ZENSHIN 2010/03/15(No2431 p06)  |









週刊『前進』(2431号1面1)(2010/03/15 )
1047名解雇撤回・外注化阻止!
沖縄米軍基地撤去・日米安保粉砕!
3・20大結集で民主党・連合政権倒せ

カリフォルニアに全学連の訴え響く 全学連訪米団はカリフォルニア大学バークレー校の全学ストと8㌔の大デモを共に闘い、到着地のオークランドで3千人の参加者に「ともに教育民営化粉砕を」と連帯アピールを行った(3月4日 オガワ・プラザ)=記事4面
国際連帯と反戦闘争の新時代を告げる歴史的な闘いが実現した。3・20イラク反戦7周年全世界一斉デモへの大結集の展望を、全学連が感動的に切り開いた。3月4日、全学連訪米団の6人の学生がカリフォルニア大学バークレー校の全学ストをともに闘い、100万人教育ゼネストに大合流したのだ。この地平を3・20大爆発へと転化し、国鉄1047名解雇撤回・外注化阻止、沖縄米軍基地撤去・日米安保粉砕、民主党・連合政権打倒をかけて、3・20代々木公園に総結集しよう。
全学連訪米と動労千葉スト
全学連の訪米団はカリフォルニア大学バークレー校の全学ストライキをともに闘いとり、そして8㌔のデモで到着したオークランドでの3000人集会で、訪米団全員が登壇して法政大学の洞口朋子さんが法大弾圧を報告し、「教育の民営化粉砕! 資本主義打倒の国際連帯を!」と熱烈に訴えた。日帝権力の2・5法大弾圧を打ち破り合流した洞口さんと全学連を、割れるような拍手と歓声が包み込んだ。
サンフランシスコでは州立大学教員のストライキが闘われた。現地マスコミは「全州で100万人以上が参加」と報じた。カリフォルニア以外の州200カ所以上でも連帯行動が取り組まれ、教育の民営化反対の歴史的大闘争となった。
法大闘争をひっさげた全学連訪米団は、アメリカ学生運動と熱い合流を実現し、時代認識と路線で白熱的な議論を行った。今回かちとられた日米学生運動の国際的な団結は、実にベトナム反戦以来の歴史的地平であり、大恐慌下の新たな国際連帯の発展である。
そして日本では何よりも動労千葉が、中野洋常任顧問(前委員長)を失った悲しみをのりこえて、怒りと不屈の決意に燃え3・12~14の第3波ストに立ち上がった。
国鉄1047名闘争解体と検修業務全面外注化・組織破壊の攻撃に対する、動労千葉のこの間のスト決起は、JR東日本の4月1日外注化実施計画を実力で粉砕し、逆に組織拡大をかちとる地平をつくり出している。今や当局・JR総連カクマルの制動や4者4団体派の転向・総屈服を打ち破り、青年労働者が雪崩をうって立ち上がる情勢が生み出されている。
だが国労本部と4者4団体派は、3与党と公明党、自民党、日本共産党などの密集した大反動―1047名解雇撤回闘争の最後的解体を狙った「和解案」を「白紙委任」でのみ、許し難い全面降伏を行おうとしている。1047名解雇撤回と検修外注化阻止は、国鉄闘争の生命線であると同時に、すべての労働者の重大問題なのだ。
今こそ1047名解雇撤回の解体策動に怒りを爆発させよう。動労千葉の3波にわたる不屈のスト決起に続き、国鉄決戦の爆発と勝利、大失業と戦争の民主党・連合政権打倒をかけて、3・20大闘争に総決起しよう。
労働者の団結で戦争阻止へ
現在、世界大恐慌の激化のただ中で、米帝と国際帝国主義のイラク・アフガニスタン侵略戦争が長期化・泥沼化している。危機にあえぐ米帝は、イランに対する侵略戦争の強行にさえ踏み切ろうとしている。
中東海域には複数の米空母機動部隊が常時展開し、中東を管轄する米中央軍は、イラン核問題に対処する軍事計画を作成し、イスラエルを使った大空爆も可能だとしている。イラク・アフガニスタンに続くイラン開戦―世界戦争危機激化の情勢に、全世界の労働者は団結して大反撃すべき時だ。
米帝オバマは「雇用創出」と「輸出2倍化」を叫び、保護主義と争闘戦=世界市場の再分割戦に訴え、他帝国主義を力ずくで粉砕する政策に踏み出している。これは侵略戦争激化と世界戦争への道だ。3・20の労働者の国際的団結で、戦争を阻止するために闘おう。
オバマは、一般教書演説で4年ごとの国防政策見直し(QDR)でも「対テロ戦争強化」を強調し、「アフガンとイラクの二つの戦争で勝利をおさめる」と宣言した。しかし米軍のイラク完全撤退・権限移譲が計画どおりに実施できる展望はほとんどない。アフガンでもオバマは、「アフガンは『第2のベトナム』という声がある」「タリバンが盛り返してきている」と危機感と恐怖を募らせながら、大規模な掃討作戦を強行し、許し難い人民大虐殺を繰り返している。
昨年12月1日のオバマのアフガン新戦略演説は「私は最高司令官として3万人の増派を決めた」で始まっている。わずか半年で3万人の増派は、ブッシュがイラクでやった作戦と同じだ。いや特にアフガンで、ブッシュ以上に凶悪な戦争を拡大している現在の最高司令官こそ、オバマなのである。
だが米帝はもはや、志願兵制度も戦争継続能力も維持できなくなっている。体制崩壊の危機だ。その原因はこれらの戦争がまったく不正義の侵略戦争だからだ。しかも帝国主義の侵略戦争は、国内では労働者への階級戦争を激化させる。大恐慌下の外への侵略戦争と内への階級戦争に、労働者の職場生産点と街頭からの決起で大反撃をたたきつけよう。
沖縄闘争は安保を揺るがす
1995年の米兵による少女暴行事件とSACO(沖縄に関する日米特別行動委員会)最終報告以来の米軍基地撤去・辺野古新基地建設阻止の闘いは、いまや決定的段階を迎えた。それはついに日米安保体制そのものを揺るがし粉砕する地平をたぐり寄せた。
普天間基地即時閉鎖・辺野古新基地建設阻止の闘いを、大恐慌下の新たな米軍基地撤去=沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒の闘いとして発展させ全力で闘い抜こう。3・20はその大闘争だ。
「普天間問題は日本による米軍基地供与を規定した日米安保条約6条の核心に行き着く。実現できないなら条約自体の信頼性にかかわる」(米戦略国際問題研究所のマイケル・グリーン)。「移設が白紙化して普天間飛行場が現状のまま固定化した場合、沖縄で全軍事施設を対象とした抗議活動に発展する危険性がある」(鳩山首相のブレーン・岡本行夫)。まさに普天間問題は、日米安保の土手っ腹をうがち、射抜いているのだ。
「日米密約問題」の核心は、安保条約6条に関わる米軍の世界的展開と基地自由使用(朝鮮有事体制や前方展開戦略)を、沖縄や横須賀などへの「核持ち込み」を始めとした密約によって維持・保障してきたということだ。レーニンも言うように秘密外交は戦争を不可避とする帝国主義の本質的手段であり、密約は日米安保同盟そのものなのだ。
だが、鳩山政権が労働者人民をペテンにかけ闘いを抑えつけるつもりで日米安保の根幹をなす普天間と「密約」の問題に手をつけたことは、逆に墓穴を掘るものだ。「沖縄県民の意思など斟酌(しんしゃく)する必要はない」という民主党・連合政権による労働者階級への居丈高な挑戦に、3・20で激しい怒りをたたきつけよう。
普天間移設問題が、あたかも沖縄基地の縮小計画であるかのように宣伝されている。だが逆だ。沖縄基地は侵略最前線基地として再編強化されるのだ。基地移設は普天間の代替ではなく、まったく新しい巨大な侵略出撃基地の建設だ。米QDRでは米軍再編について「在日米軍の長期駐留」と「地域の安全保障活動の拠点としてのグアム」の双方を確かなものにすると明記しているのだ。
「不安定の弧」に対する軍事的な要=最大拠点としてのグアム基地を、沖縄海兵隊などの移設で圧倒的に強化し、在日米軍を侵略戦争の「前方駐留」と位置づける。こうして日米安保同盟を使ったアジア・中東支配を強め貫徹しようとしているのだ。
米帝オバマは、小沢・鳩山の「米軍駐留なき日米安保」「緊密で対等な日米同盟」「東アジア共同体構想」の対米対抗性に激しい危機感をもち、「在日米軍の長期駐留」を強調している。しかし米軍再編も米帝の世界支配も、半分は日米同盟に依存しているのだ。それを今や沖縄闘争が揺るがしている。まさに必要なのは安保粉砕と革命だ。
沖縄基地の「県外・国外移設」の議論は、「基地=戦争」「日米安保=戦争」という核心をぼやかす害毒そのものだ。全世界の労働者階級と団結し、沖縄米軍基地撤去と日米安保粉砕へ、3・20大闘争に決起しよう。
3・20代々木公園大集会と渋谷デモへ、職場生産点とキャンパス・街頭から大結集をかちとるために、青年労働者・学生を先頭に、残る1週間を総力で闘おう。
2・25千葉地裁闘争に続いて3・16成田市議会闘争に決起し、団結街道廃道化粉砕・市東さんの農地死守を真っ向から掲げ、3・28三里塚現地大集会へ全国から総結集しよう。
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週刊『前進』(2431号1面2)(2010/03/15 )
中野洋 動労千葉前委員長の逝去を悼む
2000人が集い葬儀盛大に
動労千葉の中野洋常任顧問(前委員長)が3月4日、逝去された。享年70。その未完の遺志を継ぎ、勝利まで闘うことを誓う。
4年にわたる壮絶な闘病の末、中野顧問は旅立った。病苦を押して常に階級的労働運動の発展に心を配り、労働者階級解放の実現に思いをはせてきた中野顧問は、逝(い)く直前まで後進の指導に余念がなかった。
労働運動の傑出した指導者である中野顧問を失ったことは、あまりに無念だ。中野顧問には、思い残すことが幾多もあったに違いない。
しかし、今われわれは、労働者階級の解放を願ってやまなかった中野顧問の遺志を真に実現する決定的な情勢に立っている。世界を覆う大恐慌のただ中で、資本主義はついに終わりの時を迎えている。激しい敵愾(てきがい)心をもって動労カクマルと対決し、動労千葉の分離・独立をかちとり、国鉄分割・民営化という未曽有の攻撃に立ち向かってきた中野顧問の闘いとその指導が、今日の時代を迎え撃つわれわれの陣形と団結を築き上げている。
だからこそ、われわれはひとときも立ち止まるわけにいかない。階級的労働運動を発展させ、プロレタリア世界革命の勝利に突き進む。それが中野顧問にこたえる道だ。
中野顧問は、反合理化・運転保安闘争路線を基軸に団結する動労千葉と、その動労千葉を手本に労働運動の階級的発展をめざす全国労組交流センターを始めとした「動労千葉派」「11月集会派」というかけがえのない遺産を残した。その連帯は、海を越え国際的に発展している。
今、国鉄決戦を基軸とする階級決戦は、激烈な攻防の渦中にある。1047名闘争解体の攻撃が襲いかかる一方で、動労千葉を先頭とする階級的労働運動勢力は、JR東日本の検修外注化と全面的に対決し、労働者の総反乱に向けた突破口をこじ開けている。この闘いが勝利へと着実に発展していることを見ながら、中野顧問は逝った。
労働者を誰よりも愛し、労働者のもつ可能性に最大限の期待をかけていた中野顧問は、愛情を持ってわれわれを時に厳しく叱咤(しった)してくれた。その中野顧問は、労働者を酷使し搾取する資本や、労働者を蔑視し敵対する反革命を人一倍憎んでいた。
われわれは、中野顧問の遺志を全面的に引き継ぐ。中野顧問の逝去に小躍りするような反革命分子は震撼(しんかん)するがよい。その浅薄な思惑など、粉みじんに打ち砕かれるであろう。
中野顧問の逝去という形で、時代はわれわれに新たな試練を課した。だが、われわれは中野顧問の不屈の精神に導かれ、必ず勝利を切り開く。
故人の遺志継ぎさらなる闘いへ
7日の通夜と8日の告別式に、2000人を超える人びとが弔問に訪れた。労働者を心から愛し、信頼していた故人の人柄が、これほど多くの人びとを引きつけたのだ。海外からも多くの仲間が参列し、中野顧問の旅立ちを見送った。
葬儀委員長を務めた動労千葉の田中康宏委員長は、労働運動にすべてをささげた故人の人生を振り返り、労働者階級解放に向けて変わらぬ夢を追い続けた故人の遺志を引き継ぎ闘う決意を万感の思いを込めて表明した(2面に掲載)。
三里塚芝山連合空港反対同盟の北原鉱治事務局長が弔辞を読み上げ、「車の両輪として闘ってきた動労千葉と三里塚反対同盟のきずなは切っても切れないものだった」と故人の足跡を振り返り、「三里塚はあなたの遺志にこたえ必ず勝利します」と、一言一言をかみしめながら遺影に向かって語りかけた。
韓国から駆けつけた民主労総ソウル地域本部指導委員のコジョンファンさんは、「国家を越えて労働者はひとつだということを実践しようとしたのはまさにあなたでした」「あなたの大志は常に私たちの心の中にあります」と弔辞を述べた。海を越えて、中野顧問は労働者に慕われた。
参列者はそれぞれに花を手向け、故人との最後の別れを惜しんだ。中野顧問の遺志を胸に刻み、その思いを必ず実現すると厳粛に誓い合った。
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週刊『前進』(2431号1面4)(2010/03/15 )


日程 3・28三里塚全国総決起集会
「第3誘導路」計画粉砕! 団結街道廃止許すな!
現闘本部の破壊を阻止し、市東さんの農地を守ろう!
改憲阻止・軍事空港建設粉砕!
3・28三里塚全国総決起集会
3月28日(日)正午 成田市天神峰 反対同盟員所有地
主催/三里塚芝山連合空港反対同盟
【会場への行き方】JR成田、京成成田駅からタクシーで「東峰十字路」まで約2500円。車は成田インターから国道295号線に入り芝山町(空港)方向、日航ホテル手前で小見川県道を小見川方向へ。
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週刊『前進』(2431号1面5)(2010/03/15 )
日程 イラク反戦7周年全世界一斉デモ
〈改憲・戦争、民営化・外注化、労組破壊>攻撃粉砕!
国鉄1047名解雇撤回―沖縄の怒りで鳩山政権ぶっ飛ばせ!
3・20ワーカーズアクションin渋谷
3月20日(土)午後1時 東京代々木公園B地区野外ステージ
主催/ワーカーズアクション実行委員会
※集会後、渋谷デモを行います
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週刊『前進』(2431号2面1)(2010/03/15 )
労働者を愛し労働運動にかけた生涯
中野さんの遺志継ぎ労働者解放を誓う
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国鉄千葉動力車労働組合結成大会(1979年3月30日) |
全国労組交流センター第1回総会。右は佐藤芳夫さん(94年2月19~20日)
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動労千葉の中野洋前委員長の通夜と告別式には、動労千葉の組合員やOBはもとより、11月全国労働者集会をともに闘ってきた全日建運輸連帯労組関生支部や全国金属機械労組港合同を始めとする広範な労働組合、さらに三里塚芝山連合空港反対同盟を始めとする闘う人民など全国各地から実に多くの人びとが参列した。固い国際連帯の絆(きずな)で結ばれた韓国・民主労総ソウル本部のイジェヨン指導委員、コジョンファン指導委員らも駆けつけた。あらためて日本階級闘争と戦後労働運動における中野さんの存在の大きさを実感させた。葬儀委員長を務めた田中康宏動労千葉委員長のあいさつ、三里塚反対同盟の北原鉱治事務局長と民主労総ソウル本部のコジョンファン指導委員の弔辞、会場で朗読された海外からの2通の弔電を紹介します。(編集局)
葬儀委員長あいさつ 中野顧問の“見果てぬ夢”引き継ぎ 国鉄千葉動力車労働組合委員長 田中康宏さん
本日は、お忙しい中を参列いただきましてまことにありがとうございます。故人は、自分の近くに人を集めて話をするのが何よりも大好きな人でしたので、今日は本当に喜んでいることと思います。
実は4年少し前に胆管にガンが発見され、医者には手術もできないと言われました。「年内には起きられなくなるでしょう」というのがその時の医者のご意見でした。それから4~5年間、私はそばで見ていましたが、本人は本当に頑張ったんです。
中野顧問にはやりたいこと、やらなければいけないことが頭の中にはまだまだ山ほど詰まっていて、見果てぬ夢がいっぱいあったと思います。1959年国鉄入社ですからちょうど半世紀、労働運動にすべての人生を捧(ささ)げた人でした。労働者が大好きで、泣き、笑い、怒り、こういう一人ひとりの労働者が本当に大好きで「労働者が団結した時には何でもできるんだよ」と言い続けてきました。労働組合というのは本当に素晴らしいものなんだ、だから自分は一生これに人生のすべてをかけるんだ。これが彼の生き方でした。
でも現実の労働組合はそうではないということに本当に烈火のごとく怒り、この現状を変えるために50年間、半世紀を費やしました。いわばその結晶が動労千葉です。
ですから動労千葉は、中野顧問のあの人情深さ、人なつっこさが乗り移って、本当に人間くさい家族以上の団結をした労働組合になりました。僕は中野顧問が残してくれた動労千葉が、本当に他の何にも代えがたい宝石だと思ってずっとやってまいりました。
本人は国鉄に就職してからちょうど半世紀、やれることをやり尽くしたと思っているんです。あと、彼の見果てぬ夢は、残された私たちが引き継ぐ決意でおります。
まだまだ私は、本当に中野顧問の足元にも及びません。でも、中野顧問がやってきたことを一つも割り引かず、それに付け加えることもなく、同じことをやり続けたい。私たちが願っていることは、社会のすべてを動かしている労働者が胸を張り、一歩でも前に進み、明るい顔をすることです。それだけを目ざして顧問の遺志を引き継ぎたいと思っています。
労働運動に本当にすべてを捧げた方ですから、ご家族には本当にご迷惑をかけながら組合員に尽くしてくれました。私からもお礼を申し上げたいと思います。
本日は本当にありがとうございました。
弔辞 あなたが心砕いた三里塚は勝利する 三里塚芝山連合空港反対同盟事務局長 北原鉱治さん
中野洋さん! あなたの突然の訃報(ふほう)に大変驚いています。「早すぎる! もっともっと長く生きてほしかった」というのが率直な気持ちです。本当に惜しい人物を亡くしたと残念な思いでいっぱいです。
思えば、あなたとの出会いは三里塚闘争が始まった翌年の1967年でした。それ以来、動労千葉と空港反対同盟は「車の両輪」として固い絆のもとで今日まで闘い続けてきました。とりわけ、ジェット燃料貨車輸送阻止闘争のときには、当時の委員長であった関川さんと書記長であった中野さんの3人で深夜2時ごろまで闘争をめぐって真剣に語りあったことを鮮明に覚えています。「労働者には労働者としての闘いがある。労働者が職場を追われることは、農民が農地を奪われることと同じ。労働者の闘いと農民の闘いは一体のものだ」と、お互いの共闘関係を深めました。そして動労千葉の労働者のみなさんは鉄路を武器に、ストライキでジェット燃料貨車輸送阻止闘争に決起し、5名もの解雇処分攻撃を受けながらも三里塚闘争をわがものとして闘い抜かれました。この歴史的闘いを契機にして反対同盟と動労千葉との絆は切っても切れないものとなりました。
しかしこの闘いに対して動労本部が「三里塚闘争との絶縁」を迫り、あらゆる妨害や破壊攻撃をかけてきましたが、これを断固としてはね返して動労千葉は本部からの分離・独立をかちとり、労農連帯を不動のものとして今日まで闘ってこられました。労働者の皆さんは「一人は万人のために、万人は一人のために」を実践して、仲間を絶対に見捨てない、裏切らない闘いを資本・国鉄当局と真っ向から対決して貫いて来られました。私たち反対同盟も国家権力と不屈・非妥協で「空港絶対反対・農地死守、実力闘争、一切の話し合い拒否」の闘いを44年にわたって貫き、今なお国策を阻み続けて、敵を追いつめています。
あなたが先頭に立って牽引(けんいん)してきた動労千葉の闘いは、いまや韓国、アメリカ、ブラジル、ドイツなど国際連帯の拡大を切り開くに至っています。世界の労働者人民と連帯して社会を変えようという、あなたが目指した闘いは大きく発展しつつあります。
看護にあたった動労千葉の同志から、意識が行きつ戻りつする中で、中野さんは北原の名を呼んでいたとお聞きしました。最期まで三里塚の勝利のために心を砕いて下さったことに、身の震えを抑えることができません。
洋さん、本当に長い間頑張ってこられました。あなたが切り開いた足跡は決して消えることはありません。三里塚はあなたの遺志にこたえ必ず勝利します。そしてそれは必ずや多くの若い青年労働者に引き継がれるでしょう。どうか安らかに眠って下さい。
国家越え“労働者はひとつ”を実践 韓国・民主労総ソウル地域本部指導委員 コジョンファンさん
中野同志!
あなたとは7年前に民主労総ソウル本部で初めてお会いしましたね。私たちは互いに言葉は通じなかったものの、労働者だというその一点で連帯を始めました。
誰も手を付けようとしなかった国家を越えて労働者は一つだということを実践しようとしたのはまさにあなたでした。あなたが踏み出されたその1歩を、韓国民主労総ソウル本部の労働者が2歩、3歩とさらに前に進めるために努力します。
あなたの献身的な労働運動と理念、実践と闘い。私たちはそのすべてを尊敬します。そして大切にします。
生涯を労働者のために生き、そして逝かれたあなたを私たちは絶対に忘れません。また忘れることもできません。
あなたが恋しくなった時、あなたの歩んでこられた道が無駄にならぬよう、韓日労働者の連帯をさらに打ち固めるよう努力します。
中野同志よ! 安らかにお眠り下さい。あなたの大志は常に私たちの胸の中にあります。ご心配なさらずに安らかにほほ笑んで下さい。
この世で成し遂げられなかった労働解放。あの世の労働者解放の世の中で、あなたの大志をとどろかせて生きて下さるようお願いします。
同志よ! 私は悲しい。しかし立ち上がります。
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週刊『前進』(2431号2面2)(2010/03/15 )
海外からの弔電
深い哀悼と弔意を表明します 韓国・チョンテイルに続くサイバー労働大学代表 キムスンホさん
貴労働組合の中野顧問の逝去に深い哀悼とともに弔意を表明します。
事情により、告別式に出席できないことを遺憾に思いつつ、同志たちのご理解をいただければと思います。
国鉄1047名解雇撤回闘争、検修全面外注化阻止、強制配転反対など、貴労組の闘いによい結果がもたらされることを祈念します。
新自由主義との闘いの指導者 ILWU(国際港湾倉庫労働組合)第10支部 ジャック・ヘイマンさん
今朝早く中野さんが亡くなられたとの知らせを受け、深い悲しみに暮れています。
この事態を、今朝ユニオンホールに集まった幾人かの港湾労働者に伝え、彼らからもお悔やみのあいさつを送るよう要請されました。
過去何年かにわたり、動労千葉が呼びかける集会・デモや国際会議に参加してきたILWUの代表者たちになり替わり、動労千葉に対して、ここに心からのお悔やみをお伝え致します。
日本と世界の労働者階級は、その断固とした指導者を失いました。中野洋は動労千葉の創設者であり前委員長であっただけではなく、日本と世界の労働運動の解体を狙う新自由主義諸策に対する闘いの重要な指導者でした。労組官僚たちが、一層の抑圧と安全無視の労働条件を意味したこれらの政策の実施に協力していった時、中野さんは、この攻撃に反対する鉄道労働者など多くの労働者を動員していくため、困難だけれど必須の闘いを実現しました。
幸運なことに私は彼の生前に、彼ととても有意義な話し合いをもつ機会を得ました。彼の労働運動への貢献は、世界中の労働者の記憶にとどめられるでしょう。
私たちが中野さんを追悼できる最善の道は、民営化と労働者の非正規職化と闘い、帝国主義戦争に執拗(しつよう)に反対していくため彼の階級闘争路線を継承していくことです。
同志的抱擁をもって。
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週刊『前進』(2431号2面3)(2010/03/15 )
■中野洋さん略歴■
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船橋事故闘争(76年1月26日) |
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ジェット燃料輸送延長阻止スト(81年3月) |
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国鉄分割・民営化絶対反対を掲げ日比谷野音で第1波スト突入を宣言(85年11月17日)
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1940年2月12日生まれ
1959年 国鉄入社
1963年 動労千葉地方本部 青年部長
1965年 千葉県反戦青年委員会結成、同議長就任。ベトナム反戦、安保・沖縄、三里塚の闘いに決起
1969年 動労千葉地本千葉支部支部長
1972年3月~ 船橋事故闘争。地本執行部の無方針を突き破り闘いを展開
1973年9月 動労千葉地本書記長
1977年12月~78年3月
ジェット燃料貨車輸送阻止・100日間闘争を指導
1979年3月 動労本部から分離・独立、国鉄千葉動力車労働組合結成。同書記長
1979年12月 79春闘ストとジェット闘争の指導を理由に公労法解雇
1981年3月 ジェット燃料輸送延長阻止闘争を指導
1983年10月 動労千葉委員長
1985年11月~86年2月 国鉄分割・民営化反対の2波のストを指導
1989年2月 佐藤芳夫・元中立労連議長とともに全国労組交流センター結成を呼びかけ、同代表
1991年5月 反戦共同行動委員会結成、同代表
1994年9月 闘う労働運動の新しい全国潮流をめざす労働者集会。新潮流運動スタート
1998年11月 全日建運輸連帯労組関生支部、全国金属機械労組港合同、動労千葉の3労組が呼びかける11月全国労働者総決起集会を開始
2001年4月 労働者学習センター発足、同代表
2001年10月 動労千葉委員長を勇退、同常任顧問
2010年3月4日逝去。享年70
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週刊『前進』(2431号4面1)(2010/03/15 )
全学連訪米団 バークレー校ストを共に闘う
“教育費削減と民営化を許さない”
カ州100万教育ゼネストと合流

バークレーからオークランドへ道幅一杯を占拠した大デモを貫徹した。色鮮やかな全学連の横断幕に熱い注目が集まった(3月4日)
3月4日、米カリフォルニア大学バークレー校で教育の民営化に反対する全学的大ストが敢行され、全学連訪米団6人がともに決起した。このストを中軸に全州で100万人がゼネストに合流。州の財政破綻と教育予算の大幅削減、教育労働者の大量解雇、学費の超大幅値上げ、公教育の破壊と民営化に対する、学生と労働者の怒りの総決起となった。全学連とアメリカ学生運動とのこの歴史的な合流は、世界の階級闘争の歴史的な転換点となった。(次号以降に続報)
早朝7時半より「セイザー・ゲート」と呼ばれる正門にピケットラインが張られた。全学連も前日にバークレーの学生たちと作った「団結」横断幕を掲げてスクラムを組んだ。ハンドマイクでのコールが始まった。
「削減も値上げも反対! 教育を無償に!」
1964年、この同じ場所、セイザー・ゲートとスプラウル・ホール前の広場に学生が大挙結集し、フリースピーチ運動(政治活動禁止への抗議)が大爆発した。バークレーはその反権力と自由の気風に満ちた大学ゆえに、その後、新自由主義攻撃の発端を作ったレーガンによる学生運動つぶしの標的となった。
ストに参加した学生にマスコミのカメラやマイクが向けられる。コールが続く中で気温も上がり、数十人のピケットが百人、数百人と増え、色とりどりの旗、幕、プラカードが密集し熱気が高まる。大学職員の組合も参加し、高校生たちも駆けつけた。時おりピケットを越えて通ろうとする者がいると、学生たちは総出で説得してピケットを守った。法大闘争で鍛えた日本の訪米団も全力でコールを唱和し、ともにピケを守りぬいた。
正午、広場の熱気は最高潮に高まり、満を持して学生たちはキャンパスから飛び出した。大学前の目抜き通り・テレグラフアベニューの十字路に大スピーカーを搭載したトラックを停め、大集会が始まった。学生・労働者が教育破壊攻撃に満身の怒りをアピールした。
午後1時、テレグラフ通りを大デモ行進。オークランドまで6マイル(8㌔)の長大コースを速いペースで進んだ。広い道路がデモで完全に占拠され、奔流が流れ出したようだ。沿道の人びとが笑顔でエールを送り、デモに合流した。子どもたちも多い。色鮮やかな横断幕の全学連に多くの人びとが話しかけた。
到着地点のオークランドのオガワ・プラザで3千人規模の大集会が開かれた。高揚したアピールが続くなかで「日本から来たゼンガクレン」が紹介された。全員が登壇し、法大生・洞口朋子さんが元気いっぱいのアピールを行い、全学連書記長代行の松室しをりさんが通訳した。「法政大学では4年間で118人の学生が逮捕された」と報告すると怒りのブーイングが起きた。「私たちの敵は一つ、大学資本と資本主義だ。ともに教育の民営化と闘おう」と叫んだ。
最後に洞口さんが英語で「大学は誰のものか」と叫び、全会場が割れるような声量で「われわれのものだ!」と応じた。
「誰の社会か」「われわれの社会だ!」「誰の世界か」「われわれの世界だ!」「誰の未来か」「われわれの未来だ!」
夕方から全学連は、サンフランシスコのシビックセンター前で1万人集会に参加した。バークレーのブランカ・ミッセさんは赤い団結はちまきで登壇し、全学連との海を越えた連帯を力強くアピールした。
カリフォルニアは、元大統領レーガンが州知事時代に新自由主義の原型を作った中心地である。この地で100万人が民営化反対のストに決起、組織化の中軸となったバークレー校で、全学連がアメリカ学生運動指導部と団結を固め、21世紀の不抜の国際連帯を切り開いた。まさに法大闘争4年間の死闘がたぐり寄せた歴史的地平である。

カリフォルニア大学バークレー校の「セイザー・ゲート」が、学生たちのピケットラインで完全に封鎖された。ここはかつてベトナム反戦運動の中心地でもあった(3月4日)
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週刊『前進』(2431号6面1)(2010/03/15 )
全国連中央本部による前進社襲撃を弾劾する
展望失い権力の手先に転落
「広島差別事件」をデッチあげ、革共同と動労千葉を先頭とする11月集会派への敵対を繰り返してきた部落解放同盟全国連合会中央本部は、ついに一線を越えた。
ハンマーで殴打
3月7日午前11時、全国連本部に率いられた30人が前進社本社前に現れ、国家権力の眼前で、重さ1・5㌔ものハンマーを車庫のドアめがけて振るったのだ。ドアに残された5カ所の傷跡は塗料がはげ落ちて地肌がむき出しになったばかりか、表面の鉄が削り取られている。これは革命党に対する紛れもない白色テロであり武装襲撃だ。
しかも、階級的労働運動の偉大な指導者・中野洋動労千葉前委員長の通夜が営まれるその日に、国鉄決戦に勝利しプロレタリア世界革命を実現しようとする革共同の本部を襲撃したのだ。労働者階級と革命への憎悪に満ちた全国連本部の反革命を、腹の底から怒りをこめて徹底弾劾する。われわれはこの反革命的所業を行った全国連本部を断じて許さない。
これまで国家権力と反革命カクマルと右翼以外に、革共同の本部に武装襲撃をかけた者はいない。こうした権力の手先に転落した輩(やから)に対し、プロレタリア暴力革命をめざすわれわれがとる態度は鮮明だ。逐一名前は挙げないが、とりわけ徒党を組んで革命党の本部への襲撃に手を染めた輩の階級的大罪は万死に値する。
全国連本部は、前進社に警視庁公安部が24時間張り付き弾圧の機会をうかがっていることを百も承知で、「差別糾弾」と称してハンマーを振るった。権力に容認され守られているからこそ”安心して”凶行に及んだのだ。全国連本部は3・7前進社襲撃をもって、「転向し権力の手先と化した部落解放闘争」として全社会に名乗りを上げたのだ。実におぞましいファシスト「解放運動」に転落しつつあるのだ。権力への屈服から正真正銘の権力への手先に成り下がった全国連本部を必ず打倒する。
与田と同じ腐敗
そもそも中田潔全国連本部書記長は2007年、弾圧に踏み込んできた権力が求めるままに「任意出頭」に応じた。逮捕されてからも完全黙秘を貫けず、なんと略式起訴=司法取引に走る屈服・腐敗ぶりを示した。
「ブルジョア国家権力との非和解的関係をあいまいにして部落解放をかちとれるのか」――マルクス主義学生同盟広大支部の中で、全国連の指導者のあり方をとおして部落解放闘争の路線をめぐる真剣な論議が行われたのは当然のことだ。これを180度ねじ曲げて「差別事件」に仕立て上げ、部落大衆を引き回すためにたくらんだのが「広島差別事件の確認会」なるものだ。粉砕以外にない。
こうした本部の変質を見抜き、部落解放に全責任をとろうと本部批判に立ち上がったのが西郡・杉並・品川の3支部だ。だが許しがたいことに本部は昨年末に3支部への除名処分を発動した。しかしこの暴挙によって全国連本部は一層転向を深め、その中で度しがたい腐敗も進行している。06年の「党の革命」で打倒された与田とまったく同じように組織と運動を私物化し食い物にして、ついには権力の手先となり転向・腐敗の道を急速に転げ落ちているのだ。
求心力を失い、組織的腐敗を深め、追いつめられた全国連本部が、何の成算もないまま危機の打開をかけて画策したのが3・7反「革共同」集会だ。その前段の前進社襲撃は、ドア破壊のポーズをとって革共同を「糾弾」し、報告のネタにすれば少しは反革命集会の意気が上がるのではないかという、実にさもしい魂胆が見え透いている。
この茶番劇的「襲撃」の際にポストに投げ込んでいった「申入書」なるものの中身も「確認会に出てくれ」という泣きつきでしかないものだ。いまや「広島事件」は「確認会に出なかったことが差別だ」というものになってしまっている。「差別事件」という確信も何もなく、組織内部を固めることもできない惨状にあるのだ。これこそ革共同の1991年「5月テーゼ」に対抗して全国連を結成した本部の成れの果てである。
国鉄決戦に敵対
「5月テーゼ」は日本における新自由主義の最初の攻撃=国鉄分割・民営化との決戦をプロレタリア世界革命にむけて発展させるために提起された。労働者自己解放の思想と実践であるマルクス主義の復権をかけた挑戦だった。今、世界大恐慌のもとで分割・民営化との決着をつける第2次国鉄決戦が激烈に開始されている。このとき、全国連本部は公然と権力の手先に成り下がり、第2次国鉄決戦に敵対するためだけに3・7反「革共同」集会を開催した。「5月テーゼ」に対抗し糾弾主義を増幅させてきた輩の末路がこれだ。
西郡・杉並・品川支部を始めとした部落大衆とともに、全国連本部の一切のあがきを粉砕・打倒して前進しよう。
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成田市長・議会弾劾 団結街道廃道化阻止
3・16成田市内デモ
3月16日(火)午前10時
成田市役所脇・栗山公園
主催/三里塚芝山連合空港反対同盟
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週刊『前進』(2431号6面6)(2010/03/15 )
訂正
前号6面の星野再審闘争の記事で、見出しに”再審・保釈を”とあるのは”再審・釈放を”の誤りでした。おわびし訂正します。
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