ZENSHIN 2009/09/21(No2408 p06) |
週刊『前進』(2408号1面1)(2009/09/21 )
体制内勢力の敵対うち破り11月へ
青年労働者と学生を先頭に職場・大学で大結集運動を
民主党・連合の結託政権を倒せ
(写真 動労水戸がスト 組織破壊攻撃に怒りの反撃 動労水戸はJR東日本による組織破壊攻撃に対し第3波ストに決起した。遠距離配転とセットの研修センター入所の発令に抗議し、研修センターを揺るがす闘いを打ち抜いた【9月14日 福島県白河市】=記事3面)
「11・1労働者集会は国鉄1047名解雇撤回闘争の勝利をかけて全世界から闘う労働者が結集する大集会だ」。このことを真正面から全労働者に訴えよう! 1000名を超える労働者の解雇撤回の闘いに、新鮮な驚きと感動をおぼえる青年労働者。22年間の闘いに共感し、大恐慌の時代に自らの生き方をつかんだ労働者。4者4団体路線の破綻、既成労働運動の体制内化の中で、動労千葉と1047名解雇撤回闘争が職場、街頭、学園で唯一労働者の生きる展望を示している。新たな労働者・学生との合流が始まっている。職場からの大反乱と11月1万人結集の力で、民主党・連合政権を打倒しよう。
連合内から反乱は不可避
16日に成立した鳩山政権は、官房長官に平野博文(電機連合・松下)、文部科学大臣に川端達夫(UIゼンセン同盟・東レ)、経済産業大臣に直嶋正行(自動車総連・トヨタ)、行政刷新担当大臣に仙石由人(自治労協力国会議員団長)らを据えた、文字どおりの民主党・連合の結託政権だ。鳩山の公務第一弾が連合・高木との会談であったことが政権の本質をまざまざと示している。また社民党党首・福島瑞穂も入閣するにいたった。
今回の民主党と連合の極悪の体制内指導部の結託は、にわかに成立したものではない。そもそも民主党とは、すでに連合を深々と取り込んだブルジョア政党だ。とりわけ官房長官となった平野や、再び民主党の参院議員会長にとどまった輿石東(日教組出身)らは、鳩山や小沢の側近中の側近でもある。
連合は、発足時に当時の首相・竹下が「抱擁したい」と語ったように、国鉄分割・民営化―総評解体によって、日帝ブルジョアジーと帝国主義的労働運動の指導部がつくりだしたものだ。「組織統一の最低限綱領は、指導指針において共産主義との絶縁を明確化すること」(ゼンセン同盟委員長・滝田)だった。労働者の革命への決起を圧殺する最後の防波堤が連合であり、これが今や政権について労働者に襲いかかろうとしている。
だがこの民主党・連合政権は、その成立とともに危機と崩壊が始まる。なぜなら連合内には、いまだ4大産別(国鉄、自治体、教労、全逓)を先頭に、労働者の階級的戦闘的な力が息づき、新自由主義の破綻のもとで激しい怒りを爆発させようとしているからだ。その基軸に1047名解雇撤回闘争と動労千葉がある。そして08年11月労働者集会の5700人の大結集以来1年、全国で大恐慌情勢と格闘し、体制内労組幹部と激突しながら、プロレタリア革命を掲げた労働運動をよみがえらせ、それと一体で革命党を建設する闘いを青年労働者を担い手として大前進させてきた、11月集会派の存在と闘いがある。
民主党・連合政権は、連合そのものの中からの怒りの爆発と反乱に直ちに痛撃される。この新政権の登場は、むしろ連合を打倒し、日本階級闘争を革命的に塗り替えるチャンスの到来だ。11月集会派の存在と闘いこそは、民主党・連合政権を追い詰め、革命情勢をさらに促進する決定的な火点なのである。
さらに民主党・連合政権の登場は、労働組合をめぐる攻防が一切を決する情勢への突入を意味する。連合打倒のランク&ファイルの闘いこそ、 革命勝利の最短コースである。これはロシアでの1917年2月革命から10月革命に突き進む過程に匹敵する闘いだ。11月集会派の存在が巨大な可能性を秘めている。
決戦の火ぶたは完全に切られた。9・10〜12全学連大会は坂野陽平委員長代行のもと臨時決戦体制を確立し、全学連1000人決起を先頭に11月1万人結集を切り開く団結を固めた。大会直後の14日には、法大08年5・28暴行デッチあげ弾圧裁判で無罪判決をかちとり、10月から始まる5・15暴処法弾圧と4・24集会弾圧の公判闘争そのものを、獄中8学生とひとつになった11月決起への檄として、全学連は大攻勢を開始している。さらに14日には、動労水戸がJR東日本総合研修センターで9人の指名ストライキに突入し、90人の総決起で門前集会をかちとった。国鉄決戦と法大決戦が、11月に向けて荒々しく火を噴いたのだ。
1047名解雇撤回が柱
大恐慌による大失業攻撃がこれからますます激化する情勢に、労働者階級がひるまず対決して闘うならば、連合は逆に民主党政権の最も弱い環にたちどころに転化する。8・30総選挙情勢は、大恐慌下の戦争・大失業攻撃との死闘への突入でもあり、それは同時に連合打倒と、連合700万の獲得から6千万労働者全体の組織化への闘いの開始である。
日本の7月の完全失業率は過去最高の5・7%を記録し、とりわけ15〜24歳の若年失業率は過去1年で2・4ポイント増加、9・9%に達している。また高卒者への求人が半減した。何よりも今秋から今年末に向けさらに雇用情勢が悪化していく。OECDが16日に発表した雇用情勢に関する年次報告で、「若者が苦境に陥っている」と日本の青年の失業率の急上昇に警告を発するほどの現実がある。
鳩山政権は発足直後から、大恐慌と自民党を倒した労働者階級人民の怒りに直撃され、激しい危機に直面する。日帝の国家財政は完全に破綻している。民主党・連合政権がこの危機と破綻の中で、首切り・賃下げの攻撃を強め、日帝・支配階級の唯一最大の反動的結集軸である道州制・民営化=360万公務員の首切りと労組解体、そして帝国主義的侵略戦争へと突き進んでいくことは不可避だ。
「内容の伴った地域主権」とは道州制推進宣言であり、総務大臣に座った原口は橋下大阪府知事と完全に一体だ。何よりも新政権が目玉とする「国家戦略室」「行政刷新会議」はその推進機関だ。すでに民主党は政権発足に先立ち、「国家公務員の総人件費2割削減」を実施するための「公務員制度改革実施計画」(11年から)の策定を決定した。
11月労働者集会の中心テーマである国鉄1047名解雇撤回闘争は、こうした6千万労働者全体にかけられた大失業の嵐に、4大産別の最先端で総反撃していく闘いだ。さらに道州制・民営化による360万人解雇攻撃粉砕の突破口をなす闘いだ。それはまた、6千万労働者全体の獲得の立場から、1万人結集を可能にする闘いなのである。
そこへの壮大な挑戦を、職場での動労千葉労働運動の一からの実践と、職場における一人の労働者の獲得を出発点にやりぬこう。
団結を総括の軸に闘おう
昨年の11月集会で動労千葉の田中康宏委員長は「この社会のすべてを動かしているのは労働者です。労働者は歴史をつくり、社会を変革する力をもった存在です。団結さえ崩さなければ、労働組合の運動に限界などないはずです」と訴えた。そして11月集会派の労働者は、未曽有の大恐慌下の解雇や大幅賃下げ、労働条件の劣悪化に対決し、敵の攻撃を味方の団結の強化・拡大で跳ね返す七転八倒の闘いを、労働者の現実と必死に向き合いつつ、労働組合を主戦場にして闘ってきた。
昨年11月以来のこの闘いの地平にあらためて心底から確信を持ち、団結した力のすべてを解き放って、11月へ突き進もう。11月労働者集会こそ、「大恐慌を革命へ」の闘いを切り開く歴史的決戦場であり、全世界の労働者の最高の団結の場なのである。
民主党・ 連合政権の登場は、同時にわれわれに決定的飛躍を求めている。民主党・連合政権との攻防は、執拗かつ悪質な体制内労組幹部との激烈な党派闘争をとおして、職場から体制内幹部を打倒し尽くすことでしか決着がつかない。重要なことは、自民党打倒に決起した職場の労働者の一人ひとりの怒りを、最末期の資本主義・帝国主義への怒り、闘いとして積極的に位置づけ、強固な団結をつくり出すことだ。そのために時代認識と路線で勝負するのだ。そして動労千葉と国鉄1047名闘争にこそ、労働者が絶対に勝利できる展望があることを、熱烈に訴えよう。
国鉄を先頭とした4大産別にこそ怒りは充満している。青年労働者の怒りは今や沸点に達している。1万人大結集を4大産別と青年労働者、そして職場生産点からの決起にこだわりぬいて組織しよう。労働組合をめぐる格闘から、マル青労同・マル学同1000人組織建設と地区党建設を一体的にかちとろう。そのために、現在最も必要なのは、路線的一致と路線による団結である。
ここから力強い11月1万人決起のエネルギーを生み出そう。10・11三里塚現地大結集を、レーニン主義解体を宣言した塩川一派の敵対を粉砕してかちとろう。そしてそれを11月総決起の巨大な原動力へと転化しよう。
青年労働者と学生こそが、壮大な10〜11月決戦の先頭に立ち、猛然と情勢を切り開こう。
(写真 裁判員制度廃止へ千葉地裁デモ 9月14日記事6面)
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週刊『前進』(2408号2面1)(2009/09/21 )
国鉄1047010名解雇撤回は大失業と対決する最前線
「大恐慌を革命へ」の突破口を開こう
11月労働者集会の最大テーマはこれだ
世界大恐慌のただ中で、労働者階級にはすさまじい失業攻撃が襲いかかっている。こうした攻撃を打ち破る闘いこそ、国鉄1047名解雇撤回闘争だ。国鉄1047名闘争は、ついに自民党支配を崩壊させ、労働者の総反乱に向けた突破口を押し開いた。1047名闘争はまた、それを内部から解体しようと策する体制内派との激しい党派闘争に満ちている。11・1労働者集会は、「国鉄1047名解雇撤回」を基軸的スローガンに開かれる。それは、1047名闘争が、労働者階級全体の命運を握る闘いであると同時に、そこに革命に向けて突破すべき全課題が凝縮されているからである。
連合支配と闘う対抗基軸
1047名解雇撤回を真っ向から掲げているのは、もはや動労千葉派だけだ。1047名は、国家の意思でクビを切られた。その解雇を撤回させることは、国家権力との激突となる。だから、国家権力を打倒し革命を実現する立場に立つ者だけが、1047名闘争を最後まで貫徹できる。
総選挙で自民党支配を崩壊に追い込んだのは、民営化を頂点とする新自由主義政策への労働者人民の巨大な怒りだ。4年前、小泉政権は「郵政民営化」を掲げ大勝した。その小泉が強行した「構造改革」への怒りが、今度は自民党をたたき伏せる労働者人民の決起を生んだ。郵政民営化も、JPEX計画の挫折に見られるように、現場労働者の怒りで根本的破産に追い込まれている。
情勢の動きは速い。資本主義のもとでは生きられない労働者の怒りの矛先は、早晩、民主党政権にも向かう。民主党政権は、その内側に連合を取り込み、体制内労働運動を支柱としながら、民営化・新自由主義の攻撃に一層激しくのめり込もうとしている。民主党・連合政権は、早々と公務員賃金の大幅引き下げと公務員定数の大幅削減を打ち出した。
国鉄1047名闘争は、その本質からして、こうした攻撃と真っ向から激突するほかない闘いだ。その本質を見失った4者4団体の政治解決路線は完全に破綻した。自民党支配は崩壊し、4者4団体が「政治解決の窓口」としてきた民主党もまた、新政権の国土交通大臣に極右改憲派の前原誠司を起用した。これは、民主党が4者4団体に実質上のゼロ回答を突きつけたということだ。
今日の大失業と非正規職化の攻撃は、国鉄分割・民営化ときびすを接して始まった。労働者派遣法が制定されたのは、1987年の国鉄分割・民営化に先立つ85年だ。これにより、中間搾取禁止という戦後労働法制の原則は解体された。労働基準法の度重なる改悪も、87年の変形労働時間制や裁量労働制の導入を突破口に開始された。
国鉄分割・民営化から8年後の95年、経団連は「新時代の『日本的経営』」と題する報告書で、労働者の9割を時間給の不安定雇用に突き落とすと宣言した。それ以降、派遣労働は急拡大した。今や非正規雇用労働者は全労働者の3割を超え、大恐慌の中で容赦なくクビを切られている。
国鉄分割・民営化はまた、総評解散−連合結成という労働運動の巨大な再編をもたらした。労働組合のナショナルセンターが解散するのは、過去には侵略戦争突入時にしかなかった事態だ。それほど国鉄分割・民営化の衝撃は巨大だった。
分割・民営化の過程で、民間大産別を牛耳る極右的体制内労働運動勢力は、総評を解体して、旧同盟系が主導権を握る「労戦統一」をもくろんだ。そのため彼らは、国鉄を始めとする4大産別労組に背後から襲撃をかけた。国労とともに総評の主軸をなしていた自治労、日教組、全逓の各本部は、国鉄分割・民営化における国労の惨状を目にして一切の抵抗を放棄し、総評解散−連合結成に屈服した。
会社と一体となった極右体制内派が労働組合を牛耳る今日の連合支配は、国鉄分割・民営化の中で生まれたのだ。
その連合を懐に取り込んだ民主党政権は、血塗られた国鉄分割・民営化の原点から逃れることはけっしてできない。
事実、民主党・連合政権は、国鉄分割・民営化以来の民営化攻撃の集大成というべき道州制導入に、全力を挙げて突っ込もうとしている。
だが、社会全体を覆う一大民営化攻撃に立ちはだかってきたのも1047名闘争だ。
1047名闘争は、100万人規模の支援陣形を結集しつつ闘われてきた。その力が連合の対抗基軸として、連合による労働者支配の完成を阻んでいる。青年労働者を始め6千万労働者階級の総体が激しいクビ切り・民営化の攻撃に直面する中で、1047名の解雇撤回こそ、自らの未来を切り開く闘いであることを、労働者は急速につかみ取っていく。1047名解雇撤回を掲げた11・1集会は、プロレタリア革命に向けた労働者階級の不抜の陣形を打ち固める闘いなのである。
1047名闘争とは何か
11・1労働者集会はまた、国労本部や4者4団体派を打倒して、動労千葉派が1047名闘争の主導権を握りしめる闘いだ。1047名闘争と、それを軸とした全労働者階級の勝利にとって、それは絶対に踏み越えなければならない課題だ。
国鉄分割・民営化の中で、あらゆる勢力はふるいにかけられた。体制内派はことごとくその破産を突きつけられた。1047名闘争は、本来、そうした体制内派を突き破る闘いであるにもかかわらず、長らく社会主義協会派や日本共産党・革同の支配下に押し込められてきた。この現実を覆した時、革命の展望は圧倒的に切り開かれる。
1987年に強行された国鉄分割・民営化は、戦後最大の労組破壊攻撃だった。81年時点で約40万人いた国鉄職員は、JR発足時には21万人に減らされた。2人に1人をクビにするという恫喝によって、支配階級は国鉄労働運動をたたきつぶそうとした。その過程で200人もの国鉄労働者が自殺に追い込まれた。
首相として分割・民営化を強行した中曽根康弘は、81年当時、「行革でお座敷をきれいにして立派な憲法を安置する」と言い放った。国鉄分割・民営化は、憲法改悪まで射程に入れた一大攻撃だったのである。
(写真 1985年11月28日、動労千葉は国鉄分割・民営化反対の第1波ストに立った【写真は『俺たちは鉄路に生きる2』より】)
体制内勢力は全面的に破産
この攻撃と組織を挙げて立ち向かったのは、動労千葉だけだった。
動労本部を牛耳るカクマルは、当局の先兵となり、分割・民営化を率先推進した。86年1月、動労本部は鉄労などとともに国鉄当局と労使共同宣言を結び、スト絶滅を誓った。さらに動労カクマルは、九州や北海道から大量の労働者を本州に異動させる「広域異動」にも積極的に応じた。これは、動労組合員を国労の組織率の高い職場に集中的に配属することにより、国労組合員を職場から排除することを目的に行われた。国鉄当局やカクマルは、これを「血の入れ替え」と呼んだ。
これをテコに、国鉄当局は国労や動労千葉の組合員を「余剰人員」として人材活用センターに放り込んだ。
国労は、分割・民営化と闘う方針を打ち出せず、「嵐が過ぎるまでタコつぼにこもる」というふざけた方針をとった。当時の山崎俊一委員長ら国労本部は、「大胆な妥協」を唱え、労使共同宣言の締結などを内容とする「緊急方針」を提案した。これに対して、人材活用センターに収容された組合員らの怒りが噴出し、86年10月の修善寺大会で「大胆な妥協」方針は否決され、山崎執行部は総辞職に追い込まれた。だが、この大会で執行部を握った社会主義協会派や革同もまた、国鉄分割・民営化に立ち向かう闘う方針など持ち合わせてはいなかった。
動労千葉は国鉄分割・民営化に対して唯一、ストライキで立ち向かった。85年7月、中曽根内閣が設置した国鉄再建監理委員会は、国鉄を7分割するという最終答申を出した。
分割・民営化への唯一の反撃
動労千葉は同年10月の大会で、分割・民営化反対のストライキ方針を決定し、11月28〜29日、満を持してストライキに立った。動労千葉は、階級的団結を守り抜くという一点にかけて、このストライキを貫いたのだ。
国鉄当局は直ちに解雇を始めとする報復処分を発令した。また、動労千葉の力をそぐために、総武線の業務を千葉から東京に移管する攻撃をかけてきた。これに対して動労千葉は86年2月、24時間ストで立ち向かった。
87年4月1日、国鉄分割・民営化が強行されJR各社が発足。同時に、JR不採用とされた国鉄労働者7628人が国鉄清算事業団に送られた。
国鉄清算事業団は、JRに採用されなかった職員への再就職あっせんを行うという表看板を掲げていた。だが、実際にそこでやられたことは、ろくに再就職先も決まっていない労働者を退職に追い込むことだった。
国労本部もまた、清算事業団の労働者に対し、本州JRが実施した広域採用に応じることなどを迫った。さらに彼らは、社会党JR対策委が提案した「被解雇者をJRにいったん採用するが、直ちに自ら退職する」とした「解決案」で闘争の収拾を図ろうとした。
主流派に飛躍する決戦へ
動労千葉ストが闘いを生む
こうした事態に対し、動労千葉は89年12月、前年12月に起きた東中野駅での電車追突事故1周年を期して、反合理化・運転保安確立を掲げたストライキに立った。さらに動労千葉は90年3月、清算事業団による解雇が迫る中で84時間ストライキに突入した。これにより国労も74時間ストに入らざるを得なくなり、国労本部による闘争収拾策動は吹き飛ばされた。まさに1047名闘争を生み出したのは、動労千葉のストライキだったのだ。
90年4月1日、国鉄清算事業団は、事業団に最後まで残った1047名を解雇した。1047名は、退職を拒否し、解雇となることによって国鉄分割・民営化との非和解的対決を宣言した存在だ。だから、1047名闘争は本来、解雇撤回を真っ向から貫く以外にない闘いなのである。
このように、国労本部を始めとする体制内派は、1047名闘争の出発点からその裏切りをあらわにしていた。
今日、4者4団体路線を推進している体制内派は、一度として分割・民営化と真っ向から闘ったことがない。国労本部による4党合意の受け入れに抗して鉄建公団訴訟に立った闘争団の一部指導部も、自ら開始した闘いの歴史的意義を見失い、動労千葉を排除した政治解決路線に走った。
こうした現実を覆し、動労千葉−動労総連合と国労5・27臨大闘争弾圧被告団を先頭とした動労千葉派が、国鉄1047名闘争に全責任を取る主流派に躍り出る時が来たのである。
動労千葉物販で組織しよう
11・1労働者集会1万人結集に向けて、動労千葉物販をその組織化の武器として駆使しよう。1047名解雇撤回の原則を不屈に貫く動労千葉の闘いは、絶対に労働者階級を獲得する力を持っている。大恐慌と戦争の時代において、労働者は今まで以上に1047名の解雇撤回に自らの希望を託している。動労千葉の鮮明な訴えが、そうした労働者の心に響かないはずがない。
もはや4者4団体路線の破産は、完全に労働者階級によって見透かされている。動労千葉物販をもって100万国鉄闘争支援陣形に分け入り、動労千葉派に組織する絶好のチャンスが来ている。
今や国鉄分割・民営化=JR体制は破産をさらけ出している。05年4月の尼崎事故以降も、度重なる事故でJRの下請け労働者は殺され続けている。9月10日には、新幹線仙台駅構内で、架線張り替え作業中の労働者が事故で殺された。
鉄道業務の根幹に及ぶ無謀な外注化が、こうした事故の根底にあることは明らかだ。
動労千葉は、反合・運転保安闘争路線のもと、外注化を阻み、JR資本と闘ってきた。動労水戸は、JRの組織破壊攻撃に対し、3波の緊急ストで立ち向かっている。
動労千葉−動労総連合の闘いは、JR体制を確実に追いつめている。資本=カクマル結託体制が崩壊に直面する中で、JRの青年労働者の決起を封じ込めていた一切の抑圧物もまた、吹き飛ばされようとしている。こうした不屈の闘いこそが、1047名闘争の勝利をも切り開くのだ。
動労千葉派が1047名闘争に全責任をとり、国鉄闘争の主流派に躍り出る時が到来した。11・1労働者集会はその第一の関門だ。
11月1万人結集を成し遂げた時、1047名闘争はその本来の意義を取り戻し、全労働者階級の闘いの基軸に押し上げられる。その展望をかけ、総力で闘おう。
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国鉄闘争略年表
82年11月 中曽根内閣発足
82年7月 臨調基本答申、国鉄分割・民営化方針を打ち出す
82年9月 「5年以内に国鉄分割・民営化」と閣議決定
85年7月 国鉄再建監理委員会最終答申
85年10月 「国鉄改革のための基本方針」を閣議決定
85年11月 動労千葉が分割・民営化反対の第1波スト
86年1月 動労、鉄労など第1次労使共同宣言で「スト絶滅」を誓う
86年2月 動労千葉が分割・民営化反対の第2波スト
86年3月 動労が広域異動に協力
86年7月 国鉄、全国に「人材活用センター」を設置
86年7月 動労が総評脱退を表明
86年10月 国労修善寺大会
鉄産労が国労から分裂
86年10月 動労、鉄労など第2次労使共同宣言
86年11月 国鉄改革法成立
87年2月 動労、鉄労など「鉄道労連」(後にJR総連)結成
87年2月 JR設立委、不採用者を決定
87年4月 JR各社発足。不採用者7628人が国鉄清算事業団に
89年6月 国労が「全面一括解決要求方針」を大会決定
89年11月 総評解散−連合結成
89年12月 動労千葉、東中野駅事故1カ年弾劾のスト
90年3月 動労千葉が84時間スト。国労もストに入る
90年4月 国鉄清算事業団、1047名を解雇。1047名闘争始まる
91年2月 JR総連分裂しJR連合結成
96年8月 国労が「国鉄改革法に基づき推移している現状を認める」とJR各社に申し入れ
98年5月 JR採用差別事件で東京地裁が「JRに使用者責任なし」とする反動判決
99年3月 国労、「国鉄改革法承認」を大会決定
00年5月 国労本部が「JRに責任なし」とする4党合意を受諾
00年7月 国労臨大、4党合意受諾方針に対し闘争団が演壇占拠
01年1月 機動隊制圧下の国労大会で4党合意受諾方針の採決強行
02年1月 国労闘争団が鉄建公団訴訟
02年5月 国労臨大で鉄建公団訴訟原告を査問にかける方針を決定
02年10月 5・27臨大闘争弾圧で国労組合員と支援者を不当逮捕
05年4月 尼崎事故
05年9月 鉄建公団訴訟1審判決
06年2月 1047連絡会結成
06年9月 4者4団体が解雇撤回を捨てた要求書を国交省などに提出
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週刊『前進』(2408号2面2)(2009/09/21 )
連合の極悪指導部が政権に
民主党・連合の結託体制打倒を
労働者に犠牲と矛盾を転嫁
16日、民主党・鳩山政権が成立した。この政権は自民党政権が労働者階級の憤激で打倒された中で、それに代わって日本帝国主義の危機の救済者として登場した。だからこの政権は、世界大恐慌と帝国主義間対立の激化の中で、資本家階級の延命のために、労働者階級に一層の犠牲と矛盾を押しつける以外にない。
大失業と賃下げ、道州制・民営化、公務員リストラ、労働運動破壊、戦争と改憲の攻撃がいよいよ激化していく。
松下政経塾出身の原口一博総務相は、道州制推進の大阪府知事・橋下徹と密接な関係だ。16日、原口はさっそく橋下に電話し、「頑張っていきましょう」と協力を呼びかけた。橋下は「期待しています。むちゃくちゃやってください」と応じた。このように民主党内閣は道州制・民営化推進内閣だ。その反動的正体、階級的本質はこれから日々むき出しになっていくだろう。
連合に依拠した脆弱な政権
社民党は民主党と連立合意し、福島党首が入閣した。おぼれかかっている日帝ブルジョアジーの延命を助け、かつてのドイツ社民党のような反労働者的役割を果たそうとしている。
成立した民主党政権は、本質的に脆弱(ぜいじゃく)である。それは、民主党が連合という体制内労働組合に大きく依存せざるを得ないところに現れている。そこまで資本家階級の階級支配が衰弱し、体制内労働運動の力を借りなければ革命を抑えつけられなくなっているのだ。
民主党の党的基盤も弱体だ。だから、とりわけ地方組織は、連合の労組組織に依拠している。民主党の国会議員には、川端、直嶋ら旧同盟系労組の支援を受けるグループ(約30人)や、横道孝弘ら自治労、日教組など旧総評系労組の支援を受けるグループ(約30人)が存在する。体制内労働運動勢力が資本家政党の重要な構成要素となっているのだ。07年の参院選も今回の衆院選も、小沢(民主党幹事長)と高木(連合会長)が一緒に全国の連合系労組をオルグして回った。小沢と高木の仲はきわめて緊密だ。
鳩山政権が民主党・連合政権であることを示すのが、閣僚及び党幹部人事だ。官房長官に就任した平野博文は松下電器(現パナソニック)労働組合の出身であり、現在は電機連合の顧問だ。
経済産業相に就任した直嶋正行はトヨタ自動車労組出身、自動車総連副会長を務め、現顧問だ。「労働貴族の典型」といわれる人物で、自動車業界からも期待されている。文部科学相の川端達夫は東レ労組滋賀支部長を経て議員になった。農林水産相の赤松広隆は日通労組出身で運輸労連顧問だ。さらに、参院議員会長の輿石東(こしいし・あずま)は山梨県教組委員長を務め、日教組を母体に議員になった。
今回の総選挙でも多くの連合系労組出身者が当選した。ざっと挙げただけでも、次のとおりだ(カッコ内は選挙区と出身労組及び役職)。小林千代美(北海道5区、全日糧労組)、城島光力(神奈川10区、味の素労組委員長)、古本伸一郎(愛知11区、全トヨタ労連顧問)、三日月大造(滋賀3区、JR西労組)、稲見哲男(大阪5区、大阪市職労副委員長)、向山好一(兵庫2区、連合大阪専従)、工藤仁美(北海道比例区、札幌パートユニオン事務局長)、小室寿明(中国比例区、島根県職労書記長)、皆吉稲生(九州比例区、連合鹿児島副会長、鹿児島市職労委員長)。
そして、全国の連合組織が各選挙区で民主党候補者の支援のために動員された。
連合と民主党の結託体制は最近のことではない。そもそも民主党は、小沢を軸にして連合組織と結びつき、それを深々と取り込んだブルジョア政党なのである。連合は、国鉄分割・民営化による総評解体によって、日帝ブルジョアジーがつくりだした体制内的存在だ。その700万人の連合が支配権力の一角に座ったことは、とてつもなく重大な歴史的事態である。労働者階級が総決起すべき時代の到来だ。
民主党政権の崩壊が始まる
民主党・連合政権は、その成立とともに危機と崩壊が始まる。なぜなら連合内にはいまだ4大産別を先頭に労働者の階級的な戦闘力が息づき、それは新自由主義攻撃の破綻のもとで、ますます激しい怒りを爆発させようとしているからだ。民主党・連合政権は、自らを政権の座に押し上げたその労働者階級の中から、今度は一転して直ちに反乱と怒りに直面せざるを得ないのだ。
このことへの恐怖こそ、民主党を社民党や国民新党との連立に駆り立てた真の要因だ。3党連立は、参院での過半数を確保するためという理由からだけではない。もっと根本的には、労働組合が労働者階級の怒りの震源地となって、その怒りが今度は一転して民主党に向かうことに心底から恐怖している。だからこそ、労働者階級全体を抑え込む一点で、社民党を取り込んだ連立政権を不可欠としているのだ。国鉄闘争の4者4団体派がその中で悪質な役割を果たそうとしている。
労働者階級は8・30総選挙で自民党を打倒した。これは壮大な階級決戦の始まりだ。次の課題は、第2ブルジョア政党である民主党政権を打倒し、大恐慌と戦争に突き進む資本主義を打倒し、プロレタリア革命の勝利をかちとることである。
まさに8・30総選挙をもって、時代は労働組合をめぐる攻防が階級闘争の一切を決する情勢に突入したのである。そこでの体制内勢力・連合を打倒するランク&ファイルの闘いの前進こそが、プロレタリア革命の最短コースである。
民主党政権を打倒し、プロレタリア革命に進撃しよう。その勝利と前進をかけて11・1労働者集会に大結集しよう。
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週刊『前進』(2408号3面1)(2009/09/21 )
動労水戸が第3波スト
JR研修センター揺るがす決起
JR東日本による組織破壊攻撃に対して7〜8月の2波のストライキを打ち抜き、2人の新組合員を獲得してきた動労水戸が9月14日、三度ストライキに決起した。
(写真 研修所内でストに入り、支援の仲間から拍手で迎えられる木村書記長【9月14日 福島県白河市】)
JR東日本は、運転士登用差別事件を巡って最高裁で完全敗北したにもかかわらず、完全に居直り、とうてい通勤できないような遠距離配転を策動し続けてきた。今回ついに“運転士になるため”と称して9人の組合員に研修センター入所の発令を強行したのだ。
すでに運転士資格を持っているのになぜ研修を受けなければならないのか! 遠距離配転とセットの研修センター入所は動労水戸への団結破壊、屈服強要攻撃だ。
「負けてたまるか!」「どこに行っても闘うぞ!」。労働者としての怒りが爆発した。「かつてない闘いをやろう」。研修初日に研修センターのまっただ中で、この日入所した組合員全員が怒りのストに決起したのだ。
午後2時過ぎ、福島県白河市にあるJR東日本総合研修センターの門前に動労水戸の組合員を始め、茨城、福島、宮城、栃木、東京などから闘う労働者・学生が駆けつけた。
司会の国分勝之副委員長の音頭によるシュプレヒコールに続き、石井真一委員長が動労水戸結成以来23年間の闘いの歴史を振り返り、JRによる不当労働行為を激しく弾劾するとともに、ストライキの意義と勝利にむけた決意を表明した。
激励の発言が動労千葉、茨城県地域連帯労組、全金本山労組、東北せっけん労組、ス労自主から寄せられた。
2時50分、スト突入の時間に合わせて連帯のシュプレヒコールが響き渡り、研修センターを揺るがす。「JRは動労水戸破壊をやめろ!」「違法企業JRを許さないぞ!」「団結破壊を許さないぞ!」「どこに行っても闘うぞ!」
そこへストライキに立ち上がった組合員が研修施設から胸を張って歩いて正門前に合流した。JRに対する怒りにみちた誇り高き労働者の姿だ。鳴りやまぬ拍手。全員が一体となった。
ストに突入した組合員を迎え、再び石井委員長がマイクを握る。「われわれは何度でもストライキに立ち上がる。自民党支配が崩壊し、労働者階級の怒りが爆発している。団結を固めて闘おう。JRのこんなやり方がいつまでも通用すると思ったら大間違いだ。JR体制は破産している。研修所にいる皆さん! 動労水戸といっしょに闘おう。11月1日の労働者集会に1万人を集めよう。社会を変えていく力はわれわれ労働者の中にある」と確信に満ちた提起だ。
続いて、地元の全逓労働者、福島県労組交流センターの仲間、宮城連帯ユニオン、坂野陽平全学連委員長代行が発言。動労水戸の家族を代表して発言した辻川あつ子さんは、「ある家族は『負けるな。帰ってこなくていい』と言って送り出しました。私は労働者に生まれて本当に良かった。こんな素晴らしい団結を実現できる。動労水戸のストライキに、平日なのにこんなに多くの方が集まってくれる。資本家にこんな感動がありますか! 動労水戸の闘いは6千万労働者階級の先頭に立っています。11月1万人決起を成功させて、全体の力で勝とう」と訴えた。
いよいよ、ストに決起した8人を代表して木村郁夫書記長が発言に立った。「今日の研修でハッキリしたことは、ただただ動労水戸を屈服させるための配転だということだ。それが東日本の言う『命令履行』だ。私たちは絶対に屈服しない。断固、この研修センターで闘いぬく。研修センターに入所している400人の中に闘いを響かせたい。労働者が真に解放される社会に向かって闘いぬいていく。それが11月集会1万人決起だ」。熱い発言に全体が確信を持ってうなずく。
3波にわたる動労水戸のストライキは、全国の労働者を限りなく激励している。一切を決めるのは階級的団結の力なのだ。労働組合を巡る攻防戦を闘おう。動労水戸の闘いに続こう。11・1全国労働者総決起集会への1万人結集実現にむけて職場・街頭で組織戦に打って出よう。
(写真 ストに入った組合員を先頭にシュプレヒコール)
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週刊『前進』(2408号4面1)(2009/09/21 )
全学連大会 11月学生1千人結集へ決戦方針
獄中8学生と固く団結し 坂野委員長代行体制を確立
(写真 3日間の白熱した討論をかちとり、全国300万学生の総決起をめざして今秋決戦突入を誓いインターナショナルを斉唱【9月12日 東京・文京区民センター】)
全学連第70回定期全国大会が9月10〜12日、全国の学生100人の結集で東京・文京区民センターで開催された。一方で暴処法弾圧によって全国学生運動と法大闘争の指導部である8人の学生を獄中に奪われ、他方で8・30総選挙をもって歴史的激動情勢に突入する中での大会は、坂野陽平委員長代行体制のもと、全国学生が11・1労働者集会1万人・学生1千人結集に向かって強固な団結と決意をうちかためる大成功をかちとった。「教育の民営化粉砕!」の路線を武器に、300万学生の総反乱をつくりだす全学連運動の復権へ大前進が開始された。
全学連新執行部
委員長 織田陽介(東北大・理)
同代行 坂野陽平(上智大・文)
副委員長 安藤聡男(広島大・文)
副委員長 倉岡雅美(法政大・人間環境)
同代行 洞口朋子(法政大・経)
書記長 冨山小太郎(京都大・農)
同代行 松室しをり(慶応大・文)
書記次長 石田真弓(東北大・経)
大会スローガン
・法大闘争に勝利しよう! 暴処法弾圧はね返し、獄中8学生を取り戻そう!
・「教育の民営化」と闘い、大学・教育・未来を学生の手に取り戻そう!
・全国300万学生は全学連の旗のもとに団結し、学生自治を死守・拡大しよう!
・自主法政祭つぶしを許すな! 法大文化連盟と団結し、10・16法大集会へ!
・闘う労働者・労働組合とともに、11・1全国労働者総決起集会に集まろう!
自民打倒の怒りと結合
大会は石田真弓書記次長の「暴処法で全学連3役が奪われる中、それを打ち破って大会をかちとっていることを確認しよう」という勝利感あふれる開会宣言で始まった。
坂野陽平委員長代行が冒頭に5本のスローガン(別掲)を提起し、中央執行委員会から3本の議案を提起した。
第1議案(総括)は、法大4・24集会の爆発から、暴処法弾圧を打ち破ってかちとった6・14−15闘争へと闘い抜いてきた画期的地平を圧倒的に確認するとともに、全学連運動の飛躍的前進にすべてがかかっていること、その核心こそ11・1労働者集会であることを鮮明に提起した。
「8月30日、労働者・学生の新自由主義への怒りが自民党を打倒した。この怒りと法大闘争の原点は一体だ。法大型の激しい闘いが全社会的に拡大していく。歴史変革の決定的な時が来た。民主党・連合政権を打倒しよう! 11・1労働者集会にこそ展望がある」
「世界大恐慌のもと、資本家がこれまでの教育のあり方そのものを破壊しようとしている中で『学生自治』をめぐる攻防が300万学生の怒りの弁を開け放つ突破口となる。法大闘争は監獄大学という極限的な状況のもとで大学・教育・未来を取り戻す闘いへと飛躍してきた」
「全国学生の怒りと団結に全面的に責任をとりきる全学連として飛躍しよう。全学連運動が時代の最先端に躍り出よう」
10・16法大闘争勝利へ
2日目からの討論は、8・30で示された怒りと結合し、キャンパスから11・1へ攻め上ろうという決意が続々と述べられた。その先頭に法大生が立った。無期停学処分者の久木野和也君は「1万人結集をかちとれば、国鉄1047名解雇撤回闘争も三里塚闘争も勝利できる。新たなインターナショナルも生まれる。学生1千人結集のうねりをつくりだせば法大闘争は完全に勝利する。その展望をロマンを持って語りきろう! 法大3年半の闘いはその力をつくりだしてきた。8・30情勢は大チャンスだ。反動を恐れず、学生の中に飛び込んでいこう」と訴えた。
「自主法政祭をめぐる攻防はキャンパスの支配権をかけた激突だ。営業権なのか団結なのか。学生自治の復権をかけ、法大生の巨大な怒りを10・16集会で爆発させる」
停学3カ月処分と闘う洞口朋子さんが「『教育の民営化』と真っ向対決してきたのが法大闘争であり8学生だ。法大当局は文連・全学連だけが問題だと言っていたが、結局監視カメラは増やし、学祭は破壊する。どれだけ法大生の決起に震え上がっているのか。学生の力と可能性がどれだけ大きいかということだ」と確信に満ちた発言。
教育の民営化との対決を!
大会は法大闘争を先頭に全国大学での「教育の民営化」攻撃と真っ向から対決する方針を打ち立てた。「教育の民営化とはどういうことか?」「大学・教育とは何なのか?」という根源的問いが出され、それをめぐって積極的論議が行われた。
「教育の民営化の核心は団結破壊攻撃だ」(大阪市大)、「歴史的に大学をつくってきたのは学生運動」(東北大)、「『教育を取り戻せ』は世界の学生のスローガン。教育を破壊するしかなくなった資本家を打倒し、学生が労働者とともに未来を奪い返していく闘いだ」(首都圏)
「教育の民営化」をめぐる攻防は、現場での学生自治をめぐる決戦として火を噴いている。現場にこだわりぬき、怒りと闘いを組織できるかどうかにかかっている。
富山大の新樹寮闘争を軸に寮闘争の爆発を切り開いてきた仲間から、格闘の中でつかんできた確信が次々語られた。
「闘う学生を排除して自治寮は成り立たない。当局は話し合いの対象なのか。寮生は展望を求めている。寮生を信頼して闘う」(新樹寮)、「寮への攻撃は時代の中で行われている。『大学の言うことを聞けばうまくいく』というイデオロギーと対決し、寮闘争を本格的に復権したい」(京大・熊野寮)、「学生を資本の食い物にするPFI寄宿舎など絶対に許せない! 食堂民営化という分断攻撃に対して2年間寮生とともに格闘してきたが、絶対反対を貫いたときにこの怒りが爆発した」(東北大・日就寮)
全国声明運動を推進しよう
全国声明運動の事務局を担う学生が「全国声明賛同は団結署名だ。8学生の存在と訴えにこそ全学生を獲得していく力がある。8学生と団結し、年内奪還のために全力で闘おう」と訴えた。
東京拘置所から全学連大会に寄せられた8学生のメッセージは、そのすべてが議案と並ぶ決定的内容で、常に議論の中心に座った。
「本大会が示しているのは、私たちが困難から逃げることなく、むしろ真正面から立ち向かってきたということです。そしてこの闘いは、監獄大学の中から学生の団結を復権させ、どんな弾圧にも屈せず前進していることです……キャンパスで学生の団結を組織し抜く体制と団結を作り上げよう」(織田陽介委員長)
「この時代、労働者階級の最先頭で闘う――これが学生の姿であり、あふれ出すエネルギーを無限に解き放つ、最も解放的かつ戦闘的存在が学生だ。法大闘争は常にその姿を示してきた」(倉岡雅美副委員長)
「全学連・文連が開拓した地平は柔軟性ある魅力的なもので大いなる将来性を秘めている。志ある学友は全学連・文連のもとに結集し共同戦線をはって欲しい」(文化連盟・恩田亮副委員長)
参加者全員が8学生奪還の決意を新たにした。
大会をとおして多くの学生が決定的なリーダーへと飛躍をかちとった。3日目の討論では、1年生を始めとした初参加者も含めて、今までの殻を打ち破り、困難から逃げずに闘うという決意表明が行われ、会場は感動に包まれた。
「学生運動が『教育の民営化』との対決を掲げたことは決定的だ。学生が商品としてしか生きていけない社会をひっくり返したい。自分の学部で闘う。その勇気ができた」(京大)、「学生大衆の解放の中に自分の解放がある。それは党派闘争にかちぬいて責任を取りきるということ。自分はもっと飛躍できる。そういう力を持っていることに確信をもった」(中四国)
「学生の中に思い切って入っていく。法大闘争と今回の全学連大会でつくってきた団結があればできる。怒りと結合し、東北大から11・1へ200人の学生を組織する」(東北大)、「大会討論で展望つかんだ。自分の周りに大学への不満はあふれている。これが『教育の民営化』だとはっきりさせればうねりはつくり出せる」(広島大)
最後に、3日間の討論を牽引した坂野委員長代行を軸に委員長・副委員長・書記長の代行が選出され、臨時執行体制を確立した。坂野委員長代行のまとめ、松室しをり書記長代行の決意表明(別掲)は、参加者全員の心を揺さぶり、全学連が全国学生を獲得できる現実性を指し示した。
鈴木弁護士が暴処法の講演
また、本大会には多くの来賓が参加し、全学連への期待と共闘の思いが述べられた。三里塚芝山連合空港反対同盟の北原鉱治事務局長(別掲)、動労千葉争議団の中村仁さん、青年労働者からの力強い檄は、前半決戦が切り開いた労農学連帯の地平の大きさである。
法大裁判主任弁護人である鈴木達夫弁護士からは記念講演が行われ、暴処法との闘いの歴史的位置と学生運動の存在の大きさが語られた(次号に掲載の予定)。さらに法大弁護団の藤田正人弁護士、森川文人弁護士、藤田城治弁護士、西村正治弁護士からのアピールは、全学連運動と法大闘争が、裁判員制度反対の闘いと結合しながら前進していることを確信させるものだった。獄中35年の星野文昭同志を始め多くの方からメッセージが寄せられた。
今大会の画期的な地平
本大会は第一に、11月労働者集会への1万人・学生1千人結集方針を確立した。11月集会結集方針を一切の論議の軸に据え、8・30総選挙で示された日本労働者・学生の怒りと決起を集約し大党派闘争に勝利していく最大最高の方針として一致をかちとった。全学連運動が、11月集会結集方針を大学闘争における路線とマルクス主義的に結合させて一致したことは、06年3月以来の法大闘争の中から切り開いた画期的な地平だ。
第二に、全国大学で「教育の民営化」と激突し、「学生自治をめぐる攻防」を全面的に推し進める中で全学連運動を歴史的によみがえらせる路線を確立した。
第三に、10・16法大集会方針を確立した。自主法政祭という法大生の団結の象徴を解体する攻撃に対して、キャンパスの内部から文化連盟に続く法大生の決起をつくりだそう。
第四に、「8学生を取り戻そう!」というものすごい欲求のもとに、年内奪還方針をうち立てた。獄中8学生の革命的な存在こそが、法大闘争3年半と09年前半決戦の前進の地平の一切を体現している。
第五に、織田陽介委員長を始め全学連3役が監獄に奪われている中で、坂野委員長代行を先頭にした執行部が3日間の討論にすべての責任をとりきり、臨時執行体制を革命的にうちたてた。
今大会の実践的総括の一切は、11月1万人・学生1千人結集をかちとることである。10・11三里塚闘争−10・16法大集会−11・1労働者集会へ、激動を喜びとし糧とし、全学連の飛躍的発展をかけ、全国学生は闘い抜こう!
(写真 闘いの先頭に立つ新執行部を選出【12日】)
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週刊『前進』(2408号4面2)(2009/09/21 )
未来のために進め
三里塚反対同盟事務局長 北原鉱治さん
みんな元気か!
振り返ってみると、今は中年となった君たちの先輩が全学連の学生だった時から、私はこの大会に伺っている。その人たちもかつては君たちと同じような若々しい顔をしていた。まったく昔と変わらない気がする。
現在、法政大学で闘った8人の学生が、いわれなき罪名で獄中につながれている。こんな弾圧を許したら君たちの将来は破壊されてしまう!
今年4月の外国人記者クラブで、法政大学の問題が大きく取り上げられた。屈強なガードマンらが4〜5人で君たちに暴行をふるい打ち倒している写真が、衝撃を伴って明らかにされた。全世界の人びとはこの日本の現状に驚いている。
君たちには言論の自由、表現の自由がある。キャンパスは君たちのものだ。君たちの青春を奪い、抑えつける法大当局が間違っている。これに怒らない者がいたとしたらそれはおかしい。
獄中の何人かとは面識がある。彼らを絶対に奪還しよう。この若い芽を摘もうとするやつを絶対に許してはならない。
三里塚は君たちの未来のためにこれからも闘いぬく。そして生きている限りその責任を果たす。君たちは自分たちが歩んでいる道が正しいことを、恥じることなく堂々と主張し、未来のために進んでください。10・11三里塚現地に大結集を。
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週刊『前進』(2408号4面3)(2009/09/21 )
臨時執行部が熱烈な決意
学生1千人結集の責任取る 委員長代行 坂野陽平さん
大恐慌によって資本主義は完全に終わった! そして6千万労働者と300万学生の怒りで自民党が完全に打倒された。だが、学生の怒りはこんなもんじゃ収まらない。プロレタリア革命までやむことがない闘いが始まった。
今次全学連大会は、獄中の8学生とともに団結し、11・1労働者集会に学生1千人を結集する大会として打ちぬかれた。11月集会は300万学生の展望であり、私たちの集会だ。そのことが討論の中で生き生きと語られた。何よりも決定的なことは自分のキャンパスからそれをつくっていく決意が語られた。動労千葉が闘いの中でつくり出してきたものを獲得した。マルクス主義と動労千葉労働運動にこそ現状をぶち破る力があることをはっきりさせた。絶対に自分のキャンパスから、自分の闘いの場から逃げずに闘おう。隣の仲間の怒りに依拠して、その怒りを最大限に引き出そう。自分こそが仲間の怒りの最先頭で闘おう。
そして、全学連運動の大発展を今こそつくり出そう。われわれが4・24、6・15の法大闘争でつくり出した闘いが全国の大学キャンパスで巻き起こる情勢が来た。
戦後革命期に「戦争絶対反対、教育を奪うな」の叫びを上げ、220万人のゼネストが爆発する中で全学連は生まれた。そのうねりがもう一度起ころうとしている。その土台がこの大会でつくられた。「生きさせろ!」「教育の民営化絶対反対!」のうねりを全国のキャンパスで起こして、学生自治の死守・拡大の闘いをやりぬこう。
臨時執行体制は、獄中の8学生、全学連3役と文化連盟3役を必ずこの場に取り戻す! そして8人になり代わって11月集会に1千人の学生を集めきる。それが任務だ。私は首都圏の学生として、10・16法大闘争の大爆発を実現する。全国学生の最先頭で闘い、1千人結集の全責任を取る。
3日間の白熱的な討論が時代を動かす主体を鍛え上げ、激動の情勢を促進する力になった。
10・11三里塚闘争に全国学生は大結集しよう。そして10・16法大に現場の闘いのうねりを持って集まろう。そして、11月集会の爆発から世界革命勝利へ!
闘う執行部のもとに団結を 書記長代行 松室しをりさん
全学連運動を時代の最前線に登場させよう!――そう言いきれるところまでわれわれは上り詰めてきました。全学連は結成以来、一貫して大学キャンパスから革命の現実性をたたきつけてきました。そしてこの革命的激動情勢の中で、いよいよ全学連が社会を根底から変革する闘いの最先頭に躍り出ました。その確信をもって一大党派闘争に打って出よう。それだけの内容を、この3年半の法大闘争の中で、そして3日間の徹底討論の中で、ここに集まった全員がつくり上げてきた。
獄中からこの大会に参加している8人の学生をなんとしても取り戻そう。それと一体で11・1日比谷野音に学生1千人の隊列を登場させよう。全国学生は私たち臨時執行部のもとに団結してほしいと切に訴えます。
私は昨年、獄中で法大弾圧を闘っており、大会初参加です。今この場に立ち、来年はこの会場に入りきれないくらいの多くの仲間を集めようと思う。自分のキャンパスで11月1千人結集のうねりをつくり出そう。
私は今から2年前、全学連の名前と存在を初めて知った。団結に依拠して生きる――ここに本物があるじゃないかと知ってうれしかった。全学連という団結体が私は本当に好きだし、ここに集まった仲間を心から信頼しています。この団結を外に向けて広げよう。
全学連運動の歴史的爆発に向け、われわれ臨時執行部は、全国300万学生の最先頭で人生をかけて闘います。
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週刊『前進』(2408号5面1)(2009/09/21 )
レーニン主義を解体し権力と闘わないと宣言した塩川一派
「9月政治集会」が示した動揺と分裂
仲山良介
塩川派は、9月6日、尼崎市で開催した反革命政治集会(「革共同再建協議会」と「革共同関西地方委員会」の共催)において、マルクス主義とレーニン主義をまとめて否定し、放棄する宣言を発した。大恐慌情勢の激しい展開と8・30情勢のドラスティックな展開に度肝を抜かれた塩川派は、これまでの強がり発言をすべて引っ込め、あっさりと「命綱」を投げ捨てたのである。彼らの内部では今や、動揺、混乱、懐疑と分裂が深まっている。このままでは空中分解しかない状態だ。彼らは、ますます動労千葉破壊と三里塚反対同盟解体の策動にのめりこむしかないが、何の展望もない。彼らは反革命策動のためにだけにつぎはぎの理論をデッチあげ、デマゴギーをばらまく。そしてそれを「革命的共産主義運動の再生」のためとして押し出している。実際にどういうことが言われたのか。具体的に暴き出そう。
民主党政権に政策実現求める体制内改良運動
9・6塩川派政治集会では二つの基本報告がなされた。報告Tは「21世紀現代革命の綱領のために――革命的共産主義運動の再生をめざして――」、報告Uは「改憲阻止・日米軍事同盟粉砕、戦闘的大衆闘争の復権を」となっている。
報告Tは、この間、塩川自身が彼らの機関誌『展望』などで打ち出してきたものを、もっと露骨に反マルクス主義・反レーニン主義的に煮詰めたもの。報告Uは、8・30情勢の直撃でグラグラになってしまったが、とにかく政治的基調を提起するために、なんとか急ごしらえでやっつけたものである。
8・30は「民主主義革命」なのか
最初に、報告Uで現在の8・30情勢について言及している部分を見ておきたい。衝撃的なことが抜けぬけとわかりやすく書いてあるからだ。
まず冒頭、民主党の菅直人が「総選挙の結果を『民主主義革命』といった」ことを肯定的に紹介して、「民主党を軸とする連立政権は『革命政権』ではない。しかし、戦後政治の重大な転換点となることは間違いない」と述べている。
8・30における民主党の大勝利が「重大な転換点」であることだけはわかっているが、これを何と規定すべきか、ことの大きさにすっかり参ってしまっているのが塩川派だ。“オバマの次は、日本で民主党政権の勝利、これこそ革命でなくて何なのか”という調子でものを言っている。
しかも、菅直人の「革命」という言辞を肯定的に押し出し、菅直人と同じ気分で、起きた事態を「民主主義革命」として賛美しているのだ。これは単なる言葉のアヤで、大した意味はないのか?とんでもない。報告Uでは、そのことが驚くべき内容で展開されている。
「民主党政権下でのたたかいについて。普通選挙は、エンゲルスが指摘したとおり『労働者階級の政治的成熟度を測るバロメーター』である。しかしそれは単なるバロメーターにとどまるものではない」
「民主党を中心とする連立政権に対して、『所詮はブルジョア政権にすぎない』などというような冷笑的あるいは悲観的な態度をとって、政治的な不作為を決め込むことは大きな誤りである」
「また今日の労働者人民の生活苦や経済全体の危機的状況についても、『資本主義を打倒しないかぎり、改善の余地はない』などとする立場も同様に誤りである。『障害者自立支援法』や『後期高齢者医療制度』、『介護保険制度』、さらには『製造業への労働者派遣の解禁』などは、“資本主義であるかぎり不可避な政策”であったのか? 断じてそうではない。これらの撤廃を民主党政権に実行するように強力に要求する大衆運動を推進しなければならない。このようにして労働者階級人民がその闘争をとおして政府に政策の転換を強制するというプロセスをぬきにして、先進資本主義国における社会革命を実現することはできない」
引用が長くなったが、これを読めば、彼らがどこまで転落し、変質しきってしまったのかということが実によくわかる。塩川派は8・30総選挙結果に大きなショックを受けて、“このように、選挙をとおしてこそ真の社会変革は実現される” “これまでのプロレタリア革命論は、レーニン以来(いやマルクス以来)全面的に間違っていた”という立場に一挙に転換したのだ。
その主張の核心は、“議会や選挙で世の中が変わるはずはないというのは間違いだ。現に大きく変わったではないか。資本主義の枠内でもいろいろな変革は成立するのだ。革命しかないと言ってきた革共同は自己批判せよ。われわれはすっきりと民主党応援団になる”という叫びなのだ。
これは、日本共産党前議長の不破哲三が「マルクスは晩年、議会制民主主義を肯定し、暴力革命を否定した」「資本主義の枠内での変革は可能だ」と叫んでいるのとウリ二つだ。
塩川派は日本共産党との違いを出すためか、“ローザ・ルクセンブルグも普通選挙と議会を肯定的に扱った”とも主張しているが、それで塩川派の名誉が救われるわけではない。麗々しくローザを持ち出すことによって、反レーニン主義に移行したことがよりはっきりするだけだ。
“民主党政権に政策実行を迫る大衆運動を推進することこそ、先進資本主義国における社会革命の基本路線だ”と言い切っていることは重大である。日本共産党すら一応は、自分らは民主党政権にチェックをかける存在だと主張している。しかし、塩川派にはそうした「歯止め」すらまったくない。ただただ民主党政権万々歳という賛歌のみが満ちあふれている。
以上を見るだけで、塩川派はもはやその存在理由を喪失したと言ってよいだろう。とにかく、これ以上はありえないほどはっきりと“俺たちはプロレタリア革命派ではないぞ”という「宣言」を発したのだから。もはや「革共同再建派」などと名乗るのは無理である。
「レーニンにスターリン主義化の責任を追及」?!
次に、レーニン主義の否定・解体を公然と宣言した報告Tを見ることにしよう。まず、次の言辞を見てほしい。
「われわれは故・本多書記長以来、レーニンの党と革命論に徹して半世紀の実践をやりぬいてきた。世界でもっとも愚直にレーニン主義を実践したのである。その限界までやりぬいたからこそ、レーニンにも問題があることが見えてきた。レーニンをも相対化し、スターリン主義化の責任を追及することは重要である。そのためにもレーニンの中にスターリン主義化の要因を見つけるだけの安易な立場は通用しない。ロシア革命が逢着(ほうちゃく)した困難や壁、それにたいするレーニンの取った態度や諸政策の問題を具体的に分析することが大事である」
塩川派のこのような言辞は、まやかしに満ち満ちている。ここでいう「われわれ」とは誰のことか? “革共同は、本多書記長以来半世紀の実践を経て、やっとレーニンにも問題があることに気付いた”というのがそもそもおかしいのだ。
革共同はそもそも、反帝・反スターリン主義の立場からレーニン主義革命論を継承し、深化してきた。レーニンをどのように継承するかということは、それ自体が決定的な理論的・思想的な問題であり、実践的な死活性を持っていたのだ。
もともと革共同の出発点に〈レーニン主義の愚直な実践>があって、そこから反帝国主義・反スターリン主義が生まれてきたわけではない。革共同にとって、レーニン主義の継承と発展はきわめて緊張と党派性をはらんだものとして、自覚的に闘いとられたものなのだ。本多延嘉書記長(当時)の「レーニン主義の継承か、レーニン主義の解体か」(本多延嘉著作選第1巻所収、1972年執筆)は、まさにそういうものである。
ところが、塩川らは、「レーニン主義の愚直な実践」がまずあって、それを限界までやってきた結果として、最近、レーニンの問題性(スターリン主義化の「要因」はレーニンにある)に気付いたと言うのである。
これが完全におかしい。革共同はまさにレーニン主義の今日的な継承と貫徹の闘いをこそやりぬいてきた。その中には、レーニンがやりきれなかったことをわれわれ自身がやり抜くということも含まれている。反スターリン主義を実践的に考えてみれば、それは当然ではないか。われわれに今問われているのは、百年前のレーニンをもまさにのりこえるということなのだ。
塩川らは「レーニン主義を愚直に限界までやりぬいてその問題性が見えた」というが、まず、「限界までやりぬいた」ということ自身にウソがある。レーニン主義を本当に限界までやりぬいたのか? そうではなく、レーニン的オーソドキシーに徹することができず、非レーニン的実践を極限的にやろうとして破産したのが塩川派ではないか。「レーニン主義を限界までやった」ということは、そう安易に語れる言葉ではないのだ。
もう一つインチキなのは、“限界までやったからレーニン主義を投げ捨てる権利が生じた”と言っていることだ。こんなレトリックを振り回すなら、“自分は限界までやったのだから、転向する権利がある”と正直に言ったらどうなのだ。
実際に、塩川らが言いたいこと、言っていることはこれなのだ。レーニン主義を投げ捨て、解体し、転向して、黒田=カクマルの道を歩むという宣言、革命家廃業宣言をしたのだ。
塩川は“「91年5月テーゼ」に本当は反対だった”と言っている。レーニン的オーソドキシーに断じて反対だったわけだ。さらに塩川派は、「07年7月テーゼ」に猛然と反対して、07年末に革共同から脱落・逃亡した。もともと動労千葉に敵対し、階級的労働運動路線に反対して革共同を分裂させようと策謀していたのだが、直接のきっかけになったのは、7月テーゼ反対なのである。7月テーゼの核心内容は、レーニン主義の核心内容そのものである。塩川派と塩川らはもともと“レーニン主義の愚直な実践”に徹したことなどないのだ。それが本当に問われた時には、逃亡してしまった集団なのだから。
動労千葉と三里塚反対同盟の連帯破壊を策す
塩川派が今、恥も外聞もなく、レーニン主義の解体に激しく突進しているのはなぜなのか。
塩川派は今、三里塚闘争破壊に焦点を絞り、労働者階級との連帯・結合をもって闘いぬいてきた反対同盟農民にありとあらゆるデマをふりまき、革共同と動労千葉への絶望(つまりは労働者階級への絶望)を組織し、三里塚闘争そのものを帝国主義権力に屈服させようと策謀している。
塩川派にとっては、革共同と動労千葉破壊こそが一切であり、三里塚闘争や反対同盟農民の闘争、その階級的地平や歴史などはそのために利用するだけ利用して、用が済めば投げ出すという対象でしかない。なんの責任も取ろうとしていないし、できもしない。ただただ三里塚闘争史上最悪の闘争破壊者として登場しているのだ。
だから塩川派は、すべてを投げ打ってレーニン主義革命論解体に突進し始めたのだ。レーニン主義革命論を肯定するような態度をとる限り、レーニンの労農同盟論をも肯定しなければならない。レーニンの労農同盟論を肯定している限りは、動労千葉の存在の大きさを否定することはできない。それでは塩川派の策謀はどうしてもうまくいかないため、レーニンの労農同盟論そのものを公然と否定し始めたのだ。
レーニンの労農同盟論の核心は
レーニンの労農同盟論とは、労働者階級が農民と連帯・結合してプロレタリア革命を実現し、農民との連帯・協力関係を維持しながら世界革命と社会主義建設の道を切り開くということだ。このことなしには、プロレタリアートの勝利もプロレタリアート独裁権力の維持もありえない。
また農民にとっても、このような労農連帯の強化をとおして、労働者階級の勝利と結合して前進する中に自分たちの解放の展望がある。
レーニンはロシア革命の現実の経験をとおして、その点を徹底的にはっきりさせた。農民自身が労働者階級の支援と協力を得ながら、協同組合的な農業の形態などをつくり出していく形で、プロレタリア革命=社会主義建設の積極的担い手となり、「生産手段と土地(本源的生産手段)の社会的共有」(マルクス)への歴史的前進が切り開かれていく。マルクス主義が基本的に明確にしていたことが、このようにロシア革命の経験をとおして具体的な現実的実践的形態としてつかみ取られたのである。
それを裏切ったのがスターリンであり、スターリンの一国社会主義論とそれをテコとした党および国家の官僚制的変質(プロレタリアート独裁の破壊)であった。1920年代後半から30年代にかけての農民の強制集団化(それと一体で進行した諸民族の虐殺および反革命的な血の粛清)は、レーニン主義革命論に基づくものではなく、レーニン主義の破壊として強行された。
その前提には、労働者権力を樹立したロシアの労働者階級が国際的な団結を形成・強化し、世界革命に向かって進むという基本原理の解体があった。この原則を否定し投げ捨てたスターリンの一国社会主義論は、農民を徹底的に収奪するために強制集団化を合理化し、それどころか、“社会主義・共産主義とは本来そういうものなのだ”と主張するところにまで突き進んだのである。したがって、レーニン主義とスターリン主義の関係を明確にとらえることは決定的に大事なことなのだ。
このような理解と考え方は、革共同第3回大会(1966年)以来、わが革共同の中では基本的に確立された前提である。こうした思想(革命論)が根底にあるからこそ、われわれは三里塚闘争を反戦と革命の砦(とりで)として、農民とともに、農地死守・実力闘争を掲げてとことん闘い抜くことができたのだ。そして動労千葉は労農連帯の血盟のもと、どんな困難をも恐れず、ジェット燃料貨車輸送阻止闘争に決起したのだ。
塩川派は今、“革共同はもともと農民の土地を強制的に取り上げる思想を持っていた”と主張し始めている。浅はかにも、革共同=レーニン主義=スターリン主義と描き出せば、彼らのデマによる反革命策動がうまくいくと考えているのだ。
レーニンの労農同盟論とは何かを理論的にも実践的にもまったくつかめないで、このようなデマをもって、血と汗で築かれてきた動労千葉と三里塚反対同盟農民の血盟を解体しようとすることなど、絶対に許すことはできない。
「革命の主体=労働者」を解体
塩川派は、次のような〈現代革命の主体>論を綱領的に定式化しようとしている。報告Tから引用しておこう。
「現代の帝国主義、とくに新自由主義の階級支配の転換に踏まえた、革命の主体を明らかにする必要がある。その点では、打倒対象であるごく一握りの資本家階級とその階級支配を護持するために存在している官僚組織、政治組織、治安・警察組織に属する以外の膨大な階級・階層はすべて革命の主体または獲得すべき対象となりうる。その意味で、他人の労働を搾取しないすべての働く人民と家族・地域・共同体を通じてそれと一体であるすべての人々が現代革命の主体であり、革命的共産主義運動の組織者・被組織者となるべき存在である」
要するに、〈一握りの支配階級以外のすべての人民、すべての人びとが現代革命の主体である>ということを、綱領的に断言したのだ。
これは、マルクス主義とレーニン主義の解体という点では、極め付きである。階級的労働運動への敵対という次元をも超えている。階級闘争あるいは階級の概念そのものを抹殺するものだ。帝国主義ブルジョアジーと労働者階級の関係にこそ現代社会の基礎があるという基本認識、社会科学的認識の基本をも投げ捨てている。労働者階級こそが唯一の「真の革命的階級」であるという、マルクス『共産党宣言』のプロレタリア革命論の基本を何がなんでも絶対的に否定したいのだ。プロレタリアート独裁を否定するためにレーニン主義を解体する試みは、結局はマルクス主義の全面放棄にいたるのである。
塩川派は、今や「安田派との対決を避けたり、安田派に依拠して革共同の再建を目論(もくろ)む傾向が発生している」(報告T)と嘆いている。要するに、彼らの内部で大きな動揺と混乱と分裂が起きていることを表明しているのだ。
ここまで激しく転落した塩川派の存在は、闘う労働者階級人民の存在、そして今死活的に求められているマルクス主義の革命的復権やプロレタリア革命勝利の闘いとはまったく相いれない。今こそ解体・打倒あるのみである。
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