第3課目 マルクス『賃金・価格・利潤』第2回講義概要 講師 岩谷芳之 今日は、『賃金・価格・利潤』の第7節「労働力」からです。 第7節 労働力●賃金とは「労働の価格」という不合理な形態略。解説本p71〜73参照。 ●労働者が売るものは労働力 労働者は、労働そのものではなく、労働力=労働する能力を資本に売る。 ●本源的蓄積=本源的収奪略。解説本p74〜76参照。 ●労働力の価値 労働力の価値も、それが商品である限り、他の商品と同じように、それを生産するのに必要な労働力によって規定されます。 ●賃金制度の上では「平等な賃金」はありえない 賃金制度の上では「平等な賃金はない」というのは、労働者が熟練を獲得する費用は職種や業種によって違ってくるということが現実的な根拠となっています。 第8節 剰余価値の生産●剰余価値の根拠労働力を再生産するために必要な労働の分量と、その労働力から引き出しうる労働の分量とは異なります。後者の方が前者より大きく、その差は資本家のものとなります。 ●具体例に基づく搾取の解明、階級関係の再生産 一人の労働者の日々の必需品の平均量は、その生産のために6時間分の平均労働を要すると仮定した場合、労働者は自分の労働力を再生産するために、日々6時間ずつ働かなければならない。 ●剰余価値率剰余価値率は、剰余価値と労働力の価値との割合として示され、それは剰余労働時間の必要労働時間に対する割合に対応しています。これこそが実際の搾取の比率を端的に表しています。 第9節 労働の価値●労働力の価値または価格は、必然的に「労働の価値または価格」として現れる 「労働の価値または価格」という形態は、真実を覆い隠すものですが、どうしてもそのように現れてくる必然性を持っています。 ●賃金労働 賃金労働(労働力の商品化)は、身分的人格的束縛のない「自由な労働」であり、また労働のすべてが支払われているかのような見せかけを持っています。しかし、賃金制度は、奴隷主や封建領主の搾取とは違う「自由」な形式のもとで、階級的本質を隠蔽しつつ支配階級としての資本家が労働者から「不払労働」=剰余労働を奪い取る形態です。 第10節 利潤は商品を価値どおりに売ることによって得られる「商品に含まれている労働の一部分は支払労働であり、一部分は不払労働である。だから、……正常的かつ平均的な利潤は、諸商品をその現実の価値以上にではなく、その現実の価値で売ることによって得られるのである」(岩波文庫版p82〜83) 第11節 剰余労働が分裂する種々の部分●地代、利子、産業利潤 剰余価値は、地代や利子などに分解し、剰余価値の一部が産業利潤または商業利潤として事業を行う資本家の手元に残ります。この産業利潤や商業利潤は、資本所有そのものから生まれる利子とは区別されて、事業を行う資本家が自分の努力や才覚で稼いだものと観念されるようになります。 ●企業資本家による剰余価値の搾取こそが賃金制度の軸点 マルクスは、地主、金貸し資本家、企業資本家への剰余価値の分配を明らかにし、資本主義社会の全体をとらえた上で、企業資本家による剰余価値の搾取こそが「賃金制度の全体および現存生産制度の全体の軸点である」(同p85)ことを確認しています。 ●もう一度ウェストン批判略。解説本p105〜109参照。 第12節 利潤・賃金および物価の一般的関係●賃金が減少すれば利潤は増大し、賃金が増大すれば利潤は減少する略。解説本p109〜112参照。 ●生産力が増大すれば1単位あたりの商品の価値は下落する略。解説本p112〜114参照。 これらを確認した上で、マルクスは、賃金をめぐる資本家と労働者の対立・抗争が、賃労働と資本との本質的矛盾から不可避となることを明らかにする展開に入ります。 (第2回講義了) |
◆今回の講義の強調点◆ −講師の発言より−私も、『賃金・価格・利潤』や『賃労働と資本』を初めて読んだときは、労働と労働力って何が違うのかと理解に苦しみました。「大して違わないんじゃないの」っていう議論にだってなりますよね。その時は、「労働力」というのは、搾取ということを説明するためにインテリが考えついた概念装置みたいに思っていたところがあった。だけど、よく考えてみたら、「労働者が売っているのは労働力だ」というのは、学者が論理を追求して発見したことではなくて、労働者の置かれている現実そのものを言っている。そこに現実の階級関係が端的に示されていると同時に、支払労働と不払労働、つまり剰余価値の搾取が解明されるキーポイントになっているということです。 |
●生徒1 マルクスは、資本主義の賃金制度のもとでは、平等な賃金はありえないって言っているわけだけど、一方では、同一労働同一賃金っていうことがある。で、同じ職場で働いていても、正社員と派遣じゃ給料は違う。韓国ではそのことが問題になっている。この現実との関係は? ●講師 平等な賃金ナンセンスっていうのは、別に、格差を変えるために闘うってことを全然ナンセンスだ、賃金制度を廃絶しなきゃどうしようもないんだっていうことじゃない。 ●生徒2 全体の力関係が変わればっていうのは確かにそうなんですけど、やっぱり今、自分がそこにいる職場でどう資本との力関係を変えていくかっていうところが、やっぱり一つあると。で、派遣の実体的中心は青年労働者で、働いても生きていけないという死活的な状況の中で、無断欠勤とか、集団でサボタージュするとかいう形で反乱がおこる。組合的に団結して、会社に対して賃上げを要求するとか、ストライキやっちゃうとか、そういうふうには簡単にはならない。でも、できればそういうことをしたいっていうことは、間違いないと思うんですよ。そういうところにもう来ている。その場合に、賃金とは何かっていう問題は、結局、賃金闘争とはどうあるべきなのかっていうことだし、職場闘争を労働者はどう闘うべきかっていうことです。マルクスはその理論的基礎になるようなことをここで展開しているんじゃないかなって、僕は非常に思ったんです。だから、同一労働同一賃金っていうのを高木みたいに解釈したら、ほとんど高木は死ねっていう感じですね。 ●講師 使う言葉の中に込めた気持ちはいろいろとあるわけだから、同一労働同一賃金っていう言葉を使ったから連合と同じだとは決めつけられない。 |
受講レポートから ★『賃金・価格・利潤』第2回のレポートです【C】 やはり「労働者が売っているのは“労働”ではなく“労働力”」というのは簡単に理解してもらうというのは難しいと考える一方で、しかし現実の労働者なら必ず理解できると思える。 【Y】 「賃金とは何か」を明らかにすることは、「労働者階級は賃金闘争をどのように闘うべきか」を鮮明にさせることと同義であると思った。今回の学習会でとりあげられた「第7節 労働力」〜「第12節 利潤・賃金および物価の一般的関係」のくだりも、そのような問題意識を貫いて読んでいくことが重要だと思いました。 【E】 資本主義的搾取が、正当な契約のもとで、合法的に行われていることが、資本主義社会を成立させている根本的原理である。奴隷的・農奴的搾取が、形態を変えたものに他ならない。 【N】 『賃・価・利』で、賃金とは何か?ということは労働と労働力の違いをハッキリさせることを通じて大きな意味を持ってくるが、結論的には搾取社会という本質があり、それが賃金制度という形を軸にあらわれている。従って、労働者の階級的団結もここを最深の理論的根拠にすえることが可能かどうかにかかってくると思います。その意味で、今日における非正規雇用の問題は大きい。正社員との団結をいかにかちとっていくのか、ということだ。また、講師が提起した問題も意義深い。つまり、国鉄における国労闘争団と本隊労働者の団結がカネを巡って崩れている。 【F】 ウェストンらは資本主義社会を自然現象のようにみていて、資本主義社会の生産様式が賃労働と資本の絶対的対立関係にあることをとらえていなかった。ウェストンは資本家に対して、賃上げの闘争をしても意味がないのだと主張した。マルクスはおおいに賃上げ闘争をやるべきである、とウェストンを丁寧に批判したのです。 【O】 1)今日の学習会は『賃・価・利』の核心中の核心である「労働と労働力」の違い、「労働力商品化」(=資本の搾取)について徹底的に明らかにした。労働力の商品化こそが資本の非人間性、反社会性、反労働者性、反階級性の根源であることを暴きだした。 【H】 結論的に、マルクスが労働者、労働者階級とはどういう存在なのかを、賃金、職場の実態にもとづいて相当に力をこめて説得していること。これはマルクスの闘いなくして出来ないことを、かなり真剣にうけとめなければならない。 【K】 今日の提起では、「第8節 剰余価値の生産」という所を、階級全体に、いかにバクロしていくのかということが、中心問題である、ということをとらえ返したことが重要だった。 |