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2006年08月号党学校通信

党学校機関紙 A4判月1回発行 頒価100円

今月の内容 マルクス『賃金・価格・利潤』@

第1回 講義概要 P1-3

★-講師の感想/Q&A P4

受講レポート P5-8

★一言解説 P8 

2006年12月号
通信 バックナンバー
党学校通信 p1-3 講義概要

第3課目 マルクス『賃金・価格・利潤』

第1回講義概要  講師 岩谷芳之  

今なぜ『賃金・価格・利潤』を学ぶのか

●マルクス主義の「労働組合原論」

 『賃金・価格・利潤』は、マルクスが労働者階級の基礎的団結体である労働組合と、労働組合の日常的闘争の中心課題としての賃金闘争=経済闘争の意義を正面から論じた書物です。
 マルクスは、労働組合が資本との日常的攻防を貫かなければ労働者の究極的な勝利をかちとることはできないということと、資本との日常的攻防戦は労働者の究極的勝利のための闘いと結合してこそ貫徹することができるということを、併せて提起しています。
 これは、動労千葉が常々、「職場から資本と闘う。団結を固め職場支配権を奪い返す」とともに、「労働組合は天下国家を論じなければならない」と訴えていることにも通じます。

●労働運動再生に向けての核心的テーマ

 ウェストンが主張したような「賃金闘争は労働者階級にとって有害無益」という主張は、今でも労働運動の実践に踏み込めば、必ず激しい論争の焦点となるテーマです。
 その主張を理屈づけているウェストン自身の「論拠」には、奇妙なものが多々含まれています。しかし、「賃金闘争は労働者に犠牲をもたらすだけで有害無益」という彼の結論自体はどうでしょうか。例えば、職場で「本気で資本に賃上げを要求し、ストも辞さずに闘おう」と訴えれば、既成の労組幹部は「今はストで賃上げをかちとれる時代ではない」と必ず闘いの圧殺に乗り出してくるでしょう。職場の仲間同士の間でも、賃上げを求めて資本と闘うことの是非は、激しい論議の的になるだろうと思います。
 「なぜ労働組合は賃金闘争を闘うべきなのか」を明確にすることは、労働運動の階級的再生にとって根本的なテーマなのです。
 今日、小泉政権下で激しい民営化・規制緩和、首切り・リストラ、賃金切り下げの攻撃が進んでいます。こうした現実は、激しい資本攻勢に原因があることはもちろんですが、この攻撃と闘うことを放棄した労組幹部の屈服によっても、もたらされたのです。ですから、「格差社会」を覆す最大の方針は、労働組合が労働組合らしく賃金闘争を闘いぬくことにあるはずです。
 ところが連合は、賃上げ闘争を労働組合の主要な課題とは認めていません。例えば、「21世紀連合ビジョン」には、「賃金・処遇制度について……『評価』の透明性、公平性、公開制を高めることが最も重要」とか、「個々人の能力や成果を公正に評価する……開かれた明確な賃金制度」の確立を求めると書かれています。これは、本質的に言えば「合理的な」賃金制度=賃金奴隷制度を求めるものであって、資本への屈従にほかなりません。

●同志的に討論を進めたマルクス

 ところで、マルクスが論戦の相手としたウェストンを、連合幹部と同列に扱うことはできません。
 資本による「プロレタリアートの上層部の買収」は、帝国主義段階に入ってから進行した事態です。ウェストンはいわば「善意」で「賃金闘争は労働者に犠牲をもたらすだけだ」と主張したのです。その主張は決定的に誤っていますが、それは労働運動の勃興期における労働者階級の未成熟の表れと言うべきものです。ですからマルクスも同志的に討論を進めています。

ウェストンの議論の誤り

 解説本 第1章 

 ウェストンの議論をごく簡単に言ってしまえば、「名目賃金が上がっても物価が上昇するから実質賃金は変わらない」ということです。
 この背後には、「商品の価格はその商品を生産した労働者の賃金によって決まる」という考え方があります。「賃金を10とし、利潤率を賃金の100%とすれば、資本家は10をつけ加える。地代の率も賃金に対して100%とすれば、さらに10がつけ加えられる。その商品の総価値は30となる」(岩波文庫版p51)という考え方です。
 他方でウェストンは、実質賃金を問題にします。実質賃金とは、「支払われた名目賃金で買うことのできる諸商品の量」のことです。それは、諸商品の価格によって変わりますから、「実質賃金の大きさは諸商品の価格によって決まる」ということになります。
 つまりウェストンは、一方で「労働の価値が諸商品の価値を決定する」と言い、他方で「諸商品の価値が労働の価値(=賃金)を決定する」と言っているのです。これでは、商品の価値が何によって決まり、賃金の大きさがどう決まるのかは、まったく不明です。

商品の価値は何によって決まるのか

 解説本 第2章「六、価値と労働」

●経済学の根本問題

 ウェストン批判をとおして、マルクスはここで積極的に「商品の価値とは何か」「それはどう決定されるのか」(同p54)という根本問題を提起します。
 一商品の価値・交換価値とは、「その商品が他のすべての商品と交換される量的比率」(同p55)を意味します。
 例えば、1gの小麦の価値は
  1gの小麦=0.5`の鉄
  1gの小麦=30個のみかん
   …………
というように、ほとんど無限の他の商品に対する交換比率として現れます。
 しかし、これらの式はいずれも「1gの小麦の価値」という同一物の表現にほかなりません。ですから、1gの小麦の価値は、1gの小麦に内在するものであるはずです。
 「1gの小麦=0.5`の鉄」という表現に即して言えば、1gの小麦の価値と0.5`の鉄の価値は、小麦でも鉄でもないある共通の実体(「内在する第三のもの」)に等しいことを表しているのです。

●商品の価値は、その生産に要した社会的労働の大きさで決まる

 生産された物の自然的性質はさまざまですから、「共通の実体」は社会的なものであるはずです。それは労働、しかも社会的労働としての労働です。
 だから、諸商品の価値は、それに費やされた社会的労働の分量によって決まります。その分量は、労働の継続する時間によって測定されます。
 ここで言う社会的労働とは、「商品を生産するためには、人は何らかの社会的欲求を充たす品物を生産しなければならず、彼の労働そのものが社会によって支出される総労働量の一部分をなさなければならない。それは、社会内の分業に従属していなければならない」(同p57)労働のことですが、同時にそれは、「与えられた社会状態において、一定の社会的平均的な生産条件のもとで、使用される労働の与えられた社会的平均的な強度および平均的な熟練で、その商品を生産するに必要な労働」(同p62)でもあります。

●価格は価値の貨幣的表現

 では、価値と価格の関係はどうなっているのでしょうか?
 貨幣商品としての金(銀)の物量で表現された諸商品の価値を価格と言います。貨幣商品としての金の価値も、その生産に費やされた労働の量によって決定されます。その金が、貨幣商品として、その物量によって他のあらゆる商品の価値を表す一般的な等価物となるのです。
 そして、商品(関係)そのものの矛盾から自生的・自己展開的に、必然的産物として生み出された価値の貨幣表現を通じて初めて、「全面的な物々交換」である資本主義的な商品交換が成立するようになります。
 この商品交換の場面では、すべての商品は、平均的には、その価値どおりの価格(「自然価格」)で売られます。
 そうすると、さまざまな事業の恒常的な利潤が、諸商品をその価値以上の価格で売ることから生まれると考えることはできません。これは一見すると、日常的経験から得られる認識とは食い違っているように見えます。
 そこでマルクスは、商品をその価値どおりで売ることによってなぜ利潤が得られるのか、という仕組みの解明に向かいます。    (第1回講義了)

党学校通信 p4 講師の感想/Q&A Q&A

講師の感想

 今回、党学校の講師を初めて務めさせていただきました。私自身、改憲阻止闘争と4大産別決戦下での労働運動・労働組合運動の実践的立場から『賃金・価格・利潤』を読んだらどうなるのかという問題意識でレジュメを準備し、講義に臨んだのですが、討論やレポートで、受講者の皆さんそれぞれから「労働者の問題意識に即した提起を」「現場的な話と結びつけた内容を」と指摘されています。それは、新指導路線の実践者としてマルクス主義を原点からとらえ返したい意欲と受け止めています。実際に講義を行って、実に学ぶことが多いと実感しています。
 また、『賃金・価格・利潤』は、「マルクス経済学の入門書」のように読まれることが多いのですが、『資本論』を前提としないで読むと、実はそれほど簡単に理解できるテキストではないというのも率直な実感です。
 しかし、労働組合運動を実践する立場、労働者階級を自己解放の主体として階級的に形成していく立場から『賃金・価格・利潤』を読み返した時、そこからは豊富なものを学び取ることができるはずです。私もさらに努力して、皆さんとともに意義ある学習会をつくりだしていきたいと思います。


Q&AQ&A 受講レポートの質問に答えます。(事務局)

Question Question  【F】

 ある商品は他の商品の使用価値によって、自らの価値(社会的労働量)を表現するのですから、ある商品に何時間の労働時間が対象化されているかということは、他の商品によって間接的にしか表現できない、ということでよいのでしょうか?

Answer Answer

  商品の価値はあらかじめ前提ではなく、交換(購買=販売)の結果として「実証」されるしかないものです。価値の実体は確かに「社会的労働」ですが、厳密には、それが表現されるのではありません。商品価値は〈他の商品の一定量と等しいあるもの〉としてしか表現できないのです。「社会的労働」を直接に把握できるのは、社会的な仕方(私的生産を止揚した共同的生産の中で)においてのみです。

Question  Question 【G】

 マルクスとウェストンの議論の時代背景として、「イギリスのスト破りに、フランスやベルギーの労働者が送り込まれるような事態」があったと説明されているが、このことがウェストンの立論に相当の影響があったのだろうか?

Answer Answer

 それとウェストンの主張は直接関係はないでしょう。ウェストンの主張の核心は、正しい賃金制度による根本的社会改革(それによる労働者救済)ということです。労働者の国際的連帯それ自身は、当時の社会主義者や第1インターの関係当事者にとっては、共通の考え方であり、前提です。しかし、ウェストンらは階級的国際連帯の意味をブルジョアジーとの闘いとして突き詰めて考えてはいなかったでしょう。

党学校通信 p5-8 受講レポート

受講レポートから  ★『賃金・価格・利潤』第1回のレポートです。

【T】

 講師の方には失礼になると思いますが、今日のお話の中では、レジメp1〜4の冒頭部分の内容が面白く感じました。これは決して「テキスト本文の学習が初めてでない為、私の興味が薄れている」からではありません。
 労働現場で、平場で働く仲間、組合員へどの様に今日的な資本の論理=賃金制度の矛盾やその廃止に向けた必要性を訴えて行くのか−という視点に立って学び取る目的でお聞きしたからです。もちろん、その目的を達成するためには、テキストを一文一句読み解く作業は大事であります。そのテキストを理解する上でも、繰り返しになりますが、冒頭の講義は学ぶ内容に満ちていたと思っています。
 テキストの解説、講義については、もう少し、現場的、職場的な話と結び付けた内容にして頂きたいと思います。次回以降、楽しみにしております。

【D】

 今までになく面白かった。自分のバイトや職場での経験をどう説明するのかでギロン。自分がスッキリきたのはブルジョアジーはもうけられればいいと思っているということ。価値がどう決定されているかなど、どうでもよいと思っているということ。労働者階級は、こうしたブルジョア学者も含めて論破して、搾取構造を怒りをこめて断罪し、自分達の労働こそが社会を動か

 しているという誇りを取り戻していく。そのためにとっても重要な内容だった。
 当時ストライキがガンガン闘われている中で、それに対して「やる意味はない」と反動が出て来た場面。いや、闘うことは正しいのだ!と理論的に突破したことが第一インターを守り抜いた。すごい闘い。今、連合が闘わない中で、現場労働者が困難にぶちあたっているこの時、それを一発で突破する内容と理論的力を持つことが絶対に求められるということだと思う。
 討論で出しきってやりきったのであまり書くことがなくなりました。

【H】

 『賃金・価格・利潤』を逐条的に学習する事が出来ることを何よりも、喜びとしたいと思いました。
 とくに、討論では、ウェストンの「賃金をベースにして商品をくみたてる」論に根本的にメスを入れて討議されたことは、格別の意義あるものと感想をもちました。

【F】

 1860年代、イギリス−大陸では労働者階級が決起していた。マルクスは、ウェストン(イギリス−大陸)の賃金(闘争論)を『賃金・価格・利潤』で批判した。闘う労働運動・労働組合をつくりだすために、第1インターで講演したのである。
 ウェストンは「賃金を上げれば、資本家は商品の価格を上げて取り戻すだろう」と言って、「賃金闘争をやっても無駄だ、有害だ」と。
 しかし、マルクスは賃金と商品の価格はそれぞれ別のことである。マルクスは階級関係を自然価格とみるウェストンらに、資本主義社会の細胞形態である商品−その商品価値とは何か、を提起して、商品の価値を構成する労働力の価値(−賃金・労賃)を明らかにした。マルクスは商品の価値とは何かを突きだして、資本主義社会を根本から解明し、労働者階級、その賃金闘争論と労働組合原論を明らかにしたのである。
 労働者階級は賃金闘争をおおいにやるべきだ。
 労働組合は、労働者の生活の労働条件を獲得する拠点である。労働者階級・労働組合は自らの解放を闘いとる中心である。

【C】

 ウェストン君の見解は、現代においても多少違った形ではあれ根強く残っていると思う。このウェストン君をどのように批判し、ひっくり返していくかの論理展開を再度理解していくことが重要というか核心だと思います。

【K】

▽(質問に出したとおり)レジュメp14にある「商品の価値とは社会的労働の大きさによって決まる」(=労働価値説)の意義を、自分なりにつかみ直せたことが、最大の収穫でした。
▽「何故、賃金闘争を闘うべきなのか?」という問題設定は、決定的に重要である。
 今の学生は、“キャリア・アップして、自分の価値を高めて、企業に、自分を高く売る”ことが、唯一の解答であると思わされている。大学は、そういう考え方を学生に対して、骨のずいまで叩き込む場になっている。多くの未組織の青年労働者も同じだろうと思うが。このへんのところを、根本的に、大きく社会的にひっくり返していくことの重要性を、今日の提起を受けて痛感しました。

【N】

 討論の中で労働価値説についての意見や質問が出ましたが、古くて新しい議論として活発な展開がされたと思います。とりわけ商品の価格は需要供給で決まるのか労働時間で決まるのか、という議論はどこに本質があるのか− −。これに対して、本質論と現象形態ということだけでなく、社会の根本的なあり方を捉えるのかどうかというところに本質的な違いがあるとのイケンが出ました。そのとおりだと思います。
 「商品の価値とは、単なる相対的な交換比率ではなく、その生産に要した社会的労働の大きさによって決まる」ということを強調することの意義をハッキリさせないと現場的には通用しないとつくづく思いました。
 古典派経済学が辿りついた地平を掘り崩すものとして新古典派経済学があったという話がありましたが、それは人間社会の原理を科学的に明らかにすることの否定としてあると思います。そういう意味でも、マルクスvsウェストンの議論は経済学の立場、マルクス主義の立場の原点をハッキリさせる重要なものだと思いました。

【O】

1)この「賃・価・利」を経済学の入門書として学ぶだけでなく、労働組合運動の原理・原則として戦闘的(=究極的勝利)労働運動の手本として学ぶこと。
2)われわれの新指導路線の核心として、組合運動の戦闘的カクトクとして死活的な闘いのテーマとしてある。したがって、賃上げ(=経済)闘争の最重要課題である。
3)11月労働者集会の1万決起の直接的たたかいとして具体的に経済闘争をいかにたたかうかが問題、提起されている。この立場を鮮明にし学習すること。(政治闘争と一体となったたたかいとして)
4)内容的展開については、
 a)レジメをどう作るのか。これは逆にどの程度理解しているかで決定される側面が強い。学習以外にはない。
 b)学習を「受ける」側からみれば、こうした疑問、質問を解き明かす判りやすいレジメにするか、ねりあげる。
 c)この両面から、三回の学習会で学ぶことが求められている。
5)やはり、討論の中から、大事な提起がなされた。
 このマルクスの提起で、「ブルジョア社会を解き明かし」、労働者階級の決起、カクトクを実現する、そうした決意をつくりだしている。それは、ただ1つの言葉ではなく、逆に全紙面から拾いあげることになるように学びとろう。

【G】

 商品の価値が社会的労働によって決定されるということを説明すること自体が、相当困難を要するということは、少なくとも以前には、生コンや鉄筋のトン当たりの値段が労賃も含めて設定されていた時代に比べて資本自体が全く余裕=余力を失っていることの現れではないのだろうか?
 ウェストンやマルクスの議論の時代には、「労働価値」説的な前提があったのだと思われる。

【A】

○「商品の価値とは何か?」という所に、「賃・価・利」の議論も、今回の学習会の議論も重きが置かれている。この議論は大切なのだろうけれど、労働者(とりわけ青年労働者)の問題意識に即して考えていくべきだと思う。今の青年労働者(学生も含めて)にとって、「自分の賃金は何で決まっているのか?」が最大の問題意識としてあるはず。「自分の価値」がないがしろにされているのが、今の青年労働者の現実。「我々がオルグした青年労働者・学生が、更に『賃・価・利』(やマルクス主義の理論)を武器として、オルガナイザーになる」ことを目指すのだし、ありのままの青年労働者は「モノの値段は何によって決まるのか」よりも、自分の賃金の方に興味(というより、切実な現実の問題意識)があるのは間違いがないのだから。今、9条改憲阻止署名を街頭で集めているのだけど、そこで青年労働者に聞いてみたいと思う。
○「党の革命」との関係で言えば、現場(とりわけ青年)労働者に、聞いてみたらいいのではないか。(バイトetcやっているにせよ)常任の問題意識とはズレなり、異なる視点なりもあると思うので。我々は「マルクス主義の復権」を掲げているが、訓話学をやっている訳ではないのだから。

【U】

1)導入部のところの説明。現在の賃闘をめぐる攻防から説明したのは良かった。
2)解説としては、本文の論理展開にそくしてのていねいな説明がされて、わかりやすかった。特に論争的展開から、本質的に導入するところの説明。
3)論理展開としては1〜5まではウェストン批判をきりくちとして、〈6〉が本質展開のはじまり。ここは価値論の結論。〈6〉が、労働価値説であるとともに、労働組合論、労働運動論の出発点としてすえた意義をはっきりとおさえること。

【M】

 前置きから、かなりわかりやすい語り口でよかったと思います。現実の闘いの立場からの問題意識で提起されていることもよい。
 ウェストンとのやり取りも、現在的には現実的でないものもあるが、あらゆる俗論に対して、それを徹底的に批判・解明する形で、階級的で科学的立場を確立していこうというマルクスの態度はあらためて学ぶべきである。
 商品の価値とは何によって決まるのか、ということについて、切り結ぶ形でひとつひとつ明らかにするやり方。資本論の作業を背景にした、確信をもった提起。その上で、「商品の価値は、社会的労働の大きさによって決まる」というひとつの結論から一気に核心に突入している。
 そして「利潤は商品をその価値で売ることによって得られる」という搾取の核心にふれる。
 次回以降の全面展開で、実際のたたかいの武器として使えるという実感である。現実の論争とつき合わせて議論を深めたい。

 

党学校通信 p8 一言解説 

一言解説

 『賃金・価格・利潤』は、1865年6月20、27日の第1インターナショナル中央評議会でのマルクスの講演。4月6日の中央評議会でウェストンが、@一般に、賃金を高くするという方法によって、労働者階級の社会的・物質的幸福は増大されるか? Aある業種で賃上げが行われれば、その結果、他の産業に悪影響を及ぼすのではないか? という問題を討議に付すことを求めた。まだマルクス主義が労働者階級のものではなかった中、生まれたばかりの労働者階級の国際的団結の存続、労働者階級自己解放の闘いの未来をかけて、マルクスは講演を行った。