 略。解説本p152〜155参照。

●実践的結論

@日常的闘争の徹底的な貫徹

 標準賃金獲得のための労働者の闘争は、賃金制度と不可分の事象であり、賃上げを求める労働者の闘いのほとんどは、労働の価値を維持しようとする努力にほかならない。もし労働者階級が資本との日常闘争を貫かなければ、労働者階級はより大きな運動を起こすための能力も失ってしまう。

A労働者の究極的解放を根幹に据える

 日常闘争において労働者は、結果と闘っているのであって、原因と闘っているのではない。労働者階級は、資本の絶え間ない侵略や市場の変動から生じる不可避的なゲリラ戦に没頭してはならない。資本主義は、労働者に窮乏を押しつけるが、同時に、社会の経済的改造に必要な物質的条件と社会的諸形態をも生み出している。
 労働者は、「公正な一日の労働に対する公正な一日の賃金!」という保守的な標語の代わりに、「賃金制度の廃止!」という革命的なスローガンをその旗に書き記さなければならない。

 以上のような実践的結論を定式化して、マルクスは第1インター中央評議会に次の3つの決議を採択するよう求めた。

 第1 賃金率の一般的騰貴は一般的利潤率の低落を生じるであろうが、だいたいにおいて諸商品の価格には影響しないであろう。
 第2 資本制生産の一般的傾向は、賃金の平均標準を高めないで低めることにある。
 第3 労働組合は、資本の侵略に対する抗争の中心として立派に作用する。それは、その力の使用が適切でなければ部分的に失敗する。労働組合が現行制度の結果に対するゲリラ戦に専念して、現行制度を変化させようとしないならば、その組織された力を労働者階級の究極的解放、すなわち賃金制度の究極的廃止のためのテコとして使用しないならば、全般的に失敗する。

 

党学校通信 p3-5 C同志の提起と補足

C同志の提起概要

●「労働組合、その過去・現在・未来」の労働組合論

 「労働組合、その過去・現在・未来」は、1866年第1インターナショナルの決議です。第1インターナショナル自身は、下からの文字通り労働者の怒りの澎湃たる決起ということにたいして、マルクス、エンゲルスなどの闘う人々が、それに必死に食らいついていって結成に至る。その中で、労働組合について、これまでの総括と現在、そして目標という形で、決議が上がったということです。『賃金・価格・利潤』の中身に沿った決議だと思います。
 やはり労働組合は「労働者階級全体の前衛(champions)」(解説本p175)だということについてはっきりさせなければいけないと思います。そのように自覚し、自らを行動せしめることによって、労働者階級だけでなく、人類の普遍的な、あらゆる差別・抑圧・支配からの解放をやらなければならないし、やっていけるということです。
 労働組合は、決議の「aその過去」で書いてある「ゲリラ戦」の組織である。しかし、資本と労働者の正面戦、病気で言うところの根本的な治療、そういう目標、企てを持っていなければ労働組合は労働組合でなくなる。労働者からも見放されてしまう。
 カクマル・松崎は「資本主義をどこまでも是認する」と言ったわけですけど、労働組合が階級対階級の激突から免れて安全な所にいられるのか。全然そうじゃない。

●補論(一)−賃金の現実の支払形態と賃金闘争

 賃金は、まず第1に時間賃金という形態をとる。これ自身がすでに賃金の本質を隠ぺいするものになっている。
 第2に、時間賃金の転化形態としての出来高賃金。出来高ということで、労働者自身が労働の質を「自己管理」せざるを得ないようにして、労働者同士を競争に駆り立て、分裂させる。出来高賃金は、今風に洗練された形でたくさんある。これは、歴史的にはいろいろ変わっていった。(同p181〜183参照)。
 第2次大戦後には、出来高制は職務=職階制にとって代わられる。これは、ランキングづけによる職場の支配、ヒエラルヒーの強化であり、企業への貢献を強要するための制度である。「客観」とはなんぞや、会社への忠誠度なんてどうやったら測れるのか、聞いてみたいということですよね。
 第2次大戦以後の職務・職階給というのは、すべて「職場支配を資本が貫徹し、労組によるそれを何とかして粉砕していこう」というものです。
 じゃあ、労働者階級にとって賃金の支払形態についての原則的立場とは何なのか? それは職場支配権を守って労働強化を許さないということだろうと。その上で、資本がどんどん複雑にする支払形態のデタラメ性を喝破し、賃金支払形態の改悪を許さず闘うということが基本だと思います。
 今日、日本帝国主義が、戦後的な賃金形態を全面的に破壊してきていますが、侵略戦争への突入の政治的プロセスと一体のものです。排外主義・愛国主義とともに資本攻勢で「自分自身の状態をめぐる資本との日常的な争い」、賃金闘争、支払形態をめぐる争いすら放棄するよう、労働者階級、個々の労働者にたいして強制するということだろうと思います。
 だから、労働組合がそれを許さないための闘いを日々続けていくことが極めて重要である。

●補論(二)−マルクスの労働組合論とレーニンの組織論

 マルクスは、労働運動と政党との関係について、労働組合的団結と政治的組織化のプロセスを一個二重のものとして提起していた。これ、すごい重要だと思うんです。『共産党宣言』での規定そのものが、イギリスの労働運動とチャーティスト運動との関係の総括だった。労働運動の推進を軸にして革命的労働者党を組織化していこうとしていたとマルクスの闘いをとらえていくということだと思います。
 また、レーニンの闘いの意義は、共産主義者の目的意識性の契機とその実践的貫徹のための組織的闘いの論理そのものを明確にしたことにあるんじゃないか。労働者階級の前衛としての共産主義者が組織的に闘っていく論理、党のいろんな意味での必要性、党の論理というのをつくり上げてきたということがあると思います。「反スターリン主義・革命的共産主義運動は、このようなレーニン的地平を反プロレタリア的に完全に歪めたスターリン主義との決別・対決をとおして、レーニンの革命論、組織論の本来の革命性を復権するたたかいでもあった」(同p196)。
 以上を踏まえて、改めてマルクスの労働組合論を理解していこうということだと思います。
 「現代の労働組合は腐敗しきっているのでは? 昔と違うのでは?」ということがあるわけですが、帝国主義国においても、資本が労働者階級を完全に買収しきってしまうということはできない。それは、資本が賃労働というものを自ら消し去るのに等しいわけで、理論的にも、現実的にも不可能。依然として労働組合は、資本と闘う労働者階級の抵抗の中心である。その組織された力を労働者階級の解放=革命のための決定的テコとしようということだと思います。  (第3回講義了)


C同志の提起より

 「レーニン的地平を反プロレタリア的に完全に歪めたスターリン主義」(解説本p196)。ここは私には展開できないので、補足を。

【R】

 単純化を恐れずに言えば、19世紀中盤すぎまでは労働者階級が歴史的に登場し、組織された勢力としてだんだん大きくなるにつれ、そのまま階級的にも強くなるという関係だった。
 帝国主義段階の資本主義の下では、支配階級は意識的に「上からの組織化」をやる。上から積極的に労働者を組織するかたちで、団結を切り崩して支配する。その中で労働者階級の数が増えればそのままブルジョアジーを倒す力をもつというふうにはなかなかいかない関係がつくられる。
 レーニンの組織論は、大きくはこのことに対応している。勢力として強くなった労働者階級が帝国主義支配階級を本当にぶっ倒していくためには、究極の勝利から現在をとらえ返して闘うという共産主義者(マルクス主義者)の原理原則をこれまでよりもっと意識的にはっきりさせようというのがレーニンの考え方だと思う。労働者階級の究極的勝利のための党をどう組織する
かということそれ自体を、徹底的に考え抜いたところにレーニン革命論の特徴がある。
 どんな困難な状況の中でも労働運動の中に入り、労働組合に細胞を組織し、労働者階級自身が究極の勝利から現在をとらえ返して闘うための共産主義者の結集体としての党を建設していく。だが、それはあくまでも労働者階級が究極的解放に向かって進んでいくための手段だ。
 スターリンは、「レーニン主義」を強調しながら、党と労働者国家の権力を簒奪していった。そのときの論理の核心にあるのが、党がすべて、党は絶対ということです。第2インターの帝国主義への屈服に対して、そこを突破していく重要な柱のひとつとして、共産主義者の党の意識的な闘いを強烈に出していったレーニンをいわば逆手にとって、スターリン主義は、労働者階級自身の闘いを否定し、上から抑圧した。それが、「歪曲の論理と構造」です。
 スターリン主義と対決し、レーニンの闘いを正しく受け継いでいこうとしたのが反スタ・革命的共産主義運動です。だけど、革共同の中にも党の重要性だけを一面的に強調しがちな傾向というのはあった。だからこの間、新指導路線の中で『何なす』の読み直しも含めて必死でやってきた。単に頭の中での作業でなく、現実のわれわれをどうつくり変えていくかという形で問題が突き出されていると思います。

党学校通信 p5-7 討論から

●生徒C

 今日は自分でレジュメを切って提起させてもらいました。人の話ばかり聞かされるのではなくて、自分で提起すると勉強しますし、非常にためになりました。「日々の賃金闘争、経済闘争をやり抜かずに、より大きな政治的課題で闘えるはずがない」というのは、非常に重要だと思いました。職場で労働者を支配することに資本は最大の力を投入するわけで、そこで労働者が勝ち抜いていく、労働条件や賃金をめぐって闘っていくことは、大変ですけれど、重要だと思いました。

●生徒1

 帝国主義の支配は、労働者階級の団結をいかに先制的に粉砕していくかということからすべての政策が行われている。それに根底的に対決しない限り、労働者階級の団結、労働組合の団結もできない。
 労働力が商品となるということの中には、労働者の隷属や首切りの問題、現場における非人間的な扱いなどの根本的な問題が内包されている。資本の増殖過程で、労働者は商品として資本のコントロール下に置かれる。そこには激しい非人間性がはらまれている。
 それに対する人間としての怒りを、どうやって勝利に結び付けていくか。階級的に団結する以外にない。それはカクマル・黒田が言っているような平面的な団結じゃなくて、資本に打ち勝つ団結です。プロレタリアートの暴力の問題も含めて、労働者階級がいかに勝つかという観点から、団結を勝ち取っていかなきゃいけない。
 実際には職場では激しい党派闘争があるわけで、これに打ち勝っていく強靱な団結をどう形成していくか。既成の労組幹部は、カクマル・松崎が典型だけれども、「労働者は勝てるんだ」というものを持っていない。いかに妥協するか、いかにうまく屈服するかしか考えない。だから、賃金制度を根本的に把握することが、腐敗した労働幹部や腐敗した既成政党を打倒する根拠地になるんだと思います。

●講師

 例えば今、「政治解決」路線に迷い込んでいる国労闘争団を批判することは重要な課題ですけれど、首を切られて20年も闘ってきた人たちに「あなたたちの路線は間違っています」と言い切ることは、そんなに簡単なことじゃない。でも言わなければならない。それは、動労千葉の闘いがあるから言えるんです。動労千葉は、『賃金・価格・利潤』で提起されていることを本当に実現しようとして苦闘してきた労働組合です。これは間違いなくそうです。それがあるから国労闘争団に対して「動労千葉と同じ道を、あなたたちは行くんですか、どうですか」というふうに問題を出せる。これは、『賃金・価格・利潤』でマルクスが提起した、労働者階級の究極的解放のために闘うのかどうか、ということとストレートに結びついている。そういうことを真剣に提起すれば通じる時代がようやく来たなと感じています。

●生徒1

 今回の『前進』夏季特は、動労千葉の立場に立ちきって、そこで革命の展望と可能性をきちっとつかみ取ろうと言い切った点で画期的だったと思います。「労働者階級は絶対に勝てるんだ」という革命的な勝利の展望を物質化したものとして、動労千葉がある。もちろん、これからも幾つもの試練をくぐるだろうけど、「具体的に勝利できる労働運動がここにある」というわれわれの確信の度合いによって、今後の闘いが決まってくると思います。だから、国労の問題というより、われわれ自身が本当にそこをつかみきれるかどうかが問われていると思います。
 動労千葉の幕張事故をめぐる闘いも、労働者を本当に守れる労働組合はここにある、ということでしょ。「運転士が事故を起こしても、その責任はすべて資本にある」というのは、実は重大な提起ですよ。資本はすべての犠牲を労働者階級に転嫁しようとするけれど、そもそも資本というのは労働者を搾取しながら蓄積されたんだ。幕張事故をめぐる闘いは、革命の展望を労働者階級がどういう現実の中でつかむのかということとかかわっている。

●生徒2

 これまでの講義で剰余価値や労働力の問題を押さえた上で、今回は「標準労働日の創造の闘い」とか、日常的な闘争を貫徹する問題、労働者の究極的解放を根幹に据えての労働組合の団結という問題が出されて、いろいろイメージがわきました。
 先ほど国労闘争団の話が出たけれど、国鉄闘争は、もう一度、分岐する情勢を迎えています。戦後労働運動を総括して、動労千葉に続く労働運動を創造・発展・強化させる重大な転機に来ている。だから、自分たち自身にエネルギーを注入できるような内的なものをきちんとつくり上げて武装していくことが問われていると思う。

●講師

 今の労働組合幹部は国労にしろ自治労、日教組にしろ、やっていることがあまりにもひどすぎる。だから、いくらでも批判することはできるんだけど、その批判の仕方が、かつての総評労働運動の枠内にとどまっている限り、本当の批判にならない。それでは11・5労働者集会への結集には結びつかないと感じています。『賃金・価格・利潤』でマルクスが提起したものがわれわれの中にあるのかないのかによって、11・5への結集はかなり違ってくると思います。

●生徒3

 この間、労働組合の革命論的意義の確立の議論や、「労働者階級と党はイコールである」という議論を深めてきていますし、『前進』夏季特でも、動労千葉は戦後労働運動を越えるものを貫いてきたんだと提起されています。「体制内労働運動の総破産と動労千葉の闘い」ということが言われましたが、その中身をもうちょっと考えていく必要があると思います。
 『前進』2262号の動労千葉・田中委員長のインタビューの中で、彼は、シニア協定で60歳を超えて再雇用されない組合員が出てくるという厳しい問題をのりこえて闘ってきたことをきわめて重視している。それは、組合員を本当に信頼して、我と我が手で闘って勝つということだと思うんです。
 一方、国労本部は4党合意を受け入れて、シニア協定なんかも全部呑んでいった。1047名をめぐる「政治解決」路線も、政府に頭を下げて何とかしてもらおうというもので、労働者自己解放でもなんでもない。この違いが非常に鮮明で、動労千葉の闘いが光り輝いている。
 だから、動労千葉の闘いの中身を、もっと豊かに展開しきれた時に、われわれは11・5に本当に1万人を結集できる。1047名闘争がゴタゴタしている状況を見れば見るほど、逆に本当の展望が出てきたなと思います。

●講師

 国家権力や資本が「労働組合なんかつぶすぞ」と決断してかかってきた時に、「権力や資本が本気になったら労働者はかなうはずがない」と屈服してきたのが体制内労働運動です。
 現実の攻防は厳しいし、闘いだから大きな犠牲が出ることもある。だけど動労千葉は「労働組合の団結を守るためには闘う以外にないんだ」と腹をくくったわけです。じゃあ、なんでそういう決断ができたのか。『賃金・価格・利潤』は、「労働組合は社会を変革する拠点だ」と言っているけれど、だからこそ「労働組合はかけがえのないものだし、命をかけても守る価値がある」となるわけです。労働組合にとって労働者の経済的な利害を守ることは基礎的な任務だけれど、もちろんそれは、闘う道と闘わない道を比較して金の計算をしてどっちが得かということではない。金銭的には、闘うことによる犠牲の方が大きいかもしれない。だけど、「そんなことは問題じゃないんだ。つくり上げた団結を守るために闘うんだ」と決断できたのは、労働者階級の究極的な解放の拠点として労働組合があるという確信があったからだと思うんです。また、そういうふうに指導部が腹をくくれば労働者はついてくるという確信があったからです。これは、労働者は本質的に団結して闘わない限り解放されない存在だということをつかんでいたからだと思います。
 そういう労働組合の存在を守り抜くことと、革命的労働者党の形成という問題は、C君が提起したように「一個二重の課題」です。労働組合だけで革命をやることにはならないけれど、労働組合を基礎とした階級的団結の形成・防衛ということと一体となって革命的労働者党の形成も進んでいくということです。

●生徒4

 『賃金・価格・利潤』で提起されていることは、労働者の究極的解放からとらえ返して日常闘争も闘い抜かなくちゃいけないんだということです。労働者階級に対する信頼とか労働者自己解放ということを徹底的に貫いて労働組合運動も革命党の形成もやっていく。動労千葉はそこを貫いたから国鉄分割・民営化と真っ向から闘って勝利していると思うし、連合がなぜ連合なのかと言えば、それを徹底的に否定し破壊して、現場の労働者は主人公でもなんでもないという感じになっているからです。4大産別決戦をプロレタリア自己解放を徹底的に据えて闘うことが、改憲を打ち破る力をも形成していくと思います。

党学校通信 p9-10  受講レポート

受講レポートから ★『賃金・価格・利潤』第3回のレポートです。

【C】

 改めて、日常闘争と職場闘争(動労千葉労働運動)の重要性がよく分かった。日常闘争をきっちり闘い抜く、職場を守り抜いていく闘いの中で団結を固めていく、というイメージがわいた。
 たしかに、『賃金・価格・利潤』は簡易なパンフではなく、きちんと理解するにはエネルギーがいりますが、自ら提起することで、いつもよりはかなり勉強になったと思います。

【Y】

 労働者階級自己解放ということをはっきり貫いて『賃・価・利』を読むのが重要だと思いました。そうすると、提起にあった「労働者の究極的解放を根幹にすえる」とか「資本との日常闘争」などの意味が、自分の中ですごくはっきりしたような気がしました。
 究極的解放を実現するのは労働者自身であり、そこからとらえ返して、組合的団結をつくり出しながら資本との日常闘争を闘う。それを実践しているのが動労千葉であり、その対極に連合や全労連の指導部がいるということ!
 現場の労働者(組合員)がもっている怒りや力に徹底的に依拠して闘うのか否か、をめぐって、4大産別決戦を闘っているし、現場の闘いに依拠し自らも闘うなら、絶対勝利できると確信した。動労千葉がすごいのは、そうやって実際に資本・国家権力と闘い、勝利してきているところだと思う。

【H】

 今回、第3回目は、圧巻だった。
 前2回は、商品の価値と労働力を、剰余価値論として、資本主義の構造をわかりやすく逐条的に整理した。3回目は、その中で、労働時間の延長に対する闘争と賃金闘争は労働者階級にとって義務であるとした上で、「労働の強度増大と賃金」の引用の中で、資本に対する労働者のギリギリの抵抗として、労働日の法的制限が提起される。
 そこから、標準労働日の創造の闘いについて展開される。この中で、マルクスの「労働の価格について資本家と争う必要は、自分を商品として売らなければならない彼らの状態に内在する」という提起は、重要だと思った。
 ここらの内容は、マルクスが労働者階級へ移行する、主体化し、実践の中で共同綱領にするような、おそるべき内容と受けとめた。
 そして、結論的には、労働組合は、資本の侵略に対する抗争の中心として立派に作用する。今日的には、この提起を実践的に深め、大きな勝利へ転換することだと思う。

【O】

1)今回(『賃・価・利』全体)の学習会の直接テーマは、「資本主義の賃金制度」の革命的暴露であり、労働力商品化の非人間性を全面的に明らかにした。賃金闘争の重要性とともに、究極的勝利の立場に立ったたたかいの死活性を鮮明にさせた。
2)労働者階級の団結という課題の決定的確認は、革命的主体の第1の確認でもある。
 帝国主義の日常的な攻撃は、一言で言って、プロレタリアの団結破壊攻撃としてあること。逆に、われわれが革命的団結の立場に立ちきりたたかうことを絶対に要請されていることを改めて確認した。
 このこととの関連で、情勢の認識(=労働者階級への「犠牲の転嫁」)の一致は、団結形成のたたかいの第一歩であることも確認する。
3)労働組合の革命的位置づけで再武装し、組合(運動)を基底にしたプロレタリア階級闘争論、党建設論を深めていくことも、われわれの大なる課題であることを痛感した。
4)結論的に、動労千葉労働運動論の立場に立って、実践的確信を高めていくものとして、学習会と一体となって11月1万決起をたたかっていくことを確認した。

【K】

▽この間の労働組合論の革命論的確立の中から、われわれは、〈労働組合、党、ソビエト〉の関係を立体的にとらえ返してきた。その地平から、今一度、『賃・価・利』の賃金闘争論、労働組合論を読み返し、学び直していくことが、非常に重要だと感じました。
▽この間、『前進』の夏季特別号で、動労千葉労働運動が貫いてきた、“戦後労働運動を越えるもの”という中身が提起されてきているが、その内容は『賃・価・利』の提起そのものだと実感する。
 逆に言うと、レジュメp8にある、「分割・民営化」過程での体制内労働運動の総破産ということについて、きちんと今日的な議論の地平から総括していくことが重要だと思いました。

【F】

 『賃金・価格・利潤』の第3回の講義は、資本主義・その資本攻勢と根底的に対決する、労働組合の戦略的位置を鮮明にしています。
 資本主義とその生産関係において、資本家階級と労働者階級は絶対的対立関係にあります。本講義(学校)は、資本の蓄積とその運動は絶えず労働者(階級)の賃金を引き下げようとしているのであるから、労働者は闘わなくては生きていけないことを明らかにし、その労働者の闘いの中心として労働組合の戦略的位置を鮮明にしました。
 『賃・価・利』は、労働組合の闘いが、「その組織された力を労働者階級の究極的解放すなわち賃金制度の究極的廃止のためのテコとして使用しないならば、一般的に失敗する」と述べています。本講義は、この観点に立って、労働組合の闘い、その賃金闘争の中に労働者の究極的解放に向けた要素が内在していることを述べています。
 3回の講義をとおして、『賃・価・利』は『資本論』の内容をもって、マルクスが歴史的存在としての労働者階級の究極的解放の実践的指針を明らかにしていることを学びました。